<再論>応報刑思想の逆襲(2)





◆応報刑思想の逆襲

近代の刑事法体系は、原則、私人の報復を禁止しています。しかし、これは古代・中世、あるいは、支那や(その唐律を継受した)日本の律制において一般的に私人の報復が認められていたということではありません。例えば、江戸期でも特定の様式に則り特定の手順を踏んで発給された免許状を欠いた報復は単なる違法な私闘であり「正当な仇討ち」とは看做されなかったように、どんな社会でも私人の無制限な報復は認められてはいなかったのですから。

ゆえに、近代の刑事法体系とそれ以外を分かつものは(それは、すぐれて近代に特殊な「主権国家=国民国家」が成立したことの帰結でもあるのでしょうけれど)、「私的な報復を国家権力が禁止した」こと。すなわち、禁止の主体とその禁止の目的に収斂するのだと思います。

而して、近代の法体系では、国家権力は私人間の紛争には介入しないことが原則。ならば、近代の刑事法が復讐を禁止するのは、(被害者の承諾によっても、加害者の実行行為の違法性が阻却されることのない犯罪類型の存在、つまり、死亡・重大な後遺機能障害が惹起するケースは置いておくとして、)私人間における復讐の慣行が社会の安寧秩序を構造的に危うくするからに他なりません。

ゆえに、被害者と社会一般が懐く犯罪に対する憤りを封印するかわりに、近代において国家権力は犯罪と犯罪者に対する復讐を代行しなければならない。復讐を禁じた国家には被害者と社会に代わって加害者に復讐する権限が与えられており復讐する責務が課せられているはずだからです。これが近代においても「応報刑思想」が成立する構図であろうと思います。

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重要なことは、応報刑思想にとって、国家権力による加害者への報復は、個別の事件の被害者・被害者遺族の感情を宥めることにその根拠と役割を限定されてはいないことです。応報刑思想が要請する、刑法と刑罰の機能は「法の権威と尊厳が犯罪行為によって社会的に空洞化した事態に対する、これまた「社会的」な治癒と回復」だからです。

ここで、近代においては「国家権力は個人間の紛争に介入しないことを原則とする」ことを想起してください。要は、個別の犯罪事例での被害者側の報復感情が満たされたかどうかなどは、白黒はっきり言えば近代の法と国家にとってはどうでもよい類のことなのですから。

逆に言えば、例えば、大阪教育大学池田小学校事件の如く、一審の死刑判決が確定した段階で「ある被害者遺族の中には「控訴や上告と続く時間の中で加害者が反省し、自分の犯した罪を恐れるようになってから刑に服して欲しかった」と記者に語る方もおられる」などという朝日新聞的な情緒的言説は、この刑事司法の本質を全く理解していないものと言えるでしょう。刑事手続への被害者の参加が応報刑思想からも望ましいこととは別に、あくまでも、刑事司法は被害者のものでも加害者のものでもないのですから。刑事司法は被害者も加害者も包摂する国家社会のものなのでしょうから。

ならば、国家権力がその本来の復讐の権限の行使と責務の遂行を怠るようであれば、俄然、復讐の権利、否、権限と責務は被害者・被害者遺族のみならず、法秩序に対する信頼を踏みにじられた社会のすべての構成員に分かち与えられることになるのも必定ではないでしょうか。以下、整理します。

(a)国家権力が復讐を社会の構成員に対して禁止した段階で、社会の法秩序を維持する/法の権威と尊厳を維持する権限と責務は国家が取りあえずは独占することになる

(b)近代国家のみならず、どのような国家社会も被害者と社会一般が懐く犯罪と犯罪者への怒りを宥めること、すなわち、加害者に厳格で速やかな報復を加え、法と秩序の権威と尊敬を回復することをその重要な機能としている。而して、私的制裁を一部容認していた社会に比べ、近代国家が担っている犯罪に対する報復の使命は遥かに重たいと言える

(c)国家権力が上記の責務を果さない場合、法の権威と尊厳を回復し法秩序の効力を維持する権限と責務は被害者側、ならびに、社会の全構成員のものとなる

(d)国家権力は、よって、(c)の如き<万人の万人に対する復讐の連鎖>の悪夢を防ごうと思うならば、犯罪の加害者に対する十全な復讐の契機を刑事司法に織り込まなければならない

(e)復讐には、(公的暴力装置を独占し、かつ、法域を私的領域と公的領域に峻別しようとする)近代立憲主義の回路からは権利性は認められない

(f)しかし、近代国家の本性からは固有の権利性、否、権限と責務が認められる余地はある。近代立憲主義を採用した近代国家も国家である限り、人倫に根ざす被害者側を含む社会からの復讐の要求はその憲法秩序において権利性が認められる余地もあるということ。もしそこで権利性が認められないならば、当該の憲法体制は実定法秩序としての正当性を失い、よって、その憲法体制は法的効力を持ちえなくなるからだ


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蓋し、前節でも述べたように、裁判員制度はこのような復讐の契機を刑事司法にイントロデュースするための水路の一つなのでしょう。そして、もし、現在の日本の刑事司法が犯罪に対する報復の機能を十全には果しておらず、加之、現下のこの国の犯罪報道は刑事司法の報復の機能を阻害さえしており、かつ、これら刑事司法と犯罪報道の惨憺と醜悪の源泉は戦後民主主義的の犯罪観であり刑罰観であるとすれば、他方、刑事司法について、犯罪に対する報復機能にも社会の安寧秩序を維持する機能にも問題を感じる国民が多いのであれば、刑事法体系のみならず(現在の刑事法体系の思想的の基盤たる)戦後民主主義的な刑法思想、その犯罪観と刑罰観に批判を加えることは現下の主要な、かつ、焦眉の急の課題であるに違いない。

而して、いずれにせよ、「国民の常識を体現した刑事司法と刑事報道」を国民は渇望しており、戦後民主主義が歪めた犯罪と刑罰のイメージの是正がこの社会にとって焦眉の急であることは確かだろうと思います。畢竟、犯罪からの日本社会の解放は、戦後民主主義からの日本国民の解放に他ならない。と、そう私は考えています。

以下、次節では、戦後民主主義が歪めた犯罪と刑罰を巡るものの見方を補助線にして、応報刑思想の具体的な犯罪観と刑罰観を刑法と刑罰の機能の側面から敷衍します。


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◆抑止効果のない刑罰は無意味か?

かなり旧聞に属しますが、新聞にこんなコメントが載っていました。「抑止にならず逆効果」(朝日新聞・2003年6月20日朝刊・東京本社版、「被告席の親たち 幼児虐待事件 中 厳罰化より要約紹介)、「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」の多田元弁護士の話です。

「厳罰化の流れが強まっていることは、児童虐待の防止に逆効果だ。責められていると感じることで、親は不安な状態に陥り、水面下での虐待はますます増えるだろう。厳罰化は抑止にはならない。これからは裁判で虐待のメカニズムを解明し、社会の責任を明らかにする必要がある」

このような主張は、例えば、少年法改正(「少年法等の一部を改正する法律」(平成19年法律68号;平成12年法律第142号)の際もしばしば聞かされたもの。また、それらは死刑廃止論者の常套句でもある。例えば、「死刑には犯罪の抑止効果は乏しい。ならば、犯罪者を犯罪に向かわせた社会的諸問題こそ問題であり、その社会的な歪みの実像をこそ裁判を通して明らかにすべきだ」等々。

確かに、絶対的終身刑に比べて死刑にそれほど大きな犯罪抑止効果がないことは刑事政策の常識。加之、「衣食足りて礼節を知る。恒産なくして恒心なし。金持ち喧嘩せず」も真理でしょう。すなわち、社会が豊かになり格差が解消すれば、あるいは、社会のほとんどすべてのメンバーが善良になれば犯罪は起きないかもしれません(ただ、冗談抜きに私は、犯罪も起きないような社会はある意味極めて非人間的で歪な社会ではないかと思わないでもありませんけれども)。

しかし、刑事司法制度の運用はその国家社会が理想的な社会になるまで、あるいは、その社会のほとんどすべてのメンバーが善良になるまで小休止するわけにもいかない。ならば、このような「犯罪の原因は社会→犯罪の責任を負うべきも社会」という主張は、絶対に正しいがゆえに/どの立場の論者の論拠とも矛盾しないがゆえに、少なくとも、刑事司法の制度デザインと、そのデザインの基盤たる「犯罪観-刑罰観」の再構築を巡る議論においては空虚で無内容なものでしかない。と、そう私は考えます。


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犯罪とは社会生活に対する脅威やリスクの一つでしょう。而して、(「犯罪者」を被疑者・被告人・受刑者等を含む緩やかな語義で用いるとすれば)刑罰とは犯罪者から社会生活の安心・安全を守るための技術に外ならず、刑事法の法体系は犯罪の脅威とリスクから社会の安心・安全を守る機能を果たしつつ、同時に犯罪者に認められるべき正当な行動の自由(人権たる人身の自由)を守る、それら攻守双方の機能を両立させるための技術であり制度なのでしょう。

更に、犯罪からの社会防衛の側面においても前節で些か触れたように、刑事法体系には大きく二様の機能があります。①一罰百戒、刑法を事前に定め、犯罪に対しては凛としてその刑法を適用し刑罰を課すことにより一般の人々に犯罪を思いとどまらせること(刑法と刑罰の一般予防機能)。他方、犯罪を犯す素質を持つ者を前もって社会から隔離すること(そのような者を永久に社会から隔離する制度の一つが「死刑」です。)を特別予防機能と言います。

医療刑務所での長期の隔離治療や累犯の場合に宣告刑が初犯時よりも重くなる等が特別予防機能の顕れと観念しても許されるでしょうけれど、而して、特別予防をより重視する刑法学派が「近代学派」と呼ばれ、他方、一般予防を重視する学派が「古典学派」と呼ばれています。学説史的には、古典学派は「目には目を、歯には歯を」のタリオの法則以来、古代・中世を通じて幾多の法学者・哲学者によって彫琢を施された思潮であるのに対して、近代学派は19世紀後半にイタリアで誕生した比較的新しい思潮だからです。

要は、古典学派であれ近代学派であれ、社会を犯罪と犯罪者から守ることを刑事司法の役目と考え、よって、犯罪抑止効果がない(宣告量刑の配分も含む)刑事司法は拙劣と考える点では両者に本質的な差はないと思います。

ならば、「厳罰化は抑止効果がない。就中、死刑にはそれほどの抑止効果はない」「犯罪から社会を防衛するには犯罪の原因となった社会の側の問題をこそ裁判で明らかにすべきだ」という人権派の主張に対して応報刑思想はどう答えればよいのでしょうか。このことの吟味検討が次節の課題です。


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<続く>

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