バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケート、キムヨナ姫の金メダル、浅田真央選手の銀メダルという結果を受けて、日韓のネット上には「キムヨナの勝利は韓国人の日本人に対する優秀さの証明ニダ」とか「キムヨナの勝利は韓国人の姑息さの証明だぁー」等の言説が溢れているようです。また、キムヨナ批判が盛り上がっていた2チャンネルに対して韓国からと思しきサーバー攻撃が行なわれ、実際、2億数千万円の損害が発生したため、当該サーバーがあるアメリカではFBIが捜査に乗り出したとか。蓋し、「見苦しい」の一言です。

而して、「キムヨナ姫の優勝をどう考えるべきか」ということについて、このブログでも幾らか私見を述べた経緯もあり、本記事ではこれら日韓の言説を、社会思想の言葉の正確な意味での<保守主義>から批判することにしました。 尚、キムヨナ姫の勝利に関する私の見解と保守主義を巡る私の基本的な理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。特に、この記事で「保守主義」の定義を行う紙幅の余裕はありませんので、「保守主義」の意味については拙稿をご参照いただくようお願いいたします。

●キムヨナ姫の勝利の構図とそれから学び取る教訓
・浅田真央は「ルール」を理解できなかった愚者か(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59281198.html

・浅田真央は「ルール」を理解できなかった愚者か-採点基準考(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59285142.html

●保守主義の意味と意義
・保守主義の再定義(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59162263.html

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html


キムヨナを物象化する日韓の「キムヨナ言説」
私の批判点は、これら見苦しい日韓の言説はともに「キムヨナ」という記号を<物象化>したものであり、それは、グノーシス主義とも言うべき心性が紡ぎ出した妄想にすぎないということに収束します。而して、それらは、一見、不倶戴天の関係にあるように見えながらも、思考のパターンとしては同型のものであり、そして、それらは我々保守改革派が信奉する、言葉の正確な意味での<保守主義>とは相容れないものである。と、そう私は考えています。


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■物象化論の陥穽
キムヨナ姫が勝利したら、なぜ、「韓国人が日本人より優秀」とか「韓国人が日本人より姑息」とか言えるというのでしょうか。このことは、「物象化」(人間と人間の関係があたかも物と物との関係、すなわち、自然現象の如き人間と人間の社会関係から相対的に自立した独自の法則性が支配する関係として現象すること)などというオドロオドロしい用語を持ち出すまでもなく、誰しも疑問に思うことではないでしょうか。簡単に言えば、

キムヨナの勝利→韓国人が日本人より優秀
キムヨナの勝利→韓国人が日本人より姑息


これらの命題が「真」であるためには、少なくとも、「優秀」とか「姑息」という性質に関して「キムヨナとすべての韓国人が同質」「浅田真央とすべての日本人が同質」であることが前提になると思いますが、そのような前提は、所謂「実体概念」を否定する現代哲学、就中、分析哲学から否定されるだけでなく(この経緯については下記拙稿の前段をご参照ください)経験的と数理的とを問わず科学的にも証明は不可能でしょう。

・「プロ市民」考
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57630212.html

「韓国人と異なる日本人」「日本人と異なる韓国人」は存在しない
まず、比較の前提となる「韓国人と異なる日本人」なるものや「日本人と異なる韓国人」なるものは科学的に成立しません。すなわち、現在の分子人類学。例えば、(A)数次に亘り列島に来た日本人の先祖はすべて北方系であり、弥生期以降のニューカーマーもそう多くはないことを示して、長らく通説の地位を保った、南方系の縄文人古層の上に朝鮮半島から渡ってきた北方系の弥生人が重なることで日本人の原形ができたとする埴原和郎先生の所謂「二重構造モデル」を完全に否定し、(B)返す刀で、日本人と(「女真族=満州族」を源流とする)韓国人の人類学的差も、日本人・韓国人と東南アジアの諸民族との人類学的差もそう大差はないことを証明した、崎谷満『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』(勉強出版・2009年9月)等の最先端の人類学の知見からは、少なくともDNA的には「日本人」と「韓国人」に有意の差は見出せない。

よって、日本人と韓国人の優秀さや姑息さの比較は<文化規範>の種差や<文化規範>が育むパーソナリティの行動パターンとパフォーマンスから行なうのでなければ無意味と思います。而して、この文化規範の点では(下記拙稿で述べたように、日本語と韓国語の径庭が極めて大きいように)日韓は異質と言ってよい。けれども、レビストロースが喝破したように、文化間に優劣の差は存在しない。このこともまた、(よって、反捕鯨国の文化人類者には、同胞の捕鯨反対論者によくその理を説諭してもらいたいものですが)現在、大方の賛同を得られる認識であろうと思います。

・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59190400.html

次に、「キムヨナとすべての韓国人」「浅田真央とすべての日本人」の同質性にもそれを肯定する何の根拠も存在しない。否、このナイーブな想定は、例えば、大学入試の偏差値、中学校の体育測定、あるいは、3歳から始めたグループ内でも小学校高学年にもなればピアノやバイオリンの技量で残酷なほどの差異やバラツキが生じる現実を想起するとき、誰しも否定せざるを得ない事柄ではないかと思います。確かに、短距離走であればアメリカやカリブ海諸国のアフロ系の人々や欧州人は我々日本人に比べれば優れているでしょうが、その同じ欧州やアフロ系の人々の内部ではこれまた目も眩まんばかりの能力差とバラツキがあるのですから。

ラッセルの「記述理論」を借用して敷衍するならば、「2010年3月3日現在のフランス国王(king)は男性である」という命題は、文法的に正しく、また、命題の内部に論理矛盾は含まれていないとしても、経験的事実に反するという意味では「偽」であるのと同様、「韓国人が日本人より優秀だからキムヨナは浅田真央に勝利した」という命題も、文法的には正しく、また、(例えば、「韓国人が日本人より優秀だからキムヨナは浅田真央に負けた」は内部に矛盾を抱えているのに対して)命題の内部に論理矛盾は含まれていないけれども、それは経験的事実に反する。而して、それは論理的にも間違いなのです。

すなわち、

「2010年3月3日現在のフランス国王(king)は男性である」という命題は、実は、

「2010年3月3日現在フランス国王(king)が少なくとも一人存在する」
「その国王(king)は男性である」
という二つの命題の結合であり、前者の命題が経験的事実と反するがゆえに、この命題は論理的にも「偽」であるのと同様、

「韓国人が日本人より優秀だからキムヨナは浅田真央に勝利した」という命題も、

「単一な属性を分有する韓国人なるものが存在する」
「単一の属性を分有する日本人なるものが存在する」
「韓国人として単一の属性を分有するキムヨナが日本人としての単一の属性を分有する浅田真央に勝利した」
「韓国人は日本人より優秀である」
という4個の命題の結合であり、而して、第1~第3の命題は経験的事実に反しており、よって、「韓国人が日本人より優秀だからキムヨナは浅田真央に勝利した」および「韓国人が日本人より姑息だからキムヨナは浅田真央に勝利した」という命題は論理的にも「偽」なのです。
   
 

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■グノーシス主義の呪縛
蓋し、「キムヨナの勝利は韓国人の日本人に対する優秀さの証明ニダ」とか「キムヨナの勝利は韓国人の姑息さの証明だぁー」という日韓の言説は、論理的にも科学的にも実体のない「日本人」や「韓国人」を<キムヨナ>という記号で物象化する誤謬を犯している。それは、<鳩>が「平和」の象徴として使用されるにすぎないことを看過して、目の前の一羽の鳩を誰かが駆除すれば平和が脅かされる、あるいは、卒業式の日の丸掲揚を容認すれば軍靴の音が聞こえてくるという類の妄想とパラレルなのです。

而して、これら日韓の言説は、一種のグノーシス主義の色調を帯びた社会主義であり、それは(「give and take」ではない無条件の献身に価値を置く美意識)「愛国心」と親しい、①伝統に価値を置き、②伝統の恒常的な再構築を求めて、③漸進の前進を重ねる、④非教条主義たる、英米流の言葉の正確な意味での<保守主義>とは相容れないものであろうと思います。

この点で、カトリックの信仰を持ち、自国に対する燃えるような愛国心を抱き、他方、差別排外主義丸出しで他国の選手に対して下品な振る舞いを繰り返す自国ファンに対して厳しい姿勢を取るキムヨナ姫は、正真正銘の保守主義者であると私は考えています。ならば、グローバル化という名の資本主義が昂進する中で、人間の万能感に基盤を置く「左翼=リベラル派」が跋扈する現下の情勢を睨むとき、万国の保守主義者の連帯が不可避であるとすれば、私は迷わずキムヨナ姫を同志として歓迎したいと考えます。

グノーシス主義とは何か
グノーシス主義は、キリスト教内部のグノーシス主義としては所謂「三位一体」の教義形成の触媒の役割を果たし、他方、世界観としては中世の錬金術の基盤とされていますが、1966年にイタリアで開催された「グノーシス主義の起源に関する国際学会」で集約された定義によれば、それは以下の通り、

●グノーシス主義
・反宇宙論からの二元論的「宇宙観-世界観」
・人間存在の内部に「至高神」に起因する「本来的自己」が存在するという確信
・人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在の確信
    

つまり、この世は邪悪な(能力不足の)創造主が作った不出来な世界であるが、この世界の究極には全知全能の「至高神」があり、結局、人間存在を含む宇宙と世界のすべては遍くその「至高神」の力が及んでいる。そして、人間の内部にも僅かながら「至高神」に起因する「本来的自己」が存在しており、而して、人間はその「本来的自己」を認知(グノーシス)することで「至高神」と一体になることができるのだけれども、「至高神」は、その認知を促し導くために「救済啓示者」をこの世に使わす、と。

畢竟、この構図に、「日本/韓国」との不愉快な関係の存在、「韓国人/日本人」の本来的優秀さ、そして、「キムヨナ/浅田真央」の存在を当てはめるならば、日韓の「キムヨナ言説」は、正に、グノーシス主義とパラレルであることは自明でしょう。而して、それが「不愉快な現下の歴史段階」「人間の万能性」「マルクス」を三点セットする社会主義とも極めて近いことも。ならば、保守主義を信奉する我々は、このような日韓の妄説を厳しく批判すべきである。と、そう私は考えています。






(2010年3月4日:yahoo版にアップロード)

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ジャンル : 政治・経済

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下記(↓)前稿では<伝統>が社会的に生成される経緯を一瞥しました。本稿はその「復習」から書き起こし、世の移り変わりとともに変化しつつも<伝統>がその同一性を保持しながら再構築される構図を検討してみたいと思います。而して、<世間=社会>が<伝統>の同一性の基底であること、他方、その変化が臨界点を超える場合、<世間=社会>の変化は<伝統>を最早<伝統>ではないもの、すなわち、「生きられてある世界」を構成する風景の一部にしてしまう経緯を確認すること。これが本稿の獲得目標です。

・風景が<伝統>に分節される構図-靖国神社は日本の<伝統>か?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59836133.html



◆再論-伝統生成の構図

蓋し、「何が伝統であり、何が伝統ではないのか?」「何が伝統として尊重されるべき事象であり、何がそうではないのか?」これらの問いに、自他共に納得できる解答を出すことはそう容易なことではありません。

例えば、ある論者は「日本は万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠に存在する。この大義に基づいて億兆一心、忠孝の美徳を発揮するものだ。これこそ我が国体の精華であり、永遠不変、国史を貫く伝統である」と厳かに宣言される。他方、別の論者は「憲法9条は国是であり戦後日本を戦争から守ってきた伝統である」とのたまう。けれど、彼等は共に(そうは考えないという他者を納得させられる)根拠を何も提示することができない。

新カント派の方法二元論を持ち出すまでもなく「Sein-Sollen:事実-当為」の両者を巡る議論はその位相を異にする。ゆえに、(それらの主張が現在の歴史学や国際政治学の知見からは極めて怪しいことは別にしても)、たとえ2670年の間、あるいは、65年の間これらの論者の謂わゆる「国体」や「国是」なるものがこの社会で尊重されてきたとしても、その事実をもって明日も日本人がその「国体」や「国是」なるものを尊重すべきであるとは言えないのです。

では、「何が伝統か?」の問いに対してどのような構えで臨めばよいのか。蓋し、その要諦は、我々は<伝統>を巡る言語ゲームを通して、「何が伝統か」「誰が伝統と伝統以外のものを識別するのか」という<伝統>確定のルールを感得し体得するしかないということ。そして、そのルールは<物語の編み物>という形態を取りながら間主観性を帯びる公共的な性格のものであり、<私>にとって規範的拘束力をも持っているということです。而して、その理路は次の通り、

(甲)「何が伝統か」を感得できるのはこの世に私の自我たる<私>だけである

(乙)「何が伝統か」を感得するための資料は、<私>にとっての「生きられてある世界」(生活世界)内の、かつ、(その存在を最早疑いようもないと<私>に感じられる)不可疑性を帯びる事柄、畢竟、<伝統>を巡る言語行為に限られる

(丙)<伝統>を巡る言語行為を包摂する言語ゲームの中で<伝統>を確定するルールが生成され、しかる後、そのルールに則った新たな言語ゲームの中で次世代のルールが再生成され、このルール再生産のプロセスは順次継続していく

(丁)<伝統>を確定するルールは、「何が伝統か」を記述する1次ルールと、「誰がどのような手続でルールを制定・修正・解釈できるのか」を記述する2次ルールの結合として<私>の現前に立ち現われる

(戊)<伝統>を確定する2次ルールの内容は、「現象学に言う「他我構造」を通して、<私>が<我々>と看做す同じ<世間=社会>のメンバーの社会的意識として、すなわち、間主観性を帯びたものとして、かつ、言語ゲームを通して<私>に了解される」というもの

(己)<伝統>を確定する1次ルールの内容は、「ある<世間=社会>のメンバーとしての自己同一性を保持する<我々>が形成する、社会的意識に定礎された当該<世間=社会>コミュニティーメンバーの行為慣行」と言える   


敷衍すれば、(甲)の独我論的の構えは<私>が霊能力者でも超能力者でもないことを前提にすれば不可避かつ唯一の出発点でしょう。「国体」なり「国是」なりがアプリオリにそれらの内容が普遍的に確定したものとしてこの日本列島の中空を漂っているわけではないのですから。ならば、(乙)~(丁)で述べた如く、<伝統>をこの社会の風景から切り取るためには、その存在や価値が<私>にとって疑いようもない言語ゲームの戯れを構成する言語行為の観察による他はないことになる。

而して、(戊)2次ルールと(己)1次ルールの確定作業の前哨として、ルールが<私>にとって規範的拘束力を及ぼし得るための条件は何かという検討が不可避になる。蓋し、<私>がその運命共同体のメンバーであると<確信>している<世間=社会>で、そのルールに従うことが<私>のアイデンティティーの根拠になるという契機を欠けば、<私>にとってそのルールは規範的拘束力も持ちえないという経緯がその条件であろうと私は考えています。

尚、(戊)の「他我構造」とは「他者も<私>に立ち現われる<私>の生活世界内の存在であり、かつ、他者は<私>が<私>と同型の「認識者-行為者」と「理解=解釈」した存在にすぎない」という程の意味です。畢竟、この「他我構造」を通して、<私>の「理解=解釈」に<私>は'''間主観性'''を覚えることになる(誤解なきように、「理解=解釈」が帯びる間主観性という性質は<私>にとっての評価に過ぎず、これまた、アプリオリにこの日本列島を間主観性を帯びた「国体認識」や「国是概念」が覆っているわけではないのです)。



◆伝統の可変性と同一性

前項の(丙)で述べた如く、<伝統>を巡るルールは言語ゲームの戯れの中で変化していく。蓋し、保守主義とは「伝統の恒常的な再構築の営みである」と私は考えていますが、(丙)の認識はこのことを<伝統>の側面から表現したものに他なりません。では、例えば、所謂「憲法改正の限界」の如き意味で<伝統>の変化に限界はないのでしょうか? 

すなわち、刑事訴訟法や民事訴訟法では、訴訟対象論(訴因・公訴事実や訴訟物を巡る議論)において、証拠や新事実の発見、あるいは、法規解釈の修正にともない訴因や請求の変更があった場合、ある訴えが同一性を保持するかどうかが問題になりますが、事実の変化や<我々>の社会的意識の変遷が<伝統>の同一性を掘り崩したりそれを単なる風景の一部に格下げにすることはないのでしょうか。蓋し、

(a)甲子園の高校野球大会を、選手の健康と公平性を考えて、①出場校を64チームにして2回戦からの参戦組と1回戦からの登場組の不公平を解消する、②試合は1回戦から準々決勝までは、大阪・名古屋の2ドーム球場で行い、準決勝・3位決定戦・決勝の4試合は大阪ドームで行なう。(b)所謂「女系天皇」を認める。(c)捕鯨活動と鯨食を違法にする、等々。    


例えば、これらの変化は<伝統>の同一性を失わせるものでしょうか。

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結論から言えば、これら(a)~(c)が<伝統の再構築>であるか<伝統の破壊>であるかは、どこまでも「他我構造」の内部に置かれた<我々>が間主観性を覚えるこの日本社会の社会的意識の「理解=解釈」に収斂すると思います。蓋し、真夏の甲子園球場で繰り広げられるからこそ夏の甲子園大会は<伝統>として価値があると考える<我々>が少なくないからこそ現在に至るまでそれは続いてきているのでしょう。

いずれにせよ、ここで補足すべきは次の2点、

(α)<伝統>の重層性と相互連関性
それに直接係わる<我々>が少ないからといって、その事象が<伝統>ではないとは言えないということ

(β)<伝統>の体系性と民族国家性
近代国家成立以降の日本の<伝統>が、「日本国民=日本人」という国家規模の「間主観性=共同性」に底礎されている以上、日本の<伝統=物語の編み物>もまた、(単に(α)のエスニカルな契機だけではなく)ナショナル契機を帯びた国民国家の身の丈サイズの<伝統>ということ


蓋し、実は、高校野球に関心のない人々も稀ではない。まして、流鏑馬や薪能を演じたこと、否、見たことさえある日本人は極少数でしょう。しかし、それらが日本の<伝統>の一斑であることを否定する人もそう多くはないのではないか。畢竟、<伝統>の構成要素は単体で存立するものではなく、フッサールの言う意味での生活世界と伝聞の世界と神話的世界の三者を覆う広範な<物語の編み物>の一部なのです。而して、<伝統>の各要素はその編み物の内部で相互に連関しており、ならば、日本の<物語の編み物>にその座を占めている限りは、流鏑馬も薪能も、捕鯨と鯨食も日本の<伝統>と言えるのです。

他方、女系天皇の是非を定める<我々>の社会的意識は日本国を統合している<政治的神話=皇孫統べる豊葦原之瑞穂國のイデオロギー>と共鳴している。畢竟、皇室を巡る<伝統>は、それがナショナルな契機を媒介にしているがゆえに、日本の<伝統=物語の編み物>の中で要の位置を占めていることだけは明らかであろうと思います。尚、女系天皇を巡る私の基本的な考え、および、グローバル化を睨んだ上での<物語の編み物としての伝統>の変化と同一性ということの歴史的経緯については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・女系天皇は憲法違反か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59468610.html

・法とは何か☆機能英文法としての憲法学
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59457108.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


最後に確認すべきは<伝統>の基底たる<世間=社会>の変遷と様相のこと。

而して、<伝統>とはそのコミュニティーを運命共同体と感じている<我々>の社会的意識とその社会的意識に定礎された行為慣行である。ならば、「大東亜戦争で沖縄は本土の犠牲になった」などとのたまう人々は、彼等が「沖縄≠日本」と考えているだろう段階で、すでに日本の<伝統>を確定する資格を有する<我々>ではない。畢竟、彼等は、運命共同体としての日本に帰属することに自己のアイデンティティーを感じる<我々>ではなくなっており、よって、<伝統>を遵守尊重することで自己のアイデンティティーを確認する<我々>でもないということです。

蓋し、人口に膾炙している「沖縄には在日米軍基地の70%がある」というのは「沖縄には在日米軍専用施設の44%、(自衛隊との共同利用施設等々も算入すれば)、在日米軍の全施設の18%がある」の間違いであることを不問に付すとしても、このような論法は、「東京には国会議事堂の100%がある」という命題同様それ自体としてはなんら、同盟国アメリカと自衛隊員諸君に対して無礼極まりない沖縄の「非日的-反日的」の社会意識を正当化するものではない。地勢も歴史も非対称的な現在の都道府県の領域が単一の国民国家を形成した以上、沖縄県民の戦中と戦後もまた、日本人たる沖縄県民がその「地政学的条件-歴史的背景」からして必然的に甘受するしかなかった体験であったと言えるだろうからです。

ならば、「沖縄は独立するべきだ」と多くの沖縄県民が考えるのならば、沖縄が<我々>の<世間=社会>でなくなるのなら、日本の<伝統>を担う意志も資格も欠いている彼等に対しては、「どうぞご自由に」と言う他はない。と、感情的な排除の論理からではなくそう私は考えます。再見沖縄?


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(2010年8月30日:yahoo版にアップロード)

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yasukuni2


靖国神社の前身は1869年創建の東京招魂社、1879年に「靖国神社」と改称され現在に至っています。靖国神社に対しては、「靖国神社は陸海軍省が祭事を取り仕切った<国策神社>であり、それは日本古来の豊潤な神道的世界観とは異質な、国家統合のイデオロギーをヘーゲル流の<万世一系の国体>観念に求めた明治政府による近代的で人為的な国家神道の宣伝装置である」という主張をしばしば目にします。このような主張は妥当でしょうか。

靖国神社は日本の<伝統>ではないのか。本稿は「伝統とは何か」という切り口からこの問いに答えるものです。尚、「靖国神社≠伝統」論とは一応区別される、靖国神社に対する左翼・反日勢力からのイデオロギー的批判に対する私の反批判については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいと思います。

・高橋哲哉『靖国問題』を批判する(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/2499484.html

・高橋哲哉『国家と犠牲』を肴に<高橋哲学>の非論理性をクロッキーする
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/10702380.html





◆伝統とは何か?

ある言葉をどのような意味で使用するかは基本的には論者の自由でしょう。而して、これは「伝統」についても言えること。しかし、その論者が他者とのコミュニケーションを生産的にしたいと考えるならば、就中、学術的な議論に参画したいと希望するのならば、言葉の意味は、①一般的に流通している語義(辞書的定義)に沿ったものか、②その学術的議論が属する専門家コミュニティー内部で彫琢を施され蓄積されてきた語義(言葉の経験分析に適った語義)を踏まえるか、あるいは、③その言葉を明確に定義した上で(規約定義を明示した上で)使用されるべきだと思います。尚、言語使用のルールと言語の性質に関しては下記拙稿の前半部分をご参照いただければ嬉しいです。

・「プロ市民」考
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57630212.html


重要なことは、(イ)どのような言葉にも普遍的で単一の明確な意味は存在しない。しかし、(ロ)普遍妥当な語義を持たないはずの言葉が、かなりの程度まで共通の意味内容をコミュニケーションに参加する各自にイメージさせているという事実です。    


上に紹介した拙稿では、(イ)「言葉の指示対象の恣意性」、(ロ)「言葉の一定程度固有の指示対象保有性-言語コミュニケーション成立の可能性」が両立する経緯を「言語とその指示対象の関係」に着目して整理しています。本稿はその考察を受けて、言葉を巡る言語行為の構図に踏み込むものです。


ウィトゲンシュタインはその後期の言語ゲーム論において、言葉の意味は言葉を巡って行なわれる人々の言語行為の観察によって感得され体得されると考えました。この理路は、橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』(講談社現代新書・2009年)の6章に手際よく紹介されていますので是非ご参照いただきたいのですが、

例えば、「1,2,3,4,・・・」の数列を見れば、誰しも「4」の次の第5項には「5」が来ると<分かる>ということ。ここで、実は、この数列が「1,2,3,4,1,2,3,4,・・・」であり第5項は「5」ではなく「1」なのだというのは数列の記述のルールに反する。同様に、人間は物心つくかつかない時から5個や10個、あるいは数百数千の机を観察して(それらは各々異なっているもののそれらには共通の性質が備わっていること、すなわち、「机」と呼ばれる個物の間に「家族的類似性」が見られることを感得して)<机>という概念を体得していくのだ、と。    

要は、<伝統>という概念も、「歌舞伎,文楽,能,流鏑馬,・・・,甲子園高校野球大会,女子高生のセラー服,カレーライス,寿司,・・・」という「伝統」と呼ばれる事物を巡る数多の言語行為を観察して、そこになんらかの家族的類似性が感得されることによって体得されるということです。蓋し、家族的類似性の感得に至る他者の言語行為の観察こそ、すべての言葉や行為に意味を付加してコミュニケーションを可能にするルールを紡ぎ出し、他方、そのようなルールと戯れる営みたる「言語ゲーム」の基盤である。


而して、『はじめての言語ゲーム』の8章に展開されている、否、同書の前編とも言うべき『言語ゲームと社会理論』(勁草書房・1985年)以来の橋爪さんの持論、(ある作為や不作為を行為者に命じるルールを1次ルールと呼び、誰がその1次ルールを制定し改正し解釈するのかを定めるルールを2次ルールと呼ぶ場合)「1次ルールと2次ルールの結合としてのハートの法概念論は言語ゲーム論の影響を受けて成立した」という仮説の是非は留保しておきますけれども、言語ゲームが紡ぎだす、あるいは、それによって言語ゲームが執り行われるルールが1次ルールと2次ルールの結合の形式を取っているという指摘は正しいと思います。    

尚、「法=主権者命令説」を批判した、保守主義の法哲学者としてのハートも(実は、コモンロー優位を否定して立法運動を推奨したベンサムの与力にして、「法=主権者命令説→制定法万能論→反保守主義」と看做さている英国分析法学の源流、ジョン・オースティンが、法と道徳とを峻別し、かつ、法は主権者の命令であるとしても道徳は主権者をも拘束すると考えていたという、英国分析法学研究の世界的権威である八木鉄男先生がつとに指摘されていた側面を鑑みるならば)、英国分析法学の伝統の中でこそその法概念論はより重層的かつ整合的に理解できるのではないでしょうか。いずれにせよ、保守主義を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照ください。閑話休題。

・保守主義の再定義(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59162263.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59541275.html


畢竟、<伝統>を定める言語ゲームのルールもまた、何が伝統であるかを定める1次ルールと、誰がその<伝統>の線引きを行ない改正し解釈するのかを巡る2次ルールの結合である。而して、「伝統」の語義を定めるものは国語辞典、あるいは、伝統文化保護を巡る予算措置と規制措置を分掌する政府部局かもしれない。しかし、ルールの効力がルールの妥当性と実効性を不可欠の要素とする以上、ある社会の風景から<伝統>を切り取り、<伝統>の範囲を決めるものは、すなわち、風景から<伝統>を分節するものは、その<伝統>が息づく社会のメンバーの社会的意識でありその社会的意識を基盤とするメンバーの行為のあり様に他ならない。<伝統>が尊重されるべきものとして価値を帯び、そのメンバーに対する規範的拘束力を保持する限りそう言わざるを得ない。すなわち、日本の<伝統>を巡る言語ゲームの1次ルールの内容は、

日本人としての自己同一性を保持する、よって、自分を日本国という運命共同体のメンバーと意識している日本人が構成するこの社会の意識に定礎された、日本社会のメンバーの行為慣行   


と、一応はそう言えると思います。よって、1915年に始まった舶来球技の大会にすぎないにせよ甲子園の高校野球は<伝統>であり、それが日本古来の神道と些か毛色が異なっていようとも靖国神社もまた<伝統>である。では、<伝統>を巡る言語ゲームの2次ルールの内容は如何。この点を次項で検討します。







◆伝統の不可疑性と間主観性

<伝統>を定めるものは日本人の社会的意識である。けれども、誰がどのような権威や権限と手続でその社会的意識なるものを確定できるというのでしょうか。

フッサールが喝破した如く、ある色を私と他者が同じ色として認識しているかどうかは実証できません。ならば、「ある事象を私が<伝統>と考えているのと同じ意味で他者も<伝統>と考えていること」など到底論証のしようはないはずです。蛇足ながら、言語ゲーム論は、人々の行動の観察からそこで遂行されている言語ゲームを構成するルールを体得するという迂回戦術によってこの独我論のジレンマを解消したと言えるでしょう。

フッサールに従い結論から先に記せば、

蓋し、()<伝統>を巡る社会的意識の内容を定めるものは日本人としての私の意識そのもの(自我=純粋意識=<私>)以外のものではありえない。而して、()「生きられてある世界」(生活世界)の知見と矛盾しない範囲で(その「理解=解釈」が生活世界に根っ子を持っている限りで)他我構造から再構成された、間主観性を帯びる重層的な世界像の中に、()編み上げられた日本文化を巡る<物語>のパーツであると<私>が「理解=解釈」したものだけが<伝統>である。と、そう言えると思います。   


繰り返しますが、霊能力者でもない限り<私>は他者、まして、社会の意識など認識することはできません。ならば、社会的意識なるものもどこまでも<私>が「理解=解釈」した限りでの<社会的意識>にすぎない。加えて、<私>にとって、「生きられてある世界」、すなわち、そこに存在する事物や生起する事象の実在や意味が疑いないと感じられる(可疑性が最早成り立たない不可疑性の)世界に根っ子を持つ事柄でないのならばそれらは<伝統>としての規範的拘束力を<私>に対して持ち得ない。

更に、<私>と同様な認識者であり行為者である「他者=他の日本人」の存在もまた、<私>が<私>とアイソモティーフな存在であると<確信>する限りで成立する「理解=解釈」にすぎません。この(他者も<私>の生活世界内の存在という)他我構造は、しかし、他方では、「理解=解釈」された内容の間主観性を<私>に<確信>させるのです。

畢竟、「生きられてある世界」を基盤とする<私>にとって、<伝統>とは「生きられてある世界」を超えた<伝聞的世界&神話的世界>に向けて「生きられてある世界」の根っ子から童話のジャックが登った<豆の木>の如く伸び広がる<物語=フィクション>であり、また、その<物語>は多様な事物や出来事が織成す編み物として<私>に立ち現われる。この経緯はカール・ポパーが述べた、「世界Ⅲ=作品世界」の独自存在性と、「世界Ⅲ」が「世界Ⅱ=自我が形成する主観的世界」と相互に作用する世界論と相補的であろうと思います。

敷衍すれば、<伝統>とは「生きられてある世界」に根っ子を持つ<物語>であり、それは、間主観性を帯び、そして、<伝統>を定める1次ルールは<伝統>を巡る言語ゲームを通して<私>に了解される。蓋し、この認識が<伝統>を巡る言語ゲームの2次ルールの内容であろうと思います。   

蓋し、靖国神社が「生きられてある世界」に根っ子を持っていることは、英霊の御霊に感謝の誠を捧げる参拝者の列が切れることがないことによって自明であり、更に、その同じ事実は、他我構造の中で「靖国神社=日本の伝統」と多くの他の日本人も考えていると<私>に<確信>させる。而して、同じ他我構造の中でこれらの<確信>の内容は間主観性を帯びる「理解=解釈」となる。ならば、靖国神社は間違いなく日本の<伝統>である。否、それは<伝統=重層的な世界を覆う物語の編み物>の中でもこの社会の社会統合を担っている<政治的神話>の核心の一つでさえある。と、そう私は考えています。

<次記事の続編に続く>



yasukuni1





(2010年8月29日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済

sengyoshufu


本エントリーは、随分前、そう、2002年4月から7月にかけて海馬之玄関本家サイトにアップロードした記事の導入部分の再録です。実際は、一昨年、2008年の6月に若干、加筆推敲を加えた上で、本ブログに搭載した記事の転記。

原典は小泉政権下で「夫婦別姓法案」が政治課題として俎上に上った際に考えたものですが、夫婦別姓法案の成立が再度現実味を帯びてきた現下の状況を踏まえ、(理論史の検討部分を割愛した上で)再録することにしました。同法案に反対する保守改革派の同志の皆さんに何かの参考になれば嬉しいと思います。尚、理論史に関しては末尾の【出典・参考記事】をご参照ください。



◆はじめに

夫婦別姓を巡って様々な議論が展開されています。私は、夫婦別姓に関しては原則反対。ただし、「通称」として婚姻前の姓や離婚前の姓を名乗る行政法的や商法的な余地を認める法制度の改革は必要かもしれない。しかし、(選択制にせよ)夫婦別姓を容認するような民法や戸籍法の制度改革は妥当ではないと考えています。而して、本稿は私の「夫婦別姓」を巡る主張の基盤となる「家族」と「フェミニズム」に対する理解を整理したものです。畢竟、本稿は、夫婦別姓の「制度」ではなくどちらかと言えば夫婦別姓の「論議」に焦点を当てたものであることは最初に明記しておきます。

本稿は2部構成。すなわち、夫婦別姓論の根拠を概観する第1部(赤本)、♂&♀の性差理解から夫婦別姓論を検討する第2部(青本)の構成です。もって、「フェミニズムに反対する立場は国家主義的で古い考え方である」「フェミニズムの正しさは議論の必要もないくらい自明なことだ」などとノタマウ、そう、ファシスト的でさえある現在のフェミニズムの行動様式や思考様式を相対化して、もってフェミニストという名のファシズムを攻略するためのベースキャンプを設営できればと念じています。尚、以下の「註」は些かマニアックな補足説明。興味のない方、御用とお急ぎの方は飛ばしていただいて結構です。


◆赤本:夫婦別姓論の基底 <夫婦別姓論の根拠を覗いて見てみれば>
■夫婦別姓論の根拠を覗いてみる

夫婦別姓を推進する論議の背景には以下のような「夫婦」や「家族」や「性差分業」に関する考え方が横たわってはいないだろうか。すなわち、

(1)「家族」や「夫婦」は幻想に過ぎない
<夫婦>なるものは、法的な制度=擬制に過ぎず、実体として(現実に)存在するのは、<男>と<女>という個々の人間(個人)に過ぎない。かつ、夫婦同姓の現状は、結局、「家族」という法的な擬制を維持するためのイデオロギーの反映に過ぎず、本来は実体のない<夫婦>なるものや<家族>というものを、何かありがたいもの、個人とは別個に独自の価値を持つものと誤解させるものである。畢竟、個々の人間を離れて存在する「家族」や「夫婦」なるものは存在しえず、「家族」や「夫婦」なるものの本質はそれを構成するとされる個々人の物理的と精神的な関連性の総和に過ぎない。

(2)幻想再生産の背景
では、何故に、「家族」や「夫婦」の本質を誤解させるような擬制が堂々とまかり通っているのか? それは、(a)儒教的な意識構造(封建的な意識構造)と(b)資本主義的な支配構造、ならびに(c)男が女を支配することが当然と考える男(=ロゴス=ファロス=男根)を世界観の中心に据える所謂ヨーロッパ中心主義の世界観の重層的な存在である。<男>による<女>に対する性差に基づく抑圧/支配構造を維持するために、そのような封建的と資本主義的と西欧的な三重の「抑圧/支配構造」を維持するためにそのような擬制=イデオロギーが有効だからである。


■「家族」と「夫婦」の幻想性を検討してみる

「家族」や「夫婦」が擬制=幻想にすぎないことは自明である。このことは「国家」や「国際社会」が擬制であること、所謂「想像の共同体」であることと同値である。しかし、この意味での擬制は、「巨人軍なるものは読売ジャイアンツと契約している個人事業主である選手や監督、コーチの総和に過ぎず、存在するのは個々の人間以外にはない」とか「天皇制とは天皇を<天皇>と考える人々の意識と行動の総和に過ぎず、天皇制なるものはそれらの人々の意識と行動以外になんらの実体もない」、ということと同じであり、この擬制論=幻想論で否定される事柄と否定されない事柄があるのではないだろうか? 

「夫婦」や「国家」が幻想に過ぎないとしても、それらは正に幻想や擬制そのものとして実体的な影響を人生や社会や国内外の政治に及ぼしている。この幻想の持つ実体的な影響力が無視し得ないからこそ、夫婦別姓推進論者は家族や夫婦の幻想性を批判しているに違いない。ある擬制はそれが幻想であるからといってその存在意義までも否定されるわけではない。ある擬制の存在意義はその擬制の幻想(=イデオロギー)としての性能・効能・機能に収斂することになろう。

例えば、「人間はいずれ死ぬものだ」という命題が正しいとしても、「人生には何の意味もない。なぜならば、人間はいずれ死ぬものなのだから人生なるものは一時の幻想に過ぎない」という主張が正しい訳ではない。夫婦や家族の幻想姓をアゲツラウことでは夫婦別姓論は何の説得力も獲得しないし、夫婦同姓論がいささかでも否定されるわけではない。それは、人生の意義が所詮自己幻想(パラノイア的な幻想性)に過ぎないことで否定されるわけではないことと同じである。

所詮、夫婦なり家族は所属する草野球チームのユニフォームなりチーム名に過ぎないのかもしれない。しかし、所詮、野球は一人ではできない。野球の試合に出場するにはニフォームがあれば便利だろうし、野球のチームに所属することが不可欠である。而して、ユニフォームやチームが所詮記号や幻想や擬制に過ぎないとしても、野球のゲームをエンジョイするにはそのチームやユニフォームは不可欠である。ならば、人生というゲームに参加し、生涯の七難八苦を乗り越え、そして、自己の個性を華咲かせ感動に満ちた人生を各人が享受するために、「家族」や「夫婦」という幻想や記号を使用することが有効であるならば「家族」や「夫婦」という擬制やイデオロギーの意義は何ら批判される筋合いはない。


■「家族」と「夫婦」の幻想再生産の検討

「家族」や「夫婦」の幻想は、男女の性差による役割分担を当然のことと了解させる封建的な支配のイデオロギーであり、自立した存在として生きたいという女性を抑圧する社会の仕組みを上部構造の面でサポートしている。また、この男女の性差による分業体制は、資本主義的な疎外と搾取構造を補強する仕組みでもある。なぜならば、男が搾取され疎外されるにせよ、彼は家庭で女を抑圧することでその労働力を再生産することが可能であり、彼の労働力再生産に資本側は特別なコストを割く必要がないのだから。と、大体このように夫婦別姓論の論者は主張しているように見える。さて、この見解は正しい認知であろうか? 「正しい」と、実は、私は考えている。

しかし、その性差に基づく役割や資本主義的な疎外構造や搾取の仕組みは邪悪で倫理的に許されないような悪いことであろうか? 私は、必ずしも邪でも悪でもないと考える。蓋し、夫婦別姓論は、男女の性差に基づく役割分担や資本主義的な疎外構造、はたまたヨーロッパ中心主義が悪であることを自説の正しさの根拠としている。しかし、夫婦別姓論が「性差による役割分担や資本主義的な疎外構造は悪である」との論証に必ずしも成功しているとは私は考えない。はたして、善なる生産関係や正義に適った分配構造なるものが社会制度として存在しうるものだろうか? 夫婦別姓論の論者は自分の価値観や願望を基準にして、言わばご自分が作ったその<価値空間でのみ妥当する基準>から神でも悪魔でもない人間の作るこの社会の生産関係や分配構造を批判しているだけではないだろうか。

「家族」も「夫婦」も幻想であり擬制でありイデオロギーである。しかし、その幻想性・擬制性・イデオロギー性は「家族」や「夫婦」の存在意義を何ら減じない。ここで、私が尊敬してやまない小平先生の言葉を転用させていただければ、「黒い幻想も白い擬制も鼠を取るイデオロギーはよい幻想であり、鼠を取らないイデオロギーは悪い幻想である」。蓋し、現在の「家族」や「夫婦」という幻想が個々人(♂&♀)をしてその人生を感動的に送らしめ、個性を華開かせることを個々人に可能にせしめ、活気と隣人愛に満ちた日本社会を具現する上で有効であり、日本を尊敬される国としていく上で役立つならばその幻想性はよいイデオロギーであり、よいイデオロギーに担保された法的制度である。而して、私は「家族」や「夫婦」というイデオロギーは結構、よくできた幻想でありそれに担保された法制度は充分に尊重されるに値するものであると考えている。

家族や夫婦という共同幻想を否定し、産む性と産めない性という生物学的な差異を生物学的な差異としてのみ位置づけ、ジェンダーを捨象した等質な個々人のみを社会の構成要素と考える夫婦別姓論も、それがある種の社会と個人の幻想に依拠する擬制であることは夫婦同姓論となんら変わらない。なぜならば、生物学的な差異に起因する文化的な差異を捨象することはある種の価値観(♂も♀も等価値で等質であるべきだという価値観、)を待ってはじめて可能になるある特殊な世界と社会の見方に過ぎないからである。

染色体の差異も♂と♀の生殖器の差異をも捨象することは間違いなく事実の記述ではなくて、ある御伽噺(フェアリーストーリー)の提示に他なるまい。ならば、小平翁の顰にならった先の言葉がここでも聞こえてこよう。すなわち、「黒い幻想も白い幻想も鼠を取るイデオロギーはよい幻想であり、鼠を取らないイデオロギーは悪い幻想である」、と。


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以下、「完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(上)」の後段に続きます。ご興味のある方は下記出典と参考記事をご参照ください。


【出典】

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(上)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-398.html

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(中)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-399.html

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-400.html

【参考記事】
・保守主義の再定義(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59162263.html

・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59190400.html

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60160610.html






(2010年2月19日:yahoo版にアップロード)

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<承前>

[F]労働価値説・労働力商品・剰余価値
エンゲルスは『空想より科学へ』(1878年-1883年)の中で「唯物史観」と「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」の二つを「社会主義を科学にした」マルクスの発見と書いていますが(岩波文庫, p.63)、本節[B]唯物史観で述べたように唯物史観が単なるイデオロギー的仮説にすぎないことは、最早、「歴史的-論理的」に明らか。そして、現在、エンゲルスが絶賛したもう一方の剰余価値論もまたその基盤たる労働価値説が否定されるとともに破綻、あるいは、(これまた百歩譲っても)イデオロギー的仮説にすぎないと考えられています。労働価値説もマルクスの独創ではなくアダム・スミス以来の古典派経済学の考え方なのですが、「マルクスは経済学を批判する過程で、古典派経済学という魚を労働価値説という<釣り針>ごと飲み込んだ」としばしば評されている所以です。

労働価値説とは、商品の価値の源泉は労働であり商品価格はその商品を生産するに際して投入された社会的に必要とされる平均の労働時間に比例するというもの。労働価値説曰く、アイスクリームと携帯電話サービスの如く極めて多様で相異なる使用価値を持つ商品が市場で貨幣と等価交換されている以上、それらの商品間には貨幣で換算可能な共通の価値の実体があるはず、而して、個々の商品に固有の性質を漸次剥ぎ取って行った場合に最後に残るものは「人間が労働によりその商品を生産した」という経緯だけである。よって、商品の価値の源泉は人間の労働である、と。尚、「社会的に必要とされる平均労働時間」とは、例えば、ベテランのお局様なら2時間で済ます伝票入力も、飲んだくれの不良新入社員君には12時間相当の仕事かもしれないが、それを社会の平均的な労働者が行なうと仮定して、この伝票入力の労働時間は4時間とするというような意味です。

労働価値説は「循環論法」にすぎない。所謂「転形問題論争」というオドロオドロしい名前がついているのですが、べーム・バヴェルク(1851年-1914年)は、単純労働と医師や弁護士等の専門的労働の双方に社会的に必要とされる平均労働時間と商品価値の関係(複雑労働と単純労働の「労働換算問題」と言います)を考究する中で、マルクスの労働価値説が「循環論法」である経緯を喝破しました。曰く、『資本論』の第1巻では商品の価格は投下労働量で定まるとされているのに、第3巻1篇乃至3篇では商品価格は商品の生産コストである「費用価格」に「平均利潤」を加えた「生産価格」で決まる、要は、商品の価格は市場の需給で決まると述べているのは矛盾である、と。

バヴェルクの指摘を敷衍します。マルクスの主張は、(i)商品の市場価格は(一時の投機や突発的事故により価格変動はありうるとしても、長期的には)商品生産に投下された労働の量(労働時間)で決まる、(ii)投下労働量の「社会的に必要とされる平均労働時間」への換算は(費用価格・平均利潤ともに)市場の需給、つまり、市場価格で決まるというもの、而して、これは循環論法にすぎない、と。

バヴェルクのこの指摘に対して、それは「価値論のない価格論」に堕したものだ(宇野弘蔵『資本論入門』(講談社学術文庫・1977年, p.210))等々左翼は苦しい反論を展開しましたが、後に、森嶋通夫氏によって「労働価値説は循環論法によっても否定されない」ことが証明されました。しかし、森嶋氏の証明は労働価値説が<科学的法則>などではなく単なるイデオロギー的仮説であることを駄目押し的に確認したものなのです(『マルクスの経済学』(1974年))。

マルクスは、「労働」と「労働力」を区別しています。要は、労働者が賃金と交換しているのは商品としての労働力であり、労働力という商品の使用価値が労働である。労働者は商品としての労働力が取引される労働力市場における労働力商品(労働力という商品の売り手)である、と(『資本論』第1巻3篇;『賃労働と資本』)。

重要なことは、すべて等価交換で行なわれるはずの資本主義市場での商品取引において(等価交換でないとすればそれは詐欺・強迫による不等価交換のはずです)、生産者が生産費用の合計よりも高い価格でその製品を販売できるのは「価値の増殖を使用価値とする商品」、すなわち、労働力がその生産過程に介在するからだというマルクスの認識です。つまり、「労働力の価値」と「労働力の使用価値である労働が創りだす価値」とは全く違った大きさである。なぜならば、商品としての労働力の価値は、一般の商品の価値と同様に、そのものの生産・再生産に社会的に必要とされる平均労働時間によって決定されるはずだから、と。要は、それは労働力の再生産コスト(≒自分と家族の衣食住+αの費用)で決まるからという理屈です。

而して、マルクスは、労働が増殖させた分の価値と労働力の購入に支払われた価値の差額を「剰余価値」と呼び、それは不払いの価値であると<暴露>したのです。この左翼の根幹的認識は、しかし、労働が価値増殖の唯一の源泉であるとする労働価値説が間違い、もしくは、単なるイデオロギー的仮説にすぎないことが判明した現在では説得力を完全に喪失しています。


[G]不変資本・可変資本・資本の有機的構成の高度化
マルクスは「資本」を、自己増殖する価値の主体(単位)、あるいは、貨幣と貨幣で購われた資源の総体、更には、「一つの社会的生産関係【所有と賃労働を巡る社会的諸関係】」(『賃労働と資本』岩波文庫, p.58;cf. 『資本論』第1巻2篇「貨幣の資本への転化」)と、重層的に「資本」を捉えています。

労働価値説を採用していたマルクスにとって価値を増殖するのは独り労働力の使用価値たる労働だけですから、新たな価値を生み出すか否かを基準に資本(=資源の総体としての資本)を「可変資本」と「不変資本」に分類することは自然な流れ。尚、前者が労働力であり後者が労働力以外の資本であることは言うまでもありません(『資本論』第1巻3篇6章「不変資本と可変資本」)。

これだけの話であれば可変資本・不変資本の区別は労働価値説のコロラリーとなる新規の学術用語の措定にすぎない。しかし、この不変資本・可変資本の区別は、『資本論』第1巻7篇23章「資本主義的蓄積の一般法則」および第3巻3篇「利潤率の傾向的低下の法則」において資本主義の将来予測につき重大な意味を帯びてきます。

自己増殖する価値の主体としての資本。より多くの「利潤≒剰余価値」獲得によって無限の価値増殖を運命づけられた個別資本は自由放任的な競争の中で勝ち残ろうとする。けれども、労働力を長時間働かせることでより多くの剰余価値を得ることには、生身の人間たる労働者の生理的限界や労働法の規制等々の桎梏がある。而して、結局、資本の生き残り戦略は生産性向上、つまり、高性能の機械を恒常的に導入し続けることに収斂するはずであり、当然、資源の総体としての資本に占める不変資本の比率は逓増していかざるを得ない。よって、資本主義の瓦解は必然である、と。こうマルクスは考えました。

資本主義の瓦解はなぜ必然なのか。資源の総体としての資本における不変資本と可変資本の比率を「資本の有機的構成比」、そして、資本に占める不変資本比率の増加を「資本の有機的構成の高度化」とマルクスは呼んでいますが、マルクスの場合、価値を生むものは可変資本(繰り返しますが、労働力のことですよ!)に限られる。よって、「資本の有機的構成の高度化」が資本主義経済の運動法則のコロラリーと考えたマルクスにとって、資本主義の発展の中で(自己増殖する価値の主体としての)資本が獲得できる利潤率・剰余価値率は逓減するはずであり、ならば、資本主義の没落は必然である、と。以下、敷衍します。<復習>です。次の段落の「資本」が資本のどの意味か確認しながら読んでみてください。

資本の運動が無政府状態に放置されている資本主義社会では資本の有機的構成の高度化により、(甲)資本の生産性が向上し漸次失業者が増える、(乙)可変資本の相対的縮小による資本の利潤率・剰余価値率の逓減により益々多くの資本が競争に敗れ失業者を含むプロレタリアートが増える、(丙)増大したプロレタリアートの存在により(雇用機会を超えるプロレタリアートを「産業予備軍」と言います)、これまた益々労働力商品市場は買い手市場になりプロレタリアートの窮乏化に拍車がかかり、(丁)プロレタリアートの増大と一層の窮乏化、他方、資本においては価値の自己増殖運動の鈍化が同時に進行する。而して、(戊)「恐慌→革命」の中で資本主義は必然的に没落する。


唯物史観と労働価値説をイデオロギー的仮説であると認めるポスト=モダン系の左翼からは「マルクスの曲解だ!」という常套的反論が聞こえてきそうですが、『資本論』第1巻7篇23章「資本主義的蓄積の一般法則」から(甲)~(戊)を読み取るのはそう不自然ではないと私は考えます。

けれども、資本主義は瓦解も没落もしなかった。資本の有機的構成の高度化は全体としては昂進しなかった。プロレタリアートの窮乏化も起こらなかった。これについては、ケインズ政策、すなわち、有効需要の管理と金本位制を廃止してする金融政策の導入、および、1990年代後半以降は工業化による大量生産の時代から知的財産中心のポスト工業化社会への資本主義社会の移行等々様々な理由が考えられるでしょう。

しかし、資本主義の経済発展におけるシュンペーターの言う意味での「イノベーション」の死活的重要性、ブランド商品に代表される所謂「独占的競争」現象の普及、そして、マルクスが考えた競争が敗者復活のない謂わば「チェス型」であったのに対して、現実の競争は「敗者復活や駒の再利用」がむしろ普通の「将棋型」であったこと。これらが預言破綻の本質的な原因ではないか。蓋し、名取洋之助『アメリカ1937 名取洋之助写真集』(講談社・1992年)に写っている、大恐慌に呻吟しているはずのアメリカ社会の逞しくも誇り高い人々の姿を見るたびに私はその感を深くする。以下、同書の後書ともいうべき青木冨貴子氏の薦述を引用しておきます。

「1937年に名取洋之助が撮影したアメリカを、半世紀余り後のいま目にしてみると、実に多くの発見があることに驚く。名取洋之助の撮ったアメリカは、同じ1930年代を撮影したウォーカー・エヴァンスのアメリカでもなければ、大恐慌に打ちひしがれたプア・ホワイトや労働者を撮ったドロシー・ラングのアメリカでもない。名取がニューヨークからロサンゼルスまで、車で大陸横断して撮ったこの何十枚かのアメリカには、(中略)大恐慌の次に始まる新しい時代への鼓動が脈打っているようでもある」(p.86)




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■保守主義から見たマルクスの可能性の残余

[一]マルクス社会理論の崩壊
「資本主義世界システム論」の創唱者、ウォーラーステイン(1930年-)は『史的システムとしての資本主義』(1983年)の中で、「宗教は民衆にとってのアヘンだと言ったのはカール・マルクスであるが、マルクス主義思想こそ知識人にとってのアヘンだと逆襲したのは、レイモン・アロンである。どちらの論法も、まことに洞察力に富んだものではあるのだが、洞察力があることとその主張が真理であるということは、必ずしも同じではない」(岩波現代選書, p.114;cf. 『ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫, p.72)と述べています。

蓋し、マルクス主義経済学、あるいは、より広義にマルクスの社会理論は破綻した。前節で一瞥したように、(イ)マルクス主義経済学は労働価値説が破綻したこと、百歩譲ったとしてもそれが単なるイデオロギー的仮説でしかないことが判明するとともにその<科学性=普遍法則性>を喪失した。また、(ロ)資本の有機的構成の高度化の<法則>が「歴史的-論理的」に否定されることにより、その<法則>に依拠したマルクスの預言、すなわち、価値増殖を求める資本の無限の運動が無政府状態に放置されている資本主義社会没落の予測も水泡に帰した。

加えて、(ハ)普遍妥当なる自然法則の存在とその法則を人間が発見できるという予定調和的で、文字通り、素朴な「素朴実在論=模写説的認識論」が成り立たないこと、すなわち、マルクス主義の経済学・社会理論を含む近代科学のパラダイムが想定していた、普遍妥当な法則の存在とその法則を人間が漸次獲得可能であるという<科学観>が成立しないことを分析哲学(並びに、カール・ポパーの反証主義)が明らかにした20世紀の半ば以降、マルクスの唯物史観は錯覚もしくは詐術でしかなかったことが露呈したこと。これらによって、マルクス社会理論、就中、マルクス主義経済学は、最早、過去の遺物であると断言できるし、マルクス社会理論の虎の威を借りて存続してきたマルクス主義思想も多くの場合知識人層にとってのアヘンでしかなかったことが暴露された。

尚、(ハ)の唯物史観の擬似科学性に関しては前に紹介した、ポパー『歴史主義の貧困』(1957年)がマルクス主義批判の記念碑的著作です。蓋し、哲学の存在論において、「実体」を「他者の介在なしに存在するもの」と一応定義すれば、実体主義とはそのような「実体」が存在するという立場であり、他方、関係主義とはそのような「実体」なるものは存在せず存在するのは個々の個物とそれらの間の関係性のみであると考える立場のことですが、分析哲学と反証主義によって実体主義の成立不可能性は顕示されています。

ところが、『経済学・哲学草稿』までのマルクスは「実体主義的=近代思想的」な人間観と社会観を保持していたけれども、『ドイツ・イデオロギー』において、分業を槓桿とする社会関係の変遷として歴史の発展を理解するアイデアの獲得により「マルクスは、人間の“類的普遍本質性【=本来ありうべき人間のあり方】”なるものを「社会的諸関係の総体」ということで規定し返した」(廣松渉『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書・1990年, p.35);cf. 廣松渉『マルクス主義の成立過程』(1968年), 『マルクス主義の地平』(1969年), 『唯物史観の原像』(1971年), 『マルクス主義の理路』(1974年))。よって、「後期」のマルクスは「関係主義的=現代思想的」の人間観と社会観の基盤の上に構築されているのだ。畢竟、「後期」のマルクスは、実体主義から関係主義への世界観の転換をなしたのであり、それは近代思想の地平の超克でもあった、と。まー、「言うだけならタダやで」ですが、こう主張するポスト=モダン系の左翼も存在します。

けれども、分析哲学・反証主義からの<科学>としての唯物史観否定の理路を反芻するならば、そのような主張はマルクスの片言隻句の恣意的な解釈に依拠した左翼内部でだけ通用するかもしれない我田引水的言説、あるいは、マルクスの贔屓の引き倒しに近い言説であろうと私は思います。実際、「人間の本質=社会的諸関係の総体」「人間の意識=歴史的な生産物」(各々、『フォイエルバッハに関するテーゼ』6番, 『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫, p.57))等々が「後期」のマルクスが関係主義に立ったことの証左になるとするならば、古代エジプト・古代ギリシア・古代支那以来すべての算術家・数学者もまた関係主義に分類されるだろう。而して、マルクス社会理論は崩壊した。マルクス主義はアヘンであった。そう言えると思います。


[二]マルクス社会思想の豊饒
マルクスの社会思想はマルクスの社会理論に還元され尽すことはない。これが本稿を貫く私の認識です。長尾龍一氏から「どのような馬鹿げたアイデアも世界の哲学史の中で語られなかったものはない」(笑)と昔聞いたことがありますが、蓋し、それがいかに荒唐無稽であったとしても、資本主義社会とそこに至る歴史に関して壮大で体系的な世界観を、かつ、(前節までの紹介でそのほんの一斑を紹介したのですが)堅固な(robust)哲学的論証と当時最高峰(best and brightest)の経済学的知見によって精緻に編み上げた(「巨大な大風呂敷を隅々まで綺麗に広げた!」)マルクスの社会思想は、グローバル化の昂進著しい現下の資本主義世界システムを与件としつつ伝統の恒常的な再構築を期す我々保守改革派が現前の社会と歴史を理解し、また、保守主義からのありうべき社会と人間実存のあり方を考究する上で参考にならないはずはい。そう私は考えるのです。

マルクス社会理論に還元されないマルクス社会思想とは何か。保守改革派はマルクス社会思想をどのように利用すればよいのか。マルクス社会思想をマルクス社会理論の共示義体系(a certain system of connotation)と理解するとき(つまり、両者のテクストは完全に同一であるがそのテクストに意味を読み込む解読枠組みが異なっていると理解するとき)、私は概略次のように考えています。

●マルクスの社会思想の可能性の残余
(α)マルクス社会理論の諸パーツの借用
(β)マルクス社会理論総体の脱構築
(γ)マルクス社会理論総体の反面教師としての使用


蓋し、疎外論・物象化論・物神性論、商品論-貨幣論、労働価値説-剰余価値論、不変資本・可変資本論-資本の有機的構成比論等々の経済と社会を説明するマルクス社会理論の個々のアイデア、あるいは、弁証法的唯物論-唯物史観、「市民社会-政治的国家」論、恐慌論-資本主義の無政府性認識-生態学的社会論、等々の世界と社会と歴史を把握する認識枠組みを(あくまでも、それらがイデオロギー的仮説にすぎないことを前提にした上で)適宜借用すること。これが(α)の諸パーツの借用の意味です。

他方、(β)のマルクス社会理論総体の脱構築とは、マルクスの社会理論総体を、例えば、『資本論』のテクストはそのままに、保守主義と資本主義の好ましい関係を創出するための参考資料として読み替えることも可能ではないかということ。ポスト=モダン系の左翼、具体的にはウォーラーステインやネグリ(1933年-)、そして、(ご本人的には<マルクスの真意>を語っただけだという認識だったと思いますが)廣松渉や宇野弘蔵が行なったような作業に保守改革派も保守主義の立場から参入するのもありじゃないかということです。もちろん、我々保守改革派にはその作業が<マルクスの真意>に迫るもであるなどと強弁する義理はない。而して、保守派からのこの作業の試みとしては佐藤優氏(1960年-)のアプローチなどはそれに近いかもしれません。

(γ)マルクス社会理論総体を反面教師として使用する可能性とは何か。蓋し、マルクス=レーニン主義の文献をひたすら読み込んだ、よって、只管打座の境地さえ感じさせる向坂逸郎先生の極めて完成度の高いマルクス理解はそれが現実の経済現象の説明としてはほぼその有効性を喪失したがゆえに、逆に、マルクスの社会思想を鏡として極めてラディカルで見通しのよい現代社会に対する<風景>を映し出してくれる。つまり、それは現実を理解する上での明確な<座標軸>を提供している。もしそう言えるならば、(γ)は我々保守改革派がマルクスの社会思想を活用するもう一つの可能性ではなかろうかということです。

私は保守主義から見たマルクスの可能性の残余を概略このように考えていますが、例えば、所謂「夜警国家→福祉国家」に対応した所謂「近代法→現代法」の転換、具体的には、契約自由の原則の修正・過失責任主義の修正・所有権の公共の福祉からの制約、あるいは、応報刑一元論から目的刑・応報刑を併用する二元論的刑罰論への移行を導いたものは、(α)(β)を踏まえた現代法思想だったと言えるのではないか。更に、大東亜戦争後の唯物史観に立った有象無象の歴史学の著作の中でもいまだに名著の誉れ高い、石母田正『中世的世界の形成』(1944年)、黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』(1975年)は、(α)(β)の実践だけではなく「マルクスを用いてマルクスを突き抜けた」作品として(γ)の実践でもあったのではなかったか。ならば、マルクス社会思想の可能性の残余は案外豊潤なものかもしれない。そう私は思っています。

日本共産党は4年半前の2004年9月、「党員の学習離れが進み、分厚い『資本論』を【邦訳書でさえ!】読み切った党員はほとんどいないのが現状」であることに鑑み「全党員に義務づけていた『資本論』等の「独習指定文献」制度を廃止」したそうです(朝日新聞・2004年9月23日夕刊)。而して、ならばこそ、左翼が『蟹工船』(1929年)ごときを通して共産主義的の雰囲気と戯れている隙に我々保守改革派がマルクスを自家薬籠中のものにする戦術的意味は小さくないのではないでしょうか。

畢竟、冷戦における自由主義陣営の勝利以降、保守主義の主敵は左翼から隠れ左翼たるリベラル派に確実に変わっており、また、保守主義とリベラル派の勝敗を分かつものは、現下のグローバル化(すなわち、無政府的な資本主義の価値自己増殖の暴力-自然と人間の関係を媒介にした人と人の間の生態学的社会関係の揺らぎ)に拮抗し得る安定した社会と国家のイメージをどちらがより具体的かつ体系的に提案できるかに懸かっている。この認識が満更荒唐無稽ではないとするならば、保守改革派こそマルクスを読むべきである。繰り返しになりますが、これが本稿に込めた私の基本的な問題関心です。


伝統の恒常的な再生に向けて、共に闘わん。





(2009年4月23日:yahoo版にアップロード)

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■マルクス関連必須用語

[A]社会主義・共産主義
社会主義・共産主義(socialism・communism)は元来、個人主義(individualism)の反対概念として登場した言葉です。マルクスの社会思想が主に展開された舞台たる経済部面に引き付けて言えば、平等で均一、独立した<個人>だけを社会的・経済的な諸関係のプレーヤーと見立てて、財の生産と富の分配はそのような<個人>を単位にその責任で行なわれるべきだとする近代社会に特有な人間観・社会観を個人主義と呼ぶならば、財の生産と富の配分は<個人>を超えたある特定の集団たる<部分社会>や<全体社会=国民国家規模の社会>を単位にその責任で行なわれるべきだと考えるのが社会主義・共産主義であると一応言えると思います。つまり、社会主義・共産主義と個人主義・自由主義は不倶戴天の敵ではあるが資本主義・民主主義と社会主義・共産主義は必ずしも矛盾するわけではない。

注意すべきは、社会主義・共産主義はポスト=モダンの思想であると同時にプレ=モダンでもありうること。実際、資本主義成立以前の中世・近世の村落共同体や同業者の友愛的紐帯をモデルとするロマン派的の社会主義・共産主義は空想的社会主義の論者から繰り返し主張されました。

蓋し、佐藤優『国家論』(2007年)の「スターリンの民族理論の強さは、近代的な国民国家が成立する以前の近世帝国にも目配りが利いているところです。マルクスのテキストを読み込んで、国民国家というモダンを超克するようなポストモダン国家に対する構想力を、おそらくプレモダンへの想像力をバネにして作っている」(p.145)との指摘は正鵠を得ていると思いますが、しかし、スターリンがそのように強靭な民族論を構築できたについては、社会主義・共産主義が元来プレ=モダンとポスト=モダンの両義性を帯びていることが与して力あったと考えています。

而して、おそらく『経済学・哲学草稿』の第1草稿4「疎外された労働」(岩波文庫, pp.84-106)の延長線上にあると思われる『ドイツ・イデオロギー』の次のような共産主義社会イメージにもやはり同様の両義性を指摘できるかもしれません。

「共産主義社会では、各人は排他的な活動領域というものをもたず、任意の部門で自分を磨くことができる。共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能になることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝は狩りをし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする ―― 猟師、漁夫、牧人あるいは批判家になることなく、私の好きなようにそうすることができるようになるのである」(岩波文庫, pp.66-67)


社会主義・共産主義の両義性。けれども、カール・ポラニー(1886年-1964年)が『大転換』(1944年)で喝破した如く、中世・近世までの「経済現象が社会的諸関係に埋め込まれていた社会」から、資本主義の発展により、「自己調整型市場システム」が確立し「社会的諸関係が経済現象に埋め込まれた社会」と成り果てた近代社会では、空想的社会主義が主張するようには<懐古>や<善意>だけでは社会主義・共産主義が具現することはあり得ない。よって、「マルクス=レーニン主義」は暴力革命を否定しなかったのでしょうし、他方、我々保守改革派には社会思想のみならず社会理論が不可欠なのだと思います。

而して、空想的社会主義を批判するプロセスでこの経緯を悟ったマルクスは、社会主義・共産主義への現実的の道筋を考察する段ではプレ=モダンと通低するナイーブな社会主義・共産主義からは漸次離れていく。前節で紹介した『ゴータ綱領批判』の社会主義の高低二つの段階のイメージと併せて、次の『共産党宣言』第2章「プロレタリアと共産主義者」からの引用でその経緯を確認しておきましょう。

「共産主義の特徴をなすものは、所有一般の廃棄ではなく、ブルジョア的所有の廃棄である。(中略)共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止というひとつの言葉に要約することができる」(岩波文庫, p.58)

「共産主義者に対して、祖国を、国民性を廃棄しようとする、という非難が加えられている。労働者は祖国をもたない。かれらのもっていないものを、かれらから奪うことはできない。プロレタリア階級は、まずはじめに政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならないのであるから、決してブルジョア階級の意味においてではないが、かれら自身なお国民的である」(ibid, p.65)

「【土地所有の収奪と地代の国庫への納入、強度の累進課税、相続権の廃止、すべての運輸機関の国有化、国有工場・生産用具の増加と共同計画による土地の耕地化、すべての人に対する平等な労働強制等々の施策の実行により】階級差別が消滅し、すべての生産が結合された個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う。本来の意味の政治的権力とは、他の階級を抑圧するための一階級の組織された権力である。プロレタリア階級が、(中略)革命によって支配階級となり、支配階級として強制的に古い生産関係を廃止するならば、この生産関係の廃止とともに、プロレタリア階級は、階級対立の、階級一般の存在条件を、したがって階級としての自分自身の支配を廃止する。階級と階級対立とをもつ旧ブルジョア社会の代りに、一つの協力体があらわれる。ここではひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である」(ibid, p.69)


畢竟、原理的にプレ=モダンに親近性を持つ保守主義にとって、それが再構築を目指す社会のイメージ獲得に関して社会主義・共産主義は無意味ではない。加えて、それを<精神論>で具現することの困難さを指摘したマルクスの社会思想は、資本主義の暴力性、すなわち、現下のグロバール化の昂進に拮抗し得る伝統尊重型社会の再構築を目指そうとする我々保守改革派にとっても傾聴に値する。そう私は考えています。


[B]唯物史観
唯物史観に関しては前節で引用した『経済学批判』序言、所謂「唯物史観の公式」が重要です。要は、ある時代ある社会の(労使関係・所有関係等々の)生産関係とその社会の生産力との間に生じる齟齬が歴史を発展させる、と。拡大する生産力と変化を抗する生産関係の間の矛盾が歴史発展の動因である、と。『共産党宣言』第1章の冒頭の言葉の如く「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史」であった、と。これが唯物史観の最もプレーンな内容と言えると思います。

唯物史観をこう捉える場合、それは単なるイデオロギー的仮説(=「社会や歴史に対する体系だった説明」)にすぎません。実際、新左翼系・ポスト=モダン系の論者の多くは唯物史観が「科学」でも「法則」でもないことを認めています。また、『開かれた社会とその敵』(1945年)と『歴史主義の貧困』(1957年)によって、科学哲学の切り口からマルクス主義に対して致命的な打撃を与えたカール・ポパー(1902年-1994年)の批判の要諦もこの「唯物史観による科学的法則性の詐称」でした。

しかし、それが荒唐無稽であったとしてもマルクスの唯物史観の優れた所は、思想史上数多存在する進歩史観(≒ギリシア・インド的な「循環史観」ではなく、仏教の「末法思想」やキリスト教の「終末史観」を含む<線分的史観>)とは異なり、ヘーゲル弁証法の転回による、すなわち、『ドイツ・イデオロギー』で確立された弁証法的唯物論によって唯物史観に哲学的な基礎づけを行なったことだと思います。

弁証法とは、あるものがそれを構成している不可欠の要素が(その要素を含むあるものの、本性に沿った運動に起因して)変化することにより元来のあるもののままでは最早存在しえなくなる。そのような運動形式を継起的に経ることで漸次そのあるものが順次別のものに変転していくという歴史認識の枠組みです。弁証法の開山開祖ヘーゲルはそのあるものを「絶対精神」と観念的に捉えましたが、マルクスの弁証法的唯物論はそのあるものを「物質的な基礎を持つ社会」とした。謂わば、逆立ちして頭で立っていたヘーゲルの弁証法を逆転させた。そうマルクスは豪語しています。マルクス曰く、「ヘーゲルにとっては、思惟過程が現実的なるものの造物主であって、現実的なるものは、思惟過程の外的現象を成すにほかならないのである。(中略)私においては、逆に、理念的なものは、人間の頭脳に転移し翻訳された物質的なるものにほかならない」、と(『資本論』第1巻2版「後書」(岩波文庫(一),p.31)。

イデオロギー的仮説にせよ、経済的動因から社会と歴史を考察するというマルクスのこの着想は、現在、あらゆる社会科学的営為の共有財産と言える。けれども、その後、唯物史観は「マルクス=レーニン主義」によって、『経済学批判』の「唯物史観の公式」から更に公式化・教条化が進行した。すなわち、「あらゆる「個別歴史=社会」の歴史は同一の発展法則に従って発展する。畢竟、次の如き歴史の発展段階を順次継起的に通過する。すなわち、「原始共産制または氏族制社会→古代奴隷制社会→中世封建制社会→近代資本制社会→社会主義・共産主義社会」の順序での発展を経る」、と。

原文を読めば一目瞭然なのですが、「唯物史観の公式」には「原始共産制または氏族制社会」などの字句は存在せず、「アジア的(生産様式)」が最初にきています。マルクス主義者の間での訓古学的議論では、この「アジア的生産様式の支配する社会」をマルクスは(マルクスがニューヨーク・デイリー・トリビューン紙に送った多くのアジア時局論に見られるように)「停滞した社会」として歴史の発展段階の埒外に置いたのか、それとも、古代奴隷制社会の前に位置する歴史発展段階の第一段階目(≒原始共産制または氏族制社会)なのか現在でも(!)結着がついていないようなのです。ご苦労なことです。

それにしても、支那の開国に対する次のような「唯物史観の総本家」の記事を読むとき、少なくとも、唯物史観が単なるイデオロギー的仮説にすぎないことは自明だと思えてきます。支那の開国によって世界恐慌は起きませんでしたから。

「完全な孤立ということが旧支那維持の根本的条件であった。いまやイギリスのはたらきかけで、この鎖国に強制的な終末が準備され、密閉された棺に保存されたミイラが新鮮な空気にふれると、たちまち崩れてしまうと同じように、この瓦解もまた必至の運命にあったのである」「支那革命が現在の産業組織の火薬桶の中に火の粉をなげいれ、全般的な恐慌の端をひらくことを確信をもって予言することができる」(「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」1853年6月14日)




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[C]疎外・物象化・物神性
「疎外」Entfremdung」、「物象化:Versachlichung / Verdinglichung」、「物神崇拝:Fetischismus」はポスト=モダン系の左翼が重用する概念。而して、新旧のマルクス主義者の最大公約数的理解は、「物象化とは人と人の社会的関係が物と物との関係として現われること」といった所でしょうか。ただマルクス自身は、これらの言葉を特に明確に定義した上で首尾一貫その定義に沿って使い分けてはいない。例えば、「疎外され外化された労働:die entfremdete, entäußerte Arbeit」という如く、ドイツ観念論の(就中、ヘーゲルやフォイエルバッハの)普通の用語法の延長線上で緩やかな互換性のある概念として使用している。

簡単に言えば、疎外・物象化・物神性、そして、外化という言葉の意味は、「人間が作った事物が、それ独自の運動法則性を持つに至りそれらを作った人間の意向に従わなくなる/それらを作った人間を逆に拘束・支配するようになる現象」のことだと私は考えています。例えば、トーテムポールを作ったのは人間であるのに、その木製の(made of wood)トーテムポールが逆に人間の行動を左右するような現象。あるいは、人間が生産した商品が一度市場に出されるや否や、その商品を巡る需給、価格や販売実績はそれを作った人間が左右できるものではなくなる現象。更には、人間が作った(しかも、現下の不兌換制度においては、紙切れにすぎない!)貨幣がそれ自体価値のあるものとして崇拝の対象として取り扱われることも稀ではない現象。これらが、緩やかな互換性が認められるこれらの言葉の意味の中核だと思います。

疎外や外化(sich entfremden, sich entäußern) は、元来、キリスト教神学的の用語。而して、神の子イエスが生身の人間として地上にその姿を現した如く、疎外や外化とは「神:観念的=精神的実体」が現実世界にその姿を現すこと。厳しくもこの経緯は「神の自己疎外」と語られるのですが、他方、疎外や外化という言葉自体は「縁遠くなる/親しくなくなる」「疎遠になる」や「放棄する」「捨て去る」という日常生活でも頻出のドイツ語の動詞から派生したものにすぎません。

要は、日常用語であった疎外や外化の表示義(denotation)の上に、「中世の神学→ドイツ観念論→マルクス」の順に各々独特の共示義(connotation)が積み重ねられてきたということでしょうか。ならば、物象化という概念に注目してマルクスを読み返した、ルカーチ(1885年-971年)、そして、アルセチュール(1918年-1990年)や廣松渉(1933年-1994年)の作業もまた新たな共示義の屋上屋を架したものと言えると思います。

語源と表示義と共示義。例えば、人口に膾炙しているように、語源的には「経済:economy」はギリシア語の「オイコス:oivkos」(住居、家族)に遡る言葉であり、economyとは、(建物としての家屋ではなく、また、現在の核家族などでもない、家の子郎党・奴婢下僕、時には家畜をも含む)「家類似の共同体の運営や運営のスキル」という意味です。実際、この「オイコス」に派生する「オイコノミー:oivkonomi」という言葉を、ギリシアの人々は、「世界の創造と運営」「人間の救済のための神々による現世来世での取り仕切りや取り計らい」といった意味で使用していました。ですから、中世期まではしばしば見られる「神の経済」「自然の経済」という今でならば隠喩的とも見える用法は(神の知ろしめす天上天下の世界も自然界も家類似の共同体と受け取る感性を前提にして)「経済」の原意に沿った表現なのであり、むしろ、現在の「経済成長」や「数量経済学」等々の用語の方が「経済」の比喩的、あるいは原意の表示義に共示義的を重ねた用語法なのです。閑話休題。

疎外は『経済学・哲学草稿』の、物象化は『ドイツ・イデオロギー』の鍵用語であるとしばしば語られます。先にこれらの言葉の意味を「人間が作った事物が、それ独自の運動法則性を持つに至りそれらを作った人間の意向に従わなくなる現象」と捉えましたが、ある意味、それだけのことであれば疎外も物象化も物神性も世界の出来事を理解する上での単なる認識枠組みの域を大きく出るものではないでしょう。

而して、マルクスの天才は(自分が作った商品に対する権利認められない商品からの疎外、自己の労働が他者の管理の下に置かれる労働からの疎外等々の)労働における疎外、商品が物象化して独自の法則性を持つ経緯、あるいは、他のあらゆる商品から疎外され貨幣となった貨幣商品が物象化により物神崇拝の対象となるメカニズムを「歴史的-論理的」に説明したことにある(cf. 『資本論』劈頭、第1巻1篇1章「商品」(岩波文庫(一), pp.67-151)。そして、逆に言えば、疎外・物象化は人間が作った事物があたかも自然界の事物の如く外化する現象であり、ならば、自然現象と自然法則の関係とパラレルに、その外化した経済現象を貫く法則を知ることができれば人間は経済現象を制御可能になる、と。そうマルクスは考え、その法則の発見のために『資本論』を書いた。そう私は考えています。


[D]使用価値・交換価値
マルクスがそのパラダイムに準拠した古典派経済学において、「価値」には二つの意味があります。それは「物やサーヴィスの効用・用途・利便性に我々が感じる好ましさとしての使用価値」と「物が他の商品に比べてどれだけの好ましさを持っているかという、物と物の効用の比率としての交換価値」の二つ。例えば、タバコの効用はそれを吸ってストレスを軽減すること、朝日新聞の効用は「その道に日本は進んではいけない!」ことを読者に知らしめる反面教師の役割を果たすこと。また、朝日新聞の1ヵ月分の効用の大きさは、セブンスター12.21個分の効用に等しい(∵3662円÷300円≒12.21)と社会的に相場が決まっている。

ここで注意すべきは、貨幣で表示された交換価値(=交換比率)を「価格」と呼ぶのですが、あくまでも交換価値は複数の物やサーヴィスの「効用」の比率であるということです。また、ロビンソンクルーソーの世界では交換価値(くどいですが、個々の物品間の「効用」の交換比率ですよ)は彼一人が決めることでしょうが、複数のプレーヤーが登場する通常の社会において交換価値は「相場」として決まってくる。すなわち、資本主義の市場経済においては交換価値とは生産者ではなく消費者のための、生産者から見て「他人の使用価値」に他ならないことです。

畢竟、資本主義社会における交換価値が「他人のための使用価値」であり、貨幣によって表示された、他の商品群との交換比率である交換価値が「市場-相場」で決まる限り、生産者の主観的な交換価値を世間が受け入れるかどうかは保証の限りではありません。要は、生産者が自信をもって市場に出した商品も売れ残る可能性が常にあるということ。この経緯をマルクスは「商品価値【交換価値】の商品体から金体【貨幣】への飛躍は、商品の「命がけの飛躍」である」「商品は貨幣を愛する。が、「誠の恋が平かに進んだ例がない」ことをわれわれは知っている」(『資本論』第1巻1篇1章, 岩波文庫 pp.188-191;cf. 『経済学批判』第2章, 岩波文庫, p.110)と記しています。

尚、「経済学が扱うべき価値とは何か」を究明措定する経済学的思索の導入段階(これを「価値形態論」と呼びます)を除けば、古典派経済学が専ら扱う価値形態(≒価値の概念)は交換価値に限られています。よって、アダム・スミスからマルクスに至るまで交換価値は単に「価値」と表記され、それに対して使用価値は「使用価値」と都度、「使用」という形容詞付きで用いられるのが普通です。而して、時々左翼の中にも誤解している向きもあるのですが(笑)、交換価値と使用価値の峻別、あるいは、後に説明する剰余価値の概念はマルクスの創作ではなくマルクスの独創はそれらの用語を用いて資本主義の運動法則を究明したことにあります。もちろん、それが見事な失敗であったことは言うまでもありませんけれども。


[E]商品・貨幣
マルクスの社会思想は19世紀西欧の特殊歴史的な産物です。『資本論』は第1巻1篇「商品と貨幣」で始まっていますが、その劈頭でマルクスはこう述べています。

「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(岩波文庫,p.67)


而して、ここには当時の知識人層の関心を集めていたダーウィン(1809年-1882年)の『種の起源』(1859年)を始め生物学、すなわち、生物を細胞の機能的集積たる有機体と考える発想の影響が大きいと言われています。一種の「有機体的社会観」の基盤の上に、資本主義経済の「細胞」として商品を位置づけ、その「細胞=商品」の性質と機能を観察分析することで資本主義経済の運動法則を発見する試みとして『資本論』を位置づけることができるということです。

蓋し、商品を「他人の効用を満たすことによって貨幣との交換を期待できる物品やサーヴィス」と措定できるとするならば、資本主義とは「商品と貨幣を媒介にした利潤獲得を手段とする資本の無限増殖の自律的再生産プロセス」に他ならない。これがマルクスの社会思想の基底的な認識であると私は理解していますが、商品と貨幣を巡る『資本論』の考究はこの謂わば「イデオロギー的仮説」を<科学>に高めようとする試みの初手と言えるでしょう。

とりあえずは個々人の主観的「効用」でしかない物品やサーヴィスの<価値>がいかにして社会的な交換価値を獲得するか。そして、交換価値がなぜに必然的に貨幣によって表示されるようになるのかの経緯をマルクスは(数学が苦手なくせに背伸びしたとしか思えない「算数的表現」を用いて)同書同所で仔細に検討しています。

その要諦は、(前項で触れたように)ある商品の交換価値は他の商品の使用価値でしか示され得ないということ。そして、あらゆる商品の交換価値を表示することをその効用(=使用価値)とする商品が貨幣に他ならず、「歴史的-論理的」に貨幣になりうる商品は金銀の貴金属に漸次収斂した。よって、「金と銀は生まれながらにしての貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金と銀である」、と(『資本論』第1巻1篇2章・岩波文庫, p.160;『経済学批判』・岩波文庫, p.204)。而して、この金銀に対するマルクスの認識も間違いであったことは「不兌換制度-変動相場制」が支配的な現在明らかだと思います。


<続く>



(2009年4月22日:yahoo版にアップロード)

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(Ⅳ)ロンドン時代:1849年9月-1883年3月
マルクスとエンゲルスは1847年の経済恐慌が引き起こした1848年のドイツ三月革命に「民主主義的統一ドイツ共和国の樹立」あるいは「社会主義的民主主義の赤色共和国の確立」をスローガンにして積極的に関わるものの情勢は彼等に味方せず、結局、マルクス一家は英国亡命の道を選びます。而して、爾来30有余年、ニューヨーク・デイリー・トリビューン紙のロンドン駐在通信員としてのジャーナリスト活動、および、国際共産主義ネットワークの構築に尽力する一方、漸次、マルクスは大英博物館の図書館に通い経済学と経済学批判の研究に打ち込んでいくことになります。こうして、ロンドンはマルクス終焉の地になったのです。

マルクスが亡命した頃の英国はビクトリア朝(1837年-1901年)がその盛期に向かおうとする大英帝国黄金時代の幕開け。而して、人口に膾炙しているように、マルクス一家が暮らしたロンドンはディケンズ(1812年-1870年)が描いたロンドンに他なりません。少し時代は下りますが、1863年には伊藤博文(1841年-1909年)が長州藩秘密留学生としてロンドン大学に赴いていますから、ジャーナリストのマルクスと伊藤博文は大英博物館あたりで邂逅していた可能性はゼロではないと思います(笑)。閑話休題。

ロンドンはハイゲートにある、巨大と言ってよいマルクスの頭像を載せた些か悪趣味なマルクスの墓には英語でマルクスの二つの言葉、「Workers of all lands unite:万国の労働者、団結せよ」(『共産党宣言』の掉尾の言葉)と「The philosophers have only interpreted the world, in various ways; the point is to change it.:哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈してきただけである。而して、重要なことは世界を変えることなのだ」(『フォイエルバッハ・テーゼ』11番)が刻まれています。蓋し、1849年、ロンドンで旅装を解く直前まで、三月革命の成就を祈念しながら1848年と1845年に自身が書き記したこれらの言葉をマルクスは呟いていたのかもしれません。けれども、三月革命では「社会主義革命」どころか「民主主義的共和国の樹立」もその片鱗さえ見えず、(当時見られた10年周期の経済循環による)10年後の1857年の本格的な世界恐慌の際にも「恐慌→プロレタリアートの窮乏化→政治革命」という事態はドイツはもとより世界のどこの国でも起こりませんでした。

けれども、マルクスは1857年の世界恐慌段階でも、「世界市場の大暴風雨たる世界市場恐慌において、資本主義経済のあらゆる矛盾が一挙に暴露されるのであり、而して、恐慌はここにおいて、この前提【現存の生産様式である資本主義】が乗り越えられることを促す全般的な指示であり、新しい歴史形態を受容することを要求する」(『経済学批判要綱』(1858年))と「恐慌→革命」の展望と期待を保っており、他方、その展望の論理的基盤たる「唯物史観」を益々精緻に整えます(『経済学批判』(1859年))。しかし、マルクスの預言は1929年の世界恐慌においても裏切られ、その後、有効需要と金利の政策的管理に道を開くケインズ経済学、および、新古典派総合の経済学によって謂わば「歴史的-論理的」に否定されたことは言うまでもありません。

而して、これら『経済学批判要綱』『経済学批判』を前哨として、「資本主義経済の運動法則の解明」、すなわち、「資本主義経済の単なる記述と説明にすぎない経済学を批判して、資本主義経済の運動の原因とその帰趨」を考究する、マルクスの主著『資本論』(1867年)が書かれるのですが、同書および『ゴータ綱領批判』(1875年)を読む限り(「恐慌→革命」がそう遠くない未来に起こるという展望と期待を撤回した可能性は残るものの)マルクスが「商品と貨幣を媒介とする<資本の無限の自己増殖運動>たる資本主義経済が必然的に孕まざるを得ない矛盾が槓桿となって資本主義は必然的に社会主義に移行する」という唯物史観を『資本論』執筆後の「後期」においても基本的には保持していたことは否定できないと思います。

これらの経緯を確認するためにかなり長くなりますが、有名な『経済学批判』の序言の中の「唯物史観の公式」と言われている箇所、および、『資本論』の第1巻7篇24章「いわゆる資本の本源的蓄積」の中の有名なフレーズを引用しておきます。

「わたくしにとってあきらかになり、そしてひとたびこれをえてからはわたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、簡単につぎのように公式化することができる。人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、取り結ぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、いままでそれがその中で動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ、急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。

ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているかということにたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物資的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物資的な存在諸条件が古い社会を胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。(中略)大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである」(『経済学批判』岩波文庫, pp.13-15)

「この収奪は、資本主義的生産そのものの内在的法則の作用によって、資本の集中によって実現される。つねに1人の資本家が多くの資本家を滅ぼす。この集中とならんで、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪とならんで、ますます大規模となる労働過程の協業的形態、科学の意識的技術的応用、土地の計画的利用、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、結合された社会的労働の生産手段として使用されることによるあらゆる生産手段の節約、世界市場網への世界各国民の組入れ、およびそれとともに資本主義体制の国際的性格が、発展する。この転形過程のあらゆる利益を横領し独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大するのであるが、また、たえず膨張しつつ、資本主義的な生産過程そのものの機構によって訓練され結集され組織される労働者階級の反抗も、増大する。資本独占は、それとともに、かつそれのものとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被と調和しえなくなる一点に到達する。外被は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」(『資本論』岩波文庫(三)pp.414-415)


以下、ロンドン時代のマルクスの著作。その綱領として『共産党宣言』を書いた「共産主義者同盟」が1852年解散する社会主義運動衰退の中で、マルクスは所謂「第一インターナショナル:国際労働者協会」(1864年-1876年)および後の「ドイツ社会民主党」の前身たる「ドイツ労働者党」の組織化と指導に関わる中でこれらの著書を書き上げました。

尚、(18)は『資本論』第1巻7篇24章「いわゆる本源的蓄積」の第1節末尾の「この収奪の歴史は、国によって異なる色彩をとり、順序を異にし、歴史時代を異にして、異なる諸段階を通過する。それが典型的な形態を取るのは、イギリスのみであり、われわれがイギリスを例にとるのはそのためである」という箇所とともに、左翼がよく「マルクスは必ずしも単線的歴史の発展法則だけではなく、例えば、ロシアのような後進的封建国家では資本主義社会を経ずして封建社会から社会主義社会への直接の移行もあり得る等々、多元的な歴史の発展法則を考えていた」と抗弁する際に<証文>として持ち出すもの。ただ、これは「木を見て森を見ない議論」「頭隠して尻隠さずの言説」であることは上で述べた通りです。

(10)フランスにおける階級闘争(1850年-1895年:エンゲルスとの共著)
(11)ルイ・ボナパルトのブリューメル18日(1852年-1869年)
(12)経済学批判要綱(1858年)
(13)経済学批判(1859年)
(14)賃金・価格および利潤(1865年-1898年)
(15)資本論(第1巻・1867年;同第2版&フランス語版・1872年;第2巻・1885年;第3巻・1894年)
(16)フランスにおける内乱(1871年)
(17)ゴータ綱領批判(1875年)
(18)ヴェラ・ザスーリッチへの手紙(1881年)
(19)剰余価値学説史(1905年-1910年:実質、カウツキーの編著)





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■マルクス社会思想の背景と構図

[一] マルクス社会思想の背景
レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』(1913年)は、ドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義の三個の基盤の上にマルクスの思想は構築されたと主張しています。蓋し、マルクスの生涯と著作を反芻すれば(マルクスの内面生活における、ユダヤ教とキリスト教の対立、あるいは、<神>を巡る問題は一旦捨象するとして)レーニンのこのマルクス理解は大凡妥当なものだと思われます。

畢竟、マルクスの社会思想的言説は、ドイツのヘーゲル左派の哲学、英国の古典派経済学、および、後にエンゲルスによって「空想的社会主義」と一括されることになるフランスの社会主義思潮(もっとも、「空想的社会主義」の代表者の一人オーウェン(1771年-1858年)は英国人であり、また、英国には現在の英国労働党の源流の一つとなる、マルクスと同様「労働価値説」に立つリカード派社会主義の伝統もあったのですけれども)のハイブリッドとして理解されるべきでしょう。すなわち、「弁証法」にせよ「疎外」にせよ、「使用価値」にせよ「剰余価値」にせよ、あるいは、「私有財産制の廃止」にせよ「計画経済」にせよ、これらの言葉を駆使して展開されるマルクスの言説は、これら先行思想の中で用いられたその言葉の<表示義:denotation>に対する<共示義:connotation>によって編み上げられているかもしれないということです。

而して、当然、マルクスの思想も19世紀の西欧の歴史的な特殊性から無縁ではありません。蓋し、このことは、先に引用した『経済学批判』(1859年)序言の中の認識、「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(岩波文庫, p.13)、そして、『ドイツ・イデオロギー』(1845年)にマルクスが書き記した「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。(中略)支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的表現、支配的な物質的諸関係が思想として捉えられたものに他ならない」(岩波文庫新編輯版, pp.110-111)等々によって(”When in Rome, do as the Romans do.”の諺やモンテスキュー『ペルシア人の手紙』(1721年)を想起するまでもなく、価値や規範の妥当性は地域的と歴史的な相対性を帯びるという認識は古来存在したのでしょうが)哲学史上始めてマルクスが向自的-論理的に定式化した「思想のイメージ」だと思います。

畢竟、マルクスの経済学・経済学批判と社会思想は19世紀西欧社会の特有な産物である。そして、それは、長尾龍一氏がしばしば口にさたように西欧近代の「鬼子」というより、ある意味、その「嫡出子」でさえあると私も考えています。而して、このマルクス理解は、アダム・スミスを始祖としリカードを中興の祖とする英国古典派経済学の二つの最高峰としてJ・S・ミルの『経済学原理』(1848年)とともにマルクスの『資本論』(1867年)を捉えた森嶋通夫氏の認識とも通底するものかもしれません。

他方、マルクスの経済学・経済学批判と社会思想は19世紀西欧社会の特有な産物にすぎない。例えば、『1858年10月8日エンゲルス宛書翰』を読むときその感を深くします。

「ブルジョア社会の本来の任務というのは、世界市場を、すくなくともその輪郭からいって世界市場をつくりだすこと、そしてこの世界市場に基礎をおく生産をつくりだすことである。世界はまるいのだから、この仕事はカリフォルニアとオーストラリアが植民され、そして支那と日本が開国したことで終りをつげたように見える」


実際、『資本論』第3巻5篇27章「資本主義的生産における信用の役割」(岩波文庫・p.175ff, p.176ffとp.178のエンゲルスの註)に明らかなように、マルクスの生きた時代(1818年-1883年)、所謂「株式会社」はまだ資本主義経済の補助的プレーヤーだったのです。ならば、後にレーニン(1870年-1924年)が『帝国主義論:資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917年)で、預言した「自由放任的競争の結果、勝ち残る少数の金融資本による全産業資本の独占体制の成立→過剰な資本の輸出→列強諸国による世界分割と再分割のための戦争の惹起」という<帝国主義>の時代の到来も、他方、「金と銀は生まれながらにしての貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金と銀である」(『資本論』第1巻1篇2章・岩波文庫, p.160;『経済学批判』・岩波文庫, p.204)と信じていたマルクスにとって(1929年の世界恐慌にともない)1930年代にアメリカを除く先進各国が「金本位制=兌換制度」を廃止し、1971年にはそのアメリカも金本位制の維持を断念するに至った、「不兌換-変動相場型」の現在の為替制度も想像だにできなかったと思います。畢竟、マルクスの預言に反して資本主義が消滅することはなく、世界史の舞台から退場させられたのは「社会主義-共産主義」の方だったことは、蓋し、不思議ではないのではないでしょうか。


[二] マルクス社会思想の構図
1895年のエンゲルスの死去を合図にマルクスとエンゲルスが強くコミットしていたドイツ社会民主党の内部で路線論争が惹起します。『ゴータ綱領批判』(1875年)においてマルクスは、共産主義社会には「資本主義から生まれたばかりの、共産主義社会の第一段階」と「より高度の段階」があることを明示した上で(岩波文庫, p.35ff, p.38ff)こう述べています。

「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」(岩波文庫, p.53)


また同書が頻繁に引用する『共産党宣言』(1848年)には更にこう記されている。

「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほかに失うべきものをもたない。かれらが獲得するのは世界である」(岩波文庫, p.87)


すなわち、このように明確に「暴力革命」と「プロレタリア独裁」(そして、おそらく過渡期の「共産党一党独裁」)を想定していたマルクスに対して、ベルンシュタイン(1850年-1932年)は非合法的-暴力的手段による国家権力の奪取ではなく議会制民主主義の枠内での権力獲得を目指すことを主張した(『社会主義の諸前提と社会民主党の任務』(1899年))。これが後に英国のフェビアン協会の漸進的に社会主義の実現を目指す路線とともに現在に至る欧州の「社会民主主義」の源流の一つとなります。

ベルンシュタインの投じた一石は激しい路線闘争を巻き起こす。マルクスを教組と仰ぐカウツキー主流派はベルンシュタイン派を「修正主義」と罵倒し、その「修正主義=社会民主主義」を主張するベルンシュタイン派はカウツキー(1854年-1938年)擁する主流派を「教条主義」と揶揄しました。けれども、第一次世界大戦勃発に際してカウツキー主流派が「祖国防衛」の名目で戦争協力を表明し、よって、各国のその参加メンバーが敵味方に分かれることになった「第二インターナショナル」(1889年-1920年)が解体するとともに、それまでマルクスの威光で世界の共産主義運動の<総本山>的権威を享受していたドイツ社会民主党はその地位を人類史上最初の共産主義国家を樹立したレーニンのソヴィエト・ロシアに譲ることになります。以後、1989年-1991年の社会主義崩壊までの70年間「マルクス=レーニン主義」がマルクス主義の正統であり続けることになったわけです。尚、ドイツ社会民主党は『ゴーデスベルグ綱領』(1959年)において公式に「プロレタリア独裁」を掲げるマルクス主義(≒「マルクス=レーニン主義」)を放棄しました。


ことほど左様に、世界の近現代史に影響を及ぼしてきたマルクス主義とは所謂「マルクス=レーニン主義」(自称「科学的社会主義」)のことに他なりません。そして、1960年代以降、上に紹介した社会民主主義とは別の位相で、(簡単に言えば「後進国ロシア・支那での共産主義革命の生起」「資本主義の残存と発展」という現実を糊塗すべく)マルクスの経済学と社会思想を読み替える、アルセチュールを嚆矢とする諸潮流が登場する。例えば、曰く、唯物史観は法則ではなくイデオロギー的仮説にすぎない、そして、それこそが<マルクスの真意>であると主張する潮流です。而して、レーニンにも旧ソ連にも何の義理もない我々保守改革派がマルクスから何がしかを学ぼうとする場合、「マルクスの社会思想」と「マルクス=レーニン主義」とは一応区別すべきだと思います。

これはアルセチュール等に対して述べてきたことと一見矛盾するようですが、我々は、それが保守主義の社会思想・社会理論の再構築に使える限り「マルクスの社会思想」からも「マルクス=レーニン主義」からも学べばよいのです。而して、マルクスから使えるアイデアのアイテムをより多くより完全な形で入手するためには、一応、<マルクスの真意>を巡っては流派の異なる(必ずしも相互に共約可能とは言えない、incompatibleな)複数の解釈体系が現存している構図を理解しておいた方が混乱が少なくより生産的であろうということです。

敷衍します。例えば、「科学的社会主義」なるものをいまだに信奉する日本共産党系の論者から「トロッキスト」と蛇蝎の如く忌み嫌われる新左翼系やポスト=モダン系の論者、他方、反対に彼等から「スターリニスト」という蔑称を奉られている日本共産党系の論者に混じって、<マルクスの真意>なるものを求めて競い合う義理も暇も我々にはない。私が尊敬してやまない小平先生の言葉「黒猫も白猫も鼠を取る猫は良い猫だ」を借用させていただければ、何が<マルクスの真意>であるかなどは(本当の所は、マルクスからより豊潤な社会思想を学ぶ上での作業仮説を超えては)我々保守改革派にとってはどうでもよいことであり、「「マルクスの社会思想」であろうが「マルクス=レーニン主義」であろうが、反面教師的にせよ保守主義の社会思想・社会理論の再構築に役立つアイデアを提供するマルクスを巡る知識体系は良い社会思想だ」ということです。


<続く>



(2009年4月19日-20日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済



2008年の世界金融危機に端を発する世界同時不況のためか、あるいは、所謂「失われた10年」から日本を脱却させた小泉構造改革が道半ばで小休止したことに起因する(それ自体は根拠薄弱さを曝して竜頭蛇尾に終った)所謂「格差社会論」の延長線上のことなのか、この1年半ほどこれまた所謂「新自由主義」に対する批判を超えて「資本主義」自体に対する批判が日本では喧しい。しかし、私が見聞きする限りアメリカのみならず欧州では現在の「資本主義-市場主義経済」にどのようなスタビライザー(制度的な安定装置)を組み込めば世界金融システムは再生可能なのか、あるいは、どのような「経済的-社会的規制」のパッケージを導入すればアメリカ流の強欲資本主義的な企業の反社会的で美しくない行動を抑制できるかが政策論議の中心軸であるのに対して、こと日本では「正か邪か!」の如き勢いで、かつ、「文芸批評家的」な高みからする無責任な「資本主義の終焉論」が論者の口の端に上ることも稀ではないように思われます。

蓋し、今から20年前、1989年-1991年にその不公正さと不効率さを露呈しつつ「社会主義-共産主義」が現役の経国済民の政策パッケージ(「経済体制-社会体制」)ではありえないことが「歴史的-論理的」に証明されたことを、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力、すなわち、隠れ左翼とも言うべき日本の「プロ市民」や「リベラル派」はいまだに認めていないということでしょうか。カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年-1869年)の劈頭で「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、「最初は悲劇として二度目は喜劇として」とつけ加えるのを忘れた」と書いていますが、「社会主義-共産主義の破綻」も二度あるのかもしれません。最初は「悲劇-社会主義諸国の崩壊という歴史上事件」として、そして、二度目は「喜劇-社会主義という<死者>を蘇生させようとする無意味な文芸評論上の茶番」として。

本稿はそのような「喜劇」を楽しむための、つまり、「隠れ左翼の遠吠え」をよりよく理解するための「観劇ガイド」です。他方、それが結局はいかに馬鹿げた主張であれ、なにほどかの根拠に基づき論理的に語られる主張はその知の領域に不案内な者にとって、例えば、ミシェル・フーコーが語った意味での「権力としての<知>=素人たる他者に隷属を強いる力としての<知>」になりかねないでしょう。よって、本稿の第二の目的は、日本の隠れ左翼たるプロ市民やリベラル派に対する「携帯用理論武装アイテム」を保守改革派の同志の皆さんに提供することです。

実際、書籍でもネットでも、マルクスに関する簡潔な「要点便覧」は極めて稀。Wikipediaにせよ、それは左翼の(百歩譲って左右の)「マルクス愛好家」による、「マルクス愛好家のためのマルクス紹介」でしかない。要は、別に読まずに済むものならマルクスなど金輪際読みたくもないという素人の保守改革派向けの情報を寡聞にして私は知らないのです。蓋し、戦後民主主義を信奉する左翼プロ市民や朝日新聞・NHKの主張と情報操作に反論反撃する上でマルクスについて何を知っていればよく何は知らないでよいのかを仕分けした上で、(不愉快ながら必要になる蓋然性の高い)要点のリストと要点の概要をまとめたそれこそ印刷すればA3サイズ2枚二つ折のリーフレット程度にまとめられた情報はネット上にもほとんどないのではないでしょうか。而して、「ないなら作ってしまえ!」と。これが本稿作成のそもそもの動機です。

けれども、本稿にはもう一つの目的がある。それは保守改革派の皆さんにマルクスの社会思想に対する興味や関心を持っていただくことです。蓋し、ポスト工業化社会における所謂「限界費用逓減」の傾向が現実味を増しており(マルクスの経済学が依拠するパラダイムたる古典派経済学を打ち倒した)新古典派総合の経済学さえその理論的基盤が揺らいでいる現在、所謂「マルクス主義経済学」なるものには、最早、学説史上の価値しかない。要は、マルクスの思想が「マルクス主義経済学」にすべて還元可能ならば経済学史に興味のある方でもない限りマルクスの著作を今更紐解く必要はまずないのです(というか、30年近く左翼運動を見てきた私が確信を持って想像するに、単独の言語としては世界で一番『資本論』が印刷出版されてきたこの日本で、かっての左翼と現在の隠れ左翼を合算しても、邦訳か英訳でさえ『資本論』全三巻を三度以上通読した者は10%を確実に切るだろうし、まして、ドイツ語の原書か(『資本論』の特殊事情なのですが)準原書のフランス語版で『資本論』全三巻を三度以上通読した者は0.1%を遥かに下回るはずです。つまり、左翼の中で「『資本論』を読んだことがある」言っても満更嘘ではない人士は千人に1人もいないということです)。

では、マルクスの思想はマルクス主義経済学に還元可能か? 私はマルクスの社会思想がマルクス主義経済学に大凡還元可能とは考えていません。比喩を使い敷衍すれば、マルクスの思想は「宇野経済学」に収まりきれるものではなく「向坂逸郎のマルクス主義」をも包含している、と。宇野弘蔵氏は(日本でだけ有名な)世界的マルクス主義経済研究者ですが(笑)、その宇野経済学などは、最早、過去の遺物にすぎぬとしても、マルクスの社会思想はいまだによりよい社会の再構築を希求する者にとって豊饒なアイデアの源泉である、と。蓋し、マルクスは結果的にせよ『資本論』という経済学の書物に表示義(denotation)としての経済理論のみならず共示義(connotation)としての社会思想・社会哲学を盛り込んだと言えるのかもしれない。『資本論』の副題が「経済学批判」であることはそれを暗示しているように私には思えるのです。

もちろんこれらのことは読者の側のテクスト解釈に任せられるべき事象であり、私は、例えば、アルセチュール『資本論を読む』や廣松渉『マルクス主義の成立過程』『物象化論の構図』の如く、私のマルクス解釈が「マルクスの真意」であるなどと僭称しているのではありません。というか、誰にせよ「ドイツ語のできる腕っこきの降霊術師」でも雇わない限りマルクスの真意なるものを特定することは不可能なはず。ならば、2009年に生きる我々にとってのマルクス主義とは歴史的に受け取られてきた(つまり、マルクス=レーニン主義からのマルクス解釈を中心とした)マルクスの<テクスト>の意味内容でしかなく、アルセチュールの解釈も廣松渉の解釈もこの知識社会学的な観点からは単なるプライベートなマルクス解釈のone of themにすぎないのでしょうから。

畢竟、マルクスの社会思想(例えば、弁証法的唯物論-唯物史観、疎外論・物象化論・物神性論、商品論-貨幣論、「市民社会-政治的国家」論、恐慌論-生態学的社会論、等々)は現在では人類の知的共有財産と言うべきものであり、而して、それは我々保守改革派が「態度としての保守主義」を超えて体系的かつ実践政策的な「社会思想としての保守主義」を構築していく上でアイデアの宝庫とも呼ぶべきものではないのか。マルクスの社会思想に対してこのような認識と評価を持つがゆえに、(専門外の素人であることを顧みず)謂わば「マルクスの可能性の残余」と私に思えるマルクスの社会思想の便覧を保守改革派の同志の皆さんに向けて書くことにしました。尚、私の「保守主義」「マルクス主義」「世界システムにおけるマルクス主義および保守主義」を巡る基本的な考え方は下記の拙稿をご一読いただければ嬉しいと思います。

・保守主義とは何か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56937831.html

・書評☆向坂逸郎『わが資本論』(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57392624.html

・完全攻略夫婦別姓論-マルクス主義フェミニズムの構造と射程(上)~(下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-398.html

・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60002055.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html



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◆目次
・マルクスの生涯と著作
・マルクス社会思想の背景と構図
・マルクス関連必須用語
・保守主義から見たマルクスの可能性の残余



■マルクスの生涯と著作
カール・マルクス(Karl Marx:1818年-1883年)はドイツのラインラント州トリーア市にプロテスタントに改宗した「洗礼ユダヤ人」弁護士ハインリッヒ(Heinrich Marx:1777年-1838年)の子として生まれました。しかし、マルクスの父方も母方もユダヤ教のラビ(rabbi:ユダヤ教の教師・律法学者)の家系であり、マルクスも「割礼を受けたユダヤ人」ですが6歳の時に洗礼を受けプロテスタントに改宗しています。マルクスの生涯を大雑把に整理すれば次の四期に区分けすることができると思います。

(Ⅰ)ドイツ時代:1818年5月-1843年9月
(Ⅱ)パリ時代:1843年10月-1845年1月
(Ⅲ)ブリュッセル時代:1845年2月-1849年8月
(Ⅳ)ロンドン時代:1849年9月-1883年3月


マルクスの生涯の同志であり親友であったエンゲルス(Friedrich Engels:1820年-1895年)はマルクスより2歳下。多少因縁めいた話をすれば、マルクスの没年(1883年)に「マクロ経済学」の創設者ケインズと「資本主義の経済発展におけるイノベーションの死活的重要性」を説いたシュンペーターが生まれています。

日本でマルクスと生年の近い人物としては、井伊直弼(1815年-1860年)、島津久光(1817年-1887年)、勝海舟(1823年-1899年)、大村益次郎(1824年-1869年)、天璋院篤姫の夫である徳川家定(1824年-1858年)等々がおり、大久保利通(1830年-1878年)、吉田松陰(1830年-1859年)、孝明天皇(1831年-1866年)はマルクスより一回り下の世代にあたります。而して、マルクスの主著『資本論』(1867年)が世に出たのは大政奉還の年、我が明治維新の年なのです。アダム・スミスの主著『国富論』(1776年)が出版された年に独立宣言がアメリカで採択されたことと併せて歴史の妙を感じてしまいます。


以下、マルクスの生涯と著作について要点を紹介します。


(Ⅰ)ドイツ時代:1818年5月-1843年9月
極めて成功した弁護士の「お坊ちゃま」として、大学に入学するまでマルクスは郷里のトリーアですごします。ちなみに、マルクスがパリ時代の直前に(1843年6月)結婚した妻は、その父がプロイセン政府の枢密顧問官、その異母兄は後にプロイセン政府の内務大臣を長らく務めるという貴族出身の女性。而して、「マルクス自身も自分の実子(娘たち)はブルジョア家庭の娘として教育し、女中(レンヒェン)との間にできた息子は労働者階級の子供として無教育のまま放置」した(森嶋通夫『思想としての近代経済学』(岩波新書・1994年, pp.111-112)、19世紀のブルジョア家庭の<常識>を備えた人物だったのです。

1835年、父親の勧めによりマルクスは地元のボン大学法学部に入学、同じくパパ・マルクスの意向で1836年プロイセン国内の最高学府ベルリン大学法学部に転校します。謂わば、福島県相馬地区一番のやり手弁護士の息子が東北大学法学部に入学し、1年後、東京大学法学部に転学したようなものでしょうか。ただ、マルクスは法学に興味が持てず、歴史学や哲学や詩学、特に、当時のドイツ哲学界を風靡していたヘーゲル左派の哲学にのめり込んで行ったようです。而して、(ベルリン大学やボン大学より学位が取りやすかったためか)イエナ大学哲学部に博士論文を提出し1841年4月に学位取得。翌1841年5月にマルクス博士はベルリン大学を卒業します。

卒業に際して大学の教職を望むものの政治的・性格的の諸般の事情でかなえられず、マルクスは自由主義的なスローガンを掲げ発足したケルン市の『ライン新聞』に関わることになり、忽ち「主筆」(実質的な編集長)の役割を果たすことになります。後年、マルクスの死亡届の職業欄には「著述業:Author」と記されるのですが、私はマルクスは当時一流の経済学者であり三流の革命家、そして、生涯を通してその職業はジャーナリストであったと考えています。いずれにせよ、そこでマルクスは「支那製陶器」の如く綺麗ではあるが中空の哲学論議では解決しえない現実の社会的諸問題に遭遇する。この辺りの経緯を『経済学批判』(1859年)の序言からマルクス自身の言葉で確認しておきましょう。尚、本稿でマルクスの引用は原書原文に鑑み適宜修正します。

「わたくしの専攻学科は法律学であった、だがわたくしは、哲学と歴史とを研究するかたわら、副次的な学科としてそれをおさめたにすぎなかった。1842年から43年のあいだに、「ライン新聞」の主筆として、わたくしは、いわゆる物質的な利害関係に口をださないわけにはいかなくなって、はじめて困惑を感じた。森林盗伐と土地所有の分割についてのライン州議会の討議、当時のライン州知事フォン・シャーペル氏がモーゼル農民の状態について「ライン新聞」にたいしておこした公の論争、最後に、自由貿易と保護関税に関する議論、これらのものがわたくしの経済問題にたずさわる最初の動機となった。

他方では、当時は「さらに進もう」というさかんな意志が専門知識よりいく倍も重きをなしていた時代であって、フランスの社会主義や共産主義の淡い哲学色をおびた反響が「ライン新聞」のなかでもきかれるようになっていた。わたくしはこの未熟な思想にたいして反対を表明した、だが同時にまた(中略)わたくしのこれまでの研究では、フランスのこれらの思潮の内容そのものについてなんらかの判断をくだす力のないことを率直にみとめた」(岩波文庫・1956年, p.12)



(Ⅱ)パリ時代:1843年10月-1845年1月
その自由主義的で過激な論調ゆえに『ライン新聞』が発禁処分になる直前、マルクスは同紙を退き(1843年3月)、「社会主義-共産主義」思想と経済学の本格的な研究に打ち込むことになります。そのマルクスを受け入れてくれたのはパリ。そこでマルクスはドイツとフランスの社会主義に関心を持つ読者のための雑誌(実は、フランスの社会主義者からはほぼ相手にされず実質ドイツの社会主義者向けにパリで編集された雑誌たる)『独仏年誌』の共同編集者に迎えられます。

注意すべきは、マルクスの郷里モーゼルワインの産地として有名なトリーアは、フランス革命期に(1794年)フランスに占領されナポレオン戦争の終結に際して(1815年)プロイセンに併呑された地域にあったこと。畢竟、フランスの占領期にフランス流の自由主義を謳歌し、逆に、旧フランス占領地域を蔑むプロイセン治世下では抑圧的な政治のみならず、森林の共有地に対する入会権的慣習を認めない近代法の原則的適用に苦しめられ、更に、プロイセンの関税同盟政策(1834年)によってフランスという大消費地を後背地とする農工業生産の要衝からプロイセンの一経済的辺境に逼塞せしめられた地域にそれは属することです。

マルクス少年の眼には所有権を絶対視する近代法適用の徹底化や関税同盟という国の一個の経済政策によって郷里が日一日と衰退していく様子が映っていたのではないか。高度成長期の「石炭から石油・原子力へ」というエネルギー政策の転換によって郷里が年々衰微していった有様をはっきり覚えている福岡県大牟田市出身の私にはそう思われて仕方がありません。而して、マルクスが『ライン新聞』時代に遭遇した社会問題は必然的な邂逅であり、マルクスが哲学研究から「社会主義-共産主義」思想と経済学の研究に向かったのは当然のことだと思われます。それもあり、15ヵ月に満たないこの時代は主に研究に充てられましたが、後に「初期マルクス」と呼ばれる一連の著作が書かれ始める時期でもあります。

以下、この時期の著作。尚、(03)はマルクスの生前は未公刊であり、1932年モスクワのマルクス=エンゲルス研究所から『マルクス=エンゲルス全集』(「旧MEGA」)の一部として著述から88年ぶりに世に知られた曰く付きの著作です。

(01)ユダヤ人問題によせて(1844年)
(02)ヘーゲル法哲学批判序説(1844年)
(03)経済学・哲学草稿(1844年)
(04)聖家族(1845年:エンゲルスとの共著)



(Ⅲ)ブリュッセル時代:1845年2月-1849年8月
ドイツ社会の現状を激しく批判するマルクスの著作活動はプロイセン政府の逆鱗に触れ、1845年初頭、プロイセン政府の圧力でフランスはマルクスに国外退去を命じる。落ち延び先は(フランス七月革命の余波の中で1830年にオランダから独立したばかりの)ベルギーの首都ブリュッセル。

もうすぐそこに迫っていた「二月革命-三月革命」(1848年)の予兆を感じつつ、この時代、マルクスは国際共産主義運動のネットワーク構築を目指す(実質は亡命ドイ人活動家がその過半を占めていた)「共産主義者同盟」(旧称「ロンドン義人同盟」)での活動やドイツの社会主義運動を支援する『新ライン新聞』の創刊(1848年)等々の実践活動に精力的にかかわっていきます。この時期にマルクスが置かれていた思想状況を再び『経済学批判』の序言から引用しておきます。

「わたくしをなやませた疑問【森林窃盗等の現実的社会問題】を解決するために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であった、この仕事の序説【『ヘーゲル法哲学批判序説』】は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』にあらわれた。わたくしの研究が到達した結論は、法的諸関係および国家諸形態は、それ自身で理解されるものでもなければ、またいわゆる人間精神の一般的発展から理解されるものでもなく、むしろ物質的な生活諸関係、その諸関係の総体をヘーゲルは一八世紀のイギリス人やフランス人の先例にならって「ブルジョア社会」という名のもとに総括しているが、そういう諸関係にねざしている、ということ、しかもブルジョア社会の解剖は、これを経済学にもとめなければならない、ということであった。この経済学の研究をわたくしはパリではじめたが【『経済学・哲学草稿』を書き始めたが】、【フランス首相】ギゾー氏の国外退去命令によってブリュッセルにうつったので、そこでさらに研究をつづけた」(ibid. pp.12-13)


ブリュッセル時代のマルクスの著作は以下の通りです。
(05)フォイエルバッハ・テーゼ(1845年)
(06)ドイツ・イデオロギー(1845年:エンゲルス、ヘスとの共著)
(07)哲学の貧困(1847年)
(08)賃労働と資本(1847-1849年)
(09)共産党宣言(1848年:エンゲルスとの共著)


マルクスはパリ時代の後半からブリュッセル時代の前半にかけて、片や、現実離れした観念の遊戯たるヘーゲル左派の哲学と、他方、現実に埋没する今ひとつの観念論たる所謂「空想的社会主義」を批判していくのですが、その作業のための新たな「武器=経済学」の調達をも同時にこの時期に行なわなければなりませんでした。

ところで、ブリュッセル時代にマルクスの思想にはなんらかの断絶があると主張する新左翼系やポスト=モダン系の論者が存在します。アルセチュールや廣松渉に代表される、所謂「認識論的切断」「方法論的切断」「物的世界像から事的世界観への推転」「実体概念を使った表象から関係概念を使った認識への移行」がそこで「弁証法的唯物論」を確立した『ドイツ・イデオロギー』に読み取れる、と。また、次のロンドン時代のことになるのですが、「1857年恐慌のあと、したがって六〇年代の比較的早い時点で、エンゲルスはともかく、マルクスは恐慌=革命テーゼを放棄したと判断」されるとする論者もおられる(大内秀明『もう一人のマルクス』日本評論社・1991年, p.81)。

これらは、例えば、カール・ポパーからの、マルクス主義は神ならぬ身の人間が知り得るはずもない歴史法則なるものを発見したと詐称する<歴史主義>であるという批判や、分析哲学がその成立の不可能なことを示した「実体概念」を用いてマルクス主義は綴られているという批判、あるいは、「マルクスの預言と異なり資本主義は崩壊消滅しなかったではないか」という指摘に対する左翼陣営からの対応と思われます。

蓋し、アルセチュール自身、その晩年には「認識論的切断」の存在を否定しているだけでなく、彼等の主張には明確な文献上の証拠はなく、他方、かなり特殊な用語法(例えば、彼等の用いる「実体主義」「関係主義」の語義!)が見られる。要は、それらは解釈にすぎず、百歩譲っても我々保守改革派には無用な左翼内部のマニアックな議論だと思っています。いずれにせよ、先にも述べた通り、それらは彼等のプライベートな解釈であり現実の歴史の中で影響を与えてきた<マルクスの思想>とは一応無縁と考えてもよいでしょう。

<続く>



(2009年4月16日-18日:yahoo版にアップロード)

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民主党政権は、政権奪取の高揚感からか、今般の政権交代を「明治維新」になぞらえ、而して、「鳩山政権→菅政権」に至らぬ所が散見するとしても(というか、内政・外交とも目を皿のようにして捜しても「至らぬ所」しか見当たらないのではありますが)、再度、自民党に政権を渡すなどという「時計の針を戻すようなことをしてはならない」と当の鳩山氏ご自身が述べておられる。蓋し、本稿は民主党政権誕生の歴史的性格を論じた随想です。


■明治維新と建武新政
民主党政権の誕生は、「明治維新」ではなく、日本史上、「最も愚劣な天皇-後醍醐」による「建武新政」に擬えるべきものだ。これが本稿を貫く私の認識です。

蓋し、自分が説明したい何かを他の何かに喩えることは論者の自由であろうと思います。けれど、その比喩が自己正当化の域を超えて、比喩に反映されている偶さかかもしれない「類似」を「必然」であると思い込むのは滑稽というものでしょう。そして、

制度疲労に陥った旧体制を打破すべく、統治能力的には旧体制にかなり劣るかもしれない、しかし、旧体制のしがらみに縛られない新しい指導体制が不可避となり実現した政権交代


こう明治維新を捉えるとき、確かに、「明治維新≒民主党政権誕生」の主張は満更間違いでもない、鴨。もっとも、それを言うなら、巨人軍やサッカー日本代表の監督交代もなにがしか<明治維新>的ではあるのでしょうけれども。ならば、民主党が明治維新に今般の<8・30>政権交代をなぞらえたいのならば、彼等は上の認識を超えるより本質的な類似性を提示しなければならない。


蓋し、実相は逆ではないか。すなわち、

経済政策の観点から見た場合、あきらかに大きな政府を志向している民主党政権は「55年体制=社会主義体制」に立ち戻ろうとするものであり、ならば、今般の政権交代は、言うなれば明治時代から江戸時代に戻ったようなもの。あるいは、田沼意次首班体制から松平定信首班体制に移行したようなものであり、それは時代の逆行に他ならない
    

と、そう私は考えます。蓋し、<8・30>で生起した事態は、小泉政権が先鞭をつけた保守主義に基づく日本再生の始まりの終わりではなく、55年体制的な古い近代主義の本格的な終わりの始まりである。民主党の実質的な支配者が、「田中派-竹下派」の直系たる小澤一郎氏であり、彼の民主党内での力の源泉の一つが旧社会党系分子からの支持であることが、なによりも、この経緯、「民主党政権誕生=55年体制への回帰」を雄弁に物語っているのではないでしょうか。

而して、<8・30>は、民主党のマニフェスト、否、民主党という選択肢の存在が、自民党支配の中で閉塞感に鬱々としていた有権者・国民に<倒幕>の機会と大義名分を与え、もって、この社会に充満していた自民党に対する不満のガスに火がついた結果である。蓋し、<8・30>をこのように把握するとき、それは、「建武新政」と極めて似たものだと思います。蓋し、私は「建武新政」をこう捉えています。

農業以外の商工業・流通サービス業の発展、および、交易活動の全国的ネットワークの形成、それら非農業経済セクターを守護する寺社権門の強化等々の社会経済の変遷、すなわち、私の言う「生態学的社会構造」(自然を媒介にした人と人とのある歴史的に特殊な社会的関係のあり方の総体)の変容が生起していた鎌倉時代後期

逆に言えば、「武家の棟梁家=貴種の職能的武士血縁集団」が「御家人=武装農民」を束ねた政治体制としての鎌倉幕府がこれらの生態学的社会構造の変容に正面から対応することができず、単に、鎌倉幕府の権力支配の実効性のみを時代の趨勢から守るべく、一種の歴史的必然として北条得宗家の独裁に純化していった鎌倉幕府の末期

鎌倉時代初期・中期に農地争奪競争の中でいち早く没落していた旧御家人層を「身内人=鎌倉将軍の陪臣」として吸収しつつ独裁の純化を進める北条得宗家と鎌倉幕府のエスタブリッシュメントとも言うべき有力御家人層との利害が鋭く対立するに及び、「史上最低の天皇=後醍醐」の倒幕の綸旨が、六十餘洲に充満していた「反得宗独裁体制」のガスに火を付けた
    


而して、建武新政の推移は「history:誰もが知っているつまらない話」でしょう。蓋し、

①北条得宗家中枢も「史上最も無能な天皇=後醍醐」も、当時の生態学的社会構造のあり様を理解できていなかった点ではなんら変わらなかった

②曲がりなりにも人口の過半を占めるに至っていた(皇室・公家・寺社という権門の直轄荘園と国衙領を除く)「武装農民と武装農民が囲い込んでいた農民」の利害を一応代表していた鎌倉幕府と違い、建武新政は、政治と経済の仕組みを(武家支配を生ぜしめた源平争乱期以前の生態学的社会構造に適合的なsomethingに戻そうとした
    

この①②を踏まえれば、建武新政が極めて短期間に瓦解して「史上最も間抜けな天皇=後醍醐」の妄想が画餅に帰したことは、そして、南朝・後南朝の惨めな末路は悲劇ではなく喜劇であり、歴史的必然であったと思います。そして、民主党政権も、

①国際政治経済を含め、生態学的社会構造のあり様が「55年体制」が機能した冷戦期と現在の日本では変化していること

②曲がりなりにも労働人口の過半を占める「中小企業経営者」「建設業者」「地方在住者」の利害を一応代表していた自民党政権と違い、民主党政権はバブル期以前の生態学的社会構造に適合的なsomethingに政治と経済の仕組みを戻そうとしている
    


畢竟、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でヘーゲルの言葉としてマルクスが引用している如く「歴史は二度繰り返される。最初は悲劇として、そして、二度目は喜劇として」という傾向が歴史にあるとすれば、民主党政権は「史上最も滑稽な天皇=後醍醐」の凋落をなぞる<喜劇の北斗の拳>に他ならない。と、そう私は考えています。而して、保守主義に基づく日本再生を期す我々保守改革派は、平成の「足利尊氏」を棟梁に据えて民主党政権を一日も早く打倒しなければならない。もっとも、我々が棟梁に戴くべきは平成の「持統天皇」か「二位の尼=北条政子」かもしれませんけれども。


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■民主党政権は社会主義政権である
明治維新に<8・30>を喩える場合、()自民党政権がなぜ崩壊したのかの説明は比較的スムースですが、()旧政権が対処することに失敗した生態学的社会構造の変容の特定という点では、即、比喩の射程距離外に出てしまう。ならば、民主党議員が「民主党政権の誕生=明治維新」と規定するのは勝手だけれども、それは、単なる(教育心理学で言う所の)「自己拡大化:子供が縁日で買ってもらったお面を被るとウルトラマンになったと思い込む症状」にすぎないのではないか。実際、そうなりつつあるのではないでしょうか。

而して、(当時、「日本=世界で唯一成功した社会主義体制」と皮肉な称賛を寄せられていた如く)民主党政権は「55年体制」への回帰を志向する社会主義政権である。ならば、民主党政権が呪文のように繰り返す「官から政へ:官僚支配の打破と説明責任をより十全に果たす政治家主導の政府の構築」とはこの民主党政権認識からはどう理解すればよいのか。私はこう考えています。以下、過去記事からの引用。

 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59422241.html


民主党政権は「脱官僚支配」を標榜しながら、その実、官僚と労組が猖獗を極める社会主義国家を目指している。而して、民主党政権が唱える「政治主導」とは、行政実務を任せる宛先を人脈的に自民党の与力だった「官僚A群」から民主党に尻尾を振る「官僚B群」に変更するだけのものに過ぎない。ならば、「脱官僚支配」は(大統領が変われば、特に政権与党が交代すれば、3000人以上の高級官僚が交代する)アメリカの猟官制的な官僚の人事制度を議院内閣制の我が国において導入する、すなわち、行政に赤裸々な権力闘争を持ち込む不適切な政策指針ではないか。・・・民主党政権は赤裸々な猟官制を行政機構に導入しようとする、古い古い自民党よりも更に古い政権である。

畢竟、高校償化にせよ、子供手当てにせよ、それは財源論から言えば、「A:生活が苦しくて子供も産めない/結婚もできない層」から所得を奪い、「B:Aグループ層よりは豊かな、結婚もでき子供も産める層」に所得を配分する(世代間負担の移動モデルを考えてもそう言わざるを得ない)凄まじい悪制です。而して、日本国内に住んでいない外国人の子供への支援の出鱈目さと相まって、このような、子供でも分かる、憲法無効論なみの馬鹿げた施策法案がなぜ堂々と主張され国会を通過するのか。

蓋し、それは、(イ)民主党の政策のお粗末さと、パラドキシカルながら(ロ)自民党政権の時代に比べても遥かに大きな官僚依存の結合である。すなわち、コトナカレ主義の官僚が「注文主=民主党政権」の注文に従い出した法案に対して、「注文主=民主党の政治家」も「料理人=官僚」も、本質的に誰もその中味がわかっていないという構図である、と。 而して、この滑稽な悲惨の源泉は那辺にあるか。

蓋し、それは、しがらみを断ち切り制度を変えれば政治はうまく行く。要は、多少の混乱はあったとしても、旧政権下で培われた富や技術は丸のまま生かせるはずだという単純な思い込みがあったのではないか。けれど、旧政権下の<社会的&産業的な資産>は旧政権という特定の社会の約束事を前提にしてのみその額面通りの機能を果たし得るものだった。この、建武新政において「史上最も愚かな天皇-後醍醐」が陥ったのと同じタイプの誤謬に民主党も絡めとられているのではないか。

更には、実は、失われた90年代以来、日本は「構造改革の推進と地方再生」という相矛盾する課題を背負い、弥縫策と言えばそれまでだが自民党政権の自転車操業的対処策でやっと綱渡りしていたのを、民主党は「日本にはもっと余裕がある」と勘違いしていたこと。それで、麻生政権の暫定予算を凍結し、すなわち、景気回復のための貴重な財政出動のチャンスを逃した。これらが、現在、民主党政権が晒している悲惨と滑稽の構図ではないだろうか。(以上、自家転記終了)
    

蓋し、「既存の官僚機構の硬直化」を打破するという主張と、「民主党政権=社会主義政権」の認識は矛盾しない。そして、その政府が社会主義を志向する限り(旧政権が代表していた利害から新政権が代表する利害が変化することはあったとしても、基本的に)「官僚支配」は強化され、「新しい官僚機構の硬直化」に至るに違いない。

畢竟、民主党政権は(民主党に尻尾を振るメンバーに官僚層を純化させつつなされる)「官僚支配の強化」を志向する政権ではないか。もし、こう考えることが満更間違いではないとすれば、小澤支配の拡大深化、すなわち、「党内民主主義の欠如=党内官僚制の強化」が露になっていることも(スターリン体制確立期のソ連や、「史上最も下劣な天皇=後醍醐」が建武新政の初期、足利尊氏公をその政権運営から疎外した故事を紐解くまでもなく)、あるいは当然のこと、鴨。と、そう私は考えています。


尚、政権交代の背景と自民党再生のための施策に関する私の基本的な考えについては、下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・自民党解体は<自民党>再生の道
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59411956.html


hatoyamagodaigotogether






(2010年4月17日:yahoo版にアップロード)

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