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日本政府・地方自治体「独島は日本の領土」共同広報に出る
 
2017.02.09京郷新聞
 
 
 
日本政府と地方自治体などが独島は日本の領土という内容を入れて製作したポスター
 
日本が独島が自国の土地という主張を大幅に強化している。日本政府(内閣官房領土・主権対策企画調整室)と島根県、島根県隠岐の島町などが共同で独島は日本領土という主張を入れたポスターを製作したと時事通信が9日報道した。日本政府と地方自治体などは「竹島(日本が独島に付けた名前)」という題名のポスターに「独島が日本固有の領土ということは歴史的にも国際法上も明らかだ」という主張を書いた。 また「韓国が一方的に独島を占めて不法占拠している」、「日本はこの問題の平和的解決を指向する」という主張も含ませた。このポスターには独島の全景写真と地図上の位置なども入っている。
 
島根県は、1905222日に一方的に独島を行政区域に編入するという内容の告示をした。 島根県はこれを根拠に20053月に条例を通じて竹島の日(毎年222)を制定した。日本政府と地方自治体などは今回製作したポスターに「222日は竹島の日」という主張を入れた。
 
島根県はこのポスターを全国の地方自治体と教育委員会に配布し、今月から来月まで機関の庁舎などに掲示することを要求した。ポスターを利用して独島が自国領土という主張を積極的に知らせるということだ。今回のポスター製作は日本政府と地方自治体が共同で自国民に対する広報に出たことを示すものなので注目されている。昨年末に釜山の日本総領事館前に少女像が設置されたことを契機に韓日関係が悪化している状況で、日本側の独島領有権主張がますます大きくなっている局面だ。
 
日本政府関係者たちは、最近、独島領有権主張を積極的に広げている。岸田文雄外相は、先月国会で行った外交演説と記者たちとの質問・応答で独島は自国領土だと主張した。菅義偉官房長官も、キム・クァンヨン慶北知事の先月の独島訪問に関連して「竹島の領有権に関する我が国(日本)の立場から到底受け入れることはできない」と主張したことがある。松野博一文部科学相は、先月末、「子供たちが自国領土を正確に理解できるように学習指導要領を充実させる」と独島教育強化の方針を明確にした。
 
 
<転載元のブログ友のコメント>
日本側が竹島でちょっとでも動きを見せると、韓国の新聞は大々的に取り上げてくれる。はやりの言葉で「コスパがいい」と言うのかな。

 

(転載元URL)

 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/57622892.html?vitality


 

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天照大神

 

<海馬之玄関関連記事>

・2017年も2月22日は竹島の日 海馬之玄関はもちろん粛々と「竹島プロジェクト」に協賛します
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5c20039990e47181e5dc4445be2bc9ee

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先日3年ぶりに行われた日中首脳会談(2014年11月10日)について、日本ではリベラル派から噴飯ものの言説が出ているようです。曰く、「中国は日本の首相と会う必要はなかったけれど、アメリカの顔を立てて面談しただけだ」、あるいは、「安倍首相は「中国包囲網」を築く外交を展開してきたが、習主席の仏頂面を前に強気の突っ張り外交も転換を迎えた」(『週刊朝日』2014年11月28日号, p.29)とか。

その中でも最も唖然としたのは同上の週刊朝日の記事に引用されていた、
支那に詳しいジャーナリストとかいう富坂聡氏の見解。以下、引用開始。

言葉だけでは、中国の国内世論が許さない。そこで日中は合意文書の形をとりつつも、肝心の文言の解釈では、あいまいさを残すものになった。前出の富坂氏は、このあいまいさが問題だと指摘する。「文書には「歴史を直視し、未来に向かう」という言葉が含まれています。「靖国」などの具体的内容に触れなかったことで日本外交の勝利と分析する人もいますが、それは違う。「歴史問題」というあいまいな言葉になって、日中間の歴史問題が何でも合意文書違反になってしまう」(ibid)

φ(。。;) φ(。。;) φ(。。;)

唖然。なぜか。
簡単な話です。

すべからく外交文書というものは--というか、究極的には「あらゆるテクストは」というべきでしょうか--曖昧なものだから。ならば、外交交渉の勝敗を分かつものは、その文章がどの程度の曖昧さを採用したかに収斂する。要は、その文章が採用した曖昧さはどちらの当事者にとってより有利かがポイントということ。更には、「究極の曖昧さのケース」とパラレルな事態として、その文書が不要だったのはどちらかということもまた。

>こんど我が社と取引させていただきませんか?
>そのうちに考えときましょう。

б(≧◇≦)ノ ・・・「そのうち」っていつやねん!


而して、日中首脳会談の勝敗は明確。
それは安倍総理の完勝だった。

理由は二つ。一つは、靖国にせよ尖閣にせよ現状は日本側が圧倒的に有利なこと。つまり、尖閣を日本は実効支配しており、更に、日本の実効支配の現状を支那が脅かす場合にはアメリカは日米軍事同盟を発動すると数次にわたって表明している。また、日本の首相が日本国内にある靖国神社に参拝することを法的にはもちろん--ゴルゴ13でも雇わない限り--物理的にも阻止することは支那であれアメリカであれ不可能。ちなみに、ゴルゴ13は安倍総理の盟友麻生総理と昵懇の関係らしいので、支那がゴルゴ13を雇う線も可能性は低い、鴨。

二つ目。安倍首相が支那に対してこれまで毅然とした対応を
とり続けてきたこと。このことは国内外で周知のこと。

ならば、自国に有利な現状を今般の合意文書『日中関係の改善に向けた話合い』(2014年11月7日)が採用した曖昧さでもって日本が譲る筋合いも義理もない。また、支那が今後、確かに支那のことだから、日中間の歴史問題を何でもかんでも合意文書違反と言い募ってくることは、寧ろ、確実でしょうが、日本国内世論はもとより、世界でも--韓国と北朝鮮の他の特定アジアの両国を除けば--だれも真面目には相手にはしないだろうということです。

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畢竟、分析哲学の日常言語学派の源流の一人J.L.オースティンが『言語と行為』(1962年)で整理したように、言葉を使用する営みである「言語行為」は、文字通り言葉を発する「発語行為」の位相と重層的に、例えば、検察官の起訴状朗読や裁判官の判決言い渡しの如き「発語内行為=何かを言うことで何かを行う」位相、更には、例えば、債権回収を請け負った任侠系や神農系の親分さんが債権者に「うちの若いもんはおとなしいもんばかりやのうて、わたしも困っとるんですわ」と呟くが如き「発語媒介行為=何かを言うことでその発語内容と意味的には無関係な/必然性の乏しい何らかの事態を惹起させる」位相も存在している。

老婆心ながら申し添えておきますが、これら3個の位相は、言語行為の「行為の種類」ではなくて、ある言語行為が社会の中で観察される視点の違いによっていずれかに見えるという「様相の種類」なのです。

ならば、今般の合意文書を作成するという共同の言語行為は--それは、仲良く一緒に小論文作成ではなく、将棋や囲碁で双方の棋士が盤上に火花を散らしながら共同で<棋譜>を作るイメージに近い?--、発語内行為、および、発語媒介行為の位相においてこそ政治的な意味がある。政治的な勝敗が決する。

而して、繰り返しになりますけれども、その曖昧さの観点と現状の有利さから見て、日本にとってはどうでもよい文章が作成されて世界に向けて発信されたこと自体(発語内行為および発語媒介行為の位相からは)、安倍総理完勝の証左である。と、そう私は考えます。例えば、この点、海外でもこう報じられていますからね。

▼China's Xi, Japan's Abe hold landmark meeting
China has sought assurances that Abe would not repeat his December 2013 visit to Tokyo's Yasukuni Shrine・・・.
Such a promise would be hard for Abe to make and the Japanese leader said last Friday that last week's agreement did not cover specific issues such as his shrine visits.・・・

▼日中の首脳間で画期的な会談が実現
支那は、安倍首相が昨年12月を最後にして今後は靖国神社参拝を行わないという確約をとろうとしてきた・・・。
けれども、そんな約束など安倍首相が到底出来るはずのものではないだろうし、実際、安倍首相は金曜日【2014年11月7日】に、今般の合意文書は安倍首相の靖国神社参拝など具体的な事柄に言及したものではないと述べた。・・・

(Reuters, Nov 10, 2014)



蛇足ながら補足。
ならば、土台、

「中国側は日本の首相と会う必要はなかった」という認識は成立しないのです。
それはリベラル派の負け犬の遠吠えにすぎない。

畢竟、解釈という作業は<テクスト>の意味がなんらかの理由で<読者>にとって曖昧になるにおよんで必要となるもの。このことは、聖書解釈学の歴史においても、ホメロスの詩句を巡る古代ギリシアの文献解釈学の歴史においても、訓詁学や朱子学に代表される儒教の経典解釈の歴史を見ても確認できる経緯。

而して、確かに先般の合意文書は曖昧の程度がそこそこ高い--抽象度が高い--ものとは言える。けれども、その合意文書をパーツとして含む日中首脳会談という<テクスト>全体を眺めるとき、先般の合意文書『日中関係の改善に向けた話合い』には何の曖昧さもない。

なぜか、
簡単です。

あの習首席の仏頂面を見れば、日中首脳会談の「勝者は安倍総理」
ということは子供にもわかることだから。

ならば、
先般の合意文書の意味把握において解釈学の技術や解釈の作業は不要である。
なぜならば、その<テクスト>の意味は<読者>にとって極めて明瞭なものだから。
要は、本稿は論理的には不要な記事だったということ。

(><)


けれども、日本には子供にもわかることをわからない支那に詳しい人物なり、
その言説に飛びつくリベラル派のマスメディアがまちがいなく存在している以上、
本稿は、政治的と社会的な位相では必ずしも無駄なものではないの、鴨。


ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿


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【資料】
▼Regarding Discussions toward Improving Japan-China Relations
November 7, 2014
Toward the improvement of the Japan-China relations, quiet discussions have been held between the Governments of Japan and China. Both sides have come to share views on the following points:

1. Both sides confirmed that they would observe the principles and spirit of the four basic documents between Japan and China and that they would continue to develop a mutually beneficial relationship based on common strategic interests.
2. Both sides shared some recognition that, following the spirit of squarely facing history and advancing toward the future, they would overcome political difficulties that affect their bilateral relations.
3. Both sides recognized that they had different views as to the emergence of tense situations in recent years in the waters of the East China Sea, including those around the Senkaku Islands, and shared the view that, through dialogue and consultation, they would prevent the deterioration of the situation, establish a crisis management mechanism and avert the rise of unforeseen circumstances.
4. Both sides shared the view that, by utilizing various multilateral and bilateral channels, they would gradually resume dialogue in political, diplomatic and security fields and make an effort to build a political relationship of mutual trust.

▼日中関係の改善に向けた話合い
平成26年11月7日
日中関係の改善に向け,これまで両国政府間で静かな話し合いを続けてきたが,今般,以下の諸点につき意見の一致をみた。

1 双方は,日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を遵守し,日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。
2 双方は,歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い,両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。
3 双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し,対話と協議を通じて,情勢の悪化を防ぐとともに,危機管理メカニズムを構築し,不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。
4 双方は,様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して,政治・外交・安保対話を徐々に再開し,政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。

http://www.mofa.go.jp/a_o/c_m1/cn/page4e_000150.html








毎日新聞に面白い記事がありました。
朝日新聞と見間違えるほどの情緒的で無内容、
かつ、滑稽で姑息なコラム。

▽発信箱:特ア?=布施広(専門編集委員)
ちょっと面食らった。「特アとの関係は重要ではない」。意見感想欄にそう書いてある。ご存じだろうか。特ア(特亜)は特定アジアの略で、具体的には中国、韓国、北朝鮮を指す。反日感情の強い3国を冷ややかに隔離するように、ネットなどで時々見る言葉だ。

今月初旬、ある大学でアンケートをさせてもらった。偏差値的には超難関の国立大だが、誤解や先入観を避けるため大学名は伏せる。回答者は約90人。調査結果を見ると、「特ア」のような意見感想は例外的とはいえ、学生たちは近隣諸国、特に日中関係の改善に悲観的だ。「今後50年、中国とうまくやっていけるか」との問いに「非常にうまくやっていける」と答えた人は皆無。6割以上が「関係悪化」「険悪に対立」と答えている。

また、「集団的自衛権を認めるべきだと思うか」との質問に、「思う」と答えた人は55%、「思わない」はわずか13%だった。「行使を認めるべきか」と聞く方が正確だが、出題ミスとも言えまい。ちなみに毎日新聞の8月の世論調査では、「思わない」が53%を占めた。タカかハトかといえば、エリートと呼ばれる学生たちはタカに近い。

なんでかな、と別の大学の男子学生に聞いたら、「学生はネットを見たりして自分の好きな情報をどんどん取り込む。だから考え方が一面的に、急進的になる傾向があるのでは?」とのこと。

なるほどと感心したが、知識欲が旺盛でも一面的になるとは限らない。若者を引き付ける「左」の論客が「右」に比べて目立たず、影響力が弱いことこそ根本的な問題ではなかろうか。

ともあれ隣人は大切にしたい。右でも左でもいいが、特アなんて悲しい言葉だ。


(毎日新聞・2013年10月30日



>冷ややかに隔離するように
>特アなんて悲しい言葉だ


て、これ感想文? 文芸評論?
それとも、個人の日記? 少し長めの現代俳句?


これを英語やドイツ語に翻訳してみそらしど、
どれみふぁそれは誰にも意味わからんがね、多分。



あのー、



「被差別部落なんて悲しい言葉だ」
「在日韓国人なんて悲しい言葉だ」
「発展途上国なんて悲しい言葉だ」
「失敗国家・破綻国家なんて悲しい言葉だ」

なんて言ったら、被差別部落の人とか在日の人とか、人類の人口の三分の2の人々とか、
アフリカ大陸の四分の1くらいの人は怒るぞ、多分。


「従軍慰安婦なんて悲しい言葉だ」
「南京大虐殺なんて悲しい言葉だ」
「強制連行なんて悲しい言葉だ」
「韓国併合なんて悲しい言葉だ」

なんて言ったら、お仲間の反日リベラルの論者が目をむくぞ、必ず。


と、そう私は思います。


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これコンテクストを踏み外した言いがかりでしょうか?
いいえ、私はそうは思いません。


第一に「特定アジア」という言葉は布施さんも書いておられる通り「中国、韓国、北朝鮮を指す」、明確な指示対象を持つ言葉です。それは、「前のめり」とか「右傾化」等の曖昧な言葉とは全然異なる。寧ろ、「トルコはアジアか欧州か」とかいう場合の「欧州」や「アジア」よりも遥かに明確な言葉。


第二に、「特定アジア」という言葉自体にどんな感情を添えて発信するかは論者や議論のコンテクスト次第でしょうが、「特定アジア」という言葉自体に「差別・誹謗・中傷」の色彩があるとは言えない。

例えば、1980年くらいまでは、「後進国」(Backwards Country)とか「未開発国」 (Undeveloped Country)などという言葉もありました。が、しかし、現在では、普通、「開発途上国」ならびに「発展途上国」(Developing Country)という言葉が一般的でしょう。

これも、前者が「差別的」だということ、欧米の現状を唯一の目標にする「文化帝国主義」の色彩が嫌われ、多様な、しかし、よりよい発展を目指すという--総花的な?--立場から名称が変更になったと覚えています。このような言語使用の実例から見ても--機能文法と親和的な意味論の観点から見ても--「特定アジア」という言葉自体に特に問題はないと思います。


ならば、第三に、現在、世界の200ヵ国近い国々の中で、国際法や確立した国際政治の慣習を度外視して日本に筋違いの非難と要求を繰り返す--日本人を拉致する、漁民を殺戮する、靖国神社に放火する、仏像を盗んでかえそうとしない!--国はこの3ヵ国だけであり、ならば、これら、支那・韓国・北朝鮮を「特定アジア」として他のアジア諸国から区別することは思考の経済の点からも合理的である。と、そう言えるのではありますまいか。


第四に、畢竟、言葉とはすべからく対象世界を自分の立場から切り取り分類(分節)するものなのですよ。その意味では、言葉とは「冷ややかに隔離するように」どころか、100%、「冷ややかに隔離する」ものなのです。而して、ある言葉が、それほど曖昧ではない(指示対象が明確である)のならば、そして、--第二で述べた如く、その言葉自体には「差別・誹謗・中傷」の語義は少なく、かつ、--その言葉を使用する行為(言語行為)を社会的に「差別・誹謗・中傷」の行為とする文化コードが存在しないのならば、どの言葉をどの意味で使おうがそれは論者の自由でしょう。

つまり、「ハーケンクロイツ」の使用は、ドイツの欺瞞に満ちた戦後社会では、それを「差別・誹謗・中傷」の行為と見做す文化コードや法のコードが存在するがゆえに、ドイツでは「悲しい」どころか「許されない」。けれど、そんな文化コードの存在しない、ドイツ以外の国ではその使用禁制の度合いはそれほどではなく、まして、例えば、「旭日旗」の使用に関しては、特定アジアを除けば、世界のどこにもそんな禁制コードは存在しないがゆえにその使用は自由なのです。



もっとも、何を悲しい言葉と感じるかは、
これまた論者の自由でしょう。


けれども、


>私はそう感じる

ということと

>皆さんもそう感じるべきだ、少なくとも、
>私は皆さんにもそう感じて欲しい

という言明と言語行為は明らかにその<正当性>の根拠を異にしている。而して、全国紙の紙面に掲載されたコラムが後者であることは--後者であると受け取られても著者は文句が言えないことは--明らかではないでしょうか。ならば、上に引用した布施さんのコラムは杜撰であるのみならず僭越である。そうではありますまいか。ありますまいか。と、そう私は考えます。



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いずれにせよ、
コラム末尾近くの、


若者を引き付ける「左」の論客が「右」に比べて目立たず、影響力が弱い」という、反日リベラル派の敗北宣言とも受け取れる現状認識は潔いと思います。けれども、「左」の論客が--マスメディアのほとんどを反日リベラル派が牛耳っているにもかかわらず--なぜこの社会における説得力を失ったのか。その理由を--「日本社会の右傾化」とか「戦争体験の風化」なる、何も説明していないに等しい<ブラックボックス>を導入して糊塗するのではなく--反日リベラル派は、よーく考えて見るべきだとも思います。余計なお世話でしょうけどね(笑)。

蓋し、その原因はリンカーンの次の箴言に鮮やかに予言されているの、鴨。

多くの人をひと時騙すことはできよう、
また、少数の人を長きにわたって騙すこともできるかもしれない。
しかし、多くの人を長きにわたって騙すことなどできないのです。



あるいは、保阪正康さんが抽出・整理された「2・26事件」の3個の原因、すなわち、
皇道派将兵の心性の理解(例えば、『昭和史の教訓』(朝日新書・2007年2月, p.27)

(一)動機が正しければあらゆる行動が許される
(二)天皇神格化による臣民意識の涵養運動
(三)国際的孤立からくる心理的、政治的な閉塞感


も、また、その(二)の字句を2箇所変換して

(一)動機が正しければあらゆる行動が許される
(二)人権神格化による地球市民意識の涵養運動
(三)国際的孤立からくる心理的、政治的な閉塞感


とすれば、「2・26事件」を引き起こした皇道派と反日リベラル派の言説の類似性は
顕著であり、ならば、これも日本の「反日リベラル-戦後民主主義」の
この社会における説得力の衰微の原因分析になっているの、鴨。

もっとも、「2・26事件」自体については、それは--政友会と民政党との党利党略の泥仕合への嫌悪を別にすれば--自分の姉や妹が身売りされている農村の窮乏に無為無策の政治を糾弾する兵士達の怨嗟の叫びに背中を押された、人事的に冷遇されてきた「非天保銭組」(陸軍大学卒業者ではない将校)の鬱憤晴らしにすぎないと私はシンプルに考えていますけれども。閑話休題。



蓋し、「天賦人権論」なり「集団的自衛権」なりが世界では日本の反日リベラルの憲法学説とはほとんど別物として理解されていること。または、ドイツが戦後責任どころか戦争責任も十全には果たしていないのに対して日本は過去に例がないほど誠実かつ完全にそれを果たしていること。逆に言えば、その責任の処理に対して特定アジア諸国内部で不満があることは、毫も「誠実」と「完全」の語義を棄損しないこと。


尚、「天賦人権論」と「集団的自衛権」の意味内容に関する
私の基本的理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59856822.html 


加之、海外では、日本の明治以降、少なくとも、昭和10年くらいまでの歴史が高く評価されていること。日本の所謂「つめこみ教育」(笑)への評価が世界では極めて高いこと(例えば、日本の「受験英文法教育」は英米の英語教育研究者の間では称賛の対象でさえあること)。そして、どの国も「ともあれ隣国」とは仲が悪いこと・・・。

これらの諸々の事柄が、ネットを通じて英語を通じて日本の普通の人々にも知られるようになった現在。あるいは、格安航空券で「人権大国なるフランス」や「福祉大国なる北欧」に旅する日本人が増え、また、それらの国から日本に来られる方も増えるに従い--それらの「大国」の実像を知る日本人が増えてきたのにともなって--、「ありゃ、ふにゃ、こんな「大国」よりも日本の方がましだし、それは戦前でもそうだったんじゃないかい」という皮膚感覚的の認識が広くこの社会に行き渡ってきたの、鴨です。

もし、そのような皮膚感覚的な彼我認識の普及と浸透の想定が満更間違いではないとするならば、反日リベラル派の流布してきた世界イメージや歴史認識が、ゆっくりと、しかし、確実に崩壊してきたことも理の当然なの、鴨。と、そう私は思います。ならば、自虐史観からよりニュートラルな「特定アジア」という言葉は、現在の所、かなり便利で適切な言葉であることもまた、この社会の「右でも左でもいい」けれど多くの人々が理解してきたの、鴨とも。


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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済





上は、先日、現在では東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』(小学館:2010年~2012年)の作品舞台として有名になった東京都国立市エリアにも程近い、そして、日本の政治史上で「最低の首相」菅直人氏の選挙区でもある東京都下は武蔵野市の公園で見かけた注意書きです。

ちなみに、日本の政治史上で「最悪の首相」は鳩山由紀夫氏であるという認識にはそう異論はないと思いますけれども、いずれにせよ、「最低の首相」の選挙区の風景だからといって普通はこのような画像を弊ブログではアップしません。なぜならば、弊ブログは(これでも!)差別排外主義的や下品な画像や言説はつとめて取り上げない方針だから。そうなのですが、この注意書きにはなにがしか考えさせられました。


ポイントは「urinate」(←意味は各自でお調べください!)は自動詞であり、要は、この注意書きのメッセージ「Please do not urinate in this area」は、注意書きの絵を見るに、文法的には、その飼い主さんにではなくワンちゃんに直接向けられたものということ。而して、この注意書きを見て考えさせられたこととは、「ワンちゃんに英語が理解できるのだろうか」、流石に、国際化の進む東京都下の中央線沿線エリア(日本の「反日リベラルの巣窟」の一つとも言う。)では、日本語はともかく、ワンちゃんでさえ英語を理解できるのだろうかということ。

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と、冗談は終了。というか、この反日リベラルの巣窟エリアでは、英語はもとより日本語の能力さえ怪しいのに、なぜか、韓国語や北京語を小学生の頃から「補助教材」という形式にせよ、公立学校の反日リベラルの教師から教えられた経験を持つ児童生徒も少なくないことは、(それらの児童生徒の「駆け込み寺」である、要は、あまりに低い自分の子供達の学力に驚愕した家庭が主要なマーケットである、とある吉祥寺に本部を置く、某予備校で英語教材開発の総責任者を務めていた)私の実体験からも断言できるのですけれど、まー、おそらく、東京都下の(中野区・杉並区・三鷹市・武蔵野市・小金井市・国分寺市・国立市といった、立川市以東の)中央線沿線エリアでもワンちゃんが英語を理解することはないでしょう。

而して、本稿の主題は、「韓国に対して国際法にのっとった合理的な日韓関係の再構築を求める」ような言説は--支那に対して、例えば、「戦略的互恵関係の再構築を呼びかける」ような言説とも違って--畢竟、冒頭の画像のように「ワンちゃんに向けて要求・提案する」言説とあまり変わらないのではないかということです。要は、支那は「日本の要求や提案の言説を受け入れる気などさらさらないにせよ、日本が発信する言説を理解することは可能」であるのに対して、韓国は、土台、「日本が発信する言説を理解する<言語能力>自体を欠いている」の、鴨。と、この武蔵野市の某公園の注意書きを目にしたときにそう私は感じたということです。


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いずれにせよ、例えば、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る韓国の主張、あるいは、韓国の裁判所が、日本企業に対して戦前戦中の「強制徴用被害者」なるものに対する賠償を命じたこと、更には、同じく韓国の裁判所が対馬の寺院から盗まれた仏像の日本への返還を差し止める仮処分を行った件、もしくは、靖国神社の門に放火した中国籍の放火犯の日本への引き渡しを拒否する判決を下した件、等々を想起するに、上に述べたような私の韓国と支那の<言語能力>を巡る理解が--就中、韓国の<言語能力>の理解が--満更暴論ではないとすれば、例えば、朝日新聞などが夙に主張するような「粘り強い外交交渉を通じた日韓関係の改善」なるものは、確率的に困難などではなく、原理的に無意味ということになるの、鴨。


蓋し、「話せば分かる」といういうことは、根本的なイデオロギーを異にする、あるいは、お互いの国家の存続にとって死活的に重要な国益を巡っては成り立たない。分析哲学や現象学の認識を持ち出すまでもなく、このことは自明のことでしょう。だからこそ、逆に言えば、より価値中立的でより形式的な「相互の利害を調整するルール」としての実定国際法や確立した国際政治の慣習の値打ちが認められるのではないでしょうか。

ならば、根本的な歴史認識、ならびに、エネルギーや安全保障といった国家にとって死活的に重要な国益、すなわち、そんなイデオロギーと国益を異にする国同士の対話の意味とは、皮肉ではなく真面目な話、①自国内の世論の動向や国際情勢の変化を睨んだ上での両国政府の時間稼ぎであるか、②どの地点までならイデオロギー的と国益的に折り合えるかの相互確認に収斂する。

敷衍すれば、「会議は踊る、されど進まず:The Congress dances, but it does not progress」と自嘲されたウィーン会議や「鹿鳴館の連夜の舞踏会」も満更無価値や無意味ではなかったのかもしれないということ。と、そう私は考えます。そして、残念ながら、支那はともかく韓国に対しては、これら①②さえも期待することなど到底(くどいですが、確率的にではなく原理的に)できないの、鴨です。

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ここで大急ぎで言葉を足しておかねばならないことがあります。それは、本稿で韓国や支那の<言語能力>と私が呼んでいる事象は、個々の韓国や支那の方々の<言語能力>についての表象ではなく、個々の韓国人や支那人が「韓国国民」や「中華人民共和国公民」として、就中、韓国や支那の政府高官や政治家としてビヘィブする際に観察・抽出される傾向性のことだということ。このことは間違っても誤解なきようにしていただきたいと思います。

なーに、日本にも、それも首相経験者にも、菅直人氏や鳩山由紀夫氏の如く--博愛ならぬ過剰な自己愛のゆえにでしょうか--根本的な<言語能力>を欠落している輩は珍しくない。他方、(大阪は鶴橋あたりの焼肉屋さんの店主のご家族との交流や米英での私個人のビジネス経験という狭い認識の範囲でさえも)人格高潔にして知性溢れる韓国人や在日韓国人の淑女紳士の方々はけっして少なくないのですから。ただね、そんな立派な淑女紳士の韓国人も一度「韓国国民」というユニフォームを着て日韓関係に関する言説を展開する段になると・・・・(苦笑)。武士の情けで以下省略。


畢竟、ことほど左様に、個々の韓国の人々や支那の人々の<言語能力>ではなく、それとは別の位相にあるものとして<韓国の言語能力>や<支那の言語能力>を捉えるとき、これまた朝日新聞などがしばしば主張する「民間レベル、特に、若い世代の日韓の市民間の文化交流の裾野を広げることによって日韓関係を改善しよう」などは、机上の空論などですらなく原理的に成立し得ないファンタジーの類であることも明らかなのかもしれません。もっとも、更に逆に言えば、例えば、安倍総理の昭恵夫人が関心をもたれている日韓の文化交流が、日本と韓国の人々が互いの文化や社会に対する理解を深めるための有意義な試みであることが、この<言語能力の二元論>によって否定されることは断じてないこともまた間違いないにしても。と、そう私は考えます。


尚、本稿は専ら<韓国の言語能力>の検討に焦点をあてたものになりました。よって、<支那の言語能力>について、すなわち、支那に憑依する世界認識の枠組みと、その行動の傾向性に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

要は、その本性が狡賢く強欲で利己的であっても、また、「息を吐くように嘘を強弁する」と評される如き、それが紡ぎ出すロジックの根拠が荒唐無稽にせよ、その言説が--過去の言説との整合性などは置いておくとしても、少なくとも、その当該の言説テクスト内部においては--論理的であり、また、その行動も予想可能である分だけ支那の方が、そうではない韓国よりは--徹頭徹尾、その認識も言説も「お花畑」である韓国よりも--まだ日本にとっては(あくまでも、上記①②の意味でですけれども)交渉の余地と意味はあるのかもということです。


・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153763008.html


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テーマ : 韓国について
ジャンル : 政治・経済





▼石原知事「河野のバカが日韓関係ダメに」 慰安婦問題

東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、日本の官憲による慰安婦募集の強制性を認めた平成5年【1993年】の河野洋平官房長官(当時)による「河野談話」に関し、「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした」と批判。また、「ああいう貧しい時代には売春は非常に利益のある商売だった。貧しい人たちは仕方なしに、しかし決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」と述べ、強制性を否定した。

一方、「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長も同日、河野談話を「証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と批判。19年【2007年】の安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘し、「閣議決定と談話では天と地の差がある。韓国側が談話を根拠として主張するのは間違っている」と述べた。市役所内で記者団の質問に答えた。

(産経新聞・2012/08/25:下線部と【】内はKABUによるものです)


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蓋し、それが歴史的事実とは無縁なものであり、閣議決定されたものではなく時の官房長官の<私的な妄想>にすぎないという意味で、「河野談話」の荒唐無稽さは周知のことでしょう。加之、例えば、アメリカ連邦下院でなされた所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る反日決議(2007年7月31日)の根拠も煎じ詰めればこの「河野談話」につきており(要は、英米の刑事司法的な観点からは、「被告=日本政府」が<犯行>を認めている以上、特にそれ以上の証拠を提出する責務は「原告側=アメリカ下院」にはないわけですから)、「河野談話」が日本の国益を毀損してきた度合いは計り知れないものです。

更に言えば、(「振り込め詐欺」の被害者は往々にして何度も「振り込め詐欺」の餌食になりがちとはいえ、マクロ的には「虚偽の事実」に基づく「振り込め詐欺」を前提に安定したビジネスモデルを構築することは到底不可能であるのとパラレルに、朴正煕大統領閣下を除く、歴代の韓国の大統領が繰り返してきた所謂「従軍慰安婦」なるものを認め謝罪せよという「振り込め詐欺」に、これまた日本のほとんどの歴代の政権が引っかかってきた不名誉で不細工な現実はあるにせよ、)事実無根の虚偽を前提にして安定した外交などは土台構築できるはずもない。

ならば、これは綺麗事や皮肉ではなく、「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした」と石原都知事が喝破されている如く、実定国際法と確立した国際政治の慣習に則って編み上げられるべき、日本と韓国との外交の合理化・透明化・公平化を進める上でもこの「河野談話」が大きな障害になっている。と、そう私は考えます。まーもっとも、私自身は、支那・韓国・北朝鮮という特定アジア諸国と日本との関係は「政凍経冷」くらいがちょうどよいと思っていますから、この最後の点はどうでも良いことではあるのですけれども(笑)。

ことほど左様に、最早、「河野談話」の虚偽を放置しておくことはできない。もちろん、「安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘し、「閣議決定と談話では天と地の差がある」」という橋下大阪市長のコメントにもある通り、日本の国内法的には、安倍政権による閣議決定(2007年)によって「河野談話」は否定された。けれども、こと政治社会学的にはこの「河野談話」はその害毒をいまだに世界に撒き散らしている。このことは遺憾ながら否定できない日本を巡る国際政治の現実でしょう。

蓋し、再度記しますが、最早、「河野談話」の虚偽を放置しておくことはできない。而して、現在では談話のその害毒が法的なものではなく政治社会学的なものに移行してしまっている以上、「河野談話」を槓杆として回転している虚偽と反日の車輪を止めるには、その談話の主の河野洋平氏ご本人に、談話の事実関係の誤りを認めさせ、それがもたらした日本の国益への実害を謝罪させ、物理的に江ノ島海岸、あるいは、大磯ビーチか鎌倉の材木座の砂浜で腹を切らせるだけでは問題は解決しない。

畢竟、「河野談話」を槓杆とした害毒の再生産プロセスは、最早、その段階に進んでいると思います。ならば、この問題の解決は事実を日本政府が調べその結果を世界に向けて能動的に発信しない限り治癒されることはないのではないでしょうか。

而して、私は、先日、福島第一原子力発電所の事故拡大を決定的にした菅直人氏の不適切な言動を赤裸々に暴露した「国会の事故調査委員会」と同様に、現行憲法によって日本の国会に与えられた国政調査権の正式な発動として、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る「河野談話」の問題(具体的には、①いかにして、このような虚偽に基づく官房長官の私的妄想があたかも日本政府の認識であるかのように世界に向けて発信されたのか、加之、②その前後の歴史として、(「進出」と「侵略」を巡る「歴史教科書の書き換え」を巡る誤報と並んでこの問題に関しても!)朝日新聞の<誤報>がいかにして発信されたのか)を調査/調査結果の完全公開を行うべきではないかと考えます。すなわち、

・専門家の第三者機関を国会に作り
・事実の調査(その調査対象の中には河野氏/誤報を出した朝日新聞の当時の担当者の
 証人喚問は当然含まれるべきでしょう)
・結果を資料と共に日本語と英語で公表する


そして、この国会の調査委員会の報告を受けて、速やかに、日本政府は「河野談話」の荒唐無稽さを事実的な根拠を示して、2007年の安倍政権の閣議決定を再度確認するべきであろう。而して、その国会の調査委員会の調査費用は河野洋平氏に全額請求するべき、鴨。まー、神奈川県平塚市の彼のお屋敷を売ればそれくらいの費用は大丈夫ですよ。と、そう私は考えます。

蛇足ながら、朝日新聞の個別の報道を国政調査の対象にすることは、自然人たる個人の人権に比して相対的に副次的な権利内容しか認められない報道機関について、(ⅰ)それが事後的な国会による調査であり「検閲」に当たらないこと。また、(ⅱ)例えば、所謂「悪意理論」を紡ぎ出すことによって、ある不正確な報道がもたらした損害賠償責任について、その報道が「公人」についなされた場合には報道機関にとってより寛容に解した「ニューヨークタイムズ対サリヴァン事件:New York Times Co. v. Sullivan, 376 U.S. 254 (1964)」が名誉毀損に起因する損害賠償を巡るものであり本件とは事案を異にしており、(ⅲ)何より、副次的な表現の自由の受益者にすぎない報道機関が「第4の権力」と呼称される影響力を帯びていることに起因する社会的な責務を鑑みれば、朝日新聞の個別の報道を国会が俎上に載せることには現行憲法が規定する表現の自由の内容からも特に問題はないと考えます。

尚、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る私の基本的な理解については
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60931202.html

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60653178.html

・戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60939316.html


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【資料】


▼“慰安婦性奴隷説”を言い出したのは職業的反日日本人の男
▼捏造された慰安婦問題拡散のきっかけの1つが朝日新聞大誤報

慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。

東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について解説する。

* * *

慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して誕生する。吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。だが、『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。

この吉田の証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報をして、第1次慰安婦騒ぎが始まる。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」という大見出しを付けた記事は〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた〉というリードが付けられていた。

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いている点が吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった。なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」てはいないからだ。彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す)として売られたと訴状などで明言しているのだ。今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。

1992年1月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、これから調べるという驚くべき回答を得た。以上のような内容を私は同年4月号の月刊『文藝春秋』に書いた。

私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も嘘であることを暴いた。金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという結論を出した。

日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。


(SAPIO・2012年8月22・29日号)


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