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<KABUコメント>
>あまい!  と思われるかもしれませんが

まず、このリブロ元の記事の認識と主張、完全に同意見です。
本の撤去など話題になること自体がおかしい。
そして、池田氏の碑文、もう笑えるくらい駄目! 

で、ですね、「総価学会」のこと。
あれ、一枚岩じゃないんですよ、今。

その所得からみても社会的な威信の高いポジションに若い世代が漸次移行するにともない、また、「貧困―反日ビジネス」の老舗(!)の共産党や左翼リベラルがますます彼等の伝統芸能にしがみつくにともない、組織としての総価の差別化のためもあり、

現在、自民党のなかの岸田派や額賀派、二階派、石原派のリベラル系の議員やその支持者よりもはるかに、安倍総理とその政策に親しさを感じる若手の(特に、これ「差別」なんかではなく、むしろ、外交官や法曹界経験者の女性の若手の!)公明党議員やその支持者は多数派ではないが少なくはない。実際、福岡とかの選挙応援、公明党の代表より安倍夫人の来福(正に、「福が来た~!」)に学会の夫人部若手奥様方(あら、アラァ40?)熱狂してはったから。

ただ、もちろん、記事のご主張に同意します。
michiruさん、保守派の皆さま、
今後ともよろしくお願いいたします。
 
・業務はすべて「アパ」に。今日からやります「中国に負けるな」 
 アパホテル書籍、ネットで反響広がる
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12239576045.html
 
・ないすやわ、良い意味で「びっくりぽん」やわ:”APA(アパ)ホテルは超快適です☆☆☆”
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12239210997.html
 
・安倍総理、公明党の党首も兼ねるって?
 ちと、働きすぎじゃないかい?

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2017-06-04 00:11:01

◆アパホテル、東京五輪でも南京虐殺否定の書籍は撤去せず
http://jp.reuters.com/article/apa-hotel-idJPKBN18T12W?il=0 

[東京 2日 ロイター] - ビジネスホテル大手のアパグループが、客室内に南京大虐殺や従軍慰安婦問題を否定する書籍を置いていることに今年1月、中国から批判の声が上がり、宿泊拒否が相次ぐなどしていた問題で、著者である同グループの元谷外志雄代表は2日、東京オリンピック開催時にも本を撤去しない考えを示した。 

この問題を巡っては、今年2月に札幌市で開催された冬季アジア大会で、韓国と中国が選手団の宿泊先を、アパホテルから別のホテルに変更していた。 

ただ、その後も日本に住む中国人が東京で抗議のデモを行い、アパホテルの宿泊拒否を呼びかけるなど、波紋を呼んでいた。 

元谷氏は著作の発表会で、東京五輪の際に本を客室から撤去するかと質問され「東京オリンピックだからといって、撤去する意思はない。私のホテルに私の書籍を置いて何がおかしいのか」と答えた。 

発表した新著でも、南京大虐殺はなかったとし、韓国人慰安婦の強制連行もなかったと主張している。

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(私の感想)
外務省にこの矜持の一分でもあれば、特亜にここまで舐められることもなかったでしょうね(;´A`) 
やはり、頭脳優秀(勉強出来る)だけでは、世間では間に合わないですよね( ´_ゝ`)

加えて、外務省の最大派閥が大鳳会(創価学会員)だそうですから(|||´Д`)
日本の名誉を棄損している元凶は外務省だと言っても過言ではないかもしれません(;´-`)


◆国民が知らない反日の実態 創価学会の正体より一部引用
引用元:http://529270.com/landudkchfmgaipxkryurphwbxuie#?utm_source=scaleout&utm_medium=display&utm_campaign=rtg

(前略)
◆驚くべき 「反日主義者の精神構造」を持った団体
さて、「創価学会」というと、みなさんのほとんどは 「聞いたことはあるけどよく知らない」という印象ではないだろうか。

この創価学会という団体は 中国・朝鮮の利益を守るため の構造を取っている。 
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◆過去に外国人参政権法案を何度も国会に提出

自民党・・・ 0回 
共産党・・・11回 
民主党・・・15回 
公明党・・・29回


あの反日売国民主党以上に外国人参政権や人権侵害救済法案や移民1000千万人受け入れを強力に推進しています。 
売国法案リスト にある全ての政策に賛成の立場でいます。
(後略)


◆カルト教団創価学会名誉会長、池田大作(本名:成太作)が韓国に建立した凄まじい反日の碑
引用元:http://blog.livedoor.jp/far_east_news/archives/509243.html

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日本を
・「東海の小島」
・「小国」と表現

韓国を
・「あまたの文化文物をもたらし尊き仏法を伝え来た師恩の国」
・「隣邦を掠略せず天地を守り抜く誉の獅子の勇たぎる不屈の国」と表現

日本の朝鮮出兵と日韓併合を
・「小国(日本)の倨傲、大恩人の貴国(韓国)を荒らし」と表現

(引用終了)

ちょっと読んだだけでも、恐ろしいことが書いてあります(|||´Д`)
この団体、日本でもカルト指定すべきだと思います( ´Д`)

話を元に戻しますが…
東京五輪は冬季アジア大会と違って選手宿舎になるわけではないので、撤去する理由は何もないということですよ( ´∀` )b

ぶれない元谷氏の姿勢に賛同します(^^)d

(転載元URL)
http://ameblo.jp/michiru619/entry-12280570030.htmlo0364027812877951781.jpg
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>ブログ友の記事転載です。
>コメントなし、割愛(←便利な言葉だよねぇーwww)
>同感ではないけれど、激しく共感しました。
>だって、KABUは「温暖化対策」自体からして、

・それ必要なの~?
・それ意味あるの?

>もし、海水面が上昇して島礁国が水没するという話がほんととして
>要は、そのような事態がおこるのは事実らしいとして、

・その事態と温暖化、そして、温暖化とCO2のボリュームの変化の間に因果関係あるの?
・もし、因果関係があるとして「島礁国」はそれを世界から助けてもらう権利があるのかいな?

>あるわけないじゃん!
>と考えているからです。
>しかし、参考になる記事。
>そう思い以下転載させていただきます。


 
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パリ協定:そんなに凄いのか?人口を減らし余計な消費活動を止める方が効果的ではないか?

2017年06月02日(金)
テーマ:政治・社会・今話題のことなど
(転載元URL)
http://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12280183961.html


二酸化炭素排出量世界第2位のアメリカがパリ協定からの脱退を表明しました。
まるで地球最後の日のような報道です。
 
パリ協定とはどういうものなのでしょうか。
国立環境研究所のHPからパリ協定締結の喜びをつづった記事を見てみました。
 

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そして、研究者でもある筆者の方はこの協定を以下のように書いています。
削減目標に法的拘束力がないから、「パリ協定には意味がない」とする評価も耳にしますが、私は違った見方をしています。パリ協定で重要なことは、まず、国際条約の中で、長期目標を設定したことです。
 
パリ協定がひとたび発効すれば、世界全体が長期的に温暖化問題に真摯に取り組む、すなわち、世界は化石燃料依存から脱却していく、という産業界や市民社会に対する強いメッセージになります
 
中国は世界のだれもが批准しなくても一人でもしなくてはいけないほど環境破壊を続けているとんでもない国ですし、各種統計数字はねつ造と言われていますので、まるで優等生のように扱われているのは噴飯ものです。http://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/077.png
 
私は環境保護は大賛成で、化石燃料をどんどん使おうという考えには賛同しません。しかし、
先進国だけがまた資金提供させられるこの実効性のない協定に、トランプ大統領が、もう他国の笑いものになるのはたくさんだと言ったことには賛同します。
 
途上国に住んだことのある人は気づいていると思いますが、途上国、中進国の、貧困層ではない多くの人間は、省エネやリサイクルの習慣もなく、奨励もされないのです。資源の無駄使いを平気でしています。資本主義の悪い所だけを急速に吸収して無駄を美徳としているようなところもあります。
 
 
協定は、産業革命前からの温度上昇を2℃以内に抑えるというものです。
 
人類は今までに2度の人口爆発を起こしているそうです。(※1
1度目が1万年前から2000年前頃までの農業開始の時期です。
2度目が18世紀の産業革命期です。
 
産業革命前の世界人口は6~7億人と推定されています。現在は70億人以上です。http://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/031.png
 
人口とエネルギー排出量のグラフがあります。
img_1_m.gif
 
本当に、温暖化を止めたいならば、エネルギーを出さないようにしないといけないのであって、エネルギー使用量と人口は比例していることから、世界人口を減らすことが最も効果的だと思います。
 
しかし、人口を減らすこと消費者が減ることになり、この考えは産業界から無視されます。
選択肢としてあり得ないと見なされ、空気を汚さない(?)再生エネルギーが注目されています。
しかし、再生エネルギーはまだまだ不安定で、とてもすぐに主要エネルギーになるわけではありませんし、将来的に安定するかどうかもわかりません。
 
では、エネルギー利用を減らす、つまり余計な活動を控えるというのはどうでしょうか?
地産地消にすれば、物流のエネルギーを大幅に削減できます。
人の移動を活発にしなければそれもエネルギー削減に貢献します。
格安航空まで登場させて世界中を飛び回る観光は当然温暖化に悪影響を与えます。
オリンピックなどに象徴される環境に負荷を与えるイベントを止めることも効果的です。
 
車を自転車に変え、外出を控え、自分の家の近くで質素に生活を楽しむという人生もあるのです。
そういう人が増えれば温暖化はかなり弱まると思います。
 
温暖化反対と言いながら、観光立国、人の移動を活発化させる、地産地消をせずに生産拠点を集中させて物流を地球規模で活性化させるというのは、全く矛盾した考えなのです。
 
また、46億年の地球の歴史を考えれば、人間の影響だけで地球が壊れるというのもちょっと信じがたいです。(局地にヤシの木があったり、地球が凍結していたこともあるそうです)(※2
 
私は、人間がこれ以上地球に悪影響を与えないような抜本的な解決策を世界中で合意してもらいたいと思うのです。http://emoji.ameba.jp/img/user/mi/midori-neko-love/3911257.gif
具体的には、人口増加集団に対する家族計画、余計な活動自粛、ソフトランディングを望むならばそういう方法しかないと思います。
 
世界中の人の欲望をそのままで、エネルギーの種類だけを変えようという都合の良い協定ならば、それは意味のないもので、先進国がお金を取られ、企業が儲けるだけです。
 
パリ協定というもっともらしい大義名分の下で、誰かの懐を潤したり、都合の悪い本当の原因を無視したりして、それでおしまいというのではなく、この先に効果のある協定をつくる第一歩としてもらいたいと思うのです。
 
 

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※本稿は「新稿」ではなく単に旧稿(↓)の内容の採録です
・英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)-【本編1】
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4ae716646a2e8fc56b71dc5576e56b96

・英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)-【本編10】
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/64475cafcc06c3012fa411e57fe5432d
 
ネットのアクセス調査からもこれらの記事の「需要」がけっこうあるようなので、
切り分けて再アップロードすることにしました。ていうか、この、約束の記事(↓)
もう少し時間がかかりそうだから(涙)、今月は「利息」だけ(?)。

・英語史的文法論の要点覚書
 --異形の印欧語「現代英語」の形成、それは「格変化」の衰退から始まった
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/91718985f1a5d1b7df4c7485a966c123

・予告!! one パラ道場-
 あしながおじさん"Blue Wednesday" de 英文読解」の画像キャスト決定なのら!!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a5e0ce382a39e2b41397efa8e5873388
 
で、題材の英語テクストは「安倍談話」の最終部分。これです。
 
 
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S58-S59>
We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.
 
S60-S62>
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same. As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.
 
S63-S65>
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.
 
S66-S70>
We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.
 
S71-S73>
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.
Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.

・英文資料:安倍談話(英文全文)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/94265cbc1a830d3eea30eb8de8d34c82
 
 
http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/5a/c69f52a0cc72db118cdc9c4e98f01138_s.jpg
 

◆パラグラフ-英語の<風呂敷>のお話し
(S58)「We must pass this down from generation to generation into the future. 」、ここから、<安倍談話>は第4コーナーを廻って直線コースに入ります。<安倍談話>本文--「安倍談話の英文テクスト」の本文のことです--全1664 words:73センテンスの内、ここから最後の「Heading toward the 80th, ・・・to create such a Japan together with the Japanese people.」まで417 words:16センテンス。ホームストレッチの保守派国民の歓声とリベラル派のブーイングが聞こえてくる、そんな景色。

冒頭の2センテンス(S1-2)を除き、以降、「The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan. 」(S33-34)までの箇所が、開国から1945年までの日本の道筋を反芻した箇所。そう、リベサヨさん達からは「反省が足りん!/都合のいい史実の摘み食い的羅列にすぎん!」、他方、保守派からは「Sorry, 歴史の授業みたいで眠たいです、総理」の部分。途中の中間的な総括的感慨が述べられた(S21-22)を含めて、561 words:24センテンスでした。だから、理路から見ても分量から見てもここが(S58-73)内容的には<安倍談話>の核心と言えると思います。

(a)村山談話・河野談話の止揚・葬送
(b)戦後世代の戦争責任・戦後責任なるものの否定
(c)国際法と国際政治の慣習の遵守貫徹の宣言-誓約


もちろん、テクストの国際政治のコンテクストにおける中核的内容は、(a)村山談話の止揚であり、(b)歴史問題を貴国が問題にするのは自由だけれども--それは、文字通り、貴国の国内問題であって、--そのことによって、日本が、まして、日本国民が--戦後生まれの世代が8割を越える現在--謝罪するなり賠償するなり、それを汲んでなんらかの交渉事に関して貴国に日本が譲るなどということは断じてありませんという通告。そして、(c)特定アジア諸国に対して「今後、日本は--岸内閣から佐藤内閣まで、もともとそうであったように--国際法と確立した国際政治の慣習に則ってのみ貴国とはお付き合いしますよ」という宣言でしょうけれども。閑話休題。

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而して、英文読解・英文ライティングの教材的に重要なこと(美味しいこと)は、実は、この部分、本当に綺麗で/典型的なお行儀のよいパラグラフ(one paragraph)をなしていること。 

>パラグラフてなに? それ美味しいの?

 はい。美味しいのですよ。なぜか、それは、
英文を読んだり聞いたり、話したり書いたり、歌ったりするときには
お約束があるから。そして、「パラグラフ」はそのお約束の<合鍵>だから。 

・再出発の英文法』と英文法の体系
  
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/456520dd47a80deecba9b890028a6c0e


・再出発の英文法:倒置・疑問文
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12270648910.html
 
◆海馬之玄関ブログの考える-英文読解のお約束◆
(甲)英文は必ず「前から後、左から右」に読むこと。
(乙)英文はセンテンス単位で読むこと。
(丙)英文はパラグラフ単位でよむこと。
 

(甲)英文は必ず「前から後、左から右」に読むこと。
これ、「左のリベラル派から右の保守派に」と覚えてくさい。
英文に漢文の「レ」点-返り点、や「一, 二, 三」「上, 中, 下」の記号
打ったら駄目ですよ。
・・・( ..)φ

(乙)英文はセンテンス単位で読むこと。
英文は、センテンス(「S→V→・・・」構造)の集合体です。そして、センテンス--正確に言えば、大文字から始まって「ピリオド」「?」「!」のどれかまでの単語列--で意味が完結しています。而して、幾つかのセンテンスが作るパラグラフで論理が完結し、論理の流れる理路がその作品テクスト全体の主張をなす。だから、まずは、センテンス単位で、きちんと、そこで完結しているはずの意味を取ること。

その際、センテンスではない--センテンスの一部を構成しているにすぎない--見た目「S→V→・・・」構造の箇所(節-clause)を元のセンテンス--厳密に言えば、大文字から始まって「ピリオド」「?」「!」のどれかまでの単語列--の「S→V→・・・」構造にどう組み込むか。これが英文読解作業の、まー、半分を占めるのですが、それは実地で体得しましょう(といっても、それは関係節と従属接続詞・接続副詞の導く「S→V→・・・」構造(=節)の二つのケースしかなんですけどね)。

例外は、--TOEIC・TOEFL等のお行儀のよい英文、あるいは、ビジネスドキュメントや法規・契約書の類の曖昧さが嫌われる英文の範囲ならば、--二つしかない。(1)次の7種類の等位接続詞-「七人の侍」が複数の「S→V→・・・」構造をつないでいる場合と、(2)コロン(:)、セミコロン(;)が、同様に、複数の「S→V→・・・」構造をつないでいる場合だけ。これらに遭遇したら、--小泉純一郎総理や麻生太郎総理のような--変わり者のセンテンスがきたと諦めて通常のセンテンス(=主節)--くどいですが、大文字から始まって「ピリオド」「?」「!」のどれかまでの単語列--と同様に読んで下さい。

>等位接続詞-「七人の侍」:and, but, or, nor, so, for, yet

こう考えると結構美味しいことある、鴨。英語のすべてのセンテンス(それも「S→V→・・・」構造)には、当然、一つの主語(S)と一つの述語動詞(V)しかないことになりますよね。なら、それを見つけるのは容易、少なくとも気が楽になる。また、センテンスのその単語の配列=語順も大体は--昔懐かしいというか、現在、「天賦人権論」と同様に、世界では日本でしか使われていませんが--「5文型論」の教えるとおりになっているはず。と、そう考えてもよいですから(その唯一の例外が「倒置」だけど、これもパターンは極々有限)。この認識-確信-信心は、TOEICで600点前後までの方には福音(good news)ですよ、多分。
・・・( ..)φ 

(丙)英文はパラグラフ単位でよむこと。
英文のセンテンスは「パラグラフ」という<風呂敷>につつんで相手に--<読者>であるあなたに!--手わたされています。だから、こちらも、普通は見えないそのパラグラフという<風呂敷>からセンテンスを取り出して賞味しなければ、センテンスの意味は半分も理解できません。

どういうことか。それは、あるパラグラフは--パラグラフを構成するセンテンス群の間には--その内部で論理が完結しており、強い結びつきがある。逆に、パラグラフ内部では、「だがしかし」「というのも」「ちょっとまってほしい」等々の前後をつなぐ余計な朝日新聞の社説が好きそうな言葉は--あくまでも、日本語の文章と比べての「相対的」なものですが--不要ということ。そのつもりでどこまでが一つのパラグラフか当たりをつけながら読んでください。

慣れれば、たいがいのドキュメントなら英文見た瞬間、赤い枠でパラグラフ毎にセンテンスが囲まれて見える境地になれるものです。いえ、体内でアセトアルデヒドに変わる物質の摂取過多ではない(笑)。というか、もう止めたもんそれ。あっ、できれば、パラグラフ単位での英文読解力向上のためにも、つとめて音読してみること。これは文句なくお勧めします。所詮、言語というのは音声なんですよ、その正体は、多分。

英文のセンテンスは「パラグラフ」という<風呂敷>につつんで相手に--<読者>であるあなたに!--手わたされています。だから、こちらも--普通は見えないそのパラグラフという--<風呂敷>からセンテンスを取り出して賞味しなければ、センテンスの意味は半分も理解できません。・・・

ポイントは簡単、それ一つだけ。それは、「英文の「パラグラフ」というものは、形態面と内容面から捉えなければならない」ということ。この「形態面と内容面」は表裏一体のものですが、そう言える。「パラグラフ」の形態については、どんなライティング教本にもイの一番に書かれているから--例えば、大学受験予備校の教材でも、例えば、・・・以下、自粛(笑)。とにかく、もう珍しくはないですから--常識の範疇のものでしょう。しかし、念の為に書いておくと「パラグラフ」の形態とは、

(Ⅰ)トピックセンテンス--そのパラグラフで<話者>が述べたい主張(メインアイデア)を
1個だけ/唯一一つだけ!)記したセンテンス(群)

(Ⅱ)ボディ--メインアイデアの主張を補強する部分。具体例、想定される反論への
積極的予防攻撃、あるいは、メインアイデアの有効性の範囲(賞味期限や値域・定義域)
を延べ、メインアイデアに説得力を持たせるセンテンス(群)

(Ⅲ)コンクールジョン--メインアイデアの再論、および(←ここ重要、「または」ではないですよ!)、場合によっては、このパラグラフで行った思索に関する<話者>の総括的感想、または、このパラグラフの思索の後、次に考えることの予告を述べたセンテンス(群)


この形態の観点からは、漢文作法の「序・破・急」、本邦の「起・承・転・結」と似ていると言えなくもない。「起承転結」の見本を作ってくれと頼まれた、頼山陽(1780-1832)作とされる(←梁川星厳作説も有力)有名な例を見ると、日英の理路展開の形態的パターンの関係はこうなるから。

(起)京都三条、糸屋の娘
(承)姉は十六妹は十四
(転)諸国大名は弓矢で殺す
(結)糸屋の娘は眼で殺す


(Ⅰ)トピックセンテンス(Topic Sentence)<--起
(Ⅱ)ボディ(Body)<--承・転
(Ⅲ)コンクールジョン(Conclusion)<--結

しかし、日英の<パラグラフ>には決定的な差がある。それは、日本語の場合、必ずしも「メインアイデア」が要求されない--むしろ、全体を読んだ上で、<読者>に察してもらうことが文章の上手とされるくらい。うん、実に奥ゆかしい--ことです。実際、「京都三条、糸屋の娘」がメインアイデアかと聞かれると、ここは「京都三条、糸屋の娘は、男衆を眼で殺すほどに艶っぽい」の意味なのですと強弁する人もいるけれど、まあ、それは無理筋。いずれにせよ、日本語の文章の「起」の多くはこんな強弁さえ白旗を揚げるようなしろものでしょう。ならば、だからかな、日本語の文章は「渦巻き型で入り口も出口もない星雲状態ではあーりませんか」とか酒量じゃなかった、修行の足りん英語のネーティブスピーカーに詰られる。比喩を続ければ、日本語の文章というのは、ビックバン以降の数十億年の時間の経過の中で塵やガスが小型の星雲になりそれが集まって星々(<話者の主張>)になっていくような、動態型、プロセス選好のものとは言えましょう。

>日本語のパラグラフ=渦巻き型星雲の進化の動態

こんな一文にもならない一般論は終了しますが、一つだけ申し添えておきたいのは、「構造選好=ストラクチャー選好」の英文と「プロセス選好」の和文の差はあくまでも「主張→理路→論理」展開の流儀の違いであって、英語やドイツ語が論理的な言語で日本語が非論理的な言語だなどとは言えないこと。日本語でも論理的に書こうと思えば/話そうと思えばいくらでもできるし、朝日新聞の社説の如き非論理的な内容も英語で書こうと思えばどれくらいでもできますよ、ということです。


http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/84/6d606313bc1589c79ad09887655dcab1_s.jpg


さて、ここからが本番。前に書いたことですが、英文では「パラグラフを構成するセンテンス群の間には強い結びつきがある」、このことから三つのことがルール化・慣習化されます。それは、(1)ボディの部分でメインアイデアの具体例や具体的帰結を述べるケースでは、ボディを構成するセンテンス(群)の形態は同型のものが推奨されるということ、(2)パラグラフ全体を通して、言わなくとも読者に伝わると<論者>が考えた言葉、特に、余計な接続詞・接続副詞は割愛されるということ、(3)ボディの中では、--特に、同型の理路の繰り返しが採用されている場合には、--同じ意味の単語は、就中、述語動詞や副詞は別の単語に言い換えられる傾向が強いこと

<安倍談話>で検証すれば、(3)テクストパラグラフの中のボディ部分、全16センテンスの13センテンス(S60-72)を構成する四つのパートは、すべて、下の(↓)同型の形態で記されています。そして、(2)この箇所を和訳しようとすれば誰しも悩むところですが、日本語なら、少なくとも、四つの部分の冒頭、あるいは、各部分の最後のセンテンスの前には「そして」「すなわち」「よって」「つまり」等々の言葉を入れたくなる。なるなる、きっとなる。そういう言葉がないと<読者>に不親切のように感じる。日本人と日本語が母語話者の日本市民は。

We will engrave in our hearts the past, when  
Upon this reflection, Japan will continue to uphold  
Japan will fulfill its responsibility(S62)  

We will engrave in our hearts the past, when  
Upon this reflection, Japan wishes to be  
Japan will lead the world(S65)  

We will engrave in our hearts the past, when
Upon this reflection, Japan will continue to
Japan will make even greater efforts to fight(S70)

We will engrave in our hearts the past, when
Upon this reflection, Japan will firmly uphold(S72)
・・・・・・(S?)


この経緯が「パラグラフを構成するセンテンス群の間には強い結びつきがある」ということの顕現であり、英文ではパラグラフ内の、よって、同一の部分の中の各センテンス間の結びつきが強く--<風呂敷>に入っているのだから、こぼれない!--、そういう「そして」「すなわち」「よって」の如き言葉がなくとも、不親切でもなく、朝日新聞や岩波書店に巣くうリベサヨインテリさん達の物言いのようには上から目線の高飛車とは受け取られないのです。安心してください。

上の4箇所のボディ最後の(S72)の最後「・・・・・・」になっていますよね。これ、安倍総理が書き忘れたのか、サイトにアップロードする際に担当者が「忖度」して(笑)コピペしそこなったのか。いえ違います。なぜならば、簡単に言えば、というか杓子定規に記せば、これまた(2)「読者に理解可能な言葉・・・は割愛される」ルール/慣習の適用なのです。実例で言えば、それは、このパラグラフのメインアイデア(S59)そのものということ。

We have the great responsibility to take ・・・and to make all possible efforts
for the peace and prosperity of Asia and the world.(S59)
(歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります)

そして、難しく言えばこうなる。実は、英語のネーティブスピーカーも、この4番目の「・・・・・・」の所まできたとき、つまり、実際の(S72)を読み終えた際に/聞き終えた刹那には、無意識に次に「Japan will+「S→V→・・・」構造」を期待します。それがなくて、次のセンテンス、実際の<安倍談話>の最終センテンス(S73)を読み始めたとき/聞き始めた刹那には、そうその間0.68秒くらいは「Japan will+「S→V→・・・」構造」がないことに、逆に、英語のネーティブスピーカーはフラストレーションさえ感じる。

Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war,
we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.(S73)
(終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります)

けれども、ばってん、そやけどな、です。次の、実物の(S73)に接して0.68秒が経過した頃、読者/聴衆の彼女や彼は、無意識に確信するのです。あるべきはずの幻の(S七三’)が、メインアイデア(S59)そのものであったことを。そして、実は、それは今自分が読んでいる/聞いている、現実の(S73)でもあることを。ややこしいので、もう一度説明。

英語のネーティブスピーカーである彼女や彼は、現実の(S73)は幻の(S七三’)であり、かつ、それは、メインアイデア(S59)の言い換え(variation)に他ならないことを、よって、見えないけれども実は、4番目のボディは形態面でも(S71-72/+七三’)として完結していることを--現実の(S73)を読み始めて/聞き始めて1秒足らずの間に理解するのです。蓋し、--トフルゼミナールやプリンストンレビュー(アゴスジャパン)、あるいは、ブリティッシュカウンシル、テンプル大学日本校、東進ビジネススクールや「
札幌ネルス」といった(英語を理解する能力養成について)定評ある本職の研修機関で(←今でもよう子さんの「ネルス」を除けば首都圏に集中してるなぁー、義憤。)学ぶ機会のあった方にはもうくどいと感じられるかもしれませんが--、「パラグラフリーディング」の極意というか醍醐味とはこのようなものです。逆に言えば、それは摩訶不思議なものでは全然ない。本線復帰。 

・海馬之玄関認定--使える英語をものにしたいの、という向きにお薦めの3ブログ紹介
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/affa0dbf8ba7dae9baea52eff35a72f5

さて、英文では(1)「ボディを構成するセンテンス(群)の形態は同型のものが推奨される」傾向もあるのですが、その帰結として、(3)「ボディの中では、就中、同型の理路の形態を採用した場合には、同じ意味の単語は、就中、述語動詞や副詞は別の単語に言い換えられる傾向が強い」のです。要は、同型の繰り返しであれば意味が取りやすいとしても、また、繰り返すことで<論者>の気合いというか熱意を表現できないこともないとはいえ、それは、退屈。アメリカ人にせよアイルランド人にしてもこの感覚は万国共通、多分。「今夜も汽笛が、汽笛が、汽笛が」も三回くらいが(作曲理論的には本当は2回までという話もあるくらいで)限度、鴨。そうなると、KABUは繰り返しますが(笑)、「同じ意味の単語は、就中、述語動詞と副詞は別の単語に言い換えられがち」なのです。

この傾向を(variation:ヴァリエーション)と呼びます。注すべきは、variation が頻発するのは--英文作成・読解のルールや慣習やTips と言えるのは--、①同一パラグラフ内の、しかも、②ボディ群、および、③トピックセンテンスとコンクールジョンの間だけであること。もちろん、どんな単語を何回使おうが話し手や書き手の勝手。ならば、①②③がルールや慣習であると記すことで、私は何を言っているのか。それは、①②③の条件を外れた単語の選択(ワードチョイス)は<論者>や<話者>たる<作者>の個性や気分の問題であって、テクスト解釈やテクスト作成における<パラグラフ>の原理とは無関係ということ。それは、パラグラフの理路の本線とは関係希薄なテクストの彩りにすぎないということです。

英語が母語のインド人でもイギリス人でも日本人や日本市民と同じ人間です。ならば、誰でも、同じ意味内容を表すのに、前に使われた単語やフレーズと違うものを使われたらドキッとします。ショッパンマンさまに話しかけられたドキンちゃんほどではないけれど、やっぱ気になる。それが万国共通の人情。だからこそ/それもあって、英文契約書や英文マニュアルでは、同じ意味内容を指し示す場合には徹頭徹尾、終始一貫、表紙から裏表紙まで同一の単語やフレーズが使われる。ならば、上の①②③の条件を勘案しない variation は日本人および日本語の母語話者の日本市民にとってギャンブル。それは、<パラグラフ>の<風呂敷>に、寧ろ、穴をあけかねない、勇気や酔狂ではなく無駄か有害な試みだと思います。

而して、<安倍談話>は徹頭徹尾、この①②③を遵守している。前口上で述べたように、だから逆に、<安倍談話>は英語の母語話者から見たら上品だが退屈なテクストになっていると思います。それでいいんです。<前田敦子>は<不動のセンター>であることに意義があったではありませんか。

ヽ(^o^)丿

 
http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/82/2dd99bba42b758f4f66d264dc7ceef9a_s.jpg
 
・君はメロディー
・・・そこに「前田敦子」がいるだけで生じる<パラグラフの安定感>。凄いね、溜息。

・『再出発の英文法』目次

・資料○◆小嶋陽菜AKB48卒業、涙
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/76aa5bf97e3217b84dba47549dca59b8


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未明のNHKの同時通訳を聞いた。邪魔! ひどいな。
英語は素晴らしくできる方々なのだろうけど、日本語凄いよね(唖然)、あるいは、頭が空っぽ?

で、番組中にNHKに抗議の電話した(録音対応だったけど、痕跡は残した)。日本語として意味不明な同時通訳はあきれるだけだけど、印象操作が許せんですよ、と。例えば、最後の「ナチスを肯定されたことがある、の質問に答えておられませんよね」という同時通訳の音声はその一回前の質問を、会見が終わってから入れたらもの。これ、同時通訳の掟やぶりだよ。


要は、話しの展開が見えてないのですよ。

間違いなく、彼女達はリベラル派だろうから、次期大統領の「今後やること、そして、その根拠とその基盤となる価値観」がわかっておらず、よって、会見の話しの展開が見えてないのです。だから、ぶつ切りで意味不明な〈同時通訳〉になった。プロフェッショナルじゃないよ。

なに、なら、お前やってみろ?
はい、私の方が遥かにまし、です。ゆえに、あの同時通訳は、邪魔!
 
敷衍しておけば・・・・。

もし、NHKが「最後の通訳は、トランプ氏の会見が少し早口だったので、会見が終わってしまったが、視聴者のためにより豊富な情報を提供しようと追加したものです」とかいうなら、なんで、記者の質問なんかより大事な会見者のその前後の発言を<提供>し落としたのかと問います。

>トランプ次期大統領の会見なんだからね!
>世界中の人が関心があるのは彼の発言のほうでしょうよ!

而して、これ印象操作か未熟か、あるいは、その両方でしかない。まして、NHKが選んだ同時通訳者ですよ。彼女たちの英語力があまたの同業者の中でもぬきんでた、そんな層におられることはまず間違いない。よって、上のように「リベラル派であるがゆえにトランプさんの理路が把握できていなかったのだろう」と推察したわけです。英語力的には彼女たちの足元にも及ばないだろう私の方がむしろましだったよ、とも。

畢竟、日本人全体の平均が(中央値の方の平均が)TOEIC換算で730点になれば(←受験者の平均ではないですよ!)、朝日新聞は倒産する。と、そう私は確信しています。だって、そうなれば、アメリカやイギリスの本当のというか全体の情勢を日本人の25%が自分で確認できるようになるから(∵その場合ビロー75はTOEIC860点にはなるだろうから)。

すべての保守派の英語教育関係者の皆さん、共に闘わん~!!

 
<関連記事>
・宗教と憲法--アメリカ大統領選の背景とアメリカ建国の風景
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3a1242727550e8e31a9133aa154f11bf

・期待通り、トランプ勝利! 次はフランス。而して、EU解体ですかねーーー
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/dd6ca4594815f507d5e576a035b4d808

・リベラルメディアの姑息あるいは混迷:「隠れトランプ支持者」の語義
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fdffbfeb19f8e706d9f7b9539e29b2c3
 
<参考記事:次の具体的なステップのために>
・保守派のための英語教材として読む安倍談話(英文全文)--【前口上-本編-余滴】
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12102290662.html

・防衛省Mag☆MAMOR:特集「英語力を装備する自衛隊」--英語好きにはお薦めだったりする
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2377f54478cd51ab00abbce530bf67f6

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ノーベル賞自体19世紀末の画期的な発明なの、鴨。例えば、現在では世界的にもその権威が認知されている京都賞はその旗揚げに際して(1985年)創設記念特別賞をノーベル財団に授与しました。而して、その授賞理由に曰く、ノーベル賞(1896年創設→1901年授賞開始)は「20世紀の普遍言語」であり「現在、・・・学術的顕彰の究極的な基準として、揺るぎない威信を誇っている。これほどの権威と威信とをかちえたのは、厳格な審査による・・・受賞者選定の実績」による、と。

他方、ノーベル賞には幾つかの批判が繰り返されてもいる。すなわち、

(A)自然科学部門3賞における審査の厳格さと比べて、文学・平和・経済学の人文部門3賞の審査は恣意的
(B)物理学、化学、生理学・医学の自然科学部門3賞の授賞対象実績も、現在では専門化・細分化が顕著で「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」というノーベル賞の選考基準からかけ離れてきている


人口に膾炙していることではありますが、(A)の人文部門を巡る審査の偏向と恣意性に関しては、1964年に文学賞を辞退したサルトルの「ノーベル文学賞は、西側の文化を意図的に擁護し、もって、東西対立を煽っている」という--その「東側」なるもの自体が1989年~1991年に崩壊してしまって--現在ではかなりピントのずれた発言も、「西側」と「東西対立」を各々「西欧のリベラル派」と「西欧の文化帝国主義に対する人類の大部分を占める非西欧側からの反撃」と読み換えれば今でも満更参考にならないわけではない、鴨。

而して、1969年に新設された経済学賞がその受賞者リストを読み返すとき「経済学シカゴ学派賞」の様相を呈していること。よって、「ノーベル経済学賞は経済学シカゴ学派賞でしょう?」という批判に応えるべく、逆に、学術的にはかなり際物の、少なくとも「人類の福祉に最も具体的に貢献した」とは到底言えないだろう--しかし、西欧のリベラル派の琴線には触れるらしい--脱市場主義的かつ非権力的な経済運営の提案にも授賞のお零れが廻っているらしい経済学賞の現況を概観するとき・・・。

なにより、受賞時点ではそして現在でも--佐藤栄作総理(1974年)とは異なり--なんの実績もない、単に「核兵器のない世界を目指す」と発言しただけの就任直後のオバマ大統領に対して平和賞が授与された(2009年)こと。あるいは、その銃撃遭難の後、教育の分野でご自身がなんらかの具体的な実績を残したわけでもないマララ氏が「銃撃に屈せず教育の権利と価値を世界に訴えた」とかいう理由で受賞者の聖列に加えられた(2014年)こと。等々、反米的かつ西欧のリベラリズムのバイアスが濃厚な平和賞の選考を巡る審査の偏向と恣意性を直視するとき(A)は満更邪推とはいえないでしょう。

また、(B)に関しても、相対性理論の確立や量子力学の形成などの現代科学の黎明期とは異なり--ちなみに、「相対性理論」はアインシュタイン(1921年物理学賞受賞)の授賞対象業績ではありません--、大規模かつ最新鋭の研究施設がない限り「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものは最早誰にも不可能になりつつある現在、紙と鉛筆さえあればそのような研究も才能ある個人には達成可能と想像する人はそう多くはないのではないでしょうか。


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しかし、事情は些か複雑。すなわち、

(Ⅰ)人文部門を巡る審査の恣意性と偏向は明白であるにせよノーベル賞の権威は自然科学部門と人文部門がその主従の関係をメビウスの帯びの如く入れ替わることで形成されてきた。ならば、人文部門をノーベル賞から切り離せばノーベル賞はその権威を保つことが可能とは単純には言えない。

(Ⅱ)ノーベルがノーベル賞創立のための遺言状を認めた19世紀末(1895年11月27日)に比べて現在では、自然科学自体の領域の拡大--よって、研究者の増大--は顕著。而して、毎年、授賞業績を一つに限定し、かつ、各賞3人までに絞って顕彰する現在のスタイルでは自然科学部門3賞の権威も早晩維持できなくなるだろう、と。

重複を恐れず(A)(B)をこの認識から整理しておけば、


(再論A)人文部門の審査は恣意的だけれども、人文部門は偶さかではなく構造的にある時期にはノーベル賞全体の権威と威信の形成に寄与してきた。

けれども、ノーベルが遺言状にサインしたのは、正に、日清戦争が終結した年。要は、西洋の没落を現実化した第一次と第二次の世界大戦後の世界をノーベル平和賞は想定していない。土台、マルクス同様、ノーベルが「人類」や「世界」と言うとき、そこに非西欧の国々や国民が含まれていたかどうかもかなり怪しい。

加之、人文部門の審査の間主観的な妥当性の基盤であった西欧のリベラリズムの神通力は現在では消失している。ならば、人文部門3賞は単に「西欧の文化帝国主義の浸透と防衛にノーベル賞全体の権威を用いて最も具体的に貢献してくれそうなプレイヤー」に授与される北欧ローカルな賞にすぎず、ノーベル賞の人文部門の人類史的な意義もまた消滅してしまっている

(再論B)自然科学自体の変容のみならず、--膨大な国家予算が投じられた施設の存在を前提に夥しい数の研究者がバーチャルにせよ細分化した領域を国際的に分業して研究を進めている--自然科学研究者の知識社会学的なあり方の変化を直視するとき、

しかし、真面目な話、①学際的な分野をカバーする自然科学部門における新賞の大幅な追加、あるいは、②各賞ともに毎年の授賞対象の業績分野を複数個認めることにして、もって、結果的にせよ受賞者を大幅に増やす、例えば、各賞毎年30人程度に授与するなどの変更はノーベル賞の希少性、よって、同賞の<知識社会学的な市場価値>を自ら棄損する禁じ手だろうから(笑)、

「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」に与えられる立前のノーベル賞の自然科学部門の人類史的な意義もまた--自然科学専門家の社会的影響力の肥大化の趨勢の中で、パラドキシカルながら逆に--逓減してきている


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敷衍します。

再々になりますけれど、北欧の小国のリベラル派--ノーベル賞の勧進元ノーベル財団の本拠地にして自然科学部門3賞と文学・経済学の人文部門2賞の胴元であるスエーデンでも神奈川県と同じ人口規模であり、残りの平和賞の胴元のノルウェーに至っては福岡県を下回るそんな小国に跳梁跋扈している<リベラル派のキツネ>--による自然科学部門という虎の威を人文部門に流用するマヌーバーは現在では周知のこと。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

けれど、残像にせよノーベル賞の人文部門の権威と威信は、厳格な審査によって受賞者を選定し続けてきた自然科学部門の流用によるものばかりとは言えない。蓋し、少なくとも、メビウスの帯びの如くある時期には人文部門がノーベル賞の権威と威信を専ら形成してきたと言えるかもしれないから。いずれにせよ、北欧キツネのマヌーバーというそんなテクニカルな契機とは別に、西欧のリベラリズムの神通力の消長とノーベル賞人文部門の権威と意義は運命を共にする他ない。と、そう私は考えます。


整理します。

(ⅰ)ノーベル賞創設からの数年間、--自然科学はまだそれほど大きな社会的な関心事、就中、西欧の上流階級層の主要な関心事ではなかったのではないか、ならば、--ノーベル賞の自然科学部門と人文部門の関係は、あたかも、近代オリンピック創立時のオリンピックと万国博覧会の如きものであり、前者は後者の余興や付属品にすぎなかったの、鴨。

国際オリンピック委員会の設立(1894年)から、とにもかくにも第1回アテネ大会(1896年)開催に漕ぎつけた--ギリシア国民を騙したと言われてもあまり文句も言えないかもしれない--見事なクーベルタンの演説と手練をもってしても、第2回~4回(1900年~1908年)の大会は、各々、パリ万博・セントルイス万博・ロンドン万博の余興という社会的と国際的な位置づけを脱することはできなかった。これとパラレルな現象がノーベル賞両部門に関しても観察できるのではないかということです。

(ⅱ)科学が産業と密接に結合して、ある国の国運を自然科学の研究水準が、よって、量と質の両面での自然科学教育のパフォーマンスが決する時代に突入するとともにノーベル賞は各国がその国民教育を編成する上でのまたとない目標型のシンボルとなり、ノーベル賞の権威は、漸次、自然科学部門の審査の厳格性と間主観性に収斂することになったの、鴨。

(ⅲ)自然科学と自然科学者の知識社会学的なあり方の変化にともない、その審査が厳格であるとしても自然科学部門が自然科学全体について「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものを選考することなど制度的に不可能になってしまった現在、逆に、ノーベル賞の権威と威信の過半は--「権威と威信」なるものが「世界的な注目を集めること」にすぎないとしても、そして、ボジョレーヌーボーの解禁と同様に日本ほどそれについて毎年大騒ぎする国は先進国では少ないのですが--人文部門が再度担う様相を呈してきているの、鴨。



いずれにせよ、また、「権威」をどのような意味に解するにせよノーベル賞全体の権威は消失しつつある。蓋し、「ノーベル賞」は「20世紀の普遍言語」だったかもしれないけれど21世紀ではかなり特殊な言語にすぎなくなっている。

すなわち、自然科学部門では、それは、--原発問題やエボラ出血熱への対応を想起すれば誰しも思い半ばにすぎるように、最早、「権力」と表すべき専門家の社会的と政治的の影響力が強大化する中で、逆に--ほとんどの自然科学の基礎研究をカバーできない特殊な言語。他方、人文部門では西欧のリベラル派のコミュニティー内部でしか通じない--国際語を自称しながら話者は世界全体でも100万人程度の愛好家にほぼ限られるエスペラントの如き--かなり歪な言語になりつつある。私はそう考えます。

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蓋し、(ⅰ)の下限時期の確定のためにはノーベル賞設立当時の欧州の新聞や書簡の原典を網羅した文献学的な研究が、そして、(ⅱ)の下限時期の確定には産業と教育に関する重回帰分析を織り込んだ統計的な手続が不可欠でしょう。それはちょっと大変。

ですから、ここでは(ⅰ)の下限を日露戦争で日本がロシアを判定引き分けに持ち込んだ年(1905年)、そして、(ⅱ)の下限を自然科学部門での日本人受賞者の増加が顕著になり--それは相対的に欧米におけるノーベル賞自然科学部門の社会的な権威と意義が減退した証左でしょうから--、かつ、同時多発テロが世界の現実の風景となる中でリーマンショックが起きた年(2008年)--西欧の文化帝国主義の神通力の破綻、および、資本主義の経済を、すなわち、産業と一体となった自然科学の運動を人類が完全には制御できないことが明白になった年、逆に言えば、19世紀的な予定調和的で牧歌的な<知のあり方>のイメージが完全に粉砕された年--と仮置きさせていただくことにします。

ならば、これはどこまでも私の仮説ですが上記のメビウスの帯の推移はこう理解できる、鴨。

(ⅰ)人文部門優位:創設の1896年~日露戦争終結の1905年
(ⅱ)自然科学部門優位:1905年~日本人受賞者の増加が顕著になった2008年
(ⅲ)人文部門優位:リーマンショックの2008年~現在



老兵は死なずただ消え去るのみ。

蓋し、ノーベル賞はなくならないのでしょう。けれども、
その権威と意義はすでに<北斗の拳>状態なの、鴨。


いずれにせよ、自然科学部門での日本人受賞者の年齢と経歴を鑑みるに、ノーベル賞級どころかノーベル賞そのものが象徴する「世界水準の独創性」なるものは、リベラル派が蛇蝎の如く嫌う詰め込み教育や受験体制を通して形成された--対照実験はできないけれど、少なくとも、詰め込み教育と受験体制は独創性の形成をそれほど妨げたとは言えない--のではないでしょうか。と、そう私は考えます。


<(_ _)>

お粗末様でした。

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プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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