朝日新聞の詭弁にまみれた「国立追悼施設」新設の提案



【ロベスピエールが挙行した至高存在の祭典:1794年6月8日】


あの朝日新聞といえどもそうそうお目にかかれない詭弁の炸裂を目にしました。社説「国立追悼施設 首相が決断さえすれば」(2014年2月3日)、これです。

▼国立追悼施設 首相が決断さえすれば
日本と近隣諸国との間で、不信の連鎖が止まらない。
国際会議で、日本と中国の閣僚らが安倍首相の歴史認識をめぐって批判しあう。こんな姿を見せられた世界は、はらはらしている。安倍首相は「対話のドアは常にオープンだ」と繰り返すが、もはやそれだけではすむまい。トゲを1本ずつ抜いていく具体的な行動を起こすときだ。

その第一歩として、首相に提案したい。靖国参拝はやめ、戦争で亡くなった軍人も民間人も等しく悼むための無宗教の施設を新設すると宣言してはどうか。・・・新たな施設に参拝するよう、遺族に強いるわけではない。いろいろな思いをもつ遺族や、外国の要人らに訪れてもらうための場だ。・・・

首相の参拝を支持する人たち、とりわけ若い世代にも耳を傾けてもらいたい。戦争の犠牲者を悼む気持ちは貴い。だが、靖国神社は単なる慰霊の場とはいえない。軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設だ。首相ら政治指導者が参拝すれば、傷つく人が日本にもたくさんいる。米国のアーリントン国立墓地とは、決定的に違う。「歴史を学ばぬ者は、歴史から報復される」。報復によっていちばん被害を受けるのは、未来ある若者たちだ。そのことを忘れないでほしい。


(以上、引用終了)


朝日新聞の社説にしては「首相に提案したい」と下手に出た書きぶり。これも、例えば、毎日新聞の山田孝男氏がNHKの籾井勝人新会長の発言を俎上に載せたコラム「風知草:どう言えばよかったか」の中で「外電を眺めれば「フランスの国際漫画祭に韓国が慰安婦を持ち込み、日本の非を一方的に宣伝」といったニュースに事欠かない。厳しい籾井批判の陰で籾井発言が支持され、内閣支持率も高位安定−−という構造の中に我々はいる」(毎日新聞2014年2月3日)と述べているのと通底しているの、鴨。めいっぱい笛吹けどリベラル支持の世論が一向にわき上がらない状況を前に朝日も毎日も途方に暮れているということかしらね。

けれど、朝日新聞のこの社説はいつもに増して、
詭弁に満ちた狡猾で姑息なもの。と、そう私は考えます。

特定アジアとの関係再構築のための唯一可能な日本外交の指針が、
支那・韓国とは国際法と確立した国際政治の慣習に従った交渉を行う。
それにつきることは言うまでもないでしょう。
ならば、この社説のポイントは以下の2点、鴨。

(Ⅰ)無宗教性と<国家>という宗教
(Ⅱ)軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設


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(Ⅰ)無宗教性と<国家>という宗教
靖国神社、および、国立アーリントン墓地に行かれた方はご存知のように、アーリントン墓地は文字通り馬鹿でかい広大な「霊園」であり、靖国神社に「墓」はありません。というか宗教学でいう所の故人の「魂魄」--気と肉のエッセンスたる魂魄--さえそこには存在しない。更に言えば、九段の社では英霊は<英霊>総体としてのみ--200数十万柱の英霊の御霊は、結局、「全にして個」かつ「個にして全」の1個の<英霊>としてのみ--存在している。

確かに、靖国神社は神道の教義によって意味づけされている宗教施設--英霊の超時空要塞--であることは間違いない。けれども、これまた、アーリントン墓地に行かれた方はご存知のように、アーリントン墓地も宗教色満載。プロテスタント、カトリック、ユダヤ教、創価学会等々、そこは宗教色の百花繚乱、千紫万紅、宗教の国際展示場状態でもあります。要は、国立アーリントン墓地も無宗教の施設とは言えないのです。


重要なことは、国家がその国のために貴い命を空しくされたその将兵を追悼し、顕彰し、尊敬と感謝の誠を捧げ続けることは、アメリカにおけるアーリントン墓地でも日本における靖国神社でも毫も変わらないことです。畢竟、英霊を尊崇するというこの意味での国家の行為は時空と幽明を跨ぐという点で<国家>による宗教と言える。もちろん、それはキリスト教なり神道といった具体的な個別の宗教ではないにせよ--ヘーゲルの言う意味での--民族の意志の総体としての<国家>による宗教行為と言える。而して、この<国家>による英霊に対する尊崇という点ではアーリントン墓地も靖国神社もなんら変わることはないのです。

(A)アーリントン墓地
①国立の墓地、よって、運営主体は無宗教
②被埋葬者もしくは遺族の意向により墓地自体は宗教色濃厚
③<国家>による英霊の尊崇

(B)靖国神社
①民間の神道系宗教法人の施設、よって、運営も神道に基づく
②英霊もしくは遺族の意向と無関係に神道の教義に沿って慰霊
③<国家>による英霊の尊崇



敷衍すれば、アーリントンも靖国も、朝日新聞の言う「戦争で亡くなった軍人も民間人も等しく悼む」施設などではない。「戦争でなくなって可哀想」「過ちは繰り返しませんから安らかにお眠り下さい」などいう悼む施設ではないのです。それらは、繰り返しますが、国が国のために戦死した将兵に尊崇の念を捧げ続けるための<時空>である。そうでなければ、アーリントンが「国立」である必然性もなく、靖国が<靖国神社>である必然性もないでしょうから。逆に言えば、前者は無宗教の運営主体が個々の戦死者には宗教色を認めるやり方で、後者は神道系の宗教法人が神道の教義に則りながらも、ともに<国家>が英霊に尊崇の念を表しているということです。尚、この宗教としての<国家>の理路については下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

・国家神道は政教分離原則に言う<宗教>ではない
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62105204.html


ならば、朝日新聞の言う「戦争で亡くなった軍人も民間人も等しく悼む」とかまた、「戦争の犠牲者を悼む気持ちは貴い」という主張は、英霊を祀る国家の責務と権限を否定する--フランス革命という名の陰惨な騒乱事件を主導した、かのロベスピエールが挙行した「至高存在の祭典」の如く--無内容で空虚な詭弁でしかない。と、そう私は考えます。

日本において、(ⅰ)国のために亡くなられた戦死者に対して、(ⅱ)<国家>がその崇敬の念を表するに相応しい<時空>は、(ⅲ)靖国神社しか存在せず、(ⅳ)ならば、<国家>の宗教性というより抽象度の高い経緯を想起するとき、<国家>が一宗教法人の施設を用いることもなんら問題ではないとも。

逆に、靖国神社への<国家>の化体の相。すなわち、首相の靖国神社参拝に関して、靖国神社の宗教施設性、あるいは、首相の信教の自由を看過した議論をしばしば目にします。実際、例えば、次のようなFinancial Times社説(2013年4月28日)「Shinzo Abe must resist dangerous distractions--Japan’s leader should stick to what is important」(安倍晋三首相は危険を惹起しかねない移り気を自制すべきだ--日本の最高指導者は現下の重要課題に専念したらどうか)を読むとき、この社説子には、これと同じようなことをイスラームの人に言ってみろと言いたくなる。

蓋し、これらの主張はキリスト教の立場からの--もしくは、キリスト教を苗床にした無神論の立場からの--神道その他の宗教や信仰を見下す上から目線の文化帝国主義的の言説以外の何ものでもないのではないでしょうか。


Mr Abe holds some unpleasant views. Still, his wish to be able to mourn his country’s war dead is not unreasonable. The problem is that Yasukuni, which is irredeemably associated with the nationalist cult of emperor worship, is the wrong place to do it. Mr Abe should use his rightwing credentials to push for the establishment of a less controversial secular memorial.

安倍首相は幾つかの論点に関してはあまり愉快ではないものの考え方をする人だ。それでも、自分の国の戦死者の喪に服することができるようにしたいという安倍氏の願望は道理をわきまえないものとまでは言えないだろう。ならばこそ問題は靖国神社である。天皇崇拝の民族主義的儀礼と救いようもなく密接に結びつきそれと表裏一体のものとして連想される靖国神社は戦死者の喪に服するための場所であってはならない。安倍首相は、右翼に対する自分の信用を駆使してでも論争の種によりなりにくい非宗教の戦死者記念施設を創る方向で汗をかくべきなのだ。


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(Ⅱ)軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設
さて、「軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設」とはどんな意味なのか。「軍国主義」という言葉の意味については下記拙稿をご一読いただくとして、ここでは仮に靖国神社が、

(α)戦前には軍国主義なるもののイデオロギー装置だった
(β)戦後も東京裁判史観を否定するイデオロギー装置である
(γ)戦後も軍国主義なるものを連想させる記号である

ということを「軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設」の意味だと理解しておきます。而して、何を見て何を連想するかは個々人の自由であり--個々の受け取り手側の問題であり--、(γ)まで靖国神社が責任を負う筋合いのないことは自明でしょう。

また、(α)は文字通り「戦前」の話であり、戦後、民間の一宗教法人として再出発した靖国神社が現在、自社が戦前に帯びていた社会的機能について他者からとやかく言われる筋合いもない。そうでなければ、戦前、それこそ、内向きの勇ましい前のめりの戦意高揚に資する記事を垂れ流していた朝日新聞もまた「軍国主義と結びついた過去を引きずる世論操作機関」であり、財務省(旧大蔵省)も文部科学省も、あるいは、国会も司法もすべて「軍国主義と結びついた過去を引きずる機関」でしかないでしょうから。

ならば、朝日新聞の言う「軍国主義と結びついた過去を引きずる宗教施設」に関して意味を持つのは独り(β)に尽きると思います。けれども、東京裁判史観に批判的だからといって何が問題なのか。それこそ、東京裁判史観の見直しを行うことは誰にとっても自由でしょう。また、日本政府も東京裁判史観などには毫も拘束される筋合いはない。なぜならば、サンフランシスコ平和条約にせよ数多の二国間の平和条約にせよ、土台、条約や憲法が個人やある国家の歴史観を規定するなどできるはずもないからです。

而して、上でも述べたように、靖国神社で英霊に尊崇の念を表する行為は、神道の形態を借りつつも宗教としての<国家>の営為に参画するより抽象度の高い行為と言える。だからこそ、カトリック教会はいまだにその信者が戦前に靖国神社に参拝した行いを是認しこそすれ批判はしていない。ならば、よしんば、靖国神社が現在も東京裁判史観を否定するイデオロギー装置であるとしても、このより抽象度の高い<国家>の営為を首相が行うことはなんら問題はない。と、そう私は考えます。

・平和主義とは何か-戦前の日本は「軍国主義」だったのか(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62147174.html

・戦争責任論--語るに落ちた朝日新聞の社説(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62017974.html


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