◆裁判員制度:Jury System vs. Lay Judge System

裁判員制度は2009年5月21日に施行された「裁判所たる裁判官に「素人」を組み込む新たな「裁判官」の編成ルール」です。それは、①殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪等々の重大な犯罪を対象に2009年5月21日以降に起訴された、②地方裁判所で審理される刑事事件について、③裁判員(lay judges)とプロフェショナルな裁判官とが「裁判所たる裁判官グループ」を構成し、④裁判員は裁判官の指導助言を受けながらも、⑤有罪・無罪のみならず(有罪と判断された場合には)量刑をも合議で決する制度。

裁判員制度に我々は何を期待し何を期待すべきではないのか。結論から先に記せば、本編記事でも述べたように、私は裁判員制度や被害者の訴訟参加等々の最近の一連の刑事司法改革の眼目は、(少年・外国人・精神障害者による犯罪を含め単なる「厳罰化」の推進ではなく)、<市民の常識=社会の報復感情>の刑事司法への流し込みであり、刑事司法における「応報刑思想」の具現(to incarnate)、換言すれば<応報刑思想の逆襲>ではないかと考えています。

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裁判員制度の整理と評価。ご存知の方も多いと思いますが、素人が裁判に参画する所謂「陪審制:Jury System」や「参審制:Schöffengericht」は、その非効率性と下される判断の合理性に対する不信から現在ではその本家の英国では著しく、また、アメリカ・ドイツ・フランスでも漸次衰退しつつあります。けれども、裁判員裁判(lay judge trial)を通して<市民の常識>を司法に導入するという試みは、(「犯罪が生起するのは社会の歪みが原因」とばかりに被疑者・被告人の権利の擁護に熱心な戦後民主主義を信奉する勢力が牛耳ってきたこの国の刑事司法に対して、例えば、「厳罰化」、あるいは、少年事件裁判への被害者参加と知る権利の一層の保障を求めてきた)世論に沿った制度改革ではあろうと思います。

畢竟、「どの社会にもどの時代にも妥当する最適な制度」などは刑事司法のみならず選挙制度・国籍付与制度・税制等々どのような法域においても存在しないでしょう。而して、(明治初期のボワソナードの建議を端緒とする)戦前に施行されていた陪審制度が「多額の訴訟費用負担」「陪審裁判を経た判決の控訴禁止」「同輩の者達からの審理を嫌う情緒風潮」等の理由から陪審裁判を辞退する被告人が続出した反省を踏まえ、更には、現在、英米の陪審制に投げかけられている批判点、例えば、

(ⅰ)陪審による決定には(コモンロー上)、全員一致、少なくとも12人中の10人程度の多数での評決が必要とされてきたことにより、真の犯罪者にも無罪の評決が下されかねない

(ⅱ)法律の素人である陪審員だけでなされる陪審では、(法律上、陪審員もその教示に従わなければならない)専門裁判官が行なう法律に関する説明(instruction; charge)が理解できない陪審員によって、法的には無意味で非効率な討議がなされる傾向がある

(ⅲ)仕事で忙しい相対的に知識水準の高い市民ほど陪審員を辞退する傾向があり、陪審員の知的水準は漸次低下する傾向がありはしないか

(ⅳ)社会の工業化と情報化の昂進にともない、事実認定においても素人の陪審員が適切に判断しえない事例が増えてきた(特に、19世紀以降、民事陪審裁判の対象を漸次縮小してきた英国とは違い、連邦憲法と各州の憲法で、原則、ほとんどの民事事件に対して陪審裁判を受ける権利が保障されているアメリカではこの弊害は特に大きく、実際、アメリカでも「わけの分かっていない陪審員」による審判を嫌い、民事事件の双方当事者がともに陪審裁判を受ける権利を放棄する傾向が顕著!)


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これら英米の陪審制が抱えてきた問題点を鑑み、今次の裁判員制度は、(1)裁判員裁判の対象を重大な刑事事件に限定して裁判員・裁判員候補となる市民の負担を極小化した。また、(2)(コモンロー上の権利は地域社会のメンバーが主体となって守るべきだという、我々保守派にとって好ましい原理に英米の陪審員制度は根ざしてはいるものの、土台、英米流のコモンローを継受したわけではないこの社会にあっては)専門の裁判官と素人の裁判員が合議するドイツ・フランス型の「参審制」を導入することが、おそらく、現実的かつ妥当だった。いずれにせよ、この制度雛形の選択によって素人の暴走は制御可能になった。更に、(3)合議の議決は単純多数決によるものとし裁判員裁判の効率と適正さを担保しつつ、(4)原則、裁判員候補はその職務を辞退できないとした。蓋し、これらはすべて賢い制度設計ではなかったかと思います。

繰り返しになりますが、蓋し、裁判員制度の目的は一般的な<市民>の法感情を公的に刑事司法に導入することと言えるでしょう。ならば、裁判員裁判の対象事件に少年審判事件が含まれなかった等些か不満は残るものの、<社会の報復感情>を刑事司法に導入可能な制度が始動したことは評価に値する。そう私は考えています。尚、裁判員制度の実際の運用に関しては下記のURLをご参照ください。

・裁判員の参加する刑事裁判に関する法律全文
 http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/02.pdf

・裁判員の参加する刑事裁判に関する規則
 http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/27.pdf



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◆精神障害者の犯罪について-触法精神障害者とは何か?

精神障害者や心神喪失・心神耗弱の犯罪行為はなぜ刑を免除・減刑されるのか? 
これは法理的にはそう難しくはありません。

①刑罰を科すことを国家が正当化するためには、その犯罪行為が「道義的非難」に値するものでなければならない、②ところが、自分の行為やその行為の結果の意味(=実害の存在と大きさ、法が破られたことに対して社会が受けるショックの内容と度合)を認識できない者には、そもそも、「道義的非難」を加えることはできない。

③個々の事例について「道義的非難の可能性」の有無や度合いを検討することは(不謹慎な言い方ではなく真面目な話し)面倒、あるいは、不可能もしくは極めて困難。④加之、個々の事例について「道義的非難の可能性」の有無や度合いを検討することには裁判所たる裁判官の恣意が混入する危惧があり、よって、法律で「道義的非難の可能性」を事前に類型化することには人権保障の点でも意味がある。

⑤ここに言う「精神障害者」が自分の行為とその行為の結果の意味を認識できないタイプの人であると、間主観的に認定されるのであれば、⑥心神耗弱・心神喪失の者の犯罪行為とパラレルにそのような「精神障害者」の犯罪行為もまた「減免もしくは免除」されるべきである、と。

尚、本編記事で触れた「近代学派」の法制度や刑法理論では、(そこでは行為者の危険性こそが重要ですから、ある意味)「病気のように犯罪を繰り返す」タイプの精神障害者に対しては、①~⑥の理路とは逆に一般通常人よりも遥かに重い「刑罰=社会的隔離措置」が採られることになりかねません。


注意すべきは、(Ⅰ)全体的に精神障害者はそうでないとされる人々(理念型の「一般通常人」)よりも犯罪率はかなり低いこと(要は、犯罪を行う人間が異常者なら一般人が遥かに異常であること)、(Ⅱ)あるタイプの精神障害者はそれこそ「病気のように」犯罪を繰り返すこと、です。

蓋し、精神障害者の犯罪について刑の免除や減刑を考える場合、精神障害者による犯罪を巡るこれら(Ⅰ)(Ⅱ)を踏まえないでする粗雑な議論は不毛である。否、このイシューに関するそのような粗雑な議論は単なる精神障害者差別論にすぎない。そう私は考えています。而して、これまでの説明に加えて更に「補助線」を五つ措定します。

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(ⅰ)加害者がどんなタイプの人間であれ社会は不条理な犯罪を許せないと感じる

(ⅱ)ある凶悪犯罪に関してその加害者が、「日頃の行いから見てもいかにもそのような事件を起こしそうだ」と素人が感じるタイプの人物であれば彼や彼女の犯罪行為に対する社会の憤激の度合いはそうでない場合に比べて大きい

(ⅲ)刑事政策の施策も刑事法の運用も時代時代の科学技術の水準を前提にせざるを得ない。そして、現在の犯罪心理学的知見によれば、日本も含む現在の先進国の社会は、大まかに、(a)病気のように犯罪を繰り返す極少数の精神障害者と(b)一般通常人よりも犯罪率の低い大多数の精神障害者、そして、(c)一般通常人(より正確には、非[a+b]の人々)の三つの(理念型の)グループにより構成されていると看做される

(ⅳ)ただし、現実には、初犯に到るまでの(a)と(b)、同じく初犯に到るまでの(b)と(c)の区別を間主観的に行なうことは、(その識別手法の選択に際して人権への配慮は度外視したとしても、まして、人権と両立可能な手法によるものとしては)技術的・コスト的に困難である。

(ⅴ)刑期満了後の就労機会の乏しさ/犯罪者コミュニティー以外の<知人>の乏しさ等の社会経済的要因は無視できず、累犯の場合でさえ、(a)と(b)、そして、(b)と(c)の区別は容易ではない。要は、(a)(b)(c)などはあくまでも理念型の「表象形象-観念形象」に過ぎないのであって、現実には「(c)「一般通常人=普通の人間」などはこの世に存在しない!」ということ。



確認になりますが、凶悪犯罪を惹起させる危険性の度合は「(a)>(c)>(b)」と、あくまでも理念型としての類型間の比較ですが、一応はそう言えると思います。ならば、(ⅰ)~(ⅴ)をすべて踏まえつつも、(刑事司法と刑事政策は人権の確保と社会の安全の確保という二律背反的のバランスの上に構築されているのですけれども)犯罪者・虞犯者の処遇・予防は(ⅱ)の「予想された犯罪に対する社会と被害者の憤慨」をミニマムにするようなものにならざるを得ない。他方、(a)と(b)の同一視は精神障害者に対する偏見に基づく許されざる「差別」である。よって、問題は(a)と(b)の峻別の精度向上と、(a)と(b)との違いを社会に遍く周知する啓蒙と広報である。と、そう私は考えます。

けれども、たとえ(a)(b)(c)の識別が現実的にはそう簡単ではないとしても、少なくとも、「不条理な、しかし、充分に予想できた(a)「病気のように犯罪を繰り返す精神障害者」が起こす犯罪の犠牲者が実際に出ない限り、加害者の彼や彼女に対する予防強制措置を取れない」という、お役所的の弁明が、最早、<市民>の容認するものではないことも自明でしょう。

ならば、(甲)お役所的弁明に理論的根拠を提供してきた、(a)(b)(c)の類型化さえ拒否する戦後民主主義の「犯罪者性善説-国家権力性悪説」を粉砕し、(乙)累犯の場合に限るとしても、事前に(a)を監視・隔離することを可能とする制度こそが求められているのではないでしょうか。

逆に、(a)と(b)の違いが遍く社会に周知されていない現状では、(a)(b)を「十把一絡げ的に見る精神障害者観」も根強い。否、そのような十把一絡げ的の認識が寧ろ普通でしょう。けれども、そのような精神障害者理解は、触法精神障害者に対する「厳罰化」や保安処分の強化を推進する刑法思想、就中、応報刑思想とは無縁の「盲目の厳罰化論」に過ぎない。と、そう私は考えます。

尚、このイシューの核心たる「この世に<普通の人間>などは存在しない」ということに
関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ大変嬉しいです。

・「精神障害者も社会に入れて」ですと? 考え違いもはなはだしい!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/36744255.html



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◆犯罪者を犠牲者と考える「優しい社会」は正常な社会か?

少年や精神障害者、外国人による重大事故や凶悪犯罪の横行を受けて、厳罰化や入国管理の強化、少年法の更なる改正を求める世論が強くなっています。戦後の「加害者の人権は地球よりも重く扱われ、被害者・被害者遺族の要求は羽毛よりも軽く見られてきた」この社会の現状を見ればそれは当然の流れというもの。

この社会には、しかし、この現状を目の当たりにしてもなお(よって、こちらも再々になりますが)「犯罪の原因は社会の矛盾であり、犯罪の加害者も被害者も共に社会的矛盾の被害者なのです。ならば、加害者を非難し厳罰を求めるのではなく、自分達の社会の問題として犯罪を捉え返してみることが大切です」などと脳天気にのたまう人権派も依然存在している。

例えば、大塚英志さんは「長崎幼児殺害事件」について朝日新聞に「考え続ける大人はいるか」(2003年7月19日・オピニオン面)なる論考を投稿しておられました。

曰く、「少年や若者によるどうにも不幸な事件が社会を揺るがした時、それを自身の問題として受けとめるひどく当たり前の立場が戦後社会にはあった。(中略)事件の直接の加害者が法の下で責任を負うことや、被害者やその家族の人権が配慮されるべきことに異論はない。しかし青少年の犯罪を自身の、そして社会問題として受け止めるかつてのありふれた態度が、たった今、この国ではひどく衰退してはいないか。(中略)自身の問題として青少年の不幸な事件を受け止める『社会』は、この国の戦後に確かにあった。そのような社会が、少年犯罪の温床となったのか、あるいは抑止する力だったのか、そこからじっくり考えよう」、と。

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犯罪を自身の問題として捉えよう/どうすれば犯罪をなくすことができるかを被害者と加害者を含め社会全体で話し合おう、とは何と美しい言葉でしょう。これを聞いたら、右の頬を打たれたら左の頬も相手に差し出すことを勧めたナザレのイエスも裸足で逃げ出すかもです。

けれども、社会的矛盾の解決により高いプライオリティーを置く主張を冷静に説く人権派の論者は、大多数の犯罪被害者とその遺族にとっては無意味かつ不条理な言説を笑顔を湛えて押し売りに来る善良そうな、しかし、傲岸不遜の輩にすぎないでしょう。而して、その傲岸不遜の基盤には戦後民主主義が垂れ流してきた観念的な人間観、すなわち、犯罪者の性善説が横たわっているの、鴨。

身体障害者に優しい社会は、実は、健常者にとってもより快適な社会であるらしい。この命題を私はある程度正しいと思います。ホイールチェア-の使い勝手を考慮した駅や歩道はそうではない無神経で無機質、ブッキラボウな駅や歩道に比べて健常者にとっても心地よいことが多いのは確かだから。けれども、では、犯罪者に「優しい社会」は犯罪者以外の者にとってもより快適な社会でしょうか? いいえ、「刑罰を受ける権利」の根拠と内実を反芻するとき、そんな社会は、実は、犯罪者にとってさえも不気味な社会であろう。私はそう断言します。

私は、犯罪者に「優しい社会」は犯罪者以外の者にとって必ずしもより快適な社会ではないと考えます。犯罪者に優しい社会は正常でも健全でもない、と。更に言えば、犯罪者の処罰と犯罪行為への社会的非難が曖昧にされる社会は究極的には一個の社会としては成立できなくなるのではないかとさえ思っている。

苛政は虎よりも猛かもしれませんが、犯罪者に優しい社会は犯罪者を含む誰にとっても非道で不条理な社会なのではないか。蓋し、大塚英志さんの如き、犯罪者に優しい社会を推奨する論者は、戦後も1990年前後までのこの社会の相対的な治安の良好さという社会インフラの上に胡座をかいて、あろうことか、彼等のその空虚な主張の破綻を(少なくとも、見かけ上は)ミニマムにしてくれていた、戦前の健全な教育を受けた日本人が体現していたこの社会の良風美俗を批判しているだけなの、鴨。それ正に、親亀の上の子亀が親亀に悪態をつく構図、鴨。閑話休題。

日本社会の治安の劣化、就中、市民が皮膚感覚で感じる治安の悪化はここ十年ほどの『犯罪白書』『警察白書』を紐解けば誰しも思い半ばに過ぎるでしょう。犯罪全体の認知件数の推移とは無関係に、①通り魔事件や幼児虐待や触法精神障害者の累犯事件等の理不尽な犯罪の横行、他方、②a少年犯罪の増加、就中、②b所謂「虞犯少年≒不良少年」ではない<普通の少年>によって惹起される凶悪犯罪の増加、③振り込め詐欺等々(おそらく戦後民主主義が崩壊させてきた)戦後社会の病理の反映としてカテゴリー化可能な犯罪類型の成立・定番化は、一般の市民にこの社会の治安の悪化を文字通り肌で感じさせるものだから。

ならばなおのこと、崩壊しつつある治安インフラの上に胡座をかいて犯罪者に優しい社会の実現を求めるなどは正気の沙汰とは思えない。そのような犯罪報道は有害でさえあると思う。そして、戦後民主主義と親和的なそれら「犯罪者性善説」の基底には「国家権力の性悪説-国家の必要悪説」が、すなわち、近代立憲主義的の社会思想が横たわっているの、鴨。もしそう言えるのならば、畢竟、近代立憲主義は間違っているか、戦後民主主義を信奉する論者が近代立憲主義の意味内容を曲解してきたのか、あるいはその両方であろうと思います。

尚、精神障害者の犯罪行為は刑を免除・減刑される余地があるか? 私はこの問いについては、心神耗弱・心神喪失の行為、自分の行為の善悪を充分に判断できない/自分の行動を自分で充分制禦できないほど幼い子供の行為と同様「余地はある」と考えます。現行の刑事司法の実務と同じく応報刑思想の犯罪観も(というか、「応報刑思想の犯罪観こそ!」でしょうか。)このことに同意する、と。この経緯については本稿末尾の「資料編」をご参照ください。


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◆被害者-被害者遺族の権利はもともと人権のメニューに掲載されていない?

近代立憲主義とは、特に、日本でそれが語られる場合には、フランス起源の「憲法は、国家権力の恣意的な運用を制約する頚木であり、民主主義の暴力から少数派の基本的人権を守る防波堤。逆に言えば、国家権力とは個人の人権を守るためにのみその存立が正当化可能な人為的な統治システムであり、また、民主主義の手続に沿った立法も人権内容を侵害する権能はない」と考える憲法思想と言ってよいと思います。

要は、(社会保障、そして、経済的と社会的規制といった所謂「現代法」の内容を捨象するとすれば)近代立憲主義を基盤とする近代法体系は国家権力の恣意的な運用から国民の行動の自由を守護することを目的とする、と。そう述べてもあまり大きな間違いはない、鴨。ゆえに、フランス人権宣言16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」の規定を嚆矢として、近代立憲主義を採用した憲法典は、権力分立制度と人権規定を二本柱にして編まれているのが一般的。

而して、我が国が立憲主義を導入した旧憲法以来、新旧双方の憲法典がともに加害者の人権保障条項を備えながらも、被害者・被害者遺族の人権については明文の規定を欠いているのも当然なのかもしれません。「国家権力を縛る/社会の多数派の専横を抑えるものとしての憲法」という立憲主義の意味内容からは、「被害者の人権」なるものは原理的に存在しないのでしょうから。ならば、存在しないタイプの人権の擁護を裁判所や検察や警察に求めても、それらの機関にとってそれは無理難題ということなの、鴨。

ことほど左様に、人権派の「近代憲法には被害者の人権なるものは存在しない」という主張は満更荒唐無稽ではないのです。けれども、近代法体系自体の基盤の基盤。近代的意味の憲法に正当性を付与してその効力を担保している近代立憲主義自体の根拠にまで思索を及ぼすときこの主張の説得力は俄然怪しくなる。すなわち、別のアングル、社会経済史の知見を加味した地平から再定義すれば、

近代立憲主義とは、(α)個人の自由な社会的活動の可能性を確保するために、それまで個人を抑圧してきた、教会・ギルド等の様々な中間団体を国家の権威と権力でもって弱体化させこれらの桎梏から諸個人を解放し、しかる後に、(β)個人を抑圧しうる唯一の存在として残った国家権力自体を憲法によって規制しようとするアイデアです。


而して、このロジックからは、戦後民主主義が「国家権力の性悪説-国家の必要悪説」をその立論の前提に置くことは自然な流れと言える。他方、しかし、近代立憲主義、すなわち、近代憲法のイデオロギーは、「国民」および「主権国家=国民国家」という<政治的神話>の楯の裏面でもある。

何を言いたいのか。それは、近代憲法は国家権力を「獅子身中の虫」として仮想敵視するものの、さりとてそれは「国家」や「国民」という<政治的神話>を否定していないどころか、それらの表象形態-観念形象と相互依存の関係にあるということです。


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そもそも、近代憲法とは<主権国家=国民国家>のイデオロギーが法的世界にインカーネートしたもの。すなわち、近代憲法も近代立憲主義も、アーネスト・ゲルナーが『民族とナショナリズム』の中でいみじくも述べている「民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の方法を通じてではない。確かに、ナショナリズムは以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも多くの場合それらを根本的に変造してしまう」という文脈から逃れられない存在なのです。

換言すれば、近代憲法とそのイデオロギー的基盤たる近代立憲主義もまた、国民国家の時代という歴史的に特殊な時代背景のコンテクストの中でのみ(しかも、フランス流の国家観と人権観を受容する極めて限られた人々に対してのみ)その<神通力>を保ちうる制度であり文化にすぎない。要は、キツネを拝もうがタヌキと踊ろうが個人の勝手であるように、戦後民主主義を信奉する論者がフランス流の近代立憲主義を勧請するのは自由である。けれども、それは縁無き衆生を拘束するまでの<神通力>は備えていない。畢竟、フランス流の近代立憲主義なるものは憲法の正当化イデオロギーのone of themにすぎないということです。

而して、例えば、(ドイツ・フランス型の参審制を媒介にして)今次の裁判員制度に流れ込んだ英米流の陪審制のエッセンス、すなわち、「コミュニティーの古き良き伝統の精華たるコモンローはコミュニティーメンバーの手で発見され継承され発展されてきた」という英米法の理念を想起するまでもなく、「被害者の人権」を認めない近代立憲主義的な刑事法体系の理解は唯一絶対のものではない。

蓋し、<国家>を社会統合の中核的理念と捉え、かつ、それを伝統の結晶の一斑と見る英米流の保守主義の社会思想とフランス流の近代立憲主義は位相を異にする別個の<物語>である。ならば、その優劣はこの社会の構成メンバーの法意識と法感情と法的確信が自生的と遂行論的に決する事柄でしかないと思います。

更に、「被害者の人権」を認めない立論は法の効力論の観点からも破綻していると言える。すなわち、(ここで「人権」や「権利」という言葉を、国家権力-公権力がその実現に与力する根拠となる価値と定義するならば)「被害者の権利」を認める刑事法体系は、近代主権国家の憲法の事物の本性から(先に述べた「国家が復讐の責務を放棄する場合、その刑事法体系の効力は崩壊する」という事柄のコロラリーとして)我が国の現行憲法においてもその成立と存在を主張できるものなです。

畢竟、「被害者の権利」をその人権のメニューに含むことができないような近代立憲主義や刑法思想には、寧ろ、この社会における正当性はなくそれらは放擲されるべきである。私はそう考えていますが、この私見を導くキーワードこそ「応報刑思想の逆襲」なのです。



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復活と逆襲の女神:木花咲耶姫




<本編了-資料編に続く>

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◆刑法と刑罰の存在理由としての社会秩序維持

犯罪抑止効果の乏しい刑罰は無意味なのか。そもそも、応報刑思想は具体にはどのような犯罪観と刑罰観と親しいのでしょうか。畢竟、刑法と刑罰の目的は特別予防と一般予防です。これは前提とせざるを得ない。而して、繰り返しになりますけれど、一般予防機能とは端的に言えば「刑罰の見せしめ効果」のことであり、究極的には法の権威を維持し法の尊厳を保つことです。

蓋し、一般予防とは、(甲)刑罰の見せしめ効果によって「誰もが持っている犯罪者になる可能性からより多くの人々を遠ざける」のみならず、(乙)法と秩序を侮辱する犯罪の挑戦から刑法を包摂する法体系全体の権威と尊厳を守ること。すなわち、「一般予防」という言葉は狭義の(甲)の意味と、(甲)(乙)を併せた広義の二義を持っているのです。畢竟、戦後民主主義イデオロギーを信奉する人権派は(甲)の狭義の意味でしか「一般予防」を理解していないのだと思います。

而して、後者の(乙)を、藤木英雄さんは「犯罪が空洞化させた法秩序の権威の刑罰による回復」と表現しておられるのですが、いずれにせよ、そのような権威と尊厳を具備する法体系のみが市民を犯罪から守る機能を果たしうる。逆に言えば、一般の人々が刑事法体系と刑事司法、更には、犯罪報道に沈殿結晶する、その社会毎の犯罪観と刑罰観に対して「こんな犯罪者の処遇オカシイよね」という不信感を恒常的に抱いているとするならば、その法体系の効力は(法の実効性と妥当性の両面で)危機に瀕していると言うべきでしょう。

すなわち、ある刑事法体系は<市民>のこのような法感情や法意識をその制度の運用実際に恒常的に昇華させ結晶させ続けるのでなければ、その刑事司法は<市民>の支持を早晩失い、よって、社会をアノミー状態に陥らせ、而して、社会のすべてのメンバーを犯罪の被害者か加害者にしてしまう危険性を常に孕んでいる。私はそのように考えるのです。

再々になりますけれど、刑法と刑罰は、加害者に復讐する権利を被害者から奪うと同時に、公権力が被害者に代わって復讐する制度でもある。ゆえに、①公権力が犯罪者に復讐しないのならば、そして、②犯罪に対する刑罰の厳しさの度合に市民の多くが納得していないようであれば、加害者に復讐する被害者の権利が復活するのは時間の問題でしょう。而して、それは仇討ちを封じた近代社会の熔解、すなわち、社会のアノミー化に他なりません。


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古典学派の刑法思想は啓蒙期まではおおよそ応報刑主義的でした。それは、犯罪者に対して道義的な責任を取らせ、犯罪に見合った刑罰を甘受させることを求める思想だった。この応報刑思想は、<復讐する主体は国家である>ことを、復讐の権利と権限を国家に召し上げられた被害者に納得させつつ、社会の秩序を守ることを刑法の究極必須の目的と解する思想です。

而して、この目的こそ現在の日本がその達成を渇望しているものではないでしょうか。ならば、本稿の結論の先取りになりますが、応報刑思想の原点に還るべき時代に現下の日本の刑事司法と社会は来ているの、鴨。と、そう私は考えています。

このような応報刑思想に立ち戻るならば、「厳罰化」は目先の犯罪抑止効果とは別の観点からも推進されるべきものとして理解される。もちろん、触法少年や虞犯少年にせよ触法精神障害者にせよ、彼等に対する特別予防の充実は焦眉の急でしょう。このことは間違いない。しかし、応報刑思想を基盤とする「厳罰化」(否、刑事法体系の常識的な運用、要は、「正常化」)は「犯罪の原因たる社会の責任の究明」なるものや「治療・教導に関する人員・設備の充実達成」の後に初めて着手すればよいというような低い優先順位のものではないこともまた間違いないと思います。ならば、前節の末尾の「宿題」への解答は次のようになる。と、そう私は考えます。

蓋し、犯罪の抑止効果を「厳罰化」の根拠と考える人権派の論理は間違いではないけれど、現実に厳罰化によって犯罪が減少したかどうかは(例えば、飲酒運転の厳罰化によって飲酒運転事故は激減しましたが、他方、その裏面として飲酒運転によるひき逃げ件数は微増に転じたというような事象は)厳罰化の妥当性判断の一斑でしかなく、広義の一般予防機能を巡って法の権威と尊厳について一般の人々が懐く意識の度合いがメンテナンスされているかどうか、このことがこのイシューの中核的な問題なのだ、と。

上で述べた主張を踏まえ次節では、応報刑思想が含む、言葉の正確な意味での<人道主義>、すなわち、応報刑思想が被害者も加害者も等しく人間としてその人格を尊重する思想であること。そして、応報刑思想は、犯罪者が自己の道徳性を回復し、刑罰によって罪を償い、よって、彼や彼女を社会の平等なる正式メンバーとして再度迎え入れることを可能にする思想でもあることを一瞥したいと思います。


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◆刑罰を受ける権利

犯罪者がその罪を償う<権利>を大東亜戦争後のこの社会は看過軽視してきたのではないでしょうか。少年や精神障害者による犯罪報道に接するたびに私はそう感じます。また、それらの事件に対する人権派のコメントを目にするとき、私はそのヒューマンで優しい言葉の裏側に、ある種の傲慢さと知的怠惰を感じないでもありません。

ことほど左様に、戦後民主主義のイデオロギーに染まった人権派のコメントには、それがいかに人権の用語と立憲主義の文法で飾られていようとも、例えば、

刑罰が免除/減刑されるのだから加害者側には文句はないだろうよ。
で、被害者遺族の憤り? 死刑を求める厳罰化の世論? 少年を実名報道しろだぁ? 
性犯罪の累犯者の情報はデータベース化して誰もが利用可能になるようにして欲しい?
そいでもって、街頭カメラを増設して欲しいんですけどーぉ、だぁとー? 
あんたら「プライバシーの権利」って知ってる?
とにかく、そんなのは感情論。問題にする必要全くなし!
そんなんはね、自分達の主張が国家権力を肥大化させてやね、
とどのつまり、常時権力に市民が監視される管理社会を産み出す主張だってこと。
だから、そんなんは市民の切実な声じゃなくて愚民の感情論にすぎないつーの!


というような上から目線の寒々とした底意を私は感じてしまうのです。これに対して、干支も一回りする12年前、今でもそれを最初に目にしたときに受けた新鮮な衝撃をくっきり覚えている新聞投書がある。本節のテーマ「刑罰を受ける権利」ということを反芻する際にはいつも読み返すもの。長野県の当時55歳の女性NDさんの投書。NDさんの息子さんは20歳のころから人格障害と診断され現在に至っている。家庭内暴力を幼児期から見て育ったのが障害の一因とのことらしい。引用箇所の前にそう書いてありました。以下、投書の引用。


▼「裁かれる権利 与えてほしい」

精神病は通常の人のストレスの延長上にある病でもあり、だれもがなる可能性のあるものです。国も、ハンセン病政策を真に反省するのなら、「精神病者、即隔離」という考えが、どれほど大きな偏見で、医療的にも誤りか分かるはずです。精神病者とて、自ら犯した罪は分かるのです。私の知る限りの精神障害者と家族は、罪を犯したら通常者と同じく刑事責任を問い、裁判を受けさせてほしいと思っています。裁判を受けさせないのは、保護ではなく、裁かれる権利さえも奪っていると思えます。裁判によって、なぜその病になったかのか、病が犯罪にどうつながったのか、あるいは無関係だったのかを究明し、世の人々に伝えてほしいです。それが精神病を予防する道となり、精神障害者の犯罪の減少、予防へとつながると思います。


(朝日新聞・2001年6月20日朝刊・東京本社版、「声」欄より要約紹介)


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カントは「人間を主体・目的としてのみ処遇し、道具・手段として扱ってはならない」と語っていますが、現行憲法の基本理念の一つ「個人の尊厳」は、正に、このカントの地平から基礎づけられるべきもの、鴨。そう私は考えます。而して、この社会思想の地平からは、精神障害者や少年を<責任無能力者>と看做すアプリオリな認識は、本質的に人間を馬鹿にしたコトナカレ主義的で官僚的な「思考停止-知的怠惰」の帰結ではないかとも。

例えば、精神障害者や少年の犯罪に対して実名報道を控える慣行は(松井茂記さんが『少年事件の実名報道は許されないのか~少年法と表現の自由~』(日本評論社・2000年11月)で的確に、その「一律の表現の自由の制約」であるがゆえの違憲性を指摘されていることは置いておくとしても)、終戦後の混乱や高度経済成長にともない家族形態と地域コミュニティーが揺らいでいた不安定な時期には、<自分で自分を充分には守れない者>を世間の不当な偏見から守護し、かつ、彼等の社会復帰と自立を容易にする、一つの妥当かもしれない<加害者と社会を和解させる刑事司法のサブシステム>だったの、鴨。

しかし、それが牢固な慣習となりルーティンとなりタブーとなり形骸化の弊害と腐臭を放っている現在、実名報道忌避の慣行は、触法精神障害者や犯罪少年・触法少年から、「精神障害者」や「少年」という記号論的な差異だけを根拠に彼等からこの社会の正規のメンバーとして社会に参加・貢献する機会をも奪う、<人格を暴力的かつ事務的に否定する制度>に成り果ててはいないでしょうか。

而して、罪を犯した自分自身を認識でき、かつ、罪の償いの意味を了解できる者には裁判を通して刑罰を受けさせること。罪も罰も認識し了解できない者には、教育と治療によりその対社会的の危険性を逓減せしめること。刑法と刑罰の特別予防と広義の一般予防の効果を踏まえるならば、このシンプルな原則を愚直に実行すべきではないでしょうか。そして、繰り返しになりますが、刑法と刑罰を基礎づけ正当化する論理としての応報刑思想をもう一度見直すべき時期にこの社会は来ているの、鴨。この投書を読み返すたびにそう私は感じるのです。

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而して、人権派がしばしば主張する主張、「少年犯罪・精神障害者による犯罪、通り魔事件やDV、幼児・高齢者虐待の多発に対して厳罰化だけで立ち向かえるわけではない」「家庭や学校、地域の取り組みの強化、犯罪を引き起こす社会の歪みを是正することが大切だ」という主張は、この「刑罰を受ける」権利の観点と地平からは否定的に解されざるを得ないのです。

蓋し、そのような主張は、一面で刑事司法に過大な要求を押しつけつつ、そして、その要求を達成できないことを理由に、(彼等が看過している広義の一般予防機能という)刑事司法の間違いなく枢要な役割をネグレクトするもの、鴨。喩えれば、それは国家権力を全能のものと勝手に想定しておいて、現実には全能であるはずもない権力の非力を声高に非難する類の、朝日新聞的の主張とパラレルのもの、鴨です。

確かに、「厳罰化だけで犯罪現象に立ち向かえるわけではない」という認識は正しいでしょう。なにより、「厳罰化では犯罪は減らない」のかもしれません(前述の如く、飲酒運転罰則の強化により飲酒運転は激減しましたが、所謂「自然犯」では諸外国の例を見ても死刑制度の存置を始め厳罰化によって犯罪が減るとは必ずしも言えませんから)。

けれども、法と秩序への信頼が揺らぎつつあるこの社会の現状を鑑みれば、「国家社会がそのメンバーの行動の規範を改めて明確に示すこと」でもある厳罰化は、正に、この日本社会が渇望している施策ではないでしょうか。そして、もし、この認識が満更間違いではないとするならば、その評価の裏面には「社会の大方のメンバーが納得する重さの罰を受けることで罪を償う、刑罰を受ける権利」の価値に対するポジティブな評価もまたこの社会に遍在しているの、鴨。私はそう期待しています。

このような応報刑思想からの犯罪観と刑罰観に対して、戦後民主主義を信奉する「犯罪者性善説」に立つ論者からは幾つか批判がなされている。次節以下、彼等の批判を紹介しつつ、些か、応報刑思想からの<逆襲>を記しておくことにします。


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<続く>

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◆応報刑思想の逆襲

近代の刑事法体系は、原則、私人の報復を禁止しています。しかし、これは古代・中世、あるいは、支那や(その唐律を継受した)日本の律制において一般的に私人の報復が認められていたということではありません。例えば、江戸期でも特定の様式に則り特定の手順を踏んで発給された免許状を欠いた報復は単なる違法な私闘であり「正当な仇討ち」とは看做されなかったように、どんな社会でも私人の無制限な報復は認められてはいなかったのですから。

ゆえに、近代の刑事法体系とそれ以外を分かつものは(それは、すぐれて近代に特殊な「主権国家=国民国家」が成立したことの帰結でもあるのでしょうけれど)、「私的な報復を国家権力が禁止した」こと。すなわち、禁止の主体とその禁止の目的に収斂するのだと思います。

而して、近代の法体系では、国家権力は私人間の紛争には介入しないことが原則。ならば、近代の刑事法が復讐を禁止するのは、(被害者の承諾によっても、加害者の実行行為の違法性が阻却されることのない犯罪類型の存在、つまり、死亡・重大な後遺機能障害が惹起するケースは置いておくとして、)私人間における復讐の慣行が社会の安寧秩序を構造的に危うくするからに他なりません。

ゆえに、被害者と社会一般が懐く犯罪に対する憤りを封印するかわりに、近代において国家権力は犯罪と犯罪者に対する復讐を代行しなければならない。復讐を禁じた国家には被害者と社会に代わって加害者に復讐する権限が与えられており復讐する責務が課せられているはずだからです。これが近代においても「応報刑思想」が成立する構図であろうと思います。

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重要なことは、応報刑思想にとって、国家権力による加害者への報復は、個別の事件の被害者・被害者遺族の感情を宥めることにその根拠と役割を限定されてはいないことです。応報刑思想が要請する、刑法と刑罰の機能は「法の権威と尊厳が犯罪行為によって社会的に空洞化した事態に対する、これまた「社会的」な治癒と回復」だからです。

ここで、近代においては「国家権力は個人間の紛争に介入しないことを原則とする」ことを想起してください。要は、個別の犯罪事例での被害者側の報復感情が満たされたかどうかなどは、白黒はっきり言えば近代の法と国家にとってはどうでもよい類のことなのですから。

逆に言えば、例えば、大阪教育大学池田小学校事件の如く、一審の死刑判決が確定した段階で「ある被害者遺族の中には「控訴や上告と続く時間の中で加害者が反省し、自分の犯した罪を恐れるようになってから刑に服して欲しかった」と記者に語る方もおられる」などという朝日新聞的な情緒的言説は、この刑事司法の本質を全く理解していないものと言えるでしょう。刑事手続への被害者の参加が応報刑思想からも望ましいこととは別に、あくまでも、刑事司法は被害者のものでも加害者のものでもないのですから。刑事司法は被害者も加害者も包摂する国家社会のものなのでしょうから。

ならば、国家権力がその本来の復讐の権限の行使と責務の遂行を怠るようであれば、俄然、復讐の権利、否、権限と責務は被害者・被害者遺族のみならず、法秩序に対する信頼を踏みにじられた社会のすべての構成員に分かち与えられることになるのも必定ではないでしょうか。以下、整理します。

(a)国家権力が復讐を社会の構成員に対して禁止した段階で、社会の法秩序を維持する/法の権威と尊厳を維持する権限と責務は国家が取りあえずは独占することになる

(b)近代国家のみならず、どのような国家社会も被害者と社会一般が懐く犯罪と犯罪者への怒りを宥めること、すなわち、加害者に厳格で速やかな報復を加え、法と秩序の権威と尊敬を回復することをその重要な機能としている。而して、私的制裁を一部容認していた社会に比べ、近代国家が担っている犯罪に対する報復の使命は遥かに重たいと言える

(c)国家権力が上記の責務を果さない場合、法の権威と尊厳を回復し法秩序の効力を維持する権限と責務は被害者側、ならびに、社会の全構成員のものとなる

(d)国家権力は、よって、(c)の如き<万人の万人に対する復讐の連鎖>の悪夢を防ごうと思うならば、犯罪の加害者に対する十全な復讐の契機を刑事司法に織り込まなければならない

(e)復讐には、(公的暴力装置を独占し、かつ、法域を私的領域と公的領域に峻別しようとする)近代立憲主義の回路からは権利性は認められない

(f)しかし、近代国家の本性からは固有の権利性、否、権限と責務が認められる余地はある。近代立憲主義を採用した近代国家も国家である限り、人倫に根ざす被害者側を含む社会からの復讐の要求はその憲法秩序において権利性が認められる余地もあるということ。もしそこで権利性が認められないならば、当該の憲法体制は実定法秩序としての正当性を失い、よって、その憲法体制は法的効力を持ちえなくなるからだ


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蓋し、前節でも述べたように、裁判員制度はこのような復讐の契機を刑事司法にイントロデュースするための水路の一つなのでしょう。そして、もし、現在の日本の刑事司法が犯罪に対する報復の機能を十全には果しておらず、加之、現下のこの国の犯罪報道は刑事司法の報復の機能を阻害さえしており、かつ、これら刑事司法と犯罪報道の惨憺と醜悪の源泉は戦後民主主義的の犯罪観であり刑罰観であるとすれば、他方、刑事司法について、犯罪に対する報復機能にも社会の安寧秩序を維持する機能にも問題を感じる国民が多いのであれば、刑事法体系のみならず(現在の刑事法体系の思想的の基盤たる)戦後民主主義的な刑法思想、その犯罪観と刑罰観に批判を加えることは現下の主要な、かつ、焦眉の急の課題であるに違いない。

而して、いずれにせよ、「国民の常識を体現した刑事司法と刑事報道」を国民は渇望しており、戦後民主主義が歪めた犯罪と刑罰のイメージの是正がこの社会にとって焦眉の急であることは確かだろうと思います。畢竟、犯罪からの日本社会の解放は、戦後民主主義からの日本国民の解放に他ならない。と、そう私は考えています。

以下、次節では、戦後民主主義が歪めた犯罪と刑罰を巡るものの見方を補助線にして、応報刑思想の具体的な犯罪観と刑罰観を刑法と刑罰の機能の側面から敷衍します。


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◆抑止効果のない刑罰は無意味か?

かなり旧聞に属しますが、新聞にこんなコメントが載っていました。「抑止にならず逆効果」(朝日新聞・2003年6月20日朝刊・東京本社版、「被告席の親たち 幼児虐待事件 中 厳罰化より要約紹介)、「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」の多田元弁護士の話です。

「厳罰化の流れが強まっていることは、児童虐待の防止に逆効果だ。責められていると感じることで、親は不安な状態に陥り、水面下での虐待はますます増えるだろう。厳罰化は抑止にはならない。これからは裁判で虐待のメカニズムを解明し、社会の責任を明らかにする必要がある」

このような主張は、例えば、少年法改正(「少年法等の一部を改正する法律」(平成19年法律68号;平成12年法律第142号)の際もしばしば聞かされたもの。また、それらは死刑廃止論者の常套句でもある。例えば、「死刑には犯罪の抑止効果は乏しい。ならば、犯罪者を犯罪に向かわせた社会的諸問題こそ問題であり、その社会的な歪みの実像をこそ裁判を通して明らかにすべきだ」等々。

確かに、絶対的終身刑に比べて死刑にそれほど大きな犯罪抑止効果がないことは刑事政策の常識。加之、「衣食足りて礼節を知る。恒産なくして恒心なし。金持ち喧嘩せず」も真理でしょう。すなわち、社会が豊かになり格差が解消すれば、あるいは、社会のほとんどすべてのメンバーが善良になれば犯罪は起きないかもしれません(ただ、冗談抜きに私は、犯罪も起きないような社会はある意味極めて非人間的で歪な社会ではないかと思わないでもありませんけれども)。

しかし、刑事司法制度の運用はその国家社会が理想的な社会になるまで、あるいは、その社会のほとんどすべてのメンバーが善良になるまで小休止するわけにもいかない。ならば、このような「犯罪の原因は社会→犯罪の責任を負うべきも社会」という主張は、絶対に正しいがゆえに/どの立場の論者の論拠とも矛盾しないがゆえに、少なくとも、刑事司法の制度デザインと、そのデザインの基盤たる「犯罪観-刑罰観」の再構築を巡る議論においては空虚で無内容なものでしかない。と、そう私は考えます。


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犯罪とは社会生活に対する脅威やリスクの一つでしょう。而して、(「犯罪者」を被疑者・被告人・受刑者等を含む緩やかな語義で用いるとすれば)刑罰とは犯罪者から社会生活の安心・安全を守るための技術に外ならず、刑事法の法体系は犯罪の脅威とリスクから社会の安心・安全を守る機能を果たしつつ、同時に犯罪者に認められるべき正当な行動の自由(人権たる人身の自由)を守る、それら攻守双方の機能を両立させるための技術であり制度なのでしょう。

更に、犯罪からの社会防衛の側面においても前節で些か触れたように、刑事法体系には大きく二様の機能があります。①一罰百戒、刑法を事前に定め、犯罪に対しては凛としてその刑法を適用し刑罰を課すことにより一般の人々に犯罪を思いとどまらせること(刑法と刑罰の一般予防機能)。他方、犯罪を犯す素質を持つ者を前もって社会から隔離すること(そのような者を永久に社会から隔離する制度の一つが「死刑」です。)を特別予防機能と言います。

医療刑務所での長期の隔離治療や累犯の場合に宣告刑が初犯時よりも重くなる等が特別予防機能の顕れと観念しても許されるでしょうけれど、而して、特別予防をより重視する刑法学派が「近代学派」と呼ばれ、他方、一般予防を重視する学派が「古典学派」と呼ばれています。学説史的には、古典学派は「目には目を、歯には歯を」のタリオの法則以来、古代・中世を通じて幾多の法学者・哲学者によって彫琢を施された思潮であるのに対して、近代学派は19世紀後半にイタリアで誕生した比較的新しい思潮だからです。

要は、古典学派であれ近代学派であれ、社会を犯罪と犯罪者から守ることを刑事司法の役目と考え、よって、犯罪抑止効果がない(宣告量刑の配分も含む)刑事司法は拙劣と考える点では両者に本質的な差はないと思います。

ならば、「厳罰化は抑止効果がない。就中、死刑にはそれほどの抑止効果はない」「犯罪から社会を防衛するには犯罪の原因となった社会の側の問題をこそ裁判で明らかにすべきだ」という人権派の主張に対して応報刑思想はどう答えればよいのでしょうか。このことの吟味検討が次節の課題です。


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<続く>

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目次
◆はじめに
◆応報刑思想の逆襲
◆抑止効果のない刑罰は無意味か?
◆刑法と刑罰の存在理由としての社会秩序維持
◆刑罰を受ける権利
◆犯罪者を犠牲者と考える「優しい社会」は正常な社会か?
◆被害者-被害者遺族の権利はもともと人権のメニューに掲載されていない?
◆資料
・裁判員制度:Jury System vs. Lay Judge System
・精神障害者の犯罪について:触法精神障害者とは何か?



◆はじめに

尼崎や北九州で起きた一種異様な「大量監禁死事件」の陰惨と無惨。被害者が繰り返し発信していた<SOS>を警察や学校に無視されて惹起し続けるストーカー殺人事件と<いじめ殺人事件>の不条理。これら「犯罪を防げなかった治安当局への不満」とは位相を異にする「起こった犯罪に対する司法当局とマスメディアの対処への不満」もまた今現在のこの社会に満ちている。と、そう私は考えます。そして、前者と後者は通底しているのではないかとも。

少年犯罪や外国人犯罪に顕著なように、「加害者には手厚い法の保護が与えられていながら、被害者の要求と主張と人格は無視されているのではないか/社会の安心安全は軽視されていないか」「土台、人口に膾炙する「厳罰化」という言葉自体が不適当であり、それは「正常化」と呼ばれるべきでしょう」、と。刑事司法と犯罪報道を巡ってはこのようなネガティブな認識が広くこの社会に行き渡っているのではないでしょうか。

いずれにせよ、<市民の常識>による歪んだ刑事司法の正常化を期したはずの「裁判員制度」が施行されて足かけ4年。しかし、犯罪と刑罰を巡る<市民>の不満と不安はそう大きくは低減されてはいない。そう私は考えます。而して、それは、戦後民主主義という極めて特殊なイデオロギー、すなわち、「犯罪者=不平等に満ちた社会の被害者」と見る性善説的の理解、究極的には「自衛隊と治安当局に代表される国家権力は必要悪であり、犯罪者も含む<市民>は(文字通り「innocent:悪意のない罪のない無知なほど無垢で無邪気で善良な存在」であり、)アプリオリに善なるもの」という犯罪観に司法制度とその運用が歪められてきた結果なの、鴨。

実際、暴力も暴言も<家庭内の紛争>であり、その結果たる一家離散の続発も大量の行方不明者の続出も<家族会議の結果>であるとして10年余の長きにわたり治安当局も報道機関もそこに<犯罪>を見てこなかった事件。すなわち、尼崎の「大量監禁-傷害致死・遺体遺棄事件」などは、正しく、この戦後民主主義の「市民の性善説」が(加之、「在日韓国人の性善説」も?)作用した人権侵害、否、人格否定事件だったの、鴨。

蓋し、この社会はいまだに戦後民主主義イデオロギーに毒され/世界と戦前の日本では常識であったであろう真っ当な犯罪観から分断隔離されている。と、そのような危惧を私は払拭することができません。而して、本稿は、そのような戦後民主主義的の犯罪観から逃れ、戦後民主主義イデオロギーの呪縛から日本人が自らを解放するための試論。具体的には「応報刑思想」(★)による犯罪観再構築の提案です。

★註:応報刑思想

刑罰論としての応報刑思想(=応報刑主義)は所謂「教育刑主義/目的刑主義」と対立する考え方とされています。刑罰を「犯罪への報復」と考えるか「犯罪を減少させるための手段」と考えるかをメルクマールにすれば、元来、応報刑主義は前者に立つと理解されてきたということ。他方、刑罰を正当化するロジックとしての応報刑思想は、「報復としての刑罰理解」「罪と罰の均衡を求める思想」「犯罪者が甘受すべき道徳的な非難を刑罰の根拠に位置づける思想」と緩やかに捉えられています。

私は、藤木英雄・大谷実、あるいは、団藤重光・小野清一郎・メツガー等々の主張を踏まえた上で、応報刑思想を「犯罪によって空洞化された法秩序を回復することをもって刑罰の正当性を基礎づけるアイデア」という意味で使用しています。よって、この意味の「応報刑思想」は、一次的には刑罰を「犯罪を減少させるための手段」と観念する機能主義的な犯罪論の土俵に収まりきれない(人倫の秩序、あるいは、法秩序全体の正当性の維持に主な関心を置く)抽象度の高い主張。

他方、応報刑思想は、機能主義的な刑罰論の次元にそれが投影される場合には「犯罪と刑罰の均衡」を通して社会の遵法意識の涵養と刑罰の一般予防効果に重きを置く主張としても理解可能です。ちなみに、犯罪を引き起こす蓋然性の高い個々具体的な人物を矯正・隔離することで犯罪から社会を防衛しようというアイデアを「特別予防」、それに対して「一罰百戒」的の効果によって社会の大方のメンバーに犯罪を思い止まらせる(反対動機を形成せしめる)ことで犯罪から社会を防衛しようというアイデアを「一般予防」と言います。(註終了)



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再度記します。私は、戦後民主主義の「犯罪観=犯罪者性善説」の跳梁跋扈は
最早<市民>の許容するものではないと考えます。

例えば、①少年法自体にはなんの規定も存在しないにも関わらず、犯罪を犯した時点で少年であった加害者の実名報道は「少年法の精神から見て:触法少年の社会復帰後の生活と更生のために」刑の確定後も原則無制限に続けられている現状。あるいは、②在日外国人被疑者に対する「実名報道」忌避の趨勢。他方、③それら戦後民主主義的のルールに抗して実名報道を行ったマスコミ媒体やネット記事に浴びせられる「人権侵害!」のレッテル貼りの嵐、それこそ現行憲法の保障する表現の自由を蹂躙してなんら恥じることのない<人権侵害>のバッシングの嵐。

例えば、④廣島の母子殺人事件やオウム真理教教祖の裁判に端的な、死刑判決/死刑執行を回避・遅延するためにはどんな荒唐無稽な上告理由や再審理由を持ち出しても許されるとする人権派弁護団の性癖。

加之、⑤それ自体紛うかたなき違法行為(★)であるにも関わらず、死刑確定囚に対する死刑執行命令を出さない法務大臣を容認する大方のマスメディアの姿勢;何より、新たに任命された法相に対して「死刑執行命令は出すのですか」と、法的には無意味な質問を十年一日の如く繰り返し問いかけているマスメディアの異常な姿勢!

犯罪を巡るこれら、<市民>の法感情と法意識から遊離した現状は、最早、(あらゆる法の効力の基盤が国民の法意識でしかない以上、)日本社会が法治国家であり続けるための基礎を危うくするもの、鴨。蓋し、<市民>の法的確信から離反したこのような刑事司法の状況は、早晩、犯罪と犯罪者に対する自力救済、すなわち、復讐を誘発しかねず、畢竟、それは社会の不安定要因である。そう私は考えます。

★註:法務大臣の死刑執行命令

刑事訴訟法は「法相の死刑執行命令」についてその475条でこう定めています。

1項:死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2項:前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

例えば、東京地裁平成10年3月20日判決の如く、この刑事訴訟法475条2項を「それに反したからといって特に違法の問題の生じない規定、すなわち法的拘束力のない訓示規定」と解する見解があるにせよ、少なくとも、文理上は「法務大臣は判決確定の日から六箇月以内に死刑執行を命じなければならない」ことは明らか。要は、「それに反した」ケースはあくまでも例外的な事態であるはずであり、ならば、「それに反した」ケースが大多数である現状は毫も刑事訴訟法475条2項の想定するものではない。

加之、看過すべきでないのは、475条2項但し書きは、「上訴権回復若しくは再審の請求・・・共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間」を法相が敢えて算入して六箇月以内に死刑執行命令を出すことを禁ずるものではないということ。そのケースと475条2項但し書きは無関係。なぜならば、この但し書きは「六箇月以内に執行命令を出さないことを正当化する事由」を規定したものであり、六箇月以内に執行命令を出す逆のケースと本条但し書きは謂わば「捻れの位置」にあるからです。尚、死刑を巡る私の基本的な考えについては取りあえず下記拙稿をご参照ください。(註終了)


・野蛮な死刑廃止論と人倫に適った死刑肯定論
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139881999.html


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繰り返します。蓋し、この国を自力救済の復讐の嵐に巻き込みこの社会をアノミー状態(社会統合の基軸たる社会規範の権威が揺らぐことに起因する社会の全般的かつ一斉的の無秩序状態)に陥らせかねない戦後民主主義的の犯罪観は、2009年5月21日以降も、すなわち、裁判員制度の施行後も残念ながらその邪な<神通力>をそうは弱めてはいない、鴨。なぜならば、戦後民主主義的の犯罪観再生産の心臓部たる、司法当局とマスメディアがその歪な姿勢を反省し歪んだ行動を改めたとは私には到底思えないからです。

これとほぼ同じ認識に立って10年前に書いたコメントがあります。自分のHPの日記コーナーに書いた次の独白。我ながら10年後の今もそう大きく書き改める必要は感じない。そして、このこともまた裁判員制度導入によってもこの社会の犯罪と刑罰を見る歪んだ見方にそう大きな変化はないのではないかと私が確信する理由の一つです。尚、「裁判員制度」自体については(上の記述と矛盾するようですが、さりとてどのような制度も万能の特効薬であるはずもなく)、私はかなり肯定的に捉えています。「裁判員制度」に対する私の基本的理解については本稿末尾の「資料」もご一読いただければ嬉しいです。


▼国家が死刑判決を出さないのなら「仇討ち制度」が復活する

平成15年10月9日、前橋地裁で当時16歳だった高校生を誘拐し殺害した被告人に無期懲役の判決が下された。久我泰博裁判長は、被告人退廷後、傍聴席に残っていた被害者遺族に対して、「国家が死刑判決を出すことは大変なこと、納得できないでしょうが、納得してください」と声を掛けたらしい。この報道を目にして思った。「国家が死刑判決を出さないのなら仇討ち制度が復活する」、と。

それは私の偽らざる気持ちであるだけでなく犯罪と刑罰を巡る法理からも当然の帰結だと思う。死刑を容認する日本国民の法意識と法感情を鑑みれば、死刑は現在の日本ではいまだ国家が被害者と被害者遺族に代わって発動する制裁のメニューに確実に入っているだろう。ならば「国家が死刑判決を出さない社会における仇討ち制度の復活」は論理必然の帰結だろう。

而して、それは、アムネスティー等のカルト的な反死刑団体や朝日新聞がしばしば言うように「激情にかられた感情論」だけではないだろう。もちろん、「厳罰=極刑」を求めるのは国民の感情論ではある。けれど、その感情論は同時に法理の構成要素でもあるから。なぜならば、犯罪と刑罰に関して圧倒的多数の国民がそのような法感情を抱いているという事実は、裁判所たる裁判官の判断を拘束する法解釈の枠組みに他ならないからだ

畢竟、私には、現実の国民の法感情の所在を冷静に勘案することもなく馬鹿の一つ覚えの如く「冷静に冷静に。厳罰化では問題は何も解決しませんよ。犯罪者を死刑にしても被害者が生き返るわけでもないですしね」「被害者遺族には死刑判決よりも専門家による(加害者との<和解作業>も織り込んだ)心のケアの方が重要。犯罪の撲滅には厳罰化よりも犯罪者に犯罪を選択させたこの社会の歪みの究明と是正が大切です」と唱え続けている朝日新聞やカルト的な死刑反対論者の「冷静なる言説」こそ「惰眠を貪る感情論」に思えてならない。


<海馬之玄関HP・2003年10月10日


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<続く>


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Overhauling Article 9?

A legacy of its retreat from militancy after World War II, Japan’s constitution, with the two-paragraph Article 9, renounces war and promises to never maintain land, sea and air forces. Article 9 has never been changed, but its interpretation has been loosened, most clearly in 1954, when Japan established the SDF for the purpose of protecting its own land.

Still, the SDF, as a defense-only unit, faces profound restrictions. It has no long-range missiles or aircraft carriers. Though it takes part in peacekeeping missions overseas, it can’t join in combat to defend an ally.

But there’s a growing push to change this restriction on “collective self-defense,” as it’s known. Noda favors a change, as does Toru Hashimoto, the country’s most popular politician, who recently launched a new national party. Meantime, the Liberal Democratic Party, likely to assume power after Noda, has taken an even bolder step, laying out a re-drafted constitution that overhauls Article 9, provides the right to collective self-defense and “make[s] Japan a truly sovereign state.”



憲法9条の見直し総点検?

第二次世界大戦後にその好戦的な傾向と日本が縁を切ったことの流れの中で、日本の憲法は、二つの段落からなるその第9条でもって戦争を放棄し、かつ、今後いかなる陸・海・空の軍隊をも保持しないと誓約している。而して、この9条は今まで一度も修正されたことはないけれど、その解釈は漸次より緩やかなものに変えられてきた。例えば、1954年に自国領土を守るために自衛隊が設立された際の9条解釈の変更はその最も代表的なものと言えるだろう。

さはさりながら、専守防衛のための部隊組織としての自衛隊にはいまだに幾重にも憲法上の制約が課されている。例えば、この憲法の制約を鑑みて、自衛隊は長距離射程のミサイルや空母は保有していない。あるいは、自衛隊は海外の平和維持活動に参加しているものの、同盟国の軍隊を守るための戦闘に参加することは憲法によって禁止されている。

【このセンテンスに書かれた筆者の憲法解釈は「自衛権」概念を理解してない点で国際法的にも憲法論的にも完全な誤謬であるだけではなく、実は、「核兵器の保有も自衛目的であれば憲法上認められる」とした岸内閣以来の日本政府の有権解釈からも間違い。要は、憲法が禁じているということと、時の政府が政策的にそのような装備は配備しない/友軍の防衛は控えるという方針を採用していることは法的には全く別の事柄なのだから。ただ、訳は原文テクストに従った。尚、この論点を巡る憲法論についてご興味のある向きには下記拙稿をご参照いただければと思います】

しかし、「集団的自衛権」として知られている自衛権を巡る憲法上の制約を改正しようとする圧力は年々強まっている。この国で最も人気のある政治家の一人の橋下徹氏、ちなみに、最近新たな国政政党を立ち上げた橋下徹氏と同様、野田首相もこの集団的自衛権に関する制約の変更には賛成の立場なのだ。ところが彼等とは些か異なり、野田氏から政権を譲り受けるだろうと大方が予想している自民党は一層大胆な措置を取ろうとしている。すなわち、憲法9条に見直しの総点検を加え、憲法に集団的自衛権を盛り込み、もって、日本を真の主権国家にするべく、自民党は憲法の改正を期しているのである。

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444575.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57964889.html


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Japan’s constitution has never been changed, and any revision would require a two-thirds majority in both houses of parliament, as well as a national referendum. Some Japanese politicians, experts note, have pushed for decades for changes in the pacifist clauses of the constitution, but opposition now has become less vocal.

“I don’t see the tipping point yet for constitutional change” because any change requires profound consensus, said Masashi Nishihara, president of the Research Institute for Peace and Security in Tokyo. “But we are moving in that direction.”

Nishihara pointed to several smaller steps that indicate Japan’s willingness to push the boundaries of its constitution.

Japan last year relaxed a long-standing ban on weapons exports. In June, it passed a law permitting military space satellites and other surveillance, which had previously been prohibited. Japan’s SDF this month is also taking part in U.S.-led minesweeping exercises in the Strait of Hormuz.

“The pacifist sentiment is still strong enough to impact Japanese government policy,” Nishihara said. “So the government has to be careful. It has to move very slowly.”



日本の憲法は今まで一度も改正されたことはない。また、どのような改正についても、憲法の改正には国会を構成する二つの議院でともに三分の2を超える多数が必要とされており、加之、国民投票も要求されている。専門家によれば、日本の政治家の中には何十年もの間、憲法9条というこの憲法の非戦主義が濃厚な条項の改正を目指して活動してきた人士も希ではないらしいのだけれど、護憲の方の現在の勢力はと言えばそう芳しいものではなくなってきているとのことである。

いやしくも憲法改正ということになれば多岐に亘る論点を巡る二重三重の重層的な意志一致が必要なのだから「私自身は憲法改正に向けてこの社会の潮目が変わってしまったとは思いません。」「けれども、憲法改正を引き起こす社会の変化の臨界点に向けてこの日本の社会がこの瞬間も動いていることは否定できないでしょうね」と、東京に本拠を置く平和安全保障研究所理事長の西原正氏は語ってくれた。

西原氏は、憲法の規範意味内容や憲法の制約をより緩やかなものへ押し広げることが望ましいと感じている日本人の心性を象徴している幾つかの細かな変化を指摘してくださった。

すなわち、昨年、日本は長年続いてきた武器輸出の禁止措置を緩和したということ。而して、この6月には今まで禁じられてきた軍事目的やその他の監視目的の人工衛星を許可する法律が制定されたこと。そして、今月にはホルムズ海峡で行われるアメリカ主導の機雷を除去する掃海演習に日本の自衛隊も参加することなどがそのような細かな変化の事例ということだ。

「非戦主義の情緒はいまだに日本政府の政策にそれなりの影響を与える程度には強いのです」「よって、政府は慎重にことを進める必要がある。日本の政府は正に氷河の流れの如くゆっくりとことを運ばなければならないということです」と、西原氏は付け加えてくださった。

(翻訳紹介終了)


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◆資料


▼米国民のメディア不信、最高の60%に

米国民の新聞やテレビなどメディアに対する不信がこれまで最高の60%という水準に達したことを示す世論調査結果が21日、発表された。大統領選挙を中心とする国政ニュースの報道を不公正、不正確とみなす国民が増えており、特に共和党支持者が、大手メディアの民主党支持偏向を指摘する向きが多いという。

米国の大手世論調査会社ギャラップが発表した調査結果によると、メディアの主に国政ニュースに関して、その報道を「完全、正確、公正」の基準からみて「ほとんど信用しない」「まったく信用しない」と答えた人が合わせて全体の60%に達した。「大いに信用する」と「かなり信用する」と答えた人が合計40%と、不信用・信用の差は20ポイントとなった。

調査は大統領選で共和、民主両党がともに全国大会で候補を正式に決めて間もない9月上旬に全米規模で実施された。この60%というメディア不信は、ギャラップ社が同種の調査を始めた1970年代以来、最高の水準。前回大統領選の2008年では56%だったという。

米国の政治報道ではニューヨーク・タイムズ、CBSといった大手メディアは年来、民主党寄りで、大統領選でも社説では民主党候補の支持を打ち出すうえ、報道記者たちも民主党支持が圧倒的に多いことは公然の事実となっている。

このため、共和党側からは選挙のたびに「大手メディアの民主党支持偏向」を非難する声が出る。今回の調査でも「メディア信用」の答えが全体では40%だったのに対し、共和党支持者では26%、無党派が31%、民主党支持者が58%という数字が出ており、共和党側の大手メディア不信はさらに強まったことが判明した。


(産経新聞・2012年9月22日


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ジャンル : 政治・経済




Tensions escalate

The most obvious sign of Japan’s new security concerns came two years ago, under then-Prime Minister Naoto Kan, when the country overhauled its defense strategy, turning its attention to China’s expanding naval threat and promising greater surveillance of the southwestern island chain that marks a tense maritime border between the neighbors.

The strategy pinpointed Beijing as a chief security concern, and tensions have only escalated this summer as the countries have sparred over a collection of remote, uninhabitable islands and the waters around them.

Although the disputes over these islands go back centuries, experts say that Japan is taking unprecedented steps to boldly state its claims and monitor its waters, with heavy investments in helicopters and airplanes that can transport SDF members to a maritime crisis.



緊張増大

安全保障に関して日本が抱くに至った新しいタイプの危機感は、2年前、菅直人首相の政権下でこれ以上ないというくらい明瞭なものになった。すなわち、防衛戦略に総点検が加えられ、もって、支那の海軍力増強が孕む脅威に注目し、加之、近隣諸国と日本との間の緊張関係がそこに塗り込まれている、海上の国境線でもある南西諸島に対して日本はこれまでに比べてより大規模な監視を行う方針であることを内外に宣言したのだ。

総点検の結果打ち出された新しい安全保障の戦略は日本にとって、その主要な安全保障上の懸念材料が支那に他ならない事実の直截な指摘である。実際、この夏、他の領土から比較的離れている一塊の無人島とその周辺の海域を巡る両国の非難合戦という形で、日本と支那との間で緊張が高まったのだから。

それらの島礁の領有権を巡る論争は何世紀にも亘って続いてきたものではあるけれど、この問題の専門家によれば、自国の主張を明々白々なものとして述べるべく日本は他に類を見ないほどの措置を講じているらしい。加之、この海域で危機が惹起した際には自衛隊の隊員を輸送可能なヘリコプターや航空機を幾重にも手配しており、もって、件の島礁の周辺海域を監視する手はずも万端怠りはないとのこと。

【確かに、支那が尖閣諸島の自国への帰属を示唆する証拠として数世紀も遡る「資料」(笑)を提示していることは事実である。けれども、遅くとも1895年1月に日本が尖閣諸島を日本領であると内外に表明して以降、早くとも1970年9月に台湾の議会が、そして、同年12月に支那の北京放送が日本の領土主権を否定するまでの75年間、支那は(清国・中華民国・中華人民共和国の三者とも)一度も尖閣諸島の領有権の主張/日本の実効支配への批判を行ったことはない。この点が尖閣と竹島のケースを分かつポイントなのだけれども、いずれにせよ、よって、この「件の島礁の領有権を巡る論争は何世紀にも亘って続いてきた」という記述は、歴史的にも国際法的にも完全な間違いと言える。けれども、訳は原文テクストに従った】


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Additionally, Japan by 2015 plans to deploy troops on southwestern Yonaguni Island, in the East China Sea. A defense ministry spokesman said that this will be the first time Japan will station ground troops anywhere in the “first island chain” that runs from Okinawa to Taiwan and that also includes the Senkaku Islands, owned by Japan but claimed also by China and Taiwan.

“It has now become the highest priority . . . to figure out how to reinforce the defense of Japan’s southwestern region along this first island chain,” Defense Minister Satoshi Morimoto said in a recent interview.

Morimoto, however, said that he does not think Japanese support flagrant use of force, and he rejected the idea that Japan is moving toward the right. Conducting “military activities that pose an unnecessary threat to surrounding countries,” Morimoto said, “would only damage the stability of the region.”

China says Japan has already caused damage a different way — with its move last week to nationalized the Senkaku Islands, which the central government bought from a private owner. China blasted the “illegal” move and sent six ships into Japanese waters, all while Chinese staged anti-Japanese protests in more than 50 cities. The purchase, a commentary in the China’s state-run Xinhua news agency said, indicates that “Japan has not shown any sincere regret for past invasions, but is, instead, attempting to recover its pre-defeat prestige.”


かくの如き備えに加えて、2015年までに日本は東シナ海の南西にある与那国島に陸兵部隊を配置することにしている。防衛省の広報官によれば、「第1列島線」(★)の中で沖縄から台湾の間に点在する島礁に日本が陸上部隊を駐屯させるのは初めてのこととのこと。ちなみに、この「第1列島線」には日本が所有しているものの、支那および台湾もその領有権を主張している尖閣諸島も含まれている。

「第1列島線に沿って日本の南西地域の防衛力をどのように強化するかを見いだすこと・・・、このことが今や最優先の検討課題なのです」と森本敏防衛大臣は最近のインタビューで述べておられる。

森本氏は、他方、野放図な武力の行使を日本国民が支持することはなかろうと思うと述べている。よって、日本が右寄りに移行しつつあるというという理解には自分は肯んじえないのであって、「周辺諸国に対して不必要な脅威を抱かせる軍事的活動」を行なうことは「単に、東アジア地域の安定性を毀損するものに過ぎないのではないか」とも。

支那は、別のやり方で日本はすでに東アジア地域の安定性を損なってしまったと断じている。すなわち、日本による尖閣諸島国有化がそれである、と。ちなみに、国有化とは日本の中央政府がある私人たる所有者から尖閣諸島を購入したという意味なのだけれども。而して、支那はこの「違法」処置を激しく非難し、かつ、6隻の艦船を日本領海に派遣した。加之、支那政府がこのような非難と抗議を行っていた正にその同じ頃、50以上の都市を舞台にして支那人による反日抗議行動が展開された。支那国営の新華通信社の論評によれば、日本政府による今回の買取は「日本が過去の侵略行為を毫も悔悟しておらず、否、あろうことか、日本は侵略戦争の敗北で失った国威の回復を目指している」ことの徴表に他ならないとのこと。

★補註:第1列島線

地政学的用語。(0)ユーラシア大陸の東海上に連なる諸々の列島を結ぶ線の中で最もユーラシア大陸に近いもの。一般的には、(アリューシャン列島)カムチャッカ半島・千島列島・日本列島・南西諸島・台湾・フィリピン北部・ボルネオ島・マレー半島を結ぶ、国際政治的思考の仮想空間に引かれた線。

而して、(1)元来は、冷戦華やかりし頃に、日米を始め自由主義陣営諸国が、支那を封じ込めるための軍事戦略上の概念/戦力展開の目処となる指標であったが、(2)1980年代以降は、逆に、この同じ「第1列島線」という概念は、支那側にとっての対自由主義陣営の防衛線の語義としても用いられている。本記事では、この “first island chain” は最前者の地理学的な(0)の語義を前提とした上で、専ら前者(1)の語義で筆者は使っていると解されよう。


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<続く>

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Japan’s shift can be seen in an increasingly muscular role for the nation’s Self-Defense Forces (SDF), in a push among mainstream politicians to revise key portions of the pacifist constitution and in a new willingness to clash with China, particularly in the East China Sea, where U.S. Defense Secretary Leon E. Panetta said this week he was “concerned about conflict.”

But analysts stress that Japan, even with its rightward shift, still remains ambivalent about its military; Japan is merely moving toward the center, they say, after decades of being perhaps the world’s most pacifist advanced nation.

“The post-World War II Japan policy was to be low-key and cooperation-oriented,” said Narushige Michishita, a self-described moderate and a security expert at the National Graduate Institute for Policy Studies in Tokyo. “We tried to avoid any confrontation or friction with surrounding countries. . . . But there’s a widespread feeling in the minds of Japanese people that being nice didn’t work out.”

Polls suggest Japanese are increasingly concerned about security and feel their country faces an outside threat. According to government data collected earlier this year, 25 percent think Japan should increase its military strength, compared with 14 percent three years ago and 8 percent in 1991.



右傾化する日本の姿は、日本の自衛隊の果たす役割が年々軍事的により強力かつ実体的なものになってきていることに露わである。而して、自衛隊の役割の変化は、日本の非戦主義の憲法の枢要な条項の改正を日本政界の主流に属する政治家が推し進めようとしていることと轍を一にしており、加之、「喧嘩上等」の意識、すなわち、支那との衝突をむしろ歓迎する、就中、東シナ海での支那との衝突はむしろ望むところだという意識の広がりとも自衛隊の役割の変化は連動していよう。ちなみに、その東シナ海についてアメリカのPanetta国防長官は今週【2012年9月18日-19日】アメリカもその地域における「日本と支那との紛争には懸念と関心」を抱いていると述べている(★)。

専門家筋によれば、日本の右傾化について重要なことは、しかし、右傾化という現実は否定できないにしても、もうすでに日本が武力の行使も躊躇しないような国になったわけではないということ。畢竟、この何十年かの間、世界の先進国の中でもおそらく最も非戦主義的だった日本は、武力を外交の手段として使用する頻度と度合いに関して、現在、世界の先進国の標準的な立ち位置に向かって移行しつつあるに過ぎないということらしい。

「第二次世界大戦終結以降、日本の外交政策の指針は控え目なものであり日本は専ら他国との協調を旨としてきた」。自らを政治的には中道に位置する安全保障の専門家と自己規定する、政策研究大学院大学の道下徳成氏はそう語る。「日本は近隣諸国との対立や摩擦を避けることに専念してきた・・・。しかし、現在、日本国民の間には、「他国に対して日本はずうっーと優しく親切にしてきたよね。でもね、結局、その結果は日本にとって好ましいものじゃなかったよね」という思いが広がっている」とも。

世論調査の結果も、安全保障に対する危惧/日本は他国の脅威にさらされていると日本人が感じるようになってきていることを示唆している。すなわち、今年の年初に行われた日本政府の統計資料によれば、25%の日本国民が軍備増強を要求しているのだけれど、この数字は3年前は14%であり、1991年には8%に過ぎなかったのだから。

★補註:Panetta発言-NHK・2012年9月21日
アメリカのパネッタ国防長官は、19日、訪問先の中国で習近平国家副主席と会談した際、尖閣諸島を巡る日中の対立について、「両国の話し合いによる平和的な解決を望む」としたうえで、尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内だと直接説明したということです。そして、「アメリカは安全保障条約の責任がある」として、仮に軍事的な衝突に発展すれば、アメリカも関与せざるをえないという認識を伝えたということです。パネッタ長官は、中国の梁光烈国防相らにもこうした考えを伝えたとのことです。


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That shift in thinking is reflected in Japan’s leaders, including hawkish Prime Minister Yoshihiko Noda, son of an SDF member, who has restored the U.S.-Japan security alliance as the “foundation” of Tokyo’s foreign policy. That’s a stark shift from three years ago, when then-leader Yukio Hatoyama frayed ties with Washington and dreamed of a harmonious “East Asian community” that included China.

But Noda, unpopular and likely facing an election in the upcoming months, is a relative moderate compared with those lining up to take his place. Front-runner Shigeru Ishiba, of the Liberal Democratic Party, said in a recent interview with the Wall Street Journal that the SDF should be able to fire warning shots against maritime intruders; currently, the SDF yields to the Coast Guard to handle incursions. Another top candidate, Nobuteru Ishihara, son of China-baiting Tokyo Gov. Shintaro Ishihara, said recently that part of the country “will be snatched” if Japan is off guard.

Some of the get-tough-on-China talk, surging this summer amid a recent territorial dispute, merely caters to Japan’s small and vocal group of nationalists. But such security issues have also “become more important to common people as well,” said Yuichi Hosoya, a professor of international politics at Keio University, and no politician can ignore that.

No matter who follows Noda as prime minister, Hosoya said, Japan will move further to the right.



日本国民のこのような意識の変化は日本の政治指導者にも反映している。自衛官の子息である鷹派の野田佳彦首相がその反映の証左の一例。野田氏は、日米軍事同盟が日本外交の<基盤>であることを再確認すべく汗をかいているところなのだから。而して、野田氏のこの取り組みは、3年前に【史上最悪の首相と呼んでも断じて言い過ぎではない、】この国の当時の指導者・鳩山由起夫氏が日米関係をズタズタにしながらも、支那をも包摂する耳障りの良い所謂「東アジア共同体」なるものを夢想していた頃に比べればそれは赤裸々な方針転換と言えるだろう。

野田氏は、低迷する支持率に喘ぎながら近いうちに総選挙の試練に直面することになる。けれど、その野田氏でさえ彼から首相の座を引き継ぐべく控えている他の面々に比べればまだ穏健派の部類なのだ。実際、次期宰相の最右翼候補とされている、自民党の石破茂氏は、ウォールストリートジャーナルとの最近のインタビューで、領海侵犯【≒intrusion into territorial waters】を犯す艦船に対して自衛隊は威嚇射撃が許されなければならない、というのも、現在のところ領海侵犯に対する処置は自衛隊ではなく海上保安庁の任務とされているのだからと述べている。また、もう一人の次期宰相候補と目されている石原伸晃氏、すなわち、歯に衣を着せぬ本物の支那嫌いで知られている石原慎太郎東京都知事の子息である石原氏もまた、最近、日本が隙を見せようものなら日本のいずれかの領土を「躊躇なく奪おう」と虎視眈々の外国は間違いなく存在すると語っているのだから。

領土を巡る紛争がここのところヒートアップする中、この夏、支那への厳しい対応を要求する言論が盛んに発せられた。けれども、それらは五月蠅く騒々しくはあるが日本国内でも取るに足らない極少数派の民族主義グループの発言に過ぎない。一応はそう言えるだろう。けれども、国の安全保障に関する問題は「一般の国民大衆にとっても以前に比べてより重要な事柄」と捉えられるようになっきている。そして、安全保障の問題を無視できる政治家などどこにもいるはずもない。そう、慶応大学の国際政治学の教授、細谷雄一氏は述べる。

その細谷氏によれば、いずれにせよ、誰が野田氏の次に宰相の印綬を帯びようとも日本が更に右傾化することはまず間違いないとのことである。


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<続く>



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下記拙稿に引き続き、「右傾化する日本」という切り口から現下の日本をレポートしたアメリカ有力紙の報道を紹介します。出典は、"With China’s rise, Japan shifts to the right"(The Washington Post, September 21, 2012)、而して、記事タイトルの意味は「支那の興隆に押され右傾化する日本」あるいは「拡大する中国の影に怯え右傾化する日本」といったところでしょうか。先ず、出典記事を俎上に載せた日本側の報道を転記させていただきます。

・ウォールストリート・ジャーナル
「日本でナショナリストの影響力が拡大」(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61521616.html

・安倍総理の逆襲-「従軍慰安婦」という空中楼閣に依拠した
 New York Timesの自民党新総裁紹介記事(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61507543.html



▼「日本は右傾化」戦後最も対決的と米紙

21日付の米紙ワシントン・ポストは、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との対立などを背景に、日本が「緩やかだが、かなりの右傾化」を始めていると指摘、周辺地域での行動は「第2次大戦後、最も対決的」になっていると1面で報じた。

同紙は、日本の政治家が与野党問わず集団的自衛権の行使容認を主張するようになり、憲法改正論が高まっていると分析。沖縄県・与那国島への陸上自衛隊配備計画などを挙げ、自衛隊にも「より強力な役割」が与えられつつあるとの見方を示した。

背景として海洋進出を活発化させる中国の存在に加え、20年にわたる経済停滞の下で「失われた影響力を回復すべきだという感覚」が日本国内で広がっていることを指摘した。一方で、日本には軍事力保持への複雑な感情が根強く残り、右傾化には一定の限界があるとの専門家の見方も紹介している。


(共同・2012年9月22日


▼「右傾化」→「普通の国家並み」 米メディア、尖閣対立で日本側対応分析

米国メディアが日中の尖閣諸島をめぐる対立での日本側の対応の分析を頻繁に報じるようになった。中国への強固な態度を集団的自衛権の解禁や憲法改正への動きと結びつけ「右傾化」と単純に決めつける向きが一部にある一方、日本がついに他の国家並みになってきたとする見方が多い点で、解釈は客観的になったともいえそうだ。

尖閣問題を機とする日本の変化については、ワシントン・ポスト(21日付)の「日本が右寄りのシフト」という見出しの東京発の長文記事が目立った。「(日本が)中国のために外交、軍事のスタンスが強硬にも」という副見出しをつけ、野田首相をタカ派と呼び中国への強い態度を「右寄り」と評しつつも、「日本はこれまで世界一の消極平和主義の国だったのがやっと(他国並みの)中道地点へと向かうようになった」と強調した

さらに、日本の憲法や集団的自衛権の禁止が世界でも異端であることを説明し「これまでは中国との対決や摩擦を避ける一方だったが、日本国民はその方法ではうまくいかないことがわかったのだ」とも論じた。

同紙は22日付でも「アジアの好戦的愛国主義者たち=中国と日本の政治家はナショナリズムに迎合する」という見出しの一見、日本の動きにも批判的にみえる論文を載せた。だが内容はほとんどが中国政治指導層への非難で、「日本の政治家も中国の暴徒扇動には温和な対応をみせたが、なお政治的な計算は忘れなかった」とする程度だった。

AP通信は24日、東京発の「日本の次期政権ではナショナリズムが高まり、中国との緊迫が強まる」という見出しで、自民党総裁候補の安倍晋三氏や石破茂氏が対中姿勢を強くしていることをやや批判的に伝え、日中関係がさらに悪化する見通しを強調。しかし、同時に「日本国民全体が特に民族主義的になっているわけではない」と付記した。

ニューヨーク・タイムズ(23日付)は「中日両国のナショナリストたちがこの領土紛争を利用している」という見出しをつけた。しかし内容は、中国側が官民で民族主義を高め日本糾弾を強めているのに対し、日本側は「第二次大戦以来の平和主義傾向のため対決を避ける様子だったが、中国側の激しい野望がそれを変えてしまった」とし、日本の対中姿勢も自衛上、やむをえずとの見方を示した。


(産経新聞・2012年9月26日、下線はKABUによるもの)


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このワシントン・ポスト紙の報道が<逆輸入>された当初は(安倍晋三総理の自民党総裁への返り咲き、<安倍総理の逆襲Vol.1>が現実のものになりつつあった9月下旬のこととて、その現実に対する左翼・リベラル派を襲った恐怖感が「枯れ木→幽霊」ならぬ「日本の憲法や日本の戦争責任について些か無知ではあるにせよそこそこ公平な観客→右翼を批判している援軍」と見誤らせた節もなきにしも非ずだったのか)、「世界は日本の右傾化や日本における民族主義の復活を危惧している」かの如く論じる向きも少なくありませんでした。けれども、上の産経新聞記事が冷静に分析しているように、これら一連の米有力紙の報道は「右傾化する日本」なるものや「民族主義の日本での復活」に対して批判一色のものではありません。

もっとも、日本における現下の民族主義運動が旧来の時代遅れで強面のものから広範な支持を獲得可能な理性的でお洒落で今時のものに変わりつつあることに焦点を当てた、前稿紹介の記事"Nationalist Movements in Japan Gain Influence"「変化する日本-影響力を益す民族主義の動き」(The Wall Street Journal, August 15, 2012)とは違い、本稿で紹介する"With China’s rise, Japan shifts to the right"(The Washington Post, September 21, 2012)は、その記述が日本国憲法の意味内容により重点を置いたものだけにその<無知>は隠しようもない。そのような文化帝国主義の傲岸に染まった無知や「群盲象を撫でる」が如き無謀が炸裂するこのワシントン・ポストの記事も、しかし、例えば、文芸評論と区別できない空虚な朝日新聞社説や脱原発原理主義の信仰告白を謳いあげた東京新聞の記事に比べれば遥かに生産的で有意味ではなかろうか。と、そう私は考えます。

もっとも、(土台、社会のインテリ層やエリート層しか新聞を読む習慣のないドイツ、あるいは、斎藤緑雨の一句「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」どころか「ル・モンドとはフランス共産党の機関誌でしたよね、とフランスの庶民(the 99%)言い」という揶揄が満更中傷でも冗談でもないフランス程ではないにせよ)本稿末尾に「資料」として転記させていただいた別の産経新聞の記事が伝えているようにアメリカでは国民・有権者から、左翼・リベラル派のマスメディアはあまり信用されてはいないのですけれども。閑話休題。

いずれにせよ、海外報道を読む上で私が重要と考えることは、(戦後民主主義が跳梁跋扈し猖獗を極めた日本の戦後社会とは全く異なって、必要悪的な例外としてではなく)「右傾化」や「ナショナリズム」というもの自体が欧米では原則的にも好ましからざるものとは毫も考えられてはいないことです。

この彼我の差が存在する経緯は、我が国では「日本列島は日本人だけのものではない」と言い放つ、<地球市民>どころか<宇宙人>が首相になるような歪な社会であること、他方、欧米においては、一世を風靡したハーバーマス(1929-)の「憲法愛国主義」国家社会における社会統合軸を、歴史的に特殊かつ排他的な「民族性」などではなく、人類に普遍的であると左翼・リベラル派が勝手に思い込んでいる人権と民主主義に見いだす/人々が国家の命令に従わなければならない根拠を人権や民主主義や立憲主義といった政治哲学的価値を守護する国家の責務と機能に見いだすアイデア)まで遡るまでもなく、2012年の現在、所謂「富裕層:The 1%」に一層の社会貢献を要請する局面にそのロジックの定義域はおおよそ限られるにせよ、「同じアメリカ人/ドイツ人/英国人じゃないか、ならここは一肌脱いでちょうだいよ」といったご都合主義的でさもしいロジック。すなわち、「リベラルナショナリズム」のロジックなるものを(個別具体的で歴史的に特殊な個々の国家の現存在は否定できず、かつ、その国家社会における社会統合軸もまたそのような国家の現存在性と矛盾したものであり得るはずもない以上、)左翼・リベラル派も欧米では真顔で論じていることからも自明なの、鴨。と、そう私は考えます。

尚、この「リベラルナショナリズム」に象徴される、近代国家における<ナショナリズム>の死活的な重要さについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。以下、翻訳の紹介。

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html

・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60640144.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


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With China’s rise, Japan shifts to the right

Japan is in the midst of a gradual but significant shift to the right, acting more confrontationally in the region than at any time since World War II.

The shift applies strictly to Japan’s foreign policy and military strategy, not social issues, and has been driven both by China’s rapid maritime expansion — particularly its emphatic claims on contested territory — and by a growing sense here that Japan should recover the clout squandered amid two lost decades of economic stagnation.



拡大する中国の影に怯え右傾化する日本

日本は徐々にではあるけれど明らかに右傾化に向けて舵を切った。第二次世界大戦以降のどの時期に比べても、東アジア地域における現在の日本の行動は自国の主張を誰にはばかることなく押し通すタイプのものになってきたということだ。

右傾化する日本の姿は、社会政策的の課題ではなく外交政策や軍事戦略の領域でより明瞭である。而して、ある二つの契機が日本の右傾化を促進している。急速な支那の海洋進出--就中、日本と支那との間で領有権の争いが存在する領土を巡る高圧的な支那の姿勢--がその一つであり、他の一つは、この失われた20年の経済不振の中で大幅に目減りしたかっての影響力を日本は取り戻さなければならないという認識が日本社会の中で力を持ってきたこと。これらが現下の日本の右傾化の熱源と言えよう。



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б(≧◇≦)ノ ・・・なんでやねん!



<続く>


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But after years of being dismissed as largely a fringe provocateur, Mr. Ishihara’s clout appears to be on the rise. He was able to translate his trademark China-bashing into policy this summer with his plan for the Tokyo metropolitan government to buy the contested Japan-controlled Senkaku islands— called Diaoyu in China—from private Japanese owners.

Mr. Ishihara got considerable attention for his Senkaku gambit when his online island-buying fundraising campaign raised $16 million in two months. Satoru Mizushima says his network of nationalist organizations generated one-third of that cash. He also raised $13,000 to defray costs for the visiting Uighurs in May.


その石原氏は、しかし、日本においても長らく、確かに際物ではあるけれど取るに足らない狂言廻の役回りを演じるだけの過去の人だった。その石原氏と彼を支持する勢力に対する注目が現在赤丸急上昇中なのである。それは、この夏、石原氏が支那批判の自身の持論を具体的な政策に落とし込むことに成功したからだ。すなわち、日本が統治しているものの、支那と日本の間でその領有権の帰属が争われている尖閣諸島-支那名では釣魚島-をその地権者であるある私人から東京都が購入する計画をぶち上げたことが現下の<石原株急上昇>の背景である。


尖閣諸島を巡る石原氏の初手は日本社会の中で尋常ならざる注目を集めた。というのも、尖閣諸島購入資金を集めるべくインターネット上に石原氏が開設した寄附要請活動に対して2ヵ月の間に1600万ドルが寄せられたのだから。民族主義的グループのネットワークに影響力を持つ水島総氏によれば、水島氏が関係するそのようなネットワークが尖閣諸島購入のために寄せられた寄付金の三分の1を集めたとのことだ。ちなみに、前述のウイグル独立派が来日するに際して必要な費用として水島氏は1万3000ドルもの資金もまた集めたとのこと。


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Realizing the diplomatic perils of letting Mr. Ishihara control the territory, Mr. Noda felt compelled to have the national government step in to try to purchase the islands, currently owned by a Japanese family and leased by the Japanese government. But that, in turn, has raised Beijing’s ire, leading to protests and a Chinese patrol-boat mission to the area—prompting counter-protests from Japan. Another boatload of protesters from Hong Kong is expected to arrive at the islands within the next few days.

Today’s leading nationalist organizations try to distance themselves from traditional right-wing groups, whose public image is one that includes loud and menacing protest rallies. The issues driving the current generation also are distinct from earlier ones, which were more focused on Japan’s war experiences and on issues such as worship of the imperial family.

Nationalist Internet sites have proliferated in recent years, allowing participants—known as netto uyoku, or Internet rightists, to air their views.


尖閣諸島に石原氏の権限が及ぶこと、そのことによって日本外交が危機に陥ることを危惧して、野田首相は日本政府による尖閣諸島購入に踏み込むしかないと判断した節がある。ちなみに、尖閣諸島の現在の地権者は私人たるある日本人一族であり、日本政府が現在は尖閣諸島を賃貸借しているのだけれども。前門の狼、後門の虎。石原氏の目論見を砕く野田氏のこの決断は、しかし、一方で支那政府の憤激を引き起こしてしまう。支那国内での対日抗議活動や支那の巡視船の尖閣諸島周辺海域への突入もその流れの中で生じたことであり、また、それら支那の動きに促される形で支那に対する日本側からの抗議行動も生じている。

現在では、民族主義系の主要な諸団体は、伝統的なかっての右翼集団からは距離を置こうとしている。その伝統的右翼集団に対して一般的に連想されるものと言えば、騒々しく、かつ、威嚇を専らとする集会といったもの。加之、民族主義的心性を抱いている、しかし、現在の世代が関心を持つ政治的課題もまた、戦争や皇室を巡るものにより比重がかかった旧来のものからは明らかに変容している。

実際、民族主義を信奉標榜するサイトはインターネット上に溢れておりそれらはここ数年増加の一途である。而して、ネット右翼、つまり、インターネットを専ら利用する右派が、そんな民族主義的なサイトを舞台に【百花繚乱・万紫千紅】自分達の主張や見解を発信している。

(以上、翻訳紹介終了)


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以下、参考資料のWSJ日本語版掲載記事。下線箇所は英文テクストには見られない箇所の指摘、KABUによるものです。尚、所謂「従軍慰安婦」なるものが砂上の楼閣であること、しかし、それに対して日本は積極的に反撃すべきことについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・安倍総理の逆襲-「従軍慰安婦」という空中楼閣に依拠した
 New York Timesの自民党新総裁紹介記事(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61507543.html



▼日本でナショナリストの影響力が拡大―領土問題受け

中韓との緊張の高まりを受けて、日本でナショナリストの影響力が強まっており、野田佳彦首相にとって頭痛の種になっている。 松原仁国家公安委員長と羽田雄一郎国土交通相は終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝する意向である。民主党政権下で、閣僚が終戦記念日に靖国を参拝するのは初めてとなる。

一方、韓国の李明博大統領は先週日韓が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)を訪れ、日本は激しく反発した。韓国政府高官によれば、李大統領は15日、日本の植民地支配からの解放式典での演説で、日韓両国の関係改善のためには日本は歴史問題を解決する必要があると訴える見通しである。

また中国政府は、この3カ月だけでも中国から海外に逃れた亡命ウイグル人による「世界ウイグル会議」が5月に東京で開催されたことと野田首相が尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化方針を打ち出したことに対し正式に抗議している。

こうした中で日本の保守派政治家は最近、伝統的な街頭での抗議行動から脱し、ソーシャルメディアなどを使って若い世代の支持をつかもうとし始めている。各種のブログやツイート、インターネット動画などでは、日本の主流メディアでは取り上げられないナショナリスト的な意見が掲載され、保守派政治家と国民との距離を近づけている。

ナショナリストの主張が影響力を増していることは、野田首相の苦悩を深めている。野田氏は近隣諸国との対立激化を避けようとしている。だが、民主党の代表選挙を控え支持率低迷に見舞われている。日本政府は、ナショナリストからの圧力を受けて領土問題で強硬な姿勢を強めざるを得なくなっており、李大統領の竹島訪問に対し、駐韓大使を日本に一時帰国させ、14日には来週に予定されていた日韓財務相会合を延期すると発表した。

ナショナリストは、領土問題への関心の高まりが自分たちの最終目標、つまり自衛隊の役割を厳しく規制している平和憲法改正の実現に向け勢いをつけると期待している。

自民党の古屋圭司衆院議員は、「日本は平和ボケしていると思っている人が少しずつ増えてきている。尖閣諸島の問題にしても、竹島の問題にしても、北方領土の問題にしても、今まで自分達の領土で、ここまでバカにされたことはなかった」と話す。同氏は、ウイグル会議に関わったり、中韓に対する日本の領土的な主張への理解を得るため米ニュージャージー州を訪れる議員団に参加するなどナショナリスト的な活動に力を入れている。

21世紀の日本のナショナリスト運動には単一の指導者や政党はなく、民主、自民両党政治家らの緩い共闘で成り立っており、右翼の活動家や、著名な評論家や経済界指導者がこれを支援している。

ナショナリストの代表は石原慎太郎東京都知事で、4月に都による尖閣諸島買い取り計画を発表したことをきっかけに、影響力を強めているようだ。石原氏が尖閣諸島買い取り資金に充てるため集めている寄付金は、募集開始後2カ月間で12億円を突破した。

石原氏が、この問題で主導権を取ることで外交的な危機が生じることを懸念した野田政権は、現在民間人が所有している同諸島を国が買い取らざるを得ないと思ったようだ。しかし、これが中国を怒らせ、さらに日本国内での反発を招いた。また、香港からも運動家を多数乗せた船が数日中に同諸島に到着する見込みだ。

代表的なナショナリストの組織は従来、やかましく威嚇的なイメージの伝統的な右翼集団とは距離を置いてきた。また最近の運動の目標も、過去の大戦や天皇崇拝などを中心にしてきた従来の右翼とは異なる。最近のナショナリスト運動には、反原発運動と同様に社会に不満を持つ若年層が参加しているという見方もある。もっとも反原発運動の方が最近は社会に受け入れられてきている

最近はナショナリスト的ウェブサイトが存在感を増しており、いわゆる「ネット右翼」の主張が目につくようになった。こうした意見は、中国や韓国に対し挑発的で侮蔑的な表現を使うことが多い。映画監督兼脚本家の水島総氏も、ナショナリストの代表格だ。同氏は、領有権を主張して尖閣諸島に7回、漁船を送った。また討論番組主体の有線テレビ局を運営し、番組はインターネットでも視聴できる。同氏は、「本当のこと、真実を伝えない放送局と大新聞に対抗するために始めた」と語った


(日本語版ウォールストリート・ジャーナル・2012年8月15日


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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済



Nationalist lawmakers have found new ways to drive the policy debate in recent weeks, using tactics that go beyond traditional noisy protests to embrace a younger generation of supporters—and their videos and social media. Various blogs, tweets and Internet videos offering nationalistic views shunned by most of Japan’s mainstream media are helping to bring closer together conservative politicians and the public.

In the past three months alone, Japanese politicians have twice drawn formal diplomatic protests from the Chinese government: by hosting in Tokyo a large conference of Uighur separatists, branded terrorists by Beijing, and by pushing Prime Minister Yoshihiko Noda into proposing to buy a chain of privately owned islands claimed by both China and Japan.

A separate group of parliament members stirred complaints from Seoul by visiting the U.S. to demand the removal of a New Jersey monument dedicated to so-called comfort women, Korean women forced to work in military brothels during Japan’s occupation of Korea during World War II.



民族主義的傾向の強い国会議員は、上で触れた政治の諸問題を巡って自分達の主張を世に訴えるに際して、この頃では今までとは違う手法を用いるようになってきた。要は、比較的若い世代の支持者をどん引きさせるような騒がしいだけの抗議活動は意図的に避けて、その代わり、動画映像の使用、加之、インターネットを通じて送り手と受け手が意見や情報を相互にやりとりできるソーシャルメディアの使用を進めているのだ。

而して、ここ3ヵ月間に二度にわたって、日本の政治家は、正式な手続を踏んだ外交上の抗議を支那政府が出さざるをえない状況を作り出した。その二度のの抗議の一つは、(その人々はテロリストの烙印を支那政府からは押されているのだけれども、そんな支那からの分離独立を目指す)ウイグル独立派の大規模な国際会議を受け入れて東京開催を実現したことであり、他の一つは、ある私人が所有している一かたまりの島礁を、ところが日本と支那がともにその領有権を主張している島礁群に関して、その購入を野田佳彦首相をして現在の地権者に提案せしめたことである。

加之、日本の国会議員の中には韓国政府の憤懣の的になったグループも存在する。すなわち、所謂「従軍慰安婦」に捧げられたニュージャージーのとある記念碑を撤去することを求めて渡米したグループのことである。ちなみに、「従軍慰安婦」とは、日本が朝鮮を領有していた、就中、第二次世界大戦中に軍人相手の売春施設で働くことを強いられた朝鮮人女性のこと【このような意味での所謂「従軍慰安婦」なるものは存在しませんが、訳は原文に従っています】。


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The growing influence of nationalist causes complicates matters for Mr. Noda, who has so far avoided saber-rattling but faces poor approval ratings ahead of a tricky leadership campaign in coming months. Mr. Lee’s visit to the contested islet pushed Tokyo to give a strong response. It recalled its ambassador to Seoul, and on Tuesday postponed a meeting between its finance minister and his South Korean counterpart planned for next week.

The nationalist agenda is to push Japan’s government to be more assertive in defending the country’s territorial claims in a region fraught with multiple such disputes. Many hope the growing interest in territorial issues will give momentum to their ultimate goal: revising Japan’s pacifist constitution, which severely limits the role of the military, known as the Self Defense Forces.

“Many Japanese are beginning to realize we’ve been too complacent,” says Keiji Furuya, an opposition politician who, among other things, spearheaded the Uighur effort and joined the Korea protest in New Jersey. “Just look at all the claims made on our territories from China, South Korea and Russia. We’ve never been made to look so foolish.”


民族主義勢力の影響力増進という情勢を受けて、野田首相はより難しい対応を迫られている。野田氏は今までのところ実力行使も躊躇しない強面の外交姿勢は避けてきたきたものの、いよいよ難しい舵取りが必至のこれからの数ヵ月を控えているというのに野田政権は惨憺たる低い支持率に喘いでいる。野田政権を取り巻くこのような政治状況の中、懸案の島礁への李大統領の訪問という事態に対して日本政府はより強い対応をせざるを得なかった。すなわち、駐韓日本大使(its ambassador to Seoul)の本国召還であり、更に、火曜日【8月14日】にはその開催が来週予定されていた日韓財務相会議も日本側の意向で延期された。

民族主義勢力の現下の運動の獲得目標は、前述の如きそれらを巡って互いの利害や主張が錯綜している地域に対する日本の領有権を守ることにおいて、日本政府がより積極的かつより赤裸々になるよう圧力をかけることだ。それらの領土を巡る諸問題に寄せられる世論の関心が強まることは、彼等の最重要課題、すなわち、日本の非戦主義的な憲法を改正するという究極の課題を実現する上で願ってもない契機であるという認識は民族主義勢力内部でも有力である。ちなみに、現下の日本の憲法は自衛隊として知られている日本の軍隊の役割について厳しく制限しているのだけれども。

野党議員の古屋圭司氏は「日本は今まであまりにも極楽トンボだった。このことに気づき始めた日本人は少なくないですよ」と述べている。古屋氏は、その政治活動の一環として、上で紹介したウイグル独立派と日本の民族主義勢力との連携に率先して取り組み、また、韓国に対するニュージャージーでの抗議行動にも参加した政治家なのだけれども、その古屋氏は「日本の領土に対する支那や韓国やロシアからの領土的主張を一瞥すれば誰しも思い半ばに過ぎるでしょう。日本がここまで馬鹿にされたことはかってなかったのではないでしょうか」とも述べている。


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Japan’s 21st-century nationalist movement has no single leader or party, but is a loose alliance of politicians, young and old, from the two main political parties—along with some rightist activist groups— backed by influential commentators and business executives.

One prominent figure in the movement is Shintaro Ishihara, the 79-year-old governor of Tokyo. Mr. Ishihara has been the face of Japanese nationalism from the time he wrote his best-selling “The Japan That Can Say ‘No,’ ” in 1989 as a member of parliament.


21世紀の日本における民族主義運動には単一の指導者がいるわけでも、ある一つの政治政党がその運動を担っているわけでもない。現下の日本の民族主義的の政治活動は、影響力のある評論家や実業界の著名人が支持する幾つかの右派集団と並んで、民主党と自民党という二大政党所属の、かつ、世代的にも多様な政治家の緩やかな連携が担っている。

而して、石原慎太郎氏をそんな現下の日本の民族主義運動を代表する人物の一人と言っても許されるだろう。この79歳の東京都知事は、1989年、当時石原氏が現役の国会議員のときに書いた『「NO」と言える日本』がベストセラーになったとき以来、日本の民族主義の顔なのだから。


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<続く>


テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済




今年の晩夏から初秋にかけて、はからずも二つの米国の有力紙が「日本における民族主義の復活」「右傾化する日本」という現状を報じました。そういう触れ込みでこれら二つの記事が逆輸入よろしく日本の論壇の注目を集めた。ここで紹介する"Nationalist Movements in Japan Gain Influence"「変化する日本-影響力を益す民族主義の動き」(The Wall Street Journal, August 15, 2012)と、もう一つは、"With China’s rise, Japan shifts to the right"「支那の興隆に押され右傾化する日本」(The Washington Post, September 21, 2012)。


蓋し、左翼・リベラルの民主党政権の崩壊、保守中道の自民党の政権奪還の道筋が誰の目にも明らかになってきた頃のこと。ならば、WSJとWPSTというアメリカの有力紙がそろって「日本におけるナショナリズムの再生」を報じる(逆に言えば、日本における左翼・リベラルの退潮、あるいは、戦後民主主義の神通力の消失に着目した)記事を掲載したことが、本当に「はからずも」であったのかどうかは不明ですが、しかし、<逆輸入>されたこれらの記事が、例えば、その頃、9月下旬に行われた自民党総裁選での<安倍総理の逆襲>を妨害する機能を些かなりとも果たしたことは誰しも否定できないのではないでしょうか。


本稿はその続編と併せて、この二つの記事を根拠にしてなされた「保守派批判」への反批判を狙いつつこれら二つの記事を紹介するものではあります。けれども、安倍自民党の政権奪還が秒読み段階に入り、他方、石原都知事がいよいよ国政に駒を進める状況になった2012年11月半ば現在(紹介する記事が米有力紙掲載にかかる英文報道であり、要は、まだ目を通していない向きも少なくはないとしても)、なぜ今更翻訳しようと思ったのか。<安倍総理の逆襲>の成就がほとんど確実になってきた今、最早、そんな反批判に大した意味はないのではないか。何よりそんな「後出しジャンケン」の不細工をなぜ敢えて行うのか。

簡単です。それは、"Nationalist Movements in Japan Gain Influence"についても"With China’s rise, Japan shifts to the right"についても(日本語版ウォールストリート・ジャーナルの翻訳記事を含めて!)納得の行く翻訳や解題が今に至るも見当たらないから。特に、本稿で紹介する前者については、それを取り上げた保守系と分類される幾つかのサイトの紹介記事に、誤訳というのではなく、むしろ、この記事の評価という、より本質的な部分で納得できかないものを感じたから。要は、

この"Nationalist Movements in Japan Gain Influence"は必ずしも「ナショナリズム≒悪いこと」「非戦主義の憲法≒善いもの正しいもの」あるいは「国家間の紛争の存在≒悪」「国際紛争は原則解消可能」という認識に立って書かれているものではない(実際、そうではないという理解に立ってこのテクストを読んでも何の支障もない。何よりこのテクストの主題は「日本における民族主義運動が広範な支持を獲得可能な敷居を下げた今時のものになってきている」ことなのでしょうから)。

ならば、例えば、産経新聞の下記の報道も(あたかも、朝日新聞や岩波書店の記者や論説委員と同様に)「このWSJの記事は「ナショナリズム≒悪いこと」「国家間の紛争≒悪」という前提で書かれている」という間違った思い込みに染まっているの、鴨。と、そう私は考えるのです。

この私の認識が満更間違いではないとするならば、その産経新聞の紹介記事は「誤想防衛」もしくは「過剰防衛」あるいは「誤想過剰防衛」の不始末をおかしたもの。而して、産経新聞のそのような<勇み足>の背景には「欧米でもリベラル派の論者は「ナショナリズム≒悪いこと」少なくとも「ナショナリズム≒必要悪としての<国家>の歓迎されざる連れ子」と考えている」という間違った認識が影響しているの、鴨です。


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▼「日本のナショナリストが中韓関係をこじらせている」
 米紙が東京発で報道 中韓主張に沿う表現を列挙

米紙ウォールストリート・ジャーナルは15日、東京発の特派員電で、日本では「ナショナリスト(民族主義者・国家主義者)の政治家や活動家が新たな影響力を振るっており、中国や韓国との関係をこじらせ、東京の政策担当者の頭痛のタネになっている」との記事を掲載した。

記事は15日に2閣僚が民主党政権下で初めて靖国神社に参拝したことや尖閣諸島の国有化計画、米ニュージャージー州パリセイズパーク市に設置された慰安婦碑の撤去を自民党の有志議員団が求めていることなどを中韓の主張に沿うような表現で列挙している。日本が中韓を“挑発”しているとの印象を与えかねない内容だ。

2閣僚の靖国参拝については、靖国神社を「過去の帝国主義と強く結びついた施設」と説明。参拝が「韓国との紛争をさらに燃え上がらせた」とした。また日本の政治家は中国が「テロリスト」と位置づけるウイグル独立派の国際会議を5月に東京で開いたほか、尖閣国有化計画に「野田佳彦首相を駆り立て」、中国から3カ月で2回の抗議を「招いた」と指摘した。

さらに慰安婦については「軍の売春宿で働くことを強制された韓国人女性」と表現し、「強制連行を示す資料はない」とする日本政府の見解に反する内容を一方的に記載。そのうえで日本側がパリセイズパーク市に慰安婦の碑の撤去を要求したことが「韓国の苦情を引き起こした」としている。

記事は最近の「ナショナリストの日本の政治家」はインターネットで若者にメッセージを発信していると指摘。こうした政治家らの多くが「自衛隊の任務を厳しく制限する平和主義の憲法の改正」を究極の目標にしており、領土問題への関心の高まりが目標達成の弾みとなることに期待を寄せているとしている。


(産経新聞・2012年8月16日



以下KABUの翻訳。そして、(おそらく、その英語の「原文テクスト」自体が書き直しのジェネレーションを異にする別版なのだと思われますが、)参考として日本語版WSJ掲載の翻訳(?)をその後に転記させていただきました。

尚、再度記しますが、「ナショナリズム≒悪いこと」ではない」という認識や評価は、欧米の思想界でも(極めて特殊な例外を除けば、左右、保守-リベラルに関わらず)社会思想的に正当なものである。この点に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html

・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60640144.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


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Nationalist Movements in Japan Gain Influence

Nationalist politicians and activists are wielding new clout in Japan, straining the country’s ties with China and South Korea, and creating headaches for policy makers in Tokyo.

Two Japanese cabinet ministers said they planned to visit Tokyo’s Yasukuni Shrine—a place strongly associated with the country’s imperialist past—on Wednesday, the first such visit since the Democratic Party of Japan took power three years ago.

The plans have further inflamed a territorial dispute with South Korea. South Korean President Lee Myungbak— has upset Japanese officials with his visit last week to an islet contested by the two nations—is expected to say in a speech Wednesday that Japan must resolve issues from the World War II era before the two countries can develop better relations, according to a senior government official.

Adding to tensions in Japan, the Russian Defense Ministry said Tuesday it would soon send two navy vessels to the disputed Russia-controlled islands known as the Southern Kurils in Russia and the Northern Territories in Japan to honor Soviet soldiers who died there after World War II.



変化する日本-影響力を益す民族主義の動き

今までとは違った様相を帯びながら日本では民族主義を信奉する政治家や活動家の影響力が益している。而して、それら民族主義的な政治勢力の伸張にともない、支那や韓国と日本との関係もまた緊張の度を高めており、また、民族主義の影響力拡大は日本政府の頭痛の種になりつつある。

この水曜日【2012年8月15日】、日本の二人の閣僚が東京にある靖国神社に参拝する意向を表明した。靖国神社は帝国主義華やかなりし頃のこの国の過去とは切っても切れない関係にある場所の一つなのだけれども、現下の民主党政権の閣僚がここを訪れるのは、3年前に民主党政権ができて初めてのことになる。

ことほど左様に、閣僚の靖国神社参拝表明というこの事態により、領土を巡る日本と韓国との応酬はその激しさを一層益してきた。実際、韓国政府高官によれば、韓国の李明博大統領は(実は、先週【2012年8月10日】彼自身、日韓両国が互いに自国の領有権を主張しているある島礁を訪れ、もって、日本政府の当局者を憤慨させてしまったのだけれども)、この水曜日に、日本が第二次世界大戦以前にその根っ子がある諸問題を解決しない限り両国の関係改善は難しいと述べる意向とのことなのだから。

日本を取り巻く国際関係が緊張しつつある中、火曜日【2012年8月14日】、今度はロシアの国防大臣が、現在はロシアが統治しているもののそれらの帰属を巡っては日露間に争いのある諸島、すなわち、ロシアの南千島の諸島/日本の北方領土に向けて海軍の二隻の艦船を間もなく派遣することになっていると発表した。第二次世界大戦終結に際してその領域で命を落としたソ連兵士の栄誉を讃えるための派遣ということ。


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<続く>



テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済




私達の郷里は福岡県大牟田市。あの三池炭鉱のあった街。
その大牟田市の図書館に負けたんです。
先日、母の介護の件もあり帰省した折りに「1本!」取られました。
流石は我が故郷。悔しいけどそう感じました。

かの炭塵爆発事故(三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故:1963年11月9日)からちょうど49年。あの「総資本 vs 総労働」の闘争と謳われた三井三池争議(1959年~1960年)からは53年を経過して、それらの<出来事>の舞台として歴史に名をとどめる大牟田市も、今や「シャッター商店街」と「高齢者介護施設の送迎車」ばかりが目立つ全国どこにでもあるごく普通の衰退した地方都市の一つになっています。

しかし、流石は我が故郷。
流石は「腐っても鯛」、否、
流石は「腐ってもムツゴロウ」か。

この街に根付いている、人間存在を観察する洞察力、加之、社会批判の練度と水準は尋常ではない、鴨。その練度と水準たるや石原慎太郎知事が都政の正常化に向けて13年8カ月に亘り心血を注がれた東京や、今や草木も靡く勢いの/勢いだった(?)橋下徹市長の大阪に比べても遜色ない、鴨。


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その「1本!」を取られたのが上の画像の場面。それは大牟田市立図書館が2012年度「読書週間」の行事の一環(10月26日~11月28日)として行っている「図書館マナーアップ」の展示の一齣。

要は、「図書館の本は市民みんなの<財産>だから大切に扱いましょうよ」というメッセージを伝えるべく現物の「汚損破損本を展示し、図書館を利用するすべての人に守っていただきたいマナーを紹介」し来館者の注意を喚起するもの。

そう、企画自体はこれまた中学生どころか小学生でも思いつく程度の普通のもの。
しかし、そんな普通の企画にこのKABUは「1本!」取られた(悔涙)。


大牟田市の広報の下請けでもありますまい。事実関係の説明はこれくらいにして、大牟田市の図書館に何ゆえに「1本!」取られたと感じたのかそろそろ白状しましょう。蓋し、それはこの図書館の展示企画では、

①「汚損破損本=マナー違反の行為」の分類が的確に行われていること

②そのようなマナー違反の行為を人間ならぬ<妖怪>の行為に見立てて/マナー違反の行為類型を一種擬人的表現として半ダース程の種類の<妖怪>に配分して(すなわち、人間のマナー違反の行為類型毎に、外化・対象化・疎外・物象化して、より効果的に)印象づけていること

③創造された半ダース程の<妖怪存在>の中でも(例えば、「書き込み」の悪さをする<妖怪しるしつけ>等、例えば、「水びたし」「破損」「切り抜き」等々のマナー違反の行為類型の中でも)、「期限を過ぎても返却しない行為類型」の擬人的表現として<妖怪かえさん>を創造したこと。加之、何よりその<妖怪かえさん>の被害にあった現物の書籍が展示されていること


これら①~③が満たされているからでしょうか。
そう考えています。


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大牟田市立図書館の「図書館マナーアップ」の展示は見事、天晴れ。

繰り返しになりますが、実際、<妖怪かえさん>の被害にあった書籍の展示を目にした時には、誇張ではなく(神聖なる図書館で爆笑するわけにも行かず)、こみ上げてくる笑撃と「1本!」を取られた口惜しさを必死で抑えようとしたためか、危うく呼吸困難になりかけたくらいです。

でもね、上にも記したように、
③は「存在するはずのない現物の展示」ですよね。

<妖怪かえさん>の被害にあった現物の書籍の展示?
<妖怪かえさん>の被害にあった書籍の現物は展示できないんじゃないの?


その通りです。<妖怪かえさん>の被害にあった書籍は(被害に遭遇した痕跡を誰しも了解できる書籍の現物は)、他の<妖怪>の毒牙にかかったものとは異なり展示不可能ということ。

では、③で述べた「<妖怪かえさん>の被害にあった現物書籍の展示」という言葉で何を私は言いたいのか。畢竟、それは「不存在という事態の存在」の展示であり、そして、この「不存在という事態の存在」を展示した大牟田市立図書館のスタッフの方のセンスと技量に私は脱帽せざるを得なかったということです。


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敷衍します。人口に膾炙している通り、
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(1921)の末尾で、

7:What we cannot speak about we must pass over in silence.
7:語りえぬものについては、人は沈黙せねばならない。


と述べています。而して、ウィトゲンシュタイン自身が(人間嫌いの彼としては珍しく初対面の挨拶を交わした途端に意気投合したらしいあるロシア人の数学者に、哲学の素人のその数学者に伝わるように平易に説明したとされる言葉が残っていて、それによればおおよそ、)ここで言わんとしたことは、「存在しないということを明らかにすることこそ哲学の究極の役割の一つであり、不存在という事態に対する明晰な説明が哲学の値打ちの源泉の一つである」という認識だったとか。

ならば、蓋し、大牟田市立図書館の創出した<妖怪かえさん>に憑依する水準と内容は、「不存在の明晰化」に連なる、ウィトゲンシュタインが言う意味での哲学の神髄の域に達しているの、鴨。

而して、所謂「従軍慰安婦」問題にせよ、竹島や尖閣諸島を巡る<領土問題>にせよ、それらが<存在しないということ>を明晰に説明することは無駄ではなく極めて重要なことなの、鴨。

換言すれば、例えば、民主党政権の凄まじい無能さ/拙劣さ/有害さに関して、例えば、反日・左翼・リベラルの立場からなされる諸政策が日本に与え続けてきた実損という、謂わば<妖怪しるしつけ>の仕業の如き分かりやすい形態のものより、震災復興にせよ支那・韓国による日本の権益侵害にせよ、政府が担う国政のほとんどあらゆる分野でその無能さがゆえに適切な処置を民主党政権は何一つとることができなかったという<妖怪かえさん>による損害とパラレルな、目に見えない<透明なる実損>が日本を破壊した度合いは遥かに大きいの、鴨。この「図書館マナー展示」を目にして真面目に私はそう思いました。


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別のアングルから更に敷衍します。例えば、橋下大阪市長が「核兵器廃絶なんかムリ」と正論というか中庸を得た常識論を述べられたらしい。けれども、そのような正論にして常識論にすぎない、要は、当たり前すぎて本来は言うほどの価値もなく聞くほどの値打ちもない発言を、しかし、この社会ではマスメディアがあたかも際物の如くに取り上げ報道する状況が続いています。

すなわち、半世紀前の三井三池闘争に象徴される時代。大東亜戦争後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義がまだ旺盛な神通力を保っていた時期には、「核廃絶の不可能性=ある事柄の不存在という事態の存在」を愚直に指摘することには政治的の価値のみならず哲学的の意味も間違いなくあったのでしょう。そして、当時のこの社会においてそのような指摘をし続けることには小さくない勇気と少なくない社会的実利の喪失を覚悟しなければならなかったの、鴨。

それから幾星霜。かつ、万物は流転する。万物は流転するはずなのに、しかし、繰り返しになりますが、現下のこの社会ではいまだに「核兵器廃絶なんかムリ」という正論かつ常識論が下に引用した如くニュースになり報道されている。

ならば、半世紀前の三井三池闘争の時代ほどではないにせよ、例えば、核廃絶を巡る橋下発言に引きつけて言えば、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」なるものや「平和を愛する諸国民の公正と信義」なるものは存在しないこと、もしくは、それらが存在するとしても、それら「崇高なる理想」なるものや「諸国民の公正と信義」なるものは、それらによって「われらの安全と生存を保持」するに足るほどには信頼のおけるものではないことを愚直に指摘し続けることは、現在でもこの社会では無意味ではないと思います。


▼<橋下代表>「核廃絶誰ができるか」広島で発言

日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は10日、核兵器の廃絶について「現実には無理だ。(日本が)米国の核の傘の下に入ることは必要」との認識を示した。全国遊説先の広島市で記者団に述べた。

橋下氏は「日本は国連の安全保障理事会の理事国でも何でもない。日本は平和ぼけしすぎている。国際機関の中で無視されかけている中で、(核兵器の)廃絶といっても誰ができるのか。現実的な戦略を訴えないといけない」と指摘した。

また、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則についても、「基本は堅持だが、『持ち込ませず』は日米安保条約で本当に可能なのか。(日本に基地を持つ)米軍の第7艦隊が核を持っていないなんてありえない。国民に開示して議論する必要がある」と話した。

(毎日新聞・2012年11月10日


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尚、ウィトゲンシュタインと論理実証主義の関係を(すなわち、フッサールの現象学、現代解釈学とならんで現代の分析哲学のプロトタイプとしてのウィトゲンシュタインの哲学と、他方、分析哲学の誕生と雄飛のプロセスにおいて<触媒>または<狂言廻し>の役割を演じた論理実証主義との関係を)表す有名な喩え話しがあります。

あるガラス屋が大きな板ガラスを注文主の家の戸外に立てかけた。そのガラス屋は、そして、そこにガラス板があることを通行にも分かるよう、そのガラス板に自分が描いた絵を貼っていた。ところが、通りかかったある紳士がその絵を気に入り、気が進まない風のガラス屋をなだめすかして購入した。


このガラス屋がウィトゲンシュタインであり、「絵=初期ウィトゲンシュタインの写像理論」を購入した紳士がカルナップ等の論理実証主義の哲学者ということ。私なりに敷衍しておけば、フッサール(1859-1938)とあるいは同じく、ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の関心は徹頭徹尾、「人間理性の限界確定」であり「真理なるものの成立可能性の条件付け/成立不可能性の論証」であった。

すなわち、フッサールとウィトゲンシュタインの<哲学>は、謂わば先験的哲学(人間存在の有限性と真理の相対性という認識を基盤とする、人間の思考対象ではなく人間の思考能力により関心を置く哲学)としてのカントの哲学(1724-1804)の20世紀的なパラフレーズであり、現代の分析哲学はカント哲学の21世紀的表現に他ならない。現代哲学史を借景と見立てた場合、「ガラス屋と絵画」の隠喩に孕んでいる意味内容はそうも理解できるの、鴨。

而して、本稿の主題に戻って換言すれば、<妖怪かえさん>に憑依している思想の構想力はこの「ガラス屋と絵画」の隠喩とも通底しており、その思想の奥行きもこの「ガラス屋と絵画」の隠喩の水準に匹敵するもの、鴨。なぜなら、ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(1984)から本歌取りさせていただければ、その両者は「不存在の尋常ならざる重要性」の認識を共有しているだろうから。そう私は感じたのです。いずれにせよ、

б(≧◇≦)ノ ・・・大牟田市立図書館、侮り難し~!
б(≧◇≦)ノ ・・・大牟田の復活も満更あり得ないことではないんじゃないかい!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張れ大牟田市民、応援頑張ろう大牟田市出身者の皆さん!

б(≧◇≦)ノ ・・・不存在の尋常ならざる重要性を鑑みれば民主党政権崩壊は最早必然!
б(≧◇≦)ノ ・・・保守派としては政権奪還に向けて進むのみ!
б(≧◇≦)ノ ・・・日本再生、就中、地方再生に向けて共に闘わん!



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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済




Now, therefore, be it
Resolved, That it is the sense of the House of Representatives that the Government of Japan--
(1) should formally acknowledge, apologize, and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner for its Imperial Armed Force's coercion of young women into sexual slavery, known to the world as `comfort women', during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II;
(2) should have this official apology given as a public statement presented by the Prime Minister of Japan in his official capacity;
(3) should clearly and publicly refute any claims that the sexual enslavement and trafficking of the `comfort women' for the Japanese Imperial Armed Forces never occurred; and
(4) should educate current and future generations about this horrible crime while following the recommendations of the international community with respect to the `comfort women'.

(下院は日本政府が次のことを行うべきと考え、そう決議する。すなわち、
(1) 1930年代から第二次世界大戦の全期間に亘り、アジアの植民地支配と戦時に太平洋諸島を占領しているた戦時に、日本帝国の軍隊が強制力を行使し若い女性を性奴隷にしたことを(その性奴隷とは、現在では「従軍慰安婦」としてすっかり知れ渡っているのだが、)公式、かつ、平明・明瞭なやり方で認め謝罪すべきであり、また、そのような事実に対する歴史的な責任を受入れるべきであると、
(2) 首相の公的な資格に基づた公式な謝罪を行い、かつ、それは【文書の形式で】公表されるべきであると、
(3) 日本帝国の軍隊のための【若い女性の】性奴隷化や「従軍慰安婦」の人身売買など存在したことはないという主張を明確かつ公式に否定すべきであると、
(4) 国際社会のすすめに従い、「従軍慰安婦」を巡るこの恐るべき犯罪のことを現在および将来の世代に対して教育すべきであると。)


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転記・翻訳していても失笑を禁じ得ませんが、太平洋をまたいでなされたこれらの大がかりな戯言もまた、しかし、必ずしもNew York Timesやアメリカ下院の不勉強、あるいは、アメリカにおける親支那/親韓国勢力による勤勉なロビー活動の成果というだけではありません。蓋し、このような大がかりな国際的な<悪い冗談>の源泉は「河野談話」である。

蓋し、「河野談話」によって(それは閣議決定もなされていない、時の官庁長官の私的談話にすぎないのですが、その私的談話によってあたかも、)日本政府が所謂「従軍慰安婦」なるものの存在を認めたとも思われていること。これがこの<悪い冗談>の蔓延の病根であろう。と、そう私は考えます。

所謂「従軍慰安婦」なるものなどは左翼・リベラル派がその脳内で編み上げた<空中楼閣>にすぎない。そして、もちろん、その「河野談話」が出されるについて朝日新聞の誤報が決定的な役割を果たしたことは、最早、周知の事実。しかし、こと国と国との間の紛争としてこの問題を捉える場合、その病根は「河野談話」に収斂する。

この認識は「盗人猛々しい」あるいは「マッチポンプ」という表現がぴったりの次の朝日新聞社説(2012年9月27日付け社説)、および、所謂「従軍慰安婦」なるものが<空中楼閣>でしかないことが露呈した段階で出された有名な朝日新聞の<強弁>自体が逆照射しているの、鴨。


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▼安倍新総裁の自民党―不安ぬぐう外交論を

自民党総裁選は、40年ぶりの決選投票をへて、安倍晋三元首相が当選を決めた。5年前の参院選で惨敗後、首相だった安倍氏は突然、政権を投げ出した。その引き金となった腸の難病は新薬で克服したというが、政権放り出しに対する批判は安倍氏の重い足かせだった。それが一転、結党以来の総裁再登板を果たしたのはなぜなのか。

◆「強い日本」を前面に
もともと安倍氏は本命視されていなかった。・・・いわば消去法的な選択といっていい。 さらに領土問題で中韓との関係がきしんでいなければ、再登板はなかったかもしれない。「強い日本」を唱える安倍氏の姿勢が、中韓の行き過ぎたふるまいにいらだつ空気と響きあったのは確かだ。「尖閣諸島は国家意思として断固守る」として、避難港を造るなど管理の強化を訴える。

慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話や、「植民地支配と侵略への反省とおわび」を表明した村山首相談話を見直すと主張している。首相になった場合の靖国神社参拝にも意欲を示す。

ナショナリズムにアクセルを踏み込むような主張は、一部の保守層に根強い考え方だ。だが、総選挙後にもし安倍政権ができて、これらを実行に移すとなればどうなるか。大きな不安を禁じえない。隣国との緊張がより高まるのはもちろんだが、それだけではない。

前回の首相在任中を思い出してほしい。5年前、慰安婦に対する強制性を否定した安倍氏の発言は、米下院や欧州議会による日本政府への謝罪要求決議につながった。靖国参拝をふくめ、「歴史」に真正面から向き合わず、戦前の反省がない。政治指導者の言動が国際社会からそう見られれば、日本の信用を傷つける。(後略)


(朝日新聞・2012年9月27日:下線はKABUによるもの)


▼従軍慰安婦 消せない事実

吉田清治氏は八三年に、「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した」とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなくこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる。


(朝日新聞・1997年3月31日:下線はKABUによるもの)


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上で引用した「従軍慰安婦 消せない事実」を読めば、「真偽は確認できない」にも関わらず<消せない事実>なるものは、最早、「事実」などではなく朝日新聞の妄想や願望、「従軍慰安婦なるものが存在していたのであれば嬉しい」という妄想や願望でしかないことは自明であろうと思います。

それは、英文法の事柄に喩えれば、「願望」や「要求」を表す従属節たる名詞節中の仮定法現在なの、鴨。でもね、(下記例文参照。)それは「過去の事実に反する願望や嘆き・自虐」を示唆する仮定法過去完了と紙一重でないかい? ちなみに、前者の述語動詞に仮定法現在の構文を取る動詞は「ask, recommend, require」、形容詞は「desirable, essential」が頻出のものですよ。と、TOEIC受験者のためのワンポイントアドバイスでした(笑)。閑話休題。

It is necessary/essential
that Japan have the "comfort women-system" in those days.
 ↓ ↓ ↓
I wish that Japan had had the "comfort women-system" in those days.


確かに今のところ「真偽は確認できない」にせよ、
日本が所謂「従軍慰安婦」なるものを組織的に運用していなかったはずはないだろう。
 ↓ ↓ ↓
確かに最早「真偽は明かになっている」にせよ、左翼・リベラル派にとっては、もし、
日本が所謂「従軍慰安婦」なるものを組織的に運用していたのであればありがたいのに、
ぐっすん(涙)


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蓋し、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る<悪い冗談>の蔓延を見るとき、日本と特定アジアとの間の本当の障壁は所謂「従軍慰安婦」なるものや首相の靖国神社参拝自体ではなく、むしろ、それら本来はなんら問題ではない事柄を日本自体が<問題>と捉え、支那や韓国に遠慮していることなのではないでしょうか。

例えば、国際法律家委員会(ICJ)が著した噴飯ものの、しかし、著者達はおそらく大真面目に著した報告書、『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』(明石書店・1995年3月:原題"Comfort Women-an unfinished ordeal:Report of a Mission,"1994)等に目を通すとき、私はそう確信するのです。

なぜならば、表紙・奥付を含め全247頁の『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』の内216頁は歴史的事実とは無縁の<空中楼閣>的妄想の羅列であり、全10章の中で唯一章、法的考察が展開されている「第9章:法的問題」も、戦争被害に対する個人請求権という考察の基盤となる論点で現行の国際法の運用とは無縁の、<地球市民>なるものと近しい一種のカルト的教義を採用しているから。

畢竟、本書については「国際法からみた」という同書のタイトルに含まれた形容句は羊頭狗肉の類にすぎない。ことほど左様に、繰り返しますけれど、日本と特定アジアとの間の本当の障壁は、

所謂「従軍慰安婦」なるものや首相の靖国神社参拝自体ではない
本来はなんら問題ではないそれらの事柄を日本自体が<問題>と捉えていることだ


と、そう私は考えるのです。けれども、所謂「従軍慰安婦」にせよ首相の靖国神社参拝にせよ、上で紹介したように(特定諸国の領域を越えて、アメリカの有力紙やアメリカの議会にまでその弊害が蔓延している事態を鑑みるに、)ことここに至っては、日本側が心を入れ替えて「本来はなんら問題ではない事柄を<問題>と捉えることを止める」としても短期間での問題の解決は難しいの、鴨。而して、ならば、このような<悪い冗談>の撲滅のためにも、日本は安倍総理が論じておられるように、

①「河野談話」を正式に否定し、②朝日新聞の件の誤報も含めて「河野談話」なるものが世間と世界に出された経緯を国会が設ける専門機関で詳らかにすること、そして、③そのすべての調査結果を公開し、④国内外に向けて発信すること。


所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る<悪い冗談>をこの世から消し去るにはこの線で日本自身が一汗かく必要があるの、鴨。と、そう私は考えます。尚、この所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る私の基本的理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・石原知事-橋下市長が「河野談話」を一刀両断
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61346852.html

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60931202.html


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テーマ : 安倍晋三
ジャンル : 政治・経済




Political analysts had all but written off Mr. Abe after his abrupt resignation, which drew much ridicule and greatly weakened the long-ruling Liberal Democrats. His party eventually lost to the Democrats in 2009, ending a half-century of almost uninterrupted rule.

But now the Democratic Party has lost much of its support, having fallen short on many of its promises to wrest power away from the country’s bureaucrats. The public is disillusioned with reconstruction efforts after the tsunami and nuclear crisis last year, and the moribund economy remains a drag. Mr. Noda is under mounting pressure to call elections soon, though he need not hold them until next summer. Analysts agree that the Democrats would probably lose their majority in Parliament’s lower house in an early vote, but the Liberal Democrats are seen as unlikely to win a majority either, inviting further political gridlock.

Mr. Abe had not been the front-runner in the party balloting on Wednesday; he ran second in the initial round to Shigeru Ishiba, a conservative but less ideological former defense minister. But party elders did not back Mr. Ishiba in the runoff, analysts said, because of an independent streak that led Mr. Ishiba to leave the party for a time in the 1990s. Mr. Abe ultimately won the party vote, 108-89. ・・・


その突然の首相退陣以降、白黒はっきり言えば、安倍氏は日本の政治分析の専門家の間では歯牙にもかけられない存在だった。その退陣は世の嘲笑を招くものだったし、なにより、彼の退陣によって長らく政権与党の座にあった自民党の党勢は大きく削がれたのだから。実際、2009年には彼が属する自民党は民主党に破れ、半世紀の間ほとんど途切れることなく保持してきた政権を失った。

時は流れ、現在では民主党はその支持の大半を失ってしまった。権力を日本の官僚組織から奪い去るという民主党の公約の多くは達成されないままであり、昨年惹起した津波と原発危機からの復興の拙劣さを目の当たりにしては民主党政権に対する国民世論の幻想も醒めてしまい、加之、瀕死の経済情勢はいまだにこの国に重くのし掛かっているのだから。ことほど左様に、来年の夏まで解散総選挙を引き延ばせないわけではないけれども、野田首相には「近いうち」の解散総選挙を要求する世論の凄まじいプレッシャーが寄せられている。いずれにせよ、来るべき総選挙ではまず間違いなく民主党は衆議院での多数を失い、他方、おそらく自民党も単独では衆議院の過半数を制することは難しく、よって、この国の政治は更に混迷の度合いを深めることになりかねない。政治分析の専門家の意見はこのような予測の線でおおよそ一致している。

水曜日の自民党総裁選挙において安倍氏は最有力候補というわけではなかった。実際、安倍氏は第1回の投票では石破茂氏に続く第2位だったのだから。ちなみに、防衛大臣経験者の石破氏は保守派ではあるけれども、安倍氏に比べた場合に「イデオロギー=社会哲学的な理念」をより重視するタイプではない。そして、政治分析の専門家によれば、1回目の投票結果を受けた決選投票で石破氏は、自民党の長老・重鎮のメンバーからの支持を得られなかったとのこと。この経緯については、90年代のある期間それもあって自民党を一時離党することになった石破氏の独立自尊的の傾向が与して力あったということだ。而して、決選投票では108対89の差で最終的に安倍氏が自民党総裁選を制した。(後略)


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◆KABU解題
紹介した英文報道の中でコメントすべきは、所謂「従軍慰安婦」なるもの
の存在を前提にして書かれた次の箇所でしょう。

he angered China and South Korea with ・・・denials that Asian women were forced into sexual slavery for the Japanese military during World War II.

(第二次世界大戦中にアジアの女性達が日本の軍隊のための性奴隷になること/性奴隷の状態であることを強要された事実を否定したことで彼は支那と韓国の怒らせた)

もちろん、(本稿末尾にURLを記した拙稿で論証しているように)所謂「従軍慰安婦」なるものは歴史的事実としては存在しません。よって、この箇所は荒唐無稽な記述、すなわち、空中楼閣。けれども、いかにNew York Timesが「アメリカの朝日新聞」とも称すべき左翼・リベラル派の<カルト新聞>だとしても、このような事実誤認は独りNew York Timesの不勉強に起因するものではない。そう思います。

実際、所謂「従軍慰安婦」なるものに関してアメリカの第110回議会第1会期(2007年)の下院外交委員会(the Committee on Foreign Affairs)で提案された反日決議、所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る対日非難決議(House of Representatives, 110th Congress 1st Session, Resolution 121, submitted on January 31, 2007)にも、例えば、次の如き歴史の改竄と歴史の不勉強が炸裂しているのですから。尚、引用文中の下線はKABUによるものです。

Expressing the sense of the House of Representatives that the Government of Japan should formally acknowledge, apologize, and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner for its Imperial Armed Force's coercion of young women into sexual slavery, known to the world as `comfort women', during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II.

(下院は次のような見解を表明する。すなわち、日本政府は、1930年代から第二次世界大戦の全期間に亘り、アジアの植民地支配と太平洋諸島を占領していた戦時に、日本帝国の軍隊が強制力を行使し若い女性を性奴隷にしたことを(その性奴隷とは、現在では「従軍慰安婦」としてすっかり知れ渡っているのだが、)公式、かつ、平明・明瞭なやり方で認め謝罪すべきであり、また、そのような事実に対する歴史的な責任も同様に平明で明瞭な形式を通して受入れるべきである、と)

Whereas the Government of Japan, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II, officially commissioned the acquisition of young women for the sole purpose of sexual servitude to its Imperial Armed Forces, who became known to the world as ianfu or `comfort women';

(以下の事実を鑑みるならば、すなわち、1930年代から第二次世界大戦の全期間に亘り、アジアの植民地支配と太平洋諸島を占領していた戦時に日本政府が、帝国の軍隊に供される性奴隷(性奴隷とは、現在では「慰安婦」や「従軍慰安婦」としてすっかり一般に定着しているけれども。そのような性奴隷)にすることを唯一の目的として、若い女性の調達を公式に委託した事実。この事実を考慮すれば、)

Whereas the `comfort women' system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;・・・

(以下の事実、すなわち、「従軍慰安婦」の制度が日本政府の手になる軍隊のための強制売春の仕組みであることを鑑みて、さらに、「従軍慰安婦」制度がその残酷さと規模において前例のないものであること、換言すれば、それは、強制連行、堕胎の強要、陵辱、および、身体を機能障害に至らしめる性的な暴力、死、あるいは、結局自殺を選ばざるをえなくした、20世紀の人身売買の中でも最大規模のものであることを考慮すれば、・・・)


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<続く>

テーマ : 慰安婦問題
ジャンル : 政治・経済




自民党総裁に安倍晋三氏が返り咲き。些か旧聞に属するものだけれど、このビッグニュースを報じたNew York Timesの記事を取り上げます。"Former Prime Minister in Japan Elected to Lead Opposition Party"(September 26, 2012:下線はKABUによるものです)。而して、New York Timesと言えば「アメリカの朝日新聞」。当然ながら、所謂「従軍慰安婦」なるものについての荒唐無稽な事実認識と安倍氏に対する誹謗中傷がてんこ盛りであることは言うまでもありません。

と、先ず、誰もがその語義を知っているようでしばしば誤解されている二つのキーワード;「nationalist」と「hawk」の定義(definition)を確認しておきます。いずれもOED(Oxford English Dictionary)の転記引用。実際、今回の記事を理解する上でこれらは必須、鴨です。要は、「nationalist」も「hawk」も必ずしもそう否定的なニュアンスばかりの語彙ではないということ。

nationalist:民族主義者/国家主義者/愛国主義者
・a person who advocates political independence for a country
・a person with strong patriotic feelings,
 especially one who believes in the superiority of their country over others.
・自国が政治的に独立・自立していることの重要さをつとに主張する人々
・強い愛国的の感情を抱いている人々、就中、他国に対する自国の優位性・優越性を毫も疑わない人々

hawk:鷹派の政治家や論客
・a person who advocates an aggressive or warlike foreign policy.
・積極的で攻撃的な、武力行使も躊躇しない好戦的な外交政策を主張する人々


ちなみに、アメリカでは、大統領経験者の正式な呼称は大統領退任後も「president」であり、現職の大統領との区別の都合等、特に紛らわしくない限り「前・元:former/ex」などはつかないのとパラレルに(更に、日本の政界でも総理経験者に対しては、実は、国会議員の仲間内では「総理」と呼び「前・元」を付けない慣習を鑑みて)本稿では、安倍元総理を単に「安倍総理」と表記する場合もあります。加之、<安倍総理の逆襲>を巡る憲法論については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・地方票「軽視」の自民党総裁選-否、安倍総理の逆襲こそ民主主義の帰結である
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11365213681.html


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▼Former Prime Minister in Japan Elected to Lead Opposition Party

Shinzo Abe, a nationalist former prime minister, was elected to lead Japan’s main opposition party on Wednesday, giving him a chance of regaining the nation’s top job — a prospect that could worsen the country’s tense relations with China and its other Asian neighbors.

Mr. Abe’s Liberal Democratic Party is poised to make gains in nationwide elections expected soon, in part because of the unpopularity of Prime Minister Yoshihiko Noda. Poll ratings for Mr. Noda and his Democratic Party have been pulled down by the party’s handling of last year’s disasters and gridlock in Parliament that has crippled policy making. ・・・

It is a striking return to the spotlight for Mr. Abe — who called for a stronger and unapologetic Japan when he took office in 2006, but stepped down just a year later, citing a health problem — after his party suffered a defeat in an interim election. At the time, Mr. Abe’s nationalist agenda seemed off the mark for a public that was more interested in jobs and economic recovery.

During his brief term, he angered China and South Korea with moves to change Japan’s pacifist Constitution, denials that Asian women were forced into sexual slavery for the Japanese military during World War II, and efforts to alter school textbooks to present what critics called a whitewashed version of Japan’s wartime history. But in some ways, he kept tensions with China from boiling over, picking Beijing for his first official trip overseas and refraining from visiting a contentious Tokyo war shrine.

But with emotions running high between Japan and China in recent weeks over a set of disputed islands, a return to office by Mr. Abe could help fuel more tension. Mr. Abe has veered further to the right since his time as prime minister, suggesting recently that he intends to visit the Yasukuni war shrine if he becomes prime minister again and may even seek to nullify some of Japan’s war apologies.

Speaking to reporters on Wednesday, Mr. Abe promised to take a strong stand in the dispute with Beijing over the islands, even as he referred to Japan’s strong economic ties with China. He said he would also seek to strengthen Japan’s defense cooperation with the United States by taking a more active military role.



▼日本で元首相が野党党首に返り咲き

安倍晋三氏、民族主義者として知られている元首相の安倍氏が、水曜日【2012年9月26日】日本の最大野党の党首に選ばれた。彼が日本の最高指導者として返り咲く可能性が出てきたということ。而して、<安倍総理の逆襲>というそのような事態の惹起は支那やアジアの他の近隣諸国【正確に言えば、「アジアの他の近隣諸国」とは韓国・北朝鮮のことにすぎません。】と日本との緊張関係を一層高めるかもしれない。

安倍氏率いる自由民主党は、野田首相の不人気もあり「近いうち」に実施されると見られる全国レベルの国政選挙で大きく躍進する状勢。実際、野田首相と野田氏率いる民主党の支持率は、昨年の大災害に対する拙劣な対処、加之、ある種の機能障害を発症し政策立案が滞るという、国会が立ち往生している事態によって低下の一途なのだから。(中略)

自民党総裁としての登板は、前回の首相在任時の中間選挙【=2007年の参議院選挙】で自民党が惨敗して以来の、安倍氏にとっては臥薪嘗胆・苦節6年の日々を突き抜ける鮮やかな復活と言えよう。もっとも、2006年に内閣総理大臣に就任した際に安倍氏は、日本はより強硬で謝罪など一切拒否する姿勢を採用すべきだと唱えていたものの健康問題を理由に僅か1年で退陣した。畢竟、件の中間選挙の時点では、安倍氏の民族主義的の色彩の濃い政策提言は、雇用と景気回復により強い関心を抱く有権者総体にとっては的外れのものだった。

前回の短い首相在任期間中、安倍氏は、日本の非戦主義の憲法の改正を目指したこと、第二次世界大戦中にアジアの女性達が日本の軍隊のための性奴隷になること/性奴隷の状態であることを無理強いされた事実を否定したこと【所謂「従軍慰安婦」なるものに関するこの記述は完全な間違いと言えるけれど、原文に従って訳しています。】、加之、日本の戦争中の歴史について日本の教科書の記述を「過去の悪行を糊塗」しようとしたことによって支那および韓国の怒りを買ってしまった。もっとも、幾つかの点では、安倍氏は日本と支那との緊張関係が沸騰しないような道筋を選択したとは言える。例えば、首相としての最初の外遊先に支那を選んだこと、加之、その神社を巡って【日本と特定アジア諸国との間で、見せ掛けの】論争が続いている東京のとある戦争神社への参拝を差し控えたことなどがその事例である。

久しく両国間の懸案となってきた、とある島礁を巡って日本と支那の関係が感情的の度合いを増しているここ数週間の状況を鑑みるに、<安倍総理の逆襲>という事態になれば両国間の軋みは一層加熱することになるかもしれない。前回の首相在任中に比べても安倍氏はより右寄りにシフトしてきており、実際、正にこの点に関して、再び総理に就任した暁には靖国神社に参拝するつもりであること、あるいは、戦争を巡って日本が行ってきた幾つかの謝罪は撤回すべきであるという安倍氏の近時の発言を見れば、<安倍総理の逆襲>による両国関係の悪化は杞憂とも言えないだろう。

水曜日の記者会見で、経済面での日本と支那との間の強い紐帯に言及する一方で、安倍氏は件の島礁について支那政府に対して彼が強硬な姿勢を貫くと明言した。加之、日本が軍事面でもより積極的な役割を担うことによって日米間の防衛協力を更に強靱なものにしていくとも。


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<続く>

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ジャンル : 政治・経済




▼「ボロボロ状態……」NMB48の脱退ラッシュはAKB崩壊の序章となるのか

24日、AKB48の光宗薫が事実上の脱退を発表したが、それ以上に“ボロボロ”の状態なのが、大阪拠点のアイドルグループNMB48だ。今年に入り、小鷹狩佑香、城恵理子、藤田留奈、太田里織菜、松田栞の5人の正規メンバーが次々と脱退を発表した。研究生を含めれば12人に上る。(中略)

NMBのファン男性は「デビュー当時はよかったが、メンバーの男性スキャンダルにより、グループ人気は着実に下降線をたどっている。大阪は地下アイドル文化も根付いており、なかなか“一人勝ち”は難しい。メンバーの中でも『来年、再来年……と、どうなっているか不安』と口にする者が続出している」と明かす。それはNMBだけの問題ではない。元をたどれば、“本丸”のAKBの人気が“頭打ち”になったことが挙げられる。先月開催され、TBSで生中継された「じゃんけん大会」の視聴率は、まさかのひとケタを記録

「AKBが実は数字を持っていないと、テレビマンの間でも話題になりつつある。数字を持っていなければ、頭を下げてまで起用する必要はない。CMクライアントも、見直しを検討するかもしれない。CDの売り上げも落ちてきている」(芸能プロ関係者)

AKBに詳しいアイドルライターの中には、来年の春までには人気・規模が半減すると断言する者もいる。前出のNMBファンは「“本丸”がグラついてきていることは、NMBメンバーもわかっている。脱退者はまだまだ増えますよ。すでにある人気メンバーの卒業が決まっているが、ファンに動揺が広がるため、発表を控えているそうです」と話す。次々起きる地殻変動は、やはり崩壊の前触れなのだろうか?


(日刊サイゾー・2012.10.25:下線はKABUによるもの )


母屋が傾くと/船が沈没しかかると「脱退者=脱走するネズミ」が続出する風景は、「古今東西を問わず」なんて大仰に言わなくても、現在、民主党政権の断末魔を彩っているのと同じ風景。蓋し、現在の民主党も現在のAKBも似たような状況なのかもです。しかし、昨年と今年の「AKB総選挙」の盛り上がり(うざったいほどの「報道の嵐」とも言う)、加之、NHKさえもが報じた「前田敦子のAKB卒業」のカタルシスを覚えている身には「万物は流転する」「政界だけではなくアイドル界も一寸先は闇」の感を強くせざるを得ません。

而して、それにしても、前田敦子ちゃんが抜けたAKB48なんか「気の抜けたビール」とまでは言わないが、良くてオールフリーの「ノンアルコールビール」みたいなものなの、鴨。良くも悪くも印象が薄いということ。だから、時間やお金を使ってまで<応援>する必然性はないということ、鴨。

自分に引きつけてみても、私の「推しメン=応援しているAKBのメンバー」は柏木由紀ちゃんと大家志津香ちゃんなのだけれど、それさえ、「その子が在店していれば、その子を目にするのも楽しみではある」という、そんな近所の喫茶店やコンビニにいる可愛いバイトの女子高校生くらいの位置づけだものね。もっとも、たまに昼オビで二人がお天気お姉さんしているのを見かけると嬉しいですよ、やっぱり(笑)

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それにしても、いなくなって改めて思い知らされる敦ちゃんの存在感。正に、ほんの2~4カ月前の「AKB総選挙2012」の喧噪や<前田敦子AKB48卒業>の衝撃などは「死せる孔明生ける仲達を走らす:AKBからの<卒業>を表明して総選挙2012を辞退した敦ちゃんがAKBファンのみならず日本の社会を動かした」の類のことだったの鴨。

敦ちゃんがいなくなって、個々のメンバーもグループのパフォーマンスもどんどん綺麗になりそつなくなり上手くなった<AKB>の印象というか存在感が、逆に、(僅かこの60日ほどで!)どんどん縮小逓減しているの、鴨。それが私の偽らざる感想です。

実際、北朝鮮の資金源/家族崩壊の要因/締め切った車の中で幼児を脱水症状にする両親も少なくない等々、鉄の球を使ってされるらしい悪名高い某大衆遊技のある広報誌『PACHI-STA』(2012年11月号, p.14ff)によれば(現在、AKB48仕様のその遊技機械があり、その台では自分の「推しメン」を顧客が選択できるらしいのですけれど。而して、福岡県内郊外型ホール10店舗で「推しメン」調査した結果は)、

1位:前田敦子(42%)
2位:大島優子(12%)
3位:篠田麻理子(8%)
4位:板野友美(7%)
4位:小嶋陽菜(7%)
6位:渡辺麻友(5%)
7位:柏木由紀(4%)
8位:指原莉乃(3%)
9位:松井玲奈(2%)
9位:峯岸みなみ(2%)


と、敦ちゃんの独走状態らしいのです。AKB48やAKBグループの中でも、高橋みなみさんや増田有華に比べれば歌が特に上手いわけでもなく、梅田彩佳さんや峯岸みなみさん、あるいは、松井珠理奈ちゃんには遠く及ばずダンスがダントツに優れているわけでもない。そして、(もちろん、これは主観の支配する領域だから断定はできないけれど、まあ、間違いなくメンバーの中でも)際だって別嬪さんというわけでも、むちゃんこ可愛いというわけでもなかった敦ちゃん。

しかし、そんな<前田敦子>が結局、AKB48の、というか「AKBというシステム=普通の女の子を国民的アイドルに変換させるシステム」の不可欠な要素だったということなのでしょうか。この仮説に基づき今後のこの経緯を組織論と社会思想の観点から考究してみたい、鴨です。

いずれにせよ、「政権=権力」という求心力が失われる状勢が迫るに従い民主党が崩壊過程に入ったのとある意味パラレルに、<前田敦子>は<AKB>という華麗だが脆弱な構造物を支える「基盤の要石」だったの、鴨。蓋し、前田敦子の抜けたAKBなんて「ノンアルコールビール」みたいなもの、鴨。この報道を目にしてそう感じました。


尚、<AKB>および<前田敦子>を巡る私の基本的な理解については、
下記拙稿も併せてご一読いただければ嬉しいです。

・国民的アイドル前田敦子のAKB卒業
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11364361303.html

・AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000LC!、鴨
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11206785681.html

・AKB総選挙という<窓>から考える生態学的社会構造の実相
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11149135553.html


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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済

◆憲法無効論が照射する憲法改正の憲法基礎論的意味
憲法無効論の「法学理論-憲法解釈論」としての致命傷は、国民の法意識や国民の法的確信などとは無関係に、かつ、社会学的に観察可能な「社会的現実に底礎されている規範の意味内容」を看過してなされている「旧憲法が客観的に今でも現行憲法である」とするその認識です。蓋し、日本国民のほとんど100%が旧憲法を現行憲法とは思っていない現在、そんな旧憲法に「なんで我々は従わなければならないのか」という国民の問いにどう答えるのか、すなわち、<憲法>の効力根拠の説明において憲法無効論は破綻している。

畢竟、旧憲法(および「國體」なるもの)が現行の憲法の唯一の存在根拠である。すなわち、旧憲法の手続規定(もしくは、「國體」なるもの)に違反する法規はその名称が「憲法」であろうが<憲法>ではないと主張したいのなら、そのような「国民の法意識と無関係に法的効力を持ちうる憲法」なるものの根拠、しかも、専門の研究者を納得させ得る根拠を提示すべきでしょう。

いずれにせよ、上述したように、尾高先生の言われる「法の効力」という言葉の曲解を見ても、また、例えば、「法実証主義」という言葉の理解を見ても、私は南出氏が「法概念論-法学方法論」のイロハさえ分かっているかどうか疑問です(この点に関しては、下記拙稿の註「法実証主義」を参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(九・完)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58953869.html


而して、この疑念は宮澤俊義先生の議論、所謂「八月革命説」に対する南出氏の認識を見れば一層深まらざるを得ない。南出氏曰く、「八月革命説って言うけれど、主権がそもそもないのにどうして革命が起こるのか」(『日本国憲法無効宣言』p.58ff)、と。

蓋し、宮澤先生も、芦部信喜さん等のその後の通説も「憲法上からいへば、ひとつの革命だといはなくてはならぬ」(宮澤「日本国憲法誕生の法理」『憲法の原理』)、つまり、「法理論的には革命が起こったと考えなければ、旧憲法の改正条項を使いながらも、旧憲法と根本規範を異にする「新憲法-日本国憲法」が成立して現行の憲法として効力を持っている現実を説明できない」(要は、日本国憲法は旧憲法から正当化されえないし、逆に言えば、日本国憲法はそれが現行の憲法であることに関して旧憲法からの正当化など求めてはいない)と言っていることを南出氏は理解できていないらしい。

而して、「GHQの完全軍事占領による支配秩序の下で、その秩序を破壊して行なわれる「革命」なるものがありえないことは、法理論においても歴史的事実においても当然です」(ibid., p.31)に至っては唖然とする他ありません。

畢竟、①現行の日本国憲法を成立させた手続が旧憲法や国際法に違反していない、あるいは、②現行憲法と旧憲法では憲法の基本原理に変更はない、更には、③現行の日本国憲法の成立過程においてGHQの強迫等は実質的になかったと言ってよいなどとは護憲派も改憲派も現在誰も考えていない。

ならば、憲法無効論の主張は全く独り相撲と言うべきなのです。要は、護憲派も改憲派もその大部分は、第90回帝国議会の段階では、(単なる旧憲法の個々の条項ではなく、全法体系における旧憲法の<憲法>としての効力を鑑みるに)旧憲法は最早<憲法>としての効力を失っていたと考えているのですから。

蓋し、日本の憲法学において将来の通説を代表すると見られる長谷部恭男さんが「現時点における日本国憲法の正当性と、その出生の正統性とは全く別の問題である」(『憲法学のフロンティア』1999年, p.105)と簡潔に記されている通り、憲法無効論と、「八月革命説」や「日本国憲法成立の法的な説明」に関するその後の通説との違いは、後者が、現実に最高法規たる<憲法>として機能している日本国憲法の社会学的な現存と、他方、その成立の怪しげな事情を「法概念論-法学方法論」から整合的に説明しようとするものであるのに対して、前者は「影も形もない旧憲法」が実定憲法として現存すると強弁していることでしょう

よって、通説に属する論者が、「最高法規としての日本国憲法の現存と日本国憲法のいかがわしい出自の間のジレンマ」を、例えば、民法の「追認」や「時効」等の観念を援用してなんとか平仄を合わせようとしているのを見て、憲法無効論の論者が、「通説が民法の観念を援用しているのだから、我々が「無効行為の転換」や「強迫による意思表示」等々の民法の観念を援用しても良いはずだ」と考えているとすればそれは間違いなのです。その径庭は甚だ大きいと言わなければならない。なぜならば、前者の援用は、現実の事態を説明するための方便であるのに対して、後者のする援用は自身の頭の中のお花畑に「空中に楼閣」を描くためのアイテムなのですから。


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蓋し、<旧憲法の改正>としての日本国憲法の成立は、旧憲法の改正条項を新憲法制定のセレモニーの式次第、すなわち、儀式のアクセサリーに使った<新憲法の制定>だった。


左右、保守とリベラルを問わずほぼ100%の憲法・法哲学・国際法の研究者はこう考えていると想像しますが、ならば、憲法無効論の論者が、所謂「護憲派」も所謂「改憲派」も、日本国憲法を現行の憲法と考える点では<護憲派>であると規定するのはある意味正しいでしょう。ただし、その呼称の適否は置いておくとしても、<護憲派>と憲法無効論の論者の差は、世界水準の「法概念論-法学方法論」を踏まえた議論かそうではない妄想かの違いに収斂するのでしょうけれども(笑)。

而して、実際の所、憲法無効論など左翼やリベラル派は金輪際相手にしないでしょうから、結局、憲法無効論なるものが獲得を目指す「支持者」のマーケットは保守派に限られる。ならば、憲法無効論の論者がその主張を支持しない保守派を「似非保守派」と規定して敵視しているかに見えるのも「マーケティング」の観点からは極自然な流れではないでしょうか(爆)。

ことほど左様に、占領下に作られた正統性が皆無で正当性も怪しい現行の日本国憲法を国民多数が忌避するのならば、現行憲法の改正条項などおかまいなしに新しく憲法を作ることは政治的に全然かまわない。而して、そこで制定された憲法は、前の日本国憲法からは正当化されないけれど国民の支持を得た立派な<憲法>なのであり、その新しい憲法典に基づき下位の法律が合法性を帯びることになる(尚、この点に関しては下記拙稿の註「事実と価値の交錯する特異点としての憲法」をご参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(七)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58949648.html


けれども、本稿の冒頭で述べたことの繰り返しになりますけれども、現行の日本国憲法を国民多数が嫌って破棄した/改正したからといって(要は、いずれにせよ新しい憲法を作ったからといって、)旧憲法がゾンビのように生き返る(憲法無効論によれば、旧憲法が今でも現行憲法なのでしょうから、「控室から檜舞台に再登場する」でしょうか。)ことはないのです。

蓋し、国民の多数が旧憲法を復活させようと思うのであればそうなるのでしょうが、法論理的にはそれは「旧憲法の復活」ではなく「旧憲法と同一内容の新々憲法の制定」なのですから。畢竟、日本国憲法の有効無効と旧憲法の有効無効は論理必然的にリンクしているわけではないのです。

結論的に言えば、私は「憲法無効論は無効ではあるが不毛ではない」と考えています。それは、憲法無効論が、現行憲法の出自のいかがわしさを露にする政治的な利用価値があると考えるから(まして、専門研究者の誰からも相手にされない現状を見れば、憲法無効論の荒唐無稽な主張が世間の顰蹙を買って、改憲を目指す我々保守改革派にとっても何らかのイメージダウン的の弊害をもたらす蓋然性は少ないでしょうから)。

ならば、憲法無効論は基本的には「放置プレー」するのがクレバーな対処ではいないか。まして、石原都知事の破棄論や安倍総裁の改正論のいずれかの具現に向けて、「馬鹿と鋏は使いよう」という諺の如く、この(「現在でも旧憲法が現行憲法だ」と論じる)憲法無効論が「憲法破棄/憲法改正」を目指す社会運動的な場面で一定の露払いや狂言廻しの役回りを担うとする限りにおいては、憲法無効論も政治的には使い道はあるの、鴨。老荘は「無用に用」を見いだしたと伝えられますが、ならば、

憲法無効論には無用の用があるの、鴨。而して、
我々は粛々と現行憲法の破棄/改正を進めるのみ。
と、そう私は考えています。

共に闘わん。


尚、憲法の破棄/憲法の改正、ならびに、憲法理論を巡る私の基本的立場、加之、具体的に現行憲法の規範意味のどこを変更すべきと考えているのかについては下記拙稿およびそこにリンクを張っている諸拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・自薦記事一覧:保守主義の憲法論-憲法の改正/破棄を求めて
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61079400.html

・保守主義-保守主義の憲法観
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60996566.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444652.html


・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60944485.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html



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皇極天皇/斉明天皇


テーマ : 国家論・憲法総論
ジャンル : 政治・経済

◆憲法無効論の頑冥不霊
その論者の確信に満ちた強弁に関わらず、その規範内容と法的効力の両面において「憲法典をも包摂する実質的意味の憲法たる「國體」なるものの恣意性や無根拠性」は自明であり俎上に載せるに値しないでしょうから(笑)、(いずれにせよ、それらの「政治哲学的価値-自然法的意味内容」もまた憲法解釈の地平に結晶/沈殿化させるとき、)憲法無効論が挙げる日本国憲法の諸々の無効理由なるものは次の4点に収斂するのだと思います。

(甲)現在でも旧憲法が現行の憲法である

(乙)日本国憲法は<憲法>としては無効であるが、旧憲法の講和大権(13条)に基づく条約としては有効

(丙)現在の日本社会で日々繰り広げられている、天皇・安全保障・国会・内閣・司法・財政・地方自治・憲法改正、そして、国民の権利及び義務を巡る諸々の現実政治を律している<憲法>の枠組みには、旧憲法を中核にしながらも、旧憲法が容認する<条約としての日本国憲法>とその<条約としての日本国憲法>を基盤にして60年余りに亘って形成されてきた憲法慣習が含まれる

(丁)日本国憲法は<憲法>としてはその成立時から現在に至るまで無効なのだから、その改正条項(96条)などによらずとも、その<憲法>としての無効を国会等で公式に決議すれば、直ちに旧憲法の条項に直接基づいた政治が行なえるようになる、但し、条約としての日本国憲法下で形成蓄積されてきた法規や判例、行政実務は旧憲法を直接根拠とした新たな立法措置が行なわれるまでは今まで通りの効力を有する、と



老婆心ながら補足しておくと、(例えば、保守派が外国人に対する生活保護支給は憲法違反と確信したとしても残念ながら、他方、左翼・リベラル派が外国人の参政権は憲法上の権利だ/自衛隊、もしくは、日米安保条約や日米地位協定は憲法違反だと確信しているとしても当然ながら、我々や彼等の「解釈-理解-願望」が法的効力を持つものではない現状を想起すれば自明の如く、)単に「そうあって欲しい」と自分が願う内容が法規範の内容になるとは限らないのです。

憲法解釈学を含む間主観的な<学>としての法解釈学においては「あるべき法=自然法的法規範」ではなく「ある法=実定法」の発見が追求されるのです(逆に言えば、自然法的規範もまた実定法に晶化/沈殿して初めて社会的現実に底礎され、要は、現実を拘束する法規範の内容たり得るのです)。

よって、(a)社会学的観察によってある種の法規範の存在が推測されること(人々の行動にある規範に沿った傾向性が看取され、かつ、人々がそのような行動を選択する際に、その「行為規範-裁判規範」が<法>であるという意識の存在、ある規範を巡って国民の間に「法的確信」が了解されること)、(b)そのような個々の法規範が、次に、ある法体系の内部に編み上げられていくこと(「存在と当為」「事実と規範」「sein und sollen」を峻別する方法二元論の立場から、規範論理的考察によってある法体系の内部に編み上げられていくこと。逆に言えば、ある個々の法規範が法体系の内部にその固有の位地を占めること)、これら(a)(b)が間主観的に確認されて初めて「自己がそうあって欲しい」と願う規範の意味内容は<法>たり得るのです。閑話休題。


而して、蓋し、(甲)(乙)(丙)が成り立たないことは、前項の説明に加えて、現在、旧憲法が法的効力を全く持っていないという社会学的観察からも自明でしょう。実際、法の妥当性に関して「旧憲法が現在でも実定憲法であるべきだ」というのではなく「旧憲法が現在でも実定憲法である」と考えているのは、特に根拠はありませんが(笑)日本国民の0.01%には到底届かないかでしょうし、法の実効性については立法・司法・行政の日々の運用実務において旧憲法が適用される例は皆無なのですから。

ならば、旧憲法が<憲法>としての効力を持つ「実定憲法=現行憲法」であり、旧憲法の字句と異なる、国会とか裁判所の構成や運用は、条約としての日本国憲法とその条約としての日本国憲法の基盤の上で形成蓄積された憲法慣習にすぎないと主張したいのなら、その論者は、(憲法典条項の字句と抵触する「憲法慣習」の成立根拠を含む「憲法慣習」の概念規定と「憲法慣習」の有権的な認識者が誰であるか/有権解釈者を確定する規範の法理論的根拠(憲法解釈に関して、HLAハートが『法の概念』(1961年)で抽出した、端的で単なる「行為規範-裁判規範」たる「第一次ルール」を修正する、もしくは、第一次ルールの有権解釈者を定める「第二次ルール」の内容とその効力根拠)を説明すべきなのです。

そして、それができないのなら、そのような主張は憲法無効論の論者の頭の中のお花畑で見られた白昼夢でしかない。蓋し、そのような「法概念論-法学方法論」の根拠を欠く議論が許されるのならば、

・聖徳太子の十七条憲法が平成の御世においても現行憲法であり、
 十七条憲法の字句と異なる国会とか裁判所の構成や運用は憲法慣習にすぎない

・日本国憲法はマッカー元帥が日本国民に与えて下さったのだから、
 アメリカ合衆国憲法が日本の現行憲法なのであり、アメリカ合衆国憲法の条項と異なる国会とか裁判所の構成や運用は憲法慣習にすぎない


等々、誰もが任意の規範を<憲法>と見立てることが可能になると思います。而して、(甲)(乙)(丙)が破綻している以上(丁)の議論もまた「砂上の楼閣」に他ならない。畢竟、憲法無効論の論者は、現在の日本社会において何が<憲法>としての効力を持つ規範であるかは、国民の法意識や国民の法的確信とは無関係に、旧憲法の改正条項や国際法の規範内容から、客観的一義的に演繹可能な如く主張しているけれど、その理路を更に基礎づける根拠はとなると、結局、彼等の「解釈」や「思想」にすぎない。

換言すれば、「現在でもなぜ旧憲法が<憲法>なのか」を旧憲法のテクストを越えたメタレベルで論証しなければ、すなわち、「法概念論-法学方法論」の地平で根拠づけない限り、旧憲法の法的効力を否定する論者にとってそのような解釈は単なる憲法無効論の論者の思いつきにすぎないのです。以下、敷衍します。

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南出喜久治氏は、例えば、旧憲法の改正関連条項(73条及び75条)や講和大権条項(13条)、あるいは、旧憲法以前に制定された諸法規の旧憲法下における有効性を規定した条項(76条)、更には、無効な法規範が異なる法形式の規範としては有効になる(すなわち、無効な憲法改正手続によって「憲法典」として成立した日本国憲法が「講和条約」としては有効となる「無効規範の他形式への転換」があったとする)民法の「無効行為の転換」の理論等々をその「解釈」の根拠として挙げている(ibid., 第2章・第3章)。


旧憲法75条
旧憲法75条の「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」の趣旨を南出氏は(伊藤博文『憲法義解』(1889年)を援用しつつ)「摂政を置く期間を国家の「変局時」と認識してゐることにある」(ibid., p.58ff)とした上で、ならば「敗戦時は未曾有の国の変局時」であるから、なおさらその期間に憲法改正を行なうことは許されないとする。

こう理解された旧憲法75条は(それがかなり異様な拡大解釈であることは置いておくとしても、また、「拡大解釈」は罪刑法定主義を掲げる刑法においても、あるいは、内閣総理大臣の解散権を巡る現行憲法7条3号の慣行に端的なように憲法典についても見られないことはないにせよ、それは専ら民法・商法といった私法領域の法発見技術であることもまた置いておくとしても、)旧憲法の憲法改正手続きに携わる人々に対する警鐘や訓示としてはあるいは意味を持ったかもしれないけれども、実際に行なわれた改正手続を無効とする根拠では全くない

実際、「敗戦時は未曾有の国の変局時だから旧憲法第75条の類推解釈により日本国憲法は無効」などという解釈が可能なら、「敗戦時は未曾有の国の変局時であり、旧憲法は国の最高法規ではなくなった。よって、日本国憲法への改正は新憲法の制定である」と考えることも可能でしょう。

なぜならば、「日本国憲法への改正は新憲法の制定ではなくこれは旧憲法の改正であった、けれども、その改正行為は無効であり、旧憲法が今でも現行の憲法である」との主張の前提は「日本国憲法への改正=旧憲法の改正行為」の不備という事実認識であり、この認識と「日本国憲法への改正=新憲法の制定」という事実認識に論理的な優劣の差はないからです。

旧憲法76条
旧憲法と同じ憲法圏に属する、例えば、1831年のベルギー憲法138条「憲法施行の日から、憲法に違反するすべての法律、勅令、命令、規則およびその他の行為は、廃止される」を見れば明らかなように、そして、『憲法義解』を紐解いても、旧憲法76条「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」は、単なる「経過規定」であり、旧憲法制定前の諸法規が旧憲法施行によっても一定の法的効力を持つことを定めたものです。すなわち、これまた、<憲法>としては無効とされる日本国憲法を講和条約として有効とする根拠にはなりようがないものなのです。

無効行為の転換
民法理論と判例実務で言う「無効行為の転換」とは、ある法律行為が、例えば、「地上権設定契約としてなした法律行為が地上権設定行為としては無効であるが賃貸借契約としては有効である」と裁判所たる裁判官が解釈した場合に初めて「転換」がなされるもの。ならば、この「無効行為の転換」の理論が、なぜに、<憲法>としては無効とされる日本国憲法を講和条約として有効とする説明の根拠になるのか私には全く理解不可能です。


旧憲法を巡る私の基本的理解および旧憲法の意味内容に関しては下記拙稿をご参照いただくとして、ことほど左様に、畢竟、ある理論や条項をアナロジーとして使うのは論者の勝手だけれど、その憲法解釈に法的な効力を憑依させるためには、実定法上の根拠か、専門家コミュニティー内部で確立した法学的慣習(その枢要な要素が「法概念論-法学方法論」の世界水準の蓄積です。)による根拠づけが不可欠と考えます。

而して、憲法無効論をサポートする「法概念論-法学方法論」は、「敗戦利得者」なるもので構成されているらしい日本の憲法・法哲学・国際法の研究者コミュニティーはもちろん、世界の憲法・法哲学・国際法の研究者コミュニティーにおいても私は寡聞にして知りません。

・資料:英文対訳「大日本帝国憲法」の<窓口>
(付録として「告文・憲法発布勅語・上諭」の現代語訳も収めています) 
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60942195.html


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<続く>


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世の中には、「日本国憲法を無効にすべきだ」と言うのではなく、「日本国憲法は無効だ/現在でも大日本帝国憲法が現行憲法だ」と唱える人達が存在しています。サンフランシスコ平和条約が締結され日本がその独立と主権を回復した60余年前のことではなく、平成の御世、21世紀の今の話です。

もっとも、例えば、石原慎太郎都知事の言われる如くに「日本国憲法など破棄すべきだ/将来に向かって現行憲法は無効にすべきだ」との政治的や政治学的な主張には私は激しく同意する者であり、そのような問題提起をされた石原都知事に対しては満腔の敬意を表する者です。加之、安倍晋三自民党総裁が夙に主張しておられる如く、「現行憲法は少なくとも可及的速やかに改正すべき」ことも明らか。そうも私は考えています。

何が言いたいのか。畢竟、(Ⅰ)憲法に関しては、それを破棄することと改正することは、憲法総論や法概念論といった法理論から見て、(どちらかが正しいとすれば他のどちらかは法的に成り立たないという、謂わば)二律背反の関係にあるものではないということ。

ならば、(Ⅱa)時の政治情勢、就中、国民・有権者の世論の動向を睨みながら、もしくは、(Ⅱb)近隣諸国といわず唯一の同盟国たるアメリカを中核とする世界に対して、憲法を改正すること/破棄することがどのようなメッセージとして受け取られるかの予想/どのようなメッセージを日本が世界に向けて発信すべきなのかを巡る戦略を踏まえて、(Ⅱc)可及的速やかに現行憲法規範体系に変更を加えるための手段としていずれが効率的であり合理的あるかの判断によって破棄と改正の優劣は決せられるしかない。と、そう私は考えているということです。

而して、本稿で俎上に載せる「憲法無効論」なるものは、このような真面目な法理論や真摯な政治の「戦略-戦術」の選択判断とは位相を異にする噴飯ものの戯言にすぎません。そう評してもおそらく言い過ぎではないと思う。蓋し、「憲法無効論」なるものは、上記(Ⅰ)(Ⅱ)の法理論や政治のタクティクスを否定するもの。なぜならば、彼等のその主張の根拠はと言えば、(Ⅲ)現行憲法はその制定時点から現在に至るまで憲法典としては無効であり、2012年の現在も「旧憲法=大日本帝国憲法」が現行の憲法典であるということらしいのですから。


畢竟、憲法破棄を唱導されている石原都知事も、憲法改正に向けた燃えるような意志を毫も隠さない安倍総裁にせよ、この点、すなわち、「2012年の現在も「旧憲法=大日本帝国憲法」が現行の憲法典」などとは露程も考えておられないことは確実でしょう。なぜならば、新憲法/日本国憲法のその醜悪さや不備が、最早、看過/座視できない水準に到達しつつあるという石原都知事や安倍総裁の認識は、新憲法/日本国憲法が「現行憲法=実定憲法:a positive constitution of Japan」としての効力を保持していると理解するからこそ成立する/政治的に意味を持つ認識だろうからです。

繰り返しになりますけれども、私も、日本国民と日本社会にとってのその損得のバランスシートを作成してみるとき、現行の日本国憲法は、最早、日本国民にとって有害の度合いが明らかに大きいと(否、日本国民のみならず、例えば、国の安全保障面に限定したとしても、それは東アジアの不安定化要因の一つになっており、よって、近隣諸国や同盟国ひいては世界の他のすべての諸国民にとって無視できない実害を日本の現行憲法は与えていると)考えています。閑話休題。


もちろん、憲法基礎論や「法概念論-法学方法論」というアカデミックな観点からは憲法無効論など到底成り立つものではなく、実際、憲法・法哲学・国際法というこのイシュー「日本国憲法の効力を巡る法的な説明」に関わる専門研究者で憲法無効論を支持する論者は皆無。否、正直な所、誰も相手にしていない。

しかし、「日本が国家主権を喪失していた占領下、かつ、占領軍による立法を制限したハーグ条約に反して制定された日本国憲法は無効である」「日本国憲法は憲法としては無効であるが、大日本帝国憲法に定める講和大権に基づく講和条約として、講和大権が許容する範囲内で有効である」等々と唱える論者が存在していることは事実なのです。

本稿はこれら憲法無効論の中で特にその論者が「新無効論」と自称している主張を俎上に載せるものです。すなわち、渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社・2007年4月)、南出喜久治『占領憲法の正體』(国書刊行会・2009年3月)で展開されている主張に「法概念論-法学方法論」の視座から検討を試みること。これが本稿の獲得目標になります。

井上茂先生が『自然法の機能』(勁草書房・1961年9月)で喝破されたように、「自然法が存在するかどうかということと自然法思想が存在したことは別の問題」であるのと同様「日本国憲法が無効であるかどうかと憲法無効論が存在することは別の問題」なのでしょう。ならば、いかにそれが法学的には荒唐無稽なトンデモ論であるにせよ、憲法無効論の頑冥不霊を俎上に載せることで、憲法無効論なる妄想を生み出した現下のこの社会における、憲法を巡る(すなわち、形式的意味の憲法たる「憲法典」と実質的意味の憲法たる「憲法慣習ならびに憲法の概念および憲法の事物の本性」によって編み上げられた規範体系を巡る)国民の法意識の位相と構造をよりリアルに理解することができる、鴨。

尚、このイシューに関する私の基本的な考えについては

下記拙稿を併せてご一読いただければ嬉しいです。

・憲法無効論は不毛ではないが無効である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57820628.html

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444575.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57964889.html



2_20121104091257.jpg
皇極天皇/斉明天皇




◆憲法無効論の荒唐無稽
憲法無効論が成り立たない理由はシンプル。無効理由として憲法無効論が掲げる諸々の事項が事実であるとしても、それらはいずれも日本国憲法を<憲法>として無効であるとする法的な根拠にはならないこと。要は、日本国憲法の成立過程で、実際に大日本帝国憲法の改正条項や当時の国際法に違反する数多の事態が惹起したとしても、それらの「違反の事実」は「無効の理由」ではないということです。敷衍します(尚、以下、原則、日本国憲法を「現行憲法」、大日本帝国憲法を「旧憲法」と表記します)。

著者自らが「新無効論としては初めての体系的概説書」(p.4;但し、旧字表記は新字表記に改めました)とする『占領憲法の正體』には、

改正限界超越による無効、占領軍による立法を制約した「陸戦ノ法規慣例ニ関スルハーグ条約」違反、旧憲法75条「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」違反、ポツダム宣言における憲法改正義務の不存在、旧憲法73条1項に定める憲法改正発議大権の侵害、GHQプレスコードによる検閲等「政治的意志形成の瑕疵」、憲法改正案を審議した第90回帝国議会におけるGHQの赤裸々な圧力によって審議手続に重大な瑕疵がある等々、日本国憲法の無効理由として13項目が列挙されています(ibid., 第2章, pp.46-89)。


而して、この中の11番目(日本国憲法の「憲法としての妥当性と実効性の不存在」)に関しては、「法の妥当性」と「法の実効性」、すなわち、併せて「法の効力」という言葉の意味は(南出氏が参照している尾高朝雄先生が使用されている意味とは異なっており)妥当ではないと思いますが、他の12項目に関しては、おおよそその指摘する事実は認めてよいと思います(「法の効力根拠」に関しては下記拙稿の註をご参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(八)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58952796.html


畢竟、憲法無効論の難点は、(例えば、平成7年(1995年)に公開された衆議院憲法改正委員会小委員会の議事録を紐解けば、第90回帝国議会の憲法改正案審議に対してはGHQからあからさまな圧力が加えられたことは明らかである等)それら12項目の無効理由に言及されている事実が存在したとしても、それらの事実から日本国憲法が無効であることは演繹されないことです。

要は、例えば、刑法199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」、また、民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」等々、あらゆる法規範がそのような論理的形態を取るか、その形態の一要素として機能している、

これこれの行為が行われた場合には/これこれの事態が惹起した場合には
  ↓   ↓   ↓
これこれの法的な帰結の実現を国家が強制(応援)する


という法規範の論理的な存在形態に引きつけて敷衍すれば、(ⅰ)「これこれの事態が惹起した場合には、その法規は憲法としては無効である」という、ある憲法典を無効にするような高次の法規範の存在を仮定した場合、(ⅱ)憲法無効論は、(ⅱa)前段の「これこれの事態が惹起した」ことの論証には一部成功しているかもしれないが、(ⅱb)後段の「その法規は憲法としては無効である」と言うための根拠を欠いているということです。

法学の伝統的用語法を用いて換言すれば、(法学の一般的の用語法に従い、この論理形態の前段を「法的要件」、後段を「法的効果」と呼ぶならば、)憲法無効論は法的効果を欠いた法的要件によってのみ構成されている(正確に言えば、法的効果と無縁な法的要件は、実は、最早、法的要件でさえないのですけれどもね)。

よって、現行の日本国憲法の成立時の怪しげな事情を暴露して、その正統性・正当性のいかがわしさを指摘するという政治的・ジャーナリスティックな主張としてならいざ知らず、日本国憲法の無効を主張する法理論としては、憲法無効論は「砂上の楼閣」の類にすぎない。と、そう言えると思います。

確かに、憲法よりも下位の法規に関しては(例えば、現行国憲法56条が定める衆参両議院の定足数規定や59条1項「法律案は、この憲法に特別の定めのある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる」の規定に違反する立法行為等々)憲法に違反する法規は無効と言える。しかし、ある憲法改正の手続が前の憲法典の改正条項なり国際法なりに違反していたからといって、そこで新しく成立した憲法典が<憲法>として無効であるとは言えないのです。

なぜならば、<憲法>とは国家の最高法規であり、(規範の存否を巡る事実認識からは)当該の新しい憲法典が最高法規として機能している限り、国内法的には(まして国際法的には!)その憲法典を<憲法>として無効であると認定する規範は実定法の世界には存在しないから。すなわち、<憲法>の下位法たる諸法規の無効と「事実の世界と規範の世界を跨ぐ憲法」の無効とは「法概念論-法学方法論」からは全く別の位相にある問題なのです。



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<続く>


テーマ : 国家論・憲法総論
ジャンル : 政治・経済

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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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