政治責任の構造と射程-福島原発事故報告書に世界から寄せられた批判を媒介として(1)




福島第1原発事故は人災(a man‐made disaster; a man-caused disaster)であるだけでなく、それは極めて日本社会に特殊な日本人的の意識や行動様式、すなわち、「日本人の国民性」に根っ子を持つ「日本製の災害」(a disaster made-in-Japan; a disaster ingrained conventions of Japanese culture)だ。些か旧聞に属しますが、2012年7月6日にリリースされた福島原発事故に関する国会事故調査委員会(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会:National Diet of Japan Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission)の報告書はその英語版序文でそう述べました。

確かに、菅直人氏のトンデモな事故対応を見る限り、福島第1原発事故の発端は大震災とそれにともなう巨大津波であったとしても、事故を大災害にしたものは稚拙な民主党政権の危機管理能力であったことは明らか。よって、福島第1原発事故は人災と言っても間違いはないでしょう。

けれど、この英語版報告書に対しては、海外から激しい批判が寄せられました。「人災」であるとしても、それを「日本製の災害」とする理解は適切ではない。「日本の国民性」なるものに原因を求めることは、結局、事故の責任追求(よって、今後の同様な事故の再発防止に向けた営み)を放棄するものではないか、と。而して、本稿は世界から寄せられたこれらの批判を媒介として<責任>ということ自体の意味を考えるものです。

例えば、関西電力大飯原発の再稼働を巡る、「首相は再稼働の責任は自分が負うとおっしゃるけれど、もし、福島と同じような事故が起きた場合、どういう責任を「首相」が取れるというのか。よしんば、再稼働を決定した首相が事故勃発時にも首相であったとしても、彼や彼女が政治責任を取って首相を辞任しようとも原発事故被害が減少するわけではないのだから」とかの発言。

例えば、「昭和天皇の戦争責任がうやむやにされてきたこと、あるいは、所謂「A級戦犯」が合祀されている靖国神社に時の首相が参拝を繰り返したこと、更には、所謂「従軍慰安婦」なるものを認めた「河野談話」の見直しを明言する第二次安倍内閣の動向。これらを見るに日本はドイツと違って戦争責任を果たしていない」とかの発言。


蓋し、<責任>や<政治責任>を巡るこれら荒唐無稽な言説が珍しくないこの社会の現状を鑑みるに(このような支離滅裂な言説の根幹にも「日本人の国民性」がある?)、「責任」や「政治責任」という言葉の意味をここで一度整理しておくことは無意味ではない、鴨。と、そう私は考えるのです。

まず、「日本人の国民性:Japanese culture」を福島原発事故の究極の原因とする報告書への世界からの批判の翻訳紹介。出典は英紙ガ-ディアン「文化のカーテンの背後に逃げ込む福島原発事故報告書:The Fukushima report hides behind the cultural curtain」(2012年7月6日)とブルームバーグ社説「日本の原発事故報告書の不十分さについて:Japan’s Unsatisfying Nuclear Report」(2012年7月8日)です。而して、その翻訳紹介の前哨としてそれら海外報道を取り上げた日本側の報道を転記しておきます。お目当てのテクストにタックルする前に背景となる情報を得ておくことは生産的でしょうから。


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▼原発事故はメード・イン・ジャパン 日本語版にも明記へ

東京電力福島第一原発事故の最終報告をまとめた国会事故調査委員会の黒川清委員長は6日、日本外国特派員協会で会見し、報告書の英語版に自らが寄せた序文にある「この原発事故はメード・イン・ジャパンだった」との表現を、日本語版の序文にも明記する考えを明らかにした。日本語版が「より慎重な批評になっている」と海外のメディアに指摘されていた。

報告書は全部で約650ページ。黒川委員長が自ら執筆した序文を含む要約版を英訳した計99ページ分が、事故調のホームページに掲載された。だが、序文は英語版と日本語版で内容が異なる。英語版は、事故の根本原因が日本人に染みついた慣習や文化にあると批判。権威を疑問視しない、反射的な従順性、集団主義、島国的閉鎖性などを挙げ、「事故はメード・イン・ジャパンだったことを痛切に認めなければいけない」とした。


(朝日新聞・2012年7月7日


▼福島第1原発「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言

東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。

ガーディアン紙は・・・「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。

一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。


(産経新聞・2012年7月8日


▼原発事故、文化のせい? 国会報告書に海外から批判

東京電力の福島第一原発事故をめぐる国会の事故調査委員会の英語版の報告書が「根本原因は日本に染みついた習慣や文化にある」などと記したことについて、英米メディアから「事故の本質を見誤らせる」と批判が出ている。

米ブルームバーグは8日、「不満が残る報告書」という社説を配信。内容の詳細さや、「人災」と断定したことを評価しつつも、「誰がミスを犯したのかを特定していない」と指摘。「集団主義が原因」「(責任のある立場に)ほかの日本人が就いていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」といった記載については「責任逃れで陳腐な言い訳」と手厳しかった。

日本に詳しい、コロンビア大のジェラルド・カーティス教授も英紙フィナンシャル・タイムズへの寄稿でこうした記述に言及。「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくてよい。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」と主張した。


(朝日新聞・2012年7月12日


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The Fukushima report hides behind the cultural curtain

By claiming the disaster was 'made in Japan', an official report reinforces,
yet does not explain, unhelpful stereotypes


More than a year after a catastrophic earthquake and tsunami struck Japan on 11 March 2011, the Fukushima nuclear accident independent investigation commission released an 88-page report this week delivering the indictment that Fukushima could not be considered a natural disaster but a "profoundly man-made disaster".

It went on to state that "this was a disaster 'made in Japan'. Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to 'sticking with the programme'; and our 'insularity'."

At first glance, the opening message from the commission's chairman, Kiyoshi Kurokawa, reads like an apology to the global community for Japan's mishandling of the Fukushima nuclear disaster: a mea culpa for it going so terribly pear-shaped for the Japanese – and the world as a whole. It is striking that it is explained to the global community as a peculiarly "Japanese" problem. As there has been much culturally couched coverage of the earthquake and tsunami victims as being "stoic", "resilient" and so on, the official explanation reaffirms cultural stereotypes of Japan and the Japanese.



文化のカーテンの背後に逃げ込む福島原発事故報告書

事故を「日本製の災害」と看做すことで、公式の事故報告書は
無用な固定概念を強化しつつ事故原因究明を怠った


壊滅的な地震と津波が日本を襲った2011年3月11日から1年余が経過した今週、福島原発事故に関する国会事故調査委員会が全88ページの報告書を公表した。而して、その報告書は、福島原発事故は自然災害ではなくて「幾つもの意味で人災」と捉えるべきだとする、原発関係者を糾弾する認識を示したもの。

更に、報告書は「福島原発事故は日本ならではの災害」だったとその主張を展開していく。日本人に特徴的な意識や行動様式と言った日本人の国民性に事故の究極的原因は深く根ざしている。すなわち、条件反射的で理屈抜きの服従、権威者に事を問いただすことに消極的な態度、「計画が一旦決められた以上、どこまでもその計画に沿って行動したい」という意識、そして、「島国根性」といった我々日本人に特有な意識や行動様式が福島原発事故の究極の原因と看做されるべきだ、と。

一見した所、調査委員会の黒川清委員長の手になるこの序文は、福島原発で惹起した災害の対処に日本が失敗したことを世界に謝罪したものとも見受けられる。日本国民の生活を台無しにし世界全体に対しても凄まじい実害を及ぼしたこの災害の原因は日本側の失態でした、と。福島原発で起きた災害の原因は極めて「日本的」な問題にあった、と。そうこの序文は述べているように思われる。而して、東日本大震災とその被災者を巡っては、「禁欲的で冷静」「苦境にへこたれない快活さ」等々、文化論的な色彩濃厚な報道も少なくなかったのだけれど、この公式の事故報告書の説明もまた日本と日本人に対する固定観念をなぞったものと言える。


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<続く>




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