知る権利の守護神としての特定秘密保護法





知る権利の守護神としての特定秘密保護法
特定秘密保護法は知る権利を侵害する危険がある。

とかとか述べる言説を最近ときどき目にします。
例えば、朝日新聞は社説(2013年9月19日付)でもって
概略こう述べている。


▼秘密保護法案―知る権利はつけ足しか
安倍政権が、秋の臨時国会に提出する特定秘密保護法案に、「知る権利」と「報道の自由」の明記を検討している。知る権利や報道の自由は国民の重要な権利であり、憲法で保障されたものと考えられている。だが、その理念を法案に加えるからといって、それが実際に担保されるわけではない。秘匿する情報の際限ない拡大を防ぐ具体的な仕組みがなければ、いくら「知る権利」を強調したところで、かけ声だけに終わるのは明白だ。・・・

何が特定秘密になるのか。法案別表で示すとしているが、概要段階での別表の書きぶりは漠然としている。防衛は「自衛隊の運用」、外交は「安全保障に関する外国の政府との交渉」――といった具合だ。なんの制限もないに等しい。行政機関の長の判断次第でいくらでも、特定秘密に指定することができてしまう。

指定が妥当かどうか、チェックする機能はあまりにも乏しい。仮に行政内部で、指定に疑問を持つ公務員がいても同僚らに相談することはできない。国会議員も法案の対象になるので、秘密を知り得た国会議員は党内で議論することもできないことになる。・・・

こうした仕組みを検討することなく、政権は「秘密保護」にひた走っているようにみえる。「知る権利」を明記した情報公開法改正案が昨年、廃案になった。秘密漏洩(ろうえい)を阻止したいというのなら、情報公開も一対のものとして充実させなければならない。それでこそ、「知る権利」は担保される。


(後略、以上引用終了)


白黒はっきり言えば、しかし、これらは完全な間違い。なぜならば、「知る権利」とは国民のあるタイプの行動の制約を憲法的に根拠づけるロジックでしかなく、よって、「知る権利」なるものの具体的な内容--要は、憲法的に許される国民のあるタイプの行動の具体的な制約内容--は、「知る権利」の4文字を(あるいは、「知る権利」の父母とも観念すべき「表現の自由」と「民主主義」の二つの四文字熟語を、まして況んや、権利正当化のプロセスにおいては「知る権利」の扶養家族とも言うべき「報道の自由」の5文字をも)どれほど気合いを入れて睨んでも知ることはできず、それはただ、「知る権利」という言葉が連想させる、国民のあるタイプの行動の制約の是非、逆に言えば、国家権力のあるタイプの権力行使に対する制約の是非を巡る省察の中でのみ遂行論的に漸次かつ部分的に明確になっていくものでしかないからです。

ならば、「行動を制約する規範こそ自由の認識根拠である」ことを喝破したカントの叡智を引き合いに出すまでもなく、サルトルが戦後しみじみと懐古した事柄。すなわち、「ナチスドイツに占領されていたときのパリほど自由な時空間はなかった」という発言はブラックジョークなどではなく、正しい一点を突いているのだと思います。ことほど左様に、特定秘密保護法こそ--同法のあるタイプの運用が司法によって今後違憲とされるプロセスも含めた広い意味のかつ動態的意味での<特定秘密保護法>こそと言うべきでしょうか--知る権利の具体的内容の認識根拠である。と、そう私は考えます。


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重要なことは、これまたカントが喝破した如く、「行動を制約する規範は自由の認識根拠であるのみならず存在根拠もしくは効力根拠」でもありうること。サルトルの「人間は自由という刑罰を課せられている」という言明もまたもこの経緯を表現したもの、鴨ですけれども、而して、広い意味のかつ動態的意味での<特定秘密保護法>は、国民のあるタイプの行動を制約する国家権力の権力行使の許容範囲--比喩を用いて敷衍すれば、ベースボールの<ストライクゾーン>、サッカーの<オフサイドゾーン>--を確定することによって、知る権利の認識根拠であるのみならず存在根拠もしくは効力根拠でもあるということ。畢竟、<特定秘密保護法>は知る権利の守護神に他ならない。と、私はそう考えます。

実際、「緊急は法を破る」という法諺、あるいは、「法は不可能を誰にも要求しない」というイェーリングの箴言が法を巡る真理の一斑をなしているとするならば、個別日本においても、国家の存続、すなわち、国家の安全保障が--単なる観念表象にすぎない<国民>の創出、そして、想像の共同体にすぎない<国民国家>への国民の社会統合と並んで、要は、天皇制の死守と並んで--国家権力の最優先の機能でありタスクである以上、特定秘密保護法は知る権利の守護神と断言できる。なぜならば、特定秘密保護法を欠く場合と存在する場合の知る権利の保障は、前者が単なる偶然に左右されるにすぎないのに対して、後者では曲がりなりにも国家権力の権力行使の大枠が定められているからです。

このことは、例えば、<9・11>や<3・11>を反芻するまでもなく、憲法の守備範囲がたかだかその<国家>の内部に限定されるにすぎないのに対して、国家権力の守備範囲は<国家>どころか<人間の世界>を超えていることを想起すれば思い半ばに過ぎるのではないでしょうか。可死の神としての国家権力はアルカイダからもガミラスからも、あるいは、富士山大噴火からも次の関東大震災からもその国民を守護しなければならないのですから。



畢竟、その権利の根拠性においても具体的な内容においても普遍的な--いつでもどこでも誰にでも妥当するような--「基本的人権」や「天賦人権」なるものは存在しない。

この経緯は、例えば、「天賦人権」なるものを人類史上初めて詐称したフランス革命期のフランス。ついぞ施行されなかった1793年6月24日に採択された憲法さえ1793年10月10日の「フランス政府は和平が達成されるまで革命的である」という宣言によって施行さえも停止されたフランス革命。1793年憲法の採択からテルミドールのクーデター(1794年7月27日)までの僅か13カ月間にパリ革命裁判所だけで3000人近くが、控訴・上告はもとより、最後の3カ月余りは証拠調べも証人尋問も廃した<裁判>によって死刑に処せられたフランス革命の殺戮の嵐を想起するとき、朝日新聞の社説や朝日新聞の投書欄でしばしば目にする「立憲主義は、国王から市民が権利を勝ち取ってきた近代の西欧社会が築いた原理」などという無内容で教条的な立憲主義理解を目にするときその感を深くせざるをえません。


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ならば、例えば、

学習院大学の青井美帆さんの主張。

「ある言明は、<わたし>と<あなた>の立場を入れ替えてもなお、正義に合致する場合に、普遍性を標榜できるところ、天賦人権という思考は、ヨーロッパ由来ではあるものの、右のような普遍性を認められるがゆえに、わが国も含めて多くの国において「普遍的価値」として掲げられているのだ」(『世界』(2013年6月号)所収「憲法は何のためにあるのか-自由と人権、そして立憲主義について」p.88)という主張もまた根拠薄弱かつ無内容なものと言うべきでしょう。

なぜならば、--もちろん、「普遍性」や「普遍的」という言葉をどのような意味で用いようとも論者の自由ではあるけれど、普通、世間や世界では、「多くの国において「普遍的価値」として掲げられている」すなわち「少なくない国においては「普遍的価値」として掲げられてはいない」somethingを「普遍的」とは呼ばないと思うだけでなく--この青井さんの主張は次の3個の誤謬を抱えていると思われるから。

すなわち、①確定不可能な「正義」観念の基盤の上に、②自説と整合的な個人モデルと社会関係モデルを間主観的なものと看做すロジックは--入れ替えられるべき<わたし>と<あなた>には法人格としての国家、就中、敵国や同盟国を包摂する外国は含まれないことは看過するとしても、世界観を異にする諸個人を交換可能な<わたし>と<あなた>に見立てる手法と理路は--、ロールズばりの杜撰で強引なロジックでしかなく、また、③プレーヤーにすぎないご自分が審判を兼ねて「天賦人権という思考は、ヨーロッパ由来ではあるものの、右のような普遍性を認められる」と勝手に呟いているにすぎないものでしょうから。


尚、天賦人権と立憲主義、ならびに、憲法の概念を巡る私の
基本的な理解についてはとりあえず下記拙稿をご参照
いただければ嬉しいです。

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html

・憲法96条--改正条項--の改正は立憲主義に反する「法学的意味の革命」か(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61963692.html

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・保守主義-保守主義の憲法観
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60996566.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444652.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html


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而して、広い意味のかつ動態的な特定秘密保護法は知る権利の守護神と言える。

更に、例えば、下記の内容が特定秘密保護法の条項や附則に
これから盛り込まれるとすれば、すなわち、

(Ⅰ)情報開示の期限を設けること--「情報の重要性」なるものの判定は、結局、主観的に決するとまでは言わないけれど、少なくとも間主観的に決するしかない以上、同盟国たるアメリカ、および、そのアメリカの最も緊密な同盟国たる英国の実定的なルールとの整合性も見て、兵器の仕様等の特殊なカテゴリーは除くとしても、より形式的に--例えば、一律、文書作成後100年ルールを導入すること

(Ⅱ)公益に資する合理的な目的があり、かつ、その効果が疑いの余地がないほど明らかな場合、日本国民たる申請者が要請した情報を100年の期限以内に開示するかどうかを決めることのできる行政裁判所を設立する根拠法となり、他方、その行政裁判所の審査、および、行政裁判所の審査の判断に対する不服申し立てに対する通常の裁判所の審査の双方を拘束する「特定秘密保護公開審査手続法」(仮称)を特定秘密保護法の運用によって得られた経験を整理整頓した上で、特定秘密保護法の施行後30年を目処に制定すること

(Ⅲ)原則、報道機関もしくは個人たる国民が情報の受領側である場合には不可罰としても、それらが第三国に情報を仲介した行為類型では、情報漏洩側のみならず、それらの報道機関や個人たる国民も処罰されるべきこと--報道機関に対しては両罰規定の構えで臨むこと--、加之、「第三国」をカテゴライズして、例えば、支那・韓国・北朝鮮という反日国に対しては処罰の法定刑を厳罰化すること

これらの内容が特定秘密保護法にビルトインされるならば、テクストとしての狭義の特定秘密保護法も、国家機密の保護と知る権利の調整機能をより良く具現しうる--広い意味のかつ動態的な<特定秘密保護法>におんぶに抱っこされる余地をより少なくできる--知る権利の守護神になるのではないか。畢竟、狭義かつ静態的な特定秘密保護法と広義かつ動態的な特定秘密保護法は、仏像とそれに納められた胎内仏との関係と言える、鴨。よって、いずれにせよ、安倍政権には可及的速やかな特定秘密保護法の制定を求めたいと思います。

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