三池炭鉱の「炭鉱列車」の軌道跡



またまた帰省中に立ち寄ったイベントの紹介です。
所謂「三池炭鉱炭塵爆発事故」から50年。


三池炭鉱炭塵爆発事故の舞台、つまり、
三井三池炭鉱の城下町だった福岡県大牟田市では、
様々な記念イベントの一環として市立図書館でも
史料展示を行っていました。そして、

そのそリーフレットにはこう書いてあった。



▼史料が語る三池炭じん爆発50年

(日時:2013年11月1日~27日)

今年は三池炭じん爆発から50年の節目の年である。昭和38年11月9日、三井三池炭鉱三川鉱で起きた炭じん爆発は、死者458名、労災認定されただけでも839名にのぼる一酸化炭素(CO)中毒患者を出した。大牟田市立図書館では、炭じん爆発事件、CO問題に関する史料を数多所蔵している。・・・三池炭鉱の歴史は、この災害を抜きに語ることはできない。戦後最大の炭鉱事故は何故起きたか? 残された史料が、何を物語るのか? 大牟田市立図書館に史料を託した寄贈者の思いとメッセージを、次世代に伝えたいと思う。




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大牟田市立図書館の許可を得てKABU撮影



三池炭鉱炭塵爆発の原因に関しては、炭鉱内部の物流動脈たる「トロッコ」の鉄路に(会社側の安全管理義務違反の結果)堆積した炭塵が--百歩譲っても--「何らかの原因」で発火・爆発したものと現在では考えられています。そして、経費節減の結果でもあろうこの安全管理義務違反の背景には、

(1)昭和34年-35年(1959年-1960年)の「三井三池闘争」--「総資本 vs 総労働」の激突と謳われた三池争議--によってささくれ立った企業と労働者の関係、あるいは、労働者内部の企業よりの第2組合(新労組)と争議をとことん戦った第1組合(旧労組)の組合員間の感情的な凝りがある。加之、(2)マクロ的には「石炭から石油や原子力へ」という日本全体のエネルギー供給体制の移行の中での三池炭鉱自体の収益の悪化がある。


と、(1)(2)のような認識は三池炭鉱炭塵爆発事故から50年、現在では、寧ろ、<常識>と言える、鴨。他方、このような<常識>が構築されるには、例えば、三池炭鉱炭塵爆発の原因論というベーシックな論点に関しても、事故後35年、松尾家族裁判最高裁判決(1998年)によって荒木忍氏(元九州工業大学教授)の上記の「堆積炭塵説」が妥当と判断されて最終的に落ちついたように膨大な時間と労力が介在している。

そして、逆に、このような--後知恵とも言える--(1)(2)の認識が<常識>となるに従い、例えば、「458名の事故の犠牲者の過半は企業と折り合いの悪かった--よって、より劣悪な労働条件を強いられていた--第1組合(旧労組)の組合員だった」などという事実無根の<事実>を口にする向きも、現在では事故の舞台になった福岡県大牟田市でさえなきにしもあらずだったりします。つまり、<常識>が<神話>を派生させる傾向もなくはないということ。


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事後的な記憶の改竄。「458名の事故の犠牲者の過半は第1組合(旧労組)の組合員だった」などの記憶の改竄は、しかし、その背景には、更に、例えば、炭塵爆発事故の4年前の三池闘争の頃の出来事、

菊川武光元副組合長をはじめとする【後に第2組合を結成する】役員選挙落選者たちは、秘かに批判派を形成し、水面下で勢力の拡大を図った。指名解雇された1202人の1人の竹脇忠雄さんは解雇通告を受ける前、すでに野に下っていた菊川元副組合長から同じ三川支部のよしみで呑みに誘われたことがある。そして帰り際に菊川元副組合長が金を払わず、伝票にサインで済ませているのを見た。<会社に回しとるっ>と直感した。これを機に、竹脇さんは菊川元副組合長との交友を断った。


(真鍋禎男『不屈と誇り-三池炭鉱労働者』社会評論社・2010年7月, p.96)


あるいは、企業や国家を悪者と漠然ととらえるリベラルの向きからは「正義の味方」に見える第1組合が、組合員と全国の労組から寄せられたカンパを使って、当時の上部組織である総評の幹部を芸者さんをあげて盛んに慰労(接待)していた事実--1959年12月の「山鹿温泉戦術会議」事件--などが広く大牟田市民に知られるに及んでいること、等々。これら累積した<記憶>が横たわっているの、鴨。


実際、私の実家の近隣にもCO労災認定を受けた男性の方(←大牟田弁で「おっちゃん」と言いますけれどもね。)がおられた。そのおっちゃんは事故後も普段は元気で、炭鉱夫ならではの頑強な体格が自慢の方でしたが、事故から10年くらいで病没された。

周囲から聞いた話では、企業とより協調的な第2組合の組合員だったそのおっちゃんは--しばしば襲う記憶の乱れや目眩に対する自分の身体と将来への不安とあいまって--「あいつは新労組やけん、本当はCO中毒ちゅーほどでもなかつに労災認定されて金ばぎゃんせしめたと」(要は、その男性は「仮病を使い大金をせしめたが、それも彼が第2組合の組合員だから可能になったのさ」)と第1組合だけでなく第2組合の元同僚達からも噂され、酒浸りの生活の果てに--ほとんど10年掛かりの自殺とも呼べる--病死したとのこと。


あるいは、炭塵爆発事故から15年後、期末試験あけかなんかわすれましたけれど、平日の早めの午後に高校の級友達と大牟田の繁華街--今はそんなものは存在しませんけれどもね(涙)--を歩いていると、ほろ酔いという水準を遥かに超えた、おそらくCO中毒認定者と思しきおっちゃんが寄ってきて、「おい、【当時の大牟田エリアでは進学校だった】三池高校の生徒、おまえらの親父は会社の偉いさんやろ、おまえら道を歩くときは端を歩け」とか言い掛かりをつけられた。

私の父は三池炭鉱とは無関係なこともあり、医者の息子の級友とともにそのおっちゃんに反論しようとすると、一緒にいた別の級友3~4人から腕をつかまれおっちゃんから引き離された、そして、喚き続けるおっちゃんから逃げるように我々6~7人の高校生は大急ぎで遠ざかった。そう、その3~4人の級友の「親父は会社の偉いさん」だったから・・・。

これらのエピソードを小さい頃から些か見聞きしたり体験してきた<私達>にとって、だから、「458名の事故の犠牲者の過半は第1組合(旧労組)の組合員だった」などの記憶の改竄を単純には否定できない。その誤謬もより深い<記憶>の堆積の中では満更<改竄>とも言えないもの、鴨。そう感じるから。閑話休題。


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蓋し、三池炭鉱炭塵爆発事故一つとっても、そこには「歴史とは何か」という、些か浮世離れした、しかし、政治と社会を考える上でおそらく不可避の問いを考えるヒントが溢れていると思います。蓋し、一旦、<常識>を捨象して--フッサール流に言えば「エポケー:判断中止」して--史料そのものに繰り返し向かい合うことは、いずれにせよ、<歴史>を考える上で重要な作業の一つではないかと思います。

而して、「客観的な事実」なるものが存在しえないことを喝破した現代哲学の地平から見ればそれと真逆の立場にある、朝日新聞に寄せられた--73歳の名古屋の男性の--次のような投書が述べている主張の根拠が--そのヒューマンで優しい口ぶりとは裏腹に実は--脆弱であり、よって、文化帝国主義的教条の傲岸不遜でしかないことも自明ではないか、とも。


▼歴史教科書は事実に基づいて
小学生の頃、我が家には戦前に出版された少年向けの戦争史の本があり、日本が太平洋戦争を始めたのは、ABCD包囲網による経済封鎖によって資源の確保ができなくなったこと、欧米列強によって植民地にされたアジア諸国を解放するための聖戦であったことなどが記述されていた。戦争は終わっていたが内容に少なからず影響を受け、戦前の軍国少年のような歴史認識を抱いたことを思い出す。最近、安倍政権の一部閣僚や自民党の幹部に、この本の記述を連想させる発言が続き、驚きを禁じ得ない。・・・近隣諸国を含む国際社会の中で、堂々と胸を張って活躍できる人材を育てるためにも、次代の我が国を担う中学生や高校生向けの歴史教科書は、客観的な事実に基づいたものでなければならない。


(朝日新聞・2013年6月16日


畢竟、「近隣諸国を含む国際社会の中で、堂々と胸を張って活躍できる人材」なる意味不明の<詩的言語>は咎めないとしても、「日本が太平洋戦争を始めたのは、ABCD包囲網による経済封鎖によって資源の確保ができなくなったこと」という認識は間違いではないでしょうから。また、結果的にせよ大東亜戦争によって「欧米列強によって植民地にされたアジア諸国が解放された」ことも事実でしょうから。なにより、歴史認識の正しさは共時的に相対的であり、他方、通時的にも歴史認識は常に現代の視点から書き換えられるべき性質のものでしょうから。

而して、<常識>を捨象して史料そのものに繰り返し向かい合う作業。そのような作業をきちんと踏まえるならば、--相対主義的な立場に立つにせよ--所謂「従軍慰安婦」なるものの存在に固執する反日リベラル派の主張が謬論であること、もしくは、単なる<国民国家>と<ナショナリズム>の成立にすぎなかった「フランス革命」を天賦人権の普遍的価値が確認された事件などという認識が噴飯ものの妄想であることは自明であろうと思います。価値相対主義は不可知論ではなく自己の認識の有限性を自覚しつつ、自己の認識に<責任>を負う態度なのでしょうから。


而して、今回の帰省では、三池炭鉱炭塵爆発事故について予備知識の少ない来館者にも--掲示の順番通り眺めていけば--事件を巡る<常識>から一旦自由になり史料そのものから<三池炭鉱炭塵爆発事故>をイメージすることができる展示に邂逅した。些か、その道を生業としてきた私から見てもその水準は希有のもの。簡単なようだけれどもそれは難しい作業。ブース2個半足らずの小規模な展示企画でしたが、それは工夫が凝らされた、正に、魂のこもった展示だと思いました。

聞けば、在職中と退職後の嘱託の期間を合わせて文字通り半世紀に亘り、三池炭鉱炭塵爆発事故の史料を整理してこられた元図書館員の方のアドバイスに従い展示したとのこと。けれどもね--原作者と脚本家、脚本家と演出家が別の<仕事>のように--豊富な史料の中から展示アイテムを選定、展示の順序の決定、展示アイテムの配置は<原作者>からのアドバイスとは別個の作業。なにより、この展示で興味を深めた来館者に対して引き続き自館が保有する史料や資料を実際に利用しやすくした工夫は素晴らしい。「自館が保有する史料や資料をどんどん利用して欲しい」という熱意が感じられた。

ならば、三池炭鉱炭塵爆発史料展--今回も!--大牟田市立図書館の企画には魂がこもっている、と。それは、<常識>を捨象して史料そのものに繰り返し向かい合う心地よい緊張の営みに来館者を誘う魂のこもったイベントだった、とも。


б(≧◇≦)ノ ・・・大牟田市立図書館の企画には魂がこもっていた!

б(≧◇≦)ノ ・・・大牟田市立図書館侮り難し!




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尚、「大牟田市」については下記拙稿も
ご一読いただければ嬉しいです。

・書評:西村健「地の底のヤマ」<書評編><画像編>
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61972156.html

・地方再生と日本再生を郷里・大牟田で思う(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148540450.html

・不存在の尋常ならざる重さ:図書館利用マナー向上キャンペーンで
 郷里の市立図書館に「1本!」とられました
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61516044.html



また、<歴史>を巡る私の基本的な認識については
下記拙稿をご参照いただきたく思います。

・定義集-「歴史」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61007370.html

・歴史を直視できない人々-安倍総理の歴史認識を批判する海外報道紹介の後記-(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61860563.html



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JR大牟田駅から大牟田市立図書館方向を撮影




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ジャンル : 政治・経済





先日、野暮用で法廷見学に行きました(←あのー、まだ刑事被告人としてではありません、為念)。
そこで、ふと覚えた違和感。私の専門のアメリカでの裁判と比べて何かが足りないのです。
そう、国旗がないのですよね。法廷に。これどういうこと?


あのー、三権分立にせよ権力の分立にせよ(←ちなみに、アメリカの連邦憲法上は、アメリカ合衆国の政体は「立法・司法・行政」の三権分立ではなく「立法・司法・執行」の権力分立であり、欧州大陸流の「行政権」の過半は実はアメリカ合衆国の場合、議会に配分されているのですけどね。いずれにせよ、その憲法体系がどの政体を採用しているにせよ)、「司法権」は立派な国家権力の一斑であり、当然、その権威と権限は総体としての国家に発するもの。このことは「天賦人権」なるものが土台成立不可能な経緯を鑑みれば自明のことでしょう。


つまり、日本の場合にも、司法の場、すなわち、法廷には国旗、日の丸が掲げられているべきである。而して、法廷に国旗、日の丸が掲げられていない現在の事態は政治的のみならず憲法論的にも<不備>であり<不細工>な事柄である。と、そう私は感じました。


よって、私は次の如く提案したい、


б(≧◇≦)ノ ・・・日本の裁判所も法廷に国旗を掲げなさい!




尚、上述の「理路」に関しては下記拙稿を
ご参照いただければ嬉しいです。



・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html


・憲法訴訟を巡る日米の貧困と豊饒☆「忠誠の誓い」合憲判決
 -リベラル派の妄想に常識の鉄槌(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61669703.html



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山本太郎は放置プレーが正解か、それとも・・・(悩)

この記事は、実は、アップロードする予定はありませんでした。というのは、今回の「天皇陛下への直訴事件」だけではなく、彼の「脱原発言動」は、寧ろ、彼が頑張ってくれればくれるほど、結局、我々、保守派、もしくは、原発立国への回帰を期す市民にとって有利だと思っていたから。この大局観は今でも改める必要はないと思っていますけれど、換言すれば、「山本太郎は放置プレーが正解」であろうと。要は、明治以降の日本の政治史上、


最悪の首相・鳩山由紀夫
最低の首相・管直人



この二人が、<活躍>すればするほど、民主党--個別「民主党」が再び政権を取ることはないでしょうから、正確には、「民主党的な政党」と言うべきでしょうか--の票が逃げる現象とこれはパラレル。あるいは、『週刊金曜日』なり『世界』なりの反日リベラル雑誌が力瘤を入れて記事を発信すればするだけ、もしくは、誰と誰と誰とは言いませんけど(笑)、ある一群の--例えば、ブログ友のPONKO姉さんが「バカ女」と呼ばれておられる--反日リベラルのコンメンテーターさんがTVで自説を力説すればするだけ、リベラル派の勢力が減少する現象とこれはパラレル、鴨。そう私は達観していました。

尚、冒頭の画像は「yahoo意識調査」のもの、
URLはこちら(↓)です。

・yahoo意識調査
 http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/10267/result


けれどね


けれども、今回の「天皇陛下への直訴事件」は、我々保守派の期待以上の<活躍>であり、我々が「あと、3-4年はかかる、鴨」と思っていた「占領憲法の改憲」に加速度をつけてくれる契機になる、鴨。と、そういう予感というか嬉しい誤算を鑑みるにこの記事をアップロードしておくことにした次第です。


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ポイントは「天皇陛下への直訴事件」への批判が、左右の両翼から噴出していること。言うまでもないことでしょうけれど、反日リベラル派は、山本氏の「天皇の政治利用」、更には、結果的にせよ「天皇制を容認」したことになると彼の行動を批判しており、他方、保守派は、山本氏の行動を「父兄」じゃなかった「婦警」でもなかった、もちろん「大阪府警」でもない「大いなる不敬」と批判している。

山本太郎--天皇を政治利用した、よって、天皇制を容認した裏切り者
山本太郎--天皇を政治利用した、もって、不敬の輩



畢竟、しかし、「天皇制容認が許せん!」とか言ってもね、彼等の大好きな(はずの?)「日本国憲法」の第1章は「天皇」なんですけどね(爆)。ことほど左様に、現行の占領憲法における「天皇制」の意味内容の見直しが、はからずも山本氏の「天皇陛下への直訴事件」によって不可避になってきた、鴨。私はこの予期せぬ動きは我々保守派にとって誇張ではなく「僥倖」とも呼ぶべき事態なんじゃないかい。と、そう考えています。

なぜならば、実は、反日リベラルの色彩を基調とする日本の戦後の憲法学にとって「天皇制」は<パンドラの箱>だったから。簡単な話です。ブログで覗く限りでも、9条死守を掲げる論者の中で、「憲法を改正するとすれば、まず、憲法第1章「天皇」の削除だろう」と考えている論者はそう少なくないでしょう(笑)。

しかし、英国の憲法慣習の運用を見ても、あるいは、例えば、フランス皇帝の位につく戴冠式でナポレオンが宣言した言葉、「余はフランス共和国の皇帝である。余はこの共和国の領土を保全し、共和国国民の信仰的と政治的および市民的の自由を守護する」という宣言に端的な如く、「天皇制と民主主義」あるいは「天皇制と国民主権」は、実は、毫も矛盾するものではないのです。

この点に関する論証については下記拙稿をご参照いただきたいのですけれども。要は、「国民主権」も--議会制民主主義と合体して以降の「民主主義」も--「共和制-共和国」論も「その全国民が等しく、かつ、主体的に国政に参与できる/参与することが義務でもある政体であり国であり、また、そこにおける国家レベルの政治的決定は国民代表が合議によって行うか、その代表が合議によって決めるルールに従い選ばれた執行メンバーがこれまた合議を通して決める政治体制であり国家体制の希求」という議論以上でも以下でもないのですから。

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60944485.html


よって、朝日新聞(2013年11月2日)に掲載されていた次のような認識は、
単なる、反日リベラル派の妄想の吐露にすぎないということ。

▽批判、公平でない--山口二郎・北海道大教授(政治学)の話 
今の天皇、皇后のお二人は戦後民主主義、平和憲法の守り手と言っていい。しかし主張したいことは市民社会の中で言い合うべきで、天皇の権威に依拠して思いを託そうと政治的な場面に引っ張り出すのは大変危うく、山本議員の行動は軽率だ。一方で、主権回復式典の天皇出席や五輪招致への皇族派遣など、安倍政権自体が皇室を大規模に政治利用してきた中、山本氏だけをたたくのは公平ではない。山本氏も国民が選んだ国会議員であり、「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ

(以上、引用終了。但し、下線部はKABUによるもの)


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すなわち、(ⅰ-事実)主権者たる<国民>--観念的と間主観的に理解される「国民の総体」--が、日本を「天壌無窮、皇孫統べる豊葦原瑞穂之国」とイメージしており、国民は今上の天皇陛下を<天皇>として戴く存在と自己をイメージしていること。

そして、(ⅱ-規範)そのイメージが--現行の占領憲法においてさえ--日本の憲法体系を貫く<政治的神話>であり社会統合のイデオロギーであることが、実定法解釈の手続きを踏むのならば誰も否定できないこと。

これら事実と規範の両領域における事柄は、しかし、法哲学と政治哲学の思索領域に本籍を置く、所謂「国民主権」もしくは「民主主義」とは毫も矛盾しない。すなわち、「山本氏の行動を不敬」と看做すことは毫も、現行の占領憲法から見ても不適切なことではないということ。

なにより--弊ブログでも時々書いてきたことの繰り返しになりますけれども、もし、反日リベラル派の占領憲法解釈を採用するとしても、ある<テクスト>の意味の理解においては<作者の意図>が特権的に重要なわけではないことを看破した現代哲学の地平に言及するまでもなく--、<天皇>や<皇室>はそれらを見る人の立場によっては<政治性>を帯びうる。そして、この<天皇>や<皇室>の両義性の経緯は、たかだか、憲法典なり憲法典の起草者が毫も制約できる類のことではないのです。

これらを鑑みれば、ならば、非政治性と政治性を保有する両義存在としての<天皇>と<皇室>が帯びる<政治性>は合憲・違憲の審査の埒外の事象であること。これは自明のことではないでしょうか。誰も不可能を強制することはできないのですからね。

いずれにせよ、「国民が選んだ国会議員」であれセクハラや軽犯罪を犯すことはあるでしょう。ならば、「国民が選んだ国会議員」が「不敬」を犯すことも--遺憾ながら論理的には--ありうる。そして、「不敬」が現行の占領憲法からさえも、紛う方なく、法的な否定的価値判断を降されるべき行為と看做されることと、共和主義・国民主権原理、そして、民主主義とは毫も矛盾しない。ならば、上に引用した山口二郎氏の「「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ」という言明には憲法論的、法哲学的、そして、政治哲学的にはなんの根拠もない。このことだけは間違いないと思います。

尚、「憲法」の概念に関する私の基本的理解に関しては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・保守主義-保守主義の憲法観
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60996566.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444652.html


ことほど左様に、山本氏の今回の<活躍>は、反日リベラル派の憲法論が、今まで「常識」と嘯いてきた諸々の謬論、例えば、「天皇制は国民主権や民主主義と矛盾する」あるいは「天皇の政治利用は憲法の精神からみて許されない」・・・の謬論が<裸の王様>にすぎなかった経緯を赤裸々にしてくれる契機になるかもしれない。そう私は期待しています。だから、


だから、

だから、

山本太郎は放置プレーが正解か、それとも・・・

という問いは、ハムレットの悩みほどではないにせよ、

そこそこ悩ましい(「嬉しい悩み」ですけどね!)もの、鴨です。
と、私はそう今悩んでします。


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P/S
保守派の論者の中には「天皇制」という言葉は、コミンテルンが作ったものだから使うべきではないとか述べる向きもなきにしもあらず。けれども、そのような主張は<言語>の本性を看過した「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類のあまりbeautifulとはいえない議論だと思います。この点に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について (本論・補論)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60899909.html

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60904872.html
 



テーマ : 保守主義
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プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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