憲法96条--改正条項--の改正は立憲主義に反する「法学的意味の革命」か(1)




安倍晋三総理率いる自民党がいよいよ憲法改正に向けて踏み出しています。例えば、2013年7月の参議院選挙の選挙公約にはこう謳ってある。「さあ、時代が求める憲法を--憲法は、国家の最高法規。まさに国の原点です。既に自民党は、現行憲法の全ての条項を見直し、時代の要請と新たな課題に対応できる「日本国憲法改正草案」を発表しています。憲法を、国民の手に取り戻します」(pp.41-42)、と。実に頼もしい。

ヽ(^o^)丿

而して、この憲法改正の企てにおいて、まず手をつけるべきターゲットとして、憲法9条(安全保障条項)とならんで「憲法改正の発議要件を「衆参それぞれの過半数」に緩和し、主権者である国民が「国民投票」を通じて憲法判断に参加する機会を得やすく」する憲法96条(改正条項)の改正を考えていることは、政権奪還を果たした昨年年末の総選挙どころか捲土重来を成し遂げた昨秋の自民党総裁選挙への出馬以来、安倍総理自ら毫も包み隠すことなく夙に表明しておられる所です。実に潔い。

ウマウマ(^◇^)


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この自民党の改憲戦略--96条改正先行論--に対しては、しかし、朝日新聞や毎日新聞、NHKや週刊金曜日といった反日リベラル勢力のみならず「改憲派≒9条改正論者」からもそれを疑問視する声がある。(Ⅰ)「96条といった手続論ではなく、最初から9条等の内容に踏み込んだ改正論議を堂々行うべきだ」、(Ⅱ)「そもそも憲法とは国家権力を縛るルールなのだから、いかに、その改正の是非が最終的には国民投票で決せられるとはいえ一般の法律と同様に衆参の過半数で発議できるという改正要件の緩和は立憲主義に反する。立憲主義とは権力の濫用から国民の権利を守護する原理なのだから」、加之、(Ⅲ)「憲法改正条項の改正は憲法が許容する改正の範囲を越えるものだ。それは、法学的には「革命」、すなわち、新憲法の制定ではあって現行憲法によって正当化される憲法の改正ではない」、と。

(Ⅰ)手続条項ではなく9条の改正を正面から堂々と国民に提起すべきだ
(Ⅱ)改正要件の緩和は立憲主義に反する
(Ⅲ)改正条項の改正は新憲法の制定であり憲法改正の限界を逸脱する


本稿はこれらの批判に対する反批判の試み。これらの「96条改正先行論」批判を導きの糸としながら<憲法>を脱構築する--「立憲主義」と「民主主義」の交点に<憲法>の概念を再構築する--試みです。

考察の切り口を先に記しておけば、(Ⅰ)改正条項の改正というイシューは「立憲主義」と「民主主義」が交錯する、ある意味、9条の改正に比べても遥かに本質的で重要な問題ではないか。(Ⅱ)96条の改正が立憲主義に反すると本当に言えるのか、あるいは、もし、それが立憲主義に反するとしてもそれゆえに96条の改正が許されないと言えるだろうか。そして、(Ⅲ)改正条項の改正は憲法基礎論から見て本当に許されないのだろうか、あるいは、もし、改正条項の改正が新憲法の制定や法学的な意味の革命だとしても、その認識が現実政治のダイナミックスを制約する<政治の矩としての神通力>を帯びるとは限らないのではなかろうか。と、このような問題意識に沿って本稿の理路を進めて行きたいと思います。尚、「立憲主義」に関する私の基本的理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html


中西寛(京都大学)、朝日新聞社説および小林節(慶応大学)、そして、現在の日本の憲法研究者の中でも(長谷部恭男さんと並んで)このイシューに関する専門家の中の専門家と私が看做している石川健治(東京大学)の諸氏はこう述べている。(Ⅰ)~(Ⅲ)のサンプルとして以下転記しておきます(下線部はKABUによるもの)。


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▼時代の風:憲法改正条項の改正論−−中西寛(Ⅰ')
◇心許ない政治家の技量
安倍晋三首相は最近、きたる参院選で憲法改正、なかんずく憲法改正に関する手続きを定めた96条の改正を争点にする意向を示している。自民党は改憲を党是としてきたのだから、改憲を掲げて選挙を戦うのはある意味で潔い。しかし憲法改正は具体的な条項の改正を巡って行われるのが本筋で、改正条項という技術的規定についての改正を提起するのは、国民にとって判断が難しい。世界的にも憲法改正条項だけの改正というのは恐らく例がないだろう。

言うまでもなく、護憲か改憲かというのは戦後日本政治の最大の争点である。もちろんその中心には、憲法9条をめぐる対立があった。私自身は、憲法9条に関する限り改憲論である。・・・私は、近年の「ねじれ国会」で明らかになった衆参両院の権限関係の曖昧さや、地方自治に関する規定の不足も現憲法の弱点であり、改正に値すると考えている。

(毎日新聞・2013年4月28日)



▼憲法を考える--変えていいこと、ならぬこと(Ⅱ'a)
憲法には、決して変えてはならないことがある。近代の歴史が築いた国民主権や基本的人権の尊重、平和主義などがそうだ。・・・そもそも憲法とは何か。憲法学のイロハで言えば、権力に勝手なことをさせないよう縛りをかける最高法規だ。この「立憲主義」こそ、近代憲法の本質である。・・・立憲主義は、国王から市民が権利を勝ち取ってきた近代の西欧社会が築いた原理だ。これを守るため、各国はさまざまなやり方で憲法改正に高いハードルを設けている。・・・日本では、両院の総議員の3分の2以上の賛成と、国民投票での過半数が必要だ。自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだ。だが、これでは一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。・・・

(朝日新聞・2013年5月3日社説)


▼96条改正は「裏口入学」。憲法の破壊だ--小林節(Ⅱ'b)
私は9条改正を訴える改憲論者だ。自民党が憲法改正草案を出したことは評価したい。たたき台がないと議論にならない。だが、党で決めたのなら、その内容で(改正の発議に必要な衆参両院で総議員の)「3分の2以上」を形成する努力をすべきだ。・・・「中身では意見が割れるが、手続を変えるだけなら3分の2が集まる。だから96条を変えよう」という発想だ。

これは憲法の危機だ。権力者は常に堕落する危険があり、歴史の曲がり角で国民が深く納得した憲法で権力を抑えるというのが立憲主義だ。だから憲法は簡単に改正できないようになっている。日本国憲法は世界一改正が難しいなどと言われるが、米国では(上下各院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認が必要で)改正手続きがより厳しい。それでも日本国憲法ができた以降でも6回改正している。・・・私の知る限り、先進国で憲法改正をしやすくするために改正手続きを変えた国はない。

権力者の側が「不自由だから」と憲法を変えようという発想自体が間違いだ。立憲主義や「法の支配」を知らなすぎる。地道に正攻法で論じるべきだ。「96条から改正」というのは、改憲への「裏口入学」で、邪道だ。

(朝日新聞・2013年5月4日)


▼96条改正という「革命」--石川健治(Ⅲ')
◇立憲国家への反逆に動く議会政治家たち--真に戦慄すべき事態
◇「勝つためのルール変更」選手はできぬ
国民主権をかかげる憲法では、憲法改正権も、立法府に分配されることが少なくない。立法府は「全国民の代表」とされるからだ。そして、憲法改正に関して、立法府に特別多数決(たとえば3分の2の賛成)を要求する定めをおくと、その憲法は硬性憲法に分類される。・・・日本国憲法の改正手続きに特徴があるとすれば、国会が憲法改正を企てた際には、必ずレファレンダム(国民投票)にかけることを求めている点にある(96条)。・・・しかし、憲法改正について実質的な審議を行うのは、国会であることに、変わりがない。硬性憲法であることの本質は、国会に課せられたハードルの高さにこそある。・・・

現在の日本政治は、こうした当たり前の論理の筋道を追おうとはせず、いかなる立場の政治家にも要求されるはずの「政治の矩」を、踏み外そうとしている。96条を改正して、国会のハードルを通常の立法と同様の単純多数決に下げてしまおう、という議論が、時の内閣総理大臣によって公言され、政権与党や有力政党がそれを公約として参議院選挙を戦おうとしているのである。これは真に戦慄すべき事態だといわなくてはならない。その主張の背後に見え隠れする、将来の憲法9条改正論に対して、ではない。議論の筋道を追うことを軽視する、その反知性主義に対して、である。

第一に、良き民主政治にとって、「代表」は必要不可欠か、というのは真剣に問う必要のある問いである。もちろん賛否両論であろう。有権者は日頃自分自身の利益を追求するので手いっぱいだから、国民全体の立場からしっかりと議論をし、公共の利益を追求する「代表」なしには、良き民主政治にはならない。これが日本国憲法が採用する間接民主制(代表民主制)の論理である。・・・ところが、今回の改憲提案では、直接「民意」に訴えるという名目で、議会側のハードルを下げ、しゃにむに国民投票による単純多数決に丸投げしようとしている。・・・

そして、目下の改憲提案に従い、改正手続きのすべての局面を単純多数決にそろえようとすると、第二に、これまで単純多数決ではなく特別多数決による議決を求めてきたのはなぜか、を問わなくてはならなくなる。・・・構成員全体が納得して従える、正しい意味での民主的な決定は、全員一致による決定であろう。・・・しかし、このやり方は、決定に時間がかかる。またメンバーにいわば同調圧力がかかり、異論をもつものは、「窒息」させられるか、脱退を余儀なくされる。・・・

そこで、決定力の強い多数決方式が、検討されることになる。・・・異論をもつものが脱退しなくてよいという利点がある。しかし、その反面で、多数決は、少数者の抑圧を、原理的に予定している。・・・特別多数決も、多数決には違いないが、単純多数決に比べ、討論とコンセンサスの制度的条件を提供して、民主的決定の質を高めると同時に、異論の余地も残せる利点がある。・・・

96条改正を96条改正によって根拠付けるのは論理的に不可能だということが、第三の、そして最大の問題である。それは硬性憲法を軟性憲法にする場合であっても、軟性憲法を硬性憲法にする場合であっても、変わりがない。たとえば、法律が法律として存在するのは、何故か。法律を制定する資格や手続きを定める規範が、論理的に先行して存在しているからである。同様に、立法府である国会が、憲法改正を発議する資格をも得ているのは、憲法改正手続きを定めた96条が、論理的に先行しているからである。・・・それでは、憲法改正条項である96条改正する権限は、何に根拠があり、誰に与えられているのだろうか。・・・

結論からいえば、憲法改正権者に、改正手続きを争う資格を与える規定を、憲法の中に見いだすことはできない。それは、サッカーのプレーヤーが、オフサイドのルールを変更する資格をもたないのと同じである。・・・憲法改正条項を改正することは、憲法改正条項に先行する存在を打ち倒す行為である。打ち倒されるのは、憲法の根本をなす上位の規範であるか、それとも憲法制定者としての国民そのものかは、意見が分かれる。だが、いずれにせよ、立憲国家としての日本の根幹に対する、反逆であり「革命」にほかならない。・・・

なかなか憲法改正が実現しないので、からめ手から攻めているつもりかもしれないが、目の前に立ちはだかるのは、憲法秩序のなかでも最も高い城壁である。憲法96条改正論が、それに気がついていないとすれば、そのこと自体、戦慄すべきことだといわざるを得ない。

(朝日新聞・2013年5月3日)


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<続く>



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