戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(下)




◆国際法における個人の戦後補償請求権の内容

ここで再度、オランダ人戦後補償請求権事件控訴審判決から引用しておきましょう。国際法における個人の存在についての通説が簡潔明瞭に述べられていると考えるから。すなわち、「個人は、国際法においてその権利、義務について具体的な規定が置かれたときに、例外的に国際法上の法主体性が認められるにとどまるのである」、と。

そして、判決をもう一つ。第2次世界大戦中に捕虜の監視に携わり、BC級戦犯として処刑・拘禁された旧日本軍軍属の韓国人やその遺族が、日本政府を相手に憲法に基づく国家補償などを求めた訴訟(旧日本軍軍属韓国人・韓国人遺族の国家補償請求事件)で、最高裁第一小法廷は、「戦争による犠牲や損害に対する補償は憲法の予想しないところで、補償の要否、補償のあり方は立法府の裁量的判断にゆだねられている」(最高裁平成13年11月22日判決)と述べ、元軍属らの上告を棄却しました。

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蓋し、これらは、最高独立の主権国家を中心とする国際関係と整合的な国際法を前提とする現行の日本国憲法に関する妥当な解釈であろうと思います。而して、重要なことは、このような国際法理解や憲法解釈は日本だけで通用するローカルなものではないことです。

旧日本軍軍属韓国人・韓国人遺族の国家補償請求事件最高裁判決は日本法特有の帰結ではない。否、寧ろ、高木さんの議論の方が、戦後民主主義が支配した戦後日本に特有なローカルで異様なものと言うべきでしょう。

実際、日本の裁判所でゼロ回答を喰らった戦争被害者の中には米国で訴訟を提訴した方も少なくない。特に、カリフォルニア州の裁判所は一時、日本企業や日本政府を訴える彼等の提訴の嵐状態でした。なぜならば、「世界中の誰もが、戦争被害に関してナチス・ドイツおよびその同盟国だった国(日本はもちろんここに入る。)をカリフォルニア州内の裁判所に提訴できる」という州法が1997年に発効し、また、1999年にはこの法律の損害賠償請求の時効を2010年まで延長する州法が成立しましたから。

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で、その結果は?
はい、正義は曲解に優り道理は妄想に勝つのです。

すなわち、(α1)サンフランシスコ平和条約によって被害国は日本への賠償請求権を放棄しているか、または、(α2)別途2国間条約によって取り決められた賠償金を日本政府は全額完済している(もし、韓国が「日韓基本条約」を破棄するというのならば、この唯一の例外が北朝鮮になります)。

よって、(β)個々の戦争被害者には更なる賠償請求権自体が存在しない。而して、(γ)戦争被害者が日本から戦争に絡んで受けた被害についてその補償を受けたいのであれば、(それを可能にする被害者の属する国の国内法の存在を前提に)自国政府に請求するしか道は残っていないのですよぉー、と。 


アメリカでも大方の裁判所はそう判断を下したのです。例えば、2001年9月19日、米国のサンフランシスコ連邦地裁は、フィリッピンの戦争被害者達が第二次大戦中の強制労働に対する賠償を日本政府および日本企業に求めていた裁判で、この理路にさえ踏み込むことなくその訴えを棄却しました。「このような損害賠償案件を米国の裁判所で争うことは、米国連邦政府の外交権限を侵すことになり、戦時中のナチス・ドイツとその同盟国による強制労働等の戦争被害者は世界のどこの国の国民でもカリフォルニア州の裁判所に提訴できるとしたカリフォルニア州法は無効である」、と。

畢竟、「個人の補償請求権を認め、個人が加害国に直接損害賠償を請求できることを認めることが確立しつつある国際法の潮流である」などという高木さんの主張は、国際法的にも国内法的にも<虚偽>というほかないのです。

尚、老婆心ながら書き足しておけば、上記のサンフランシスコ連邦地裁の判決は、その訴えがフィリッピン人であるか韓国人であるか、要は、外国人であれ、戦後アメリカに帰化した韓国系アメリカ人であるかによってその帰結が変わることはないのですよ。為念。



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◆小括・雑感-「化石」としての戦後民主主義-

いずれにせよ、戦後民主主義が紡ぎ出した「戦争責任/戦後責任」論が国際法的な根拠を欠くものであること、並びに、国際的に見ても極めて我田引水の妄想であることは明らかでしょう。ならば、実際、所謂「従軍慰安婦」なるものが「砂上の楼閣」どころか「蜃気楼」や「空中楼閣」でしかないことが明らかになって久しい現在、彼等は本来どう行動すべきなのか。

而して、例えば、組織の危機管理に少しでも携わった経験のある方なら、

(a)事実がはっきりするまでは「遺憾の意」を表しても「謝罪」はしない
(b)「クレーム:要求」と「くれーむ:苦情」、並びに、「問い合わせ」の窓口の1本化と、
  窓口担当の権限と責任の組織内部での明確化
(c)疑惑が事実であることが明らかになった段階では、率直かつ大胆な「謝罪」と、
  まだ世間には知られていない、自分に不利な事実の早め早めの公表
(d)事態を巡る現状を「自分の言葉で平明・明確に言語化」し、都度それをアップデートすること、
  そして、その<物語>の組織内外への広報の徹底


等々、これが組織の危機管理のイロハのイであることは皮膚感覚でお分かりだと思います。

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アメリカのMBAで危機管理の古典的ケースとして有名な「ジョンソン・アンド・ジョンソンケース」(1982年に自社の鎮痛剤に青酸化合物を混入されたという疑惑が浮上した時に、約1億ドルをかけて商品を回収し、積極的に「買わないで下さい」と全米に広報した結果、こうして信用を守ったことへの神様のご褒美として同社のPL/BSは事件後瞬く間に回復した事例)を持ち出すまでもなく、(a)~(d)はビジネスの常識。

それだからでもありましょうか、

理想的とはとても言えないけれど、(また、そこに至るまでは紆余曲折はあったにせよ、)だから、ロシアもカチンの森事件を謝罪し、他方、ポーランドとチェコとスロバキアは第二次世界大戦の終戦に際してのドイツ人・ドイツ系市民に対する暴行陵辱を認め謝罪した。

あるいは、ソ連崩壊に伴い明らかになった、「やはり、マッカーシーはソ連のスパイ活動を防ぎ、アメリカの安全に貢献した」というマッカーシー再評価に対して、アメリカの大方のリベラル派も(そう、日本において、「東条英機元首相再評価」につながり得る、ある映画に対して浴びせかけられた如き下品で独善的、かつ、)教条主義的な異議は唱えませんでした・・・。   


而して、「真面目な」とか「誠実な」とかではなくとも、少なくとも、彼等が「目端の利く組織人」「普通の健全なずるさを備えたビジネスマン」なら、所謂「従軍慰安婦」問題に群がった左翼・リベラル派は、率先して/積極的に、今までの自己の言説を訂正すべきなのです。

繰り返しますが、これは綺麗事ではない。綺麗事ではなく、それが組織や運動にとって得なのだから。でも、でもね、朝日新聞や高木健一氏を含め彼等にはそういう合理的対応を採用する気配さえ私には感じられないのです。蓋し、真面目な話、彼等こそ旧日本軍の(中の悪い伝統の)正統な継承者なの、鴨。

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畢竟、戦後民主主義を信奉する論者こそ戦前の日本の悪しき側面の継承者ではないか。要は、彼等の時間感覚は(ベルグソンが喝破した如く、砂時計に端的なように「人間は時間を空間化して把握する」と言えるのであれば、よって、彼等の時空の感覚は)、文字通り、終戦直後の数年間で止まっているの、鴨。

而して、例えば、第二次世界大戦が終結してから今日まで、世界に現存する197ヵ国(今年、<2011年3月11日午後2時46分>の年の7月14日に新しく加盟した南スーダンを加え国連加盟193ヵ国+台湾+バチカン+コソボ共和国+クック諸島)の中でこの間に戦争・内乱を体験していない国は8ヵ国(+バチカン)にすぎず;アイスランド・ブータン・デンマーク・フィンランド・日本・ノルウェー・スウェーデン・スイスのこれら8ヵ国の人口は、(国連の推計による、2011年10月31日時点における)世界人口70億人の「2.3%:1億6千万人」足らずであること。このことを鑑みれば、このことは思い半ばに過ぎるの感を私は覚えます。

実際、毎年毎年、(8月15日前後のみならず、例えば、NHKの朝の連続TV小説にしてからが、そのほとんどすべての脚本が「戦争」の期間を挟んでストーリーが展開されている如く)ほとんどすべてのマスメディアを動員して「悲惨な戦争体験/非道なる戦前の日本の社会と国家」のイメージを垂れ流し続けている、要は、「近代日本と日本が取り組んだ戦争は極めて特異なもの」というイメージを垂れ流し続けている日本の社会は過去といわず現在といわず<国際政治の現実>を直視していないと言える、鴨。而して、もし、この理解が満更私の思い込みではないとするならば、この一点だけ取ってもこの社会における<戦争>理解の現状は不健康と言える。

畢竟、蓋し、下記拙稿(↓)でも述べたように、「戦争体験」の授業など若い世代にとっては<退屈>以外の何ものでもないことは当然ではないでしょうか。

・退屈な戦争体験
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/37993984.html


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加之、「戦争責任/戦後責任」を通常の法理や実定道徳の理路をオーバールールできる「切り札」でもあるかの如く(その教義が「信仰」を同じくする仲間内を超えて一般的に了解されないはずはないと)錯覚してなのでしょうか、実際にそう喧伝し続けている戦後民主主義を信奉する、日本の左翼・リベラル派からの「戦争責任/戦後責任」論は世界的に見てもかなり特異で(而して、同時に、国際関係を不安定化する機能を帯びているという点で、それは)病的な存在である。これらのことだけは確かでしょう。と、そう私は考えます。

ならば、所謂「従軍慰安婦」問題の解決の鍵は、
日本の戦後民主主義の解体であるとも。

すなわち、所謂「従軍慰安婦」なるものだったと称する人々の解放は、
戦後民主主義からの日本の解放にかかっている。而して、
今般の「従軍慰安婦・間欠泉」は日本を治療する絶好の機会なの、鴨。

そう私は確信しています。


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木花咲耶姫


尚、非常時の典型としての、あるいは、あるタイプの(すなわち、国家の主権と国民の生存が「ゲームの掛け金」になった局面における)国際紛争に関しては、現在の所、人類が利用可能な最も合理的な紛争解決スキームとしての<戦争>を巡る、世界と日本との「認識の齟齬」については下記拙稿をご参照いただけるようなら嬉しいです。

蓋し、「民主主義」について語ったチャーチルの顰みに倣えば、「戦争とは最悪の国際紛争解決手段である。但し、ある種のタイプの国際紛争に関しては、これまで人類が手にした他の解決手段を別にすれば」、と。そう私は考えています。


・「核なき世界」なるものを巡る日本と世界の同床異夢
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59797305.html

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59856822.html

・非常事態条項の不在は憲法の不備か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60437971.html


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