平和主義とは何か--戦前の日本は「軍国主義」だったのか?--(下)




◆軍国主義の意味
猪木正道『軍国日本の興亡』(中公新書・1995年)によれば、「軍国主義とは戦争を賛美し、国家および社会において軍人および軍事力に特権的・優越的な地位を与え、政治、経済、社会、文化のあらゆる領域を軍事化しようとする」ことらしい。もちろん、どのような言葉をどのような意味に用いるかは、かなりの程度論者の自由でしょうが、私は、概略、この猪木先生の「軍国主義」の定義は妥当だと考えています。

而して、「戦争の賛美」なる文学的言辞を捨象するとき、19世紀後半から20世紀半ばまで欧米諸国のほとんどがその傾向性を帯びていた、「帝国主義」(資本主義国の--市場と資源を求めてされる--対外進出傾向)と「軍国主義」を隔てるものは、ひとえに、「軍人および軍事力に特権的・優越的な地位が国家および社会において与えられ」もって「政治、経済、社会、文化のあらゆる領域が軍事に役立つべく軍事化」されていたかどうかであろうと思います。この観点からは、間違いなく、ナチス政権下のドイツ、スターリン治下のソヴィエト・ロシア、あるいは、現在の北朝鮮は「軍国主義」と言えるでしょうし、現在の支那ほどではないにしても、大東亜戦争以前の日本や英米仏も些か「軍国主義的の色彩」を帯びていたと言える、鴨。

戦前の日本では、しかし、どの程度「軍人および軍事力に特権的・優越的な地位が国家および社会において与えられ」ていたのでしょうか。数少ない弊ブログのほとんどの読者の皆様は大方予想しておられるように、私は「戦前の日本がそう典型的な軍国主義ではなかった」と考えています。しかし、そう濃厚なものではなかったものの、戦前の日本も、就中、「2・26事件」以降の日本には「軍国主義的色彩」は否定できないとも。

すなわち、これまた猪木先生の分析を流用させていただければ、あるいは、保阪正康『昭和史の教訓』(朝日新書・2007年2月)の認識を流用させていただければ、そして、「軍国」という言葉を、「自国の国益確保のために軍事力の使用を原則躊躇しない姿勢/軍事力を可能な限り強化する傾向性」という意味に解するならば、

帝国主義の時代→→→<2・26事件 in 1936年>→→→全体主義の時代
軍国日本→→→→→◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆→→→→→軍国主義日本


「軍国主義」とはドイツ・日本・ロシアという後進の列強が、英米仏といった既得権益を囲い込んでいる先行の列強に対抗するべく、(a)国家の経済力と軍事力を効率的に強化する施策、および、その裏面としての、(b)人為的なイデオロギー再編政策、そして、(c)その施策と政策に対する国民側の自然的かつ自発的な支持運動であり文化運動だった。そういう重層的な事象だった。と、そう言えるのではないかと思います。



ワンサンプルでは些か心もとないにせよ、一例を挙げておけば、
例えば、「敵性言語排斥」とはなんだったのか。

「英語は軽佻浮薄」であるとして1940年からマスメディア等で盛んに叫ばれたこの社会的の動きは、しかし、ご存じの方も多いように、「英語を教育や報道から排斥するような法的根拠や軍部の命令」は皆無であり、それどころか、「敵性言語排斥」を強制力をもって実行すべきことを訴えた、ある国士気取りの衆議院議員の要求に対して、時の宰相、東条英機首相(首相在任:1941年10月~1944年7月)は国会で「英語教育は戦争において必要である」と述べ、その要求を一刀両断したのです。

而して、「ストライク」は「よし」、「ボール」は「ダメ」と呼び換えさせられた(←「誰に命令されたの?」)とかなんとか今でも書く人がいなくもない野球はどうだったか。野球は--明治末年に、有名な「野球害悪論」を朝日新聞が論じたにもかかわらず、 東京六大学野球を人気の頂点にして、戦前の昭和の御世には国民的人気を博するようになっていた野球は--実は、敵性スポーツであるにもかかわらず法的には(それが「敵性スポーツ」であることを理由にして)禁止されることはなかった。戦時の銃後の体制構築のため、徴兵、就中、学徒出陣のために、大会やリーグが中止・解散されたのは別の問題でしょうからね。つまり、少なくとも、英語と野球に関して、カルト的な「軍国主義」は戦前には見られないということ。

・朝日新聞(東京朝日)の野球害毒論(1911年)by 新渡戸・愚将乃木
 →→読売巨人軍の創立(1934年)
・夏の高校(中学)野球の開始と中止-1915年→1918年米騒動+1941年~1945年
・春の高校(中学)野球の開始と中止-1924年→1942年~1946年
・東京六大学リーグの開始と中止-1925年→1943年文部省リーグ解散命令→1943年~1946年
 →→学徒出陣(1943年)
・プロ野球の開始と中止-1936年→1944年11月13日~1945年11月6日
(ただし、1945年1月1日・5日正月大会が開催された)



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◆濃厚ではないアメリカンな軍国主義日本の起源
戦前は軍部のごり押しが横行していた。こういう認識は、しかし、満更間違いというわけではないでしょう。内容の薄い「アメリカンな軍国主義」は確かに戦前の日本でも見られた、と。では、そんな「アメリカンな軍国主義」の時間的と論理的な起源はどこにあるのか。

蓋し、これも現在では最早、常識に属することでしょうが、私はその起源を、「軍部大臣現役武官制」--より正確に言えば、「軍部大臣現役武官制」を阻止できず、あるいは、「統帥権干犯」などという謬論に発言権の成立の余地を残した--旧憲法の不備、もしくは、昭和以降の旧憲法の不適切な政治における運用にあったと考えています。

蓋し、その勝敗の認定については現在でも甲論乙駁ではありますけれども、大正元年の大正政変によって--第二次西園寺内閣の崩壊、あるいは、軍部大臣どころか全閣僚が辞任して軍部と刺し違えた西園寺首相の行動によって--軍部は世論の支持を失い、ついに、ワシントン条約を認めざるをない地点にまで押し込まれた。而して、「天皇機関説論争」(1912年)における美濃部説の完勝はこの流れの中でのできごと。

実際、例えば、神楽坂淳『大正野球娘。』『大正野球娘。-土と埃にまみれます』『帝都たこ焼き娘。大正野球娘。3』『大正野球娘。4』(トクマ・ノベルズedge・2007年4月~2010年6月)に活き活きと描かれているように、大正時代の後半から昭和一桁の前半期、職業軍人は--世論の反発を慮って--非番の日に飲みに行くにも、ラーメンを食べに行くにも軍服を着ては兵営から外出できなかったというのが実情なのですから。

而して、西園寺内閣は総辞職と引き換えに「軍部大臣現役武官制の廃止」(1913年)を勝ち取った。では、その23年後、なぜそれが復活したのか。それは、巷に噂されるところでは、「2・26事件」の黒幕と思しき、皇道派の背後にいた退役将軍達の影響を遮断すべく「2・26事件」を鎮圧した側の現役の将軍達(統制派)が意図したことを--仕方なくではなく、「That's right! It's good idea, isn't it!」とばかりに--政治家も賛同した結果のこと。

いずれにせよ、「2・26事件」および「5・15事件」の動力源となった「統帥権干犯論」と「天皇機関説批判論」自体が、民政党内閣を攻撃するべく--地主層と三井等の伝統的財閥の利害を代弁する政友会、他方、三菱財閥および新興財閥と都市部のブルジョア層の利害を代表する民政党の党利党略にまみれた泥仕合政局の中で、5・15事件で遭難する犬養首相、その子孫に負けず劣らずアホナ鳩山一郎が率いる--政友会が言い出したもの。すなわち、旧憲法を脳死状態の機能不全に陥らせしめたとされる「軍部大臣現役武官制の廃止」一つとっても必ずしも「軍部独裁」の一斑とは言えない事柄なのです(★)。

畢竟、いつの時点をもって「軍国日本」が、アメリカンなものにせよ「軍国主義日本」に変貌したか--土台、「戦前の日本は軍国主義だったのか」--を巡る議論は、「鎌倉幕府の成立時期」の確定とパラレルに「軍国主義」なり「帝国主義」という言葉の意味と、加之、戦前の日本社会のどの部面の変化に重きを置くかに従い、論者によって「正解」が異なり得る問題ではなかろうかと思います。

鎌倉幕府の成立時期を巡る諸説
1)1180年-御家人に担がれて頼朝が鎌倉に入ったとき
2)1183年-東国支配を認める宣旨を頼朝が受け取ったとき
3)1184年-公文所・問注所の設置のとき(「幕府制度」の大枠が出来たとき)
4)1185年-守護・地頭の補任権を認める勅許を頼朝が獲得したとき
→→→→1185年 平氏滅亡
→→→→1189年 奥州藤原氏滅亡
5)1190年-頼朝の右近衛大将への補任の時点
6)1192年-頼朝の征夷大将軍への補任の時点



確かに、「征夷大将軍」は、例えば、大伴尾弟麻呂(794年)および坂上田村麻呂(797年)等々、奈良時代からしばしば任命されています。それどころか、現在では、頼朝の直前に「木曽義仲:源義仲」もまた征夷大将軍に補任されていた(1184年)とする見解が有力。また、後年には、日本史上最低の天皇、後醍醐の息子の護良親王(1333年)も征夷大将軍を務めている。けれども、「坂上幕府」とか「木曽幕府」とか「護良幕府」などという言葉を用いる論者はそう多くはないように、少なくとも、「いい国つくろう鎌倉幕府」(1192年)の「頼朝の征夷大将軍への補任をもって鎌倉幕府の成立」とする見解にはそう大した根拠がないことだけは確かでしょう。閑話休題。


些か、脱線しましたけれど、いずれにせよ、冷戦における資本主義陣営の勝利の後、大量に公開された旧ソヴィエト・ロシア、就中、コミンテルンの諜報活動の記録を反芻するに及んで--人間的にはかなり問題のあった、しかし、かなり複雑な人物である、「赤狩りの勇者」--マッカシー議員の再評価がアメリカではなされている。

ならば、日本では--「生類憐みの令」や「徳政令」とともに--いまだに「天下の悪法」という形容句が冠される「治安維持法」、そして、その運用にあたった悪名高い特高警察・特高検察の活動もまた、日本国を共産主義の魔手から護るためには1925年当時のこの社会においては必要かつ不可欠な法制ではなかったのか。そのような疑問も真面目に検討されてしかるべきであろう。と、そう私は考えます。竜頭蛇尾のエントリー記事になりましたが、本稿はこの程度で筆を置かせていただきます。


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★註:年表-旧憲法政治史
1889年 旧憲法発布
→→→→→→→1894年 日清戦争
→1898年 隈板内閣(憲政党)
→→→1900年 軍部大臣現役武官制の明確化(山県有朋首相)
→→→→→1902 日英同盟(~1923年)
→→→→→→→1904年 日露戦争


大正時代
→1912年 第二次西園寺内閣の崩壊(大正元年)
→→→1913年 軍部大臣現役武官制の廃止
→→→→→1912年 天皇機関説論争(美濃部vs上杉)
→→→→→→→1914年 第一次世界大戦(~1918年)
→→→→→→→1917年 ロシア革命勃発→シベリア出兵(1918年~1922年)
→→→1918年 米騒動
→1918年 原敬内閣(政友会)
→→→→→1922年 ワシントン軍縮会議
→→→1922年 日本共産党(コミンテルン日本支部)結成
→→→1925年 普通選挙法+治安維持法(大正14年)


昭和時代(戦前)
→→→1927年 昭和金融恐慌
→→→1928年 満州某重大事件
→→→→→→→1929年 世界恐慌
→→→→→1930年 ロンドン軍縮会議
→→→→→1930年 統帥権干犯問題(民政党・浜口雄幸 vs 政友会・犬養毅・鳩山一郎)
→→→1931年 満州事変
→→→1932年 5・15事件
→→→→→1933年 滝川事件(鳩山一郎文相)
→→→→→1935年 天皇機関説事件
→1936年 2・26事件
→→→1936年 軍部大臣現役武官制の復活
→→→1937年 支那事変
→→→1938年 国家総動員法
→→→→→→→1939年 第二次世界大戦(~1945年)
→→→→→1940年 三国同盟
→→→→→1941年 日ソ中立条約
→→→1941年 ゾルゲ事件
→→→→→→→1941年 大東亜戦争(~1945年)
1946年 占領憲法公布



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