憲法無効論の破綻とその政治的な利用価値-憲法の破棄もしくは改正を求める立場からの素描(上)




世の中には、「日本国憲法を無効にすべきだ」と言うのではなく、「日本国憲法は無効だ/現在でも大日本帝国憲法が現行憲法だ」と唱える人達が存在しています。サンフランシスコ平和条約が締結され日本がその独立と主権を回復した60余年前のことではなく、平成の御世、21世紀の今の話です。

もっとも、例えば、石原慎太郎都知事の言われる如くに「日本国憲法など破棄すべきだ/将来に向かって現行憲法は無効にすべきだ」との政治的や政治学的な主張には私は激しく同意する者であり、そのような問題提起をされた石原都知事に対しては満腔の敬意を表する者です。加之、安倍晋三自民党総裁が夙に主張しておられる如く、「現行憲法は少なくとも可及的速やかに改正すべき」ことも明らか。そうも私は考えています。

何が言いたいのか。畢竟、(Ⅰ)憲法に関しては、それを破棄することと改正することは、憲法総論や法概念論といった法理論から見て、(どちらかが正しいとすれば他のどちらかは法的に成り立たないという、謂わば)二律背反の関係にあるものではないということ。

ならば、(Ⅱa)時の政治情勢、就中、国民・有権者の世論の動向を睨みながら、もしくは、(Ⅱb)近隣諸国といわず唯一の同盟国たるアメリカを中核とする世界に対して、憲法を改正すること/破棄することがどのようなメッセージとして受け取られるかの予想/どのようなメッセージを日本が世界に向けて発信すべきなのかを巡る戦略を踏まえて、(Ⅱc)可及的速やかに現行憲法規範体系に変更を加えるための手段としていずれが効率的であり合理的あるかの判断によって破棄と改正の優劣は決せられるしかない。と、そう私は考えているということです。

而して、本稿で俎上に載せる「憲法無効論」なるものは、このような真面目な法理論や真摯な政治の「戦略-戦術」の選択判断とは位相を異にする噴飯ものの戯言にすぎません。そう評してもおそらく言い過ぎではないと思う。蓋し、「憲法無効論」なるものは、上記(Ⅰ)(Ⅱ)の法理論や政治のタクティクスを否定するもの。なぜならば、彼等のその主張の根拠はと言えば、(Ⅲ)現行憲法はその制定時点から現在に至るまで憲法典としては無効であり、2012年の現在も「旧憲法=大日本帝国憲法」が現行の憲法典であるということらしいのですから。


畢竟、憲法破棄を唱導されている石原都知事も、憲法改正に向けた燃えるような意志を毫も隠さない安倍総裁にせよ、この点、すなわち、「2012年の現在も「旧憲法=大日本帝国憲法」が現行の憲法典」などとは露程も考えておられないことは確実でしょう。なぜならば、新憲法/日本国憲法のその醜悪さや不備が、最早、看過/座視できない水準に到達しつつあるという石原都知事や安倍総裁の認識は、新憲法/日本国憲法が「現行憲法=実定憲法:a positive constitution of Japan」としての効力を保持していると理解するからこそ成立する/政治的に意味を持つ認識だろうからです。

繰り返しになりますけれども、私も、日本国民と日本社会にとってのその損得のバランスシートを作成してみるとき、現行の日本国憲法は、最早、日本国民にとって有害の度合いが明らかに大きいと(否、日本国民のみならず、例えば、国の安全保障面に限定したとしても、それは東アジアの不安定化要因の一つになっており、よって、近隣諸国や同盟国ひいては世界の他のすべての諸国民にとって無視できない実害を日本の現行憲法は与えていると)考えています。閑話休題。


もちろん、憲法基礎論や「法概念論-法学方法論」というアカデミックな観点からは憲法無効論など到底成り立つものではなく、実際、憲法・法哲学・国際法というこのイシュー「日本国憲法の効力を巡る法的な説明」に関わる専門研究者で憲法無効論を支持する論者は皆無。否、正直な所、誰も相手にしていない。

しかし、「日本が国家主権を喪失していた占領下、かつ、占領軍による立法を制限したハーグ条約に反して制定された日本国憲法は無効である」「日本国憲法は憲法としては無効であるが、大日本帝国憲法に定める講和大権に基づく講和条約として、講和大権が許容する範囲内で有効である」等々と唱える論者が存在していることは事実なのです。

本稿はこれら憲法無効論の中で特にその論者が「新無効論」と自称している主張を俎上に載せるものです。すなわち、渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社・2007年4月)、南出喜久治『占領憲法の正體』(国書刊行会・2009年3月)で展開されている主張に「法概念論-法学方法論」の視座から検討を試みること。これが本稿の獲得目標になります。

井上茂先生が『自然法の機能』(勁草書房・1961年9月)で喝破されたように、「自然法が存在するかどうかということと自然法思想が存在したことは別の問題」であるのと同様「日本国憲法が無効であるかどうかと憲法無効論が存在することは別の問題」なのでしょう。ならば、いかにそれが法学的には荒唐無稽なトンデモ論であるにせよ、憲法無効論の頑冥不霊を俎上に載せることで、憲法無効論なる妄想を生み出した現下のこの社会における、憲法を巡る(すなわち、形式的意味の憲法たる「憲法典」と実質的意味の憲法たる「憲法慣習ならびに憲法の概念および憲法の事物の本性」によって編み上げられた規範体系を巡る)国民の法意識の位相と構造をよりリアルに理解することができる、鴨。

尚、このイシューに関する私の基本的な考えについては

下記拙稿を併せてご一読いただければ嬉しいです。

・憲法無効論は不毛ではないが無効である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57820628.html

・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444575.html

・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57964889.html



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皇極天皇/斉明天皇




◆憲法無効論の荒唐無稽
憲法無効論が成り立たない理由はシンプル。無効理由として憲法無効論が掲げる諸々の事項が事実であるとしても、それらはいずれも日本国憲法を<憲法>として無効であるとする法的な根拠にはならないこと。要は、日本国憲法の成立過程で、実際に大日本帝国憲法の改正条項や当時の国際法に違反する数多の事態が惹起したとしても、それらの「違反の事実」は「無効の理由」ではないということです。敷衍します(尚、以下、原則、日本国憲法を「現行憲法」、大日本帝国憲法を「旧憲法」と表記します)。

著者自らが「新無効論としては初めての体系的概説書」(p.4;但し、旧字表記は新字表記に改めました)とする『占領憲法の正體』には、

改正限界超越による無効、占領軍による立法を制約した「陸戦ノ法規慣例ニ関スルハーグ条約」違反、旧憲法75条「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」違反、ポツダム宣言における憲法改正義務の不存在、旧憲法73条1項に定める憲法改正発議大権の侵害、GHQプレスコードによる検閲等「政治的意志形成の瑕疵」、憲法改正案を審議した第90回帝国議会におけるGHQの赤裸々な圧力によって審議手続に重大な瑕疵がある等々、日本国憲法の無効理由として13項目が列挙されています(ibid., 第2章, pp.46-89)。


而して、この中の11番目(日本国憲法の「憲法としての妥当性と実効性の不存在」)に関しては、「法の妥当性」と「法の実効性」、すなわち、併せて「法の効力」という言葉の意味は(南出氏が参照している尾高朝雄先生が使用されている意味とは異なっており)妥当ではないと思いますが、他の12項目に関しては、おおよそその指摘する事実は認めてよいと思います(「法の効力根拠」に関しては下記拙稿の註をご参照ください)。

・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(八)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58952796.html


畢竟、憲法無効論の難点は、(例えば、平成7年(1995年)に公開された衆議院憲法改正委員会小委員会の議事録を紐解けば、第90回帝国議会の憲法改正案審議に対してはGHQからあからさまな圧力が加えられたことは明らかである等)それら12項目の無効理由に言及されている事実が存在したとしても、それらの事実から日本国憲法が無効であることは演繹されないことです。

要は、例えば、刑法199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」、また、民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」等々、あらゆる法規範がそのような論理的形態を取るか、その形態の一要素として機能している、

これこれの行為が行われた場合には/これこれの事態が惹起した場合には
  ↓   ↓   ↓
これこれの法的な帰結の実現を国家が強制(応援)する


という法規範の論理的な存在形態に引きつけて敷衍すれば、(ⅰ)「これこれの事態が惹起した場合には、その法規は憲法としては無効である」という、ある憲法典を無効にするような高次の法規範の存在を仮定した場合、(ⅱ)憲法無効論は、(ⅱa)前段の「これこれの事態が惹起した」ことの論証には一部成功しているかもしれないが、(ⅱb)後段の「その法規は憲法としては無効である」と言うための根拠を欠いているということです。

法学の伝統的用語法を用いて換言すれば、(法学の一般的の用語法に従い、この論理形態の前段を「法的要件」、後段を「法的効果」と呼ぶならば、)憲法無効論は法的効果を欠いた法的要件によってのみ構成されている(正確に言えば、法的効果と無縁な法的要件は、実は、最早、法的要件でさえないのですけれどもね)。

よって、現行の日本国憲法の成立時の怪しげな事情を暴露して、その正統性・正当性のいかがわしさを指摘するという政治的・ジャーナリスティックな主張としてならいざ知らず、日本国憲法の無効を主張する法理論としては、憲法無効論は「砂上の楼閣」の類にすぎない。と、そう言えると思います。

確かに、憲法よりも下位の法規に関しては(例えば、現行国憲法56条が定める衆参両議院の定足数規定や59条1項「法律案は、この憲法に特別の定めのある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる」の規定に違反する立法行為等々)憲法に違反する法規は無効と言える。しかし、ある憲法改正の手続が前の憲法典の改正条項なり国際法なりに違反していたからといって、そこで新しく成立した憲法典が<憲法>として無効であるとは言えないのです。

なぜならば、<憲法>とは国家の最高法規であり、(規範の存否を巡る事実認識からは)当該の新しい憲法典が最高法規として機能している限り、国内法的には(まして国際法的には!)その憲法典を<憲法>として無効であると認定する規範は実定法の世界には存在しないから。すなわち、<憲法>の下位法たる諸法規の無効と「事実の世界と規範の世界を跨ぐ憲法」の無効とは「法概念論-法学方法論」からは全く別の位相にある問題なのです。



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<続く>


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