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日本のリベラル派の言論の中では、「右傾化」とか「前のめり」とか、「偏狭なナショナリズム」とか「政治的中立」等々の意味不明の言葉が流布しているようです。蓋し、朝日新聞の社説を見ればこれらの指示対象を欠く<詩的言語>の展示即売会状態。そして、例えば、安倍政権の右傾化を危惧する朝日新聞元主筆の若宮啓文氏も、毎日新聞特別顧問だった岩見隆夫氏との対談(「論争対談・憲法改正は是か非か」中央公論 2013年 4月号所収)の中で、岩見氏に「右傾化ってなんですか」と聞かれて、それがはっきりした意味を持っていないことを認めていますものね(笑)。そして、最後には「右傾化とか、右翼と左翼という区別にあまり意味はない」(p.85)と口走っている(爆)。 

・日本社会の「右傾化」を嘆き憤るリベラル派の怠慢と傲岸
 --マーケットが変化したのなら商品の方を変えなさい
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5dda58e6b05976d6658553df6d20742f 

・歴史修正主義を批判するリベラル派の知性の貧困
 --占領憲法をガダラの豚にしましょう
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2ffba4995d2eb09dd748dd083b09e224 

ならば、リベラル派は、例えば、集団的自衛権の政府解釈見直しとか、憲法改正、河野談話および村山談話の見直しとか、首相の靖国神社参拝、公立学校での日の丸・君が代の尊重等々のポレミックなイシューで自分達の主張と反対の動きに便宜的に「右傾化」というレッテルを貼ってるだけということ、鴨。ならば、この言葉、「AKB化」とか「裏千家風」とか、なんでもいいんじゃないんでしょうかね。

而して、本稿はこのような<言葉>に対する問題関心を軸にして、オリンピックとナショナリズムを巡る関係を一瞥するものです。というのも、日本では、いまだに、「ダルビッシュ投手は、・・・日の丸の重みになど負けず、ボールを言語として野球というスポーツを戦おうとしている。日の丸はただチームの象徴であるだけだ」(朝日新聞・2008年8月12日)とか「五輪憲章に「オリンピック競技大会は個人種目または団体種目での選手間の競争であり国家間の競争ではない」と規定されている。・・・五輪で国は深い意味合いを持たない」(朝日新聞・2010年2月24日)などという無知蒙昧の反日リベラルの言説が堂々と全国紙の紙面に掲載されているから。

敷衍します。確かに、『オリンピック憲章:Olympic Charter』(2010年2月11日版)の(Ⅰ章6-1)には、「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(The Olympic Games are competitions between athletes in individual or team events and not between countries. )と書いてあります。では、なぜ、無知蒙昧とまで書くのか。

はい、それは--論証は下記拙稿をご参照いただきたいのですけれど--、五輪憲章においてさえ「五輪で国は深い意味合いを持たない」ということは全くの間違いだからです。きっぱり。

蓋し、オリンピックは民間の法人(IOC)が勧進元として運営する大会、よって、土台、オリンピックが国家を代表する選手で運営されることはないのです。けれども、オリンピックの出場選手は各国のオリンピック委員会(NOC)が選択した選手に限られており、また、NOCと国との関係は五輪憲章上からも不可分というか表裏一体のものということ(Ⅳ章27, 30, V章II-40, 41)。よって、この「五輪と国」の関係を巡る現象はオリンピックやサッカーワールドカップを契機にして「ナショナリズム」を政策的に高揚させる国もあれば、それほどでもないかなーという国もあるという、程度問題にすぎないのだと思います。 

・決定! 東京オリンピック2020--
 筋違いの<五輪幻想>から解脱して素直に喜びませんか(上)~(下)
 (中の後半から下で「五輪と国」の位置づけについて詳述しています)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fa85b8d450d4bd78e80bbfac862f7fb6 

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いきなり結論に行きます。蓋し、(ⅰ)オリンピックをどう位置づけるかは五輪憲章などに拘束される筋合いはなく、各国、各人の自由であるということ。ならば、五輪憲章に「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書いてあろうが、あるタイプの国が--例えば、支那とか韓国とか北朝鮮のような国が--オリンピックやサッカーワールドカップを契機にして「ナショナリズム」を政策的に高揚させることは悪趣味としても自由であり、また、あるタイプの国では--例えば、日本や米国や英国では--その国民が「ナショナリズム」を満喫する、すなわち、ある種のカタルシスとアイデンティティの確認を国民総出で体験する--時空をまたぐ<行く年来る年→速攻の初詣>ともいうべき--イベントとしてこのスポーツコンテンツを消費するのも自由であろうということ。

而して、「ナショナリズム」とは何か。

と、そんな大仰な議論はここでは割愛して--逃げるわけじゃなかです。詳細は下記拙稿をご参照ください、眠たくなるのはほぼ確実でしょうけど(泣笑)--、(ⅱ)オリンピックやサッカーワールドカップという契機を通して消費される「ナショナリズム」とは、文字通り、「国民国家-主権国家」に憑依するものであり、厳密に言えば、エスニシティ―に憑依するものではないということ。

ならば、(ⅲ)エスニシティ―とは異なり極めて歴史的に特殊な観念表象である<国民>が、そう自然な存在ではなく人工的なものであるとすれば、その<国民>を社会統合することが「国民国家-主権国家」の最大級のタスクであると考える場合、オリンピックやサッカーワールドカップを利用するか借用するかの差は置いておくとしても、オリンピックやサッカーワールドカップという<場>が「ナショナリズム」の祝祭になることはなんら問題ではない。と、そう私は考えます。
 
畢竟、オリンピックやサッカーワールドカップは<戦争>なのです。ならば、<戦時国際法>を順守する限り、オリンピックやサッカーワールドカップなどはなんでもありの世界である。だから、ノーベル平和賞とかに公平性や普遍性をなにがしか期待する以上に、究極のところ、オリンピックやサッカーワールドカップに公平性などを期待するのは愚かなことだ。と、そう私は思います。

而して、英国の平和主義者、ジョン・ラスキン(John Ruskin;1819年-1900年)が喝破した如く、「戦争はすべての技術の基礎なのだ。というのも、戦争が人間のあらゆる高い徳と能力の礎だという意味でもある。この発見は、私にとって何とも奇妙で、非常に怖ろしいことだったが、けっして否定出来ない事実に思えた・・・。簡単にいえば、偉大な国民はみな、その言葉と真実と思想の力を戦争で学ぶこと、戦争に養われ平和に消耗させられること、戦争に教えられ平和に欺かれること、戦争に鍛えられ平和に裏切られること、要するに戦争で生まれ、平和で息を引き取ることがわかった」という認識。

よって、戦争を直視すること、すなわち、戦争を含む非常事態が惹起する恒常的蓋然性から目を背けるべきではなく、それに常に備えるべきなのだという認識がそう満更間違いではないとすれば。「国民国家-主権国家」とその<国民>は、オリンピックやサッカーワールドカップという<戦争>に真面目に取り組まねばならない、とも。

(ⅰ)オリンピックやサッカーワールドカップをどう位置づけるかは見る側の自由である
(ⅱ)「ナショナリズム」とは「国民国家-主権国家」単位に成立する観念表象である
(ⅲ)オリンピックやサッカーワールドカップが「ナショナリズム」の祝祭なのは当然である

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136660418.html

・国家神道は政教分離原則に言う<宗教>ではない
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e9bd71b8e89b78acebe2041a11217ee4

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オリンピックやサッカーワールドカップを巡ってリベラル派は何を危惧しているのか。リベラル派になったことは一度もないので想像するしかありませんけれど、それは、おそらく、「国民国家-主権国家」を超える<地球市民>という彼等の諸々の主張を支えるイメージがそれらのイベントコンテンツを通して、ますます、その神通力を失うことなの、鴨。と、そう感じます。

敷衍すれば、グローバル化の時代、ある「国民国家-主権国家」が果たせる行政サービスの領域や能力は逓減している、そして、だからこそ、「国民国家-主権国家」の必須のタスクたる<国民>の社会統合における「国民国家-主権国家」への期待は大きくなってきた。こんなパラドキシカルな状況を前に、「国民国家-主権国家」も<国民>も、リベラル派が喧伝してきた<地球市民>なるものからますます離れ、<ナショナル>なものに向かうことに彼等は茫然自失しているの、鴨。まー、想像ですけどね。

蓋し、ナショナリズムとは元来、多様な民族を百花繚乱的に包摂していたより普遍的な--ある意味、一個の宇宙とでも言うべき--<帝国>が解体した後、それの民族よりは同質性の高い--言語・文化、歴史認識において同質性の高い--幾つかの民族を囲い込むための<政治的神話>だったのだと思います。

だってね、英国のスコットランドとか、スペインのバスクとか、あるいは、アイヌの方とか沖縄の人とかを想起するまでもなく、あのー、九州や関西と神奈川や山形ではね、お餅や味噌だけでなく、結婚の際の新居の準備を新郎新婦のどちら側が負担するかさえルールが違いますから。つまり、ナショナリズムを、アーネスト・ゲルナーの言う如く「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義するとしても、その「民族的単位」には幾分の多様性はあるということ。


而して、重要なことは、はっきり言えば<嘘>である、<日本国民>や<フランス国民>の一体性や等質性なる<政治的神話>は、しかし、グローバル化の中で資本主義の暴力と、あるいは、東アジア地域における特定アジア諸国の脅威にさらされている日本国民を想起すれば自明なように、現在の人類史においては人々にとって<役に立つ嘘>であるということ。そして、繰り返しになりますけれど、だからこそ、その<嘘>の効果を維持強化することは冗談抜きに重要な国家のタスクであり、ならば、その国民がオリンピックやサッカーワールドカップを契機にナショナリズムを満喫することに反日リベラルはいちゃもんつけるんじゃねぇー! と、そう私は思います。

畢竟、<国民>の権利と<外国人>の権利が異なるのは当然なのです。ただし、オールオアナッシングではなく当然に<外国人>に認められる権利は存在する。よって、問題は正当な<外国人>の権利の侵害であり、それは実は、ナショナリズムとは無関係。なぜならば、権利の正当性を決めるものはナショナリズムに底礎された憲法秩序でしかないからです。

而して、所謂「ヘイトスピーチ」を規制する立法というものは、実は、あたかもメシアの出現を待ち望むかの如く、<地球市民>なるものの到来を指折り数えて待っている日本独特のリベラル派の色彩よりも、間違いなく、些か多様な人々を「国民国家-主権国家」につなぎとめる極めてナショナリズムの色彩が濃厚なものでしょう。ならば、<国家>に対する<国民>の社会統合のパフォーマンスが、そんな立法が必要な欧州各国程にはお粗末ではない日本ではそんな--表現の自由を表現内容を基準に一律に規制するなどという、英米の憲法訴訟論の見地からはほとんど<ナチス>や<スターリン>や<毛沢東>ものの--立法は不要。

そして、「偏狭なナショナリズム」なる指示対象のない意味不明の言葉で語られる事象に、本当に何か社会的に解決すべき問題があるとすれば、その行為者の行動を個別に批判すればよい。畢竟、「偏狭なナショナリズム」なり「偏狭なAKB48」なりの意味不明の言葉で、十羽一絡げ的に「ナショナリズム」自体に問題があるとするリベラル派の言説は論理的にも思想的にも破綻している。と、そう私は考えます。 

・愛国心-郷土愛:”祖国とは・・・・” (追補あり)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a4da343e2d1afbc46cb8b7a6ef480312

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いよいよ「革命の時間」「まずは戦おう! 話はそれからだ!」なの、鴨。
そう、日本のリベラルマスメディアに対してです。
こんな報道(↓)をみかけました。


【新聞に喝!】「在外邦人救出は憲法違反」 空虚な言論もたらした新聞はもう要らない 
作家・ジャーナリスト 門田隆将

ノンフィクション作家の門田隆将氏=4月27日、奈良市の奈良ホテル(門井聡撮影)
この1カ月ほど、新聞が日本にとって「不可欠なもの」ではなくなったことを見せつけられた日々は、かつてなかったのではないか。

高齢の「新聞世代」と若年の「ネット世代」とでは、情報を取得する手段やツールがどんどん「乖離」してきていることは今更、指摘するまでもない。それを踏まえながら、この1カ月-つまり、北朝鮮「4月危機」を振り返ると、日本の新聞離れは、もはや、止めようがないことを嫌でも再認識させられる。わかりやすく言えば、もう新聞は「要らない」ということである。

これからも続く朝鮮半島危機は、長く太平の眠りを貪(むさぼ)ってきた私たち戦後日本人の意識をあざ笑うかのように深刻な事態へと進んでいる。

平和ボケした日本人は、自衛とは、「国民の命を守ること」であるという世界の常識にすら背を向けて過ごしてきた。それは、朝鮮半島危機に際して、韓国にいる約3万8千人におよぶ在留邦人は、ソウルをはじめ、各都市が火の海になったとしても、自衛隊が「救出に行くことはできない」という驚くべき「現実」として、私たちに突きつけられているのである。

日本は、目と鼻の先にいる邦人を救いに行けない。しかし、そのことすら新聞は読者の前に提示できない。いや、それどころか、そういう法整備の「壁」となってきたのが新聞だった。

安保法制では、自衛隊法の改正によって、〈在外邦人等の保護措置〉の項目が新設され、在外邦人が危機に陥ったとき、それまでの「輸送」だけでなく、「救出・保護」を自衛隊ができるようになった。だが、それを行うためには相手国(ここでは「韓国」)が公共の安全と秩序を維持しており(つまり戦争状態にないこと)、また、相手国の同意があり、さらには、相手国の関連当局との連携が見込まれるという「3条件」がつけられているのだ。当然、これらの厳しい要件をクリアできず、実際には、自衛隊は邦人救出に行けないのである。【←皮肉ではなく、今、国会で「森友問題」とかに貴重な審議時間を割いている民進党のアホを見たら、「いいんです、その方が。大事な自衛隊員の命を危険にさらす必要がないのですから」と正直思わないではないですけどね。だって、いまどき、南朝鮮にいっているなんてのは、間違いなく、「自己責任」でしょう?

なぜそんな足枷がつけられたのか。それは、助けを待つ国民を救出に行くという「究極の自衛」が「憲法違反になる」という倒錯(とうさく)した法理を説く政治勢力や学者、新聞が、日本では大きな力を持ってきたからである。
私がこの実態を指摘した本(『日本、遥かなり』平成27年)を上梓した際、取材に応じてくれた元外務省幹部は、「自国民を救出することを自ら縛っているのは、主要国の中で日本だけです。しかし、ほかの国と同じように、自国民を救出できるような法整備は、また“戦争法案”といわれてしまう。日本は“大きな犠牲”が生まれるまでは、その愚かさに気づかないでしょう」と嘆いた。

国民の命を蔑ろにした空虚な言論が大手を振った時代は、やがて終わるだろう。それは、同時に「新聞の時代」の終焉を告げるものなのではないか、と私は思う。

【プロフィル】門田隆将
かどた・りゅうしょう 昭和33年高知県出身。中央大法卒。作家・ジャーナリスト。最新刊は、日台同時出版の『汝、ふたつの故国に殉ず』


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厳密に言えば、自衛隊が南朝鮮の在留邦人を救出するのは占領憲法違反ではありません。けれど、1)「識者」はそれを「憲法の精神に反する」「立憲主義を逸脱する非立憲の行動だ」とかおっしゃるのでしょうね。また、2)憲法違反でないとしても南朝鮮との連携がとれなのであれば「救出作戦」のパフォーマンスは極度に下がる。ならば、南朝鮮に現在おられる邦人や日本市民の方が、もし、米国の先制核攻撃とか第二次朝鮮戦争に遭遇してその生命・財産・身体・操・名誉を傷つけられたとしても、それは、お気の毒ではありますが<自己責任>というものでしょう。

・資料-国際法のプチレクチャー付:対話が招いた北の核危機…瀬戸際外交“不敗神話”に幕
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/12dc718c3afc09dc57c950a906437c76

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241

・韓国に行くなら自己責任でお願いします
 :政府『在韓邦人の撤退協議を完全拒絶する』最悪の状況が進行中
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2445ae17b772e55264facb92b26b4403

 
而して、諸外国--南朝鮮や支那に対する--確認の意味でも、国内世論の啓蒙のためにも、やはり、9条の改正は可及的すみやかに行うべきなのだと思います。2020でも遅すぎるくらい、鴨。

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畢竟、「ジャーナリズムは権力を監視する役割がある」とかいうのなら、このような<不備>を放置している権力をこそマスメディアは監視して批判されればいかがか。確かに、「話し合いで・・・」問題が起きないようにするのは良策でしょうが、「邦人見殺し」の事態が論理的に確実である以上、「話し合いで・・・」とともに、この点の権力の不作為をつくのはジャーナリズムの使命ではないか。そう思いませんか、朝日新聞さん。と、そう私は考えます。

蓋し、

>ジャーナリズムは権力の監視が使命だ

これは「監視も」と解すればまんざら間違いではないのでしょう。が、しかし、それはあくまでも、ジャーナリストさんたちのコミュニティー内部の格言であって、だから、ジャーナリストは「権力を批判することなら」何を書いても許されるとかの、世間や非ジャーナリストコミュニティーに対して要求できるものではないでしょう。ワンセンテンス長くなりましたが、要は、

ジャーナリズムが権力の監視を使命とするとしても、ジャーナリズムが必ずしも反権力(ある政権の進める政策に)反対しなければならないなどということはない。例えば、安倍政権の進める改憲に賛成しつつ、その進め方を「監視する」というのも立派な「権力の監視役としてのジャーナリズム」の役割ではないか、と。そう、思います。

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まあ、日本のマスメディアは典型的な(末期のダイエーや大蔵省、ロンドン五輪以降のなでしこジャパン、あるいは、現在の憲法学界の多数派のみなさんのような?)既得権益に寄生する自己改革不能な存在なの、鴨。と、そう私は考えています。

実際、まさに今日の朝日新聞のコラム「政治断簡」で朝日の世論調査部長さまが、要約「安倍内閣の支持率が高いのがなんぼのもんじゃい」と泣き言書いていましたが、アメリカでもそうですがリベラル派メディアの影響力は確実に落ちてきている。さすがに、彼らもそれを皮膚感覚でわかってはきているのでしょうかね。ただ、

>わかっちゃいるけど(反日は)やめられねー♪

という、ある意味、末期の旧陸軍のような感じ、鴨。ほんと、朝日新聞といい(私は昔「岩波書店」とやりとりしたことがありますが)NHKといい、いやー、

>官僚より官僚的

ですよね。そこで働いている人は、お世辞ではなく--実は、5人程、KABUは朝日新聞社からの企業派遣留学に関して、アメリカの大学院留学研修の際に直接カウンセリングとか英語指導とか担当したことがありますけれど--、優秀な方も多いのに、その組織の一員として行動するとなると「ド官僚」さんにならはると思います。

で、昔は、朝日の記者さんなりは専門領域の学識も世間から見れば優秀だったのが--まあ、大学学部時代、KABUに刑法・刑事訴訟法を学年末試験のために教えにもらいにきてた同級生が某全国放送局の刑事報道のえらいさんにならはった程度ではありますが(笑)--、現在では、どの分野でも、少し詳しい素人さん程度でしかなくなった。これ、末期の旧大蔵省のキャリアさんと同じ、鴨です。実際、あの「ノーパンシャブシャブ醜聞」の際に、これまた、私が留学カウンセリングを直接担当した旧大蔵省の若手キャリアの方に聞いたら、

>大蔵省は権力を簒奪している~!

とかの「プロ市民」のカラオケ持ち歌的な批判より、

>大蔵キャリア官僚ていったって、所詮、経済・経済学の素人でしょう?

という批判の方が堪えたとか。
だって、事実だものね(笑)

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要は、あの「おしん」が子守りしながらあこがれながら覗き見ていたころの、日本の知識の分布において、 小学校でさえ、そこで伝授・流通・交換される知識・情報レベルと世間一般レベルの差は、現在では、そんな当時のくっきりと隔絶していたであろうレベル差はネットによって、最早、あるいは、

財務省<東北の限界集落の後期高齢者の学習グループ

になっているかもしれないということです。
まー、ネット情報は、流石に「玉石混交」ではありますけれどもね。
と、そう私は思います。

而して、言論の自由を市民がリベラルメディアから取り戻すのは必然である。
だって、ちなみに、政治研究者の三浦瑠麗さんの実証研究によれば、日本の有権者・国民の7~8割は「保守派」なのですから、NHK、TBS、朝日新聞、毎日新聞・・・・が、リベラルな自己の願望と妄想を垂れ流すのを--もちろん、それは彼等の勝手だけれど--、ネットの時代、われわれ<日本の市民>が忌避して、自分たちの主張をネットを通じて交流交換・切磋琢磨するのは当然の権利ではないかと思うからです。

いずれにせよ、次の総選挙。

>民進党を殲滅しましょう~!
>許さん、民進党~!

・民進党に天罰を!:「政局に利用するな」安倍首相にマジギレさせた蓮舫代表の不適切な攻撃発言
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/739ee2a95554450d98eed7bbd817d826

・民進党って「ド官僚」?:民進党・小西「安倍総理はまともでない」「存在自体が違憲無効の総理」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7fff34fc55cf329ddcbeefaea704930c

・自民党に入党しませんか--支持政党の選び方に関する覚書
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11764121326.html


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・AKB総選挙-海馬之玄関「Oshi-men」決定~!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/42efc0603567d901519898c371733db7


2015年01月05日 16時49分46秒 | 日々感じたこととか

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(追記)
英国のカルト的文化帝国主義システムEUからの脱出の決定、および、トランプ大統領の誕生(2016)。日本国内では、安全保障法法制の成立(2015)、あるいは、改憲勢力が衆参両院で憲法改正/破棄の発議に必要な三分の二を上回ったこと(2016)・・・。まさに、この記事をアップロードして二年足らずの間に<保守主義>の国内外でのイニシアチブ奪回の趨勢はいよいよ明らかになってきたと思います。

しかし、リベラル派はこの記事をエントリーした2年前とほとんど同じ無内容で空虚、かつ、傲岸不遜で独善的なロジックとフェイク情報を発信し続けている。これまた、まさに、奇観というか滑稽な事態。けれども、リベラル派が国の内外でマスメディアと<知識人層>なる利権を手放していない以上、彼等への批判はまだ意味を持つのではないか。欧州の主要国での各種選挙が予定されており、保守派の勝利の進軍がさらに予想される2017年如月の今、この旧稿を「アーカイブ」しようと思ったこれがその理由です。

(2017年2月11日-ホワイトハウスでの安倍首相とトランプ大統領の初会談の日に)

・トランプを携えて日本再生―We also make Japan great again!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/64689a762ef92844d91a75a1df495fe4
 
・期待通りトランプ勝利!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/dd6ca4594815f507d5e576a035b4d808


・宗教と憲法--アメリカ大統領選の背景とアメリカ建国の風景
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3a1242727550e8e31a9133aa154f11bf


    

リベラル派からここ数年、日本社会の「右傾化」を危惧する発言が出されているようです。アメリカでも先の中間選挙では保守派の共和党が爆勝した(↑画像)のですが、それはそう問題ではないらしい。すなわち、例によって、彼等の使う「右傾化」の意味や定義はいまひとつ明確ではない。

けれども、リベラル派が「日本社会のある変化」を嘆きそれに対して憤っていることは事実。而して、仮に「右傾化」なるものを、次のような政策コングロマリットを果敢に推進する政府や政党の存在、および、それらの政府や政党を--消極法的にせよ相対的に--多数の有権者国民が支持している状況が出現していることと捉えれば、<右傾化する日本社会>という理解は満更間違いではない、鴨。悪夢の民主党政権の後、2度の衆議院選挙と1度の参議院選挙で自民党が圧勝したのですから。


▼右傾化?
・憲法9条改正の実現
・憲法96条改正の実現
・集団的自衛権の政府解釈の変更
・特定秘密保護法の制定
・防衛費の増額
・公教育への「愛国心」教育の導入
・公教育での日本の立場をより鮮明にする施策の導入
・公教育の民間委託の推進
・首相、閣僚、国会議員の靖国神社参拝の励行
・支那および韓国に国際法を超えた過度な配慮はしない姿勢
・支那、韓国、北朝鮮という特定アジア三国を包囲する
地球儀俯瞰的な外交の推進
・ロシアおよびインドとの友好関係の強化
・国連の人権委の勧告などは敬して遠ざける姿勢



例えば、「ヘイトスピーチ法規制」や「夫婦別姓制度」の導入に不熱心なこと。あるいは、難民の受け入れに消極的な姿勢等々、他にもいくらでも「右傾化」という事態を構成する要素はあるのでしょうが--経済政策の領域はばっさり割愛すれば、だって、安倍政権は間違いなく先進国でも最も社会主義的な経済政策(アベノミクス)を果敢に推進しているのですからね(笑)--おおよそ、リベラル派が嘆き憤る<右傾化する日本社会>とは、上のような政策コングロマリットを推進する政府や政党の存在、および、それらの政府や政党を多数の有権者国民が支持している状況が出現していることと捉えられるの、鴨。と、そう私は思います。

而して、<右傾化する日本社会>という状況は現実なのでしょう。
で、それがなにか?
喜ばしいことじゃないかい?


畢竟、リベラル派がこれらの政策コングロマリットに反対であるというのはわかる。それは彼等の自由。蓋し、わが国には思想・良心の自由があり、表現の自由があるのですから、彼等がこれらの政策コングロマリットを批判するのも自由だから。けれども、彼等の言説に許しがたい、というか度し難い論理の誤用があるとなれば、我々保守派もその言説の支離滅裂と傲岸不遜を突くことになんの遠慮もいらない。だって、占領憲法を紐解くまでもなく思想・良心の自由および表現の自由は--実は、戦前から!--日本の有権者国民には保障されているのですから。

・暇潰しの言語哲学:「プロ市民」vs「ネットウヨ」
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11370196915.html
 

蓋し、リベラル派の言説の問題点は、<右傾化する日本社会>という事実認識を超えて、それはけしからん--日本の有権者は無知蒙昧な馬鹿かだ!--と論じていること。社会科学方法論における杜撰で初歩的な落ち度。

もし、私のこのリベラル派の「右傾化」批判の認識が満更間違いではないとすれば、そのような言説や認識は、マーケットが変化したのに、70年間同じ品揃えの「商品-政策」を出し続けた結果、赤字続きになった責任を日本の<消費者-有権者>に転嫁するものにすぎないもの。と、私はそう考えます。マーケットが変化したのなら商品の方を変えなさいよ、とも。また、「右傾化」などは「歴史修正主義」や「反知性主義」同様に単なるレッテル貼りにすぎないの、鴨とも。

・歴史修正主義を批判するリベラル派の知性の貧困--占領憲法をガダラの豚にしましょう
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11972266400.html

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私は何が言いたいのか。それは、冷戦構造が崩壊(1989-1991)して資本主義と自由主義の人類史における勝利が確定して以降、主権国家各国は、逆に、自国の安全は自国で守ること、ならびに、--グローバル化の激流から唯一その国民と市民たる外国人を護る権能を持つ--その主権国家は自前で自己の社会統合のイデオロギー再構築の使命がまったなし的に課せられたということ。

ならば、昔は(笑)自民党内でも宏池会(岸田派・麻生派・谷垣グループ)に代表されるリベラル派とイデオロギー的に右の清話会(細田派)が競い合うことでイデオロギー的にも政策的にも均衡を保っていたのに、現在では、右の--要は、特定アジア諸国とは国際法を逸脱するような妥協はしないということ?--安倍首相に刃向う動きは自民党内には見られない、これは民主主義の危機だ。などというリベラル派の言説は、マーケットの変化を看過して、自分たちの<商品>の売り上げが芳しくない状況を有権者国民や自民党の国会議員に責任転嫁するものにほかならない。と、そう私は考えます。

換言して敷衍しておけば、「派閥による疑似政権交代」という55年体制下の自民党長期政権を理解するに便利な<認識枠組み>が現在通用しないことを、現実をより整合的に理解する新しい認識枠組みを構想・構築要できない自分たちの無能を棚に上げて、--噴飯ものの図柄は、例えば、スイス生まれの春香クリスティーン氏などが「派閥による疑似政権交代システムこそ日本政治の要諦のはずなのに、今の安倍政権はそれを無視していて怖い」とか本当に寒い発言をリベラル派の<識者>などが絶賛するというシュールな風景を想起していただきたいのだけれども--「派閥による疑似政権交代システム」が機能しない現実の方を批判する愚である、と。要は、それは、彼等リベラル派の怠慢である、と。要は、無能、と。

冷戦構造の崩壊と超大国の消失という現実を直視する限り、例えば、シーレン防衛にせよ日本も「自分の国は自分で守る」しかないし、予定調和的な冷戦秩序が崩壊した現在、日本国の社会統合のイデオロギーもまた「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(占領憲法前文)などの<物語>ではない別の<物語>にバージョンアップする必要があることは自明でしょう。

ならば、「規制枠組み-冷戦構造」が変わり、マーケットも変わった現在、自民党内のリベラル派と保守派の切磋琢磨の図式が変わるのは当たり前のこと。だって、自民党自体が元来「自主憲法制定」を目指して結党された政治政党なのですから。

而して、自民党の「1強多弱」体制や、自民党内の「安倍1強体制」は民主主義に反するなどは噴飯もののいいがかりにすぎない。畢竟、それは、マーケットを軽蔑するプレーヤーはマーケットから軽蔑される。ビジネスマネージメントのこの箴言に直球ど真ん中でヒットする言説であろう。と、そう私は考えます。彼等は怠慢だけではなく傲慢なのだとも。

要は、どんな主義主張も表現するのは自由だけれども、根拠を欠いた「私はこう思う、ゆえに、日本の有権者国民もそう考えるべきだ」という他者に向けられた当為命題は傲岸不遜でしょうよということ。例えば、集団的自衛権の政府解釈の変更は立憲主義にも民主主義にも反するとかのリベラル派の言説は、正に、「言うだけならただやで」もんの傲岸不遜であろうと思います。だって、内閣法制局の数次の国会答弁でも「日本は立憲君主主義の国」であり、また、社会思想としての「立憲主義」と「民主主義」は鋭く対立するイデオロギーなのですから。


・民主主義--「民主主義」の顕教的意味
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11916914003.html

・民主主義--「民主主義」の密教的意味
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11930076948.html

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136660418.html

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9256b19f9df210f5dee56355ad43f5c3

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このような私の主張に対しては、
しかし、次のような事実の指摘がリベラル派から
来るかもしれない。

来る来る。
来るさ来るさ、きっと来る。

すなわち、

>日本は市民革命を経ていないから民主主義が根ずいていない

あるいは、

>70年間の戦後民主主義的な議論の蓄積
>これまでの政府見解との整合性
>東京裁判を受諾してサンフランシスコ平和条約で主権回復した事実

そして、

>サンフランシスコ平和条約に反する集団的自衛権の解釈や、
>まして、占領憲法の改正など許されないとかの主張も来る、鴨

あのー、「市民革命」なるものを経なければ根ずかない「民主主義」なるものには普遍性はないでしょう。まして、じゃ、その価値の正当性の根拠は国連加盟193か国の9割がたにとって欠落している。そうなりませんか。

あのー、民法の事情変更の原則でもないけれど、規制もマーケットも変わったのなら、商品もそれを生産・販売する組織も、あるいは、組織の企業理念・文化(CI・CC)自体から変えなければマーケットから退場させられるのは--今の社民党のように--当然ではありますまいか。政治とは日々変化する状況に対する公的権力の営みであり、「整合性」や「議論の蓄積」とはその施策に対する支持を集めるうえで有効な限り尊重されるもの。

冷戦構造の崩壊、超大国の消失という事情の変更の前には「整合性」や「議論の蓄積」などはそう大したプライオリティーを政策コングロマリット設計と実現において帯びない。そう私は考えます。

而して、東京裁判を受諾して、もって、
サンフランシスコ平和条約で日本が主権回復したのは事実。
そうなのでしょうね。


けれど、(ⅰ)新カント派の知見を持ち出すまでもなく、事実命題と当為命題の根拠は異なる、(ⅱ)戦後体制と言ったってね、その中で、東側ができ東側が崩壊した事実、(ⅲ)アジア・アフリカの数多の諸国が独立した事実--植民地支配を2世紀近く続けてきた帝国主義の本家家元の英国・フランス・オランダ・アメリカは、ただの一言も植民地支配について謝罪などしていない事実!--、(ⅳ)元来、国内においては最高の、対外的には独立平等の主権国家がその社会統合のイデオロギーを条約などで制約されるいわれはないという事実。

これら、(ⅰ)~(ⅳ)を鑑みれば、規制もマーケットも変化したのですよ、と。
そう私は即刻反論する。

土台、例えば、憲法と国際法の優位性論に関して--私も国際法優位の一元論を取りますが--国際法優位説を取るリベラル派がする「だから、サンフランシスコ平和条約に反する集団的自衛権の解釈や、まして、占領憲法の改正など許されない」とかの議論は憲法基礎論に関する無知が炸裂したもの。

国際法優位の一元論の本家家元ハンス・ケルゼンにおいても、あるいは、現在の日本で憲法学の通説を代表しておられる早稲田大学の長谷部恭男さんの著述を見ても、国際法優位の一元論とは、ある主権国家の実定法秩序が他国からも憲法秩序と認められるということ--要は、イスラム国は他国から独立国と認められていないからその実定法秩序は<梁山泊>の秩序にすぎず、台湾は多くの国がその主権を認めているがゆえにその実定法秩序は国際法的にも正当な憲法秩序ということ--にすぎません。つまり、国際法優位の一元論とは法の効力についての形式的・法論理的な議論。

而して、ある主権国家のその領土内で通用するルールや社会統合のイデオロギーの内容はその主権国家が国内法で独自に決めうること。この形式と内容の違いを理解しないリベラル派を無知蒙昧とまでは言わないけれど「反知性主義」と呼んでも、それはそうレッテル貼りの言辞ではない、鴨。つまり、リベラル派の言説は不遜。

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html

および

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79


畢竟、繰り返しになりますけれど、私がリベラル派に言いたいのは「私はこう思う、ゆえに、日本の有権者国民もそう考えるべきだ」という主張にはちゃんと根拠をつけましょうねということ。これもの凄くささやかなお願いだと思うのですけれども。

どうでしょうかね、彼等には通じないの、かな。(←最近、西野カナさんにどっぷり、鴨)

ということで、なんとか<娑婆>で2015年を迎えることができました。
同志の皆様に感謝します。而して、憲法改正もしくは破棄に向けて
頑張りましょう。共に闘わん。
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有名な二つのフレーズ、すなわち、

▼デモクラシーは最悪の政治の形態だ、今までに存在した他の形態を別にすれば・・・
"Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time.…"
(House of Commons, October 31, 1944)

▼鉄のカーテンが欧州大陸を横断するようにおろされ冷戦が始まっている
"From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the continent."
(at Westminster College in Fulton, Missouri on March 5, 1946)

ほどではありませんが、Sir Winston S Churchillの名文句として有名な
もう一つのフレーズがあります。

現在、二重国籍者の党首が野党第一党を率いているというシュールな現状をかんがみるに、
その民進党の前身、民主党の日本政治史上最悪の首相のことを俎上に載せた記事をアーカイブしたいと
思いました。

ちなみに、日本政治史上最低の首相は--諫早湾開門をデットロックに乗り上げさせ、全国で福島から避難してきた子供たちを「放射能ばい菌」いじめで苦しめることになった、また、原発風評被害を拡散させ福島県の農家に大打撃を与え、不必要な化石燃料の輸入で国富を流出させ続ける原因をつくった--東日本大震災が起きた時「これで政権の延命ができる!」と喝采を叫んだ管直人であることは言うまでもありますまい。

無意味な屋内避難勧告とだまし討ちのような避難指示で数万のワンちゃんや牛さんや豚さんを餓死せしめた彼等、民主党政権の姑息な拙劣さを、ワンちゃんたちの恨みを私は生涯わすれません。

>民進党、次の国政選挙で地獄に落ちろ!
>地獄で福島県浜通りのワンちゃんや牛さんや豚さんに土下座して謝ってこい!

・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11138964915.html

・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2

・美味しんぼの因果関係-脱原発の背理
 
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65218494.html

以下、旧稿の自家ブログ転記。


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●普天間問題 鳩山首相「私の言葉で混乱はない」
鳩山由紀夫首相は1日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市の移設問題をめぐり、自身の発言がぶれることで問題を混乱させているとの見方について「沖縄をはじめ、全国の国民に私の言葉で混乱をきたしているということはないと信じたい」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

--米軍普天間飛行場の問題で、社民党の福島瑞穂党首は首相の腹案を聞いていないとおっしゃっている。福島党首は米領グアムへの移転を主張し続けているが、連立政権として社民党、国民新党にはいつ腹案を説明されるのか。また、両者の了解をどのようにとりつけるのか

「いずれ、そのタイミングを見て、お話をいたします。お話をすれば、私は連立政権なんですから、必ず理解は得られる。そのように信頼をしています」

--仲井真弘多沖縄県知事が、報道されている沖縄県内の2つの案に対して改めて反対の意向を示した。国の安保政策が地元の声よりも優先されるということもあり得るのか。こういった混乱は首相が「政府案」と言ってみたり、「政府の考え方」だと言ってみたり、「腹案」と言ってみたりしていることが原因だと思われるが、この違いを教えていただけるか

「私は何も考えを変えているわけではありません。政府の考え方、それは私自身の腹案であります。それを有しているということを、きのう党首討論で自民党の谷垣総裁に申し上げた。ただ、その中身に関して、何も私は一言も申し上げておりません。したがって、沖縄をはじめ、また、全国の国民のみなさま方に私の言葉で混乱をきたしているということはないと信じたい」

--安保政策が地元の声よりも優先されるのか

「安保政策は当然、これは国の大変重要な命の政策であります。しかし、当然のことながら、どちらが優先というよりも国民のみなさま方の理解がなければ安保政策が進められないことも言うまでもありません」

(産経新聞:2010/04/01 19:16)

    
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ところで、例えば、我々は、「熊」という言葉を見聞きした際、/クマ/という音を介して、あの北海道とかアラスカとかに生息する、鮭や蜂蜜が大好きな哺乳類を連想する。そして、/クマ/という音声に伴われた、我々の意識の中にある画像的イメージが、アラスカや北海道に実際に生息するあの「ネコ目クマ科:Ursidae」の動物と一対一的の対応関係にある。と、そう言えると思います。

而して、言語学/言語哲学では、「熊」という言葉を「能記」、ある特定の画像的イメージを伴う/クマ/という音声を「音声画像」。そして、/クマ/が一対一的に対応している、あるいは、/クマ/が世界の森羅万象から切り取る、歴史的に特殊なある事物群を「所記」と呼ぶことになっています(尚、ここでの用語法とソシュールの用語方は些か異なり、「能記」が「能記:シニフィアン」、「音声画像」が「所記:シニフィエ:聴覚映像」となり、ここでいう「所記」は特に明確には定義されません)。

而して、オグデン&リチャード『意味の意味』(Ogden & Richard's・1923)の「意味の三角:Semiotic triangle:Semantic triangle」ではありませんが、また、ソシュールでもありませんが、あらゆる言語を巡っては、

(a)能記 (Symbol:term or word:sign vehicle)
   ⇔音声画像(Sense:concept:thought or reference)
(b)音声画像(Sense:concept:thought or reference)
   ⇔所記(Referent:thing:object)

に関しては、直接の関係(因果関係、あるいは、一対一の意味の対応関係)が観察されるけれど、

(c)能記 (Symbol)⇔所記(Referent)

の関係は、(a)(b)の結果として、慣習的・社会学的に観察されるものでしかない。

要は、能記と所記の間にはダイレクトな関係は存在しない。
つまり、我々が、何かの言葉やテクストの意味を理解するということは、

(a)「能記⇔音声画像」と(b)「音声画像⇔所記」を迂回して、我々の内面に、
(c)「能記⇔所記」の関係を主体的・主観的に構築できたということに他ならないのです。
    


この経緯を下の画像で確認しておきましょう。

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さて、言葉とその意味の関係、あるいは、我々が言葉の意味を理解するということの経緯についてこう考えるとき、上の鳩山氏の言動は「悪しき政治指導者」の態度や行動について述べられたある有名な言葉を<理解>する上で大変参考になる。

蓋し、選挙でどんな政治家は落選させるべきなのか、どんな政治家が「悪しき政治指導者」なのか、すなわち、鳩山氏の言動は、(c)「「悪しき政治指導者」という言葉⇔「悪しき政治家」という存在」の関係を我々が主体的・主観的に構築するための(a)(b)の<迂回路:detour>なの、鴨。

と、そう私は感じました。

私は、今回鳩山氏が好例を提供してくださるまでは、「建武新政」(1333年)前後の「史上最低の天皇=後醍醐」の言動を、「悪しき政治指導者」の「音声画像」に使ってきましたが、いかんせん、700年近く前の事例であり、正直、他者と「悪しき政治指導者」のイメージを共有する上では必ずしも使い勝手のよいものとは言えなかった。よって、これからは、「後醍醐天皇=鳩山由紀夫」という重層的なイメージを使って、より分かりやすく政治を語ることができるようになるの、鴨。

と、そう私は思っています。

而して、「悪しき政治指導者」を描いたその有名な言葉とは次のセンテンスです。

何も決定しないことを決定し、優柔不断でいることを決意し、
成り行きまかせにするということでは断固としており、
変心しやすいという点では頑固であり、全力を挙げて無能であろうとする。
(1930年代の宥和政策を非難して述べたチャーチルの言葉)

They are decided only to be undecided,
resolved to be irresolute, adamant for drift,
solid for fluidity, all-powerful to be impotent.
(By Winston Churchill)


resolve:決意する(不定詞のみを目的語に取る動詞です)
irresolute:優柔不断な
adamant for ~:~に対する好意を言葉もしくは態度で旗幟鮮明にする
drift:なり行き、流れに身を任せるしかない状況
solid:頑固一徹
fluidity:朝令暮改が常態の状態
all-powerful:全能の。全身全霊を打ち込む
impotent:無力な、無能の、鳩山由紀夫している
    

【参考記事】
・鳩山首相のコミュニケーションスタイルは日本人特有のものか
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/6881d002420b1976e1988a60610ec9ea

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トランプ次期大統領の過去の言動を朝日新聞が批判しています。それ、社説・政治部の偉いさんのコラム、アメリカの特派員さんのレポート等々、ここ数日目にしただけでも半ダースは優に越える気合いの入れよう()。まあ、負け犬の遠吠えは(←「ひかれ者の小唄は」とも言う。)、われわれ保守派にとってはどうでもいいのですけどね()。どうでもよくはない杜撰なロジックがーーあるいは、疑似ロジックによる詐術がーー、しかし、そこにひっそりと炸裂していた。と、そう私には感じられました。それは、大体こんな感じの物言い(尚、トランプ氏の発言部分は原文からKABUが直接訳しました。朝日新聞には嘘が書いてあるかもしれませんから)。

>トランプ氏は、[日本の安全保障に触れた際に、]「どの国も自国は自国で守るべきなのです。北朝鮮の核が日本にとって脅威だというのなら、日本も核武装すればよいのです」と、被爆国の日本が取り得ない[選択肢]を述べた。


私の疑問はシンプル。それは「被爆国の日本は核武装という選択肢を取り得ない」という命題の意味と真偽に関する疑問。蓋し、朝日新聞のこの命題の意味が、「被爆国は、……

==>技術的に核武装できない」
==>法的に核武装できない」
==>道徳的に核武装するべきではない」

という3命題のどれと同値であろうともーーしかし、実際、この3命題以外と解するのは常識はずれというもの、多分ーー、それら3命題はすべて間違いであるか、少なくとも、トランプ氏や核武装を推進しょうとする日本の左右の論者に対する有効な批判または提案にはなっていないでしょうよ。と、そういうことです。

何故ならばーー分析哲学的観点からはーー、他者との討議において言説は大きく二つ、「真理・信仰告白型と法則・法規範提示型」に別れる。そして、(真理・信仰告白型)「これこれの根拠によって、わたしはこう思う」という言説と、(法則・法規範提示型)「これこれの根拠によって、わたしはこう思う、よって、あなたもそう思いなさい」というタイプの言説とでは、論者に要求される「根拠」の性質は異なる。と、そう私は考えるのです。而して、この討議的言説の理解から鑑みるに、朝日新聞の物言いが後者の「法則・法規範提示型」の言説であるとするならばーー全国紙の紙面に、繰り返し、自らが信じる「真理や信仰を告白」するだけの文字列を掲載するなどは常識はずれでしょうからーー、それは、「法則・法規範提示型」の言説が備えるべき水準の根拠を欠く、破綻した主張であるか、主張の破綻を承知の上でさなされた詐術、または、その両方でしかない。そう、私は思うのです。


畢竟、(甲)「日本は技術的に核武装できない」という認識が事実に反することは国際的にも明らかでしょう。だからこそ、ーー本当のことは藪の中としても、彼等は「日本は比較的容易に核武装できるあるよ、ニダ」と思っているからこそーー支那や南朝鮮といった反日国、あるいは、そのエージェントであるNYT・WPST、BBC・ガーディアンなどの米英のリベラル系メディアは都度、日本の核武装の可能性について悲鳴を、もとい、警鐘を鳴らしているのでしょうから。

実際、先月、北朝鮮の制御を求める文脈で、アメリカの国務長官(the Secretary of State)が支那に対して「北朝鮮がこのまま核開発を続けるようなら、日本も核武装するかもしれませんよ。その気になれば日本は24時間で核武装できるでしょう。その場合、アメリカも日本に核武装をやめろとは言えないですよ。支那はそうなってもいいんですか?」と言ったらしい。そうこれまさに、「trick or treat」発言、鴨。

要は、純粋な核弾頭(a nuclear warhead)製造技術も、また、核兵器の原料のプルトニウムの〈備蓄〉においても(←まじ、売るほどあるがな)、まして、核弾頭を向こうの大陸まで運ぶ弾道ミサイル(a ballistic missile)の製造についても、24時間かどうかは知らないけれど、〈技術的〉観点からは「日本は技術的に核武装できない」という命題は偽であろうということです。


念のためとはいえ、知らない向きなどほとんどおられないだろう〈技術的マター〉にだらだら言及(↑)してしまいました。先を急ぎます。而して、次の場合は如何。(乙)「日本は法的に核武装できない/核武装することは許されない」はどうか。

蓋し、例えば、日本も「核拡散防止条約:NPT, Non-Proliferation Treaty」を1976年に批准しています。つまり、(a)NPT上の核兵器保有国はーーイスラエル・インド・パキスタン・イラン・北朝鮮等々の核兵器を持っているだけの国は除く、また、NATO加盟国またはカナダの如き「他国の核兵器を協働使用できるなんらかの権限を条約によって保持している国」を除く、米露英仏支の5ヵ国ーー現存の核兵器を漸次削減すること、(b)NPT上の非核保有国は、今後も核武装することはせず、核開発は専らエネルギー開発、および、医療・遺伝子技術等々の所謂「平和利用」に限定する、(c)この(a)(b)を画餅にしないために、各NPT加盟国を監視する機関「国際原子力機関:IAEA, international atomic energy agency」を立ち上げ、(d)この(a)(b)を遵守しない加盟国には、ウラン等の輸出入の制約、更には、より広範な経済制裁も幾つかの手順を踏んで課すこともありうるという約束。加盟国の日本もこの約束に沿って日々原子力政策を進めているということ。

ちなみに、44代アメリカ大統領の誰だっけ、もう忘れた。2009年、ブダペストかどこかでその彼が就任直後に語った「核兵器なき世界」とは、実は、このNPT体制の粛々とした運用以上でも以下でもなかったのですけれども、しかし、条約は条約。要は、どの主権国家もどんな条約でも破棄するのはその国の自由。だから、現在、NPT加盟国たる日本が核武装することは今今は法的に許されないということは、間違いではないけれど、将来的にーーNPTを脱退するなりして、ーー日本が核武装することは国際法的にはなんら問題はないのです。蓋し、45代のトランプ大統領がーーブッシュ43代大統領(息子)が地球温暖化の京都議定書体制を脱退したようにーー地球温暖化のパリ条約を早晩破棄するだろうように、ですね。


では、条約ではない国際法ではどうでしょうか。ご存知の方も多いでしょうけれど、「国際法」の一般法は慣習法。すなわち、それが規制する国際関係マターに関して慣習国際法がカバーする領域を太平洋とすれば特別法たる条約の守備範囲などは琵琶湖くらいのものなのですからね。これは充分考慮する価値はある、鴨です。

この点参考になる国際司法裁判所の判断があります。すなわち、「核兵器の威嚇または使用の合法性に関する勧告的意見:Advisory Opinion of the International Court of Justice on the Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons」(1996年7月8日)。法的拘束力のないこの勧告的意見で、ICJは、「核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則・・・に一般的には違反するであろう」しかし、「国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて当裁判所は最終的な結論を下すことはできない」と述べています。要は、「核兵器の使用がすべて国際法違反とは言えない」ということ。

(1)核兵器の使用は一般的には国際法に違反する
(2)核兵器のすべての使用が国際法に違反するとは言えない

蓋し、自動的に大量の非戦闘員の被害が不可避の核兵器の使用が「一般的に戦時国際法に違反する」との認識はーー「東京大空襲」(1945年3月10日の陸軍記念日、松田聖子さんと藤谷美和子さんの誕生日?)が間違いなく国際法違反であるようにーーそう荒唐無稽ではないでしょう。よって、この認識と、加之、「法は緊急時には沈黙する」という法諺・箴言と併せたものとして理解できるこのICJの勧告的意見はまずまず妥当だと思います。

いずれにせよ、この法的拘束力はないながら中庸を得た勧告的意見は、しかし、(α)核武装そのものではなく、核兵器による威嚇または使用についての判断であること、(β)非常事態の自衛権の行使に関しては国際司法裁判所には判断能力がないことを率直に認めていることから、「日本の核武装の可否」に関しては、無関係とまでは言わないけれど、肯定的と否定的ともほとんど参考にはならないものなのです。


而して、国内法的には如何。蓋し、日本の現行の占領憲法においても、日本が核武装することは毫も憲法に反しない。このことは、私のネットウヨ風(笑)の妄想ではなく、安倍総理の祖父、戦後最高の宰相・岸信介首相の内閣以来現在に至る、つまり、ーー細川殿様政権や村山社会党政権のときも、そして、あの悪夢の民主党政権のときも!ーー確定している一貫した日本政府の公式見解なのです。

畢竟、〈法的〉観点からも「日本は核武装することはできない/核武装することは許されない」という命題は偽なのです。



最後に、道徳的にはどうでしょうか。(丙)「日本は道徳的に核武装するべきではない/核武装することは許されない」は「これこれの根拠によって、わたしはこう思う、よって、あなたもそう思いなさい」という討議形式の命題でしょうか。否、です。簡単な話しです。

>被爆国は核武装してはならない/核廃絶を世界に対して要求できる
>日本は被爆国である
>よって、日本は核武装してはならない/核廃絶を世界に対して要求できる

法規範にせよ道徳規範にせよーーあるいは、規範に従う義務の発生が条件付きの仮言命題にせよ、規範に従う義務の発生が無条件の「定言命題」にせよーー、当為規範は上記の「三段論法形式」を取ります。尚、道徳規範と法規範の差異は「制裁:sanction」の有無であるとハンス・ケルゼンは述べていますが、ご興味のある方は『法と国家』(東京大学出版会・1969)のご一読をお薦めします。閑話休題。

而して、「日本は被爆国である」という命題は真なのでしょう。他方、「被爆国は核武装してはならない」という命題には何の根拠もありません。よって、「日本は核武装してはならない」という命題にも他者を拘束する効力は存在しないのです。

敷衍しておけば、上の三段論法形式と下の形式は論理的にーーそして、他者に対して規範的拘束力も効力も持たないという点でも!ーー同値ということです。

>被爆国は核武装が許される
>日本は被爆国である
>よって、日本は核武装するーー少なくとも、道義的ーー権利がある

加之、

この理路(↑)は日本が日本自体に言及しているのだから少なくとも、国際的には、単なる「日本の安全保障政策」に関する認識と意思の表明にすぎないけれど、この国の被爆者団体なるものがしばしば口にされる、次の如き理路、すなわち、

>唯一の戦争被爆国は核廃絶を世界に対して要求するーー少なくとも、道義的なーー権利・資格がある
>日本は唯一の戦争被爆国である
>よって、日本は核廃絶を世界に対して要求できる/要求しなければならない

この理路は、他国に対して何の根拠もないだけではなく、「余計なお世話」的の言説でしかない。要は、被爆団体がそう言うのは勝手だけれども、諸外国はそれを聞き入れなければならない義理などは金輪際ないということ。ならば、他人様を煩わせないだけ、前の「被爆国は核武装が許される→日本は被爆国である→日本は核武装するーー少なくとも、道義的ーー権利がある」の理路の方が討議においてもは妥当だと言える、鴨。


畢竟、「被爆国の日本は核武装という選択肢を取り得ない」という朝日新聞の主張は完全な間違いである。と、私は思います。被爆国たる日本には核武装する権利がある、鴨とも。



プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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