民主党の外国人地方選挙権付与法案は違憲であると「外国人参政権の理論的支柱が自説を撤回」したとの報道が全国を駆け巡りました。以下、産経新聞記事(2010年1月28日)の転記。

「法案は明らかに違憲」 外国人参政権の理論的支柱が自説を撤回
外国人に地方参政権を付与できるとする参政権の「部分的許容説」を日本で最初に紹介した長尾一紘(かずひろ)中央大教授(憲法学)は28日までに産経新聞の取材に応じ、政府が今国会提出を検討中の参政権(選挙権)付与法案について「明らかに違憲。鳩山由紀夫首相が提唱する東アジア共同体、地域主権とパックの国家解体に向かう危険な法案だ」と語った。長尾氏は法案推進派の理論的支柱であり、その研究は「参政権付与を講ずる措置は憲法上禁止されていない」とした平成7年の最高裁判決の「傍論」部分にも影響を与えた。だが、長尾氏は現在、反省しているという。(以上、引用終了)



外国人地方選挙権断乎阻止、特別永住権制度即時廃止、そして、現行憲法秩序と日本国に忠誠を誓い、かつ、皇室・日の丸・君が代・靖国の英霊に象徴される日本の伝統と文化と歴史を尊重する誓約をマストにする帰化要件の厳格化(というか世界標準化)を求める、我々、保守改革派にとってこのニュースは正にgood news(福音)ではあるでしょう。けれども、私は、この長尾新説には些か疑義を感じないわけではない。

而して、リベラル派からの反撃に備えるべく、「外国人地方選挙権反対」の旗幟を鮮明にされた長尾さんの主張を敢えて俎上に載せることにしました。畢竟、憲法無効論の如き誰も相手にしない戯言ならば実害は皆無だけれど、もし、長尾さんや百地さんというこちら側の論客がリベラル派との論争で「敗退」少なくとも「勝敗不明」という印象を世間に与えることになればその実害は甚大だと危惧したからです。尚、このイシューに関する私の憲法論に関しては下記拙稿を参照いただければと思います。ちなみに、第二の記事が第一の記事のダイジェストになっています。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html

・「もしも外国人地方参政権が成立したら?」の誤謬と真実
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59103437.html

・【情報切り抜き帳】外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59175281.html



■憲法問題としての外国人地方選挙権の構図
私は政治的主張としての長尾新説には「鐚一文」「太平洋にお猪口一杯」も異論はありません。あくまでも、本稿で俎上に載せるのは憲法論としての長尾新説の妥当性。而して、元来、外国人地方選挙権はどのような論理的構図において憲法学の課題となるのか。まずこの点を整理しておきます。

蓋し、憲法問題としての外国人地方選挙権が孕む論点は以下の3点ではないでしょうか。

(甲)外国人に参政権は認められるか

(乙)もし、(甲)で「肯」とする場合、外国人に認められる参政権には国と地方の選挙権・被選挙権が含まれるのか

(丙)外国人に選挙権を認めることは日本国民の参政権を(相対的に弱める点で)憲法上許されないものではなのか


現行憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を紐解くまでもなく、国民主権の原理を現行憲法が基盤とする実定的な価値の一つであることを否定しない限り、(甲)は論理的に否定されると思います。つまり、外国人地方選挙権は外国人の基本的人権ではあり得ない。而して、この認識は、外国人の地方選挙権が争われた1995年及び2000年の最高裁判決、そして、東京都管理職選考試験受験資格の是非が争点になった最高裁大法廷判決(平成7年2月28日;平成12年4月25日;平成17年1月26日)において数次に亘り最高裁判所が確認しているものなのです。

他方、外国人が実質的に日本の政治過程に影響を及ぼすことは論理的にも技術的にも誰も止めることはできない(例えば、昨年9月に日本に帰化されるまで金美齢女史の行動が日本の政治と無関係だったとは言えないだろうし、実際、我々保守改革派の少なからずは女史に感化されたのでしょうから)。けれども、それは社会学的に測定される<影響>であり、また、「参政権」とは無関係ではないにせよ、一応、「参政権」とは峻別されるべき「表現の自由」「思想良心の自由」の守備範囲の事柄であり、蓋し、外国人の政治的影響力を完全に払拭することができないことと、外国人にも基本的人権として参政権が保障されていることは憲法上は位相を異にすると言うべきだと思います。

では、外国人に参政権が認められない以上、一切の地方選挙権もまた外国人に対して認められないのか。(乙)の前提、すなわち、「もし、(甲)で「肯」とする場合」が否定される以上結論はシンプル。「認められない」、と。但し、ここに「国民主権」というビックワードを根拠に一切の外国人地方選挙権を否定する単純な「外国人地方選挙権違憲論」の盲点が隠されている。

蓋し、(a)地方の選挙権といえども確かに憲法上の権利として外国人に選挙権が認められることはないが、(b)立法政策的な合目的性があれば、謂わば「反射的利益」として、かつ、(c)参政権ではない(主権者たる国民の意思のみによって形成されるべき国家の意思とは、ある限度内にせよ疎遠な)地方選挙権なるものが法技術的に設計可能ならば、(d)そのような地方選挙権を外国人に認めることは(丙)の懸念を払拭するものであり違憲とは言えない、と。しかし、(e)現在の我が国の国と地方の関係を鑑みるに、参政権ではない地方選挙権なるものが法技術的に設計可能とは言えない現状では、まして、そのマニフェストで「地方主権」の確立を掲げている民主党政権の地方自治政策の延長線上での外国人地方選挙権は完全に違憲と言わざるを得ない。

畢竟、「国民主権」を根拠に外国人地方選挙権を否定する違憲論と結論は同じになりますが、(a)から一直線に(e)の結論に至る違憲論と(b)(c)(d)のプロセスを踏む点で私見は異なる。而して、詰め将棋に喩えれば「三手詰め」ではなく「9手詰め」の問題としてこの外国人地方選挙権を捉える私見の構えは、「国民主権の概念とその妥当根拠は如何」「国民主権に反するとしても民主主義を国民主権よりもより上位の価値原理として考える場合の結論は如何」そして「国民と国家と憲法の概念は如何」等々のリベラル派からの予想される反撃に対処するためには優れていると思います。



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■立法事実論と外国人地方選挙権の是非
前項で展開した私見を前提に長尾新説を以下検討します。上に引用した産経新聞記事の中で長尾さんは、「許容説→禁止説」に転向された法理論上の根拠を「理由は二つある」としてこう述べておられる。

1つは状況の変化。参政権問題の大きな要因のひとつである、在日外国人をめぐる環境がここ10年で大きく変わった。韓国は在外選挙権法案を成立させ、在日韓国人の本国での選挙権を保証した。また、日本に住民登録したままで韓国に居住申告すれば、韓国での投票権が持てる国内居住申告制度も設けた。現実の経験的要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からすると、在日韓国人をめぐる状況を根拠とすることは不合理になり、これを続行することは誤りだと判断した

-もうひとつは

理論的反省だ。法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。政治思想史からすれば、近代国家、民主主義における国民とは国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。選挙で問題になるのは国家に対する忠誠としての愛国心だが、外国人にはこれがない。日本国憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ。(以上、引用終了)。


「憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ」という直線的な違憲論が採用できないことは既に述べました。更に、長野新説の「立法事実」にも私は同意することはできない。

蓋し、「立法事実」とは訴訟で解決されるべき紛争を構成する具体的な事実、所謂「司法事実」と対になる概念で、裁判所が憲法訴訟において適用する法規の、その立法目的の前提となる事実です(国会が当該の法規を制定した際に前提としたであろう事実)。例えば、「薬局や銭湯があまりにも近い距離にあれば、競争が激化して、双方の経営体力を削ぎ、結局、その皺寄せは公衆の健康と地域の衛生状態の悪化に至る」という事態を想定して、公衆の健康と地域の衛生状態の確保という目的のために「薬局や銭湯はある程度以上離れていなければならず、それを満たさない新規の開店を規制する立法」がなされたとすれば、最初に想定された「薬局や銭湯があまりにも近い距離にあれば・・・その皺寄せは公衆の健康と地域の衛生状態の悪化に至る」という事実を「立法事実」と呼ぶのです。

ポイントは、その法規が制限する権利のカテゴリーの違いによって、裁判所が審査する立法事実の合理性や現実性の度合が異なること。例えば、精神的自由と経済的自由とでは許される権利制限の度合に違いを認める所謂「二重の基準論」を採用する通説(あるいは、民主主義のプロセスに直接関係することに、経済的自由に比べて精神的自由、就中、政治的な表現の自由がより手厚く保護される根拠を見る松井茂記さん等の通説の一派)は、積極的経済的な自由の規制(経済財政政策のための一般的な規制)に関しては、その規制法規の合憲性が推定され、すなわち、立法事実の存在と合理性も推定されるけれど、それに対して、その表現の内容面に着目した表現の自由の制限は、原則、違憲性が推定され、すなわち、立法事実の不存在と非合理性も推定されると考えているようです。

而して、問題は、私見によれば、外国人の権利の制限ではなく日本国民の参政権の制限である外国人地方選挙権の違憲性を「在日韓国人の韓国における選挙権が認められた」ことを内容とする立法事実から演繹することは筋違いではないかということです。蓋し、このイシューに関して議論されるべき立法事実は「外国人に対する地方選挙権付与が、どの程度日本国民の政治参加と政治的意思形成を歪めるか」ということに尽きるのではないか、と。そう私は考えています。

しかし、宇宙人はもとより「世界市民-地球市民」なる政治的実態が存在しない現在、荒れ狂うグローバル化の波濤から国民を護るものとしての「国民国家-主権国家」の意義がいよいよ高まっている現在、「近代国家、民主主義における国民とは国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。選挙で問題になるのは国家に対する忠誠としての愛国心だが、外国人にはこれがない」という長尾新説の認識は極めて妥当なものであり、この認識を基盤とする「国家-国民」「国民主権-民主主義」の概念を槓桿として、現在の国と地方の関係のあり方の現状から外国人地方選挙権の違憲性を導くことは正しい。長尾新説の憲法論としての価値はこの点にあり、そして、この「愛国心」の価値の顕揚は称賛に値する。と、そう私は考えます。









(2010年1月30日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 外国人参政権問題
ジャンル : 政治・経済




「麻生不動院のダルマ市」は一日のイベントとしては、ある意味、新百合エリアで一番有名な年中行事です。明治の終わり頃から、(雨が降ろうが雪が降ろうが、槍が降ろうが焼夷弾が落ちようが、はたまた、テポドンが飛んでこようが民主党が政権を取ろうが)必ず毎年1月28日に行なわれる。もちろん、私も仕事の段取りをつけて行ってきました。今回はそのダルマ市のレポート。尚、麻生不動院(不動尊)の場所については下記川崎市のHP記事をご覧ください。


・麻生不動のダルマ市
 http://www.city.kawasaki.jp/73/73tisin/miryoku/suishin/hakkei_10.htm

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まずは、麻生不動院(麻生不動尊)の豆知識の紹介。

◎麻生不動院(木賊不動)あさおふどういん(とくさふどう)
応永年間(1394年~1427年)、足利公方の庇護を受け堂舎が建てられ、鎌倉二階堂大楽寺開山願行上人鋳造の不動明王を安置した。現在の本堂は昭和43年(1968年)再建されたもの。不動尊は昔から「火伏せの不動」といわれ、火難から人を守る不動として信仰されてきた。毎年1月28日は初不動の縁日。境内から周辺にはダルマ市が立ち、関東の納めのダルマ市として賑わう。「ふるさと麻生八景」にも選ばれている。

【出典:川崎市 麻生の魅力】

 http://www.city.kawasaki.jp/73/73tisin/kankou/asaofudo.html


б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど!






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小田急柿生駅からバスで現地に向かいます。上は柿生駅からバス停に向かう道筋。ちなみに、所謂「日本三大ダルマ市」(①静岡県富士市の毘沙門天:旧正月の7日~9日、②東京都調布市の深大寺:3月3日~4日、③高崎市少林山達磨寺:1月6日~7日)のような50万人~20万人には負けますが、毎年1月28日には「麻生警察所の臨時現地警備本部」が設営されるくらいで、毎年6万人前後の人出はあるそうです。蓋し、麻生不動ダルマ市は、新百合住民の贔屓目では満更なくて関東レベルで見ても結構メジャーなイベントなんですよ。

と、バスに乗ります。バスの前面にもさりげなく「ダルマ市」の宣伝が(笑)

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柿生駅から麻生不動尊の最寄のバス停「麻生不動入口」までは道なりに1.7キロ、徒歩20分前後の距離です。ウォーカーとしては歩いて当然の距離なのですが、今回は仕事の都合もありバスを利用しました。バスで約8分といった所でしょうか。

と、バス停斜め前の道路には交通整理をする警察官の勇姿が。

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ちなみに、手前の警察官の方の左手に隠れている道路向こう側の石の道標は、前にこの連載でも紹介した(「南 市ヶ尾 川和 横浜」「西 柿生駅 鶴川 原町田 八王子」「北 柿生駅 近道真福寺 生田 登戸」「東 王禅寺 石川 溝ノ口」と記してある)あの道標そのものなのです。つまり、我々は今そんな場所にいるということ。ご興味があれば下の過去記事を参照してみてください。

【麻生不動尊関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:あざみ野~浄慶寺~柿生編(上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58193170.html

【麻生不動尊の近辺、月読神社関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編(八)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58745262.html







石の道標地点から麻生不動尊までは、Yahoo地図のお見立てでは道なりに徒歩約250メートル(匍匐前進しても兎跳びでも250メートル)。その間、道の両側にはほとんど隙間なく屋台が並んでいます。また、要所要所の小さな広場には植木市が。かなりの賑やかさです。

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屋台は食べ物系だけではなく、こんな子供の(否、TVゲーム全盛の今は、寧ろ、「大人の」でしょうか)遊び心をくすぐる屋台も。

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と、その横には、

そう、

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民主党政権ができた<8・30>の総選挙で、落選必至、立候補することに損はあっても得は全くないことを熟知しつつ、「裏切り者=山内康一」が逃げ出した神奈川9区の自民党不戦敗だけは阻止するべく、己を空しうして断然立候補に及んだ、そう、我等が中山展宏氏のポスターでした。


б(≧◇≦)ノ ・・・よく立候補した、中山展宏候補!
б(≧◇≦)ノ ・・・家族・親族ぐるみでよく戦った、中山展宏候補!







大きな声を出してすっきりした所で麻生不動尊の前を流れる真福寺川に掛かる橋にでます。そこには「下麻生自治会警備本部」の案内が。実際、「PTA」や「パトロール」の腕章をつけた方をたくさん見かけました。

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ここから麻生不動尊までは100メートル足らず。而して、その100メートルの道中も、左右は<大人の子供心>をわくわくさせる屋台がびっしりでしたよぉー。ということで、いよいよ麻生不動尊に到着です。

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而して、

お参りもそこそこに、

お目当てのダルマを物色(笑)

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ちなみに、売り子さんに聞いたら、不動尊までの道中にある屋台のダルマ屋さんは外部のお店で、不動尊境内のダルマ屋さんは地元のお店だそうです。値段は一番小さいのが2,000円、一番大きいのが18,000円。4,000円前後のものが一番の売れ筋のようでした。ちなみに、我が家は置く所もないので一番小さなダルマをいただきましたが、200円まけてくださいました。

尚、ネットで検索したら(店じまいが近くなると)2,000円のダルマは1,500円にはまけてくださるそうですが(笑)、縁起物を値切っても仕方がない、というか、本末転倒なので1,800円でありがたくいただいてきました。と、ブログには書いておきます。

ヽ(^o^)丿






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而して、お代を払うと、「よよよい、よよよい、よよよい、よい♪」と、三三七拍子よろしく、粋でいなせな掛け声と火打ち石で、ダルマに魂を吹き込んでくれる。実は、麻生不動尊でダルマを買うのは私は初めてだったので、買ったお店で(持ち帰り用の)「袋に入れてください」とお願いしても入れてくれずダルマを「むんず」と渡された。

で、「な、な、なんだよー聞こえないのかよぉー!」と心の中で呟いていたら、

よよよい、よよよい、よよよい、よい♪

が始まり、

その掛け声と火打ち石の儀式の後にはちゃんと綺麗な袋に入れてくださった。マジ、心の中で赤面してしまいました。いやー、財務大臣が「公共投資の乗数効果」の概念を知らないのは赤面ではすまないでしょうが、「無知の智」ではなく「無知の恥」とはこういうことなの、鴨。

ところで、


麻生不動のダルマ市は「関東の納めダルマ市」として結構有名らしいと上でも書きましたが、けれど、それこそ日本三大ダルマ市の中でも、そして、武蔵国に限定しても「東京都調布市の深大寺」のダルマ市は3月3日~4日。じゃ、なんで「納めダルマ市=最後のダルマ市」なのか。

思うに、

それは新年の願掛け用のダルマを求めるダルマ市の中で最後のものということじゃないのか。と、この願掛けを粋でいなせに演出してくれる「よよよい、よよよい、よよよい、よい♪」を自分の買ったダルマに対してしてくださるのを聞いて、そう直感しました。旧暦システムで小の月(29日)に一月がなることも考えて、その場合でも最後の日の前日にはなる1月28日に毎年市が立つようになったの、鴨。と、そういう仮説を立てたということ。
    
 

皆さんはいかが思われますか。

いずれにせよ、

ということで、

無事にダルマ市でダルマをゲット。慌しく帰路に向かいます。下は帰路の屋台で見かけた招き猫。「来年も来いよにゃー」と言ってくれてる気がして、パチリんちょと記念撮影。と、この招き猫の画像で今回の「ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編:麻生不動ダルマ市」もお仕舞いです。最後まで読んでくださってありがとうございました。

【ダルマの目の入れ方】
 http://www.daruma1.com/wish.html

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(2010年1月28日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 我が街☆新百合ヶ丘
ジャンル : 地域情報




こんな報道が「外国人地方選挙権」を巡って話題になっているようです。


●外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす 
千代田区永田町の憲政記念館で25日に開かれた「永住外国人地方参政権付与に反対する国民集会」。国会議員、地方議員や識者らがげきを飛ばす中、日大の百地章教授(憲法学)が、国内で最初に付与許容説を唱えた学者が自説の誤りを認めたことを明らかにした。

百地氏によると、外国人の参政権について「国政は無理でも地方レベルなら認めていこう」とする部分的許容説は昭和63年に中央大学の教授が初めて提唱。追随論が噴出し、平成7年の最高裁判決の傍論もこの説に影響を受けたとされている。

昨年、百地氏が著書をこの教授に送ったところ、「外国人参政権は、地方選でも違憲と考えます」と書かれた年賀状が送付されてきた。本人に電話で確認したところ、「修正する論文を発表する」と明言したという。

百地氏は「外国人参政権が憲法違反であると、とうとうわが国最初の提唱者にさえ否定されたことは極めて注目すべきこと」と強調。

さらに「わざわざ憲法を持ち出すまでもなく、わが国の運命に責任を持たない外国人を政治に参加させることは危険すぎてできない」と述べた。(引用終了:産経新聞・2010/01/26)



この記事に関して3名のファンの方から問合せがありました。コメント欄にも書きましたが、結構、大切なことだと思い返し、記事にしてアップロードすることにしました。

而して、質問とは次の二つ。


[質問]
この中央大学教授とは誰ですか?

[回答]
おそらく「違憲ではないとの判決の傍論の元になった中央大の教授」とは、長尾一紘さんのこと。而して、(この百地さんの学説史理解は必ずしも正確ではないですが)「部分的許容説は昭和63年に中央大学の教授が初めて提唱」とは、

・「外国人の人権一選挙権を中心として」(『憲法の基本問題-別冊法学教室』:1988)

のことだと思います。尚、この論点に関する長尾さんの見解は、

・「外国人の選挙権」(法学教室54号・1985)

が一般には初見であり、また、

「外国人の選挙権論についての一考察」法学新報第106巻五・六号(1999年)

が更に彫琢を加えたもの。而して、著書の

・『外国人の参政権』(世界思想社・2000年)

そして、最新の論稿

・「永住外国人の地方参政権―現状と課題」『都市問題』92巻4号(2001年)

が現在の所の長尾説の集大成だと私は考えています。

ただ、国立国会図書館の次の調査文献(P172の注8)にも明らかなように、上の最新の論稿でも長尾さんは、外国人の「地方議員の選挙権について、憲法解釈上は許容説を採るが、立法政策論上は否定説を採用」しているわけであり、今般、長尾さんがこの「許容説-立法政策的には不適当」という政治的な主張を越えて、憲法論的にも「違憲説-立法政策的にも不適当」の立場に説を改められたのかどうかは今のところ不明としか言いようがないと思います。

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/document/2008/20080128.pdf



[質問]
外国人参政権反対派のブログでは「日大の百地章教授の地道な啓蒙活動により、自説を撤回した」とか書いている人もいますが、憲法学界全体の様子はどうなのでしょうか?

[回答]
もし、長尾さんが「国政否定-地方要請説」または「国政否定-地方容認説」から「国政否定-地方否定説」に説を本当に変えられるのだとすれば、それに対して影響があったと思われるのは、百地さんの啓蒙活動とともに、この分野の第一人者・青柳幸一(筑波大学)と憲法学の第一人者・長谷部恭男(東京大学)の両氏が、許容説から一歩(しかし明確に)距離を置くことを表明されたことだと思います。

すなわち、

「外国人選挙権・被選挙権と公務就任権」(ジュリスト・2009年4月1日号)。

特に、このジュリスト所収の対談記事で、青柳さんが、1995年最高裁判決傍論の「外国人に対する地方選挙権の付与を憲法が禁じているわけではなく、それは立法政策の問題である」というのは現在の所、(それ以後の判例を拘束する)最高裁の先例とは言えないと明確に語られたのは(そして、その対談に同席されていた長谷部さんがこの青柳発言に特に反論していないことは)、他の憲法研究者に対して極めて大きい影響を及ぼしたのではないか。

蓋し、このジュリストの特集記事は地味だけど許容説には破壊的なものになったの、鴨。と、そう私は考えています。

ということで、

外国人地方選挙権の粉砕まで、もう一歩です。
油断することなく、これからも頑張りましょう。



[備考]
外国人地方選挙権に関する憲法論としては下記拙稿をご参照ください。要は、このイシューに関しては百地さんの主張も厳密に言えば間違いであり、失礼ながらその程度の杜撰な「違憲論」では、民主党系の御用学者に論破される恐れがなくもないということ。

尚、第二の記事が第一の記事のダイジェストになっています。而して、結論だけ知りたい向きは第二の記事だけで十分、鴨(笑)

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html

・「もしも外国人地方参政権が成立したら?」の誤謬と真実
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59103437.html





(2010年1月28日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 外国人参政権問題
ジャンル : 政治・経済

靖国2009年末s


保守主義とは何か? このテーマが日本でも世界でもいよいよ実践的な重要性を帯びてきていると思います。グローバル化、すなわち、資本主義の一層の昂進に対して人類はいかにしてその生活と生存を守ることができるのか。あるいは、資本主義と鋭く対立する側面も持ちながらも、ある意味、グローバル化の裏面でもあるリベラリズムの浸透、「地球市民」なるものを標榜する伝統破壊のこの思想潮流に保守主義はいかにして拮抗し得るのか。これらは、『大学』に所謂「修身斉家治国平天下」の四個すべてのプロセスに影響を与えつつあるのではないか、なぜならば、「修身斉家治国平天下」を成し遂げるための主体的格率(maxim)である「格物致知誠意正心」の内容確定において、保守主義の意味内容、あるいは、保守主義とリベラリズムの関係性はパラメーターとして機能するだろうからです。

私はこのブログで既に「保守主義とは何か」という問いに対して自説を展開しています(下記拙稿参照)。畢竟、自己の自己同一性を保つための恒常的な伝統の再構築と、そのような伝統を公共的で実定的な社会規範に高める漸進の前進の営み。これこそが保守主義の本性である、と。すなわち、

保守主義とは、世界と社会と歴史についての総合的で体系的な理論ではなく、ある歴史的に特殊な特徴を持った「社会認識のための姿勢」と「社会改革を実践する態度」であり、その基盤は「人間存在の有限性」と「自己の歴史的特殊性」に対する確信に遡り得る「実存主義的な価値相対主義」「経験主義的な現実主義」である。畢竟、伝統は自己の自己同一性を形成する不可欠のパーツであるがゆえに保ち守られるに値する価値を持つ、と。


恒常的な伝統の再構築。これを(シャム双生児の関係にあると看做し得る)戦後民主主義を信奉する勢力と憲法無効論なる妄想に囚われている国粋馬鹿右翼という左右の観念的な社会主義と比べれば、「保守主義」と「社会主義≒リベラリズム」の違いは明確だと思います。

而して、保守主義の具体的な意味内容については旧稿に譲り、本稿では上で述べた如き保守主義の本性から演繹される、①伝統尊重、②人間の有限性の確信と反教条主義、③国家権力にあまり多くを期待しない心性といった保守主義のエッセンスと私が考えるものに絞って自説を敷衍したものです。

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html


■保守主義と伝統の多様性と単一性
旧稿でも書いたことですが、「保守主義」の再定義の前哨として、「言葉の意味」について確認しておきます。蓋し、私はどの用語を誰がどのような意味で使用するかは、それが、(甲)専門家コミュニティー内部で確立している一般的な用語法に従っているか、そうでなければ、(乙)その話者が事前に当該の言葉を明確に定義している限り基本的に自由であると考えます。

すなわち、概念実在論が想定していたような「言葉の本当の意味」なるものはこの世に存在しないのであって、言葉を使った相互討論が生産的で有意味なものになるか否かは、「言葉の正しい意味」ではなく、討論参加者の「言葉の正しい使用方法やマナー」に依存する、と。概念実在論を最終的に葬った分析哲学に従い私はそう考えています(尚、この論点に関しては下記拙稿の前段を参照してください)。

・「プロ市民」考
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57630212.html

蓋し、「保守主義」という言葉もまた本質的に多様ならざるを得ない。まして、例えば、イスラームとアメリカの伝統が異なるように各国各民族が唱える「保守主義」の具体的の意味内容も異ならざるを得ない。この経緯は共時的のみならず通時的な要因からもまた加速される。

すなわち、土台、「主権国家」「民族国家」、否、「民族」という概念自体が極めて歴史的なものであり、畢竟、一般に「主権国家」と「主権国家間の関係としての国際法秩序」を確立したとされるウェストファリアー条約体制(1648年)の後も1世紀余り、近世と近代の渾然融合は続いたのであって18世紀半ばまでは「主権国家」も「民族」も地球上に存在してはいなかった。ならば、「日本の固有の伝統」や所謂「法の支配」を可能にする「英国社会に普遍的な法」なるものがこの世に存在し得ないこともまた当然でしょう。後者に関しては、名誉革命(1689年)における「議会主権の確立」、および、階級対立の先鋭化を受けた19世紀後半以降の制定法の社会化とコモンローに対する制定法の優位の確立を想起すれば自明な如く、「法の支配」なる原理にいう「法」の意味もまた極めて歴史的で可変性を帯びたものなのですから。

実際、我が国においては、幕末・明治初葉までは「国家」とは統治の主体たる大名家中と統治の客体たる領地・領民を指す、ローカルガバメントに関する言葉でした。更に、ゲルナーが喝破した如く、例えば、現在、我々が「日本的なもの」「日本古来のもの」と感じているものの少なからずは、「皇国史観」然り、「家父長制的な家族関係」然り、「教育勅語」然り、明治維新を契機に人為的に作り上げられた表象にすぎないこと。これまた否定できない事実なのです。而して、「終身雇用制」や「年功序列制」に至っては(「農地改革」とともに)国家社会主義を目指した所謂「1940年体制」の産物であり、戦後改革の中でこれらが日本の伝統的なものと錯覚されたのは心理学で言う所の「記憶の自己改竄」に他なりません。
    
民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。(中略)

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
 引用は同書(岩波書店・2000年12月)pp.95-96】


「国家」も「民族」も歴史的表象でありその意味内容も可変的で多様なものとすれば、これらを依代とする「保守主義」の意味内容もまた可変的で多様なものにならざるを得ないことは自明でしょう。これが、先に述べた、保守主義の意味内容は共時的のみならず通時的な要因からも本質的に多様ならざるを得ないという私の主張の背景です。


では、「日本の伝統」などはこの世に存在しないのか? 
保守主義とは定まった意味内容を欠く空疎な社会思想なのか?

否、です。伝統とは、よって、保守主義とは伝統の恒常的な再構築の営みに他ならず、「日本的なもの」「日本古来のもの」は厳然と存在している。ただ、それら個々の表現形が通時的な普遍性を必ずしも持たないだけのこと。つまり、伝統とは外化され物象化され物神性を帯びる個々の事物ではなく、伝統を再構築する人々の意識と規範と行為に憑依する(ポパーの言う意味での「世界Ⅲ」(★)としての)何ものかに他ならない。

★註:世界Ⅲ
カール・ポパーは『客観的知識』第3章・第4章で、「考えられる対象」と「考える行為」と「考えられた内容」とは、相互に密接な関係はあるだろうが、それぞれ別の独自法則性を持つ領域であるとして、それぞれを世界Ⅰ・世界Ⅱ・世界Ⅲと名づけ区別しています。蓋し、学問体系・常識・生活のノウハウ等々は、すべて、公共的な言説空間に間主観的に存在するものであり、もちろん、それらはすべて人間の主観が産み出した産物には違いないけれど、他方、それが産み出された後、間主観性を帯びて以降は、最早、「非主権的-客観的」な知識と言うべきものである。と、そうポパーは考えます。

単なる「物の世界:世界Ⅰ」や「主観の世界:世界Ⅱ」とは別次元の「間主観的な知の世界:世界Ⅲ」は確かに存在している。例えば、誰しも、義経が頼朝に危険視されて討伐された事実を知っている。あるいは、かぐや姫が求婚者を体よくあしらって最後には月の世界に帰る結末を知っているし、憲法無効論の信徒がいかに悲憤慷慨しようが、外国人地方選挙権の賛否を巡る「保守派-良識派」と「リベラル派-売国派」の議論は現行の日本国憲法の条規や最高裁の過去の判決を前提にして戦われている。歴史的事実も御伽噺も現行憲法も「物の世界:世界Ⅰ」ではなく、論者の主観にのみその場を占めるものでしかないにも関わらずそれらは間違いなく間主観性を帯びているのですから。



畢竟、歌舞伎や狂言が日本の伝統のパーツであるのと全く同じ論理的な資格で劇団四季のミュージカルも新国劇のオペラも日本の伝統のパーツである。ボンカレーもカップヌードルも、女子高校生のセーラー服も甲子園の球児達の仕草やそぶりも日本の伝統のパーツなのです。換言すれば、伝統とは伝統的な個物と制度を恒常的に再構築するコミュニティーメンバーの心性と行動に他ならず、保守主義とはそのような伝統的の個物と制度の再構築に価値を置く社会思想であり、この意味の伝統と保守主義は、「共時的-通時的」に単一の表象として「世界Ⅲ」の中に厳然と存在している。

而して、現行憲法第1章にインカーネトしている「皇孫統べる豊葦原之瑞穂国」というこの社会を統合する<政治的神話>も、所謂「夫婦別姓」を断乎拒否する「家父長制的な家族イデオロギー」も、そして、「教育勅語」もまた日本社会の醇風美俗であり日本人が堅持すべき伝統である。と、そう私は考えています。

本節の帰結を定式化すれば以下の通り、

(甲)伝統とは事実ではなく表象である。それは「世界Ⅲ」にその場を占めている

(乙)伝統の価値は事実から演繹されるのではなく伝統に価値を置くコミュニティーメンバーの心性によって効力を獲得する

(丙)民族が異なれば、また、時代が異なれば、あるいは、属する社会階層や居住する地域の生態学的社会構造(自然を媒介にした人と人との社会関係のあり方)が異なれば伝統の内容もまた異なってくる。その意味での伝統と伝統に価値を置く保守主義の意味内容は極めて多様である

(丁)伝統に価値置く心性と伝統の恒常的な再構築という行動パターンは諸民族・諸国民に広く観察されるのであり、それらの伝統と伝統の恒常的な再構築に価値を置く社会思想は単一の思想類型と言える。畢竟、保守主義とはそのような思想類型に他ならない




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■反教条主義としての保守主義
資本主義が一層その勢力を拡大深化させている21世紀の現在、保守主義の死活的に重要な意味内容として私はその「反教条主義」に注目しています。詳細は旧稿に譲るとして、「保守主義と反教条主義の論理的関連」は次のように整理できると思います。

◎伝統に価値を置く心性
・伝統の苗床としての家族とコミュニティーと民族に価値を置く心性
・伝統以外の新規な理論や教説にいかがわしさを感じる心性
・この世に人知の及ばない領域の存在を肯定する、人間の有限性に関する確信
・価値相対主義的な世界観の採用と自己の格率としての伝統的な社会規範の選択
・自己と異なる伝統に価値を置く「他者=異邦人」の保守主義の尊重
・価値相対主義を軽視する左右の教条主義に対する軽蔑

保守主義をこのような心性に貫かれた社会思想と措定するとき、最も豊潤で中庸を得た保守主義の具体的モデルとしては、()そのコミュニティーに自生的な法規範が認める権利を不可譲のものと捉え、かつ、()具体的な事件における司法においてその法規範を実際に運用することで、()国家権力の人為的な立法に頼ることなく社会に生起する紛争を可能な限り解決するという「社会的擬制-イデオロギー」として英米流の保守主義は定式化できると私は考えています(★)。

より一般的な社会統制の場面にを背景に換言すれば、()そのコミュニティーに自生的な社会規範と慣習に価値を認めること、()教条的な理論による予定調和的な紛争の一括的な解決ではなく、具体的な個々の事件毎に公共的な言説空間における討議を通して、()国家権力の権力をできるだけで使用しないで社会に生起する紛争を可能な限り解決することこそ、保守主義の社会思想と親和的で整合的な社会統合の仕組ではないか。と、そう私は考えるのです。

而して、旧憲法に比べアメリカ憲法との親近性を増した憲法典を実定憲法の一斑としている我が国であれば、社会思想の領域でも英米流のマチュアーな保守主義を移入することは十分に可能ではないか。いずれにせよ、このような保守主義が「政治主導」を掲げ、権力の万能感に高揚して理性を喪失しつつあると見えなくもない民主党政権の「リベラリズム≒社会主義」、そして、「地球市民」なる空虚な表象を実体と錯覚している憲法9条教の主張、あるいは、ヘーゲルばりの「国家アイデンティティ=国体」の普遍性を夢想する憲法無効論とは対極にあることは間違いないと思います。

★註:保守主義と英国分析法学
旧稿でも記した如く、日本では英米の保守主義を精力的に紹介しておられる中川八洋氏の著書、例えば、『保守主義の哲学』(2004年)等々の影響か、コモンローと司法ではなく法の社会化を目指し立法と国会主権を果敢に推進したベンサムを保守主義の対極と理解する論者もまま見かけます。

けれども、世界的に見ても英国の分析法学研究の先駆者と言える八木鉄男先生が、例えば、『分析法学の潮流―法の概念を中心として』(1962年)、『分析法学の研究』(1977年)で提唱されたように、この認識は片手落ちと言うべきもの。なぜならば、法理論面でのベンサムの参謀格ジョン・オースティンの分析法学に結晶しているように、「法=主権者命令説」と呼ばれる「ベンサム-オースティン」の主張は、法が社会統制に容喙できる範囲と権威を限定して、以って、広く実定道徳による社会統制を考えていたと解すべきだからです。蓋し、それが所詮、歴史的事実ではない「物語=イデオロギー」であることを踏まえるならば、所謂「法の支配」で言うところの「法」と「道徳」にはそう大きな違いはないと考えられるから。と、そう私は考えています。



■国家と保守主義
保守主義は国家権力の積極的行使には疑義を呈する社会思想です。この一点では、保守主義は資本主義、就中、自由放任の旗幟を鮮明にした新自由主義と極めて良好な関係にあると言える。他方、保守主義は、地域の文化と生態学的社会構造を解体し伝統と歴史を相対化・無力化する資本主義の傾向(その制御が難しいという意味で盲目的で、かつ、時間的にも地域的にも無限の資本の自己増殖性)とは鋭く対立し、国家による資本主義の制御を正当化する社会思想でもある。蓋し、保守主義と国家は資本主義という与件を仲立ちにして重層的な矛盾の関係にあると言えると思います。

畢竟、元来、「デモクラシー」が小規模の社会集団を想定した社会思想であったのとパラレルに、おそらく、保守主義は伝統と歴史、文化と生態学的社会構造を共有する比較的小規模な地域コミュニティーを苗床として成立したのだと思います。保守主義は国家や民族とは必ずしも論理必然に結びつくものではなかった、と。

けれども、失楽園。

繰り返しになりますが、「18世紀-19世紀」の近代主権国家の成立以降、すなわち、「民族」なるものが(よって、「ナショナリズム」が)地球上に初めてその姿を現して以降、就中、資本主義が社会主義を崩壊させ、(アメリカを唯一の超大国に押し上げた同じ資本主義が)その唯一の超大国であったアメリカにさえ「大政奉還」を迫りつつあるグローバル化の昂進著しい現在、保守主義は地域コミュニティーの社会統合を専ら担う社会思想ではなくなった。

蓋し、保守主義はその意味具体的内容の供給を、元来、保守主義と親和的ではない「国家=民族」からも受けざるを得なくなったのであり、逆に、保守主義は近代主権国家の社会統合を担う「政治的神話=イデオロギー」としてのナショナリズムをも包含するに至ったの、鴨。それは、20数億年前の太古の海で、元来、別の生命体であった原ミトコンドリアと原核生物が合体して真核生物が生まれたようなもの、鴨。と、そう私は考えています。整理すれば以下の通り、

◎保守主義の弁証法的変遷と国家との重層的関係の成立
(1)地域コミュニティーの社会思想としての保守主義
   ↓
(2)資本主義の成立
   ⇔資本主義の自由放任性と親和的な保守主義
   ↓
(3)近代主権国家・民族国家の成立
   ⇔国家の権力行使と国家の正当性と疎遠な保守主義
   ↓
(4)主権国家の社会思想としての保守主義
   ↓
(5)グローバル化の時代の保守主義(A+B)
 ●グローバル化の時代の保守主義-保守主義A
 ・国家に期待せず国家の介入を忌避する社会思想
 ・ヘーゲル的な絶対精神としての国家観念を忌避する社会思想
 ●グローバル化の時代の保守主義-保守主義B
 ・国家による資本主義の積極的な制御を正当化する社会思想
 ・ナショナリズムを包摂するともすれば排他的な社会思想


言うまでもなく、「国家」も「民族」もフィクションであり擬制にすぎません。けれども、ケルゼンが見事に定式化したように(例えば「巨人軍」などこの世に物理的に存在しないにもかかわらず、谷や小笠原のスリーランホームランが出れば「巨人」に3点が「記録される=帰属する」ことでも分かるように)それは権利と義務、意味と価値が帰属する(法システムの世界で生成された)「帰属点」なのです。

而して、ゲルナーが喝破した如く、「国家」や「民族」、そして、「ナショナリズム」の意義はそれが単なるイデオロギーにすぎないことでは毫も否定されない。それは、実際に、国内的には社会統合と社会統制の機能を果たしており、対外的には諸国民の生存と活動を保障し、更に、グローバル化の昂進著しい現在では、それは資本主義から諸個人の生存と生活を守り、加えて、資本主義がもたらす諸個人のアイデンティティクライシスを緩和して、当該の国家社会がアノミー化することを防ぐ、近代国家成立以降の人類にとっては死活的に重要な「イデオロギー=世界Ⅲ」だからです。

私が尊敬してやまない小平先生の顰に倣えば、「黒猫も白猫も鼠を取る猫が良い猫」であるように「人間の社会生活を安定させ、人間の生存と生活を保障するイデオロギーは良いイデオロギー」であり、現在において国家も民族もナショナリズムも全体として見れば良いイデオロギーと言える。と、そう私は考えています。

蓋し、近代主権国家の成立以降、比喩的に言えば、人間は「ある国家のユニフォーム」を纏わない限り、国内的にも国際的にも行動することが難しくなった。つまり、ユニフォームは単なる記号にすぎないにしても、ユニフォームを着ていることが国の内外を問わず社会的活動というゲームに参画する基本的なルールになっているということ。ならば、どこの国のユニフォームを着るべきかというルールには白黒はっきり言えばほとんど必然性はないけれども、どこかのユニフォームを着用しなければならないというルールと、そして、とりあえずどこのユニフォームを着るべきかのルールが定まっていることには十分な合理性がある。而して、ナショナリズムを包摂する(反インターナショナリズムとしての)現在の保守主義は、そのような、国家規模のユニフォームの着用ルールを正当化する機能をも果たしているのではないでしょうか。尚、この点に関しては下記拙稿を是非ご参照いただければ嬉しいです。

・外国人がいっぱい
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html

・揺らぎの中の企業文化
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html


上記の考察を踏まえ、我々保守改革派が現下の日本において保守主義に盛り込むべき具体的意味内容は如何。このことを最後に一瞥しておきたいと思います。

蓋し、それは、①「自己責任の原則」が貫徹される、かつ、誠実さと勤勉さとを備えた敗者には「何度でも勝負する機会」を与える活気溢れ社会、および、②伝統の恒常的な再生、すなわち、日本社会統合のための<政治的神話>として「日本=皇孫統べる豊葦原之瑞穂国」のイデオロギーを常に再構築する社会、更には、③そのような日本社会を統合する<政治的神話>をリスペクトする限り、能力ある善良なる外国籍日本市民を排外することのない開かれた社会、そして、④地方コミュニティー再生にプライオリティーを置く社会思想ではないか。

而して、『孟子』「梁上編」に曰く、「無恒産、因無恒心:恒産なくして恒心なし」。そして、『論語』「顔淵編」に曰く、「子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立」から逆に導かれるように、生存と秩序はすべての社会思想が<政治的神話>として機能する前提条件である。

このことを鑑みれば、我々が希求すべき保守主義の意味内容には、⑤国防と食糧は当然、歴史認識を巡るイデオロギー戦を含むあらゆる部面での<国の安全保障>において、自国は自国で守る意思と力の涵養を怠らず、他方、狡猾誠実に同盟国との連帯を維持強化できる現実主義的な国家、そして、⑥国際法と確立した国際政治の慣習を遵守する国家を正当化する内容もまた盛り込まれるべきである。そう私は考えています。








(2010年1月24日:yahoo版にアップロード)

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う~ん、全部で何部申し込もうかなぁ。


友達にも配っちゃおうか(笑)



でもでも……


「故」の字がすごく悲しいですね。





転載元:和・・輪・・倭・・環・・話・・わぁ~
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59158445.html






(2010年1月23日:yahoo版にアップロード)

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すべての英語のセンテンスは五つの類型に整理できる。これが「5文型論」の前提であり帰結です。もし、この主張が正しいとすれば、「すべての英語のセンテンスには、ただ一つの主語と唯一の述語動詞しかない」ということになるはず。蓋し、下の表を見ればそう言わざるをえません。

[第1文型] S→V
[第2文型] S→V→C
[第3文型] S→V→O
[第4文型] S→V→O→O
[第5文型] S→V→O→C

では、複文や重文のケースはどう考えたらよいのか。

There is no rule but has some exception.
(例外のない規則はない)

確かに、等位接続詞(and, but, or, nor, so, for, yet)が導く節(等位節)は、「すべての英語のセンテンスには、ただ一つの主語と唯一の述語動詞しかない」という命題の例外かもしれない。けれど、英語のセンテンスの紛う方なき一要素にすぎない従属節、そして、その従属節を含む複文のケースはどう考えたらいいのか。

例えば、

When I first became a member, the cost was $25 per month.
(私が最初にメンバーになった時には、その費用は月に25ドルでした)
[TOEICテスト新公式問題集4, Test1, Part7-問題160-161]

このセンテンスを説明する際、(私を含め)多くの英語教師は、従属節の中の「S→V」構造に関しては「述語動詞became の主語はIですよ」と教えているのではないでしょうか。

私は何が言いたいのか。

それは、「従属節の「主語」「述語動詞」と主節の「主語」「述語動詞」を区別する必要があれば、「becameとIは接続詞whenが導く副詞節の中の述語動詞であり主語である」とそのたび毎に言えばいいだけのことだけれど、それは思考の経済から見ても無駄だから、普通誰もそう言わないだけだ」、と。

こういう主張は英語の初心者にとってはあまり親切なものではないのではないか。そう私は感じてきたということです。蓋し、世界でも稀な「5文型論」を方便にせよ英語教育において堅持するとすれば、この複文の説明においてももう少し筋を通すべきではないか、と。

そう考え、而して、あくまでも教えるためのツールとしてですが、英語センテンスの記号表記の方法を工夫してみました。すなわち、この従属節と主節の関係を整理して、複雑な英文をビジュアルに理解するために「階層構造」と「記号化」の考えを導入し、もって、英文を形式論理的に把握できるように工夫してみたわけです。なんとか最初に英文の骨格のみをあたかも「レントゲン」で透視するが如く見て取る術を英語の初心者に伝えられないか。そう考えたということ。

しかし、自分で言うのもなんですが、以下述べることは「学術的な知見」とは無縁の、ある意味、英語を教える立場にある者の<遊び>にすぎない、鴨。そういう(いい加減な気持ちで考えたものでは誓ってありませんが)スタンスで目を通していただければと思います。

尚、「5文型論」に関する私の考えについては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。また、本編内容と直接関係ありませんが、準動詞については下記の表記を私は使用しています。併せてご確認ください。


◎5文型論に関するKABUの理解

・【再出発の英文法】文型
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/44acbe36196ec583d19e6294e26980af

・なぜ日本では5文型論が生き残っているのでしょうか?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5b315dd60b6ef715fc92a701ae09bf76


◎準動詞のKABU式表記
・原形不定詞:ba-V
・to不定詞:to-V
・動名詞:Ving(g)
・現在分詞:Ving(p)
・過去分詞:Vpp



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●複文の階層秩序と英文の記号表記の試み(1) ―― 階層秩序
複文では、見かけ上は「S→V→~」に見える構造が、文の構成要素の1部としてあたかも主語や目的語、補語や修飾語の役割をはたしている。つまり、複文は「1つの文には1つの主語と唯一の述語動詞しかない」という原則に反する事例のようにも見えるし、また下記の文例のように、従属節が別の従属節の中にChinese boxesよろしく「入れ子」状態になっている場合もあって初級者が英文の骨格を把握する上での難関の1つになっている。

<例> 
This has meant that not much importance has been given to logic or reasoning as instruments for reaching mutual understanding in Japan, which becomes more and more difficult, even in the country.
(このことは、相互理解に到達する手段としては論理や推論が、日本であまり重要視されてこなかったことを意味する。相互理解に達するのは、日本でも益々困難になっているのだけれども)

例文のthat以下の節は、文全体(Thisの大文字のTからin the countryの後ろのピリオドまでの文全体)の目的語(O)になっている。さらに、which以下の節は、that以下の部分における修飾語(M)の役割をはたしている。つまり、whichの節はthat以下の節に、that以下の部分は本文全体の入れ子になっている。

例文全体は、主語→述語動詞がThis has meant、そしてthat以下を目的語とする第3文型の文であり、普通、S→V→Oと略記される。またthat以下の節だけに注目すると、主語がnot much importance、述語動詞がhas been given、そして、to logic~ in Japanとwhich以下が修飾語である。ここで、本文の中では目的語の役割を演じているthat以下の名詞節と関係代名詞whichが導くwhich以下の関係節は各々、S→V→M→MとRS→V→C→Mと記号化できる。

尚、RSは関係詞が関係節の中で主語の役割をつとめていることを示している。ゆえに、主節と2つの従属節を階層秩序に注目して記号化すると例文全体は以下の如く記述できる。

すなわち、

S→V→O(that:S→V→M→M(which:RS→V→C→M)’)’


上記の記述例では、that以下の節の「主語」はS’, even in the country はM’’と表現される。ダッシュ(’)の累乗数は、カッコと無縁の外側から数えた場合のカッコの数(外から数えて何番目のカッコの中に入れ子になっているか)に等しく、ダッシュが1個の要素を第1階層、2個のものを第2階層のものと名付ける。この記号法では、主節、すなわち、英文の本当の主語や述語動詞は、第0階層であり記号も通常どおりシンプルにSやVやOやCやMのままでよい。而して、レントゲンで当該の英文の骨格をまず把握するとは、最初は第0階層だけの意味を取るということである。


cocoro101s.jpg



●複文の階層秩序と英文の記号化の試み(2) ―― 記号化のためのルール
英文の記号化の12個のルールを明記しておく。この記号化のシステムは、

)節の入れ子構造をビジュアルに理解する上で便利であり、)「重文を除いて、英文には1つの主語と1つの述語動詞しかない」という原則と、複文には、見かけ上は「S→V→~」の構造が複数あるという事実を整合的に理解する上で有効であると思う。

而して、この階層化と記号化は、英文の意味を速く正確に把握できるようになるための補助訓練ツールとして便利ではないか。蓋し、英文に言わばレントゲンを照射し英文の骨格が表す所の大枠の意味を素早く把握し、そして、英文の骨格、つまり、第0階層の部分(主節)に、順に第1階層→第2階層→第3階層→・・・・・と意味内容を肉付けしていけば英文を「速く正確に理解」することが誰にでも可能となろう。この階層化と記号化はその能力開発のための補助器具である。もちろん、階層化も記号化も完全なシステムでは当然ないけれども。以下、システムのディテールを提示する。

<KABUの英文記号化ルール12箇条>
①並んでいる語の順序どおり記号化する

②英文の5つの構成要素、主語・述語動詞・目的語・補語そして修飾語をそれぞれ、S,V,O,C,Mと略記する

③修飾語は原則、状況語的修飾語のみ記号化し、付加語的修飾語の記号化は割愛してよい

④ある文の構成要素と他の構成要素との間には、(「→」の記号)を置き区別する

⑤従属節が全体として主語とか目的語とかの役割をはたすときは、S(S→V→~)やO(S→V→~)の様に記して「S」とか「O」の記号とカッコの間には(→)記号は置かない

⑥従属節はカッコで囲み、カッコの後ろにダッシュ(’)を打つ。尚、節の中の「見かけ上の主語」や「見かけ上の述語動詞」は、S’やV’と表現される。2重に入れ子になっている場合、即ち、第2階層の見かけ上の主語や述語動詞は、S’’やV’’となるわけである

⑦節を導く、接続詞/関係詞/疑問詞はカッコの先頭に明記し、コロン(:)で他の節の要素と区別する。但し、不明確に成らないのであれば、この接続詞は省略してもよい

⑧等位接続詞が導く等位節はカッコで括らず、S→V→C, and S→V→Cのように記す。関係代名詞や関係副詞の非制限用法が、実質的な等位節を導く場合も同様

⑨関係代名詞や関係副詞は、関係節の中で演じている役割によって、RS、RO、RC、RMと略記する。それぞれ、外見上は主語、目的語、補語、修飾語の意味である

⑩関係代名詞が前置詞の目的語になる場合には、(前置詞→RO)または(RO→S→V~→前置詞)と表現する

⑪関係節が、離れた先行詞を修飾する場合(先行詞と関係詞の間に他の語句が挟まっている場合)には、(先行詞⇒関係詞)のように記述して、修飾と被修飾の関係を明示する

⑫疑問代名詞が名詞節を導く場合は、(疑問詞=S→V→~)のように記して、疑問詞が節の中ではたしている役割を明記する(この疑問詞は省略してもよい)



<例1>
Emperor Godaigo moves his court to Yoshino, while Kyoto falls under control of Ashikaga Takauji who establishes the Shougunate at Muromachi, Kyoto.
(後醍醐天皇は朝廷を吉野に移し、その間、京都の室町に幕府を開いた足利尊氏により京都は支配されるに至る)

主節 Emperor Godaigo moves his court to Yoshinoは、第3文型の文。while 以下は、「その時一方では~」を意味する、事象の同時存在性を表す副詞節。S’=Kyoto, V’=falls, M’=under control of Ashikaga Takaujiと把握できる。また、who以下はAshikaga Takaujiを修飾する関係節。これは第2階層の節であり、who=RS’’, establishes=V’’, the Shougunate=O’’と記号化できる。よって例文全体は、

S→V→O→M(while:S→V→M(who:RS→V→O→M)’)’


<例2> 
A prime number is any whole number larger than 1 that can be evenly divided only by itself and 1.
(素数とは、1より大きい整数の中で、それ自身と1でしか割り切れない数である)

例2の that 以下は any whole number を修飾する関係節。主節の主語は A prime number であり、述語動詞が is、補語を any whole number、修飾語を larger than 1とする第2文型の文である。that以下で関係代名詞thatは見かけ上の主語の役割をはたしている(RS’)。ゆえに、例2は、

S→V→C→M(C⇒that:RS→V→M)’

尚、C⇒RSは関係代名詞thatが直前のM(larger than 1)ではなく、1つ前のC=any whole numberを修飾していることを示す。


<例3>
At night the candle and fireplace were the chief source of light for Colonial North American people, but their light was poor.
(北米植民地の人々にとって、ろうそくと暖炉が夜の主要な明かりだった。しかし、それらの明かりはごく弱いものだった)

At night ~ for Colonial North American peopleとtheir ~ poor の2つの等位節が等位接続詞 but によって連結されている。前節の主語はthe candle and fireplace、述語動詞はwere、補語はthe chief source of light であり、At night と for Colonial North American people は共に修飾語句である。後者の節では、their lightが主語、wasが述語動詞、poorが補語になっている。尚、2つの節とも第2文型の節である。よって例3の記号化は、

M→S→V→C→M, but S→V→C 


<例4>
The dimensions of the cosmos are so large that using familiar units of distance, such as meters or miles, would make little sense.
(宇宙の規模は大変大きいので、メーターとかマイルとかの普通の距離の単位を使うことはあまり意味がない)

例文は、主節The dimensions of the cosmos are so largeと、従属節that using familiar units of distance, such as meters or miles, would make little senseで構成されている。従属節は、程度対照を表す副詞節である。

主節は、主語をThe dimensions of the cosmos、述語動詞が are、そして補語を so large とする第2文型の文であり、S→V→Cと表現される。他方、従属節はusing familiar units of distance, such as meters or miles が第1層の主語であり、would make が第1階層の述語動詞、そしてlittle senseが第1階層の補語である。ゆえに、第1階層の従属節は記号化すると(that:S→V→C)’になる。ゆえに、例4は上記の記号化のルールからは、

S→V→C→M(that:S→V→C)’


<例5>
A group of paintings made about 16.000 years ago in a cave in the Loire River valley in what is now France depicts a number of different animals.
(約16000年前に、今のフランスにあるロアール川の渓谷付近の洞穴に書かれた壁画群には、多くの種類の動物が描き出されている)

例5の主節の主語・述語動詞は、A group of paintings → depicts であり、文末の a number of different animals が主節の目的語。made ~ in the Loire River valley in what is now France は修飾語であるから、主節は、S→M→V→Oと記述できる。修飾語の中にある従属節の what 以下は、関係代名詞 what が関係節の主語(RS’)、is が述語動詞(V’)、Franceが補語(C’)である。よって、例5は、

S→M(what:RS→V→C)’→V→O


<例6>
I don’t know who solved the world’s most famous mathematics problem, Fermat’s last theorem.
(私は世界でも最も有名な数学の問題であるフェルマーの最終定理を誰が解いたかを 知らない)

ルールの⑫により、

S→V→O(who=S→V→O)’


<例7>
Criminal procedure about which I know a little seems a very dull subject.
(刑事訴訟法を私は少しは知っているが、それは実に退屈な科目に思える)

例文の主節は Criminal procedure seems a very dull subject と第3文型であり、主節の中に which の導く関係節 about which I know a littleが挿入されており、関係節は先行詞 Criminal procedure を修飾している。ところで、この関係節は、I know a little about Criminal procedure. と同じ意味であり、関係代名詞 which は前置詞 about の目的語になっていることがわかる。ここで、関係節だけを記号に変換すれば、about→which:RO→S→V→Mとなる。ゆえに、例7全体はルール⑩により、

S(about→which:RO→S→V→M)’→V→C




cocolo103s.jpg



●複文の階層秩序と英文の記号化の試み(3) ―― 関係節の記号化
KABUが提案する英文の記号化ルールのうち関係詞に関連するものを今1度整理しておく。もっとも、関係節の複雑な現象を完全に記号に還元することは難しく、これももとより完全なものではありえない。要は、試案である。

There is no rule but has some exceptions. ♪

◆関係代名詞や関係副詞は、関係節の中でそれが演じている役割(格)に着目して、RS, RO, RC,RM と略記する。それぞれ関係節の中で、主語、目的語、補語、修飾語として機能していることを示すことになる。

◆関係代名詞が前置詞の目的語になる場合には、(前置詞→RO)または(RO→S→V→~→前置詞)で表現する。尚、関係代名詞thatが前置詞の目的語になる時は、常に、(RO→~→前置詞)の語順でしか用いられない。

◆関係代名詞や関係副詞が制限用法で用いられる場合には、関係節をカッコで括るが、関係代名詞や関係副詞が非制限用法で用いられ、実質、等位節を導く場合には、関係節はカッコで括らず、例えば、S→V→C, RS→V→Cのように記す。

◆関係節が、数語を隔て少し離れた先行詞を修飾する場合(先行詞と関係節の間に語句が挟まっている場合)には、(先行詞⇒関係詞)のように記述して、修飾と被修飾の関係を明示する。


<例> 
An isosceles triangle is such a triangle with two sides whose measures are equal.
(2等辺3角形は、2辺の長さが等しい3角形である)

例文の主節は、S→V→C→Mの構文で、( M=with two sides )である。先行詞 two sides の意味を受ける関係代名詞の所有格 whose は関係節の中の主語(S’)measuresを修飾している。ゆえに、例文は、

S→V→C→M(whose:RM→S→V→C)’






(2010年1月19日:英語と書評 de 海馬之玄関にアップロード)

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テーマ : 教育問題
ジャンル : 政治・経済

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普通の高校生が通う、水商売・風俗業に特化した職業科高校
室積光『都立水商!』は、水商売・風俗業界で働く人材育成のために新宿は歌舞伎町に創設された架空の都立高校を舞台にした小説。よく考え抜かれた<パスティッシュ>であるだけでなく、現下のこの国の教育を考える上で大変参考になる。蓋し、本書は隠喩などではない直球ど真ん中の教育改革のビジョンと教育を巡る社会思想を提示している。そう思い、際物と見られかねないことを覚悟しつつもこの記事をアップすることにしました。

室積光『都立水商!』(小学館・2001年11月;小学館文庫・2006年4月)は、室積氏の原作をもとに(例えば、原作では中心的な役割を担っていた「ソープ科」が、おそらく諸般の事情を考慮してかメインストリームから外されている等、かなり大幅な設定変更が施された上で)漫画化(小学館・『週刊ヤングサンデー』(2003年21・22合併号)→『スピリッツ増刊 YSスペシャル』(VOL.1~VOL.5)→コミックス全22巻(2003年10月~2009年3月))とTVドラマ化(日本TV系・2006年3月28日)された作品です。

冒頭にも書いたように、本書は、例えば、小説では清水義範、鯨統一郎、漫画では川原泉、岡上二郎といったパスティッシュの名手の作品の水準に匹敵すると言ってよいと思います。他方、時代が憑依した作品、すなわち、時代精神と時代の思想的課題が力強く息づき出口を求めて咆哮しているという点では、本書は、例えば、横山秀夫氏の『顔 FACE』『ルパンの消息』『震度0』等の一連の警察組織内部の人間存在の実存を丁寧に描いた作品、漫画では、風俗嬢の実存を一種幾何学的に描ききった真倉翔・真里まさとし『吉原のMIRAIさん』等のジャーナリスティクな作品とも通低している。と、そう私は考えています。

而して、私が最も本書に感銘を受けたのは、繰り返しになりますが、その教育改革のビジョン、そして、教育はどうあるべきかを巡る社会思想でした。蓋し、『不思議の国のアリス』(Alice's Adventures in Wonderland, 1865年)の著者ルイス・キャロルは、「最初に兎が穴に飛び込むイメージが閃いた瞬間、ストーリーはあたかも毛糸玉をほぐすように芋づる式に浮かんできた」という意味のことを回想していますが、ひょっとしたら、室積氏は、①普通の高校生が通う、②ホステス科、マネージャー科、ソープ科、ヘルス科、バーテン科、ホスト科、ゲイバー科を擁する職業科高校というイメージが閃いた瞬間に本書の構想の過半をつかんだの、鴨。

けれども、それは、著者の教育に関するそれまでの並々ならぬ問題意識のたま物でないはずはなく、また、本書が大変優れた教育書であるという私の目利きがそう満更見当外れではないとすれば、それは、著者の研鑽と思索の積み重ねに加えて、上記①②の結合が掘り当てた社会思想的な地下水脈の豊饒さに起因するのではないかと思います。

以下、本書で特に私が感銘を受けた記述を紹介します。尚、本書は(小説も利潤追求とは無縁ではありえないこの国の出版業界の現状を鑑みれば仕方がないこととはいえ)、その過半近くは「野球小説」的のエピソードで占められています(文庫本で言えば、本編全319頁中、148頁の「水商野球部」以降の実に172頁がほぼ野球小説!)。ただし、極一部を除けば「18歳未満立入り禁止」的の記述はありません。


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公教育機関としての高校が果たすべき社会的機能と責務
畢竟、本書の白眉は、都立水商開校1年目、都立水商第一期生となる始めての生徒(それは同時に、日本初の水商売・風俗業の職業科高校の始めての生徒)とその保護者を迎えて行われた入学式の祝辞であろうと思います。都立水商初代校長矢倉茂夫氏、そして、文部省側で水商売・風俗業の職業科高校の設立を推進した(後に文部事務次官となる)滝川氏の祝辞です(本書, pp.33-36)。

◎矢倉校長の祝辞
皆さん入学おめでとう。
私が校長の矢倉です。教職員を代表して、皆さんに一言、お祝いを申し上げます。
皆さんが、当水商業高校の第一期生となります。と言うより、皆さんが我が国の水商売専門の高校の最初の生徒なのです。皆さんは、まだ、中学を出たばかりですから、水商売の実態というものがよくわかっていないでしょう。水商売の世界は人の出入りが激しく、またお店自体も目まぐるしく、できたりつぶれたりを繰り返すものです。

なぜでしょう?

それは経営のプロフェッショナル、あるいは従業員のプロフェッショナルが少なく、またそれを養成する機関もなかったからです。本校は、まさにそういった人材を世に送り出します。これから皆さんを先頭として、本校からの卒業生が業界の各分野に進出して、水商売の世界をより安定した職場へと様変わりさせていくことでしょう。

また、現状では、水商売というだけで差別を受ける場合があります。例えば、不動産屋で部屋を探すにしても、水商売というだけで、入居できない場合があるのです。

なぜでしょう?

それは、残念ながら世間において、水商売に従事する人たちのモラルの持ち方に疑問を呈する人が多いのです。これもプロフェッショナルとして徹しきれないところに原因があります。この業界には、他の職業から不本意ながら転職してくる人が多いのです。プライドのない所にモラルは育ちません。(中略)

皆さんから変えていくのです。プロフェッショナルとしての、技術と自覚を身につけ、新たな職業倫理を確立させましょう。皆さんから始めるのです。甚だ短くて恐縮ですが、これを私からのご挨拶とさせていただきます。
    

◎文部省の滝川氏の来賓挨拶
皆様ご入学おめでとうございます。
私は、この学校の設立を提案した者であります。その立場から申し上げると、この学校を作った目的は、まさに先に校長先生がおっしゃったとおりであります。さらに、文部省に勤務する者として付け加えますならば、今、日本の教育は変えねばならないのであります。

もう猫も杓子も大学を出てホワイトカラーを目指すような教育は、考え直す時期に来ておるのです。あらゆる職業に対応して、それに従事する者を教育する受け皿としての学校を、拡充する必要があるのです。全員を一つの方向に走らせて、脱落者を捨てていくような形では、もはや教育とは呼べない。

この学校に期待するのは、これまでになかった分野での教育のフロンティアになっていただくことでありまして、その意味では、第一期生の皆様は、フロンティア中のフロンティアなのであります。皆様の残す成果次第で、この国の教育がひいてはこの国が変わるのです。

皆様に期待しております。

    

矢倉校長と滝川氏の期待に応えて、否、期待を上回る成果を第一期生とそれに引き続いた水商卒業生は達成することになります。第一期生の卒業前後の状況を引用しておきましょう(p.108, p.113)この箇所も(例えば、都立水商創設時の行政内部の討議(pp.11-13);ソープ科の校外実習の制度化により巷の援助交際の相場が崩れた逸話(pp.90-91;同じくソープ科とヘルス科の校内実習の制度設計の逸話(pp.66-70)と並んで)パスティッシュとして実によく描かれていると思います。

就職率百パーセント。しかも条件面は、大学卒の初任給を遥かに上回り、卒業生の平均年収が全国の高校のトップである水商には、翌年から志望者が殺到した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

水商を初めて訪れる人は、もう少し浮ついた雰囲気を予想しているものらしい。しかし、実際に接した雰囲気は、高校というより、競輪学校や騎手学校のそれに近いというのだ。
そういう感想は、プロフェッショナル養成所としての高校を狙った滝川にとって、嬉しいものなのだった。


  

教育とは動機づけであり努力の仕方の伝授である
ある大手予備校のスローガンには「努力することこそ人生の真善美である」というフレーズが含まれています。蓋し、努力することの尊さ、そして、実利面でも本質面でも努力することのある種のうま味は、ある程度の努力を積み重ねた者にしかわからない。畢竟、金と情報は金と情報のある所に流れるのと同様、パラドキシカルながら、努力の価値を知っている者に教えることは少なく、知らない者は教えても努力の尊さが理解できないということは、この世を残酷なまでに貫徹する真理ではないでしょうか。

ならば、教育の意義は努力に向けた動機付けであり、努力の仕方の指南に他ならない。と、そう私は考えています。而して、本書はこの教育に関して死活的に重要な一点を間違いなく貫いている。以下、幾つかその例を引用しておきます。入学式に引き続き行われた、元高級ソープランドのナンバーワンだったソープ科講師からのメッセージ(pp.37-38)と、開校以来10年間奉職した都立水商教師の回想という形で進む本書のストーリーの語り部、本書の主人公の回想の一齣(pp.57-58)です。

これらは、少なくとも高校以上の教育においては、学業という意味の勉強で人生勝負しようと思う者は鬼の様に勉強すればよく、また、させるべきであるけれど、学業という意味での勉強とは直接関係のない道で人生の世過ぎ身過ぎをしようと思う者を無理やり学校に<幽閉>する必要は微塵もない。否、それは無駄な教育投資であるだけでなく、「子供は十分な情報と機会が与えられれば誰しも大学・大学院に進学したいと思うはずだ」という傲岸不遜な独善的な認識に依拠した反倫理的な教育施策であるという私の持論と通低していると私は理解しています。尚、この論点に関しては下記拙拙稿をご参照ください。

・所得と学力の相関関係と因果関係が投影する<格差論>の傲岸不遜
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59006021.html

・書評☆吉川徹「学歴分断社会」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57911269.html

・書評☆苅谷剛彦「大衆教育社会のゆくえ」
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57895457.html


◎吉岡あかね先生のメッセージ
「吉岡です、よろしく」
聞く者をさわやかな気分にする声だった。だが媚びたような甘ったるさは微塵もない。この瞬間に、吉岡あかねは三十二人の【ソープ科第一期生の】生徒たちの目標となった。(中略)

目を輝かせた生徒たちは、
「私もあんなふうになりたい」と思い、
「この先生に絶対についていこう」と決心していたのだ。(中略)

「皆さんは援助交際という名の売春を知っていますね。この中には、それで補導された人もいると聞いています」
多数の生徒が顔を伏せた。
「皆さんは、これからプロフェッショナルを目指します。その辺の女子高生の小遣い稼ぎに負けるわけにはいかないのです。プロとアマの違いは何か? それは・・・」
吉岡は、美しい指を一本顔の前に立てて、生徒を見渡した。
「テクニック!」
    
◎田辺慶介先生の回想
圭介は【体育系と文科系サークルでの】彼らの生き生きとした活動に接して、今の教育問題の一つに思い当たり、胸のふさがれる思いをしたものだ。つまり、勉強で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られると、他の才能も評価されるのがむずかしく、当人もやる気をなくしてしまうということである。

開校したばかりの水商は。そういうタイプの生徒の集まりだった。そんな生徒たちが、水商売という、これまでの勉強とはまったく違う尺度で、講師たちから良い評価を得るだけで、すべてに自信を取り戻した。

   






(2010年1月20日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 教育問題
ジャンル : 政治・経済




どんど焼き=賽の神火祭」は新百合ヶ丘エリアの正月の風物詩。今年も新百合エリアの12箇所で行なわれました。今回紹介するのは、その内、金程地区と栗木地区のどんど焼き。KABUのお気に入りのウォーキングルート散策を兼ねて私も参加してきました。尚、散策経路は下記の地図画像をご覧ください。


dondomapass.jpg
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/dondomapa.jpg





ところで、「What is どんど焼き?」とお思いの方も少なくない、鴨。

説明させていただきましょう。←少し偉そう?

◎どんど焼き 一年間の無病息災と五穀豊穣を願って
どんど焼き(サエノカミ)は小正月に行なわれる火祭で、正月飾りやしめなわ、お札などを一カ所に集めて焼く行事です。古くは平安時代から宮廷行事の一つとして行なわれていたようです。村の境、峠、橋のたもとなどにあって、村と村の境界を守り悪い霊が村に入らないようにする「道祖神」のあるところや、神社などその土地によって決められた祭場で行なわれてきました。

この火で焼いたダンゴや餅を食べると風邪をひかない、火にあたると若返る、残った灰を持ち帰って家の周囲にまくと火事にあわない、火が高くあがるほど吉兆などといわれ、災難を追い払う大切な行事として今なお続けられています。豊作を願う行事でもあったサエノカミは、麻生区内でも続けられています。

【出典:メディア・あさお No.97, 2010年1月号】
    


б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど!






dondo1.jpg

小田急新百合ヶ丘駅北口から「麻生消防署→麻生警察署→麻生郵便局」を経て平尾方面に向かいます。徒歩10分足らず、上の画像は麻生区と東京都稲城市の県境あたり。そこから千代ヶ丘方面に麻生川に沿いながら緩やかに右折。fukufukimama女史! ちなみに参考画像の暖色系の丸印辺りの麻生川は鴨の名所。早朝には大概20羽近くのコロニーと遭遇できますよぉー。

と、右折してから約5分、最初の目的地、金程小学校に到着。開始時間の10分前には到着したのですが、もう、どんど焼きの依代「賽塔」(≒賽の神:障の神・道祖神の依代)からは薄っすら煙が出ていました。

dondo2.jpg

下は、太陽を背にした「賽塔=賽の神様」。

なんか、

キングギドラというより八岐大蛇という雰囲気だと思われませんか。

dondo3.jpg

と、お父さんどんど焼き賽塔の隣には可愛いプチ賽塔が。お父さんどんどは底辺の直系が約16メートル、高さは12メートル。子供どんどは「6×5」メートルといった所でしょうか。小学校の運動場にあるからそうは感じませんでしたが、普通の休耕田とかに鎮座ましましていたとしたら子供どんどでもかなりの迫力だと思います。

dondo4.jpg

親子の賽塔の周りには来訪者のために暖を絶やすまじと気遣う金程町会の方々の心尽くしの焚き火。北条時頼に愛蔵の松竹梅の鉢の木を燃やして暖を勧めた佐野源左衛門のエピソードを連想してしまいました。

dondo5.jpg

そこに通りかかった民主党衆議院議院、笠浩史氏。

dondo6.jpg

流石、民主党内保守派のエースだけのことはある。

ちゃんと背広襟元には拉致問題解決を訴える「ブルーのバッチ」が。

б(≧◇≦)ノ ・・・頑張れ、笠浩史議員!




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而して、上は金程小学校の運動場で見かけた蛇口。なんか、初春の陽光に映えて「健全で朗らかな地域の小学校!」という雰囲気が柔和に炸裂しているように感じました。






そうこするうちに、深く静かに潜行していたどんど焼きの炎もそろそ賽塔の表層に到達したようです。
まずは、プチ賽の神様。

dondo8.jpg

で、校庭全体の様子はこんな感じ。

dondo9.jpg

そして、

そう、

б(≧◇≦)ノ ・・・真打登場!

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この後、金程小学校では近隣の同好会による和太鼓演奏や子供達のダンスが披露されたのですが、先を急ぐ身、後ろ髪を引かれる思いで大好きな金程エリアを後にしました。次に目指すは、この連載でも何度か紹介した栗木御嶽神社。麻生区民の愛する桐光学園のお隣さんの神社です。ちなみに、金程小学校は道路1本隔てて、これまた麻生区民がこよなく愛する麻生高校に面しているのですよ。

尚、栗木御嶽神社については下記の過去記事も参照してみてください。

【栗木御嶽神社関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急多摩線沿線-縦走編(五)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58834812.html







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歩くこと約2,500メートル(匍匐前進してもスキップしても2,500メートル)。小田急栗平駅を「北東→南西」に縦断して、目指す栗木御嶽神社に到着です。上の画像は何やら物々しげな消防団の勇姿。そうです、どんど焼きとは要するに火祭。麻生消防署と近隣の消防団(麻生消防団栗木班)の方々の備えに抜かりがあろうはずはありません。下はその消防関係者が暖かく見守る栗木御嶽神社とどんど焼き会場。

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どんど焼きの日、神社境内は「縁日モード」。
団子が一袋200円、これは美味。

そして、温かい甘酒が参加者に振る舞われていた。私も2杯ご馳走になりました。
もちろん「You may have seconds.」と言われたからですよぉー。

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下は、ちゃんと手を清めてお参りする躾の行き届いた栗木の子供達。
「躾=身(身振り仕草)が美しくなること」とはよく言ったものですよね。

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そうこうするうちにどんど焼きの神事が始まりました。

そして、今や遅しとどんど焼きの点火を待つ栗木地区の人々。

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そしていよいよ点火!

dondo19.jpg

後は説明不要ですよね。

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点火から賽塔の依代が燃え落ちるまで5分足らず。
けれど、栗木の青い空に映える炎が印象的でした。







dondo23.jpg

ということで、『平家物語』は知盛の台詞「見るべきほどのものは見つ」ではないですが帰路につきます。上は帰路に通りかかった御馴染みの古沢の光景。過去記事の画像と比べて落葉する広葉樹の里山は太陽の陽射しが斜面に届く明るい森になっています。而して、子供たちが(チャンバラと凧揚げして)遊んでいる場所は、そう、過去記事で紹介した子供会の案山子コンクール優秀作品が展示されていた休耕田です。

【古沢関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急多摩線沿線-縦走編(七)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58838845.html


dondo24s.jpg


子供達が遊んでいる休耕田から新百合ヶ丘駅まではもう900メートル足らず。最後に新百合ヶ丘エリアの朗らかな子供たちを目にして気分もハッピーになった所で、今回の「ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:どんど焼き de 新百合ヶ丘編」も終了です。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。


■資料-新百合ヶ丘エリアの2010年度どんど焼き一覧
(01)山口台:9日午後2時:麻生中学校校庭
(02)王禅寺入口地区:10日午前10時:バス停「王禅寺口」近辺の通称「ちびっこ広場」
(03)王禅寺日吉地区:10日午後1時半:日吉会館の休耕地
(04)柿生:10日午後2時:柿生アルナ園
(05)岡上西地区:10日午後3時:和光大学横の田圃(←小田急小田原線から見えます!)
(06)真福寺:11日午後2時:白山神社前の田圃
(07)黒川:11日午後5時:上黒川の橋場、中・下黒川(東営農団地入口の高台)
(08)王禅寺谷戸地区:15日午後3時:琴平神社第1駐車場
(09)上麻生東:16日:午後2時半:麻生水処理センターみどりの広場
(10)金程:17日午前8時半:金程小学校校庭
(11)早野:17日午後2時:子ノ神社付近の田圃
(12)栗木:17日午後3時:栗木御嶽神社境内







(2010年1月19日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 我が街☆新百合ヶ丘
ジャンル : 地域情報


【Japan in the very near future as a Stateless Nation? 】


弊本家ブログTopで新アンケートを始めました。

ここです。

http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba



◎お題
外国人問題の対応指針は?(「全永住者の国外退去、今後、定住目的外国人は受け入れない」という方はコメントもご遠慮ください)


◎選択肢
1)特定アジア籍永住者の国外退去もしくは帰化+優秀かつ優良な非特定アジア籍外国人のみ就労・定住を認める
2)特定アジア籍永住者の国外退去もしくは帰化+優秀かつ優良な非特定アジア籍外国人と親日国籍者のみ就労・定住を認める
3)特別永住者の国外退去もしくは帰化+優秀かつ優良な外国人のみ就労・定住を認める
4)特別永住者の国外退去もしくは帰化+優秀かつ優良な外国人と親日国籍者のみ就労・定住を認める
5)その他(友愛の精神ですべての外国人を受け入れる、アメリカとの統合を睨んで在日米国籍者には自動的に日本国籍を付与する、等々)



◎解題
今日から始まる通常国会を契機に新アンケート作りました。

今国会の争点は、本来なら、経済対策に尽きるはずですが、政策より政局を優先させる「小澤-民主党政権」の性癖から見て、残念ながら、

・外国人地方選挙権法案
・夫婦別姓法案

を彼等が押し出して野党を揺さぶり、また、民主党内の保守派に「踏み絵を踏ます」ことは必定。つまり、単なる「外国人地方選挙権法案反対!」のスローガンだけでは、最早、戦えない。そこで「外国人地方選挙権」に関してはこのブログでも私見を幾らか展開してきました。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html


而して、私が、結論は「現在の地方と国とのあり方から見て、外国人地方選挙権は違憲」と他の保守系論者と同じなのに、「なんでそんな面倒なこと言うの」と少なからず顰蹙を買いつつも、

①外国人参政権は(国政であろうが地方であろうが)違憲である
②外国人参政権と(憲法が許容する限度で)疎遠な外国人地方選挙権は論理的には可能である
③ならば、一概に、外国人地方選挙権が違憲とは言えない
④けれども、現在の地方と国と濃密かつ不可分な関係のあり方から見て、外国人地方選挙権は違憲である

と述べているのは、例えば、百地章さん程度の二流の(相撲に喩えれば十両上位か幕内下位の)憲法研究者の言説を根拠にした「国民主権の原則から見て、外国人参政権は違憲であり、よって、外国人地方選挙権も違憲」(①→④)という立論は、長谷部恭男東大教授等の敵の本隊(横綱・大関)から一蹴される、而して、こちらの結論は正しいのに脇が甘いため論破され、政治的には結論自体も否定される印象を残しかねないという危機感があるからです。

けれども、下記記事にもまとめたように、政治的だけでなく憲法論的にも「外国人地方参政権」は粉砕しなければならないことは必定。

・「もしも外国人地方参政権が成立したら?」の誤謬と真実
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59103437.html

蓋し、ならばこそ、その粉砕のためにも、この問題は理詰めに現実的に考えねばならない。そう思いこのアンケートを上梓しました。

よろしければ、是非、投票&コメントをお願いいたします。

こどいですが(笑)、ここ(↓)です。

http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba


尚、Yahooブログの投票には「Yahoo ID」でのログインが必要です。
Yahoo IDをお持ちでない方は下記(↓)で即、作れます。


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また、コメント(投票結果を見る>コメント欄)には、
適当な「ID」と「PW」をとりあえずその場で「埋めれば」可能です(笑)




<(_ _)>






(2010年1月18日:英語と書評 de 海馬之玄関版にアップロード)

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テーマ : 外国人参政権問題
ジャンル : 政治・経済

takeshima2010


恒例になりました。今年も参加させていただきます。


【わたしの竹島ですが、何か?】



「固有の領土」の両義性と「竹島の帰属」の一義性
白黒はっきり言えば、現在の国際法には「固有の領土:proper territory」という概念はありません。現状の国境線の尊重がこのイシューを巡る国際法が掲げる唯一の価値だから。

土台、「主権国家」「民族国家」、否、「民族」という概念自体が極めて歴史的なものであり、畢竟、一般に「主権国家」と「主権国家間の関係としての国際法秩序」を確立したとされるウェストファリアー条約体制(1648年)の後も1世紀余り、近世と近代の渾然融合は続いたのであって18世紀半ばまでは「主権国家」も「民族」も地球上に存在してはいなかった。ならば、「日本の固有の領土」や「韓民族の固有の領土」なるものがこの世に存在し得ないこともまた当然でしょう。

実際、我が国においては、幕末・明治初葉までは「国家」とは統治の主体たる大名家中と統治の客体たる領地・領民を指す、ローカルガバメントに関する言葉(a certain word that had been linked to something local-governmental)でした。更に、ゲルナーが喝破した如く、現在、我々が「日本的なもの」「日本古来のもの」(something Japanese, something we think has its origin to ancient days of Japan)と感じているものの少なからずは、「皇国史観」然り、「家父長制的な家族関係」然り、明治維新を契機に人為的に作り上げられた表象にすぎないこと。これまた否定できない事実なのです。而して、「終身雇用制」や「年功序列制」に至っては(「農地改革」とともに)国家社会主義を目指した所謂「1940年体制」の産物であり、戦後改革の中でこれらが日本の伝統的なものと錯覚されたのは心理学で言う所の「記憶の自己改竄」に他なりません。

民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。(中略)

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
 引用は同書(岩波書店・2000年12月)pp.95-96】
    


では、日本の伝統などは存在しないのか? 否、です。伝統とは、よって、保守主義とは伝統の恒常的な再構築の営みに他ならず、「日本的なもの」「日本古来のもの」は厳然として存在している。ただ、それら個々の表現形が普遍性を必ずしも持たないだけのこと。つまり、伝統とは外化され物象化され物神性を帯びた事物ではなく、伝統を再構築する人々の意識と規範と行為に憑依する(ポパーの言う意味での「世界Ⅲ」としての)何ものかに他ならない。

では、竹島は日本の固有の領土ではないのか? 否、です。確かに、「固有:proper」を「神代の昔から普遍的にそう決まっていること」と捉えて、「固有の領土」もまた上で述べたような、それこそ、伊弉諾・伊邪那岐の二柱の神々の頃から天照大神、神武天皇を経て今上陛下に至る、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国の領土であるという意味に解するのならば(a territory as one of indigenous Japanese territories)、それは日本の領土とは必ずしも言えない。否、それは誰の領土でもない。

けれども、「固有:proper」を「そう解しそう取り扱われるのが妥当」という意味に捉えて、よって、「固有の領土」をも「日本の国家主権が排他的に及ぶべき不可譲の日本の領土」(an integral part of Japan's sovereign territory)と「機能主義的-法学的」に解するのならば、「歴史的-国際法的」に見て100%、竹島は日本の領土である。その経緯はロシア側にも幾分かの言い分がある「北方領土」とは全く類型を異にしているのであって、蓋し、竹島は間違いなく日本の固有の領土であり、韓国の現下の竹島占有は不法占拠以外の何ものでもない。と、そう私は考えています。
    

竹島奪還。2月22日の「竹島の日」を契機に竹島に一層注目しましょう。

共に闘わん。

б(≧◇≦)ノ ・・・竹島は日本の固有の領土だぁー!
б(≧◇≦)ノ ・・・韓国は国際司法裁判所での竹島の帰属決定に応じよ!
б(≧◇≦)ノ ・・・領土を売り渡す民主党と朝日新聞は日本から出て行け!
б(≧◇≦)ノ ・・・竹島奪還! 共に闘わん!




takeshimatwin.jpg



竹島問題関連サイト&ブログ
・さくら日和 勝手に立ち上げ竹島プロジェクト2010
 http://sakurasakurasakura3.blog53.fc2.com/?no=725
この記事は「勝手に立ち上げ竹島プロジェクト2010」に協賛したものです。

・竹島問題研究所
 http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/

・日韓近代史資料集
 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey
ブログ友のchaamieyさんのブログ。流動化しつつある韓国歴史学界の現状と竹島問題に関して最深部から最新の情報を発信しておられます。是非、一度、ご訪問ください。






(2010年1月14日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 竹島問題
ジャンル : 政治・経済

manabemadoka9


下は、あるブログ友の記事の転載です。
日本人の英語力の現状について考えさせられる。
そう思い転記させていただきました。


シャットアップ!!

仕事の接待で、とあるアメリカの大学の政治学の先生御一行との会食に出ました。
先方は10名近いグループで、先生と秘書のほか、先生の同僚、仕事仲間、そして日本人留学生を含む学生さんなど。

日本人は3人ほどいらして、ひとりは先生の仕事仲間らしい中年のひと、残りは留学生らしいお嬢さんたちでした。

後者の二人は大和撫子らしくてほほえましかったのですが、
先生の仕事仲間らしい中年の日本人女性は、外見は日本人ですが態度はすっかりアメリカ人、という感じのかたでした。

そして、正統派日本語なまりの流暢な英語で、まくしたてます。
「日本人は、自民党に辟易して政権交代を選択しました。自民党は実力じゃなく世襲で議員になる人がたくさんいましたから。今の日本の格差社会をつくったのは小泉です。取る人が全て取り、貧しい人はなにももらえない社会になりました。高校教育にも日本はすごいお金がかかります。民主党は高校教育を無料にしようとしています。」

わたくし、心の中につっこみがいくつも浮かんだのに、何も言えなかったのは、もちろん第一にはこちらが接待する側だったということもありますが、
やはり、英語の会話では瞬発力がどうしても不利、ということも理由だったことは否めません。


・・・それにしても、このかたを見ていて、思い出したのは、
ロンドンにいたときBBCニュースに登場していたグリーンピース・ジャパンの代表の日本人(名前失念)でした。

日本が調査捕鯨を開始したのを受けたものでしたが、うら若いその日本人青年は、やはり正統派日本語なまりの流暢な英語で、これが調査捕鯨の名を借りた商業捕鯨である旨をまくしてたてていました。


・・・君たち、シャットアップ!!!!


赤旗を読んでいても思うのですが、なんというか、そのスジの方々は、実によく勉強していて、そして英語のニュースソースもよく読んでおられ、つまり英語に強い。
海外へ英語でまくしたてられる情報が、かなり偏ったものになっているとしたら、
それは、中道から中道右派な人々が世界に対してまくしてたてる度合いがちょっと足りないからなのかも、という仮説を立てたわたくしでした。


【転載元: なぜかロンドンそして東京】
 http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/58031049.html


cocorochans.jpg


一瞬、「あれ、これ自分で書いた記事かな」と錯覚してしまいました(笑)。

それくらい共感した記事。

本編記事のポイントは切り口次第で幾つもあると思うのですが、
英語教育屋さんとしての私的には次の3点を考えさせられました。

①日本人の英語力は(潜在的にせよ)そう低いものではない、こと。
ちなみに、プロですから当たり前ですが、私も、例えば、TOEICで950点以上のスコアは持っています。

ただ、

②英語ができるタイプの日本人の英語にはかなりクリアカットな特徴が観察されること。それは、コミュニケーションの効率を離れて(声色から表情から身振り手振りに至るまで)英語のネーティブスピーカーに近づくことが自己目的化しているのかもしれないこと。

例えば、キッシンジャー氏やリー・クアンユー氏の英語は酷いドイツ語や広東語訛りの英語だけれど、両者ともその発信する内容によって広くアメリカでも尊敬を勝ち得ている。このような事態は、日本人の英語のできるタイプの向きからは癪に障る不愉快な事柄なの、鴨。

そして、

③英語のネーティブスピーカーを、その声色まで真似るかどうかは(英語でのコミュニケーションスキル開発のため「最適投下時間」という判断を超える、ある意味)個人の美意識の問題であり、それは各自の自由ではあるでしょう。しかし、個人の勝手ですまないかもしれないことがあるのではないか。

蓋し、英語ができるタイプの日本人には、内省の契機が乏しいというアメリカ人の悪い側面と、論理的に話ができないという(特に、相対的で異質な諸価値が錯綜する場面に論理的に対処できないという)、一種、日本人の弱点とされるものを併せ持つ方が少なくないこと。要は、そんな日本人は、往々にして「日米の悪いとこ取り」になっていることです。


これら①~③を鑑みるに、蓋し、(甲)一般の日本人にとっては、「英語より国語。国語より礼儀作法が遥かに重要」であり、そして、(乙)海外と戦うのが持ち場の日本人は英語で存分に戦える英語力と論理力と歴史的知識を何が何でも身につけてもらわなければならない(ならば、声色なんぞ真似ている暇は恐らくない)。これら(甲)(乙)の2点が本編記事から演繹される、現下の日本人の英語に露呈している課題ではないかと私は考えます。

いずれにせよ、私は、自身、学部以降ドイツ語がメインだったこともあり、英語を使い始めたのは20代後半から。まして、英語教育のプロとしての修業を始めたのが30代前半からということもあり、幸か不幸か、声色まで真似る暇はありませんでした。だから、そのような凄く英語がおできるなる方々は雲の上の<女神様>だと思っていた。

で、30代の半ばのある日、アメリカの学界セミナーで、そういう女神様達が、美しい英語で全く内容的にも論理的にも支離滅裂なことを話していることを発見するに及び、驚愕。その後、立場も漸次上になり、今では私よりも若い世代のそういう女神様達が書かれたペーパーを読む機会も増え、要するに、彼等の多くが英語だけでなく日本語でも到底世界で通用しないどころか世間に出せない類の能力しか持たないこと、(カントの『道徳形而上学』流に言えば)「美しいかもしれないが、ただ残念なことに脳髄のない頭部」の持ち主であることを確信しました。

而して、

それ以来、私は綺麗な英語の発音をする方は、なるべく自分のチームには採用しないことにしています。




【参考記事】
・鳩山首相のコミュニケーションスタイルは日本人特有のものか  
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59037141.html

・明治時代の政治家の英語力?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/50571092.html

・英語ディバイドという現象
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b0374fc208e1d2cbd37a24ede26dc560






(2010年1月12日:英語と書評 de 海馬之玄関版にアップロード)

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50banzai2


皇紀2670年、平成22年、そして、西暦2010年の成人の日の前日、今日、皇紀2670年、平成22年、そして、西暦2010年の1月10日、Yahoo版-海馬之玄関ブログは延べ50万人目のお客様をお迎えすることができました。実は、予定では明日の未明、もし今日としても、シンデレラがそろそろ焦り始める時刻になってからの大台達成だと思っていて、新しいブログパーツなど物色していたら、午後6時16分頃にあっさりクリアしていました。で、今の心境は? 

はい、そうですね。それは、「50万アクセスと言っても単なる通過点ですから」あるいは「ヒット数などこのブログの性格上、特にそう大した意味はありませんから」という所でしょうか。まあ、「成人の日」を翌日に控えて「ブログ運営で成人した」「ブログ活動の高校課程を卒業した」、と。その程度の感慨でしょうかね。





と、

実際、KABU自身の浅学菲才の限界もあり、「曖昧ではないが、分かりやすくはない」という辺りが投稿記事の目標とする線です」等々、日頃の傲岸不遜、傍若無人な物言い。あるいは、2行読めば眠たくなる論稿のアップロード、および、思う所があって最近とみに全記事に占める海外報道紹介の比率の高さ。これら、我ながら「ヒット数を上げないことが目標なのではないか」とさえ思える節もある、そんな海馬之玄関のブログ運営振りを想起すれば、

「50万アクセスと言っても単なる通過点ですから」
「このブログの性格上ヒット数には大した意味はありませんから」

と、


そうKABUが思っていると思われる方もおられる、鴨。


しかし、本当の所、実は、


この50万ヒットにはかなりの感慨を覚えています。


はい、そうです。

б(≧◇≦)ノ ・・・50万ヒット達成したよぉー!

б(≧◇≦)ノ ・・・嬉しーぃ! 凄く、嬉しーぃいー!



我ながら不思議な程、嬉しい。なんと言っても、
今日、2010年1月10日に50万件ヒットということは、
2005年2月20日のブログ開設以来、

1786日目での50万+αヒット達成

1日平均、279.96+βアクセス


ということ。この数字には十分満足していますし、感慨一入。よって、日々来訪いただいた皆様には感謝の言葉もありません。けれども(懐かしい『白線流し』のテーマソングをリンクしたのもこの感慨と感謝ゆえの選曲なのですけれども)、現在、「これでブログ運営も一区切りだね」「これからは本当にヒット数ではなく内容だよね」とマジに思っているのも偽らざる所です。



具体的に明日からどのような運営スタイルに移行していくのか、そして、記事のテーストはどう色調を変えていくのか。そこの所は本人にも確かな所はわかっていません。

しかし、一応、「仮免」にせよ「ブログ運営で成人した」「ブログ活動の高校課程を卒業した」つもりで、これからは、一層、保守改革派の同志に対して、私の持ち場と考える抽象度と問題の縄張りでお役に立てる「情報-主張」を発信して行きたい。具体的には、

①政策論義の最上流に近い「哲学-社会科学方法論」の抽象度における論稿
②「憲法-国家論」「教育問題」「外国人問題」「ジェンダー批判」「捕鯨問題」等の領域の論稿
③海外報道紹介と専門書の書評

    
これらの比重が漸次増えていくのかもしれません。

正直、それはこれからの内外の政治情勢次第、鴨。



いずれにせよ、私は、長い目で見れば(しかし、ビジネス的な長い目ですから「3年」以内くらいのスパンですけれども)、今回の政権交代、民主党政権の誕生は「保守改革派半永久政権」誕生のための陣痛みたいなものである。

そう確信しています。しかし、これからのその3-4年間で日本が無くなる危惧を真面目に感じてもいます。ならば、我々保守改革派が行なうべきことは一つ。それは、健全で統治能力に長けた保守政党を育て強化すること(to foster and enhance a conservative political party that has moderation as well as skilful governance)。

而して、1989年-1991年の社会主義崩壊と資本主義の勝利を想起すれば、国家権力の万能感を基盤とした民主党政権の政策実行が不可能であり、かつ、国民の法的確信の中にビルトインされている伝統と歴史を軽視する民主党政権による社会統合が不可能なこと、よって、民主党政権が<北斗の拳>であることは自明でしょう。この立論に反証可能性を与える例を一つ。

ご存知の方も多いと思いますが、

現在のロシア国歌のメロディーは旧ソヴィエト・ロシアのメロディーと同じ。すなわち、ソ連崩壊に際して、ロシアは歌詞も曲も全く別のものを一旦国歌にした。けれど、旧ソ連国歌の楽曲が世界的な名曲であっただけでなくロシア国民に深く愛されてきたことに鑑み、2001年1月1日、歌詞を差し替えてメロディーは旧ソ連時代の国歌に戻された経緯がある。このエピソードで私は何が言いたいのか。

それは、ロシア革命の<成功>と、70年間とはいえ社会主義国家ソ連の一応の<成功>に本当に与して力あったものはレーニンの力量でもマルクスの天才でもなく、それは、(我が国の60年と70年の安保闘争が、一面では「左翼の袢纏」を着てする反米ナショナリズムの<祝祭>であったのとパラレルに)ロシアのナショナリズムの岩盤の強固さである、と。ロシア国歌を巡るエピソードはその端的な象徴である、と。ソ連崩壊後、現在に至るも「社会主義-共産主義」に対する低い評価がロシアで回復することがないにも関わらず、楽曲だけとはいえソ連時代の国歌が復活したことは、この経緯の証左ではないか。そう私は考えています。

ならば、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でヘーゲルの言葉としてマルクスが引用している如く「歴史は二度繰り返される。最初は悲劇として、そして、二度目は喜劇として」という傾向が歴史にはあるとすれば、民主党政権の存在はそれ自体<喜劇の北斗の拳>に他ならない。私は、確かに間違いなく名曲の名に恥じない「旧ソ連-現ロシア」国歌を聞くたびに、健全なナショナリズムを基盤とする我々保守改革派のそう遠くない将来における政権奪還を益々確信するのです(尚、マルクス主義と保守主義を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです)。
    
・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html




◎ロシア国歌歌詞(日本語訳)
ロシア 聖なる我等が国 ロシア 愛する我等が国 固き意志 偉大な栄光や 永久に汝が富ならん
称えよ自由なる我等が祖国 いざ集え 兄弟よ 先人が知恵 我等がもとに 讃えよ 汝が誇りを


南海より極地の果てへ 広がりぬ 我等が国 唯一の国 無二の存在 神が愛でし 我が祖国
称えよ自由なる我等が祖国 いざ集え 兄弟よ 先人が知恵 我等がもとに 讃えよ 汝が誇りを

夢と人生に広大なる大地 時は示す 我が道を 祖国が下に 誓い立てる 今もそしてこれからも
称えよ自由なる我等が祖国 いざ集え 兄弟よ 先人が知恵 我等がもとに 讃えよ 汝が誇りを

    



50万ヒット到達の喜びのあまり、饒舌が過ぎたの、鴨。これは御礼記事。今日、ブログ活動の高校課程を卒業して明日に向けて「白線流し」が出来たのは、間違いなく、記事を転載させてくださった皆さん、来訪してくださった皆さん、すべての皆様のお蔭です。ありがとうございました。

而して、自己の得意な技で世の一隅を照らすのみ。
今後とも日本のためにお互い微力を尽くしましょう。

伝統の恒常的な再構築の営みに他ならない保守主義の再生に向けて、
政治と国家にあまり多くを期待しない自立の社会思想である保守主義の再生に向けて、
多様な文化の共存を可能にする中庸を得た政治思想である保守主義の再生に向けて、

共に闘わん。

    

過去の御礼記事
・海馬之玄関4ブログ合計「100万アクセス」達成御礼!【2009年10月14日】
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58788715.html

・吉祥来訪者数達成記念☆444444ヒット有難うございました【2009年8月16日】
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58553755.html

・40万件ヒット御礼&お気に入り書籍雑感【2009年4月28日】
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57646937.html


50banzai1







(2010年1月10日:yahoo版にアップロード)

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正月三箇日、元旦の初詣と併せてKABUは新百合ヶ丘地区の14の社にお参りしました。もちろん、すべて「ウォーキング de 参拝」。而して、こういうものは旬のものとて、やはり三箇日中にアップしないと値打ちがない。よって、「拡大版☆初詣 de 新百合ヶ丘編」は来年以降の楽しみにとって置くことにして、今回は、それらの社で目にした絵馬を紹介したいと思います。1月7日の七草粥の日に廻った三つの社の正月松の内最後の日の風情。

但し、いかに、<絵馬奉納>という行為が自己の願いを神々と世間に speak-out することによって、自己のモティベーションを確固たるものにする心理学的技術の側面を持つとはいえ、ネット上で公開されることを奉納された方は想定していないだろう。よって、プライバシー保護の観点から画像には若干手を加えました。そこの所はお含み下さい。尚、三社参拝の経路は下記の地図画像をご覧いただければ分かりやすいかと思います。元旦初詣の記事と併せてご参照ください。



emamaps.jpg

http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/emamap.JPG

【2010年初詣関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:初詣 de 新百合ヶ丘編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59076640.html






ema1.jpg

ema2.jpg


今回、最初の参拝は新百合ヶ丘地区最大規模を誇る琴平神社。琴平神社の詳細について過去記事を参照していただくとして、上の画像はその鳥居と境内に結界を作る「茅の輪」です。茅の輪神事の由緒について輪の傍らにこう説明してありました。

人間の生活では知らず知らずのうちに罪を犯したり穢にそまることがありがちです。罪とはいわゆる悪事、穢とは汚れや、不吉なことを言います。茅の輪をくぐることにより、罪穢を祓い、身や心を清(め)、神の御心にかなう清く明るく正しい人間生活を続けようという神事であります。(後略)

宮司敬白
    


б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど!


【琴平神社関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:王禅寺-白山編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56556154.html



ema3.jpg

この記事Topの画像も琴平神社でデジカメに納めたものですが、絵馬に託された願い事の7-8割は、やはり、(1)合格祈願、(2)家族の健康祈願の2カテゴリーで占められているように見えました。

と、思ったら、

こんな、こちらまで朗らかな気分になる絵馬も。

ema4.jpg

「野球が上達しますように」

これが、例えば、プロ野球独立リーグの選手とかだったら冗談じゃないのでしょうが、この画像を見て、なんだかほっとした気分になるは、多分、私だけではないのではないでしょうか。

と、先を急ぎましょう。次の参拝所は地図画像②地点の栗木御嶽神社です。尚、栗木御嶽神社については次の過去記事もご覧ください。

【栗木御嶽神社関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急多摩線沿線-縦走編(五)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58834812.html





ema5.jpg

小田急柿生駅をほぼ中間点にして、琴平神社から栗木御嶽神社までは、「Yahoo!地図」の道案内では道なりに5.5キロ、徒歩約1時間5分というご宣託でしたが、実際私の場合は裏道を通ることもあり、大人の足だと大体50分くらいの行程だと思います。朝、6時半に新百合ヶ丘駅前をスタートして、琴平神社に着いたのが7時ちょい過ぎ、そして、7時半前に琴平神社を後にして、この栗木御嶽神社に到着したのは8時15分過ぎでしたから。

栗木御嶽神社は(実は、古代大和朝廷が盛んな頃に遡る可能性もある由緒ある神社を母体にしているとはいえ)新興住宅地の社で、琴平神社に比べれば新しく、かつ、こじんまりした、清潔感溢れる気持ちのいい境内に建つ神社です。絵馬奉納所もこんな感じ。

ema6.jpg

けれど、この栗木御嶽神社が地域の信仰の要であることは、この「どんど焼き」の準備を見ても明らか。凄い高さ。正月の晴天に達磨さんの朱が鴇の羽のように映えていました。

ema7b.jpg


と、さて、絵馬。

もちろん、こことて合格祈願が過半をしめていたのですが、目についたのはこれ。

ema8.jpg


今年こそは働きがいのある、
人間関係と職場環境のいい会社に
就職できますように
    


そして、これ!

ema9.jpg


б(≧◇≦)ノ ・・・そうだ、まずは、景気だ!



emakeiki

と、正月からまた大声を出して元気になったところで、最後の参拝所に向かいます。私が最初に麻生区に越してきたとき住んでいた片平地区の氏神様、白鳥神社。地図画像③の地点。「白鳥」というからには、御祭神はもちろん日本武尊ですが、白鳥神社については次の過去記事もご覧ください。「栗木御嶽神社→白鳥神社」間は1.2キロ、徒歩12-3分、兎跳びなら1時間、匍匐前進なら8時間程度です(多分)。

【白鳥神社関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:五月台~栗平~平尾~古沢編(上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58393449.html





ema10.jpg

到着。実は、琴平神社は正月二日、栗木御嶽神社と白鳥神社は正月三日に参拝しているのですが、あらためて家族の健康と活躍を祈願。そして、お目当ての絵馬を物色(?)します。と、しみじみ奉納者のお人柄がしのばれる絵馬発見。

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全員合格

川崎市立◎◎中学校
3年2組
    


いやー、筆圧と筆跡の流れと熟れ具合から「3年2組」の担任の先生でしょうか。なんか、広い意味で教育セクターに携わる者として背筋がピントとなりました。と、職業人としての姿勢を正させられ、凛とした気持ちになった所で、三社の(実は、新百合ヶ丘地区で他に絵馬奉納所があるのは、元旦に詣でた高石神社だけだと思うのですが、併せて四社の)絵馬探訪も終了。新百合ヶ丘駅近辺に帰還します。

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白鳥神社から徒歩2.5キロ、スキップしても匍匐前進しても2.5キロ、大体、30分で小田急新百合ヶ丘駅傍の麻生区役所、というか、このブログでは「麻生図書館」と言った方が馴染みが深いでしょうが、その麻生図書館に到着(麻生図書館に関しては下記の過去記事をご参照ください)。時刻は、皇紀2670年、平成22年、西暦2010年の1月7日午前9時半過ぎ。と、なにやらいつもは静かな図書館前の広場に大勢の人の気配が、そしてイベントの設営準備が。

【麻生図書館関連記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編:麻生図書館雑感
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59068653.html




ema14.jpg

そうなんです。

「今日はこのまま麻生図書館で企画書の準備をしよう」と思ってここまで来たら、

この日は正月七日、

そう、

б(≧◇≦)ノ ・・・七草粥の日だぁー!



ということで、

麻生図書館前ではこの日こんなイベントが開催されたのです。

ema15b.jpg


第7回 あさお古風七草粥の会

主催 麻生区文化協会
共済 麻生区役所
    


ema16.jpg

イベント運営側のこの気合の入った朗らかな雰囲気!

そして、数時間後のこの朗らかな家族連れや恋人達の賑わい♪

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いかに無料で七草粥が振る舞われるからといっても、今時、雰囲気が悪ければ人は寄り付きません。ならば、この朗らかな賑わい自体がイベント成功のなによりの証拠と言えると思います。

と、イベントの画像撮影も終え、麻生図書館にこの日陣取っている自分の席に戻ろうとすると、(いつもは、あまり流行らない、絵画や書道、陶芸や手芸サークルの展示会が開かれる)図書館の脇の屋内イベントスペースも尋常ではない人の熱気が。

実は、この日は、

麻生図書館も運営に加わっている「川崎フロンターレの選手達と遊ぶカルタ大会」(仮称)の日でもあったのです。我等が川崎市民の誇り川崎フロンターレの選手達と会えるということもあってか(というか、それが動員インセンティブの99%なの、鴨)多くのサッカー少年や少女とそのお母さん方が参加しておられました。

ema18.jpg


上の画像、我等が川崎市民の誇り川崎フロンターレのマスコット「ふろん太」君。その後ろが、麻生図書館の館長さんと麻生図書館のマドンナさんです。ということで、最後の最後に嬉しい妨害に遭遇しましたが、今回の「ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:絵馬&七草粥編」もこれで無事終了です。最後まで読んでいただいてありがとうございました。







(2010年1月9日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 我が街☆新百合ヶ丘
ジャンル : 地域情報




秀逸な動画紹介。もっとも、村田春樹氏の憲法の理解は厳密に言えば間違いですが、外国人選挙権が認められる前後の「シュミレーション」は極めて正しいと思います。



【村田春樹】シミュレーション「もしも外国人地方参政権が成立したら?」[桜H22/1/5]


蓋し、

①「外国人参政権」なるものは、「燃えない火」とか「嘘を書かない朝日新聞」と同様に、「国民主権」の観点から憲法論的には正当化されるはずのないものである。ただし、

②「外国人参政権」ではない「外国人地方選挙権」なるものが成立するような国と地方の関係が構築されたとすれば、「外国人地方選挙権」が原則的にすべて違憲となるわけではない。

③このイシューの違憲合憲を分かつものは、一重に、主権者たる国民の意思のみによって形成されるべき国家の意思とは、ある限度内にせよ疎遠な地方政治が成り立つような国と地方の関係の構築の可否に収斂する。而して、

④どう見ても「主権者たる国民の意思のみによって形成されるべき国家の意思と、ある限度内にせよ疎遠な地方政治の運用制度」が具現しているとは言えない現状では「外国人地方選挙権」も違憲と言わざるを得ない。


これら①~④の憲法解釈の観点から見て、(村田氏のその小澤一郎評には必ずしも賛成できませんが、小澤氏が率いる民主党政権下で村田氏が危惧されるように)違憲の「外国人地方選挙権」の制度が制定される恐れは小さくないのでしょう。而して、これまた村田氏がシュミレートされているように、その制度が一度成立した暁には、未来永劫、それはこの社会の社会統合機能を劣化させ、この国の安全保障と国家主権行使のパフォーマンスを劣化させる<装置>として作動し続けるだろう。と、そう私も考えています。

ならば、政治的価値観のみならず憲法論的のアングルからも、国民主権から見ても原理的に違憲な「外国人参政権」は言うまでもなく、現状の国と地方の関係性が抜本的に変更されない限り違憲と断ぜざるを得ない「外国人地方選挙権」をも我々保守改革派は、断乎、阻止粉砕すべきなのだ。と、そう私は考えています。尚、この憲法論的なイシューを巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。
   
而して、

б(≧◇≦)ノ ・・・外国人地方選挙権、断乎阻止!




・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html

・国籍法違憲判決違法論の荒唐無稽(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/55983095.html

・国籍法改正を巡る海外報道紹介と反対論の論点整理
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56079101.html





(2010年1月8日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 外国人参政権問題
ジャンル : 政治・経済





そのあまりの無軌道振りにあきれ返ったからか、最早、欧米のマスメディアが俎上に載せることさえ少なくなった鳩山政権にとって、藤井裕久財務大臣の辞任は久々に興味を覚えた事件なのかもしれません。例によって、日本メディアの二番煎じではあるけれど、幾つかの欧米メディアがこの事件を報じましたから。

而して、例えば、所謂「従軍慰安婦」なるものや「南京」を巡って我々保守改革派が<学習>してきたことではあるけれど、「世界の目線」「世界の良識」なるものに弱いこの社会の民意を考える時、改めて、「日本メディア→欧米メディア→日本メディア」という反日リベラル側が常套する<情報の壁パス攻撃>は要注意だと感じました。

しかし、不思議なもので、同じ情報も英語やドイツ語で、つまり、欧米の読者、就中、中庸を得た保守主義が根づく英米の読者を想定して書かれた記事と、日本語で、つまり、「地球市民」とか「地球共同体」とかが幻想ではなく現実であると錯覚している(実は、単なる「隠れ左翼」に他ならない)教条主義的リベラリズムが跋扈しているこの社会の読者に向けて書かれた記事とでは情報自体が異なって見える。もっとも、現代の言語哲学の地平からは「英語:日本語=論理的な言語:非論理的な言語」などということはない。

ならば、報道の彼我における差異は、報道には「論理的-現実的」な視点が貫き通されねばならないという規範の有無強弱に起因するの、鴨。日本の財務大臣の交代を報じた内外の報道を読んで、改めてこのことを痛感しました。以下、New York Timesの報道紹介。出典は” Japan’s Finance Minister Quits, Citing Poor Health,” January 7, 2010「健康を理由に日本の財務大臣が辞任」です。



Dealing another blow to the fledgling government, the Japanese finance minister resigned Wednesday, leaving Prime Minister Yukio Hatoyama to appoint a successor with little fiscal experience to grapple with financing an ambitious campaign agenda while tackling a spiraling public debt and a fading economic recovery.

Deputy Prime Minister Naoto Kan, a founder of the governing Democratic Party and the minister in charge of economic policy and state strategy, will succeed Hirohisa Fujii as finance minister, Mr. Hatoyama said.

Mr. Fujii, 77, cited fatigue and deteriorating health in tendering his resignation, which came just as the government prepared to shepherd through Parliament a record $1 trillion budget for the fiscal year that starts next April.

Mr. Kan, 63, a former activist and champion of reducing the authority of bureaucrats, is seen as having the political clout but none of the financial expertise of Mr. Fujii. A fiscal conservative and former Finance Ministry bureaucrat, Mr. Fujii had been considered a valuable experienced hand in the cabinet of Mr. Hatoyama, whose Democratic Party swept to power in September.


日本の財務大臣が、水曜日、辞任した。これはまだヨチヨチ歩きの政権に対する新たな打撃である。而して、鳩山由紀夫首相は、加速度的に累積する国の借金と不透明の度を増している経済回復に対処しつつ、総選挙で約束した大胆な公約に予算の裏づけを与える使命を担う、後任の財務大臣に財政運営の経験がほぼ皆無の人物を指名せざるを得ないことになった。

鳩山氏は、民主党の創設者の一人であり経済政策と国家戦略の担当閣僚でもある菅直人副総理が藤井氏の職務を引き継ぐと述べた。

辞表提出に際して、藤井氏(77歳)は、疲労と健康の悪化を理由として挙げたけれど、いずれにせよ、藤井氏の辞任は、鳩山政権が、4月から始まる来年度に向けて史上最大規模となる1兆ドルの予算案を国会で通過させようとしている最中の出来事であった。

社会活動家上がりで、官僚機構の権威に対する<偶像破壊>の代表選手でもある菅氏(63歳)は、確かに、一角の政治的手腕の持ち主ではあるけれど、藤井氏が保有していた財政の専門知識は菅氏には皆無と言っていい。昨年9月、鳩山氏率いる民主党の圧勝を受けて成立した鳩山内閣の中で【もちろん、民主党を率いているのは、昨年9月も現在も小澤一郎氏であるけれど、ここはテクスト原文に従った】、財政均衡論者であり、また、元大蔵官僚の経歴を持つ藤井氏は貴重な経験の持ち主と考えられてきた。


Mr. Fujii had also been seen by investors as a reassuring check on the left-leaning government’s spending plans. In recent months he had wrangled with ministries over budget cuts as Japan struggled to rein in its runaway public debt, which is close to twice the size of the gross domestic product. But the Democrats also want to finance an ambitious social agenda to help the country’s households, including payments to families with children and free public high school education. The agenda formed the cornerstone of their campaign agenda.

Some analysts attributed Mr. Fujii’s departure to a rift with the Democratic Party’s powerful secretary general, Ichiro Ozawa, who has recently pushed through a series of changes to the government’s fiscal policy. Mr. Ozawa last month publicly criticized Mr. Fujii’s budgeting process, questioning whether the finance minister was doing enough to curb the power of Japanese bureaucrats, who have maintained a stranglehold on the country’s budget for decades.

It will now be up to Mr. Kan to usher the budget through Parliament, which convenes later this month, and to draft additional stimulus packages that analysts expect will be necessary to sustain an economic recovery.

Mr. Kan has argued for more stimulus measures, saying that Japan faced a slide back into recession. But in recent months, he has also preached caution against a budget so big it could sharply increase the nation’s debt. ・・・


投資家からは、藤井氏は鳩山政権の社会主義に傾きかねない予算計画を穏当な線に引き戻す存在と見られていた。実際、ここ数ヵ月間、膨張の度を増し国内総生産額のほとんど二倍になんなんとする国の借金を睨みつつ、藤井氏は予算を削減すべく各省庁と激論を繰り広げてきたのである。他方、民主党は、子供のいる家庭や公立高校の無償化【もちろん、民主党政権の「高校無償化政策」は私立高校の授業料にも適用される構えだけれど、ここもテクスト原文に従った】のための支出を含む、社会福祉関連の大胆な選挙公約を購い得る予算措置をも同時に求めている。

事情通の中には藤井辞任の本当の理由を民主党を牛耳る小澤一郎幹事長と藤井氏の確執に求める向きもある。而して、最近、小澤氏は政府の財政政策に対して一連の変更を加えるよう強力に働きかけてきた。実際、先月、小澤氏は公然と藤井氏の予算作成の流儀を批判した。すなわち、藤井財務大臣は、何十年もの間、国の予算作成課程を他者の容喙を許さない聖域としてきた、日本の官僚制を十分には牽制できていないのではないか、と。小澤氏はそう藤井氏を批判したのだ。

いずれにせよ、今や、今月後半に召集される国会で予算を通過させる責任、そして、追加の補正予算案を策定する責任は菅氏の肩に背負われることになる。而して、この補正予算措置は現下の経済回復の歩みを確かなものにするためには不可欠のものと大方の専門家は見ているのだ。

菅氏は、本予算と補正予算に加えて更なる景気刺激策についても言及してきた。日本はデフレに陥るかどうかの瀬戸際にある、と。他方、ここ数ヵ月、菅氏はまた、国の借金を急拡大させかねないあまりにも巨額の予算に対して注意を促し続けてきてもいるのだけれど。(後略)





(2010年1月8日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 民主党・鳩山政権
ジャンル : 政治・経済

fukuwaraibig


ブログに書くほどのものではない、しかし、独りで笑って「消費」できるネタでもない。
そんな話を最寄の居酒屋で仕入れました。

б(≧◇≦)ノ ・・・誰かに言いたい!

と、ブログ友にメッセージした。すると、あるブログ友から、
「是非記事にしなさい」とのご指示が。それがこの記事です。





【登場人物】
A子さん:某英会話スクール教室長(28歳)
B代さん:その英会話スクールのパート講師兼お局さま(around 40)
☆年齢は推定です。


以下、問題の会話。



(A子さん)淡路島は兵庫県でしたよね。

(B代さん)兵庫県って九州だよね。

(A子さん)えっ、うそー、そうなんですか。私は兵庫県は四国と思っていました。





以上、お粗末様でした。

    

niwakasenbei



解題
私も企業研修受託という仕事柄、日本企業の新入社員の「常識」のなさには慣れっこではあり、また、数年前に流行った『バカ日本地図―全国のバカが考えた脳内列島MAP』という書籍も読んだことがあります。つまり、この手の話題には免疫があったはず。


で、この会話が私の壷に入ったのは、おそらく、次の二つの理由だと思います。

①実際に隣の席で生の会話を耳にしたから。つまり、リアリティ。
②日頃というほどでもないですが、この方々の英語教育や教室拠点経営(要は、外国人講師と児童クラスの場合の保護者の管理)に関する会話を前に何度か耳にしたことがあり、彼女達は十分にインテリジェンスの高い方々だと思っていたこと。つまり、この会話と彼女達に対する私のイメージの落差。


とにかく面白かった。久しぶりに、彼女達が席を立った後、独りで大笑いしました。

蓋し、笑う門には福来る。今年は良い年になるの、鴨。

   
bakamap

・『バカ日本地図―全国のバカが考えた脳内列島MAP』(技術評論社・2004年9月)
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774121258/ref=sib_rdr_dp




ちなみに、どこぞの居酒屋や喫茶店で、変なオジサンに笑われないよう。都道府県の位置に自信のない向きは次のフラッシュゲームをどうぞ。ダウンロードした最初から少しサウンドがうるさいので、画像とURLのみ記します。
   
・都道府県ゲーム 出張犬部長
 http://709709.com/game/tizu.htm

prefectures.jpg







(2010年1月3日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

jungleleos.jpg


随分前にあるブログ仲間に教えていただいたフラッシュです。公私多忙&多難は何時ものことですが、この間、思うところがあってもう一度見てみた。改めて共感した。ということで、年初の記事としては些か違和を感じる向きもあるでしょうが、エントリーすることにしました。




出典:
http://www.dnsip.ne.jp/~ryujakutsu/pwaizu/image/wt/walkingtour.swf





明るく元気に進むためにも、現実を深く真っ直ぐ見つめなければね。
ソークラテース曰く。私はソークラテースの教えをこう理解しています。    


「人生を良く生きたい」と吐露した君に質問させて欲しいと僕は言ったね。
「良い人生とはどんな人生なのかね」、と。そして、人生の困難に遭遇した時にはいつも思い出して欲しい。
「良い人生とはどんな人生なのか」、この質問を巡る対話を通して僕達が次の結論に至ったことを。

「良い人生とはどんな人生なのか」
「良い人生とは幸福な人生である」
「幸福な人生とはどんな人の人生なのか」
「幸福な人生とは善き人の人生である」

「人は幸福になるためには善く生きなければならない」
「人生を善く生きることは困難で辛いことだ」
「人生を善く生きるためには、人は強くならなければならない」

「強い人とはどんな人のことか」
「強い人とは、己の使命を理解していてそれを実行できる人のことだろう」

「強くあるためには、人は己の使命を理解できていなければならない」
「強くあるためには、人は己の有限性を自覚していなければならない」
「孤児であれ異邦人であれ、社会の一員でない人はいない」
「孤児であれ異邦人であれ、誰も先祖と子孫と無縁ではない」

「強くあるということは、自分が独りきりの存在ではないことを知っていることだろう」
「自分の有限性を自覚した人間は他者の立場を理解できる優しい人間だろう」
「善い人とは強く優しい人のことだろう」
「良い人生とは、善い人の人生であり、それは、強く優しい人になるための人生だ」
   







(2010年1月2日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済




皇紀2670年1月1日、平成22年1月1日、西暦2010年1月1日。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。公私多忙&多難なKABUは今年は新百合ヶ丘の自宅で新年を迎えました。而して、年明け早々七面倒くさい論稿は世間の顰蹙を買うことは必定。ということで、今年、皇紀2670年、平成22年、西暦2010年の最初のエントリー記事は「初詣 de 我が街-新百合ヶ丘」。自宅近辺の氏神様4社詣での際に見かけた新百合ヶ丘の元旦の風情の紹介です。








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この記事Topの画像は、弘法の松公園から見た皇紀2670年、平成22年、西暦2010年の初日の出。そして、上の画像は、皇紀2670年、平成22年、西暦2010年の最初の陽光を浴びる丹沢山系と富士山。今回は、弘法の松からスタート。時計と反対周りに、百合ヶ丘の高石神社、千代ヶ丘の御嶽神社、古沢の九郎明神社、そして、万福寺の十二神社を廻ります。下の地図の「?→?→?→?」がその経路。ちなみに、弘法の松公園が地図では?の地点です。尚、弘法の松公園の所在については下の過去記事をご参照ください。

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:弘法の松~向ヶ丘遊園編(上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58025814.html

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初詣 de 新百合ヶ丘Map
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/gantanmap.jpg





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小田急百合ヶ丘駅で小田急線を越えて高石神社に向かいます。上は途中で見かけた高石神社の<広告>ポスター。弘法の松から12-3分で到着。

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高石神社の所在は、このシリーズの過去記事をご参照いただければ分かりやすいかもしれません。

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:
 小田急沿線自然ふれあい歩道-百合ヶ丘駅~新百合ヶ丘駅コース+麻生図書館編(上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57698386.html

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元旦の武蔵野の青空に日の丸がよく映えていました。下2枚目の画像は、境内の達磨販売所。

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先を急ぎます。目指すはKABU&寛子さんの前の自宅があった千代ヶ丘の氏神様。高石神社から徒歩15分足らず、千代ヶ丘ゴルフ練習場の脇まで来ると、もうそこは御嶽神社(細山坂東御嶽神社)の縄張り。

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参道の入り口で記念撮影。下2枚目の画像は、その参道の脇に可愛く鎮座ましました「二親供養塔」と道祖神。道祖神は賽神(サイノカミ)とも言い、隣村という意味でも妖怪変化や魔物という意味でも、この世と異界との境界にあって相互の不幸な干渉を防止する神様です。西岸良平さんの『鎌倉物語』のディープなファンの私としては、「異界との境界を守る」という賽神のイメージは凄くリアルに感じるのですよね。

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御嶽神社に到着。可愛い氏神様。若いご夫婦に連れられた1歳半くらいの小さな女の子がきちんと手を合わせて参拝していました。なんという立派な躾。恐らくこのご夫婦は朝日新聞の購読者や民主党支持者ではないでしょうね。根拠はありませんが、そう確信しました。

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慌しく千代ヶ丘を後にして、東京都稲城市平尾地区の里山を越え、古沢地区に向かいます。この経路に関してご興味があれば過去記事をご参照ください。里山の尾根を越えるにせよ距離は徒歩1.5キロ(スキップしても匍匐前進しても1.5キロ)、大体、20分で次の参拝所、九郎神明社に到着です。

shinyuri21s

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:古沢越え-栗平&片平探訪編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56383444.html

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:五月台~栗平~平尾~古沢編(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58396082.html

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小さな赤い鳥居とささやかな社。近隣の方の心尽くしか、お餅が2個神前にお供えされていました。実は、古沢地区は、下の過去記事にも書いた通り、源平騒乱の時代から鎌倉時代にかけて、鎌倉街道の有力な脇街道の直下にあり、実際、源義経の四天王の一人、亀井六郎の領地だったと推定される地区なのです。案外、この九郎明神社は、九郎義経と直接親交のあった人々がその供養のために建立したの、鴨。

そんなロマンを感じる、ささやかだけれど凛としたお社でした。満員電車に乗るような明治神宮とか川崎大師の初詣もいいけれど、たまには、地元の氏神様に心穏やかに参拝するのも、素敵な正月の過ごし方ではないでしょうか。

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急多摩線沿線-縦走編(七)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58838845.html





今回の最後の「目的地-参拝所」は小田急新百合ヶ丘駅が属する万福寺エリアの氏神様、十二神社。古沢地区からは約徒歩10分程度です(十二神社についての少し詳しい記事は下の過去記事を参照ください)。

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:
 小田急沿線自然ふれあい歩道-百合ヶ丘駅~新百合ヶ丘駅コース+麻生図書館編(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57699219.html

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ここ5~6年でその里山の開発が進んだ万福寺地区の丘の上に鎮座まします十二神社。下の禊の水の画像に写っているマンションの辺りも私達が千代ヶ丘に住んでいた6年くらい前までは、すべて里山でした。そして、禊の水を湛えている龍の蛇口がついたこの石も、確かそのころは、十二神社のある小山の下にあって綺麗な湧き水をいつも湛えていたって。万物は流転する、ですかね。少し寂しいにゃー。

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と、十二神社に夫婦と親族一同の健康と活躍を祈念して、一応、「初詣 de 新百合ヶ丘」は終了。今朝は8時15分には帰宅したい。上麻生にある自宅に速攻で戻ります。下は、帰宅の途中で撮影した、皇紀2670年、平成22年、西暦2010年、元旦午前8時の新百合ヶ丘駅近傍。流石に、人通りも少ないですよね。

shinyuri1717.jpg






と、

と、

うにゅ、

なにやら、

なにやら人の気配が・・・。

shinyuri1718.jpg

はい。新百合ヶ丘市民の絶大な支持を集めるスーパー、サティ&ヴィヴレの元旦開店に並ぶ長蛇の列。聞いたら、先着何百名様限定でなんかサービスをしてくれるらしいとのこと。

shinyuri1719.jpg


いやー、新百合ヶ丘は活気溢れる街でもあるのですよね。

ヽ(^o^)丿





サティ&ヴィヴレから徒歩3分。自宅に到着です。早速、PCを立ち上げて見たのがこの画像(笑)。8時15分には帰宅したかった理由がこれ。計画通り♪

sunshinebokujyos.jpg

これは、KABUが今嵌っているMixiのフリーアプリゲーム、サンシャイン牧場の画像です。「我が街-新百合ヶ丘」の中核エリアは元々は旧柿生村。その名の通り、江戸時代後期から明治末くらいまで、商品作物としての柿がこのエリアの所得を支えていたのです(詳しくは下記過去記事参照)。

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58745515.html

そういう経緯を踏まえて、正月の初詣の後に柿が画面一杯に実るように2日前から計画を立てていたのですよぉー。元旦の早朝、新百合を初散策し終えた時にネット画像とはいえ柿が実っているのを見るのは新百合ヶ丘住民としては気持ちがいい。と、気持ちが良いくなった所で今回のウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」は終了です。







(2010年1月1日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 我が街☆新百合ヶ丘
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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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