日韓併合条約締結から100年。この社会では、しかし、「日韓併合条約はその当初から無効だった」などという妄想を喧伝する論者も少なくないようです。而して、「日韓併合条約の無効性が認識できない者は、無知か狭量か、いずれにせよ、歴史を見る眼か、または、道徳心か、あるいは、その両方が曇っているのだ」、と。それくらい言い出しかねない勢いで、彼等は国際法的に全く成り立たない独善的な議論をして毫も恥じ入る気配もないように見える。本稿では彼等のこの心性の構図を俎上に載せたいと思います。

日韓併合条約の法的性質に関して、例えば、和田春樹や高橋哲哉、または、戸塚悦朗や中塚明等の論者の<研究>など国際法的にはなんの価値もない。すなわち、日韓併合条約無効論が成立しないのは証拠の不足ではなく法的論拠の不在が主な理由ということ。つまり、

彼等がいかに日韓併合条約締結の事情や背景を精緻に調べて、1910年当時、その自由意思が全く認められない程、韓国が日本に抑圧されていたという事実を言挙げしようとも、「どのような事態が存在すれば、日韓併合条約は当初から無効だったと言えるのか」「そもそも条約が当初から無効であるということはどういうことなのか」という議論の根幹が不分明なままであれば、彼等の努力や主張は「笊で水を汲む」シューシュポスの神話的で無意味な行為でしかないのです。   

この点に関しては、実際、韓国側が招集したとされる国際会議でも、無効論の主張は欧米の国際法研究者からことごとく退けられており、また、現在の民主党政権でさえも「日韓併合条約は有効に成立した」と認めていることを鑑みれば、無効論の根拠の薄っぺらさといかがわしさは自明であろうと思います。閑話休題。

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◆世界標準としてのナショナリズム

グローバル化の昂進と轍を一にして、日本社会では新しいタイプの<ナショナリズム>が蔓延しつつある。と、戦後民主主義を信奉するリベラル派の論者はそう危惧しているのでしょうか。5年近く前の論稿ですが、逆に言えば、それだけ彼等の危惧を簡明直截に吐露していたとも言えるテクストがある。『世界』(2006年2月号 pp.104-111)掲載の中西新太郎「開花する「Jナショナリズム」 『嫌韓流』というテクストが映し出すもの」。同稿を導きの糸にしてリベラル派の心性を観察してみたいと思います。尚、現在では、すべての国のすべての政権は<ナショナリズム>をその基軸に据えざるを得ないことに関してはとりあえず下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・自民党<非勝利>の構図-保守主義とナショナリズムの交錯と乖離(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59722931.html

同稿は、何の根拠も示すことなく、『嫌韓流』を「あからさまな排外主義的言説」と断定し、それを歓迎した世間の動向を「ナショナルな言動がこれほど急に浸透するようになった」と看做している。正に、「あなた何様」ものの論稿。以下、引用します。


インターネットの世界から生まれたといえるコミック、山野車輪『嫌韓流』(晋遊舎)がベストセラーになったことに、「なぜ?」と疑問を抱く向きは多かろう。ただし、・・・なぜ青年層があからさまな排外主義的言説を支持するのか、なぜナショナルな言動がこれほど急に浸透するようになったのか・・・、等々、疑問の焦点は必ずしも定かではない。

そしておそらく、これらの漠とした疑問の底には、今日の青年層にたいする、その心情や振る舞いの「わからなさ」に対する不安と不満が潜んでいる。・・・つまり、戦後日本のナショナリズム感情とは異質で、それゆえに既存の批判が通用しないナショナリズムが広がっているのではないか、という危惧である。

『嫌韓流』・・・には、しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」などの既存の右派言論と異なる目新しい内容があるわけではない。したがって、・・・『嫌韓流』現象に固有の問題はそれでは浮かび上がって来ない。また、『嫌韓流』の読者ももっぱら若年層に限定してとらえることにも留保が必要であろう。マンガという表現形式が通用する読者層は四〇代まで及んでおり、少なくとも三〇代ホワイトカラーはすべて読者層に想定しうる。・・・

筆者の結論を予示的に述べておく。『嫌韓流』流行現象における「テクスト様式-解読様式」の全過程は表象のコロニアルな暴力を亢進させ、新たな性格を帯びた攻撃的ナショナリズムの出発を予兆している。このナショナリズムは、軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合うものであるとともに、後述するいくつかの位相を持った文化的自閉性の帰結でもある。(以上、引用終了)   


ポスト=モダンの衣装を纏った左翼流の文体には些か閉口させられましたが、その理路は曖昧ではない。
すなわち、


①『嫌韓流』流行現象の底には、グローバル化の進行の中で、かっての植民地支配国と被植民地国という歴史的に特殊で個性的な日韓の関係をも世界の他の国との関係の中のone of them と見る視点がある

②このような「クールな視点」からは、被害者である韓国の人々が感情的に日本の責任を言いつのる姿勢はそれだけで説得力の薄いものと感じられ、『嫌韓流』にビルトインされている「理性的日本」対「感情的韓国」という対比の構図は、言説の内容以前の段階で日本側の主張に説得力を付与する様式である

③この「ジャパン・クール」という姿勢は、かっての植民地支配に対して怒りを感じないではおられない、よって、クールにもシニカルにもなれない韓国の人々を見下す表象のコロニアルな暴力にほかならない

④『嫌韓流』流行現象の基底には、復古的なナショナリズムとはとりあえず異質な、グローバル化の時代の新たなナショナリズムの萌芽が看守できる。それは、中韓朝という特定アジアの国々と日本との歴史的に特殊な関係にあまり関心を示さない、「文化的自閉性の帰結たる」「軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合う攻撃的ナショナリズム」である、と。   


蓋し、③と④後段の「文化的自閉性の帰結」や「軍事大国化を遂げようとする現代日本の歴史的段階に見合う攻撃的ナショナリズム」なるものを除けば、私は同稿の認識はおおよそ妥当だと思います。

畢竟、韓国併合は国際法上なんら違法でも不当でもなく、また、特定アジア諸国を含む世界のすべての国との戦争処理も日本は(ナチスに責任を押し付けて戦後処理を糊塗したドイツとは違い)完全に終えている。ならば、現在、まして、戦後生まれの日本人が特定アジア諸国に対して謝罪すべきことなど皆無であり、更なる賠償の必要など毛頭ない。而して、かくの如く、特定アジア諸国を含む他国と確立した国際法と国際慣習に従い日本が付き合おうとするのは当然のことでしょう。   

要は、同稿が「ジャパン・クール」と呼んで批判している国際関係のパラダイムは、むしろ、世界のデファクトスタンダードなのです。ならば、「文化的自閉性」なる言辞は、むしろ、中華鍋じゃなかった中華主義を振り回す特定アジア諸国にこそ相応しいのではないでしょうか。

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◆戦後責任論の衰退とナショナリズムの再興

戦後責任論を切り口に、更に、リベラリズムの独善性を観察します。

高橋哲哉さんは、『戦後責任論』(講談社・1999年12月/講談社学術文庫・2005年4月)および『歴史/修正主義』(岩波書店・2001年1月)等の著書で精力的に(専ら日本の)戦争/戦後責任論を展開されている。而して、そのロジックは、例えば、家永三郎『戦争責任』(岩波書店・1985年7月/岩波現代文庫・2002年1月)等の、戦後第一世代の戦後責任論と比べればエレガント(尚、高橋戦後責任論に関しては下記拙稿をご参照いただければありがたいです)。    

・書評☆高橋哲哉『歴史/修正主義』
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59883244.html

これら新旧の戦後責任論は概略こう要約できるでしょう。

◎家永説:
「なぜ自分の生まれる前の、自分としては関知せず責任を負うよしもないこと思う行為に対して、恥ずかしさを覚え、それにふさわしい応対をしなければならないのか。それは、世代を異にしていても、同じ日本人としての連続性の上に生きている以上、自分に先行する世代の同胞の行為から生じた責任が自動的に相続されるからである」(前掲岩波現代文庫、p.338)、と。 
   

しかし、同書のどこにも「責任が自動的に相続される」根拠は示されてはいないのです。
蓋し、同書の理路は、「日本人は戦争責任がある」→「戦後生まれの日本人も日本である」→よって、「戦後生まれの日本人にも戦後責任がある」というもの。而して、この主張の是非は、初項の「日本人は戦争責任がある」の妥当性に帰着せざるを得ず、それは結局、「日本人」「戦争責任」の定義問題に収斂する。

ならば、小倉紀蔵さんの言葉を借りれば、その主張の根拠は「良識ある日本人なら戦後責任があると感じるのがあたり前である」という家永さんの信念にすぎないということになりましょう。尚、小倉さんの日韓関係認識には、例えば、「今後、韓国と敢えて疎遠になる」という日本の選択肢が意図的に除外されている等々の問題も見受けられますが、本稿の論点を考える上でも参考になります。ご興味のある方は下記拙稿をご一読ください。

・小倉紀蔵『歴史認識を乗り越える』の秀逸と失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/20460048.html



◎高橋説:
高橋さんのロジックは二重構造。すなわち、(A)戦争の悲惨を知ったことに発する(戦争被害者の声に応答する)倫理的な責任と、(B)法的に連続している日本国の一員としての法的な責任の結合が高橋戦後責任論の実体ということ。    


しかし、

(A)は高橋さんの美意識にのみその根拠があり、そのような美意識を共有しない論者に対しては家永責任論と同様、なんの説得力もない。

より滑稽なのが(B)。それは、「日本国民の法的規定性」を戦後責任の根拠と考えるのですが、そのような「法的に連続している日本国の一員としての法的な責任」なるものは、結局、日本の戦争処理が法的に完全に終了している以上無内容だからです。而して(B)に関して高橋さんは、「戦後生まれの日本人も責任を負っている。それが嫌なら、日本国のパスポートを返せ/日本国からの行政サーヴィスを受けようと思うな」と述べておられますが、これなどは振り込め詐欺の類の言説ではないかと思います。   
 

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蓋し、「Jナショナリズム」批判は、これら戦後責任論が共感を獲得できていたであろう、戦後民主主義を信奉する論者にとっての<古きよき時代>には一応の妥当性を帯びていたのかもしれません。しかし、歴史的に特殊な「固有名詞」の二国間関係を均一な「普通名詞」の二国間関係に移行させるグローバル化の昂進にともない、戦後責任論自体がその説得力を喪失してしまった現在、その崩壊した戦後責任論を基盤とした<ナショナリズム>批判には(例えば、『嫌韓流』を支持する読者にとっては)何の説得力もないのではないでしょうか。

而して、グローバル化の進行は誰も止めようがない以上、特定アジア諸国も、早晩、グローバル化とより親和性の高い国際関係の作法、すなわち、確立した国際法と国際慣習に従う行動様式と心性に、つまり、「ジャパン・クール」と類似の行動様式と心性に、漸次、移行せざるをえなくなるの、鴨。

ならば、再興しつつある、そのような世界標準の<ナショナリズム>に「Jナショナリズム」というレッテルを貼ることは、喩えれば、もうそこで買い物をすることは金輪際ない店から、「あなたは出入り禁止です」と言われたに等しい、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」類似の事態であろうと思います。




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(2010年9月20日:yahoo版にアップロード)

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patriotsdf1
【Patriot Advanced Capability】


自民党と民主党との「大連立」が泡立ち、そして、露と消えた感のあるここ数日、平成17年12月11日の朝日新聞社説「前原発言 外交センスを疑う」を読みかえした。朝日新聞の政治センスを疑った。と、同時にこの2年間の時間の流れが朝日新聞には全く影響していないことに「感動」した。そして、平成19年11月2日の福田首相と小沢民主党党首の会談で「大連立構想」が真面目に話し合われたこともあり、本稿でも記した自民党と民主党の「大連立」という手が日本再生のためには有効かもしれないとあらためて思った。

而して、自民・民主を問わずわれわれ保守改革派が闘っているのは、冷戦構造下の「安定した国際関係」の条件においてのみ、その荒唐無稽さが表面化することを免れてきた、「非武装中立」なるものが可能でもあり、また、日本はそれを率先して目指すべきとする戦後民主主義的安全保障認識をいまだに信奉する勢力だということがはっきり分かった。ならば、「大連立」を目指して、あるいは、政権政党としての国民信頼を勝ち取ることを期して、前原氏を含む民主党内の保守改革派には頑張っていただきたいものである。以下、2年前の旧稿の再録。

****** ******

正に、「センス」は雀百まで踊り忘れずの好例か。平成17年12月11日の朝日新聞社説「前原発言 外交センスを疑う」を読んでそう思った。この「センス」という言葉は、朝日新聞社説に特徴的な文学的表現ではなくて、論理性の欠如と国益意識の欠落を意味している。朝日新聞の政治センスの乏しさは、例えば、この社説が書かれた二日後、平成17年12月13日の産経新聞の社説「前原民主党 国益貫く路線支持したい」と対比するとき一層際だってくる。そう感じられた。

この社説は民主党の中枢が、(1)朝日新聞から見れば憎みて余りある小泉政権よりも過激な安全保障政策をぶち上げたこと、しかも、あろうことか、(2)朝日新聞が不倶戴天の敵と看做すアメリカとの協調を謳っただけでなく、あまつさえ、(3)朝日新聞が最もその意向を尊重配慮している中国を牽制批判したことに衝撃を受けて書かれたものと思われる。ここ数年肩入れしてきた民主党に裏切られた衝撃であろうか、それはいつもにもまして支離滅裂な内容。これを鑑みるに「前原発言」が朝日新聞に与えた衝撃は大きかったのだろう。気の毒なことだ。以下、原文を引用しておく。

前原代表は、民主党をどこへ導こうとしているのか。耳を疑う発言が米国発で届いた。

いわく、原油や物資を運ぶシーレーン(海上交通路)防衛のうち日本から千カイリ以遠については「米国に頼っているが、日本も責任を負うべきだ」。このため「憲法改正と自衛隊の活動・能力の拡大が必要になるかもしれない」。さらにミサイル防衛や、周辺事態になるような状況で「集団的自衛権を行使できるよう憲法改正を認める方向で検討すべきだ」と踏み込んだ。

これまでの自民党政権も踏み出さなかった、米軍などとの共同軍事行動の拡大論である。「対米一辺倒」と批判する小泉政権をも飛び越えて、いっそう米国に寄り添う政策を示したことになる。(中略)

もうひとつ、気になる発言が講演にあった。中国の軍事力は「現実的脅威」であり、「毅然(きぜん)とした対応で中国の膨張を抑止する」などと語ったことだ。(中略)中国に対して弱腰と取られたくないのだろう。だが、肝心なのは威勢の良さではない。首相の靖国神社参拝でずたずたになってしまったアジア外交を、民主党ならこうしてみせるという、外交政策の対立軸を示すことである。

韓国に関しても、竹島や教科書問題についての盧武鉉大統領の態度を手厳しく批判したこともある。その結果、希望した訪韓さえできない始末だ。

日米同盟は何より大事。中国には毅然と対する。だから民主党が政権をとっても自民党と変わりませんよ、心配はいりません。そう米国に言いたかったのだろうか。ならば、自民党政権のままでいいではないか。(以上、引用終了)


この社説の支離滅裂さは大きく2点に収斂すると私は考える。(甲)朝日新聞の推奨する外交・安全保障政策を誰もが認めるべきと考え、それを他者批判の基準に据える傲岸不遜、(乙)野党は与党とは異なる外交・安全保障政策を取るべきだという、根拠の乏しい認識というか朝日新聞が勝手にこしらえた妄想から前原民主党を批判する荒唐無稽さである。

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【Airborne Warning and Control System】


◆朝日新聞を中心に地球も安全保障も廻ってはいない
シーレーン防衛強化・集団的自衛権の容認・中国の脅威の認識:これらの前原発言については確かに賛否は分かれると思う。例えば、私は現行憲法においても日本は集団的自衛権を保有しておりそれを行使することもできると考えており、憲法改正によって「集団的自衛権を行使できるよう」にしようという前原発言にはいささか不満である。しかし、細部はどうあれ、はたして前原発言は「耳を疑われる」ほど特殊で間違った主張だろうか。実際、この同じ発言を他紙社説はこう評しているのである。

・シーレーン防衛:
「シーレーンの安全は、日本にとって死活的に重要であり、米国頼みでなく日本も責任を負うべきだというのは当然と考える」(産経新聞) 「中東からの原油輸送ルートは、日本経済の生命線だ。マラッカ海峡では海賊が出没し、海上テロへの懸念も強まっている」(読売新聞)

・集団的自衛権:
「前原氏はこの防衛で多国間の協力の枠組みに言及した。役割を分担する以上、集団的自衛権の行使とそれに伴う自衛隊の活動、能力の拡大が必要との主張だ。日本の生存がかかっているのに放置してきた問題を野党第一党の党首が提起したことを評価したい」(産経新聞) 「多国間でシーレーンを守るには集団的自衛権を行使する必要も出てくる。そのために集団的自衛権を行使できるよう憲法改正を検討すべきだ、というのが前原氏の主張だ」(読売新聞)

・中国の脅威:
「日中関係は、建前的な「友好」だけでは到底律しきれない。より根本的な利害の不一致が生起している関係を認め合うことで、建設的関係を取り戻す一歩になることを期待する」(産経新聞) 「中国は公表ベースで、国防費を17年連続で毎年10%以上も増やしているが、実際の額はその2~3倍とも言われる。海軍は、西太平洋にまで進出し、昨年11月には中国の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯した。中国の軍事大国化は地域の安全保障を脅かす要因となっている」(読売新聞) 「「中国脅威論」は国内の一部には根強いものの、党首が外遊先で発言するには政治的計算も必要ではないのか」(毎日新聞)


★社説出典:
産経新聞は先述の平成17年12月13日「前原民主党 国益貫く路線支持したい」:読売新聞・平成17年12月14日「前原米中訪問 責任政党としての自覚を示した」:毎日新聞・平成17年12月14日「前原発言 党活性化の引き金にせよ」



再度記す。私自身は産経新聞の認識を支持するけれど、これら3点について批判的に捉える見解があっても不思議ではないと思う。問題は他紙が自らの主張を何らかの事実で補強して読者の支持を獲得しようと努力しているのに対して、朝日新聞の社説は自己の認識について何ら敷衍していないことである。それは、あたかも「朝日新聞の認識は無謬であり、安全保障や外交の政策はその認識に従って行われるべきだ」と言わんばかりの態度ではないか。

「耳を疑う発言」の6文字を目にするとき、また、前原発言がなぜに「耳を疑う発言」なのかについて一切の説明を朝日新聞がスルーしているのを見るとき、「自分の無謬性を信じる傲岸不遜な朝日新聞」という理解以外のどんな解釈も難しいとおもう。而して、朝日新聞に対して私はこう言いたい。「あなた何様? 朝日新聞!」、と。
  
sdnigeous
【JMSDF AEGIS DESTROYER】


◆政権奪取を目指す野党が基本的な外交政策で与党に接近するのは当然
次の記事文章は、おそらく、朝日新聞の歴史に残る<迷文句>として朝日新聞の歴史が続く限り記憶されることになるだろう。「民主党が政権をとっても自民党と変わりませんよ、心配はいりません。そう米国に言いたかったのだろうか。ならば、自民党政権のままでいいではないか」である。

野党は(少なくとも)外交と安全保障の基本的な政策では与党とは異なる政策を取らなければならないとでも朝日新聞は言うのか? もしそうなら、どんな根拠でもってそう言えるというのか? 

読売新聞が社説で書いているように、「野党が政権交代を目指し、現実的な外交・安保を模索すれば、政府の政策と近くならざるを得ない。国の存立にかかわる政策が政権交代で大幅に変わっては、有権者は安心して政権を託せない」のであり;世界の政治史を紐解けば、むしろ事実は朝日新聞の主張の反対である。

例えば、かって、旧西ドイツで社会民主党(SPD)は、第二次世界大戦後の何度かの選挙で政権奪取を目前にして右派キリスト教民主同盟(CDP)に敗れ続けた。1959年に社会主義革命政党から中道左翼の政党に脱皮した後もSPDの敗北は続いた。経世済民の政権運営を任せるにたる信頼感を国民に与えることができなかったのである。さもあろう、SPD主導の政権が始めて誕生したのは1969年のことであり;それは1966年、SPDがキリスト教民主同盟と大連立を組みその政権運営能力について西ドイツ国民の信頼を勝ちとった後のことなのだから。

畢竟、CDPとの大連立の中でSPDはCDPの政策を真似、CDPから政権運営のノウハウを学んだのである。ならば、民主党が真剣に政権の奪取を目指しているのなら、民主党と自民党の(少なくとも)外交と安全保障の基本的な政策は接近してしかるべきなのではなかろうか。

要するに、朝日新聞の「ならば、自民党政権のままでいいではないか」という、心変わりした恋人に投げかけるに相応しいような前原発言批判は、単に、朝日新聞が自民党政権の安全保障と外交政策に反対してくれる野党を応援しているというだけのことではないのか。朝日新聞と(旧社会党出身者を中心に)自民党の安全保障と外交政策に反対してきた(今までの)民主党の間の個別特殊な支援の関係が、前原氏の登場によって変容しつつあるのかもしれないというだけのことであろう。

而して、朝日新聞の<迷文句>は自社と民主党との個別の関係を、与党と野党の安全保障と外交政策の差異一般に拡大したものにすぎない。そして、その拡大適用にさしたる根拠がないことは読売新聞の社説と旧西ドイツの故事からも明らかだと私は考える。

少なくとも、「首相の靖国神社参拝でずたずたになってしまったアジア外交」とか「竹島や教科書問題についての盧武鉉大統領の態度を手厳しく批判したこともある。その結果、希望した訪韓さえできない始末だ」という、外国(特に、中韓朝という特定アジア諸国)との間で紛争があるのは外交の拙劣さであり、その責任は日本側にあると、無条件に考えるような朝日新聞からの支持などは可及的速やかに捨てるべきことだけは確かであろう。民主党が政権奪取可能な野党に再生しようと本気で考えているのならそうだと思う。

前原発言が広げている民主党内の波紋について、産経新聞は「民主党内では前原氏の講演に対し、旧社会党出身者を中心に「非常に問題が多い」などと批判が出ている」「前原氏はあえてこうした批判を受けて立ち、党内議論を深め、基本路線を確立すべきだろう。憲法や安全保障などの基本政策をめぐる不一致の露呈を恐れるあまり、あいまいな結論を出すのに終始してきた従来の体質を払拭(ふっしよく)する好機でもある」と延べており、また読売新聞も、「訪米、訪中での一連の前原発言に、「反米・反安保」を引きずる旧社会党勢力を抱えた党内からは、「小泉首相と同じ発言だ」「党の方針に反する」と反発の声が上がっている。前原氏にとっては、想定内の反応だろう」と好意的に分析している。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

前原路線に従って民主党が政権奪取可能な本格的な責任野党に脱皮できるかどうか、私はそう楽観してはいない。しかし、民主党の生き残る道はその方向でしか開かれないだろうし、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」の理(KOTOWARI)が正しいとするならば、民主党が責任野党に再生できず、(このまま)政権を担当する能力を持つ政党を一つしか持てないようでは日本の将来も危ういと言わざるを得ないだろう。



(2005年12月15日:yahoo版にアップロード)

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afterwar1
【On the battleship Missouri on Sep. 2nd, 1945】

今日、平成17年10月21日の朝日新聞社説「フセイン裁判 報復にしてはならない」を読んで吃驚した。なんと、あの朝日新聞が戦勝国による裁判を牽制しているではないか。「朝日新聞、気は確かか」と思った。幾らNHK誤報問題を始めとする虚報・改竄が芋づる式に発覚して追い詰められているとはいえ(そんな「火のない所に煙を立てるのはドライアイスか朝日新聞」だなんてことは知っている人は皆とっくに知っていることなんだし)、「どんな商売でも芸事でも<らしさ>を失くしたら駄目だよ、自棄になったら人生おしまいだよ」、と他人事ながらアドヴァイスしたくなった。

この社説を読めば、日本の戦後体制を築いた「東京裁判」や「東京裁判史観」、更には、GHQの占領政策WGIP(War Guilt Information Program:戦争犯罪宣伝計画/ニッポン洗脳作戦)をも朝日新聞は批判しなければならなくなるだろう(★)。私にはそうとしか思えなかった。当該の社説「フセイン裁判 報復にしてはならない」から引用しておく。次項冒頭から引用開始。

★註:WGIP
WGIPに関しては下記サイト「W.G.I.P.」を参照いただきたい。このサイトの記事を引用させていただければ、WGIPとは「日本人に「大東亜戦争は人類に対する犯罪行為であった」という罪悪感を無理矢理植え付け、日本古来の精神文化を奪う犯罪的プログラム」であった。否、その<毒>は戦後民主主義に流れ込み、そして、戦後民主主義を信奉する朝日新聞や岩波書店を通してその<毒>は、プロ市民や中韓朝という特定アジア諸国の走狗たる数多の学者・文化人・メディア関係者を再生産し続けている。いわば、WGIPは日本古来の精神文化を奪う犯罪的プログラムであり続けているのである。


・W.G.I.P.
 http://members.at.infoseek.co.jp/WGIP/

battleshipmissouri
【On the battleship Missouri on Sep. 2nd, 1945】



◆<戦犯>を巡る朝日新聞のダブルスタンダード
久しぶりに姿を現した元大統領にあまりやつれた様子はなかった。「私はイラク共和国大統領だ」と悪びれずに語り、無罪を主張した。(中略)

国内での受け止めは複雑だろう。虐げられてきた人々には、法の裁きが下されることへの期待があるのは間違いない。その一方で、かつての国家指導者が外国の力で倒され、断罪されることに割り切れなさを抱く人々もいる。

この裁判の結果はどうあれ、これからの国家再建の長い歩みの中で、イラクの人々自身が独裁者の罪を問い、評価を決めていく。特別法廷はその始まりに過ぎないのだろう。

そうは言っても、この法廷にはいくつもの疑問がある。米英の占領が続いていた時代につくられたものだ。いくら米国が「イラク人の国内法廷だ」と言っても、国際法に照らして妥当かどうか。裁判の準備や厳しい警備は米軍が主に担っている。

5人の裁判官は、現在の暫定政権を支配する多数派のイスラム教シーア派とクルド人だ。フセイン体制ではいずれも冷遇されてきた宗派、民族である。優遇されたスンニ派はいない。報復になる危険はないのか。(中略)

被告席に座った元大統領らは、シーア派やクルド人に対する虐殺などの罪を問われている。だが彼らの犯罪は、それだけにとどまらない。

イラン・イラク戦争や湾岸戦争のもとになったクウェート侵攻、イラン兵に対する化学兵器の使用など、国内法廷では裁ききれない多くの戦争犯罪をどう扱うのか。これだけ疑問のある特別法廷の審理を急ぐべきではない。(中略)いずれは外国の専門家を加えて、国際法廷の性格を持たせることも必要だろう。
(後略、以上引用終了)

この記事のポイントは次の3点と私は考える。

(1)外国の力によって旧体制を裁くことの是非:
権力をかって合法的に掌握していた政治指導者を外国の力を借りて裁くことが国際法から見て許されるのか? 「かつての国家指導者が外国の力で倒され、断罪されることに割り切れなさを抱く人々もいる」、この法廷は「米英の占領が続いていた時代につくられた」、「裁判の準備や厳しい警備は米軍が主に担っている」

(2)報復にならないか:
「元大統領らは、シーア派やクルド人に対する虐殺などの罪を問われている」、「5人の裁判官は、現在の暫定政権を支配する多数派のイスラム教シーア派とクルド人だ。フセイン体制ではいずれも冷遇されてきた宗派、民族である。報復になる危険はないのか」

(3)国際法廷と国内法廷との捩れと役割分担:
「イラン・イラク戦争やクウェート侵攻、化学兵器の使用など、国内法廷では裁ききれない多くの戦争犯罪をどう扱うのか」、「いずれは外国の専門家を加えて、国際法廷の性格を持たせることも必要だろう」


最後の(3)は見せ掛けの問いでありそれに答えることは難しくない。すなわち、国内法廷と国際法廷は一応別物であり、フセイン体制下のイラクの行為に国際法違反を認めそれを裁くことを要求する国が出てきた場合に(元大統領の身柄を確保している)イラクのその時の政府が「新たな国際法廷」の開設の是非を判断すればよいことである。要は、この第3のポイントは、フセイン元大統領達を裁く現下の国内法廷の正当性の是非とはほとんど何の関係もない。

そして、朝日新聞が(1)(2)に疑問を呈するなら、(国際法廷の形式を取ったにせよ、当時の国際法には何の根拠も持たなかった)東京裁判の正当性をも批判しなければ片手落ち、ダブルスタンダードというものであろう。すなわち、(イ)東京裁判は(その国際法的な効果とは別に)旧体制を権力から放逐することを正当化したものであった;この点でそれは国内法的-国内政治的には「復讐」や「報復」でもあったからであり、逆に、(ロ)国内法的には合法な権力行使たる戦争(戦争とは国際法上の現象であると同時に、常に同時にそれは「国権の発動」、しかも、最も代表的で大規模な「国権の発動」である。)を指導した者に責任を問うことは少なからず国内法体系を超越する規範を援用するものであり;よって、フセインの裁判も東京裁判と同じく国際法廷の色彩を帯びるだろうからである。整理する。

●東京裁判とフセイン裁判の共通点
(イ)国内法的意味を保持し国内政治的効果を帯びている点
(ロ)国際法廷(国内法体系を越える論理と力が行使される場)の色彩を帯びている点


もし、東京裁判とフセイン裁判の共通点を上のようにとらえることに満更根拠がないわけではないとするならば、フセイン裁判への朝日新聞の疑義(1)(2)は、60年と8,000キロの時空を超えて東京裁判にも同様に向けられるべきであり、それを行わない朝日新聞はダブルスタンダードの姑息と狡猾を犯したと言われても文句は言えないと思う。蓋し、

(1)’東京裁判は外国の力によって旧体制を裁く不当なものではなかったか?
(2)’東京裁判は報復にすぎなかったのではないか?


おそらく、朝日新聞の社説子は、フセイン裁判は国内法廷であり、かつ、その法廷の背後には米国の意向と威力が働いていることを見て、米国主導とはいえ他にも多くの連合国が判検事として関わった国際法廷たる東京裁判との共通性を見落としたのかもしれない。しかし、上に述べたように東京裁判とフセイン裁判はいわば<シャム双生児的な類似性>を持っており、フセイン裁判(=米国)に切り込んだ朝日新聞ははからずもその裏面にある東京裁判の正当性をも斬ったのである。

私は今日の朝日新聞社説「フセイン裁判 報復にしてはならない」を読んで、その論理を貫徹するならば(そして、国内法体系と国際法秩序の差異と相互依存の関係を法学方法論的にきちんと踏まえるならば)、それは、東京裁判の否定に至るしかないと考えた。残念ながら、東京裁判を現実として受け入れた日本国民の行為と、それを前提とする戦後の法秩序をこれまたこの60年の間受け入れてきた事実(それは、ドイツの法哲学者ラートブルフ流に言えば、この60年間の「法的価値判断に関係づけられた事実判断」の)積み重ねによって、東京裁判の法的な効力は否定されないだろうが、しかし同時に、道徳と倫理における東京裁判の正当性はかなり怪しく危ういことも確かである。朝日新聞の今日の社説ははからずもこの事態を確認したものと理解できよう。

ならば、日本が東京裁判を受け入れたとしても、サンフランシスコ平和条約でその経緯を再度確認したとしても(それらは事実であろうが)、日本が「大東亜戦争は人類に対する犯罪行為であった」などの歴史観に拘束されなければならない義理も筋合いも全くない。再度記すが、社説「フセイン裁判 報復にしてはならない」は、この理(KOTOWARI)の正しさを大部分の日本国民とは反対の政治立場:反日・特定アジア諸国の利益擁護という地点から(笑)ご丁寧にも検算されたものである。

afterwar2
【San Francisco Peace Treaty
:Treaty of Peace with Japan】



◆日本の戦後とイラクの戦後
もちろん、イラクと日本の戦後を単純に同一視することは間違いである(このポイントについては本項末にURLを記した2本の旧稿を参照いただきたい)。しかし、それらを比べることで逆に敗戦を同じく経験した彼我の違いと我が神州の独自性をより確実明瞭に把握できるのではないか。

イラクの戦後復興と民主化のモデルとして米国ブッシュ政権の高官はしばしば、大東亜戦争後の日本の復興と民主化を引き合いに出してきた(★)。しかし、戦後の占領統治に敗戦前の政治制度インフラをそのまま活用できた日本と、政治・行政のシステムが崩壊したどころか、「降服文書にサインする当事者」自体が雲霧消散してしまったイラクとを比較することにいかほどの意味があるのか。これははなはだ疑問である。

イラクと日本の戦後を単純に比較すべきではない。特に、行政の公共サーヴィスを提供する能力のある政府の樹立という側面に加えて、占領終結後の正当/正統なる統治権の創出というポイントに着目する場合、イラクと日本のこのような<敗戦時の投了図>の違いが持つ意味は大きいと私には思われるからである。「降服文書にサインする当事者自体が雲霧消散してしまった」点に絞れば、むしろ、イラクと対比対照されるべきはナチス政権が崩壊して<自陣の対局者消滅の中での投了>を余儀なくされたドイツのケースではなかろうか。

★註:イラク復興と民主化のモデルは日本の戦後復興
例えば、今年、2005年8月30日にカリフォルニア州サンディエゴの海軍基地で行われた「対日戦勝60周年演説」の中でブッシュ大統領は、「戦後日本の民主化がアジアの平和と安定の原動力」になった。これと同じように、米国は「自由なイラク建設という目標のためにイラクへの関与を今後も続ける」と述べた。



日本とイラクの非対称な戦後。このことを踏まえた上で、しかし、私はあえて両国の戦後を年表形式で比較してみたいと思った。我々日本国民と日本市民(=日本に永住している外国人)にとって最も親しく理解もしやすいのはやはり<日本の敗戦>であり、最も理解しやすい事例と対照することでのみ、(中東にあるイスラームの人々が作る多民族国家という理解の対象としては絶望的なほど疎遠な)イラクで生起している/イラクでこれから生起するであろう事態を最もよく理解できると考えたからである。

「年表」の切り口は以下の3個:(a)敗戦→占領統治の受け入れ体制→暫定政権→憲法制定→主権回復という時間軸:(b)旧体制を裁く法廷の判検事の国別構成という体制移行の正当化要因:そして、(c)国民代表の選出と憲法典の国民承認という国内政治体制の正当化要因である。注意すべきは、日本の戦後においては「憲法制定→主権回復」という順序で事態が推移したのに対して、イラクの場合は「主権回復→憲法制定」の順で事態が推移しつつあるということだ(★)。

いずれにせよ敗戦の混乱とアノミー状況を乗り越えて新しい政治体制を構築した/構築しようとしているイラクと日本の戦後復興を思念するとき、私には「憲法の概念」がより身近なものとして感じられる。蓋し、憲法とは単なる紙切れの「憲法典」ではなく、社会に実定的な秩序を与える支配の正当性と正統性である:それは国家権力を正当化する<政治的物語の体系>である。

而して、憲法の機能の核心を国家への国民統合による社会の秩序維持/実効支配の樹立と維持ととらえる場合、憲法の概念の核心は当該の社会にビルトインされた<幻想の共同性>に他ならないであろう。畢竟、我が神州においては平成17年の今もそれは「天壌無窮・皇孫統べる豊葦原瑞穂之国たる神州」という政治的神話である。蓋し、靖国の社に祀られておられる英霊が念じたように、大東亜戦争の敗戦にも関わらず「神州は不滅」だった。

afterwar3

a brave Japanese boy waiting his turn
to cremate his little brother



思うに、米海軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の写真集『トランクの中の日本』 に収録されている一葉の写真、長崎の「焼き場」で幼い弟の遺骸を火葬する順番を凛として待つ少年の写真に漂う品格こそ、「神州が不滅」であり「日本が短期間で復興」できた最大の要因の一つであろう。而して、少年の品格が日本に対する帰属意識であり、日本人であることのプライドであると想像することが許されるとすれば、日本の戦後の復興の鍵もまた実質的な意味の憲法に埋め込まれた(to be embeded in Japan as a constitution)<政治的物語の体系>であったと私は考える。尚、イラクと日本の戦後に関する私の基本的な考えについては下記旧稿を参照いただきたい。

・反時代的雑感★イラクの戦後と日本の戦後
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/CY0305.htm#cylabel02

・反時代的雑感★イラク戦争と国家と民主主義
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/CY0305.htm#cylabel01

★註:憲法制定と主権回復の順序
憲法制定と主権回復の順序を巡っては日本とイラクとでは違いがある。しかしこれは、日本では、①政治・行政サーヴィスを含む敗戦前の政治インフラが占領統治にそのまま利用できたことと、なにより、②天壌無窮・皇孫統べる豊葦原瑞穂之国たる神州という国民統合の政治的神話が天皇陛下の御身とともに無傷であって、敗戦を契機としたアノミー状況下でさえ社会秩序の維持に毫も占領軍の力を借りる必要がなかったのに対して、イラクでは①②の要因が不在であることに起因する違いだろうか。




<日本:敗戦から主権回復まで>


・敗戦:
1945年09月02日:ミズーリー号で降伏文書に調印

・占領受け入れ体制
1945年10月05日:東久邇宮内閣総辞職(1945年08月17日~)
1945年10月09日:幣原内閣成立(~1946年05月22日)
   1945年11月27日:第89回帝国議会(~1945年12月18日)
   1946年04月10日:戦後最初の総選挙

1946年05月22日:第一次吉田内閣(~1947年05月24日)
   1946年06月20日:第90回帝国議会(~1946年10月11日)★制憲議会
   1946年11月26日:第91回帝国議会(~1946年12月25日)
   1946年12月28日:第92回帝国議会(~1947年03月31日)
   1947年04月20日:最初の参議院選挙
   1947年04月25日:2回目の総選挙

・戦争裁判(東京裁判)
1946年05月03日~1948年11月12日:裁判官も検察官も以下の11カ国から派遣された(オーストラリア/カナダ/中華民国/フランス/オランダ/ニュージーランド/ソ連/英国/アメリカ/インド/フィリピン)

・憲法改正
1946年11月03日:現行憲法成立
1947年05月03日:現行憲法発効

・暫定政権
1947年05月24日:片山内閣(~1948年03月10日)
   1947年05月20日:第01回特別国会(~1947年12月09日)
   1947年12月10日:第02回通常国会(~1948年07月05日)

1948年03月10日:芦田内閣(~1948年10月05日)
1948年10月15日:第二次~第五次吉田内閣(~1954年12月10日)
   1948年10月11日:第03回臨時国会(~1948年11月30日)
   1948年12月01日:第04回通常国会(~1948年12月23日)
   1949年01月23日:3回目の総選挙
   1949年02月11日:第05回特別国会(~1949年05月31日)
   1949年10月25日:第06回臨時国会(~1949年12月03日)
   1949年12月04日:第07回通常国会(~1950年05月02日)
   1950年06月04日:2回目の参議院選挙
   1950年07月12日:第08回 臨時国会(~1950年 07月31日)
   1950年11月21日:第09回 臨時国会(~1950年12月 09日)
   1950年12月10日:第10回 通常国会(~1951年 06月 05日)
   1951年08月16日:第11回 臨時国会(~1951年 08月18日)
   1951年10月10日:第12回 臨時国会(~1951年11月30日)
   1951年12月10日:第13回 通常国会(~1952年 07月31日)
   1952年10月01日:4回目の総選挙

・主権回復
1952年04月28日主権回復:サンフランシスコ平和条約発効
(調印は前年1951年09月08日:1952年04月28日条約第5号として公布)



<イラク:敗戦から主権回復まで>


・敗戦:
2003年05月01日:ブッシュ大統領がイラク戦争終結宣言
(戦争終結宣言は正確には「戦闘終結宣言」。本編でも述べたように、ナチスドイツと同様イラクでは日本とは異なり、2003年4月9日のバクダッド陥落以降「降服文書にサインする当事者」は存在していなかった)

・占領受け入れ体制
2004年06月02日:イラク暫定政権成立
(2003年05月01日~2004年06月01日の間、イラクでは米国を中心とする占領軍の統治支配が行われた)

・主権回復(A)
2004年06月28日:占領統治を行った連合国暫定当局からイラク暫定政権に主権委譲
(イラク暫定政権は独力で治安維持と公共サーヴィスを遂行する能力を2005年10月21日現在も持っていないように見える。よって、ここでの主権回復は名目的なものと考えるべきかもしれない。けれども、国内においては最高、国外に対しては独立を属性とする近代主権国家が(少なくとも、その建て前においては、)形成しているものと観念される現下の国際秩序においては、逆に、「名目」の意義は小さくない。なぜならば、名目的にせよ主権を回復した国家は最高独立であり米国といえどもその同意抜きにイラク領土内で行動することはできないからである。ならば、「名目的」にせよ主権が連合国暫定当局からイラクの人々の手に返還された<6・28>の意義は過小に評価されるべきではなかろう)

・暫定政権
2005年01月30日:国民議会選挙実施
2005年04月28日:移行政府設立(=憲法策定を担当するイラク政府)

・戦争裁判(フセイン裁判・仮称)
2005年10月19日~????年??月??日
(判検事はすべてイラク国民。ただし、彼等判検事は元大統領政権から迫害され抑圧された部族・宗派の出身者で固められていると報道されている)

・憲法制定
2005年10月15日:新憲法草案の是非を問う国民投票(承認される可能性大)

・主権回復(B)
イラク全土の実効支配を新生イラク政府が回復するための今後予想される政局
(年内に総選挙実施 → 憲法改正協議 → 2006年前半に新憲法発布の予定 → 2006年前半から漸次、後半から本格的に連合国軍の撤収)



(2005年10月21日:yahoo版にアップロード)


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テーマ : 朝日新聞
ジャンル : 政治・経済

chinatenan
【Beijing, June 1989】

今日、平成18年3月11日の朝日新聞社説「日中関係 これでは子供のけんかだ」は久々のヒットだと思った。最近、朝日の社説が元気がないと感じていた所なので、「ファン」としては堪えられない。流石、朝日新聞、ファンの期待を裏切らなかった。その、論理の支離滅裂さ、倒錯した状況認識、そして、ほとんど朝日歌壇と見分けがつかない文学的で空疎な言辞と修辞の多用は、朝日社説完全復活もそう遠くはないものとファンに感じさせる。その社説を引用しておく。

(前略)外相は国会答弁で、台湾について「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家」であり、「日本と価値観を共有する国」と述べた。実態はそれに近いだろう。台湾では96年の総統選以来、直接選挙で政権トップが選ばれ、自由経済も栄えている。だが、ことが外交となると、何という名で呼ぶかは決定的な意味を持つ。

72年の日中国交正常化で日本は台湾(中華民国)と断交し、外交の相手として中華人民共和国を選んだ。(中略)そのときの日中共同声明で、日本は次のような約束をしている。

中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。台湾が中華人民共和国の不可分の領土であるとする同国政府の立場を理解し、尊重する。

この「ひとつの中国」路線に基づいて、以来、日本政府は台湾を「国」とは呼んではいない。それは、世界の多くの国も同様だ。「国」発言は先月、福岡市での講演でも飛び出した。中国は今回、「共同声明に違反する発言だ」と批判した。日本外交の基本政策をもてあそぶかのような外相の姿勢は著しく思慮に欠けたものだ。(中略)

折しも、中国の李肇星外相が他国の政府当局者の言葉を引く形で、小泉首相の行動を「愚かで不道徳」と言い、安倍官房長官が不快感を表明した。日本側が在京の中国大使を呼ぼうとしたところ「多忙」を理由に断られ、電話で抗議を伝えざるを得なかったという。

中国外務省は北京で、日本側の不快感表明にさらに反論した。なんと不毛な応酬だろうか。こんな子供のけんかのようなことが続くのでは、外交と呼ぶにはほど遠い。両政府とも早く頭を冷やして、大人の対応を取り戻してもらいたい。



◆認識の倒錯
この社説のどこが論理の破綻であり、どこに状況認識の倒錯があり、そして、どの言葉が指示対象を欠く空疎な言辞なのか? 簡単である。

麻生外相は国際関係論や政治社会学的な話として台湾を「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家」「日本と価値観を共有する国」と表現している。社説が言うように「ことが外交となると、何という名で呼ぶかは決定的な意味を持つ」というのは正しいだろうが、麻生外相は、別に、国連総会の出席国の例として台湾を挙げたのでもなく、また、日中共同声明の解釈変更を論じているわけでもない。

ならば、たとえその発言の主が外相であれ首相であれ、そのような政治学的や社会学的な議論の中でどの地域を「国」と呼ぼうがその「国」の定義が明確である限り誰からも - ということは、支那からもその日本における代理人たる朝日新聞からも - とやかく言われる筋合いは全くない。

実際、例えば、竹内啓一『データブック世界各国地理 第3版』(岩波書店・2004年9月)でも台湾は「国」として扱われており、世界の多くのData on Countries of Worldでも同様である(参考↓)。そして、2006年3月10日現在、国際法の部面でも支那の執拗な嫌がらせに係わらず20数カ国の「国」が台湾を「独立国」として承認し国交を維持している。

http://www.infoplease.com/countries.html

ドイツ国家学の泰斗イェリネックによれば、「国家とは主権と国民と領土を持つ組織」である。中学校でも習う基礎的な - しかし、実は奥の深い - 国家の定義である。また、20世紀最高の法学者の一人ケルゼンは、「国家とは法体系であり、法体系とは国家である」という法国家同一説を唱えた。すなわち、ケルゼンによれば、他の法体系に組み込まれない独自性をもつ最高独立の法体系が国家に他ならない。

まさか、いくら朝日新聞の社説子でもこれらの定義を知らなかったはずはないだろう。そして、イェリネックの定義にせよケルゼンの定義にせよ、あるいは、マルクスやレーニンの定義にせよ、ラスキの多元的国家論からも現代分析法学の慣習と重層的な法規範のシステムとしての国家のイメージからも、政治学的や社会学的に観察された場合、台湾が紛うことなく「国」であり「国家」であることは誰の目にも明らかなことである。

故意か過失か知らないけれど、朝日新聞の社説は麻生外相の「国」発言がなされた文脈を見落としている。而して、これがすなわち状況認識の倒錯である。


◆論理の破綻&文学的言辞
支那が、しかし、政治社会学的や国際経済学的等々のどのよう議論の文脈であれ、日本の政治指導者が台湾を「国」と呼ぶのを批判すること自体は支那の勝手であろう。実際、支那 - および韓国の盧武鉉大統領 -は、箸の上げ下ろしならぬ他国の指導者の言葉使いにまで容喙できる権限を持っていると本気で信じている節もある。

これこそ言葉の正確な意味での「中華思想」と言うのだろうけれど、その中華思想が21世紀の国際関係の中で通用すると考えている中韓朝の特定アジア諸国に対して、我々はそれが実害を及ぼさない限り嗤っていればいいと思う。正に、子供相手に大人が本気になるのは大人気ないことだろうから。

さて、この社説が呈している論理の破綻はここに端を発している。蓋し、子供が喧嘩を売ってきているにすぎない「どんな種類の議論の文脈でも台湾を国と呼ぶな」という言い掛かりを、国際慣例上、支那側が激しく咎められて当然の - ということは、それがその国にとって有利なら、支那との国交断絶を宣言する契機にその発言を使っても支那は文句が言えない -他国の指導者を侮辱する無礼な発言と等価に扱う論理の破綻である。

小事たる子供の言い掛かりと大人の世界の大事の混同。小事と大事の喧嘩両成敗。朝日新聞の社説は - これまた故意か過失か知らないけれど - この両者を混同することで、論理的にもなんら問題のない、また、朝日新聞も「実態はそれに近いだろう」と書かざるを得なかったように経験的事実ともよく符合する麻生外相の発言を攻撃し、他方、世界の失笑を浴びて当然の支那の言い掛かり、ならびに、攻撃されて当然の他国の指導者への侮辱を免責するものに他ならない。

それは、不当な喧嘩両成敗であり、それはあたかも、法律を遵守した吉良上野介と野盗集団の逆怨みにすぎない赤穂浪士の蛮行を同一視する心性とパラレルな非論理の妄言でさえある。


この社説に上記の如く認識の倒錯と論理の破綻を見る場合、この社説の提言は空虚な文学的言辞そのものと言わざるをえなくなる。すなわち、「中国外務省は北京で、日本側の不快感表明にさらに反論した。なんと不毛な応酬だろうかこんな子供のけんかのようなことが続くのでは、外交と呼ぶにはほど遠い。両政府とも早く頭を冷やして、大人の対応を取り戻してもらいたい」の中の「不毛な応酬」と「子供のけんかのようなこと」及び「大人の対応」は指示対象を欠いた無価値な文芸的な表現にすぎない。

なぜならば、支那による他国指導者の侮辱→日本側の不快感表明→その侮辱に対する抗議の無視&逆怨み的反論は、日本側が当然行うべき行動を取ったのに対して、支那が国際慣例上の応答を拒否するという事態に他ならず;それは、(イ)日本側に非はなく一切の責任と落ち度は支那にあること、さらに、(ロ)支那は国際的慣例を無視していることの2点で「不毛な応酬」でもないし、これは大事であり「子供の喧嘩」が意味する小事では断じてないからである。

畢竟、朝日新聞の社説が言うように、支那の対応は「外交と呼ぶにはほど遠い」ものなのであり、よって、日本政府は「早く頭を冷やして」この国 - 韓朝を併せた特定アジア諸国 - が大人の付き合いができるような相手なのかを検討してみるべきであろう。

整理する。この社説は、本来、相殺すべきでもない事柄を相殺するために、「支那の無礼=大事」を「子供の喧嘩」という文学的表現で小事に矮小化している。そして、それは、本来、問題になりえない(再度記すが、支那が騒ぐのは勝ってであるけれど)麻生外相の「台湾=国家」発言を、あろうことか「大事=日中共同声明違反」に仕立て上げるために状況認識の倒錯と論理破綻を犯している。

それは故意とすれば読者を愚弄する狡猾な行いであり、過失とするならばそれは極めて拙劣でお粗末なものと言うべきであろう。けれども、故意か過失か知らないけれど、朝日新聞のこの社説が、支那のお話しにもならない - 文字通り餓鬼の言い掛かりのような - 横暴に対する日本国民の目を眩ます効果を持っている点で、それが日本の国益を損なう機能を果たしかねないことだけは確かであろう。畢竟、それは傍若無人な支那外交への援護射撃である。私はそう考える。

尚、最後に、朝日新聞の擬似論理と世間で通用する普通の論理を図式化しておく。

朝日新聞の擬似論理:
支那の無礼 ≡ (日本側の不快表明+麻生発言)

普通の論理:
支那の無礼 > (日本側の不快表明+麻生発言)


∵「日本側の不快表明」は(残念ながら、外務省のチャイナスクールが支那に何をどう言っているのかわからないから)ゼロか限りなくゼロに近く、「麻生発言」間違いなくゼロである。



(2006年3月11日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

ratsship1


ブルータスお前もか! <朝日新聞原理主義者>ならそう叫ぶのではないか。そんな新聞投書を目にした。「憲法9条と絶対平和主義は、日本の非武装化を世界平和の推進にすり替えた概念操作であって、核抑止の受益者であるという日本の現実と奇怪な共存を続けてきたもの」と断ずる投書。平成18年1月6日の朝日新聞『私の視点』欄、藤原帰一「平和の時代へ 「理想主義」を超えよう」である。正月帰省からUターンする機中で読んだもの。以下引用開始。

新年に現代世界を論じるのであれば、まずは理念を、価値、理想を語るべきところだろう。だが私は正反対のことを試みたい。現在の国際関係を脅かしているのは理想の喪失ではなく、理想を高く掲げ、自分の抱く理念を疑おうとしない態度であると考えるからだ。(中略)

その一つが、中東から東南アジアにかけて影響力を広げるイスラム急進勢力である。(中略)もう一つが、現代アメリカに広がる保守主義だろう。「ネオコン」と通称される政策決定者の一群の背景には、アメリカ社会における民主主義の教条化と、急進的キリスト教徒の活動があった。(中略)

それが宗教であれ、世俗的な思想であれ、急進化し、教条化した理念は、絶対者と自己を一体化することを通して、自己の絶対化と他者性の否定に陥る危険をはらんでいる。(中略)

さらにいえば、憲法9条と絶対平和主義が展望を開くとも考えられない。一見すれば普遍主義的なこの主張は、日本の非武装化を世界平和の推進にすり替えた概念操作であって、核抑止の受益者であるという日本の現実と奇怪な共存を続けてきたものに過ぎなかった。他者の排除なしに平和があり得ないと信じ込む勢力を前に、戦争を放棄した世界を説いても意味はない。

むしろ、平和から理想の仮面を取り除くことが必要ではないか。(中略)本来の平和とは戦争のない状態に過ぎない。その平和を支えるのは、もちろん各国の武力による威嚇であるが、それに加えて、互いの交渉、取引、妥協がなければこの散文的な平和を支えることはできない。(以上、引用終了)



平成18年を迎えてちょうど1週間。『平和のリアリズム』(岩波書店・2004年)または『「正しい戦争」は本当にあるのか――論理としての平和主義』(ロッキングオン・2003年)等の著書で、米国主導のイラク戦争を痛烈に批判されてきた藤原帰一東大教授が、「絶対平和主義」の牙城の一つである朝日新聞の紙面で「憲法9条と絶対平和主義」を捨てよと発言されるような時代になったのだ。福岡から羽田に向かう機中でそう思った。

藤原さんは、しかし、平成18年を迎えて突如として宗旨替えされたのではない。理想論としての「憲法9条と絶対平和主義」の不毛さの指摘、そして、あらゆる教条主義的な理想論から国際政治を解放すべきとの主張は氏の持論でさえある。

しかし(冷戦構造崩壊以降)、手段としての戦争のコストが低下したという分析をもとに、国際政治におけるリアリズムを標榜してやまない藤原さんは、不思議なことに中韓朝という特定アジア三国の脅威には今まで(故意か過失かほとんど)言及されてこなかったと記憶している。つまり、国際政治のリアリズムにおいては、中韓朝の現実の脅威と裏腹の関係にある憲法9条の不毛さというか「賞味期限」、ならびに、絶対平和主義の危険性を日本国内のしかも非専門家たる一般読者を対象とした新聞投書で藤原さんが指摘された例を私は寡聞にして知らない。

換言すれば、通常は(国際政治における国益の<貸借対照表>や<損益計算書>を熟考することなくアメリカに無条件に追随する)日本の保守主義とワンセットで、日本のリベラリズムにもリアリズムが不足していると語られる藤原さんが、単独で憲法9条論議の不毛さを朝日新聞紙上で説かれたことは(下衆の勘繰りの側面は否定しないが)、戦後民主主義の泥舟から逃げる面もなきにしも非ずだと私には思われた。日本人の人口が減少に転じ始めた年というだけでなく、藤原さんに平成18年1月6日掲載の投書を書かせるに至った平成17年という年はかくも我が神州にとって節目の年だったということか。

平成17年、中韓両国の(正に、神風と呼ぶべき)反日政策によって国民の目から鱗が次々に落ちたと思う。少なくとも、国際法と確立した国際慣習から見て、日本は特定アジア諸国から既に解決済みの大東亜戦争の加害行為に対して今さら謝罪を要求される筋合いはないし、まして、当時国際法的に完全に合法な朝鮮半島の植民地支配について韓朝両国に対して日本は一切謝罪する必要はないという事実が、特定アジア諸国の反日動向を見据える中で多くの国民が理解したことは確かだろう。

更に、平成17年を分水嶺として国民世論の過半は、(イ)平和と安心と安全が現実的に脅かされていること、(ロ)それらを享受するためには、有事法制と集団的安全保障体制の推進、ならびに、一定程度の人権制限を甘受した上でのテロ対策が肝要なことを肌で感じるようになったのではないか。

蓋し、中国における反日デモによる日本領事館の破壊と中国当局の(むしろ、教唆・幇助と評すべき)黙認:国際法的にも我が国の排他的経済水域に属することが明確な東シナ海の天然ガス資源の中国による盗掘:拉致を外交のカードする北朝鮮の不埒:北朝鮮の核武装の懸念とその北朝鮮と連携して日本の安全保障を脅かす韓国の外交姿勢:そして、ロンドンの無差別テロ、ならびに、オランダとフランスにおける暴動の拡大を鑑みれば、誰しも平和と安心と安全は理念理想では最早(実は「最初から」なのだけれども)入手できないことを痛感したであろうからである。

ならば、次のように定式化できるかってこの社会で支配的だった平和論は、平成18年1月の現時点では、<噴飯ものの妄想>として国民の中で急激にその支持を失っていることも確かだろう。すなわち、

・戦争やテロは悪である
・世界の人々が平和を希求する限り世界の平和は実現する
・(米国の産軍複合体の幹部やその米国の言いなりの日本の政財界を除けば)世界の圧倒的多数の市民は平和を渇望している
・よって、世界平和は紆余曲折を経るとしても必ず実現する
・ならば、絶対平和主義を掲げる現行憲法9条はある意味極めてリアルな法規範であり
・日本人は憲法9条とその精神たる絶対平和主義を世界に発信していくべきである、と。


このような戦後民主主義からの美しい平和の調べに対して、国民の多くは現在では次のような認識を勝ち取ったと思う。すなわち、

・世界中の人々が平和を希求したとしても世界の平和が実現するとは限らない
・なぜならば、世界の圧倒的多数の市民は、平和の状態において自国が自立可能で自由である限りにおいて平和を望むのであり、逆にいえば(平和の均衡を破るどのような行動も現状の自立と自由の水準の低下をもたらすというパレート最適状態に至るまで)、戦争とテロを通して自立と自由を入手することを厭わない
・よって、世界は戦争との共存を免れない。ならば、絶対平和主義を掲げる(と解釈される限りの)現行憲法9条はどのような意味でも極めて理想論的な法規範である
・更に、冷戦崩壊後の現在;米国の傘の保護下にはあるとはいえ、通常兵器による紛争抑止の制度が綻びてしまった現在、憲法9条は(日本に対して武力行使と武力による威嚇を選択する特定アジア諸国の政策選択リスクを低下させている点で)東アジアの不安定要因である
・畢竟、戦争は悪でも善でもない。それは、善悪を超えた「状態」である、と。



蓋し、大東亜戦争後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力の言説と国民の常識の乖離は回復不可能なほど大きくなっているように思われる。

ratsship2


最後に、沈みゆく泥舟に殉じる<美しくも滑稽なコメント>を掲げて本記事の主張を敷衍する。今日、平成18年1月7日の朝日新聞社説「拉致実行犯 闇の一端が見えてきた」である。

この社説は、冒頭のセンテンス「このところ「辛光洙(シングァンス)」の名が飛び交っている」から都合1,050字ほどを使い、「北朝鮮による拉致の実行犯が明らかになってきた→この情報を拉致事件の真相解明につなげたい」という子供でもわかる、而して、ほとんど誰も反対しないだろう主張を書き連ねている。けれども、流石、朝日新聞は<朝日新聞原理主義>のファンをけして裏切らない。なぜならば、急転直下、この社説は大人にも理解できない結論で結ばれているのだから。最後の2センテンスがそれである。

曰く、拉致事件の「闇の一端が見えてきた。日朝協議をできるだけ早く再開し、毅然(きぜん)とした姿勢で交渉を進めるべきである」、と。

馬鹿か! (正月早々、汚い言葉だけれど)この51字を読んで私はそう思った。「毅然とした」などの文芸評論的な形容句を引き剥がすならば、これは要するに、拉致問題の解決は「日朝協議」での「交渉」に委ねよという主張に他ならないからである。

外交においては、<言葉という言語>だけでなく<経済という言語>あるいは<武力という言語>も<立派な交渉の言語>である。ならばなぜに朝日新聞は「日朝協議」に<交渉>の回路を限定せよと主張するのか? いずれにせよ、これこそは藤原帰一さんが言われるリアリズムの欠如の最たるものであろう。藤原さんが『私の視点』で述べられているように「理念の対立を利益の対立にまで引き下ろし、妥協と取引の可能性を探ること」が外交交渉においては不可欠なのである。

ならば、朝日新聞のこの結論の51字は、戦争や経済制裁を端から交渉の選択肢から外す理想主義にすぎない。而して、それは同時に「理念の対立を利益の対立に引き下ろす」努力を放棄するものだろう。

実際、拉致事件の解明推進が自国の利益になるとどうして北朝鮮が考えるというのか;しかも、武力行使と経済制裁という交渉カードを最初から封印しておいて、拉致事件解決が自国の利益になるとどのようにして北朝鮮に認識させられるというのか? 「将軍さま」の善意を期待するのか? 北朝鮮が民主革命によって一気に崩壊する歴史の幸運を期待するのか? 国際的世論のサポート?

メリットなき妥協を相手に期待する方が国際政治の常識知らずというものだ。また、拉致事件の解明:実行犯と指揮系統の処罰あるいは日本への引渡しがなされないまま国民世論が北朝鮮への経済援助を是認すると想定するのは官僚的発想である(日韓条約で日本の<朝鮮半島全体>における戦争処理は終了している。よって、もし「二重払い的」に北朝鮮との間で戦争処理を行うとしても、それは韓国との間のそれと同様に「植民地支配」への謝罪や補償ではなく「経済援助」にすぎない)。

ならば、北朝鮮との交渉をスムースに進めるためにも、おそらく、日本は経済制裁等を交渉のカードにすべきである。経済制裁や朝鮮総連財産の差押さえ、北朝鮮と外交関係のある国へのODA凍結等々を現実の交渉カードにすることによって(そのカードの行使不行使を巡って)、北朝鮮が妥協することにメリットを見出すようにすべきである。そのようにしてのみ朝日新聞が望む「交渉」も進展するだろう。

畢竟、51字のこの社説結論にはリアリズムの欠片もない。もし、そうではないと言うのなら、交渉によって拉致問題の解決が可能と考える根拠を朝日新聞は説明すべきである。それをしない段階での「日朝協議をできるだけ早く再開し、毅然とした姿勢で交渉を進める」などの主張は、北朝鮮の体制維持のための時間稼ぎ/北朝鮮への経済制裁を妨害する利敵行為に他ならない。なるほど、藤原帰一さんが逃げ出すのも当然だ。私にはそう思われた。



(2006年1月7日:yahoo版にアップロード)

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