o0406055013928328043.jpg


・対話が招いた北の核危機…瀬戸際外交“不敗神話”に幕
 http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12274018690.html


労作。ブログ友の凛さんが見つけてくださった記事(↑)の紹介です。
コメント不要。ほんとに参考になりました。 

蓋し、先日、南朝鮮で、反日・反米-親北朝鮮の大統領が誕生するにともない、いよいよ、アメリカも「北朝鮮に対する先制核攻撃」を遠慮する必要もなくなったと思います。

ところで、日本では、例えば、先のシリアに対するアメリカの巡航ミサイル攻撃に対しても、それを国際法違反(の「疑いがある」←笑)とか述べる「識者」さんがTVにも全国紙の新聞紙面にも複数登場している。なら、「対北朝鮮先制核攻撃」などの事態がおきようものなら彼等が金切声を朝日新聞やNHKなり、毎日新聞やTBSの反日メディアで炸裂させるのは確実でしょう。

蓋し、日本では、今のところ、保守派の間でさえ、

>少なくとも日本は、憲法的には、
>9条あるんで相手が撃たないと反撃できません
>(だから、憲法改正せねば)

とかいう見解があるように思います。しかし、これは、現在の(リベラル派の)憲法論・国際法論からも間違いなのです。ただ、彼等リベラル派の「識者」さんたちは「それは9条の精神に反する・・・」とかいいますがね。

なぜか、なぜそういえるのか。

それは、--リベラル派が渋々容認する--個別的自衛権(←「個別的自衛権」なる観念自体、日本特有のものですが、ここは「彼等の議論」をなぞるとしても)には、刑法の「正当防衛」とパラレルに、

・危機の存在
・危機の切迫
・対処の相当性

の3要件を守る限り、先制攻撃も報復攻撃も含まれるからです。また、上の3条件の認定はその防衛する当該国家が行うことができる。これも--国際法の一般法たる国際慣習法からみて--法的に動きません。要は、そこは「国連安保理」などのお墨付きは不要ということ。これ、ほんとうに国際法上そうなのですよ。

 
▽ Charter of the United Nations
Article 41
The Security Council may decide what measures not involving the use of armed force are to be employed to give effect to its decisions, and it may call upon the Members of the United Nations to apply such measures. These may include complete or partial interruption of economic relations and of rail, sea, air, postal, telegraphic, radio, and other means of communication, and the severance of diplomatic relations.

Article 42
Should the Security Council consider that measures provided for in Article 41 would be inadequate or have proved to be inadequate, it may take such action by air, sea, or land forces as may be necessary to maintain or restore international peace and security. Such action may include demonstrations, blockade, and other operations by air, sea, or land forces of Members of the United Nations.

Article 51
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.

▽国際連合憲章
第41条〔非軍事的措置〕
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
 
第42条〔軍事的措置〕
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241


そして


・<改訂版>自薦記事一覧:保守主義の憲法論と社会思想
 -憲法学の再構築と占領憲法の破棄・改正を求めて
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f7bef87927eae129943ca8b5bb16a26

 
もちろん、その認定がいい加減であれば「イラク戦争」のように、また、リベラル派から嫌われているトランプ大統領による--あれオバマがやったら、絶対に「拍手喝采」の嵐だったから!--今回の「シリア爆撃」のように政治的に--リベラル派から--批判されることはある。

でも、批判されることはあっても国際法上は問題ない。

だから、日本では「大量破壊兵器がなかった」からイラク戦争は違法だとかいう<識者>さんもいますが、欧米では、それが原因で「違法」だったとはいえないが、認定が杜撰だったことへの政治的批判と、違反とするならば、「相当性の逸脱」--あそこまでやらんでよかったんちゃいますの?--が専ら議論されています。

これは、たぶん、私の保守派としての私見や願望ではなく、
国際法の諸論文と国連等での議論の議事録から明確なことです。 

ゆえに、 

>9条あるんで相手が撃たないと反撃できません
>先制攻撃、まして、先制核攻撃なんて--日本がそれに協力するなんて--
 国際法の精神(笑)に反するし、絶対に憲法違反~!!!


・被爆国たる日本には核武装する権利がある、鴨
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5dbbffd0fdb9901b9599883ce21bf038


などではないのです。だから、あとは、政治判断というか決断。
国民がそれを支持するかどうかなのだと思います。
もちろん、私は支持しますけどね。

 
だからこそ、ならば、そう、キムヨナ姫には可及的速やかに
日本に帰化していただかなければ(汗)


・キムヨナ姫を皇室におむかえしよう~♪
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2ac06bcbf209f3badb123b9702f9a963

スポンサーサイト

o0345024112792294297.jpg


占領憲法の改正/占領憲法の破棄にむけて朗らかに結集する
保守派のイメージ・・・コジハル卒業おめでとう~(涙)

・資料○◆小嶋陽菜AKB48卒業、涙
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/76aa5bf97e3217b84dba47549dca59b8

 

f37611e593b39aad2b0fea4f07e8f020.jpg

 

民進党の小西ひろゆき参議院議員がこんなこと(↓)おっしゃっているそうです。


・民進党・小西「安倍総理はまともでない」「存在自体が違憲無効の総理」。
 http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12273585916.html

 

私は「憲法論」や「法哲学」に関しては、左右合わせても平均的研究者程度の知識はもっている者といっても、もう、50代にいったことだし、許されると思いますが・・・。小西何某、このひとの議論は「20代」に覚えたことをただ繰り返しているだけの<悪い意味の官僚>さんのそれだと思います。

実際、現在、「基本的人権」という5文字熟語は、リベラル派の憲法論議のなかでもあまり使われなくなっているでしょう。お気づきでしたか? そう、その5文字、--アメリカの著名な法哲学者ドウォーキンや、日本では(東京大学→早稲田大学)長谷部恭男さんの影響なのでしょうか、「切り札としての人権」なるものを仮想するにせよ、要は、--単なる「権利」や「憲法的権利」なんちゃらに変わってきている。

蓋し、「基本的人権・国民主権・平和主義」なるものがかならずしも現行の占領憲法の<根本規範>ではないということ。それが、米国の憲法訴訟理論の浸透(就中、J.H.イリー『Democracy and Distrust』( Harvard University Press・1981)のプロセス法学の洗礼を受けて以後の--プロセス法学に賛成するにせよ反対するにせよ--アメリカ憲法学-憲法訴訟理論-憲法解釈学方法論の理解の浸透)。および、いわゆる憲法訴訟におけるドイツ流の「三段階論」の流通(同理論にご興味のある方は、日本語であれば、例えば、駒村圭吾『憲法訴訟の現代的転回』(日本評論社・2013)の第4-5講を立ち読み(笑)してください。リベラル派-敵側の書籍ながら「サバサバ」した良書です)とともに、もはや、リベラル側でも共通認識になっている現在、この人物は30年前の<傲慢と無知>を表す動く銅像ではないか。

尚、現在の「アメリカ憲法とその憲法訴訟」に関しては松井茂記『アメリカ憲法入門』(有斐閣・2012)と樋口範雄『アメリカ憲法』(弘文堂・2011)の併読をおすすめします。両書とも良書です。ただ、その併読の後は、可及的速やかに英語でアメリカの判例集・ケースブックにとりくみましょうね。また、阿川尚之さんの『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書・2004)と『憲法改正とは何かーアメリカ改憲史から考える』(新潮選書・2016)もおすすめ、鴨。

  

・書評予告・阿川尚之「憲法改正とは何かーアメリカ改憲史から考える」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7eddb6f57b93ed69fbecdd5f75d06f2a

 

ちなみに、この「三段階論」を、「憲法的権利の絶対性」というポイントに引き付けて(それ、原始仏教と異質な「東アジアの家族道徳やエートス」と整合的な観音系や浄土系の教派が支那ででき、日本で花開いたのにあい似たり?)、天賦人権論と結び付けようとする驚愕すべき論者も(←@@!!)日本にはまだいるにはいるにせよ--そんなあんたたち、ドイツ語原文で判決文・勧告的意見読んだことあんのかいな!--、それは、どう見ても筋悪です。  

この点、文句があるならネット上で議論しましょうか(笑)

  

ただ、こっちも忙しいから、その際には、実名はいいけれど、出身大学院名と指導教官のお名前、および、修論のテーマ、そして、修士号取得年次は明記してくださいね。誰だかわからんリベラル派におつきあいする時間ないから。きっぱり。ただ、議論は、英語でもドイツ語でも、関西弁や九州弁でも(←鹿児島弁は勘弁、鴨)、あるいは、共通語でもかまいません。どうですか、そこの田村理さんとか鈴木秀美さんとか青井未帆さん、そして、樋口陽一大先生(笑)

 

蓋し、而して、 

この小西とかいう方は、
時代錯誤で時代遅れの
権威主義ばりばりの<ド官僚>さんではないか。
それは、このネット時代の大衆民主主義の時代では
少しまずくないかい?

と、敵方さんながら心配しています(笑) 


・要は、リベラル派というのは<猫>程度の知能ということでしょうかね、可愛いけど(笑)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12272189776.html

  

畢竟、民進党というのは、
鳩山由紀夫にせよ、管直人にせよ、ヒューマンに、
口では「地球市民」の味方のようにほざいているけれど、
単に、ド官僚の巣窟ではないか。

と、そう、私と愛猫の白黒ちゃんは考えています。 

 

o0120006513932573573.jpg

 

 ・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9256b19f9df210f5dee56355ad43f5c3
 

・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/45e30175093f17dfbbfd6b8234b89679

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79
  

・憲法96条--改正条項--の改正は立憲主義に反する「法学的意味の革命」か(1)~(6)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7579ec5cfcad9667b7e71913d2b726e5
  

・憲法訴訟を巡る日米の貧困と豊饒☆「忠誠の誓い」合憲判決
 -リベラル派の妄想に常識の鉄槌(1)~(6)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ec85f638d02c32311e83d3bcb3b6e714
  


そして、  


・<改訂版>自薦記事一覧:保守主義の憲法論と社会思想
 -憲法学の再構築と占領憲法の破棄・改正を求めて
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f7bef87927eae129943ca8b5bb16a26
 

 


>総選挙は、まゆまゆか、ユイハンか、宮脇咲良ちゃんかそれとも・・・
>これが私の前頭葉の99.9%占めているてゆうときに、
>こんな記事書かせるんじゃねー、小西~!

o0800050013512428254.jpg


ブログ友の記事紹介します。これです。

・【GHQ】日本国憲法はコピペ憲法 その2【WGIP】
 http://ameblo.jp/free-and-obligation/entry-12272106704.html

 

私はアメリカに滞在しているときに自分でも、そう、例えば、 

・国立公文書(記録管理局)館
(NARA:National Archives and Records Administration)
 
https://www.archives.gov/
 

・マッカーサー記念館
 http://www.macarthurmemorial.org/
 

・メリーランド大学プランゲ文庫
 http://www.lib.umd.edu/

にも通い、占領憲法の制定過程(「押し付け過程」)を調べてきました。
而して、この記事に紹介されていることはまず事実であろうと思います。
ただ、複雑なのは、例えば、コミンテルンのスパイだった、鈴木安蔵や
エドガートン・ハーバート・ノーマン、そして、国賊・幣原喜重郎と、他方、
吉田茂氏や鳩山一郎氏(あるいは、宮澤俊義先生の当時の役割とか)
の関連はいまひとつわからない。あるいは、公職追放中ではあるにせよ、
GHQからも一目置かれていた節もある宇垣 一成氏の関与も不明。

・平和主義とは何か--戦前の日本は「軍国主義」だったのか?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/42ed25f108f4eae50a7a032128355289

・完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96

また、スターリンの意思自体がどれほど占領憲法の内容に関与したか?
これも藪の中。なにより、トルーマン大統領の意向もわかるようでわからない。

つまり、占領憲法制定の舞台裏の<闇>はこの記事に紹介されている
よりも深いの、鴨。よって、この記事「資料」としてリブロさせていただきます。
まちがいなく労作だと思いますから。いずれにせよ、

 

>遅くとも、2020年までの

>占領憲法の改正/占領憲法の破棄に向けて

>ともに闘わん~♪

 

・<改訂版>自薦記事一覧:保守主義の憲法論と社会思想

 -憲法学の再構築と占領憲法の破棄・改正を求めて
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f7bef87927eae129943ca8b5bb16a26

o044.jpg




すべての法学は「法とは何か」の問いへの回答である。

これが、私の恩師の一人、英国法哲学研究領域での世界的権威・八木鉄男先生から教えていただいたことのαでありωかもしれない。今、私はそう考えています。而して、本稿は「法とは何か」という問い自体を一瞥するもの。すなわち、「法とは何か」の問いを遂行するためのベースキャンプの設営の試みです。

而して、そもそも「法とは何か」という問いはどんな解答/回答を要求する問いなのでしょうか。
次の二つの疑問文でそのことを考えておきましょう。

(01)What is the color?
(02)What is color? 
   

前者は、例えば、「新しい車を買ったんだよ。トヨタのプリウス」と言う相手に対して「その車の色は何色なの」と言うように、具体的なあるものの色を尋ねる質問。後者は、プリズムで太陽光を<虹>に変換して壁に投影しているような場面で、「色っていったい何なんだろうね」と呟く、哲学的と言えば哲学的、物理学的と言えば物理学的な、いずれにせよ、「色そのもの/色の本質」を問う、前者に比べればより抽象度の高い問いです。
 
而して、「法とは何か」の問いも実は、(01)(02)の両者とパラレルな
重層的な問いであると言えるの、鴨。蓋し、「法とは何か」は、

(01L)ある紛争を解決する上でそれに適用される法規や法慣習の内容を具体的に希求する問いであると同時に、(02L)その前提となる、「法とはそもそもいかなるものか/道徳規範や倫理規範等の他の社会規範と法はどう異なるのか/我々は法になぜ従っているのか」を尋ねる重層的な問いである、と。

そう私は考えています。「法とは何か」の問いは、しかし、それが憲法無効論の如き空理空論に終わらないためには、法が適用され効力を保持している(ある規範が遵守されるべきだと一般に考えられており、同時に、全体的には、また、その法規範を包摂する法体系総体としては現実に遵守されている)当該の社会のあり方を理解しなければならない

かって、パブロフは、「鳥の翼が力学的に完全だとしても、真空の中ではその羽ばたきは空しい物体の移動にすぎないだろう」と述べましたが、「法とは何か」の問いが、よって、法哲学や憲法学が現実の紛争解決と社会統合に関して具体的現実的な貢献をしたいと思うのならば、法哲学や憲法学は法体系がそこに存在している人間社会に対する「構造的-実存的」な理解を深めなければならないのだと思います。
 
尚、構造と実存の両者の交叉する営みとしての「定義」という言語行為に
関しては下記拙稿をご参照ください。 

・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65200958.html

・保守主義-保守主義の憲法観
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144611678.html

・憲法と常識(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12161352990.html
 
t02200220_0420042011763281684.jpg


制度と実存の二律背反と両面価値
あるいは読者の皆様から顰蹙を買うのを承知で本稿では「性」を一つの切り口に、人間社会の実存的あり方を構造的に、あるいは、人間社会の構造を人間の実存の観点から考えます。蓋し、文化人類学の知見が教えてくれているように、「性」は「言語」「交換」「権力」とならび、あらゆる文化と文明を構成する主要な制度でしょうから。而して、「法=権力」を「言語」のアナロジーにおいて一瞥しようとする本稿において、人間実存の社会的あり方を検討する予備作業の切り口としては「性」は格好のもの。そう考えるからです。

ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』(1954年)、ジョゼフ・ケッセル『昼顔』(1929年)やジャン・ド・ベルグ『イマージュ』(1956年)。そして、これらほどの<権威>はフランス文学界では持っていないのですが(というか、映画の成功に比べれば原作は三文性愛小説と看做されているのが正直な所でしょうが、)エマニエル・アルサン『エマニエル夫人』(1959年:映画化は1974年)も(その異文化趣味を超えて)、我々が「制度」というものを理解する上での素材を提供しているのではないかと思います。

松田聖子さんや安室奈美恵さんが、堀北真希さんや吹石一恵さんが、母であり歌手/女優でもあるように、人間存在は、不可避的に、かつ、同時に複数の役割や規定性を帯びている。而して、人生も時間も本質的に有限でかり、かつ、不可逆的。更には、本質的にはある瞬間には(他者の視点からは、複数の規定性を帯びているように見えるとしても、自己の「行動選択」としては、)ある一つの役割や規定性しか演じられない。少なくとも、複数の役割と規定性をある一つの瞬間に演じることは難しい。

このような人間存在の実存を踏まえる時、自分が帯びる複数の規定性や複数の役割をどう調整していくのか。この点の解決が人類の「智恵」であり、その「智恵」のタイプが文明や文化に他ならない。と、そう私は考えます。

人間存在の実存をこう踏まえた上で、この「同時に複数の役割や規定性を帯びざるを得ない人間が、それらを遂行するプライオリティをどう調整するか」の解答の一つが「制度」ではないか。例えば、妻の顔と娼婦の顔を持つ『昼顔』のヒロインがその解決を、昼間だけ娼館に通う<スケジュール>で解決したように、また、『O嬢の物語』『イマージュ』のヒロイン達が、自由と平等を愛する(と自称する)フランス人としての自己のアイデンティテと<奴隷的被虐>に快楽を覚える自己の実存の亀裂を<契約>によって解決したように。 

ならば、制度は(偏微分方程式を解く要領とパラレルに)、ある局面では、ある人間存在の実存の過半を捨象して抽象化し、単一の役割や規定性を人間に与えるのだけれども、その裏面としては、その制度によって、その同じ人間は他の時間と空間においてはより効率的に自己の実存を発揮できるのではないでしょうか。エマニエル夫人が若妻という社会的規定性に拘束されながら、同時に自己の心の声に従い快楽を追求する重層的な生活に入ったように。畢竟、制度と実存は二律背反的であると同時に両面価値的でもある。と、そう私は考えるのです。
  
而して、個人の人間存在の実存と制度を巡るジレンマとアンビバレントな関係は、「権力-権威」の制度についても言えるのかもしれない。生身のある人間を「天皇」として処遇する制度は、彼や彼女達に「国の象徴」という地位を配分することで、社会全体としては効率よく社会統合と社会の秩序維持を保障する(自然からの脅威、他国からの脅威、自国の権力の脅威、社会の他のメンバーからの脅威という4個の脅威から国民を守り、国民に対して最大多数の最大幸福を保障する)<システム>の一斑なのかもしれないということです。

蓋し、例えば、(天災や革命は皇帝の不徳の致す所という)支那を始め様々な文明で観察される「神人交感観」に基づく権力運用のあり方も、物象化した社会秩序を含め人知を超えた自然との共生を不可避とする人間存在が、権力支配の正当化事由に自然の脅威からの国民の保護を織り込んだ結果なの、鴨。

而して、「天皇制」に関する私の基本的な考えについては
下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。 

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b699366d45939d40fa0ff24617efecc4

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136660418.html

 
t02200282_0300038511763281683.jpg

 

機能英文法から見た法の概念
世の中には「裁判員制度は憲法違反だ」とか「日本国憲法は大日本帝国憲法に違反しており無効だ」と述べている方がおられるようです。他方、安全保障法制は「立憲主義」を踏みにじるもので違憲であるとかも。本稿では具体的に憲法論を展開するものではありませんが、--それを論じるにはいささか大仰な道具立てが不可欠なものですから、立憲主義を巡る私の考えについては割愛して、ここでは、しかし、--より具体的な事例を念頭に置いて以下の説明を読んでいただくべく裁判員制度違憲論について簡潔にコメントしておきます。

尚、立憲主義および所謂「憲法無効論」に関しては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9256b19f9df210f5dee56355ad43f5c3 

・立憲主義を守る<安全弁>としての統治行為論
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d2b014fb5dcdcb6d9260f7aa8eec3c5f 

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79

・憲法無効論の破綻とその政治的な利用価値(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11396110559.html


裁判員制度違憲論の根拠は、憲法32条「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」、同76条1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」、そして、最高裁判所と下級裁判所の構成をそれらの裁判官の要件を定めることによってのみ規定している79条及び80条だそうです。蓋し、

「裁判所の裁判を受ける権利は奪われない」→「裁判所を構成するのは裁判官」
→「裁判官でない裁判員が裁判所を構成することを憲法は想定していない」
→「実際、「裁判員」の規定など憲法のどこにも書いていないじゃないか!」、と。 

   
確かに、「徴兵制を採用する諸外国の憲法を見てもその多くは「徴兵制」や「国民の国防の義務」を規定している。よって、それらの規定を欠く(国民の自由の重大な制限である)「徴兵制」は憲法違反だ」という論法と同様、「裁判員」の規定が憲法に欠けていることを根拠とするこの裁判員制度違憲論はそれなりに傾聴に値するの、鴨。

しかし、具体的な規定がなければ、憲法の原理原則から、それも見当たらない場合は憲法の本性や概念から妥当な解釈を導き出すのが憲法学というもの。ポイントは、原理原則、憲法の本性や概念を恣意的に捏造するのではなく、「論理的-社会学的」にそれらを間主観性のある形で抽出すること。
ならば、現行憲法解釈の原理である民主主義から見て、司法に国民が参加することは(規定が存在しない以上、憲法の要請ではないとしても)現行憲法に違反するとまでは言えない。と、そう私は考えます。

・<再論>応報刑思想の逆襲(←裁判員制度についてはその(5)で些か詳しく説明しています)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/96510cf17d1e91d2471c047147362d70


ことほど左様に、憲法の規範意味は憲法条項の字面だけではなく、

①憲法に内在する原理原則
②憲法を巡る慣習
③憲法の本性および概念

から導かれる。そして、繰り返しになりますが、①~③を見出す作業は、「論理的-社会学的」で反証可能性のあるものでなければならない。なぜならば、(法の解釈を「発見」と考えるにせよ「創造」と割り切るにせよ、)そのような「論理的-社会学的」あるいは「論理的-歴史的」なものでない限り、その解釈内容に、誰も(特に、その解釈結果を好ましからざるものと感じる人にとっては)、自分が拘束される義務も義理も道理も感じることはないでしょうから。その場合には、彼や彼女を当該の解釈に従わせ得るものは「実力の裏付け」だけになってしまい、要は、その解釈には法としての妥当性も実効性も観察されず、畢竟、その解釈内容が憑依した法は、法としての効力を保持していないことになるからです。

老婆心ながら付け加えれば、(甲)憲法規範の枠組みは憲法の条規と①~③によって確定されるとしても、(乙)多くの場合、憲法規範の具体的内容、特に、憲法訴訟や国会と行政の実務を現実に規定する具体的な内容は、④国民の法意識(何が憲法規範の意味であるかに関する国民の法的確信)と⑤憲法慣習によって肉付けされる。と、そう言えると思います。
    
而して、例えば、『A Practical English Grammar』(Oxford, 1986年)によれば、
(03)Alice said to me, “I’m leaving.”
(04)
“I’m leaving,” Alice said to me. 
   
所謂「学校文法」では(03)(04)も「「私は出で行くところです」と私にアリスは告げた」の意味であり文法的には正しいとされるのでしょうが、耳目を引き付けるのが「目的-機能」である引用文が後置されることは矛盾であり、実際に、英語のネーティブスピーカーが(03)を使うことはまずなく、よって、機能英文法の観点からは(03)は間違いとされます。同様に、

(05)There is the money in the box.
(06)There is money in the box. 
   
この事例でも、There構文の主語は、聞き手/読み手にとって「新情報」でなければならず(例えば、「昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんはやまに柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」の「が」と「は」の使い分けとパラレルに)、(05)の主語に「旧情報」を示す定冠詞が付いているのは機能英文法の観点からは間違いなのです。

これら機能英文法が記述する英文法のルール、否、言語ルールを機能英文法が発見するやり方こそ、憲法解釈において憲法典の条規を超えて憲法規範の内容を間主観的に見出す営みと極めて近い。蓋し、「法とは何か」の問いに答える作業は、それが経験的なものとしても「闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞く」 (一休)作業に近いの、鴨。と、そう私は考えています。

       

而して、蛇足ながら最後にエピソードを一つ。

東京大学の法哲学の初代の専任教授であった尾高朝雄先生は、弟子には、
必ず何か一つの実定法の専門家でもあるように指導された由。

一番有名なのは、例の「自衛隊の違憲合法論=自衛隊は憲法典の条項に違反して違憲ではあるが、全体としての憲法体系の秩序の中では、最早、合法的な存在であるという主張」を掲げて、当時の石橋社会党体制の現実化路線に寄与した小林直樹さんの憲法。

而して、お茶の水女子大の学長を長らく勤められた井上茂先生の商法、世界的にも有名な法哲学者である大阪大学(その後、学校法人成城学園理事長)の矢崎光圀先生の民法などは、(憲法に転向した小林さん以外は、<専門家>の縄張りを荒らすのも下品なので、)専門論文こそ書かれなかったものの各々その実定法解釈領域でも一流、一級品。
そして、「このひと「六法全書」一度でも見たことあるんかいな」と(関西の法哲学研究者の、おそらく)誰しも感じた、あの東京大学の法哲学の(正/主任)教授だった碧海純一さんも、実は、民法とかすこしは勉強してたらしい(←同じ尾高門下のMYとSIの両先生にKABUが直接聞きました!)。

また、英米でもドイツでも(フランスは知りませんが)、学部レベルではありますけれど、ある教授が刑法と民法、憲法と民法、刑事訴訟法と法哲学等々、複数の科目を、しかも、同学期に講義するのもそう珍しくはなかった。これこそ、複数の規定性の同時実現の好例、鴨。

而して、私がこの、尾高門下と英米独のエピソードを通してお伝えしたかったことは、蓋し、(ⅰ)法哲学と実定法の交錯というか相互乗り入れの戦略的価値ということと、(ⅱ)憲法学プロパーの思索においても、個々の事例の観察から機能英文法的の法則を抽出・収集する労を惜しんでは、「論理的-社会学的」で間主観性のある解釈に到達するのは難しいの、鴨。と、そういう感慨です。
o0320025611763281682.jpg

January 22, 2012 10:07:32

20140518213826331.jpg

本稿はあの「悪夢の民主党政権時代」に書いた記事のプチ修正版です。ただ、エントリー記事が挑んだ問題点をぼかさないためにあえて、2012年1月の時点に身を置いて推敲の手を入れました。そう、古代史は人類の普遍史でもあるから中途半端な時間軸の移動は避けたということ。しかし、二重国籍者が最大野党の党首を務め、また、支那人がアパホテルに抗議のデモごっこを繰り返しかねない2017年2月の現在の日本の問題を考えるうえで些か皆様の参考になる、鴨。少なくともそうなることを希望しています。(2017年2月6日記・KABU)
 
yjimageDGAKNXIZ.jpg
 
民主党代表選挙に外国人の党員が(2012年1月22日現在でも!)関与している現状に対して、ブログでは「外国人が次の首相の決定に関与するのは憲法違反」という主張が盛んなようです。而して、本稿は、旧稿の認識と主張(↓)を憲法訴訟論と政党論の接点から敷衍するものです。
 
・外国人の「党員・サポーター」が関与する民主党代表選挙は憲法違反ではないのか?
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/402555d03b60d91547bf3fe60d64c850
 
その旧稿で私は概略こう述べました。

現下の「民主党代表選外国人関与問題」は憲法訴訟の地平では違憲とは必ずしも言えないが、それは(訴訟によってではなく、憲法慣習の形態において機能する)「憲法の趣旨」の一斑たる国民主権原理に明らかに反する。よって、民主党に対しては、「民主党代表選挙=憲法の趣旨違反」という批判を政治的に投げつけるべきだ、と。

この主張の前提は次の如き認識でした。

(1)政党は本来的に<私的>な存在である
(2)現行の日本国憲法は議院内閣制を採用しており、よって、現行の<憲法>は政党の不可欠性を想定している。尚、<憲法>とは、憲法典・憲法の事物の本性・憲法の概念、そして、憲法慣習という、いずれも、間主観的に認識可能な諸規範が編み上げている「国の最高法規の体系」の意味である

(3)政党政治の醍醐味は、国民の一部分の利害と価値観を代表する<私的>な政党が、国政選挙と国会での首班指名等の所定の手続を踏む中で、期間を限定的して、あたかも、国民全体を代表する<公的>な国家権力の担い手になる経緯である

(4)政党は<私的>と<公的>の両面を抱える両義的存在である。而して、例えば、国民主権原理、あるいは、結社の自由・政治的な表現の自由といった<憲法>に内在する価値をどの程度まで<憲法>が政党に強制できるのか、その裏面として、政党に対する助成金等の恩恵はどの範囲までなら<憲法>の許容するものと言えるのかという点を巡っては、現実政治的のみならず社会思想的にも二律背反的の緊張関係が見出せる、と

尚、これらの認識に関しては下記拙稿をご参照ください。

・「ねじれ国会」の憲法論と政治論
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/893fcd63af5ca96e82cde306845c66ab

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65231299.html

政党を巡って<公>と<私>の織成す二律背反模様。しかし、これは日本だけの現象ではない。より間主観的な相でこの矛盾を把握すべく、次に、アメリカ憲法の運用の実際を一瞥しておきましょう。

12_20170206124733480.jpg


◆政治政党と憲法訴訟
アメリカでは、(大統領選挙の予備選挙だけでなく、数多の<公>の役職に対する)共和・民主の各党の候補者確定のための予備選挙が、おおよそ、各州政府の費用と規制の下で実施されています。けれども、アメリカ憲法典には「政党」という文字列は存在しない。

而して、「カズンズ対ウィゴダ事件」(1975年)を嚆矢とする諸判例を通して、政党はアメリカ憲法修正1条から演繹される結社の自由を享受する存在、すなわち、あくまでも<私的>な存在と位置づけられている。よって、ある一線を越えた州政府の規制や助成は<私的領域>への<公的権力>の不適切な容喙として憲法違反とされるのです。

重要なことは、州政府の容喙が、ある一線を越えたかどうかは憲法訴訟を通じて判断され、かつ、その憲法訴訟においては(州政府側にとって最も不利な)厳格な審査基準と合憲性判断基準が適用されることです(ちなみに、アメリカには特別の「党員資格」なるものは、原則、存在しません。各地の選挙管理委員会が管理する、一種、住民票的なプロフィール登録の際に支持政党をチェック(☑)すれば、予備選挙に関してはそれが「党員登録」なのです)。

蓋し、前稿で述べた、憲法論的な「政党の事物の本性」を踏まえるならば、アメリカ憲法の運用の実際は、現行の日本国憲法の理解としてもまずは妥当なものではないかと思います。

ここで(H.L.Aハート、ドウォーキン、フラ-、ラズ等々、現在の分析法学に分類される)英米流の法思考を借用すれば、<憲法>の内部には、(イ)具体的に国家権力の行動規範を定めている「準則」と、(ロ)目標や理念を定めただけの「原理」の両極がある。而して、憲法保障に関しては、(イ)の極の近傍にその座を占めている規範を巡っては憲法訴訟による憲法保障が適切であり、他方、(ロ)の極の近隣に位置する規範の憲法保障は憲法慣習の再構築の営みを通して政治的に解決するのが妥当であろうと思います。なぜならば、「原理」の具体的な内容の確定は困難であり、それは、共約不可能なイデオロギー的対立を呼び寄せかねないからです。

敷衍すれば、(イ)党員資格要件に対する<公>の容喙が現行憲法21条の定める「結社の自由権」の侵害かどうかの確定には「憲法訴訟」の回路を、他方、(ロ)外国人が関与した代表選挙が現行憲法の前文に謳われる「国民主権原理」の侵害であるか否かの確定のためには「政治闘争」の回路を選択した方が、一般的には、より合理的であろうということです。

而して、では、例えば、国民主権原理が現実を拘束する枠組みとして機能するかどうかは、<政治の競技場>における国民主権原理を錦の御旗に掲げた勢力の勝敗次第ということなのか。
 
001ec94a25c50f5817e34b.jpg

 
◆外国人の政治活動の自由と国民主権原理の位相と相貌
所謂「党議拘束」を前提にすれば、与党の代表選挙とその後の国会での首班指名選挙は一体のものではないだろうか。もしそう言えるのなら、実質的に次の首相を選ぶ与党の代表選挙に外国人が関与する事態は明らかに国民主権原理と抵触する。このように重大な憲法違反のケースでも、そこで問題とされる規範が「原理」に属する限り、憲法訴訟の回路による憲法保障は不可能もしくは不適切なのか。

前項の主張に対しては、あるいは、このような疑問が呈される、鴨。

而して、この問いに対する回答は「肯」です。蓋し、イデオロギー的な紛争の解決はあくまでも<政治の競技場>で図られるべきであり、他方、<憲法>の規範を巡る現実具体的な紛争は憲法訴訟を通してなされるべきということ。

しかし、そうであるがゆえに、逆に、「原理」を巡る紛争でも、それが憲法訴訟に馴染むタイプの紛争は、憲法訴訟の回路を通して解決されるべきである。あくまでも、<憲法>を「原理」と「準則」に区別する作業は、最適な憲法保障の回路発見のための手段にすぎないのですから。最後に、この経緯を「民主党代表選挙外国人問題」を材料に使い敷衍しておきます。

(甲)憲法は政党の党員資格について白紙である
政党が本来的に<私的>な存在である以上、その党員資格の唯一あるべき内容を<憲法>から演繹することはできません(つまり、「外国人党員の是認」も「外国人党員の否定」も等価であり許されるということです)。

この認識に対して、例えば、「政党交付金が支給されている以上現状の政党が私的団体とは言い切れない」という議論は成立しません。上で紹介した、アメリカの予備選挙に対する州政府のコミットメントを想起していただければ自明なように、喩えれば、ある企業が公の補助金を受けるのと引き換えに、その補助金の使途や成果を行政に報告する義務を負う事態とこれはパラレル。つまり、政党助成金の存在と、<憲法>のある規範の尊重をどこまで政党に要求できるかは別次元の問題ということです。

(乙)国民主権原理と外国人の政治活動の自由
国民主権原理、すなわち、現行の日本国憲法が「国民」に限定している「国政参加」の権能とは、ディノテーションとしては、オフィシャルな選挙権・被選挙権の付与の意であり、コノテーションとしては「日本国籍を保有している者のみが、運命共同体としてのこの国の進むべき進路を決定すべきだ」という「原理」の表明と理解すべきであろうと思います。

なぜならば、①政治活動の自由自体は日本国民に限定されるものではなく、また、②例えば、帰化前の呉善花・金美齢両女史の影響力を想起するまでもなく、外国人や外国のエージェントの実質的な影響力を政治から一切排除することは適切でもなく、また、土台、不可能だからです(イエーリングが喝破した如く、「法は不可能を誰にも要求しない」のでしょうから)。

人権や自由の憲法的な規制と保障には、(a)保障の段階(禁止は不可の段階)→(b)容認の段階(ニュートラルな段階)→(c)禁止の段階、があります。而して、外国人の人権保障に関するリーディングケースである、所謂「マクリーン判決」が、「外国人の政治活動の権利は憲法が保障するものではない」(=禁止するものでもない、要は、許容の段階にある)と述べていることが重要。

畢竟、極論すれば、党員のほとんどが外国人の政党があり、その政党が極々少ない日本人党員を選挙に出馬させ、かつ、相当程度の日本人有権者の支持を受けて、結果的に、政党助成金を受けるとしてもそれは現行憲法違反ではないということ。実際、社民党などはそこまでもう半歩ではないでしょうか(笑)。

而して、政党の範囲を定めている政党助成法2条及び政治資金規正法3条1項と、国政参加の権能を国民に限定している現行憲法典とも矛盾しない。他方、この同じ法理から、謂わば「外国人党員排除法」なる法規もまた違憲にはならないことになる。畢竟、外国人を党員とする政党が政党助成金を公布されること、あるいは、政権与党になることと、ディノテーションとしての国民主権原理の間に矛盾は存在しないのです。


Ai9YSAsCEAE48jO.jpg


 
(丙)憲法訴訟による国民主権原理の保障の要件
コノテーションとしての国民主権原理の具現は<政治の競技場>で行なうのが手筋ではある。しかし、次のような場合には憲法訴訟の回路を通っての憲法保障も可能と考えます。すなわち、

①与党の代表選挙から国会での次の首相の指名までの間に国政選挙が介在しない場合、かつ、②不特定多数の外国人の意向が、あるいは、ある特定の国の組織的な関与が与党の代表を実質的に決める場合。

このような事態が惹起した場面では、「政党の事物の本性の一斑たる党議拘束」の存在を鑑みれば、すなわち、政権与党の代表選挙とその後の国会での首班指名が実質的に「一体のもの」であることを鑑みれば(代表選から国会の首班指名までの間に当該の与党が分裂する可能性も皆無ではなく、また、論理的には、与党の議員には「党議拘束に従わない自由≒離党の自由」もあり、よって、「一体」という表現が誇大であれば、少なくとも「一連のもの」であることを鑑みれば)、それは、「日本国民のみが、この国の進むべき進路を決定すべきだ」という国民主権原理の、(ⅰ)明白かつ現在の侵害の危険性そのものであり、かつ、(ⅱ)より制限的でない他の取りうる手段(LRA)も存在しないと考えられる。

ならば、この様な場面は、それが「原理=コノテーションとしての国民主権原理」侵害のケースでもあるにかかわらず、解決されるべき紛争が具体的であるがゆえに憲法訴訟の回路を通してその代表選挙の違憲と無効を争う必然性がある。と、そう私は考えています。
83K83.jpg
プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

百人一首 de 海馬之玄関
問い合わせ先
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
使用状況de電気予報
人間が好きになる名言集

presented by 地球の名言

人生が輝き出す名言集


presented by 地球の名言
夢を叶えるための名言集


presented by 地球の名言
仕事が楽しくなる名言集

presented by 地球の名言

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

ブログ内検索
最近の記事
Othello de 気分転換
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2ブログランキング
fc2rankbanner
miniTube