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すべての英語教育関係者の方に、だまされたと思って、

一度といわずしばらくは閲覧をお勧めします。

わかっとるか、東進の君、河合の君、旺文社の君、テンプル大学日校の君、

今度オフ会でこれ話題にするけんね!

 

・防衛省Mag☆MAMOR:特集「英語力を装備する自衛隊」

--英語好きにはお薦めだったりする(起)~(結)
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 ・ピグライフは勝れものの「マネージメントスキル開発ツール」かも(上)~(下)
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・『1分間マネージャー』に1本取られた
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月読命(←海馬之玄関ブログは「月読命」について女神説をとっています)

 

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(ⅲ)人脈、あるいは、<人脈>が重要だという認識。かって、長州の俊輔の頃から、岩倉使節団の副使、そして、元勲としての数次にわたる<留学>を通して伊藤博文が得た体験は、間違いなくアメリカ正規留学に期待してよい果実だと思います。

実際、ある大手電機メーカーの人事部長は「人事屋の端くれとしては毛色の変わったいろんな大学に社員を送りたいとは思う。切にそう思う。けれども、MBA留学のほとんど唯一の成果が海外人脈の構築拡大である現実を踏まえるとき、毎年、そこそこの水準のアメリカ人学生や日米以外の国からの留学生が集まるであろう当たり外れのない無難な線に--例えば、「Top20-MBA」(Best 20 of Business Schools)あるいは Second Tier Business Schools等々に--派遣先を絞らざるを得ない」と個人的に語ってくださった。

他方、ある大手重機メーカーの人事部長の方は、留学先から合格通知(a letter of admission)も無事届き、秋からの留学が決まった自社の若手社員を送り出す宴席のスピーチでは、「皆さんの少なくとも半数は留学後、ヘッドハンティングされて他社に移られると思います。けれども、その新天地におかれましても当社をよろしくお願いします」という冗談というか恫喝というかをしばしば口にされたということ(←小泉構造改革スタート直前の15年近く前の縄文中期の大昔の話ですが、実話です)。

蓋し、これら両人事部長の発言の基底には、おそらく、「人脈、あるいは、<人脈>が重要だという認識」の会得こそアメリカ正規留学の得難い果実の一つという認識があるの、鴨。と、そう私は考えます。而して、<人脈>こそ次の<自己認識>を知りうるほとんど唯一の鏡でもあるということもまた。


(ⅳ)「自己規定性の変更」とは正確には「他者認識の変化を媒介にした自己認識の動態的な変更」です。これは、明治・大正期の<留学>経験者が、政官財軍のすべてにおいて<聖別>され、今から思えば破格の社会的の処遇を受けてきた事実を想起すれば自明な現象。逆に言えば、例えば、「鳩山さんとこのお坊ちゃんは留学された経験があるらしい--どうりで英語も話せるみたいだし、話すその内容は間違いなくまともじゃないものね」と--世間では往々にして受け取られるあの現象。

あるいは、理研の<小保方晴子>の業績の認識について例の<割烹着>というアイテムの他に、「またまたノーベル賞!?30歳の「リケ女」がSTAP細胞を発見」(2014年1月30日)と、あの天下の朝日新聞も見事に見誤らせた事柄でしょう。要は、アメリカ正規留学には「箔が付く」ということ。それがなんらかの学位取得まで行き着いた場合、アメリカ正規留学には世間は一目置くし、よって、それは学歴ロンダリングの効果さえも認められるということです。

相互補完的な事柄であろう(ⅰ)~(ⅳ)、就中、(ⅳ)「自己規定性の変更」を睨むとき、私は<留学>は<科挙>とパラレルな制度でありツールなのかもしれないと思うのです。つまり、

それは(α)広く天下に門戸が開かれている世界観の練度を競うテストであり、(β)社会階層移動のためのそれなりに強力なアイテムでもある。よって、(γ)その<記号>を入手する以前と以後とでは世間の彼や彼女を--科挙の場合には「彼女」は原則いないとしても、例えば、留学し学位を獲得した彼や彼女を--見る目が質的に変化する点で両者はトポロジー的に同様なものではないか、と。而して、アメリカ正規留学の効用とは<科挙>としての属性に収斂するの、鴨とも。

いずれにせよ、(ⅰ)~(ⅳ)は相互補完的であること--だから、(ⅱ)異文化体験、ならびに、(ⅲ)人脈は、(ⅰ)(ⅳ)を具体的に肉付けするものであり、単なる「グリコのおまけ」ではないこと--、加之、繰り返しになりますけれど、(ⅰ)「英語運用スキル」の点では、国内に秀逸かつ廉価な代替財が豊富に存在している以上、少なくとも現在では上の(γ)「学位取得を境に世間の留学経験者を見る目が変わること」の原因を、専ら(ⅰ)「英語運用スキル」の向上に求めるのは間違いである。と、そう私は考えます。


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(Ⅱ)留学は科挙ではある
ご存知のように、随・唐期に形成され彫啄を施された科挙制度は清末に廃止されるまでの約1300年間(581/589年~1905年)、支那のほぼすべての王朝が採用してきた皇帝の官僚選抜試験であり制度でした。その意味では「科挙」は、寧ろ、現在の日本では国家公務員総合職試験・制度と対応させるべきかもしれません。

支那の王朝は--近代以降の産物である「主権国家-国民国家」すなわち「国民国家-民族国家」がそれこそ地球上を隈無く埋めている現在の地平からは--逆に、二重の意味で理解しがたい<国家>なの、鴨。すなわち、それは、(1)諸民族やそれらが形成する諸国を天のように覆う<帝国>であり、それは、寧ろ、一種のミクロコスモスだった。他方、(2)煎じ詰めれば、支那の王朝においては<国家>とは皇帝の家産にすぎず、よって、科挙の秀才・進士達もその皇帝の個人的な資産の管理に預かりお零れを頂戴する存在でしかなかったとも言える。

蓋し、これらの(1)(2)を念頭におけば--支那の王朝と現在の日本の国との位相差を睨むとき--、実は、「科挙」を現在の日本の国家公務員総合職試験・制度と対応させることは連想ゲームの言葉遊びの類の無意味なこと。

・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153763008.html


けれども、<科挙>には単に人材登用の試験や制度という側面を超えて、支那の王朝にとっては社会統合のイデオロギーでもあった。皇帝の德が帝国という小宇宙を遍く公平に照らすというイデオロギーと「その皇帝の官僚になる道が広く天下に門戸が開かれている」という事実というか立前というかは表裏一体のものだったのではないでしょうか。ならば、一捻りして、<科挙>を<留学>と対応させることは朝日新聞の社説ほどには我田引水ではなく満更間違いでもない、鴨。と、そう私は考えるのです。

▼科挙の二つの貌
・皇帝の官僚採用試験とその制度
・帝国の社会統合のイデオロギー



アメリカほどではないにせよ日米ともに<学歴社会>ではある。しかし、日本の<学歴社会>が<受験>を通して専ら形成されているのに対して、アメリカの社会は<受験社会>ではありません。実際、MBAにせよロースクールにせよ、メディカルスクールにせよ、出願に際して提出が要求される諸々の適性テスト(aptitude test)という名の学力テスト(achievement test)のスコアにおいて、アメリカ人合格者のほとんどは最高レンジのスコアを取っており、それはその数倍のアメリカ人不合格者においても同じですから。要は、彼の地での合否は<受験>以外のsomethingで決まるということ。それは、寧ろ、価値観や世界観の練度の競争と言うべきである。

ならば、<科挙>の社会統合のイデオロギーの側面に注視するとき<留学>こそ近代以降の日本において<科挙>と極めて近しいものと言うべきではないか。なぜならば、それ自体としてはイデオロギー的に無色透明な能力審査であった<受験>と比べた場合、<留学>にはイデオロギー的色彩、世界観的色彩が不可避的に付着するがゆえに<受験>よりも<留学>がより<科挙>に近しい。

逆に、<科挙>の帯びる<技術としての世界観>の権威というテーストは、イスラーム社会やユダヤ社会における宗教的な権威によるイデオロギー支配、あるいは、旧東側諸国や日本共産党内部におけるマルクス主義の宗教的な権威によるイデオロギー支配と比べてより世俗的であり、それらの教条よりも<留学>との親和性が高いのではないか。と、そう私は考えます。


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いずれにせよ、「広く天下に門戸が開かれている」にせよ、科挙に合格するには膨大な時間と学資が不可欠だったのだから、その恩恵に預かれるポテンシャルを持っていたのは支那社会の極一握りの富裕層にすぎないなどという--折角、他店では350円するトマトカレーを期間限定で100円で提供しようというお店に対して、「でもやはり100円はいるのですよね」と呟く類の--朝日新聞的な揚げ足取りは看過するとして、<科挙>も<受験>も<留学>もある種の公平性を通して、その「合格者-学位取得者」を<聖別>するイデオロギー的な機能があったのだろうということもまた。

重要なことは、--「秀才・進士といった科挙合格者にも無能な者は少なくなかった」とか、「留学経験者でも英語が苦手な向きは実は少なくない」とか、要は、<科挙>をして肩書きだけで実力を見ようとしない社会を再生産する滑稽で醜悪なsomethingなどと認定する、それこそ朝日新聞でなくとも中高生でも夏休み明けの小論文で書きそうなことは置いておくとして--「自己規定性の変更」の更にその基底には、自己のキャリアゴールを自分自身でデザインするスキルと意志が横たわっているに違いないこと。実際、アメリカの大学・大学院の場合には出願者の、そのスキルと意志の練度と具体性と強烈さを重要な判定基準にしてますから。


・アメリカの大学院留学のための「Tips」または「心得」のようなもの
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11149214816.html

・ピグライフは勝れものの「マネージメントスキル開発ツール」かも(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11421300439.html


而して、この「自己規定性の変更」の基底に横たわるsomethingこそが、--「東京大学合格437名」とか「医学部合格137名」という塾・予備校の宣伝文句に端なくも露呈している如く、<受験>の目的を大学入学後に先送りする、あるいは、大学という存在自体に丸投げする<受験>と比べて--目的自体を構築するところから競争のゲームが始まる<留学>の特徴であり、<技術としての哲学>であり<技術としての世界観>の練度をコンペティターが競った<科挙>と<留学>の類似点なの、鴨。

繰り返しになりますが、確認しておけば、現在の世界の支配的なイデオロギーの言語たる<英語>に関する(ⅰ)英語運用スキルのみならず、(ⅱ)異文化体験、(ⅲ)人脈、あるいは、<人脈>が重要だという認識、そして、(ⅳ)自己規定性の自己改革スキルを基底に据えた自己規定性の変更という<留学>の果実のコングロマリットを見るとき、<留学>は<科挙>に限りなく近しい。ならば、あるタイプの日本人志望者にとって、


б(≧◇≦)ノ ・・・留学の目的は<英語>だけではない!
б(≧◇≦)ノ ・・・留学は<科挙>ではあり、悪い選択肢とも言えない!


・イデオロギーとしての英語とイデオロギーを解体するものとしての英語
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11157781746.html



留学の効用の源泉は、単に(ⅰ)の「英語運用スキル」に収斂するものではなく、なんらかの技術としての世界観獲得を期待されてのものということ。ならば、公教育に「実社会で使える英語」なるものを求め、他方、<留学>の効用として(ⅰ)を過大視する見方の背景にはある種の<ファンタジー>が横たわっているのではないでしょうか。

それは、①英語のnative speakerの英語力を暗黙裏に前提に据える妄想、②善玉の「英会話」-悪玉の「受験英語」という錯覚、③公教育に対する万能感といった、いずれも、技術性と論理性を欠いた--ある意味、日本が第二次世界大戦で敗北した遠因と通底するsomething--というもの、鴨。と、そう私は考えます。



<(_ _)>

お粗末さまでした



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国際化の時代だからこそ<英語>にあまり期待しないで欲しい。就中、小中高の英語教育に「実社会で使える英語力」なるものの涵養を期待するのは筋違いだよ。私はそう確信しています。グローバル化の時代に必要な「英語力」として少なくない論者がイメージしておられるらしいものは、私に言わせれば良くも悪くも「英語力」という言葉の守備範囲を遥かに超えて拡がるsomethingだろうから、と。

・日本人に英語力は必要か
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11157728509.html

・小学校からの英語は必要か
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11152971970.html

・国際化の時代だからこそ英語教育への過大な期待はやめませよう
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11158801577.html


他方、語学力の獲得は--かなりの「例外=バグ」を認めるにせよ、21世紀の現在でも、そして、実は日本だけではなく、日本より凄まじい<階級社会>である欧州や韓国でも、更には、日本よりも遥かに凄まじい<学歴社会>であるアメリカや韓国でも、教養を感じさせる域に達する外国語運用スキルの習得は--、個人の所謂「社会階層移動」における謂わば「非関税障壁・見えない障壁:a non-tariff barrier/the invisible walls」とも称すべきスキル開発の問題。

ならば、そんな「社会階層移動のゲームにおけるキーアイテム」を公教育を通じてほとんどの子供達が身につけることができるなどという非現実的というかほとんど非論理的な想定は「100円持って行ったマック(←関西では「マクド」)でフランス料理のフルコースを期待する」ような世間と世界を知らない非常識でしかないでしょう。

私は、一応、その道で25年余の経験を持つ、米英の大学・大学院留学研修の専門家--「実社会で使える英語力」なるものの最適獲得メソッドと世間ではいまだに思われているらしい<アメリカ留学研修>の専門家--と自称しても嗤われるかもしれないけれど、おそらくまだ許される論者。而して、本稿はアメリカ留学なるものの意味と意義を些かゼロベースの地平から反芻したデッサンです。

よって、本稿に「アメリカ留学のノウハウ」あるいは「TOEFLなりTOEICの得点向上のTips」を期待して来られた方がもしおられれば速やかに退去されることをお勧めします。本稿はそれらとはほとんど無縁であり、そんなノウハウやTipsを本稿に期待するなどは「魚屋に行ってフルーツの箱詰め」を期待するようなもの。それはお互いにとって時間の無駄ですから。

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文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」(2013年)を公にしたのがその象徴でしょうか。この国ではまたまた間欠泉の如く現在「実社会で使える英語力」なるものの獲得を公教育に求める動きが出ているようです。しかし、今回の間欠泉の特徴は、改革に実効性を与える仕組みとして、「大学入試における英語科目」の改革が--TOEFL・TOEIC・英検のスコア提出によって独自の英語科目の廃止や縮小--が真面目に提案されていること。

▼間欠泉2013-2014の特徴
・大学入試の英語科目の改革
・TOEFLスコア等での代替



・「英語は英語で教えるべきだ」と戯言を記した学習指導要領
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11158831507.html

・鳥飼玖美子「TOEFL・TOEICと日本人の英語力 資格主義から実力主義へ」
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153749510.html

他方、しかし、「実社会で使える英語力」獲得のまずは、そして、おそらくは最有力の手段であろう英語圏への留学、就中、アメリカの大学学部や大学院への正規留学はこの10年間で半減しています。実際、IIE(国際教育協会)によれば、1997年には4万7千人あったアメリカ留学も2011年には2万人を切っている--留学生数の国別順位でも、1980年代後半から、少なくとも、1994年~1997年までは長らく1位を保っていたのが、2010年には7位、2014年現在では<神8>落ちもほぼ確実な状勢--とのこと。

而して、日本からのアメリカ留学生の激減と「実社会で使える英語力」なるものを求める声との間のギャップをどう考えればよいのか。これが本稿の縦糸的な問題関心なの、鴨。


・英会話学校の破綻と米国留学の減少は日本の成熟か衰退か
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11156752264.html

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(Ⅰ)留学は科挙である
アメリカ正規留学を経て大願成就、学位を取得した留学経験者を母集団とした場合、アメリカ正規留学は英語力の向上に効果があったと言えるのかどうか。これに対する私の回答は「Yes/No」です。つまり、「それでよく学位が取れたね」という<引きこもり型>のよほど特殊な例外を除けば、ほとんどのケースでは、学位を獲得できた程のアメリカ正規留学は英語運用能力の向上に役立つ。

しかし、4年なりの学部留学、ならびに、1年なり2年なり5年なりの大学院留学を通して身につく程度の英語運用能力、すなわち、英語運用スキルは(a)日本国内でも--より安全に言えば、都合3カ月ほどのアメリカ研修を組み合わせるならば、国内でも--、(b)より廉価な、(c)より短期間の、よって、(d)ローリスクの研修を通しても十分に可能であり、ならば、英語運用スキルの向上や獲得、まして、「実社会で使える英語力」なる定義不可能なもののスキル習得に目的を限定した場合、アメリカ正規留学は、寧ろ、コストパフォーマンスに乏しい手段でしかない。と、そう私は考えます。

実際、20年近く前のことですけれども、ある商社の人事部長から「企業派遣でMBAとかに若手の社員を留学させてもいいのだけれど、率直なところ、その間実務で頑張った同期に比べるとみんな英語が下手になって帰ってくるのが悩ましい」と直接聞いたことがあります。

而して、リスニングとスピーキングの分野で英語研修ツールやメソッドが革命的に進歩したわけではないけれど、爆発的に普及浸透した現在ではなおさら--『英語リスニングのお医者さん』(The Japan Times・2002年)、『知っている英語なのになぜ聞き取れない?』(ナツメ社・2003年)等々の廉価な書籍、もしくは、「東進ビジネススクール」(2001年)、「iKnow!」(2005年)等々数多の便利なe-learningメソッドが英語教育のマーケットに登場した2001年以降の現在では--蓋し、この商社の人事部長の洞察はいよいよ正解と言える、鴨。

畢竟、20世紀末の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(1990年)なり立命館アジア太平洋大学(2000年)というある種の際物を嚆矢にして、主要な国内のほとんどの大学・大学院が「英語を通してなにがしかの専門知識やスキルが身につくかもしれないという環境」を提供している21世紀の現在、そして、国際大学の素晴らしい実績を目の当たりにすれば、繰り返しになりますけれども、英語運用スキルの向上や獲得に目的を限定した場合、アメリカ正規留学は、寧ろ、コストパフォーマンスに乏しい手段でしかない。と、そう私は考えます。

要は、これら国内の代替財の存在を睨むとき、
英語運用スキルの獲得に限れば、


б(≧◇≦)ノ ・・・留学なんかせん方がましやで!


とまでは言わないけれども

б(≧◇≦)ノ ・・・留学せなどうにもならんもんでもないわな!


ということ。


急がば廻れ。重要なことなので些か遠回りをさせていただきます。
そもそも、アメリカ正規留学の獲得目標はどんな事柄なのか、と。

アメリカ正規留学に志望者やスポンサーは何を--今はできないどのようなことをその志望者が学位取得後にはかなりの確率で達成できるようになることを、そして、その裏面としては、結局、そのような<喜ばしい変化>をもたらすであろう、よりベーシックな資質やスキルの獲得を--期待してもよいのか、と。

蓋し、それは、(0)英語を通してなにがしかの専門知識やスキルが身につくかもしれないという、個々の留学専攻分野毎に異なりうるメリットとデメリット--日本国内の大学や大学院に進学することに比べた場合のアメリカ正規留学の<損得>の比較衡量--を捨象するとすれば、アメリカ正規留学一般については次のようなものでしょう。はい、これも実に平凡な認識。ただ、一つ注意すべきは、これら(ⅰ)~(ⅳ)間には強い相互補完的な構造連関が想定されるということ。


(ⅰ)英語運用スキル
(ⅱ)異文化体験
(ⅲ)人脈、あるいは、<人脈>が重要だという認識
(ⅳ)自己規定性の変更



而して、(ⅰ)「英語運用スキル」に関しては上で述べたとおり代替財との比較衡量、就中、国内大学・大学院への進学に比べた場合のアメリカ正規留学のコストパフォーマンスは、”it depends on the person”の類のマターであり、本稿全体の結論を些か前倒しして換言しておけば、その比較衡量の帰趨は”it depends on what and to what degree the person expects out of Study Abroad”の類の--今できないどんなのことがどれだけ上手に英語でできるようにはなりたいかという--期待から逆算されるしかない事柄である。と、そう私は考えます。


(ⅱ)異文化体験--異文化と不愉快ながら折り合う経験、あるいは、不愉快だからと拒絶する体験--すなわち、森鴎外的経験と夏目漱石的な体験の両極を含むこの項目は、煎じ詰めれば「世界には自分たちと異なる世界観と価値観に憑依された人々が存在する」ことの確信を得ることでしょう。

異文化間の相互理解は--どこから先は相互理解不可能という感覚の得とくもそこに含めれば--可能ではあるけれど、異文化コミュニケーションのためにはそれなりのスキル、および、努力と忍耐と諦観が不可欠である。と、そう私は考えます。

而して、私自身は、思い出したくもないくらい多くの千余のアメリカ人やカナダ人のインストラクター・コンサルタントを採用し、時には解雇して、同僚として働く経験の中でこれらの確信を漸次形成することができました。けれども、アメリカ正規留学というツールは森鴎外的にせよ夏目漱石的にせよこの視座をかなりの蓋然性で得るためのかなり有利な手段ではあろうと思います。


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<続く>







民主党政権が推進している実質的高校無償化は、無駄であるだけでなく不条理であり、その最初から<北斗の拳>である。本稿は、所謂「朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題」を前奏としてこの制度の相貌を一瞥し、もって、「高校無償化」自体が孕んでいる愚劣と蒙昧を究明しようとするものです。

高校無償化を巡っては、朝鮮学校への無償化適用の是非が主要な論点として言及されているように見受けられます。曰く、その保有する大量破壊兵器を日本に対して使用することも辞さないと公言している北朝鮮の直接の影響下にある朝鮮学校に授業料支援するなど、「敵に塩を送る」的の美談ではなく「盗人に追い銭」的の戯言である、と。

私は、しかし、ある「前提条件」が満たされるのであれば、そして、この施策の根拠法である高校無償化法2条1項4号に基づき、文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くものと」指定できる各種学校として朝鮮学校が本当に相応しいのなら「敵に塩を送る」のもありだと考えています。

蓋し、朝鮮学校は、学校教育法1条に該当しない「各種学校≒非1条校」であり、要は、そこでどんな<教育>をしていようが、それこそ、狐を拝もうが狸と踊ろうが、あるいは、金日成主席の写真を拝もうが金正日将軍の讃歌に合わせて踊ろうが本来自由なのです。而して、高校無償化法に基づき、文部科学大臣が朝鮮学校を「高等学校の課程に類する課程を置くもの」と指定するということは、

(イ)朝鮮学校が日本の学習指導要領の内容と水準を踏まえた<学校>であり
(ロ)高校無償化法に基づく授業料無償化の適用を受け続ける限り、今後も朝鮮学校は、(イ)の如き<学校>であり続けなければならず
(ハ)日本は(イ)(ロ)を確認すべく朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導できるということ   


実際、謙信公が信玄公に塩を送ったのは、単に騎士道精神の発露ではなく、品不足で高騰する塩で大儲けするためと、次なる武田との合戦に備えて、塩商人に紛れ込ませた密偵に敵の情勢を探索させるためだったとの説もあるらしい。

ならば、朝鮮学校がオープンスクールを頻繁に開催しようとも、「都合の良いとこだけ見せているのではないか」という日本国民の抱く当然の疑念を払拭できるはずもない以上、高校無償化の適用対象になることでその<教育>の実態が少しでも透明になるのであれば、それは日本にとっても悪い話ではないだろう。いずれにせよ、朝鮮学校の透明性を高めるためのコストが毎年5億円程度であることを鑑みればなお更私はそう思うのです(★)。

★註:朝鮮学校へ送る「塩」の費用
①文科省によれば、2009年度現在、全国で稼動している全65校の朝鮮学校の児童生徒総数は約8,300人。②朝鮮学校は各種学校であるが、学校教育法1条・教育基本法6条に定める日本の「普通の学校=1条校」と同様「6・3・3」制を採用しており、よって、高校課程在籍者数を児童生徒総数の3/12と仮定すると、その総数は約2075人。

他方、③各種学校に対する高校無償化法に基づく就学支援金は生徒一人当たり、11万8800円~23万7600円(∵通常は11万8800円;但し、年収250万円未満の世帯には23万7600円;250~350万円の世帯には17万8200円が国から学校法人等の設置者に支給される)。蓋し、④朝鮮学校が「上限満額」の支援金を狙うと想定すれば、求める費用の値は、2075人×23万7600円。    


しかし、結局、ある「前提条件」が満たされていないがゆえに、朝鮮学校への授業料無償化の適用は採用すべきではない。

而して、その条件とは、「時の政権が、文科省をして朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導させる意志を持っていること」。蓋し、民主党政権下での朝鮮学校への高校授業料無償化適用などは、「盗人の片割れに見張りをさせた金庫から投げられる、盗人への追い銭」以外の何ものでもないでしょうから。


◆高校無償化の愚劣

朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題を通して高校無償化の制度について一瞥しました。要は、それは、高校教育に対する国からの資金支援の側面と、他方、個々の<学校の教育>が学習指導要領に沿う形で計画され実施されているかを文科省が管理し易くする側面を持つ<双頭のヤヌス>的制度なのです。

高校の義務教育化は日教組の宿願でした。他方、国際人権規約A規約13条は、高校と大学の学費を段階的に無償化することを目指すと定めており、2009年5月現在、同条約加盟の160ヵ国中、日本とマダカスカルの2ヵ国だけが同条を留保(13条に拘束されないという条件の下に同条約に加盟)しています。


国際人権規約A規約13 条
1.この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2.この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。   


大東亜戦争の敗戦から幾星霜。高校の義務教育化という日教組の宿願も国際人権規約も、今では、「主婦の味方、ダイエー」のキャッチコピーに似た響きを感じさせる。蓋し、日本社会の現実によってそれらは乗り越えられ置き去りにされているということ。すなわち、

1974年に同学齢の90%を初めて超えた高校進学率は、その後35年間、93-94%前後の高原状態で推移しています。これは、同じこの期間、70%前後と80%前後で推移している英独、あるいは、90%弱で推移してきた米仏と比べても、日本が高校の実質的な義務教育化をとっくに、かつ、完全に実現してしまっていることの証左なのです。    

畢竟、最低限の生活資材にもこと欠いていた時代、安くて良い品を豊富に提供するダイエーは、確かに、「主婦の味方」だった。しかし、生活資材がほぼ行き渡った段階では、目新しい品物が見当たらないダイエーは退屈な存在でしかなくなった。而して、国際人権規約A規約において、高校無償化とは「能力のあるすべての者に教育を均等に与える」ための手段なのであり、実質的に高校の義務教育化を達成している日本にとって、そのA規約13条の留保を続けるかどうかなどは、最早、ほとんど本質的な意味を持っていない。ならば、高校の実質義務教育が現実に実現した状況下の日本社会でなされる、高校無償化などは「満腹の赤ん坊に更にミルクを飲ませるようなシュールな愚劣」に他ならないのだと思います。

高校無償化は無駄である。この点だけ見ても(もちろん、高校生の子供のいるご家庭や<高校の経営者>にとってそれは<福音>であったとしても)、高校無償化が、現在、イの一番に廃止と仕分けされるべきことは明らかでしょう。


◆高校無償化の蒙昧

高校無償化は無駄である。まして、苦しい財政事情の下、高校無償化の予算(約5000億円)を捻出するために、例えば、日本の国際競争力を維持強化するために誰しも不可欠と考えるだろう大学の研究予算が大幅に削れている現状を見れば、そして何より、生活が苦しいために子作りを断念した夫婦の世帯から、高校生の子供を持つより所得の高い世帯に税金が流れている現実、正に、所得の低い世帯からより高い世帯に所得が再配分されている現実を見れば、蓋し、高校無償化の愚劣さは自明。

高校無償化は、「低きから高きへの不条理な所得の再配分」をともなった、高校の実質義務教育化という目的のための手段が自己目的化した愚劣な施策である。而して、愚劣ということを超えて、高校無償化はこの社会に深刻なダメージを与える危険性を孕んではいないか。すなわち、高校無償化は、日本の若者の自律と自立を妨害する施策なのではないか。蓋し、高校無償化は、社会主義的な均一な人間観と単線的なライフイメージに導かれた施策であり、それを社会主義的に機械的に管理しようとする制度なの、鴨。要は、高校無償化は日教組流のアナクロニズムがゾンビや亡霊のように魔界転生したもの、鴨。

文科省の2004年度のデータによれば、日本の高校中退率は2.0%程度であり、よって、毎年18歳人口の92%が高校を卒業しているはずなのに(∵高校進学率94%×高校卒業率98%)、かつ、様々な進学を支援する奨学金制度が年々充実しているというのに、短大を含む大学進学率は50+α%を漸近線にしてここ20年近くほとんど変動していない。詳しくは、吉川徹『学歴分断社会』(ちくま新書・2009年)もしくは同書を紹介した下記拙稿を参照いただきたいのですけれども、要は、日本の高校生の半分は<確信犯的>に短大を含む大学への進学を選択していないということ。   

・書評☆吉川徹「学歴分断社会」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57911269.html


ならば、国際競争力を維持強化するための人材育成という政策目的から、白黒はっきり言えば、(職業高校・総合高校を含め)高校教育が、短大・大学での高等教育の準備段階である側面を逃れられない以上、同学齢の半数が高校でその教育を終える状況が固定している現下のこの社会で(要は、笛を吹いても太鼓を叩いても大学進学志望者が増えない現状では)、高校無償化は、

上で述べたように、大学・大学院の教育と研究の予算を横取りする愚策であるだけでなく、高等教育を受ける意志と適性を欠く多くの子供たちを無意味に高校に<幽閉>している現状を固定化するもの。逆に言えば、それは、中学卒業と同時に働くというあるタイプの子供たちにとっての正しい選択肢をその子供たちが選択する機会を税金を使って妨害する慇懃無礼かつ無知蒙昧な施策ではないでしょうか。   

ならば、それは、思想的には「義務教育→高校→大学」という単線の学歴スタイルが、(適切な情報が与えられれば誰しもそれを選択するに違いない)唯一の学歴のあり方とする、社会主義的な人間観に基づく貧困な構想力の顕現であり、現実的には、日教組の組合員の職場を税金を投じて死守する姑息で狡猾な施策ではないか。むしろ、良くも悪くも格差社会が定着していくだろうこれからの日本の社会では英国やドイツなみの70%から80%の高校進学率がむしろ健全なの、鴨。いずれにせよ、高校無償化は、各々の若者にその適性にあった、かつ、自己責任の原則に貫かれた多様な人生のスタイルを提案しようとする保守主義の人間観の対極にあることだけは確かでしょう。

蓋し、高校無償化は、政策として愚劣なだけでなく、「社会主義的-リベラリズム」の貧困な人間観が憑依した蒙昧なる施策である。而して、ディケインズが『クリスマス・キャロル』の中で喝破しているように、蒙昧こそ愚劣と貧困の原因であるとすれば、この蒙昧なる高校無償化を、愚劣と貧困を体現している北朝鮮の支配下にある朝鮮学校が熱烈に希求していることは、ある意味、当然の帰結なの、鴨。そう私は考えています。






(2010年9月11日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 民主党・菅直人政権
ジャンル : 政治・経済




民主党政権が推進している実質的高校無償化は、無駄であるだけでなく不条理であり、その最初から<北斗の拳>である。本稿は、所謂「朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題」を前奏としてこの制度の相貌を一瞥し、もって、「高校無償化」自体が孕んでいる愚劣と蒙昧を究明しようとするものです。

高校無償化を巡っては、朝鮮学校への無償化適用の是非が主要な論点として言及されているように見受けられます。曰く、その保有する大量破壊兵器を日本に対して使用することも辞さないと公言している北朝鮮の直接の影響下にある朝鮮学校に授業料支援するなど、「敵に塩を送る」的の美談ではなく「盗人に追い銭」的の戯言である、と。

私は、しかし、ある「前提条件」が満たされるのであれば、そして、この施策の根拠法である高校無償化法2条1項4号に基づき、文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くものと」指定できる各種学校として朝鮮学校が本当に相応しいのなら「敵に塩を送る」のもありだと考えています。

蓋し、朝鮮学校は、学校教育法1条に該当しない「各種学校≒非1条校」であり、要は、そこでどんな<教育>をしていようが、それこそ、狐を拝もうが狸と踊ろうが、あるいは、金日成主席の写真を拝もうが金正日将軍の讃歌に合わせて踊ろうが本来自由なのです。而して、高校無償化法に基づき、文部科学大臣が朝鮮学校を「高等学校の課程に類する課程を置くもの」と指定するということは、

(イ)朝鮮学校が日本の学習指導要領の内容と水準を踏まえた<学校>であり
(ロ)高校無償化法に基づく授業料無償化の適用を受け続ける限り、今後も朝鮮学校は、(イ)の如き<学校>であり続けなければならず
(ハ)日本は(イ)(ロ)を確認すべく朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導できるということ   


実際、謙信公が信玄公に塩を送ったのは、単に騎士道精神の発露ではなく、品不足で高騰する塩で大儲けするためと、次なる武田との合戦に備えて、塩商人に紛れ込ませた密偵に敵の情勢を探索させるためだったとの説もあるらしい。

ならば、朝鮮学校がオープンスクールを頻繁に開催しようとも、「都合の良いとこだけ見せているのではないか」という日本国民の抱く当然の疑念を払拭できるはずもない以上、高校無償化の適用対象になることでその<教育>の実態が少しでも透明になるのであれば、それは日本にとっても悪い話ではないだろう。いずれにせよ、朝鮮学校の透明性を高めるためのコストが毎年5億円程度であることを鑑みればなお更私はそう思うのです(★)。

★註:朝鮮学校へ送る「塩」の費用
①文科省によれば、2009年度現在、全国で稼動している全65校の朝鮮学校の児童生徒総数は約8,300人。②朝鮮学校は各種学校であるが、学校教育法1条・教育基本法6条に定める日本の「普通の学校=1条校」と同様「6・3・3」制を採用しており、よって、高校課程在籍者数を児童生徒総数の3/12と仮定すると、その総数は約2075人。

他方、③各種学校に対する高校無償化法に基づく就学支援金は生徒一人当たり、11万8800円~23万7600円(∵通常は11万8800円;但し、年収250万円未満の世帯には23万7600円;250~350万円の世帯には17万8200円が国から学校法人等の設置者に支給される)。蓋し、④朝鮮学校が「上限満額」の支援金を狙うと想定すれば、求める費用の値は、2075人×23万7600円。    


しかし、結局、ある「前提条件」が満たされていないがゆえに、朝鮮学校への授業料無償化の適用は採用すべきではない。

而して、その条件とは、「時の政権が、文科省をして朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導させる意志を持っていること」。蓋し、民主党政権下での朝鮮学校への高校授業料無償化適用などは、「盗人の片割れに見張りをさせた金庫から投げられる、盗人への追い銭」以外の何ものでもないでしょうから。


◆高校無償化の愚劣

朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題を通して高校無償化の制度について一瞥しました。要は、それは、高校教育に対する国からの資金支援の側面と、他方、個々の<学校の教育>が学習指導要領に沿う形で計画され実施されているかを文科省が管理し易くする側面を持つ<双頭のヤヌス>的制度なのです。

高校の義務教育化は日教組の宿願でした。他方、国際人権規約A規約13条は、高校と大学の学費を段階的に無償化することを目指すと定めており、2009年5月現在、同条約加盟の160ヵ国中、日本とマダカスカルの2ヵ国だけが同条を留保(13条に拘束されないという条件の下に同条約に加盟)しています。


国際人権規約A規約13 条
1.この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2.この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。   


大東亜戦争の敗戦から幾星霜。高校の義務教育化という日教組の宿願も国際人権規約も、今では、「主婦の味方、ダイエー」のキャッチコピーに似た響きを感じさせる。蓋し、日本社会の現実によってそれらは乗り越えられ置き去りにされているということ。すなわち、

1974年に同学齢の90%を初めて超えた高校進学率は、その後35年間、93-94%前後の高原状態で推移しています。これは、同じこの期間、70%前後と80%前後で推移している英独、あるいは、90%弱で推移してきた米仏と比べても、日本が高校の実質的な義務教育化をとっくに、かつ、完全に実現してしまっていることの証左なのです。    

畢竟、最低限の生活資材にもこと欠いていた時代、安くて良い品を豊富に提供するダイエーは、確かに、「主婦の味方」だった。しかし、生活資材がほぼ行き渡った段階では、目新しい品物が見当たらないダイエーは退屈な存在でしかなくなった。而して、国際人権規約A規約において、高校無償化とは「能力のあるすべての者に教育を均等に与える」ための手段なのであり、実質的に高校の義務教育化を達成している日本にとって、そのA規約13条の留保を続けるかどうかなどは、最早、ほとんど本質的な意味を持っていない。ならば、高校の実質義務教育が現実に実現した状況下の日本社会でなされる、高校無償化などは「満腹の赤ん坊に更にミルクを飲ませるようなシュールな愚劣」に他ならないのだと思います。

高校無償化は無駄である。この点だけ見ても(もちろん、高校生の子供のいるご家庭や<高校の経営者>にとってそれは<福音>であったとしても)、高校無償化が、現在、イの一番に廃止と仕分けされるべきことは明らかでしょう。


◆高校無償化の蒙昧

高校無償化は無駄である。まして、苦しい財政事情の下、高校無償化の予算(約5000億円)を捻出するために、例えば、日本の国際競争力を維持強化するために誰しも不可欠と考えるだろう大学の研究予算が大幅に削れている現状を見れば、そして何より、生活が苦しいために子作りを断念した夫婦の世帯から、高校生の子供を持つより所得の高い世帯に税金が流れている現実、正に、所得の低い世帯からより高い世帯に所得が再配分されている現実を見れば、蓋し、高校無償化の愚劣さは自明。

高校無償化は、「低きから高きへの不条理な所得の再配分」をともなった、高校の実質義務教育化という目的のための手段が自己目的化した愚劣な施策である。而して、愚劣ということを超えて、高校無償化はこの社会に深刻なダメージを与える危険性を孕んではいないか。すなわち、高校無償化は、日本の若者の自律と自立を妨害する施策なのではないか。蓋し、高校無償化は、社会主義的な均一な人間観と単線的なライフイメージに導かれた施策であり、それを社会主義的に機械的に管理しようとする制度なの、鴨。要は、高校無償化は日教組流のアナクロニズムがゾンビや亡霊のように魔界転生したもの、鴨。

文科省の2004年度のデータによれば、日本の高校中退率は2.0%程度であり、よって、毎年18歳人口の92%が高校を卒業しているはずなのに(∵高校進学率94%×高校卒業率98%)、かつ、様々な進学を支援する奨学金制度が年々充実しているというのに、短大を含む大学進学率は50+α%を漸近線にしてここ20年近くほとんど変動していない。詳しくは、吉川徹『学歴分断社会』(ちくま新書・2009年)もしくは同書を紹介した下記拙稿を参照いただきたいのですけれども、要は、日本の高校生の半分は<確信犯的>に短大を含む大学への進学を選択していないということ。   

・書評☆吉川徹「学歴分断社会」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57911269.html


ならば、国際競争力を維持強化するための人材育成という政策目的から、白黒はっきり言えば、(職業高校・総合高校を含め)高校教育が、短大・大学での高等教育の準備段階である側面を逃れられない以上、同学齢の半数が高校でその教育を終える状況が固定している現下のこの社会で(要は、笛を吹いても太鼓を叩いても大学進学志望者が増えない現状では)、高校無償化は、

上で述べたように、大学・大学院の教育と研究の予算を横取りする愚策であるだけでなく、高等教育を受ける意志と適性を欠く多くの子供たちを無意味に高校に<幽閉>している現状を固定化するもの。逆に言えば、それは、中学卒業と同時に働くというあるタイプの子供たちにとっての正しい選択肢をその子供たちが選択する機会を税金を使って妨害する慇懃無礼かつ無知蒙昧な施策ではないでしょうか。   

ならば、それは、思想的には「義務教育→高校→大学」という単線の学歴スタイルが、(適切な情報が与えられれば誰しもそれを選択するに違いない)唯一の学歴のあり方とする、社会主義的な人間観に基づく貧困な構想力の顕現であり、現実的には、日教組の組合員の職場を税金を投じて死守する姑息で狡猾な施策ではないか。むしろ、良くも悪くも格差社会が定着していくだろうこれからの日本の社会では英国やドイツなみの70%から80%の高校進学率がむしろ健全なの、鴨。いずれにせよ、高校無償化は、各々の若者にその適性にあった、かつ、自己責任の原則に貫かれた多様な人生のスタイルを提案しようとする保守主義の人間観の対極にあることだけは確かでしょう。

蓋し、高校無償化は、政策として愚劣なだけでなく、「社会主義的-リベラリズム」の貧困な人間観が憑依した蒙昧なる施策である。而して、ディケインズが『クリスマス・キャロル』の中で喝破しているように、蒙昧こそ愚劣と貧困の原因であるとすれば、この蒙昧なる高校無償化を、愚劣と貧困を体現している北朝鮮の支配下にある朝鮮学校が熱烈に希求していることは、ある意味、当然の帰結なの、鴨。そう私は考えています。






(2010年9月11日:yahoo版にアップロード)

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