第二の中世の“今”考える「中世とは何か」-平清盛が先鞭をつけ足利尊氏が確立した日本(下)




◆中世武士の社会意識

確か小学生の頃、平清盛に叛旗を翻した源頼朝の家来の多くは板東平氏だった、あるいは、建武のクーデターに際して足利の軍勢の大部分は三河(愛知県)で調達され、尊氏公が鎌倉幕府打倒の旗幟を内外に鮮明にされた京都亀岡の地は足利家の領地または勢力圏だったと聞いて違和感を抱いたことを覚えています。

えっ、足利って栃木県だよね、と。群馬県と栃木県を間違えるのは、中学お受験定番の失敗パターンだけど、幾ら何でも、栃木県と愛知県、愛知県と京都府は小学生でも間違えないでしょう、と。

これらの事績には、しかし、何の不思議もありません。すなわち、以下、(Ⅰ)(Ⅱ)を各々中世(1150年~1450年)を中心帯とするその前後と捉えていただければ(蓋し、便宜的に、かつ、ある程度の余裕を見て、要は、大した根拠はないのですが、(Ⅰ)「1100年-1350年」、(Ⅱ)「1350年-1600年」と捉えていただければ)、

(Ⅰa)荘園制の横行した総ての時代を通して、更には、(Ⅱa)寺社権門体制が崩壊するまでの織豊期まで、土地と軍事力を含む労働力を巡る日本の支配構造は、(Ⅰb)本所と荘司・地頭(都の上級貴族と在地または転勤族の下級貴族・現地の豪族等の有力者)による重層的支配構造だった、(Ⅱb)土地的には武家と武家以外の権門のモザイク的な支配が、そして、人的には職能・階層毎のその職能・階層単位のヒエラルヒー支配(例えば、「ギルド」類似の支配)が社会の基調的の色彩だったのでしょうから。


敷衍すれば、ある地域内のすべての土地とすべての階層・職能の人々を、少なくとも公法関係としては、単一の権力が支配するという一元的な「一円領国制」の成立は、日本全体という意味では織豊期を待たねばならなかったのですから。と、ここまでは今時、流派を問わずどの日本史の教科書にも書いてあることでしょう。

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ならば、(武家内部と武家以外の他の職能階層の人々に対する)中世の武家の支配構造は、ある意味、現在の企業とパラレルなの、鴨。菱を始めとする任侠系や神農系の組織を含む<企業>が様々な活動を全国で/全国を相手に行っているのに近かったの、鴨。

蓋し、その支配は、あるエリア内部に住むすべての人間を政治的・経済的・軍事的にまるごと完全に取り仕切るものなどでは到底なくて、何らかの商品やサービスの対価としてのみ貨幣や労働力を受取る権限と権利を社会的に認められているもの。加之、その組織内部に適用されるルールと組織以外の人々に適用されるルールは本来的に無関係。中世の武士の心性と武家支配の構造はそんな乗りに近かったのではないでしょうか。

而して、現在においても以下の如き命題、すなわち、

「グリコは関西では強いが、関東ではやっぱ森永か」
「愛知県でトヨタ以外の車を見るのは稀」


は有意味としても、次の命題は、その対比に含まれる各項が
業界を跨いでいるがゆえにあまり意味はないでしょう。

「長野県では、サントリーとマツダが熾烈なシェア争いをしている」


つまり、現在では、生保や車のディーラー、コンビニや学習塾のフランチャイズ(FC)が一つの都市に各々オフィス/店舗/教室を構えて同業他社と熾烈な競争を繰広げているにせよ、業種業態が違う企業やそれらのスタッフ間の関係は、単に、その同じ地方都市に職と住があるというだけにすぎないでしょう。

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蓋し、源氏と平氏、崇徳上皇と後白河天皇、東大寺と東寺、山門と寺門(延暦寺と園城寺)、または、北朝に連なる持明院統と南朝に連なる大覚寺統は相互に競い合ったとしても、経済活動の業態と社会的な機能・位相が異なれば個々の集団は互いに競争相手でさえなくなる。而して、この契機は、福岡ソフトバンクホークスとなでしこジャパンが取りあえずは競争相手ではないこととパラレルではないでしょうか。

繰り返します。武家と武家、本所と本所の争いは熾烈でも、その社会的階層と社会的機能の種差や位相を跨いだ争いは原理的には成立しない。これが、古代末から中世の半ば(1100年-1350年)までの日本社会の実相だったと私は思うのです。

でも、若き平清盛は比叡山は山法師の強訴の神輿に弓矢を射かけたと伝えられ、また、1181年、清盛の命を受けた平重衡は東大寺・興福寺を焼討にしたのではなかったか。

簡単です。それらの紛争局面では比叡山も東大寺も興福寺も、平氏と同様、全国区の巨大な領主勢力であり、かつ、平氏や源氏と同様、強大な武装勢力でもあったから。寧ろ、織田信長(1534-1582)が比叡山と本願寺を軍門に降すまで、中世の寺社権門は、文字通り、広域暴力団でもあったから。

而して、この経緯は、例えば、限られた市場規模のスポーツエンターテーメントマーケットにおいては(要は、有限な潜在的顧客の、これまた有限な顧客の財布とスケジュールを巡っては)福岡ソフトバンクホークスとなでしこジャパンは競争相手でもある現実とパラレルであろうと思います。

尚、蛇足ながら確認。それが広域暴力団、しかも、部分的にせよ徴税権と武家以外の地域メンバーをも動員する権限を公的に付与された広域暴力団であったことは寺社権門だけでなく武家権門にこそ言えるのですよ、為念。


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畢竟、この「異種格闘技戦」ならぬ「異業種の同種化」は、平清盛(1118-1181)の200年の後、足利尊氏(1305-1358)の時代に頂点を迎え/競争と共生の構図・枠組みが確定した感があります。

それは、漸次、(α)中世的な(正確に言えば、古代末期的な)土地の重層的かつ多元的な支配関係が一元支配に移行して行き、これまた、漸次、(β)公家・寺社という旧勢力の権門は、パラドキシカルながら、新々勢力である非農業民である流通業者・手工業者の保護と権益発掘の部面に移行撤退して行った経緯。

更に、(γ)この(β)の部面では、地域地域を実効支配する武家権門が設ける「関所」とそこで課す「関銭=関税」を巡って、新々勢力の保護者であり元締めでもあった公家・寺社の旧権門勢力と新勢力たる武家権門の間に新たな対立が発生したこと。

そして、(δ)「武家 vs 旧勢力と新々勢力の連合軍」の対立構図は、山城国一揆(1485)と、近世の開拓者とも言うべき信長による比叡山焼き討ち(1571)を各々頂点と終点として、あるエリア内において非農業民をも含むすべての職能民に対する一元支配体制の確立と同値である、前述の一円領国制が日本全体で成立する織豊期までは続いたことに起因する。


これら(α)~(δ)の認識はそう間違いではないと信じますけれども、蓋し、これらの経緯は中世の社会が、就中、武士の心性とエートスが「どこから来てどこに向かった」のかを一瞥した上の考察と、少なくとも矛盾はしないのではないでしょうか。閑話休題。


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◆結語

万物は流転する。ただし、世の森羅万象の中には変わりやすいものとそうでないものがあるのでしょう。蓋し、畢竟、中世は、古代のそれなりに安定していた社会的階層・社会集団の機能の垣根が消失しつつも(「武家」と「本所=公家権門+寺社権門」の争い、上述の如き「異種格闘技=異業種の同種化」が極普通の事柄になりつつも)、意識としては武士を含むその社会のメンバーがまだ古代的の秩序やイデオロギー、すなわち、(「国家社会主義的」とも言うべき、唯一の国営企業にすべてのその社会のメンバーが属する、あたかも、毛沢東全盛時代の支那の如き)国営会社に勤務しているという、古き良き甘美な意識から脱却していなかった時代。そんな時空間ではなかったかと思います。

而して、意識/イデオロギーの領域においてだけにせよ、
平清盛はその国営会社のみが存在していたこの社会を、
個々の民間企業が切磋琢磨する社会に移行させる先鞭をつけたの、鴨。
加之、足利尊氏はそのような新しい社会内部のダイナミクスに対して、
新しく公的な社会関係のプラットフォーム/枠組みを与えたの、鴨。


蓋し、よく言えば安定していた、悪く言えば閉塞感漂う古代の黄昏を突き破り、平清盛が先鞭をつけ足利尊氏が確立した中世社会は、(日本内外のロジスティクスの発展と、農業以外の産業セクターの確立を動因とした)12世紀~15世紀に生起したこの社会の生態学的社会構造の変容に対する日本人の<解答>であり、よく言えば活気溢れる、悪く言えば不安定な社会を現出するものだったけれども、少なくとも、平清盛と足利尊氏の貢献によって、現在に至る日本の民族性の原型と原基が形成されたことは間違いないのではなかろうか。と、そう私は考えます。

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敷衍します。実際、1467年の応仁の乱の時点でもおそらく、そして、建武のクーデターがあった1333年の時点では間違いなく、日本の武士層の自己認識は全国に支店を持つ民間企業に勤務するサラリーマン的の、あるいは、全国区のコンビニFCのオーナー的の意識だったと私は思うのです。

而して、その後、織田信長によって葬られたこの自己認識は、しかし、古代的の武士の自己認識と比べた場合、破天荒に斬新なものだったのではないか。いずれにせよ、このような中世の武士の心性と武家のエートスは、一円領国制が日本の津々浦々に波及浸透する16世紀後半までこの列島を覆っていた社会関係の基調だったの、鴨。

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再々になりますが、その中世の新しい社会関係は、しかし、本能寺が焼け落ちた1582年までには再度変貌していた。建武クーデター(1333)からその間250年、そして、応仁の乱(1467年)からは110年余り、あるいは、平清盛が覇権掌握を確実にした平治の乱(1159年)からは約420年。

中世(1150年~1450年)の3世紀を含むこの時期に何がこの列島とその社会で起こったか。
就中、武士の意識に何が生じたのか。それを知りたいと切に思います。

謎だらけの中世。ロマンと魅惑と懐かしさの中世。豊穣で凛とした中世。

私にとって中世とはそんな時空間です。而して、けれども、この関心は単なる好奇心に起因するものではない、多分。蓋し、もし、「現代は第二の中世とも言うべき時代」という私の認識がそれほど支離滅裂なものではないとするならばですけれども、その現代に生きる我々にとって、あるいは、中世への関心はかなり実践的で実利的な知見をもたらすもの、鴨。そう私は考えています。


尚、本稿の基盤である私の歴史認識に関しては取りあえず
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。



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・政治と社会を考えるための用語集(Ⅳ) 歴史
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/1325177.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html


・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60914831.html

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60904872.html

・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444711.html


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中世であればなおのこと

皇統の男系継承の厳守は必要でしょう。
大学教授の肩書を利用し商売をする。
賭博開帳の既得権益を最高裁が支持する。法務大臣が宗教上の理由で職務の一部を執行しなかったと辞任の際高言する。フェミニズムにしても人権にしても、私権が他の私権とともに公権を破るもの。
まさに中世。
皇統の男系厳守は、私を排する公を体現するもの。
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Author:KABU
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