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<title>松尾光太郎 de 海馬之玄関 FC2版</title>
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<description>大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進します</description>
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<title>外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書（Ⅲ）</title>
<description> （6）容認説を肯定したと見られている1995年判決の該当箇所は「傍論：obiter dictum」であり、先例として他の裁判所の判断を拘束する「判決理由：ratio decidendi」ではない1995年判決の傍論について百地論稿はこう述べています（★）。「【外国人地方選挙権】賛成派は、最高裁判決は永住外国人への地方参政権付与を認めたなどと喧伝しているが、これは誤りである。「永住外国人に対して、地方自治体レベルに限り選挙権を付与するこ
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi131s.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi131s.jpg" alt="kakashi131s.jpg" border="0" width="495" height="371" /></a><br /><br /><br />（6）容認説を肯定したと見られている1995年判決の該当箇所は<br />「傍論：obiter dictum」であり、先例として他の裁判所の判断を拘束する<br />「判決理由：ratio decidendi」ではない<br /><br />1995年判決の傍論について百地論稿はこう述べています（★）。<br /><font color=darkgreen><br />「【外国人地方選挙権】賛成派は、最高裁判決は永住外国人への地方参政権付与を認めたなどと喧伝しているが、これは誤りである。<br /><br />「永住外国人に対して、地方自治体レベルに限り選挙権を付与することは、憲法上禁止されておらず、国の立法政策に委ねられている」（部分的許容説）と述べた部分は、あくまでも「傍論」(オバイタ・ディクタ)【註：ここは単数形の obiter dictum が適切と思うけれど引用テキストに従った】つまり裁判官の単なる意見表明であって、まさに「暴論」である。・・・<br /><br />ちなみに、最高裁が、外国人地方参政権について「憲法上禁止されていない」（部分的容認説）などと述べたのは、この「傍論」だけであって、その後の最高裁判決では、「本論」はもちろん、「傍論」でさえ、このような言及は一切なされていない」（ibid., pp.102－103）</font><br /><br />百地論稿は正しい。実際、外国人地方選挙権に関しては2000年4月25日に最高裁判決が、また、それを明示的な争点とした大法廷判決「東京都管理職選考試験受験資格事件判決」が2005年1月26日に下されていますが、いずれも、1995年判決の傍論に一切触れることなく、「参政権＝国民の固有の権利」という視座から外国人地方選挙権を明確に否定しています。<br /><br />而して、先に紹介した<font color=red>「外国人の選挙権・被選挙権と公務就任権」</font>（ジュリスト・2009年4月1日号所収）の中で、この問題の専門研究者である青柳幸一さんも「2005年大法廷判決において1995年判決への言及がなされているのは、滝井繁男裁判官反対意見だけである。多数意見も、補足意見も、1995年判決に全く言及していない。このことは、2005年大法廷判決が1995年判決の【傍論】をratio decidendiとは捉えていないことを暗黙のうちに示しているように思われる」と述べておられる。ならば、朝日新聞の2009年11月23日社説<font color=red>「外国人選挙権」</font>の記述「地方選挙権についても最高裁は95年、立法措置をとることを憲法は禁じていないとの判断を示している」という主張は、憲法論的には完全な間違いと言うべきなのです。<br /><font color=navy ><br />★註：傍論と判決理由<br />傍論（obiter dictum）と判決理由（ratio decidendi）は英米法の用語。後者は法廷意見の中で今後他の裁判所の判断を拘束する法的判断、前者はそれが含まれる判決が下された当該の事案にのみ関係する裁判所の補足説明であり、後者とは違い将来に亘って他の裁判所の判断を拘束する先例とはなり得ない。もちろん、将来において実質的に諸々のobiter dicta が他の裁判所の法的判断に影響を与えることは十分にあり得ます。しかし、それは（例えば、民法学の権威であった我妻栄先生がそのテキスト『民法講義－債権各論』を改訂した途端に最高裁の判例が新我妻説に右に倣えして変更された等々）権威ある研究者の言説が実質的に司法に影響を及ぼすこととパラレルであって、先例の法的な拘束力の問題とは位相を異にする事態なのです。<br /><br />注意すべきは、所謂「判例法主義」の英米法とは異なる我が国の法体系においては（実は英米でも先例の法的拘束力はかなり緩和されてきているのですが）、先例の拘束性、すなわち、あるratio decidendiの法的拘束力は（例えば、上告理由として刑事訴訟法405条2号が定める「最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと」等の場合を除けば）必ずしもマストではないこと。そして、逆に、独仏といった大陸系の憲法裁判所とも異なり、最高裁判所も含め我が国の裁判所は、具体的な紛争事案を離れて一般的抽象的にある法規の「合憲性－違憲性」を判断するシステムではない「付随的違憲審査制度」を採用していることです（尚、我が国の司法システムが「付随的違憲審査制度」を採用していることに関しては、所謂「警察予備隊違憲訴訟最高裁大法廷判決」（1952年10月8日）が＜先例＞として確定しています）。</font><br /><br /><br />◎百地論稿の射程と限界<br />百地論稿は、通説の外国人地方選挙権容認説に対して、＜現在＞の通説を代表すると思われる芦部さんが「【外国人参政権】を認めることは国民主権の原理に反する」と述べておきながら「全く理由にならない理由をいくつかあげて」許容説を支持していると批判し（ibid., p.100）、許容説の論拠を3個列挙した上で各々論駁しています（ibid., pp.101－102；芦部信喜『憲法第四版』p.90ff.）。<br /><br />百地論稿が抽出した許容説の論拠とは、①「国民－住民」という各々現行憲法15条1項と93条2項が記す選挙権行使主体の差異、②外国人地方選挙権の付与は世界の趨勢であること、③【現行憲法が掲げる】「「地方自治の本旨」に基づく地方公共団体のあり方を考えると、外国人の地方自治体選挙権はむしろ地方自治の理念に適合すること」です。これら①②についてはすでに本稿でも紹介したので、ここでは③に関する百地論稿の反論箇所を引用しておきます。蓋し、極めて中庸を得た反論。<br /><font color=darkgreen><br />「たとえ「地方自治の本旨」や「地方自治の理念」を考慮したとしても、国政あっての「地方自治」であり、「国政」と「地方政治」は切り離せないことから、外国人への地方参政権付与など認めるわけにはいかない。・・・<br /><br />先の最高裁判決【1995年判決】もいうように、地方自治体は「我が国統治機構の不可欠の要素を成すもの」であり、地方自治も広い意味で国政の一部といえる。それどころか、地方分権化が進む中で、国政の中に占める地方の役割はますます重要になってきている。それゆえ、国政ではなく地方政治だけだから外国人の参政権付与は許されるなどということはまったく理由にならない」（ibid., pp.101－102）</font><br /><br /><br />ここまで憲法論に絞って百地論稿を紹介してきました。蓋し、畢竟、外国人に対する参政権付与は現行憲法に違反する。否、「外国人の参政権」という言葉自体が「燃えない火」や「無効なる憲法」、あるいは、「嘘を書かない朝日新聞」という言葉と同様形容矛盾である。この点に関しては百地論稿も通説も私見も一致している。そう総括できると思います。<br /><br />ならば、百地論稿と通説と私見を分かつものは、「国民主権原理と抵触しない地方選挙権」なるものが想定できるかどうかの認識の違いでしょう。換言すれば、「国の政治のあり方や国の政治の方針を決める、国家の最終的な政治的意志を決定する権威と権限は国民にのみ帰属するべきだ」という国民主権の原理と抵触しない限度での地方政治への参加の仕組みとスタイルが可能か否かの判断の違いです。すなわち、「参政権と抵触しない地方選挙権」なるものをメルクマールにして、「そんな参政権ではない選挙権などは「燃えない火」や「無効な憲法」と同様形容矛盾だ」とする百地論稿と可能と考える通説、そして、「そんな参政権ではない選挙権の制度が設計可能というなら提示してみろ」と将棋で言えば＜詰めろ＞をかける私見「ヴェニスの商人説」が鼎立しているのだと思います。<br /><br />もちろん、「日本国憲法は憲法としては無効ですが大日本帝国憲法の講和大権に基づく講和条約の範囲では有効です」等々、世の中には常人の想像を突き抜けた妄想を奏でる人もいないわけではないですから（だからこそ人生は面白いの、鴨）、憲法研究者の中には、三者鼎立の域外にあって、【「国民主権」原理の「国民」は「国籍」と論理必然の関係はないという立場から】<font color=darkgreen>「少なくとも、民主主義の観念と結びついた「国民主権」の原理の根底にあるのは、一国の政治のあり方はそれに関心をもたざるをえないすべての人の意思に基づいて決定されるべきだとする考え方である、・・・そうだとすれば、日本国民とまったく同じように、日本の政治のあり方に関心をもたざるをえない外国人に参政権を保障するとしても、「国民主権」の原理に当然のように反するということにはならないはずである。むしろ、そのような外国人にも参政権を保障してはじめて、本当の民主主義が成り立つというべきであろう」「前に述べたような「国民主権」のとらえ方を前提にいえば、少なくとも、日本以外に生活の本拠をもたない「定住外国人」に対しては、選挙権・被選挙権を保障することが、【現行憲法から】要請されていると考えるべきである」</font>（浦部法穂『全改憲法学教室』p.57, p.507）と真顔でテキストに書いている人もおられる。<br /><br />しかし、＜将来＞の憲法学の通説を代表すると思われる長谷部恭男さんは、極めて深い自問自答的思考実験を披露した後、【「参政権」の意味と根拠について】<font color=purple>「いずれの立場をとるにしても、定住外国人に選挙権を与えることが憲法によって要請されているとまで結論づけることは困難であろう」「スウェーデン、ノルウェー、デンマークなど、最近では、外国人に地方選挙への参加を認める例も見られるが、選挙権が生来の人権であるとの立場から、あらゆる外国人に国政選挙への参加を認める国は少なくとも現在は存在しない」</font>（『憲法第3版』p.131）と、中庸を得た見解を述べておられます。閑話休題。<br /><br />而して、いずれにせよ、「外国人地方選挙権＝基本的人権」という主張を巡る憲法訴訟ではなく、「外国人地方選挙権付与制度の違憲性」を争点とした憲法訴訟を想定した場合、「通説＝芦部説」が掲げる、①憲法15条1項と93条2項が記す選挙権行使主体「国民－住民」の違い、②外国人地方選挙権の付与は世界の趨勢であること、③地方自治の本旨という3個の論拠のうち（百地論稿が的確に指摘している如く②は論外としても）①③はそれなりに有効であり、百地論稿の通説批判は必ずしも成功していないと私は考えます。<br /><br /><br />以上の考察によって、外国人地方選挙権問題を解く鍵が「参政権ではない地方選挙権」の設計可能性に収束すること、すなわち、「参政権ではない地方選挙権」なるものの意味に収斂することが提示できたのではないかと思います。蓋し、「外国人に地方選挙権を与える制度が違憲か合憲か」は、現行憲法15条の「国民」や93条2項の「住民」という言葉を、あるいは、｢国民主権｣や「地方自治の本旨」なる言葉を百年睨んでも結論が出ない類の問題ではないか。ならば、それを解決するためには、「参政権」の意味、よって、その前提となる「国民主権」「国民」「国家」、あるいは、「基本的人権」「民主主義」「憲法」というこの争点に対峙する者が無意識的にせよ前提にしているBig Wordsを＜脱構築→非自然化＞する他ないのではないでしょうか（逆に言えば、その＜脱構築→非自然化＞の作業を踏まえない限り、実は、浦部さんの妄想さえ論駁することは困難なのです）。<br /><br />百地論稿を導きの糸として外国人地方選挙権に関する現行憲法の解釈を慌しく一瞥した今、我が国の憲法規範体系において外国人地方選挙権はどのように理解されるべきなのかの課題に沈潜すべく、まず、「国民」「国民主権」「国家」という事柄に対するより原理的な考察に移ろうと思います。<br /><br /><br />＜続く＞<br /><br /><br /><br /><br /><br /><b>（2009年10月21日：yahoo版にアップロード）</b><br /><br /><font color=darkbrown>★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★<br />戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに<br />参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、<br />下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】<br />にクリックを二つお願いいたします。<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/b_01.gif" 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<dc:subject>憲法・国家論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T12:43:35+09:00</dc:date>
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<title>外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書（Ⅱ）</title>
<description> ◎百地論稿が挙げる外国人選挙権違憲理由の検討「ディズニーランドの比喩」でコメントした如く、（0）「納税実績は外国人選挙権の理由にはならない」ことには議論の余地はありません。畢竟、「納税を理由に外国人に参政権を認めている国などどこにも存在しない」（ibid., p.99）という百地さんの指摘はどこまでもどこまでも限りなく正しい。而して、逆に言えば、この｢納税⇔選挙権｣のリンク容認論は、例えば、「貧困ゆえに納税できな
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi12.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi12.jpg" alt="kakashi12.jpg" border="0" width="491" height="654" /></a><br /><br /><br />◎百地論稿が挙げる外国人選挙権違憲理由の検討<br />「ディズニーランドの比喩」でコメントした如く、（0）「納税実績は外国人選挙権の理由にはならない」ことには議論の余地はありません。畢竟、「納税を理由に外国人に参政権を認めている国などどこにも存在しない」（ibid., p.99）という百地さんの指摘はどこまでもどこまでも限りなく正しい。<br /><br />而して、逆に言えば、この｢納税⇔選挙権｣のリンク容認論は、例えば、「貧困ゆえに納税できない日本人は地方参政権が否定される」帰結になりかねないもの。蓋し、この容認論は、ロールズ的に言えば、社会正義の観点からはその声が最も政治や行政に反映されるべき最弱者を政治という公共空間から排除する理路を含意しているものかもしれません（★）。<br /><font color=navy ><br />★註：ローズの「正義の第2原理」<br />ジョン・ロールズは、『正義論』（1997年）の中で、正義が社会を枠づける得る前提として（ある社会がその社会のメンバーに対してその秩序の正当性を主張しうるためには）、「社会的・経済的不平等は次の2条件を満たすものでなければならない」と語りました。その2条件とは、<br /><br />a)それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。 <br />b)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。<br /><br />而して、普通選挙制度も累進課税制度もこのローズの「正義の第2原理」から説明することは可能であり、他方、この原理からは、（ミクロ的には逆累進性を帯びる）消費税が正当化されるためには、そのマクロ部面での合理性（直接税部分での脱税の四天王：医師・ヤクザ・パチンコ屋・建設業の親方も、消費機会毎に漏れなく課税される！）に加えて、食品・衣類・交通費・水光熱費等々の生活費部分で低所得層をサポートするサブシステムとリンクされなければならないことが演繹される。蓋し、｢納税⇔選挙権｣のリンク容認論はロールズの「正義の第2原理」に真っ向喧嘩を売る大変勇気のある主張ではないか。憲法無効論の信者同様、これは「無知は勇気：盲、蛇に怖じず」の典型例と言うべきかもしれません。</font><br /><br /><br />（1）参政権は国民固有の権利<br />（2）地方の選挙権の主体「住民」も「国民」である<br />（3）「国政」と「地方政治」は切り離せない<br /><br />上にも書いた通り私はこの違憲理由（1）（2）には疑問を持っています。具体的には、「そもそも参政権は、日本国憲法15条1項が明記しているとおり「国民固有の権利」であって、日本国民のみが有する」（p.99）に異論はないけれど後段の「日本国民のみが有する」から外国人地方選挙権の全否定が導かれるかどうかには疑義があるということ。<br /><br />蓋し、参政権は日本国民の基本的人権であり、例えば、身長や納税額等の非合理または正義に反する基準でもって参政権が与えられる日本人の範囲を決定することが憲法違反であることは間違いない（但し、現在でも公職選挙法11条によれば、「禁錮以上の刑に処せられその執行を終るまでの者」等には選挙権・被選挙権とも認められません）。けれども、それと（再々になりますが、外国人にとって参政権が基本的人権ではないことは当然として）、外国人に地方選挙権を付与する制度が違憲であることは単純に楯の両面として同値ではなく、寧ろ、この両者はある意味ウィトゲンシュタインの有名な「兎アヒル」的な関係にあるのではないか、少なくともこの両者には些か懸隔がある。と、そう考えるのです（★）。<br /><br />要は、「参政権は、日本国憲法15条1項が明記しているとおり「国民固有の権利」である」という命題の射程は、下記の（a）（b）までであり、これら（a）（b）を前提にした（c）は現行憲法15条（および93条2項）の射程外の事態ではないかということ。<br /><br />（a）参政権＝日本国民の基本的人権<br />（b）参政権＝外国人の基本的人権ではない<br />（c）基本的人権ではない地方行政の一法制度としての外国人地方選挙権<br /><br />実際、明治初期の「お雇い外国人」、就中、ボアソナードやヘルマン・ロエスエルの刑法・憲法制定に果たした役割を考えれば、他方、現在でも国公立大学には少なくない外国籍教官が奉職していて、次の時代を担う若者の育成に献身しておられることを鑑みれば、外国人が実質的に日本の国政に影響を与えることを完封することは適当ではなく、また、土台不可能なことではないでしょうか（よって、反日外国籍集団には外国人選挙権の是非とは別の回路で反撃防御を行なうのが適当であろうと思います）。<br /><br />ならば、先の引用に続く百地さんの記述。「だから、憲法の英訳でも「インエイリアナブル・ライト（inalienable right）」つまり｢不可譲の権利｣であって、外国人に譲り渡すことなどできない権利とされている」（ibid.）は、（通常、｢不可譲の権利｣とは「国家権力から奪われない権利」という意味に解すべきだと思いますが、それは置いておくとしても）外国人に人権としての参政権を認めようなどとは考えていない「(a)→(b)→(c)」の理路への批判にはなっておらず、畢竟、外国人地方選挙権の妥当性は（3）「「国政」と「地方政治」は切り離せない」かどうかという事実問題、あるいは、制度設計の法技術的問題に収斂するの、鴨。<br /><br />蓋し、確かに外国人地方選挙権の制度化によって、相対的に日本国民の政治的影響力が減じることになれば外国人地方選挙権は現行憲法15条違反の選挙制度ということになるでしょう。しかし、もし、地方行政と国政が国民が許容しうる限度まで切り離すことができるのならば、「(a)→(b)→(c)」を肯定する立場からは外国人地方選挙権が違憲とは言えないと思うからです。而して、私は（3））「「国政」と「地方政治」は切り離せない」かどうかに関しては保留して、容認説に対して「切り離せるものなら切り離してみろ」と言うべきだと考えています。<br /><br />尚、以上の考察で、ヴェニスの商人説の第2項「一般論として、外国人地方選挙権自体は違憲ではない」と（国政と地方政治が切り離されていない現状を踏まえた）第3項「地方行政と国政の未分離、特別永住者制度を残した現段階での外国人への地方選挙権付与は違憲」の意味もまた説明できたと思います。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/img_925498_24192435_0.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/img_925498_24192435_0.jpg" alt="usagiahiru" border="0" width="440" height="330" /></a><br /><font color=navy ><br />★註：兎アヒル<br />上の有名な騙し絵を参照いただきたいのですが、ウィトゲンシュタインは『哲学探究』2部11章で、「人はこれを兎の頭とも、アヒルの頭とも見ることができる。すると私は、一つの相の「恒常的な見え」と、一つの相の「閃き」とを区別しなければならない。像はすでに私に示されていたが、私はそこに兎以外の何ものをも見てはいなかったということがありうるのだ」と述べています。<br /><br />蓋し、現行憲法15条の「参政権＝国民固有の権利」理解から参政権の日本国民にとっての基本的人権性の肯定と外国人にとっての基本的人権性の否定を導き出すだけでなく、その憲法の条項や「国民主権の原理」なるものから基本的人権とは無縁の、外国人選挙権制度の違憲性を演繹することはこの画像に「兎」だけを見て「アヒル」を見ない事態とパラレルだと思います。</font><br /><br /><br /><br />（4）外国人への参政権付与は決して「世界の流れ」ではない<br /><br />百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由の（4）は極めて妥当。以下、引用させていただきます。<br /><font color=darkgreen><br />「外国人に参政権を付与している国は、北欧諸国やEU諸国を除けば、スイス、ロシアなど数ヵ国だけであって、決して【外国人への参政権付与は】世界の流れなどということはできない。しかも、北欧諸国などの場合、周辺諸国との間で早くから地域協力や相互移住が行なわれてきており、専ら移民対策として外国人に選挙権を付与しただけである。<br /><br />また、・・・EU諸国は・・・、【EU域内に】限り、相互主義のもと【EU】加盟国国民に対して、「連合市民権としての地方参政権」を認め合っているだけである。したがって、これはわが国で言われているような「外国人への地方参政権付与」とは別ものといえよう。<br /><br />さらに、イギリス、カナダ、オーストラリアなどのイギリス連邦諸国では、旧宗主国と植民地との間で二重国籍を認めあった上でそれら市民に選挙権を付与しているが、これは「自国民への選挙権付与」である。・・・このように考えると、文字通り外国人に選挙権を付与している国などきわめて限定されている。その上、それぞれの特殊事情なり歴史的背景があってのことであるから、事情を全く異にするわが国の参考にはならない」（ibid., p.103）</font><br /><br />外国人地方選挙権を巡る世界の趨勢は、百地論稿の言葉、「文字通り外国人に選挙権を付与している国などきわめて限定されている。その上、それぞれの特殊事情なり歴史的背景があってのこと」に尽きていると思います。リベラル派が語る「世界の趨勢としての外国人地方選挙権」なる妄想の正体は、そもそも外国人地方選挙権とは呼べないものであるか、そう呼べるにしてもそれは「特殊な事情＝冷徹な国益計算」が背景にあってのことなのです（★）。<br /><br />而して、民主党が導入を期す外国人地方選挙権付与制度は、（イ）日本と国交のある国を国籍国とする、（ロ）永住者を対象とし、かつ、（ハ）相互主義を採用しないものと報じられています。蓋し、（ハ）を鑑みるにこの法案が想定するメインターゲットは韓国人ではなく支那人なのだと思います。実際、現実の人口の推移においても、在日韓国人・朝鮮人の永住者はここ10年間、年1万人強のペースで減少しており（かつ、彼等の年齢別人口構成からは、この傾向は今後10年間は更に加速するものと予想されており）、他方、支那人はそれとほぼ真逆の勢いで増えていますから（★）。<br /><br />もちろん年齢の制約もあり、永住者数がそのまま外国人有権者数ではない。しかし、2009年11月の今でも、民主党法案が成立した瞬間に（話半分としても）支那・韓国で合計30万の票田が出現するのです。そして、例えば、「人口30万－有権者数20万」クラスの地方自治体にとっても、その新たな票田のプレゼンスは（まして、地方選挙の投票率が通常35％前後であることを想起すれば）到底無視できない規模であることは自明でしょう。<br /><br />尚、民主党法案は「日本と当該の国籍国との間に国交が存在すること」を選挙権付与条件にしている。ならば、この制度が台湾国民にとって「踏み絵」として使われる可能性もあると思います。すなわち、「台湾国籍」に固執する台湾人には日本の地方選挙権は与えられず、「中華人民共和国台湾省」所属として自己をアイデンティファイした台湾人には地方選挙権を認めるといった取り扱いも満更不可能ではないということです。<br /><font color=navy ><br />★註：韓国の外国人地方選挙権制度<br />2005年7月に在韓永住外国人に対して地方選挙権付与制度を導入した韓国では、選挙権を取得するためには、①永住権取得後3年以上が経過していることが必要であり、しかも、②その永住権取得には、韓国内で200万ドル以上の投資を行なった実績か、あるいは、その投資に匹敵する一定額以上の収入実績が条件になっている。而して、2006年5月に行われた選挙では、韓国在住外国人20万人中、選挙権が与えられたのは日本人51人を含む6,726人にすぎませんでした（内訳は、大陸系支那人5人；台湾人6,511人；アメリカ人8人等々）。<br /><br />要は、韓国の「外国人地方選挙権」なるものは外国資本誘致の方便に他ならない（あるいは、「海老鯛」式に51人の日本人に韓国の地方選挙権を与えるのと引き換えに、20万人を優に超える在日韓国人に日本の地方選挙権を取らせるための施策）と勘繰られても文句は言えそうにない、畢竟、「友愛」とは無縁の見事に合目的的な制度なのです。<br /><br />★註：在日外国人と永住者の質と量<br />2008年末現在の永住外国人数は912,361人であり、その内訳は、<br /><br />・韓国・北朝鮮：特別永住者416,309人（＋一般永住者53,106人）<br />・支那＋台湾：特別永住者2,892人（＋一般永住者142,469人）<br />・ブラジル：特別永住者26人（＋一般永住者110,267人）<br /><br />同じく昨年末現在、外国人登録者数ではもう「支那＞韓国・北朝鮮」なのです。蓋し、現在の人口変動の傾向が単純に続いたとしても10年後の2019年末には、在日韓国人・朝鮮人の永住者はおそらく30万足らず。他方、間違いなく支那人永住者数はそれを上回る（少なくとも35万人を上回る）ことは確実でしょう。<br /><br />・韓国・北朝鮮：589,239人<br />・支那＋台湾：655,377人<br />・ブラジル：312,582人<br /><br />・法務省入国管理局データ<br />　<a href="http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan90-4.pdf" target="_blank" title="http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan90-4.pdf">http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan90-4.pdf</a><br /><br />尚、外国人が孕む社会思想的な課題に関しては下記拙稿をご参照ください。<br /><br />・外国人がいっぱい<br />　<a href="http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html" target="_blank" title="http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html">http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html</a><br /><br />・揺らぎの中の企業文化<br />　<a href="http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html" target="_blank" title="http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html">http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html</a><br /><br /></font><br /><br />（5）独仏ともEU加盟国国民に地方選挙権を付与するため憲法改正を行った<br /><br />百地論稿はこう記しています（★）。<br /><font color=darkgreen><br />「ドイツやフランスでは、外国人への地方参政権の付与は憲法違反とされたことがあり、EUへの加盟に当たっては、外国人（連合市民）への地方参政権付与のための憲法改正まで行っている。<br /><br />まず、ドイツでは1989年、ハンブルクとシュレスヴィッヒ・ホルシュタインの両州が永住外国人に対し地方参政権（選挙権）を付与したが、ドイツ連邦憲法裁判所は1990年、これを違憲とした。というのは、ドイツ憲法第20条2項が「国家権力は、国民により、選挙および投票によって・・・行使される」としていること、そしてこの「国民」とは、ドイツ国民に他ならないことから、外国人に参政権を付与することはたとえ地方レベルであっても許されないと判断したからである。そこで、ドイツでは、1992年、EU条約の批准に伴い憲法を改正して、外国人（EU加盟国国民）に地方参政権を認めた。<br /><br />また、フランスの憲法院も1992年、外国人に地方参政権を付与することを認めたヨーロッパ連合条約を憲法違反とした。その理由として、判決は憲法第3条4項が「フランス国民の成年男女は、すべて・・・選挙人である」としており、フランス国民のみが参政権を有することなどをあげている。そのため、フランスでも、同年、EU条約を批准するため、憲法改正を行なっている。<br /><br />この点、日本国憲法は、条文上の根拠がやや曖昧なドイツやフランスの憲法などとは異なり、参政権が「国民固有の権利」であることを明記しているから、外国人への参政権付与が憲法違反であることは、きわめて明確である。したがって、現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反であり、どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」（ibid., pp.103－104）</font><br /><br />これは事実の的確な紹介。ただ、すでに旗幟を鮮明にしているとおり、引用の最後の箇所「現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反であり、どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」に関して、私はその前段「現行憲法下での外国人への参政権付与は、たとえ地方参政権であっても憲法違反」という主張には満腔の賛意を表しますが、後段の「どうしても外国人に選挙権を付与したければ、憲法を改正するしかない」には疑義があります。要は、「国政と地方政治が切り離せる」とすれば、すなわち、参政権とは異なる選挙権のあり方があり得るとすれば、「憲法を改正をしなくとも外国人に選挙権を付与することは可能」と考えるからです。<br /><br />再々になりますが、白黒はっきり言えば、「外国人地方選挙権は基本的人権かどうか」ではなく「外国人に選挙権を与える制度が違憲かどうか」が問われる憲法訴訟においては（その憲法訴訟は1995年判決の判決理由の射程を越えており、よって、同判決の傍論に鑑み）、93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」に言う「住民」は「外国人たる住民」をも含むと解することも可能であると思います。<br /><font color=navy ><br />★註：独仏の外国人地方選挙権付与制度導入と憲法改正<br />マーストリヒト条約批准に際してドイツは8ヵ条に亘り憲法の改正を行いました。その一つがEU加盟国国民の地方参政権を認めるためのドイツは憲法（ボン基本法）28条の改正。他方、同じくEU加盟国国民の地方参政権を認めるためフランスは憲法に88条の3を追加した。<br /><br />注意すべきはドイツ憲法は、連邦の参政権を規定する20条も地方レベルの参政権を規定した28条1項も元来、選挙権行使の主体として「国民」のみを記していたこと。同様に、フランス憲法3条4項は国と地方を問わず選挙権行使の主体として「フランス国民の成年男女」と記していたことです。この点、国政に関与する参政権の主体を「国民」（15条）と、他方、地方レベルの「参政権≒選挙権」の行使主体として「住民」（93条2項）と書き分けている日本の現行憲法と独仏の憲法とは異なっている。けれども、93条2項の「住民」に関して1995年判決はその判決理由の中で、「住民＝住民たる国民」の意味であると明確に判示しています。而して、この法廷意見は「参政権行使主体の確定」が争点の憲法訴訟においては至極当然のものであった。と、そう私も考えます。<br /><br />ドイツ憲法28条1項<br />州の憲法的秩序は、この基本法の意味における共和制的、民主的および社会的法治国家に適合しなければならない。州、郡および市町村においては、国民は、普通、直接、自由、平等、秘密の選挙に基づく代表機関を有しなければならない。郡および市町村の選挙においては、ヨーロッパ共同体の構成国の国籍を有する者も、ヨーロッパ共同体法に基づいて選挙権および被選挙権を有する。市町村においては、市町村集会が、選挙された団体に代わることができる。 <br /><br />フランス憲法88条の3<br />相互主義の留保のもとに、かつ、1992年2月7日に署名された欧州連合条約に定められた諸方式にしたがって、市町村会選挙の選挙権ならびに被選挙権は、フランスに居住する欧州連合市民にのみ付与することができる。これらの市民は、市町村長もしくは助役の職務を行使することはできず、元老院議員選挙の選挙人の指名及び元老院議員の選挙に参加することもできない。両院により同一の文言で表決された組織法律が、本条の施行要件を定める。</font><br /><br /><br />＜続く＞<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><b>（2009年10月22日：yahoo版にアップロード）</b><br /><br /><font color=darkbrown>★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★<br />戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに<br />参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、<br />下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】<br />にクリックを二つお願いいたします。<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/b_01.gif" alt="fc2rankbanner" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank">（↑）【FC2ランキング】</a><br /><br /><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/img35475.gif" alt="img35475" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478">（↑）【人気blogランキングへ】</A><br />★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★</font><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>憲法・国家論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T12:40:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>kabu2kaiba</dc:creator>
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<title>外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書（Ⅰ） </title>
<description> 民主党政権がその法案提出を言及しているからか、最近、外国人地方選挙権を俎上に載せた言説をよく目にします。而して、1995年に下された定住外国人地方選挙権最高裁判決の傍論「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものに、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止さ
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/venicems.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/venicems.jpg" alt="" border="0" width="496" height="496" /></a><br /><br /><br />民主党政権がその法案提出を言及しているからか、最近、外国人地方選挙権を俎上に載せた言説をよく目にします。而して、1995年に下された定住外国人地方選挙権最高裁判決の傍論<font color=purple>「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものに、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」</font>（最高裁第三小法廷判決：平成7年2月28日）を根拠に、外国人地方選挙権は現行憲法違反ではなく、それを認めるかどうかは立法政策の問題であり、要は、政治の問題だと考える立場が憲法研究者・司法と行政の関係者の中では多数ではないかと思います。<br /><br />しかし、「日本は日本人だけのものじゃない」と言い放つ戦後民主主義を信奉するリベラル派からは、例えば「国民と同様に税金を払っている外国人に選挙権を与えるのは当然のことだ。否、地方に限定する根拠は乏しく、国政選挙の選挙権と地方に関しては被選挙権をも、特に永住権者には認めるべきだ」という声も聞こえてくる。他方、保守派の中には「地方に限るとはいえ、外国人に選挙権を与えることは「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」と規定する現行憲法15条から見て憲法違反だ」と批判する向きもある。<br /><br />本稿は些か原理的な地平から外国人地方選挙権の問題を捉え返す試みです。蓋し、それは、憲法の概念、憲法という現象の事物の本性（Natur der Sache）、憲法の妥当性の根拠（なぜ我々は憲法とそれを枠組みとする憲法秩序に従っているのか／従わなければならないのかという問いに対する解答体系）といった、憲法基礎論と呼ばれる領域のイシューとしてこの外国人地方選挙権の問題を再構成する試み。<br /><br />この原理的考察を通して、「国民主権」「国民」「国家」、あるいは、「基本的人権」「民主主義」「憲法」というこのイシューを思索する者が（無意識的にせよ）前提にしているBig Words を＜脱構築→非自然化＞すること、もって、外国人地方選挙権を巡る言説に対してハンス・ケルゼンが先鞭をつけたイデオロギー批判の操作を行なうことが本稿の骨格になります。<br /><br />このような原理的考察の手続を踏まえるとき、外国人地方選挙権は現行憲法からはどのように見えてくるのか。就中、左右の社会主義者、すなわち、憲法9条教の信徒とも、他方、憲法無効論なる妄想を信奉する国粋馬鹿右翼とも異なる、そして、リベラリズムともリバタリアニズムとも異なる、「伝統の恒常的な再構築による社会の漸進と安定」を志向する我々保守改革派は現前の外国人地方選挙権付与法案に対してどのような態度と方針を選択すべきなのか、また、その態度・方針はいかなるロジックで貫かれ武装されるべきなのか。これらが原理的な考察を通して本稿が希求する実践的な獲得目標になります。<br /><br /><br />畢竟、結論を先取りして述べれば私の認識は次の5点に収斂します。<br /><br />①外国人の地方選挙権は基本的人権ではなく、外国人の選挙権なるものは所謂「反射的利益」にすぎない。②外国人に地方の選挙権を与えること自体は現行憲法違反ではない。<br /><br />けれども、③地方行政と国政が十分に分離できない状態で、更に、「特別永住者」なる外国人管理のカテゴリーを残したまま外国人に地方とはいえ選挙権を与えることは現行憲法から見て許されない。<br /><br />また、④上記③の瑕疵を治癒せしめたとしても、選挙権が与えられる外国人の範囲は、（瑕疵が治癒せしめられる以上、必ずしも永住権者に限定する必然性はないかもしれないけれど）外国人個々が帰属する国（国籍国）と日本との歴史的・政治的な関係を鑑み政治的に判断されるべきである（すなわち、相互主義成立の有無、加えて、例えば、竹島等々の領土問題、あるいは、歴史教科書問題等々の日本国の国家としてのアイデンティティにダイレクトに触れる懸案を日本が当該国籍国との間で抱えていないかどうかを踏まえて、外国人選挙権付与の範囲は、原則、相互主義が成り立つ親日の国籍国国民に限定されるべきではないか）。<br /><br />而して、⑤外国人地方選挙権は基本的人権ではないのだから、「参政権を不当に奪われた」とする、現行憲法15条および93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」を理由にした訴えは想定しづらい。けれども、今後、例えば、現行憲法14条「平等原則」を準用して、「トルコやベトナムの国民には地方選挙権が与えられているのに、韓国や支那の国民に与えられないのは平等に反する」という訴えが提起された場合には、（イ）憲法訴訟の審査基準としては、立法と行政運用に合憲性が推定される緩やかな審査が、そして、（ロ）憲法訴訟の具体的な合憲性判断基準としては、社会経済の円滑な運営や福祉国家実現のための積極的目的の社会経済規制の一斑として、明白性の原則（≒合理性の基準）が適用される。要は、その外国人地方選挙権制度の裁量的な運用は一見極めて不合理であることが明白でない限り違憲にはならず、また、立証責任も違憲を主張する側にある、と。<br /><br />蓋し、上の①～⑤の主張は、外国人選挙権推進派や容認派には、謂わば<font color=red>『ヴェニスの商人』</font>の、アリス姫じゃなかったステラ姫でもなかった、そうポーシャ姫の論法の如くに見える、鴨。よって、この結論的の主張を外国人地方選挙権に関する「ヴェニスの商人説」と本稿では呼ぶことにします。<br /><br />●外国人地方選挙権に関するヴェニスの商人説<font color=red><br />①外国人の地方選挙権は基本的人権ではない<br />②一般論として、外国人地方選挙権自体は違憲ではない<br />③地方行政と国政の未分離、特別永住者制度を残した現段階での<br />外国人への地方選挙権付与は違憲である<br />④上記③の瑕疵が治癒した段階における外国人への地方選挙権付与は、<br />個々の国籍国との間の諸関係を睨んだ政治判断を基盤とする行政の裁量である<br />⑤上記④の行政裁量とその根拠となる法規を巡る憲法訴訟に関しては、<br />法制度と行政裁量に合憲性が推定される緩やかな審査基準が、そして、<br />合憲性判断基準としては明白性の原則が適用されるべきであり、<br />立証責任も、原則、一審の原告側にある</font><br /><br />以下、外国人地方選挙権自体が憲法違反と唱える百地章<font color=red>「外国人参政権は憲法違反だ」</font>（Will, 2009年12月号所収：同誌pp.96－105）を導きの糸にして考察を進めます。尚、論の対象の性質（「事物の本性」！）から些かマニアックな記述が本稿では不可避。よって、それらは可能な限り註にまとめることにして、それらの註を割愛していただいても理路は通るようにしています。<br /><br /><br /><b>■外国人参政権は憲法違反か？</b><br />百地章さんは保守側に立つ頼もしい憲法研究者であり、毫も、国粋馬鹿右翼ではない。ここで俎上に載せる「外国人参政権は憲法違反だ」の理路も具体的かつ適切な論拠にサポートされつつ展開されています。<br /><br />実際、例えば、この論稿の中で百地さんは、外国人地方選挙権の賛否を問わず（平均的な憲法研究者を含む）大方の論者が現在「外国人地方選挙権は憲法違反ではなく立法政策の問題だ」と考えているについて大きな影響を与えたであろう平成7年2月28日の定住外国人地方選挙権最高裁判決（以下、「1995年判決」と呼びます）の傍論部分は、最高裁とすべての下級裁判所を拘束するような先例ではないと主張しておられるのですが、外国人選挙権問題を専門の研究領域とする憲法研究者の中ではこの判決傍論の先例性を否定する見解が寧ろ有力なのです（例えば、青柳幸一「外国人選挙権・被選挙権と公務就任権」（ジュリスト・2009年4月1日号）, pp.60－66；日本国憲法研究第3回・外国人の選挙権・公務就任権[座談会]ibid., pp.67－85）。而して、百地「外国人参政権は憲法違反だ」が挙げる違憲理由は次の通りです。<br /><br />●百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由<font color=darkgreen><br />（0）納税実績は外国人選挙権の理由にはならない（p.99）<br />（1）参政権は国民固有の権利（憲法15条；pp.99－100）<br />（2）地方公共団体の長やその議会の議員を選ぶ「住民」に関しても、現行憲法は、<br />「住民＝国民」と想定している（憲法93条2項；1995年判決法廷意見；p.101）<br />（3）「国政」と「地方政治」は切り離せない（p.101ff.）<br />（4）外国人への参政権付与は決して「世界の流れ」ではない（p.101, p.103ff.）<br />（5）独仏ともEU加盟国国民に選挙権を付与するため憲法改正を行った（p.99ff.）<br />（6）容認説を肯定したと見られている1995年判決の該当箇所は「傍論：obiter dictum」であり、先例として他の裁判所の判断を拘束する「判決理由：ratio decidendi」ではない（p.102ff.）</font><br /><br />これまた結論を先取りして言えば、私は（0）（4）（5）（6）に異論はなく、（3）は保留（容認派や賛成派に対しては「切り離せるものなら切り離してみろ」と、将棋で言えば「詰めろ」を宣言する立場）、そして、（1）（2）に関しては疑問を感じています。要は、「参政権」や「国民」というBig Wordsだけでは（1）（2）に関して一義的な帰結は導けないのではないか、と。しかし、いずれにせよ、百地論稿が十分に検討に値する憲法言説であることは間違いない。<br /><br />例えば、（0）「納税実績は外国人選挙権の理由にはならない」ことは当然でしょう。納税とは行政サーヴィスの対価なのだから国籍を問わず日本の行政サーヴィスを享受している者が応分の負担をすることは当たり前なのですから。蓋し、「ディズニーランドの入場料を払ったからと言って、自分はディズニーランドの経営や運営に容喙する権利・権限がある」と考える人はそう多くないのではないでしょうか。而して、納税と選挙権をリンクさせる発想の荒唐無稽さはこの比喩からも明らかだと思います。<br /><br />畢竟、外国人地方選挙権を違憲と看做す理由は個々に検討するとして、私は百地論稿を貫く政治的立場に共感を覚える。すなわち、外国人に地方レベルといえども選挙権など付与するべきではなく、まして、最も選挙権を与えるべきではない特別永住者の中核を占め、更に、反日の姿勢を貫く韓国籍永住者の団体（民団）からの「内政干渉」など断じて許してはならない（ibid.,pp.104－105）というその政治的主張に私は激しく同意します。<br /><br />現在の憲法学の通説を代表する芦部信喜・長谷部恭男を始め、憲法研究者のコミュニティーでは、しかし、「外国人地方選挙権は憲法違反ではなく立法政策の問題だ」とする、外国人地方選挙権容認説（より正確に言えば、国政レベルは否定して地方レベルでは容認する部分的容認説）が圧倒的多数。而して、容認説は百地さんの言われるように「全く理由にならない理由」（ibid., p.100）を根拠にしたものとは私は必ずしも考えません。また、容認説は「国家意識が希薄」（p.96）であり｢外国人参政権賛成論者に欠如しているのは、「国家論」である｣（p.100）とも一概に言えないと思う。彼等「通説＝容認説」にも国家論はあるの、鴨。それが「国家なき国家論」であるとしても。と、そう私は考えています。以下、敷衍します。<br /><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi11s.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/kakashi11s.jpg" alt="kakashi11s.jpg" border="0" width="495" height="372" /></a><br /><br /><br />◎1995年判決の迷宮<br />百地論稿が挙げる外国人地方選挙権の違憲理由の検討の前に一点確認しておきます。それはヴェニスの商人説の第1項「外国人の地方選挙権は基本的人権ではなく、外国人の選挙権なるものは所謂「反射的利益」にすぎない」ということ。<br /><br />外国人登録の際の「指紋押捺の義務づけを人権侵害」として争った訴訟等々、通常、過半の「違憲審査－憲法訴訟」は「ある権利の行使を制約する行政権の運用とその運用を根拠づける法規が許されざる程度と態様の人権侵害を惹き起こしているかどうか」を巡り行なわれる。しかるに、ヴェニスの商人説の第1項からは、外国人の地方選挙権の付与の可否はそもそもこのタイプの「違憲審査－憲法訴訟」としては争えないのです。<br /><br />而して、1995年判決がその本論の判決理由（ratio decidendi）では<font color=purple>（Ⅰ）「国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることも併せて考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは・・・日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」</font>と述べていながら、その傍論（obiter dictum）では<font color=purple>（Ⅱ）「外国人のうちでも永住者等に、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されていない」</font>と述べていることの理由。同じ判決のしかも同じ法廷意見の中に一見相矛盾する主張が判示されていることの理由は訴訟対象のカテゴリーの違いにあるのではないかと私は考えています。<br /><br />すなわち、1995年判決は「基本的人権の侵害」の存否が争点となった訴訟。而して、判決の法廷意見は判決理由の中で（百地論稿が挙げる外国人地方選挙権違憲理由の(1)(2)そのものなのですけれども）、（1）「参政権は国民固有の権利」（憲法15条）であり、（2）「地方選挙権の権利主体も「住民＝国民」と解される」（憲法93条2項）から、畢竟、「外国人地方選挙権&#8713;基本的人権」であり、外国人地方選挙権が認められないとしても「基本的人権の侵害」は惹起していないと判示した。これに対して傍論は「外国人地方選挙権制度の合憲性」の余地について言及したものではないのか、と。<br /><br />想像の翼を更に強く羽ばたかせ白黒はっきり言えば、蓋し、この傍論は「地方公共団体は我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものだけれども、今後の制度改革によって地方行政と国政の分離が実現すれば、その段階では外国人地方選挙権を憲法が禁止しているとは言えない」と述べているの、鴨。<br /><br />私の想像の翼が導いた推定が満更荒唐無稽ではないとするとき、しかし、注意すべきは、今後の制度改革によって地方行政と国政の分離が実現」したとしても、外国人地方選挙権を認めるかどうかは現行憲法が採用する国民主権の原理、具体的には現行憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」と93条2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」を鑑みるに、どこまでも立法政策の問題に留まること。よって、その「地方行政と国政の分離が実現」した段階においても「外国人の地方選挙権は基本的人権ではない」ことに毫も変化はなく、よって、繰り返しになりますが、その段階においても、外国人地方選挙権が付与されないことを憲法15条と93条2項を理由に基本的人権の侵害として司法に救済を求めることはできないということです。<br /><br />本稿の骨格的考察の前哨として先回りして言い添えておけば、このような憲法訴訟の訴訟対象カテゴリーの差異に1995年判決の本論と傍論の矛盾を整合的に理解する｢鍵＝補助線｣を見出すことは、「国民主権」「国民」というBig Words を＜脱構築＞して、もって、例えば、15条なり93条2項なりの憲法の諸条項が適用される社会的紛争の類型毎に（かつ、訴訟が提訴された時点毎の「国民の法意識＝法的確信」の所在を踏まえて）「国民主権」「国民」という用語の最適の意味を抽出する、否、編み上げる法解釈のスタイルから正当化される。と、そう私は考えています。<br /><br /><br />＜続く＞<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><b>（2009年11月21日：yahoo版にアップロード）</b><br /><br /><font color=darkbrown>★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★<br />戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに<br />参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、<br />下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】<br />にクリックを二つお願いいたします。<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/b_01.gif" alt="fc2rankbanner" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank">（↑）【FC2ランキング】</a><br /><br /><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/img35475.gif" alt="img35475" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478">（↑）【人気blogランキングへ】</A><br 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<dc:subject>憲法・国家論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T12:36:19+09:00</dc:date>
<dc:creator>kabu2kaiba</dc:creator>
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<title>三権分立と国民主権★民主党による「政治主導」は民主主義の帰結か、それとも、民主主義の破壊か？</title>
<description> 民主党政権が推し進めるらしい「政治主導」なるものに関して、菅直人副総理が、現行憲法には「三権分立という言葉は一言も」書かれていないと述べたと報道されています。従来の行政のあり方、原理は間違っていた。今までは、政治家は国会で法案や予算を審議してください、行政は私たちに任せてくださいというのが官僚の姿だった。大臣や総理大臣は政治家から出るが、その周りは全部、官僚。明治憲法下では、天皇が総理や大臣を決め
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/suigintou1ms.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/suigintou1ms.jpg" alt="" border="0" width="495" height="372" /></a><br /><br /><br />民主党政権が推し進めるらしい「政治主導」なるものに関して、菅直人副総理が、現行憲法には「三権分立という言葉は一言も」書かれていないと述べたと報道されています。<br /><font color=darkgreen><br />従来の行政のあり方、原理は間違っていた。今までは、政治家は国会で法案や予算を審議してください、行政は私たちに任せてくださいというのが官僚の姿だった。大臣や総理大臣は政治家から出るが、その周りは全部、官僚。<br /><br />明治憲法下では、天皇が総理や大臣を決め、天皇の官僚がそれをサポートする。今の憲法は、総理大臣を直接、国民は選べない。が、国会で多数の議席を得た政党が自分たちのリーダーを総理大臣にして、自分たちの党が内閣全体に責任を持つ。当然、一元的に政党が内閣の中で活動をする。従来は三権分立で、やっちゃいけないことのように言われたが、日本憲法には三権分立という言葉は一言もない。国民主権だ。<br /><br />だからアメリカのように大統領制の場合は大統領と国会が同権でもいいが、議員内閣制の場合は議会で多数を得た政党が行政にも責任を持つという、この本来の今の憲法上の仕組みに初めてなったのだ。明治憲法以来123年【ﾏﾏ】、官僚主導の政権が当たり前だったのが、初めて国民主権の内閣ができた。（以上引用終了）</font><br /><br /><a href="http://www.j-cast.com/tv/2009/10/16051821.html" target="_blank" title="http://www.j-cast.com/tv/2009/10/16051821.html">http://www.j-cast.com/tv/2009/10/16051821.html</a><br /><br /><br />この発言が憲法論的な主張なのか、それとも「政治学－社会学－歴史学」的なものか些か不明ではあるけれど、いずれにしても、①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」、②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導＝与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」、そして、③「旧憲法下においては天皇が総理や大臣を決めていた」というのは間違いです。<br /><br />最後の点に関しては、歴史上、伊藤博文・山縣有朋・西園寺公望・桂太郎等々の元勲、制度的には枢密顧問が総理大臣や時には主要な国務大臣を決めていたこと、また、憲法論的にも旧憲法56条の規定の法意は（伊藤博文『憲法義解』から美濃部達吉・宮沢俊義の概説書に至るまで）戦前の通説もこの慣行と同様に解していたこと。これらからだけでもその誤謬は明らかでしょう（★）。<br /><br />また、要旨①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」に関しては、中学・高校の教科書からも容易に反論できる。実際、この要旨は、高校生に「現行憲法における三権分立」の内容を説明するのにちょうどよい＜題材＞ではないでしょうか（★）。<br /><br />けれども、結論的には要旨①の認識は間違いだけれども、例えば、「国民主権と民主主義」「基本的人権と三権分立」「立憲主義と民主主義」そして「国民主権と司法の違憲立法審査権」という社会思想的な考究の平面に置かれたとき、要旨①はそう簡単に否定できるものでもない。まして、「憲法と政治政党」「憲法と官僚制」との関係をも考慮すればこの主張に反論することは実は容易ではない。と、そう私は考えます。<br /><br />本稿は、社会思想の切り口から菅発言の要旨①②を批判し、もって、民主党が呪文のように唱える「政治主導」なるものの「政治学－社会学」的な危険性と憲法論的な喜劇性を私なりに提示するものです。ただ、要旨①②が孕む問題は複雑。よって、多少マニアックな事項は註で補足することにしました。<br /><font color=navy ><br />★註：天皇大権と旧憲法3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」<br />議会の召集・開会・閉会・解散、陸海軍の統帥と編制、宣戦の布告および講和締結と諸条約の締結、戒厳布告、爵位・勲章・栄典の授与、大赦・特赦・減刑の決定等々、旧憲法4条～16条に例示的に列挙されている、所謂「天皇大権」とは（1889年制定の旧憲法と同じ憲法圏に属するプロシア憲法（1848年）、ベルギー憲法（1831年）と比較対照すれば明らかなように）、その大権事項毎に旧憲法が定めた輔弼協賛機関の判断に他の機関が容喙できないことのみを意味していたのであって（特に、立法大権を除けば議会から干渉されないことを意味していたのであって）、それら大権事項を決定する権限は「政治学－社会学－歴史学」的のみならず憲法論的にも輔弼各協賛機関にあったことは旧憲法解釈の通説でした。<br /><br />而して、旧憲法3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とは、その古色蒼然たる言辞の装飾を剥ぎ取る時、例えば、プロシア憲法41条「国王の一身は、侵すことができない」と同様、天皇が法的責任の域外にあること、すなわち、法的責任は実質的にも形式的にも諸大権行使の権限を持つ枢密院・内閣・陸軍参謀本部・海軍軍令部にあることを意味していたのです。<br /><br />★註：現行憲法には三権分立は書かれていないか？<br />現行憲法は三権分立を規定しています。まず、三権分立を「司法・立法・行政」の各権能を別の機関が担うことと、それらの機関が各自の権能の運用について他の機関から牽制・制約を受けることと定義します（尚、英国の政治の実際を観察した結果、モンテスキューが抽出した「三権分立－権力分立」論はこの定義とは微妙に異なるのですがその説明は割愛します）。<br /><br />そして、「憲法に書かれている」という言葉の意味を上の三権分立の内容が憲法に書かれていることとします。「三権分立」「憲法に書かれている」という言葉をこう理解することが許されれば間違いなく現行憲法には三権分立は書かれている。条文根拠は例えば次の諸条項。<br /><br />現行憲法41条後段「国会は、国の唯一の立法機関である」、同65条「行政権は、内閣に属する」、同76条1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」。国会による内閣総理大臣の使命（同67条）、衆議院の内閣不信任権（同69条）、内閣の国会解散権（同7条3号および69条）、裁判所の違憲立法審査権（同81条）、最高裁長官および判事ならびに下級裁判所の判事の内閣による任命権（同6条2項および79条1項ならびに80条1項）。蓋し、菅氏は、主権と権力を混同している。と、そう言えるのではないでしょうか。論証終わり。</font><br /><br /><br /><b>■主権概念の重層性と主権論の黄昏</b><br />人口に膾炙している如く、「主権」という概念は国内的と国際的の、また、政治的と法的との重層的な意味を抱える二重の両義性を孕んだ言辞です。すなわち、「主権」はその領土内における「可死の神」として最高・不可分の政治的権威と権力を意味しており、他方、国際的には国家が他の国家や法王・皇帝からも独立した個々に対等な存在であることを意味しています。<br /><br />而して、この「国内－国際」の両義性の基盤の上に、「主権」は「誰が国家の政治的意志を最終的に決める権威と権限を持つべきなのか」「国際関係において国家の行動を拘束するルールの根拠と内容はどのようなものであるべきか」という政治哲学的な主張、加えて、それら「国内－国際」の各々の政治哲学的な主張を具現化する形で法制度・法慣習が形成されてきたと言えます（★）。<br /><br />蓋し、「主権」概念は現前の国内外の「政治的－法的」の社会現象を認識し説明する＜道具＞にすぎず、「主権」や「国民主権」なるものは概念実在論の如く、（他者の介在ないしに）存在する実体ではありません。要は、「主権」という言辞で現実をより整合的に説明できれば、あるいは、現実の孕む問題解決の施策をその概念を使うことでより整合的・説得的に提示できるのなら「主権」概念は有用であるということです。<br /><br />而して、一度、最高・不可分の権威と権力を社会の統合軸とする主権国家が成立し、個々の主権国家の対等性と独立性が（建前にせよ）国際法と国際政治のスタンダードと看做されるようになった段階では、まして、｢君主主権→国民主権｣の移行が終った現在の状況下では、国家権力の国内での最高性と不可分性、対外関係における諸主権国家の対等性・独立性を意味するにすぎない「主権」概念の果たす役割は、最早、そう多くは残っていないのかもしれない。<br /><br />具体的には、（）「政治的－国際的」、（）「政治的－国内的」、（）「法的－国際的」、（）「法的－国内的」という主権論を構成する四肢のいずれの部面においても、「主権」概念が新たな政治的要求を補強する根拠になるということは、また、（国際法においても憲法においても）新たな法制度の構築や具体的な紛争の処理に関して「主権」という抽象的な言辞が何らか生産的な機能を果たすとも考えづらいからです。<br /><br />実際、我が国でも「主権」を巡る憲法論争は、「現行憲法制定の前に主権の移動があったのか」を巡る終戦直後の論争（所謂「八月革命説」に関する「尾高－宮澤」論争）、および、1970年代から1980年代前半にかけての「現行憲法が定める国民主権は、ピープル主権かナシオン主権か」を巡る論争（杉原泰雄・樋口陽一、高橋和之・高見勝利等々の議論）を除けば極めて低調と言わざるを得ないですから。<br /><br />畢竟、松井茂記「国民主権原理と憲法学」（岩波書店『講座社会科学の方法Ⅵ』（1993年）所収）の言う如く、民主主義が多様な利益集団が互いに競争・妥協しつつ各自の利益を最大化しようとする体制であるとすれば最高・不可分という「主権」概念は民主主義の支配する社会においては百害あって一利なしのアイデアであろうし、また、長谷部恭男「主権概念を超えて？」（岩波書店『憲法学のフロンティア』（1999年）所収）が喝破している通り「主権－国民主権」の原則から国家権力の正当性・正統性を演繹できるという主張も（「主権」概念が優れて歴史的なものであり現在のグローバル化の昂進著しい世界にあっては）そう根拠のあるものではないと私も考えます。<br /><font color=navy ><br />★註：主権概念の成立<br />主権のアイデアは、中世後期の欧州でローマ法王と神聖ローマ皇帝の権威と権力が漸次衰退するにともない、他方、近世初頭の絶対主義王制の成立に向けた社会的胎動の中で（具体的には、マキャベリー（1469－1527）、ボダン（1530－1596）、ホッブス（1588－1679）ボシュエ（1627-1704）をその代弁者として）三十年戦争に終止符を打ったウェストファリア条約（1648年）を契機に国際法的に漸次確立され、而して、王権神授説のイデオロギーを掲げた英国のスチュワート朝の専制（1603年－1642年）、あるいは、フランスのルイ14世の専制（在位1643年－1715年）を経過する中で国内法的にも整備されたものとされています。<br /><br />西欧全体を覆い西欧の社会に秩序をもたらしてきた法王と皇帝の権力と権威の衰退。他方、「我が封臣の封臣は我が封臣にあらず」という多層的な支配構造を国王の一元的支配に整理統合する「政治的－経済的」な社会変動が相まって、「内においては最高の外に対しては独立の主権国家」が登場する中で「主権」概念はその「主権国家」を正当化するイデオロギーとして成立したということ。<br /><br />これは、本邦で、室町時代後期の戦国時代、（公家・武門・寺社という）権門体制下の身分職能による「重層的－多層的」な支配秩序が一円領主制に収斂していくのと共通の動きと考えられます。しかし、日本においては「本所－領家」（荘園を寄進された権門と現地の開発領主）の重層的な土地と領民支配体制が一円領主制に収斂していく中で「主権論」の如きロジックが主張されたわけではなく、畢竟、「主権」概念はキリスト教神学における「神の属性たる最高性と独立性」のアナロジーを地上の秩序に転用したものと考える通説はこの日欧の比較からも説得力があると考えます。</font><br /><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/suigintou2ms.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/suigintou2mss.jpg" alt="suigintou2ms.jpg" border="0" width="300" height="225" /></a><br /><br /><br /><br /><b>■主権国家とナショナリズム</b><br />再度記しますが、主権論は、「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家」の正当化イデオロギーです。それは、近代西欧の歴史的に特殊な文脈の中で成立したこれまた極めて歴史的に特殊なイデオロギーにすぎません。<br /><br />けれども、日本を始め（19世紀－20世紀を風靡したもう一つのイデオロギーたる「民族自決＝ナショナリズム」の社会思想が興隆するにともない、また、資本主義のグローバルな拡大にともない）現在、190有余の「独立国＝主権国家」が成立するに及び、主権論は単なる西欧ローカルなイデオロギーから国境を超える普遍性を帯びたイデオロギーに変容したことも否定できない事実でしょう。<br /><br />蓋し、近代主権国家は、国家権力と国民の間に介在していた（教会・ギルド等々の）所謂「中間団体」の法的権威と権限を中央権力が粉砕・吸収していく過程で人為的に形成されたもの。畢竟、当該の社会に内在していた（to have been embeded）生態学的社会構造（自然を媒介とした人と人との諸関係の総体とその構造）とは一応無縁に主権はそのような人為的な主権国家の成立を正当化したと言えると思います。<br /><br />而して、これまた人口に膾炙しているように、「近代主権国家（民族国家：nation state）が成立する以前には＜民族＞も＜国民＞も＜主権＞も存在していなかった」という指摘はこの経緯を裏面から透視した認識ではないかと私は考えています。蓋し、その国家社会がいかに同質性の高いメンバーによって（例えば単一民族によって）形成されていようが、いかに、近代国家成立以前のその当該社会の生態学的社会構造が数千年の伝統の中で自生的に形成されたものであれ、その社会が形成した近代主権国家は人為的な構築物であり、よって、その近代主権国家を正当化するイデオロギーたる＜主権＞や＜国民＞や＜民族＞もまた人為的な造作であることは明らかなのです。<br /><br />この近代主権国家（民族国家）が主権論とナショナリズムの合作である経緯に関しては、アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』（1983年：以下引用は同書（岩波書店・2000年12月）pp.95-96）の次の認識が参考になると思います。<br /><font color=darkgreen>　　　<br />民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。（中略）<br /><br />ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。（以上引用終了）</font><br /><br /><br /><b>■主権国家と国民主権</b><br />更に繰り返しますが、主権とは「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を正当化するイデオロギー」である。ならば、この＜主権＝器＞に何を盛りつけようが主権論の機能は基本的に変容することはありません。実際、王権神授説が麗しく謳う「君主主権」であろうがマルクスが夢想した「プロレタリアート独裁」であろうが、はたまた、ルソーが念じた「人民主権：ピープル主権」（直接民主制の中で表示された有権者の一般意思に主権を帰属させる思想）であろうが、そして、現在世界の大方の国の憲法がそれを「中庸」を得たものと考えて採用している「国民主権：ナシオン主権」（国民の総体という観念形象に主権を帰属させる思想）であろうが、「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を正当化するイデオロギー」としてワークするという点では全く異なる所はなかった。<br /><br />蓋し、本邦も、明治維新に際して「近代主権国家＝民族国家」を構築すべくこの主権概念を継受して現在に至っているのです。ただし、（「誰に国家の最終的な政治的意志を決定する権威と権限が帰属するか」という視点からは）「天皇主権」を採用していた旧憲法とは異なり、現行憲法は「国民主権」の原理を採用している。このことは現行憲法の前文1段「ここに主権が国民に存することを宣言し」、同1条後段「（天皇の）地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」を見れば自明のことでしょう。<br /><br />現行憲法は「国民主権の原理」を採用している。而して、これは「国の最終的な政治的な意志を決定する権威と権限は国民に帰属するべきだ」という政治哲学的な主張を現行憲法が受容していることに他なりません。尾高朝雄先生の表現を借りれば（尾高朝雄『法哲学概論』（学生社・1953年）pp.272－278）、主権および国民主権という、西欧起源の端的には日本社会の文化伝統および生態学的社会構造とは異質のこれら「法超越的正義」を旧憲法も現行憲法も「法内在的正義」としてその法体系の内部に組み込んだということです（★）。<br /><br />国民主権の内容とその現行憲法における位置づけをこのように整理するとき、菅発言の要旨②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導＝与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」という主張は、国民主権の原理と現行憲法のかなり恣意的な解釈に依存したものと言えると思います。<br /><br />蓋し、（甲）国民主権原理は現行憲法に内在している価値であり、国民主権原理に基づき現行憲法が規定している様々な統治機構の制度とその運用のスタイルを新たに提起する場合、それは現行憲法の解釈をスキップしては正当化することはできず、毫も「国民主権」というBig Wordから自動的に演繹されることはないこと。また、（乙）「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を肯定し、かつ、その主権国家の最終的な政治的な意志を決定する権威と権限は国民に帰属するべきだ」という国民主権の意味内容からは、与党といえども単なる「部分：party＝a part of the society」にすぎず、ならば、その意向を「国民の総意」と同一視することは、これは誇張ではなく、国民主権のイデオロギーと正反対のものでさえあるからです。<br /><font color=navy ><br />★註：現行憲法とナシオン主権<br />現行憲法ではそれに内在する国民主権の政治哲学的価値（ナシオン主権論）に基づき、議院内閣制・両院制等々、国家の政治的意志を最終的に決定する諸制度が現行憲法に規定されています。逆に言えば、「ピープル主権≒有権者による直接民主制」に親しい、国民代表（国会議員）の投票行動を当該選挙区の有権者の総意に強制的に拘束させる制度（「命令委任制度」「リコール制度」等々）を現行憲法は採用していません。</font><br /><br /><br /><b>■民主主義と立憲主義</b><br />民主党の「政治主導」なるものは国民主権の原理からダイレクトに演繹されるものではない。加えて、それは（「国民主権」「民族自決」とともに鼎立しつつ）20世紀の社会思想を風靡した「民主主義」の政治哲学からも端的にはサポートされない主張だと思います。<br /><br />民主主義は、「利害・価値観の決定的対立が存在しない社会において、十分なる情報が与えられた中で自由なる議論を通して、今日の少数派が明日の多数派になる可能性が存在する場合においてのみその政治哲学的な価値を主張しうるイデオロギー」にすぎません。而して、そのような条件下でのみ（衆議院の三分の二を超える巨大与党といえども）国民の部分にすぎない政府与党が「全体：国家＆国民」を＜僭称＞することを「限時法」的に許す体制が民主主義なのではないでしょうか。<br /><br />ならば、菅発言の要旨②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導＝与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」という主張に端的な民主党の唱える「政治主導」なるものは民主主義の破壊であると同時に現行憲法の破壊でもある。<br /><br />なぜならば、「部分」にすぎない民主党が（あたかも支那や旧ソ連の「前衛党＝共産党」の如く）政府を支配するスタイルは、国民主権と民主主義のオフィシャルな発動回路たる現行憲法の定める「議院内閣制型の三権分立制」という統治機構とその運用スタイルを軽視して（たとえ、次の総選挙までの期間に限定するとしても）「立法・行政 Vs 司法」の二権分立に実質的に移行するものと考えざるを得ないからです。<br /><br /><br />周知の如く、立憲主義、あるいは、近代的意味の憲法の概念を示したと評されるフランス人権宣言16条は<font color=purple>「権利の保障が確保されることなく、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」</font>（1789年）と語っています。蓋し、同条の主張は（現在で言う所の立憲主義の含意は）、憲法で保障された、あるいは、自然権たる人権は社会の多数派の意向によっても侵害されるべきではないということ。そして、この立憲主義的に再定義された「民主主義的原理にとりあえずは優越する人権の価値」を確保するためには、その憲法の統治機構のデザインにおいて権力の分立の導入が不可欠であるという認識です（★）。<br /><br />立憲主義の原理は、国民主権の原理とも民主主義とも一応位相を異にする政治哲学的の価値であり、この意味の立憲主義を本邦は旧憲法以来採用してきているのです。ならば、菅発言の要旨①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」という主張は、（中学生・高校生でも反論できるかもしれない）現行憲法の条項からだけでなく、立憲主義からも完全な間違いと言うべきなのです。<br /><br />畢竟、三権分立の制度は「部分」を「全体」と限時法的にせよ看做すための憲法に組み込まれた制度でもあり、その根拠は民主主義と立憲主義に収束する。ならば、これら憲法の基本原理に根拠を置く三権分立を軽視して、単なる「部分」にすぎない「与党＝民主党」が、現行憲法の定める統治機構の仕組みを軽視して、「前衛党＝支那共産党＆旧ソ連の共産党」とは異なり「私事領域」にすぎず国民の監視が原理的に届かない民主党内部で国家の政策を決定しその政策の実行もまた政党主導で行なうということは、民主主義と立憲主義に反する、現行憲法と国民主権に対する挑戦に他ならない。そう私は考えています。<br /><font color=navy ><br />★註：民主主義とフランス人権宣言<br />単なる「大衆の支配の要求」にすぎなかった「民主主義」なるものが、あらゆる政治的価値のチャンピオンに躍り出たのは、第二次世界大戦で連合国が第二次大戦を「民主主義 Vs 全体主義」の戦いと位置づけプロパガンダキャンペーンを繰り広げて以来のことです。而して、民主主義が「衆愚政治」「多数派が少数派の人権を蹂躙しかねない血生臭い危険思想」と欧米においてもほぼ共通に理解されていた19世紀後半以前（実際、そのような狂気の人権蹂躙を行なったロベスピエール率いジャコバン派が政権を奪取した1791年以前）の健全な保守主義がまだいかほどか残っていた状況下でフランス人権宣言は書かれたのです。</font><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><b>（2009年11月16日：yahoo版にアップロード）</b><br /><br /><font color=darkbrown>★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★<br />戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに<br />参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、<br />下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】<br />にクリックを二つお願いいたします。<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/b_01.gif" alt="fc2rankbanner" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank">（↑）【FC2ランキング】</a><br /><br /><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/img35475.gif" alt="img35475" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blog.with2.net/link.php?519478">（↑）【人気blogランキングへ】</A><br />★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★</font><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>憲法・国家論</dc:subject>
<dc:date>2009-11-17T01:27:32+09:00</dc:date>
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<title>ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編：「防人まつり2009」</title>
<description> 2009年11月1日、古街道研究家の宮田太郎先生率いる「歴史古街道団」主催の「さきもりまつり2009－万葉時代・防人の道ウォーキング」にブログ仲間と参加しました。京王聖蹟桜ケ丘駅から（麻生区黒川地区と隣接する）「多摩よこやまの道」の「防人見返りの峠」まで、約6キロの歴史ウォーキング。このイベントを通して、古代・中世の物流や社会について多くのことを学ばせていただきました。有意義、かつ、愉快な半日。・歴史古街道団
 </description>
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori100s.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori100s.jpg" alt="sakimori100s.jpg" border="0" width="496" height="373" /></a><br /><br /><br /><font color=navy >2009年11月1日、古街道研究家の宮田太郎先生率いる「歴史古街道団」主催の「さきもりまつり2009－万葉時代・防人の道ウォーキング」にブログ仲間と参加しました。京王聖蹟桜ケ丘駅から（麻生区黒川地区と隣接する）「多摩よこやまの道」の「防人見返りの峠」まで、約6キロの歴史ウォーキング。このイベントを通して、古代・中世の物流や社会について多くのことを学ばせていただきました。有意義、かつ、愉快な半日。</font><br /><br />・歴史古街道団<br />　<a href="http://rekishikokaidodan.a.la9.jp/index.html" target="_blank" title="http://rekishikokaidodan.a.la9.jp/index.html">http://rekishikokaidodan.a.la9.jp/index.html</a><br /><br />・「さきもりまつり2009【今後リンク切れの場合はご容赦ください】<br />　<a href="http://rekkodan.a.la9.jp/2009/chirashi/091101.pdf" target="_blank" title="http://rekkodan.a.la9.jp/2009/chirashi/091101.pdf">http://rekkodan.a.la9.jp/2009/chirashi/091101.pdf</a><br /><br /><br />而して、このイベントを通して学ばせていただいた「古代・中世の物流や社会」に関する知見は、大凡、下記拙稿を参照いただくとして、本稿では「愉快」だったイベントの様子、そして、このイベントを通して考えさせられた＜防人＞という存在に対する雑感を記すことにします。<br /><br /><br />・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」：小田急多摩線沿線－縦走編<br />　<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58827717.html" target="_blank" title="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58827717.html">http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58827717.html</a><br /><br />・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」：岡上地区－完全包囲編<br />　<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58724474.html" target="_blank" title="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58724474.html">http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58724474.html</a><br /><br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/hWSFZleJ2O4&hl=ja&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/hWSFZleJ2O4&hl=ja&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=hWSFZleJ2O4" target="_blank" title="http://www.youtube.com/watch?v=hWSFZleJ2O4">http://www.youtube.com/watch?v=hWSFZleJ2O4</a><br /><br /><br />上にも書きましたように「さきもりまつり2009」の報告は京王聖跡桜ヶ丘駅からスタート。<br /><br /><font color=navy ><br />■さきもりまつり2009の行程<br />京王聖蹟桜ケ丘駅集合、聖蹟桜ケ丘駅から徒歩3分の九頭竜公園で受付。その後、関戸の渡し場道、大坂、連光寺、春日神社、（古代東海道の）打越山遺跡を通り、大谷戸公園で昼食休憩して「防人」達と合流。午後は、武蔵国府（府中）から相模国・駿河国を経て難波、而して、難波から舟で任地の九州に向かう「防人」達と「防人」を見送るその家族、および、「防人」を統率する兵部省の防人検校の人々とともに、多摩よこやまの道の防人見返りの峠に向かいました。</font><br /><br />KABUを含め6名の我々の仲間も（オフ会前の「余興」などトンデモない！）国防を担う「防人」達を真剣に見送り地点までしっかりエスコートしました。その後は、1300年の時空（正確には、正に、その「地点」を巡ったのだから「時・空」ではなく「時間」ですが、）を越え、貴い国防の使命に応える「防人」達の誠心誠意に感銘を受けた我々は、その豊饒鮮烈な至誠の余韻を反芻すべく小田急新百合ヶ丘駅近辺で旧交を温めつつ歓談に移行した次第。<br />　　　　 <br /><br />・さきもりまつり2009の移動行程地図<br />　<a href="http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/sakimorifesa.jpg" target="_blank" title="http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/sakimorifesa.jpg">http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/sakimorifesa.jpg</a><br /><br />集合時間は午前9時半、集合場所は京王聖蹟桜ケ丘駅西口。実は、新百合ヶ丘から聖蹟桜ケ丘までは直線距離は7キロ余り、けれど、正に、その間に多摩丘陵が横たわっているので、鉄路で行く場合にはどの経路でも迂回になり、結構不便。<br /><br />でもって、駅スパート大明神にお伺いを立てたところ、「新百合ヶ丘（小田急線）→登戸（南武線）→分倍河原（京王線）→聖蹟桜ケ丘」が一番安全で安くて速いというご託宣をいただいたので、この経路を選択。而して、この経路は片道21キロ、47分、510円。<br /><br />下は、たどり着いた集合場所の様子。暗くて見えにくいでしょうが、駅改札ピロティーには、さきもりまつりの参加者を出迎え、受付場所を案内する歴史古街道団のスタッフの方が写っているのですよ。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori1.jpg" alt="sakimori1.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br />と、駅構内を出ると、そこには「聖蹟桜ヶ丘は「アニメ映画－耳をすませば」のモデル地」との案内板が。何を隠そう、法律よりも哲学よりも、英語よりも歴史よりも「アニメ＆漫画」が大好きな私は、不覚にもこのことを知らなかった。で、この案内板を熟読吟味しちゃいました（笑）<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori3.jpg" alt="sakimori3.jpg" border="0" width="486" height="648" /></a><br /><br />・『耳をすませば』<br />　<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0" target="_blank" title="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0</a><br /><br />・『耳をすませば』物語の舞台となった風景<br />　<a href="http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink08.htm" target="_blank" title="http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink08.htm">http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink08.htm</a><br /><br /><br /><br /><br />なんとか「耳をすませばウォーキング」に移行したい欲望を抑えて受付場所に向かいます。而して、受付番号「1番」！　何か無意味に自慢（笑）。<br /><br />「俺はやったぜ！」（←vanilleさんの真似♪）<br /><br />自分の受付を先に済まして、私の新百合ヶ丘などより遥かに遠く、そう、1853年、黒船4隻を率いたペリー提督が上陸した地、横須賀市久里浜から参加する、正に、現在の「海の防人」の仲間達をピックアップすべく、もう一度聖蹟桜ケ丘駅西口に。で、無事合流成功。安心したのと時間に余裕があったので、受付場所の九頭竜公園を散策。下はそこで見かけた歴史案内板。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori2.jpg" alt="sakimori2.jpg" border="0" width="498" height="452" /></a><br /><br /><font color=darkgreen><br />■関戸<br />『関戸』の町名は、かつて関所が設置されていた所からこの名がついたといわれています。<br /><br />この関は一般に『霞ノ関』といい、吾妻鏡によれば建暦3年（1213）『武蔵国に新しい関を置く』とあります。現在、熊野神社境内に南木戸柵跡があります。<br /><br />当地は、元弘3年（1333）に新田義貞軍と北条軍が戦った古戦場として有名であり、江戸時代中頃まで宿場として大いに賑わっていました。・・・<br />　　　　</font> <br /><br />б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど！<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />仲間と談笑するうちに時はすぎ、10時少し前、昼食休憩を取る大谷戸公園までは車も多い街中を歩くこともあり、150人近い参加者と歴史古街道団のスタッフ、さきもりまつりを後援している多摩市と町田市の教育委員会のメンバーが4班に分かれていよいよ出発。<br /><br />中世期の「旧鎌倉街道上ノ道→鎌倉街道早の道」をなぞる形で「向ノ岡橋→春日神社」に出て、後は基本的に古代東海道（とそれとほぼ重なる、中世の鎌倉街道早の道）に沿って大谷戸公園まで、和気藹々、良い意味でダラダラと進みます。途中、連光寺では、実際に道幅12メートルの古代東海道がマンション工事の時に発掘された現場を訪れ、発掘時の写真など示していただきながら宮田太郎先生から説明を受けました。<br /><br />正午少し前には大谷戸公園に到着。そこで仲間と楽しい昼食。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori0s.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori0s.jpg" alt="sakimori0s.jpg" border="0" width="496" height="373" /></a><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori5.jpg" alt="sakimori5.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori15s.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori15s.jpg" alt="sakimori15s.jpg" border="0" width="493" height="334" /></a><br /><br /><br />KABUは聖蹟桜ヶ丘の駅前で求めた、ほっかほっか亭の大好きな「海苔弁当」（290円）。食事の後は、新鮮な二酸化炭素を吸い、レジャーシートを広げただけの歴史古街道団の簡易ブースで過去の宮田先生が書かれたレジュメを物色、5点ほど求めました。<br /><br />無料だけど、もちろんカンパしましたよぉー。<br /><br />而して、いよいよ「防人」達の登場です。Topの画像がその場面。<br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori7.jpg" alt="sakimori7.jpg" border="0" width="370" height="493" /></a><br /><br /><br />腹ごしらえも済み、 万葉歌研究家の今野耕作先生（埼玉大学特任教授・歴史古街道団顧問）から、＜防人の歌＞の「歌唱指導」と、「何故、万葉集に防人の歌が収録されてたのか」という文献学的な説明を聞く。畢竟、実際の「防人」達を目にして、我々の気分は一気に1300年の時空を越えます。そう、気分はもう国土防衛の戦士を送り出す万葉の時代の日本人。いざ、見送りの地、防人見返りの峠に向け出発です。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori6.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori6.jpg" alt="sakimori6.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br />と、ハイテンションばかりでは戦に勝てるはずもない。下は、道中の半ばで寛ぐ「防人」達。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori8.jpg" alt="sakimori8.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />大谷戸公園から道筋で2キロ、（途中3－4回の小休止を挟みながら）1時間程かけて多摩よこやまの道の入り口、多摩東公園に到着です。ここで、「防人」達とその家族が整列。一般見送り者たる我々の記念撮影の要望に快く応えてくれました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori9.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori9.jpg" alt="sakimori9.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br />而して、下は多摩東公園から1.3キロ。古代東海道が横山の峠に差し掛かっていた地点と推定される坂道で、遠く九州に旅立つ夫・父・兄弟と最後の別れの言葉を交わす「防人」とその家族達。その下はその光景を目にして万感の思いを胸に宿しつつ、自身、国防の職務を全うしようと決意を新たにしている防人検校と女官。畢竟、この防人検校こそ誰あろう、現在で言えば、エリート職業軍人家系出身の国防次官補、兵部少輔・大伴宿禰家持。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori10.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori10.jpg" alt="sakimori10.jpg" border="0" width="370" height="493" /></a><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori11.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori11.jpg" alt="sakimori11.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br /><br /><font color=purple><br />丈夫の靫取り負いて出でて往けば<br />別れを惜しみ嘆きけむ妻<br />【万葉集・20巻・4332番：大伴家持】<br /><br />戦士が、靫を背負って防人の任地に向かおうというとき<br />別れを惜しんでさぞ嘆いたであろう、その妻は </font><br /><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/nihyakusankochi.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/nihyakusankochi.jpg" alt="nihyakusankochi.jpg" border="0" width="300" height="423" /></a><br /><br />　　　　 <br /><br /><font color=purple><br />防人に行くは誰（た）が夫と問ふ人を<br />見るが羨しさ物思ひもせず<br /><br />【万葉集・20巻・4425番：昔年の防人の妻－伝大伴家持作】<br /><br />見送りの人たちがたくさんいる中に交じって、<br />「防人に行くのはどなたのご主人ですか」などと、<br />何の心配もなく尋ねている人を見ると、羨ましい限りです。</font><br /><br /><br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/dpNQE62ieOI&hl=ja&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/dpNQE62ieOI&hl=ja&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=dpNQE62ieOI" target="_blank" title="http://www.youtube.com/watch?v=dpNQE62ieOI">http://www.youtube.com/watch?v=dpNQE62ieOI</a><br /><br /><font color=purple><br />赤駒を山野に放し捕りかにて<br />多摩の横山徒歩ゆか遣らむ<br />【万葉集・第20・4417番：武蔵国の椋椅部荒虫の妻、宇遅部黒女】<br /><br />武蔵国の椋椅部荒虫が、防人に召集され、国府（現在の府中市）に集合するよう命ぜられ、至急出発しなければならなくなったときに妻の宇遅部黒女が詠んだ歌<br /><br />召集されたとき、乗って行くはずだった赤駒（＝騎乗用の雄馬）を<br />あいにく山の方へ放牧していたため<br />どこへ行ってしまったか探しても急には見付からず<br />多摩の横山を通って行くのに<br />とうとう徒立てで出発させることになってしまったわ<br />　　　　</font><br /><br /><br /><br />畢竟、今でなら「反戦歌」とも言うべきこれらの歌が（国家権力のプロパガンダアンソロジーとも言うべき）『万葉集』に収録されていることこそ、実は、防人があたかも＜奴隷狩り＞のように無理やり集められた集団ではなく、（心中には万感の思いが去来しつつも）国家防衛の大義のために集った戦士集団だったことの証左ではないか。そして、防人の家族達は別離に涙しつつも、名誉ある使命を果たそうとする夫・父・兄・弟を誇りに思っていたのではないか。と、そう私は感じました。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori12.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori12.jpg" alt="sakimori12.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br />と、上はそこから多摩よこやまの道を5分程進んだ「防人見返りの峠」で行なわれた、「さきもりまつり2009－万葉時代・防人の道ウォーキング」の最後の記念撮影です。その後、我々は国士舘大学横の山道を通り、同志の「東京都と神奈川県の県境にこんな田園風景が広がっているとは思わなかった」というコメントに微苦笑しつつ黒川地区の谷戸群を抜け、20分で小田急黒川駅に到着、オフ会の場、新百合ヶ丘駅に向かいました。<br /><br />下は、我が街「新百合ヶ丘」を縦断している津久井道の景色。<br />一気に1300年の時間を戻ってきた感を覚えました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori13.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori13.jpg" alt="sakimori13.jpg" border="0" width="493" height="370" /></a><br /><br /><br />ということで、楽しければ楽しい程、また、現在の日本の政治に対する批判がてんこ盛りであればあるほど、甲論乙駁・談論風発の楽しい懇親会は「アッ！」という間に慌しく終宴の時刻。横須賀、千葉に帰る仲間がいればそれもまた致し方なし。再会を誓い今回のウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編：「防人まつり2009」は無事終了したのでした。<br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori14.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/sakimori14.jpg" alt="sakimori14.jpg" border="0" width="496" height="373" /></a><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><b>（2009年11月4日：英語と書評 de 海馬之玄関版にアップロード）</b><br /><br /><font color=darkbrown>★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★<br />戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに<br />参加しています。結構、真面目に取り組んでいます。よろしければ、<br />下記リンク先【FC2ランキング】及び【人気blogランキングへ】<br />にクリックを二つお願いいたします。<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/b_01.gif" alt="fc2rankbanner" border="0"></a><br clear="all"><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=214389" target="_blank">（↑）【FC2ランキング】</a><br /><br /><a 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<dc:subject>徒然日記</dc:subject>
<dc:date>2009-11-04T06:03:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>kabu2kaiba</dc:creator>
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