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英語研修屋さんではあるけれど「講師」としては、

私は「プロ対象のレッスンプロ」だからね。
講義下手とは思わないけど(←そう信じたい、汗)
まあ、上手くはないです。


だけど、講師研修にあれこれ都合四半世紀以上携わってきた(ただ、それだけ、涙)
私としては押しかけバーチャルな兄貴分(謎)というだけでなく、よう子さんの
この記事には感銘を受けました。正直、他社調査の「スパイ」さんとかは論外として


>同業者から(素性を隠すことなく!)レッスンの申し込みを受ける


ということは。英語講師や英語研修機関の経営者・リーダーとしては、
最高の名誉であり誇りだから。自分とそのチームメンバーを、そのことは
奮い立たせるにたる極めて稀な出来事だから。


うん、うん。


それ、その道で精進していることが認められたということ。
誰に? それは「英語教育の神様」からの正当で正式な評価。


そう、これ、AKB総選挙で、あの「不動のセンター=絶対的エース」と称された
敦ちゃんが順当に1位を獲得したようなもの。アイドルの神様の公式な評価。


>何をあなたは言いたいの?


はい、実力的に最強のプレーヤーが順当に優勝する(女王の座を手に入れる)
というのはものすごく難しいことなんですよ。その困難。その困難クリアの値打ち。
その値打ちを神様が評価して認定してくださったということ。


ということで、素直に感動しました。よって、私も、

機会があれば、KABUも「札幌ネルス」でレッスン受けてみたいかなと思いました。


例えば、冠詞とか時制とか副詞の位置とか、否定表現を含む省略・倒置構文とか・・・
知識量ではなく教える技量を堪能したい、カナ。


楽しみ、鴨。


教室のあるビルの一階には美味しいラーメン屋さん
もあるということだし。


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・街で感じた、これも一つの「使える英語力」雑感
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/93270d87ae8382dbf73aaf01cea7af07


・防衛省Mag☆MAMOR:特集「英語力を装備する自衛隊」
 --英語好きにはお薦めだったりする ←特に、(承)(転)に関連する内容がある、鴨 
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2377f54478cd51ab00abbce530bf67f6


・バンクーバーオリンピック☆私はキムヨナ選手を応援する
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87690cff95123549f6a7bc7e7c9888d3

         

·AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000LC!、。鴨
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11206785681.html


·国民的アイドル前田敦子のAKB卒業
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11364361303.html


https://www.youtube.com/watch?v=l3-j0Ha4Cnc
https://www.youtube.com/watch?v=WdhMjzfg6-k


そして、やっぱ~これ(↓)

・・・そこに「前田敦子」がいるだけで現出する<安定感>、溜息。


・君はメロディー
 https://www.youtube.com/watch?v=Q2E7TLotcko

 

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 で、その、

よう子さんの”同業者の方からレッスンのお申し込み頂きました”

記事が(↓)これです


http://ameblo.jp/sapporonels/entry-12267905009.html

 

教室は札幌ですが、英語を使えるようになる/もっと上手に使えるようになる方法とかとか、

ひろく「英語の教育」ということに関心のある方には、とりあえず、ネット上での<札幌>への、

もう一歩足を延ばすお散歩」をおすすめいたします。

 

KABU&寛子



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・君はメロディー
 https://www.youtube.com/watch?v=Q2E7TLotcko

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・・・・・衝動的に転載。
・・・・・なんとでも言いなさい!

・潔い! 波瑠さん



<でもって、一応、「防御線」の記事>
・ほしのあきさんの<無罪>確定-あんだけ可愛いんだから当然なのです
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/78478ca7d4aebc00f057beebd43f17a4

 
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その、波瑠さんの”ゴールデンウィークの挨拶” 記事(↓)


 
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すべての法学は「法とは何か」の問いへの回答である。

これが、私の恩師の一人、英国法哲学研究領域での世界的権威・八木鉄男先生から教えていただいたことのαでありωかもしれない。今、私はそう考えています。而して、本稿は「法とは何か」という問い自体を一瞥するもの。すなわち、「法とは何か」の問いを遂行するためのベースキャンプの設営の試みです。

而して、そもそも「法とは何か」という問いはどんな解答/回答を要求する問いなのでしょうか。
次の二つの疑問文でそのことを考えておきましょう。

(01)What is the color?
(02)What is color? 
   

前者は、例えば、「新しい車を買ったんだよ。トヨタのプリウス」と言う相手に対して「その車の色は何色なの」と言うように、具体的なあるものの色を尋ねる質問。後者は、プリズムで太陽光を<虹>に変換して壁に投影しているような場面で、「色っていったい何なんだろうね」と呟く、哲学的と言えば哲学的、物理学的と言えば物理学的な、いずれにせよ、「色そのもの/色の本質」を問う、前者に比べればより抽象度の高い問いです。
 
而して、「法とは何か」の問いも実は、(01)(02)の両者とパラレルな
重層的な問いであると言えるの、鴨。蓋し、「法とは何か」は、

(01L)ある紛争を解決する上でそれに適用される法規や法慣習の内容を具体的に希求する問いであると同時に、(02L)その前提となる、「法とはそもそもいかなるものか/道徳規範や倫理規範等の他の社会規範と法はどう異なるのか/我々は法になぜ従っているのか」を尋ねる重層的な問いである、と。

そう私は考えています。「法とは何か」の問いは、しかし、それが憲法無効論の如き空理空論に終わらないためには、法が適用され効力を保持している(ある規範が遵守されるべきだと一般に考えられており、同時に、全体的には、また、その法規範を包摂する法体系総体としては現実に遵守されている)当該の社会のあり方を理解しなければならない

かって、パブロフは、「鳥の翼が力学的に完全だとしても、真空の中ではその羽ばたきは空しい物体の移動にすぎないだろう」と述べましたが、「法とは何か」の問いが、よって、法哲学や憲法学が現実の紛争解決と社会統合に関して具体的現実的な貢献をしたいと思うのならば、法哲学や憲法学は法体系がそこに存在している人間社会に対する「構造的-実存的」な理解を深めなければならないのだと思います。
 
尚、構造と実存の両者の交叉する営みとしての「定義」という言語行為に
関しては下記拙稿をご参照ください。 

・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65200958.html

・保守主義-保守主義の憲法観
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144611678.html

・憲法と常識(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12161352990.html
 
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制度と実存の二律背反と両面価値
あるいは読者の皆様から顰蹙を買うのを承知で本稿では「性」を一つの切り口に、人間社会の実存的あり方を構造的に、あるいは、人間社会の構造を人間の実存の観点から考えます。蓋し、文化人類学の知見が教えてくれているように、「性」は「言語」「交換」「権力」とならび、あらゆる文化と文明を構成する主要な制度でしょうから。而して、「法=権力」を「言語」のアナロジーにおいて一瞥しようとする本稿において、人間実存の社会的あり方を検討する予備作業の切り口としては「性」は格好のもの。そう考えるからです。

ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』(1954年)、ジョゼフ・ケッセル『昼顔』(1929年)やジャン・ド・ベルグ『イマージュ』(1956年)。そして、これらほどの<権威>はフランス文学界では持っていないのですが(というか、映画の成功に比べれば原作は三文性愛小説と看做されているのが正直な所でしょうが、)エマニエル・アルサン『エマニエル夫人』(1959年:映画化は1974年)も(その異文化趣味を超えて)、我々が「制度」というものを理解する上での素材を提供しているのではないかと思います。

松田聖子さんや安室奈美恵さんが、堀北真希さんや吹石一恵さんが、母であり歌手/女優でもあるように、人間存在は、不可避的に、かつ、同時に複数の役割や規定性を帯びている。而して、人生も時間も本質的に有限でかり、かつ、不可逆的。更には、本質的にはある瞬間には(他者の視点からは、複数の規定性を帯びているように見えるとしても、自己の「行動選択」としては、)ある一つの役割や規定性しか演じられない。少なくとも、複数の役割と規定性をある一つの瞬間に演じることは難しい。

このような人間存在の実存を踏まえる時、自分が帯びる複数の規定性や複数の役割をどう調整していくのか。この点の解決が人類の「智恵」であり、その「智恵」のタイプが文明や文化に他ならない。と、そう私は考えます。

人間存在の実存をこう踏まえた上で、この「同時に複数の役割や規定性を帯びざるを得ない人間が、それらを遂行するプライオリティをどう調整するか」の解答の一つが「制度」ではないか。例えば、妻の顔と娼婦の顔を持つ『昼顔』のヒロインがその解決を、昼間だけ娼館に通う<スケジュール>で解決したように、また、『O嬢の物語』『イマージュ』のヒロイン達が、自由と平等を愛する(と自称する)フランス人としての自己のアイデンティテと<奴隷的被虐>に快楽を覚える自己の実存の亀裂を<契約>によって解決したように。 

ならば、制度は(偏微分方程式を解く要領とパラレルに)、ある局面では、ある人間存在の実存の過半を捨象して抽象化し、単一の役割や規定性を人間に与えるのだけれども、その裏面としては、その制度によって、その同じ人間は他の時間と空間においてはより効率的に自己の実存を発揮できるのではないでしょうか。エマニエル夫人が若妻という社会的規定性に拘束されながら、同時に自己の心の声に従い快楽を追求する重層的な生活に入ったように。畢竟、制度と実存は二律背反的であると同時に両面価値的でもある。と、そう私は考えるのです。
  
而して、個人の人間存在の実存と制度を巡るジレンマとアンビバレントな関係は、「権力-権威」の制度についても言えるのかもしれない。生身のある人間を「天皇」として処遇する制度は、彼や彼女達に「国の象徴」という地位を配分することで、社会全体としては効率よく社会統合と社会の秩序維持を保障する(自然からの脅威、他国からの脅威、自国の権力の脅威、社会の他のメンバーからの脅威という4個の脅威から国民を守り、国民に対して最大多数の最大幸福を保障する)<システム>の一斑なのかもしれないということです。

蓋し、例えば、(天災や革命は皇帝の不徳の致す所という)支那を始め様々な文明で観察される「神人交感観」に基づく権力運用のあり方も、物象化した社会秩序を含め人知を超えた自然との共生を不可避とする人間存在が、権力支配の正当化事由に自然の脅威からの国民の保護を織り込んだ結果なの、鴨。

而して、「天皇制」に関する私の基本的な考えについては
下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。 

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b699366d45939d40fa0ff24617efecc4

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136660418.html

 
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機能英文法から見た法の概念
世の中には「裁判員制度は憲法違反だ」とか「日本国憲法は大日本帝国憲法に違反しており無効だ」と述べている方がおられるようです。他方、安全保障法制は「立憲主義」を踏みにじるもので違憲であるとかも。本稿では具体的に憲法論を展開するものではありませんが、--それを論じるにはいささか大仰な道具立てが不可欠なものですから、立憲主義を巡る私の考えについては割愛して、ここでは、しかし、--より具体的な事例を念頭に置いて以下の説明を読んでいただくべく裁判員制度違憲論について簡潔にコメントしておきます。

尚、立憲主義および所謂「憲法無効論」に関しては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9256b19f9df210f5dee56355ad43f5c3 

・立憲主義を守る<安全弁>としての統治行為論
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d2b014fb5dcdcb6d9260f7aa8eec3c5f 

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79

・憲法無効論の破綻とその政治的な利用価値(上)~(下)
 
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11396110559.html


裁判員制度違憲論の根拠は、憲法32条「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」、同76条1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」、そして、最高裁判所と下級裁判所の構成をそれらの裁判官の要件を定めることによってのみ規定している79条及び80条だそうです。蓋し、

「裁判所の裁判を受ける権利は奪われない」→「裁判所を構成するのは裁判官」
→「裁判官でない裁判員が裁判所を構成することを憲法は想定していない」
→「実際、「裁判員」の規定など憲法のどこにも書いていないじゃないか!」、と。 

   
確かに、「徴兵制を採用する諸外国の憲法を見てもその多くは「徴兵制」や「国民の国防の義務」を規定している。よって、それらの規定を欠く(国民の自由の重大な制限である)「徴兵制」は憲法違反だ」という論法と同様、「裁判員」の規定が憲法に欠けていることを根拠とするこの裁判員制度違憲論はそれなりに傾聴に値するの、鴨。

しかし、具体的な規定がなければ、憲法の原理原則から、それも見当たらない場合は憲法の本性や概念から妥当な解釈を導き出すのが憲法学というもの。ポイントは、原理原則、憲法の本性や概念を恣意的に捏造するのではなく、「論理的-社会学的」にそれらを間主観性のある形で抽出すること。
ならば、現行憲法解釈の原理である民主主義から見て、司法に国民が参加することは(規定が存在しない以上、憲法の要請ではないとしても)現行憲法に違反するとまでは言えない。と、そう私は考えます。

・<再論>応報刑思想の逆襲(←裁判員制度についてはその(5)で些か詳しく説明しています)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/96510cf17d1e91d2471c047147362d70


ことほど左様に、憲法の規範意味は憲法条項の字面だけではなく、

①憲法に内在する原理原則
②憲法を巡る慣習
③憲法の本性および概念

から導かれる。そして、繰り返しになりますが、①~③を見出す作業は、「論理的-社会学的」で反証可能性のあるものでなければならない。なぜならば、(法の解釈を「発見」と考えるにせよ「創造」と割り切るにせよ、)そのような「論理的-社会学的」あるいは「論理的-歴史的」なものでない限り、その解釈内容に、誰も(特に、その解釈結果を好ましからざるものと感じる人にとっては)、自分が拘束される義務も義理も道理も感じることはないでしょうから。その場合には、彼や彼女を当該の解釈に従わせ得るものは「実力の裏付け」だけになってしまい、要は、その解釈には法としての妥当性も実効性も観察されず、畢竟、その解釈内容が憑依した法は、法としての効力を保持していないことになるからです。

老婆心ながら付け加えれば、(甲)憲法規範の枠組みは憲法の条規と①~③によって確定されるとしても、(乙)多くの場合、憲法規範の具体的内容、特に、憲法訴訟や国会と行政の実務を現実に規定する具体的な内容は、④国民の法意識(何が憲法規範の意味であるかに関する国民の法的確信)と⑤憲法慣習によって肉付けされる。と、そう言えると思います。
    
而して、例えば、『A Practical English Grammar』(Oxford, 1986年)によれば、
(03)Alice said to me, “I’m leaving.”
(04)
“I’m leaving,” Alice said to me. 
   
所謂「学校文法」では(03)(04)も「「私は出で行くところです」と私にアリスは告げた」の意味であり文法的には正しいとされるのでしょうが、耳目を引き付けるのが「目的-機能」である引用文が後置されることは矛盾であり、実際に、英語のネーティブスピーカーが(03)を使うことはまずなく、よって、機能英文法の観点からは(03)は間違いとされます。同様に、

(05)There is the money in the box.
(06)There is money in the box. 
   
この事例でも、There構文の主語は、聞き手/読み手にとって「新情報」でなければならず(例えば、「昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんはやまに柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」の「が」と「は」の使い分けとパラレルに)、(05)の主語に「旧情報」を示す定冠詞が付いているのは機能英文法の観点からは間違いなのです。

これら機能英文法が記述する英文法のルール、否、言語ルールを機能英文法が発見するやり方こそ、憲法解釈において憲法典の条規を超えて憲法規範の内容を間主観的に見出す営みと極めて近い。蓋し、「法とは何か」の問いに答える作業は、それが経験的なものとしても「闇の夜に鳴かぬ烏の声を聞く」 (一休)作業に近いの、鴨。と、そう私は考えています。

       

而して、蛇足ながら最後にエピソードを一つ。

東京大学の法哲学の初代の専任教授であった尾高朝雄先生は、弟子には、
必ず何か一つの実定法の専門家でもあるように指導された由。

一番有名なのは、例の「自衛隊の違憲合法論=自衛隊は憲法典の条項に違反して違憲ではあるが、全体としての憲法体系の秩序の中では、最早、合法的な存在であるという主張」を掲げて、当時の石橋社会党体制の現実化路線に寄与した小林直樹さんの憲法。

而して、お茶の水女子大の学長を長らく勤められた井上茂先生の商法、世界的にも有名な法哲学者である大阪大学(その後、学校法人成城学園理事長)の矢崎光圀先生の民法などは、(憲法に転向した小林さん以外は、<専門家>の縄張りを荒らすのも下品なので、)専門論文こそ書かれなかったものの各々その実定法解釈領域でも一流、一級品。
そして、「このひと「六法全書」一度でも見たことあるんかいな」と(関西の法哲学研究者の、おそらく)誰しも感じた、あの東京大学の法哲学の(正/主任)教授だった碧海純一さんも、実は、民法とかすこしは勉強してたらしい(←同じ尾高門下のMYとSIの両先生にKABUが直接聞きました!)。

また、英米でもドイツでも(フランスは知りませんが)、学部レベルではありますけれど、ある教授が刑法と民法、憲法と民法、刑事訴訟法と法哲学等々、複数の科目を、しかも、同学期に講義するのもそう珍しくはなかった。これこそ、複数の規定性の同時実現の好例、鴨。

而して、私がこの、尾高門下と英米独のエピソードを通してお伝えしたかったことは、蓋し、(ⅰ)法哲学と実定法の交錯というか相互乗り入れの戦略的価値ということと、(ⅱ)憲法学プロパーの思索においても、個々の事例の観察から機能英文法的の法則を抽出・収集する労を惜しんでは、「論理的-社会学的」で間主観性のある解釈に到達するのは難しいの、鴨。と、そういう感慨です。
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米・ハリス司令官「日本にもTHAADを」

フジテレビ系(FNN) 4/28(金) 12:29配信>
 
アメリカ太平洋軍のハリス司令官は、韓国に配備される
最新鋭迎撃システム「THAAD」を、日本にも配備する必要性を訴えた。

ハリス司令官は「朝鮮半島の危機は本物で、今まで見た中で最悪だ」と述べた。
 
ハリス司令官は27日、議会の公聴会で「北朝鮮のミサイルはあらゆる方角に向けられており、全ての国が真剣に受け止める必要がある」と述べたうえで、韓国に配備するミサイル迎撃システム「THAAD」について、「日本も同様のシステムを導入するべきだ」と主張した。
 
最終更新:4/28(金) 12:29
 
 
 
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<海馬之玄関参考記事>

・被爆国たる日本には核武装する権利がある、鴨
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5dbbffd0fdb9901b9599883ce21bf038
 
・<アーカイブ>第二次世界大戦の終焉☆海外の日本核武装推進論紹介
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65845980.html
 
 ・<アーカイブ>米国にとって日本の核武装は福音である☆<Frum>論説紹介
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65845982.html
 
 ・<アーカイブ>日本の改憲は賢明かつ時宜に適ったもの☆フィナンシャル・タイムズの社説紹介
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65845967.html
 
    
 
・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html
 
・国連憲章における安全保障制度の整理
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241
・「特定アジア」も言葉狩りの標的に、でも、それは無理筋だと思うけど?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/779bd6ba1ecd4138e26ef12303cdfc64 
 
・英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f169c76ce342703e5816dc9ce8b9e0f1
 
 
そう、沖縄とか、民進党の幹部議員のいる選挙区に優先的に配備して、
彼等、反日リベラル勢力と、加之、朝日新聞や岩波書店、NHKといった支那のエージェントが、
 
>アニョハセヨ
>北朝鮮の攻撃目標になるニダ
>配備地の住民を犠牲にするものアルヨ

>話し合いで、冷静に、外交で問題を解決するのが肝要アルヨ
>ならTHAADの日本国内への配備は、
 北朝鮮--および、支那さま、あるいは、ロシアをも--挑発する愚かなことニダ
>絶対反対ニダアルヨ!
>再見 アンニョンヒ カセヨ
 
とか火病するのを普通の国民有権者--あっ、ちなみに政治学研究者の三浦瑠麗さんが夙に述べておられる如く、少なくとも投票行動に関する限り潜在的にせよ「日本国民・有権者の7割~8割は保守派」ということなので、ここは単に「日本国民有権者」でもいいのかしらね(笑)--見学するのも一興、鴨。それでリベラル派の荒唐無稽さがいよいよ<あぶり出し>になると思いますから。
 
ていうか、THAADは<システム>なんだから、その機材などはどこに置いても、まあ、問題はないのですけどね。だから、でも、嫌がらせではなく、リベラル派の火病見るの面白くないですか。
と、そう私は思います。ていうことで、THAAD断固歓迎(ばい/やで/じゃん)!

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NZ、捕鯨阻止へ日本盗聴か

 =イングリッシュ首相「コメントせず」

時事通信 4/26(水) 17:40配信

 

 【シドニー時事】「反捕鯨」の急先鋒(せんぽう)ニュージーランドが日本の捕鯨活動の阻止に向け、米アンカレジで開かれた2007年の国際捕鯨委員会(IWC)総会で日本代表団に盗聴などのスパイ活動を行っていた疑いが浮上した。

  元米中央情報局(CIA)職員スノーデン容疑者が暴露した機密資料に基づき、米ニュースサイト「ジ・インターセプト」が26日までに報じた。・・・

 イングリッシュ首相はニュージーランド・ヘラルド紙に「情報活動に関してはコメントしない」と述べ、事実確認を拒否。現時点では盗聴疑惑について日本側から説明を求められていないという。

 

最終更新:4/26(水) 18:56

 

           


・鯨と日本の再生
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/6d7e3acb6eefd295f3e0ed485ef36a39

・<橋頭堡deアーカイブ>反捕鯨論の文化帝国主義的で傲慢な謬論を逐条撃破する
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65363928.html

・文化帝国主義を理解するための好材料としての<The Cove>
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f40c43a85a4ea0fdadac494e56313cdf

・書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65245020.html

・イルカ漁断固支持☆文化帝国主義者の大使は可及的速やかにアメリカに帰れ!
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/895b8c3cc8afcac0eefaf7e997e1ba8e

 


(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。



今村雅弘元復興相は即刻議員辞職せよ。

と、そう私は思います。

それが、論理的にもまちがいではない、この前の「自主避難者への支援打ちきり」の正当性を道連れにされて、原発反対カルト勢力にポイントさせない唯一の選択肢であるとも。

一般論として、2011・3・11が、例えば、首都圏や近畿圏で起こったとすればその被害額や被災者の数は「東北」で起こったのに比べて一桁以上になっていただろうことは事実でしょう。しかし、しかし、

東北(および茨城県を含む北関東)に明治以降最大規模の被害を発生させた大震災が、2011・3・11に発生した事実と現実を踏まえての「復興活動」に日本と日本人は現在全力で取り組んでいる。しかも、道半ばでさえない状況。而して、上に述べた一般論などこの現在の日本と日本人の取り組みには無関係な戯言にすぎない。

要は、首都圏か近畿圏、あるいは、名古屋エリアで起こるかもしれない震度7など、2011・3・11に遭難された(自主避難者以外の)被災者の方にとってなんの意味もないということ。それは、トポロジー的に比較不可能な事象ということ。そして、あんた(←2017年の復興担当相の置かれている)位相は2011・3・11に遭難された(自主避難者以外の)被災者の方の側だよねということ。

もちろん、2011・3・11規模の震災が首都圏で起きたら近畿圏で起きたら、あるいは、初期救援が困難な離島エリアで起きたら・・・を考えることは望ましいことに違いない。けれども、繰り返しになりますが、それは「復興活動」とは別の問題でしょう? 違いますか?

ならば、「復興担当の最高責任者」が一般論を口にすることは軽率などではなく担当者の自覚と覚悟と執念を欠く言動である。それは、被災者の方に失礼だ、とか、被災者に寄り添うものではないなどの曖昧なものではなく、担当閣僚として(論理的にも)論外の言説であろう。まして、自主避難者やそれを支援するカルト的な反原発勢力に塩を贈る「ネギかも的言説」でもある。そう、島崎遥香さんの「塩対応」などではなく、例えば、不連続な関数を微分・積分するような無意味かつ荒唐無稽な言説。

畢竟、今村雅弘は即刻議員辞職せよ。そして、永久に政界から去れ。
お前は九州の保守派の恥だ。九州人として私も切腹したいくらいだ。
と、そう私は思います。


蓋し、2011・3・11に遭難された(自主避難者以外の)被災者の皆様、そして、
全国の保守派の皆様・・・・
 

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<追記>

私はご存知の方もおられると思いますが、三年間、ある全国区の予備校で東北エリア全体のスーパーバイザーオブスーパーバイザーも務めていました。あの震災で亡くなられ被災されたFC教室の方は親しかった方だけでも三桁に届きます。

よって、「自主避難者」の方々のなかにも帰還不可能な方々もおられることは〈実名レベル〉でも知っています。しかし、「自主避難者」がカテゴリーとしては、また、機能的には、最早、反原発カルト勢力の〈道具〉でしかない現実は看過できるものではない。そう、この現実は--非科学的な風評被害を粛々と生産して避難している子供達の文字通り命を危機にさらしている、民進党や朝日新聞あるいは岩波書店といった彼等リベラル派の手口を反芻するまでもなく--「帰還不可能な自主避難者」を食い物にする「帰還不可能な自主避難者」にたかる醜悪なリベラル派の跋扈以外のなにものでもない。

他方、

そして、仮定の首都圏震災とすでに起こった東北大震災の同一平面での比較。この二重の論理的な意味での逸脱の危惧と逸脱に私は慄然とし愕然としました。

而して、佐賀の同志にも呼び掛けこやつは成敗しなければならない、鴨。安倍内閣へのダメージへの懸念とかそんなケチなことではなくです。そう、そうしなければ、東北で被災され亡くなられた方々、そして、不謹慎でも冗談でもなく本心から、民主党政権の稚拙で自己正当化最優先の震災時の初期対応によって餓死させられた、本当に夥しい浜通りのワンちゃんや牛さん豚さんにあの世で合わせる顔がないから。と、そう私は思っています。


・東日本大震災☆自衛隊大活躍-民主党政権は自衛隊の邪魔をせず引っ込んでろ!
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/1c3e9737b2dc7a416e24796ff3b18fc8

・東日本大震災現地状況☆福島は雪
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/96fecca4bebd9946d5928bfd14137782

・ガソリンを☆東日本大震災で被災したブログ友アイアンさんの記事転載
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/682ee7a7c7d428f3116f53cc844e6512

・東日本大震災と政治の不在-避難者のひとこと、「情報が入らない」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/48cfcbc75078e9b2bafaab77c971f3cb

・災害復興よりも政権維持を優先する民主党政権
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3398c2b6b60c853561dfa9bf99d0ed3e

 

       

 

・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11138964915.html

・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2

・美味しんぼの因果関係-脱原発の背理
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7ade81c1cfa3fe3ffaf90bf11b2c2a8f

そして、

・目次記事-原発関連記事一覧
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/deac6c3245cecbbd10e87ef9acff501e

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AKB48卒業を迎えた小嶋陽菜(29)に、総合プロデューサー秋元康氏が感謝の手紙を送った。全文は以下の通り。



 小嶋陽菜さん。君は手がかからないメンバーでした。僕が個性の強い初期メンバーに手を焼いているときも、君はやるべきことをきちんとやった上で、自分の時間をちゃんと作ってました。

 AKB48がまだ売れていないころ、代官山の地下にあるレコーディングスタジオで、雑談をしていたときに突然、君に言われました。「私、意外に歌、うまいんですよ」。もちろん、君らしい冗談っぽい感じで。でも、手がかからないからって、ほったらかしにされている君のちょっとすねたような抗議でした。そう、確かに君の歌は良かった。僕は忘れていました。すぐに前田敦子とダブルセンターで歌を作りました。「夕陽を見ているか?」。




 きっと今までに何度も卒業しようと思ったことでしょう。初期のメンバーが次々に卒業してからは、なおさらだったと思います。何年か前、君が「話がある」というので、麻布十番のイタリアンレストランで食事をしたことがありましたね。あのときもきっと君は真剣に卒業のタイミングを相談したかったのに、冗談で終わってしまいました。まるで結婚したい人がいるという報告を聞きたくない父親のように、君の卒業はいつもはぐらかしてきたような気がします。

 それでも君はAKB48の将来を考え、後輩たちのことを考え、無理に言い出すことはありませんでした。だから、僕も君に甘え、本当に君が30歳を超えてもAKB48にいてくれたらいいなと思っていました。

 そんな君が今日、2017年4月19日、このAKB48劇場で卒業するにあたり、ようやく、僕は君に言えそうです。「陽菜、もう少しAKBにいたら?」。いや、うそです。もう陽菜に甘えられません。フニャフニャしてて、やる気がないように見えて、手を抜いてるように見えて、でも本当は誰よりもまじめで、責任感があって、AKB48を愛し続けた君に、心の底から感謝します。ありがとう。

 卒業おめでとう。第2の人生のスタートを祝福します。

秋元康

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・・・・今のKABU&寛子さんの一押しはゆいはん!
・・・・主流派(まゆまゆさんとか、はるなさんとか、ゆきりんとか)の

 逆下剋上(←打倒、指原系)を期待します。


·AKB総選挙という<窓>から考える生態学的社会構造の実相

·AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000LC!、。鴨 

·国民的アイドル前田敦子のAKB卒業

·総選挙が証明する経済の成長戦略の思想的可能性

・日本人の究極の美意識としての<ほどほど>が一番可愛い?
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11644425055.html



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修学旅行か、懐かしいですよね。高校の修学旅行どこ行きました? 

福岡県大牟田市にあるとある県立高校出身のKABUと寛子さんは奈良・京都・長野の弾丸ツアーでした。で、母校に電話して聞いたら、最近の修学旅行は北海道スキーツアーが多いとか(笑)。

大正生まれの母の場合、その大牟田市にあった青年学校の修学旅行は廣島・奈良・京都・伊勢神宮だったとか。でもって、戦争が激しくなるその前年の先輩までは廣島のかわりに東京まで足を延ばしていたそうな。

で、「戦争に負けたことより東京に行けなかったことが悔しい」といつも言ってたっけ(笑)

ということで、調べたらシェアは落ちているとは言うものの、やはり、全国的には今でも修学旅行の行先。第一位は「京都・奈良」方面ではあるらしい。

と、あっ、京都の中坊さん、元気に--修学旅行旅館の--女将さんやってるのかな? 
なにを隠そう私達の高校の修学旅行、京都の宿は中坊さんとこだったんだよね!
と、いきなりの閑話休題でした。以下、本題。

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--京都の修学旅行なら、やっぱ! 
(平安神宮近傍/無意味に(?)食事が凄い→)聖護院 御殿荘~♪
聖護院 御殿荘
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海外修学旅行の行先から
南朝鮮・支那という(勿論、北朝鮮は論外でしょう!)
特定アジア諸国の占有率が急落しているということです。

当然ではありますが、あるべき状況になってきたということ、鴨。蓋し、あの有名な広島のとある高校の「土下座修学旅行」は--その報道された事例自体は些か誇張としても、似たような事例があまた存在することは周知の事実であり--問題外の外のこととしても、「修学旅行」の本性と目的を鑑みた場合、特定アジア3国は望ましい行先とは到底いえないでしょうから。このことについては後に些か詳しく述べますけれども、そもそも「修学旅行」というイベントは日本人と日本市民の子供達にとってどのような意味と意義をもつイベントなのでしょうか。本稿はこの点の吟味検討からその理路を始めたいと思います。

・海外修学旅行の行先ナンバー1はどこですか?
2位はオーストラリアで3位はシンガポール!




修学旅行は「学習指導要領」において「旅行・集団宿泊的行事」と位置づけられている。つまり、伝統や慣習や惰性を越えて、まして、単なる余興や暇つぶしなどではなく、<学校における教育活動>の一環として修学旅行を行うことを文部科学省は奨励しているということ。而して、私立公立を問わず、日本の小・中高校は、文部科学省が出している「学校教育法施行規則」--ちなみに「学習指導要領」はこの「学校教育法施行規則」に附して起案されたものです--にもとづいて「修学旅行による教育」を実施している。と、そういう建前になっているのです。

ちなみに、アメリカやカナダ、オーストラリアやイギリスでは--和英辞典で「修学旅行」を引けばそう出ている--「school excursion」と呼ばれる小グループ単位での旅行やグループ旅行を--軍隊への体験入隊やボランティア活動とパラレルに--カリキュラムに組み込んでいる学校も少なくはありません。また、支那でも、--実は、私と寛子ちゃんも過去に幾つか日本へのそんな「支那版修学旅行」のコーディネートを依頼された経験もあるのですが--学期末や夏休み前後などにグループ単位で学年を数個の班に分けて国内外の小旅行を実施する、そんな学校も、例えば、支那の共産党幹部や富裕層の子女の通う学校では珍しくない。

まして、各自が個人や数人の友人と出かける、所謂「卒業旅行」や入学を先送りする「ギャップイヤーの旅行」は寧ろ欧米やイスラエルが本場で、日本ではやっとこの30年くらいでそれなりの「旅行商品」になったというのが実情、カナ(←あいかわらず、西野カナさんのファンだったりします)。

而して、しかし、①当該の学校の学年単位で、②原則全員参加の、かつ、③全員が、これまた原則、同じ旅行行程でもって、④3日から10日という--「旅行」としては--比較的短期間の、⑤泊りがけの旅行という意味での「修学旅行」は、私の知る限り日本だけに見られる--少なくとも、(例えば、2015年度、日本の全高校4,939校中の実に4,636校(93.9%!)がなんらかの形で修学旅行を実施しているらしいのですから、)その国の過半数を優に超える学校が①~⑤のようなイベントを行っているのは世界中で日本だけに見られる--現象だと思います。グループ単位でも個人単位でもない、行く先は各自が自分で決める「卒業旅行」などではない「修学旅行」なるものは--諸外国の海軍士官学校のイベントとしての「修学」的の長期遠洋航海実習は珍しくないから、それを日本の固有種とまでは言わないけれど--現在ではこの惑星上では日本にのみ見られるガラパゴス的somethingではある、と。


・修学旅行コム
(平成27年度全国公私立高等学校海外修学旅行実施状況)
(平成27年度全国公私立高等学校海外研修(修学旅行外)実施状況)
http://shugakuryoko.com/chosa/kaigai/

・文部科学省--高等学校学科別生徒数・学校数(平成27年5月)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shinkou/genjyo/021201.htm

・結果発表!地方別「修学旅行の行き先」、あなたはどこだった?(平成26年-2014年)
 http://j-town.net/tokyo/research/results/193167.html?p=all


◆修学旅行とはそもそもなにもの?
それが、英文法の「5文型論」、あるいは、憲法学において当然のように語られている、例えば、「基本的人権・国民主権・平和主義という具体的内容が盛られた根本規範の理解」と同様に、世界でも日本にしか見られない特殊なものであったとしても、「修学旅行」がこの国の文化と伝統に組み込まれるもになっており、また、大方の子供達と保護者がそれをまずは好ましいもの/参加するのは仕方のないものと受け止めている現状を鑑みるに、別に、修学旅行をやめる必要も必然性も今のところないのだと思います。

しかし、修学旅行を惰性にせよ慣行にせよ続けるうえで、せっかくのその機会を子供達と保護者にとって--究極的には、文教予算を負担している納税者が形成するこの社会にとっても--より有意義なものにするためには、その行先の再検討等のメンテナンス作業は必要なのかもしれません。ならば、「修学旅行」の意義とそれに期待されるべき効果は何か。このことを反省してみることは、満更、暇つぶし的のイシューに尽きるものではない。そうではありますまいか、ありますまいか

・なぜ日本では5文型論が生き残っているのでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5b315dd60b6ef715fc92a701ae09bf76

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79


そもそも「修学旅行」というイベントは日本人と日本市民の子供達とその保護者にとってどのような意味と意義をもつイベントなのか。独断と偏見に満ちたものになるであろう「海馬之玄関版・海外修学旅行「お薦め行先」ランキング」を披露する前に、しかし、「修学旅行」の制度目的や獲得目標についてもう一歩踏み込んでおきます。そうしなければ、独断と偏見の吐露であるのみならず、そのランキングにはなんらの根拠性も含まれないだろうから。

而して、上で紹介した「学習指導要領」は、修学旅行を学校教育の一環たる「第3章特別活動-内容D学校行事-(4)旅行・集団宿泊的行事」と位置付けています。しかし、そこでの説明は「平素と異なる生活環境にあって、見聞を広め、自然や文化などに親しむとともに、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましいて体験を積むことができるような活動を行うこと」と誰も反対はしないだろうが誰にも具体的な意味内容のわからない抽象的な記述。ということで、「修学旅行とはそもそもなにもの」については自力で考えるしかない、鴨。

・学習指導要領(←旧版ですが、逆に、文部科学省の意向の原型をとどめています)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/old-cs/1322574.htm

・通達:小学校、中学校、高等学校等の遠足・修学旅行について
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19681002001/t19681002001.html

まず、「修学旅行」は「修学」のための「旅行」なのだから、当該の中学校や高校で日頃学んだ知識なりものの考え方を実際の世間と世界で確認するためのイベントと理解するのは満更筋悪の理解ではないでしょう。けれども、ならば、この意味での「修学旅行」はすべからく当該の学校生活の最終盤に置かれることこそ筋が通るというもの。けれども、大正生まれの私の母の時代から「修学旅行」は最終学年の前半とか最終学年の1年次下の学年に実施されるのが普通だともいえる。まして、平成の御代の現在、--受験準備や就職活動、あるいは、部活での学校としてのパフォーマンスを配慮してなのでしょうか--「修学旅行」を1年次に執り行う学校も多くはないけれど稀ではないとか(笑)。

畢竟、「修学旅行」を前述の如く、

①学校の学年単位
②原則全員参加
③全員が同じ旅行行程
④比較的短期間
⑤泊りがけの旅行

という5個の要件を備える--誰にとっても原則その当該の学校に在学中1回きりの--イベントと把握する場合、「修学旅行」の「制度目的」と「獲得目標」はそれらから逆算されるのではないか。と、そう私は考えます。畢竟、「修学旅行」の核心は、(甲)実物との接触を触媒とした、(乙)自分の再発見なのではないか。

すなわち、それは、端から「中学校や高校で日頃学んだ知識なりものの考え方を実際の世間と世界で確認するためのイベント」などではないのだろう--この「修学」の経緯が含まれることは望ましくはあるかもしれないが、まして、禁止されることなどは絶対にないだろうけれど、その要素がマストというほどのことではないのではないか--ということ。蓋し、「修学旅行」の目的と目標とは、

>(甲)実物との接触
>(乙)自分の再発見

更に細分化して述べれば、
それは、次の3者、多分。

(1)世界と世間を覗き戯れ知る体験
(2)自分を知る-世界内存在の自分
(3)自分が分る-類的存在たる自分

なにげに「哲学的」な記述で眠たくなりましたか(笑)。


でもね、例えば、私達の頃、1970年代は(おそらく1990年代くらいまでは)、福岡県の最南端、大牟田市やみやま市の中学生の修学旅行先は、ほぼもれなく「南九州:鹿児島・宮崎」でした。だって、地元の公立中学校の校長を務めた父は、引率と下見だけでも鹿児島と宮崎には30回以上行ったと自慢/自嘲してたものね。で、地元の母校の甘木中学校の先生方から都度聞かされた行先選定のその理由は、




>おまえたちもこれから就職したりお嫁入りや
>上の学校に行くとかで【大牟田から】
>北の福岡(=博多)やら大阪やら東京には
>どんくらいでん訪れる機会はあるじゃろ。そばってんな、
>九州に生まれ育っとっとにくさ、
>ばってん、南の熊本・鹿児島・宮崎にはのぉ、残念ながら、
>修学旅行ででん行かんなら、
>これから訪れる機会はあんまりなかかんしらんとぞ。
>それは残念なことではないですか、諸君! と。


逆も言える、戦前・戦中期の修学旅行の行先が「伊勢神宮」や「東京=皇居&靖国神社」が人気であったこと、また、戦前からの流れで、なんといっても京都・奈良は修学旅行の行先の保守本流・・・。また、海外は--いまでも、日本人のパスポート保有率は25%前後ということで、60%から70%を優に超える韓国やカナダ、欧州の国と比べると、アメリカとならんで海外志向がかなり低いとも言える日本の場合、海外の修学旅行はそれなりに意味があるとしても、やっぱ、--どうしても移動時間のがネックになってくるから・・・。定番には定番の強みがやっぱあるということ。やっぱコスパだからね・・・。また、で、・・・。


あれ。あれ。

・・・・。
・・・・。

修学旅行の行き先に関して「伝統と歴史を体感できる近畿圏 vs. 北海道や長野のスキーツアーや日本の今を実感できる首都圏」。さらには、「国内 vs. 海外」の選択に<唯一絶対の正解>はない。どちらも一長一短。はい。

でもって、海外も一興なんだけれど。海外はやはりその往復の移動時間が無駄といえば無駄--だから、機中で、日本語を話したくて自分の日本体験を話したくてたまらないアメリカ人の同年齢の子達の一団と遭遇でもしない限り無駄といえば無駄--なことは間違いない。ハワイなんぞは中途半端の極致。グアム・サイパンは最悪最低。だって、--「ああ、大東亜戦争のときにはここからB29が飛び立ったのか、こんど戦争するときは負けないぞ」って体感決意できるくらいのもので、それ以外に--そこで万人が平均的に得られる知見はなんもないもん。多分。

而して、旅行を有意義にすべく、その国の反日傾向の原泉を事前にちゃんと調べたうえでの訪問旅行となると「修学旅行」の機能の5個の本性のうち、少なくとも4点(①学校の学年単位、②原則全員参加、③全員が同じ旅行行程、④比較的短期間)からみて特定アジア三国は論外だろうし・・・。それに、だって、支那は空気も水も悪いし、南朝鮮は--個々人というのではなく彼等が「韓国人」として日本人に応対する構図では--人間が悪いし、北朝鮮はいうまでもないでしょう。でね・・・。でね・・・。

・アッキー、昭恵夫人の韓流観劇de感激に感心!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/403f3005396f90cba34f1dff3556be26

・ナッツ姫を支持する--だって、あの国のことだもの
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5842dcf365a138055c4fc9ecadcf1392



あれ。あれ。

・・・・。
・・・・。

以下、海外の修学旅行なら――アメリカの高校や在日米軍とのタイアップで、太平洋上の機内は日米の高校生のバトルロイヤル状態の国際交流の空間に変えるKABU&寛子さんの手練手管を前提にしてですけれども――(Ⅰ)アメリカ本土の中西部か南部。そして、繰り返しになりますけれども、「日本を知らずして、小娘やはなたれが海外に行く意味ありますのん?」という某京都府福知山あたりの2歳年上の元彼女の女史から必ずくるだろう批判を受け止めて(ごっくん)、

>海外に行かないなら、なら、

なら、奈良、奈良、京都や東京ではなく、やっぱ、その場合には、
(Ⅱ)「修学旅行@自衛隊」が現在の最適<解>なの、鴨。
という議論を続けていたのですが・・・・。
獲得目標の軸とコスパの軸のマトリックス図表も添えて・・・・。

愕然。

熊本震災のちょうど一年後、データーが消えたよ~!!

責任者でてこい~!
て、わたしなんだよね(涙)
タブレットとPCの連携の仕方がまだようわからん(涙)


ということで、とりあえずこの「トルソー」をアップロードしておきます。

私家版ランキングは、

1)台湾
2)ロシア
3)シンガポール
4)ベトナム
5)タイ
6)フイリッピン
7)インドネシア
8)カンボジア
9)マレーシア
10)モンゴル
次点:オーストラリア-トルコ-イスラエル(←やっぱ、移動時間がネックだよな)

そして、これまた、くどいですが、くどいですけど、繰り返しになりますけれど、
日本に<修学旅行?>に来た高校生や在日米軍の方のご家族が母国に帰る際の
その同じ便でそこに向かえるのなら、アメリカ本土。しかも、

>西海岸や東海岸のLAやらNYには、ボストンやらシアトルにはの
>これからでんどんくらいでん訪れる機会はあるじゃろ。そばってんな、
>ばってん、アメリカの本体たる中西部とか南部にはのぉ、残念ながら、
>修学旅行ででん行かんなら、これから訪れる機会はあんまなかかんしらんとぞ。


ですから、ミネソタ・ウィスコンシン・アイオワ、バージニア・南北のカロライナ・ジョージア、そして、ルイジアナ・アーカソー、テネシー・ミズーリ―・ケンタッキー・インディアナ・オハイオ・・・
が私の一押しです。はい。


でも、な、なんで、データ消えるのかな? 
北朝鮮のサイバー攻撃かな?
まあ、いいか、
あと48時間とはいわないけど48か月後にはこの世に存在しない国のことなんか。

ということで、

再見~♪





▽余談-Coffee Break

(以下、「防衛省Mag☆MAMOR:特集「英語力を装備する自衛隊」--英語好きにはお薦めだったりする(承)」から自家記事転記)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/63fc4d48dacc6b00b3924457db432d44

-修学旅行先は自衛隊がいいかも!・・・(京都の中坊さんゴメン) 
-キャリア教育は自衛隊におまかせ~♪


本当に「英語が学びたいなら自衛隊に入隊」することは全国の高校生にとって合理的な選択肢、鴨。英語教育の改革論議が「永久革命論」の様相を呈し「間欠泉」の如く延々と続く我が国の、公立学校の英語カリキュラム談義を想起するとき、これは、満更ジョークではありません。

ところが、ところで、--もちろん、「直球ど真ん中」の正当な広報活動の一つとして--実は、自衛隊では小中高の「総合的な学習」や「キャリア教育」の一環として小中高の生徒の体験入隊の受け入れにも力を入れておられる。ならば、確かに、「総合的学修@自衛隊」のみならず「英語コミュニケーションスキル開発@自衛隊」は、生徒諸君のみならず先生方にとっても、特に、英語科や(英語も担当する)先生方にとっては英語研修スキルとコーチングスキルの研修として美味しい話しではないでしょうか。どうでしょうか、都道府県教委の紳士淑女の皆さん。ならば、

ウマウマ(^◇^)/・・・ならば!

ならば、もうちょっと本格的に--なんでも中途半端はよくないですから、それに、国益毀損の<土下座修学旅行@韓国>などとは比べるまでもないでしょうし、まして、アメリカにもヨーロッパにも簡単に行ける時代なのですから、それと、残念ながら、小中生は自衛隊側でも「迷惑!」だったりするでしょうから--、日本の高校の修学旅行は自衛隊にしよう。

修学旅行の行き先は「確か、そこ行ったはずなんだよね」の記憶だけが成果物の京都や東京の非効率なものから、「自衛隊体験入隊1週間!」(←なんなら、在日米軍基地のオプショナルツアーも追加選択可?)に切り替えるべきではないでしょうか(←京都・聖護院のスタッフの方、ごめんなさい!)。礼儀作法・規則正しい生活の体得、そして、英語力と英語学習のモティベーションアップが獲得目標の修学旅行。そいでもってお土産(gifts as well as souvenirs)は、自衛隊修学旅行参加者様限定の、

б(≧◇≦)ノ ・・・<防人の女神> or <防人の守護神>写真集!
б(≧◇≦)ノ ・・・防衛大学校 or 防衛医科大学校の極秘合格Tips集!
б(≧◇≦)ノ ・・・富士総合火力演習DVD英語版&対テロリスト用英会話便利辞典!

これもつけちゃう、
もってけドロボー♪

б(≧◇≦)ノ ・・・海上自衛隊レトルトカレー6個!
б(≧◇≦)ノ ・・・ヘルシーで美味しいとなにげに人気の陸上自衛隊缶詰詰め合わせ!
б(≧◇≦)ノ ・・・航空自衛隊からは「びっくりぽん」のおたのしみグッズ!

でもって、引率の先生方には、

б(≧◇≦)ノ ・・・『苦手な上官をあなたの味方に変える五つの挨拶』と、
     『米軍秘伝:そこは反米一色だった地域、その住民とも今では仲良し』も謹呈!

これ、結構、いいアイデア、鴨。なにより、これでこそ、
その言葉の本当の意味での「修学旅行」になるのではないでしょうか、
生徒にとっても先生方にとっても。保護者にとっても地域にとっても。
そうではありますまいか、ありますまいか。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿



・防衛大学学園祭☆<2010年11月>横須賀に行きませんか!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f727889c98ffeac431c955c694d6c872





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◆浅田真央は「ルール変更」を理解できなかった愚な税金ドロボーか
バンクーバーオリンピック、男子フィギュアスケートを巡ってもフィギュアスケートの採点基準は物議を醸しました。4回転ジャンプを成功させた銀メダリスト、ロシアのプルシェンコ選手が4回転ジャンプを回避したアメリカのライサチェク選手が金メダルを手にしたことを念頭に置いて、

採点システムは変更されるべきだ。五輪王者が 4回転ジャンプの跳び方を知らないならば男子シングルではなくアイスダンスに名前を 変えなくてはならない。この採点システムのためにフィギュアの進歩は止まってしまった。

浅田(真央)のレベルは人類史上最高だよ。俺が女だったら勝てないだろうね。キム(ヨナ)は4回転を2回跳んだのか?
   

と、現行の採点基準に疑義を呈したそうです。而して、彼の問題提起に対して私は二つの感想を抱きました。

・ルール改訂の提案とルールをどれだけ重視するかの選択は別問題
・ルール変更の基底に横たわる<美>に対する価値観の対立


高難度の技を重視した結果、「サーカス」になってしまい、究極の美を追求するはずのフィギュアスケートが<銀盤雑技団大会>になってしまっていたこと。また、2002年のソルトレークオリンピックでの「八百長事件」を契機にして、フィギュアスケートの原点、<美の競演>を再構築すべく採点基準はここ8年間変更され続けてきました。すなわち、ルール変更の基底には<美>に対する価値観の鬩ぎ合いがあったということです。

而して、この経緯を踏まえれば、エレメントの完成度とエレメントとエレメントの間の移行プロセスの滑らかさを「基礎点」によって予め客観的に枠付けしておき、かつ、訓練され、毎年、研修セミナーや試合を担当する審判団の意識合わせを通じて一定の間主観性を担保された、審判員が<美>について5コンポーネンツの評価を行い、個々のエレメントにGOEを付ける現状の採点システムは次善ではあると思います。美の判定は結局審判員の価値観の表出であり、それが万人を納得させる普遍性を帯びることは土台不可能なのですから。

ポイントは、2002年から始まった判定ルールの変更には個々の変更内容を貫く<美>を巡る思想的な変更があったこと。このことを、日本選手は理解していなかった、あるいは、頭では分かっていたが体では理解できていなかったかもしれないことでしょう。ならば、そのルールを思想面でも自家薬籠中のものにできた荒川静香選手とキムヨナ選手が並み居るライバルを圧勝して戴冠したことは必然であった。そう私は考えます。

代表選手は一つでも上の順位を目指してオリンピックに参加しているはずだ

蓋し、

サーカスがよいかアイスダンスがよいかは各自の好みの問題。けれども、代表選手は、(ⅰ)現行のルールを与件として、(ⅱ)「メダル」や「金メダル」を目指している、そこまででなくとも一つでも上の順位を目指してオリンピックに参加しているはずだ。
    
それが「建前」であるにせよ、この前提は誰も否定できないと思います。而して、このような「建前」が成り立つとするならば、ルール改訂の提案とルールをどれだけ重視するかの選択は別問題であり、よって、ルールを味方にしたキムヨナ姫こそ称賛されるべきであり、それを無視して玉砕した浅田選手やプルシェンコ選手は愚か者でさえある。

そして、浅田選手にルールを最大限に利用することを指導することができなかった日本のスケート関係者達は、無為無策の馬鹿者、愚将・乃木希典、(史実は違うらしいのですが)数次に亘り騎馬軍団を馬防柵と三段構えの鉄砲隊に突撃させた武田勝頼にも匹敵する大馬鹿者。すなわち、税金ドロボー以外の何ものでもない。と、そう私は考えなくもない。

「キムヨナ=八百長女王」論は差別排外主義を孕んだ社会主義

オリンピック本番でのキムヨナ姫の羽毛のように軽やかでビロードのように滑らか、そして、鬼のように強かった演技を反芻するに、浅田真央選手とキムヨナ姫を比べた場合、代表選手としての人格、否、このオリンピックに賭ける<覚悟>の度合では大人とお子様の差があった。

そして、繰り返しになりますが、この現実を直視しないでする「陰謀論-八百長論」は、それが何がしか正しいとしても、所詮「酸っぱい葡萄」の類の、「負け犬の遠吠え」であり、それは、(伝統の恒常的な再構築、漸進の前進、反教条主義、自己の伝統の尊重と同時に他者がする伝統の尊重をも好ましいと感じる)言葉の正確な意味での「保守主義」とは相容れない差別排外主義、あるいは、権力とルールの万能感をアプリオリに措定する教条主義的な社会主義、または、その両方に他ならない。と、そう私は考えています。



 




◆浅田真央は「ルール変更」如きに右往左往しなかった本物のアスリートか
浅田ファンのブログを覗いてみると、「陰謀論-八百長論」を唱える多数派に混じって、少数ながら、(ヨナ姫との得点差には疑義を呈しながらも、勝敗に関しては完敗であることを潔く認め)ルールを最大現に利用できなかった浅田陣営のシャビーな指導力に怒りを爆発させておられる向きもある。けれども、私は、19歳とはいえオリンピック代表選手たる者、その責任は周りではなく本人が負うべきだと考えます。

まして、ジュニア時代の両者の成績を鑑みるに、資質的にはヨナ姫よりも浅田選手が上かもしれないことを考えれば、バンクーバーオリンピック本番での両者の歴然としたパフォーマンスの差は、ヨナ姫と浅田選手のこの試合にかけてきた<覚悟>の差に収斂するでしょう。而して、それは自己に課された期待に応える使命感をどれだけ真摯に受け止めていたかの差でもある。ならば、やはり、

浅田真央は「ルール変更」を理解できなかった愚者

に尽きるのでしょうか。私は、一応、そう断ぜざるを得ないと思います。少なくともその側面は誰も否定できない、と。しかし、逆に、自己のスタイルに殉じたとはいえ、自己ベストの205.50点で見事に銀メダルを獲得したこの19歳を誰が非難できるでしょうか。これは感情論ではない。浅田選手は自己責任の原則を貫いた。すなわち、「愚な税金ドロボー」との批判を甘受しつつ、同時に銀メダルという成果を出したのですから。

自己責任の原則の貫徹と自己のスタイルの貫徹

而して、この自己責任の原則の貫徹、自己のスタイルの貫徹という切り口から、浅田真央選手のもう一つの側面が演繹されるかもしれない。ブログ友の桜乃宮アリス姫の記事を読んでそう私は思いました。

・女子フィギュア/浅田真央が魅せた日本
 http://blogs.yahoo.co.jp/kira_alicetear/24099280.html


アリス姫の記事の要旨は以下の通り、


特定の者が有利になり得るルールに粛々と従い、効率良く効果的にメダルを狙う。それがダメだとは言っていません。ただ、国際的なベクトルがそちらに向かう中で、そのルールとの整合性を模索しながら、それでも3Aへのこだわりを、例え不利になるとわかっていながらも捨てず、「世界初」なるものの殆どが粗雑なものになりがちであるフィギュアにおいて、文句なしの完璧さまで仕上げたこと。これは、何ものにも変えられない、「誰も手にする事が出来ない」価値のあるものだと、日本人なら理解出来るでしょう。

野球ではイチロー選手、サッカーでは中田選手など、既存のルールの中にあって整合性を模索しつつ究道精神に基づき「自己」を体現してきた共通項があるのですね。・・・「世界を相手に喧嘩を売る」というのは日本にとってはそういうことではないかと考えています。(中略)

オリンピックは「国と国の勝負」です。・・・しかし「メダル獲得競争」も結構ですが、日本人の美意識は「何としてでも(ルールを変えてでも)メダルを獲る」というオリンピックの不文律を肯定することには抵抗があるんですよね。

寧ろ「それはそれ」と認めた上で、「究道」における目的達成を称えることが日本社会のあるべくしてある姿だと考えています。「他者との勝負」ではなく「自己との勝負」の結果がメダルであるならとても素晴らしいことですね。今日の浅田真央選手の銀メダル獲得は、このことを再認識する上でとても有意義なのです。(以上、引用終了)    






ネットの辺境でキムヨナ称賛を発信している私の主張とこのアリス姫の主張は、南極と北極の対極にありながら、実は、時空の歪みの中で背中合わせのものではないか。そのことを、浅田選手に引き付けて敷衍します。

蓋し、

オリンピックは戦争だから、「参加することに意義がある」などということは断じてない。金メダルが、そうでなければメダルが、そして、それが無理な場合はせめて一つでも上の順位が代表選手の目標とされるべきこと、これは動かないと思います。

けれども、自分が世界のTop水準のアスリートになる、そして、その水準をキープするモティベーションの源泉として、自分のスタイルの美意識を貫くことはありうることでしょう。ならば、自分にとって肝心要のその自分のスタイルを目先の勝利の確率を上げるために放棄することは、勝利どころかアスリートとしての自己の存在理由を否定するものに他ならない、と。正に、大賢は大愚に似たり、です。    

土台、自分のスタイルを追求できないのならばアスリートとして努力精進する意味はない。そして、アリス姫の理路にここで合流すれば、我々観衆も、そのような自分のスタイルの美意識を貫いた日本代表選手が勝利を目指す姿に感化され感動するのであって、スタイルと勝利の優先順位は「スタイル→勝利」であってそれ以外ではない。而して、この経緯は(私の乏しい海外経験からは)日本だけでなく英米でもドイツでも共感をもって受け入れられるものと思います。

勝利のための戦略に自己のアスリートとしての美意識は優先する

アリス姫の記事でイチロー選手や中田英寿選手の名前を目にしたとき、私は(もちろん、誰しも連想する野茂英雄選手とともに)もう一人の名前が浮かんだ。それは将棋の藤井猛九段。かの有名な「藤井システム」(要は、居玉で戦端を開く急戦振り飛車の定跡)を考案した振り飛車のエキスパート。

藤井九段は、全国の天才少年が犇くプロ棋士の登竜門たる奨励会でなかなか勝てなかった頃を回想してこう語っておられる。勝率が悪いからといって、もし「振り飛車を止めて居飛車を指してみろ」と周りに言われたら、多分、将棋を止めていたと思う、と。蓋し、どこまでもアスリート、アーティストにとっての優先順位は「スタイル→勝利」であり、当時の藤井九段にとって振り飛車戦法は自分の存在理由だったということです(ちなみに、藤井九段は昨秋「振り飛車党脱退宣言」とも取れる発言をしていますが、これは本稿とは位相を異にする問題でしょう)。畢竟、

浅田真央は「ルール変更」如きに右往左往しなかった本物のアスリート

と言えるのではないでしょうか。ならば、バンクーバーでの浅田選手の玉砕は称えられるべきであっても、全否定されるものではない。而して、4年後、2010年に引き続きフィギュアスケートの神様は新女王の演技に憑依するに違いない。そして、その新女王とは、自己のスタイルを貫く中でルールとの上手な付き合い方を身につけた、そして、必勝の<覚悟>を秘めた本物のアスリート。浅田真央その人であること。私はこのことを毫も疑いません。



<以下、資料編に続く>


浅田真央は「ルール」を理解できなかった愚者か-採点基準考(上)~(下)








 ・ソチオリンピック☆私は当然、キムヨナ姫を応援する
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/93f56ef107bf381d1202a1d543bbd9fd


 ・アッキー、昭恵夫人の韓流観劇de感激に感心!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/403f3005396f90cba34f1dff3556be26




   


 


 

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2010年02月28日 16時23分58秒 | 日々感じたこととか



あれから48時間。すでに<歴史的事実>になってしまいましたが、バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケート、私が応援していたキムヨナ姫が世界歴代最高(「銀河系歴代最高」とも言う)の228.56点で優勝を飾りました。正に、ヨナ姫は「羽毛のように軽やかでビロードのように滑らか、そして、鬼のように強かった」。而して、本稿は、キムヨナ姫の歴史的な(both historical and historic)演技の余韻を反芻する中で、「ルールとパフォーマンス」を巡る日本の社会の一種歪な認識を俎上に載せるものです。

尚、私自身、フィギュアスケートの全くの素人。よって、この記事での思索が、憲法無効論の如き、あるいは、無防備都市宣言推進論の如き、「素人の思い込み」に基づく妄想に陥ることをできるだけ避けるべく、フィギュアスケートの評価システムの来し方行く末について専門家が論じたコラム「Figure skating scoring is not what it used to be」(Washington Post, February 26, 2010)を資料として本編記事と併せて紹介することにしました。


多くの浅田真央ファンの読者に少なくない違和感や抵抗感を与えつつ、私はなぜに<執拗なキムヨナ選手支持>を繰り返してきたか。それには複数の理由があります。

要は、

(1)個人的にキムヨナ姫が好き
チェジウ姫ファンの私ですからヨナ姫の容姿はもちろんのこと、彼女のカトリックの信仰、学歴重視の私の琴線に触れる名門高麗大学の学生であるという事実、そしてなにより、言動の端々に感じられる「母国への燃えるような愛国心」とその裏面としての「韓国人ファンの粗雑さや外国人選手に対する失礼な振る舞いに対する嫌悪の感覚」が一個の19歳にごく自然に融合している好ましさにグッときたこと。

(2)バンクーバーオリンピックに賭けるヨナ姫の覚悟
神の御加護の下、悪魔に魂を売ってでも「何が何でも金メダルを取る」という迸る覚悟。その目的設定から逆算した合理的戦略選択、および、その戦略を鉄の意志で貫徹する精神力が19歳ながら尊敬に値すること。

実際、ヨナ姫はこの3月の世界選手権を最後にプロ転向が既定路線ですから(浅田選手とのオリンピック対決は今回が最初で最後になります)、そういう意味でも、何が何でも今回のオリンピックで金メダルを取るという<覚悟>の面で浅田選手はヨナ姫に完全に劣っていた。高難度のジャンプ勝負を避け各エレメンツ(とエレメンツとエレメンツ間の移行)の完成度を上げることに特化したヨナ姫の一貫した鉄の意思は凄いと思いました。

野球に喩えれば、ヨナ姫のフリー演技は、抜群の制球と配給、そして、ここぞという場面では勇気をもってど真ん中に投げ込む「超スローボール」の連投で達成されたノーヒットノーランとさえ言えるでしょう。それに対して、フリー演技での浅田選手は、160キロ近い剛速球と切れ味鋭いフォークを武器に三振の山を築きながらも、下位打線に2本のツーランホームランを許し、結局、7回三分の2で降板したごく普通の勝利投手だったの、鴨。

(3)キムヨナ的スケートの私的な好ましさ
元々、私が、飛んだり跳ねたりの「サーカス」ではなく流れるようなスケーティングを美しいと感じる観客であること。実際、贔屓目からでしょうが、ヨナ姫のフリーの4分間は「上等なビロードが凛としてかつ豊潤な時空を流れるような美しさ」を感じた。もう、絶句。個人的にはもっと点数が出てもいいんじゃないかいと思ったくらいです。それに対して、浅田選手の演技は、ギクシャク以外の何ものでもなく、彼女の売り物であるジャンプは演技の流れをぶつ切りにしていたという印象さえ受けました。


という(1)~(3)のキムヨナ選手にまつわる3個の理由。そして、結果的にも、「キムヨナ姫 Vs 浅田真央選手」という、バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケートの頂上対決が端無くも露呈させたと思われる、同じく3個のこの日本の社会に対する危惧が私のキムヨナ姫応援の理由です。

すなわち、ヨナ姫が戴冠することで下記の(4)~(6)の問題性が誰の目にも明らかになるのではないか。ならば、「ヨナ戴冠-浅田玉砕」は日本のフィギュアスケートファンにとっては苦い経験だとしても、トータルでは日本のためには吉祥でさえある、と。

(4)日本のスポーツ界の政治力の欠如
自国選手とコーチを守れなかった日本スケート連盟の政治力のなさは軽蔑に値します。蓋し、「敵=キムヨナ」側が、演技構成点(5コンポーネンツ)と技術点におけるGOE(Grade of Execution)で大量得点する戦略であることは数年前から明らかだったのに、①浅田選手の戦術方針を「トリプルアクセル命の大艦巨砲主義」から変えさせるか、②演技構成点とGOEの評価基準の明晰化や透明化、個々の審判員のする判定の可視化と記録化、そして、より浅田選手に有利な(百歩譲っても「浅田-キムヨナ」双方にとってニュートラルな)評価ガイドライン改訂を国際スケート連盟(ISU)に行なわせる努力を怠ったこと。

(5)国規模での日本のスポーツ支援体制のお粗末さ
オリンピックは<戦争>であるという当然の認識の欠如。而して、(4)の②ともリンクしますが、日本国政府としてのISUへの圧力の不在、なにより、選手発掘・育成・訓練に向けた日本社会の資源配分のお粗末さへの危惧。

(6)日本社会に蔓延する国際機関やルールに対するナイーブさ
国際連合(UN)にせよ国際スケート連盟(ISU)にせよ、「平和」なるものや「スポーツ」なるものに関係する国際機関への性善説的な<幻想>や超国家的な権威を認める<妄想>、他方、それら国際機関が定めたルールの<神聖視>や<普遍視>、更には、審判員の下すジャッジに対する<公平性>や<無謬性>の素朴な期待が蔓延するこの日本社会への警鐘。

    
これら6個の理由に基づき、私は何憚ることなくキムヨナ姫をめいっぱい応援した。そして、ヨナ姫も「現役の世界チャンピオンは金メダルを取れない」というジンクスを破って圧勝してくれた。正に、大願成就。尚、私のヨナ姫応援については下記の過去記事を参照いただければ嬉しいです。




・いよいよ本番☆私はキムヨナ選手を応援する<再掲>
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/96f3164f231fa302690e8d289349b866


・空想的社会主義の惰眠を貪る左右の日本人に喝☆頑張れキムヨナ姫!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/12e378fdcd423a5cfb4c38771341b0f1


・海外報道紹介☆キムヨナ姫、オリンピック優勝!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4ba2bd17cdfd7009a56a7670d87ad229


 


そして、


・キムヨナを<物象化>する日韓の右翼による社会主義的言説



 


・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65226757.html


 


 




◆浅田真央は国際的謀略に嵌められた悲劇のヒロインか
浅田選手贔屓のブロガーの中では、キムヨナ姫の金メダルは、ISUを巻き込んだ韓国の組織的な謀略の結果であり(金銭授受という意味では必ずしもなく、キムヨナ側に有利な採点基準の設定や、キムヨナ姫の演技に予め高得点を付ける申し合わせができていたという意味での)「八百長」に近い金メダルだという言説が少なくないようです。しかし、私はこのような、「陰謀史観」の如き言説は「負け犬の遠吠え」「酸っぱい葡萄」「引かれ者の小唄」の類のものであり、而して、現実を直視することなくこのような責任転嫁的の言説を弄する輩は、差別排外主義を喧伝する国辱ものの論者に他ならないと考えます。

蓋し、

・演技構成点の各コンポーネトのスコア基準が曖昧で抽象的

・GOEの(減点基準はいくらか明確としても)加点基準が曖昧で抽象的

・キムヨナ選手のスコア(就中、GOE)は男子に比べても異常に高い

・ISUの評価ガイドラインの改訂自体が、最初からキムヨナ選手を勝たせるストーリーに基づく「八百長」だ。例えば、昨年のGOE加点ガイドラインでは、ジャンプは「高さまたは飛距離が素晴らしい」から今年は「高さと飛距離がよい」に変わったが、これは、(強いて言えば長めのアプローチから)垂直飛びに近い軌跡を描く浅田選手のジャンプの加点を抑えるための変更だった、

・ここ2年の国際大会のスコアの流れを俯瞰すれば、浅田選手が難度の高いジャンプをプログラム入れた直後、キムヨナ選手のGOE加点と演技構成点はインフレしてきた。この両数値の相関関係は偶然の一致とは到底思えず、採点ガイドラインで先回りして浅田選手が勝たないようにしているとしか思えない、等々。

    
このような「キムヨナ:浅田真央=八百長女王:悲劇のヒロイン」説に対して、私は上で述べた同じ6個の理由からかなり批判的なのです。

蓋し、確かに「八百長」はあったのかもしれない。私もそのことを否定はしません。けれども、その「八百長」はルールの範囲内のものである。また、オリンピックやサッカーワールドカップは<戦争>であり、ルールに反しない限り何でもありの世界である。ならば、「敵=キムヨナ」陣営がルールを最大限に利用して自己の優位を築いたことは称賛されるべきことではあっても断じて非難されるものではない。蓋し、採点競技は「八百長もルールの中」であり、プロレスの世界王座決定線と一緒で八百長でも勝った方がチャンピオンなのですから。

・オリンピックは<戦争>だ
・自陣営が有利になるべくルール改訂を働きかけるのは当然だ
・八百長もルールの構成要素だ
・ルールを最大限に利用した勝者への批判は負け犬の遠吠えにすぎない


畢竟、オリンピック代表とそのスタッフ位の水準になれば、ルール改訂交渉の段階から戦いが始まっていること、そして、勝ちたければルールを最大限に利用すべきこと。そんなことは百も承知でオリンピックのリンクに臨んでいるはずでしょう。ならば、日本選手の数倍のプレッシャーの中で(審判員が一層「八百長」がしやすい)完璧な演技を演じたヨナ姫を褒めるべきであって、「キムヨナ=八百長女王」論などは失礼千万である、と私は思うのです。実際、プロ転向が既定路線の彼女はこれが最初で最後のオリンピック、また、スポンサーの意向と収入面もそうだけれど、韓国を愛するが韓国ファンを必ずしも好きではない彼女が金メダルを取れなかった場合、彼女は国に帰れなかったかもしれないのだから。

いずれにせよ、このバンクーバーオリンピック女子フィギュアスケートのイベントを通して、国際大会やルールの公平性や普遍性を素朴に信じているとしか思えない多くの日本人の感覚が私にはむしろ問題だと感じました。それは、所謂「国連至上主義」や、「ソ連=平等の王国」「アメリカ=自由の王国」「欧州=人権の王国」等々とアプリオリに捉える感性、あるいは、憲法を普遍視する憲法無効論の妄想や憲法9条教の戯言と表裏一体のものなの、鴨。と、そう私は考えています。


<続く>


 

プロフィール

KABU

Author:KABU
大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の批判を果敢に推進するための
yahoo版のミラーブログ。
2007年9月10日以降の新記事を随時、厳選した過去の自薦稿を漸次アップロードしていきます♪

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