戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)




韓国の大統領が所謂「従軍慰安婦」問題を蒸し返した由。而して、そのことを契機にして、謂わば「間欠泉」の如く「戦争責任/戦後責任」論がまた囂しくなってきたようです。まあ、本当は「飛んで火にいる夏の虫」なんだろうけど、こっちが民主党政権では、良くて「盗人に追い銭」、悪くすれば「青菜に塩→ネギ鴨」になる危惧も濃厚、鴨。

ことほど左様に、韓国の大統領選挙前の毎度お馴染みの「従軍慰安婦・間欠泉」の噴出。ただ、同じ「間欠泉」でも、アメリカはイエローストーンの有名な間欠泉や別府柴石温泉の龍巻地獄とは違い、歴史的にも論理的にも「砂上の楼閣」や「蜃気楼」にすぎない所謂「従軍慰安婦」なる観念表象を基盤にした「戦争責任/戦後責任」論は根拠皆無という点で空虚であり、よって、件の韓国の大統領の言動には滑稽を通り越してものの哀れさえ感じてしまいます。而して、それは「従軍慰安婦・間欠泉」に便乗する戦後民主主義を信奉する左翼・リベラル派の言説についても感じること。

正に、それ祇園精舎の鐘の声、鴨。
平曲に謡われている如く、戦後民主主義の詐術・狂言も、
最早、風前の灯火なの、鴨。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。

驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き人も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。



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蓋し、東京裁判史観にインカーネートした「コミンテルン史観-講座派史観」。実は、東京裁判における事実認定とも無縁とさえ言えるそれら単なるマルクス主義の教条(要は、縁なき衆生には全く理解できない/その神通力の及ばない、左翼・リベラル派の仲間内でのみ通用する歴史認識)を前提にしてなされてきた、日本の「戦争責任/戦後責任」なるものをあたかも普遍的で自明なものの如く言いつのる戦後民主主義の傲岸不遜と姑息滑稽もやはり「賞味期限」の壁の前には崩壊するしかないの、鴨。

一昨日の2011年12月17日に北朝鮮の金正日総書記が亡くなられたそうですが、戦後民主主義や東京裁判史観については、蓋し、「老兵と盛りを過ぎた漫才師、および、モーニング娘と浅田真央は死なず、ただ消え行くのみ」なのでしょうか。社会思想史の博物館に。ならば、これまた娑羅双樹の花の色、鴨。



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万物は流転する。左翼・リベラル派の牙城、朝日新聞もNHKも、現在では間接的にせよそれを認めているように(「ドイツに比べて日本は戦争責任に向き合う真摯さが決定的に足りない!」などの無知に塗れた虚偽を垂れ流す記事や番組がほぼ消滅したように)、日本は、(冷戦終了後も長らくその責任を「ナチス」という不逞の輩に押しつけ、要は、国家と国民の戦争責任には頬被りしたままで、かつ、<戦争>に起因する被害の「賠償」と「謝罪」も独りユダヤ人に特化して行ってきたドイツとは異なり)国際法の歴史上、他に例を見ないほど誠実かつ完全に国家としての「戦争責任/戦後責任」を果たしました(←このセンテンスの述語動詞の「時制」は過去完了形ですよぉー!)。

では、戦争指導者の戦争責任は如何。
畢竟、昭和天皇の戦争責任は如何。

3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ

Article 3.  The Emperor is sacred and inviolable. 


旧憲法の第3条を紐解くまでもなく、(ちなみに、本条は「天皇を神格化」する規定ではなく、例えば、英国の(それは現実には国家の賠償責任を回避するロジックでもあった)「King can't do wrong:国王は間違いを犯すことはない=国王を罰すること/国王に対してコモンロー上の権利の侵害を理由に損害賠償を求めること, 国王に対してエクイティー上の権利を根拠にして差止請求をすることはできない」という憲法原理とパラレルな、天皇という国家機関の「無問責性」を定めた規定ですよぉー。)昭和天皇には国内法的な意味での戦争責任は存在しません。

加之、国際法において、交戦国指導者の戦争責任を問うルールは、正に、東京裁判とニュルンベルク裁判を通して構築主義的に(要は、結果論的かつ泥縄式的に)形成されたものです。而して、昭和天皇はその東京裁判の被告人ですらなかったのですから、更には、土台、法理的には事後法による責任の認定などできるはずもないのですから、国際法的にも昭和天皇には戦争責任は存在しないのです。


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では、道義的と政治的の責任は如何。

そもそも、昭和天皇に限らず、政治指導者、すなわち、政治家の戦争責任とはどういうものでしょうか。蓋し、復習になりますが、政治家は国政に関して法的には結果責任を負うことはあり得ません。

而して、結果責任を問われるのは政治的と道義的の責任でしょうが、もともと「確実に国民を幸福にする/間違っても敗戦に伴なう塗炭の苦しみを国民に味あわせない」などを履行する義務も責務も政治指導者は負っていないのです。なぜならば、歴史の激動が人智を超えるものである以上、不可能事を誰も約束もできないし、不可能の不履行を責められる筋合いは誰にもないから。

まして、国際法的にはきわめて根拠の怪しい東京裁判の訴因、他方、所謂「従軍慰安婦」なるものや戦争体験なるものを根拠に当時の政治指導者や日本国民の責任を追及しようとする、内外の左翼・リベラル派の心性は、国は国民を幸せにする責務があり、また、国家はそれを行う能力を持っているという、国への甘えと権力の万能感の幻想に発するものではないでしょうか。閑話休題。


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問題は道義的と政治的の責任の有無と是非。一体、日本は自身の手で戦時指導者を裁いてこなかったのでしょうか。否です。日本国民には彼等を裁くチャンスはいくらでもあった。しかし、実際には、国会は全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を行いました。まして況んや、昭和天皇の戦争責任においておや。そう日本人は裁いたのです。

ならば、これこそ日本国民が戦時指導者に下した明確な<裁き>だったのではないでしょうか。それとも、戦時指導者や戦前の日本への裁きとはそれらを批判・糾弾、而して、謝罪と賠償を引き出すものに限定されるとでもいうのか。 そんな限定の根拠はどこにもありません。

ならば、戦時指導者を批判的に裁くべしという主張は、<私怨>もしくは特殊な政治的イデオロギーの帰結にすぎない。と、そう私は考えます。

而して、もし、「道義的責任/政治的責任」が、昭和天皇や他の戦争指導者の個人の内面に存するなんらかの悔悟だけではなく、善悪を巡る社会的な評価とその評価に基づく非難・批判を必須の構成要素とすると考えることが満更間違いではないとするならば、この観点からも(少なくとも日本においては)昭和天皇には道義的や政治的な意味でも戦争責任は存在しないのです。

そして、法的にも政治的にも道義的にも日本においては存在しない、戦争指導者の、就中、昭和天皇の戦争責任を、(加之、確立した国際法の要求を超えて)他国からとやかく言われる筋合いはない。敷衍すれば、他国がとやかく言うのは勝手だけれども、他国のその「クレーム」と「くれーむ」を日本が受け入れなければならない義理も道理もない。と、そう断言できると思います。

尚、本稿で展開する私の理路の前提に関しては下記拙稿も併せてご一読いただければ嬉しいです。

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html

・書評☆高橋哲哉『歴史/修正主義』
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60178372.html

・小倉紀蔵『歴史認識を乗り越える』の秀逸と失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/20460048.html


本稿は、これらの基本的な認識から、所謂「従軍慰安婦」なるものの存在を認め、よって、それらに対する日本の「戦争責任/戦後責任」なるものをも認めて、「日本は、所謂「従軍慰安婦」なるものを含む戦争被害者に対して謝罪と賠償を行うべきだ」とのたまう、傲岸不遜・姑息滑稽なる左翼・リベラル派の主張を俎上に載せるものです。

而して、本稿の切り口は戦後補償の請求権。その「狂言廻し」の役回りは、少し古いですが、高木健一『今なぜ戦後補償か』(講談社現代新書、2001年11月20日)に務めていただくことにしました。


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◆狂言廻しのプロフィール

本稿の狂言廻し、『今なぜ戦後補償か』は人権派弁護士としても有名な高木健一弁護士の著書です。エピローグには<9.11>を切っ掛けに始まったアフガン戦争(2001年10月7-8日開戦)に言及されているなど、20世紀最終盤から新世紀に至る数年間の歴史的緊張感が漂う書籍。それは、戦後補償問題への高木さんご自身の長年の取り組みを21世紀初年の国際関係を背景に総括されたもの。

日本の「戦争責任/戦後責任」、就中、所謂「従軍慰安婦」を巡る私の基本的な考えについては、更に、下記拙稿(↓)をご参照いただきたいのですけれども、私は、「戦争被害は補償されなければならない」と主張する高木弁護士の動機の真面目さを疑う者ではありません。要は、戦争被害と戦後被害の案件をネタに政府や企業や地方自治体にたかる輩、戦争被害者をダシにして自己の売名に走る他の有象無象の<戦後補償屋>と高木さんは(多分?)違うの、鴨。

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60931202.html


高木健一氏は<戦後補償屋>ではないの、鴨。しかし、いずれにせよ、本書『今なぜ戦後補償か』は法律用語を散りばめた単なる政治的なプロパガンダにすぎない。それは、自己の願望と法理を混同したもの。専門家の権威をもって世の善意の素人に虚偽を吹き込む罪作りな作品。と、私はそう考えます。而して、以下、2つの切り口から本書を分析します。すなわち、

(1)戦争被害者個人の賠償請求権
(2)サンフランシスコ平和条約で放棄された日本に対する賠償請求権の範囲


白黒はっきり言えば、国際法の専門家にとって、本書で展開されている議論は噴飯ものの言説です。しかし、一般の読者が、国際法の法的特質や法源に関して一々調べるようなことはないだろうし、戦後補償に関する内外の判決を読むこともまずないでしょう。而して、国際法の専門家の世界では誰にも相手にされない<理論>が、いつのまにか日本社会で<常識>として定着する可能性も満更杞憂とは言えない、鴨。これが、浅学非力をも顧みず、私が本稿を作成した所以です。



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<続く>
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