▼石原知事「河野のバカが日韓関係ダメに」 慰安婦問題

東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、日本の官憲による慰安婦募集の強制性を認めた平成5年【1993年】の河野洋平官房長官(当時)による「河野談話」に関し、「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした」と批判。また、「ああいう貧しい時代には売春は非常に利益のある商売だった。貧しい人たちは仕方なしに、しかし決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」と述べ、強制性を否定した。

一方、「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長も同日、河野談話を「証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と批判。19年【2007年】の安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘し、「閣議決定と談話では天と地の差がある。韓国側が談話を根拠として主張するのは間違っている」と述べた。市役所内で記者団の質問に答えた。

(産経新聞・2012/08/25:下線部と【】内はKABUによるものです)


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蓋し、それが歴史的事実とは無縁なものであり、閣議決定されたものではなく時の官房長官の<私的な妄想>にすぎないという意味で、「河野談話」の荒唐無稽さは周知のことでしょう。加之、例えば、アメリカ連邦下院でなされた所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る反日決議(2007年7月31日)の根拠も煎じ詰めればこの「河野談話」につきており(要は、英米の刑事司法的な観点からは、「被告=日本政府」が<犯行>を認めている以上、特にそれ以上の証拠を提出する責務は「原告側=アメリカ下院」にはないわけですから)、「河野談話」が日本の国益を毀損してきた度合いは計り知れないものです。

更に言えば、(「振り込め詐欺」の被害者は往々にして何度も「振り込め詐欺」の餌食になりがちとはいえ、マクロ的には「虚偽の事実」に基づく「振り込め詐欺」を前提に安定したビジネスモデルを構築することは到底不可能であるのとパラレルに、朴正煕大統領閣下を除く、歴代の韓国の大統領が繰り返してきた所謂「従軍慰安婦」なるものを認め謝罪せよという「振り込め詐欺」に、これまた日本のほとんどの歴代の政権が引っかかってきた不名誉で不細工な現実はあるにせよ、)事実無根の虚偽を前提にして安定した外交などは土台構築できるはずもない。

ならば、これは綺麗事や皮肉ではなく、「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした」と石原都知事が喝破されている如く、実定国際法と確立した国際政治の慣習に則って編み上げられるべき、日本と韓国との外交の合理化・透明化・公平化を進める上でもこの「河野談話」が大きな障害になっている。と、そう私は考えます。まーもっとも、私自身は、支那・韓国・北朝鮮という特定アジア諸国と日本との関係は「政凍経冷」くらいがちょうどよいと思っていますから、この最後の点はどうでも良いことではあるのですけれども(笑)。

ことほど左様に、最早、「河野談話」の虚偽を放置しておくことはできない。もちろん、「安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘し、「閣議決定と談話では天と地の差がある」」という橋下大阪市長のコメントにもある通り、日本の国内法的には、安倍政権による閣議決定(2007年)によって「河野談話」は否定された。けれども、こと政治社会学的にはこの「河野談話」はその害毒をいまだに世界に撒き散らしている。このことは遺憾ながら否定できない日本を巡る国際政治の現実でしょう。

蓋し、再度記しますが、最早、「河野談話」の虚偽を放置しておくことはできない。而して、現在では談話のその害毒が法的なものではなく政治社会学的なものに移行してしまっている以上、「河野談話」を槓杆として回転している虚偽と反日の車輪を止めるには、その談話の主の河野洋平氏ご本人に、談話の事実関係の誤りを認めさせ、それがもたらした日本の国益への実害を謝罪させ、物理的に江ノ島海岸、あるいは、大磯ビーチか鎌倉の材木座の砂浜で腹を切らせるだけでは問題は解決しない。

畢竟、「河野談話」を槓杆とした害毒の再生産プロセスは、最早、その段階に進んでいると思います。ならば、この問題の解決は事実を日本政府が調べその結果を世界に向けて能動的に発信しない限り治癒されることはないのではないでしょうか。

而して、私は、先日、福島第一原子力発電所の事故拡大を決定的にした菅直人氏の不適切な言動を赤裸々に暴露した「国会の事故調査委員会」と同様に、現行憲法によって日本の国会に与えられた国政調査権の正式な発動として、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る「河野談話」の問題(具体的には、①いかにして、このような虚偽に基づく官房長官の私的妄想があたかも日本政府の認識であるかのように世界に向けて発信されたのか、加之、②その前後の歴史として、(「進出」と「侵略」を巡る「歴史教科書の書き換え」を巡る誤報と並んでこの問題に関しても!)朝日新聞の<誤報>がいかにして発信されたのか)を調査/調査結果の完全公開を行うべきではないかと考えます。すなわち、

・専門家の第三者機関を国会に作り
・事実の調査(その調査対象の中には河野氏/誤報を出した朝日新聞の当時の担当者の
 証人喚問は当然含まれるべきでしょう)
・結果を資料と共に日本語と英語で公表する


そして、この国会の調査委員会の報告を受けて、速やかに、日本政府は「河野談話」の荒唐無稽さを事実的な根拠を示して、2007年の安倍政権の閣議決定を再度確認するべきであろう。而して、その国会の調査委員会の調査費用は河野洋平氏に全額請求するべき、鴨。まー、神奈川県平塚市の彼のお屋敷を売ればそれくらいの費用は大丈夫ですよ。と、そう私は考えます。

蛇足ながら、朝日新聞の個別の報道を国政調査の対象にすることは、自然人たる個人の人権に比して相対的に副次的な権利内容しか認められない報道機関について、(ⅰ)それが事後的な国会による調査であり「検閲」に当たらないこと。また、(ⅱ)例えば、所謂「悪意理論」を紡ぎ出すことによって、ある不正確な報道がもたらした損害賠償責任について、その報道が「公人」についなされた場合には報道機関にとってより寛容に解した「ニューヨークタイムズ対サリヴァン事件:New York Times Co. v. Sullivan, 376 U.S. 254 (1964)」が名誉毀損に起因する損害賠償を巡るものであり本件とは事案を異にしており、(ⅲ)何より、副次的な表現の自由の受益者にすぎない報道機関が「第4の権力」と呼称される影響力を帯びていることに起因する社会的な責務を鑑みれば、朝日新聞の個別の報道を国会が俎上に載せることには現行憲法が規定する表現の自由の内容からも特に問題はないと考えます。

尚、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る私の基本的な理解については
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60931202.html

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60653178.html

・戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60939316.html


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【資料】


▼“慰安婦性奴隷説”を言い出したのは職業的反日日本人の男
▼捏造された慰安婦問題拡散のきっかけの1つが朝日新聞大誤報

慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。

東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について解説する。

* * *

慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して誕生する。吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。だが、『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。

この吉田の証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報をして、第1次慰安婦騒ぎが始まる。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」という大見出しを付けた記事は〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた〉というリードが付けられていた。

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いている点が吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった。なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」てはいないからだ。彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す)として売られたと訴状などで明言しているのだ。今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。

1992年1月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、これから調べるという驚くべき回答を得た。以上のような内容を私は同年4月号の月刊『文藝春秋』に書いた。

私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も嘘であることを暴いた。金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという結論を出した。

日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てこなかった。以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。


(SAPIO・2012年8月22・29日号)


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テーマ : 韓国について
ジャンル : 政治・経済




韓国大統領の竹島、ならびに、支那の反日活動家の尖閣諸島への不法入国。日本海と東シナ海の波も高くなっているようです。他方、日本のマスメディアの多くはこの期に及んでも「冷静な外交」「話し合いによる問題解決」という主張を感情的に繰り返している。否、それは「感情論」ですらなく、相互の武力行使や経済制裁、若しくは、文化交流の断絶は絶対にしてはならない等々の、(末法の世相に立ち向かうご自分の自画像に魅了されたナルシズムに起因するものでしょうか、)いずれにせよ、論理的と法理的の根拠を欠いた<信仰>に基づく念仏三昧の法悦の様相なの、鴨。

そんな四海の波浪高まる昨今、偶然に目にしたあるTVワイドショーを見ていて驚愕しました。番組のあるゲストが大凡、「領土の問題はナショナリズムを誘引しかねないやっかいな問題だけれど、いずれにせよ日本は憲法的に武力を使って竹島を取り戻すとか、尖閣諸島を巡って支那海軍と海上自衛隊が一戦を交えるとかいうことはできないのだから、どこまでも冷静に外交交渉の話し合いで解決するしかないのです」とのたまわれていたから。

驚愕したのは、そこに自称ではなく、一応、法律家のゲストも同席しておられたのに、この「自衛隊による竹島奪還は憲法違反」という主張に異議を述べられなかったことです。畢竟、「自衛隊による竹島奪還は憲法違反」という主張は憲法論的にも国際法的にも明確な間違い。蓋し、このような謬論が公共の電波に乗って垂れ流される事態は自称法律系ブログとしては看過できないもの、鴨。

ただ、本稿は「自衛隊による竹島奪還の合憲論」のその理路を詳らかにするものではなく、少し長目の「Facebookの呟き」にすぎません。「自衛隊による竹島奪還は憲法違反」ではないという点に関してチャート式参考書よろしく論点と理路を整理しただけのものであることはあらかじめお断りしておきます。而して、その論点と理路は、

・現行憲法を包摂する任意の近代主権国家の憲法は
 国家の存在を前提にした国家の最高法規である
・現行憲法を包摂する任意の近代主権国家の憲法は
「自衛権」を国家の自然権として包含している
・自国の領土の確保・奪還は「自衛権」が容認する/要請する
 国家の権力行使の中核的内容である
・竹島奪還は「自衛権」の正当な行使であり現行憲法が
 容認、否、要請さえしている事態と言える


竹島および尖閣諸島が日本国の領土であることが自明であり、加之、竹島と尖閣諸島が日本国の領土であることは現行憲法を頂点とする日本の法体系において微塵も疑義がない以上、竹島を武力によって奪還すること、および、日本の領土主権の侵害行為以外の何ものでもない支那による尖閣諸島を巡る挑発行為を武力でもって撃退することは日本による「自衛権」の正当な行使であり毫も憲法に違反するものではないのです。


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加之、過日、あるリベラル派の論者が、現行憲法には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書かれているではないですか、ならば、それが自衛権の正当な発動としても憲法が「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記している以上、自衛隊による竹島奪還等は憲法違反なんですよ。とかなんとか論じておられた。

蓋し、このような憲法解釈は憲法無効論並みの無知蒙昧の勇み足、すなわち、素人の憲法談義でしかありません。なぜならば、国際法において(よって、別段の定義規定がその憲法典自体に書かれていない限り、その国際法規範の意味内容でもって解釈されるべき、ある主観国家の憲法の安全保障条項の理解において)「国際紛争」には自国の自衛権の発動のケースは一切含まれることはないからです。

畢竟、政治社会学的な観点からは、自衛権のどのような発動もそれは間違いなく「国際紛争の解決手段」ではある。それは正しいでしょう。

けれども、自衛権が自然権(自然人に天賦された人権という意味ではなく、主権国家の事物の本性に鑑み経験的と論理的に、かつ、必然的に抽象・帰納、演繹・確定される権利である自然権)である限り、自衛権の行使を憲法典によって制限することはできず、かつ、ある実定法秩序(国内法体系)から見た場合のその武力行使の正当性の有無強弱はあくまでもそれが自衛権の行使と言えるか否かの判断にのみ依拠しているのです。

換言すれば、ある武力行使を自衛権の正当なる行使であるかどうかをある実定法秩序内部において定めうる権限を持つものは独りその武力行使を行う当該国家のみということです(尚、このイシューを巡る私の基本的な理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです)。

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137361486.html

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137373660.html


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而して、世界の国際法の通説・判例に基づいて「「国際紛争」には自国の自衛権の発動のケースは一切含まれることはない」と述べると、左翼・リベラル派の論者の中には、「そうなれば、どの国も自衛権を名目にしてどんな戦争も武力の行使も可能になる。ならば、現行憲法が「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた恒久平和の理想は瓦解するではないですか」と述べる方もおられる、鴨。

その通りなのです。土台、ある国が、その国内法の適正な手続きに従って、自衛権を名目に武力行使を行うことをその国の実定法秩序(≒日本の現行憲法をも包摂する任意のよってすべての主権国家の諸憲法を頂点とする諸国各々の国内法体系)において制約することなどできはしないということです。

些か敷衍しておけば、国際法的には、その自衛権行使が正当な自衛権の行使であったか否かは国際法の自衛権(≒正当防衛)の要件に従い判断されることになる。しかし、国際法においてその武力行使が自衛権の不当な行使であったと認定されたとしても、(国際法と国内法のその法的評価の齟齬は、主に、国際法上の自衛権行使の正当化要件の存否を巡る事実認定の違いに起因することになるのですけれども、急迫性と予想される損害の重大性等の正当化要件に該当する事実が存在したとして行使された武力に関して)国内法的には(憲法的には)その<竹島奪還>の正当性が阻却されることはないし、加之、国際法的にもその認定の法的効果として、自衛権の不当な行使を行った当該の国に対して「法的制裁」を課しうるかどうかは(その当該の国が自主的に制裁を受け入れるという希有のケースを除けば)現実の国際政治における力関係次第である。

ならば、「どの国も自衛権を名目にどんな戦争も武力の行使も可能になる。つまり、現行憲法が定めた恒久平和の理想は瓦解する」などの言説は、上記の理路に従えば、自分達のこれまでの憲法9条解釈の根拠が崩壊するがゆえに、そのような理路は認められないと言っているだけのもの、すなわち、それは無根拠な自己中的の妄想にすぎない。

畢竟、土台、たかだか日本一国の現行憲法の(それが憲法解釈論からは、憲法無効論並みの噴飯ものの謬論にすぎないとしても、その妄想からの)解釈内容が、国際法の自衛権概念や「国際紛争」の意味内容を規定できると考えること自体が素人ならではの身の程知らずの傲岸不遜である。と、そう私は考えます。


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最後に蛇足ながら補足しておけば、「冷静な対処」「冷静な外交」とは前稿(↓)で述べたように、

①当該主権国家の正当性と社会統合の中核であるナショナリズムに沿った、②実定国際法および確立した国際政治の慣習を踏まえた、③自国の国益を維持増進する対処であり外交でしかないでしょう。


而して、領土の維持・確保・奪還は国益の維持増進の基本中の基本であり、その目的のためには、日本は武力行使も辞さないことを明確なメッセージとして諸外国、就中、支那・韓国・北朝鮮という特定アジア諸国に向けて発信することは(結果的に、武力の行使を割愛する武力行使の程度を極小化せしめる外交的の副産物をもたらす可能性とともに)上記、①~③に適った施策ではないかと思います。

他方、「一切の武力行使は現行憲法違反である」とか「武力行使ではなく外交交渉で問題を解決する冷静さなるもの」を求める主張はそれこそ感情的な戯言にすぎないのです。

・「冷静な外交」とは無能な政府の無為無策のことか?
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11329910582.html


蓋し、(ⅰa)武力行使の準備を怠らず、(ⅰb)武力行使を日本は躊躇しないというメッセージを発信すること。(ⅱa)竹島と尖閣諸島の帰属を巡る歴史的と国際法的の経緯の調査、(ⅱb)所謂「従軍慰安婦」なるものの正体と、「従軍慰安婦=性奴隷」という赤裸々に事実無根の認識が世界で流布する原因となった朝日新聞の誤報、ならびに、河野談話が出された経緯の調査を国勢調査権に基づき国会/国会が指名する専門家委員会で、その調査結果の全面公開の前提に可及的速やかに行うこと。

(ⅲ)これら(ⅰ)(ⅱ)を行う覚悟と姿勢を日本語と英語で世界に向けて明日にでも発信すること。これらの施策は、(ⅳ)韓国への経済制裁、韓国との公的と私的な人的交流の禁止ならびに自粛要請、(ⅴ)特別永住権制度(在日韓国人の卑属に自動的に日本の永住権を与える制度)の即時廃止措置と並んで具体的にはさしあたり実施すべき「冷静な対処」「冷静な外交」のメニューではないでしょうか。


ちなみに、これらの施策によって韓国・支那とのビジネスで「損害」を受けたという企業・個人に関しては、ビジネス戦略にカントリーリスクをどう組み込むかはそれこそ自己責任が貫徹されるべき領域であり、なんらの公的補助も支援も不要であろうと思います。

尚、対特定アジア外交を巡る所謂「戦争責任論-戦後責任論」に関しての私の基本的な理解、要は、戦争指導者には(「敗戦責任」に起因する道義的責任を越える)法的責任は存在せず、また、少なくとも戦後生まれの日本人についてはその認識と行動を道徳的に縛る道義的責任さえも存在しようがないことについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。閑話休題。

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137340302.html


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いずれにせよ、「国家には永遠の友も永遠の敵も存在しない。存在するのは永遠の国益だけである」とは、宿敵フランスのナポレオン三世と手を握りながら英国の帝国主義的海外進出を押し進めた、大英帝国のその全盛期に首相を務めた「パーマストン子爵・ヘンリー・ジョン・テンプル:Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston」(1784-1865:首相在任1855-1858, 1859-1865)の名言です。

私は、現下の日米同盟のありさま、あるいは、ベトナムとアメリカの(同盟締結前夜と思しき)近時の友好関係の深化を想起するとき、このヘンリー・ジョン・テンプルの言葉の含蓄を反芻しています。けれども、彼等が「実定国際法と確立した国際政治の慣習」とは異質な<中華主義>を思想的に止揚できない限り、あるいは、その<中華主義>を肯定する日本国内の反日の左翼・リベラル派の影響力が潰えない限り、対特定アジア関係についてだけは、この国際政治を穿つ箴言の意味内容は以下の如く書き換えられるべきではないか。私はそう考えないではありません。

「日本には永遠の友は存在しないが永遠の敵-特定アジア諸国-は存在する。ならば、 
 永遠の国益を確保すべく、日本は、彼等に対しては他国よりも一層冷静な外交で臨むべきである。
 すなわち、武力行使も躊躇しない冷静な外交が対特定アジア諸国に対しては肝要である」、と。


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テーマ : 平和を願う
ジャンル : 政治・経済

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社会保障・税一体改革関連法案の早期成立、および、同法案が成立した場合「近いうち」に衆議院を解散して総選挙を行うことが合意された昨日の自民党・公明党・民主党の三党首会談を受けて、「近いうち」というのは一体いつ頃のことなのかを巡る憶測が国会の内外で喧しいようです。

蓋し、この憶測は言語学的には無意味なものであり、他方、政治的にはこの「近いうち」が意味を持つかどうかは今後の政局の磁場の中で決まる。いずれにせよ、自民党のコア支持者から見れば(小泉純一郎総理に喝を入れられたにせよ)「近いうち」の4文字を民主党政権から引き出したのは谷垣総裁の手柄であろう。けれども、自民党のコア支持者の立場からは、この「近いうち」の4文字が孕む政治的意義を最大限に引き出そうとすれば今秋の自民党総裁選挙を通して新しい総裁を選び「選挙の顔」といったお飾りなどではなくその新総裁を盛りたてて来るべき総選挙と来年の参議院選挙で自民党は中原に鹿を逐うべきなの、鴨。私はそう考えます。


▼首相「近いうちに信を問う」 民自公党首、会談で合意

野田佳彦首相(民主党代表)と自民党の谷垣禎一総裁は8日夜、国会内で会談し、消費増税関連法案の今国会成立で合意した。自民党が要求した衆院解散の確約について、首相は「近いうちに国民に信を問う」ことを確認。自民党の強硬路線への転換で混迷した消費増税関連法案は10日に参院本会議で可決、成立する見通しだ。ただ、解散時期について解釈が割れるのは確実で、混乱する可能性がある。


(朝日新聞・2012年8月8日23時31分


▼解散時期「近いうち」っていつ? 広がる憶測

野田首相は9日午後、長崎市内のホテルで記者会見し、自民、公明の両党首と「近いうちに国民に信を問う」と8日に合意したことについて、「(「近いうち」とは)それ以上でもそれ以下でもない。文字通りに受けとめていただきたい」と語った。


(読売新聞・2012年8月9日13時36分


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繰り返しになりますが、「近いうち」の言語学的意味、これを先ず俎上に載せておきます。例えば、普通、ビジネスでは「折り返し電話させます」というのは15分以内のこととされますが、「近いうち」の4文字を穴の開くほど睨もうがこの5「音節=モーラ」(ち/か/い/う/ち)を1万回唱えようが、三党の党首が合意した「いつ頃までに解散総選挙を実施する」のかは誰にもわからないでしょう。

要は、「近いうち」という事象は(「身長188センチ以上の男性と身長175センチ以上の女性の集合」などとは違い、他方、「背の高い人の集合」なるものとパラレルにある事象がある集合の要素であるか否かが一義的に定まるものではありません。よって、「近いうち」という事象は)数学で言う集合の要素ではない。加之、「近いうち」という表現は、ビジネスのコンテクストにおける「折り返し電話させます」とも違い、語の普通の用法からも政界における言語使用の慣習からも1カ月なり年内なりの実時間を指示することもないだろうからです。

敷衍すれば、「近いうち」とはニュートン力学的な意味での「均一に流れる時間の帯の中のある特定の線分の長さ」を示すものではなく、例えば、今国会中、次の秋の臨時国会冒頭や会期末(≒10月上旬や年末または年初)、来年の通常国会の冒頭等々、若しくは、衆議院の定数是正法案ならびに特例公債法案の可決成立時等々、マクダガートの言う意味での「ある事象の前後関係」として観念される<時間>と親和性のある言葉なの、鴨。

畢竟、言語学的には「近いうち」の意味は(自民党と民主党の力関係や党首間の相性、若しくは、秋の臨時国会冒頭や特例公債法案の可決成立直後等々)コンテクストに依存している。更に、この「近いうち」なる表現が今回の「三党合意破棄」も辞さないという民主党政権に対する自民党の不信感の惹起、ならびに、その不信の治癒と信頼関係の修復の結果、野田首相の口から出されたものであることを鑑みるに、自ずと「近いうち」の帯びる意味の「意味のストライクゾーン」は狭まってくる。すなわち、自民党を激怒させたもの(の少なくとも一つ)は次の事柄だった由。

▼首相、来年度予算編成に意欲

野田佳彦首相は1日、民主党最大の支持団体である連合の古賀伸明会長と官邸で会談し、政権の経済成長戦略の「日本再生戦略」に関して「試金石となるのが平成25年度予算編成だ。衆院任期中の最後の予算編成なので政治主導でしっかりやるべきだ」と述べ、25年度予算編成に意欲を示した。早期の衆院解散・総選挙に否定的な考えを示したとの見方も出そうだ。


(産経新聞・2012年 8月2日7時55分


つまり、三党合意(6月15日-6月21日)の前提は、

(ⅰ)自民党の谷垣総裁にとっては「平成25年度予算編成」(2012年11月~12月)の前には解散総選挙が行われることだったことは間違いない。而して、(ⅱ)確かに「国政選挙における1票の格差是正」と「赤字国債を可能にする特例公債法案」は(白黒はっきり言えば、それを成立させなければ衆議院の解散総選挙が断行できないというマストではないにせよ)解散総選挙の前に可決成立させる方がビューティフルではあろう。逆に、(ⅲ)(今般の消費税増税とリンクしている社会福祉制度の改革を1年の期限内に議論する機関としてその権限と構成が社会保障・税一体改革関連法案に規定されている、)社会保障制度改革国民会議の本格稼働前に解散総選挙が行われ次の政権の枠組みが固まることが望ましい・・・。


要は、次の総選挙では議席増が見込め政権奪還を期す自民党は一日も早い解散総選挙を望み、逆に、次の総選挙では壊滅的敗北がほぼ確実な民主党は一日でも遅い解散総選挙を希求するという<人情>の機微は置いておくとしても、上記(ⅰ)~(ⅲ)を鑑みれば、「近いうち」とは、

(Ⅰ)来年度予算編成作業の前(遅くとも2012年11月下旬)
(Ⅱ)衆議院の定数是正法案および特例公債法案の可決成立後(早ければ今国会末9月上旬)
(Ⅲ)社会保障制度改革国民会議の本格稼働前(早ければ2012年9月下旬)


のいずれか一つがクリアされた段階。常識的には2012年の10月~11月を意味していると思います。よって、9月に自民党と民主党とも総裁・代表選挙を行い、(顔ぶれは変わらないとしても、新しい任期に入ったという意味で)新しい執行部が登場して、社会福祉制度の改革を巡るビジョンを互いに国民に披露しつつ「10月解散→11月総選挙」というのが一番素直な「近いうち」の意味なの、鴨。


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けれども、別の観点から「近いうち」に対するこの言語学的なアプローチは無意味と言える、鴨。
すなわち、

(甲)現実の民主党内の政治情勢
(乙)首相の解散権の憲法的意味


(甲)民主党の国会議員のほぼ100%が早期の解散総選挙に反対であり、彼等は一日でも遅い(可能なら来年8月の任期一杯まで遅らせた)解散総選挙を望んでいるだろうこと。尚、この点に関しては下記拙稿および下記報道をご参照いただければ嬉しいです。

・三党合意破棄-三原じゅんこ参議院議員も心を固められたの、鴨
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11321292284.html


▼党首交代なら3党合意は無効 輿石氏

民主党の輿石東幹事長は9日の記者会見で、野田佳彦首相と谷垣禎一・自民党総裁、山口那津男・公明党代表による党首会談の合意に関し、9月の民主党代表選や自民党総裁選で党首が再選されなかった場合は無効になるとの認識を示した。また、解散時期に関し「すぐ解散できる状況ではない」と述べ、今国会中の解散はないとの認識を示した。特例公債法案や衆院選挙制度改革法案について「今国会中に結論を得ないと国民の理解を得られない」と述べ、解散前の成立の必要性を強調した。


(産経新聞・2012年 8月9日16時20分

蛇足ながら解題を付しておけば、公党間の約定はたとえその総裁・代表が代わったとしても当然のようには「無効」になることはない。よって、この報道が伝えているのは、民主党内世論の「早期の解散総選挙への恐怖」に他ならない。けれども、「近いうち」の解散総選挙を野田首相が断行することはそう容易ではないことだけは確かでしょう。


(乙)「近いうち」の意味が言語学的に確定できないもう一つの契機があります。それは首相の衆議院解散権の本性に起因するもの。すなわち、憲法論的に見て、解散権が首相の専権事項であり(それが国会の同意が不要という意味での)大権である限り、首相が一度約束した解散の時期を「やーめた」と変更することさえも憲法論的には許されるということ。その場合、現実的な問題は「嘘をついた」ことに対する首相の政治責任の帰趨ですが、それさえも首相の解散権を縛るものではない。

ならば、昨日の党首会談において谷垣氏が「近い将来」を「近いうち」にと変更させ、加之、「社会保障・税一体改革関連法案の成立後」とたがをはめたのは自民党総裁としては上出来と言える。要は、たとえ、具体的に「今国会中」とか「秋の臨時国会冒頭」の解散を文書で約束させたとしても、時の首相が世論の批判を覚悟の上で、例えば、「国難山積の現在、解散の約定を守ることは国益に反する」とかなんとか言ってその約束を反故にすることを誰も止めることなどできないのですから。


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それが専権事項である限り、首相はいつでも前言撤回可能なのです。ならば、野田首相が誠実な人物であろうと太った菅直人であろうと、首相の解散の約束などは信じる方がおかしい。よって、小泉純一郎総理が自民党の現執行部に喝を入れられた如く、野党は解散総選挙近しの空気を広げ解散風を吹かすしかない。そして、この政治的マヌーバーの運用に際して谷垣氏が野田首相から引き出した「近いうち」の4文字・5音節は極めて重要なアイテムになりうるだろう。けれど、このアイテムを有効利用するその手練手管や資質について谷垣氏が自民党総裁として適任とは私には思えないのです。

б(≧◇≦)ノ ・・・よくやった、谷垣さん!
б(≧◇≦)ノ ・・・あとは後進に総裁を譲りなさい!


畢竟、谷垣氏というか谷垣氏に象徴される良くも悪くも55年体制下の「保守本流」的なリーダーでは、現下のこの国難に対処しつつ自民党の第二期長期政権の扉を開くのは無理ではないか。だから、谷垣総裁には今の時代により適合した人物に「総裁の印綬」をバトンタッチしていただいた方がよいのではないか。

いずれにせよ、三党合意の大前提は①「2009マニフェストの破綻の確認」だったのであり、要は、②遠くない将来(来年度予算編成作業の前・衆議院の定数是正法案および特例公債法案の可決成立後・社会保障制度改革国民会議の本格稼働前)の衆議院の解散であったことを看過してなされる「自民党の強硬路線への転換で混迷した消費増税関連法案」(朝日新聞)等の自民党批判は片腹痛いの類でしょう。

而して、谷垣氏がその批判に対する反論を国民・有権者に適切に訴えたとは到底思えず、蓋し、この1点だけでも谷垣氏は闘う野党の領袖にはなり得ないと判断せざるを得ないのです。

再々になりますけれども、憲法論的には首相は「解散の約束」を反故にしても許される。けれども、解散の約定を反故にされることを覚悟の上で、自民党は都度、三党合意の大前提が①「2009マニフェストの破綻の確認」であり、②近いうちの解散であることを世間に知らしめ民主党を更に「遠心分離」させるべきである。この主張のどこが「政策より政局」なのかとも。自民党は正面からそう世論に説明すべきである。而して、次の総裁にその説明作業を私は切に期待しています。


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テーマ : 自民党
ジャンル : 政治・経済




▼女子の「草食化」が進行し始める 大学・高校生のセックス体験率低下

女子大学・高校生のセックス体験率が初めて低下に転じたと、日本性教育協会が調査結果を明らかにした。協会では、女子の「草食化」も進んでいるのではないかとみて、分析を進めている。「草食男子」と対をなすものとして、「肉食女子」ということが一時期盛んに言われた。ところが、そうした傾向の妥当性について疑問の余地が出てきた。

◆女子大学・高校生がそれぞれ14、6ポイント減
日本性教育協会では、1974年から6年ごとに青少年の性行動を調査している。今回は、2011年10月から12年2月に全国11地点で中学、高校、大学生約7700人を対象に調査を行ったところ、女子大学生の性交経験率が6年前の前回より14ポイント減って47%になった。また、女子高校生の場合も、前回より6ポイント減って24%だった。調査開始から経験率は上昇を続けており、今回初めて低下したことになる。

男子大学生・高校生は、前々回の1999年から低下傾向にあり、今回は、大学生が7ポイント減の54%、高校生が12ポイント減の15%とさらに低下している。一方、中学生の経験率は、女子が1ポイント増の5%、男子が横ばいの4%とあまり変わらなかった。また、キスの経験率は、男女とも大学・高校生で、今回初めて低下に転じている。

女子の性交経験率低下について、日本性教育協会の事務局では、「草食化」が進んでいる現れではないかとみている。分析結果については、性行動調査委員会委員長の片瀬一男東北学院大教授が、取材に対し、12年秋にも概略を報道発表し、13年3月に最終報告書をまとめたい考えを明らかにした。なお、調査結果そのものについては、事務局では、12年8月16日にホームページなどで報告するとしている。女子の草食化については、ネット上で、様々な意見が上がっている。

◆男子の率が減った影響、などと様々な見方
性交経験率が女子も低下に転じたことについて、草食化の可能性は否定できないものの、「男女の行為なんだから両方減るのは当たり前」と冷静にみる向きもある。

一方で、(1)女子も男子と同様に、ゲームやアニメなどを楽しむインドア派が増えている(2)青少年健全育成条例での摘発を恐れて(3)ネット普及によるマスコミの影響力低下(4)見栄を張るのはカッコ悪いと正直に回答するようになった、などといった指摘も出ていた。

女子のセックス離れを示す他のデータとしては、日本家族計画協会で2010年9月に行った調査で、16~19歳女性がセックスに「関心がない」「嫌悪している」と答えた割合が、2年前より11.6ポイント増えて58.5%になったことがある。こうした傾向について、地域医療振興協会ヘルスプロモーション研究センター長で医師の岩室紳也さんは、週刊ダイヤモンド12年3月24日号の記事で、「今の若者は生身の人と付き合うことに伴うストレスを恐れ、ゲームなどのバーチャルにはまる。その結果、セックスを回避する人が増えているのだろう」とコメントしている。

産婦人科医で赤枝六本木診療所院長の赤枝恒雄さんは、J-CASTニュースの取材に対し、経済状況が悪く懐が寒いため、男子が女子をデートになかなか誘えないことがあるのではないかとみる。「セックスは1人ではできませんからね。その代わり、オナニーグッズが飛ぶように売れていると聞きます」また、性感染症の怖さや妊娠リスクを訴え続けた結果、2001年ごろから10代の人工妊娠中絶が減少に転じ、それが性交経験率のデータにも現れてきたのではないかともしている。


(J-CASTニュース・2012年8月6日 19:59)


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【解題-女子高校生の性交経験率の推移】

引用した記事と同じ財団法人日本性教育協会の(より包括的な調査に基づく)『青少年性行動調査』によれば、女子高校生の性交経験率は、例えば、1993年-1999年-2005年の時期に、16%-24%-30%に達したとのこと。教育界では有名な「定点測定データ」である、東京都の高校教員有志による同様の調査結果も勘案して推測するに、この数値は2010年時点では間違いなく33.33%(要は、3人に一人)を越えているものと思われます。

よって、引用した記事が報じた財団法人日本性教育協会の新しい調査結果の統計学的の妥当性は現在のところ全くわかりませんけれど、この報道が事実とすれば、2011年現在では女子高校生の性交経験率は予想に反して30%弱になっているということでしょうか。而して、これはこれで考えさせられる傾向ではある。

尚、注意すべきは、元来、『青少年性行動調査』等々によってもすべからく、(a)女子高校生の性交経験率の数値や数値の変化率に都会と地方とではそれほど大きな差は見られないこと、(b)実は、統計データなど望むべきもない時代のことですが、室町時代や江戸時代とは言わず、明治中期と比べて、例えば、同じ「満17歳の未婚女性」を比較した場合、現在の2010年-2012年のその数値が必ずしも高いとは言えないだろうということです。加之、蛇足ながら、(c)日本のこの数値が(イスラーム圏等を除けば)欧米諸国といわずほとんどの後進国と比べても必ずしも高いとは言えないこと。


傍証を一つ。「愛人バンク」として1980年代前半の世の耳目を集めた「夕暮れ族」(吉行淳之介の『夕暮れまで』(1978年)に登場した中年男性と若い女性のカップルからきたネーミングとか、)が解消したのは、当該『夕暮れ族』の発起人・筒見待子氏の1983年の摘発逮捕を契機にしていますが、それもまた、1985年前後にそんな事柄が<前衛的な人々>の間では、「際物=ある企業の特定のサービス」でなく普通に世の中に拡散したことの裏面、鴨。ちょうどその頃、韓国でも「レモン族」とかのこれとパラレルな事象が問題になったとかならなかったとか。で、それから25年後の2010年前後の現在は・・・。

そう思えば、赤川次郎さんの「三毛猫ホームズ」シリーズで、同じく「学生の売春」を舞台装置に取り入れていても、「ホームズ嬢」のデビュー作、『推理』(1978年4月)、『犯罪学講座』(1991年5月)は「女子大生」が、そして、『四捨五入』(1997年12月)では「女子高生」がそのプレーヤーであることはこの間の、1990年前後に、中高生の意識の変化というか断絶を赤川さんが感じたのが遠因、鴨。と、そう私は考えなくもないです。

蛇足ながら、赤川さんの『死者の学園祭』(1977年6月)では<性交渉>は主人公の高校生活には表だっては現れない。また、作家としての赤川さんのデビュー作にして「幽霊シリーズ」の巻頭を飾る『幽霊列車』(1976年)以来、ヒロインの女子大生と相棒である中年の警視庁の刑事の関係は、あくまでも、「恋人関係」であり「不倫関係」、すまり、「愛人関係」ではない。この人物設定もまた、今から見れば今一つ「小説にしてはおとなしい関係」のようでもあり、それも時代性のなせる技なの、鴨。

<参考記事>
・新版☆AVとは何か? AVを通して日本の今を考える
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/03d0747f3deadee2689572c7f313e0e2


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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済





▼女性指導者を30%以上に=自民

自民党は3日の総務会で、「女性が暮らしやすい国はみんなにとっていい国だ」特命委員会(小池百合子委員長)の中間報告を了承した。2020年までに日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にすることが柱。同党は次期衆院選公約に30%目標を盛り込む方針だ。

中間報告では目標達成のため、政府などによる物品調達の際、女性管理職が多い企業などが落札しやすくする法案の提出を明記。女性議員や女性候補が少ない政党の政党交付金を減額する政党助成法改正なども盛り込んだ。

特命委の片山さつき幹事長は記者会見で「一昔前の自民党ならこんな提案は総務会を通らなかった」と、自民党の「変化」を強調した。


(時事通信・2012/08/03


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この自民党の方針案に私は「総論賛成-各論の賛否保留」です。
私は何を言いたいのか? それは次のこと、

第一に、(甲)ジョン・ロールズの<正義の法則>(つまり、「その社会の最弱者の福祉の度合いが奈辺にあるかが、ある社会で正義がいかほど具現されているかの指標である」)の如き、謂わば「はめ手=一見直観的に正しと感じられるが、その主張自体に大した根拠は存在しない欺瞞に満ちた言説」とこの「女性が暮らしやすい国はみんなにとっていい国だ」とはパラレルと感じられること。

蓋し、「女性が暮らしやすい国はみんなにとっていい国だ」と同型のロジック、すなわち、「障害者が暮らしやすい国は健常者を含むみんなにとっていい国だ」とはバリアフリー化推進の際に人口に膾炙した<ロジック>だったけれど、例えば、限られた駅構内のスペースにエスカレーターやエレベーターを設置する等々のバリアフリー化に伴い極論すればすべての利用者の利便性と安全性が少なからず毀損された事例は誰しも容易に指摘できるでしょう。

まして、それらの手当に要するコストのコストパフォーマンスを想起するとき、少なくとも、そのパフォーマンスが算定される時間軸を18年や30年ではなく8年や13年の比較的短い納期で見るとき、当然のようには「障害者が暮らしやすい国は健常者を含むみんなにとっていい国だ」とは言えないと私は考えるのです。

次に、(乙)現在(所謂「ガラスの天井」現象を含め)日本社会の指導的地位に占める女性の割合が30%どころではない低い水準にあり、現在の状況が続いてもその比率は「単純に再生産」されるに止まるだろうと予測されるとしても、その数値を「法律-政策」によって人為的かつ積極的に改善する権限、そのような「積極的な政策的措置=アファーマティブアクション」を、しかも、民間企業に対しても課す権限を現行憲法が政府に認めているとは解せないのです。

アメリカにおいてもアファーマティブアクションを正当化する憲法解釈は、すなわち、1960年代後半から1980年代初頭にかけて猖獗を極めた「公民権運動を擁護する一連の連邦最高裁判決」も現在では大幅に修正されるに至っており、加之、これら一群の「恣意的な連邦最高裁諸判決」がその主張を補強するために弄んだ「ステーッアクション=民間企業の行動も、その民間企業が連邦政府あるいは州政府から補助金を受け、若しくは、その当該企業の売り上げや仕入れのかなりの部分が連邦政府あるいは州政府との取引が占めている等の場合には、公的な色彩を帯び、よって、憲法の人権規定の制約に服する」という法理が、元来、連邦制の調整原理(連邦政府と州政府との権限の調整原理)として発展してきたアメリカ憲法史を紐解くとき、天壌無窮、皇孫統べる豊葦原瑞穂之国の我が国の憲法解釈とは土台(無関係とまでは言わないけれど)異質なものであることは自明であろうと思うのです。


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第三に、(丙)女性の社会進出という表層ではなく、「社会の指導的地位に占める女性の割合」を見た場合、1989年-1991年まで存在した所謂「社会主義諸国」とこの数値は社会学的には無関係と言える。

例えば、旧ソ連では、民事・刑事の裁判官に占める女性の比率、あるいは、考古学や博物学や数学に占める女性研究者の比率は極めて高かったとされる。それはなぜか? それは健全な野心のある才能豊かな男性の法律家や研究者は共産党内部の「出世=社会階層移動」に有利な道に進むのに対して「ガラスの天井」どころか「鉄の天井」によってそのような社会的影響力を帯びうる道に進めない有為の女性は比較的地味な職域である民事・刑事の裁判官、若しくは、研究者の道に進まざるを得なかったからと言われています。

他方、労働による生産と労働力の再生産の性差分業を批判した(マルクスおよび)エンゲルスを嚆矢とするマルクス主義からのフェミニズムは、しかし、(上野千鶴子『家父長制と資本制』(岩波書店・1990年)がその鼎立の様子をビビッドにデッサンしているのですが、)これまた1960年代から1980年代にかけての、モダン思想からの男女同権論・マルクス主義からのフェミニズム・マルクス主義フェミニズムの巴論戦において明らかにされた如く基本的には、資本主義社会における性差分業の不正義は、生産と分配の不正義が解決されれば自ずと解消される類の派生的問題にすぎないと牧歌的に考えていたであろうこと。

要は、社会思想史における言葉の正確な意味でのマルクス以降の「社会主義-共産主義」と「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にする」という主張は無関係であると言えると思います。畢竟、「朝日新聞の主張と逆のことをやれば日本はまず間違いはない」という<歴史法則>ほどではないにせよ、「左翼・リベラル派の主張と逆のことを唱えれば保守派はまず間違うことはない」という<経験則>が一定程度正しいとしても、「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にする」という主張自体は左翼・リベラル派の専売特許ではないかもしれないのです。


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これら(甲)~(丙)の三者を前提にするとき、この自民党の新方針を巡って熟慮すべき、
保守主義にとっての問題は徹頭徹尾、

(ⅰ)人材と人員の適材適所的配置による社会的価値創造のパフォーマンスの向上、および、
(ⅱ)人材と人員の適材適所的配置をよりよく改めることによるこの社会に対する信頼感の維持向上のためにこの新方針が「黒猫にせよ白猫にせよネズミを捕る良い猫」でであるかどうかであろう。

而して、(ⅲ)これら(ⅰ)(ⅱ)を具現する上では(逆に言えば「何をもって適材であり何をもって適所であるかを定める基準」として)短期的ではなく少なくとも三世代に亘る生活と生活スタイルの安定が考慮されるべきであり、加之、(ⅳ)その生活と生活スタイルとは各人にとって伝統と文化の結節点である<故郷>や<地元>という共同体、および、日本の文化伝統という<政治的神話>との親和性が極めて重要でないはずはない。


と、そう私は考えます。要は、「男女の性差やジェンダーによる社会的役割分担」の存在は、それが存在すること自体別にアプリオリに否定され批判されるべきものではないということです。その妥当性はあくまでも上記(ⅰ)~(ⅳ)の観点から比較衡量の手続きによって、かつ、時代時代の状況を睨んで確定されるしかないとも。これらを鑑みるに、再度記せば、私はこの自民党の方針案に対して「総論賛成-各論の賛否保留」なのです。

なぜならば、(a)「産む性」と「産まない性」の性差を見据えた場合でさえ、農業・製造業を含めすべての産業が、ある意味、情報化産業化しつつある現在の日本の社会において生産と再生産の分業の分断ラインも変動せざるを得ず、これまで性差に起因するとされてきた事柄のある部分がジェンダーにすぎないとされる余地は、少なくとも、一般論としては否定できないから。

このことは、30年近く前のアメリカを訪れた日本人の少なからずが衝撃を受けた性差分断線の彼我の違いが(例えば、当時、日本ではトラックやタクシードライバーくらいしかなかった「男の職種への女性の進出」が、道路工事や屋外電線工事や軍の下級兵士に至るまで、しかも、アフリカ系のみならずコケージアンの多くの女性が担っていた事実が)、2012年現在の日本では普通の風景になったことを想起すれば思い半ばにすぎるのではないでしょうか。

而して、(b)量は質に転化する。蓋し、「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にする」という方針が、例えば、「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を50%にする」というものであれば、それは性差と現代においても妥当なジェンダーを看過した支那の「文化大革命」なみの暴論であるにせよ、(もっとも、では「なぜ25%ではなく33%でもなく30%なのか」という点に関しては、誰も正解は持ち得ない事柄でしょうけれども)「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にする」という目標設定は上記(ⅰ)~(ⅳ)を鑑みるに保守主義から見てもまずまず妥当なものではないかと私は考えるのです。

要は、「ガラスの天井」(あるいは、「絹の天井」とも呼ぶべき日本的な制約)によって少なからず封じられている女性の社会的活動の現状は、2012年の現在のこの社会において「社会的に妥当な生産と再生産の性差分業-社会的に妥当なジェンダーの規範内容に補強された性差役割分配」であるとは上記(ⅰ)~(ⅳ)を鑑みるに保守主義から見ても言えないの、鴨。

つまり、優秀で有為の女性を排除することによってアホでさもしい菅直人氏の如き男性が「日本社会の指導的地位」を占める弊害は打破されなければならない。なにより、我が国は天照大神・神功皇后・推古天皇・持統天皇以来、実は<女でもってきた国>なのでしょうから。


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けれども、(c)冒頭に書き記した如く、①「日本社会の指導的地位に占める女性の割合を30%以上にする」ことを国会の立法と行政指導によって実現すること。就中、②その納期を「2020年まで」とすることには私は危惧を覚える。

なぜならば、①'前者は現行憲法違反の可能性を払拭できないからであり、②'後者に関しては、例えば、官公庁や大企業や政党はよいとして、中小企業およびベンチャーに対しては(女性を指導的な立場に抜擢するという美辞麗句によって従業員の賃金を引き下げる等の容易に考えられる弊害はまだ可愛い(?)マイナスの副産物としても)採用コストを含む人件費の不確定化、否、適材適所の人材のミスマッチに起因するジョブマーケットにおける枯渇、労働力の更なる流動化の昂進にともなう労使双方の経営と生活の不安定化を予想するからです。

要は、この自民党の新方針の提言は保守主義と矛盾するものではないけれど、それを2020年までに、かつ、民間企業にまで射程に入れて具現しようということは「拙速」「杜撰」「妄想」の6文字ではなかろうか。ならば、2020年までに実現するのは「政党助成金を受け取る政党と官公庁」に止め、民間企業に関してはその総論を具現すべき施策各論はゼロベースから再考するべきであろう。と、そう私は考えます。

尚、マルクス主義フェミニズムがこれまた「はめ手」の類にすぎない経緯については
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・完全攻略夫婦別姓論要綱-マルクス主義フェミニズムの構造と射程
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139315810.html

・妻の姓名乗る「女姓婚」増加、あるいは、「専業主婦」減少の意味
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139303896.html

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html


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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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