憲法と選挙制度

米英には 「政争は水際まで:Politics should end at the water's edge.」(野党が与党を与党が野党を攻撃するのは当然であるが、国と国との境の海岸線から先の事柄、つまり、外交・安全保障・食料安保・エネルギー安保等々の分野は与野党を超えて協働してことに当たらなければならない)という箴言があります。而して、--オバマの拙劣な政権運営は悪しき例として--この<マナー>が順守される限り、多党化そのものは悪い話ではない。そして、所謂「ねじれ国会」も。より多くの有権者国民の意見を政治に反映できるというものでしょうから。

所謂「ねじれ国会」(twisted Diet/twisted Parliament)という事態は憲法が両院制を採用していることの必然的結果の一類型であり、それ自体が現行憲法の不備の証左とまでは言えないと思います。けれども、先日まで僅かの中断期間を除けば6年程続いた「ねじれ国会」には、憲法典と憲法慣習の二重の意味での現行憲法体系の不具合が露呈していたの、鴨。要は、日本は一般的な「ねじれ国会」の構図に悩まされたのではなく、日本特有の「ねじれ国会」の内実に呻吟してきたの、鴨。すなわち、

(ⅰ)相対的に、弱すぎる第1院と強すぎる第2院の組み合わせ(憲法典の不備)
(ⅱ)民主党が政権交代前に繰り返した、例えば、予算関連法案の否決、国会同意人事の不同意に象徴される、おそらく、憲法典が予想していなかった憲法運用(憲法慣習の逸脱)

蓋し、議院構成にせよ選挙制度にせよ、時空を問わずいつでもどこでも最適な制度なるものは存在しないでしょう。しかし、個別現下の日本社会においては、これら憲法典と憲法慣習の不備、更には、国民代表を選ぶ選挙制度に関する不備といった三層の重層的な不備の是正が不可避ではないか。と、そう私は考えます。

すなわち、(Ⅰ)憲法改正によって、衆参両院の跛行性にメリハリをつけること、(Ⅱ)国会の現場での審議と協議に関する憲法の運用のあり方を憲法慣習の再確認を通して是正すること(それができなければ立法もしくは憲法の改正を行うこと)、更には、(Ⅲ)選挙制度も、例えば、衆議院の選挙制度を全国500選挙区の完全小選挙区制に移行し、他方、参議院は3年毎に、各都道府県から1名の合計47名、および、全国10ブロックから都合80名を選出する比例代表制(但し、得票率10%~20%程度の所謂「足切り条項:阻止条項」(election threshold)を課す比例代表制)も導入する等の改革が望ましいのではないかと思います。

ちなみに、諸外国では--それも、①国民の意志を可能な限り正確に反映することと、②国の意志を単一に統合することという二律背反的の目的を課されている選挙制度の一つである以上--比例代表制には「適切な足切り数値=得票率」が組み込まれるのが一般的。その意味では(政党助成制度は不完全ながらもこの観点を織り込んだ制度設計になっているのに対して)、現行の日本の比例代表制度は、民意の正確な反映という選挙制度の目的の半分に過度に配慮した歪なものと言わざるを得ないのです。

而して、諸外国では、単一政党での選挙へのエントリーの場合にも5%前後の足切り規定が<相場>であり、トルコの10%やロシアの7%など<相場>を超える国も少なくない。まして、複数の政党が選挙の際に一つの<チーム>としてエントリーする場合には15%~20%が「足切りの得票率」としては<相場>と言える、鴨。

ならば、(政党を渡り歩く不埒で姑息な国会議員の見苦しい生態は置いておくとしても)政党の離合集散の弊害を体験した現下の日本においては単一エントリーも複数エントリーもなく一律10%~20%の得票率を組み込んだシンプルな「足切り条項:阻止条項」(election threshold)を国会議員の選挙制度に導入することは満更理由がないことではない。と、そう私は考えます。

尚、「ねじれ国会」を巡る私の基本的認識については--悪夢の民主党政権下で書いたものですけれども--下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「ねじれ国会」の憲法論と政治論
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59802541.html

・政党政治が機能するための共通の前提
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11142645831.html


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投票率と勝利した政権の正当性

投票率が低かったがゆえに「国民世論の支持の度合いは投票結果ほど大きくはない」「有権者国民から託された政治的な信託の大きさはそう大きくはない」、要は、投票率が低い場合その選挙で勝利した政党や首相の政治的正当性には限界があるというリベラル派の主張は全く意味不明です。つまり、選挙で勝利したとしてもその選挙の投票率が低くかった場合には、その政権与党は、

(α)選挙公約を構成する幾つかの政策は実行できない
(β)選挙公約を構成する幾つかの政策については政策の修正が不可欠
(γ)選挙公約を構成する幾つかの政策の立法化もしくは予算化については、他の政策よりも優先順位を落とす、または、平均的な国会での審議時間よりも多くの時間を割く、あるいは、プライオリティーの繰り下げと慎重審議の両方を行わなければならない

とでも言うのでしょうか。ここで、誰がその「選挙公約を構成する幾つかの政策」を特定する権限があるのか(まさか、朝日新聞やNHK、支那や韓国だとは言いたくても公開の時空間では誰も言わないでしょうが、)という素朴な反論は置いておくとしても、もし、リベラル派の主張が(α)~(γ)のような主張であるならば、それは政治的にも「誰も相手にしない議論」でしょうが、憲法論的には到底なり立たない朝日新聞の立憲主義理解なみの謬論であろうと思います。

そして、彼等の主張が(α)~(γ)のような内容ではないとするならば、それは無内容な単なる<詩的言語>による「いちゃもん/負け惜しみ」にすぎない。この点を巡る憲法論については別稿に譲りますけれども、政治的な反論項目を以下アトランダムに挙げておきます。


①日本では広範な投票ボイコット運動が組織されてはいないこと
②国政選挙は信任投票ではなく、棄権を政権批判者と看做す根拠はないこと
③代表民主制における国民代表を選ぶ選挙では、(自分が立候補でもしない限り、極論すれば、自分が立候補しているとしても!)適当な候補者が見当たらない、適当な政党が見当たらない場合、棄権するという行動、すなわち、「わからないことについては判断しない」という態度は自己の有限さを自覚したマチュア-な行動と態度であり、その行動を他者が消極的にせよ「政権与党を批判する行動や態度」と見ることは根拠がないだけでなく僭越であること

④現在の先進国がほぼ例外なく、グローバル化の昂進著しい現在の大衆社会下の福祉国家における代表民主主義国家である現状を鑑みれば、国家は、膨大な大衆からの多様なニーズに効率よく応えるしかない図体は巨大だけれども主体性に乏しい--カール・シュミット流に言えば「全体国家」--にならざるを得なくなる。

他方、単独政権にせよ連立政権にせよ、政権与党はすべからく、広大かつ膨大な領域で社会と接点を持つ行政サービス全般についての--更には、これまた広大かつ膨大な国際行政分野についても--政策体系を持った、ならびに、右派から左派まで広範な有権者国民から支持される--要は、社会の広範な有権者国民から決定的に嫌われることの少ない、逆に言えば、熱烈な支持者からだけでなく、他の政党よりも「よりマシ」という基準で消去法的にせよ支持されうる--「包括政党」にならざるを得ない。ならば、個別の有権者から見た場合、政権与党の<王座>を狙うほどの政党にはそれほどの差は感じられなくなるは当然であり、よって、昔日の投票率と今般の投票率を比べることにそれほど大きな意味はないこと

⑤諸外国の投票率を見ても、強制投票制の国を除けば、21世紀以降に実施された国政選挙の投票率は(例えば、ドイツ・71%:英国・66%:ロシア・60%:フランス・57%:アメリカ・54%)と日本の国政選挙と大差ないこと
これら①~⑤の事実や事柄を想起すれば、投票率が低かったがゆえに「国民世論の支持の度合いは投票結果ほど大きくはない」「有権者国民から託された政治的な信託の大きさはそう大きくはない」などの主張には、政治的や憲法論的どころか床屋談義的や居酒屋談義的にもそう大した根拠はないのではないでしょうか。


ちなみに、今回の衆議院と参議院選挙の比較的低い投票率の背景は、(a)民主党に政権を取らせてしまい激しく後悔している元民主党支持層の多くが、自主的に謹慎した、(b)自民党の消極的な支持者/自民党のコアの支持者ながら多忙な有権者が、事前の報道を見て、自民党の圧勝を確信して安心して棄権した。これら(a)(b)の複合作用の結果だった。(a)(b)と無関係な公明党と共産党がそこそこ手堅い得票率を達成したのはその傍証と言えるのではありますまいか、ありますまいか。

いずれにせよ、⑤は看過するとしても、①②の条件が変わらない限り、もしくは、③の投票行動の哲学的な評価基準が否定されない限り、更には、④の現代社会と現代政治を巡る認識の構図が否定されない限り、熱狂的で圧倒的多数の有権者国民に積極的に支持される政権与党でなければその政治支配の正当性が低いなどの主張は、かなりピントのずれた途方もなくアウトオブファッションの類の主張であろう。と、そう私は考えます。

・民主主義--「民主主義」の顕教的意味
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62677500.html

・民主主義--「民主主義」の密教的意味
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62722758.html


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テーマ : 国家論・憲法総論
ジャンル : 政治・経済




ナッツ姫こと、趙顕娥元大韓航空副社長(40)が韓国の世間を騒がせ世界の嘲笑を浴びているようです。けれど、私は「ほめ殺し」ではなくナッツ姫を支持したいと思います。支持の理由は次の4点。

(1)ナッツ姫が身長180センチ近い美人さんということ
(2)接客ビジネスでは世界最高ランクの大学と大学院を卒業していること
(3)韓国のビジネスマンを叱責するにはその場で証拠を突きつけなければ無理
だから、ナッツ姫が旅客機機材をゲートに引き返させたのはそれなりに合理的
な理由が韓国的にはあったの、鴨と思わないではないこと
(4)お子さんに米国の国籍を取らせている点で、これまた、韓国的な母親の
気持ちとしては合理的であり


要は、(1)~(4)を総合するに、
ナッツ姫は韓国の水準から言えば至極まともで合理的な判断のできる方だと思うから。もっとも、そんなのは世界では通用しない韓国的な合理性であり、多くの韓国の財閥3世~5世と同様、彼女もまた「ナッツ:one of nuts」であることは否定できないでしょうけれども。


まずは事実の確認。朝日新聞には嘘が
書いてあるかもしれないので、
APの記事で確認。


Sales of macadamias soar in wake of Korean Air nut rage
Nut rage imploded the career of a Korean Air Lines executive and embarrassed her family and country. Now South Korean retailers are experiencing the unexpected upside: a boom in sales of macadamias.

The flavorful macadamia nut was unfamiliar to many South Koreans until Cho Hyun-ah, the daughter of Korean Air’s chairman, ordered a flight attendant off a Dec. 5 flight from New York City after she was served them in a bag, instead of on a plate.

She resigned from executive roles including head of cabin service last week amid a storm of criticism about the tantrum that forced the flight to return to the gate. But macadamias are now a household name in South Korea and with curiosity about their taste piqued, sales are booming.・・・

(AP, Dec 16, 2014)

大韓航空のナッツ激怒事件にともないマカデミアナッツの売り上げ急上昇
大韓航空のある重役が馬鹿げた大騒ぎを引き起こして役職を離れただけでなく、彼女の一族と韓国に世間の非難と世界からの嘲笑を集めている。他方、韓国の物販ビジネスでは予期せぬ売り上げの好調が起こっている。そう、マカデミアナッツの売り上げが急上昇なのだ。

香ばしいマカデミアナッツは韓国ではそれほど一般的なものではなかった。けれども、12月5日、ニューヨーク発仁川行の便の中で、大韓航空の会長の息女である趙顕娥氏が、お皿に盛られておらず包装されたマカデミアナッツを提供されたことに激怒して客室乗務員を飛行機から降ろす事件があって以降、マカデミアナッツは韓国でもいっぺんに知られるようになった。

趙顕娥氏は、先週、激怒して航空機をゲートに引き返させた問題に非難が集中する中、大韓航空の機内サービス担当の最高取締役の職を辞任した。他方、マカデミアナッツは今や韓国では知らない者がない事態になり、また、その風味への物珍しさもあってか売り上げはうなぎのぼり状態である。・・・

(以上、翻訳紹介終了)



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ナッツ姫を弊ブログが支持する理由を敷衍しておきます。

(1)ナッツ姫が身長180センチ近い美人さんということ
これは、日本では当てはまらない「理由」でしょうね(笑)。

・日本人の究極の美意識としての<ほどほど>が一番可愛い?
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11644425055.html
 

(2)接客ビジネスでは世界最高ランクの大学と大学院を卒業していること
コーネル大学と南カリフォルニア大学は接客ビジネス(Hotel and Restourant Business)では世界最高ランクの教育機関。而して、弊ブログが高学歴大好きということだけでなく、彼女は、大韓航空の便に乗ったのでなければ「普通の国際派のお嬢様」として行動したと推察します。

要は、コーネルやUSCで学んだビジネススキルというかビジネスの社会規範(コード)を凌駕するなにかがこの「ナッツ」なお嬢様の目に留まったのだろうと。それが、個別韓国社会の特殊性にまつわる社会規範ではないかしら、とも。


(3)韓国のビジネスマンを叱責するにはその場で証拠を突きつけなければ無理
ナッツ姫が旅客機機材をゲートに引き返させたのはそれなりに合理的な理由が韓国的にはあったの、鴨。普通、アメリカでも日本でも、最早、彼や彼女を同僚の前で叱責するなどはもうほとんどない。別室に呼んで、3秒間怒鳴り、13分間ことの次第を両者で復習する。そして、残りの16分ちょいで今後の対策を話し合い、上司は「自分も組織も貴殿に期待しているし、今後の活躍を確信している」と最後に述べる・・・。

あのー、これ、綺麗ごと。

あのー、日本では、年齢・勤務歴に関係なく誰かを誰かが呼び捨てにする風習はもうこの15年くらいで消滅したでしょう。それは作業員さんでも警備員さんでも同じ。そして、この事情は、日本よりも遥かに「階層差」の厳しいアメリカでも一緒です。

ということで、韓国。残念ながら、彼等は自分の間違いをほぼ絶対に認めない。要は、日米とはことなり上司と部下との最低限の信頼関係さえないの、鴨。ならば、韓国人ではあるが「普通の国際派のお嬢様」が自分の文字通りの職責--機内サービス担当の最高取締役--をその場で証拠を突きつけない限り誤りを認めない<韓国人のスタッフ>に対する言語行為としては、満更理解できないこともない、鴨。と、そう思います。


(4)お子さんに米国の国籍を取らせている点で、これまた、韓国的な母親の
気持ちとしては合理的でしょう。これは言うまでもないことですが、日本と韓国の品格の差は簡単に識別可能なのです。要は、韓国という社会は財閥のお嬢様でさえ子供にアメリカ国籍を取らせたいと思うようなさもしい社会であるということ。これは、韓国人のアメリカ留学準備ビジネスにも長年かかわってきた私には、本当に皮膚感覚でわかる情緒。例えば、韓国人のアメリカ留学生はグリンカードを取得するべくアメリカ国籍の男性を虎視眈々と狙うけれど、日本人留学生は「何が悲しううしてアメリカ国籍なんかとらなあかんねん」というナデシコが寧ろ多数派ですから。


畢竟、(1)~(4)を総合するに、ナッツ姫は韓国の水準から言えば至極まともで合理的な判断のできる方だと思う、ならば、そうそう批判もできなのではないか。マカデミアナッツも売れているらしいから(笑)

蓋し、 社会規範のコードが異なるのだから、
韓国などは「嫌韓」になることも馬鹿らしいのです。
否、「反韓」さえも時間の無駄。而して、<無視>、興味ないんですけどー、
が最も合理的な態度、鴨。と、そう私は思います。

と、この記事はこれくらいでおわります。

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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済




私はマララ氏のノーベル平和賞受賞自体にはなんの感慨もありません。
というか、ノーベル賞自体にあまり興味がないから。
冗談抜きに、来年度のAKB48総選挙の1位を誰が取るのかに比べれば、
ほとんど気にもしていなかった。

・ノーベル賞の黄昏--自然科学部門と人文部門が織り成すメビウスの帯び--
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62784921.html

しかし、本物の総選挙(2014年12月14日)関連のニュースが知りたくて珍しくTVを見ていると、彼女の授賞式をやっていた。いつもの通りの演説内容で嗤っちゃったけれど、一発屋さんなんだから、「ワイルドだろー!」同様、それはそれでよいとして、おいおいおいと、記憶に残ったのがノルウェーの授賞式会場周辺はノルウェー軍による厳戒態勢が敷かれているという情報とその映像。

で、思った。

今後、イスラーム過激派なりがこのマララ氏へのノーベル平和賞授賞の件にからめて、多数の少女を殺戮するなり、拉致するなりする場合、その充分に予想できる事態を惹起させたことに対してノーベル平和賞の胴元であるノルウェー議会はどう責任をとるのかと。

だって、自らの意図的な行為によって--マララ氏にノーベル平和賞を授与したことによって--当然起こりうる結果が火を見るよりも明らかである場合、そこには、間違いなく--法的なものではないにせよ政治的と道義的な非難可能性が生じうるーー因果関係が存在する。ならば、これから惹起する多くの少女達の身に降りかかる事態に対してノーベル平和賞の選考委員会はどう責任を取るのか。そう思ったということです。

これは、テロリストには屈しないとか、
暴力には屈しないということとは次元が異なると思うのです。

むしろ、攻撃を仕掛けているのはマララ氏を尖兵にしたノーベル平和賞選考委員会の方なのだから。ならば、どちらが正しいということではなく、この件は、あくまでも彼等の立場から見ればですけれども、西欧中心の文化帝国主義の攻撃に対するイスラーム過激派の側からの一種の正当防衛というか正当な反撃なんだろう。揚げ足を取られたくもないので、繰り返し言いますけれど、私自身、イスラーム過激派の主張はまったく支持しませんけどね。要は、この件はイデオロギーの問題であり、論理や議論で決着のつくものではないということ。それだけは確かなのだと思います。

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蓋し、マララ氏の意図とは別にイスラームのある人々にとっては彼女は「文化帝国主義の尖兵」でしかないのだろう。

要は、子供の人権、教育を受ける権利・・・。このような、口当たりは良いけれど、その国や地域や社会の文化伝統を破壊する諸々の文化帝国主義的なイデオロギー攻撃に対して、少なくないモスリムの男女は怒っている(もちろん、怒っていないモスリムの人々も全然少なくないのですけれども)。

要は、「子供の人権、教育を受ける権利」などは普遍的な価値ではないということ。例えば、日本では偶さか、--江戸期の子女教育の蓄積の上に導入された明治以降の学制が伝統になるに及んで--それらは国民の法的確信を得た憲法的権利なのでしょうけれど、それは普遍性の根拠にはなりえない。ましていわんや、国際人権規約などは規範内容の普遍性とは無縁の事柄でしょうから。

而して、西欧の--しかも、英米および日本とはかなり異質な--リベラル派のイデオロギーにすぎないものを普遍と称してノーベル賞を17歳の少女に振る舞う。そんな狡猾で見え見えのノーベル賞委員会の狙いがわからない方が世界でも世間でもナイーブというものでしょう。

換言すれば、別に、マララ氏ご自身にはなんの罪もないけれど、ノーベル平和賞選考委員会は、マララ氏をだしにして単なるローカルなイデオロギーを普遍的な価値でもあるかのように演出した。と、そう私は考えます。


そして、なにより、そんな西欧のリベラル派のローカルイデオロギーが茶番にせよ、ライブで世界に配信され、もって、普遍を称しえているのも、実際の所、欧米の軍事力と経済力の裏付けがあってのことだと。

昨夜のものものしいノルウェー軍による授賞式典会場周辺の警備は、
そのことの端的な証左ではないか。そうも私は感じました。



蓋し、ノーベル平和賞自体はノーベルの遺言によってできたものだから、
いきなりなくすのは難しいだろう。けれど、少なくとも、せめて、
紛争当事者のいずれかに肩入れするような選考とならんで、
文化帝国主義的な色彩濃厚な選考も金輪際やめるべきではないか。
ノーベル平和賞自体が紛争を激化させていてもつまらんでしょうからね。
と、私はそう考えます。

畢竟、価値相対主義を基盤とする保守主義しか、
世界の多様な国家と民族に<平和的共存>をもたらす、
イデオロギーはないのかもしれないということもまた。

敷衍します。

寒梅も南天も風雪に耐えた<伝統>が憑依しているからこそ
美しいのでしょう。 而して、個々の伝統の内容は国や地域や
民族によって違うだろう。けれど、<伝統>を尊重するという
保守主義の態度は世界の多様な国家と民族にも了解可能であり、
渋々にせよ受け入れ可能ではないかと私は考えるということです。


ちなみに、新カント派の教えるところ「価値相対主義」とは、

絶対的な価値は絶対にない・・・とする立場であり、それは
絶対的な価値は絶対にある・・・とする立場同様に、
もちろん、「主義」ですから一種の絶対主義なのです。

そして、いつでもどこでも誰にでも妥当する価値は存在しないが、
今の私に必然性をもって妥当する価値の存在を価値相対主義は否定しません。

ならば、

価値相対主義とは自分が信奉する価値の必然性を否定しないけれど、
その価値が異なる文化伝統を呼吸する他者に対しては必ずしも
規範的拘束力を帯びないという経緯を直視する思想なのでしょうから。


尚、文化帝国主義を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読
いただければうれしいです。


・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62298200.html

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62554338.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、
<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html


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テーマ : 保守主義
ジャンル : 政治・経済



自分をアイドルと勘違いしている女子アナは滑稽だけれど
自分をジャーナリストと勘違いしているTVの報道番組の司会者は有害



日本のTV報道の偏向ぶりに憤ってきた保守派にとっては、当然のことですが、
先日、自民党が在京4局とNHKに対してやっと反撃を開始しました。

出版社や新聞社ならともかく、TV局は放送局。つまり、
放送法を紐解くまでもなく、彼等は公平な放送を行う前提で事業者の認可が
されているはずですから。


б(≧◇≦)ノ ・・・よくやった自民党!
б(≧◇≦)ノ ・・・さすがは安倍総理!


まずは事実の確認。
朝日新聞には嘘が書いてあるかもしれないので
共同の記事を引用しておきます。


LDP letter to broadcasters urges neutral poll campaign reporting, draws criticism
In a move that could be taken as a threat to press freedom, the ruling Liberal Democratic Party sent a letter to Tokyo-based TV networks requesting that they pay extra attention to ensure neutrality in their reporting during the official campaign period for the Dec. 14 Lower House election.・・・

The written request, issued on Nov. 20, the day before Prime Minister Shinzo Abe dissolved the Diet for a snap election, was addressed to programming directors and top news editors at five major networks based in Tokyo. The letter’s senders were Koichi Hagiuda, a top aide to Abe, and Teru Fukui, an LDP official in charge of press affairs.

選挙報道の中立性を求めて自民党がTV局に出した文書が批判をよんでいる
出版・報道の自由を脅かしかねない一手を自民党が指した。与党自民党が在京のTVネットワーク局に対して、12月14日に実施される衆議院選挙に向けた法定の選挙運動期間の報道に関しては中立性の確保に一層注意して欲しいという要請文を送付したのだ。・・・

当該の要請文は11月20日付、安倍晋三総理が総選挙に向けて国会を解散する前日の日付であり、在京の5大TVネットワークの番組編成局長および報道局長にあてられたもの。文書の送付者は、安倍総理の高位の側近である萩生田光一氏、および、自民党の報道局長の福井照氏。

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The LDP has sent similar requests in the past, as have other parties, but it seems rare for the party to issue such letters to broadcasters before the official campaign kicks off. The campaign for the Dec. 14 election is set to begin on Dec. 2.

This time, the request for neutrality is also detailed and specific, asking them to be neutral and fair in the number of times and length of time given to political candidates appearing in their programs, as well as in the selection of topics to be discussed on the air.

It also asks for balanced reporting of interviews with people on the streets and neutral use of video footage so the views presented on TV “will not be one-sided,” according to the letter.・・・

他の政党同様に自民党も今までもこのような要請をTV局に対して行ってはきた。しかし、自民党といわず政党が公職選挙法の定める選挙期間の開始直前にこのような要請を放送局に対して行うというのは極めて異例のことである。而して、12月14日の選挙に向けた選挙期間は12月2日に始まるのだけれども。

今回の中立性を求めた要請文はその内容もまた詳細にわたっている。すなわち、報道番組に登場する立候補者の回数・時間の長さはもとより、放送される論点の選択においても中立かつ公平であることを放送局に対して要請しているのだから。

更に、要請文は街の声のレポートについても公平であることを求めており、また、放送されるビデオ画像の長さに関しても中立を求めている。畢竟、要請文によれば、TV報道される画面は「どちらかの政党側に有利になるようなものであってはならないでしょうから」ということ。・・・

(Kyodo, Nov 28, 2014)


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日本では「ジャーナリスト-ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」とかいう標語を金科玉条の如く考えてでしょうか、よって、政権与党からの「公平性-中立性」を求めるこのような要請も出版・報道の自由を侵しかねないもの。ひいては、国民の知る権利に奉仕するマスメディアを萎縮させ、最終的にはこの国の民主主義をも歪めるものだとかなんとか口にする人達がいるようです。

しかし、「ジャーナリスト-ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」というテーゼは、必ずしもあるマスメディアが反権力であることまで求めるテーゼではない--もしそうなら、衆議院選挙の度に政権が入れ替わるとすれば、マスメディアの中には昨日までの自社の主張や立ち位置を変えなければならないところもでたりして大変でしょう(笑)--、蓋し、「ジャーナリスト-ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」というテーゼは権力の政策にそのメデイアが賛成であってもその政策の実行のプロセスにいい加減なことはないかと目を光らせることをも包含したテーゼでしょう。

「ジャーナリスト-ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」というテーゼは、マスメディアで禄を食んでいるかいないかに関わらず、ジャーナリストたる者権力との癒着の誘惑に負けることがないように常に自戒反省すべきであるという<ジャーナリスト>の行為規範にすぎない。よって、「ジャーナリスト-ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」というテーゼは--朝日新聞は嘘を書いても良いとか、TV朝日やNHKは安倍政権を印象操作を含め攻撃してもよいという帰結をもたらす--、自民党や政権、そして、有権者国民たる他者をも拘束する社会規範では金輪際ないのです。

ならば、今回の自民党からの申し入れが--繰り返しますけれど--「出版・報道の自由を侵しかねない、ひいては、国民の知る権利に奉仕するマスメディアを萎縮させ、最終的にはこの国の民主主義をも歪めるもの」かどうかは、現行の占領憲法が定めている、表現の自由(freedom of speech)、および、その表現の自由(freedom of speech)を実効性あらしめる国民の知る権利(right of access)を核として放送法の合憲性判断まで射程に入れて憲法訴訟論的に判断するしかない問題なのだと思います。

逆に言えば、ここでの憲法訴訟論は、報道機関が放送法を逸脱する不公平な報道を行った場合、どれくらい大きな逸脱がありどれくらいの悪意が認められる場合にはTV局が制裁されるべきかを判定する作業の裏面とも言えましょう。そう俎板の上にのるのはTV局の方でもあるということ。


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世の中には、自民党の要請文は表現の自由に対する萎縮効果を帯びるもので許されないとか言う人もおられる。これもまったく逆ではないでしょうか。もっとも、政権与党とはいえ自民党は憲法論的には<私的存在>なのですから、自民党の要請文をダイレクトに表現の自由への侵害と捉える大雑把な議論にはお付き合いする必要はないでしょう。

けれど、

而して、憲法訴訟の場面では「要請文はその内容もまた詳細にわたっている」ということは自民党側にとってより有利であり、公平を求める要請文を受けて不平を口にしている多くのジャーナリストに逆に不利になることは間違いないと思います。なぜならば、表現の自由に対する萎縮効果の議論とは、表現を規制する法規が曖昧である場合に--どの範囲までがセーフでその範囲からがアウトか不明確なので、灰色部分についても人々が口を閉ざす傾向があることを鑑みて--憲法上より手厚い保護が表現する者に与えられるというもの。ならば、

>法定選挙運動期間の報道に関しては中立性の確保に一層注意して欲しい

というだけのこれまでの要請に比べて「報道番組に登場する立候補者の回数・時間の長さ、放送される論点の選択においても中立かつ公平であることを、更に、街の声のレポートについても公平であることを求めており、また、放送されるビデオ画像の長さに関しても中立を求めている」というのは憲法論的により望ましいスタイルではないかとさえ思います。

蓋し、公平な報道を求める要請に不平を言う日本のマスコミってなにさまなんでしょうかね?
それは、少なくとも現行の憲法訴訟論の地平さえフォローしていない、
知的怠慢か反知性主義の輩であることは間違いない、鴨。
と、そう私は思います。


尚、本稿については下記拙稿も併せてご一読いただければ嬉しいです。

・NHKの「政治的中立」と首相の人事権(上)(下)
(特に、(下)で本稿と関連する考察を展開しています)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62207787.html



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ということで、
選挙に行きましょう!

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿




テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
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大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
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2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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