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ブログ畏友の記事(↓)

・ユネスコ世界遺産登録に関して~聖域や神事の観光化とはどういうことか?~
 
http://ameblo.jp/soramitutoyama/entry-12273926966.html

大変考えさせられました。
 
ブログ畏友soramitutoyamaさんの記事です。
私は、「英語教育-留学研修」に30年近くかかわってきたものとして、

>「観光」と「格差」についてずっと考えています

観光。それは、所謂「社会階層移動-教育-格差」の論点に負けず劣らず、この問題、大げさではなく、また、はったり抜きに「哲学的」にも大問題なのですよね。「もの」と「こと」、そして、異文化コミュニケーションの可能性と限界・・・の交差する特異点ですから、観光は。いまだ道遠しです。京の都に行こうとして箱根の山も越えれない状況。 

>もの・・・
自分と対峙する、そんな、自分ではない対象(自分の体内の「胃癌細胞」とか、保守派の日本人にとっての--政治学研究者の三浦瑠麗さんの実証研究によれば、「日本の有権者・国民の7割は「保守派」ということなので、ここでは「日本人にとっての」と言ってもまんざら誇張ではないと思いますけれども--日本における民進党とか朝日新聞とか日教組・全教・自治労を含む、自分と区別されたなにものかと、自分である私に意識される対象) 

>こと・・・
自分が「もの」とかかわりあっている/たわむれている/なやまされている、そんな--社会的な--関係に自分がおかれていると、--ある特定で固有の(つまり、固有の文化・伝統・歴史を共有する)社会の一員である--自分である私に意識される情景や構図
 
∴>ものの消費・・・ものの利用と処分の営み
∴>ことの消費・・・ものを利用または処分している<私>を巡る<物語>の創作・編集・追補の営みと、理解できるの、鴨。

而して、悔しいのですが、--いまの段階でなにか書くと、保守派の同志からは誤解され、リベラル派には悪用されるのがほぼ確実なので--コメント抜きで紹介させていただきました。

・京都☆保守主義の舞台としての生態学的社会構造
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/199b39baca575f644c9accc68fbc5700

・日本語と韓国語の距離が照射する保守主義と生態学的社会構造の連関性
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b1c5489ebc391c1e9910502fabc69e4f

・ブログ友とブログ友の記事紹介:「世界遺産にするとはどういうことか?」
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/52a3b2df9d06c5d4a1106f76aac3380c

・私家版・海外修学旅行「お薦め行先」ランキング
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/95f6b0340fa61ccd1e74e1003e6bc7bf

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今日が投票日の統一地方選挙。郷里つながりのあるブログ友が市会議員選挙に立候補されていた。そのブログ友、森りゅう子さん(自民公認、当選すれば2期目)の実家と私の実家は凄く近い。走っても、歩いても、ウサギ跳びでも約300メートルくらい。



そして、りゅう子さんのご実父は長らく市議会議長を務められた方で、実は、手鎌地区や明治町地区の(←超ローカル!)教育問題等々を巡っては、父と先代の藤田次夫先生は頻繁ではないが連絡し合う仲ではあったらしい。要は、友達ではないけれど、なんらかの責任あるレスポンスを「互いに期待できるプレーヤー」ではあったらしいということ。なら、森りゅう子さんとKABUとは親子二代の縁だったということ、鴨(笑)。



・竜の軌跡 ~市政と家族、故郷大牟田 時々和菓子~
 http://ameblo.jp/mori-ryuuko/



ヽ(^o^)丿
ヽ(^o^)丿





市会議員という属性を捨象するとき「森りゅう子」とは、はい、ごく普通の「和菓子屋の若奥様にして一児のママ」。年齢から見れば上背は立派なほうだけれど、今時はそれも普通かなくらい。そんな普通の人が<実家の家業>を引き継いで郷里に地方政治の道で貢献している。なんか、自然で穏やかな風景がそこにある。



実際、安倍自民党政権が掲げた2015年政策パンフレットの神髄は「地方こそ、成長の主役」ということなのだもの。つまり、地方創生。地方創生は穏やかな風の中でしか実現も成功もしないように思うから。だって、しゃかりきで「地方再生」ができてきたのなら、今更、誰も「地方創生」などのコンセプトに移行しないだろうから。換言すれば、シュリンクする地方は、逆に、拡大し創生するしか生き残る道がないということでしょうか。



蓋し、「森りゅう子」は--二重の意味の重層的存在であるがゆえに--保守主義と親和性の強い行動選択サンプルなのではないか。就中、社会思想の抽象度において、保守主義から民主主義を眺める場合、それは顕著なのではないかとそう私は考えます。保守主義は純化する教条を嫌い多様な要素の共存を望ましいと思うタイプの思想でしょうから。



本稿の狙いを先に書いておけば、全国の<地方>で保守派の同志の皆様が各々の<森りゅう子>を応援するロジックのデッサン、というか、応援したくなるような<森りゅう子>発見・発掘の方法論を提示しようとしたものです。



б(≧◇≦)ノ ・・・畢竟、地方こそ、成長の主役だから!




・マンハッタンで書店が激減--そこに垣間見える日本の地方創生のヒント
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11983857899.html



・母校の福岡県立三池高校は少しだけど素敵に変わっていた
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/71f6ffa23e71684dd4624991f3ae3fcb


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問題はなにか。



蓋し、二重の意味の重層的存在である<森りゅう子>に憑依している
その問題性というか魅力は次の点に尽きている、鴨。



>政治家を家業とする候補者の立候補の是非



つまり究極的には、



>民主主義の理解から見て<普通の人>とはどういう人なのかという問題



20世紀後半以降の民主主義--すなわち、代表制である自由主義と民主主義が合体した議会制民主主義--においては、<議員>というのは現在次のような3個の位相を重層的に帯びているのでしょう。そうイメージの鼎立状態。



①他者に比べても、ある意味、どこにでもいる普通のくだらない、
しかし、誰かにとっては大切な候補者
②予算をきちんと<郷里>に前例通り誘導してくれる候補者
③自分の得意の政策に関する専門性の高い候補者




・民主主義--「民主主義」の顕教的意味
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/m/201408



・民主主義--「民主主義」の密教的意味
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0364792934f8f8608892e7e75e42bc10




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▼鼎立状態の総論的検討
①’候補者も市民も均一なアトム的存在と看做したルソー『社会契約論』(1762)の思いつきとは違い、なにより、それなりの人望がある方--ちなみに、前回2011年4月24日の統一地方選挙の得票総数は大牟田市では54,045票程度であり、要するに、大牟田市議会選挙の当選ラインは2000票で鉄板、1500票で多分大丈夫らしいです--ということ。畢竟、現在の大衆社会状況下の福祉国家においては、被選挙権をもつ市民は誰もが立候補することが可能であり、逆に、立候補しないのも自由。また、候補者も<アトム>ではない<大衆>の一人なのであり、それはルソーの思いつきとは異なり個々が具体的な欲望や価値観を憑依する存在でしょうから。



ならば、「被選挙権をもつ市民には誰もが立候補する権利がある」というテーゼと、しかし、被選挙権をもつ市民はほとんど立候補しないという現実は矛盾するものではないのです。実際、大牟田市の場合、被選挙権者ではなく選挙権者ですけれども、今年の3月の段階では101,235人(2015年3月2日)。他方、立候補したのは25のポストに対してたった29人なのですから。



つまり、候補者とは、他者に比べてもどこにでもいる普通のくだらない、
しかし、他方、誰かにとっては大切な人。
そして、また世間でも人望のある人物ということ。



なにより、101,235人の中から30人弱しか手を挙げない現実を見るとき、供託金の没収リスクを含む選挙費用も馬鹿にならないだろうから周りを心配させる、逆に、その行動選択に世間を熱くするsomethingが憑依している。そう私は考えます。そんな資質は地方政治家としての現実のロールモデルを身近に抱えたか、もしくは、政治にまつわる日常言語が具体的に飛び交うような人間関係の中で育まれるものだとも。



そして、間違いなく、日常言語が頻繁に飛び交うような人間関係で育った人物や<世襲議員>にはsomethingが憑依している蓋然性は高いのではないか。もちろん、この大衆社会状況下の福祉国家の状況においては、論理的にはどこまでいっても、その人物さえも他者に比べてもどこにでもいる普通のくだらない候補者なのでしょうけれどもね。



・<再論>世襲批判の批判的考察
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11354799337.html



・「派閥」批判はどこへ行ったのか?
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11870526642.html





②’予算誘導してくれる候補者とはどのよう表象イメージか。それは昔懐かしい<竹下登>氏に代表される--55年体制はなやかり頃には、芸術の域まで到達していた--予算を前例踏襲型でとにかく地元に持って帰る候補者。而して、それは現在では、グローバル化に日本も<地方>も対峙している以上、年々変化する政策リスクを睨みながらもトポロジー的に前例踏襲型の予算配分を行える人物ということ。



トポロジー的とは、要は、メロンパンとドーナツパンの形状の違い。<メロンパン>の性質を帯びる事象から<ドーナツパン>には間違っても越境しようとはしない。しかし、そのトポロジー的硬直化の良し悪しには疑問がつくでしょうけれどもね。



大東亜戦争の戦後といわず日本ではそれは大正政変(大正2年-3年:1912年-1913年)から引き続くモードなのかも。大正政変が原敬内閣の成立(1918年)に至ったこと。そのかわり--藩閥システムから経済の軍事統制主義に軍部がイデオロギー的にシフトしたことなどもあり--軍部・政党・財界・藩閥の均衡が悲しいほどトポロジー的に硬直化した。農地解放やエネルギー資源への予算傾斜配分等々を始め、実は、55年体制は1935年体制以来のもの。戦争のためか硬直化のためか戦前には実現できなかったけれど。



ならば、<全体主義>、要は、「ナショナリズムを称揚する社会主義」に鑑みれば、その利益誘導の硬直化スタイルもまた戦前からの宿痾と言えるのでしょうかね。ならば、やはり、「地方創生・女性の活躍」の具現を期す現在の安倍政権の姿勢も貴い。と、そう私は考えます。そこには、<メロンパン>から<ドーナツパン>への越境現象が垣間見えるから。



答えは簡単。候補者の予算の誘導が、全体最適と個別最適のいずれかが極端にシャビ-であり、あるいは、全体最適と個別最適の双方ともにシャビ-になっている状況下では、多くの普通の有権者もまた、予算の<メロンパン>から<ドーナツパン>への越境的誘導を支持するだろうということ。はい、反面教師的な例ですが、民主党政権が打ち出した「コンクリートから人へ」というスローガンは空虚だった、鴨。それは、全体最適と個別最適の双方ともに見事にシャビ-なものだったと思いますから。




③’専門性の高い政策領域を持っている候補者とは何者か。それは、政策プロパーの専門家である国や県の担当者、更には、外部コンサルタントと自分の<郷里>をより高いコストパフォーマンスでつなぎうる候補者である。畢竟、世の中に摩訶不思議な話があるわけはない。ならば、蓋し、市会議員のコストパフォーマンスはノウハウ並びにノウフーに収斂するのでしょう。



ルソーが「社会契約」を夢想し、ロベスピエールが<社会契約>を無惨に推進した時代。「夜警国家」が国家権力の標準のイメージとされていた。だから、今から振り返れば、「フランス革命:1789年-1799年」なるものは単なる陰惨な暴力のディケードにすぎませんでした。蓋し、この「フランス革命」という名の騒乱事件を反芻するとき、ルソーの妄想においてさえ、国家権力は「夜警国家」のイメージを遵守していることが逆に検算できる。要は、<社会契約>などは端から現実的ではなかったということ。



而して、現在の、グローバル化の昂進著しい中で、かつ、大衆社会状況下の福祉国家においては、国家権力は単に「夜警国家」ではない。それは国民経済の相当な部分にも、事後的な訴訟という形ではなく、企画と予算の計画にも事前に関与している。高校・中学の復習のようですけれど、これが「夜警国家」から「福祉国家」への移行ということ。



グローバルの潮流の進む現在、国家権力が--司法・立法・行政の三権が--国民に責任を負う分野も漸次拡大している、かつ、精緻になっている、多分。就中、支那の非常識な対外進出動向を睨んだとき、寧ろ、グローバルコンペティションに高いコストパフォーマンスで対応するためには「専門化の拡大と精緻化の度合いも適度にした方がよい」という話さえ少なくない。そう、専門化の拡大と精緻化も予算的にタダではないから。まして、状況変化リスクを睨みながら、個々の政策企画の立案には膨大な人的と時間的の資源が投入されるから。



ならば、繰り返しますが、「福祉国家」の現況を直視すれば、やはり「全体最適と個別最適の良好なブレンド」こそ穏やかな健全な落としどころ、鴨。と、そう私は考えます。



ミシェル・フーコーが喝破した如く、20世紀後半以降の現在は、<専門家の権威>が素人に対して横暴に振る舞う時代。だから逆に、素人側の<ドンキ・ホーテ>は滑稽。例えば、原発テクノロジーにおおよそ門外漢の裁判官が「高浜再稼働の即時差し止めを認める仮処分」(福井地裁の樋口英明裁判長による2015年4月14日の仮処分)したのもまた、程なく<専門家の権威>の前に、単なる、非常識で悪趣味な行いであることが自明になるでしょう。その非常識で悪趣味な行いは、おそらく、リベラル派の琴線には触れるのでしょうけれども。



専門性の高い政策を持つ候補者が自己のパフォーマンスをどこまで競うのか。繰り返しますが、それは、最早、「専門化と精緻化の望ましい度合」を巡ってだということ。例えば、ある弁護士事務所のパフォーマンスの度合いは、その事務所が抱えるパラリーガルの方の専門性と経験値に比例する。そう私には思われるのです。ならば、個々の、よって、諸々の政策企画エリアにおいて、日本全体および<郷里>の双方の観点からは、政策企画を巡る候補者の<パラリーガル>的専門性と経験値が肝要なのは当然ではありますまいか。市民にとってはもちろん。



閑話休題的感想。それ「専門化と精緻化の望ましい度合」の一つの判定基準。すなわち、「全体最適と個別最適の良好なブレンドが希求される人類史の時代状況」に突入しているというのに、所定の手続に沿った形で粛々と国家権力が導入している<専門家の権威>は不当だという論者もおられる。すなわち、計画が決定した段階では--最早、市民派から見れば勝負は終わっていたことになりかねず--常識にも正義にも反するというリベラル派の論者もおられなくはない。



ならば、すべての政策企画について企画段階から、<市民の目線に立つ専門家の権威>を参画させるべきだと、リベラル派の一部は主張している。予算も時間も人的資源も企画リスクも無視して良いのなら彼等の主張は論理的ではある。でもね、これ要は、公の費用で国のすべての政策企画マターに対してもうワンセット--市民の目線に近しい--専門家集団を用意しろということ。蓋し、これこそ、非常識で悪趣味なもの言いではないか。と、そう私は考えます。皆さんもそう思われませんか?



実際、国家権力が抱える<専門家の権威>と<市民の目線に立つ専門家の権威>はどう区別されるというのか。「高浜再稼働の即時差し止めを認める仮処分」なりを想起するにそれは単にリベラリズムと親和性の高い専門家というだけのことでしょうかね。この見方が満更間違いではないとするならば、この問題は、保守主義とリベラリズムが鋭く対立するイデオロギー的のマターであり、リベラリズムと親和性の高い専門家を企画段階からもっと登用することの必然性はないと思います。もちろん、保守主義と親和性の高い専門家を企画段階からもっと登用することも必然性はないはずですけれども。







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▼鼎立状態の具体的検討
我らが<森りゅう子>。その値打ちは如何。一言で言えば、件の3点に関してすべて及第点、カナ。そう、①~③が織り成す三次元空間のバランスに私は心地よいブレンドを感じています。



①どこにでもいる普通の、しかし、誰かにとっては大切な候補者
②予算をきちんと<郷里>に前例通り誘導してくれる候補者
③自分の得意の政策に関する専門性の高い候補者



森りゅう子候補はそのリーフレットでこう述べています。


▽将来に向け確かな一歩を
大牟田市では街づくりの指針となる、第5次総合計画(マスタープラン)が平成27年度【2015年度】に策定されます。三池港港湾整備、有明沿岸道路整備、九州新幹線新大牟田駅、いわゆる、3大プロジェクトによる基盤整備は整ったものの、現状では街の活性化につなげているとは言い難い状況にあるなか、ひとつの歴史的節目とも言える世界遺産登録も目前です。
これからの街づくりをどう進めていくのか、しっかりと見極めなければなりません。いまこそ正しい舵取りが必要です。



(以上、転記引用終了)





保守主義を信奉する私にとって--すなわち、論者が帯びるナショナリズムの濃淡ではなく、政策指針として提示されたものに自生的かつ手続的な手順が踏まれたかどうかを重視する私にとって--どのようなものであれ教条的なイデオロギーは忌避されるべきもの。よって、恒常的に、かつ、取り敢えずの所、前例をリスペクトする英米法の<プロセス法学>的な森りゅう子候補の姿勢には好感が持てたということ。



3大プロジェクトによる基盤整備は整ったものの、現状では街の活性化につなげているとは言い難い。他方、ひとつの歴史的節目とも言える世界遺産登録は目前であり、大牟田市議会議員は重層的な政治戦と思想戦から逃げることはできない。そんなスキーのノルディック複合や陸上の10種競技の如きタスクから逃走する者がこれからの街づくりをどう進めていくのか極めて疑問ではないか。ならば、森りゅう子こそ今の大牟田市民にとっての正しい舵取りだと自負していますよ、と。私は彼女のリーフレットの言葉をこう理解しましから。畢竟、



①普通の、しかし、誰かにとっては大切な候補者
②予算をきちんと<郷里>に前例通り誘導してくれる候補者
③自分の得意の政策に関する専門性の高い候補者



①’’その存在を貫く重層性と両義性の魅力は半端じゃない、鴨。二重の意味の重層的存在性。すなわち、(ⅰ)新聞記者経験と和菓子屋経営の双方、あるいは、(ⅱ)大牟田市域でも辺鄙な<手鎌>から、結婚を期に--かっては大牟田の<銀座四丁目>だった--ハイソな<大正町>の双方を経験したこと。加之、日常言語が具体的に頻繁に飛び交う世襲議員的の人間関係。その魅力はこれら実体験によるものなのかしらん。



いずれにせよ、森りゅう子さんは話し好きの若奥様であり、日常言語が飛び交う世襲議員的の人間関係を二重の意味で見てきたの、鴨。候補が実父から獲得された洞察力というか覚悟には、その行動選択が世間を熱くするか心配させるようなsomethingが憑依している。そう言えると思います。



そう感じた経験がある。昨年の地区年次総会(←兼懇親会)の席で
彼女が地元の治水対策の話をされたこと。



あのー、この白銀川は毎年ではないというのが盲点なのか、しかし、2~3年に1度は溢れてきた。昨日の砂漠が今日は特大の蓮根池状態。賭けてもよいけれどこの治水企画は盲点だった。地元民であればあるだけ、甘木中学校辺りに精通している人なら、寧ろ、その原因や背景は不明なもののそれが当たり前の風景と感じてきたと思います。



その普通の風景を私達が知る限り40年前、ということは、おそらく、100年も前からこの「異常な日常」は継続してきたということ。要は、この「異常な日常」と遭遇した際には--山側と川側と--選択していたルートによっては1キロ以上の「双六の振り出し」もあったから(悔涙)。



これこそ洞察力。地元民でも洞察できる人はそう多くはいないということでしょう。いずれにせよ、この白銀川の氾濫を政治が解決すべき事態と直感したのがりゅう子さんのセンス。反対側から言えば、問題を発見したりゅう子さんに備わっているなにがしかの資質が他の候補者と際立っていた。



実際、他の候補者の中にはこの選挙期間中、結局、煎じつめれば「大牟田を元気にする」「子供1人は大牟田で仕事を見つける」とかベーグなことを明瞭に述べたにすぎなかったから。蓋し、彼我の洞察力の高さ、問題意識の鋭さには小さいかもしれないが、質を隔てるような差があると感じるのです。





②’’前例通りの予算誘導は<世襲>のメリットの一つなのでしょう。今回、大牟田市市議会選挙では--りゅう子さんとこの藤田次夫先生と比べても遜色のない--大物市会議員だった祖父の地盤を引き継ごうと、一念発起、25歳で立候補した人もいる。そう、山中孝助先生の孫の<田中なおき>という表象。要は、事務的かつ散文的とさえいえる利益誘導の現実に取り組むロールモデルの闘う姿勢、その姿勢からノウハウを怜悧に吸収したとすれば、25歳の素人の世襲議員の方がルートは持っている上に悪い手垢はついていないので、寧ろ、上出来かも。まして、2期目を目指す世襲議員の<森りゅう子>においておや。鉄血宰相ビスマルクが喝破したように、政治の基幹は予算審議であり、そしてその審議をスムースに運ぶために死活的に重要な核心は人事なのでしょうから。




③’’最初から経験値のある新人候補というのは論理矛盾。而して、初当選議員はもちろん、2期目以降のベテラン議員も恒常的に自分の得意の政策に関する専門性を伸ばすべきことは当然でしょう。大牟田においては<徳永春男>がそれを象徴するイコンと言えるでしょうか。



綺麗事的な物言いを止めれば、専門性向上にあまり努力しないながらも、世界と世間に幾らでもいるだろう「本当の専門家」を適宜使えるノウハウとノウフーを持った議員を除けばというところでしょう。要は、<友達>ではないけれど、「責任あるレスポンスを互いに期待できる人脈」をいかに各分野で手持ちにできているのかということ、鴨。




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本稿を書くに従い--①~③をしかも三層から眺めたとき--市民にとって好ましい候補者とはおそらく次のような人物と漸次イメージが結晶してきました。畢竟、それは、




>政治の散文的な散漫さを間違いなく貫く政治の貴い本性の洞察
>政治の世界を覆う散文的な状況に対するポジティブな経緯を嗅ぎつける怜悧
>議員候補・議員にとつては日々専門性強化が必須という認識と覚悟



この①’’~③’’が織り成す三次元空間において、<森りゅう子>には心地よいブレンドを感じるということです。畢竟、森りゅう子さんは普通の人の洞察力ではなくて、洞察力に秀でた普通の人の洞察力が備わっているかも。まあ、いずれにせよ「自民党公認」なんだから良いんでないかい。



実は、地方ならではの話、大牟田も、25の市議会議員ポストを他党と阿吽の呼吸してトポロジカルに配分されてきたから、寧ろ、推薦を含まない「自民党公認」の候補は極少数者なのですから。



б(≧◇≦)ノ ・・・自民党公認なら良いんじゃないの!



・自民党に入党しませんか--支持政党の選び方に関する覚書
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11764121326.html



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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済





あの古賀誠氏が、地元でのご自分の影響力を残すためでしょうか。昨日の選挙、福岡県議会選挙の大牟田選挙区(定数2)は、民主党系の現職が1議席を実質的に確保しており。要は、自民党公認候補と自民系候補の激戦1人区になりました。つまり、何十年と秘書を務めてくれた方を、今回は、「自民党系候補」として、古賀先生、全面的にバックアップ。



大牟田の日刊紙はそのコラム欄

でこう記していますから。






▼むつごろう
戦いがすんでしまえば・・・という今回の福岡県議会議員大牟田選ではなかっただろうか。定数に2議席に四人が立候補し、しかも、六期連目挑戦の自民党現職に、元自民党幹事長が応援する保守系無所属新人が挑む”保守分裂”選挙の行方に関心が高まっていた・・・。



自民党候補者が出馬しているのに、それを応援せず、自民党幹事長や大臣経験もある大物元代議士が、自身の元秘書の当選へ向けて力を入れたことから、この”保守分裂”戦争が大いに注目された【←もちろん、福岡県の南端エリア限定ですけれども】。



多くの有権者は、この話題に、選挙への関心を高めたと同時に、自民党の現職県議と元代議士の間に何があったのか、いろいろな”憶測”を呼んだのも確かだろう。それだけに、両陣営の票の争奪が熾烈を極めたことは、想像するに難くはない。「○○地区はうちが制した」「△△はひっくり返した」など、選挙戦ならではの生々しい話が飛び交った。



とはいえ、終わってみれば、当落の差がわずかに百五十一票。両陣営にとり厳しかった選挙戦を物語るが、その割には、投票率は過去最低の45.07%を2.88ポイント下回る42.19の不名誉な記録を更新した。・・・



(有明新報・2015年4月14日







「5期連続当選して自立してきた」、そいでもって、当然、「国と県と市の結ぶ実際のやり取りの場面では、麻生副総理を後ろ盾とする現県知事、ということは麻生副総理側に知らずにシフトしている」。それは、許せんといいうことだったんでしょうかね。古賀先生にとって。わからんけど。





それに、民主が1議席とるとして、結局は定数は2。

ならば、その1議席を



・自民党公認候補(元古賀系)

・自民党系候補(今古賀系)



のどちらがとっても、まあ、大勢に影響はない。と、古賀先生的には考えられたのかしらね。

根拠はないけれど、150票差の激戦の<現実>を見てそう感じました。



ちなみに、





▼開票結果


・11617←自民党公認候補

・11466←自民党系候補





そして、なんというか、

やっぱ、正義は勝つだよ、とも思いました。



つまり、



ここでいう「正義」とは、イデオロギーや利権にまつわる主義主張ではなく、

むしろ、立候補や応援決定のプロセスや手続きに関する逸脱が、

自民党のコア支持層を怒らせたの、鴨。と、そう私は思います。





・自民党に入党しませんか--支持政党の選び方に関する覚書
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11764121326.html



テーマ : 地方再生
ジャンル : 政治・経済




本屋さんが減っているらしい。このことは、誰しも気付いていることでしょう。
実際、私達の地元、川崎市の小田急線・柿生~読売ランド間でもこの15年間で、
イトーヨーカドーとかのテナント店と新百合ヶ丘駅の併設書店を
除けば他の5店舗が全滅したから、多分。

この件、毎日新聞はこう報じていた。

書店空白:新刊買えない332市町村 1日1店消滅の割合
新刊本を扱う書店が地元にない自治体数が、全国で4市を含む332市町村に上り、全体の5分の1に上ることが、書店情報を集計している出版社の調査で分かった。東京への一極集中や人口の急減によって、将来的に生活基盤が失われる恐れがある「消滅可能性都市」と一致する自治体が多い。一方、「地方の活字文化の拠点を残そう」と書店を復活させる動きも出ている。

調査は、書店のデータベース「ブックストア全ガイド」を発行する出版社アルメディア(東京都)が、取次店から仕入れている書店を対象に実施した。・・・全国の書店数は1万3736店(昨年11月末時点)で、調査を開始した00年以降で過去最低を更新。00年時点は2万1654店で、14年間で37%減少したことになる【外商のみの、つまり、店舗を構えない教科書販売専門の書店を除けば、2014年11月現在、実数は13000前後と思われるとのこと】。

最近では年約300店舗減っており、計算上では全国で1日1店弱の書店が消えていることになる。利用者が減っていることに加え、本を扱うコンビニエンス店の拡大やネット通販なども影響しているとみられる。アルメディアの担当者は「小規模店の売り上げの多くを占める雑誌が売れなくなったことも大きい」とする。

一方、店舗数は減り続けているものの、全国書店の総売り場面積は465万平方メートル、1店平均では363平方メートル(ともに昨年5月時点)で増加傾向を示しており、大規模店が増えている状況も裏付けられた。・・・

(毎日新聞・2015年01月05日


б(≧◇≦)ノ ・・・アマゾン!
б(≧◇≦)ノ ・・・コンビニ!
б(≧◇≦)ノ ・・・大型店舗!


そう言えば書店を巡る事情はマンハッタンでも同様らしい。
1年くらい前にNYTでこんな記事を見かけたから。

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Literary City, Bookstore Desert
Surging Rents Force Booksellers From Manhattan


When Sarah McNally, the owner of McNally Jackson bookstore in Lower Manhattan, set out to open a second location, she went to a neighborhood with a sterling literary reputation, the home turf of writers from Edgar Allan Poe to Nora Ephron: the Upper West Side.

She was stopped by the skyscraper-high rents.

“They were unsustainable,” Ms. McNally said. “Small spaces for $40,000 or more each month. It was so disheartening.”


文学の街が書店砂漠に
高騰する賃料がマンハッタンの書店に退場を迫る


Lower Manhattan【ウォール街もあり自由の女神像も遠望できるLower Manhattanにある】McNally Jackson書店のオーナーSarah McNallyが、もう一店舗(a second location)出店しようと思い文学的な声望に包まれたある地区を訪ねたとき。そう、Edgar Allan PoeからNora Ephronに至る作者が住んでいた地区、【セントラルパーク横の】Upper West Sideを訪れたときの話。

彼女はその超高層ビル並みの家賃の高さに愕然として出店計画を見合わせた。

「到底ビジネスを維持できる賃料ではないんですよ」「書店としては少し狭い床面積でも月に4万ドルかそれ以上するのですから。がっかりです(涙)」と、Sarah McNallyは語ってくれた。


Rising rents in Manhattan have forced out many retailers, from pizza joints to flower shops. But the rapidly escalating cost of doing business there is also driving out bookstores, threatening the city’s sense of self as the center of the literary universe, the home of the publishing industry and a place that lures and nurtures authors and avid readers.・・・

賃料の高騰によってピザハウスから花屋まで多くの小売業者がマンハッタンから追い出されている。而して、とどまる気配のないマンハッタンのビジネスコストの上昇によって廃業する書店も少なくない。このことは、けれども、世界の文学の中心というニューヨークの自己イメージを危うくするものだ。多くの出版社の拠点があるニューヨーク、また、そこは作家や熱心な読者を引きつけ育ててきた街なのだから。・・・


In the past, those smaller stores were pushed out by superstores — a trend memorably depicted in the 1998 film “You’ve Got Mail” — leaving book lovers worried that someday, Manhattan would be dominated by chain bookstores.

But now the chain stores are shutting down, too. Since 2007, five Barnes & Noble stores throughout Manhattan have closed, including its former flagship store on Fifth Avenue and 18th Street, which was shuttered in January. Five Borders stores in Manhattan were closed in 2011 when the chain went bankrupt, vacating huge spaces on Park Avenue, near Penn Station and in the Shops at Columbus Circle.

State data reveals that from 2000 to 2012, the number of bookstores in Manhattan fell almost 30 percent, to 106 stores from 150. Jobs, naturally, have suffered as well: Annual employment in bookstores has decreased 46 percent during that period, according to the state’s Department of Labor.・・・

少し前までは、中小規模の書店は超大型書店によって圧迫され廃業に追い込まれていた。そう、1998年に上映された映画「You’ve Got Mail」がよくその様子を描いていたように。その頃は、本好きの間では、マンハッタンは大型の書店チェーンによって早晩席巻されるかもしれないと危惧されていた。

しかし、その大型書店チェーンも今では廃業に追い込まれている。2007年以来、Barnes & Noble書店はマンハッタンの5店舗を閉鎖したけれど、その中にはこの1月に店じまいしたFifth Avenue and 18th Street【銀座四丁目】の旗艦店も含まれている。また、マンハッタンのFive Borders書店チェーンの2011年の倒産によって【マディソンスクエアガーデンやエンパイヤ-ステートビル近傍の】ペン駅の近く、そう、【マンハッタンの名所の一つ】コロンバスサークルのロータリー沿いの商店街にぽっかりと巨大な空き家ができてしまった。

ニューヨーク州の統計資料によれば、2000年から2012年にかけてマンハッタンの書店数は150店舗から106店舗に大凡30%減少している。当然ながら雇用機会も縮小するわけで、同期間に書店の雇用も46%減少。と、ニューヨーク州労働局はそう伝えている。・・・

(NYT・MARCH 25, 2014

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アメリカ全体では、しかし、大型書店はまだ健闘していると思います。つまり、アマゾンと棲み分けている、と。統計資料が手許にありませんから、この認識が間違いなら即撤回しますけれど、アメリカ在住の何人かのブログ友に聞いても大体同じ感想だった。

もしそうなら何が言えるのか。

それはマンハッタンという狭いエリア、しかも、世界の経済活動の中心でありよって賃料が高いマンハッタンという狭いエリアにこだわるから「世界の文学の中心もいまや書店砂漠」などというナイーブでセンチメンタルな認識が出るのであり、その賃料でビジネスができないならビジネスができる賃料のエリアに移転するか廃業しかないでしょうよということ。残存者利益を享受できるかもしれない少数のプレーヤー以外にとってはそういうことでしょう。これは日本でも同様、鴨。

重要なことはその際に、マーケットエリアを半径1.5キロではなく15キロとかに拡大して考えてみること。つまり、自分の書店が奉仕する<地域>をより広い範囲で考えることでしょうか。例えば、「書店が地元にない332市町村」は書店のある近隣の自治体と併せて<地域>と見立てるということ。要は、大駐車場とガソリンスタンド併設の大型書店。もって、<マンハッタン>の拡大。


アマゾンの創業が1995年、日本上陸も2000年。

では、そもそも人はなぜ書店に行くのか。
では、そもそも書店は何を売っているのか。

何を言いたいのか。

それは<物>としての書籍はアマゾンで買えるし、週刊誌はコンビニでも買える。自分のものにはならないけれど、また、いつでもお目当ての書籍が読めるというわけでもないけれど図書館にも<物>としての書籍は溢れている。ならば、書店が売っているのは「数多の書籍が実際に作り出している隠喩としての知的な情報空間で、お気に入りの書物があれば即座に自分の所有物にできる権利を与えられている自分という好ましいイメージ、および、自分と同様な他の人々とそんな好ましい時間を共有しているイメージ」、すなわち、<事>としての書籍だろうということ。

すなわち、書店、そして、いきなりですが、
ある意味、地方創生の鍵の一つは、

<地方>の拡大
<事>の明確化


ではないか。と、そう私は考えます。

・メディア論から考える古書店-古本屋はなぜ潰れないのか
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59466145.html

・海外報道紹介☆京都の<観光開発>に見るマーケティングの欠如(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59531586.html


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テーマ : 地方再生
ジャンル : 政治・経済




隣接こそしていないものの私達の郷里大牟田市から15キロの位置にある、そんなお隣さんの街、福岡県柳川市の中空には<ピタゴラス>が聳立しています。すなわち、「万物の根源は数である」と喝破したピタゴラス(BC582-BC496)の箴言そのままの景色が西鉄柳川駅の駅前では日々現出しているということ。

畢竟、三平方の定理や円周率などというピタゴラス学派の知見の一斑ではない、
<ピタゴラス>の哲学の精髄ともいうべき思想がそこに日々展開されてのです。

私にはそう感じられました。

>万物の根源は数である
>万物の根源は比である
>万物の根源は数学的に理解可能な構造である


福岡県柳川市にはJRの駅はなく、唯一の鉄路は私鉄の西鉄。而して、柳川市の中心的の繁華街の入り口であり、官庁街や伝習館・柳川高校・杉森高校等の幾つもの学校の最寄り駅でもある西鉄柳川駅の駅前では、毎時、20分と50分(正確には19分と49分)発の大牟田行き特急--福岡市の天神町にある線分のもう一つの端、福岡天神発大牟田行き特急--からは多くの人々が改札を潜り柳川の街に溶け込んでいる。

これが「大牟田発福岡天神行き特急」ではないのは、それこそピタゴラスの言う意味での比例の問題。すなわち、残念ながら比較的に見た場合の大牟田市の衰退、ならびに、「福岡天神発大牟田行き特急」の利用者は福岡市だけではなく東京や関西から帰宅・帰郷する人々も少なくないということでしょうか。そう、柳川市と柳川市民にとって「福岡天神発大牟田行き特急」は<博多>や<東京>、あるいは、<ニューヨーク>や<ロンドン>の象徴でもあるということです。


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而して、毎時、20分と50分の大牟田行き特急が到着すると、それらの人々の便宜をはかるべく、あるいは、それらの人々にたかるべく、いずれにせよそれらの人々を目当てにした社会的の活動が始まる。

まず第一に、例えば、西鉄柳川駅発のバスの時刻表は
ほぼこの<ピタゴラス>に基づいて作成されている。

あるいは、柳川名物の川下りの客引きのスタッフの方も--柳川観光開発:0944-72-6177--この時刻に合わせて改札近くで勧誘を行っている(←柳川観光開発さんの「たかり」ではなく「便宜」を慮った「川下り乗船場までの無料シャトルバス」はお勧めです!)。

更には、大切な家族や愛しい人を送迎しにくる路上駐車の数も1時間に2回のこの時刻前後に猖獗を極め、その車の移動を促す警察官や警備員さんとそれらドライバーさんとのバトルも間欠泉よろしく1時間に2回火花を散らしています。

もしくは、週末の夕刻には女子中高生をナンパしようとする柳川の田舎の不良君達も1時間に2回、西鉄柳川駅の改札前に屯し始め、そして、ならばとて、毎週週末の夕刻にはそれらの若者を咎める有志の「防犯-青少年見守り隊」(仮称)の旦那衆も同じくその時間に見守りパトロールに出撃しておられる。


蓋し、ピタゴラスが喝破した如く、

б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は数である!
б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は比である!
б(≧◇≦)ノ ・・・万物の根源は数学的に理解可能な構造である!

畢竟、而して、

б(≧◇≦)ノ ・・・柳川市の中空には<ピタゴラス>が聳立している!


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幽霊の正体見たり枯尾花。柳川市の中空に聳立し柳川を覆っている<ピタゴラス>。ならば、福岡県の中でも大牟田市と同様その街の衰退が隠せない柳川市は<20-50>という<ピタゴラス>に支配されている、ある意味、薄っぺらな存在である。と、私はそう言いたいのか。否、です。

構造というのなら、例えば、東京の地下鉄は--副都心線と大江戸線が開通するまでは、丸ノ内線を嚆矢として--東京駅から郊外に放射線状に伸びているといってもそう間違いはない。また、ご存知、京都市は南北に直交する大路によって碁盤目の街。だからこそ、私の母校・同志社大学の所在地は「烏丸今出川」--北山からJR京都駅までを南北に貫く烏丸通り、および、銀閣寺と北野天満宮を東西に結ぶ今出川通りの交点--として表記される。なにより、天皇制は<構造>そのものであり、もっと言えば、大凡、あらゆる<言語>や<法と道徳>も<構造>でしかなく、それらの根源は<比>であり<数>なの、鴨。

要は、ある現象になんらかの構造、すなわち、<ピタゴラス>が看取できたしても、その現象が十分に理解できたとは限らないということ。その現象には--東京の地下鉄の殺人的分かり難さや、常に古くて新しい両義的な京都の街の佇まい、なにより、ほとんどの日本国民が支持する天皇制の価値を想起するまでもなく--<ピタゴラス>では理解できない内実や内容が含まれているかもしれないということです。

ならば、柳川市の<20-50>という<ピタゴラス>が、西鉄のダイヤ改定にともない、例えば、<10-40>に変化したところで、<柳川>の内実や内容、価値や値打ちはほとんど変わらないだろうということ。


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蓋し、かって、ドイツの検察官キルヒン(1802-1884)は1847年に行った有名な講演『法学の科学としての無価値性について』の中で--法体系は閉じられた意味体系であり、その規範意味は確定している、よって、法曹および法学者の使命はその既にある規範意味を論理的に詳らかにすることに収束すると、そう、占領憲法9条に関する現在の朝日新聞の論調の如く、牧歌的に考えていた--当時の独仏の法学界を風靡していた概念法学的な潮流を嘲笑しつつ糾弾してこう述べた。同志社大学時代の恩師・八木鉄男先生の名訳を引用しておけば、

実定法のおかげで法学者たちは、腐敗した木ばかりを食って生きている蛆虫になりさがった。実定法は、それら蛆虫どもが健全な木を見捨てて巣くいうごめく病める木にほかならない。法学は、偶然なものを対象とすることによって、それ自身が偶然的なものとなっている。すなわち、立法者が三つの言葉を訂正すれば全文庫は反故になる、と。

換言して敷衍すれば、

占領憲法のおかげで憲法学者たちは、腐敗した木ばかりを食って生きている蛆虫になりさがった。占領憲法は、それら蛆虫どもが--日本社会の実定法秩序そのものである--健全な木を見捨てて巣くいうごめく病める木にほかならない。戦後の憲法学は、--占領下の政治力学の赴くところ僅か1週間程度で、しかも、ニューディール政策を信奉するリベラル派の残党が巣くった当時のGHQが起草したという--偶然なものを対象とすることによって、それ自身が偶然的なものとなっている。すなわち、立法者が三つの言葉を訂正すれば護憲派の全文庫は反故になる、と。

б(≧◇≦)ノ ・・・三つの訂正のことばによって全書庫が反故になる!


畢竟、八木鉄男『法哲学史』(世界思想社・1968, pp.86ff)によれば、しかし、『法学の科学としての無価値性について』に込められたキルヒンの真意は、構造を通して構造を超えること--実定法を貫いて実定法秩序の規範意味に至ること--の呼びかけであったとも言えるらしい。

ならば、八木先生の理解に従えば、蓋し、2014年7月1日に粛々と行われた安倍内閣による今般の集団的自衛権の政府解釈の変更は、<憲法>という健全な木そのものを取り戻した素晴らしい営みであり、文字通り、それは--統治行為マターに関する限り、内閣および国会という正当な--立法者が三つの言葉を訂正することによって護憲派の全文庫を反故にした安倍内閣の歴史に残る業績の一つではないか。と、そう私は考えます。


б(≧◇≦)ノ ・・・よくやった安倍総理!


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さて、柳川のこと。水郷柳川。北原白秋や廣松渉、あるいは、第三代の同志社大学総長を務められた海老名弾正先生やオノ・ヨーコー氏の祖父でその同志社に学び後に日本興業銀行第四代総裁を務めた小野英二郎氏の出身地でもある柳川。1952年の市政が敷かれる以前は「柳河」と表記されていたらしい現在の「柳川」は人口7万人弱の落ちついた、逆に言えば、観光以外にはこれといって産業のない街です。正直、そう言えなくもない、鴨。

けれども、言うまでもなく、柳川は関ヶ原で西軍に与して一時冷や飯を喰うもその後、徳川宗家に好感をもたれ旧領の一部を与えられた藩祖・立花宗茂公以来の城下町であり--あっ、今の柳川高校(昔の「柳川商業」)の敷地が柳川藩の城跡です--、実は、私達の郷里、福岡県大牟田市の中核部分を占める旧三池藩はこの柳川藩の<支店>でした。

そう、柳川の中空を覆う<ピタゴラス>の向こうには誇らしくも落ちついた歴史があり--現在、駅前ロータリーの全面改装中ということもあり--警察官や警備員の毅然とした交通誘導規制をかいくぐって、日々、夫や妻、娘や息子、孫や祖父母を西鉄柳川駅の駅前まで送り迎えする人々の情愛が溢れている。

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ならば、観光以外にはこれといって産業のない街であることの何が悪いのか。
と、そう私は考えます。

今回野暮用でおよそ20数年ぶりに柳川を訪れて私はそう真面目に感じました。
なにより、70分間足らずだけど川下りは落ちつく。
柳川名物・鰻の蒸籠蒸しは美味。

あるいは、それが柳川にある必然性はないものの柳川にそれがあることが今では自然なラーメン店・蓬徳は--要は、もちろん、かなり小さな変化ではあるだろうにせよそれが今なくなれば<柳川>が<柳川>ではなくなってしまうようなそんな西鉄柳川駅の改札直近のお店ですけれど--文字通り落ちついた良い味を出している。これ、京都は清水寺や銀閣寺前のソフトクリーム屋さんや牛丼屋さんとは全然違う。

それこそ<東京ラーメン>が<柳川>に編み上げられていると言うべきでしょうか。これ正に、西洋伝来のセーラー服が現在では日本の女子校生の<文化>となっているのとパラレルに、あるいは、米国伝来のベースボールが現在では日本の<伝統>になっているのとあるいはパラレルな構図、鴨。

そして、これまた柳川名物の鰻の蒸籠むしは個々人の好き好きでしょうが、ここでも「落ちついた良い味を出している」というポイントを基準に私は、西鉄柳川駅の駅前交番のはす向かいの古蓮(0944-72-0026)が一番気に入った、鴨。肩ひじ張らない親しみが持てる落ち着いたプチ高級店という感じだから。

と、いうことで機会があれば柳川を一度お訪ねされるのも一興、鴨です。
毎時、20分と50分発の福岡天神発大牟田行き特急を利用して。


ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿



P/S
西鉄柳川駅の近傍には--特に、観光客で賑わう土日祭日は--ほとんど駐車スペースがない。よって、いずれにせよ、西鉄大牟田線のご利用をお勧めします。ちなみに、大牟田方面から訪れる場合、西鉄大牟田駅発天神行き上り特急は--集団的自衛権の政府解釈変更が粛々と行われた2014年7月1日現在--、大体、毎時<22-52>です。

また、立憲主義から見た集団的自衛権政府解釈変更の問題、および、<文化>と<伝統>の歴史的と論理的な重層性についてはについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62554338.html

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html


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古蓮

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KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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