Top画像の選択は、サイズが適当なAKB関連画像の中で最もインパクトがあったことによります。而して、タイトルにも何気に「柏木由紀」と特記されていますが、これは、柏木さんが鹿児島のご出身ということで九州出身、広い意味の同郷人の親しさを感じたから。と言いますか、その主な理由はTop画像との連関性を考えた結果にすぎません。

実は、私はこの「総選挙」の1週間くらい前まで、柏木由紀ちゃんと渡辺麻友ちゃんの区別もつかなかったくらいの人だったりします。而して、ただ、これだけ盛り上がるイベントもそうはないだろう。ということで、今の日本を考えるための資料として記事にしたいと思いました。

それにしても、

なんで、

なんで、

なんで、あんな普通の女の子達に世間が大騒ぎするのか?


私の記憶が確かならば、この言葉は、そう、それは忘れもしない1978年4月4日の後楽園球場(現東京ドーム)。今から30数年前のことになるキャンディーズ・サヨナラ・コンサートで、コンサート会場の警備をしていたという50代男性が汗を拭き拭き語ってくれた感想として、確か、翌日の朝日新聞の記事「キャンディーズ サヨナラ・コンサート」「三人娘に若者五万人」「後楽園で熱狂の大合唱」に載っていた言葉と寸分違わないものだったと思います。「なんで、あんな普通の女の子達に世間が大騒ぎするのか?」、と。

而して、これまた確か、古代エジプトの石盤には、

最近の若い者はなっとらん!


と象形文字で記されているとか柳田国男が書いていた。ならば、「なんで、あんな普通の女の子達に世間が大騒ぎするのか?」という問は、世代間コミュニケーションの齟齬や乖離として、ある意味、そして大きく言えば人類史に普遍的なものなのでしょうか。要は、あらゆるビジネスが社会に内在するなんらかの情報落差、単なる情報の量の差だけではなく情報に対する解釈や評価という情報の情報における落差に起因するとするならば、<AKB48という現象>はそのような人類の現存在に普遍的な情報の齟齬や乖離にビジネスが着目しただけの定跡どおりの現象なの、鴨。

ただ、情報に対する解釈や評価の落差、要は、どのような記号論的な情報の差異性に人間が積極的に反応するかという点まで遡行するのならば、<AKB48>は、「可愛いさ」を何に対して感じるかという日本人のDNAシステムと、加之、(それは賭け事の快楽と通じる、なんらかのことに差異を見出すことの快楽、人間の現存在性にビルトインされた、謂わば)「差異化の愉悦」との複合現象なのでしょうかね(笑)。

とかなんとか、なにやら「難しげ」なことを認めましたが、
正直なところ、よく分かりません。

と、まず、日本語の新聞報道で現象の内容を確認しておきましょう。
以下、SANKEI EXPRESSの関連記事。


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◎AKB48 第3回総選挙 政府より先にトップ交代

永田町より一足お先にトップ交代。人気アイドルグループAKB48の第3回選抜総選挙の開票6月9日行われ、8月発売の22枚目のシングル曲を歌うメンバー21人が決まった。最前列の真ん中で歌うことができる1位は、昨年2位の前田敦子(19)が13万9892票を獲得して雪辱を果たした。昨年1位の大島優子(22)は12万2843票で2位だった。

前田は涙で「きょうまで応援してくれた皆さんに感謝したいと思います」と絶叫。ライバルの大島と抱き合い、健闘をたたえ合った。(中略)

AKB48の人気は衰えを見せない。この日、警視庁少年事件課は、東京・秋葉原のゲームセンターで客の財布を置引したとして逮捕した埼玉県戸田市の通信制高校1年生の男子生徒(16)ら15~16歳の少年5人がAKB48のファンで、「コンサートに行きたかった」「イベントでいい席を取るために金が必要だった」などと供述していると発表した。

AKBranking.jpg


総選挙にはAKB48の68人、姉妹ユニットのSKE48(名古屋)の57人、NMB48(大阪)の25人の150人が立候補。5月発売のシングルCD「Everyday、カチューシャ」を買った人は、CD1枚につき1票、インターネットで投票した。

「Everyday、カチューシャ」の出荷枚数は170万枚を突破し、選挙戦はヒートアップ。1人で1万2500枚(2000万円分)を買う超熱狂的なファンもいたといわれるほどだった。

開票イベントが行われた東京・北の丸公園の日本武道館は約8500人のファンで超満員。茨城県から会場に来た男子大学生(20)は「CDは120枚買って全部1人に投票した」と明かした。

20万円近い出費だが、ひいきのメンバーを上位に推すのが目的だ。「彼女とは握手会で何度もしゃべってきずなを強めてきた。選抜入りして、輝くところがぜひ見たい」と話した。

総選挙の結果は海外でも速報。開票イベントの模様は韓国、台湾、香港の映画館でも生中継された。

(SANKEI EXPRESS・2011年6月10日)



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◆Maeda back as AKB48's No. 1 

AKB48's Atsuko Maeda made a comeback Thursday after being voted the most popular member of the all-girl pop group, dethroning 2010 winner Yuko Oshima.

"I'm really happy. I'll do my utmost," a tearful Maeda, the 2009 champion, said during an internationally televised award ceremony at a packed Nippon Budokan gymnasium in Tokyo. Oshima, 22, came in second.

Maeda, 19, won most of the votes cast by the group's fan club and purchasers of the group's latest single. Yuki Kashiwagi, 19, came in third, advancing from her eighth-place finish last year.

The annual vote, which was shown in 86 movie theaters across Japan and televised in Hong Kong, Taiwan and South Korea, selected 21 members for AKB48's 22nd single due for release in August, from about 150 candidates, including those in similar pop groups, such as SKE48 and NMB48.

Kyodo, June 11, 2011



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◆前田、AKB48のトップの座を奪還

AKB48の前田敦子が、木曜日【6月9日】、投票の結果、この人気女性グループの中で最も人気のあるメンバーに選ばれた。2010年度の勝者・大島優子を退けた上での、トップの座への返り咲きである。

「本当に嬉しいです。これからも自分の全力を尽していくつもりです」と、2009年度の勝者でもある前田は歓喜の涙を流しながらそう答えてくれた。東京にある超満員の日本武道館で行われた、そして、海外にもTV放送された授賞式でのこと。他方、大島優子(22)は2位だった。

前田(19)は、AKB48のファンクラブメンバーとAKB48の最新のシングル曲の購入者からの投票の中で最も多くの支持を集めた。また、柏木由紀(19)は3位に入り、昨年の8位から躍進した。

年に一度のこの選挙の模様は、日本全国の86もの映画館で同時上映され、また、香港・台湾・韓国でもTV放映された。この選挙には姉妹グループのSKE48とNMB48のメンバーを含む総勢150人程の候補者が立候補したのだけれど、総選挙の結果、8月発売予定のAKB48の22枚目のシングル曲を歌う21人のメンバーが選考された。


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(2011年06月27日:goo版にアップロード)

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日の丸1


公立学校における、国旗・国歌の起立斉唱を教職員に命じる職務命令について、この一月余りの間に最高裁で陸続と合憲判決が出ています。当然と言えば当然のことですが、この当然の判決が出るまでいかに長い時間がかかったか、そして、石原慎太郎都知事を始め多くの<常識あるリーダー>の指導力がこの当然の憲法判断が確定する上で不可欠であったかを想起するとき、些かの感慨を禁じえません。

本稿は、当然の判決を記録した前稿(↓)に引き続き、二件目の合憲判決(最高裁第1小法廷)に際して述べられた非常識なる少数意見を記録収録するものです。しかし、「偉大なる少数意見」の書き手として有名な、アメリカ連邦最高裁のホームズ(Oliver Wendell Holmes Jr:1841-1935)判事の少数意見が、アメリカ社会が夜警国家から福祉国家に移行する時代を背景とした、「近代法から現代法への転換」を体現していたものであり、また、その法学方法論は「概念法学的な文理解釈ではなく自由法論的な社会学的法学」を志向したもの、換言すれば、「早すぎた預言者」のそれであったのに対して、国旗・国歌判決の三件2名の少数意見は、正に、戦後民主主義の惰眠を貪る者の戯言にすぎない。と、そうとしか私には思えませんでした。

・【自家用資料集】最高裁「国歌斉唱不起立訴訟」合憲判決
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60511403.html


まずは、これら一連の判決を伝える報道の紹介。


◎君が代起立斉唱、また合憲判断…最高裁上告棄却

東京都立高校の卒業式などで、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう教職員に求めた校長の職務命令が憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は6日、「合憲」との判断を示し、原告の元教職員13人の上告を棄却した、原告の敗訴が確定した。

君が代の起立斉唱命令を合憲とする最高裁の判決は、5月30日の第2小法廷に続き2件目。前回は裁判官4人の全員一致の結論だったが、この日は、5人の裁判官のうち宮川光治裁判官が、「命令は明白に違憲とは言えないが、必要不可欠だったかどうか、さらに厳格に審査する必要がある」とし、審理を2審・東京高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。

(読売新聞・2011年6月6日21時54分)   



◎君が代起立「合憲」3件目判決…最高裁

東京都町田、八王子両市立中学校の卒業式や入学式で、起立して君が代を斉唱するよう教職員に求めた校長の命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法に違反するかどうかが争われた訴訟で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、「命令は合憲」として、原告の教員ら3人の上告を棄却する判決を言い渡した。これで原告の敗訴が確定した。

君が代の起立斉唱命令に対する最高裁の合憲判決は、5月30日の第2小法廷、今月6日の第1小法廷に続き3件目。これで、最高裁の全ての小法廷が合憲の判断を示したことになる。

この日の判決は、5人の裁判官のうち4人の多数意見。田原裁判長は、起立命令は合憲とする一方、「積極的に声を出して歌う『斉唱』の強制は、君が代に否定的な歴史観、世界観を持つ人の内心の核心部分を侵害しうる」とし、審理を尽くさせるため、2審・東京高裁に差し戻すのが相当とする反対意見を述べた。

(読売新聞・2011年6月14日23時48分)    



◎君が代起立、4件目の合憲判断…最高裁

入学式や卒業式で、君が代斉唱の際に起立するよう教職員らに求めた校長の起立命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法に違反するかどうかが争われた訴訟で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は21日、「命令は合憲」として原告の教職員らの上告を棄却する判決を言い渡した。

同種の訴訟では、すでに最高裁の全ての小法廷が合憲判断を示しており、判決は今回が4件目。

原告は、君が代斉唱の際に起立しなかったことを理由に広島県教育委員会から戒告処分を受けた同県の高校教諭ら42人で、県教委に処分取り消しを求めていた。

判決は、5人の裁判官のうち、4人の多数意見。田原睦夫裁判官は、「君が代斉唱の強制は、国歌に否定的な歴史観、世界観を持つ人の内心の核心部分を侵害しうる」として、審理を尽くさせるため、2審・広島高裁に差し戻すのが相当とする反対意見を述べた。

(読売新聞・2011年6月21日20時9分)  



日の丸4


◆最高裁判所第1小法廷判決宮川少数意見収録

以下、二件目の第1小法廷(6月6日)判決に付けられた宮川光治裁判官の少数意見。蓋し、三件目と四件目の少数意見、第3小法廷の田原睦夫裁判官の反対意見については、その事実認識部分の「本件各職務命令と憲法19条との関係を検討するに当たっては、「起立行為」と「斉唱行為」とを分けてそれぞれにつき検討すべきものと考えるので、多数意見のように本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」として一括りにして論ずるのは相当ではない」という視点が二件目の宮川少数意見と違っているだけでそう大きな差はないと思います。

ちなみに、二件目と三件目の判決全文は下記で確認できます。

事件番号:平成22(オ)951
事件名:損害賠償請求事件
裁判年月日:平成23年6月6日
法廷名:最高裁判所第一小法廷
裁判種別:判決
結果:棄却
判決要旨:
公立高等学校の校長が同校の教職員に対し卒業式等の式典における
国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた
職務命令が憲法19条に違反しないとされた事例
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110606165018.pdf

事件番号:平成22(行ツ)314 
事件名:戒告処分取消等,裁決取消請求事件  
裁判年月日:平成23年06月14日 
法廷名:最高裁判所第三小法廷 
裁判種別:判決 
結果:その他(脚下および棄却) 
判決要旨:
東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下し、
その余の部分を棄却
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110614181231.pdf



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日の丸3


◆解題
この少数意見が孕んでいる問題は何か。
それは次のような朝日新聞等の認識に顕著、鴨。すなわち、

>最高裁も(ピアノ伴奏訴訟とは違い)職務命令が個人の思想および良心の自由の、
>間接的にせよ、制約になることを認めた   


これは、法廷意見の認識が、当該の職務命令は「思想および良心の制約」になる可能性があることを認めたものであり、毫も、「思想および良心の自由の制約」であることを認めたものではないことを看過している。

畢竟、職務命令が、端的には「思想および良心の自由の制約」ではないからこそ、①合憲判断基準においては厳格なテストは不要とされたのであり、よって、②業務命令には合憲性の推定がなされ、立法事実の合理性の推定がなされるがゆえに、憲法審査基準においては「必要性・合理性」のチェックのみが問題として残った。

また、②においては、その、「必要性・合理性」を否定する(民事訴訟法上の意味では必ずしもありませんが)、いわば<挙証責任>は上告側にある。而して、しかるに、彼等は、当該職務命令の「必要性・合理性」をも凌駕する程の権利侵害性の証明、すなわち、「具体的な原告の思想の中身と当該行動の「不可避的-本質的」な連関性」の証明を放棄している。ならば、憲法訴訟論的にはこの法廷意見ですべて必要な憲法判断は終わっており何も問題は残っていないのです。蓋し、憲法訴訟論的に見る限り、二件目の宮川少数意見は蛇足であり、三件目と四件目の田原少数意見は余興にすぎない。

と、そう私は考えています。

アメリカの憲法訴訟論を専らとする者としては、実は、これら一連の合憲判決が今後帯びるであろう社会的な影響や三件2名の反対意見に大騒ぎするばかりで、多数意見たる法廷意見の理路をなぜ左右の論者ともあまり俎上に載せないのか些か不満です。特に、今後この「国旗・国歌訴訟」のリーディングケースになるであろう5月30日の最初の判決の法廷意見の理路は見事であり、アメリカでも十分に通用する水準だと思いますから。閑話休題。


日の丸2

更に、一点だけ補足すればこの少数意見は、

>思想良心の自由は個人の内面に係わるものだから、その制約の合憲性を
>社会的相当性の観点から見るのは妥当ではない   


と述べている。蓋し、これこそ、朝日新聞レベルの間違い。すなわち、「思想および良心の制約」と「思想および良心の自由の制約」が法的には位相を異にしているように、それが憲法問題として、すなわち、社会的に問題とされる場面では、

>思想良心は個人の内面に係わるものであるが、思想良心の自由は個人の行動の
>社会的意味に係わるものである。よって、思想良心の制約の合憲性の判断においては、
>その行動や思想はあくまでも社会的相当性の観点から見られるべきである   


と、そう考えなければならないからです。この基本的観点を看過した少数意見は、よって、リベラル派からの国旗・国歌を否定し相対化しようとする為にする議論である。と、この点の指摘もマスメディアの報道ではほとんど皆無であり、左右いずれの論者から見てもそれは今後の日本における憲法訴訟の教育のためには生産的ではない。と、そう私は考えています。


尚、最初の最高裁判決。すなわち、停年退職後の再雇用拒否の是非が争そわれた5月30日の最高裁(第2小法廷)判決で最高裁は、「都教委に再雇用の決定に関して広範な裁量権を認めるのが妥当である」との東京高裁の判断を肯定追認しています。よって、年に何度か行なわれるにすぎない国旗・国歌の掲揚斉唱に際しての起立斉唱の有無と、日々の各教科の指導力や生活指導・進路指導の実績を都教委が総合的に判断した上で再雇用拒否を決定した以上は、起立斉唱の重要性自体の吟味から憲法判断は生じなかったと思います。換言すれば、都教委の広範な裁量権をもってしても否定されるべきではない人権の侵害があったか否かに絞って最高裁は判断したということ。

ならば、<国旗・国歌>は、教科・進路・生活の諸指導に比してそう重要ではない等の主張は、要は、都教委の職務命令が違憲ではないとしても再雇用を認めなかったについては裁量権の濫用があったと主張したいのなら、彼等リベラル派は、論理的に遡って広範な裁量権の合理性に踏み込む議論から始めるべきであった。

而して、やれるもんならやってミソラシどうぞ、ということです。


ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿






流石はアメリカ、これこそ「国民の国民による国民のための政府」だ!


この報道に接してそう感じました。

史上最大級の原子力発電所の事故であろうが、北朝鮮が核武装しようが、支那が空母を保有しようが、あるいは、左翼リベラル派の性格異常者が同盟国の首相になろうが、「山より大きな猪は出ない」ということ。而して、政府の使命とは、情報収集を行い現実を見つめ、自国にとっての最適な施策を合理的に選択して、それを粘り強く実行するのみということでしょうか。

加之、重要なことは「最善手」は各々の国によって非対称的ということ、鴨。つまり、同じ福島原発事故の危機を睨んでする、各々の自国民に対するアメリカと日本の最適な指示は異なり得る。まして況や、原発推進の是非を巡るドイツやイタリアと日本との非対称性においておや。と、アメリカ国務省が在日アメリカ国民に出した警告に接して私はこのようなことを思いました。


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=== Travel Alert ===
=== 旅行・移動に関するご注意 ===


U.S. DEPARTMENT OF STATE
Bureau of Consular Affairs
June 09, 2011

This Travel Alert updates the Travel Alert for Japan dated May 16, 2011. This Travel Alert expires on August 15, 2011.

Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant

While the situation at the Fukushima Daiichi plant remains serious and dynamic, the health and safety risks to land areas which are outside a 50-mile radius of the Fukushima Daiichi nuclear power plant are low and do not pose significant risks to U.S. citizens.    


アメリカ国務省
領事部
2011年6月9日

この警告は、5月16日付けの日本国における旅行・移動に関する警告の改訂版です。而して、本警告の有効期限は来る2011年8月15日とします。

福島第一原子力発電所

同発電所を巡る事態は引き続き深刻なままであり、また、今後それがどう変化するかも予断を許さない状態です。しかし、同発電所から半径50マイル【80.45キロ】圏外の陸上エリアに関しては、同発電所の事故が原因となってアメリカ国民が傷病等の健康被害を受ける危険性は問題にならないほど低いと言えます(★)。    

★訳註:
放射線被曝の危険性について本テクストは、危険性を、すなわち、「福島第一原子力発電所の近傍80キロ圏内は危険/80キロ圏外は安全」とかの認識を、自然科学的な、つまり、普遍的な真理として述べているのではありません。あくまでも、この警告が俎上に上げている危険性とはアメリカ政府が認識する「アメリカ市民、すなわち、アメリカ国民」にとっての危険性。而して、国際法上も当然ながら、警告はこの箇所を受けた次のパラグラフで「アメリカ国民に対してのみ避難地帯に立ち入らないことを推奨」しています。     


akidai1


Out of an abundance of caution, we continue to recommend that U.S. citizens avoid travel to destinations within the 50-mile evacuation zone of the Fukushima Daiichi Nuclear Plant. U.S. citizens who are still within this zone should evacuate or shelter in place.

On May 16, the U.S. Government updated its recommendation for the principal transport routes between Tokyo and Sendai that run through the 50-mile evacuation zone. These transport routes are currently open to public use. The U.S. Government believes the health and safety risks associated with using these transport routes are low, and that it is safe for U.S. citizens to use the Tohoku Shinkansen railway and Tohoku Expressway to transit through the area. ・・・ 


畢竟、何事も用心するに越したことはありますまい。而して、アメリカ政府は、引き続きアメリカ国民の皆様に対して、同発電所から半径50マイル圏内の避難地帯への立ち入りを控えるようお勧めいたします。

去る5月16日にアメリカ政府は、最新の情報を加味して、この半径50マイル圏内を通って東京と仙台を結ぶ、主要な交通路の利用に関するご注意の内容を改定いたしました。これらの交通路は一般利用者が普通に利用しており、アメリカ政府もまたこれらの交通路を用いることによって傷病等の健康被害が生じることはまずないと考えています。要は、他のエリアに移動すべく東北新幹線や東北自動車道を利用した結果、この半径50マイル圏内をアメリカ国民が通ってしまったとしても安全に問題はないということです。(後略)   


http://travel.state.gov/travel/cis_pa_tw/pa/pa_5454.html


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このアメリカ政府の警告に関しては、警告延長発表の翌日、在日米軍機関紙『Stars and Stripes』が解説記事を掲載しました「U.S. extends travel alert around Fukushima power plant till Aug. 15:アメリカ政府、福島原子力発電所方面への旅行・移動の警告を8月15日まで延長」(2011年6月10日)。而して、この『Stars and Stripes』の記事を兵頭二十八氏がご自分のブログで俎上に載せておられた。実は、私は(例えば、捕鯨問題に関して)兵頭氏の国際法理解の水準には些か疑問を持っています。しかし、流石、軍事と関連する技術的なマターに関する彼のコメントはそう極端なものではなく、今回の福島原発事故を巡るアメリカの認識に関する彼の以下の分析は大変参考になりました。

これは沃素【ヨウ素】131の有害性が半減に半減を重ねてほぼ消滅する期間(2か月くらい)を計算しているものと思われる。つまり6月の今の時点でも沃素【ヨウ素】131ガスの新しい漏出があると米政府は疑っているのだ。ちなみに沃素【ヨウ素】131は英国ウインズケール事故では70km以上飛散するとそれだけで稀釈されて無害になっていた(チェルノブイリでも欧州諸国はどこも沃素【ヨウ素】131を気にしなかったのは、その裏づけ)。よって今回は、70kmに、プラス10kmの安全距離を追加して、50マイルとなっているのであろうと、兵頭は推理する。沃素【ヨウ素】131以外の原発事故漏出物質と住民発癌の因果関係は、チェルノブイリのセシウム137ですら、立証されていない。よって責任ある政府が気にするべき物質は、沃素【ヨウ素】131だけであり、その対策は、初動での80kmエバキュエーションが正解となるのである。そして最後の漏出から2か月以上が経過したら、立ち入りは緩和しても可【よろし】い。   


http://podcast28.blogzine.jp/milnewsblog/2011/06/2011613_8b14.html


なるほど。

責任ある政府が気にするべき物質はヨウ素131だけであり、
その対策は初動での80キロ圏外退避が正解となる。
そして、最後の漏出から2ヵ月以上が経過したら、
立ち入りは緩和しても問題ない、と。    


山より大きな猪はでない


責任ある政府は、楽観も悲観もすることなく、国民、就中、被災地住民の利益と気持ちを考えて合理的に自国にとっての最適な施策を繰り出すのみ、と。そうですよね。それしかないじゃないですか。納得。


akidai3



而して、ならば、民主党政権は、自分達がこの福島原発事故の解決ができないと分かった段階で、潔くそれができるプレーヤーに「権限を丸投げ」すべきだったのではないでしょうか。

それなのに、事故発生から3ヵ月が経過したというのに、
情報隠しと情報操作以外には何もできていない現実。
無能な政府と機能しない政治。

四半世紀前にあの旧ソ連だってチェルノブィリを止めたというのに・・・。
全くもって慄然とするこの国の政治の風景。

而して、繰り返しになりますが、敷衍すれば、
福島原発事故解決の指針はシンプル、すなわち、

(1)例えば、半径80キロ圏の放射線被曝許容値を年間積算ベース200ミリシーベルト程度に引き上げ、同時に作業員の方の許容値は2500ミリシーベルト程度に引き上げる。この構えで補給と現地活動の自由を確保した上で、要は、装備も人員も万全の体勢で事故の短期決戦的な収拾に臨む

あるいは、事故解決が自分の政権ではできないと判断した場合は、

(2)事故対応の指揮権をアメリカに全面委託する
(3)事故対応の指揮権を自民党に全面的に委任する   


これら選択肢のどれも選ばず、結局は、ベトナム戦争時のアメリカの如く、「戦力の逐次投入」「情報の操作と後出し」「政府と関係官庁と東電の間での責任の押し付け合い」の繰り返しでは失敗は目に見えていた。実際、民主党政権が、20キロ圏外で一番放射線量の強い飯館村に20キロ圏内の、例えば、浪江町や南相馬市原町エリアから避難する住民の流れを等閑視していた事実は、比喩ではなく、傷害罪か業務上過失傷害罪の構成要件に該当する犯罪行為、鴨。

蓋し、上で紹介したアメリカ政府の警告を反芻するに、アメリカは自分が置かれた立場で自国民のために最適の行動を取っている。而して、他方、究極、この列島を、否、郷里の福島県浜通りを捨ててどこかに逃げることなど本質的にはできない日本人の「国民の国民による国民のための政府」であれば、その国民に対する指示はアメリカ政府のそれとは異なってしかるべきでわないか。と、そう私は考えます。

尚、本稿に関する私の原発問題に関する基本的な認識については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
  
・放射線被曝の危険性論は霊感商法?
 -生き物たちも、そしてリスクたちも、できれば公正に扱ってあげたい
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60504829.html

・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html

・News Week 「ドイツの「脱原発」実験は成功するか」-海馬之玄関は「No」に80点!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60521378.html

・ドイツの大腸菌騒動-脱原発の<夢物語>は足元の安心安全を確保してからにしたらどうだ
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60533639.html



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(2011年06月14日:yahoo版にアップロード)

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さらだ


◆大腸菌死者30人に=ドイツ
ドイツ北部を中心に腸管出血性大腸菌O104の感染が拡大している問題で、同国保健当局は9日、死者がスウェーデンで死亡した1人を含め、30人に達したことを明らかにした。バール保健相は8日、新たな感染者は減りつつあり、事態が改善に向かっている兆しがあるものの、引き続き警戒が必要と呼び掛けた。

(時事通信・2011年6月10日0時0分)   



◆欧州の新型大腸菌、犯人は新芽野菜とほぼ断定

ドイツを中心に欧州で広がる腸管出血性大腸菌の感染問題で、独保健当局は10日、北部ニーダーザクセン州の農場で有機栽培されたモヤシなどの新芽野菜が感染源とほぼ断定、この農場を立ち入り禁止とした。

西部ノルトライン・ウェストファーレン州保健当局も10日、同農場で栽培された新芽野菜から菌を検出したと発表した。野菜は患者の家庭ゴミから見つかった。同農場は多数の感染者が出た北部ハンブルクから約70キロ・メートル南にあり、この農場の新芽野菜を納入した食堂の利用者から多数の感染者が出た。・・・

(読売新聞・2011年6月10日20時52分)   



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ドイツの大腸菌騒動もやっと収束に向かいつつあるようです。而して、我が国の東日本大震災とほぼ同時期に始まったドイツのこの疫病の蔓延と比べるとき、放射線被曝などがいかに「無害」なものか歴然ではなかろうかと思います。

実際、福島第一原子力発電所で、この三ヵ月の積算被曝放射線量1シーベルト(sV=1000mSv)超の作業員さんなど何人もおられるはず。民主党政権の拙劣で場当たり的なその対応が漸次明らかになりつつある現在、これは素人でも分かること。而して、この間、放射線被曝が原因で亡くなったり健康被害を訴えている作業員の方はおられない。他方、同時期、日本での牛生肉の食中毒事件、ドイツにおける野菜の食中毒事件ではもう何十人もの方が亡くなられているのですから。

要は、放射線よりも大腸菌の方が遥かに危険
そもそも、放射線被曝許容値なるもの自体にそれほどの科学的根拠はない


数年後の、広範なエリアでの甲状腺癌発症の確率的危険性?

そんなのは、今この瞬間に飢餓線上にある世界の十数億の子供達の<生>と<死>のリアリティーに比べれば、否、そんな遠い話ではない、そう、東日本大震災直後から4月21日まで出されていた、意味不明な「20キロ圏内屋内退避指示」なるものによって餓死せしめられた数万数十万の牛さんや豚さん、ペットの犬ちゃんの<生>と<死>のリアリティーに比べれば<塵>のようなものではないでしょうか。

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放射線よりも大腸菌の方が遥かに危険。

これ、比較不可能なものを比較していますか? 

確かに、片や、数年~数十年後に甲状腺癌を発症する確率的な危険性、他方、感染後数日で生命を失う危険性は同一平面で比較することはできないでしょう。そう言うのなら、エイズウイルスより包丁が危険と言えなくもないから。けれども、マルクス・アウレーリウス帝は『自省録』の中で「どんな長い人生も、どんな短い人生も死は【生と死の境界は】一瞬である」と記している。要は、齢百歳の寿命を閲して大往生を遂げる人の死も、放射線被曝が原因の一つとも考えられる甲状腺癌が原因で十年に満たない生涯を閉じる人の死も、脱原発で盛り上がるドイツで溶血性尿毒症症候群を発病して妻子を残していく無念の中で息を引き取る働き盛りの40代半ばの人の死も、<死>によって失われるものは<生>の先端としての<一瞬>であることには変わりはないのです。

畢竟、マルクス帝に従い人間の現存在性をこう捉えるとき、危険性なるものの度合はそれを低減するのに要する技術水準と教育水準と社会秩序の安定度、そして、社会的コストの関数でしかない。而して、脱原発論者の認めるところでさえも、放射線被曝の確率的な危険性なるものは「年間積算ベース100mSvの被曝で発癌可能性が0.5%増加する」というもの。これは1日2合の飲酒習慣によって増加する0.6%の増加と比べても問題にするのが馬鹿らしいほどの低い値。

しかも、注意すべきは、この「0.5%の増加」とは、既存の発癌件数に「0.5%」分が新たにオンされるわけでは必ずしもないということ。1件の発癌事例に関して、喫煙やストレス等々の様々な発癌要因の中で、放射線被曝が寄与する度合は飲酒習慣以下ということ。例えば、1日2合の飲酒習慣のある方でも99.4%は飲酒によっては癌を発症せず、1日2合の飲酒習慣のある癌発症者クラスターに関して飲酒の習慣と癌発症との間に(喫煙やストレスや遺伝的要因とともに有意の)相関関係が見られるにすぎないのです。

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而して、脱原発論者の中には「飲酒・喫煙は自分の意志によるもので、それによる癌発症は自業自得/自己責任のマターだけれども、放射線被曝はそうではない。まして、自分で自分を守れない子供の放射線被曝リスクは大人が大人としての責任で低減させなければならない」と弁じる向きもある。馬鹿げたことです。傲岸不遜の言説と評するべきでしょうか。これこそ、人間の万能感、権力の万能感、人為の世界と自然の世界の同一視の告白であり、生命や安全や理念に絶対の価値を置き、かつ、人間が、そして、それが形成する国家権力が自然のもたらす生命のリスクを制御できると考えるヨーロッパ中心主義、すなわち、ナチズム、要は、文化帝国主義そのものの告白だからです。

例えば、「キムチの本場=韓国」に唐辛子が普及したのはわずか三百年前であり、日本でも冷凍庫付き冷蔵庫が普及して冷凍食品が子育て世代家庭の強い味方になったのはわずか30年前のこと。これらのことを想起すれば(要は、「自己の意志」なるものもマクロ的に見れば「他者の意志」やその集積としての生態学的社会構造(自然を媒介として人と人とが取り結ぶ社会的諸関係の総体)の関数であり)、マルクスが着目した、人為を包摂する自然の世界(世界恐慌・地球規模の環境変動・世界規模の産業構造の転換等々、資本主義の運動法則が貫徹する疎外された世界をも含む人智を超えた自然の世界)、私の言う生態学的社会構造としての自然の中に投げ入れられた人間の現存性にとって、「自己の意思」と「他者の意思」の区別などは仮称のものにすぎないからです。この点、私は前稿でこう書きました。

自然、就中、グローバル化の昂進著しい資本主義の拡大深化を前にしては脱原発政策などは塵に同じなのです。他方、福島どころか浜岡どころか、今後もし、一国を遥かに超える規模の原発事故が惹起した場合、現在の年間積算ベース1~5.2~100mSvなる放射線被曝許容値など誰もどの国も守りようがない。

そのような事態においては、その数値にさしたる科学的根拠がない放射線被曝許容値は、忽ち、年間積算ベース2500 mSv程度に引き上げられることになるでしょうし、一国の国民の社会的生存を不可能にする戯けた年間積算ベース1~5.2~100mSvなる数値を国際法も誰もその国と国民に強要できるはずもないのです。

蓋し、20年後、30年後の甲状腺癌が発病する確率的な危険性などよりも、文字通り、今日明日の命をつなぐための水と食糧、国民国家としての社会的機能の維持の方が遥かに重要なことは間違いないのではないでしょうか。(以上、転記終わり)    



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低線量被曝や中線量被曝の危険性に関する疫学的根拠は薄弱であり、まして、重回帰分析を経た放射線被曝と健康障害との間の疫学的因果関係は皆無といってよい。つまり、放射線被曝の危険性などは、

(甲)電力会社や国家というメジャーなプレーヤーが専ら放射性物質の管理責任者であり責任の追及が容易なこと、(乙)このことの裏面でもありますが、他の有象無象のリスクと比べて管理が容易であり、一応、国際的な監視網やアドバイザリー機関も整っていること、   


この(甲)(乙)がなければ、土台、それに対する反対運動さえ構築できない類の極めて「恵まれたリスク」と言える。蓋し、繰り返しになりますが、放射線被曝が危険とされるのは

それが他のリスクに比べてより管理可能性が高いからであり、
その危険性なるものに配慮しても国家社会が一応機能可能だからなのです。  



畢竟、世界人口は現在の69億人(2010年現在)から、国連の最も低い推計値でも25年後には85億人を突破するとされています。また、資本主義的な生態学的社会構造が地球規模で益々拡大深化することも確実。要は、エネルギー消費量の激増が確実視される世界の現状を鑑みるならば、原子力発電の推進が必然であることは自明でしょう。ましていわんや、エネルギー安全保障の観点から見た場合のエネルギー源の分散化、そして、近々の核武装を見据えた場合、原発推進しか日本には選択肢はあり得ない。

而して、いざとなれば、原発大国フランス等から電力を購入することもそう困難ではないドイツと日本を同列において比較するなど脱原発の為にする議論でしかない。また、帳簿上の発電能力を足し算して、かつ、燃料手当ての実現可能性とコストを等閑視して今すぐに原発を停止・全廃しても火力発電と水力発電で電力は供給できるとかの議論、あるいは、景気への影響と産業構造変換の具体的な施策をなんら提示することなく消費電力を減らせば原発を漸次停止・廃炉にできる等々と弁じる脱原発論もまた、「脱原発ありき」の為にする主張でしょう。

換言すれば、それは「原発=悪」あるいは「原発=必要悪」というそれ自体なんらの根拠もない文化帝国主義的な主張にすぎない。ならば、「原発誘致は札びらで原発建設地の住民の賛成を買ったものだ」などは「お宅何様」ものの失礼千万な言説であろうと思います。

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いずれにせよ、ドイツが脱原発に向かうのは勝手でしょう。しかし、「脱原発」のファンタジーなどは、その国民や旅行者が安心して国内でサラダくらい食べられるようにしてから言ったらどうだ。敷衍すれば、現在の所、本当の所は誰も分からない放射線被曝の危険性という人智の及ばない自然に隣接する領域にどう取り組むかはドイツの自由であるにせよ、まずは、人智の及ぶ領域内のことであろう腸管出血性大腸菌の対処をまずはちゃんとしてから世界に対してものを言え。と、そう私は思わないではありません。

確かに、死は誰にとっても大きな課題である。生命と健康のリスクは可能な限り抑えたいと思うのも自然。けれども、自然を前にしては人間の生命など<風の前の塵>でさえない。このことも真理。而して、『自省録』でマルクス帝はこう述べている「死は熟したオリーブの実が感謝しつつ枝から落ちていくようなものだ」「死を軽蔑してはならない、むしろそれがやってくるのに微笑みかけなさい。死もまた自然が願うことがらの一つなのだから」、と。蓋し、ここには、人智を超える自然と共存するしかない人間の有限性を自覚した叡智が語られている。

畢竟、人智を超えたグローバル化の潮流に直面している人間は、これまた人智を超える放射線被曝との共存、すなわち、原発との添い寝を続けるしかない。それがいかに不愉快な自画像であれ、その現実を看過する態度よりは、それを直視する態度が人間存在の有限性を自覚する中庸を得たものであろう。と、そう私は考えます。尚、この点に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

    
・放射線被曝の危険性論は霊感商法?
 -生き物たちも、そしてリスクたちも、できれば公正に扱ってあげたい
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60504829.html

・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html

・社会現象として現れるであろうすべての将来の原発問題への序説
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60454892.html

・魔女裁判としての放射線被曝危険論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60493326.html

・放射能の恐怖から解脱して内閣不信任案の可及的速やかな提出を!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60484515.html





(2011年06月11日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : ほっとけない原発震災
ジャンル : 政治・経済




Fukushima Shock を受けてドイツは原子力発電から撤退するとのこと。馬鹿げた選択だと思います。Fukushima を見定めて、例えば、サウジアラビアが大規模な原発建設に最終的に舵を取ったように、今まで五里霧中だった「原発リスク」なるものがより明確になった今こそ、人類史は原子力エネルギー開発の時代に突入することは必定。その過程で、それほど確たる科学的根拠の乏しかった「被曝許容値」なるものも大幅に引き上げられることもまた火を見るより明らかだと思いますから。

そういえば、観念的な人というのは観念の方に現実よりより強いリアリティーを感じるものなのですと、確か、京都大学の加藤新平先生か、網野善彦さんだったか、長尾龍一さんだったかに伺ったことがある。

蓋し、ドイツの選択は、喩えれば、地球が丸いことが明らかになりつつある時期に、「世界の果てで、ドイツの船舶が世界の谷底に落ちる危険を回避すべく、今後、新大陸に向かう民間航路はインド洋・太平洋を通る東側航路しか認めない」という法律を制定する愚に匹敵する。その馬鹿げた法律に、歓喜するドイツ国民とは何者なのか。蓋し、流石、「神聖」でも「ローマ」でもなく、まして、「帝国」ですらないと揶揄されながらも、800年以上の長きに亘って費用持ち出しでイタリアに駐留した神聖ローマ帝国の末裔ということか。

而して、地上には最早存在しない<ローマ帝国>の栄光に現実の国際関係よりも強いリアリティーを感じてきたドイツ人。所詮「この世に絶対の安全などなく、もし、あったとしても人間が社会的に生存していくためのコストにそれが見合わなければ、ほどほどに見積もったリスクと人類は添い寝していくしかない」という赤裸々な現実を看過して、人間が、よって、それが形成する国家権力が有限なる人間存在を超越する<自然>を制御できると考える<人間の万能感>や<権力の万能感>がいよいよ盛んなドイツの姿を見るにつけ私は、「観念的な人は、観念の方に現実よりより強いリアリティーを感じる」という命題の正しさを痛感せざるを得ません。

それとも、国際法の歴史の中でこれほど見事に「戦争責任」と「戦後責任」を果たした例はない日本とは違い、(冷戦の最前線に位置したという地政学的利点を奇貨として)第二次世界大戦の戦後処理を「ナチスドイツというならず者集団のユダヤ人に対する迫害」の一点豪華主義で済ましたことにしてきたドイツの偽善的なご都合主義とこれは通底しているのでしょうか。

畢竟、<自然>、就中、グローバル化の昂進著しい資本主義の拡大深化を前にしては脱原発政策などは塵に同じなのです。他方、福島どころか浜岡どころか、今後もし、一国を遥かに超える規模の原発事故が惹起した場合、現在の年間積算ベース1~100ミリシーベルトなる放射線被曝許容値など誰もどの国も守りようがない。

そのような事態においては、その数値にさしたる科学的根拠がない放射線被曝許容値は、忽ち、年間積算ベース2500ミリシーベルト程度に引き上げられることになるでしょうし、一国の国民の社会的生存を不可能にする戯けた年間積算ベース100ミリシーベルトなる数値を国際法も誰もその国と国民に強要できるはずもないのです。 
   
蓋し、20年後、30年後の甲状腺癌が発病する確率的な危険性などよりも、文字通り、今日明日の命をつなぐための水と食糧、国民国家としての社会的機能の維持の方が遥かに重要なことは間違いないでしょう。今、この瞬間にも10億を越える子供達が飢餓に瀕している世界の現状を想起するにつけ私にはそう思われる。而して、畢竟、化石燃料を補うものとして、原子力以外に当座有力なエネルギー源がないこともまた自明ではないでしょうか。

ならば、日本はドイツが脱原発の方に向かうこの隙に、いよいよ原発の推進に舵を取るべきである。と、そう私は考えています。尚、このイシューに関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。以下、ドイツの脱原発路線を俎上に載せたNews Weekの記事の転記紹介。

   
・放射線被曝の危険性論は霊感商法?
 -生き物たちも、そしてリスクたちも、できれば公正に扱ってあげたい
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60504829.html

・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html

・社会現象として現れるであろうすべての将来の原発問題への序説
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60454892.html

・魔女裁判としての放射線被曝危険論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60493326.html

・放射能の恐怖から解脱して内閣不信任案の可及的速やかな提出を!
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物理学者でもあるドイツのアンゲラ・メルケル首相は、普通の政治家より原子力発電のリスクを冷静に判断している。福島第一原発の事故の前後で、ドイツ国内の原発17基の危険性が変わったわけではないと分かっている。

しかし政治家としては、原発のリスク判断を変えざるを得なかった。メルケルは5月30日、早急な原発廃止を求める国民の要求に応え、国内のすべての原発を2022年まに全廃すると発表した。ドイツはこれで、1986年のチェルノブイリ原発事故後に国内すべての原子炉を停止したイタリア以降、先進国としては初めて、脱原発に向かう国となる。

ドイツでは現在、原子力が電力供給の約4分の1を占め、製造業が牽引する国の経済を支えてきた。その原発停止で失われる電力の大半は、風力や太陽光など再生可能エネルギーで代替していくという。

ドイツの試みは、クリーンエネルギーへの道を模索する世界にとって、極めて重要な「実験」になると専門家たちは指摘する。ドイツは既に、経済力を維持しながら「エコ国家」になることに成功している。そのペースについては激しい議論が行われてきたものの、クリーンエネルギーへの移行は政治的合意も取れている規定路線。国民の間でもクリーンエネルギーへの支持は大きく、原子力への不信感は昔から根強い。    

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◆インドや中国のエネルギー政策への試金石

そういった素地が整っているドイツが脱原発に失敗すれば、世界に悪いメッセージが示されることになると、ドイツ外交政策協会研究所のマルセル・ビートル(エネルギー・環境問題専門)は言う。

「(原子力から再生可能エネルギーへの)移行は可能だという先例と、その方法を示す歴史的なチャンスだ」とビートルは言う。「国家としての競争力を損なわず、経済成長の妨げにならずに実現することは可能なのか? 堅調な成長を減速させたくないと考える中国やインドなどの新興国にとっては重要な問題だ。もしわれわれが失敗したら、誰が同じ道を進もうとするだろう。失敗すれば世界レベルで悪影響をもたらす」

ドイツ国民の多くも、今回の試みを「賭け」だと思っている。メルケルにとって脱原発を宣言することは、これまでの政策を180度転換させる「大きな挑戦」だ。メルケルは昨年、既存原発の稼動年数を平均12年延長する決定を下したばかりだった。

現在のドイツは電力供給の約23%を原子力に頼っており、再生可能エネルギーは17%、石炭火力は50%、天然ガス火力は13%だ。今後の目標は、2020年までに再生可能エネルギーの比率を35%に引き上げること。移行期の原発停止による不足分は、天然ガス火力を増やすことで補う考えだ。

5月30日、メルケルはこの計画を「エネルギー革命」だと絶賛した。これは未来の世代にとって「大きなチャンス」であり、ドイツを国際舞台の主役に押し上げるだろうと彼女は語った。

全体的としては、ドイツは今後10年間での自然エネルギーへの移行計画に前向きなようだ。メルケルにとっては脱原発への路線変更になるが、彼女の前任者ゲアハルト・シュレーダー首相(当時)が2000年に打ち出した段階的な原発廃止計画に立ち返っただけともいえる。

「現実的で、実現可能な計画だ」と、ドイツ経済調査研究所のエネルギー・交通・環境部門を率いるクラウディア・ケムフェルトは言う。「多くの企業が同意した(シュレーダー時代の)脱原発路線に戻ることになる」

とはいえ、この計画を実現させるには、電力網の拡大や、電力の需給を自律的に調整できる送電網「スマートグリッド」の導入といったインフラの抜本的な見直しを迅速に行う必要があると、専門家は指摘する。風力などの発電施設を大量に新設する際に予想される「うちの近所には作るな」という反発にも備えなければならない。

当然ながら、電気料金が上昇する可能性への懸念も浮上している。新たなインフラと火力発電所を整備するために、一定の値上げが必要なことは、政府も認めている。    


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◆政治的動機に駆られた拙速な判断との批判も

問題は、電気料金の値上げがドイツ経済に与える影響だ。ドイツ経済は、自動車や機械といったドイツの代表的な工業製品を製造する巨大な工場に支えられており、膨大なエネルギーを必要としている。

政府はエネルギー需要の大きい業界に対し、電気代上昇の埋め合わせとして5億ユーロを拠出するとしているが、連立与党の一角をなす産業界寄りの自由民主党からはあまりに小規模な支援だと非難の声も上がっている。

自然エネルギーへの移行に長い時間と柔軟性を求めていた産業界は、2022年までに原発を全停止させるという杓子定規な計画に愕然としている。

ドイツ産業連盟のハンス・ペーター・カイテル会長は、政治的な都合で脱原発を急ぐ政府のやり方は、ドイツのエネルギー供給や温室効果ガスの削減目標、経済成長や雇用を危険にさらすと指摘する。「原子力利用の最終的かつ撤回不可能な終焉を、他に例を見ない拙速さで決めた背景に政治的な動機があるのは明らかだ。原発停止による電力の不足を石炭火力と天然火力の増加でまかなうため、地球温暖化防止の目標を達成することは一段と困難かつコスト高となる」

原子炉1基につき1日100万ユーロを稼ぎ出すドイツ国内の4つの電力会社にとっては、一連の流れは最悪の事態だ。彼らは政府に対する法的措置も検討している。

一方、脱原発の推進派は、自然エネルギーへの移行がドイツにとって大きなチャンスになる、という明るい未来を描いている。彼らに言わせれば、クリーンエネルギーこそ未来の姿であり、短期的なデメリットはあるとしても、早い時期に自然エネルギーに乗り換えるほうが経済的にプラスになるという。「リスクよりも経済的なチャンスのほうが大きい。今後10年間に行われる数千億ユーロ規模の投資がドイツに価値と雇用をもたらすからだ」と、ケムフェルトは言う。

ドイツ外交政策協会研究所のビートルも同じ意見だ。「ドイツ経済は新たな状況に適応しなければならないが、恐れる必要はない。新興企業が成功するかもしれないし、旧来の企業が形を変えて生まれ変わるかもしれないが、長い目で見れば産業界にプラスとなる決断だ」    

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/06/post-2123.php?page=1


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(2011年06月5日:yahoo版にアップロード)

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「退陣表明」を反故にした菅直人首相の言動に永田町界隈では憤激と軽蔑が浴びせ掛けられているようです。この問題自体は、しかし、民主党内のコミュニケーションの貧困さが露呈した極めて低レベルの争い。けれど、その帰結は、一国の宰相の印綬の行方を左右する笑い事ではすまない問題。また、私はこの<事件>は憲法基礎論からも興味深い問題と考えています。而して、「一国会一回限り」という一事不再議の原則も菅内閣不信任案に関しては適用されない、鴨。そう私は考えないでもないです。

菅首相の民主党代議士会での演説や所謂「菅-鳩山」会談のメモ(★)、これらを見るに、確かに菅氏は「総理を辞める」とは一言も言ってはいません。メモには、確かに、「辞任する」とも「退陣する」とも書かれていません。というか、もし仮に、菅氏が「辞める」と言っていたとしても彼がそれを撤回することが許されないわけでもない。もちろん、彼ならそれは余裕でしょうが、政治的責任に起因する相当程度の罵詈雑言を甘受する覚悟があればですけれども。

★註:「菅-鳩山」会談メモ
1、民主党を壊さない。
1、自民党政権に逆戻りさせない。
1、東日本大震災の復興ならびに被災者の救済に責任を持つ
 (1)復興基本法案の成立
 (2)2011年度第2次補正予算案の早期編成のめどを付ける


なぜならば、内閣総理大臣は、(a)衆議院の解散時期、(b)内閣不信任案が衆議院で可決された場合の対応(現行の日本国憲法69条に従い、内閣総辞職するか衆議院を解散するかの選択)、(c)閣僚等の政府高官人事の約束の履行や約束を「空手形」にすること、そして、(d)法案・予算案の審議のプライオリティーの決定等々に関しては<嘘>をついてよいことになっているから。要は、これらの「専権事項」については内閣総理大臣は単独で決定する権限を憲法から与えられており、つまり、彼や彼女が一旦約束したことを、彼や彼女が政治的責任を負う覚悟がある限り、いかようにも撤回・修正することは法的には可能なのです。

ならば(例えば、何時出て行かなくなるとも限らない、使用貸借(民法593条~600条)している他人の土地に大枚をはたいて豪邸を建てることが法的には無謀な行為であるのと同様)、内閣総理大臣がいつでも撤回・修正できるタイプの事柄について、内閣総理大臣の約束を信じ込む方が政治家としてはイノセントということ(換言すれば、政治家としては「お目出度い」あるいは「鳩山由紀夫的」ということ)にすぎないのです。


民法のカテゴリーを使って敷衍します。「菅氏が辞める」と思い込んで野党提出の不信任案に賛成するのを止めた民主党議員の行為は、それが民法の法律行為とすれば、錯誤による意思表示(95条)、あるいは、詐欺による意思表示(96条)として無効かどうか/取り消すことができるのかどうか。

また、「菅首相はすぐ辞めるのだから、一事不再議の原則から、この国会会期中はもう二度と内閣不信任案を審議できなくなるけど、「信任」ということでいいよね」と考えて不信任案に反対した民主党議員の行為は、心裡留保(93条)や虚偽表示(94条)ではないのか。もしそうであれば、その結果に関して、利害関係のある第三者(福島県浪江町や飯館村の避難者の方々を始めとする国民や野党議員)は、法的にクレームをつけることができるのかどうか。これら「瑕疵ある意思表示」(★)は、民法の基本中の基本の論点ではありますが、それらは、例えば、将棋における「相矢倉戦」定跡の如く基本だけれども奥が深いもの。蓋し、この思考実験は興味津々。閑話休題。

★註:瑕疵ある意思表示
近代法においては、原則、法律関係に変動を生じさせ得る法律行為は、意思表示を一人で十分に行なうことができる成人が、本心から意思表示を行なうことが必要です。而して、本心からなされたのではない意思表示を「瑕疵ある意思表示」と呼び、瑕疵ある意思表示に関しては法律関係の変動は生じないか、限定的にしか生じない仕組みになっています。そして、「本心からなされたのではない瑕疵ある意思表示」の典型が、上で隠喩として用いた、心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺による意思表示。整理しておくと、

①心裡留保(民法93条):冗談で意思表示をした場合
②虚偽表示(民法94条):実態と異なる虚偽の意思表示をした場合
③錯誤(民法95条):勘違いして意思表示をした場合
④詐欺・強迫(96条):騙されたり威されたりして意思表示した場合

而して、各々の場合の法律効果の有効/無効は、
①心裡留保:有効。但し、相手が知っていたか、知らないことに過失があった場合には無効
②虚偽表示:無効。但し、その事情を知らない善意の第三者は保護される
③錯誤:無効。但し、意思表示をした側に重大な過失があった場合には無効を主張できない
④詐欺・強迫:取り消し可能。但し、詐欺による意思表示の場合にはその事情を知らない善意の第三者には対抗できない。他方、強迫による意思表示の場合は事情を知らない善意の第三者にも対抗できる  



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さて、「菅-鳩山」会談の結果、菅首相が早期に退陣するものと思い込み、他の民主党議員に内閣不信任案に反対するように説得した鳩山由紀夫氏の行動をどう理解すればよいのか。それを鳩山氏は「錯誤」や「詐欺」による意思表示だったと主張できるのでしょうか。それとも、実は、今回の「菅首相の辞めるの辞めた事件」は菅氏と鳩山氏との「二人芝居=虚偽表示」なの、鴨。否、事件の真相は、菅氏が早期に退陣する気など毛頭ないことを鳩山氏も承知の上で騙された振り/勘違いした振りをした「片八百長=心裡留保」のケースなの、鴨。真相は藪の中。

けれども、一つハッキリしているのは、当たり前のことですが、菅氏や鳩山氏の言動で変化した事態は法律関係ではなく政治的状況ということです。「菅-鳩山」会談のメモは法的な意味での契約書ではないし、また、民主党代議士会での菅氏の演説と、内閣不信任案に対するその後の民主党議員の投票行動の関係は(例えば、売買契約の申込の誘因と申込の関係の如き)法的関係ではありません。畢竟、それらはすべて政治的文書であり政治的行為にすぎない。ならば、菅氏に騙された鳩山氏が愚かなのか騙した菅氏が悪辣なのか、菅氏に騙された振りをした鳩山氏が一番の厚顔無恥の宇宙人なのかという藪の中のことどもは、少なくとも法律問題にはなりようがないのです。

畢竟、「菅首相の辞めるの辞めた事件」は法ではなく政治が解決すべき問題である。より正確に言えば、憲法のルールに則った政治のゲームにおいて解決されるべき問題である。けれども、法的責任に比べて政治的責任が当事者たる人間実存にとって必ずしも軽いわけでもない。また、政治責任の<法廷>においては、厳密な立証手続などは必ずしも必要とはされない。つまり、菅氏が騙すつもりはなくとも、鳩山氏を始め多くの民主党議員が「騙された」と思っている事実だけで、最早、菅氏の政治責任は発生している。同様に、鳩山氏にも今後政治責任追求の火の粉がかからないとも限らない。その意味で、藪の中どころか蚊帳の中にも入らず、完璧なアリバイのある小澤一郎氏が、ミス・マープル的には最も悪い奴なの、鴨。

ということで、さて、どうなる民主党? そしてどうする自民党?



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自民党の今後の行動指針を考える上で、それこそ、ミス・マープル的に言えば一つ盲点があるのではないでしょうか。それは「一事不再議」のこと。確かに、将棋で「二歩」は絶対の反則。けれど、憲法のルールとしての「一事不再議」の原則は「二歩」のように絶対的の掟なのでしょうか。

ご存知のように、「一事不再議」の原則は旧憲法には明文規定(39条)がありましたが、現行の日本国憲法には明確な規定はありません。だから、あくまでも一事不再議の原則は現行憲法上は憲法慣習上のルールといえる。けれども、「一度議決した案件を同じ会期中に蒸し返すことが可能なら、審議は何時まで立っても終わらないよ」という誰も否定できそうにない常識にその合理性の根拠がある以上、一事不再議の原則を軽々しく無視することなどできはしないでしょう。畢竟、憲法慣習といえども<憲法体系>の正式なメンバーであり、軽々にそれを無視できるというものではありません。否、(判例の集積の中に具現するルールを含めれば)憲法の体系を構成しているルールの大部分は憲法慣習なのであり、どの国においても憲法典の明文規定などは<憲法体系>全体から見れば「氷山の一角」どころか「琵琶湖に風呂桶1杯」もないのです(★)。

★註:憲法の意味
機能論的に観察された場合、ある国内法体系の内部においては、あらゆる下位の法規にその法的効力を付与し、他方、下位法規の内容に指針を与え制約するという、最高の授権規範であり、かつ、最高の制限規範である「憲法」は、それが存在する規範形式に着目する場合、

(イ)形式的意味の憲法:『日本国憲法』とか "The Constitution of the United States of America" のように「憲法」という文字が法律の標題に含まれている憲法典。および、(ロ)実質的意味の憲法:「憲法」という文字が名称に含まれているかどうかは問わず、国家権力の所在ならびに正統性と正当性の根拠、権力行使のルール、すなわち、国家機関の責務と権限の範囲、ならびに、国民の権利と義務(あるいは臣民の分限)を定めるルールの両者によって構成されています。

すなわち、「憲法」とは、()法典としての「憲法典」に限定されるものではなく、()憲法の概念、()憲法の本性、そして、()憲法慣習によって構成されている。而して、()~()ともに「歴史的-論理的」な認識の編み物であり、その具体的内容は最終的には、今生きてある現存在としての国民の法意識(「何が法であるか」に関する国民の法的確信)が動態的に確定するもの。よって、それらは単にある諸個人がその願望を吐露したものではなく、社会学的観察と現象学的理解により記述可能な経験的で間主観的な規範体系なのです。もし、そうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して法的効力を帯びることなどあるはずもないでしょうから。    
   
尚、私が考える「憲法」の意味内容の詳細に関しては下記拙稿もご参照ください。


・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59308240.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html

・中川八洋「国民主権」批判論の検討(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60044583.html


けれども、民法で言えば、取り消すことが可能な詐欺紛いの菅氏の言動によって左右された内閣不信任案の否決であってみれば、あるいは、菅氏と鳩山氏の猿芝居、民法で言えば、無効である虚偽表示によってなされた内閣不信任案の否決であってみれば、今回のようなケースでは、その憲法慣習を破って、この国会の会期中にもう一度だけ内閣不信任案を審議することも憲法論的にも満更不可能ではないのではないか。もし、参議院で衆議院とは別の議決がなされるという条件が満たされるならば一事不再議のルールの修正も可能ではないか。要は、参議院で首相の問責決議案が可決されるという状況下では、一事不再議の原則はその内容の一部を修正可能なのではなかろうか。と、そう私は考えるのです。

なぜならば、それは現行の日本国憲法が規定している、「衆議院と参議院の議決内容が異なる場合の衆議院における再議決ルール」(59条2項)とパラレルなケースと考えるからです。蓋し、

◆憲法59条2項のケース

・衆議院の議決(A案)→参議院の議決(非A案)→衆議院の再議決(A案)→A案成立

◆今回の「瑕疵のある意思表示」類似の不信任案否決のケース

・衆議院の議決(不信任案否決)→参議院の議決(問責決議案可決)→衆議院の再議決   


而して、今回のケースが、()憲法慣習としての一事不再議の原則に関するものであること、()参議院の問責決議というこれはこれで高いハードルを設ければ「一度議決した案件を同じ会期中に蒸し返すことが可能なら、審議は何時まで立っても終わらないよ」という一事不再議のルールを必要とする弊害はまず生じないだろうこと。また、()主権者である国民の代表が構成する国権の最高機関たる国会が、政治的な必要性を鑑みて、内閣不信任案を一会期中に二度行なうことは、国民主権の原則に沿ったものであれその逆ではないだろうこと。尚、()土台、衆議院における不信任案と参議院における首相の問責決議案は、その内容を異にしており、憲法59条2項が厳密に適用される事態ではないこと。   

これらを鑑みれば、

私は、現行の日本国憲法の解釈において、一事不再議の原則は、将棋の「二歩」のルールほど固定的なものではなく、かつ、二度目の不信任案に際しては憲法59条2項が定める「三分の二」の多数は不要であり、単純過半数で内閣の信任不信任を衆議院は決し得ると解します。いずれにせよ、このケースは、新たな内容を憲法慣習に付け加える契機になり得る。と、そう私は考えています。







(2011年06月4日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 民主党
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◎給食におかず加わる=震災後初、子供笑顔に―宮城・南三陸

東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町の小、中学校に今月から、給食におかずが届いている。「おいしい」。子供たちは笑顔を見せながら頬張った。南三陸町によると、町では給食センターが津波で壊滅。小、中学校6校は震災後、パンと牛乳、デザートの簡易給食だったため、子供に必要な栄養の2~3割が不足していた。

おかずの供給は町の依頼を受けたNPO法人「ワールド・ビジョン・ジャパン」(東京)が協力。仙台市の食品会社が毎日約1100食分を作り、各校に届ける仕組みで1日から始まった。町立志津川小では2日、チキンカツとヒラタケ、ニンジンのごまあえといったおかずパックがパンと一緒に配られた。「何でも食べられるよ」。1年生の男の子は、カツとレタスをパンに挟み、大きな口を開けた。

各教室を回って様子を見た給食センターの栄養士高橋佳子さんは、メニュー作りに参加した。「野菜までこんなに食べてもらえるとは」とうっすら目に涙を浮かべていた。 

(時事通信 6月2日(木)15時32分配信)   




このニュースが配信されたのとほぼ同時刻、今日6月2日木曜日の「15時32分」前後に、
菅内閣不信任案が衆議院で否決されました。

確か、152票-293票の大差。

残念だけれども、正直、国会での議席差を考えれば当然のことではある。
というか、結果的には、これ「結果オーラィ♪」なの、鴨。

而して、自民党は、民主党内の<党内政局>とは無関係に、既定方針通り、
可及的速やかな菅内閣総辞職に向けて二の矢・三の矢を粛々と射続けて欲しい。

すなわち、

参議院での問責決議案の可決成立。
参議院での予算関連法案の吟味検証。
東日本大震災に対する政府の対応を検証する機関の国会内置と速やかな始動。
・・・ 


そう、やることは目白押しなんです。

だから、菅首相には<6月中の自発的退陣>しかもともと選択肢はなかった。
もちろん、解散総選挙という可能性も昨夜は「50-50」の蓋然性であった由。

そして、

菅首相が「内閣不信任案可決→衆議院の解散総選挙」に打って出てくれれば、
これは「想定外のラッキー」になったでしょうけれどもね。
(と、この点に関しての詳細は下記拙稿を参照ください)

・本来は反対すべき解散総選挙の可及的速やかな実施を求める
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60503534.html

・「海水注入中断」を巡る国会審議は見え透いた芝居-自民も民主もいいかげんにしろ!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60492539.html

・桶狭間で勝負できない自民党総裁は速やかに職を辞せ
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60478911.html



三陸鉄道萌m
三陸鉄道フィギュア




而して、菅内閣不信任案の否決は「結果オーラィ♪」なの、鴨。


実際、真面目な話、

もうご自分の歴史的役割の賞味期限が切れているにも係わらず、いまだに「成仏」できないでいる小澤一郎氏。要は、ご自分でも何を何のためにしているのか本当の所はもう分かっていないのではないかと推察する小澤一郎氏(ちなみに、そこが小澤一郎氏と、片や「一日でも長い政権の延命」という明確な目標のためだけに合理的に選択した行動を、そう、粛々と日本に実害を与える結果となるそんな行動を合目的的に実行しておられる菅直人氏との違いと言えば違いでしょうか)。

そんな小澤氏のことなど私的にはどうでもよいのですが、
問題は、鳩山由紀夫氏。

これまた真面目な話、

民主党の造反分子と合わせ業一本、あるいは、積算値ベースで、
不信任案賛成が過半数に達して菅内閣総辞職なんてことになって、

これは誹謗中傷ではなく、

精神異常どころではない性格異常の鳩山由紀夫氏に「結果的に借り」を作ることになったら、百歩譲っても鳩山由紀夫氏と自民党との間に「しがらみ」ができるようであれば、それは将来に禍根を残すことになりかねなかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、結果的にせよ、鳩山由紀夫氏との連携という構図は、「相手の飛車の居る方に自玉を動かす」「自玉の守りに打つべき虎の子の金将を、近々相手の質駒になる予感を感じつつ、手拍子の勢いで相手陣に打ち込むような」そんな嫌な感を私は覚えていました。



ということで、結果オーラィ♪
そうさそうさ、運も実力のうち!

そして、

だからこそ、自民党には民主党内の<党内政局>とは無関係に既定方針通り、
可及的速やかな菅内閣総辞職に向けて二の矢・三の矢を粛々と射続けて欲しい。

蓋し、朝日新聞等々からの「不信任案が否決されたのにまだ政局なのか!」
「復興よりも政権ですか?」等々の揶揄中傷など委細かまわず、歯牙にもかけず、
スピード感を持って、既定方針通り、二の矢・三の矢を粛々と射続けて欲しい。

実際、「何を言う朝日新聞!」です。

リーマンショックの際に、巷に失業者が溢れる緊迫感が漂う、
そんな100年に一度の金融危機の中で、「一刻も早い解散総選挙!」の実施を
執拗に麻生総理に要求したのは、誰あろう、朝日新聞だったのですから。

こういうのを、天に唾、ブーメランというのでしょうかね。



ということで、自民党には、既定方針通り、かつ、外野に騒ぎ出す猶予を与えぬ
スピード感を持って、二の矢・三の矢を粛々と射続けて欲しい。

なぜならば、

民主党政権は日本の政権の座にいてはいけないから。
民主党は政治に関与する適性を欠く人々の集まりでしょうから。    


と、このニュースを目にして、心底、そう思いました。

給食におかず加わる、震災後初、子供笑顔に・・・。
震災からもう3ヵ月近く経つと言うのに・・・。

と、このニュースを目にして、心底、そう感じたから。


頑張れ、自民党。
頑張れ、日本人。


共に闘わん。



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(2011年06月2日:yahoo版にアップロード)

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テーマ : 自民党
ジャンル : 政治・経済




2011年5月30日に出された、おそらく、実質的に最後となる「君が代訴訟」の最高裁判決。この判決を憲法訴訟論と国家論の交点で俎上に載せる記事を準備しています。而して、その記事に使用する資料がそれなりのボリュームになってきたので、「資料保存記事」を先にアップロードすることにしました。


◆報道各社の第一報で見る「国歌斉唱不起立訴訟」最高裁判決の概要

エッセイーのような毎日新聞の第一報はスルーして、
朝日新聞・読売新聞・産経新聞の第一報を紹介します。

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産経新聞の記事がもっとも詳細であり、かつ、客観的で好感の持てるものだと思いますが、このイシューでは、おそらく、日本でも最強の記者(小林篤子記者)を擁する読売新聞の第一報が、憲法論的な観点からは首一つ抜けていた、鴨。そう思いました。

ということで、憲法論的には今回の最高裁判決の<プロトタイプ>とも言うべき、2007年の最高裁「ピアノ伴奏拒否訴訟判決-君が代伴奏命令拒否処分合憲判決」の復習もかねて、下記拙稿で小林篤子記者の分析力をご堪能ください。

・<君が代伴奏命令拒否処分>合憲判決☆読売の一記者に負けた朝日
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60241870.html


しかし、憲法訴訟の報道記事は、どうも日本語で読んでも隔靴掻痒。「何が問題とされてきたのか、今回の最高裁判決はそれをどう解決したのか」が日本語では今一つはっきりしない節もなきにしもあらず。よって、共同通信の記事も紹介しておきます。実際、正直な所、どうせ日本の現行の憲法典はマッカーサー元帥に作っていただいたのだから、少なくとも、憲法典を巡る論議は英語で行なうようにした方がお互い効率的なの、鴨。


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上で「憲法典」という用語を使ったこともあり、このブログでも度々になりますが、「憲法の定義」に関する私の基本的な考えもここで確認させていただきたいと思います。要は、「憲法典がマッカーサー元帥からのプレゼントだとしても、日本の現行憲法、日本の実定法たる憲法体系の枢要な部分は必ずしもアメリカ製ではない」ということ。だから、上で書いたことも誤解がないようにリライトすれば、「現行の日本の憲法典=日本国憲法」を巡る解釈論に関しては護憲派も改憲派も、保守派もリベラル派も日本語よりは英語で、あるいは、日本語だけでなく英語でもその主張を述べるようにした方が、お互いに時間の節約になるのではないでしょうかということ。と、満更冗談抜きにそう私は考えなくもないです。

◎憲法の意味

機能論的に観察された場合、ある国内法体系の内部においては、あらゆる下位の法規にその法的効力を付与し、他方、下位法規の内容に指針を与え制約するという、最高の授権規範であり、かつ、最高の制限規範である「憲法」は、それが存在する規範形式に着目する場合、

(イ)形式的意味の憲法:『日本国憲法』とか "The Constitution of the United States of America" のように「憲法」という文字が法律の標題に含まれている憲法典。および、(ロ)実質的意味の憲法:「憲法」という文字が名称に含まれているかどうかは問わず、国家権力の所在ならびに正統性と正当性の根拠、権力行使のルール、すなわち、国家機関の責務と権限の範囲、ならびに、国民の権利と義務(あるいは臣民の分限)を定めるルールの両者によって構成されています。

すなわち、「憲法」とは、()法典としての「憲法典」に限定されるものではなく、()憲法の概念、()憲法の本性、そして、()憲法慣習によって構成されている。而して、()~()ともに「歴史的-論理的」な認識の編み物であり、その具体的内容は最終的には、今生きてある現存在としての国民の法意識(「何が法であるか」に関する国民の法的確信)が動態的に確定するもの。よって、それらは単にある諸個人がその願望を吐露したものではなく、社会学的観察と現象学的理解により記述可能な経験的で間主観的な規範体系なのです。もし、そうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して法的効力を帯びることなどあるはずもないでしょうから。   


尚、私が考える「憲法」の意味内容の詳細に関しては下記拙稿もご参照ください。

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59308240.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html

・中川八洋「国民主権」批判論の検討(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60044583.html



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◆生判決で読む「国歌斉唱不起立訴訟」最高裁判決の内容

憲法学に限らず、法学の学習は、まず第一に条文と判例を通して実定法としての法規範の内容を知ることです。要は、近い将来に生起/惹起するであろう事態がこの社会の中で法的にはどういう問題として理解されどのように処理されることになるのかということに関する具体的で豊富な知識の習得が法学の学習である。その観点からは基本書や参考書などはあくまでも二次的な<教材>であり、法文と判例こそが最重要な<教材>である。ということで、本物を読みましょう。

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尚、5月30日の「国歌斉唱不起立訴訟」最高裁判決の全文は、
下記抜粋画像下のURLでアクセス可能です。
 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110530164923.pdf




◆悔しさ滴る朝日新聞社説の支離滅裂と傲岸不遜

憲法訴訟に関して一通りの知識のある方なら、この朝日新聞の社説は今般の「生判決」の我田引水と誤解でしかないことが分かると思います。詳細は続編の本編記事で展開しますが、皆さんもご自分で「間違い探し」して見てください。楽しいです。文字通り、笑えますから。

尚、憲法訴訟論に関してはとりあえず下記拙稿をご一読いただくのが
「急がば廻れ」の早道かもしれません。

・公務員労組と公務員の政治活動を巡る憲法論(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59383691.html

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58930300.html


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◆国家雑感と定義の定義

本資料集の最後に、「国家」に関する雑感と、これまた度々になりますが「言葉の意味」ということ、蓋し、「言葉の意味の意味」や「定義の定義」について私見をまとめさせていただきます。要は、本稿の続編でもまた、「国家」は言うに及ばず、「民主主義」や「人権」、「憲法」や「主権」という極めて多義的な概念表象を扱う都合上、ある言葉をどのような意味に使用するべきかという語使用のルールのルール、定義の定義について予め確認させていただきたいのです。この点に関して私はこう考えています。


◎定義の定義

現在の英米流の分析哲学は「定義」という言葉には概略3個の意味があると考えます。すなわち、語を定義するという言語行為をは「辞書的定義」「規約定義」「事物定義=語の経験分析」の三者に区別されるということ。

要は、「その語彙は世間ではこのような意味で使用されてきた」という情報提供、「私はこの語彙をこれこれの意味で使用する」という宣言、そして、過去の経験に基づきその語彙を巡り人々が連想する事態や事物の範囲や属性、構造や機能に関する陳述の三者を「語の定義」と考えるのです。 
   
本稿の考察は、前二者の「辞書的定義」「規約定義」をも(その場合には都度明記するとして)適宜用いながら、基本的には、「事物定義=語の経験分析」を専ら使用して行ないます。   



そして、国家とは何か?


◎国家雑感

国家とはどこまでもどこまでも限りなく<私>が抱いている単なるイメージにすぎません。よって、それはイメージが投影される地点の変化に伴い自ずとその内容も変化するもの。例えば、ハンス・ケルゼンが喝破した如く、法学的に見られた場合の国家とは法体系そのもであり、他方、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』が描いたように、「歴史的-文化的」な観点からは国家とは伝統として恒常的に再構築される価値と規範の体系以外の何ものでもない。蓋し、国家とは<私>の意識に立ち現れる重層的かつ複眼的な観念的の表象なのだと思います。

重要なことは、<私>が抱く国家のイメージはフッサールの言う意味での間主観的なものだということ。そして、国家を巡る世の具体的な森羅万象は、そのような<私>の間主観的な国家のイメージを「消尽点:a vanishing point」とする遠近法的の構図の中でのみ理解可能な、各プレーヤーの織成す「演技:performance, Schauspielkunst」、すなわち、ウィトゲンシュタインの言う意味での一個の「言語ゲーム:a performance in Language Game, eine Schauspielkunst in Sprache-Spiel」である。

要は、「国家」は関係概念であり機能概念にすぎず、普遍的に妥当するような(つまり、「いつでもどこでもだれにでも、単一かつ同一の指示対象を提供する」ような)実体概念ではないということ。敷衍すれば、国家とは、<私>の主観とは独立に、かつ、他者の介在なしに単独で実在するものではない。よって、ヘーゲルの「絶対精神」なり「時代精神」、マルクスの「歴史の弁証法的発展の各歴史段階に実在する階級支配の関係」等々の実体概念としての国家観は哲学的に成り立たないのです。

蓋し、このような国家認識は、新カント派の認識論、および、現象学的や分析哲学的の世界認識と整合的であり、要は、現在の社会科学方法論の最大公約数的な理解であろうと思います。

而して、①唯心論的な観念性、②間主観性、③言語性、④関係性、⑤重層性-複眼性を帯びるものという国家認識と矛盾する国家の理解は(もちろん、「国家」という言葉でどのような対象や事象を指し示そうともそれはその論者の勝手であるにせよ、少なくとも、他の「補助線的認識」を伴わない単体の理解としては)、公共的な言説空間での議論において、就中、何らかの行動を国家に要求する議論においては説得力を持ち得ない。と、そう私は考えています。   



テーマ : 保守主義
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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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