戦争責任論--語るに落ちた朝日新聞の社説--(上)




本日、2013年8月15日の朝日新聞社説を読んでいて唖然としました。「義憤」を感じたとかではありません、言葉の正確な意味で「唖然」。そう、他人事ながら心配になった。「おいおい、朝日新聞さん、自分で自分の首絞めてどうするの」「これは、「戦後レジュームからの脱却」を期す安倍総理を日頃からことある毎に批判している朝日新聞のロジックがなり立たないことを朝日新聞自体がその社説ではからずも認めたものだよ」、と。これは正に、語るに落ちた社説。そうとしか私には思えなかったから。

以下、そう感じた箇所の転記。尚、Top画像は、あまりの「自爆」の見事さに
開いた口が塞がらないでいる<大蛇山>君です。

▼戦後68年と近隣外交―内向き思考を抜け出そう
・・・戦前戦中の日本の責任を問う声がアジアから湧き起こるまでには時間がかかった。それは、戦後の秩序の影響が大きい。米国とソ連が世界を二分した冷戦の時代。日本と台湾、韓国は米国陣営に組み入れられた。さらに日本は高度成長にも入った。資金と技術で隣国を助ける優位を保つことができた。

70年代までに終えた近隣との国交正常化は、冷戦構造の産物でもある。日本への賠償請求権は消えたとされたが、当時の近隣諸国では外交に民意が反映される状況ではなかった。やがて冷戦は終わる。グローバル経済の時代、韓国は先進国へ、中国は大国へと成長した。日本と国力の差がなくなるにつれ、歴史問題に由来する大衆感情が噴き出している。日本はもはや軍国主義は遠い遺物と思っても、隣の民衆にとっては戦争を問う時が今やってきた。そこには歴史観の時差ともいえる認識のズレがある。・・・


(朝日新聞社説・2013年8月15日


このどこが「語るに落ちている」のか。蓋し、この社説のロジックからは、例えば、日本が「東京裁判」(「東京茶番」とも呼ばれている。)の見直しを提起するとか、よって、官民一体となり国をあげて「東京裁判史観」(「自虐史観」と呼ばれるべき、鴨)の見直しを始めるとか、あるいは、「占領憲法」(「日本国憲法」という名称の現行憲法)を破棄/改正することもまた正当なこと、少なくとも、当然の流れということになるということです。

敷衍すれば、冷戦構造の崩壊、加之、支那と韓国の台頭(笑)という現下の歴史状況を鑑みれば、東京裁判・東京裁判史観・占領憲法を見直す動きをこれまで68年間も制約してきた<戦後民主主義イデオロギー>の妥当性を日本の民衆が問う時が今やってきており、それらの打破を求める日本の大衆感情が噴き出しているのも当然の流れというものである、と。

而して、現下の日本が立憲君主制をとる大衆民主主義国家である以上、そのような大衆感情を--それは大衆の「感情」にすぎないとしても、有権者国民の多くがそのような<感情>を抱いているということは<事実>なのですから--政治がすくい上げ政策課題に翻訳していくのもまた正当なことであるか、少なくとも、当然の流れというもの。蓋し、朝日新聞のこの社説のロジックはこのような理路の流れと論理的の帰結をサポートするものであり、例えば、占領憲法の改正を目指す安倍総理を批判する日頃のその主張の根拠がそうそう確かなものではないことを朝日新聞自体が自ら認めたものに他ならない。そう私は考えます。


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けれども、おそらく、朝日新聞の社説子はそうは考えなかったのでしょう。つまり、支那や韓国の「民衆が戦争を問う」ことや、支那や韓国で「歴史問題に由来する大衆感情が噴き出す」のは正しく、かつ、自然な流れと言えるが、日本で「民衆が東京裁判・東京裁判史観・占領憲法を問う」ことや、日本で<戦後民主主義イデオロギー>の否定につながる「歴史問題に由来する大衆感情が噴き出す」ことは、偏狭なナショナリズムの顕現、要は、それらは間違いであり許されることではない、と。そう朝日新聞の社説子は確信しているからこそこの社説に結晶する主張を堂々と世に訴えたのでしょうからね。

けれども、朝日新聞の社説子の認識に関する私の想像が
満更我田引水の類ではないとするならば、
それは明らかなダブルスタンダード。

すなわち、(「当時の近隣諸国では外交に民意が反映される状況ではなかった」という経緯は、独裁国家である支那においては21世紀初頭の現在もそう変わらないのではないかいといったことは、あるいは、戦時中の韓国人の「強制徴用」なるものに関して、日本企業に賠償責任を認める判決が相次いでいることに顕著な如く、韓国は法の支配も理解できない「法と政治」「法と世論」の未分離な国である等々は、武士の情けでここでは問題にしないとしても、)歴史の見直しや戦争責任を巡って、支那・韓国といった特定アジア諸国と日本に異なるルールを適用するその根拠はかなり怪しい。というか、そのダブルスタンダード(二重の基準論)は単なる文化帝国主義的の教条にすぎないの、鴨。

いずれにせよ、(ⅰ)コミンテルン流の「講座派≒日本共産党」的の歴史観と、(ⅱ)フランス流の「社会契約論→天賦人権論→必要悪としての国家権力理解」と整合的な歴史認識の野合と言うべき<戦後民主主義の歴史認識>を基盤とする、そんな朝日新聞のこの社説の理路は、(歴史認識の普遍性なるもの、他方、「人権」なるものの普遍性を含む人類史の必然的な発展法則/変遷の傾向性なりが、分析哲学・現象学・現代解釈学によって認識論的に完全に否定された20世紀の半ば以降の現代、)破綻している。要は、朝日新聞のこの社説に憑依するダブルスタンダード(二重の基準論)は単なるダブルスタンダード(二枚舌)にすぎないと言うべきなのです。


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敷衍しておけば、朝日新聞を始めとする反日リベラルの論者がしばしば口にする、「日本では戦後68年間、日本人の手で戦争指導者の戦争責任を追求してこなかったし裁いてこなかった」という言説もダブルスタンダード(二枚舌)のダブルスタンダード(二重の基準論)なの、鴨。例えば、毎日新聞の今日、2013年8月15日の社説「8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ」にはこう述べてありました。

「第1次安倍政権下で始まり、3年前にまとまった日中歴史共同研究の報告書も、「日本軍の侵略」という言葉を使っている。そして日本は既に、戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話で、2度にわたって「侵略と植民地支配」への反省と謝罪を世界に表明している。それが第2次安倍政権になって、侵略を明確に認めようとしないかのような発言が政治家から出てきた。さらには村山談話の見直し論が語られたりする。A級戦犯をまつる靖国神社への首相参拝の是非も、再び国論を二分させている。背景には、戦争責任や戦後処理をあいまいにしたまま、新しい世代が政治の主流を占めるようになったことも影響しているだろう。先の参院選の当選者の平均年齢は52.4歳。70代以上はわずか7人(5.8%)である。58歳の安倍晋三首相をはじめ、戦争を知る政治家は、いまやほとんどいなくなった。だが、戦後70年近くたっても過去の総括が定まらず、歴史の評価が政権によって左右されるような国は、健全だとはいえない」、と。


私は、逆に、--E.H.カーの「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らない対話」という言葉、あるいは、「すべての歴史は現代史である」と喝破したクローチェの知の一閃を引き合いに出すまでもなく--「過去の総括」が金科玉条よろしく固定したような「国は、健全とはいえない」と思いますけれど、いずれにせよ、毎日新聞の社説子が「戦争責任や戦後処理をあいまいにした」という認識を平然と書いてしまう事態に愕然とします。

なぜならば、(1)この68年間、正確に言えば、サンフランシスコ平和条約の発効によって主権を回復してからの61年間、「戦争指導者」なるものを日本人が裁く機会は常に開かれていた。而して、(2)日本は、サンフランシスコ平和条約の条項を徹底的に遵守して旧連合国のすべての了承をとりつけつつ、日本人は、国会の両院でほぼ全会一致によって「戦争犯罪者」なるものの名誉回復を行った。

(3)蓋し、この「戦争指導者」を否定的に評価せず法的な制裁を科さなかった/名誉回復を行ったこと自体が、彼等に対する日本人の手による戦争責任の追求であり裁きであったと言うべきなのです。

(4)それとも、「戦争指導者に対する戦争責任の追求やの裁き」とは彼等を否定的に評価することや法的な制裁を科すことに限定されるというのでしょうか。(5)そんな根拠はどこにも存在しません。

蓋し、(6)戦争中の東京大空襲を始めとする戦略爆撃や支那における日本国民に対する支那側の残虐行為、あるいは、戦後占領下の日本で頻発した占領軍兵士による集団的な殺人・傷害・婦女暴行、強盗・放火の数々に対する連合国の「戦争責任/戦後責任」を看過しながら、日本側の戦争責任を、しかも、否定的な評価に限定して語られる「日本では戦後68年間、日本人の手で戦争指導者を裁いてこなかった」などの言説が無根拠であるのみならず、ダブルスタンダード(二枚舌)のダブルスタンダード(二重の基準論)であることは明らかなのではないでしょうか。



畢竟、朝日新聞のこの社説に憑依するダブルスタンダード(二重の基準論)が説得力を持ちうるのは、「もうおまえは死んでいる」の『北斗の拳』の如く破綻している<戦後民主主義の歴史認識>にいまだに帰依している左翼リベラルの<善男善女>のコミュニティー内部に限られる。蓋し、朝日新聞・毎日新聞、NHK・TBSを始め反日リベラルのマスメディアがこれだけネガティブキャンペーンを繰り広げようが国民の相対的多数が安倍政権にそれなりの支持を与えていること、そして、支那・韓国に対する嫌悪感というか、「支那・韓国とはもうあまり関わり合いたくない」という国民世論が日々その多数の度を増している現下の日本社会の状況は、朝日新聞のダブルスタンダードが<神通力>をこれまた日々逓減させていること--左翼リベラルの<善男善女>のコミュニティーが日々縮小していること--の傍証と言えるの、鴨。と、そう私は考えます。

蓋し、それらが「正しい」かどうかは別にして、支那や韓国の「民衆が戦争を問う」ことや、支那や韓国で「歴史問題に由来する大衆感情が噴き出す」のは自然な流れと言えるのとパラレルに、日本で「民衆が東京裁判・東京裁判史観・占領憲法を問う」ことや、日本で<戦後民主主義イデオロギー>の否定につながる「歴史問題に由来する大衆感情が噴き出す」ことも自然な流れと言える。21世紀の現在では、「イデオロギーとしての歴史」とは、究極の所、ある「国民国家=民族国家」すなわち「主権国家=国民国家」を社会統合を維持強化するための<物語>であると解する限り、支那には支那の、韓国には韓国の、そして、日本には日本の<歴史物語>が成立する必然性が存在していることを反芻するとき上記の「自然な流れ」の妥当性と実効性を誰も否定できないだろうからです。


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<続く>

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