procitizens
【"Pro-citizens" to aggress public education system and to rape history】

所謂「沖縄の集団自決」を巡る歴史教科書の記述改訂の結果がでました。

●日本軍「強制」、復活せず=沖縄戦集団自決で教科書6社の訂正申請承認-文科省太平洋戦争末期の沖縄戦をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、文部科学省は26日、住民が日本軍によって集団自決に「追い込まれた」などとする表現で、教科書会社6社8点の訂正申請をすべて承認した。3月に公表した検定意見を踏まえ、軍による「強制」や「強要」などの表現は認めなかったが、軍の関与が自決の主な要因とした。

教科用図書検定調査審議会(杉山武彦会長)の意見を基に決定し、各社に通知した。沖縄県側が求めていた検定意見の撤回と「強制」記述の復活は、いずれも実現しなかった。「追い込まれた」は、検定意見で削除されたり、日本軍という主語が不明確になったりした表現。各社は訂正申請で、本文や側注で軍による手りゅう弾配布や、捕虜になることを禁じる教育があったとする背景説明を加えた。

訂正申請を受け検定審が開かれたのは初めて。日本史小委員会が11月以降、計7回の会合で沖縄戦や軍事史の専門家9人から文書で出された意見などを基に審査を重ねた。(以上、引用終了/時事通信12月26日15時31分配信 )



日本軍の「強制」を認めなかったという点では当然の結果でしょう。まあ、プロ市民の策動によっても「譲れぬ一線」「越えられない一線」はあったということでしょうか。ただ、「住民が日本軍によって集団自決に「追い込まれた」などとする表現」を認めたこと。更に、「軍の関与が自決の主な要因とした」ことは歴史的事実に反する。なぜならば、「自決の主な要因」は「アメリカ軍の攻撃」であることは歴史的にも論理的にも明らかだからです。而して、この訂正申請は歴史における因果関係の何たるかを理解していないものか、理解しながらも政治的な配慮を優先したものと言われるべきなのかもしれません。 

歴史における因果関係とは何か? この詳細は下記拙稿を参照いただくとして、その要点は、ある事実と事実の間に物理的な因果関係があったとしてもそれだけでは歴史的な事実と事実の間の「原因→結果」の関係があったとは必ずしも言えないということです。

たとえば、「安倍首相の突然の退陣表明」の原因が「麻生幹事長と与謝野官房長官への不信感」であったなどという、<ワイドショー専門の政治解説専門家>である青山繁晴氏が説かれた所謂「麻生路線への怒り説」の如きは、歴史叙述としては論外ということ。このような青山繁晴氏がよく垂れ流している、畢竟、社会科学方法論のイロハも弁えない床屋談義レベルの検討しか、歴史(教科書検討)の専門家であるはずの日本史小委員会や教科用図書検定調査審議会がなぜ出せなかったのか。

歴史学や社会科学の素人である青山氏でもあるまいに、彼等が「軍の関与が自決の主な要因」と認定することなど普通はない。よって、そこには、政治的な配慮があったとしか考えられない。蓋し、福田政権の黒星がまた一つ増えたということでしょうか。ならば、そのような不甲斐ない政権のシャビーなバックアップしか得られない中で、「日本軍の「強制」を認めなかった」ところまでよく頑張ったと教科用図書検定調査審議会のパフォーマンスは評価されるべきなのかもしれません。このニュースに接して私はこのようなアンビバレンツな感想を抱きました。


左翼にもわかる歴史学方法論☆沖縄「集団自決」を思索の縦糸にして
 
歴史教科書の記述基準☆「集団自決」の記述再修正を求める
 沖縄県民集会が照射した日本の歴史教育を巡る問題点素描

 
政治と社会を考えるための用語集 ――「歴史」
 
安倍首相退陣を巡る「クーデター説」と「麻生路線への怒り説」
 


(2007年12月26日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 歴史教科書問題
ジャンル : 政治・経済

sydneyolympic1
【at the Sydney Olympics opening ceremony】

何もいいません。この動画を見てください。オーストラリアの反捕鯨の欺瞞が炸裂しています。それは、人種差別であり、最も残虐な動物虐待そのものでしょう。彼等は「多文化国家」を標榜する一方、その実、その社会を貫く「人種差別の心性」を覆い隠すために日本の捕鯨に責任転嫁しているだけではないかとさえ思えてきます。

実際、「オーストラリア人」がカンガルーやディンゴだけでなく、先住民のアボリニジを(余興のために)虐殺していたのが終焉したのはわずか半世紀前のこと。現在でも「先住民族保護政策」という美名の下に、子供や孫をその親や諸父母から強制的に引き離し、彼等アボリニジの文化をオーストラリア政府とその社会はズタズタに分断し続けている。

ならば、忘れもしない、シドニーオリンピックの開会式で演じられた、コケージアンの少女とアボリジニの男性との心の交流など、オーストラリアの現実から見て荒唐無稽な茶番劇とまでは断言できないかもしれませんが、少なくとも、その劇が強調しようとした「多文化国家オーストラリア」なる理念とは別に、いまだにこの地が人種差別と動物虐待が横行する大陸であることは間違いないと思います。グリーンピースやシーシェパードなどのテロリスト集団の反捕鯨の行動は、人種差別を助長し、彼等が選択した動物(=鯨)以外の動物の虐待から世界の目を逸らせる姑息で狡猾な行いであることも間違いないでしょう。

いずれにせよ、こんな国から「鯨を殺す日本人は野蛮である。恥を知れ」などと言われる筋合など全くない。而して、私は彼等に言いたい「日本が鯨を殺す行為は「捕鯨」であり、鯨からその肉や様々の部位をいただくためにその命をいただく、そんな罪深さを自覚した上でなされる行為である。しかるに、君たちが行なっているのは、単なる「殺戮」ではないのか」、と。オーストラリアが今後も理不尽な反捕鯨論を振りかざすのなら、日本はそのような不正義な国との国交断絶さえ遠慮する必要はない。私はそう考えます。


【Racist Australia and Japanese whaling】
【白豪主義 オーストラリアと反捕鯨】





sydneyolympic2
【at the Sydney Olympics opening ceremony】


◆海馬之玄関所収☆関連記事

オーストラリア政府が日本の調査捕鯨阻止に軍を派遣
 ☆これは最早、文化帝国主義ではなく<人種差別>である!


鯨と日本の再生
 
海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?
 
菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義は優雅で傲慢な欺瞞である
 
海外報道紹介☆捕鯨反対論は文化帝国主義である

海外報道紹介☆文化帝国主義としての捕鯨反対論
 
書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』
 
グリーンピースの人権侵害救済申立書は
 「グリーンピース=テロリスト集団」の<自白証拠>

 


(2007年12月25日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

kedo
【from KEDO Annual Report 2005, Appendix 1;in U.S. dollars】



福田政権は一刻も早く退陣すべきである。

このニュースに接してその感を深くしました。



●北朝鮮の軽水炉建設費債務、日本が事実上「肩代り」
政府は、北朝鮮が返済することになっている朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の軽水炉建設費用に対する国際協力銀行(JBIC)の融資残高448億円について、事実上、肩代わりすることを決めた。

政府がKEDOに資金を拠出し、KEDOが同銀行に返済する形を取る。資金の拠出は来年度から最長5年間にわたり、来年度当初予算案に約90億円を計上した。

外務省幹部は21日、「北朝鮮に今後、返済を要求する」として、「肩代わり」ではないとの立場を強調した。ただ、「北朝鮮が今後、返済に応じる可能性はほとんどない」(政府関係者)と見られており、北朝鮮の債務を日本国民の税金で補てんする形となるのは不可避の情勢だ。与党内からも、対応を疑問視する声が出ている。(読売新聞電子版:12月22日11時31分)


【資料】
・外務省KEDO関連資料
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/kedo/

・KEDO Official Site:Annual Report 2005
 http://www.kedo.org/pdfs/KEDO_AR_2005.pdf

冒頭に掲げた ”Total Financial Support by Country”でも分かるように、確かにKEDOに日本が出資した金額は必ずしも法外というわけでありません。「北朝鮮を主な不安定要因とする極東地域において、安定的な秩序が構築される場合、そのことから誰が最も利益を得るのか」という、受益者負担の観点からは、韓国(ROK)に次いで日本と米国が応分の負担を引き受けるのは当然といえば当然だろうからです。癪に障りはするが、東南アジアとオセアニアの諸国、そして、EUや南米の国々も幾ばくかの負担に応じていることを鑑みればそれもやむなし、ということです。

けれど、北朝鮮の核開発によってKEDOの枠組みが完全に崩壊した現在、なぜに日本が「北朝鮮の軽水炉建設費債務」を肩代わりしなければならないのか。それを納得する日本国民はそう多くないのではないでしょうか。それは金額の多寡の問題ではない。論理の筋の問題であり、感情の問題である。而して、(これは「死刑廃止」や「少年法改正」、あるいは、「ゆとり教育の見直し」等に向けた議論でも同様なのですが、)感情に任せた論議は厳に慎むべきことは当然ですが、国民に「ある特定の感情」が広範に共有されているという事実はあらゆる政策論議において無視できないファクターである。

加えて、国際政治のリアリスティックからは、「北朝鮮の軽水炉建設費債務を肩代わりする」という決断は、北朝鮮、そして、韓国と支那に対して今後「日本が北朝鮮に融和的に出る」という間違ったメッセージを送ることになりかねないと私は危惧します。畢竟、北朝鮮や韓国や支那に対してというより、率直に言えばアメリカに対して恩を売ったつもりが、逆に、支那・韓国・北朝鮮・米国からの日本への更なる北朝鮮支援の期待と北朝鮮に対する極めて冷淡な国内世論の乖離を拡大させることによって、「北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わり」という今回の日本政府の決断は日本の極東アジア外交そのもを硬直化させ停滞させかねない。私はそう予想します。蓋し、「北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わり」は愚策中の愚策である、と。

しかも、おそらく、この福田外交への批判はないものねだりではない。なぜならば、間違ったメッセージの送信を避けるためには、それこそKEDOの枠組み、すなわち、多国籍コンソーシアムの枠組みを使いそのコンソーシアムの中で日本が突出することなく国際協力銀行の債務を処理する方法はいくらでもあったと思うからです。蓋し、これは国際金融と国際政治を少しかじったことがある方なら、おそらく大学生でも思いつく程度のアイデアでさえある。

敷衍すれば、JBICからのKEDOへの融資は、将来北朝鮮が返済しない場合には、JBICが被る損失を関係各国政府(すなわち、日本政府)が補てんすると決まっていたことは間違いない。よって、今日明らかになった「肩代わり」という事態が孕む問題は、「日本が肩代わりする」ことを発表したことが帯びる国際政治的-国内政治的な意味内容とその発表形式の是非に収斂する。つまり、480億円は日本が払うにせよ、「日本は今後も北朝鮮に対して無原則な融和政策を取ることはない」というメッセージを発信する仕方は幾通りもある。例えば、「この480億円はKEDOの枠組みを壊した北朝鮮が払うべきだ」と世界に向けて数次にわたり発信する/その後、「信託」や「預託」類似の方法で480億円をJBIC自体や世界銀行に預けつつ、6カ国協議の中でこの問題を話し合うことを日本の北朝鮮支援の更なる条件として他の4カ国に認めさせる等々、手は幾らでもあったし、それは外交の常套手段でさえあるでしょう。

ならば、福田政権は確信犯的に、北朝鮮と韓国、ならびに、支那と米国に対して「日本は北朝鮮に対して今後は融和的に振舞う」というメッセージを送ったことになる。つまり、「日本が北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わりする」という意思表示は間違ったメッセージなどではなく、それこそ福田政権の真意だったということです。而して、この対北朝鮮姿勢は、「拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化も、(その核開発放棄にともなう)日本単独の北朝鮮支援も日本が取ることはありえない」という平成の大宰相・小泉純一郎元首相と安倍晋三前首相が堅持したラインを翻すものにほかならない。

しかし、時の宰相が自己の責任において熟慮と果断によって前政権の外交方針を改めることはあってもいい。否、国家としての基本的な外国方針と前提的な国際関係認識さえ維持するのならば、而して、個別日本の場合、日米関係の最大限の尊重と東南アジア-南アジア-中央アジアとの連携強化によって大洋国家を目指すというその外交のグランドデザインを機会ある毎に愚直に繰り返し繰り返し発信し続ける限り、その基本的な外交方針の枠内で個々のイシューに関して果断に方針を転換することは、むしろ、したたかな<外交の要諦>でさえあるでしょう。

蓋し、私は、福田政権が「小泉-安倍路線」の修正を決断したこと自体は批判されるべきことだとは思わない。そして、もし、、「北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わり」を決断したことによって福田政権が今後批判されるとしたら、それは前政権の対北朝鮮政策の変更ではなくその変更の内容と変更に対する国民の支持を取りつけるパフォーマンスの貧しさに由来すると考えます。

すなわち、「国家の最大の責務は国民の生命・身体・自由・財産を守ることだ」という「小泉-安倍政権」の6年間で確認された日本外交の原則を否定する方向で、再度、田中-竹下派という守旧派が政権与党を牛耳っていた時代の日本外交に福田政権が戻そうとしているのかどうか。更に、この6年間で確認された日本外交の原則を変えることによって、どのような国際関係の再編を福田政権が目指そうとしているのかが今回の北朝鮮政策の変更が孕む最大の論点ではないでしょうか。

これらのことを日本国民に対して明確に説明することなく、あたかも、「北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わりの案件」は、ある国際機関と日本との間の法技術的な債務処理の問題にすぎないと対内的には装いつつ、他方、対外的には、「日本は今後、北朝鮮に対して融和政策を取る」というメッセージを発信したことは、(その政権の外交姿勢を判断する材料の提示を政権自らが避けたということなのですから)「国家の最大の責務は国民の生命・身体・自由・財産を守るものだ」というアイデアに共感を覚える一群の日本国民からの支持を福田政権が不要と考えたこと以外の何ものでもない。


畢竟、「北朝鮮の軽水炉建設費債務の肩代わり問題」の核心は、福田政権の対北朝鮮政策(ひいては、特定アジア外交政策)の変化、および、国家の外交原則の変化なのではないでしょうか。らば、私は遠慮なくこう書きたい。

「北朝鮮の軽水炉建設費の肩代り」を決断した福田政権。しかも、(KEDOの枠組みと本質的に矛盾する「核実験」を行っておきながら/核実験を行ったことを自ら世界に宣伝しておきながら、KEDO枠組み崩壊の責任を日米韓に転嫁して毫も恥じない北朝鮮が「今後、返済に応じる可能性はほとんどない」どころか、少なくとも、KEDO枠組み崩壊の責任を急転直下北朝鮮が認めるのでもない限り「今後、返済に応じる可能性は論理的にもありえない」ことは子供でもわかることなのですから)「北朝鮮に今後、返済を要求する」として、姑息にも、今回の日本政府の措置は「肩代わり」ではないと外務省に強弁させるような福田政権。

国民を守る気概とスキルを欠いた

福田政権は一刻も早く退陣せよ、と。


私はこのニュースに接してそう思いました。

では、福田政権後の日本の権力図式はどうなるのか、また、どのような図式が望ましいのか(最もましか/最悪を免れうるのか)。これらについては機会があれば稿をあらためて私の予想と希望を示したいと思います。いずれにせよ、福田退陣による政局の混乱や政治空白の恐れ、あるいは、後継・後続の政権が果たして国益と国民を守ることにおいて福田政権よりも高いパフォーマンスを発揮しうるかどうかの心配などよりもなによりも、福田政権の一刻も早い退場がこの国と国民にとって現在の段階での最善手である。このニュースに接して私はそう確信しました。




(2007年12月22日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 北朝鮮問題
ジャンル : 政治・経済

greenpbookwhale


星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(幻冬舎・2007年3月)を紹介します。著者はグリーンピースの日本支部の現在の事務局長であり、本書は、その日本支部とはいえグリーンピース側の著者が文化帝国主義的な捕鯨反対論からは決別して、反捕鯨の立場から平明に「日本と鯨」を巡る論点を整理したもの。畢竟、「商業捕鯨の再開」に向けて「調査捕鯨」を更に推進して行こうと考えている多くの日本人にとって本書は<次世代の反捕鯨ロジック>を知り、それに備える上で参考になるものです。

本書が上梓された2007年―2008年現在。毎年11月には南氷洋に日本の調査捕鯨船団が出航している。そして、この日本の「調査捕鯨」に対する批判が世界中でヒートアップする。しかもそれは言論的の批判だけではありません。オーストラリア政府が将来の国際裁判所への提訴に向けて証拠収集すべく、その軍を派遣して日本の調査捕鯨船団を監視することを検討すると発表したように、他方、カルト的環境テロリスト集団にして環境利権集団として有名な、シーシェパードとグリーンピースは今回も調査捕鯨を暴力によって妨害すべくその手持ちの艦船の出港準備は万端であると報じられているのですから(★)。

★註:テロリスト集団グリーンピース
グリーンピースがテロリスト集団であることについては下記拙稿を参照ください。以下、本稿ではテロリスト集団グリーンピースはTerrorist Group Greenpeaceとして「TGGP」と表記します。


グリーンピースの人権侵害救済申立書は「グリーンピース=テロリスト集団」の<自白証拠>
 
このグリーンピースによる姑息な暴挙を「テロ行為」と言わずして何を「テロ」と言うのか

このシーシェパードによる暴挙を「テロ行為」と言わずして何を「テロ」と言うのか


しかし、ここで紹介する本書。TGGPの日本支部であるグリーンピース・ジャパーンの現在の事務局長、星川淳氏の著作『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』がいみじくも記している通り、日本では捕鯨の是非を巡る議論は「捕鯨問題は国内ではほぼ決着ずみ」(p.3)の様相を呈していると言ってよいと思います。メディアの報道を見てもブログやネット掲示板を覗いても捕鯨の是非を巡る議論が盛り上がっているとは到底言えないし、実際、「調査捕鯨」の推進支持の姿勢と「鯨は日本の食文化の重要な一部」との認識は自民党から共産党まで全政党が共有していると言っても間違いではないからです(★)。

★註:「鯨は日本の食文化」という認識の共有
星川『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(p.106ff)で触れられているように、自民党と民主党に捕鯨を推進する議員連盟や協議会があるだけでなく、公明党・社民党・共産党にも多くの捕鯨推進派の議員がおられ、共に「補鯨の伝統と食文化を守る会」等の活動に超党派で取り組んでおられる。



日本では「捕鯨問題はほぼ決着ずみ」となったについては、本書(pp.190-191)の用語を借りれば「反・反捕鯨」論的なメンタリティーによる所が大きいかもしれません。

要は、「鯨を殺すのは可哀想」「鯨は知能が高いから殺すべきではない」「鯨を殺して食べるなんて恥を知れ」等々の欧米における反捕鯨の主張は、「鯨は駄目で、牛や羊は殺してもいいのか」や「知能を基準に殺していい動物とよくない動物を区分けするなどはオーストラリアの白豪主義やナチス・ドイツばりの差別主義以外の何ものでもない」という子供でも思いつく反論に応えることができないばかりか、縄文時代からこの平成の御世に至るまで鯨を食糧として認識し続けてきた日本人にとっては何の説得力もないということです。

そして、これらの赤裸々な「文化帝国主義」的な主張をソフィステイケートした「野生動物としての鯨の保護」「絶滅危惧種としての鯨の保護」「海洋生態系全体の維持」「食の安全の観点から汚染された鯨肉を食卓に上げない」「動物愛護」等々の理由もそれが科学的や倫理学的な根拠を欠いている限り同様でしょう。

蓋し、文化には差異はあっても優劣はない。このことを理解しないでされる「鯨を殺すのは可哀想」の如き反捕鯨論は(日本人である限り、たとえ、その方が食物としての鯨肉が嫌いであったり、捕鯨にあまり関心がないとしても)日本人としては到底容認できないsomethingを感じるのであり、畢竟、そのsomethingとは「文化帝国主義」(Cultural Imperialism)や「ヨーロッパ中心主義」(Eurocentrism)と呼ばれるべきものだと私は考えています。

まして、「日本人は確かに鯨を殺しているが、それは食べるためであり、貴方達の先祖が多くの種をそうして絶滅させたように、鯨油や毛皮を取るためだけに、あるいは、ハンティングを楽しむためだけに、つまり、殺すために殺しているのではない。よって、今後は「日本人は鯨を殺している」と言うのは止めて、(食べるために殺しているのだから)「日本人は捕鯨している」と言ってくれないかね」と反論できる。蓋し、上で再現したような素朴で朝日新聞の論調のように独善的な反捕鯨論に対して日本人の捕鯨賛成論は論理的に優っているだけでなく、道徳的-歴史的にも優位に立っていることは間違いないのです。

畢竟、日本国内で(私は動物愛護の観点から捕鯨には反対だが/私は鯨の肉は堅くて野趣が強く嫌いだけれど、水産庁や日本鯨類研究所が商業捕鯨を期して「調査捕鯨」を行うことに反対はしないという、消極的賛成論を超えて)捕鯨に積極的に反対する議論がほぼ消滅したのも頷けるというものです(★)。

★註:「鯨と日本人」および文化帝国主義
この論点に関しては次の拙稿を参照していただければ嬉しいです。


鯨と日本の再生
 
海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?
 
菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義は優雅で傲慢な欺瞞である
 
海外報道紹介☆捕鯨反対論は文化帝国主義である
 
海外報道紹介☆文化帝国主義としての捕鯨反対論
 

日本では「捕鯨問題はほぼ決着ずみ」。しかし、それがいかに「文化帝国主義」的あろうとも欧米では日本の調査捕鯨に対して強い批判が渦巻いていることは事実なのです。この事実は日本として無視できるものではない。更に、本書(pp.191-194, pp.205-206)が述べているように、安くて美味しい鯨を日本人がいつでも食べられるようになるためには、すなわち、商業捕鯨を再開するためには課題山積というのが偽らざる所でしょう。

更に、鯨は鯨だけの問題に非ず、たかが鯨されど鯨です。鯨問題は、食糧安保・国家主権・日本の文化の確保を日本人が自分で守れるかどうかの問題。いみじくも、本書の著者が、鯨問題は最早「海の靖国論争」(p.5)になってきていると述べているように、アメリカ政府もフランス政府もEUも公式に日本の「調査捕鯨」を批判しその中止を要請しており、上述の如くオーストラリア政府に至っては日本の「調査捕鯨」を監視するために軍の派遣さえ検討している。これらのことが象徴しているように、鯨の問題は単なる文化人類学的な異文化の接触という高尚かつトリヴィアルな事柄では最早なくなってきている。

畢竟、鯨は鯨だけの問題に非ず、たかが鯨されど鯨なのです。而して、それがこの国の食糧安保、他方、すべての日本人の日々の食生活に直接かかわっている分、捕鯨を巡る問題は「陸の(本当の)靖国問題」や「空(中楼閣)の靖国問題たる南京や所謂「従軍慰安婦」および沖縄集団自決の問題」に優るとも劣らぬ重要性を持つと私は考えています。

ならば、日本と日本人は今後、鯨の問題をどう捉えどう捕鯨を進めていけばよいのでしょうか。これを考える上で、本書、星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』は参考になる一書だと思いました。尚、「捕鯨-反捕鯨論議」を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿を参照していただければ嬉しいと思います。

反捕鯨論の文化帝国主義的で傲慢な謬論を逐条撃破する

 
whaling8


◆資料
本書、もしくは、この記事を読んで「よし、日本人なら鯨を食べよう!」と思われた方は、是非、行動に移しましょう。そして、もっと安い鯨を安定供給するように各自の地元選出国会議員(なんと、政党は問いません!)、水産庁捕鯨班、日本捕鯨協会に働きかけましょう。以下、オンライン通販もできるクジラポータルサイト、および、捕鯨に関する情報を発信しているサイトのURLを記しておきます。とにかく、鯨のステーキは格別です♪ 


・日本捕鯨協会
 http://www.whaling.jp/

・クジラポータルサイト ←鯨の通販ならこちら♪
 http://www.e-kujira.or.jp/

・日本鯨類研究所
 http://www.icrwhale.org/

・水産庁遠洋課
 http://www.jfa.maff.go.jp/j/whale/index.html

・テロリスト集団グリーンピース・ジャパーンの主張
 http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/factsheet/index_html

tggp3



◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』の新味
本書『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』はセンセーショナルな一書です。なぜならば、捕鯨反対運動の主要なプレーヤーであるテロリスト集団グリーンピース(以下、「TGGP」)の日本支部事務局長が「捕鯨問題は国内ではほぼ決着ずみ」(p.3)、「グリーンピースも、そろそろ捕鯨問題を卒業したほうがよさそうだ」(p.7)、反捕鯨の活動のやり方として、TGGPが得意とする相手の生命身体に対する攻撃を行わない違法行為、所謂「非暴力直接行動」について「グリーンピース側にも配慮の余地はある。「非暴力」に対する欧米社会と非欧米社会の認識が微妙にずれることを、もっと真剣に見つめたい」(p.136)等々、捕鯨反対運動からの「離脱」ともとれる認識を記しておられるから。

ただ、本書が読者に新鮮な印象を与えるとすれば、その理由はこの「離脱宣言」だけではないでしょう。蓋し、「離脱宣言」を含む次の3点において本書は捕鯨反対論から書かれた他の「捕鯨論」を超えていると私は思います。

・『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』のセールスポイント
(A)TGGPによる捕鯨卒業宣言
(B)商業捕鯨は(技術的にも)不可能という認識の提示
(C)沿岸捕鯨を中心に据えた次世代の日本の捕鯨のスタイルの提案


繰り返しになりますが、その日本支部事務局長の「離脱宣言」にかかわらず世界的には反捕鯨の直接行動を常套する団体として現在も認識されているTGGPが、たかだか一つの支部の事務局長の見解にすぎないとはいえ、TGGPが現在進行形で敢行している非暴力ではあるが違法な直接行動を反省して捕鯨問題からの卒業を宣言したことは注目に値する。

また、TGGP日本支部の言動を継続的にウォッチしている人にとっては、特に、目新しいことではないのですが、本書ではTGGP日本支部が鯨を食べることに必ずしも反対しているわけではないことも改めて示唆されており(pp.205-206, pp.212-213)、このことも読者には新鮮な印象を与えるかもしれません。


◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』は便利なパンフレット
ある種の新鮮さに加えて本書は「捕鯨」に関心のある読者には便利な一冊です。具体的には、鯨の種類と生態の紹介(第1章)、日本の捕鯨の歴史の紹介(第2章)、乱獲により鯨が絶滅に瀕した経緯の素描(第3章)、現在日本側で捕鯨を推進している陣容の紹介(水産庁捕鯨班・日本鯨類研究所・共同船舶・日本捕鯨協会・捕鯨推進の国会議員連盟の紹介:第4章)、鯨肉消費の現状分析(第6章)、および捕鯨を巡る世論の動向分析(第7章)は、捕鯨反対派のバイアスを意識して読むなら、一刻も早い商業捕鯨の再開を期す大多数の日本国民と日本市民にとっても有益な情報だろうと思います。

ただ、便利ではあるが、そして、所詮、反商業捕鯨の立場に立つTGGP側の著書のことでもあり無理な注文かもしれませんが、商業捕鯨の再開の是非を分かつ「鯨はまだ絶滅の危機にあるのか」それとも「鯨は持続可能な食糧資源として回復しつつあるのか」、あるいは、どのような商業捕鯨なら持続可能な捕鯨を具現しうるのかを規定する「RMP(商業捕鯨再開時に捕獲枠を割り出す改訂管理方式)」の妥当性等々に関して、数理統計学や生物統計学を踏まえた説明は本書には皆無であり、結局、反捕鯨陣営のパンフレットの域を本書は出ていないことは残念です。

この点、同じ鯨問題の入門書であり、捕鯨賛成派の重鎮にして現在日本鯨類研究所理事長である大隅清治氏の『クジラと日本人』(岩波新書・2003年4月)と比べて本書はかなり見劣りがする。星川氏と大隅氏の両著に関するこの評価は必ずしも私が捕鯨賛成派だからというだけではないと思う。捕鯨に賛成反対にかかわらず「捕鯨と日本」というテーマに関心のある向きにはこの両書の併読をお薦めします。


◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』はアジビラである
本書は新鮮な印象を与える一書であり便利なパンフレットです。けれども、それは商業捕鯨再開に反対する立場から書かれた「捕鯨反対のプロパガンダ」、就中、現在日本で捕鯨を推進している「政治家-水産官僚-日本鯨類研究所や共同船舶等の調査捕鯨の実働部隊」を攻撃する「調査捕鯨反対のアジビラ」にすぎない。蓋し、本書は、日本国内での「反・反捕鯨」(p.170ff, p.190ff)の意識が広がる中で「文化帝国主義」的な捕鯨反対論が全面的に敗北しつつある状況を見据えた上で繰り出された<次世代の反捕鯨論>である。本書は私にはそうとしか読み取れませんでした。

而して、<次世代の反捕鯨論>はどのような論理によって編み上げられているのか。私はそれを次のようなものと理解しています。

<次世代の反捕鯨論>
(甲)南極水域・西太平洋水域での遠洋捕鯨
対応:全面反対
根拠:野生動物保護(鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物)
   鯨は絶滅が危惧されている
   ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり日本の伝統ではない

(乙)日本近海の日帰り沿岸捕鯨
対応:総頭数を決めて容認する一方、消費者には鯨肉の危険性を告知
根拠:海の食物連鎖の最上位ある鯨は水銀やPCB等で汚染されている

(丙)総合戦略
対応:遠洋捕鯨を全面的禁止に追い込み、捕獲頭数と捕鯨拠点数の双方で沿岸捕鯨をミニマムに封じ込める。而して、鯨肉の需要を先細りさせ、古式捕鯨以来の伝統芸能としての捕鯨、郷土料理的な鯨食を残し、日本全体における「捕鯨と鯨を食べる食文化の自然死」を待つ! 
根拠:鯨食の文化は極一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない
   商業捕鯨再開などビジネス環境的に不可能


本書ではこの反捕鯨戦略をサポートするためにもう一つ巧妙なロジックを通底低音として流している。それは、日本の調査捕鯨、まして、商業捕鯨の再開は「国際社会が永久的な保護区と定めた場所では捕鯨を控えるマナー」(p.21)に反する「国際社会の一般的モラルも踏みにじる」(p.194)ものという主張です。而して、私は、自身が<次世代の反捕鯨論>と名づけたこの反捕鯨の論理は破綻しており、よって、本書は反捕鯨論からする新手のアジビアにすぎないと考えます。

尚、上でも述べたように、本書では上記(甲)の根拠の一つとして、鯨の数は持続可能な捕鯨を再開するに充分なほど回復しているかどうかは不明であると主張していながら(p.75ff, pp.81-82)、数理統計学(特に、少標本を対象とした多変数の統計推理理論を生物の個体数変化予測に応用した生物統計学)からの説明は皆無です。要は、「鯨はいまだに絶滅に瀕している」あるいは「鯨の個体数(鯨種または個体群毎の個体数)は不明」という本書の基盤となる認識はまったく科学的・論理的な根拠を欠いている。

このことは、著者が根拠もなく水産庁-日本鯨類研究所のデータを信用ならないとばかりに斬り捨てる一方(p.75, p.79, pp.80-81, p.141)、同じく無根拠に「世界の専門家」やIWC科学委員会(pp.80-81, p.141)、あるいは、その科学的根拠を開示しないことで悪名高いCITES(Convention on International Trade in Endangered Species of wild Fauna and Flora:所謂ワシントン条約)の付属議定書(pp.70-71)の主張を採用していることと相まって本書の説得力を著しく下げている。

例えば、IWC科学委員会は「繰り返し「改訂管理方式(RMP)にとって日本の調査データは不要」と明言している」(p.141)と著者は記しているけれど、同委員会の報告書原文には「RMPによる管理には必要ではないが、以下の点でRMPを改善する可能性を秘めていることが指摘された・・・」と日本の調査捕鯨がもたらしたデータがRMPに影響を与える内容であることを認めているのですから。これらの点を鑑み、以下、本書で展開されている<次世代の反捕鯨論>の諸根拠につき検討してみます。

[1] 鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物
[2] ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり日本の伝統ではない
[3] 鯨食の文化は極一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない
[4] 日本の南極水域での(調査)捕鯨は国際的なマナー違反
[5] 沿岸捕鯨で捕獲される鯨の肉は汚染されている
[6] 商業捕鯨再開などビジネス環境的に不可能



oldwhale


◆『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』は反捕鯨論からの詐術である
[1] 鯨は水産資源ではなく保護すべき野生動物
本書の第1章「クジラは魚か」にはこう書かれています。「くじらを水産資源としてのみ扱い続けるか、地球に残された野生動物のシンボルとしてとらえるかが、捕鯨論争の分かれ目になり、決定的な議論のすれちがいを生んでいる」(p.17)、と。この認識は正しいと思います。逆に言えば、欧米の反捕鯨論の多くは、鯨の個体数が増えているかどうかにかかわりなく、日本人が鯨を食べていること、食べるために殺していること自体に憤慨しているということでしょう。

もちろん、輪廻転生に親しい日本人の世界観からは、「魚類」なら水産資源で「哺乳類」は野生動物とする欧米流の二元論は全く根拠のないものでしょうが、いずれにせよ、本稿の冒頭近くで述べましたように、その国民や民族がどの動物を(水産)食糧資源と認識するかは、その民族が歴史的に形成してきた文化に規定される事柄であって、それと異なる文化を呼吸して生きている外国人に「何をたべてよいか」、つまり、「何が野生動物であり、なにが(水産)食糧資源であるか」の線引きを指図される筋合いは毫もないことは自明だと思います。

重要なことは「野生動物」と「水産資源」の二項対立は一個の文化圏においても時代と共に変化する、更に、TPOによってさえ変わりうる、つまり、固定したものではないということです。畢竟、「認識が対象を決定する」という新カント派の認識論を持ち出すまでもなく、例えば、食糧安保政策の中では鯨は水産資源であり、観光事業計画の中では鯨は野生動物として認識される。すなわち、鯨を水産資源であると同時に野生動物と認識することはなんら矛盾ではない。而して、鯨が野生動物でもあることを根拠に、日本が水産資源としての鯨に対して調査捕鯨を継続し、商業捕鯨を再開しようとしていることを批判される筋合いは全くないのです。


[2] ノールウェー式捕鯨は外来かつ近代の産物であり伝統文化ではない
[3] 鯨を食べる文化は一部の地域を除けば終戦後の徒花的現象にすぎない

捕鯨反対論者からは、「近海沿岸で行われていた古式捕鯨ならともかく、捕鯨母船とキャッチボート、さらには、母船内で加工冷凍された鯨肉を日本に運搬する輸送船からなる捕鯨船団で遠洋に繰り出すノールウェー式の捕鯨スタイルは日本の伝統文化などではない」といった主張を時々聞きます。

このような主張に対しては、では「野球」は日本の文化か? 女子学生のセーラー服姿は? いや、「仏教」だって紛うことなき外来思想であり、まして、電気炊飯器で炊いたご飯などは極最近の産物にしかすぎないがそれらは日本の伝統文化の構成要素ではないのかと聞き返したくなる。蓋し、伝統文化論議など「玉葱の皮を剥いていくうちに結局なにもなくなる」類の議論でしょう。

流石に、本書の著者はこのような「玉葱伝統文化論」には予防線を張っておられる。本書第2章「捕鯨は日本の伝統文化か」の冒頭。「「伝統」とか「文化」というのは、ある意味で空想に近いとことがある。なぜなら、私たちが確実にわかるのは自分が実際に経験したことだけで、それより前のことは聞いたり読んだりする知識にすぎないからだ」(p.38)、と。

而して、著者は捕鯨と鯨を食べる習慣についてこう書かれる。「給食のクジラは地方によってかなりバラつきがあるようだが、一般に日本人が捕鯨と鯨肉を「文化」や「伝統」と結びつけるのは、どうもこの戦後体験が強いようだ。ただ、それだけで捕鯨が日本の伝統文化と呼べるかどうかはいささか怪しい」(p.39)、と。その後、「伝統文化」に関するこれらの認識を前提に、捕鯨は伝統文化か否かについてかなり消極的な見解を述べるておられるのですが(pp39-40, p.49, p.54, p.156ff, p.169, p.170)、その中でも著者の伝統と文化に関する理解として目についたものがあります。

それは、「ぐるり海に囲まれた日本列島では、縄文時代からクジラやイルカを利用した形跡がある。(中略)こうした素朴な鯨類の利用は、(中略)北はベーリング海域からインドネシアまで現在も続く土着的な捕鯨が示す通り、海に接する世界各地の民族が行っていたはずなので、日本固有の伝統文化と主張するのは無理がある」(pp.39-40)、「IWCでは日本の沿岸捕鯨は近代捕鯨そのものだとして(沿岸小型捕鯨業者に特別許可を与える)議案を否決してきた」(pp.157-158)、「戦後、多くの日本人がクジラの肉に親しんだのと同じころ、やはり学校給食に出た脱脂粉乳を、日本固有の食文化だと主張する人はいないだろう」(p.170)の三箇所。

私はこれらの著者の理解には疑問を感じます。なぜならば、他の民族と共通点があまりないその民族特有のものでなければ伝統文化ではないのか(もし、そうであれば、音楽や楽器なども伝統文化の構成要素にはならないでしょう)、また、何が民族固有の伝統であり文化であるかは外国や国際機関が決めるものなのか、そして、文化や伝統はある民族が今に至るまで恒常的に選び続けてきたものの集積ではないのかという疑問が拭い去れないから。

簡単な話です。伝統や文化は現在生きてある人間にとっての「価値」であり「規範」として作用するものだろうということ。畢竟、伝統や文化のすべてのアイテムは、極言すれば現在の存在でしかなく、そして、何が伝統で何が文化であるかを決めるものは現在生きてある個々人が形成する民族意識以外にはありえない。そう私は思うのです。

ならば、(自分が「日本人」なるものの源流の一つになることなど想像だにしなかっただろう)縄文の人々が鯨を食べていた習慣は、縄文人をも我々の祖先と考える現在の日本人の意識からみれば間違いなく「日本の伝統文化」の一部であり、他方、現在それを飲もうと思えば誰もが飲めるはずなのに、トライする日本人が少ない脱脂粉乳は学校給食を思い出すツールではありえても「日本文化」とは呼べない。そして、捕鯨が日本文化の一部かどうかなどはIWC(国際捕鯨委員会)に決められる筋合いなど全くないことは言うまでもありません。而して、この観点からは歌舞伎や文楽が伝統文化であるのと同様、野球もセーラー服も伝統文化である。

ことほど作用に、米食が日本の文化であることは、それを炊く器具や米の品種が変わろうとも不変であるのと同様、鯨を食べる文化が日本文化であることは、その鯨が近代的な捕鯨船団によって捕れたことによってはなんら影響を受けることはない。まして、「この年(1947年)に日本人が口にした肉類の40%が南極海産の鯨肉だった」「他の肉類が持ち直すににつれ、1950年代には20%台に落ち着いていく」(p.53)という本書が紹介する事実を反芻するとき、鯨を食べる習慣は十分に日本の伝統文化と言えると思います。


[4] 日本の南極水域での(調査)捕鯨は国際的なマナー違反
本書の特徴は、日本側が提示している科学的データや主張は歯牙にもかけず、他方、IWCや外国の反捕鯨派の主張は無条件に肯定する姿勢です。例えば、「もっともらしく科学的な体裁をつけた調査計画や報告を見ても、いかに捕獲頭数を上げ、商業捕鯨再開を正当化するかという意図が透けていて、国際的な科学界からはほとんど相手にされないのがうなずける。国策で商業捕鯨をめざす政府の御用研究が、客観性をもちうると考えるほうがおかしい」(p.79)などはその代表的なものでしょう。

けれども、「国際社会」なるものはそれほど客観的なものでしょうか。鯨の個体数にかかわらず商業捕鯨の再開は認められないという立場を公言している欧米の研究など(逆に、鯨資源が増えていなければ商業捕鯨を再開したとして捕鯨産業の将来性は暗いのですから、ある意味、日本の研究以上に)怪しいと考えるのが合理的でしょう。「水産庁は捕れる、捕れないの観点からのみ(商業捕鯨再開を認めようとしない議論に)異議を唱えているけれど、世界の大勢はクジラを水産資源とみなさなくなったのだから、捕れるかどうかなどじつはあまり関心がない」(p.20)とまで著者に言われればなおさら国際社会やIWC科学委員会なるものは信用できないと感じるのが自然ででしょう。

更に、持続可能な捕鯨が可能とするならば、商業捕鯨の再開について日本が特に国際社会なるものの許可を必要とするかどうかさえ疑問です。畢竟、その設立規約からもIWCは「持続可能な商業捕鯨のための国際的なルール」を形成すべき会議体であり、その目的にそれが沿っている限りにおいてのみ日本はIWCに加盟し続ける意味がある。ところが、IWCが日本の提出するデータなど「相手にすることなく」商業捕鯨の再開に向けて具体的なルール形成ができないのならば、日本がIWCにとどまる意味は全くないからです。而して、IWCを脱退した非加盟国に対してIWCの規範が何の効力も持たないことは言うまでもありません。

この点で本書の国際社会への信頼は過剰と言わざるをえない。例えば、「国際社会が永久的な保護区と定めた場所では(中略)捕鯨を控えるマナーが必要」(p.21)、「本当に科学と客観性を重視するのなら、いま日本が南極海で行っているような調査は、計画から実施までIWCを主体にしなくてはおかしい。また、国際捕鯨取締条約第8条を見直して、“調査捕鯨”の条件を厳しくするとともに、少なくとも公海での調査に関するかぎり、国家より上位の国際機関が許可と実施を監督できる形を検討すべき」(pp.142-143)等の記述は国際法に関する無知によるものか、国際法上このようなことは言えないことを承知の上で書かれた詐欺的言辞のいずれかでしょう。

国益の対立と文化間の摩擦が常態の国際社会において、マナーとはすなわち国際法と確立した国際政治の慣習でしかありません。その国際法と国際関係のマナーを徹底的に遵守してきたのは日本の方であり、本来、持続可能な商業捕鯨を図るための機関であるIWCが反捕鯨国による商業捕鯨妨害のツールとなっている現状こそ国際社会のマナー違反以外の何ものでもない。而して、国連憲章を紐解くまでもなく、ある主権国家が自発的に自国の権限を制限するのでない限り、国際機関はいかなる意味でも主権国家の上位に来ることはないのです。ならば、国際社会と国際機関に対する過剰な著者の信頼と期待は、所謂「地球市民」や「世界市民」を夢想する著者の願望の結果なのかもしれませんが、それは実定国際法とは無縁なものであることは確かだと思います。


[5] 沿岸捕鯨で捕獲される鯨の肉は汚染されている
これは徹頭徹尾「事実認識」の問題です。ある鯨種の鯨肉に厚生労働省が定める基準以上の有害物質が含まれているのならば、問題の鯨種や部位を食べるべきではない。それだけのことです。

けれども、遠洋捕鯨で捕獲されたマッコウクジラ、沿岸捕鯨で捕獲されたイルカや鯨のある部位から、グリンピース等が宣伝するように許容値の数十倍のPCBや水銀が検出されたという事実は「再現性」に乏しく極めて例外的な事例と考えるのが自然だと思います。

而して、南氷洋や西太平洋で捕獲される毎年1000頭規模の鯨から収集される数値からは許容値の10分の一以下の汚染物質しか検出されていない。これを見るに、鯨はむしろ、他の魚(←鯨は哺乳類ですよ!)よりも安全。ただ、鯨肉が汚染されている危惧は残念ながら沿岸捕鯨の本格再開に関しては無視できないファクターであることは間違いないでしょう。

いずれにせよ、危惧はどこまで行っても危惧にすぎない。かつ、危惧を事実と論理によって完全に払拭することは神ならぬ身の人間にとって、これまた論理的に不可能。近代民法の原則の一つに過失責任主義が掲げられるのはこの事情によりますし、個別、鯨肉の生産者に(歩行者に比して利益を一方的に享受する)自動車運行者、(一般の市民との間に圧倒的な情報の非対称性を持つ巨大な)原子力事業者のように無過失責任を課すことは衡平の原則に反するでしょう。実際、市民はその鯨肉の汚染が心配なら検査機関に検査を依頼することはそう簡単ではないが不可能ではないのですから。

畢竟、 許容値を超える事例が続出するのでもない限り、この項の冒頭にも書きましたが、沿岸捕鯨再開と鯨肉の汚染度合いの関係は事実認定によって決っせられるべきことだと思います。


[6] 商業捕鯨再開は不可能か?
著者は日本による商業捕鯨再開は不可能と述べる。「結局、水産庁捕鯨班が音頭をとる商業捕鯨再開は建前にすぎず、けっして本気ではない」「もし、心の底から商業捕鯨が再開できると信じているとしたら、それは狂信に近い」(p.192)、と。こう著者が断定される根拠は、しかし、そう明確なものではありません。私の理解した限りそれは次の4点でしょうか。

(a)持続可能な捕鯨によって捕れる鯨の量の少なさ(p.193)
(b)燃料費等のコストから見て日本の捕鯨は競争力に劣ること(ibid.)
(c)鯨肉市場規模の小ささ(第6章)
(d)企業イメージ低下から商業捕鯨に参入する企業は限られること(p.193)


確かに、商業捕鯨最末期の1987年に1捕鯨船団による捕鯨ミッションの損益分岐点がミンククジラ2,000頭であったこと。また、現在の所、改訂管理方式(RMP)の算定から年間に捕獲可能な鯨が同じくミンククジラ2,000頭であり(p.193)、そして、商業捕鯨解禁になった暁には(密漁を除けば)世界中の捕鯨国がこの2,000頭の枠を分け合うことにならざるをえない。こう考えれば、少なくとも、1社の独占が保証されるのでなければ捕鯨はビジネス的になりたたないように思えます。

また、商業捕鯨が解禁されたとして、もし、オーストラリアやニュージーランドといった地理的に南氷洋に近い国々が商業捕鯨に参画した場合、燃料費と人件費を考えただけでも我が日の丸捕鯨船団はコスト的にかなり苦しい競争を強いられることも火を見るより明らか。加えて、現在、年間1,400頭足らずの調査捕鯨が持ち帰る鯨肉でさえ売れ残っている。而して、日本による商業捕鯨再開は不可能と著者が考えるのは満更根拠がないわけでもないのです。

けれども、この「商業捕鯨不可能論」には反捕鯨論からする特異な条件が前提として組み込まれてはいないか。私にはそう思えてなりません。捕鯨がインダストリーとして再構築されるためには、一般のビジネスと同様、(イ)商品の安定供給、(ロ)当該産業を養うに足りる市場の存在と規模、(ハ)商品を供給するプレーヤーの存在が不可欠でしょう。而して、著者のネガティブな予想とは異なり、これら(イ)~(ハ)の三者は商業捕鯨において十分に成立する余地がある。蓋し、商業捕鯨再生の鍵は<コストとプライス>であり、畢竟、古典的な需要と供給の関係、あるいは、ミクロ経済学的な市場分析を著者は故意か過失か見落とされているように思います。

(イ)商品の安定供給
今後、鯨が増えることによって持続可能な捕鯨が可能な鯨の捕獲総数が増えることは否定されないでしょう。また、適正な年間捕獲量が今後もミンククジラ2,000頭で変わらず、実際に捕鯨に従事するのは1捕鯨船団が適正規模の状態が続くとしても、その船団を多国籍の複数企業がコンソーシアムを作り運営するスキームなど容易に作ることができる。

ならば、商業捕鯨再開のポイントはその捕鯨によりいかほどの収益が見込めるかに収束するはず。つまり、著者が掲げられる(a)持続可能な捕鯨によって捕れる鯨の量の少なさと、(b)燃料費等のコストから見て日本の捕鯨は競争力に劣るという指摘は見せかけのネガティブファクターにすぎないことになります。

(ロ)市場の存在と規模
確かに、現在、調査捕鯨の副産物である鯨肉は売れ残っている。著者は「世論調査を見比べてみると、「捕鯨賛成」と明確に答える人が50%前後はいる。(中略)しかし、それならなぜ鯨肉は余るのだろう」(p.185)と自問自答されているけれど、これこそ需要と供給の関係が解決する問題であり、かつ、多様な価格の鯨肉がいつでも容易に買える環境になれば状況は一変すると考えます。簡単に言えば、現在、西太平洋・南氷洋を併せて最大1,400頭の鯨しか捕れないものが、沿岸捕鯨も併せて3,000頭の規模に増え、かつ、価格も安くなるのであれば需要が喚起されることは十分ありうるのではないでしょうか。而して、その適正な価格の値は最終的にはマーケットが決めることなのです。

いずれにせよ、著者が掲げられる(c)鯨肉市場規模の小ささは、1987年から続くモラトリアム体制下の高価格と不安定供給、ならびに、鯨を食べたことのない若い世代の増加という条件下の現状であり、その条件は商業捕鯨再開事態によって一変する性質のものだと私は考えます。もちろん、「供給が需要を作る」という所謂セイの法則は一般的には成り立たない。しかし、現在の鯨肉マーケット自体が統制経済的な歪さを抱えていること、人口の過半を大きく越える日本人が鯨肉に対してポジティブイメージを持つことを鑑みるならば、鯨肉に関しては「適正な価格をともなった安定供給が需要を作る」可能性は低くはないと考えます。

(ハ)民間捕鯨会社の再登場
市場が投資に比べて魅力的であるならば、当然、その市場に参入するプレーヤーが登場することは必然です。よって、経営経済学的には(ハ)民間捕鯨会社の再登場のハードルは実は上記(イ)(ロ)の裏面にすぎず、著者が述べておられる、経営リスクとしての「捕鯨企業になることにともなう当該企業のイメージダウン」というファクターがこの項目プロパーの主な論点になることは間違いない。けれども、日本国内でビジネスを展開する限り、商業捕鯨の再開に参画したことは、国民多数から感謝され拍手をもって迎えられることではあっても、それが企業イメージの低下という経営リスクに結びつく恐れはないと私は考えます。

問題はその勇気ある企業が海外に販路を求める場合、海外の機関投資家から出資を仰ぐ、あるいは、海外の企業を買収する場合等々の国際業務関連において顕在化するでしょうが、国営企業として設立し、その株式を漸次個人投資家に販売すれば何の問題も生じないはずです。しかも、鯨が安定供給されるのであれば、極論すればその供給者が外国企業になったとしても「鯨の食文化の伝統」を守るという点に関してはなんら問題ではないのです。

いずれにせよ、公的な株式市場の回路とは別に不買運動等を通して企業経営にプレッシャーを加えるTGGP等のやり方は会社経営の本質的弱点をついた運動形態。而して、それはある経営領域(例えば、汚染された支那製商品のボイコット等)では有効かつ有意義なマヌーバーだと思います。しかし、こと争点が、捕鯨の是非のような異文化間の世界観・価値観の齟齬にかかわる領域ではその効果はそう大きくはないと私は考えます。

蓋し、著者の「商業捕鯨の再開は不可能」という立論は著者の願望に起因する特殊な条件を密輸した空想にすぎない。尚、この点に関して、著者は、「だぶついた、“調査捕鯨”の“副産物”を学校や自衛隊の給食にまわそうとする」(p.172)と揶揄しておられますが、ここ数年の「調査捕鯨」の水揚げ増により学校給食に鯨が増えている等、商業捕鯨再開の見通しは明るい。私はそう考えます。

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◆結語
商業捕鯨再開は不可能であるする著者は、南氷洋での「調査捕鯨」の断念、および、IWCで先住民族に認められている「原住民生存捕鯨」とパラレルな沿岸捕鯨を再開する捕鯨問題解決の代案を本書で提案される。「的外れな南極海の“調査捕鯨”をやめ、IWCの「原住民生存捕鯨」と整合性のある形で、つまり捕鯨の伝統が根づいた地域のみ限定して、流通も一定の枠をはめた形で国内の沿岸捕鯨を認めさせる方向に、あらためて議論を向けることをすすめる。これなら長年、捕鯨に反対してきた国々やNGOをはじめ、反捕鯨の国際世論も説得できそうだ」(p.205)、と。

しかし、前節で述べた通り商業捕鯨再開不可能との認識は唯一絶対のものではない。そして、「原住民生存捕鯨」にパラレルな沿岸捕鯨だけでは日本人の多くが鯨を食べる習慣を再生産し、日本が捕鯨の伝統と文化を保つことは難しい。このことを鑑みれば、著者の主張は、「捕鯨文化の自然死」を狙う狡猾かつ姑息な提案であり、捕鯨文化の保守を目指す者にとってはとって到底容認できるものではない。

著者は、捕鯨が孕む食糧安保・国家主権・日本の文化の確保の意義を看過された上で、「欧米諸国はさっさと身を引いて、自分たちもこのあいだまで手を血に染めていたクジラ殺しを激しく非難し、日本を悪の権化に祭り上げたすえ、かろうじて乱獲をまぬがれた鯨種を慎ましく捕って商業捕鯨を存続させたいという希望さえ、捕鯨モラトリアムやサンクチャリーで打ち砕いた。この恨みは深い。(中略)心情的には、ほとんど真珠湾前夜なのだ」(p.109)と、あたかも『渡る世間は鬼ばかり』的な愛憎物語として日本の商業捕鯨再開に対する取り組みを矮小化されている。

そして、「あいかわらず海外の反捕鯨熱は高いし、はるばる南極海へ出かけて日本の捕鯨船団に抗議するキャンペーンも続いている。かたや日本政府は、捕鯨反対の国やNGO(非政府組織)に対する激しい敵意を隠さない。その知られざるヒートアップぶりは、さながら「海の靖国論争」である。日本が世界を相手に、これほど強気に出るのは珍しい。傷ついたプライドの手ごろなはけ口を、靖国の場合は韓国や中国に、捕鯨の場合はグリーンピースをはじめとする反捕鯨国際世論に見つけたかのようだ」(p.5)という傍観者的な立ち位置から書かれたとしか思えない記述を読むとき、私はこのの著者は一体どこの国の人だろうかという素朴な疑問を抱いてしまう。

支那や韓国からの言い掛かりに端を発したことが自明な陸の「靖国問題」を「傷ついたプライドの手ごろなはけ口を、靖国の場合は韓国や中国に見つけた」と断言する著者の政治的な姿勢は捕鯨問題とは無関係とするとして、また、捕鯨が日本の伝統文化であるかどうかの認識の差は置いておくとしても、捕鯨問題が間違いなく食糧安保と国家主権の問題にダイレクトに連なっていることは捕鯨賛成派も反対派も否定できないだろうからです。

畢竟、捕鯨が文化と主権の問題でもある限り、その立場が捕鯨に反対でも賛成でも日本人としての当事者意識を欠く捕鯨論は捕鯨を巡る問題の解決において日本社会にそう大きな影響を及ぼすことはないだろう。よって、本書を読み終えた今、読まなくともよい本を読んでしまったのかなと、些か後悔しています。これが偽らざる読後感。ただ、反捕鯨論の<次世代のロジック>を知る上では本書は便利な一冊であり、その意味では一読をお薦めします。







(2007年12月16日-18日:yahoo版にアップロードした記事を加筆修正)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

racists
【Kevin Rudd, prime minister:Julia Gillard, deputy prime minister】


オーストラリア政府が、日本の「調査捕鯨」を"監視"する目的で軍の派遣を検討するそうです。もちろん、(国際法を遵守する限りは)軍の派遣自体は各主権国家の裁量事項の中核中の中核のことですし、「おやりになれば」ですが、その目的が「将来の国際裁判所での法的措置をとるための証拠収集」と聞いて、一応、法律の専門家として、思わず「馬鹿か!」と呟いてしまいました。おいおい、一応、オリンピックも何度か開催しているくらいの先進国の政府なんだから、政策を発表する前には国際法くらいちゃんと調べろよ、と。まずは、報道の引用。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000003-jct-soci

●豪州新政府が軍派遣検討? 日本調査捕鯨船、本当の危機

 日本の調査捕鯨に強硬に異議を唱えていた労働党が豪州で政権を取ったが、この新政府の閣議で「日本の調査捕鯨を監視させる軍を出動させることが議題に上る」と豪政府の環境相が述べたと豪大手紙が報じた。こうした「反捕鯨熱」が冷めやらない労働党の姿勢について、日本政府側からは「普通の法治国家としていかがなものか」といった疑問の声が上がっている。

■閣議に上げられる議題の最初の1つになる

 日本の捕鯨調査船・日新丸が07年11月18日に出港し、南極海での調査捕鯨を開始する時期が近づくにつれ、反捕鯨団体の活動も盛んになってきている一方、豪州政府が「反捕鯨」のために軍隊を出動させることを検討する事態にまで発展しているのだ。

 2007年12月2日の豪大手紙シドニー・モーニング・ヘラルド(The Sydney Morning Herald)は、日本の調査捕鯨に軍隊を派遣させる可能性について、「閣議に上げられる議題の最初の1つになる。海軍を使用するのは、日本のクジラ捕殺を止めるために圧力を高めるのが目的だ」と、ギャレット環境相のスポークスマンが述べたと報じた。

 同紙によれば、労働党は法的手続きを経てから、反捕鯨国によって国際捕鯨委員会(IWC)で可決された「南大洋クジラ類サンクチュアリー(保護区)」での日本の捕鯨団に反対するための証拠収集のために海軍か長距離航空機を送り込むと選挙期間中に公約しており、ギャレット環境相スポークスマンの発言もこれを念頭に置いたもののようだ。

 実際、豪州労働党のホームページでは、ギャレット環境相は2007年5月の時点で、「オーストラリアの水域に日本の捕鯨船が入った場合、軍を出動させるか」との質問に対し、

  「私たち労働党が言っていることは私たちが、南大洋クジラ類サンクチュアリー(保護区)を監視する役割はますます増しており、常に監視する役割を持つ必要があるということだ」

と「軍の出動」を示唆する発言をしている。ちなみに、ギャレット環境相はロックバンド「ミッドナイト・オイル」のボーカルを担当していた人物で、反核や反米軍基地を主張していたことで知られる。日本の調査捕鯨については、「あらゆる法的手段を取って阻止する」などと発言していた。(J-CASTニュース:12月4日19時34分配信。以上、引用終了)



日本がIWCのどの決議に「留保」をつけてきたとか、日本がじゃ、オーストラリアが国際司法裁判所に(どの国際的な裁定機関にオーストラリアが提訴するつもりかは今ひとつ不明ですが、とりあえず、国際司法裁判所に提訴するとして、そこに)提訴した後にIWCを脱退したらどうなるの等々、国際法の難しい話は割愛したとして、「鯨の聖域」を定めたそのIWCそのものが1986年に定めた捕鯨停止(モラトリアム)規定を根拠に日本は「調査捕鯨」を行っているのです。そして、法律を学び始めた法学部生や法科大学院生の諸君でも最初に習うであろう法解釈のイロハ、すなわち、一般法-特別法、上位法-下位法、定義規定(組織規定)-行為規定(裁判規定)のどれからも、「南大洋クジラ類サンクチュアリー(保護区)」を定めたIWCの規定はモラトリアム規定8条を破ることはできない。

オーストラリア政府が将来やると言っている「国際裁判所での法的措置」とは、つまり、野球のルールに喩えれば、インフィールドフライが適用されるグランドの範囲の定義を根拠に、バスターバントを仕掛けてくる相手チームを訴えるようなものであり、あるいは、サッカーに喩えれば、ゴールエリアとペナルティーエリアでの反則に対する罰則のルール変更を根拠に、ショートコーナーからのクロス戦術を審判に訴えるぞ、そのための証拠の映像を集めるぞ、と言っているのとあまり変わらないと思います。ようは、「おやりになれば」です。

オーストラリア政府がやろうとしていることは、法的には「おやりになれば」の戯言にすぎない。法的には「おやりになれば」の戯言にすぎないけれども、しかし、政治的-道徳的には、それは同盟国である日本に喧嘩を売ったに等しい。もちろん、オーストラリア政府が喧嘩を売ったようなものというのは事実だろうけれど、日本も多くの反捕鯨国から見れば長年に渡って喧嘩を売り続けているのではないか、と。このような反論が、明日の(あっ、もう今日か?)朝日新聞の社説やテロリスト集団グリーンピースのプレスリリースに書かれるかもしれない。

オーストラリアも日本に喧嘩を売ったが、日本も反捕鯨国に対して喧嘩を売り続けてきた。確かに、それは事実でしょう。けれども、決定的に違うのは、日本は国際法を遵守し続けてきたこと、否、「韓信の股くぐり」的の我慢を重ねてきたのに対して、反捕鯨国の主張は国際法の一片だに考慮していない暴論であるということです。

私のような者が言うまでもないでしょうが、国際化の時代とは文化摩擦の時代でもある。すなわち、それは率直に言えば、文化的背景に根ざす相手の「不愉快な行動や慣習」をお互いがお互いに我慢する、あんまり愉快ではない時代でもあるということです。而して、その不愉快さを我慢する基準(どこまで我慢すればよいのか/どこまでは我慢せねばならないのか)を定めるものこそ国際法であり、確立した国際関係の慣習に他ならない。

畢竟、法的に正しいだけではなく、日本と日本人は国際法遵守のその一点において反捕鯨国に優越する道徳的な正当性をも持っている。支那の人が猫を食おうが、嬰児の死骸のスープに舌鼓を打とうが、韓国の人が犬のステーキーをツマミにチューハイで喉を潤そうが、日本と日本人は(不愉快を感じつつも)何も言わない。それが、国際化の時代の外国に対する節度ある対応というものではないか。私はそう考えます。

しかし、私は一国の政府がこのような法解釈と国際法のイロハを知らないわけはないとも思うのです。また、1950年―1960年代のレヴィストロースを嚆矢とする文化人類がもたらした知見、すなわち、「文化には差はあっても優劣はない」というシンプルな知見を、一国の政府の政権与党有力者の中に知っている方が皆無とも思われない。而して、ここまで考えた時、私にはオーストラリア政府が「日本調査捕鯨船の監視のために軍を派遣」を検討すると発表したことは、彼等をして国際法や文化人類学のベーシックな知見を忘れさせる(見れども見えなくする)something が介在していることの結果であるとしか考えられないのです。

蓋し、「文化には差はあっても優劣はない」。これがわからん者を世間と世界では「文化帝国主義」、もっと、露骨にわかりやすく言えば「人種差別主義者」というのでしょうが、オーストラリア政府をして国際法と文化人類学の基本中の基本たる知見を忘れさせたものこそ、最早、「人種差別」とさえ呼ぶのが相応しいレヴェルの「文化帝国主義」ではないのか、と。

而して、オーストラリアではこの11月の総選挙で労働党は11年ぶりに政権についたのですが、保守党の親米日路線に対する労働党の親アジア(=親支那)路線とは裏腹に、1970年代半ば以降オーストラリアが進めてきた「多文化国家オーストラリア」(Multi-Culturalism)路線への反発が、換言すれば、今回の選挙で労働党を支持した有権者というかオーストラリアの主流派たる白人の中に燻っているアジアからの移民労働者に対する排外主義的反発が、日本の「調査捕鯨」を契機に噴出したのではないかとさえ、疑いたくなります。もし、この想定が満更荒唐無稽ではないとするならば、オーストラリア政府が捕鯨阻止に軍を派遣することは、すなわち、最早、文化帝国主義などではなく<人種差別>である。私はそう考えています。


(2007年12月15日:yahoo版にアップロード)


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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

terroristgp669




【テロリスト集団グリーンピースの姑息】
グリーンピースのテロ行為です。この画像を公開されてもなを、グリーンピースは「当たってきたのは日本船の方だ」という見解を改めていません。確かに、周りは海であり空であり、両ベクトル(衝突した当該両船舶の軌跡)は簡単には確定できませんが、素人が見ても、「誰が、相手船舶の穂先に横っ腹をほぼ垂直に当てるか」というものであり、両船の潜伏に当たる波の波形分析からもグリーンピース側の船舶から当たってきたことはほぼ確実なのです。

そんなことよりなにより、世界の船乗り仲間の世界は狭いですから、船乗りの<ユニオン>と<コミュニティー>でこの衝突を、クレージーなテロリスト集団グリーンピースの行いということは衆知のことです。問題は、しかし、国内法的にも国際法的にも正当な操業を行っている船舶と、その操業を妨害することが目的の船舶とで「どちらが悪い」という議論自体が滑稽であるということでしょうか。いずれにせよ、海上保安庁&海上自衛隊による捕鯨船の護衛が望まれるのだと私は思います。



Dangerous activities by Greenpeace



Dangerous activities by Greenpeace (from another angle)




【日本鯨類研究所によるテロリストへの反撃紹介】

日本鯨類研究所(http://www.whaling.jp/)の署名活動に協力しましょう。

http://www.icrwhale.org/syomei.htm

*****


日本の鯨類捕獲調査を妨害する
グリーンピース及びシーシェパードに対する
抗議書-署名のお願い

 グリーンピース及びシーシェパードは、互いに連携して、我が国が国際捕鯨取締条約に基づき実施している鯨類捕獲調査に対し、執拗な妨害活動を繰り返しています。
 このような行為は、決して平和的行動などではなく、断じて許すことの出来ない危険なテロ行為です。
 我々は両団体に対し、今後一切このようなテロ活動をしないように強く抗議しています。この抗議に賛同する方は、以下のリンクにて抗議書にご署名をお願いします。


抗議署名用紙(pdf文書)
 http://icrwhale.org/pdf/syomei.pdf

抗議署名用紙(word文書)
 【KABU駐:http://www.icrwhale.org/syomei.htm からダウンロードしてください】

該当項目に入力して、電子ファイル(webmaster@icrwhale.org)、またはファックス(fax:03-3536-6522)でお送りいただけます。

書式などの改変はおこなわないでください。  
 




(2007年12月14日:yahoo版にアップロード)

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ジャンル : 政治・経済

terrosristss



【テロリスト・シーシェパードの暴挙】
テロリスト集団グリーンピースの別働隊(と世界と世間では認知されている)シーシェパードの行い。腹が立つというより、彼等の<文化帝国主義>的な感性に呆れる。しかし、降りかかった火の粉は振り払わなければならないでしょう。今後、「シーマーシャル」(海上警護員)の搭乗などで、国内法・国際法双方で認められた正当防衛の実効性を高めると同時に、あらゆる条約・国内法的な手段を使い彼等、カルト的テロリスト集団にして環境利権団体の解体を進めるべきだと思います。



Dangerous activities by SeaShepherd�



Dangerous activities by SeaShepherd�





【日本鯨類研究所によるテロリストへの反撃紹介】

日本鯨類研究所(http://www.whaling.jp/)の署名活動に協力しましょう。

http://www.icrwhale.org/syomei.htm

*****


日本の鯨類捕獲調査を妨害する
グリーンピース及びシーシェパードに対する
抗議書-署名のお願い

 グリーンピース及びシーシェパードは、互いに連携して、我が国が国際捕鯨取締条約に基づき実施している鯨類捕獲調査に対し、執拗な妨害活動を繰り返しています。
 このような行為は、決して平和的行動などではなく、断じて許すことの出来ない危険なテロ行為です。
 我々は両団体に対し、今後一切このようなテロ活動をしないように強く抗議しています。この抗議に賛同する方は、以下のリンクにて抗議書にご署名をお願いします。


抗議署名用紙(pdf文書)
 http://icrwhale.org/pdf/syomei.pdf

抗議署名用紙(word文書)
 【KABU駐:http://www.icrwhale.org/syomei.htm からダウンロードしてください】

該当項目に入力して、電子ファイル(webmaster@icrwhale.org)、またはファックス(fax:03-3536-6522)でお送りいただけます。

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

TGGP2
【Terrorists:Greenpeace】


環境利権団体であるグリーンピース(以下、Terrorist Group Greenpeace「TGGP」と記します)は、自らを「テロリスト」ではないと主張しています。例えば、「グリーンピースをテロリスト扱いする農林水産大臣に訂正を求めて」というそのブログ記事の中で彼等はこう述べている。

昨年から、水産庁の職員が捕鯨問題を語るときにグリーンピースをテロリスト扱いする発言が目立ち始めました。

もちろん、私たちグリーンピースはテロリストではありません。
テロリストであれば、そもそもこのブログもないでしょう…。

グリーンピースは、国連にも認められ、世界中に約300万人の
会員を持つ国際NGOです。(以上、引用終了)


出典:http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/sato/111


笑っちゃいました。オーム真理教や左翼の所謂「過激派」だってサイトを持っているし、今時、ブログを開設している任侠系や神農系の団体など幾らでもあるから。

しかし、それにしても常設の国際会議場組織である国連というか、その傘下の国連環境計画(UNEP)や国際海事機関(IMO)、世界保健機関(WHO)や国連食糧農業機関(FAO)等の国連専門機関、所謂「国連ファミリー」に国連NGOとして「協議的地位」(Consultative Status)を認められていることとその団体が実際に「テロ活動」していないこととの間に何か関連があるのでしょうか。

実際、例えば、2003年にはその違法な示威行為ゆえにTGGP自体、国際海事機関(IMO :International Maritime Organization)から協議的地位を剥奪される騒ぎを起こしている。また、国連機関ではないですが、1986年にアイスランドの捕鯨船を撃沈したことでオブザーバー資格を剥奪されるまでTGGPの別働隊(と世界中で見られている)シーシェパードは国際捕鯨委員会 (IWC) に認定されていました。

アルカイダやタリバン、かつてのアイルランド共和軍(IRA)だって全世界に100万から数百万人規模の「テロ支援者」は抱えているでしょうが、同胞人口380万人を擁する紛うかたなきテロリスト集団・パレスチナ解放機構は国連の専門機関どころか国連自体から認定されていました。ならば、この「グリーンピースはテロリストではありません」というTGGPの抗弁は端から意味のないこけ威しか涙ぐましいいい訳にすぎない。畢竟、アイリーン・美緒子・スミス氏のような、傷害と恐喝未遂で逮捕されるような方が代表を務めている団体の一方的な抗弁を証拠も根拠もなく信じろという方が世間を舐めているというものです。

ところが、その根拠というか証拠をTGGP自体が提出した。それが上のこけ威しに続く「人権侵害救済申立書」(2007年11月16日付)です。そこでTGGPは自身がテロリストであることを自分で証明している。それ、正に自殺点ものの見事な申立書です。以下、この申立書の要点を紹介します。


◆テロリスト集団グリーンピースによる人権侵害救済申立書
農林水産省水産庁の遠洋課捕鯨班課長補佐・諸貫秀樹氏が、2007年の2月から5月にかけて、オーストラリアのラジオ、スイスのTV、そして、グリーンピースの保有船が横浜港に入港を拒否された件についてフリーランスジャーナリストの「過剰反応ではないか」との質問に答えて、「グリーンピースはテロリストグループだ」「それはイギリス人による二重基準だ。アルカイダならかまわないのか」と述べた記事が「NEWSWEEK日本版」等に掲載され、これらのメディアを通じてその発言内容が広く世界中に知れ渡ったとして、公然と事実を摘示してTGGPの名誉を毀損したこと認め、謝罪と訂正を行うよう勧告することを求めたのがこの申立書です。

まずは、この申立書の目次を紹介しておきましょう。全43枚のPDFファイルであり、多少、自己宣伝の趣もなきにしもあらずですが、「日本人と捕鯨の現状と将来」に関心のある向きには読みものとしても楽しめる申立書だと思います。下記のURLから原文にアクセスできます。

人権侵害救済申立書の目次
申立の趣旨
申立の理由
第1 グリーンピース及び本件の概要について
第2 南極海「調査捕鯨」の問題点
第3 非暴力直接行動の規範について
第4 グリーンピースの諸活動
第5 グリーンピース・ジャパンの諸活動
第6 特に逮捕者等強制捜査を受けた事件について
第7 グリーンピースと「調査捕鯨」船との衝突事件について
第8 名誉毀損行為
第9 グリーンピースはテロリストではない。
第10 申立人がテロリストと規定されることによる著しい不利益


原典:http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/documents/legal
証拠説明書:http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/documents/evidences


◆「グリーンピース=テロリスト集団」の自己証明
TGGPはこの申立書「第1 グリーンピース及び本件の概要について」でこう述べています。

グリーンピースは、非暴力直接行動を旨としており、暴力を用いた活動を行ったことは、過去一度もない。グリーンピースの直接行動は、暴力とは明確な一線を画し、他者の理性を信頼し、その上で話し合いの機会を確保するために行われるものであって、話し合いを許否し、暴力をもって解決を図ろうとするテロリズムとは、根本的な違いがある。(中略)グリーンピースのこれまでの活動実績をみても、おおよそ「テロリスト」とのレッテル貼りは当たらない。


実は、申立書「第9 グリーンピースはテロリストではない」でTGGPも触れていることなのですが、テロの定義は法律的にそう明確ではありません。また、当該の諸貫秀樹氏の発言も「テロ/テロリスト」を法律用語として使用したものとは思えない。ならば、「日本政府が独自の見解にもとづいて公海で実施する鯨類の捕殺への非暴力的な抗議活動に「妨害」や「テロ」というレッテルを貼っても、その非難に法的根拠はない」(第2 南極海「調査捕鯨」の問題点)というTGGPの主張は言葉の正確な意味での「独り相撲」というものでしょう。

法律を少しでも齧ったことのある読者ならお分かりだと思いますが、「人」「財物」「猥褻物」「伝聞証拠」「瑕疵」「債務」「憲法」等々、どの法律用語もそう明確ではない。蓋し、法律用語や法の条規の意味内容は、裁判所と行政庁による有権解釈の長年に渡る蓄積、あるいは、研究者を含む法律専門家のバーチャルな共同体の中で漸次かつ暫時収束するものなのですが、それさえも、国民の法意識や法的確信の推移変化によっては180度変わる可能性もある柔構造のものです(★)。

★補注:法律用語の定義の原理的不可能性
現代の哲学の主流たる(というか、21世紀に現存する唯一の現役の哲学である)分析哲学の諭す所によれば、究極の所、法律用語を含むすべての言葉は「無定義概念」(他の言葉で一義的に定義することが不可能な用語)なのです。ですから、概念が編み上げた法的な要件(刑事法であれば構成要件)を紛争事実にあてはめ、しかる後に、その法的要件の種類や法的要件を満たした程度に従い同じく法が定める法的な効果のメニュー(刑事法であれば刑罰や保安処分)の中から解釈者が裁定内容を導き出すという、所謂「法的三段論法モデル」での法解釈の理解は、その基盤となる法的な諸概念の不確定性によって技術的にではなく原理的に成立しないのです。

敷衍すれば、法律用語にはアプリオリに唯一の意味が定まっているわけではない。よって、法的思考は現実の目も眩まんばかりの多様で曖昧な事実を与件として、遂行論的かつ弁証論的に、当該の紛争解決をするのに必要かつ可能な中で最善の意味を構築し続けなければならいない。

ただ、支那の人治や韓国の朝令暮改と異なるのは、法治の伝統に価値が認められている社会では、一度なされた法解釈や法律用語の意味は法的思考を行う者の共有財産として漸次蓄積される、逆に言えば先人の思索の結果は後人を拘束するということです。畢竟、法的思考は、論理だけではなく過去の考察と判断の蓄積、および、他の類例との均衡を配慮した次善三善を求める作業であり、かつ、それは「自己の語る正しさ」について分を弁えた大人の作業でもある。


TGGP1
【Which is illegal;Greenpeace or Japan?】


このような緩やかな「テロ」の語義を踏まえながらTGGPの申立書を読むとき、それでも、TGGPは(少なくとも日本法においては)自己を「テロリスト集団」と告白しているとしか私には思えない。上で述べたように、完全な用語の定義は不可能としてもそれでは話が進まないので、ここでは便宜的に、「テロ」を「当該の社会の人々に恐怖を与え、自己の政治的や道徳的な主義主張に反対する意思表示や行動を控えさせる目的をもってされる違法行為」としておきます。

これは申立書「第9 グリーンピースはテロリストではない」でTGGPが挙げている「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律」1条の定義、すなわち、「公衆又は国若しくは地方公共団体若しくは外国政府等(外国の政府若しくは地方公共団体又は条約その他の国際約束により設立された国際機関をいう。)を脅迫する目的をもって行われる犯罪行為・・・」と、犯罪の客体の規定が簡略なだけで大体同じ内容だと思います。さて、これで準備は整いました。いよいよ見事なTGGPによるオウン・ゴールを紹介しましょう。


【TGGP自体が申立書に記載した過去の違法行為】
水産庁側がもっとも悪質な例に挙げる、ニューカレドニアに入港中、捕鯨母船のスクリューに鎖を巻きつけたうえエンジン始動への警告文を提示した件(1998年)でも、停止中の母船のスクリューを容易に回復可能な形で固定し、その事実を相手に伝えてエンジンの始動、すなわち出航を遅らせる行為は、相手側が理性的な行動をとる(鎖がからまったままスクリューを回さない)ことを前提に、母船が再度捕鯨海域へ向かうことに抗議する点で、非暴力直接行動の原則を踏み出してはいない。【第3 非暴力直接行動の規範について
:威力業務妨害】

東京おもちゃショー 住居侵入(1999年)
グリーンピースは99年3月18日「'99 東京おもちゃショー」が行われている東京ビッグサイトで、「大好き♪ おもちゃ やめよう! 塩ビ」という20m四方の大横断幕を広げ、おもちゃショーに参加している約150社の玩具メーカーに対し脱塩ビを訴えた。【第6 特に逮捕者等強制捜査を受けた事件について:建造物侵入・業務妨害罪】


尚、この事件に関しては、TGGPと同様、カルト的国際人権利権団体であるアムネスティ・インターナショナルが、「グリーンピースの3名の活動家が、警察拘留場に拘禁され続けている。日本において人権活動家を閉じ込め黙らせるために拘禁手続きが悪用されている恐れがあると考える」と声明を発表したことを見ても、TGGPの行為がいかに反社会的なものか想像できると思います。


ダイオキシン豊島区の焼却場 住居侵入(2000年)
グリーンピースは、日本の「焼却礼賛主義」を批判する横断幕を、首都東京の最も高い煙突を持つ焼却炉に拡げた。しかしながら、この実行行為も、横断幕を広げただけのことである。建物内部には侵入していない。【第6 特に逮捕者等強制捜査を受けた事件について:建造物侵入・業務妨害】

グリーンピースの4人が、横浜港で米軍のPCB廃棄物を載せたコンテナ輸送船Wanhe号に乗り込み、体をコンテナに縛り付けて荷揚げを阻止した。【第6 特に逮捕者等強制捜査を受けた事件について:建造物侵入・業務妨害】



これらは上に挙げた「当該の社会の人々に恐怖を与え、自己の政治的や倫理的な主義主張に反対する意思表示や行動を控えさせる目的をもってされる違法行為」という私の定義から見て、間違いなくテロ行為と言えると思います。これらをテロでないとされる論者がおられるのならば、その方は私の定義とは別の定義を提示して、かつ、ご自分の定義が私のそれよりも妥当であることを論証するべきでしょう。而して、私の観点からは、これらの違法行為を繰り返しその予告を行うTGGPは、そのテロ行為により社会のメンバーの恐怖心を抱かせ、正当な法と民主主義の手続きを踏むことなく、日本社会では極めて特殊な捕鯨反対という自己の主張を実現しようとしているテロリスト集団に他ならないのです。

実際、申立書「第6 特に逮捕者等強制捜査を受けた事件について」に書かれている、「グリーンピースの活動は、一貫して、非暴力直接行動の規範に基づいている。非暴力直接行動は、違法行為は絶対に行わないというものではない。生命と身体への危害を加えない建造物侵入や器物損壊などの違法行為については、時と場合によって積極的意図的ないし消極的結果的に冒すことを認める立場もある」というのは犯罪実行宣言にしてテロ宣言以外の何ものでもないのではないでしょうか。

確かに、TGGPは「生命と身体への危害」は加えてはいないのかもしれません。しかし、任侠系・神農系の団体でも(その後の実行者や身代わり出頭者の長期懲役とその間のご家族の扶養等で)高コストになる「生命と身体への危害」などは脅迫の手段としてはむしろ稀であり、住居侵入・建造物侵入、あるいは、威力業務妨害、器物損壊がその脅迫行為の大部分なのです。

例えば、花代(ショバ代)の支払いを忘れているシマ内の飲食店に入って普通に飲み物を注文し、「今日は暑いなー、かなわんわ」と微笑みながらシャツを脱ぎ背中の綺麗な弁天様の図柄を他のお客様にも堪能していただくなど、TPOによっては威力業務妨害罪の成立さえ微妙な迷惑行為等防止条例違反・軽犯罪法違反が脅迫事案の過半といっていいのです。蓋し、TGGPの論法に従うならば、菱(山口組)も住吉も稲川も大枠において「非暴力直接行動」の団体と言わなければならなくなるでしょう。畢竟、「生命と身体への危害」を加えたかどうかをメルクマールにテロ行為とそれ以外の行為を区別する必然性は乏しいということです。


では、日本人と日本政府は捕鯨を巡るTGGPのテロ行為にどう対処すればよいのでしょうか。最後にこの点を考えたいと思いますが、その考察のヒントはTGGPの次の主張です。

「南極海に生息するクジラは、だれの独占的な所有物(財産)でもない。つまり、遊泳するクジラに対して捕獲したい日本政府と保護したいグリーンピースとは対等であって、クジラと砲手のあいだにゴムボートを乗り入れる後者の行動を前者が「妨害」と決めつける権利はない」(「第2 南極海「調査捕鯨」の問題点」)、と。

確かに、「南極海に生息するクジラは、だれの独占的な所有物(財産)でもない」し、TGGPが鯨を取らせまいとクジラと砲手のあいだにゴムボートを乗り入れる行為は残念ながら違法とはいえない。けれども、砲手が放った銛が標的の鯨を貫いた後は、その鯨は捕鯨船の、すなわち、日本の所有物(財産)である。而して、その所有物を引き上げることを妨害する行為は日本船舶への海賊行為であり、それに対しては、国内法・国際法的な制裁をTGGPは受けなければならない。

また、捕鯨船が当該の鯨を狙っているのを承知で鯨に近づく行為は、言葉の正確な意味での「自殺行為」であり、その自己行為によりいかなる事態が惹起しようともその責任はTGGP側が負うべきことは言うまでもありません。そして、日本と捕鯨船を運用する共同船舶は業務の遅滞と備品の損傷について、また、当該の砲手は「自身が放った銛でテロリストとはいえTGGPのメンバーが死傷すること」による精神的ダメージに対して損害賠償を提起できる、と。このような基本線に沿って日本側はテロリスト集団グリーンピースに対応していけばよいのではないか。そう私は考えます。


(2007年12月13日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

whale99



◆捕鯨反対論は優しい顔をした傲慢な文化帝国主義
動物愛護の立場から捕鯨反対「鯨もイルカも食べないで!!日本人の古い主張(=主権国家をある意味絶対視する主張)はもう肯定できません」というブログ記事を読みました。

主権国家の独立性が変容しつつあるのは事実。しかし、他国民の食文化に容喙しようとすることは文化帝国主義であり、それは、日本がその変更に身を挺して戦い、その敗戦と引き換えに幕を引いた西欧中心主義を蘇らせようとする主張ではないでしょうか。而して、食料資源である鯨の持続可能な利用を目的とするIWCの規約からも国際法一般の解釈指標からも、そうような「文化帝国主義」は容認されないことは明らかだと私は思います。

ことほど左様に、私も「鯨を食べて欲しくない」という日本人が稀にいることは知っていますし、それは個人の自由だと思います。けれども、他人に「食べるな」という権利は誰にもない。まして、他国から容喙される筋合いは国際法上も全くないのです。

また、欧米やカルト的な捕鯨反対論は(「われわれは鯨を食べること自体に反対はしていない」としながら、他方、どう合理的に考えても誰も捕鯨などできるはずもないハードルを掲げる笑っちゃうくらい姑息なグリンピースも含め、「鯨を食料資源として認識する」こと自体に反対しており)一切の捕鯨を禁止しようとする。それに対して、捕鯨推進派は、それこそ年間ミンククジラ1頭から76万頭(←見直し中とはいえIWCが公表しているミンククジラの現存総個体数)まで無限に段階差のある選択肢の中で合理的な対策を出そうとしているのです。

このことを見ただけでも、反対派が「文化帝国主義」であり「捕鯨反対原理主義」であることは明らかだと思います。而して、文化帝国主義を振りかざす原理主義との間での理性的討議などは(政治的にはともかく)論理的には無駄な作業だと言える。

また、ある捕鯨反対派は、日本は「世界の声を無視して捕獲している」と述べ、他方、グリンピースは捕鯨反対-日本批判の理由として「(鯨の聖域)南極水域で捕鯨しているのは日本だけです」ということを挙げている。馬鹿かです。それなら、歌舞伎があるのは日本だけだから、日本は歌舞伎をやめなあかんのか(笑)

畢竟、「世界の声」なるものがどうあれ、他国がどうあれ、ある国民が「何をその毎日の食卓に乗せるか」は他から指図される事柄ではない。而して、日本はきちんと国際捕鯨取締条約(ICRW)第8条に則って調査捕鯨も、IWC管轄外のイルカ・ツチクジラ等の沿岸捕鯨も行っているのです。

蓋し、動物愛護からの反捕鯨の主張は、その優しい言葉遣いとは裏腹に(捕鯨賛成派をも拘束するような)何の根拠もなく「他国民の文化」「他者の嗜好・習慣」を批判するものであり、それは、「文化帝国主義」に他ならない。これが私の指摘のαでありωです。


whaletero
【Terrorist:Greenpeace】


◆日本の「調査捕鯨」は偽装された商業捕鯨か?
例えば、ある意味、文化帝国主義-ヨーロッパ中心主義の総本山であるEUでは、EU委員会が11月20日付けのニュースリリースで、日本の調査捕鯨に関して懸念を表明しました。EUの旦那方曰く、

欧州委員会は、2008年4月中旬まで南太平洋で行う捕鯨活動を通じて、ミンククジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラ合わせて最大1,000頭を捕獲するという日本の計画に深い懸念を抱いている。欧州委員会は、死に至るような手段を用いずとも、クジラに関する科学的情報は得られること、またクジラを殺さずとも、その管理に必要なデータは十分確保できることを強調したい。

日本の調査捕鯨は、クジラの保全・保護に向けた国際的な取り組みを害するものであり、国際捕鯨委員会(International Whaling Commission = IWC)は、これらを根拠として日本に致死的な調査捕鯨の停止を求める決議を何度も採択している。

ナガスクジラとザトウクジラがそれぞれ、国際自然保護連合(World Conservation Union = IUCN)のレッドリスト上で「絶滅危惧種(endangered)」および「危急種(vulnerable)」に分類されているだけに、日本の決断は特に憂慮すべきである。ゆえに、日本の捕鯨計画が南洋におけるこれらの種の長期的な生育能力を失わせるという重大なリスクをはらんでいる。

欧州委員会は、日本にこの捕鯨計画を再考し、中止するよう求める。欧州委員会は、いかなる名目で行われるものであっても、捕鯨活動については、国際社会が問題の包括的な解決を見出すことが緊急の課題であると考え、IWC加盟国には捕鯨モラトリアムの文言と精神の完全遵守を促したい。(以上、引用終了)



ほとんど、馬鹿か、ものの声明です。最大のポイントは「欧州委員会は、いかなる名目で行われるものであっても、捕鯨活動については、国際社会が問題の包括的な解決を見出すことが緊急の課題であると考え、IWC加盟国には捕鯨モラトリアムの文言と精神の完全遵守を促したい」でしょう。何度も書きましたが、IWCもモラトリアムも「商業捕鯨の再開」をその精神としても文言としても否定するものではなく、むしろ、持続可能な鯨資源の利用をはかるためのモラトリアムだからです。つまり、欧州委員会は、モラトリアムの精神を「反捕鯨」と理解しているとしか思えないのですが、それこそ、文化帝国主義的の心性であり、流石、ヨーロッパ中心主義の本場は言うことが単刀直入で分かりやすいと言うべきでしょう。

[出典] 尚、駐日欧州委員会代表部の「仮訳」(非公式文書扱い)も出されています。

http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/07/1736&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

http://jpn.cec.eu.int/home/news_jp_newsobj2534.php


whaletero2
【Greenpeace's Terrorists arrested in South Korea】

畢竟、「私は鯨をたべない/私は他人に鯨を食べて欲しくない」と言うのと、「君は鯨を食べるな」と言うことに要する根拠は全く異なる。日本は、その「調査捕鯨」を「商業捕鯨再開」の前段階としてやっているのであって、これはIWCの規約からも国際法一般の理解からも正当なものなのです。本来、IWCは商業捕鯨を持続可能にするための国際機関なのですから。

ある捕鯨反対派の方は「一体何の権利あって日本は鯨を殺しまくるのか?」とブログに書いておられた。それに答えるのは簡単です。それは国際捕鯨取締条約(ICRW)第8条。それは、国際捕鯨委員会の設立規約です、と。

要は、日本においてさえIWCは「捕鯨禁止」と「海賊的と脱法的な捕鯨を監視」するための機関と勘違いしている方が少なくない。これが欧米のブログや記事になればほぼ100%と言ってよいくらいです。だから、「日本の調査捕鯨」は「科学的調査」の名の下に鯨肉を確保しようとする商業捕鯨に他ならないとかいうトンデモナイ謬論が世界でも日本でも語られている。日本は「ずるしてる」、と。「調査、といいつつ、なんかその、調査、という言葉と、実際やっていることが、なんとなくウソっぽく感じる」、と。

再度書きますが、「調査捕鯨」は商業捕鯨の再開のための調査として、IWCのモラトリアム規定に則って行なわれているもので、別に、鯨種の生物学的調査だけを目的にしたものではない。それは、商業捕鯨の再開に向け、個体数の統計的推測や鯨の食生活、個体群の数や規模、個体群を構成する鯨の年齢構成等を調査するためのものであり、「嘘っぽい」ということはない。実際それらを調査しているのですから。普通の商業捕鯨には不必要なほど多くの調査員と設備を抱えているわけですから。

そして、調査後の鯨の肉等を販売することは、IWC商業捕鯨禁止規則(モラトリアム条項)に盛り込まれている正当なもの。むしろ、調査捕鯨の名目で捕鯨の継続を認めなければ、捕鯨国が1986年時点でIWCから集団脱退することを恐れた反捕鯨国側も含めほぼ全会一致でこれは入れられた条項なのです。

要は、調査捕鯨で得られた鯨肉の販売などは「調査捕鯨」制度自体に組込まれている事柄であり、かつ、商業捕鯨再開を期する日本が少なりとはいえモラトリアム期間中も鯨肉を確保して、鯨を食べる文化を維持しようとするのは当然のことなのです。畢竟、捕鯨にともなう調査をきちんと行っている以上、調査捕鯨に「調査」以外の目的や効果が付随するからと言って誰からも批判される筋合いはないということです。

蓋し、「調査捕鯨」を「ずるい」とか「嘘っぽい」と論じる内外の論者の心性には、「鯨は食べるべきではなく、百歩譲って「調査捕鯨」を認めるとしても、「調査捕鯨」には「調査」以外の目的、ましてや、調査捕鯨で得た鯨肉を販売するとか食べるなどが含まれるべきではない」という思い込みが巣食っているのではないでしょうか。しかし、上述の如く、そのような「調査捕鯨」の限定的理解は国際捕鯨取締条約からも正当化されないものであり、かつ、おそらくそれは文化帝国主義的に根ざす心性であろうと私は思います。

而して、ことここに至ったについては、1986年のモラトリアム制定の際に、「1990年までに鯨の数の増減を見てどのような形で商業捕鯨を再開するかを決める」という取決めも同時になされたのですが、1990年どころかその後17年を経た今でも「商業捕鯨のあり方」についての議論はIWCではなされていないことが大きい。

この状況に対して日本は早期にIWCの脱退もしくは別組織の立ち上げを選択すべきだったのにそれをしなかった。反捕鯨国の国際法違反を世界にアピールしてこなかったことが大きいと思います。正に、この鯨を巡る構図は、所謂「従軍慰安婦」なるものや「南京」とその構図は怖いほど同じなのです。

whale999


◆捕鯨反対論の反対の論拠を検討する
捕鯨反対論者も「テロリスト」規定や「文化帝国主義」呼ばわりがかなり堪えていると見えて、ここ数年、特に日本では(笑)次のような主張を行っています。尚、「日本では」と特に書いたのは、同じ団体や個人が欧米のメディアでは、あいかわらず文化帝国主義丸出しの主張や「日本の調査捕鯨は偽装した商業捕鯨だ」という国際法的には荒唐無稽な主張を繰り返しているからです。

1)鯨は鯨種や個体群によってはいまだに絶滅が危惧されている
2)モラトリアム以降、日本では最早鯨食の文化はほとんどなくなっている
3)日本の鯨食文化などは全体としてみれば元々特殊で例外的なものにすぎない
4)鯨は海の食物連鎖の最上位にいるのだから、その個体数の変動は海の生態系に想像もできない影響を与える
5)鯨は海の食物連鎖の最上位にいるのだから、鯨には高濃度の汚染物質が蓄積されている


これらを以下、検討してみましょう。

1)と4)は論理的には正しいと思います。けれど、日本が統計学的にも確固たる数字を出して「鯨資源の回復」を主張しているのに対して、IWC科学委員会等の反捕鯨論者の出す主張は「危惧」にすぎません。そして、「増えている/減っている」というデータと「不明」というデータがある場合には、「増減」の主張が否定されるまでは、その「増減」は「不明」によって否定されることはない。而して、日本がその調査に基づき「鯨資源が回復している」と判断して商業捕鯨を再開することは合理的なのです。まして、日本は総個体数や個体群中の個体数が「増えている」とはいえない鯨の捕鯨までは要求していないのですから。

畢竟、グリンピースの如き、すべての商業捕鯨の再開の禁止、ならびに、すべての個体群が識別されその個体群の個体数がつまびらかになっていない鯨種-個体群の捕鯨はやめるべきだなどは、神ならぬ身の人間に完全を要求するものであり、彼等が動物愛護-環境の保護の観点から勝手に設定したハードルに商業捕鯨を目指す日本が拘束される筋合いは全くない。要は、グリンピースの要求はIWC(=現在でも建前上は、持続可能な商業捕鯨の維持確立のための国際機関)が具現する国際法とは無縁の環境保護論者の願望にすぎず、その願望は(商業捕鯨再開反対-「調査捕鯨」反対の理由は)、商業捕鯨再開と鯨を食料資源と看做す日本人には何の説得力もない戯言にすぎない。

いずれにせよ、もう世界的に知れ渡っていることですが、グリンピース、シーシェパード、アムネスティー等はテロリスト集団です。それはまた利権集団かつカルト集団でもある。前二者が日本の捕鯨船に攻撃をしている事実。また、アムネスティーが立川の自衛隊官舎ビラ配り事件の被告を「良心の囚人」と認定(?)した事実がそれの動かぬ証拠です。而して、前二者の捕鯨船への行動は「海賊行為」以外の何ものでもないのだから、日本側は正当防衛として彼等の妨害用ボートを撃沈すべきなのです。尚、そのような事態が生じたとしてもそれは日本の責任ではないことは事前に世界に向けて宣言しておくべきだと思います。閑話休題。

もし今後、IWCがグリンピースの掲げるような「商業捕鯨を実質的に不可能」にする要件を捕鯨再開の条件とするならば、それはIWCの設立趣意に反することであり、商業捕鯨の再開を期す日本はIWCにとどまる意味は全くなくなるだけのことなのです。ならば、グリンピース等の「鯨資源の増減は不明」という主張を振りかざす捕鯨反対論者は日本の捕鯨船団を批判・追跡妨害する暇があったら調査にこそお金と時間を投入すべきなのだと思います。


2)に関しては、もちろん、鯨をあまり食べたことのない日本人がモラトリアム以降増えていることは事実です。だからこそ、日本はモラトリアムの撤廃もしくはIWCからの脱退を急ぐべきであり、モラトリアムの効果として鯨を食べた経験があまりない日本人の増加を根拠に、モラトリアムの維持や調査捕鯨の廃止を訴えるなど、「鯨を食べるべきではない」という文化帝国主義が馬脚を現わしたとんでもない主張であろうと私は思います。

反捕鯨論の論者の中にはまた、「今は鯨を食った事のない日本人の方が多いのではないでしょか?」と述べる人もいる。これこそ、心理学でいる「記憶の改竄」(文化帝国主義からの記憶の改竄)でしょう。実際、2007年の現在、学校給食に限定しても、モラトリアムが発行した1986ー1987年までに小学生だった世代、要するに、1978-1979年生まれまでは鯨を食べた経験はある。つまり、少なく算定しても日本の人口の70%は「鯨食の経験者」なのですから。


傑作なのは3)です。これは、文化をある主権国家や民族に均一に分布するものと捉える、文化人類学がその全貌を現した1950-1960年以前の文化理解と断言できるから。

畢竟、どんな小さくとも鯨食の文化が日本に存在した/存在しているのは事実であり、また、現在、28歳以上のほとんどすべての日本人にとって「鯨の竜田揚げ」が給食を思い出す際のかなり重要度の高い記憶のアイテム、また、九州・四国・紀伊・東北太平洋側・北海道出身の現在、40歳以上の多くの日本人にとって「雑巾のように大きな鯨のステーキ」は一家団欒の思い出のツールであることも事実なのです。

この事実を看過して、「日本の鯨食文化などは全体としてみれば元々特殊で例外的なものにすぎない」と述べる論者は、ある文化圏がその実多様でまだら模様でしかないこと、つまり、特殊な行動パターンの集積でしかないことを理解していないだけでなく、個々の特殊な行動パターンもそれを含む文化(=日本文化)にとって不可避の要素であることも理解していない。蓋し、動物愛護という優しい仮面を被りながらも彼等の感性こそヨーロッパ中心主義の醜悪な傲慢である。そう言えるのではないでしょうか。


5)は事実認識の問題。確かに、多くのイルカや鯨の部位に厚生労働省が定める基準以上の有害物質が含まれているのならば、問題の鯨種を食べるべきではないと思います。だから、グリンピース等の環境テロリスト団体が鋭意その調査を行うことは褒められこそすれ、批判されるべき行動ではない。

けれども、グリンピース等が盛んに宣伝する水銀の含有量が許容値の数十倍のイルカや鯨の肉が見つかったという事実は、「再現性」に乏しく、極論すれば、汚染をいい募る側がサンプルもしくはデータを改竄したと考えるのが一番自然とまで疑われているものなのです。

実際、南氷洋や西太平洋での捕鯨から毎年1000頭規模で収集される数値からは(もちろん、小売店での抜き打ち検査の調査からも)許容値の10分の一以下の汚染物質しか確認されていない。これを見るに、鯨はむしろ、他の魚(←鯨は哺乳類やちゅーねん!)よりも安全。

畢竟、統計的にも意味不明なデータをセンセーショナルに報じるグリンピースは、水銀検査での工作が事実でも濡れ衣でも、最早、日本社会での信頼を失っているということでしょう。而して、日本側はグリンピースやシーシェパード、アムネスティー等のカルト的テロリスト集団に対しては、刑法・軽犯罪法・公安条例から税法等々あらゆる法規を厳格適用してその組織を壊滅すべきなのだと思います。

whale9999


◆資料:
鯨と捕鯨に関する情報については下記URLをご参照ください。

・日本捕鯨協会
 http://www.whaling.jp/

・鯨ポータルサイト
 http://www.e-kujira.or.jp/link/kujira_link.html

・捕鯨ライブラリー
 http://luna.pos.to/whale/jpn.html

・日本鯨類研究所
 http://www.icrwhale.org/

・グリンピースの主張
 http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/factsheet/index_html

whalestreet


また、私達の捕鯨に関する基本的な考え方については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

鯨と日本の再生
 
海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?
 
菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義は優雅で傲慢な欺瞞である
 
海外報道紹介☆捕鯨反対論は文化帝国主義である
 
海外報道紹介☆文化帝国主義としての捕鯨反対論
 







(2007年12月11日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

whaleposter



商業捕鯨再開の是非を論じた2年前の海外報道を紹介します。” Whale ban 'is cultural imperialism ,” June 20, 2005(捕鯨禁止は文化帝国主義なのか)。2005年5月27日~6月24日に開かれた第57回IWC総会(韓国・蔚山)の総括記事。記者のRichard Lloyd Parry氏は欧米の記者としては捕鯨問題に(これでも)詳しい方で、捕鯨を扱ったThe Timesの報道の多くは彼の署名記事です。

2年半前のこの記事は、鯨を食べるための捕鯨など認められないし、モラトリアム(捕鯨の停止)が逆戻りすることなどあり得ない、後は、ノルウェーの沿岸捕鯨と日本の調査捕鯨を封じ込めれば人類が今後捕鯨などすることはなくなるだろうという、反捕鯨論者の傲慢な楽観主義に捕鯨反対派の立場から冷や水を浴びせた歴史的な記事です。而して、そのキーワードは「文化帝国主義」(cultural imperialism)。

この記事を読めば、ここ数年捕鯨反対国が商業捕鯨再開を真面目に危惧していることが感じられると思います。油断はできませんが、わが水産庁-日本捕鯨協会等の捕鯨再開にかける関係者の努力はここまで彼等を苛立たせるまでになったか、と。1986年のモラトリアム前後からこの問題をウォッチしてきた私達としては感慨深いものがあります。鯨は鯨だけの問題に非ず、鯨は食料安保と日本の主権と文化を確保できるかどうかの戦いなのでしょうから。引用紹介は著作権を考慮して全記事の三分の2に止めました。

尚。捕鯨を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいと思います。そして、安くておいしい鯨のステーキを食べられるようにするべく共に闘わん! 子供達に一刻も早く給食でお腹いっぱい鯨の竜田揚げを食べさせられるようにするべく共に闘わん! 


鯨と日本の再生

海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?

反捕鯨論の文化帝国主義的で傲慢な謬論を逐条撃破する




JAPAN launches into a bitter struggle with the governments of Britain, Australia and New Zealand today in an attempt to double its annual catch of whales. Delegates from around the world gather in the South Korean city of Ulsan for the annual meeting of the International Whaling Commission (IWC), one of the most antagonistic international gatherings in the world.・・・

Already Ben Bradshaw, the Fisheries Minister, has accused the Japanese Government of “sticking two fingers up at world opinion” in its efforts to increase its whaling quota. The Japanese have threatened to walk out of the IWC, describing the anti-whaling nations, which include Italy, Germany, the US, Britain, Australia and New Zealand, as fanatic.

At the centre of the conflict is the future of the moratorium on commercial whaling introduced by the IWC in 1986, after evidence that the world’s largest mammals were being driven to extinction. Every year Japan has sought to overturn the moratorium; every year it has failed to achieve the required three-quarters majority.

But recently the anti-whalers’ lead has been narrowing and this year the Japanese could secure 50 per cent of the vote. This would allow them to introduce procedural changes that could eventually lead to a resumption of commercial whaling.

Japanese fishermen already hunt 440 minke whales every year as part of a “scientific” quota, supposedly necessary to monitor the health of whale populations. Environmentalists claim that this is a crude excuse for keeping commercial whaling alive ― and almost all of the whale meat is sold for food. This week Japan has also tabled a motion calling for an increase in its annual “scientific” intake of minke whales to 935 and the right to hunt fin whales and humpback whales.・・・

To the pro-whaling members of the IWC, which include Norway, China and Russia, the moratorium long ago served its purpose ― to arrest the perilous decline in whale numbers. Many whale species, they argue, have now reached safe levels, although the scientific evidence for this is disputed.Whale meat has been part of the Japanese diet for hundreds of years.

If they are not endangered, it is argued, then foreigners have no more right to object to their consumption than the Japanese would have to demand a ban on pork and beef. Japan’s Fisheries Ministry said “It should be called an act of ‘cultural imperialism’ and should not be tolerated.”



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捕鯨の年間割当量を二倍にする企てを抱えながら、本日、英国・オーストラリア・ニュージーランド政府との厳しい闘争に日本は踏む込むことになる。国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会のために世界中からの代表団が韓国の蔚山市に集まっている。IWCの年次総会と言えば世界中で、その会議参加者が最も敵意をむき出しにする国際会議の一つである。(中略)

既に、【英国の】ベン・ブラッドショー水産大臣は、日本政府が自国の捕鯨割当数量を増やそうとしていることについて、日本は「国際世論に敬意を表していない」として非難した。日本政府はと言えば、反捕鯨国、すなわち、イタリア・ドイツ・アメリカ・英国・オーストラリア、および、ニュージーランドを含む反捕鯨国は正気とは思えないと論評しつつIWC脱退も辞さない構えを崩していない。

紛争の中心はIWCが1986年に施行した商業捕鯨の一時停止を今後どうするかである。その一時停止、モラトリアムはこの世界最大の哺乳類は絶滅の危機にあるという証拠に裏打ちされてその当時施行されたのだけれども、日本は毎年この一時停止措置を覆そうとしてきた。もっとも、毎年、一時停止措置の破棄に必要な四分の3の多数を得ることができず日本の企てはことごとく不首尾に終ってきたのではあるけれども。

しかし、最近は反捕鯨国側の優位は揺らぎつつあり、今年は、日本政府は投票総数の50%を確保できたかもしれない。このことにより日本は、商業捕鯨の再開に結局は道を開くに至りかねない手続き的な修正を実行することができるかもしれないのだ。

今でも日本の漁民はすでに毎年440頭ものミンククジラを、「科学的」【調査の】割当の一部として捕鯨している。この「科学的調査」は鯨の個体群の健康状態を監視するために必要とされているものなのだが、環境保護論者の中には、この調査捕鯨は商業捕鯨を維持継続させるための単なる言い訳にすぎない、調査捕鯨の結果生じるほとんどすべての鯨肉は販売されているのだから、と論難する者もいる。而して、今週、更に日本は「科学的調査」の年間割当数量をミンククジラ935頭に増加することと、ナガスクジラおよびザトウクジラの捕鯨を要求する動議を提出したのである。(中略)

ノルウェー・支那・ロシアを含むIWCの捕鯨賛成国側にとって、商業捕鯨の一時停止措置は危機状況にあった鯨の減少を止めるというその役目をははるか前に終えている。その科学的な証拠に対しては異議が出されているものの、鯨種の中にはすでに【絶滅の恐れから】安全な水準に到達したものも少なくないと捕鯨賛成国側は述べている。而して、鯨の肉は何百年もの間、日本人の日常の食料の一部だったのだ。

鯨が絶滅の危機にあるかどうかは議論の別れるところではあるけれども、もし、それが絶滅の危機にはないというのなら、日本人が豚肉や牛肉を食べるのを禁じることを要求してはならないのと同様、最早、外国人は鯨を消費することに反対する権利を持つことはない。日本の水産庁の幹部は「そのような行為は「文化帝国主義」的な行為と呼ばれるべきであり、そのような行為を我慢することはできない」と語っている。

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(2007年12月11日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

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捕鯨反対論は文化帝国主義からする論者の願望の傲慢な表明にすぎない。この経緯は、1986年に商業捕鯨の停止(モラトリアム)が国際捕鯨委員会(IWC)で決定されてから2年後に上梓された、雁屋哲・花吹アキラ『美味しんぼ』(第13巻)所収の「激闘鯨合戦」に取り上げられています。

今年度の日本の調査捕鯨船団の出航にともない、日本を批判する海外報道は、彼等捕鯨反対派の「文化帝国主義」(Cultural Imperialism)が『美味しんぼ』の当該作品が上梓されてから10年経つ今も何も変わっていないことを示しているようです。ここでとりあげたNew York Timesの記事も残念ながらその例外ではありませんでした。

畢竟、彼等が「反捕鯨論は文化帝国主義にすぎない」という批判を回避したいのなら、そうするしかないだろう「鯨の総数や鯨の個体群毎の個体数から見て商業捕鯨再開はまだまだ時期尚早」という主張と根拠となるデータはこの記事のどこにも見当たらず、ただ、ザトウクジラは the World Conservation Union(統計学-科学的根拠の提示を拒否するので有名な、国際自然保護連合)によれば絶滅危惧種であると書いているだけなのですから。国際自然保護連合やアメリカ政府の絶滅危惧種リストに掲載されていることなど、現実の鯨の個体数やその増減状況に関しては何の意味もないことなのです。

畢竟、このNYTの記事は結局、ザトウクジラがいかに神秘的な生態を持っているかを文字通り謳い上げるものにすぎず、而して、論理的にはなんの脈絡もなく日本の調査捕鯨を批判している。これを「文化帝国主義」的と言わずして他の何をそう言えばよいのでしょうか。私はそう思いました。出典は、”Japan Hunts the Humpback. Now Comes the Backlash.” November 25, 2007(日本ザトウクジラも捕鯨の対象に 日本の反撃が始まった)です。著作権に配慮して、引用紹介は全体の約半分にとどめました。

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The ritual has been the same for nearly 20 years. Japan, while adhering to a 1986 moratorium on commercial whaling, has sent sturdy ships to Antarctic waters and, more recently, parts of the Pacific Ocean to kill hundreds of whales in the name of scientific research.

Vessels from the groups Sea Shepherd and Greenpeace tail and harass the whaling fleet, while strong protests are lodged by environmental groups, many marine biologists, and officials from the United States, Australia and other countries. But this year those complaints have intensified, largely because Japan has added a new animal to its planned harvest of more than 1,400 whales from seven species — the humpback, Megaptera novaeangliae.

Japan hopes to kill 50 of these endangered whales, which have long held a place in the public’s imagination with their other-worldly songs, habit of rocketing their 30-plus tons out of the sea and migrations of up to 10,000 miles a year. Melville once described the humpback as “the most gamesome and lighthearted of all the whales.”

Whaling nearly wiped it out, reducing the humpback’s numbers to perhaps a 1,000 by the mid-1960s. Today, estimates put the total at roughly 30,000. They are considered at high risk of extinction by the World Conservation Union.・・・

Once a top target of whalers because they swim close to shore, the humpback is now the centerpiece of another enterprise, whale watching, which by some measures is a billion-dollar-a-year business, making it larger in inflation-adjusted dollars than commercial whaling was even at its peak.

There is some thought among foes of whaling that Japan picked this marquee species intentionally to test the resolve of anti-whaling nations and groups.・・・The director general of Japan’s Institute for Cetacean Research, Minoru Morimoto, has defended the program, saying, “Japan’s research is a long-term scientific program that is obtaining biological and ecosystem information required for proper management.”・・・

The Japan Whaling Association, a private group representing the whaling operations, has described complaints as cultural imperialism on its Web site, whaling.jp:

“Asking Japan to abandon this part of its culture,” the association says, “would compare to Australians being asked to stop eating meat pies, Americans being asked to stop eating hamburgers and the English being asked to go without fish and chips.”


whalebook


儀式は20年近くに渡って十年一日の如く続いてきた。1986年の商業捕鯨の一時停止を遵守し続ける一方で、数百頭の鯨を捕殺すべく日本は科学的調査の名の下に調査船団を南極水域、そして極最近では太平洋の幾つかの水域に派遣し続けてきたのである。

シーシェパードとグリンピースが送り出す船舶が日本の捕鯨船団を追尾して捕鯨を妨害するのだけれども、それは、環境団体や多くの海洋生物学者、そして、アメリカやオーストラリアその他の各国政府高官が強烈な捕鯨反対の抗議を表明する中でのことなのだ。しかし、今年の抗議は例年になく激烈である。なぜならば、日本が、7つの鯨種に属する1400頭以上の捕鯨対象に新たな種類を加えたから。すなわち、ザトウクジラ(学名:Megaptera novaeangliae)である。

日本はこの絶滅が危惧されている鯨を50頭捕殺するつもりなのだ。而して、ザトウクジラと言えば、この世の物とは思えない歌を歌うことと優に30トンもあろうかという身体を海中から飛び上がらせる習慣、そして、年に1万マイルも移動することで長らく一般に知られている。実際、【『白鯨』を書いた作家の】メルヴィルはかってザトウクジラを「あらゆる鯨の中で最も陽気で快活」と記している。

捕鯨はザトウクジラを一度絶滅の危機に追い込んだ。すなわち、その個体数は1960年代半ばには1000頭前後にまで落ち込んだと考えられている。今日では、その総数は概略3万頭と見積もられているけれども、国際自然保護連合によればザトウクジラは絶滅の危機にあるのだ。(中略)

沿岸近辺を遊泳するがゆえに、かって、捕鯨の一番の獲物とされたザトウクジラは、現在では他の産業の目玉商品になっている。すなわち、ホエールウォッチング。幾つかのサービスを組み合わせることでホエールウォッチングは年間10億ドル規模のビジネスになった。而して、インフレ調整後のドル換算でも、ホエールウォッチングは絶頂期の商業捕鯨を上回る産業規模に成長しているのだ【ならば、捕鯨とホエールウォッチングを併用すればよいだけのことであり、他方、食料安保と食文化の維持という捕鯨の目的からは、それがどうした、である】。

捕鯨反対論者の中では、この主役級の鯨を日本があえて【捕鯨対象に】入れたについては、反捕鯨国や捕鯨反対グループの決意の固さを試す狙いがあったのではないかという憶測が囁かれている。(中略)日本鯨類研究所の森本稔理事長はこの見方にこう反論する。「日本の調査は長期的視野に立った科学的調査プログラムであり、それは、適切な【食料としての鯨資源】管理のために必要な生物学的と生態学的な情報を収集しているものなのです」、と。(中略)

日本捕鯨協会、捕鯨活動を代表する民間団体の日本捕鯨協会は、そのウェブサイト(http://www.whaling.jp/)において、捕鯨反対論を文化帝国主義であると書いている。すなわち、「日本にその文化の一部を捨てよと言うことは、オーストラリア人にミートパイを、アメリカ人にハンバーガーを、そして、英国人にフィッシュ・アンド・チプスを食べるのを止めよと言うに等しい」、と。そう日本捕鯨協会は述べているのだ。



(2007年12月11日:yahoo版にアップロード)

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vegitarian
【Cultural Imperialism or Eurocentrism -Beautiful Arrogance?】


エコロジー運動-フェミニズム運動-人権運動、あるいは、(アメリカの行う戦争に対する)反戦運動-(親特定アジアの立場からの)反日運動-護憲運動、それらと所謂「左翼」政党。これらに参加するメンバー間には極めて高い相関関係があるように見えます。而して、これは個別日本だけの現象ではなく、例えば、今回、オーストラリアの総選挙で勝利した労働党の党首にしてオーストラリアの新首相が、反捕鯨を掲げる環境保護団体(を名乗る、グリンピースやシーシェパード等のカルト的テロリスト集団)を支援する人物であるだけでなく、反米-反日-親支那派であることにもそれは如実に現われていると思います。

実際、1970年代前半の全共闘運動の解体以降、そこに連なった左翼人脈は、その運動関心を護憲-反戦の領域から漸次、エコロジー運動やフェミニズム運動に拡大拡散していきました。けれども、「反日-反米-親特定アジア」という軸と、「エコロジー運動-フェミニズム運動」という軸とは矛盾はしないまでも、その間には必ずしも論理的な必然性があるわけではない。このことは、世界最大の環境汚染国であり人権抑圧国である支那を、エコロジー運動やフェミニズム運動にも熱心な多くの進歩的(笑)な左派系論者が擁護していることからも自明なことではないでしょうか。


asahishinbun



左翼思想とエコロジー運動やフェミニズム運動との間には直接の関係はない、百歩譲っても、左翼思想の成立時点では両者にそう深い関係はなかった。これは日本では彼の上野千鶴子女史の主張の核心でもあるのですが、本来、ご本家のカール・マルクスは(その時代的制約もあって)環境や家族という「市場」外の要因にはそう関心があったとは言えない。ですから、山崎カヲルさんや、アルセチュールの薫陶を受けた(あるいは、その亜流というべきでしょうか)今村仁司さん、浅田彰さんなどは否定されるにせよ、カール・マルクスを環境開発をポジティブに捉える、極めて19世紀的な「生産の哲学者」であると理解することも文献学的には満更間違いではないのです。

そして、道中を急ぎますが、左翼の社会理論は20世紀の半ばにはその破産が明らかになっていた。すなわち、社会思想の理論史においては、(1)労働価値説という釣り針と一緒に18世紀後半-19世紀前半の経済学をマルクスが飲み込んだことに起因するその経済理論の「形而上学」化、(2)所謂「有機的資本構成比率の変化予測」の破綻、(3)カール・ポパー『歴史主義の貧困』が平明かつ明確に提示した、所謂「唯物史観」の無根拠性によって社会理論-歴史理論としてのマルクス主義は現在では完全に過去の遺物になったと思います。

而して、19世紀後半の「数学の存在論的な改革」の衝撃から産まれ、論理実証主義を触媒とした(現代哲学の主流。あるいは、21世紀に存在する唯一の哲学たる)分析哲学の認識論(≒社会科学方法論)からは、マルクスだけでなく、実体概念を使って社会理論を編み上げるすべての営みは反証可能性を持たない形而上学的思弁にすぎないことが論証された。他方、1989―1991年の社会主義体制の崩壊という事実。これら理論と事実の双方において、マルクス主義、就中、日本の左翼思想-丸山真男等の近代主義者の仮面を被った左翼と親和性の高い戦後民主主義の基盤であった「講座派マルクス主義」(=コミンテルン的な社会思想-歴史観)は破産を宣告されたことは私などが指摘するまでもないでしょう。

再度記しますが、左翼の社会理論は破綻した。けれども、それは社会思想としては(分析哲学流に言えば、「社会と歴史を巡る思弁のパッケージ」としては)いまだに、大人が真面目に取り組むに値する内容を持っている。蓋し、私が自身を「筋金入りのマルクス主義民族主義者」と自己規定する際の「マルクス主義」という形容句は、私がこの「社会思想としてのマルクスの社会-歴史認識」を高く評価している結果なのです。もちろん、現在でもなお有効な社会思想としてのマルクス主義は、朝日新聞や岩波書店に代表される大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力の「マルクス主義的社会思想」とは異なり、「マルクス主義は最早社会理論としては維持不可能」という認識を基盤に据えたものであり、その自己制約に「社会思想としてのマルクス主義」の有効性と説得力を担保されているのでしょうけれども(この点に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照ください)。

『娘たちと話す左翼ってなに?』のあとがき書評

帝国とアメリカと日本



greenpeace
【Terrorists】

さて、簡単に言えば、20世紀の半ばまでには社会理論としての社会主義はその誤謬と無根拠性が明らかになっており、加えて、20世紀の最後の10年で社会主義体制自体が崩壊した。よって、21世紀の現在、エコロジー運動やフェミニズム運動を推進しようする者は、左翼思想から自己の運動や主張を権威づけ正当化することはできなくなっています。そこで、彼等が用いるのが、普遍的な人権・民主主義・持続可能な人類と地球環境との共生のライフスタイル等の<普遍的な価値>を詐称する、反米-反主権国家-反資本主義であり、それらは、普遍に仮装した歴史的に特殊な「マルクス主義的社会思想」であり「ヨーロッパ中心主義」に他ならないと私は考えています。

思えば、25年ほど前までは、唯物弁証法(唯物史観)と疎外論(物象化論や物神論)と帝国主義論(中心-周辺資本主義体制論)を目印にして左翼をその他の思想から区別することも比較的容易でした。しかし、1989年以降、左翼の政治的影響力自体が世界的に地盤沈下してしまい、かつ、唯物史観と疎外論が(あるいは、物象化論と物神性論が)左右の立場の違いに関わらず社会科学的思考の共有財産-公共的ツールになってしまった現在では、左翼思想なるものは雲霧消散してしまい、逆に(知識社会学的にと言うべきでしょうか)エコロジー運動やフェミニズム運動、人権運動-反戦運動、反日運動-護憲運動にかかわる人々の言説の中に「左翼的なsomething」を確認するしかなくなってきている。これが日本の左翼的言説と社会批判を巡る現状ではないでしょうか。

畢竟、エコロジー運動やフェミニズム運動。「反捕鯨運動-菜食主義運動」や「反日-親支那策動」を貫くsomethingは、理論においても歴史的事実としても完全に破綻したマルクス主義の社会理論を、それこそ、現役の社会理論として奉る心性である。蓋し、反捕鯨とベジタリアン嗜好の共通の基盤は、朝日新聞や岩波書店に代表される「マルクス主義的社会思想」であり、すなわち、戦後民主主義的なメンタリティーに他ならない。私はそう考えています。

「反捕鯨運動-菜食主義運動」の核は戦後民主主義の姑息で狡猾なメンタリティーである。これを敷衍すれば、それらは、(a)実体のない世界市民なる空手形を担保に主権国家の相対化を主張する、(b)自己の特殊な価値をアプリオリに絶対化しながら各民族の文化伝統を相対化する、(c)米国を中心とした世界秩序が崩壊すれば世界はより融和的で安定した秩序に移行できると考える。そして、(d)資本主義的な生産関係は人間にも環境にも「優しくない」と捉えそこからの離脱を夢想する点で同根の思想と言えるのではないでしょうか。

而して、彼等がこのような優雅で傲慢な妄想を垂れ流すことが可能なのは、米国のプレゼンスや我が優秀で勇敢なる自衛隊員諸君が日々その任務に従事している結果として具現している世界秩序のお蔭であり、他方、彼等が忌み嫌うグローバル化した資本主義から得られる富のお蔭であることを看過している点でも反捕鯨運動に参加するカルト的テロリストやベジタリアンと戦後民主主義を信奉する勢力とは共通なのだと思います。

実際、例えば、現在の生産制度-流通制度において、実は、無農薬/微農薬で農作物を作る方が環境負荷は遥かに高い。つまり、無農薬農場での生産をサポートするためにその当該の無農薬農場以外の所でされる環境破壊は農薬を使った場合に比べて大きいということ。加えて、そのような「高価な農作物」を全人類が享受することなど到底不可能なことは自明でしょう。これらのことは、エネルギー化の高い肉食を避けて植物だけで生命を維持するベジタリアンの場合には更に明らかなのです。

要は、あるベジタリアンの優雅な生活を支えるために、肉食もする普通の生活を支えるのに比べて遥かに多くの排出物やエネルギーが環境に投入されているということ。私は、だからベジタリアンを見かけると、「おいおい、もう少し環境に優しく、つつましやかに生きれないのかね」と言いたくなります。


畢竟、「反捕鯨運動-ベジタリアン嗜好」も「反米-反日-親支那の言説」も、言わば、先進国の都会のワンルームマンションで妄想されたホワイトカラーのする優雅で傲慢な書生論にすぎない。加えて、捕鯨反対を唱え、地球環境の維持を叫ぶグリンピースやシーシェパード、そして、アムネスティーなどの団体は、団体としては世間知らずの書生テロリストの集団であるだけでなく環境-人権利権集団でもある。

グリンピースやアムネスティーというカルト的NGOのいかがわしさは、彼等が、本当に環境や人権について問題のある支那やロシア、アフリカ諸国や北朝鮮(私は国民の1~2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味の「国家」とは呼べないと思いますが、まあ、支那や北朝鮮等)には矛先を向けず、身の安全が保障されている日本やアメリカ、西欧諸国においてのみ自慰行動的に示威行動を行なっていること。他方、欧米のある種の企業の尖兵として日本やライバル企業を叩いている、あるいは、(鯨資源から日本を切り離すことで、より多くの牛肉を日本が輸入しなければならない状態を恒常化させたいという)特定国の利益を代弁する結果になっていることに如実に現われていると思います。

蓋し、グリンピースもアムネスティーも文化帝国主義(cultural imperialism)、而して、ヨーロッパ中心主義(Eurocentrism)に染まったカルト集団であると同時に、環境利権集団・人権利権集団でもある。要は、同和団体や朝鮮総連とあまり変わらない。ならば、菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義を無邪気に(innocently)信奉するは論者は、優雅で傲慢な欺瞞を信奉する馬鹿者(innocent person)というだけではなく、カルト的テロリスト集団にして国際的な利権団体を故意にせよ過失にせよ支援するテロ支援者に他ならない。そう私は思っています。

尚、これらのヨーロッパ中心主義に立った傲慢な欺瞞に抗して、日本が一刻も早く商業捕鯨を再開すべきことに関しては下記拙稿を参照ください。

鯨と日本の再生

海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?



(2007年12月7日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 捕鯨・反捕鯨問題
ジャンル : 政治・経済

hitler
【苛政は虎よりも猛:支那のインスタントラーメンはナチス・ドイツよりも猛】


●猛毒インスタントラーメンか?
 小学生4人、食べた直後に死亡―雲南省昭通市



2007年12月3日朝、雲南省昭通市魯甸県楽紅郷楽紅村の小学生4人が死亡する事件が発生した。通学途中に食べたインスタントラーメンが原因と見られている。【(亡くなった子供達の実名省略)4人は】インスタントラーメンを食べた1~2時間後、口から泡を吐き四肢がけいれんして意識をなくし、その後間もなく死亡した。現在、詳しい死因は調査中だが、一般の食中毒ではこれほどの短時間で死亡することは考えられず、毒が入れられた可能性や製造工程で化学物質が混入した可能性などが考えられるという。(出典:Record China:12月5日10時14分配信 )



chinapro


インスタントラーメン食べたら1~2時間で意識不明、その後、全員死亡! 青酸系の毒物ならいざ知らず、こんな猛毒が簡単に手に入るのなら、「ガス室」を作ったナチス・ドイツの科学者達もあれほど苦労はしなかっただろうに。と、このニュースを見た時、あまり品が良いとは言えないこんな軽口が浮かびました。それくらい、(それが「事件」にせよ「事故」にせよ)これは凄いニュースだと思います。オーム真理教じゃあるまいに、通学路で子供達が口にする食物に猛毒を混入する/猛毒が混入するとは、流石、支那は凄い国だ。凄まじい国だ、と。

刑事法的には「事件」か「事故」かはまだ分かりませんが、幼くして亡くなった4人の小学生の子供達とそのご家族の無念と不条理感を想像するに、なおさらこの事件は「先進国」の物差しでは測れない凄まじい事件だと思います。而して、このような事件が報じられるたびに、支那は劣った国・遅れた国、そう、メチルアルコール入りの密造酒で失明被害等の健康被害が続出した<終戦直後の日本のような支那>という認識が出される。

もちろん、知的財産法の不徹底等を持ち出すまでもなく、「遅れた支那」=「日本の過去と同じ位相にある支那」という認識は間違いではないでしょう。けれども、ある意味、それは下手をすれば日本の社会が近々そうなりかねない「そうはなりたくない未来としての支那」でもあるのではなかろうか。私にはそう思えるのです。

私は何が言いたいのか。それは、支那はその遅れている分、逆に、日本が今後そのような状態に陥りかねない近未来の日本の姿を、ドラスティックに、より、デフォルメした形で示唆しているのではないかということです。SF的に言えば、周回遅れのランナーが<時空の歪み>の中でいつのまにか断トツの先頭になったようなものでしょうか。


オーム真理教の地下鉄サリン事件や<9・11>で明らかになったように、20世紀最後の10年から現在まで、われわれ人類は、個人や私的団体が国家と戦争を行なえる程の軍事技術と軍需物資を廉価に、かつ、容易に調達することが不可能ではなくなってきた時代に生きている。而して、このことは、ABC兵器の中で、BC兵器(生物兵器ー化学兵器)に続いてA兵器(核兵器)さえもが北朝鮮・イランだけでなく、それらテロ支援国家を通してアルカイダやグリンピースやアムネスティー等々のカルト的なテロリスト集団に拡散する危険性。その危険性が現実のものとなってきている現状を見れば誰しも思い半ばにすぎるのではないでしょうか。

蓋し、(1)20-21世紀の科学技術の進歩、(2)(人・物・金・情報の流通コストを逓減させてやまない、ついには、1989-1991年に至って社会主義を崩壊せしめた)グローバル化する資本主義の浸透圧の増大、他方、(3)伝統と歴史に裏打ちされた民族性の相対的な不可変性。これらが同時に存在しているのが、われわれが生きている現在という時代であることは間違いないでしょう。

畢竟、そこでは、(甲)安定した社会を担保してきた伝統的な社会規範の神通力が相対的に低下すると同時に、グローバル化の進む世界と歴史的に特殊な民族性とを橋渡しする新たな社会規範はいまだその片鱗さえ見せてはいない。また、(乙)ナチス・ドイツの科学者もその開発に苦労した化学兵器を一個のカルト的な宗教団体が独自に開発でき、そんな猛毒物資が支那の内陸エリアの通学路で、子供達が食べるインスタントラーメンに混入してもおかしくない程、テクノロジーとロジスティクスがそれらを制御すべき社会的メカニズムと無関係に発達してしまった。われわれが住んでいる時代はそのような時代であり世界なのだと思います。

ならば、通学路で食べたインスタントラーメンが原因で4人の小学生が急死するという事件が起こる<支那>という現象は、ある意味、既存の社会規範が人類の生産力の増大に対応できていない<現代の象徴>ではないか。些か、デフォルメされている抽象画風ではあるけれど、「支那で小学生、インスタートラーメンを食べて4人が急死」というニュースは<現代の肖像>を伝えるものではなかったか。私はそう思います。それは、現代世界の理念型の肖像画であり、理念型が現実の本質を穿つがゆえに現実の近未来の姿を示唆するものであるとするならば、「猛毒インスタントラーメンか? 小学生4人死亡」という事象は日本の近未来でもありうるとも。

而して、繰り返しになりますが、われわれが求めるべきこの社会の<未来>は、少なくとも、伝統と歴史により根ざした、かつ、グローバル化の中での国際競争力の維持向上を両立させるものでしかありえないでしょうが、イメージはそう明確ではない。しかし、この<日本の近未来としての支那>の肖像画を見るとき、われわれ日本人と(定住外国人たる)日本市民が希求すべき<未来>は<未来=支那>とは、多分違うだろうことも明らかだと思います。


畢竟、国体なるものの普遍性と不変性を無前提的に信じるか、あるいは、世界市民なるものの実体性と実在性を無前提的に信じるかは別にして、共に、日本が平成の大宰相小泉純一郎元首相の構造改革以前の社会に戻れると夢想する優雅な<国粋主義>と<社会主義としての戦後民主主義>。他方、地方や民族の文化伝統と家族の価値とを立法政策および経済政策に組込もうとしない、怠惰な<グローバル主義>と<コスモポリタニズムとしての戦後民主主義>を信奉する勢力がこの社会を主導するならば、すなわち、「皇孫統べる豊芦原瑞穂之国」というこの国の統治の理念がこの社会の伝統に底礎された<政治的神話=イデオロギー>であることを看過する勢力がこの国の政治を主導するならば、現在の支那はかなりの確率で近未来の日本の姿を現すことになるだろう。そう私は考えるのです。


蓋し、この事件は「支那に行く時には、くれぐれも食べ物には注意しよう」「支那から輸入された食材は今後お店では使わないようにしよう」「支那産の食料品はいかに安くとも買わないようにしよう」という旅行者や食品業者、あるいは、消費者への教訓であるだけでなく、今後の日本社会のあるべきあり方を考える上での、ビジュアルな、言わば<3D-テクスト>なのかもしれません。すなわち、これ反面教師としての支那。而して、次の時代のこの社会の形がいまだ曖昧模糊とする感が否めない現在、この「三次元テクスト」は参考になるのではないか。私はこのニュースに接してそう思いました。

尚、本稿を貫く論点、すなわち、「現代社会」という現象に関する私の基本的な立場については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいと思います。

帝国とアメリカと日本
 
外国人がいっぱい
 
揺らぎの中の企業文化-日本的経営と組織は国境の消失する時代に拮抗しうるか
 
安倍政権の黄昏に「中世という時代」を考える
 


(2007年12月5日:yahoo版にアップロード)


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テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

whaledish2


日本の調査捕鯨を取り上げた海外報道の紹介です。出典は、Timeの"Why Japan's Whale Hunt Continues," Nov. 20, 2007(日本はなぜ捕鯨を継続するのか)です。紹介は全体の約三分の2にとどめました。

畢竟、「鯨は絶滅の危機にある」「鯨は海洋の生態系の頂点にあり、乱獲に結びつく商業捕鯨の再開は海洋の全生態系に予測不可能な甚大な影響を与える」「海洋の生態系の頂点にある鯨肉には高濃度の汚染物質が蓄積されており、食糧にするには危険が大きすぎる」等々の理由を挙げて反対する論者の議論は、結局、日本などの捕鯨国の主張とは異なり大人が真面目に相手にするような科学的根拠を欠いた「捕鯨反対のためにする捕鯨反対論」にすぎません。結局、国際捕鯨委員会(IWC:International Whaling Commission)などにおいて反捕鯨国は「鯨を食糧資源」と認識すること自体に反対しているとしか思えない。

日本の沿岸に漂着して死んだ鯨の肉を食することが行政指導により禁止されている現状を見るにつけ(死んだ鯨を食することと鯨の絶滅や海洋の生態系の変容とは「風が吹けば桶屋が儲かる」事態よりも遥かに因果関係は希薄でしょうから)、そのような日本の軟弱な行政指導に反映されている、彼等、カルト的捕鯨反対派の議論を「鯨を食糧資源と看做すことに反対する主張」と捉えることが満更荒唐無稽ではないとすれば、それは自分の文化に内在する価値観や美意識(=食文化などは価値観と美意識の最たるものでしょう)を絶対視して他者に押しつけようとする<ヨーロッパ中心主義>(Eurocentrism)以外の何ものでもないと思います。

よく、毛皮を採るための動物の「虐待→屠殺」に反対するEurocentrismに骨がらみになった女性運動家が、全裸で毛皮反対のパフォーマンスを見聞きしますが、彼女達が「毛皮を着用しないよう世間に呼びかけ」るべくその美しい裸体(beautiful body)を世間にさらすのは(もちろん、刑法174条や軽犯罪法1条20号に違反しない限り)彼女達の自由でしょう。けれども、その行為が他者の毛皮を羽織る行為を否定するものであるのならば、それは凄まじい傲岸(beautiful arrogancy)と言われるべきではないでしょうか。而して、捕鯨反対論者の行いは、正に、自己のEurocentrismから他国の文化を否定する醜悪な傲岸(ugly arrogancy)に他ならないのです。

このTimeの記事の中では、調査捕鯨を継続する日本の真の狙いを、最早、その消費が微々たるものになってきた鯨肉の確保ではなく、消費量も厖大なマグロ等の他の海洋資源を手にする権利を確保するためのマヌーバー(maneuver)であると断定していますが、正直、それが事実であったとしても何も問題はない。日本の調査捕鯨の継続がmaneuverであることと、日本がその食文化の中に鯨を組込んできた伝統と歴史を持っていること、よって、その食文化を守りたいと考えることは相補的でありこそすれなんら矛盾しないからです。蓋し、食糧安保のためにも文化防衛のためにも、日本人は「日本人が何を食卓に乗せるか」を外国、ならびに、グリンピースやシーシェパードのようなカルト的なテロリスト集団に指図されている現状を速やかに打破すべきなのだと思います。

土台、条約上、持続可能な鯨資源の有効利用を目的に発足した国際捕鯨委員会(IWC)が、ヨーロッパ中心主義的な価値観から科学的根拠もなく捕鯨に反対する場に堕してしまっていること自体、条約にも違反しており、かつ、国際法一般とも相容れるものではない。事実、このTimeの記事を見ても捕鯨反対の理由はIWCの禁止以外何も提出されていない。而して、IWCの禁止は「鯨資源の利用が持続可能」であることが判明するまで商業捕鯨を禁止したものにすぎず、元来、鯨資源の再生産に配慮して捕獲数量を限定している日本の「調査捕鯨」をIWCの禁止を根拠に批判することなど筋違いも甚だしいことなのです。

畢竟、捕鯨国は商業捕鯨再開に向けた新たな国際委員会(New International Whaling Commission)を早急に立ち上げつつ、それと並行して、既存の国際捕鯨委員会(IWC)においては「挙証責任の転換」によって商業捕鯨再開が孕む問題を科学的に指摘する責任は反捕鯨国側に速やかに返すべきでしょう。

蓋し、日本が捕鯨を継続しなければならないのは、鯨が鯨だけの問題ではなく、捕鯨が日本の文化伝統の保持と国家主権の確保、および、食糧安保の最前線であるからです。而して、非科学的な、根拠などとは到底言えない床屋談義レヴェルの論拠しか提示できず、かつ、確立した国際法の慣習を踏みにじって毫も恥じることのない反捕鯨国に妥協するような政府は国民も国家も守護するものとは呼べない。私はそう考えます。

尚、捕鯨を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただければ嬉しいと思います。また、捕鯨を巡る世界の動きと捕鯨国日本の主張に関しては本稿末に掲げたURL記事をご参照ください。

鯨と日本の再生
 
海外報道紹介☆日本の調査捕鯨船隊<南氷洋に向け出航>


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<テクスト>
It's a ritual that boils the blood of whale-watchers everywhere. On Nov. 18, a fleet of four Japanese vessels left Shimonoseki harbor in Western Japan to begin its five-month whale hunt in the Antarctic Ocean. This time, however, the whalers are planning what's expected to be its largest hunt in decades; along with about 850 minke and 50 finback whales, the fleet says it plans to harpoon as many as 50 humpback whales for the first time since hunting the endangered species was banned in 1963.

The escalation of the hunt, and the inclusion of humpbacks, has drawn condemnation from leading anti-whaling countries, including Australia, New Zealand, Britain and the U.S. ・・・ With an upcoming general election, the issue has become heavily politicized in Australia; the opposition Labor party's campaign platform includes a proposal to mobilize military aircraft to monitor Japanese whaling fleets.

But Japan has said it needs to recommence hunting one of conservationists' most beloved species to further marine research. "Whales are just as important, and no more special, than any other fish," says Japan Fisheries Agency spokesperson Hideki Moronuki, maintaining Japan's long-held position that marine mammals should get no special treatment for being warm-blooded. Japan maintains that with a population of around 40,000 growing at 15% a year, the formerly endangered humpback has recovered to a sustainable level for lethal research. Anti-whalers, on the other hand, simply see this as raw defiance. "They're just doing this to show us that they can," says Paul Watson, founder of the anti-whaling Sea Shepherd Conservation Society.


Under a loophole in the 1986 International Whaling Commission (IWC) ban against commercial whaling, Japan has continued to kill hundreds of whales every year for scientific research. Once a whale is killed, scientists collect data from the animal's remains on its age, birthing rate and diet; the meat is then packaged and sold. Japan maintains that the research is essential for managing the whale population. "Minke or humpback, we see whales as a marine resource," says Moronuki. Still, most observers have long been skeptical of any benefits from the project. ・・・

Tensions have been heating up in recent hunts. In February, a member of Japan's whaling fleet was killed in a ship fire following a series of confrontations with vessels from Sea Shepherd. Both Greenpeace and Sea Shepherd say that they are prepared to "chase, block, and harass" any attempts by the whaling fleet to harpoon humpbacks.

Japan has cited its long history as a whaling nation and its historic reliance on whale meat for protein as reasons why it should be continued to allow to hunt despite the IWC ban. But Japanese consumption has become so negligible that local governments are encouraging schools to incorporate whale in their lunch programs, while thousands of tons of whale meat remain stockpiled in freezers.

The bigger issue, observers say, is whaling's impact on far more popular forms of seafood. Japan, which consumes half of the world's tuna catch, recently admitted to exceeding its quota for southern bluefin tuna set under an agreement with Australia and New Zealand, as overfishing threatens to decimate the animal's population. Plunging global fish stocks, along with a growing taste for sushi in China and the West, make Japan very uneasy about its future access to fresh seafood. So holding a firm line on the sustainable harvesting of whales, the argument goes, can help stave off a larger fight over more important fishing rights down the road. Says Moronuki: "Our whaling culture is near extinction because of the moratorium on commercial whaling. We need to make sure this doesn't happen to other marine resources."



antifurs
【Beautiful Arrogance ー Eurocentrism?】


<和訳>
それは鯨観察を楽しむ人々をいたるところで激怒させる恒例の儀式である。11月18日、4隻からなる日本の船団が西日本の下関港から南氷洋での5ヵ月に及ぶ捕鯨に従事するため出航した。しかし、今回、その捕鯨船団は彼等としてもここ数十年で最大規模になると予想される捕鯨を計画している。すなわち、850頭のミンククジラと50頭のナガスクジラに加えて50頭のザトウクジラを銛でしとめると捕鯨船団は宣言しているからだ。ザトウクジラの捕鯨はこの絶滅が危惧されている品種の捕鯨が1963年に禁止されて以来始めてのことになる。

捕鯨数量の拡大とザトウクジラが捕鯨の対象になったことにより、オーストラリア・ニュージーランド、英国・アメリカを含む主要な反捕鯨国では激しい非難が巻き起こっている。(中略)来るべき総選挙では、日本の捕鯨を巡る問題はオーストラリアでは極めて政治的な色彩を帯びてきている。すなわち、野党・労働党の選挙公約には、軍の航空機を使って日本の捕鯨船団を監視する計画が盛り込まれているのだから。 

しかし、日本は、更なる海洋調査のためには、環境保護主義者が最も愛するこの鯨種の捕鯨再開が必要とする。日本の水産庁のスポークスマン、諸貫秀樹氏によれば「鯨はその重要さにおいて他の魚と比べて特に特別な存在ではない」。その血が暖かいからといって海洋哺乳類を特別扱いするべきではないという、日本の年来の主張を踏まえながら諸貫氏はそう述べた。公式には絶滅危惧種とされているザトウクジラの個体数は40000頭前後もあり、しかも、年15%もその数は増加している。よって、致死性の調査を行なったとしても持続可能な個体数の水準にまでザトウクジラは回復してきていると日本は主張している。これに対して、捕鯨反対論者は、この日本の主張を露骨な挑戦と受け止めている。「日本は、われわれ捕鯨反対派に対して、彼等がザトウクジラの捕鯨をすることが可能であることを見せつけるためだけにその捕鯨をやろうとしている」。そう、反捕鯨団体【を自称するカルト集団にしてテロリスト集団である】シーシェパード保護協会の創立者ポール・ ワトソン氏は語っている。

1986年の国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨禁止の抜け穴に基づき、日本は科学的調査の名目で毎年何百頭もの鯨を捕鯨し続けている。【「loophole」(=「抜け穴」)などの表現は正確ではない。IWCは持続可能な捕鯨を行なうための国際的なルール作りを行なう機関であり、「捕鯨」を禁止するための機関ではないのだから。正当な協定に従い日本が「調査捕鯨」を行なうことは誰からも「抜け穴」などという、あたかもそれが「ずるい行ない」であるかのような表現で呼ばれる筋合は断じてないのだ。而して、調査捕鯨の結果、食糧資源としての鯨の捕鯨が持続可能であることがわかれば、「調査」の取れた「捕鯨」に日本は即刻邁進するのみなのだ】鯨は捕殺されると、科学者達はその遺体から年齢・出生率・常用食糧のデータを収集し、その後、その肉はパックされ販売される。日本はその調査は鯨の個体数を管理するために必要不可欠であると主張する。「ミンククジラにせよザトウクジラにせよ、われわれは鯨を海洋資源と位置づけている」と諸貫氏は述べているのだ。他方、日本の主張にもかかわらず、その調査捕鯨プロジェクトにはなんらの利点もないという懐疑的な見方が大部分の識者の立場である。(中略)

ここ数年の捕鯨を巡って緊張はますます高まってきた。2月には、日本の捕鯨船の乗組員の一人が船上火災のために亡くなっているが、その船上火災は【反捕鯨団体を自称するカルト集団にしてテロリスト集団である】シーシェパードが送り出した船舶との係争に引き続いて生じたのである。シーシェパードもグリンピースも、ザトウクジラを銛でしとめようとする捕鯨船団のすべての試みを「追跡、妨害、攻撃」する準備と覚悟はできていると発表しているのだ。

日本は、捕鯨国としての長い歴史と蛋白源を鯨肉に頼ってきた歴史的経緯を、国際捕鯨委員会の禁止にもかかわらず日本が捕鯨の許可を継続されるべきことの理由としてきた。しかし、日本における【鯨肉の】消費は無視できるほどの水準にまで下がってきており、よって、地方公共団体の中には給食に鯨を盛り込むよう学校に奨励している所もあるくらいなのだ。他方、数千トンもの鯨肉は冷凍庫の中で保存されたままなのである。

捕鯨を巡る問題を観察してきた識者によれば、より重要な問題は、而して、鯨などより遥かに人気のある海産物に対する捕鯨の影響なのである。日本は、世界のマグロ漁獲高の半分を消費しているのだけれども、その日本は、乱獲の恐れからオーストラリアとニュージーランドとの間で結んだミナミマグロ【インドマグロ】の割当量を超過したことを最近認めた。世界中の漁業資源の逼迫によって、更に、支那や欧米諸国における寿司嗜好の広まりにともない、日本は新鮮な海洋食糧資源に今後もアクセスできるかどうか不安になっている。よって、持続可能な鯨の漁獲に関して堅固な防御線を引くことができれば、【捕鯨を巡る】論議がこれから続こうとも、より重要な漁業権を巡る大掛かりな戦いにおいて日本は惨敗を免れることができる。諸貫氏は「日本の捕鯨文化は商業捕鯨の停止によって消滅の瀬戸際にある。われわれは、このような事態が他の海洋資源について起きることのないようにする必要がある」と述べている。


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◆参照資料

・国際捕鯨委員会・2007総会ウォッチ(1)~(9)
http://www.news.janjan.jp/world/0706/0705310456/1.php

・米国務省、調査捕鯨の自粛求める
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/104823/

・日本の4地域、伝統捕鯨の再開要求 米など反発 IWC総会
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/54588/

・「IWC脱退か新機関」日本政府が意地みせた
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/54862/

・クジラ文化国ニッポン
http://www.choujintairiku.com/kujira/index.html

・Whaling Library
http://luna.pos.to/whale/

・IUCNは自身の信用を特定利益団体にゆだねている
http://luna.pos.to/whale/jpn_hna_iucn.html

・日本捕鯨協会
 http://www.whaling.jp/index.html



(2007年12月3日:yahoo版にアップロード)


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