「里山資本主義」(角川書店・2013年07月)藻谷浩介。副題は「日本経済は安心の原理で動く」 

2011年の東日本大震災のあとで話題になった本である。
あのときは、なんとなく一部でブームという雰囲気があったので、天邪鬼な私としては手を出しづらかった。
みんな、そろそろ忘れたころなので、安心して読むことにした(苦笑)。 

そもそも「里山資本主義」なる言葉自体が著者らの造語である。
では、その反対語は何か?「マネー資本主義」である。

 米国経済も、そもそも製造業を主軸としていたのだが、90年代に日本に完膚なきまでに叩き潰された。(ジャパンアズナンバーワンの時代)
 自動車も家電も日本の一強時代となり、職を失った米国の労働者が日本車を叩き壊した時代である。
で、日本企業は海外現地生産に大きく舵をきることになる。 

一方、米国は瀕死の自動車産業にてこ入れすると同時に、もうひとつの成長産業を生み出した。
それがITと金融である。


そして、その金融は実体経済をはるかに上回り、世界中を動きながら、すべての産業を投資対象という「商品」にしてしまった。
いまや、実体経済が金融経済に飲み込まれ、金融の動き次第でどうにでもなる。
 金融には国境がないから「グローバル経済」の波に全世界の人々が飲み込まれていくわけである。(グローバリズム)

 そこに、カウンターカルチャーとして登場したのが「里山資本主義」である。
ようは、大昔の里山であった「晴耕雨読」の生活を現代によみがえらせよう、という試みである。
 本書の中では、自然農法による農作物生産やたきぎの効率的な利用法であるエコストーブ、木質バイオマス発電などが紹介される。
バイオマス発電で脱原発をしましょう、という話ではない。


 本書のなかにあるように、それは現実的でもないし、目的でもない。
そうでなくて、地域経済の中で「燃料代」が外に流れていかないことが大事なのである。
そうすれば、地域外にお金が流出することが減る。流出が減ったお金は、地域の中で回り始める。
さらに「手間返し」といった、貨幣以外の価値の交換もはじまるだろう。


グローバル経済と正面向かって戦って勝てる経済体制は難しいし、現実的でもない。
しかし「ゲリラ戦」はできる、というのが本書の主張なのである。


そういうローカルな地域での「サブシステム」として里山資本主義が動きだせば、グローバル資本主義にじわじわと抵抗する、強靭な経済が出来上がることになる。
 自分で育てた野菜を食べ、釣った魚をたきぎで焼いて食べればGDPではゼロだが、しかし、彼の夕食は豪華で、しかもマネー資本主義に左右されない。

 

評価は☆☆。
 反グローバリズムって、こういうことだと思う。


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移民を制限して(それは別にいいけど)管理貿易を徹底し、内向きの経済体制にする。
そういう体制にすれば、反グローバリズムでやっていけるのだ、という論者が一部にある。
しかし、たぶん、それは駄目だろう。


 売れなければ買えなくなるのが市場主義の原則だ。
 動きの鈍いマネーは、それだけで食われる対象でしかない。


 管理貿易の網から逃れたところで、特権階級がうまい汁を吸うだけの結果になる。統制経済、全体主義のいたる結論は常に同じなのである。
それよりも、マネー資本主義で使えるところは使えばいい。


テキトーに付き合って、その裏で、ちゃっかり里山資本主義というサブシステムをまわすのだ。
 正規軍の戦いでは歯が立たないが、ゲリラ戦になればこっちのものだ。


なにしろ、その地形地勢を知りぬいた里山がこちらにはある。勝てないまでも、負けない戦いはできるのである。

 この本は、サバイバルの本なのである。
マネー資本主義とグローバリズムの真っ只中で、死なないために。
かといって、勝てない戦いをしないために。生き延びるために、里山に逃げ込もう、と誘っているのである。

 そうだそうだ。駄目なら逃げろ、とっとと逃げろ。
 三十六計逃げるにしかずと、昔から申す。 逃げるは恥だが役にたつ!!
そんな生き方があってもいいんじゃないかねえ。


転載元: 50過ぎて悪あがき(往生際が悪い男のブログ

 

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 <KABUコメント&関連記事>

私は、人間に「欲望・見栄」がある限り「里山資本主義」なるものは不可能であり、

「里山資本主義」などは、そう、アーミッシュとかヤマギシ会の域をこの主張は超えられないと思います。

 ・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:
  岡上地区-完全包囲編(七)←後半に「里山」のこと少し整理しています。
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b787614799ea209b634aa105fc7a7378


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飯豊青皇女


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◆日本の英語教育はどう変えるべきなのか
 --「自衛隊入隊」の路を誰しもとれるわけでもないのだろうから・・・


本稿の主張の核心部分に入ります。日本社会を覆っている、
英語力および英語教育を巡る誤解と妄想を治癒するための
具体的な鍵は何かという問題。再掲します(↓)。

>日本社会を覆う英語力および英語教育に関する誤解と妄想を治癒する鍵
(1)英語はコミュニケーションツール、英語力はコミュニケーションスキル
 →文法・構文・英文和訳に重点を置く「受験英語」は駄目ですってば!
(2)詰め込み教育は英語嫌いを拡大再生産する悪しき研修スタイルなんですよぉ~!
(3)英語力の目標はネーティブスピーカーのコミュニケーションスキルしょ!



▽日本人と日本市民にとって英語とはなんだったのか
英語学や英語教授法の研究者志望の方々、あるいは、もの書きさんやインテリさんを除く私達のような一般ピープルを想定した「英語研修」に話しを限るとき、蓋し、(1)の前段は必ずしも間違いではないでしょう。しかし、後段は間違い。なぜならば、前述の如く英語は一つだから。繰り返しになりますけれども、文法・構文・語彙の習得はコミュニケーションツールとしての英語の核心なのであり、ならば、「受験英語」なるものは--音声面を除けばですが--、英語のコミュニケーションスキルを開発する上でも、かなり優れた<英語教授の仕組み>だったと言えるからです。

裏から言えば、所謂「日常英会話」のスキルなるものは--自己紹介/他己紹介、道案内、買い物、レストランや歯医者の予約、公共交通機関の利用、電話伝言処理、そして、我が街の紹介/日本の紹介、採用面接対応、夏休み/新婚旅行のエピソード紹介等々をなんとか披露する程度の英会話スキルなどは、実は--、先に書いたことと矛盾するようですが、英語力の内容的にはかなり簡単な初級の部類ともいえる。要は、6カ月のアメリカでのESL研修でそれはほ調達できる程度の技能ということ。ならば、①国と地域と保護者と<子供達>が総掛かりとなって、②その程度の情報のやり取りを英語でできるようにすることが、しかも、③原則、すべての<子供達>がそうできるようにすることが、初等中等教育の目標や目的なのでしょうか、ということ(★)。

>日常英会話のスキルなどは、寧ろ、簡単に習得できる技術!
>日常英会話力の<子供達>への<標準装備>が日本の英語教育の目標・目的なの?

б(≧◇≦)ノ ・・・そんな目標・目的はおかしいいだろぉー!


★註:日常英会話スキル:「張り子の虎」あるいは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

道案内、スーパーでの買い物。イギリス人の彼氏や彼女と愛を語らうための英会話力、もっと言えば、営業にこられたオーストラリア人の方の説明を聞き質問する程度の英語でのコミュニケーションスキルなど、必要とあれば、誰でも--日本人留学生同士で終日、日本語でおしゃべりすることがなければ(笑)--英語圏のESLに行けば半年といわず4カ月足らずで身につくもの。ということは、必要とやる気があれば、留学などしなくとも、--山形県と秋田県と宮城県の3県の県境あたりでも、兵庫県と岡山県と鳥取県の3県の県境あたりに住んでいらしても--自学自習で(ほんと、良い英和中辞典がそろい、また、良い教材がほとんど無料でいくらでも利用できる時代なのですからね、今は)誰しも1年から1年半年程度で身につけることが十分可能ということ。

先に、「840」時間という数値を挙げて説明した困難さは、だから、(イ)<840>のボリュームがこのかなり簡単な目標にさえ届かないという指摘、および、(ロ)現在の<840>の中味が、寧ろ、この日常会話研修を見据えたとしても合目的的ではないという認識から述べたことなのです。ならば、ましていわんや、その程度の、<840>から見れば高峰にせよ、富士山に比べれば神奈川県の大山程度の、寧ろ簡単な、ゆえに個々の子供達の労働力商品としての--国際競争の労働力市場における--比較優位性を引き上げる効能に乏しい、かつ、他の英語スキル開発のための基盤とはなりにくい、単発もののスキルアイテム。貴重な初等中等教育の840時間、少なくとも、そのかなりを割いて、そんな低付加価値で汎用性の乏しいスキルを、原則、すべての子供達に身につけさせるなどは社会的資源の無駄遣いに他ならない。そう私は考えるということです。

>営業を受ける英語力と営業する英語力は別次元
>愛を語らう英語力と愛を清算する英語力は別次元
>理科系技術者に要求される英語力と史学や法学の研究者に要求される英語力は別次元

アメリカに行って営業する。あるいは、1時間のプレゼンテーションを行い、その後の1時間の質疑応答、更に、1時間半程度のレセプションを(←三番目はビールかバーボンの力が借りられる、鴨!)乗り切って、アメリカの機関投資家から資金を調達する。または、ニュージーランド人の彼女や彼氏ときちんと別れ話をして(「できちゃった!」の可愛い我が子がいる場合には、親権と養育費負担配分について)、離別・離婚を巡る自分の希望を相手と現地の英語圏コミュニティーに認めさせるために必要な英語力は、上に述べたのとは別次元の上級タイプのものです。それらは別物であり別種目。その差は、相撲とキックボクシング、あるいは、チェスとカーリングの違いほどではないにせよ、少なくとも、サッカーとフットサル、あるいは、陸上の100メートル走と棒高跳びくらいの差は確実にある。しかも、世界大会と県大会のレベル差もともなって。

あのー、ここも、「普通の英語は一つ」という先に述べた命題とは別の位相にあり矛盾しませんから。それらは各々別の位相で--逆に言えば、確かに、「受験英語」と「日常会話」が異なって見えるように、否、実は、指導技術的に厳密に言えば、TOEFLとTOEICさえ最適な対策計画立案の観点からは別の英語系種目であるように--成立する表象であり認識。ならば、「愛を語る」のではなく「愛をかたずける」ために要求される、このより上級カテゴリーの英語でのコミュニケーションスキルの研修プログラムはその内部で更に細分化され、より特化されたものでなければ本当の意味では効率的とはいえないのです。

L(^◇^)/・・・英語は一つ!
L(^◇^)/・・・英語にも「松・竹・梅」の違いはある!

蓋し、自衛隊の英語研修は、これら、上級・中級・初級の区別、また、上級なら上級のその内部での細分化に配慮されたものと言える。大田エイミーさんの感動はそこに起因するのだろと思います。






日本の「受験英語」は--もちろん音声面を除けば、ですけれど--ESL/EFLの研究分野では英米でも専門研究者から高く評価されてきた。だってそれは、ほとんど英語話せないにせよ、極東の普通の高校生が、英国や米国の高校生にとってもそう容易ではないタイプのテクスト、極めて高いレベルの評論や論説文を読み解けるようにはしてきたのですから。これ歪といえば歪なこと。それは確かにシュールな光景ではある。しかし、ほとんどの日本人と日本市民にとって、英語は、それを使うとしても文献を読んで意味を理解するだけの用途しかなかった時代が幕末から長く続いていたことはまぎれもない事実。ならば、そんな時代において、「受験英語」は日本の英語教育において<最適解>の一つだったのだと思います。

しかし、時代は変わった。きっぱり。はい、残念ながらそんな「古き良き時代」は、ルーズソックスの軍靴の音と共に1990年頃には、遅くとも、<9・11>の衝撃と共に2001年には終わった。若き伊藤博文が倫敦で注がれたような、あたかも「素朴かつ崇高なる未開人」に与えられるかのような好奇と好意の眼差しを日本人と日本市民が期待できた時代は終わった。倫敦の漱石がそうであったように、極東からの異邦人が陥る陰鬱な葛藤と日本人と日本市民が戯れていられた、そんな甘酸っぱくも優雅な時代は終わった、とにかく、リーマンショック(2008)の時点までには日本人にとっての英語を巡る<ベルエポック>は確実に終わってしまっていた。

この同じ時期に、フランス流の「天賦人権論」「社会契約論」「近代立憲主義」、ならびに、独仏流の「唯物史観-ホイッグ史観のバトンを受けた地球市民的な世界観」「価値形態論-剰余価値説」「疎外論-物象化論」といった有象無象の、しかし、すべて「概念実在論」の基盤の上に聳えていた諸々のファンタジーの神通力はソヴィエトの崩壊をBGMにして消滅した。更に、それらが、--個別日本においては所謂「戦後民主主義」なるものが筋悪の新作落語の類であったことが露呈し、要は、所謂「進歩的文化人」なるものが、「仲間内でしか通じない無内容な思い込み思いつきを深刻そうな表情で偉そうに呟く籠城中の城内の芸人」の一種であることが露見し、もって、内外の諸々のリベラル派の言説が--、単なる<文化帝国主義の醜悪な残滓>であることの赤裸々さを地球規模で暴露されだしたのとパラレルに、この同じ時期に英語は<宝物庫の鍵>ではなくなり<普段着>や<台所用品>の一種になったのだと思います。


・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65200958.html

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、
<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79

・立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/44eedad84676b8f4cee93611c9b5dc2c

・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/45e30175093f17dfbbfd6b8234b89679


だが、しかし、だからといって(←ここ、朝日新聞の社説子の口振りのパロディー)、「受験英語」が果たしてきた機能・効能を総否定することは本末転倒であろう。寧ろ、今こそ、「受験英語」が提供してきた英語の基礎基本、コミュニケーションツールとしての英語の基盤を子供達に--英語力で将来世過ぎ身過ぎしようというタイプの子供達には特に--、音声面強化済みの「受験英語-2.0」にバージョンアップした上で提供するべき秋(とき)ではないでしょうか。





▽日本人と日本市民にはどんな英語力が求められているのか
蓋し、(2)(3)は表裏一体の妄想。なぜならば、英語のNSの英語でのコミュニケーションスキルを目標にすることは原理的に不可能であり、ならばとて、もし、その漸近線の手前までは迫ろうとするならば、最低でも、その卒業生の高い語学力に定評があった、かっての旧制高校並みの時間数を--しかも、実は「高校入学時点」でかの弊衣破帽姿の旧制高校の新入生と同程度の英語力をつけるべく、小学校・中学校においても!--英語に傾斜配分しなければならないでしょう。極論をいえば--というか、研修と研修の効果の相関関係に関する相場感を踏まえるならば、寧ろ、「筋論」からすれば--、日本人と日本市民の子供達を小学校入学と同時に英語圏に全員留学させるか、または、お雇い外国人スタイルにならざるをえないと思います。

受け手送り手双方が担うそのあまりの負荷の大きさと研修の成果物の社会的価値の漸減を突きつけられて明治もその前半で幕を降ろした、お雇い外国人スタイル。授業はもちろん、ほとんどの課外活動もすべて英語でNSから直接、かつ、10人程度までの少人数で習うというスタイルを導入しますか、ということ。

それは、しかし、現在の840時間でさえ、他教科との兼ね合いで必死に捻出された840時間であることを想起すればほぼ不可能。実際、それがいかに非効率な840時間とはいえ、そのために多くの中学・高校(現在では小学校でも!)の先生方は誠心誠意努力しておられる。

公立学校の教師の、寧ろ、それが<本業>といえる、部活顧問・生活指導・進路指導・地域対応、等々の厖大な業務が漏れなくペーパーワーク附きで課されている状況下(★)、先生方は--「教え子を二度と戦場には送らせない」とかとか呟いて、優雅な政治遊戯にかまけている日教組・全教の「教師を詐称する教育を放棄した反日活動家」はもちろん除きますけれども--誠心誠意努力しておられる、そう言えると思います。


★註:実は頑張っている日本の先生達

日本の保護者の6割は「学校にわが子の学力向上の効果を期待していない=学力は塾・予備校でつけてもらうもの」という調査データが公表されたのはもうかれこれ10年近く前のことだったと記憶しています。もっとも、その後、この数字のあまりの派手さゆえにか、あるいは、差し障りがあったのか、現在ではベネッセさんの質問項目自体が「基礎学力の養成に期待するか」なんちゃらに変わって、現在では「おおいに」と「あるていど」を併せると95%前後の回答者が「学校に期待する」と返答していますが(嘲)、実情は10年前と今とそう変わりはないようにも感じます。

家計の可処分所得が実質シュリンクしたリーマンショック後、第2次安倍政権成立までのデフレ期間も、少なくとも、「希望ベース」では(公立校のブランド力がまだまだ堅固な北関東および根強い大阪圏は別様相にせよ)首都圏を中心に、半数を優に超える保護者が「できることならばわが子は私学に通わせたい」と考えている。このことは民間・公立を問わず教育関係者の常識でしょう。マーケティング的にはこの「希望ベース」というのはかなり重要。もちろん、それは「希望」だから「有効需要」との相関関係は緩いのですけれど--よって、すぐキャッシュに化ける商品の開発には2次的数値だったりしますが--、マーケットが本当は欲している商品、すなわち、提供の仕方と価格設定によっては「お化け商品」になりうる商品イメージの核心をそれが貫いている蓋然性が高いですから。




これらのことを想起するとき「選択肢A:旧制高校」も「選択肢B:お雇い外国人」も、そして--この選択肢には、「じゃ、日本語の指導はどうするの」という素朴な疑問もでるでしょうから、もちろん--、「選択肢C:ピカピカの小学1年生から入学式終了後--6年間または義務教育の9年間--ただちに全員もれなく強制アメリカ留学」のどれも画餅にすぎない。そうではありますまいか。

逆に言えば、ならば、皇紀2676年、平成の御代の日本は、最早、<お雇い外国人講師><弊衣破帽><全員留学>が<最適解>であった古き良き時代ではないということ。加之、--本当は生成文法論とは直接関連はしませんが、チョムスキーの唱える、あらゆる自然言語の基盤にある、その上で個々のアプリケーションソフトたる英語や日本語という各々の自然言語(=各自の母語)が作動可能となるもの、謂わば「人間の言語能力:language competence」のOS(オペレーションソフト)ともいうべき「普遍文法:universal grammar」の存在を仮想するとき--英語でのコミュニケーションスキルの前提も、日本語の母語話者である日本人および日本市民の<子供達>にとっては日本語能力、要は、国語力である。そして、国語力も含めた学習の基盤はセルフマネージメントスキルの品質。自己の行為や生活、他者に対応する言動を自分自身で規律できるディスシプリンの質である。

而して、更に、それらの基盤の基盤には、神州の一員である自覚、換言すれば、この万邦無比、天壌無窮にして皇孫統べる豊葦原之瑞穂国のメンバーたることの覚悟とプライド--日本市民にとってはそのような日本人と共存共栄している自分という、そんな誇りある在日外国人としてのプライド--でないはずがない。ならば、

б(≧◇≦)ノ ・・・英語より国語だろ-!
б(≧◇≦)ノ ・・・国語よりディスシプリン、礼儀作法だろー!
б(≧◇≦)ノ ・・・なにより、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国のイデオロギーだろ!
б(≧◇≦)ノ ・・・寧ろ、英語の時間は減らして国語と道徳を手厚くしたらどうだ!

英語教育論的にもこう言えるのではないか。蓋し、平泉渉さんが(そして、前述の如く、実は、渡部昇一さんもなのですが)提言された如く、(X)すべての子供達に共通の到達目標を設定すること自体が間違いなのです。(Y)適性もあり英語力を活かした進路を希望する子供達には英語重視で、そうではない子供達の英語の負担は相対的に削減するべきだ。(Z)いずれにせよ、英会話幻想から--英会話は難しい、けれども、英会話ができることが英語でのコミュニケーションスキルがあることなのだという大きな勘違いを--脱却して、初等中等教育においては(音声面、特に、リスニングの強化を織り込んだ上で)文法・構文・語彙の基盤形成に注力すべきなのです。

畢竟、教育とは、就中、取り敢えず自分とは疎遠な非母語の習得とは論理的に<詰め込み>以外のなにものでもありえない。問題は--トレーニー個々の適性、ならびに、モティベーションおよびマインドセットを織り込んだ--<詰め込み>の仕組みの出来映である。このように私は確信しています。

(X)研修目標自体の多様化
 ・・・<子供達>に各自の能力・適性、および、
 ・・・<家庭の教育力・世界観>に適合したオーダーメイドの目標設定を!
(Y)研修の個別化-オーダーメイド化&テイラーメイド化
 ・・・上級中級初級のレベル差、各レベル内での種目差を直視しよう!
(Z)文法・構文・語彙(+リスニング)という基礎の強化
 ・・・<詰め込み>の復活、「受験英語-2.0」の逆襲!


元全国区の予備校で英語教育推進部長を務め、また、20年近く大学院留学予備校で教務部長・主任カウンセラー・講師を務めた--例えば、多くの上場企業の企業派遣研修と中央官庁からの人事院枠海外研修に携わってきた経験から、また、私のなにより誇りとすることは、自衛隊から米国MBA・行政学/国際関係論の大学院に派遣される隊員の方々の留学準備サポートを5年間自身直接担当した経験から--私はそう断言します。

而して、自衛隊の英語研修は、実に、これら(X)~(Z)のすべてに目配りされた合理的、よって、効率的・実践的なプログラムである。ですから、「子供を英会話できるようにしたいなら英会話スクールに行かせなさい、あるいは、自衛隊に入隊させなさい」と書いたのはネットウヨ風の冗談的の物言いではないのです。畢竟、日本の英語教育の問題について、繰り返しを恐れず、マルクスが『ユダヤ人問題によせて』(1844)の掉尾に記したレトリックを借用して敷衍するとすれば、われわれ保守派の市民はこう考えるべきなの、鴨です。みなさんはいかがお考えでしょうか。

б(≧◇≦)ノ ・・・<子供達>の英語教育における解放は、
б(≧◇≦)ノ ・・・英語教育の平等幻想からの解放である。
б(≧◇≦)ノ ・・・「受験英語」の逆襲はその鍵をなす。


そして、最後に、
このことも、また、

∠(^◇^)/・・・まだでしたら、『MAMOR』の定期講読をお薦めします!
∠(^◇^)/・・・近隣の高校や図書館とかに定期購読をお願いしましょう!

URL: http://www.fusosha.co.jp/magazines/mamor/

その際、例の「船橋焚書事件・2001」--船橋市西図書館における司書・土橋悦子(元日本国際児童書評議会理事!)が保守系の図書・雑誌100点以上を不適切に廃棄処分していたことが発覚し、最高裁から損害賠償・慰謝料請求の命令が下された事件--のような、リベラル派による不埒な行いがなされないか、保守系の市民・教職員(←あっ、日本では7割を超える市民が保守派なのだからここは、単に「市民・教職員」と書いてもいいのですよね。)が監視するアフタ-ケアーやメンテナンスも必要なの、鴨。子供達のためには。孰れにせよ、

∠(^◇^)/・・・日本の<子供達>のために、共に闘わん!








 


▽日本の英語教育は駄目なのか、
 --駄目だとすれば、なぜ、駄目なのか

>中学・高校で6年間も英語を学んでいるのに大部分の高校新卒者が
>簡単な英会話もできないのは英語教育が間違っているからではないか

問題はやはりここ、鴨。それは、上のような主張をされる論者が、その所謂「簡単な英会話」なるもので、どのようなこと/どの程度のことを英語のオーラルでできることと考えておられるか自体に、実は、初歩的な/致命的な(crucial or critical)「英語力」に関する誤解があるのではないかということ。蓋し、「中学・高校で6年間も英語を学んでいるのに大部分の高校新卒者が簡単な英会話もできないのは英語教育が間違っているからだ」という認識は間違っています。考えてみてください。英語が中学・高校で通算何時間教えられているかを。

平均的な公立校では(「1時間」=50分)、中学校では年間105時間、3年間で315時間。高校では175時間、3年間で525時間(中高一貫の名門校では630時間~780時間)。これを年35週に振り分けて提供している(しかも、あの「ゆとり教育」の時代には中学・高校で学ぶべき単語数は最大2200語に減らされていたのです!)。

而して、--少人数のグループ形式にせよ一斉授業形式にせよ、要は、50分のなかで一人の生徒が発話応答できる自分の(exclusively, my own)時間は「5人のグループレッスンだとしても平均10分にしかならない」ことは度外視するとしても、なぜならば、一斉授業形式は、自分より優れている/劣っている仲間の応答を見聞きすることで自分だけの個人レッスンよりも理解が深まる利点は侮れないですからね--中学・高校の6年間の学習とは840時間、すなわち、アメリカのESLコース(例えば、6時間レッスン)に換算すれば140日、要は、半年足らずの研修なのです。

例えば、カリフォ-ルニアやニューイングランドでの6カ月のESL研修で身につく英会話力が「簡単な英会話」ができるスキルであるかどうかは置いておくとしても、その6カ月のESL研修の、しかも、その「6カ月」を「6年間」に12倍に希釈して行われる研修に相当するものが。加之、アルファベットの識別もまだ怪しいメンバーもいる<子供達>に対して、肯定文と疑問文と感嘆文のイントネーションの特徴、可算名詞と不可算名詞の区別(≒定冠詞と不定冠詞の区別)、be動詞の人称変化・時制変化、あるいは、三単現の「s」から始まる840時間の英語研修。「簡単な英会話」なるものをどのようなものと論者が理解されていようと、この<840>で、そのようなスキルを、かつ、ほとんどの<子供達>が研修納期の高校卒業時に身につけることができるようになるのは難しいのではありますまいか、ありますまいか。

蓋し、--冒頭に書いた「保守派の日本人と日本市民にとって英語力は死活的に重要になってきている」という認識と表裏一体の現実として、現在でも、しかし、大部分の日本人にとっては生活の糧を得るために英語力が必ずしもマストではない状況、要は、英語スキル習得のモティベーションが必ずしも高い<子供達>ばかりではなく、よって、研修に向けたマインドセットが整っているとは言えない<子供達>が少なくない状況を鑑みるとき--この840時間だけで「大部分の高校新卒者が簡単な英会話ができる」ようになるとすればそれは奇蹟に近く、ならば、そうなっていないのは日本の「英語教育が間違っているからだ」考えるのは、100円もってマック(←関西では「マクド」)に行ってフレンチのフルコースが注文できないのはおかしいと思うのと同じくらいおかしい認識ではないでしょうか。



現在、保守派の日本人と日本市民の子供達に求められている英語力とは英語でのコミュニケーション能力のことである。この主張や認識を是認するとしても、しかし、コミュニケーションツールとしての英語なるものは、結局、--もちろん、音声面を加味した上でではありますが--文法・構文・語彙の<情報>以外には存在しない。この認識が日本の英語教育に批判的な多くの識者(笑)に欠けているのではないか。と、私はそう考えます。

畢竟、所謂「受験英語」なるものは「入学選抜ツール仕様」に組み立てられた、しかし、普通の英語にすぎないのです。而して、この経緯は大なり小なり、TOEICでもTOEFLでもIELTSでも、SATでもACTでも国際バカロレアでも、GMATでもGREでもLSATでも、あるいは、プレゼンテーションやパブリックスピーキング、ビジネスライティング、そしてなにより英会話なるもの自体において扱われる「普通の英語」の加工作業と全くかわらない。

これまた簡単な話であって、例えば、英会話ができないというケースのほとんどはリスニング能力の不足がその原因であり--会話とは言葉を使った「キャッチボール」なのですから、相手の投げた球を捕れなければその段階でゲームセットになるということ--、そのリスニング能力の不足とは、音声の形式をとった、語彙力・構文の知識、そして、文法の知識の不足なのです。ならば、畢竟、「文法=答辞論」を、(a)語の配列のルール、および、(b)語の変化のルールの総体と捉えるとき、文法と無縁な英会話などがこの世に存在しえないことは明らかではないでしょうか。

敷衍します。例えば、あの新宿駅西口の雑踏(呆)の中でも、英語のネーティブスピーカーが英語アナウンスをなんなくを聞き取れるのはなぜか。また、凄まじいあの中央線快速の満員電車(怒)の中でも、彼等が欧米のインテリさん向けの英語雑誌なんかも斜め読みできるのはなぜか。はい、その理由はただ一つ。それは、彼等の、①--音声の形態をも含む--語彙力と、②「今聞こえている/今見ているセンテンス・フレーズ・語の次にどんな<球:センテンス・フレーズ・語>が来るか予想できる」能力--そう、「さっきが内角高めのストレート、その前が外角高めのすっぽぬけのくそボールやったさかい、次は外や、それも低め、ストライクゾーンぎりぎりボール気味のツーシームや、間違いあらへん」てな予測する力--があることです。で、あのー、これって(もちろん、語彙の音声面をも含むものの)「単語「構文」「文法」の<知識>の優位性そのものではないでしょうか。そうではありますまいか。

 

・鳥飼玖美子『TOEFL・TOEICと日本人の英語力』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4cb2bf2c2ab2f76d99b6471ea4890ac0

 


検算。大事なことなので検算しておきます。私の上の主張に対しては、「確かに、どんな英語も--「このセンテンス/フレーズは非文である」という判定を含めて--文法的に説明可能なのでしょう。けれども、例えば、日本人が日本語を使うとき、この語句は「サ行変格活用だ」とか「間投助詞の敬語的用法かも」とかいちいち考えていないのと同様、文法的な知識とは位相を異にする、別位相でのコミュニケーションスキルは存在するのではありませんか。そして、もしそうならば、あるべき英語教育も、もちろん、文法的知識と無縁ではないにしても、逆に、文法・構文・語彙に英語教育を特化したり、それらに傾斜配分することが正当化されるわけではないのではないですか」、という反論を予想します。このような反論は、自分が英語を話せなかった頃をきっぱり忘れている、英語が好きで好きでたまらなかったかっての少年/少女系の論者にまま見られるもの。でもね、ですけれども、所謂「言語習得の臨界期仮説:critical period hypothesis」を前提にするにせよしないにせよ、ある自然言語(a certain Natural Language)のネーティブスピーカー(NS:NS of a certain language)とノンネーティブ(non-NS:non-NS of the language)の差違を看過した謬論にすぎない。と、そう私は考えます。

チョムスキーの生成文法論パラダイムとの関連はここではパスさせていただきますが、(α)自分の内面世界とは本質的に疎遠なある言語を--すなわち、「意識とはなにものかに対する意識である=自分の意識は言語の形式でしか自己に認識されえない」というフッサールの「志向性」の概念が喝破した経緯、換言すれば、自己の意識を形成する母語、換言すれば、自己の内面世界を形成している言語ではない非母語を--、かつ、(β)大人が真面目に議論するに値する内容を盛り込んだ主張・認識・情報をやり取りできる程度にまで、(γ)どう遅くとも10歳以上の生身の人間が、(Δ)母語に加えて習得しようとする場合(「学習」ではなく「習得」に限ったとしても:not learning but acquisition)、文法的な知識は不可欠だろうからです(★)。

★註:コミュニケーションスキルとしての英語力の精髄--文法力の風景

例えば、もちろん、池袋や錦糸町で屯する、偏差値50以下の下位校や40以下の底辺校の女子高校生でも、おそらく、日本語は話せる、多分。なんとか頑張れば新聞の社会面くらいは読んで理解できるかもしれない、少し不安。けれども、そう、「講談社現代新書1冊、①どれでもいいから1冊読んで、②内容を要約して、③aその書籍が論じていたイシューに対する自分の意見を、③b根拠を添えて、④400字原稿用紙2枚にまとめなさい、⑤作成制限時間は講読時間は除き45分」という課題を与える場合、その悲惨な結果は言うまでもないでしょう。まして、いわんや、30未満の最底辺校の子供達の場合にはほとんど<冗談>か<前衛劇>か<朝日新聞の社説>的の光景が展開されることは確実ですから。

他方、例えば、アメリカでアメリカ人の学部学生が、彼女や彼が自国のMBAやJDプログラム(ロースクール)に進みビジネスや政治の世界で活躍しようとする場合、--名門のプレップスクールやボーディングスクールの卒業生、あるいは、「ディーンズリスト、ごっさんす、うす!」常習の優秀な学生というわけでもないのならば--英語のNSの彼等も英語に関する(a)語の配列のルール、および、(b)語の変化のルールを、『これでばっちり! MBA Topスクール合格虎の巻』(←このタイトル名は「イメージ」です)とかのテキストを使って<学習>しなおしているのですから。





▽検算-敷衍
換言敷衍します。お気づきになられた読者の方も多いと思いますけれど、上で述べた反論と私の再反論には、「英語の教育の目標→英語教育の目的」に関して異なるレベルのものが含まれています。逆に言えば、それは、高校新卒者の大部分ができないとかいう「簡単な英会話」ということの意味を巡る認識の違いでもある。

(甲)簡単な英会話ができるようになる
(乙)ビジネスシーンで主張・認識・情報をやり取りできるようになる

日本の英語教育に批判的な識者(笑)の多くは、暗黙裏に、(a)「原則、すべての高校卒業生」が、(b1or2)(甲)なり(乙)を達成することを目標と考えておられるように思います。けれども、私は、「すべての生徒がどんな科目でも満点取れるポテンシャルを持っている」などという--彼等も今現在は流石に公言はしていませんが、昔は広言して毫も憚らなかった--日教組・全教の「教師を詐称する教育を放棄した反日活動家」が<条理>と称していた教育論の基盤的前提を否定します。すなわち、「英語教育」、否、学部以上の高等教育のみならず、初等中等教育においても、<子供達>の適性と希望、その家庭やスポンサーの意向と方針を尊重しつつ、英語を学びたい<子供達>、換言すれば、<英語力を武器に将来世過ぎ身過ぎしたいと考える子供達>と、そうではない<子供達>とでは達成目標は違ってしかるべきである。と、そう考えているということ。何を言いたいのか、それは、例えば、

>灘・櫻蔭・武蔵等ではない普通の進学校から東大理Ⅲに現役で合格するような生徒
>「高校に合格したらなんでも買ってやる」という親との約束に俄然奮起、そいでもって、
 優秀な家庭教師を目一杯つけてもらい1年頑張ったけど、底辺校しか合格できなかった生徒

>曾祖父の代から親族で東大卒・京大卒・防衛大卒でないメンバーはいない、
 かつ、自分は、商社か銀行か、中央官僚を真剣に目指している生徒
>祖父の代から親族メンバーは鳶か任侠・神農系の仕事を生業とされており、
 刺青アトリエか小料理屋のどちらかの家業を継ぐことを熱望。いずれにせよ、将来のため、
 高校卒業後は鳶か佐官の見習(an apprentice)、神楽坂の老舗和食厨房で働くつもりの生徒

・全国学力テスト結果の非公表には「盗人の三分の理」さえない
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a715b9011208afc6f22a800a0e088731

これらの目も眩まんばかりの多様さの乱舞が現実でしょうよ、ということ。これら、能力の軸と志望進路の両軸において--更には、「進路選択決定」判断のデッドラインを中学2年の夏休み明けくらいには置いている家庭と子供達、高校卒業後2~3年の内に決めればいいんでないの、と考えている家庭と子供達の存在と分布。そういう分布が形成する第三の軸を加えれば、その<青春の三次元空間>において--<子供達>は神々しいほど多様である。ならば、英米や印度・露西亜、また、戦前といわず昭和もルーズソックス(←「loose socks」は和製英語、本当は「boot socks」。ちなみに/loose/は「るー」ですからね!)がはやり始める1990年頃までの昭和の日本の如き、「有限なる人間存在」という人間性の本性を踏まえる健全な社会ではない、英米を除く世界のリベラルな「先進国」という名の、その社会が各々の子供達の進路を責任をもって決めるのではない社会、すなわち、リベラリズムの欺瞞に満ちた国や地域は、この目も眩まんばかりの多様と有限なる人間存在という現実、換言すれば、人間の現存在性が見えていない社会ともいえる。それは、「危機に際して砂に頭を入れることでその場をすごそうとする駝鳥」の如き薄っぺらな社会なの、鴨。蓋し、畢竟、

б(≧◇≦)ノ ・・・単一・均一な研修目標を設定すること自体が、
б(≧◇≦)ノ ・・・<子供達>、否、人間性の本性と相容れない前提ではないのか!

ということです。この私の認識と主張。換言すれば--現在の「習熟度別研修」という、謂わば「目標は均一ながらそこに至る研修プロセスを多様化」する綺麗事の詐術ではない--、「目標自体を多様化することの提言」。これは戦後の本格的な英語教育論争の先駆けとなった、「渡部昇一 vs. 平泉渉」論争(『英語教育大論争』(文藝春秋・1975), cf. 鳥飼玖美子『英語教育論争から考える』(みすず書房・2014))の両先生が共に前提とする、その論争の基盤となる前提的な主張でした。而して、実は、--教育課程審議会答申(1987)、高等学校学習指導要領(1989)、そして、中央教育審議会の第一次答申(1996)自体が、戦後初めて「すべての生徒はどんな科目でも満点取れるポテンシャルを持っている」という妄想を打破したものだから--「ゆとり教育」路線にも、ある意味、もちろん良い意味での、このような<差別化-個性化>の哲学が含まれていたはずなのです。しかし、・・・。

現場にそれが降ろされた段階では、しかし、日教組・全教の「教師を詐称する教育を放棄した反日活動家」や「船橋西図書館で焚書事件をしでかした土橋悦子の如きリベラル司書」の抵抗だけではなく、「我が子にだけは高いレベルの教育を与えて欲しい」という--これは、あの英語嫌いのフランスでも、ほとんどの親は我が子にだけは英語をしっかり教えて欲しいと訴えるくらいですから、これを「エゴ」と評するのは不遜であり、それは人の親として当然の欲求・要求なのでしょう--、保護者からのその要求のパトスが強烈だったこともあり無理だった。よって、「ゆとり教育」路線もその哲学が目指した、<平等妄想>と<均一の前提>の粉砕はできなかった。

而して、2002年の学習指導要領は総花的な八方美人さんになってしまい、結局、それは、左右両翼から不人気な、単なる「スカスカのカリキュラム」の設計図になった。それは、英語に飢えている子供達には圧倒的に物足りない。他方、英語に関心のない子供達にはあいかわらず無味乾燥で、しかもご丁寧に、将来、彼等が英語に関心を持ったとき/英語力をつける必要が生じたときに、彼等が「英語再出発」するための<原資=財産>になるべき、文法・構文・語彙という英語の基礎基本の紹介が芸術的なくらいに削られた--軽めの英会話体験レッスンもどきの、誰にとっても無駄な something の--レシピになったのだと思います。

これらの認識は、私の、保守派の英語教育屋さん(笑)の印象論的言いたい放題ではないです、多分。実際、--例えば、端的には「公文式メソッド」、より実践的には東進ハイスクール・東進衛星予備校、あるいは河合塾さんが定式化している「学習諸項目間の連関関係図表」を踏まえるならば、例えば、--名詞節を導く接続詞のthatを理解できていない英語の非母語話者(non-NS)に、前節全体を先行詞(先行節)とする関係代名詞whichの非制限用法や二重関係代名詞の機能を理解してもらうなどは、不可能ではないにせよ、ものすごく無駄で滑稽な営為であることは自明でしょう。

あるいは、英語のシラブル型音節とは違い日本語の音声は手拍子の如きモーラ型音節で構成されていること。この音韻・音声の差違構造の基本に関する認識が欠落している段階での「英会話」研修は、だから、よくて、2~3センテンス単位の英文をそれなりには発声できるようになる、九官鳥さんや鸚鵡さん用のレッスン、人間用としては英語の楽曲をカラオケで上手に唄えるようになるための準備でしかないこともまた自明であろうと思います(★)。

ことほど左様に、英語の基礎基本の展示紹介と同時並行的に、自己紹介/他己紹介、道案内、お買い物の際の応答から始まって、よくて、旧センター試験や英検2級程度の内容の会話文を題材に--NSのALTが同席するにせよしないにせよ、しかも、各生徒の持ち時間は最大10分のレッスンを--6年間かけて840回やったところで、それが、原理的には、読み・聞き・話し・書く(+唄う!)の全技能に関して、かつ、誰にとっても--そう、教育力の高い家庭の子女や本人が英語に関心があり「自習歓迎!」「隙間時間&フレックス下校上等!」の生徒にとってさえも--非効率な研修でしかないことは明らかではないでしょうか。

★註:英語と日本語の違い-音としての言葉

あらゆる自然言語(any Natural Language)は--極論すれば「手話」でさえ--、その本体は音声でありその本質は(とりあえず、ソシュールの言う意味での)差異(化)のシステムです。而して、日本語では、音節は原則、開音節。つまり、日本語の音節は、「V:/あ/い/う/え/お/」、あるいは、「CV:/な/か/じ/ま/み/ゆ/き/」という、いずれも最後に母音(V)が来る「音節=音の単位」でなりたっている。また、その音節は同一の時間(拍:mora)で発声され、よって、必然的にそのアクセントも高低型。

対して、英語はシラブル型音節(syllable)でなりたっている。つまり、音節、要は、1個の母音・母音的に振る舞う「/l/m/n/r/」の如き音節主音的の子音を核にした音の単位自体に、日本語の「V:母音」「CV:子音+母音」のみならず、「VC:母音+子音」「CVC:子音+母音+子音」の閉音節が加わる(更に、「oven:VCC」「stove:CCVC」「desk:CVCC」「street:CCCVC」等々、「CV」「VC」「CVC」の中の「C」も最大3個のCでもって構成されることもある)。よって、必然的に、英語の1音節(one syllable)が発声される時間の間隔も異なってくるし、ならば、そのアクセントも--話者の気分や文体価を表示する「高低」はもちろん存在するけれど、原則、就中、ワンワード単位では--、大凡、強弱型(強勢型-音の大きさと音の長さによる強調)になっていること。

これらのことを頭と体の双方で<体得>できていない段階で、100ワード前後の情報内容を英語として発声する研修などは全く非効率。ならば、実は、--鸚鵡さんや九官鳥さんほどではなくとも、流石、万物の霊長(?)、人間なんですから私たち保守派の市民とその<子供達>は、だから私達にとっても--例えば、あの「L」と「R」音の違い(/l/と/r/の違い)などは、LondonとRome、Los AngelsとOregonをナチュラルな英語音源に倣って100回繰り返せば比較的容易に使い分けでき始めるものだし、典型的な「連結:liaison」「脱落:elision」「同化:assimilation」パターンの模倣もこれと同様なのですが(だって、八王子でも町田でも、下位校や底辺校の高校生が洋楽曲を横田基地や座間基地の米軍のみなさんと同じくらい上手に唄ってますから!)、只管打坐的な、あるいは、念仏三昧的な、ただひたすら英語風音声を繰り返し発話するがごとき研修は資源と青春のシュールな無駄遣いでしかないのだと思います。


ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿





<続く>



 



(Ⅱ)特集の第二弾は、マンガ「これが自衛隊の英語活用最前線だ!!:Practical English use in the Forefront」。ここには、共同訓練、PKO、海賊対処、国際緊急援助活動、災害救援活動、多国間の安全保障協力、防衛駐在官、装備品の共同開発(Joint Training, Peacekeeping Operation, Anti-Piracy Operation, International Disaster Relief Activities, Disaster Relief Activities, Multinational Security Cooperation, Defense Attaché, Joint Development)での英語での現場でのやり取りがアメリカマンガ風に描かれている。これ楽しい。

ただ、--元アメリカ海兵隊の教え子にも確認しましたが、特に、共同訓練、災害救援活動の分は--実際のやり取りは、「もちろん、命令や伝達事項を正確に復唱するケースもあるにはあるけれど」、このマンガのシチュエーションに関しては、「こんなフルセンテンスでは誰も言いませんがな。これ、少しリアリティー欠けるんちゃいますか」だと思います。実は、この旨、扶桑社の編集部に確認したら、電話の向こうで破顔一笑、「実際の現場でのやり取りをそのまま文字にしたらアメリカ人にも意味不明なものになりかねませんし、これはイメージの提供ということで、そうご理解いただければ」とのことでした。

∠(^◇^)・・・納得! 


(Ⅳ)次は息抜き/読者サービスでしょうか、「基本用語にチャレンジ!-軍事英単語テスト」。敬礼(salute)、右向け右(right face)、ほふく前進(crawl forward)、突撃(assault)、潜水艦(submarine)、護衛艦(destroyers←「s」は不要でしょう。ちなみに「destroyer」の定訳は「駆逐艦」です)、偵察機(reconnaissance aircraft)、弾道ミサイル(ballistic missile)、狙撃兵(sniper)、空挺部隊(airborne unit)等々、全44問。これ英語教材的にはちょびっと不満。だって、いくら基本用語とはいえ単語の選定に--「流石、軍隊ならでは!」「へぇ~!」「良い意味で、びっくりぽんやわ!」という感想を引き出す--意外性がないし得した気分になれないものね。

では、どうすればよかったか?(←ここ「仮定法過去」、もしくは、「意欲・意図・希望を表す動詞+to-不定詞 の完了形」です) はい、毎号巻末近くに掲載されている「本誌に登場する専門用語の解説」とか「マモルの婚活」「行け!! われらが(チホン)地方協力本部広報官」のコーナーとかに幾らでも「びっくりぽん候補」は転がっていたと思いますけどね。

ということで、英語的にサービス。この44問に登場する単語全70語の語源分析。
用語の中核語彙についてはダブりも敢えてカウントしたけれど、語源特定自体はOED先生
にも聞いたからそう大きな間違いはないでしょう(多分)。

ⅰ)英語本来語------20語(arm, fire, ready・・・)
ⅱ)古ノルド語------02語(crawl←スウェーデン/デンマーク説あります, wing)
ⅲ)ラテン語-------12語(tactics, torpedo・・・)
ⅳ)ノーマンフレンチ語--27語(defense, face, front, present ・・・)
ⅴ)フランス語------05語(reconnaissance; class, private←大本はラテン語・・・)
ⅵ)その他--------04語(Aegis, scramble, sniper・・・)

 

  

 



ヽ(^o^)/・・・サービス第2弾:
     ---意欲・意図・希望を表す動詞+to-不定詞 の完了形
1)I intended to be a veterinarian.
2)I intended to have been a veterinarian.
(うちな、昔、動物のお医者さんになりたかったんやんか・・・)
(うちな、動物のお医者さんになりたかったんやけどな、できへんかったんよ)
※1)では、主語の「I」が、結局、獣医師免許を取得できたかどうかは不明なのです。


(Ⅴ)特集の最後を締めるのは、駐在武官の方のエッセー「常に国際社会でリーダーシップを発揮する大国、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C」(在アメリカ日本国大使館防衛駐在官・小川康祐1等空佐)。内容は、上に紹介した『MAMOR2015年12月号』の特集「ダブル・ミッション--防衛駐在官ファイル--世界で情報を収集する自衛官」の続編といった感じで、よい復習になりました。そして、家族旅行のスナップかしらね。グランドキャニオンの写真の空佐の娘さん(カナ?)と思しきリトルナデシコさんが良い感じだった、鴨。

ウマウマ(^◇^)





◆おまけ:でも、本当はこれが一番書きたかったりする、ある「コーナー」のこと

KABUの大好きなコーナーのお話しをしてMAMORの紹介をおしまいにしたいと思います。
そう、それは「ちーぱか・すっぴんインタビュー」。

▽女性自警官の素顔に迫る!--ちーぱか・すっぴんインタビュー

(マンが/文章 ちーぱか)
全自衛官の6パーセントにも満たない、約1万3000人の女性自衛官。”男社会”の中で働く彼女たちには、人知れない苦労や悩みがあるはず。そこで、制服に隠された女性自衛官の本音を探るべく、われらが秘密兵器”ちーぱか”が、さまざまな階級、職種の女性自衛官を訪ね、その心の内に迫ります!



本号『MAMOR2016年6月号』の「ちーぱか・すっぴんインタビュー」に登場するインタビューイーは、航空自衛隊・茨城県百里基地で広報官を務めておられる山下リエ3等空曹。万国共通、老若男女、子供から大人までみんなが大好き、自衛隊の航空機を見学に来られる市民の皆さんのコーディネートやアテンドも空曹のお仕事(要は、戦闘機・輸送機・軍用ヘリコプターが見放題の職責←羨ましかったりして)。もの凄く自衛隊機に詳しいオタクのお客様から、憧れで目が燦々キラキラの子供達までいろんな来訪者の方にあわせて最適な<おもてなし>を演出するタスク。そのタスクを「ほわー」「ふわー」という春のそよ風のような雰囲気で果たしておられるらしい(←これ、実は、もの凄く難しいんじゃないかなー、と思いますよね)。そんな情景がちーぱかさんのマンガから春の小川のせせらぎのように流れてきました。でもね、そう、あれですよ、あれ、

吉野家でもマック(←関西では「マクド」)でも、
どんな個別塾でも警備会社でも、本屋さんでもパン屋さんでも、
アルバイトスタッフさんが必ず最初に言われること。そう、

>お客様にとっては、あなたが、フルタイムであるかパートか、アルバイトなのか、
>そんなことはどうでもいいいことなのです。制服を着ているひと/名刺を持っているひと、
>その人が、お客様にとっては<うち>そのものなのですよ、と。


まして、本物の自衛隊の広報係官。つまり、世間に対する<自衛隊の顔>そのものの役回り。そんなお仕事は大変だと感じました。でも、基地見学なのに、「災害のときに自衛隊に助けてもらって嬉しかった!」とおばさまのお客様に語りかけられたり、また、基地見学だからこそでしょうか、女子高校生のお客様に「高校卒業したらわたしも自衛隊に入隊したいんです~♪」と告白されたり・・・、と。

最前線の、しかし、末端の黒子さんのはずなのに、お客様にとっては/世間にとっては、ご自分が<自衛隊の顔>であることを嫌でも気づかされる艶やかな交流もあるとか(そういえば、『MAMOR2015年11月号』の「すっぴんインタビュー」に登場された、世田谷自衛官募集案内所所長の高橋3等空佐は、ある高校での募集説明会の場で、女子高校生から「あのー、自衛隊は・・・女性が少ないってことは・・・モテますか-!?!」と質問されたとか書いてあったりしました)。而して、「たくさんの人に百里基地のことを。自衛隊のことを知ってもらえるよう、自分の役割を精一杯こなしていきたいですね」と空曹は仰っていました。今号もなんか納得で得した気分になれた「すっぴんインタビュー」のコーナーでした。






◆自衛隊の英語研修はなぜ効果があがるのか
 --日本の英語教育の何が問題なのか


▽自衛隊の英語研修はどこが優れているのか
特集の大凡を紹介した所で、以下、本稿の肝に入ります。要は、本号のMAMORには「日本社会を覆う英語力および英語教育に関する誤解と妄想を治癒するヒント」が織り込まれているのではないかということの説明です。結論の一部を先に述べておけば、蓋し、それは、自衛隊の英語研修が優れているのは、トレーニーのモティベーション、もっとはっきり言えば、トレーニーのマインドセットが整っているからであろうということ。実際、大田エイミーさんを唸らせた陸上自衛隊「幹部普通英語課程」の前身の研修で使われていた教材を検討したことがありますが、それは、特にそう優れたものでもない、正直。もちろん、英語を使ってなされる自衛隊の任務に特化している点では特殊なものですが、英語教材的にはそれはごく普通の「よくできていますね」程度の one of them、きっぱり。

而して、講師陣はどうか。文部科学省・経済産業省の調査データによれば、--民間の英語研修機関の多くで「講師採用の最低足きりライン」である--TOEIC860点程度の英語力もない英語科教員の方も日本の公立中学・高校では少なくないらしい。まして、小学校(背筋が・・←以下、自主規制)。つまり、文部科学省の2014年のデータでは「英検準1級≒TOEIC730」をクリアできている方は、中学校で30%弱、高校で55%程度とのこと

けれど、860点どころか、正直、英検準1級相当とされる730点さえない英語力では、中学生にせよ高校生にせよ教科指導するのは(これまた、厳密に言えば、そして、逆接的ですが、教科書会社が供給してくれる「ティーチングマニュアル=あんちょこ」も整備されており、また、あたり前ですけれども、小学生より中学生、中学生より高校生が理解力はやはり高いので、本当は「小学校>中学校>高校」の順に、低学齢クラス担当者にこそより高い英語力が望まれる側面もあるのですが・・・)確かに辛いでしょう。同情はできないけど心中お察しいたします。

自衛隊の英語研修に携わっておられる講師陣の方々はこの点間違いなく、ブリティッシュカウンシル、東進ビジネススクール、テンプル大学日本校、トフルゼミナール等々、首都圏や関西圏の信用のおける由緒正しい専門の英語研修機関の講師陣と比べても優るとも劣らないラインナップ。自衛隊の英語研修に携わった経験のある講師の方を何十人とは言いませんが十数人かは、私がデザインした研修プログラムのために面接・採用・評価してきた経験から断言します。ですから、この点でも「英語力を装備する自衛隊」の看板には偽りはありません。

速攻の卓袱台返し(?)。そう聞こえるかもしれませんが一言。それはですね、厳密に言えば、TOEICやTOEFLのスコアと英語教師としての技倆はあまり関係がない。英語教育業界で有名な箴言をここでも使わせていただければ、「ライオンが百獣の王だとしても、ライオンが大学で動物学の講義ができると考える人はそう多くはないだろう」でしょうから。

教師と教師の英語力の両者を見た場合--それらにまつわる「必要条件-十分条件」の関係、または「相関関係-因果関係」の存否や度合いという難しい議論は捨象するとしても、--英語力が高ければ良い英語教師になれるのであれば、日本語も達者な教養のある(はずの、すなわち、修士課程卒以上の)英語のネーティブスピーカー、あるいは、例えば、神戸のインタナショナルスクールからアメリカ留学、アメリカでTESL専攻で修士号ゲット、そいでもって、12年ぶりにアメリカ人の配偶者と帰国して1年目、外資系企業のイギリス人社長の--ご自分が英語話せなかった少女時代/腕白坊主時代のことなどこれっぽっちも覚えていない--秘書さんなんか、最高の英語教師になるはずですが、必ずしもそうではないのです(爆←この「爆」、これでもかなりひかえめなんですよ)。要は、教えるのと自分が使うのは全くの「別種目」ということ。要は、英語の知識と英語に関する知識は別物ということ。こんなスレ違い(↓)は珍しくありませんから。

>いいですか、次の問題は難しいですよぉー。注意して聞いてください~♪
>あのー、注意しても聞き取れないから、高い月謝払って、そいでもって、
 仕事/バイト/サークル/デート/家族サービスやりくりして授業出てるんですけど?
 設問文冒頭の疑問詞の識別Tipsと疑問詞がその疑問文の主語なのか補語なのか、
 目的語なのか、代不定詞句等の前置詞の目的語か、予想するコツを教えてください(呆)!

>この問題の正解は(B)です。同語源語彙の品詞選択問題でしたね~♪
>あのー、そんなん、誰でも選択肢見れば分かるんです。だから、どんな類題が出るのか、
 また、語彙を全部知っているわけではない(TOEIC/TOEFLの場合、4肢のうち2個
 以下しか知らない)ときの正解率アップのノウハウ。できれば、そのノウハウが成立する
 英語学的な根拠を教えてください。他の類似問題でも安心して応用できますから(怒)!

>[「英語、おもしろくないっす」という生徒に]英語楽しいよぉー♪ 頑張ろうよ♪
>・・・あんた、阿・・・(←以下、優しい生徒の自主規制)。

簡単な話です。<研修>を<実力>にかえるのは自宅での<自習=学習>、通勤・通学時の<学習=自習>ということ。なぜならば、ほとんどの場合、<自習>に<研修>の数倍の時間を誰しも投入しているのですから。また、<知識>が<実力>に変わるのは<復習>の過程においてですから。ならば、畢竟、研修の成果は--トレーニーの能力が同じだと仮定した場合--講師の技倆が1割、教材が3割、残りはトレーニーご本人のやる気とそのやる気の持続の度合いで決まる。そう、1:3:6。

もっとも、腕っこきの講師は残りの9割についても上手にトレーニーを勇気づけ誘導するから、その点で講師が研修成果に及ぼす影響はかなり大きいともいえる。だから、東進ハイスクール・東進衛星予備校が「講師陣が自慢です~!」と言っているのは理由がないわけでもないのです。例えば、そう、ルルララの<先生>のシュガーおばさんがそうであるように。

「そうね、サリーを元気にするお菓子が、つくれればいいんだけれど。
・・・できれば、このサツマイモをつかって」とサツマイモの山をみると、
【そのあまりの量に、ルルとララから】またためいきがでました。

すると、シュガーおばさんがやってきました。
「まあ、おいしそうなサツマイモがこんなにたくさん!
そうだわ。これで、お菓子をつくってみたら?」
それをきいて、【ルルとララは】目をまるくしました。

「サツマイモでお菓子ですって?」
「おイモでお菓子なんて、つくれっこない・・・」
するとシュガーおばさんは にっこりほほえみました

「あら、そんなふうにきめつけちゃダメよ。いろいろなざいりょうに、
いろいろな食べかたがあるの。だから、たのしいんじゃない!」
ルルとララは顔をみあわせましたが、つくりかたをおしえてもらうことにしました

(あんびるやすこ『ルルとララのスイートポテト』(岩崎書店・2009年9月)pp.26-29、
下線はKABUによるもの。cf. 『ルルとララのにこにこクリーム』(岩崎書店・2013年2月)pp.4-11, 52ff)

シュガーおばさんとルルララの会話には<良い教師>のエッセンスが含まれていると思います。すなわち、①問題の再構成、②問題解決の指針の提示、③問題解決のための知識・技術の教授、なにより、④<生徒>を勇気づけ背中を押す姿勢。畢竟、そこには「良きコミットメント」がある。あるある、すごくある。問題を解決するのはどこまでもどこまで<生徒>自身なのだけれども、自分はそのあなたたち<生徒>のこれからの努力にこれまでと同様関心を持っているし、支援を惜しまない--加之、「豊富な知識と経験を私は持っているのよ」という信用と権威のオーラ付~♪--という覚悟と姿勢の明示です。過保護ではなく、放任ではもちろんなく。しかし、任じて任ぜずの朗らかな猜疑心の貫徹。

蓋し、このような腕っこきの<講師・教師>に邂逅することは<生徒>にとっては僥倖というべきもの。しかし・・・、「僥倖」はめったのないから「僥倖」でもある。而して、実際、普通の技倆の<講師・教師>を想定した場合に、上に述べた「1:3:6」の比率は残酷なほど正しいと思います。これ鉄の比率。ことほど左様に、こう逆から検算してみるとき、結局、自衛隊の英語研修プログラムはそのやる気を引き出す体制が--よって、自衛隊のカリキュラムの実践性や実戦性の高さは、プログラムデザインの観点からは、その「体制」のコロラリーと看做されるのですが、--優れているということでしょう。と、そう私は思います。





▽余談-Coffee Break

-修学旅行先は自衛隊がいいかも!・・・(京都の中坊さんゴメン) 
-キャリア教育は自衛隊におまかせ~♪


本当に「英語が学びたいなら自衛隊に入隊」することは全国の高校生にとって合理的な選択肢、鴨。英語教育の改革論議が「永久革命論」の様相を呈し「間欠泉」の如く延々と続く我が国の、公立学校の英語カリキュラム談義を想起するとき、これは、満更ジョークではありません。ところが、ところで、--もちろん、「直球ど真ん中」の正当な広報活動の一つとして--実は、自衛隊では小中高の「総合的な学習」や「キャリア教育」の一環として小中高の生徒の体験入隊の受け入れにも力を入れておられる。ならば、確かに、「総合的学修@自衛隊」のみならず「英語コミュニケーションスキル開発@自衛隊」は、生徒諸君のみならず先生方にとっても、特に、英語科や(英語も担当する)先生方にとっては英語研修スキルとコーチングスキルの研修として美味しい話しではないでしょうか。どうでしょうか、都道府県教委の紳士淑女の皆さん。ならば、

ウマウマ(^◇^)/・・・ならば!

ならば、もうちょっと本格的に--なんでも中途半端はよくないですから、それに、国益毀損の<土下座修学旅行@韓国>などとは比べるまでもないでしょうし、まして、アメリカにもヨーロッパにも簡単に行ける時代なのですから、それと、残念ながら、小中生は自衛隊側でも「迷惑!」だったりするでしょうから--、日本の高校の修学旅行は自衛隊にしよう。

修学旅行の行き先は「確か、そこ行ったはずなんだよね」の記憶だけが成果物の京都や東京の非効率なものから、「自衛隊体験入隊1週間!」(←なんなら、在日米軍基地のオプショナルツアーも追加選択可?)に切り替えるべきではないでしょうか(←京都・聖護院のスタッフの方、ごめんなさい!)。礼儀作法・規則正しい生活の体得、そして、英語力と英語学習のモティベーションアップが獲得目標の修学旅行。そいでもってお土産(gifts as well as souvenirs)は、自衛隊修学旅行参加者様限定の、

б(≧◇≦)ノ ・・・<防人の女神> or <防人の守護神>写真集!
б(≧◇≦)ノ ・・・防衛大学校 or 防衛医科大学校の極秘合格Tips集!
б(≧◇≦)ノ ・・・富士総合火力演習DVD英語版&対テロリスト用英会話便利辞典!

これもつけちゃう、
もってけドロボー♪

б(≧◇≦)ノ ・・・海上自衛隊レトルトカレー6個!
б(≧◇≦)ノ ・・・ヘルシーで美味しいとなにげに人気の陸上自衛隊缶詰詰め合わせ!
б(≧◇≦)ノ ・・・航空自衛隊からは「びっくりぽん」のおたのしみグッズ!

でもって、引率の先生方には、

б(≧◇≦)ノ ・・・『苦手な上官をあなたの味方に変える五つの挨拶』と、
     『米軍秘伝:そこは反米一色だった地域、その住民とも今では仲良し』も謹呈!

これ、結構、いいアイデア、鴨。なにより、これでこそ、
その言葉の本当の意味での「修学旅行」になるのではないでしょうか、
生徒にとっても先生方にとっても。保護者にとっても地域にとっても。
そうではありますまいか、ありますまいか。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿


・防衛大学学園祭☆<2010年11月>横須賀に行きませんか!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f727889c98ffeac431c955c694d6c872





<続く>



◆◇◆MAMOR--防衛省オフィシャルマガジン◆◇◆

防衛省が編集協力しているからできる肉薄取材で、自衛隊の活動内容と自衛官の
素顔に迫るわが国唯一の「防衛省オフィシャルマガジン」(扶桑社・月刊)


URL: http://www.fusosha.co.jp/magazines/mamor/





英語は武器です。個人にとつても国にとっても。すなわち、--中央官庁と地方自治体の職員や多くのビジネスピープルにとって、ましてや、--地方創生の最前線で戦う大分や山形、秋田や岐阜の温泉旅館のスタッフさん、海外交流事業に携わっているNPOのスタッフさん、なにより、日本語が母語ではない外国人の子供達を受け入れている公立学校の先生・保健室の先生・図書室の司書の先生(但し、政治遊戯にかまけている日教組・全教の「教師を詐称する教育を放棄した反日活動家」あるいは「船橋西図書館焚書事件」をしでかしたようなリベラル派司書はもちろん除きます!)にとっても、更には、触法外国人の容疑者・被告人・受刑者・罪をつぐない社会復帰しようとする人々を法的と経済的、コミュニティー受け入れ、メンタルケアの四面で日夜サポートしている保守派のボランティアの皆さんにとって、英語は武器です、多分。否、間違いなく。

・英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)-【前口上-阿・吽】
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f169c76ce342703e5816dc9ce8b9e0f1
 

こんなあたりまえのことを389字(↑)も使っていまさらなぜ書いたのか。それは、「保守派にとってこそ英語力は武器だ」「英語は保守派の日本人にとって必須科目だ」--ちなみに、政治学研究者の三浦瑠麗さんの実証研究によれば、少なくとも投票行動に関する限り潜在的にせよ「日本国民・有権者の7割は保守派」ということですから、ここは「日本人にとってこそ英語力は武器だ」「英語は日本人にとって必須科目だ」と言い換えても満更間違いではない、鴨--というあたりまえのことを巡ってこの社会には大きな誤解があるように感じているからです。

曰わく、「中学・高校で6年間も英語を学んでいるのに大部分の高校新卒者が簡単な英会話もできないのは英語教育が間違っているからだ」--おいおい、子供を英会話できるようにしたいなら英会話スクールに行かせなさい、あるいは、自衛隊に入隊させなさい、自衛隊(防衛省官房人事課・総務課)は隊員の志望をちゃんと聞いてくれる所だし、再建したNOVAも良い感じで明るく頑張ってるから--とかとかの認識の基底にあるような誤解(★)。

★註:日本の英語教育に憑依する誤解の背景

この誤解の趨勢は、1989年・平成元年の高等学校学習指導要領が規定した「新しい学力観」、而して、その前奏となった教育課程審議会答申(1987)を露払い役としつつ、最終的には「生きる力」なるものの育成を掲げた1996年の中央教育審議会の第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」で病膏肓に入った。就中、所謂「ゆとり教育」路線をその中心に据えた、もって、--遅くとも江戸中期・10代将軍家治公の治世の頃から形成され、而して、その<インタンジブルアセット:intangible asset=無形型資産>を引き継いだ明治学制(1872・1879)以来、日本人が営々として築いてきた初等中等教育における、戦後もある時期までは間違いなく存在した、かつ、大袈裟ではなく世界的にも称賛・羨望・垂涎されてきた(機会において平等で効果において抜きんでていた)優位性を、すなわち、--日本の教育の制度と文化インフラを崩壊せしめた2002年の学習指導要領以降は特にその誤解の跳梁跋扈と百鬼夜行の傾向と度合いは顕著であろうと思います。



・砂上楼閣のゆとり教育と総合学習の蹉跌
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-244.html

・ゆとり教育路線の前提と誤解
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11182604980.html

・学力低下と教育力の偏低迷(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3279f8638253efa3e952ce242e19cb2



而して、ここで紹介する『MAMOR2016年6月号』(扶桑社)の特集「英語力を装備する自衛隊」にはそのような誤解を治癒するヒントが隠されている。そう感じた。これが本稿をアップロードしようと考えた理由です。すなわち、本稿は「英語力を装備する自衛隊=自衛隊の英語教育」という鏡を使って、そこに映る、日本の公教育現場での英語教育の問題点を反芻するもの(よって、本稿で使う「子供達」という語彙は、単に小中高の児童生徒だけでなく、「英語力開発」の「主体=客体」となるその上下を広く含むことになります)。では、その誤解とは何か。何を誤解と私は考えているのか。はい、それは、

>日本社会を覆う英語力および英語教育に関する誤解と妄想
(1)英語はコミュニケーションツール、英語力はコミュニケーションスキル
 →文法・構文・英文和訳に重点を置く「受験英語」は駄目ですってば!
(2)詰め込み教育は英語嫌いを拡大再生産する悪しき研修スタイルなんですよぉ~!
(3)英語力の目標はネーティブスピーカーのコミュニケーションスキルしょ!



英語力を装備する自衛隊。蓋し、特定アジア3国の不埒な振る舞いを睨みつつ、すなわち、支那や北朝鮮、韓国といった反日国の動向を注視しながら、安全保障の最前線で同盟国や友好国と協力しながら日本の国益を(国家の主権と存続、よって、天壌無窮、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国という日本国のアイデンティティー、換言すれば、それ、国家の体制と日本の文化・伝統を守ることを通して間接的に、しかし、本質的に日本国民と外国人たる日本市民の権利と名誉と尊厳を)文字通り躰を張って日夜守ってくれている自衛隊員。彼等にとって、--前後の安倍政権が粛々と成立させた、改正教育基本法、秘密保護法と安全保障法制の整備もあり、これからは一層、唯一の同盟国アメリカとの(および、実質的な同盟国のイギリス、潜在的にせよ同盟国の契りを順次結ぶべきであろう印度・越南・泰・台湾・柬埔寨に蒙古、そして、土耳古に伯剌西爾に露西亜!)との連携も進むでしょうから(歓)--英語力は、そんな自衛官の皆さんにとっては、それこそハイライターでビシッとチェックか(←with highlighter:「ラインマーカー」は和製英語系商材名ですよ。)、赤鉛筆でぐりぐりぐりの三重赤丸もんの「必須科目」でないはずがないでしょう。

而して、我らが自衛隊の皆さんは--および、警察庁や財務省からの(←あろうことか、反日・朝日新聞に度々内部情報リークしているかもしれないと白眼視されてもいる、いずれにせよ、上から目線が不愉快な)出向組の<お邪魔虫のお客さん>ではない、防衛省採用組の志の高い防衛省職員の皆さんは--この必須重要科目に真っ向勝負で取り組んでおられるらしい。『MAMOR2016年6月号』の特集「英語力を装備する自衛隊」、あるいは、『MAMOR2015年12月号』の特集「ダブル・ミッション--防衛駐在官ファイル--世界で情報を収集する自衛官」、ならびに、『MAMOR2016年4月号』の特集「自衛隊のコーチング術に学べ!」を読ませてもらってそう確信しました。うん、実に頼もしい。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿





ということで、本稿はMAMOR6月号の特集を理路の導線に使わせていただきます。まずは、毎号の表紙と巻頭グラビアを飾る「防人たちの女神」のことから。このコーナー、今まで島崎遙香ちゃん、内田理央ちゃん、松井玲奈ちゃん、松井絵里奈ちゃん、小松美咲さん、大家静香ちゃん、浅田舞さん、多岐川華子さん、熊田曜子さん、石川梨華ちゃん、杉原杏璃さん、浜田翔子さん、本仮屋ユイカさん、岩佐真悠子さん、柳ゆり菜さん、石川恋さん、久松郁美さん、そして、なんと、ナンバーワンアイドルの前田敦子さん、重鎮系では小池栄子さんに壇蜜さん、なにより、あの「木花咲耶姫=ほしのあき」さん等々々、有名アイドル・モデルさんが表紙と巻頭グラビアで<女神様>として自衛隊の皆さんにエールを送ってきました。で、今号の<女神様>はモデルの朝比奈彩さん。

∠(^◇^)・・・朝比奈さん、庶民的なのに、清楚でかっこいい、鴨。

朝比奈さん、うん、上手に歳を重ねていったら、そう、あんびるやすこさんの『ルルとララ』(岩崎書店)に出てくる、ルルララの「先生役」シュガーおばさんみたいな素敵な大人のひと(女性)になったりして。なるなる、きっとなる。朝比奈さんにはそんな人徳の「のびしろ」を感じました。流石は、防衛省編集協力で日本唯一の防衛省オフィシャルマガジン、MAMORの表紙を飾る人物だけのことはある、とも。いずれにせよ「シュガーおばさんは、いつだって元気いっぱい。でもきょうは、いつもの二倍くらいにこにこしています」(『ルルとララのミルキープリン』(2015年9月), p.9)ほどではないにせよ、表紙・グラビアでびのびと「本業のモデルさん」してるって感じの朝比奈さんには保守派でなくとも好感度2倍でしょう。

扶桑社の編集担当の方には、而して、今後、桐谷美玲、深田恭子、指原莉乃、蒼井優、黒木華、能年玲奈、高畑充希、佐々木希、本田翼、吉高由里子、武井咲、鈴木愛理ちゃんたち、そいでもって、新婚の堀北真希、山口もえ、北川景子さまがた、中重量級としては、波瑠、西野カナ、中谷美紀、高垣麗子、松嶋菜々子さま方、できれば、(国籍を超えて!)シャーロット・ケイト・フォックスさん、なにより、アンジェリーナ・ジョリー、メグ・ライアンの両雄(雌?)(←あの~、「この最後の方々お二人ともリベラル派なんですけどぉ-?」なんかは心配ご無用、アメリカではガチ民主党支持のリベラル派もちゃんと安全保障の大切さと軍隊の値打ち尊さをわかっていますから、なんなら、ヒラリー・クリントン女史やケネディーお嬢様大使でもOK、てなもんです。あっ、だから、在日米軍の女性兵士の方々や友好国の駐日駐在女性武官の方々の登用も意外と新鮮でいい、鴨ですね。

そして真打ち登場、純粋結晶の愛国心、保守主義の炸裂一閃、キムヨナ姫、または、日本女優界の東正横綱、あるいは、独り横綱の沢口靖子さん、あるいは、マリーヌ・ル・ペン同志、理想としては、蔡英文総統閣下。これは無理だろうけどまさかの中島みゆきさん(天理教教祖様(おやさま)・中山みきさまの時空を超えた分身にして、その正体は「天照大神」そのひと @@!)のご降臨を希望します。読者からの「次はこの方を女神様に~!」のフィードバックをMAMOR編集部も渇望していると思いますから、皆さんも<投票>されてはいかがでしょうか。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿

ちなみに、MAMOR編集部さん、クリントン(妻)が今年の「11月の第一月曜日の翌日」(←アメリカ合衆国憲法2条1節4項に基づく法制)に次期米国大統領になる可能性は急速に低下していると思うので、クリントンサイドとの交渉はそう急がなくてもいい、鴨です。なんなら、アーカーソ-人脈を通して私が交渉代行してもいいですよ(笑)。尚、--例えば、かってセゾングループがその手を使って女性顧客の好感度アップに成功した、また、最近ではトヨタがその妙手を放ったように--<防人女神>の評価が更に確固としたものとなった暁には、その人となりにも仕事ぶりにも誰からも尊敬を集めている、かつ、才能のあるAV女優さんなんかも鮮烈であり寧ろ企画の趣意にも合致する、鴨。しかし、それは頭がピーマン型玄武岩のリベラル派に恰好の口撃の口実を与えるのが火を見るより明らか。ほんと、朝日新聞の社説・天声人語・声欄の駄文の文字列やサンデーモーニングの識者達が沈痛な表情で無内容なコメントを呟く風景が目に浮かぶわ、ですから(←空虚なのに深刻ぶる人達:They try to be profound while they are merely empty, don't they?)。だから今は「自制」の2文字でしょうかね。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。


と、えっ、おいおい、あんたちゃぶ台ひっくり返しとる暇あんのかいな、
あんな-、グラビアモデルの話しなんかどうでもええっーの、って? 
英語の話=「特集」の紹介するちゅー話しやなかったんかいな、ですって?
そうすか、はい、では「特集」の紹介いきます。でも、以下に進んだら、
あくび/居眠り続出だと思うんですけど・・・。




◆『MAMOR2016年6月号』特集「英語力を装備する自衛隊」内容紹介

(Ⅰ)特集の冒頭は英語講師兼タレントの大田エイミーさんの陸上自衛隊小平駐屯地にある「幹部普通英語課程」突撃取材(「ちなみに、海上自衛隊は第2術科学校、航空自衛隊は第5術科学校で英語教育を行っています」ibid, p.8)。この小平キャンパスでは(←津田塾大学のご近所)、「多国籍軍との交流や共同訓練などでは、通訳を介せない場合も多くあります。これら自衛官でなければできない任務では、専門用語、すなわち軍事用英語が欠かせません。そのために小平学校では基礎的な英語に加え、軍事英語を重点的に教育しています」とのことです(あのー、「自衛隊」は国際法上、正真正銘の「軍隊」ですから、きっぱり。<英語>を俎上に載せる本稿では、端的に、「自衛隊=軍隊」「自衛官=軍人」の前提で記述しています、為念)。

でもって、実際の突撃の模様はというと。まず、通訳・翻訳クラスの専門性とレベルの高さに感服(←そりゃ、かりにも「プロ」の育成、そう「大リーグボール養成ギブスクラス」なんだから、自衛隊でなくともそれあたりまえだったりもするけど)。でもって、そこは目視だけで軽くスルーして(?)、「「一般読解」の講義が行われている別の教場へと入った。講師は外国人。ネーティブスピーカーの講師と学生たちが英語によるディスカッションを行っていた。テーマは「世界の最新の時事問題について」。活発な意見が飛び交う講義を見学し、教場を離れたエイミーさんは「私も皆さんの中に入りたかったです(笑)」と、ちょっと残念そう。と、エイミーさんも「ハイレベルな英語授業」、なにより、「実践的なカリキュラム構成」にびっくりぽんのご様子。

しかし、繰り返しになりますが、それも当然でしょう。その組織の大部分のメンバーにとっては、正直今でも、たしなみ事か昇進のための規定演技項目の一つにすぎない銀行員さんとかとは違って、英語が必要とされる職掌の自衛隊員の皆さんにとって、文字通り、自他の命が自分の英語力の度合いにかかってくるのですから。そして、(やっと、でも、安倍内閣がちゃんとやってくれた)安全保障法制の成立以前から、駐在武官、PKO参加、同盟国との共同訓練・共同行動への参加等々、多くの自衛隊員がそんな「英語が必要とされる職掌」についているのですから。

重要なことは、軍隊組織の場合、将校クラスや専門の通訳要員だけではなく、その任務に携わるすべてのメンバーに(旧軍風に言えば、二等兵にも同行軍属の方にも!)英語力が必要ということ。だって、敵、あるいは、自隊が保護すべき対象と真っ先に接するのは寧ろ兵士クラスの方々だものね。しかも、「わかりました、では、もちかえって上司と検討させていただきます」なーんて、テロリストや反日国の軍隊、あるいは、そのテロリストや、例えば、支那軍部隊に脅かされ自分の目の前で保護を求めている人々に言えませんからね。人間として、まして、八紘一宇を旨とする日本の軍隊の一員である彼や彼女には。

畢竟、自衛隊の英語教育の<粋>は、「英語」そのものよりも、寧ろ、「教育」にある。そう思います。つまり、モティベーションとマインドセットのメンテナンス。具体的には、陸海空のすべての術科英語研修ではカリキュラム自体に、PKOや駐在武官、同盟国との協働訓練・装備や制度の協働開発の最前線で、英語で苦労した、まじ、「先立つものは英語力やわな」という現実を、骨身にしみじみ染みてきた先輩方の体験談を現在のトレーニーに伝える機会を組み込んでおられるとか(海空に関してはKABUが直接確認しました!)。そのような先輩方のリアルな反省と誇らしさの体験談を通して--後悔を先に立たせることで!--、「任務の現場で生きるリアルな英語を身に付けてほしい」という、教官の方の願いは星に届きつつあるのだと思います。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿


(Ⅲ)自衛隊員にとっての英語力の必要性は、順序「倒置」になりますが、特集の三番目「隊員たちが語る-英語が話せて良かった」にも体験談として紹介されています。国際緊急援助活動、PKO、同盟国との共同訓練、装備品国際共同開発の現場での苦労話。ただ、インタビューイーの隊員さん、--自衛官の場合、それだけ英語力が自他の<命>に関わる重要な要素ということなのでしょうが--みんな顔が怖い。次回からは笑顔バージョンのものを使った方が自衛隊に対する印象が良くなる、鴨ですかね。

尚、『MAMOR2015年7月号』『MAMOR2016年1月号』の「ちーぱか・すっぴんインタビュー」のコーナーではそれぞれ、PKOに派遣されて他国軍隊や現地政府や国連スタッフとのやりとりを担当された川崎真知子2等陸佐のお話し、それと、「私たちが監視していることで海賊船を寄せ付けなかったとしたらうれしいですね」とさりげなく語ってくれた海上自衛隊の女性パイロット・鈴木里奈2等海尉のジプチ沖での体験談が取り上げられています。蓋し、自衛官にとって「英語力」は必須科目どころか職業軍人としてのご自分のペルソナの不可欠な一部である経緯が伝わってくる記事でした。ちなみに、最新号『MAMOR2016年7月号』の特集「自衛隊施設部隊・真心の成果-世界が称賛する自衛隊の道路補修技術」でも、NPO活動に英語力が不可欠な様子が淡々と書かれている。これら併せてご一読いただければ今号特集の理解が深まる、鴨です。あっ、ちなみに、同号担当の<女神様>は、あの「岡山の奇蹟=桜井日奈子」ちゃんですよ(笑)。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿




<続く>

プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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