『平清盛』における「王家」という用語の使用に対する批判への疑問




2012年度のNHK大河ドラマは『平清盛』『平清盛』で大河ドラマは51作目らしいですが、その内、戦国期・江戸期・明治維新前後の幕末を舞台にしたものが40作以上あるのに対して、KABUの好きな中世を舞台にしたものは『義経』(第44作・2005)以来7年ぶり、トータルでも『新・平家物語』(第10作・1972年)、『草燃える』(第17作・1979)、『太平記』(第29作・ 1991)に続き5作目。「中世」を緩やかに捉えて、奥州藤原氏の確立過程に舞台を据えた『炎立つ』(第32作・1993年~1994年)、および、平将門の颯爽とした人生を描いた『風と雲と虹と』(第14作・1976)を含めても『平清盛』は7作目の中世もの。だから、今年の『平清盛』は結構楽しみにしています。わくわく。

ところで、『平清盛』は放映前から何かと批判を受けたらしい。批判は多岐に亘るようですが、登場人物間の関係の説明に、当時の皇室を表す標記として「王家」という用語が使われていたのが不敬とか不遜とか不適切とかの指摘もあった由。而して、その「王家」批判の根拠とは、

(Ⅰ)「王」は天皇/皇帝よりも格下の呼称
(Ⅱ)「王」「女王」は、親王/内親王よりも時の皇統から疎遠な皇族の呼称
(Ⅲ)平安時代末の古代末期からの中世期(例えば、1150年~1450年)に「王家」という
   用語が一般的に使用されたことはない
(Ⅳ)「王」「王家」という用語が中世期に使用された僅かばかりの例を見るに、それらは、
   「覇道」と「王道」(武力での支配に対する徳と血筋の正統性による支配の差異)を
   論じるコンテクストで使用されており、「王」「王家」を天皇とその一族を外延として
   内包する「概念-用語」として用いられたことはないとさえ言える 


ということらしい。もちろん、例えば、『太平記』には、
天皇制の脱構築を希望した高師直の言葉として、

「都にという人あり、数多の所領をふさげ、内裏・院の御所という所あって、馬より下りるむつかしさよ。もしなくてかのうまじき道理あらば、木を以て作るか、金を以て鋳かして、生きたる院・国王をば、何方へも流して捨て奉らばや」 


とある通り、(Ⅳ)の主張には、些か、「王家」批判論者の願望が混入している節もなきにしも非ず、鴨。けれども、実際、現在の韓国では、日本の天皇を貶めるコンテクストで「日王=日本国王」という用語が常套されることに端的な如く、概略、(Ⅰ)~(Ⅳ)は正しい認識だと思います。


更に、あるブログ友のご教示によれば、

反日左翼の歴史学者は『神皇正統記』に「王家」の表記がある事や「尊王攘夷」、「王政復古」で「王」の字が使われている事を鬼の首をとったように主張してますが、まともな読解力がある人間なら王道覇道という意味で使っている儒教用語だと理解できるはず。なにより、平安末期の資料では「王家」記述はない。王家が見当たるのは『神皇正統記』くらい。それも熟語として。すなわち、

▲保元物語 平治物語 陸奥話記 将門記 平家物語 源平盛衰記
・王家の記載なし
・皇室、皇居、皇化、朝家、君朝、天皇などの表記あり

▲神皇正統記
・天皇表記、100件より多くて数えきれない
・皇家、皇宮、皇居、皇軍、皇都、皇位、皇化、皇祖、皇統、他多数の皇の記載あり
・王家の記述、2件 「王家の権」という使用例のみ。
要は、それらが「王家之権」という熟語であることが分かる。おそらく出典の根拠が漢籍にある。そして、 『神皇正統記』が漢文であるからそのような体裁をとるのは当然でしょう。 


ということ。而して、それらもまた正しい認識だと思います。他方、「王家」という概念が歴史学においては、「中世=権門体制」(皇室を含む公家・寺社・武家という社会的勢力の鼎立する、律令制崩壊後の重層的な土地と被治者の支配体制)という切り口から、中世史の再構築を行われた、大阪大学の黒田俊雄さんが『日本中世の国家と宗教』(1975)で切り開いた地平と親しい「概念=用語」であることも、戦後の日本史学史に関心のある向きには常識と言ってもよいことでしょう。尚。「中世」に関する私の基本的な理解に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・第二の中世の“今”考える「中世とは何か」
 -平清盛が先鞭をつけ足利尊氏が確立した日本(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60973401.html


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では、『平清盛』が、その登場人物間の関係の説明に、当時の皇室を表す標記として「王家」という用語を使用しているのは間違いであり不適切なのか。結論を先取りして言えば、私は、それは、間違いではないが不適切ではある。しかし、少なくとも、「「王家」という用語は使うべきではない」とは、(そう叫んで、国粋馬鹿右翼の仲間内でする<宴会>で盛り上がるのはもちろん自由だけれども)誰も誰に対しても要求することなどできない主張だろう。と、そう私は考えます。

要は、この「王家批判」に私は批判的ということ。蓋し、畢竟、この問題は、

(α)たかだか歴史エンターテーメントの登場者の関係を
(β)現在の2012年の(歴史にもそう詳しい方ばかりではない)
   一般の視聴者に説明する際の用語として
(γ)どんな言葉を選択・使用するのが適当かという問題


にすぎないでしょう。ならば、極論すれば、それが『平清盛』の映像理解の助けになるのなら、「王家」どころか「ロイヤルファミリー」でもかまわない。その際、当時は(所謂「家制度」としての<家>の揺籃期であり、まして、)現在の「家=家庭:ファミリー」に繋がる概念自体が存在せず、なにより、天皇とその一族メンバーを包摂する「集合名詞」として「天皇家」や「皇家」という概念などその痕跡すら見られない、という主張は無意味なのです。問題は、徹頭徹尾、現在の2012年の日本の一般の視聴者にとっての用語の選択・使用の適切性なのですから。

ならば、その言葉の選択と使用に関しては、①「分かりやすさ」と②「ある用語にタグ付けられたシニフィアンとシニフィエの関係がいかに映像表現と親和的か」という二つの、しばしば、トレードオフの関係に陥る①②のバランスの優れたものが良い用語選択であり、劣ったものが悪い用語選択である。と、それだけのことではないでしょうか。

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この「王家」問題を歴史学的に反芻すれば、

(甲)平安末期から室町期の日記や文学等の文献資料に、(「親王/内親王」よりも傍流の天皇一族のメンバーを意味する「王/女王」という語義ではなく)天皇自体を「王」と呼称した例があることは間違いない

(乙)土地制度・税制としての律令制の崩壊期でもある平清盛の時代に、(よって、公的と私的の重層的存在である)「権門」として天皇およびその一族が存在したことは否定できないこと。よって、その「権門」でもある天皇一族を示す集合名詞としては、公的な制度とその正当性・正統性を示唆する「皇室」「皇族」は不適切、または、帯び襷である(尚、その語源の如く「朝廷」は天皇の公的統治体制であり論外!)

(丙)社会史の側面からは、天皇とその一族内部での(今上天皇や複数の上皇の中で)謂わば「天皇一族の氏長者≒天皇家の家長」を意味する唯一つのポジション、すなわち、「治天の君=院政の主宰者」の座を巡る争いでもあった保元・平治の両乱において、その院の座を巡り社会的・政治的にその内部で相互に争う天皇一族を表す用語としては(「権門体制」論と親和性の高い)「王家」という用語を選択・使用するのは寧ろ適切


と言う他ないのです。ただし、逆に、「王家」という用語が「天皇とその一族」を指し示す用語として、2012年の現在、一般の日本の視聴者に分かりやすいかと聞かれれば、そうでもなかろうとも。

敷衍すれば、院政とは「天皇家」が社会的・経済的には「氏族化」したことの裏面であり、当時、「今上【天皇】はあたかも東宮【皇太子】の如し」と言われたのに対して、「院政の主宰者:治天の君」は「天皇一族の氏長者権者=天皇家の家長」であり、天皇一族の私的財産の処分収益とそれら財産の権利者・相続人を決定する権限を掌握していた。而して、保元・平治の乱は、その家長権を巡る争いを軸に動いたとも解釈できるわけですから、(国家権力の正当性に連なる公的な側面に加えて私的な側面をも帯びる)天皇とその一族を表す集合名詞として「王家」という呼称は、もし、天皇とその一族内部のそのような重層的な葛藤をも『平清盛』が描写するとすれば、その目的のためには、寧ろ、「王家」という言葉は正確とさえ言えるのです。

けれども、歴史学的には「王家」という用語の使用が間違いではないとしても、(例えば、「諱:imina」の常用に炸裂するように歴史バグのオンパレードの、そんな程度の)この歴史エンターテーメントにおいて、加之、「公的と私的の重層性において捉えられた天皇とその一族」という経緯を表す用語として、現在の視聴者により分かりやすい「皇室」「天皇家」「ロイヤルファミリー」等々が存在している以上、NHKが『平清盛』において「王家」を用いたことは適切だったとも言えないの、鴨。


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いずれにせよ、私が直接知る限り、左右を問わず日本の歴史研究者の中で(要は、(a)新カント派と現代解釈学と分析哲学の地平を踏まえ、かつ、フランスのアナール派とドイツ社会史学の洗礼を受けて以降の現在の歴史学方法論を自家薬籠中のものにできている程度の、同時に、(b)原資料の解読・解釈や遺跡遺物の発掘・分類・統計分析・重回帰分析に少なくとも<本業>として10年以上携わった経験のある論者の中で)、この歴史エンターテーメントに関して、

「王家」という言葉を使うべきではないという人は存在しない
「王家」という言葉の使用は適切ではないという人も希ではない


というのが実際の所ではないかと思います。よって、私自身は、
歴史学を踏まえない「王家批判」にも、NHKにも批判的なのです。


蓋し、大河ドラマが、タイムマシーンで見てきた実際の過去を描くが如き「再現ドキュメンタリー」などではなく、単なる「歴史エンターテーメント」である以上、他方、「王家」を除く、他の考証は(歴史学的に、就中、「権門体制」論からさえ)ボロボロなのに、一点豪華主義よろしく「王家」だけ歴史学的に正確を期すことはいかがなものか。そんな摘み食い的の正確さの追求は、過ぎたるは及ばざるが如しであり、誤解の元、一重に有害無益でしょう。畢竟、割れ鍋には綴じ蓋でなければね。そう私は考えます。

他方、繰り返しますが、そんな意図的とも疑われるNHKの「反皇室的」な姿勢を批判する上で、「王家」は誤謬だという批判は、寧ろ、(「王家」の使用は歴史学的に正当化可能がゆえに)NHKに反論の糸口を与えるものであり、そのような批判は歴史学的に筋違いなだけでなく政治的にも左翼・リベラル派を悦ばせる<敵失>になりかねないと私は危惧しています。

尚、本稿の前提とする「天皇制」、および、ある言葉をどういう意味で用いるべきかということ自体に関しては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。而して、単に「歴史エンターテーメント」の登場人物の説明の良否を離れて、保守主義からの私の天皇制論は別途記事にまとめる予定です。予定は未定ですけれども。

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60980805.html

・覚書★女系天皇制は<保守主義>と矛盾するものではない
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60896992.html

・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60902921.html


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推古天皇


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