保守主義-保守主義の憲法観


天照大神


どの言葉をどのような意味で用いるかはかなりの程度、各論者の自由に属することでしょう。もっとも、ある論者が、自分の認識や主張を他者に理解してもらいたいと少しでも願うのならば、彼や彼女は、その使う用語に関しては、

()事前に定義するか、()世間一般に使用されている語義、就中、専門用語についてはその当該の専門家コミュニティーで伝統的に認められた語義で問題の用語を用いる、あるいは、()その用語が指し示す(その用語が世の森羅万象から切り取る)事物や事態や事柄に対する経験を踏まえた分析から導き出され抽出される性質や傾向性や特徴をその当該の用語の語義として用いるべきでしょうけれども。

而して、これら()~()の三者のどれか、若しくは、三者の内のどれか二者、または、理想的には三者すべてを踏まえた7通りの中のどれか一つのスタイルを取りつつ当該の用語を使うことは(∵3C1+3C2+3C3=7)、繰り返しになりますけれども、あるコミュニケーションに参加するに際して、自分の意見を(自分の思考を客観視する場合には、「他者」たる自分をも含む)他者に理解してもらおうとするすべての論者にとって死活的に重要なことではなかろうか。と、そう私は考えます。

蓋し、戦前のヘーゲル哲学やマルクス主義、若しくは、戦後の実存主義や所謂「ポスト構造主義」の論者の少なからずが「わざと常人には理解不可能/理解困難な用語と理路」を常套したこと、そして、これまたある種の「読者」はそのような摩訶不思議・神妙奇天烈な用語使いに対して、「難解がゆえに益々ありがたや」的の態度で応じた事態は、最早、滑稽譚でしかないでしょう。何より、その滑稽譚に一定程度の神通力を付与していた、作者と読者の間の情報落差、とりわけ、語学力格差と海外情報の希少性は(冗談抜きに、格安航空券とインターネットの普及、ならびに、英語以外の欧州言語の影響力の衰微、および、TOEICの普及によって)、最早、消滅しつつあるのでしょうから。

畢竟、本稿は、ある「用語」を使用する場合の上記の心構えや常識を踏まえた上で、弊海馬之玄関ブログで用いる「保守主義」の語義を「保守主義から理解される憲法」の語義を槓桿として(かつ、可能な限り()と()にも目配りした上で、()事前に)定義しようとするものです。閑話休題。


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神功皇后


私が言う「保守主義」とは、(例えば、社会思想の学説史博物館の陳列物にすぎない「バーク保守主義」なるものなどではない、)現在の現役の社会思想としての<保守主義>であり、それは次の4項目をその内容の核心として含むものです

而して、その<保守主義>とは、英米流の分析哲学の地平に立つ、並びに、新カント派の認識論と功利主義の哲学、および、現象学と現代解釈学の思考枠組みと親和性の高い「社会と社会内存在としての人間、それら双方のあるべきあり方」を巡るあるタイプの世界観の体系のことです。

①左右の教条主義、就中、設計主義に対する不信と嫌悪
②慣習と伝統、歴史と文化の尊重と、それらの構築主義的で恒常的な再構築の希求
③国家に頼ることを潔しとせず、他方、国家の私的領域への容喙を忌避する、
 自己責任の原則の称揚と同胞意識の勧奨を支持する態度 
④差別排外主義の忌避
(①~③に共感・承認される外国籍市民の尊敬、および、
 その歴史と文化、伝統・慣習の尊重)


換言すれば、②の内容は、(α)文化帝国主義の手垢のついた、かつ、根拠薄弱な「基本的人権」や「立憲主義」、「国民主権」や「民主主義」、「個人の尊厳:個人の自己決定権」や「人間の生命」なるものの価値を絶対視することなく、(β)現存在たる<自己>のアイデンティティーを根底で支える<歴史>が憑依している<言語>によって編み上げられた、そのような<伝統>としての<政治的神話>を肯定する、(γ)有限なる人間存在という自覚に貫かれた「大人の中庸を得た態度」というもの。

畢竟、個別日本においては、「天壌無窮、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国」というこの社会を統合している<政治的神話>を好ましいものとして称揚し翼賛する心性と態度。而して、時代の変遷の中で(例えば、「女系天皇制」を導入してでも)伝統と慣習の枠組みを維持し、かつ、恒常的に伝統と慣習、文化と歴史を再構築しようという態度であると言えましょう。

更に、敷衍しておけば、②と③の矛盾と緊張を巡っては、「国民の法的確信」を基盤とする<憲法体系>の調整に委ねようとする志向性こそ<保守主義>の態度であり、よって、白黒はっきり言えば、「伝統」や「慣習」、「文化」や「歴史」の中には、<憲法体系>によって、つまり、<保守主義>によって守護されるべきものとその保障の対象から外されるものの種差が生じるということ。

而して、けれども、その両グループに属する各々の価値と規範の間の境界線はアプリオリに定まるものではない。アプリオリに定まるものではなく、(例えば、現下の女系天皇制を巡る問題状況の如く)時代とともに変遷する「国民の法意識=国民の法的確信」に従い、「遂行論的-」あるいは「構築主義的-」に、厳密に言えば、現象学の言う「間主観性」の地平で、憲法論の地平で自ずと定まるもの(★)。と、そう言えると思います。

尚、<保守主義>の、就中、個別日本における保守主義の具体的イメージに関しては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444711.html

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html

・覚書★女系天皇制は<保守主義>と矛盾するものではない
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60896992.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444639.html

 
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持統天皇


★註:憲法の意味
機能論的に観察された場合、ある国内法体系の内部においては、あらゆる下位の法規にその法的効力を付与し、他方、下位法規の内容に指針を与え制約するという、最高の授権規範であり、かつ、最高の制限規範である「憲法」は、それが存在する規範形式に着目する場合、

(A)形式的意味の憲法:『日本国憲法』とか "The Constitution of the United States of America" のように「憲法」という文字列が法律の標題に含まれている憲法典。および、(B)実質的意味の憲法:「憲法」という文字列がその名称に含まれているかどうかは問わず、国家権力の所在ならびに正統性と正当性の根拠、権力行使のルール、すなわち、国家機関の責務と権限の範囲、ならびに、国民の権利と義務(あるいは臣民の分限)を定めるルールの両者によって構成されています。

すなわち、「憲法」とは、(1)法典としての「憲法典」や他の成文法規に限定されるものではなく、(2)憲法の概念、(3)憲法の事物の本性、そして、(4)憲法慣習によって構成されている。

而して、(1)~(4)ともに「歴史的-論理的」な認識の編み物であり、その具体的内容は最終的には、今生きてある現存在としての国民の法意識(「何が法であるか」「何が法の内容であるか」を巡る国民の法的確信の所在)が動態的と構築主義的に(換言すれば、「結果論的に/泥縄的に」)確定するしかないものです。よって、それらは単にある諸個人がその願望を吐露したものではなく、社会学的観察と現象学的理解により記述可能な経験的で間主観的な規範体系なのです。もし、そうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して、実効性と妥当性、すなわち、法的効力を帯びることなどあるはずもないでしょうから。



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推古天皇


本稿の中心軸、「保守主義から理解される憲法」の語義に関して、上記註とは別の視点から、すなわち、ある憲法体系内部の諸規範の分類の観点から検算しておきます。畢竟、上記註の(1)~(4)によって、世の森羅万象から切り取られる<憲法>に関しては、つまり、あるある実定憲法の規範体系の内部については、

(a)ある実定憲法の規範には憲法典やその他の成文法規に書かれているものと書かれていないものが存在し、(b)後者の書かれていない憲法規範には、更に、(b1)慣行や有権解釈の積み重ねによって具体化するタイプの規範と、(b2)憲法の概念および憲法の事物の本性から表象されるタイプの規範が存在する。


と、そのように理解できるのではないでしょうか。ならば、例えば(その憲法典や憲法体系が編み上げている実定法の秩序が「司法審査制」を、すなわち、立法・行政といった政治セクターから相対的に独立した<司法機関>による「違憲立法審査の制度」を確立・導入しているか否に関わらず)、ある憲法の人権規範の内容は諸法令やその有権解釈を通じて具現されるしかなく、よって、日本の旧憲法では、言論の自由・結社の自由や信書の秘密等々、多くの人権規定に「法律ノ範囲内ニ於テ」「法律ニ依ルニ非スシテ」という「法律の留保」がついているとしても、旧憲法のその人権の保障の度合いが現行憲法と質的に異なるとは言えない

また、たとえ憲法典で軍備の全廃や戦争の放棄を謳うにせよ、憲法が憲法である限り主権国家の固有の権利たる自衛権は放棄されることなど法的に不可能なことは(加之、国際法上、所謂「集団的」と「個別的」に自衛権を区別することなどできはしないことも)自明でしょう。

これらを踏まえる場合、その憲法典の巻頭第1章に「天皇」を戴く現行憲法もまた「天壌無窮、皇孫統べる豊葦原瑞穂之国のVerfassungを具現した点で旧憲法とほんとんど変わらない」ものと考えるべきなのです。尚、旧憲法の内容、加之、新旧の両憲法における天皇制の意味と機能に関しては下記拙稿をご参照ください。

・資料:英文対訳「大日本帝国憲法」の<窓口>
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60942195.html

・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60944485.html

・首相の靖国神社参拝を巡る憲法解釈論と憲法基礎論(1)~(5)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144005619.html


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木花咲耶姫



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