畢竟、<指導者の器>とは何か。
人はある人物がどのような行為を行ったときに、
その性質が彼や彼女に憑依していることを確信するのか。
つまり、私達が<指導者の器>を感じ理解しているポイントと仕組みはなんなのか。

私のアイデアは「KABUのフレミングの左手と右手の法則」モデルと称すべきもの。

蓋し、<指導者の器>に連なる人間の能力として--繰り返しになりますけれども、「金融業界で法人営業部門のジェネラルマネージャー」として活躍する能力の如き、その指導者としてのタスクを全うするための能力が幾つかの要素に還元され測定され得るケースは除きます、だからこそ、世の中にはMBAやロースクール、TOEIC対策スクールや簿記学校が数多存在するのでしょうから、そんなケースも希ではないでしょう--次の性質が観察された場合にのみ人はある人物に<指導者の器>を感じるのではないかということ。すなわち、それは「肝が据わっている」とか「寡黙かつ明敏」とかいう言語明瞭ながらも意味不明なものではなく、次のような確認可能な事象だろう、と。

▼KABUのフレミングの左手の法則
(ⅰ)情報処理のスピード
(ⅱ)情報処理のキャパシティー
(ⅲ)情報の空間的把握能力

▼KABUのフレミングの右手の法則
(ⅰ)適格な情報発信(内容妥当な言語行為)
(ⅱ)適切な情報発信(聞き手の要求や関心を理解した言語行為)
(ⅲ)時宜をえた情報発信(リスクを避けない言語行為)



繰り返しになりますけれど、重要なことは、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」で観察できるある人物の指導者としての能力は単一であり、よって、左右の各(ⅰ)~(ⅲ)は<指導者の器>の分解可能な要素ではないということ。だかこそ、分子・原子・素粒子という要素還元的なモデルではなく「フレミングの法則」モデルを採用しているのです。

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「KABUのフレミングの左手の法則」および
「KABUのフレミングの右手の法則」の相補性


例えば、凡庸な風貌の鈴木善幸元首相が実際は鋭敏な方であったらしいこと、あるいは逆に、宮澤喜一元首相は「左手の法則」分野においてのみ秀逸だったのではなく、大胆不敵かつ少しお酒をきこしめせば気さくで陽気な好人物であったらしいことからも推察される通り、馬鹿でも小物でも指導者はつとまらない。

ならば、この左右の「フレミングの法則」モデルで観察・理解できるある人物の指導者としての能力は--相関関係とまでは断言しませんけれど--相補的なのものでしょう。つまり、「左手の法則」からみて劣る人物は、実は、「右手の法則」においても劣るのであり、その逆も真ということ。

実際、天動説よろしく、ご自分を中心に「東アジア共同体」なるものを振り回して、もって、日米同盟をズタズタにし、あまつさえ、普天間基地移転をご破算にした鳩山由起夫氏。東日本大震災への対応の自らの拙さを逆手にとって政権の延命をはかろうとした菅直人氏、あるいは、お隣の告げ口おばさん大統領閣下などが「右手の法則」のみならず、実は、「左手の法則」でもシャビ-な指導者の好例でしょうか。

その時々に指導者に要求されている限度と内容を超えて--要は、組織が自分に要求していることがら、および、自分が率いている組織の置かれている現状を理解せずに--「左手の法則」分野の能力自慢をするようなタイプの人物は、「右手の法則」の分野でシャビ-なだけでなく、「左手の法則」の分野でも頭が悪く、文字通り、馬鹿だということです。蓋し、「右手の法則」の分野でシャビ-な人物は「左手の法則」の分野--情報処理の速度・キャパ・空間的把握能力--のいずれか、あるいは、すべてについて指導者としては問題があるのでしょうから。


115.png


保守主義と<指導者の器>の親和性

指導者の能力とは、日々変転してやまない状況を睨みながら、自分が率いている組織が自分に求めていることを察知して、その組織のためにリスクを取り決断をおこない、結果に対して責任を負うことのできる能力でしょう。

而して、日々の状況変化の理解にさいしては最終的には出来合の教条に頼ることなく--だって、指導者が直面している状況は日々過去に前例のない事態なのですから--、有限なる自分の能力の範囲でそれをおこなう潔さ。正に、これ自己責任の原則の尊重であり、ならば、究極的にはですが、教条を軽蔑するこの態度と精神こそは、言葉の正確な意味での「保守主義」の紀律と精神と言えるの、鴨。

更に、逆に言えば、<指導者の器>を備えた人物は日々成長を怠らない、「左手の法則」および「右手の法則」の両分野を二重螺旋状に恒常的に発展していけるタイプの人物なのだと思います。万物が流転する世界では、止まっているためには成長しなければならないのでしょうから。

畢竟、このブログでもしばしば記している「定義」ですけれど、--所謂「バークの保守主義」なるものは思想の博物館の陳列品でしかないでしょうから--現在における保守主義を、

①自己の行動指針としては自己責任の原則に価値を置く、そして、②社会統合のイデオロギーとしてはあらゆる教条に疑いの眼差しを向ける、よって、③社会統合の機能を果たすルールとしては、さしあたり、その社会に自生的に蓄積された伝統と慣習に専ら期待する、換言すれば、その社会の伝統と慣習、文化と歴史に価値を置く態度を好ましいと考える--白黒はっきり言えば、伝統と慣習の中には(もちろん、その領域は時代と共に変動するのでしょうけれど)社会的非難という道徳的強制のみならず国家の実力を発動してなされる法的な強制によっても維持されるべき領域が存在すると考える--立場。

ならば、④その社会の伝統と慣習、歴史と文化に価値を置く態度や心性がその社会のスタンダードな態度であり心性であることを認めリスペクトするような<外国人たる市民>に対しては、逆に、--古来、日本が「帰化人」の人々に対してそうしであったように--彼等の伝統と慣習、歴史と文化を<国民>の方も尊重しリスペクトするべきだと考えるタイプの社会思想である、と。


思想の内容面ではなく、思想の形態面から「保守主義」をこのように再定義する場合、<指導者の器>とは自己の能力の有限性を心底理解して日々自己の能力の開発を怠らない保守主義の態度と精神。そして、自己の決断に責任を負いつつ結果を残し続ける保守主義の紀律の実践と言える。

よって、「ホークスの監督は秋山幸二をおいて他にいない」というような<信用>を蓄積すること。そのような、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」の両分野において、彼や彼女が継続的に自己成長できること。そのような<保守主義>の具現と顕現に他者は<指導者の器>を感じるのではないか。と、そう私は考えます。


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二点補足しておきます。

悪に強ければ善にも強いのか。

蓋し、本稿で俎上に載せている<指導者の器>というのは、ホークスでもジャイアンツでも、永田町でも霞ヶ関でも丸の内でも通じる一般的な事柄。だから、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」およびそれらの相補性と二重螺旋的な発展性は、例えば、任侠系の組織や日教組や自治労にも言えることだと思います。<指導者の器>とある組織の反社会性とは取り敢えず別のことがらだろうから。

しかし、それなりの<指導者の器>を備えたほどの人物ならば、彼や彼女は人生のどこかでそんな反社会的組織を離れる選択をそれなりの確率でおこなうのではないか、と希望的に推察します。もっとも、自分や日本を中心に世間や世界が廻っているのではない現実を踏まえるならばそれは現実的には難しいことでしょうけれどもね。ならばこそ日教組の組織率はこの10年余りの間、20%前後でだらだらと推移しているの、鴨。


二つ目の補足。
それは官僚制の罠。

ある組織が他の組織に対して持っている優位性や関係性が固定している場合、要は、旧陸軍や旧総評、あるいは、官公庁や朝日新聞の如き<官僚的な組織>では、個人の属性である<指導者の器>よりも、他の組織に対するその組織の利益防衛というより特化された優秀さに従い指導者が選ばれる傾向があるのかもしれないこと。

すなわち、そんな<官僚的な組織>では--日々変化する現実に対する対応能力という意味での指導者の能力は、現実の変化が、少なくとも、世間や世界よりは相対的に組織内部にいる者にとってはそう大きくはないがゆえに--「KABUのフレミングの左手と右手の法則」で確認できる性質よりも、組織防衛に前例踏襲型の情報発信を行うタイプの人物が「出世」しはるの、鴨ということです。

ならば、その人事プロセスは朝日新聞にとっては、
今までは目的合理的だったのかもしれませんが、
日本国民にとっては迷惑な話です。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。


蛇足ながら更に確認。中国共産党という官僚的組織において数次にわたる失脚を潜りながらも「やはり最高指導者はあの人しかいない」と衆目の一致した評価を獲得して、「支那の最高実力者」に上り詰めた鄧小平先生は、敵ながら天晴れな<指導者の器>の方だったと思います。蓋し、敵ながら鄧小平先生は<保守主義>の同志であったと。

( ..)φ( ..)φ( ..)φ

他方、絢爛豪華な言葉と流麗可憐なロジックを駆使しながらも、結局、この6年間で国内外を騒がせる以外--ノーベル賞を任期初年にもらった以外?--なんの実績も上げていないオバマ大統領は、その政治思想の内容面から見てリベラルなだけでなく、<指導者の器>の点で「リベラル=駄目」である。と、そう私は確信しています。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。



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アメリカから野球が渡来して優に一世紀。そのアメリカでも野球は日々変化してきました。例えば、1845年に、ニューヨークのニッカーボッカー・ベース・ボール・クラブが制定したルールが源流とはいえ、「試合は21点先取で終了」「打者に対する投球はピッチでスローではない(下手投げでうちやすいボールを投げなさい)」等々の当時の規定を眺めるとき、文字通り隔世の感を誰しも覚えるでしょう。

野球規則だけではない。FA制度、DH制度の導入。今では日本人のメジャーリーガ-は極普通の存在ですものね。その背景として、沢村栄治氏やスタルヒン氏が活躍した投手が圧倒的に有利な時代から、日米共に打者有利の時代への変遷・・・。<野球という言語>が話される言説空間は日々変化している。間違いない。それは、私のような素人にもわかること。

而して、けれども、野球とはアメリカという保守主義の根づく世界が生み出し日々育てている<ゲーム>であり、よって、野球の世界は保守主義と親和的な<野球という言語>が日々話される自生的秩序の織り成す世界と言えるの、鴨。

・ダルビッシュ選手頑張れ!
-而して、野茂英雄選手に回顧する「アメリカ社会侮り難し」の体験
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11183710819.html


何を言いたいのか。それは、保守主義に貫かれたアメリカ社会の伝統という与件を考えた場合、ならば、最早、メジャーリーグと地続きのプロ野球の世界で<指導者の器>たる人物とは--「KABUのフレミングの左手と右手の法則」モデルを用いて上に述べた一般的な「人的資源開発論-組織論」という観点を超えて--、保守主義との親和性が更に高いだろうということです。閑話休題。


いずれにせよ、日々変遷する状況を睨みながら二軍監督時代を合わせれば10年間若手を育て、移籍してきた選手をチームに溶け込ませ、なにより、移籍してくる大物を前に意気消沈し腐りかけている生え抜きの中堅メンバーにチャンスを与え奮い立たせる・・・。そして、決断は自分でおこない責任は自分が負う。このような指揮官の保守主義と整合的な態度と精神を感じて、ファンも選手も「ホークスの監督は秋山幸二をおいて他にいない」と確信し、オーナーも補強費用を惜しまなかった(笑)。

畢竟、

秋山幸二監督は<指導者の器>を備えた人物であった。
と、そう私は考えます。


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ちょうど一月前(2014年10月30日)、私達の郷里のチーム、秋山幸二監督率いる福岡ソフトバンクホークスが二度目の日本一の栄冠を掌中にしました。いや、嬉しい。最初の優勝のとき(下記URL記事参照)より数倍嬉しい。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿

・ソフトバンク優勝! 熊本県出身の秋山監督悲願の日本一達成、ダ!!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60883364.html


しかし、
ここに至るまでは、
はい、

(><)

パリーグの優勝マジックに王手をかけてからまさかの1勝9敗、終わってみれば2位オリックスとはゲーム差なしの薄氷のパリーグ優勝。おいおいおい、東京の某巨人軍と同様、巨大戦力をオーナーから与えられながら、なんなのこの結果は。

б(≧◇≦)ノ ・・・秋山、おのれはアホか!
б(≧◇≦)ノ ・・・秋山、おのれは無能か!

と思わないではありませんでした、正直。


でもね、結局、ゲーム差なしだろうが勝ちゃーいいのです。
そして、勝ったチームは強く、その監督は運がいいか指導者として優秀なのです。

而して、チームが勝ち続け、よって、「監督はあの人しかいない」と周りに自ずと感じさせること。このことこそその監督には<指導者の器>が備わっていることの証拠というもの。

聞けばその「監督はあの人しかいない」という秋山監督は今シーズン限りでユニホームを脱がれるとのこと。而して、本稿は、「秋山幸二」を念頭に「指導者の器」ということの意味を考えてみたものです。

ちなみに、この記事自体は野球とはほとんど無関係。よって、ネット検索を通して、野球についてのなにがしかの認識や主張を期待してご訪問いただいた方には、申し訳ないのですが至急退出されることをお勧めします。おそらく退屈ですし、お互いに時間の無駄ですから。

と、まずは事実の確認。もう一月前のことですからね。
と、朝日新聞には嘘が書いてあるかもしれないので、
以下、Japan Timesの記事で確認しておきましょう。

尚、野球の英文記事は専門用語に慣れていない方には、法律記事同様に難解。
ただ、あなたが中学1年生でも、毎日、最初は1センテンスから2センテンス読んでいけば、
高校を卒業する頃にはこんな記事は斜め読みできることを保証します。
そうなれば、他の分野でも、最早、朝日新聞に騙されることもなくなるというもの。
これ美味しい話ではないですか。

ウマウマ(^◇^)


Hawks eliminate Tigers on bizarre game-ending double play, capture Japan Series title
Manager Koji Akiyama's club wins four straight games to earn championship


It wasn’t the ending anyone envisioned, but the Fukuoka Softbank Hawks aren’t complaining.
They’re the 2014 Japan Series champions, and that’s the only thing that matters.・・・

The Tigers staged a frantic rally in the top of the ninth, loading the bases with one out for Tsuyoshi Nishioka, who hit a grounder to first. Softbank’s Kenji Akashi threw to catcher Toru Hosokawa for the force out at home, and Nishioka was called out for running outside the lane on his way to first while trying to beat out the double play.

Confusion reigned for a few seconds, until the Hawks realized they’d won and spilled out of their dugout to begin their celebrations.・・・, and the Hawks threw outgoing manager Koji Akiyama into the air during the traditional celebratory doage. It was the third doage in front of the home fans for Akiyama, who was also tossed after the team clinched the Pacific League pennant and PL Climax Series titles.・・・

世にも奇妙な幕切れ、ホークス、ダブルプレーでタイガースを撃破し日本シリーズを制覇
秋山幸二監督率いるソフトバンクが結局4連勝で日本一に輝く


こんな結末を予想した人など誰もいないだろう。けれど、福岡ソフトバンクホークスの選手もベンチもその結末に異を唱えなかった。2014年の日本シリーズはホークスの優勝、結局、記録に残るのはこの事実だけなのだ。・・・

9回の表、【0-1で崖っぷちに追い込まれた】タイガースは鬼神もかくばかりの反撃をみせる。すなわち、ワンナウト満塁。バッター西岡剛の放った打球は一塁ゴロ。ソフトバンクの明石健志はホームでのホースアウトを取るべく捕手の細川亨に送球、これでツーアウト、ところが、ダブルプレーを阻止すべく一塁に向かって走っていた西岡が守備妨害を宣告されアウトになったのだ【本文テクストの「outside the lane」は「inside the lane」の間違いだと思います。野球規則6・05(k)のコピペミス?】。

戸惑いがしばらくグラウンドを包みはしたものの、自分たちが優勝したことを理解したホークスの選手と関係者は自分たちの祝祭を執り行うべく一斉にダグアウトからグラウンドに飛び出す。・・・そう、日本の伝統的な祝祭様式の胴上げだ。ホークスナインは退任が決まっている秋山幸二監督の体を中空高く投げ上げた。而して、パリーグのペナントレース優勝とパリーグクライマックスシリーズの制覇の際に続き、これは本拠地ファンの前でおこなわれた3度目の秋山監督の胴上げとなった。・・・


The Hawks’ win sent Akiyama out on top. The 52-year-old manager announced his intention to step down before the Hawks began the postseason and he’ll leave as a champion.

“We all heard he was leaving before the Climax Series, and we were shocked by that,” Uchikawa said. “We were certainly saddened by that, but it was great to end our season this way.”

Akiyama leaves having won three Pacific League pennants and two Japan Series crowns. Akiyama was 456-368-40 in the dugout, and the team had five A-Class finishes in his six seasons in charge.・・・

日本シリーズ第5戦の勝利によって秋山監督は頂点を極めた。52歳のこの監督は、ポストシーズンが始まる前に今期限りでの退任の意向を表明していたから、彼は王者として去っていくことになる。

「監督が退任されるという話は、ナイン全員、クライマックスシリーズの前に聞きました。もの凄い衝撃だった」と、内川選手は語ってくれた。「ナイン全員、本当に悲しかった。けれど、だからこそ、こういう形で今シーズンを終えられたことは感激一入です」とも。

秋山監督は3度のパリーグ優勝と2度の日本シリーズ制覇を達成して退任する。監督としての通算成績は、456勝-368敗-40分【王監督がシーズン途中で退任した2008年のシーズンに「監督」として1敗しているからここは正確には「369敗」。ただ、おめでたい記事なんだからそんな細かいことはどうでもいいのです】、指揮を執った6年間でAクラス入りを逃したのは1回だけだった。・・・

(Oct 31, 2014、以上引用と翻訳紹介終了)


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私が「指導者の器」という言葉から連想する人物は次のようなラインナップでしょうか。プロ野球界では西本幸雄と鶴岡一人の両監督、文化領域では黒澤明天皇と文壇の大御所井上靖。政治家では、足利尊氏公は別格として、桂太郎、岸信介、佐藤栄作といった長州出身の首相達と宰相・吉田茂・・・。

では、「指導者の器」とは何か。多くの人々が居酒屋で、「彼は剛直かつ臨機応変だ」「彼女は肝が据わっている」「彼の言葉はロジカルだが暖かみがある」「彼女は寡黙だが、ここぞという時のその一言は実に鮮烈かつ適格」等々とか評しながら「上司=指導者」について論じているのでしょうから、<指導者の器>という性質が存在しているだろうことは多分間違いない。

つまり、あるタイプのリーダーには<指導者の器>が憑依しており、あるタイプのリーダーにはそうではないということ。それは、日本の有権者の誰しもが、鳩山由起夫氏や菅直人氏、細川護煕氏にもう金輪際二度と宰相の印綬を帯びさせようとは思わないだろうし、逆に、安倍晋三総理を再登板させたことを反芻すれば思い半ばに過ぎるというもの。

けれども、結論から先に書けば--それが、金融業界で法人営業部門の指揮者等々、ある分野であるタイプのマネージメントの専門性が要求されるケースの用語法は別にして--「指導者の器」をなんらかの要素に還元することは無理である。要は、結局、「剛直かつ臨機応変」「肝が据わっている」「寡黙かつ明敏」などは、文字通り「指導者の器」という言葉を別の言葉に言い換えているにすぎないのではないかということです。これ、同語反復、論理的に無意味。

>彼女には指導者の器がある
>なぜなら、寡黙かつ明敏だから
>そして、指導者の器とは寡黙かつ明敏ということ
>だから、彼女には指導者の器がある

はい、一周してきましたね。

ならば、この主張の妥当性は、「指導者の器=寡黙かつ明敏」という事柄が
論証されない限り同語反復のトートロジーにすぎない。そして、
その論証は「指導者の器→寡黙かつ明敏→大胆不敵→無芸大食→・・・」
という無限後退の道を辿るしかないでしょう。多分。

要は、定義不可能な概念を定義しようという試みは、
失敗が確約されている、と。


蓋し、ならば、<指導者の器>なるものは、それをまずまちがいなく備えていると感じさせるある一群のリーダーとそれを露ほども感じさせない姑息な輩達。つまり、足利尊氏・桂太郎・佐藤栄作等々を要素とする前者の集合と、鳩山由起夫・菅直人・細川護煕等々によって構成されるある集合を想定して、どんな事態が生じたときに私達は前者には<指導者の器>を感じ、後者には感じないのかを分析することによってしか<指導者の器>を理解できないの、鴨。と、そう私は考えるのです。換言すれば、<指導者の器>を巡る言語ゲームを観察・記述することによって我々はそれを理解することはできる。けれども、<指導者の器>自体を説明することはできないの、鴨とも。


<続く>

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先日3年ぶりに行われた日中首脳会談(2014年11月10日)について、日本ではリベラル派から噴飯ものの言説が出ているようです。曰く、「中国は日本の首相と会う必要はなかったけれど、アメリカの顔を立てて面談しただけだ」、あるいは、「安倍首相は「中国包囲網」を築く外交を展開してきたが、習主席の仏頂面を前に強気の突っ張り外交も転換を迎えた」(『週刊朝日』2014年11月28日号, p.29)とか。

その中でも最も唖然としたのは同上の週刊朝日の記事に引用されていた、
支那に詳しいジャーナリストとかいう富坂聡氏の見解。以下、引用開始。

言葉だけでは、中国の国内世論が許さない。そこで日中は合意文書の形をとりつつも、肝心の文言の解釈では、あいまいさを残すものになった。前出の富坂氏は、このあいまいさが問題だと指摘する。「文書には「歴史を直視し、未来に向かう」という言葉が含まれています。「靖国」などの具体的内容に触れなかったことで日本外交の勝利と分析する人もいますが、それは違う。「歴史問題」というあいまいな言葉になって、日中間の歴史問題が何でも合意文書違反になってしまう」(ibid)

φ(。。;) φ(。。;) φ(。。;)

唖然。なぜか。
簡単な話です。

すべからく外交文書というものは--というか、究極的には「あらゆるテクストは」というべきでしょうか--曖昧なものだから。ならば、外交交渉の勝敗を分かつものは、その文章がどの程度の曖昧さを採用したかに収斂する。要は、その文章が採用した曖昧さはどちらの当事者にとってより有利かがポイントということ。更には、「究極の曖昧さのケース」とパラレルな事態として、その文書が不要だったのはどちらかということもまた。

>こんど我が社と取引させていただきませんか?
>そのうちに考えときましょう。

б(≧◇≦)ノ ・・・「そのうち」っていつやねん!


而して、日中首脳会談の勝敗は明確。
それは安倍総理の完勝だった。

理由は二つ。一つは、靖国にせよ尖閣にせよ現状は日本側が圧倒的に有利なこと。つまり、尖閣を日本は実効支配しており、更に、日本の実効支配の現状を支那が脅かす場合にはアメリカは日米軍事同盟を発動すると数次にわたって表明している。また、日本の首相が日本国内にある靖国神社に参拝することを法的にはもちろん--ゴルゴ13でも雇わない限り--物理的にも阻止することは支那であれアメリカであれ不可能。ちなみに、ゴルゴ13は安倍総理の盟友麻生総理と昵懇の関係らしいので、支那がゴルゴ13を雇う線も可能性は低い、鴨。

二つ目。安倍首相が支那に対してこれまで毅然とした対応を
とり続けてきたこと。このことは国内外で周知のこと。

ならば、自国に有利な現状を今般の合意文書『日中関係の改善に向けた話合い』(2014年11月7日)が採用した曖昧さでもって日本が譲る筋合いも義理もない。また、支那が今後、確かに支那のことだから、日中間の歴史問題を何でもかんでも合意文書違反と言い募ってくることは、寧ろ、確実でしょうが、日本国内世論はもとより、世界でも--韓国と北朝鮮の他の特定アジアの両国を除けば--だれも真面目には相手にはしないだろうということです。

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畢竟、分析哲学の日常言語学派の源流の一人J.L.オースティンが『言語と行為』(1962年)で整理したように、言葉を使用する営みである「言語行為」は、文字通り言葉を発する「発語行為」の位相と重層的に、例えば、検察官の起訴状朗読や裁判官の判決言い渡しの如き「発語内行為=何かを言うことで何かを行う」位相、更には、例えば、債権回収を請け負った任侠系や神農系の親分さんが債権者に「うちの若いもんはおとなしいもんばかりやのうて、わたしも困っとるんですわ」と呟くが如き「発語媒介行為=何かを言うことでその発語内容と意味的には無関係な/必然性の乏しい何らかの事態を惹起させる」位相も存在している。

老婆心ながら申し添えておきますが、これら3個の位相は、言語行為の「行為の種類」ではなくて、ある言語行為が社会の中で観察される視点の違いによっていずれかに見えるという「様相の種類」なのです。

ならば、今般の合意文書を作成するという共同の言語行為は--それは、仲良く一緒に小論文作成ではなく、将棋や囲碁で双方の棋士が盤上に火花を散らしながら共同で<棋譜>を作るイメージに近い?--、発語内行為、および、発語媒介行為の位相においてこそ政治的な意味がある。政治的な勝敗が決する。

而して、繰り返しになりますけれども、その曖昧さの観点と現状の有利さから見て、日本にとってはどうでもよい文章が作成されて世界に向けて発信されたこと自体(発語内行為および発語媒介行為の位相からは)、安倍総理完勝の証左である。と、そう私は考えます。例えば、この点、海外でもこう報じられていますからね。

▼China's Xi, Japan's Abe hold landmark meeting
China has sought assurances that Abe would not repeat his December 2013 visit to Tokyo's Yasukuni Shrine・・・.
Such a promise would be hard for Abe to make and the Japanese leader said last Friday that last week's agreement did not cover specific issues such as his shrine visits.・・・

▼日中の首脳間で画期的な会談が実現
支那は、安倍首相が昨年12月を最後にして今後は靖国神社参拝を行わないという確約をとろうとしてきた・・・。
けれども、そんな約束など安倍首相が到底出来るはずのものではないだろうし、実際、安倍首相は金曜日【2014年11月7日】に、今般の合意文書は安倍首相の靖国神社参拝など具体的な事柄に言及したものではないと述べた。・・・

(Reuters, Nov 10, 2014)



蛇足ながら補足。
ならば、土台、

「中国側は日本の首相と会う必要はなかった」という認識は成立しないのです。
それはリベラル派の負け犬の遠吠えにすぎない。

畢竟、解釈という作業は<テクスト>の意味がなんらかの理由で<読者>にとって曖昧になるにおよんで必要となるもの。このことは、聖書解釈学の歴史においても、ホメロスの詩句を巡る古代ギリシアの文献解釈学の歴史においても、訓詁学や朱子学に代表される儒教の経典解釈の歴史を見ても確認できる経緯。

而して、確かに先般の合意文書は曖昧の程度がそこそこ高い--抽象度が高い--ものとは言える。けれども、その合意文書をパーツとして含む日中首脳会談という<テクスト>全体を眺めるとき、先般の合意文書『日中関係の改善に向けた話合い』には何の曖昧さもない。

なぜか、
簡単です。

あの習首席の仏頂面を見れば、日中首脳会談の「勝者は安倍総理」
ということは子供にもわかることだから。

ならば、
先般の合意文書の意味把握において解釈学の技術や解釈の作業は不要である。
なぜならば、その<テクスト>の意味は<読者>にとって極めて明瞭なものだから。
要は、本稿は論理的には不要な記事だったということ。

(><)


けれども、日本には子供にもわかることをわからない支那に詳しい人物なり、
その言説に飛びつくリベラル派のマスメディアがまちがいなく存在している以上、
本稿は、政治的と社会的な位相では必ずしも無駄なものではないの、鴨。


ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿


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【資料】
▼Regarding Discussions toward Improving Japan-China Relations
November 7, 2014
Toward the improvement of the Japan-China relations, quiet discussions have been held between the Governments of Japan and China. Both sides have come to share views on the following points:

1. Both sides confirmed that they would observe the principles and spirit of the four basic documents between Japan and China and that they would continue to develop a mutually beneficial relationship based on common strategic interests.
2. Both sides shared some recognition that, following the spirit of squarely facing history and advancing toward the future, they would overcome political difficulties that affect their bilateral relations.
3. Both sides recognized that they had different views as to the emergence of tense situations in recent years in the waters of the East China Sea, including those around the Senkaku Islands, and shared the view that, through dialogue and consultation, they would prevent the deterioration of the situation, establish a crisis management mechanism and avert the rise of unforeseen circumstances.
4. Both sides shared the view that, by utilizing various multilateral and bilateral channels, they would gradually resume dialogue in political, diplomatic and security fields and make an effort to build a political relationship of mutual trust.

▼日中関係の改善に向けた話合い
平成26年11月7日
日中関係の改善に向け,これまで両国政府間で静かな話し合いを続けてきたが,今般,以下の諸点につき意見の一致をみた。

1 双方は,日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を遵守し,日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。
2 双方は,歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い,両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。
3 双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し,対話と協議を通じて,情勢の悪化を防ぐとともに,危機管理メカニズムを構築し,不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。
4 双方は,様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して,政治・外交・安保対話を徐々に再開し,政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。

http://www.mofa.go.jp/a_o/c_m1/cn/page4e_000150.html







今回俎上に載せるのは「アベノミクス総選挙」(2014年12月14日)の
半年前に行われたある<総選挙>--a general election--
の話題です。

そう、AKB48総選挙(2014年6月7日)。

そう、「完全無欠のアイドルサイボーグ」、
「AKB48の正統派アイドル-王道アイドル」、
あの渡辺麻友さんが初めて1位になった<総選挙>。

前田敦子さんの<卒業>以来、苦杯を舐め続けてきた
AKB48の主流派がついに反主流派から女王の座を奪還した、
あの激戦--a general election--の話題です。

今年、最もいろいろ考えさせられた<現象>の一つであり、
また、「アベノミクス総選挙」とそれ以降の日本の政治社会を
考える上でも参考になる切り口を幾つか見いだせないこともない。

そう思い、半年遅れで記事にしました。
まずは事実の確認、大昔の出来事ですものね(笑)


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AKB48 rebounds from saw assault to crown new queen bee
Mayu Watanabe was voted the top AKB48 idol in a popularity contest Saturday amid tight security after two members of the all-girl pop group were attacked by a saw-wielding man last month. Thousands of fans congregated at Ajinomoto Stadium in Chofu, western Tokyo, for Saturday’s face-off, a nationally televised extravaganza.

Watanabe, 20, garnered 159,854 votes and will lead the group for the next year. She was followed by Rino Sashihara, 21, with 141,954 votes, and Yuki Kashiwagi, 22, with 104,364 votes. Organizers announced the results of the vote, dubbed an AKB48 “general election,” late in the evening. Fans finished casting their ballots by Friday, using ballot slips available only by purchasing the group’s latest single.

The annual vote was overshadowed by last month’s attack on two teenage AKB48 members at a regular meet-the-fans event in Iwate Prefecture. ・・・Organizers doubled the number of guards to search people entering the stadium Saturday and set up metal detectors at the gates, local media reported. ・・・

AKB48, part talent show, part pop act, draws from a pool of more than 300 girls and young women at home and overseas who compete for a spot in the limelight with each new formulaic yet catchy hit.

The popularity of AKB48, one of the most successful acts of all time in money-spinning terms, is partly built on its members’ accessibility to legions of fans. The members regularly appear at events all over the country to shake hands with fans and pose for pictures, in addition to a hectic online promotional schedule via social networking sites.・・・

【出典:AFP, Jun 7, 2014 】

AKB48 襲撃事件を乗り越え来年度の女王蜂を選出
土曜日【2014年6月7日】に行われた人気コンテストで渡辺麻友(20歳)がAKB48のトップアイドルの座を得た。先月、この女性ポップグループのメンバー二人が刃物を振り回す暴漢に襲撃されたこともあって、厳戒態勢の中で行われたコンテストの結果である。東京西部の調布市にある味の素スタジアムで行われた土曜日の最終決戦には数千人のAKB48フアンが駆けつけ、また、この豪華ショーは全国にテレビ放映された。

最終結果は、渡辺(20歳)が159,854票。それに対して、指原莉乃(21歳)と柏木由紀(22歳)が各々141,954票と104,364票で迫るものだった。世間ではAKB48の「総選挙」と呼ばれているこの投票結を主催者側は土曜日の夜に発表したけれど、フアンはグループの最新シングルを購入と引き替えにもらえる投票用紙を使って金曜日までには投票をすましていた。

今年の「総選挙」には先月、10代のAKB48の二人のメンバーが襲撃された事件によって暗い影がさしていた。二人は岩手県で行われた恒例のフアンとの交流会に参加していたときに遭難したのだけれども。・・・主催者側では土曜日の決戦場となるスタジアムで入場者の持ち物検査をするべく警備要員を2倍にするほか、スタジアムの入り口には金属探知機を設置して対応したと日本の国内報道は伝えている。・・・

AKB48とはある面では演劇ショーでありまた一面ではポップ歌謡ショーなのだけれども、そのAKB48では、国内国外の300人を超える少女や若い女性のメンバーの中から、どこといって代わり映えはしないものの口ずさみやすいa新しいヒット曲が与えられ注目の的になれる一つの座に選び出す。

AKB48は絶後ではないかもしれないが空前の売り上げを上げてきたという意味で最も成功した芸能組織の一つなのだけれども、その人気の源泉の一つは誰もがメンバーと交流できる身近さと言ってもよいだろう。AKB48のメンバーは、ネット上にSNSを通して溢れる営業推進用のスケジュールや仕掛けに加えて、日本全国で定期的に開催されるイベントに参加してフアンと握手をしたり、写真に収まるためにポーズを決めたりしているのだ。・・・

(以上、翻訳紹介終了)

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紹介した英文を読んでいてあらためて感じたのは「AKB48」というのは、あるグループの名前ではなく--「ビートルズ」や「スパイシーガールズ」、「巨人軍」や「ソフトバンクホークス」とは違い--、例えば、「宝塚」とか「歌舞伎界」、あるいは、微妙ですけれど「なでしこジャパン」という単語が帯びる抽象度に近いということです。あるひとまとまりの<芸能組織運動>である、と。そして、「AKB48総選挙」は「商品であるメンバー自身が販促活動を競い合うイベント」なの、鴨とも。

もっとも、順位を競う競争自体が商品となるのは普通のこと。例えば、大相撲の本場所、サッカーや野球のレギュラーシーズンの試合はすべてそう言える。けれども、結果的には個々の<商品>たるプレーヤーはチームのために売り上げを稼いでいるとはいえるけれども、彼等の売り上げに対する貢献は「販促活動」によるものではなく「本業のプレー」を通してのものでしょう。

而して、逆に、<商品>自体が販促活動を行うこともごく普通のことです。実際、アメリカはもとより、日本でも大手の法律事務所に採用された若手弁護士はいろんなイベントに参加して--文字通り、時にはコンパニオンの如く振る舞いながら--顧客開拓にその勤務時間のかなりを費やしておられますから。だって、まだ、弁護士としては人前に出せる技倆が備わっていない数年間は、修行の他に営業活動で事務所に貢献しなさいということ。

きっぱり。

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要は、

▼競争自体の商品化は普通
▼商品自体の販促活動も普通


実際の所、売れない歌手さん(売れない弁護士さんも?)は、日々、近所のスナックにCD置かせてもらうなり「救急車を追いかける」(ambulance chasing)等々の営業活動を行っておられるでしょう。けれども、再度記しておきますが、たとえ、演歌歌手でもある流しのお兄さんが夜な夜なスナック等のその類のお店を廻って自分の曲を聴いてもらうとしても、彼の本業はCDの売り上げを伸ばすとか、歌謡ショーで入場料収入を稼ぐことであり、スナック廻りは本業以外の販促活動でしかない。しかし、AKB48総選挙はこれらとは違っている。

すなわち、

「AKB48総選挙」は<商品>自体による
販促活動そのものを<商品化>した成功例


と言えると思います。

また、競われるのが「勝利数」、「ゴール数」や「アシスト数」なり「ホームラン数」という数値化できるものではなく、本来、数値化のできない<人気>を、売り上げ貢献等々の回路を通して可視化した手法も面白い試みでしょう。それも、ノーベル賞などの浮き世離れした専門家の目利きがする--ある面では、どこまでも恣意的な--「人気」の判定とは違い、素人が素人として堂々と自分の<好み>を選挙結果に直接投影できるのも実に面白い。

・ノーベル賞の黄昏--自然科学部門と人文部門が織り成すメビウスの帯び--
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62784921.html

だから、文字通り、これは一種の<総選挙>--a general election--
なのでしょうね。もっとも、実際は、蓋し、アメリカ大統領選挙における共和党と民主党の
党の大統領候補の座を競う<代表競争>により近いのでしょうけれども。

いずれにせよ、「AKB48総選挙」が『資本論』の地平を超えた<現象>である
ことは間違いないのではないでしょうか。

文字通り、これらはコロンブスの玉子にすぎないけれど、
コロンブスの玉子ではある。ならば、アベノミクスの肝、
成長戦略のヒントは意外と身近な所にあるかもしれないの、鴨。

頭は生きているうちに使えです。

б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう日本!



そして、
個人的に一言。

б(≧◇≦)ノ ・・・渡辺さん、臥薪嘗胆での大願成就おめでとう!
б(≧◇≦)ノ ・・・指原くん、捲土重来、来年は首位奪還だ!


尚、AKBとAKB48総選挙に関する私の基本的な考えについては
下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

・AKB総選挙という<窓>から考える生態学的社会構造の実相
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60571214.html

・AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000点!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61090318.html

・日本人の究極の美意識としての<ほどほど>が一番可愛い?
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11644425055.html

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▼みんな・山内氏が民主入党 衆院選は埼玉13区から出馬
みんなの党に離党届を提出し、民主党への入党を申請した山内康一衆院議員(41)=比例北関東=が20日、埼玉県庁で記者会見し、同党の空白区だった13区から出馬する意向を表明した。山内氏は「安倍政権への対立軸になり得るのは民主党しかない。対抗勢力を結集するなかで一員としてやりたい」と語った。

山内氏は会見で、13区から出馬を希望した理由を「生活の党や維新の党などが候補を擁立していない選挙区で、空いている所があまりなかった」とし、「その中で、13区は東京に通う若い世代が多いという地域特性がある。条件を考えるなかでいいところだと思った」と述べた。

自民党、みんなの党を経ての民主党入りに「立ち位置は変えていない。党の状況が変化したときに党に合わせるか、自分の意志に合わせて党を変えるのかという違いだ」と山内氏。「約1カ月前から親しい民主党議員に入党の意向を伝えてきた」と説明した。


(産経新聞 11月21日)


自民党が野党転落する寸前に逃亡した、こやつを、
川崎市の自民党支持者は忘れてはいない、多分。


その前「小泉チルドレン」さんの際には、新百合ヶ丘駅で応援もし、
街頭演説の際の目線と姿勢までアドバイスして<応援>したのに・・・。
やっぱ、ICU出身者は駄目だよ、と、そう痛感した人物。


ということで、埼玉の「東京に通う若い世代」の同志のみなさん、
こんな埼玉も政党もなめている候補者は落としてください。



あ、そして、北川崎の同志のみなさん、辻立ちの機会があれば、
よろしければ、中山のりひろ候補(自民・多分)の話を聞いてあげてください。


立つ鳥あとを濁しまくった山内康一氏にコメントした記事

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:小田急読売ランド前~京王よみうりランド編(結)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58523879.html


家族ぐるみで戦った中山のりひろ氏にコメントした記事

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」番外編:麻生不動ダルマ市
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59176417.html


・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編(四)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58729680.html


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【アベノミクスの最前線(?)--河野洋平氏の地元
--神奈川県大磯でお会いした同志】




アベノミクスが失敗だったかどうか。
経済に疎い私にはよくわかりません。

けどね、

>地方にはアベノミクスの影響が届いてない

とか言われると「嘘つき」「あんたは朝日新聞か」と
即答したくなります。


福岡県や熊本県に来てみなさい、
青森や秋田に行ってみなさい・・・。

あのー、

この上半期はもちろん、10月くらいまでは
公共工事も「入札不成立」の嵐だったんですけど。

業者が応札しない理由は、・・・・。

はい、人手不足。下請け、孫請け、ひ孫請け・・・一人親方さんに
いたるまで、作業員さんの手配がつかないから。

もっと凄いのは--「凄い」というのは、特に土木重機オペレーションの資格もいらないという
意味ですけれども--交通誘導員(警備員)さんの手配が難しいから応札はやめる・・・、と。

あのー、こんな状況、民主党政権下でありましたか?


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アベノミクスが失敗だったかどうか。
経済に疎い私にはよくわかりません。

けどね、

かのニューデイルール政策も
景気対策としては惨澹たる失敗で、
デフレをアメリカが離脱したのは<真珠湾>以降とか。

リベラル派の『21世紀の資本論』など読むまでもなく、
こういう認識は左右ともに共通のものでしょう、今では。

要は、今でも、そのルーズーベルト大統領の<人気>の陰で
歴代最低の大統領--オバマ氏はまだその有資格者ではありません--
との烙印を押されているフーバー大統領のレッセフェール的な、
大恐慌対策と比べた場合。国内経済政策的の観点から
みれば遥かにフーバーのそれがルーズベルトのそれを上回っていたらしい。

つまり、生産財の在庫調整、および、決済信用の関係再構築の期間を
織り込めば--これは、ニューディールーも、レーニンのネップ政策も
そこに収斂するのかもしれませんけれど--ルーズベルトの大さわぎは
単なる歴史の年表における「時間稼ぎ」だったということ。

而して、ニューディールーの意味は、アメリカ国民に希望を与えたこと、
アメリカが<ネーション>として困難にあたる姿を国民に見せたこと。
そこに収斂すると思います。

ならば、アベノミクス。ニューディールーに比べても、もう、
効果も希望ももう与えているんですけど。


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なにを私は言いたいのか。

>地方にはアベノミクスの恩恵が届いてない

といわれればそうかもしれない。
でもね、ニューディール政策の始動からアメリカが
デフレ脱却するのに何年かかりました?

はい、15年。


ならば、少なくとも、

>地方にはアベノミクスの影響が届いてない

と報道するのはやめてほしい。

知り合いの作業員さんは、この半年以上、毎日お弁当作ってもらうので、
(ガソリン代も上がり(涙)、猫の手も借りたい状況下では現場近くの食堂は
もとよりコンビニに行く時間的余裕もないかもしれないから・・・)
奥様から「あなた、また悪い女につかまってお金困っとるんか」
と聞かれたという。(笑)


実に、円安によるガソリン代の上昇だけでなく、実際、

>地方にはアベノミクスの影響が届いているのです


つまり、地方の<家計>と<企業>は明るくなっている。
苦しいけど、仕事があり、将来の希望が見えているから。

それで、人手不足。
人手を採用・研修する人手もない・・・。

でも、みんな希望を感じながら<お弁当>をつくり、
その<お弁当>を契機に家族の会話も増えている。

これね、

TBSとかの恣意的に選んだ「街の声」とかじゃないんですけど。

嘘だというなら九州や東北にいってみなさい。
と、そう私は言いたい、鴨。



こんなん、民主党政権下でありましたっけ?



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総選挙に大義なんかいらないのです。総理は与党の最も有利なタイミングで
解散権を行使する。勝敗は時の運だけれども。

アメリカでは「野球と恋愛と政治ではルールを守る限りなにをしても
ゆるされる」と言われていますから。

まぁー、少し多すぎるので、270もあればいいのです。そうして、
自民党党内のリベラル派が減れば理想的、鴨。




慰安婦問題は終わった。つらつら館内検索をしているとき、
帰省していた郷里の市立図書館でふとそう感じました。

まず、「従軍慰安婦」の検索点数17件、その多くが閉架に移され、
開架にあったのは黄文雄「「従軍慰安婦」問題」くらいだったから。

まあ、閉架への移動は偶然なり私の錯覚として、
なにより「慰安婦」で検索した170点のうち貸し出し中が1件も
なかったから。いかに九州の田舎の市立図書館とはいえ、
こんなことは今までかってなかったこと。

でもって、
西岡力「よくわかる慰安婦問題」や秦さんの諸労作から、
大沼保昭「「慰安婦」問題とは何だったのか」。そして、
吉見義明さんや川田文子さんのリベラル派の書籍に至るまで、
仲良く無聊をかこっておられた。

б(≧◇≦)ノ ・・・苛政は虎よりも猛し
б(≧◇≦)ノ ・・・関心低下の効果は焚書坑儒よりも凄まじい


朝日新聞がよく書く「アジア」なるものは知らず、このイシューに対する日本国内の関心は、かっての熱湯状態から比べれば、そう、今11月半ば頃の十和田湖の湖面の水温のようなものか。そして、このイシューを巡る日本社会の情景もまた、観光客がまばらな明け方の十和田湖の水面のように静かということ。

この晩夏と初秋に朝日新聞が誤報を認め謝罪してから僅か2カ月。私は慰安婦問題の終了を実感しています。「慰安婦問題は日本の国内問題であり朝日新聞問題だった」という感覚とともに。

б(≧◇≦)ノ ・・・見一葉落、而知歳之将暮

>一葉落ちて天下の秋を知る(淮南子-説山訓)
(図書館の検索結果に「慰安婦問題」の終焉を感じる)
(その終焉を通して日本におけるリベラル派の衰退を予感する)



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>世界では強制があったかどうかなどは誰も問題にしていない

朝日を始めリベラル派はそう言ってきました。というか、このイシューが<国際的>に騒がれ始めた90年代頭からちょうど四半世紀、このイシューを巡る米英メディアの記事をそれなりにフォローしてきたつもりの身から言わせていただければ、実は、強制があったかどうかどころか、

>世界では慰安婦問題などほとんど誰も問題にしていない

のです。畢竟、世界でこのイシューを問題にしているのは、特定アジア(支那・韓国・北朝鮮)三国、ならびに、国連人権理事会の周辺に屯している人権NGOやらリベラル派のNPOやジャーナリストだけである。そう私は確信しています。

ちなみに、リベラル派の弁護士、海渡雄一氏も認めているように、国際人権規約にもとづく「自由権規約委員会、社会権規約委員会、拷問禁止委員会、女性差別撤廃委員会、子どもの権利委員会、人種差別撤廃委員会などの・・・委員会は、・・・厳密に言えば、国連そのものではない」(『世界』2014年9月号所収「日本の人権状況に示される国際的懸念--国連人権規約委員会の勧告をめぐって」p.217)のですから、「国連人権理事会の周辺」というのは、「制度的」というより、文字通り「地理的」とか、「人脈的」や「注文主-納品業者の関係」の如きイメージ。ならば、「築地の朝日新聞や神保町の岩波書店の周辺に屯するリベラル派」とこの語感はパラレル、鴨。


いずれにせよ、

>世界では強制があったかどうかなどは誰も問題にしていない

ということが事実としても--例えば、彼等の支那やイスラム国に対する及び腰の態度を想起すれば誰しも思い半ばに過ぎることでしょうけれど--、国連人権規約委員会に屯しているNPOやらジャーナリストが、都度執拗にこの問題について「世界の懸念」なりを発信してきたのも、韓国がこの件で日本政府に<要求>し続けてきたのも、日本政府からのなんらかの弁明や補償を期待できると思っていたからでしょう。而して、慰安婦問題は終わったのです。

なぜか、日本政府にそんな対応は最早期待できないから。
なぜならば、国内世論が変わったから。

というか、もっと凄まじいことに、
国内における慰安婦問題への関心が消失したから。

畢竟、韓国の<要求>に理解を示す「良心的日本人」が反日リベラル勢力を除けば消滅したから。慰安婦問題に関して日本の世論という十和田湖から、その水面から湖底に至るまでイノセントな色彩が消滅したからです。

すなわち、(ⅰ)日本政府を縛ってきたものは国内の世論--明確に言語化され発信される主張や認識から感覚的な状況認識や一種の道義的責任感に至る多層な世論--だけであり、(ⅱ)その日本国内の<十和田湖の湖水>は、「日本軍による直接かつ組織的な強制があったかもしれない」ということ、すなわち、「慰安婦」が「従軍慰安婦」であった可能性によって形成されていた。

要は、日本国内では「強制があったかなかったか」だけが問題だったのであり、(ⅲ)朝日新聞が「誤報」を認め、「強制の存在の可能性=「従軍慰安婦」の存在の可能性」という前提が崩壊するやいなや日本では慰安婦問題は終わった。そして、(ⅳ)人権派の活動の費用対効果を想像するに、日本で終わった慰安婦問題は「世界」でも漸次終焉をむかえるに違いない。


と、そう私は考えます。つまり、「慰安婦問題」は売春買春が合法な時代や社会での戦時下占領地の公娼を巡る問題であり、専門の歴史研究者や人権問題専門家を除けばそう多くの国民の興味をひくイシューではなくなった。例えば、石川逸子「日本軍「慰安婦」にされた少女たち」(岩波ジュニア新書(旧版1993年4月→新版2013年11月)が熟慮の末に旧版のタイトルから「従軍慰安婦」の文字を削り新版を上梓されてからちょうど1年、同書の情報がこれから持つ意味もこれと同様ということでしょう。


私がリベラル派の肩をもつ必要もないのでしょうけれど、しかし、「強制」がなかったことは、少なくともこの10年余りで、左右を問わずこのイシューを論じる論者の共通理解になっていた。つまり、「慰安婦」を巡る事実認識は朝日新聞の今般の自白や謝罪によって1㏄も変化していないのです。


<黄金の反日壁パス>
朝日新聞→ニューヨークタイムズ
・            ↓
・            ↓
・・・・・・・・・・>朝日新聞



だからこそ、「世界では強制があったかどうかなどは誰も問題にしていない」とリベラル派の論者は真顔で抗弁し、そして、朝日新聞も、--これはあくまでも私の想像ですが、「朝日→NYT→朝日」に典型的な国内世論操作の<黄金の壁パス>の効果もあって、国内世論の支持もいくらか期待できるとふんだ上で--誤報を認め謝罪したのでしょう。しかし、結果はそうではなかった。このことから何が言えるか、

ならば、

>慰安婦問題は国内問題であり朝日新聞問題だった

ということ。だから、朝日が誤報を認め謝罪して以降のフェーズでは、<黄金の壁パス>の効果もほとんどなく、まして、「世界」や「アジア」からの支援も「試合結果=慰安婦問題の終了」になんの影響も与えなかったのでしょう。


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この「慰安婦問題の終了」の経緯から確認できることがもう一つある。それは、朝日新聞の問題は--櫻田淳さんが最近言っておられるように--朝日新聞が「「普通の国」のリベラル・メディア」ではないことに起因しているということ。リベラルであることは結構だけれども、日本に対するのと同じ基準と厳しさで諸外国も--就中、フランスと北欧諸国を、および、支那と韓国を--批判するメディアにならなければもう駄目ですよ、と。

例えば、『中央公論』(2014年11月号)の特集記事「メディアと国益 朝日問題から考える」の中で、朝日OBの早野透氏は平気で「朝日新聞が「反日」のはずがない。日本の悪かった部分を直視し、反省していくことはむしろ「愛国」だろう」(p.52)と述べている。

この認識は--「これまでの朝日の姿勢は「直視」とは言えないよね」ということが問題になっているときに場違いであることは咎めないとしても--、櫻田さんの言う「「普通の国」のメディア」という問題意識、すなわち、支那や韓国に対しても日本に対するのと同じ基準で「悪かった部分を直視」しなければ、--朝日新聞が本当は特定アジアのエージェントではなく、つまり、「反日」ではないとしても--リベラルでハト派的な姿勢を貫こうと朝日新聞が本当に思っていたとして、そんな朝日のイノセントな意図とは無関係に、機能的に見れば「朝日新聞は特定アジアの走狗」でしかないという現実を直視できていないものでしょう。


而して、同じ中央公論の掲載記事「政府の向こうには世界がある--鎖国思考を脱するとき」の中で、北岡伸一国際大学学長はこう述べています。「今回の朝日新聞の慰安婦報道の問題は、最近の・・・集団的自衛権に対する極端な批判と同根である。集団的自衛権について報道する時、朝日新聞はよく「アジアが日本の軍国主義化を懸念している」と書く。・・・しかし、「アジアの懸念」とは何なのか。そもそもアジアには50を超える国々がある。そのうち日本を批判しているのは中国、韓国、北朝鮮の三カ国であり、他の国の政府はおおむね安倍内閣の安全保障政策に賛成なのだ」(p.40)、と。蓋し、朝日に「鎖国思考からの脱却」を勧める北岡氏の認識と櫻田さんの提案を支える認識は一つのコインの表裏なのだと思います。

要は、朝日は、日本に対すると同じ基準では他国を批判できないDV型の内弁慶。そうであるがゆえに、他国を俎上に載せる際には具体性が消失していき、ついに、「アジア」や「世界」という抽象的な観念形象を紡ぎ出すしかなくなるのだろう。と、そう私は考えます。また、「戦時下の性暴力に抗する女性の権利は世界の常識。そんな当たり前のことも日本政府は理解していない」などと日頃のたまっている、朝日の周辺に屯する人権NPOの方々には、今将に、イスラム国や支那に乗り込んでその指導者の方々にそう言いなさいと感じないわけでもありません。

要は、彼等の言う「世界」とは「西欧のリベラル派の仲間内」のことである。そして、そんなアメリカでも日本でも極めて特殊な「世界」の主張も、一応、国連の周辺にある国連人権規約委員会で聞いてもらえるのは、西欧の--というか、米英の--軍事力の裏付けがあってのことであり、西欧の--このコンテクストでは日本も含む--経済力があってのことだということ。

けれども、支那やイスラム国に乗り込まない人権NPOや鎖国思考の朝日新聞は、実は、このことを--自分たちの活動が曲がりなりにも行えるのも米英の軍事力の裏付けがあってのことだということを--よくわかっているのではないか。だからこそ、精神的視覚障害者の如く、現実の世界が見えているはずなのに見えないことになり「アジア」や「世界」という自分が紡ぎ出した言葉と戯れるしかないのでしょうから。


ならば、朝日新聞にとってこそ、

>慰安婦問題は国内問題であり朝日新聞問題だった

ことを直視することは<視覚機能>を取り戻す好機ではあろう。
と、私もそう考えます。無理だろうけど。

だってね、喉元すぎれば熱さもわすれられるだろうし、
雀百まで躍り忘れずでしょうから。



尚、「慰安婦問題」を巡る私の基本的認識については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。それはまた、「世界では強制があったかどうかなどは誰も問題にしていない」とは必ずしも言えないこと、よって、朝日新聞が国益を棄損した実害は小さくないこともまた確認できる記事だと思いますから。

・安倍総理の歴史認識を批判する海外報道紹介(1)~(12)+後記(上)(下)
(「後記(下)」に所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る現下の論点をまとめています)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61855076.html

・橋下「慰安婦発言」批判の海外報道紹介
 --歪んだ論理の磁場の確認とその消磁化の契機として(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61938729.html

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朝日新聞が、社説(2014年10月15日付け社説)で「立憲主義」に関する自社の無知を認め「ごめんなさい」していました。もっとも、「ごめんなさい」の箇所は日本語ではなく朝日語だから「朝日新聞への批判から逃げようというのではない」という--官僚の「遺憾に思います」の類の--朝日新聞の生態にあまり興味のない向きには意味不明な社説だったけれど。

しかし、間違いなく、これは慰安婦問題および福島原発吉田調書問題に続くもう一つの朝日新聞の「ごめんなさい」でしょう。而して、地味だけれど、保守派がリベラル派を壊滅させていくこれから数年の言論戦のプロセスにおいて、「振り返ればあれが一つの分水嶺だったかな」ということになるかもしれない遺憾の意の表明なの、鴨。

その現物がこれです。
関連する後段だけ引用。


▼新聞と言論 社会を単色にはしない 
このところ、各新聞社の間で社説の主張が大きく二分されることが目立つ。
例えば、集団的自衛権の行使を認める7月の閣議決定。朝日新聞は「この暴挙を超えて」と題する社説で、解釈改憲に踏み切った安倍政権を批判した。一方、読売新聞は「抑止力向上へ意義深い『容認』」との見出しで、自民・公明の与党合意に基づく決定を歓迎した。

こうした違いがあることは、日本の言論空間が健全であることの表れだ。

それでも、自戒を込めていえば、意見の対立が激しくなるほど「我々が正しいのだ」と筆に力が入る。記者が陥りがちな悪い癖かもしれない。行き過ぎればメディアが政治のプレーヤーになりかねない。そうなると、まるで政治闘争であるかのように筆はとがっていく。

安倍首相の憲法への姿勢に対し、私たちは「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」と批判してきた。一方、立憲主義には「多様な価値観の共存を実現する」というもう一つの大きな意味があると憲法学は教える。

朝日新聞への批判から逃げようというのではない。ただ、慰安婦報道に携わった元記者の勤め先の大学が脅迫されるほどに過熱しては、多様な価値観が共存できるはずの社会の基盤が脅かされる。

新聞の役割は、意見の対立をあおることではない。考える材料をいかに社会に提供できるかにある。そのことを改めて確かめておきたい。私たちの社会が、ひとつの色に染められてしまうことに抗するためにも。


(以上、引用終了)


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どうですか、意味わかりました?
朝日語は語彙だけでなく論理も難解かつ難渋。

畢竟、「立憲主義」の間違った理解に基づく社説や記事を散々朝日新聞に読まされてきた読者にとって、「詫び状」として見ればこの社説は単純に次の3センテンスのみ。そして、その箇所だけ取り出せば、それ自体は意味不明とまでは言えない。要は、「立憲主義について散々嘘を書いてきてごめんなさい」、と。

ここです。

安倍首相の憲法への姿勢に対し、私たちは「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」と批判してきた。一方、立憲主義には「多様な価値観の共存を実現する」というもう一つの大きな意味があると憲法学は教える。朝日新聞への批判から逃げようというのではない。


而して、東京大学を停年前に去り早稲田大学に避難した--私の予想では、早晩、最高裁判事になられるのかもしれない--長谷部恭男さんの「立憲主義≒リベラルデモクラシー」の理解を踏まえて憲法学の知見を補いながらこの3センテンスを日本語に訳すと、大体次のとおりでしょうか。すなわち、

朝日新聞は安倍首相の憲法への姿勢を「立憲主義に反する」と批判してきましたが、憲法学の知見からは「安倍首相の憲法への姿勢は立憲主義に反する」とは言えないそうです。

憲法学によれば、「立憲主義」とは「憲法によって権力は縛られなければならない」といった政治闘争で常套される類の力強いが無内容なスローガンではないそうなんですよ。確かにそれだと、司法審査に馴染まないタイプの行政府や立法府の行動を憲法規範として枠づけることは難しいですからね。そうなると残るのは赤裸々な政治闘争のみになるだろうし・・・。

ということで、現在の憲法学の知見からは、「立憲主義」とは「多様な価値観の共存を実現する」ために国家権力は--事実と論理を踏まえた合理的な討議によっては解決できない、宗教間の紛争に典型的な、世界観・歴史観・国家観といったイデオロギーに関わる紛争、すなわち、各自の主張の基盤となるものが相互に--比較不可能な価値観に基づく紛争には容喙してはならない、

また、そのような紛争は--民主主義を錦の御旗に掲げた社会の多数派から要請があったとしても、社会の公的領域で解決する、すなわち、政治によって解決するのではなく--社会の私事領域で、かつ、法の許容する範囲で解決するよう国民に促すべきだという憲法原理らしいんです。

確かにこれならば、司法審査権の限界を導く上でも、また、具体的な司法審査に際しても--就中、民主主義の原理の要請と権利確保の要請が対立する悩ましいケースに関しても--司法府に権利規定を解釈する指針を供給可能な認識かもしれないから。

今まで散々嘘を書いてきてごめんなさい。


(><)


尚、「立憲主義」の意味に関しては
下記拙稿をご参照ください。

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62554338.html

・立憲主義を守る<安全弁>としての統治行為論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62198131.html

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、
<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html

・憲法96条--改正条項--の改正は立憲主義に反する
「法学的意味の革命」か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61963692.html

・立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62314363.html

img_2_m.jpg



而して、興味深いのは、そして、リベラル派との今後の言論戦において油断できないと感じたものは、官僚より官僚的と評すべき見事な論理の展開と粉飾。すなわち、この社説全体の流れの中に問題の3センテンスが置かれた場合--実際に置かれているのですけどね--、その理解は必ずしも容易ではないのではないか、ということ。

こんな具合です。ちなみに、問題の3センテンスは「Major Factor 1」を補強するための
二つの例の中の一つ「Minor Factor:例3」という位置づけになろうかと思います。


(Subject)
社会を単色にしない新聞と言論のあり方
┌─
│ (Main Idea)
│ 価値観を異にする複数の社説が存在することは
│ 日本の言論空間の健全性の証左だ←(Minor Factor:例1)
│  ↓  ↓
│  ↓ (Major Factor 1)
│  ↓  価値観を異にする相手に対しても
│  ↓     ・根拠薄弱で過激な言葉←(Minor Factor:例3)
│  ↓     ・暴力を示唆する言葉←(Minor Factor:例4)
│  ↓  は使われるべきではない
│  ↓     ・それらの言葉は多様な価値観が共存できるはずの
│  ↓      社会の基盤を脅かすだろうから←(Minor Factor:思考実験)
│  ↓     ・新聞記者はヒートアップしたとしても筆をとがらせ、自身が政治闘争の
│  ↓      プレーヤーになどなってはならない←(Minor Factor:例2)
│  ↓
│  ↓ (Major Factor 2)
│  ↓  新聞の役割は、意見の対立をあおることではなく、
│  ↓  考える材料を社会に提供することである
│  ↓  ↑  ・新聞が政治闘争のプレーヤーに
│  ↓  ↑   なってはならない←(Minor Factor:反対解釈)
│  ↓  ↑
│ (Main Idea)
│ 日本が単色の不健全な社会になることに抗するためにも
│  (Major Factor 2)をこの社説で再確認しておきたい
└─


繰り返しますが、社説全体の流れの中に「Minor Factor:例3」の3センテンスが置かれた場合、その理解は容易ではない、鴨。それ、鏡に鏡を映したときのような無限に続くあの<仮想空間>の気持ち悪さと一脈通じている、鴨。あるいは、ルビンの壷を見続けないといけないとした場合のやるせなさと通底する感覚、鴨。
と、そう私は思わないではないです。

それはなぜか。
はい、それは、

(Ⅰ)傍論で書かれた遺憾表明
この社説の主題(Subject)や朝日新聞が主に述べたい主張(Main Idea)と「立憲主義について散々嘘を書いてきてごめんなさい」の箇所は論理的には直接の関係がないこと。つまり、当該箇所は社説の主な主張(Main Idea)でさえない、その主張をサポートするための大枝の一つ(Major Factor 1)をサポートする、しかも、取り替え可能な単なる例示箇所(Minor Factor 3)にすぎないこと

(Ⅱ)遺憾表明に対する二重三重の防御措置
「立憲主義について散々嘘を書いてきてごめんなさい」の箇所は社説の理路の展開の中で別の意味も負わせられていること、すなわち、当該箇所(Minor Factor 3)は、読者の錯覚や朝日新聞の詐術では必ずしもなく、これまた論理の階層構造から見て、

①朝日新聞は「立憲主義」を巡る憲法学の知見を否定するものではない、なぜならば、「朝日新聞は価値観を異にする言論の存在を寧ろ歓迎するから」(Main Idea)、また、②朝日新聞の「安倍首相の憲法への姿勢は「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」としてきた批判」は、政治闘争を仕掛けたものでもあるはずがない、なぜならば、「朝日新聞は価値観の異なる相手に対しても根拠薄弱な過激な言葉を用いることを忌避するタイプの新聞」(Major Factor 1)であり、かつ、③「朝日新聞は新聞が政治闘争のプレーヤーになることを厳に禁欲するタイプの新聞」(Major Factor 2)なのだから、ならば、

当該箇所(Minor Factor 3)は「安倍首相に対する朝日新聞の批判をもし根拠薄弱の過激な言論と受け取られた向きがあれば遺憾であるが、それは、記者が陥りがちな筆に力が入る悪い癖が出た結果であり悪気はなかった」という意味にならないこともないということです。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。


もちろん、社説の主題と主張と理路を決めるのは--ある社説で取り上げる主題(Subject)を選定し、その主題についての自社の主張(Main Idea)を定め、社説の幹としての主張に説得力を持たせるべく大枝や小枝となる材料(Major or Minor Factor)を選択し、もって、幹と枝葉の全体の枝振り(Logic and Coherency)を決めるのは--各新聞社の自由であり権利でしょう。

だから、残念ながら、朝日新聞のこの「遺憾表明」は
論理的に脆弱ではなく詭弁というわけでもない。

けどね、読者に散々嘘を読ませてきておいて、しかも、それを認めておきながら、「まー、ついでに遺憾の意も表しておきますかな」では済まないんじゃないでしょうか、普通。

まして、その遺憾の意は朝日語で書かれた、
「朝日新聞への批判から逃げようというのではない」だものね。
凄いね、いい根性してるよ。

而して、この社説は「官僚より官僚的な狡猾な論理で覆われた遺憾の意の
これまた官僚よりも官僚的な慇懃無礼な表明」ではないか。と、そう私は考えます。

でもね、鏡や壺の中に逃げ込んでも結局無駄というもの。
それは単なる時間稼ぎ、悪足搔きだろうから。ならば、

б(≧◇≦)ノ ・・・朝日新聞はきちんと事実関係を認めて日本語で謝れ!


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ノーベル賞自体19世紀末の画期的な発明なの、鴨。例えば、現在では世界的にもその権威が認知されている京都賞はその旗揚げに際して(1985年)創設記念特別賞をノーベル財団に授与しました。而して、その授賞理由に曰く、ノーベル賞(1896年創設→1901年授賞開始)は「20世紀の普遍言語」であり「現在、・・・学術的顕彰の究極的な基準として、揺るぎない威信を誇っている。これほどの権威と威信とをかちえたのは、厳格な審査による・・・受賞者選定の実績」による、と。

他方、ノーベル賞には幾つかの批判が繰り返されてもいる。すなわち、

(A)自然科学部門3賞における審査の厳格さと比べて、文学・平和・経済学の人文部門3賞の審査は恣意的
(B)物理学、化学、生理学・医学の自然科学部門3賞の授賞対象実績も、現在では専門化・細分化が顕著で「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」というノーベル賞の選考基準からかけ離れてきている


人口に膾炙していることではありますが、(A)の人文部門を巡る審査の偏向と恣意性に関しては、1964年に文学賞を辞退したサルトルの「ノーベル文学賞は、西側の文化を意図的に擁護し、もって、東西対立を煽っている」という--その「東側」なるもの自体が1989年~1991年に崩壊してしまって--現在ではかなりピントのずれた発言も、「西側」と「東西対立」を各々「西欧のリベラル派」と「西欧の文化帝国主義に対する人類の大部分を占める非西欧側からの反撃」と読み換えれば今でも満更参考にならないわけではない、鴨。

而して、1969年に新設された経済学賞がその受賞者リストを読み返すとき「経済学シカゴ学派賞」の様相を呈していること。よって、「ノーベル経済学賞は経済学シカゴ学派賞でしょう?」という批判に応えるべく、逆に、学術的にはかなり際物の、少なくとも「人類の福祉に最も具体的に貢献した」とは到底言えないだろう--しかし、西欧のリベラル派の琴線には触れるらしい--脱市場主義的かつ非権力的な経済運営の提案にも授賞のお零れが廻っているらしい経済学賞の現況を概観するとき・・・。

なにより、受賞時点ではそして現在でも--佐藤栄作総理(1974年)とは異なり--なんの実績もない、単に「核兵器のない世界を目指す」と発言しただけの就任直後のオバマ大統領に対して平和賞が授与された(2009年)こと。あるいは、その銃撃遭難の後、教育の分野でご自身がなんらかの具体的な実績を残したわけでもないマララ氏が「銃撃に屈せず教育の権利と価値を世界に訴えた」とかいう理由で受賞者の聖列に加えられた(2014年)こと。等々、反米的かつ西欧のリベラリズムのバイアスが濃厚な平和賞の選考を巡る審査の偏向と恣意性を直視するとき(A)は満更邪推とはいえないでしょう。

また、(B)に関しても、相対性理論の確立や量子力学の形成などの現代科学の黎明期とは異なり--ちなみに、「相対性理論」はアインシュタイン(1921年物理学賞受賞)の授賞対象業績ではありません--、大規模かつ最新鋭の研究施設がない限り「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものは最早誰にも不可能になりつつある現在、紙と鉛筆さえあればそのような研究も才能ある個人には達成可能と想像する人はそう多くはないのではないでしょうか。


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しかし、事情は些か複雑。すなわち、

(Ⅰ)人文部門を巡る審査の恣意性と偏向は明白であるにせよノーベル賞の権威は自然科学部門と人文部門がその主従の関係をメビウスの帯びの如く入れ替わることで形成されてきた。ならば、人文部門をノーベル賞から切り離せばノーベル賞はその権威を保つことが可能とは単純には言えない。

(Ⅱ)ノーベルがノーベル賞創立のための遺言状を認めた19世紀末(1895年11月27日)に比べて現在では、自然科学自体の領域の拡大--よって、研究者の増大--は顕著。而して、毎年、授賞業績を一つに限定し、かつ、各賞3人までに絞って顕彰する現在のスタイルでは自然科学部門3賞の権威も早晩維持できなくなるだろう、と。

重複を恐れず(A)(B)をこの認識から整理しておけば、


(再論A)人文部門の審査は恣意的だけれども、人文部門は偶さかではなく構造的にある時期にはノーベル賞全体の権威と威信の形成に寄与してきた。

けれども、ノーベルが遺言状にサインしたのは、正に、日清戦争が終結した年。要は、西洋の没落を現実化した第一次と第二次の世界大戦後の世界をノーベル平和賞は想定していない。土台、マルクス同様、ノーベルが「人類」や「世界」と言うとき、そこに非西欧の国々や国民が含まれていたかどうかもかなり怪しい。

加之、人文部門の審査の間主観的な妥当性の基盤であった西欧のリベラリズムの神通力は現在では消失している。ならば、人文部門3賞は単に「西欧の文化帝国主義の浸透と防衛にノーベル賞全体の権威を用いて最も具体的に貢献してくれそうなプレイヤー」に授与される北欧ローカルな賞にすぎず、ノーベル賞の人文部門の人類史的な意義もまた消滅してしまっている

(再論B)自然科学自体の変容のみならず、--膨大な国家予算が投じられた施設の存在を前提に夥しい数の研究者がバーチャルにせよ細分化した領域を国際的に分業して研究を進めている--自然科学研究者の知識社会学的なあり方の変化を直視するとき、

しかし、真面目な話、①学際的な分野をカバーする自然科学部門における新賞の大幅な追加、あるいは、②各賞ともに毎年の授賞対象の業績分野を複数個認めることにして、もって、結果的にせよ受賞者を大幅に増やす、例えば、各賞毎年30人程度に授与するなどの変更はノーベル賞の希少性、よって、同賞の<知識社会学的な市場価値>を自ら棄損する禁じ手だろうから(笑)、

「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」に与えられる立前のノーベル賞の自然科学部門の人類史的な意義もまた--自然科学専門家の社会的影響力の肥大化の趨勢の中で、パラドキシカルながら逆に--逓減してきている


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敷衍します。

再々になりますけれど、北欧の小国のリベラル派--ノーベル賞の勧進元ノーベル財団の本拠地にして自然科学部門3賞と文学・経済学の人文部門2賞の胴元であるスエーデンでも神奈川県と同じ人口規模であり、残りの平和賞の胴元のノルウェーに至っては福岡県を下回るそんな小国に跳梁跋扈している<リベラル派のキツネ>--による自然科学部門という虎の威を人文部門に流用するマヌーバーは現在では周知のこと。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

けれど、残像にせよノーベル賞の人文部門の権威と威信は、厳格な審査によって受賞者を選定し続けてきた自然科学部門の流用によるものばかりとは言えない。蓋し、少なくとも、メビウスの帯びの如くある時期には人文部門がノーベル賞の権威と威信を専ら形成してきたと言えるかもしれないから。いずれにせよ、北欧キツネのマヌーバーというそんなテクニカルな契機とは別に、西欧のリベラリズムの神通力の消長とノーベル賞人文部門の権威と意義は運命を共にする他ない。と、そう私は考えます。


整理します。

(ⅰ)ノーベル賞創設からの数年間、--自然科学はまだそれほど大きな社会的な関心事、就中、西欧の上流階級層の主要な関心事ではなかったのではないか、ならば、--ノーベル賞の自然科学部門と人文部門の関係は、あたかも、近代オリンピック創立時のオリンピックと万国博覧会の如きものであり、前者は後者の余興や付属品にすぎなかったの、鴨。

国際オリンピック委員会の設立(1894年)から、とにもかくにも第1回アテネ大会(1896年)開催に漕ぎつけた--ギリシア国民を騙したと言われてもあまり文句も言えないかもしれない--見事なクーベルタンの演説と手練をもってしても、第2回~4回(1900年~1908年)の大会は、各々、パリ万博・セントルイス万博・ロンドン万博の余興という社会的と国際的な位置づけを脱することはできなかった。これとパラレルな現象がノーベル賞両部門に関しても観察できるのではないかということです。

(ⅱ)科学が産業と密接に結合して、ある国の国運を自然科学の研究水準が、よって、量と質の両面での自然科学教育のパフォーマンスが決する時代に突入するとともにノーベル賞は各国がその国民教育を編成する上でのまたとない目標型のシンボルとなり、ノーベル賞の権威は、漸次、自然科学部門の審査の厳格性と間主観性に収斂することになったの、鴨。

(ⅲ)自然科学と自然科学者の知識社会学的なあり方の変化にともない、その審査が厳格であるとしても自然科学部門が自然科学全体について「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものを選考することなど制度的に不可能になってしまった現在、逆に、ノーベル賞の権威と威信の過半は--「権威と威信」なるものが「世界的な注目を集めること」にすぎないとしても、そして、ボジョレーヌーボーの解禁と同様に日本ほどそれについて毎年大騒ぎする国は先進国では少ないのですが--人文部門が再度担う様相を呈してきているの、鴨。



いずれにせよ、また、「権威」をどのような意味に解するにせよノーベル賞全体の権威は消失しつつある。蓋し、「ノーベル賞」は「20世紀の普遍言語」だったかもしれないけれど21世紀ではかなり特殊な言語にすぎなくなっている。

すなわち、自然科学部門では、それは、--原発問題やエボラ出血熱への対応を想起すれば誰しも思い半ばにすぎるように、最早、「権力」と表すべき専門家の社会的と政治的の影響力が強大化する中で、逆に--ほとんどの自然科学の基礎研究をカバーできない特殊な言語。他方、人文部門では西欧のリベラル派のコミュニティー内部でしか通じない--国際語を自称しながら話者は世界全体でも100万人程度の愛好家にほぼ限られるエスペラントの如き--かなり歪な言語になりつつある。私はそう考えます。

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蓋し、(ⅰ)の下限時期の確定のためにはノーベル賞設立当時の欧州の新聞や書簡の原典を網羅した文献学的な研究が、そして、(ⅱ)の下限時期の確定には産業と教育に関する重回帰分析を織り込んだ統計的な手続が不可欠でしょう。それはちょっと大変。

ですから、ここでは(ⅰ)の下限を日露戦争で日本がロシアを判定引き分けに持ち込んだ年(1905年)、そして、(ⅱ)の下限を自然科学部門での日本人受賞者の増加が顕著になり--それは相対的に欧米におけるノーベル賞自然科学部門の社会的な権威と意義が減退した証左でしょうから--、かつ、同時多発テロが世界の現実の風景となる中でリーマンショックが起きた年(2008年)--西欧の文化帝国主義の神通力の破綻、および、資本主義の経済を、すなわち、産業と一体となった自然科学の運動を人類が完全には制御できないことが明白になった年、逆に言えば、19世紀的な予定調和的で牧歌的な<知のあり方>のイメージが完全に粉砕された年--と仮置きさせていただくことにします。

ならば、これはどこまでも私の仮説ですが上記のメビウスの帯の推移はこう理解できる、鴨。

(ⅰ)人文部門優位:創設の1896年~日露戦争終結の1905年
(ⅱ)自然科学部門優位:1905年~日本人受賞者の増加が顕著になった2008年
(ⅲ)人文部門優位:リーマンショックの2008年~現在



老兵は死なずただ消え去るのみ。

蓋し、ノーベル賞はなくならないのでしょう。けれども、
その権威と意義はすでに<北斗の拳>状態なの、鴨。


いずれにせよ、自然科学部門での日本人受賞者の年齢と経歴を鑑みるに、ノーベル賞級どころかノーベル賞そのものが象徴する「世界水準の独創性」なるものは、リベラル派が蛇蝎の如く嫌う詰め込み教育や受験体制を通して形成された--対照実験はできないけれど、少なくとも、詰め込み教育と受験体制は独創性の形成をそれほど妨げたとは言えない--のではないでしょうか。と、そう私は考えます。


<(_ _)>

お粗末様でした。

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プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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