戦争責任論--語るに落ちた朝日新聞の社説--(下)




畢竟、カール・ポパーの<歴史主義批判>、すなわち、歴史に普遍的な法則性を見出すマルクスやヘーゲル、社会契約論や天賦人権論の如き立場に対するポパーの原理的な批判を想起するとき、また、E.H.カー『What is History?』(Macmillan, 1961:清水幾太郎訳『歴史とは何か』(岩波新書・1962年3月)の中の例えば、「「歴史とは何か」に対する私の最初のお答えを申し上げることにしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らない対話なのです:My first answer therefore to the question 'what is History?' is that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts, an unending dialogue between the present and the past.」(ibid岩波新書, p.40),「歴史とは現在の歴史家と過去の事実との間の相互作用の過程であり、対話です:I described history as a process of interaction, a dialogue between the historian in the present and the facts of the past.」(ibid岩波新書, p.47)という言葉を想起するとき、すなわち、

-歴史の認識と叙述とは<物語>に他ならない
-普遍的に妥当する歴史的認識などは存在しない
 /そのような認識を有限なる人間が知ることはできない
-普遍的で絶対的な歴史認識は存在しないけれど、要は、
 「いつでもどこでも誰にでも正しい歴史認識」は存在しないけれど、
 「今、ここで、私にとって正しい歴史認識」、相対的に正しい歴史認識は存在する
-相対的に正しい歴史認識を恒常的に再構築する実践的な作業こそ<歴史学>の営みであり、
 人間は自己のアイデンティティーを獲得すべく恒常的にそのような<歴史学>を
希求する存在である


という<歴史学的な歴史認識>の相対性と恒常的な現在性と親和的であり、それを基盤として成立するだろう、ある国家に特有の<歴史物語としての歴史認識>の本質的な特殊性を看過しない限り、(α)イデオロギーとしての歴史認識はある国家に特殊なものであり、(β)そのイデオロギーとしての歴史認識に他ならない<歴史物語>は--「政権によって左右されるような」ものどころか、極論すれば、ある一つの政権においても変容しうる--恒常的に見直されざるを得ない「賞味期限つき」のものなのだと思います(尚、「歴史」を巡る私の基本的な認識については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです)。

・定義集-「歴史」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61007370.html

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けれども、支那・韓国の<歴史物語>と日本のそれとは似て非なるもの、鴨です。

なぜならば、(前者の<歴史物語>が、21世紀の現在、対内的には最高の対外的には独立かつ他国と平等な「主権」を属性とする主権国家の共存という事態と整合的とはとても言えない、古代中世的の<帝国>の概念--異なる文化と文明を呼吸する諸民族を包摂する<宇宙>としての<帝国>の概念--のなれの果てとも言える、自分を中心に世界と宇宙を廻す中華主義をその骨格としている点には目を瞑るとしても)前者の<歴史物語>は、単なる、自国内部における社会統合イデオロギーであるというその正当な守備範囲を越えて、他国に対して彼等がなす国際政治上のクレーム(英語の「クレーム:要求」と日本語の「クレーム:文句や言い掛かり」の双方の意味を含むクレーム)の根拠、あまつさえ、国際法解釈の根拠や前提的の認識として濫用されている節がある。これに対して、我が日本における<歴史物語>は--その歴史認識の事物の本性を踏まえた--自国内における、国際法とは一定程度距離を置いた事象として用いられていることは明らかだからです。

尚、「中華主義」および「ナショナリズム」に関する
私の基本的な理解については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153763008.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html


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逆の地点から敷衍しておけば、例えば、サンフランシスコ平和条約で日本は「東京裁判の判決を受諾」したのか「東京裁判(の裁判)を受諾」したのか--単に、「東京裁判で下された判決に記された、死刑・禁固刑等々の法的制裁の内容」を受諾しただけなのか「判決に記された法的制裁の内容のみならず、東京裁判で下された判決の事実認定や事実認定の前提となる「戦前の日本=侵略国家」といった類の歴史認識」をも受諾したのか--といった議論は法理論的に無意味と言うべきなのです。

▼サンフランシスコ平和条約11条
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。 

▼Article 11
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan. The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on recommendation of Japan. In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan.
   

 
何故ならば、(東京裁判なるものは「事後法による戦勝国の敗戦国日本に対するリンチ」にすぎなかった、要は、日本の戦争指導者がそこで追求され/背負った「戦争責任」なるものは「敗戦責任」に他ならないという点は置いておくとしても)土台、国際法・国内法を問わず、司法や裁判所に、判決や裁判に自体に、ある特殊な「歴史認識」を正当なものとしてオーソライズする権能が--司法や裁判所に、判決や裁判に「世界一の美女は誰か」とか「ビックバン以前の宇宙はどんな状態だったのか」、あるいは、「邪馬台国はどこにあったのか」とか「素数の分布に関するリーマン予測は正しいか」とかを判定する権能がないのとパラレルに--備わっているはずなどないからです。

ことほど左様に、裁判や法の事物の本性から導かれる、このような、法と司法の効能の本質的な限界を補助線として想起するとき、<歴史物語>と国際法の守備範囲の差違を愚直に唱える安倍総理の主張が中庸を得たものであるのに対して、それらの違いを看過してなされる支那・韓国の対日批判が下品であるだけでなく噴飯ものの謬論であることは自明であろうと思います(尚、サンフランシスコ平和条約の11条を巡る私の認識については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです)。

・サンフランシスコ平和条約第11条における「the judgments」の意味(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60937343.html


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蓋し、支那・韓国と日本との違い。彼我の違い。このことは、(安倍総理が夙に主張されている如く、)日本は、国際紛争の解決は国際法と確立した国際政治の慣習に従い処理することを支那や韓国に対しても求めているに対して、支那・韓国が(韓国の--「強制徴用」なるものや所謂「従軍慰安婦」なるものを巡って--日本の戦争責任を認めた自国の裁判所の判決をあたかも日本側も尊重する法的義務、少なくとも、道義的義務が日本政府にはあるかの如きシュールな主張に炸裂しているように)、国際法と確立した国際政治の慣習とも無縁な国際政治上と国際法上のクレームをその<歴史物語>で補強できると考え、それを常套手段とする対日批判を繰り返していることを想起するとき、満更、私の曲解ではないのではないだろうと思います。喩えれば、支那・韓国の<歴史>は<物語>と<法>の異質な言説空間に重層的に横たわる両義的存在、<クラインの壺>に他ならないの、鴨。

▽歴史物語を巡る非対称性
(Ⅰa)歴史は国内的のみならず対外的な主張の根拠(支那・韓国)
(Ⅰb)歴史は国内的の社会統合イデオロギーの根拠(日本)
(Ⅱa)歴史物語と国際法の未分離(支那・韓国)
(Ⅱb)歴史物語と国際法の分業制(日本)


畢竟、朝日新聞の件の社説は、<歴史物語>と国際法の双方において、これまた重層的に安倍総理の持論の正しさと--支那・韓国の主張の破綻、よって、--朝日新聞の歴史認識の破綻と無根拠性を自ら暴露した<自殺点>に他ならないのではないか。少なくとも、それは「語るに落ちた」言説である。と、そう私は考えます。


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