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▼外国人の政治活動を規制する法整備が必要

「小坪しんや」さんのブログからの転載です。
日本では外国人による政治活動の法制化がされたいないなんて驚きです。
早急に法制化お願いしなければと思います。
移民政策よりこちらが大事では?(凛)

外国人の政治活動を一部規制する法整備が必要な、

憲法解釈と最高裁判例を軸とした理由【賛同したらシェア】

占領憲法15条の憲法解釈を論拠とし、最高裁判例(マクリーン事件)を読み解けば、
「外国人の政治活動の一部は規制」されるべきという論法は成立する。
恐らく国内初の観点だと思われ、拡散するだけで「ある層への牽制」となるだろう。
かなり素直なロジックであり、広まれば「できる」可能性はある。
 
首都において、我が国の民間企業APAホテルを攻撃するデモは、
他国の意向を受けたデモであった可能性が極めて高い。

相手が国が出てきているのであれば、我が国も国家としての対応が求められる。
首都でこのような暴挙が行われている以上、法の整備を急ぐとともに「政府として」支援を表明して頂きたい。
いつまで「我が国の領土を狙う敵性国家」vs「民間企業」の構図を継続するのか。
一企業に肩入れすることには勇気が必要だとは思うが、
(私自身も法人利益に関して肩入れすることは慎みたい立場)
相手が「国家」である可能性が高い以上、こちらも国家として意思表示することが通常だろう。
実は、「外国人の政治活動は禁じれていない」のだ。
 
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占領憲法の解釈から(参政権の性格を帯びる以上)、保障されているとは言い難いと認識しているが、
判例があるのみで「法で禁じられていない」ことも問題がある。
ゆえに警察を含む行政組織は動けない、というのが地方議員としての認識だ。
激変が予想される昨今、法整備は急務である。

憲法解釈と最高裁判例を軸とした「行うべき理由」は、恐らく国内初になると思う。
一部の政治活動は、参政権の一環と解するべきであり、そのあたりの詳細を論じる。
そこに下された司法分野の判断、最高裁判例を読み解いていく。
このロジックは、ある層にとっては広まるだけで致命傷となるのだろう。
日本政府が、我が国の民間企業を毅然と守ることを期待する。
 
続きはブログでご覧ください。
 
 
(転載元URL)
 
 

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【KABUコメント:Yes/No】
>外国人の「政治活動の禁止」は法的には可能ですけれど・・・
>現実的に不可能だと思います、なぜならば、・・・
>「政治活動」の定義自体、刑法学のタームでいえば「政治活動の構成要件」
>の確定。これは不可能に近く。
>ならば、「法は不可能を誰にも要求しない」あるいは
>「ざる法は無法状態よりも劣る」事態になることが見えているから。
 
ならば、
ならば、
ならば、
 
>今のままで行くしかないのか?
 
いいえ。
 
>「政治活動」ではなく「暴行・傷害と殺人」(および同未遂と幇助)、さらには、
>「脅迫・強迫と威力業務妨害、ならびに、不法行為と不当利得」を絡めて
>そのような行為を行った外国人--就中、国民の表現の自由への侵害に
>重きをおいて‐‐に対しては即刻、国外退去の強制処分、帰国費用は
>その当該の外国人またはその帰属国の負担での退去
>この両者を緊密にリンクさせればよい。
 
而して、
 
>そのような外国人強制退去者が有意に多い国の国民の入国に関しては
>反日的政治的の行動をしない幇助もしない旨の誓約を査証発給時に求めるか、
>そのような事例が顕著な場合にはその当該国の国民の入国は原則停止する。
 
まあ、
 
>この手で十分に対応可能と私は考えます。
 
え、なに?
 
>人権侵害ニダ/人権侵害あるよ
 
ですって?
 
>あのー、このやり方が白黒はっきり言えば世界のスタンダードなやり方
>なんですけどね? 嘘だというならアメリカでもスイスでも入国・退去実務規範を
>ご自分で調べてみそらしど、です。

 
・<アーカイブ>政党政治における国民主権原理と外国人の政治活動の自由の交錯
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12245153016.html
 
・移民の国アメリカが移民を排斥することは矛盾だという論理の論理の破綻について
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e6c9a76d9b62dc8b6095bddf57340032

 
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木花咲耶姫
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きょうぼーざいは、あのー、英米法の「こもんろー」でも認められている、由緒正しい(笑)犯罪類型なんですけどね(cf. United States v. Shabani, 513 U.S. 10 (1994) )。


そして、日本では悪名高き(?)「治安維持法」なるものも、はい、リベラル派の大好きな、フランクリン・ローズベルトやウィドロー・ウイルソンの両大統領がむしろ積極的に導入した「治安法制」と比べればまだまだおとなしいものだったんだけどな・・・。
 
で、なにより、--ヴェノナ文書の公開とソ連崩壊によるKGB文書の流出によって--あのおちゃめなマッカーシー上院議員の再評価はもうアメリカでは常識、確定。日本ではいまだにこのこと識者さんたちは認めないけどね。

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日本再生と日本の子供たちのために「
共謀」している保守派のイメージ

    


 
2017年01月09日
テーマ:ブログ
 
「さくらの花びら『日本人よ誇りを持とう』」さんのブログより転載させていただきます。
共謀罪に反対する人々の顔ぶれを見ると納得ですね。
自分たちが対象になるからでしょう。
絶対に共謀罪が必要だと思います。
でも、また安保法案と同じく一般の人に恐怖心を与えて、共謀罪が危険だと洗脳するのですよね。
くれぐれも騙されないようにいたしましょう。(凛)
 
 
 
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蓮舫氏「大きな懸念」、「共謀罪」法案で
民進党の蓮舫代表は8日のNHK番組で「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について「大きな懸念がある。3回廃案になった法案がほとんど中身を変えずに出てくるのは立法府の軽視だ」と批判した。
 
政府は今月20日召集の通常国会に改正案を提出する方針で、与野党が審議で対決する可能性が強まった。
 
 番組後、蓮舫氏は「対象犯罪数が600を超えている。監視対象が広すぎるのではないかとの疑念はなお拭えていない」と、記者団に理由を説明した。
2017.1.8 日刊スポーツ)
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蓮舫も福島瑞穂も山口二郎も共謀罪に反対している。
 
反日左翼は共謀罪に反対する。
なぜか?
答えは明確。日本をぶち壊すためにやましいことをしているからだ。しかも反日国ともつながりがあるはずだ。
 
逆に保守派は共謀罪に賛成だ。
なぜか?
 
日本を愛し、国のために正しいことをしているからだ。つまり日本をぶち壊す反日左翼(マスコミなど)を一網打尽にして日本を守るためだ。
 
共謀罪に反対している連中は特定機密保護法や安保法制にも反対してきた。もちろん彼らはスパイ防止法も盗聴法も憲法9条改正も反対で死刑も廃止したい。
 
彼らの目指す日本の姿は、犯罪天国、スパイ天国、テロや内乱が起きやすい国、つまり侵略しやすい弱い国だ。
 
共謀罪に反対する連中は「思想信条の自由」を奪う悪法だという。しかしヘイト法案の時には「思想信条の自由」「表現の自由」を奪う悪法とは言わなかった。
 
つまり日本人の表現・思想信条の自由は奪い、反日左翼や在日の表現・思想信条の自由は奪ってはいけないということだ。
 
この「共謀罪」を法制化するまでには、いつもの光景の如く、国会前で反日団体や朝鮮人が集まり、反日マスコミは国民が懸念するように誘導し、野党は国会委員会でプレートを出してバカ騒ぎだ。
 
しかし日本に共謀罪がなく国際組織犯罪防止条約を締結しないことに国際的な批判がされている。共謀罪という国際的に当たり前のものがない日本が異常なのだ。
 
共謀罪に反対する連中を共謀罪で一網打尽にして「だから反対していたのか」と国民揃って言える日本にしていこう。

(転載元URL)
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長谷部恭男さんは、間違いなく、現在の日本の憲法学の第一人者です。ただ、実は、私は最初は奥様の由起子先生(民事訴訟法)のファンだったので、長谷部さん(憲法・法哲学)を知ったのはそれに比べれば随分最近ですけどね(笑)。而して、東大法学部の憲法の「正教授」ということで、法学界における反日リベラルの<総帥>でもある長谷部さんが、特定秘密保護法に賛成してくれた。うんー、流石、



護憲派の最終防御ライン!

反日リベラルも侮りがたし!



というところでしょうか。

そういえば、あの「芸能人医師」も、

こんなコメントを最近しているらしいし・・・。



すなわち、精神科医の香山リカさんも、

12月5日にツイッターでこうつぶやいているらしい。


「秘密保護法に反対してる人がみなキライだからきっと良い法律なんだろ、という意見をネットでよく見る。反対を語れば語るほど逆効果になるくらい嫌われてるちゅうことを、私を含めたいわゆるリベラル派は考えてみなきゃ。これじゃ反対会見開いてかえって法案成立に貢献しただけ、ってことになる」



反日リベラルも侮りがたし!



確か、「女はクリスマスケーキ、25過ぎたら売り物になりません」
と喝破したのは、30年くらい前のオールナイトニッポンでの中島みゆきさんの偉業。
でも、それから、間違いなく「女はハロウインンのJack-o'-lantern、31までは売り物になる」になり、
そして、現在では、「49日の最中」になりつつあるのは明らか。

何を言いたいのか・・・。蓋し、



万物は流転する。

ならば、今日の反日リベラルは昨日の反日リベラルにあらず、鴨。

反日リベラル侮りがたし、鴨。ということです。

だって、「反省」できてるものね。



以下、長谷部さんのインタビュー記事の転記。



尚、特定秘密保護法に関する私の基本的認識については
下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。


要は、特定秘密保護法は、国家機密を巡る「現行法では守れない漏洩の仕方」に対応することに主眼があるのであって、特定秘密保護法が--取りあえず、どのような情報を--新たに「国家機密」としてカテゴライズするかどうかは同法の立法目的からは二次的な問題である。ならば、その二次的な論点に専ら特化して繰り広げられた朝日新聞等々の同法批判は土台片手落ちの類でしかない。と、そう私は考えています。


・安倍総理の記者会見を「強弁」と書く朝日新聞の詭弁
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62215559.html

・知る権利の守護神としての特定秘密保護法
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62105282.html


* * * * * 


(今こそ政治を話そう)秘密法とどう向き合う 

憲法学者・長谷部恭男さん
2013年12月20日


去る11月13日、長谷部恭男東大教授は国会で自民党推薦の参考人として特定秘密保護法に賛成の意見を述べた。安倍政権が視野に入れる集団的自衛権の行使容認にも、憲法改正にも反対の立場の長谷部さんが、よりによってなぜ安倍政権に力を貸すのかと波紋が広がっている。真意を聞いた。


――もしかして、「御用学者」と呼ばれていませんか。

「何のことでしょうか」



――国会で特定秘密法に賛成の意見陳述をしたことが、この法律に反対してきた人たちに衝撃を持って受け止められています。

「特定秘密法が必要だと考えるから意見を述べた。それだけです。安倍政権のためではありませんし、自民党の推薦だということは、審議が始まる15分前に初めて知りました」



――特定秘密法が必要だと考える最大の理由は何ですか。

「国を守るための法律だからです。国を守るとは、憲法を守るということです。単に物理的に領土を守るとか、国民の生命と財産を守るということではありません。中国や北朝鮮と同じ政治体制でいいなら、国を守る必要はない。しかし憲法の定める自由で民主的な統治の基本秩序を守り、現在の政治体制を守るためには、特定秘密法をつくり、特別な保護に値する秘密が外に漏れないようにしなければなりません」

「国を守るためと称して安倍政権が視野に入れている、集団的自衛権の行使容認には大反対です。憲法改正についても、96条の憲法改正要件の緩和を含めて大反対です。ただそれと、特定秘密法は別です」



――秘密保持は、今ある法律を使えば十分可能ではないですか。

「特定秘密法はむしろこれまでなかったことが不思議な法律で、あって当然のものをなぜ今つくるのかと問われても説明は難しいですね。ただあえて言うと、どこの国もそうですが、基本的に役所は自分が持っている情報をほかの役所には出したがりません。これまでは、各役所がそれぞれ、首相に情報を上げていました。これでは到底、国は守れません。たとえばテロリストの活動や重大犯罪から国を守るためには各役所が情報を持ち寄り、連携して効果的な対策を打たなければならない。特定秘密法ができたことで、秘密は守られるからちゃんと情報を出しなさいと言えるようにはなります」

「法律には、特定秘密を扱う公務員や民間人は『適性評価』を受けると明記されました。家族の国籍、飲酒の節度、病歴などが調べられるのでプライバシーの侵害につながると批判されていますが、事実上、これはすでに行われています。近代国家である以上、こんな機微に触れる調査を行うなら法的根拠を明確にし、調査対象者が不服申し立てできる手段も備えておくのは当然です」





――しかしこの法律では、そもそも何が「特定秘密」に当たるかが全くわからず、秘密の範囲が際限なく広がる危険性があります。

「何を秘密とすべきかは時代や国際環境によって変化します。事前に隅々まで確定させられないのは、私たちが生きるこの世界がそういう風にできているからで、具体的な事例ごとに、専門知識をもつ各行政機関が判断し、指定したり解除したりするしかありません」

「今回の仕組みは、特別に保護すべき情報を金庫の中に厳重にしまって、権限のある人だけが見られるようにするというものです。なんでもかんでも金庫に入れてしまうと政府の仕事がやりにくくて仕方がない。常識的に考えて、秘密の範囲が際限なく広がることはありません」



――それこそ常識的に考えれば、『沖縄密約』を否定し続けた政府を信用しろと言っても無理な話です。恣意(しい)的な運用が行われていないか、独立性と中立性の高い第三者機関を設けてチェックさせるべきです。

「そうでしょうか。専門的な知見がない人に、特定秘密として指定すべきか否かの判断はできません。しかし高い第三者性を求めれば求めるほど、専門性の低い人を呼んでこなければならない。そんな組織を作ってもあまり意味がないと思います。発想を転換して、情報を手元に持っている人がそれを外に出しやすくする仕組みを作る、そのことに力を注いだ方がいいのではないですか」



――どういうことでしょうか。

「アメリカでは、諜報(ちょうほう)機関に勤める人が退職後に回想録を書くのはごく普通のことで、事前審査を経れば出版できる仕組みが整っています。例えば、アルカイダの捜査にあたった元FBI特別捜査官が2年前に出した『The Black Banners』は全米でベストセラーになりましたが、誰を尋問しどんな情報を得たか、『特定秘密』に相当することも含め詳細に記述されていて驚きます。著者はFBIに原稿を提出して事前審査をパスし、CIAから『不条理な削除』を求められた部分は黒塗りにして出版しましたが、CIAの要求は政府の保秘指定のガイドラインを逸脱しているので、法的手段に訴えるとしています」



「日本もそのような審査をパスすれば出版できる仕組みを作ればいいんです。そうしないと、本当に60年経っても情報が外に出てこなくなりますよ。例えば映倫(映像倫理委員会)は、外部有識者と映画出身者で構成される委員が、社会通念と映画倫理規程に従って自主的に規制を行っています。それにならって、メディア各社で組織を作り、出していい情報かどうか政府と協議するルートを持つ。審査を経て世に出たものの中に特定秘密が含まれていたとしても、審査を通ったことが故意の漏洩(ろうえい)ではないことを担保するので、罰せられる可能性もなくなります」



「特定秘密法ができたことで、秘密を知りたいという人々の欲求が高まり、市場ができる。そこを狙って回想録を出そうという人や、内部情報を入手して報じようとするメディアや記者が増える。政府に情報を出せ出せと要求するよりも、彼らがすでに持っている情報を外に出せるルートを作った方がはるかに実際的です。政府が『黒塗りにしろ』と不当な要求をしてきたら、法的手段に訴えればいい。特定秘密法には抵触していないと。手元に情報を持っているからこそ、勝負できるのです」





――そうでしょうか。特定秘密を漏らせば厳罰が科されるのだから、社会の萎縮はどんどん進むでしょう。長谷部さんと違って、多くの人は世間の空気を読みますから。

「すみませんね、空気も読まないで。そう。だからメディアが今、空気を作るべきなんです。萎縮する必要はないという空気を。それなのに『漏らせば厳罰』ばかり言ってむしろ萎縮ムードをあおっています」

「制度の外側からいくら心配しても心配な状況は変わりません。変えるためには内側に踏み込んで、情報を外に出せるルートを作るよう政府と交渉しないと。安倍政権の支持率が下がっている今が好機です。法律には反対だ、廃止しろとだけ言い続けていたら交渉できませんよ。ルートさえできれば情報はどんどん外に出てくるのですから。清廉潔白な朝日新聞さんは嫌かもしれませんが、清廉なだけでは勝負になりません」



――どんなに嫌みを言われても、特定秘密法、集団的自衛権、憲法改正をパッケージで見ると安倍政権に懸念を抱くのは当然でしょう。

「確かに安倍政権は危ないことをやろうとしているようには見えます。しかし特定秘密法で日本が戦前に戻るというのは非常におかしな議論です。今にも戦争が起きると言わんばかりの報道で人々をおびえさせるのはそろそろやめて、次のステージに移った方がいいと思います」

   

――自民党推薦の参考人として賛成意見を述べたことは結果的に「危ないことをやろうとしている」安倍政権に手を貸したことになります。

「安倍政権が次のスケジュールに移るという意味なら確かにそうかもしれません。しかし、そもそも安倍政権をつくったのは有権者であり、民主党政権を徹底的に批判して『決められる政治』を希求した朝日新聞をはじめとするメディアです。誰が決めるかが大事なのに、メディアはそれを等閑視した」

「私は安倍政権に決めて欲しいとは思っていませんでした。私たちは最初から理想の民主主義社会に生きているわけではない。あれもダメこれもダメではなく、自分ができることをまずやり、少しでもいい社会をつくっていくしかないのではないですか。有権者もメディアも『誰か』に責任転嫁し過ぎです」



――苛立(いらだ)っていらっしゃるんですね、日本政治や社会は無責任だと。

「別に苛立っていませんよ。とても平和で大変結構と思っています」

     


◆取材を終えて

「ゼロか100かしかないんですか」。長谷部さんに問い返された。敗北感にさいなまれ、「敵/味方」の分断線を引いては自陣営に引きこもる。その積み重ねは結局、異論を封じ、社会を一色に染めたがっている「向こう」を利するだけなのではないか。線を越えて緩やかにつながり「次の一手」を探す。それが最も有効な抵抗のはずだ。



(高橋純子)




(以上、転記終了)


【関連記事、かなり前のものですけれど・・・】
・憲法改正の秋 長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/11632074.html



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テーマ : 秘密保護法案
ジャンル : 政治・経済





◆裁判員制度:Jury System vs. Lay Judge System

裁判員制度は2009年5月21日に施行された「裁判所たる裁判官に「素人」を組み込む新たな「裁判官」の編成ルール」です。それは、①殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪等々の重大な犯罪を対象に2009年5月21日以降に起訴された、②地方裁判所で審理される刑事事件について、③裁判員(lay judges)とプロフェショナルな裁判官とが「裁判所たる裁判官グループ」を構成し、④裁判員は裁判官の指導助言を受けながらも、⑤有罪・無罪のみならず(有罪と判断された場合には)量刑をも合議で決する制度。

裁判員制度に我々は何を期待し何を期待すべきではないのか。結論から先に記せば、本編記事でも述べたように、私は裁判員制度や被害者の訴訟参加等々の最近の一連の刑事司法改革の眼目は、(少年・外国人・精神障害者による犯罪を含め単なる「厳罰化」の推進ではなく)、<市民の常識=社会の報復感情>の刑事司法への流し込みであり、刑事司法における「応報刑思想」の具現(to incarnate)、換言すれば<応報刑思想の逆襲>ではないかと考えています。

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裁判員制度の整理と評価。ご存知の方も多いと思いますが、素人が裁判に参画する所謂「陪審制:Jury System」や「参審制:Schöffengericht」は、その非効率性と下される判断の合理性に対する不信から現在ではその本家の英国では著しく、また、アメリカ・ドイツ・フランスでも漸次衰退しつつあります。けれども、裁判員裁判(lay judge trial)を通して<市民の常識>を司法に導入するという試みは、(「犯罪が生起するのは社会の歪みが原因」とばかりに被疑者・被告人の権利の擁護に熱心な戦後民主主義を信奉する勢力が牛耳ってきたこの国の刑事司法に対して、例えば、「厳罰化」、あるいは、少年事件裁判への被害者参加と知る権利の一層の保障を求めてきた)世論に沿った制度改革ではあろうと思います。

畢竟、「どの社会にもどの時代にも妥当する最適な制度」などは刑事司法のみならず選挙制度・国籍付与制度・税制等々どのような法域においても存在しないでしょう。而して、(明治初期のボワソナードの建議を端緒とする)戦前に施行されていた陪審制度が「多額の訴訟費用負担」「陪審裁判を経た判決の控訴禁止」「同輩の者達からの審理を嫌う情緒風潮」等の理由から陪審裁判を辞退する被告人が続出した反省を踏まえ、更には、現在、英米の陪審制に投げかけられている批判点、例えば、

(ⅰ)陪審による決定には(コモンロー上)、全員一致、少なくとも12人中の10人程度の多数での評決が必要とされてきたことにより、真の犯罪者にも無罪の評決が下されかねない

(ⅱ)法律の素人である陪審員だけでなされる陪審では、(法律上、陪審員もその教示に従わなければならない)専門裁判官が行なう法律に関する説明(instruction; charge)が理解できない陪審員によって、法的には無意味で非効率な討議がなされる傾向がある

(ⅲ)仕事で忙しい相対的に知識水準の高い市民ほど陪審員を辞退する傾向があり、陪審員の知的水準は漸次低下する傾向がありはしないか

(ⅳ)社会の工業化と情報化の昂進にともない、事実認定においても素人の陪審員が適切に判断しえない事例が増えてきた(特に、19世紀以降、民事陪審裁判の対象を漸次縮小してきた英国とは違い、連邦憲法と各州の憲法で、原則、ほとんどの民事事件に対して陪審裁判を受ける権利が保障されているアメリカではこの弊害は特に大きく、実際、アメリカでも「わけの分かっていない陪審員」による審判を嫌い、民事事件の双方当事者がともに陪審裁判を受ける権利を放棄する傾向が顕著!)


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これら英米の陪審制が抱えてきた問題点を鑑み、今次の裁判員制度は、(1)裁判員裁判の対象を重大な刑事事件に限定して裁判員・裁判員候補となる市民の負担を極小化した。また、(2)(コモンロー上の権利は地域社会のメンバーが主体となって守るべきだという、我々保守派にとって好ましい原理に英米の陪審員制度は根ざしてはいるものの、土台、英米流のコモンローを継受したわけではないこの社会にあっては)専門の裁判官と素人の裁判員が合議するドイツ・フランス型の「参審制」を導入することが、おそらく、現実的かつ妥当だった。いずれにせよ、この制度雛形の選択によって素人の暴走は制御可能になった。更に、(3)合議の議決は単純多数決によるものとし裁判員裁判の効率と適正さを担保しつつ、(4)原則、裁判員候補はその職務を辞退できないとした。蓋し、これらはすべて賢い制度設計ではなかったかと思います。

繰り返しになりますが、蓋し、裁判員制度の目的は一般的な<市民>の法感情を公的に刑事司法に導入することと言えるでしょう。ならば、裁判員裁判の対象事件に少年審判事件が含まれなかった等些か不満は残るものの、<社会の報復感情>を刑事司法に導入可能な制度が始動したことは評価に値する。そう私は考えています。尚、裁判員制度の実際の運用に関しては下記のURLをご参照ください。

・裁判員の参加する刑事裁判に関する法律全文
 http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/02.pdf

・裁判員の参加する刑事裁判に関する規則
 http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/27.pdf



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◆精神障害者の犯罪について-触法精神障害者とは何か?

精神障害者や心神喪失・心神耗弱の犯罪行為はなぜ刑を免除・減刑されるのか? 
これは法理的にはそう難しくはありません。

①刑罰を科すことを国家が正当化するためには、その犯罪行為が「道義的非難」に値するものでなければならない、②ところが、自分の行為やその行為の結果の意味(=実害の存在と大きさ、法が破られたことに対して社会が受けるショックの内容と度合)を認識できない者には、そもそも、「道義的非難」を加えることはできない。

③個々の事例について「道義的非難の可能性」の有無や度合いを検討することは(不謹慎な言い方ではなく真面目な話し)面倒、あるいは、不可能もしくは極めて困難。④加之、個々の事例について「道義的非難の可能性」の有無や度合いを検討することには裁判所たる裁判官の恣意が混入する危惧があり、よって、法律で「道義的非難の可能性」を事前に類型化することには人権保障の点でも意味がある。

⑤ここに言う「精神障害者」が自分の行為とその行為の結果の意味を認識できないタイプの人であると、間主観的に認定されるのであれば、⑥心神耗弱・心神喪失の者の犯罪行為とパラレルにそのような「精神障害者」の犯罪行為もまた「減免もしくは免除」されるべきである、と。

尚、本編記事で触れた「近代学派」の法制度や刑法理論では、(そこでは行為者の危険性こそが重要ですから、ある意味)「病気のように犯罪を繰り返す」タイプの精神障害者に対しては、①~⑥の理路とは逆に一般通常人よりも遥かに重い「刑罰=社会的隔離措置」が採られることになりかねません。


注意すべきは、(Ⅰ)全体的に精神障害者はそうでないとされる人々(理念型の「一般通常人」)よりも犯罪率はかなり低いこと(要は、犯罪を行う人間が異常者なら一般人が遥かに異常であること)、(Ⅱ)あるタイプの精神障害者はそれこそ「病気のように」犯罪を繰り返すこと、です。

蓋し、精神障害者の犯罪について刑の免除や減刑を考える場合、精神障害者による犯罪を巡るこれら(Ⅰ)(Ⅱ)を踏まえないでする粗雑な議論は不毛である。否、このイシューに関するそのような粗雑な議論は単なる精神障害者差別論にすぎない。そう私は考えています。而して、これまでの説明に加えて更に「補助線」を五つ措定します。

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(ⅰ)加害者がどんなタイプの人間であれ社会は不条理な犯罪を許せないと感じる

(ⅱ)ある凶悪犯罪に関してその加害者が、「日頃の行いから見てもいかにもそのような事件を起こしそうだ」と素人が感じるタイプの人物であれば彼や彼女の犯罪行為に対する社会の憤激の度合いはそうでない場合に比べて大きい

(ⅲ)刑事政策の施策も刑事法の運用も時代時代の科学技術の水準を前提にせざるを得ない。そして、現在の犯罪心理学的知見によれば、日本も含む現在の先進国の社会は、大まかに、(a)病気のように犯罪を繰り返す極少数の精神障害者と(b)一般通常人よりも犯罪率の低い大多数の精神障害者、そして、(c)一般通常人(より正確には、非[a+b]の人々)の三つの(理念型の)グループにより構成されていると看做される

(ⅳ)ただし、現実には、初犯に到るまでの(a)と(b)、同じく初犯に到るまでの(b)と(c)の区別を間主観的に行なうことは、(その識別手法の選択に際して人権への配慮は度外視したとしても、まして、人権と両立可能な手法によるものとしては)技術的・コスト的に困難である。

(ⅴ)刑期満了後の就労機会の乏しさ/犯罪者コミュニティー以外の<知人>の乏しさ等の社会経済的要因は無視できず、累犯の場合でさえ、(a)と(b)、そして、(b)と(c)の区別は容易ではない。要は、(a)(b)(c)などはあくまでも理念型の「表象形象-観念形象」に過ぎないのであって、現実には「(c)「一般通常人=普通の人間」などはこの世に存在しない!」ということ。



確認になりますが、凶悪犯罪を惹起させる危険性の度合は「(a)>(c)>(b)」と、あくまでも理念型としての類型間の比較ですが、一応はそう言えると思います。ならば、(ⅰ)~(ⅴ)をすべて踏まえつつも、(刑事司法と刑事政策は人権の確保と社会の安全の確保という二律背反的のバランスの上に構築されているのですけれども)犯罪者・虞犯者の処遇・予防は(ⅱ)の「予想された犯罪に対する社会と被害者の憤慨」をミニマムにするようなものにならざるを得ない。他方、(a)と(b)の同一視は精神障害者に対する偏見に基づく許されざる「差別」である。よって、問題は(a)と(b)の峻別の精度向上と、(a)と(b)との違いを社会に遍く周知する啓蒙と広報である。と、そう私は考えます。

けれども、たとえ(a)(b)(c)の識別が現実的にはそう簡単ではないとしても、少なくとも、「不条理な、しかし、充分に予想できた(a)「病気のように犯罪を繰り返す精神障害者」が起こす犯罪の犠牲者が実際に出ない限り、加害者の彼や彼女に対する予防強制措置を取れない」という、お役所的の弁明が、最早、<市民>の容認するものではないことも自明でしょう。

ならば、(甲)お役所的弁明に理論的根拠を提供してきた、(a)(b)(c)の類型化さえ拒否する戦後民主主義の「犯罪者性善説-国家権力性悪説」を粉砕し、(乙)累犯の場合に限るとしても、事前に(a)を監視・隔離することを可能とする制度こそが求められているのではないでしょうか。

逆に、(a)と(b)の違いが遍く社会に周知されていない現状では、(a)(b)を「十把一絡げ的に見る精神障害者観」も根強い。否、そのような十把一絡げ的の認識が寧ろ普通でしょう。けれども、そのような精神障害者理解は、触法精神障害者に対する「厳罰化」や保安処分の強化を推進する刑法思想、就中、応報刑思想とは無縁の「盲目の厳罰化論」に過ぎない。と、そう私は考えます。

尚、このイシューの核心たる「この世に<普通の人間>などは存在しない」ということに
関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ大変嬉しいです。

・「精神障害者も社会に入れて」ですと? 考え違いもはなはだしい!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/36744255.html



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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済





◆犯罪者を犠牲者と考える「優しい社会」は正常な社会か?

少年や精神障害者、外国人による重大事故や凶悪犯罪の横行を受けて、厳罰化や入国管理の強化、少年法の更なる改正を求める世論が強くなっています。戦後の「加害者の人権は地球よりも重く扱われ、被害者・被害者遺族の要求は羽毛よりも軽く見られてきた」この社会の現状を見ればそれは当然の流れというもの。

この社会には、しかし、この現状を目の当たりにしてもなお(よって、こちらも再々になりますが)「犯罪の原因は社会の矛盾であり、犯罪の加害者も被害者も共に社会的矛盾の被害者なのです。ならば、加害者を非難し厳罰を求めるのではなく、自分達の社会の問題として犯罪を捉え返してみることが大切です」などと脳天気にのたまう人権派も依然存在している。

例えば、大塚英志さんは「長崎幼児殺害事件」について朝日新聞に「考え続ける大人はいるか」(2003年7月19日・オピニオン面)なる論考を投稿しておられました。

曰く、「少年や若者によるどうにも不幸な事件が社会を揺るがした時、それを自身の問題として受けとめるひどく当たり前の立場が戦後社会にはあった。(中略)事件の直接の加害者が法の下で責任を負うことや、被害者やその家族の人権が配慮されるべきことに異論はない。しかし青少年の犯罪を自身の、そして社会問題として受け止めるかつてのありふれた態度が、たった今、この国ではひどく衰退してはいないか。(中略)自身の問題として青少年の不幸な事件を受け止める『社会』は、この国の戦後に確かにあった。そのような社会が、少年犯罪の温床となったのか、あるいは抑止する力だったのか、そこからじっくり考えよう」、と。

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犯罪を自身の問題として捉えよう/どうすれば犯罪をなくすことができるかを被害者と加害者を含め社会全体で話し合おう、とは何と美しい言葉でしょう。これを聞いたら、右の頬を打たれたら左の頬も相手に差し出すことを勧めたナザレのイエスも裸足で逃げ出すかもです。

けれども、社会的矛盾の解決により高いプライオリティーを置く主張を冷静に説く人権派の論者は、大多数の犯罪被害者とその遺族にとっては無意味かつ不条理な言説を笑顔を湛えて押し売りに来る善良そうな、しかし、傲岸不遜の輩にすぎないでしょう。而して、その傲岸不遜の基盤には戦後民主主義が垂れ流してきた観念的な人間観、すなわち、犯罪者の性善説が横たわっているの、鴨。

身体障害者に優しい社会は、実は、健常者にとってもより快適な社会であるらしい。この命題を私はある程度正しいと思います。ホイールチェア-の使い勝手を考慮した駅や歩道はそうではない無神経で無機質、ブッキラボウな駅や歩道に比べて健常者にとっても心地よいことが多いのは確かだから。けれども、では、犯罪者に「優しい社会」は犯罪者以外の者にとってもより快適な社会でしょうか? いいえ、「刑罰を受ける権利」の根拠と内実を反芻するとき、そんな社会は、実は、犯罪者にとってさえも不気味な社会であろう。私はそう断言します。

私は、犯罪者に「優しい社会」は犯罪者以外の者にとって必ずしもより快適な社会ではないと考えます。犯罪者に優しい社会は正常でも健全でもない、と。更に言えば、犯罪者の処罰と犯罪行為への社会的非難が曖昧にされる社会は究極的には一個の社会としては成立できなくなるのではないかとさえ思っている。

苛政は虎よりも猛かもしれませんが、犯罪者に優しい社会は犯罪者を含む誰にとっても非道で不条理な社会なのではないか。蓋し、大塚英志さんの如き、犯罪者に優しい社会を推奨する論者は、戦後も1990年前後までのこの社会の相対的な治安の良好さという社会インフラの上に胡座をかいて、あろうことか、彼等のその空虚な主張の破綻を(少なくとも、見かけ上は)ミニマムにしてくれていた、戦前の健全な教育を受けた日本人が体現していたこの社会の良風美俗を批判しているだけなの、鴨。それ正に、親亀の上の子亀が親亀に悪態をつく構図、鴨。閑話休題。

日本社会の治安の劣化、就中、市民が皮膚感覚で感じる治安の悪化はここ十年ほどの『犯罪白書』『警察白書』を紐解けば誰しも思い半ばに過ぎるでしょう。犯罪全体の認知件数の推移とは無関係に、①通り魔事件や幼児虐待や触法精神障害者の累犯事件等の理不尽な犯罪の横行、他方、②a少年犯罪の増加、就中、②b所謂「虞犯少年≒不良少年」ではない<普通の少年>によって惹起される凶悪犯罪の増加、③振り込め詐欺等々(おそらく戦後民主主義が崩壊させてきた)戦後社会の病理の反映としてカテゴリー化可能な犯罪類型の成立・定番化は、一般の市民にこの社会の治安の悪化を文字通り肌で感じさせるものだから。

ならばなおのこと、崩壊しつつある治安インフラの上に胡座をかいて犯罪者に優しい社会の実現を求めるなどは正気の沙汰とは思えない。そのような犯罪報道は有害でさえあると思う。そして、戦後民主主義と親和的なそれら「犯罪者性善説」の基底には「国家権力の性悪説-国家の必要悪説」が、すなわち、近代立憲主義的の社会思想が横たわっているの、鴨。もしそう言えるのならば、畢竟、近代立憲主義は間違っているか、戦後民主主義を信奉する論者が近代立憲主義の意味内容を曲解してきたのか、あるいはその両方であろうと思います。

尚、精神障害者の犯罪行為は刑を免除・減刑される余地があるか? 私はこの問いについては、心神耗弱・心神喪失の行為、自分の行為の善悪を充分に判断できない/自分の行動を自分で充分制禦できないほど幼い子供の行為と同様「余地はある」と考えます。現行の刑事司法の実務と同じく応報刑思想の犯罪観も(というか、「応報刑思想の犯罪観こそ!」でしょうか。)このことに同意する、と。この経緯については本稿末尾の「資料編」をご参照ください。


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◆被害者-被害者遺族の権利はもともと人権のメニューに掲載されていない?

近代立憲主義とは、特に、日本でそれが語られる場合には、フランス起源の「憲法は、国家権力の恣意的な運用を制約する頚木であり、民主主義の暴力から少数派の基本的人権を守る防波堤。逆に言えば、国家権力とは個人の人権を守るためにのみその存立が正当化可能な人為的な統治システムであり、また、民主主義の手続に沿った立法も人権内容を侵害する権能はない」と考える憲法思想と言ってよいと思います。

要は、(社会保障、そして、経済的と社会的規制といった所謂「現代法」の内容を捨象するとすれば)近代立憲主義を基盤とする近代法体系は国家権力の恣意的な運用から国民の行動の自由を守護することを目的とする、と。そう述べてもあまり大きな間違いはない、鴨。ゆえに、フランス人権宣言16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」の規定を嚆矢として、近代立憲主義を採用した憲法典は、権力分立制度と人権規定を二本柱にして編まれているのが一般的。

而して、我が国が立憲主義を導入した旧憲法以来、新旧双方の憲法典がともに加害者の人権保障条項を備えながらも、被害者・被害者遺族の人権については明文の規定を欠いているのも当然なのかもしれません。「国家権力を縛る/社会の多数派の専横を抑えるものとしての憲法」という立憲主義の意味内容からは、「被害者の人権」なるものは原理的に存在しないのでしょうから。ならば、存在しないタイプの人権の擁護を裁判所や検察や警察に求めても、それらの機関にとってそれは無理難題ということなの、鴨。

ことほど左様に、人権派の「近代憲法には被害者の人権なるものは存在しない」という主張は満更荒唐無稽ではないのです。けれども、近代法体系自体の基盤の基盤。近代的意味の憲法に正当性を付与してその効力を担保している近代立憲主義自体の根拠にまで思索を及ぼすときこの主張の説得力は俄然怪しくなる。すなわち、別のアングル、社会経済史の知見を加味した地平から再定義すれば、

近代立憲主義とは、(α)個人の自由な社会的活動の可能性を確保するために、それまで個人を抑圧してきた、教会・ギルド等の様々な中間団体を国家の権威と権力でもって弱体化させこれらの桎梏から諸個人を解放し、しかる後に、(β)個人を抑圧しうる唯一の存在として残った国家権力自体を憲法によって規制しようとするアイデアです。


而して、このロジックからは、戦後民主主義が「国家権力の性悪説-国家の必要悪説」をその立論の前提に置くことは自然な流れと言える。他方、しかし、近代立憲主義、すなわち、近代憲法のイデオロギーは、「国民」および「主権国家=国民国家」という<政治的神話>の楯の裏面でもある。

何を言いたいのか。それは、近代憲法は国家権力を「獅子身中の虫」として仮想敵視するものの、さりとてそれは「国家」や「国民」という<政治的神話>を否定していないどころか、それらの表象形態-観念形象と相互依存の関係にあるということです。


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そもそも、近代憲法とは<主権国家=国民国家>のイデオロギーが法的世界にインカーネートしたもの。すなわち、近代憲法も近代立憲主義も、アーネスト・ゲルナーが『民族とナショナリズム』の中でいみじくも述べている「民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の方法を通じてではない。確かに、ナショナリズムは以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも多くの場合それらを根本的に変造してしまう」という文脈から逃れられない存在なのです。

換言すれば、近代憲法とそのイデオロギー的基盤たる近代立憲主義もまた、国民国家の時代という歴史的に特殊な時代背景のコンテクストの中でのみ(しかも、フランス流の国家観と人権観を受容する極めて限られた人々に対してのみ)その<神通力>を保ちうる制度であり文化にすぎない。要は、キツネを拝もうがタヌキと踊ろうが個人の勝手であるように、戦後民主主義を信奉する論者がフランス流の近代立憲主義を勧請するのは自由である。けれども、それは縁無き衆生を拘束するまでの<神通力>は備えていない。畢竟、フランス流の近代立憲主義なるものは憲法の正当化イデオロギーのone of themにすぎないということです。

而して、例えば、(ドイツ・フランス型の参審制を媒介にして)今次の裁判員制度に流れ込んだ英米流の陪審制のエッセンス、すなわち、「コミュニティーの古き良き伝統の精華たるコモンローはコミュニティーメンバーの手で発見され継承され発展されてきた」という英米法の理念を想起するまでもなく、「被害者の人権」を認めない近代立憲主義的な刑事法体系の理解は唯一絶対のものではない。

蓋し、<国家>を社会統合の中核的理念と捉え、かつ、それを伝統の結晶の一斑と見る英米流の保守主義の社会思想とフランス流の近代立憲主義は位相を異にする別個の<物語>である。ならば、その優劣はこの社会の構成メンバーの法意識と法感情と法的確信が自生的と遂行論的に決する事柄でしかないと思います。

更に、「被害者の人権」を認めない立論は法の効力論の観点からも破綻していると言える。すなわち、(ここで「人権」や「権利」という言葉を、国家権力-公権力がその実現に与力する根拠となる価値と定義するならば)「被害者の権利」を認める刑事法体系は、近代主権国家の憲法の事物の本性から(先に述べた「国家が復讐の責務を放棄する場合、その刑事法体系の効力は崩壊する」という事柄のコロラリーとして)我が国の現行憲法においてもその成立と存在を主張できるものなです。

畢竟、「被害者の権利」をその人権のメニューに含むことができないような近代立憲主義や刑法思想には、寧ろ、この社会における正当性はなくそれらは放擲されるべきである。私はそう考えていますが、この私見を導くキーワードこそ「応報刑思想の逆襲」なのです。



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復活と逆襲の女神:木花咲耶姫




<本編了-資料編に続く>

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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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