ノーベル賞の黄昏--自然科学部門と人文部門が織り成すメビウスの帯び--




ノーベル賞自体19世紀末の画期的な発明なの、鴨。例えば、現在では世界的にもその権威が認知されている京都賞はその旗揚げに際して(1985年)創設記念特別賞をノーベル財団に授与しました。而して、その授賞理由に曰く、ノーベル賞(1896年創設→1901年授賞開始)は「20世紀の普遍言語」であり「現在、・・・学術的顕彰の究極的な基準として、揺るぎない威信を誇っている。これほどの権威と威信とをかちえたのは、厳格な審査による・・・受賞者選定の実績」による、と。

他方、ノーベル賞には幾つかの批判が繰り返されてもいる。すなわち、

(A)自然科学部門3賞における審査の厳格さと比べて、文学・平和・経済学の人文部門3賞の審査は恣意的
(B)物理学、化学、生理学・医学の自然科学部門3賞の授賞対象実績も、現在では専門化・細分化が顕著で「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」というノーベル賞の選考基準からかけ離れてきている


人口に膾炙していることではありますが、(A)の人文部門を巡る審査の偏向と恣意性に関しては、1964年に文学賞を辞退したサルトルの「ノーベル文学賞は、西側の文化を意図的に擁護し、もって、東西対立を煽っている」という--その「東側」なるもの自体が1989年~1991年に崩壊してしまって--現在ではかなりピントのずれた発言も、「西側」と「東西対立」を各々「西欧のリベラル派」と「西欧の文化帝国主義に対する人類の大部分を占める非西欧側からの反撃」と読み換えれば今でも満更参考にならないわけではない、鴨。

而して、1969年に新設された経済学賞がその受賞者リストを読み返すとき「経済学シカゴ学派賞」の様相を呈していること。よって、「ノーベル経済学賞は経済学シカゴ学派賞でしょう?」という批判に応えるべく、逆に、学術的にはかなり際物の、少なくとも「人類の福祉に最も具体的に貢献した」とは到底言えないだろう--しかし、西欧のリベラル派の琴線には触れるらしい--脱市場主義的かつ非権力的な経済運営の提案にも授賞のお零れが廻っているらしい経済学賞の現況を概観するとき・・・。

なにより、受賞時点ではそして現在でも--佐藤栄作総理(1974年)とは異なり--なんの実績もない、単に「核兵器のない世界を目指す」と発言しただけの就任直後のオバマ大統領に対して平和賞が授与された(2009年)こと。あるいは、その銃撃遭難の後、教育の分野でご自身がなんらかの具体的な実績を残したわけでもないマララ氏が「銃撃に屈せず教育の権利と価値を世界に訴えた」とかいう理由で受賞者の聖列に加えられた(2014年)こと。等々、反米的かつ西欧のリベラリズムのバイアスが濃厚な平和賞の選考を巡る審査の偏向と恣意性を直視するとき(A)は満更邪推とはいえないでしょう。

また、(B)に関しても、相対性理論の確立や量子力学の形成などの現代科学の黎明期とは異なり--ちなみに、「相対性理論」はアインシュタイン(1921年物理学賞受賞)の授賞対象業績ではありません--、大規模かつ最新鋭の研究施設がない限り「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものは最早誰にも不可能になりつつある現在、紙と鉛筆さえあればそのような研究も才能ある個人には達成可能と想像する人はそう多くはないのではないでしょうか。


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しかし、事情は些か複雑。すなわち、

(Ⅰ)人文部門を巡る審査の恣意性と偏向は明白であるにせよノーベル賞の権威は自然科学部門と人文部門がその主従の関係をメビウスの帯びの如く入れ替わることで形成されてきた。ならば、人文部門をノーベル賞から切り離せばノーベル賞はその権威を保つことが可能とは単純には言えない。

(Ⅱ)ノーベルがノーベル賞創立のための遺言状を認めた19世紀末(1895年11月27日)に比べて現在では、自然科学自体の領域の拡大--よって、研究者の増大--は顕著。而して、毎年、授賞業績を一つに限定し、かつ、各賞3人までに絞って顕彰する現在のスタイルでは自然科学部門3賞の権威も早晩維持できなくなるだろう、と。

重複を恐れず(A)(B)をこの認識から整理しておけば、


(再論A)人文部門の審査は恣意的だけれども、人文部門は偶さかではなく構造的にある時期にはノーベル賞全体の権威と威信の形成に寄与してきた。

けれども、ノーベルが遺言状にサインしたのは、正に、日清戦争が終結した年。要は、西洋の没落を現実化した第一次と第二次の世界大戦後の世界をノーベル平和賞は想定していない。土台、マルクス同様、ノーベルが「人類」や「世界」と言うとき、そこに非西欧の国々や国民が含まれていたかどうかもかなり怪しい。

加之、人文部門の審査の間主観的な妥当性の基盤であった西欧のリベラリズムの神通力は現在では消失している。ならば、人文部門3賞は単に「西欧の文化帝国主義の浸透と防衛にノーベル賞全体の権威を用いて最も具体的に貢献してくれそうなプレイヤー」に授与される北欧ローカルな賞にすぎず、ノーベル賞の人文部門の人類史的な意義もまた消滅してしまっている

(再論B)自然科学自体の変容のみならず、--膨大な国家予算が投じられた施設の存在を前提に夥しい数の研究者がバーチャルにせよ細分化した領域を国際的に分業して研究を進めている--自然科学研究者の知識社会学的なあり方の変化を直視するとき、

しかし、真面目な話、①学際的な分野をカバーする自然科学部門における新賞の大幅な追加、あるいは、②各賞ともに毎年の授賞対象の業績分野を複数個認めることにして、もって、結果的にせよ受賞者を大幅に増やす、例えば、各賞毎年30人程度に授与するなどの変更はノーベル賞の希少性、よって、同賞の<知識社会学的な市場価値>を自ら棄損する禁じ手だろうから(笑)、

「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」に与えられる立前のノーベル賞の自然科学部門の人類史的な意義もまた--自然科学専門家の社会的影響力の肥大化の趨勢の中で、パラドキシカルながら逆に--逓減してきている


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敷衍します。

再々になりますけれど、北欧の小国のリベラル派--ノーベル賞の勧進元ノーベル財団の本拠地にして自然科学部門3賞と文学・経済学の人文部門2賞の胴元であるスエーデンでも神奈川県と同じ人口規模であり、残りの平和賞の胴元のノルウェーに至っては福岡県を下回るそんな小国に跳梁跋扈している<リベラル派のキツネ>--による自然科学部門という虎の威を人文部門に流用するマヌーバーは現在では周知のこと。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

けれど、残像にせよノーベル賞の人文部門の権威と威信は、厳格な審査によって受賞者を選定し続けてきた自然科学部門の流用によるものばかりとは言えない。蓋し、少なくとも、メビウスの帯びの如くある時期には人文部門がノーベル賞の権威と威信を専ら形成してきたと言えるかもしれないから。いずれにせよ、北欧キツネのマヌーバーというそんなテクニカルな契機とは別に、西欧のリベラリズムの神通力の消長とノーベル賞人文部門の権威と意義は運命を共にする他ない。と、そう私は考えます。


整理します。

(ⅰ)ノーベル賞創設からの数年間、--自然科学はまだそれほど大きな社会的な関心事、就中、西欧の上流階級層の主要な関心事ではなかったのではないか、ならば、--ノーベル賞の自然科学部門と人文部門の関係は、あたかも、近代オリンピック創立時のオリンピックと万国博覧会の如きものであり、前者は後者の余興や付属品にすぎなかったの、鴨。

国際オリンピック委員会の設立(1894年)から、とにもかくにも第1回アテネ大会(1896年)開催に漕ぎつけた--ギリシア国民を騙したと言われてもあまり文句も言えないかもしれない--見事なクーベルタンの演説と手練をもってしても、第2回~4回(1900年~1908年)の大会は、各々、パリ万博・セントルイス万博・ロンドン万博の余興という社会的と国際的な位置づけを脱することはできなかった。これとパラレルな現象がノーベル賞両部門に関しても観察できるのではないかということです。

(ⅱ)科学が産業と密接に結合して、ある国の国運を自然科学の研究水準が、よって、量と質の両面での自然科学教育のパフォーマンスが決する時代に突入するとともにノーベル賞は各国がその国民教育を編成する上でのまたとない目標型のシンボルとなり、ノーベル賞の権威は、漸次、自然科学部門の審査の厳格性と間主観性に収斂することになったの、鴨。

(ⅲ)自然科学と自然科学者の知識社会学的なあり方の変化にともない、その審査が厳格であるとしても自然科学部門が自然科学全体について「人類の福祉に最も具体的に貢献した独創的な基礎研究」なるものを選考することなど制度的に不可能になってしまった現在、逆に、ノーベル賞の権威と威信の過半は--「権威と威信」なるものが「世界的な注目を集めること」にすぎないとしても、そして、ボジョレーヌーボーの解禁と同様に日本ほどそれについて毎年大騒ぎする国は先進国では少ないのですが--人文部門が再度担う様相を呈してきているの、鴨。



いずれにせよ、また、「権威」をどのような意味に解するにせよノーベル賞全体の権威は消失しつつある。蓋し、「ノーベル賞」は「20世紀の普遍言語」だったかもしれないけれど21世紀ではかなり特殊な言語にすぎなくなっている。

すなわち、自然科学部門では、それは、--原発問題やエボラ出血熱への対応を想起すれば誰しも思い半ばにすぎるように、最早、「権力」と表すべき専門家の社会的と政治的の影響力が強大化する中で、逆に--ほとんどの自然科学の基礎研究をカバーできない特殊な言語。他方、人文部門では西欧のリベラル派のコミュニティー内部でしか通じない--国際語を自称しながら話者は世界全体でも100万人程度の愛好家にほぼ限られるエスペラントの如き--かなり歪な言語になりつつある。私はそう考えます。

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蓋し、(ⅰ)の下限時期の確定のためにはノーベル賞設立当時の欧州の新聞や書簡の原典を網羅した文献学的な研究が、そして、(ⅱ)の下限時期の確定には産業と教育に関する重回帰分析を織り込んだ統計的な手続が不可欠でしょう。それはちょっと大変。

ですから、ここでは(ⅰ)の下限を日露戦争で日本がロシアを判定引き分けに持ち込んだ年(1905年)、そして、(ⅱ)の下限を自然科学部門での日本人受賞者の増加が顕著になり--それは相対的に欧米におけるノーベル賞自然科学部門の社会的な権威と意義が減退した証左でしょうから--、かつ、同時多発テロが世界の現実の風景となる中でリーマンショックが起きた年(2008年)--西欧の文化帝国主義の神通力の破綻、および、資本主義の経済を、すなわち、産業と一体となった自然科学の運動を人類が完全には制御できないことが明白になった年、逆に言えば、19世紀的な予定調和的で牧歌的な<知のあり方>のイメージが完全に粉砕された年--と仮置きさせていただくことにします。

ならば、これはどこまでも私の仮説ですが上記のメビウスの帯の推移はこう理解できる、鴨。

(ⅰ)人文部門優位:創設の1896年~日露戦争終結の1905年
(ⅱ)自然科学部門優位:1905年~日本人受賞者の増加が顕著になった2008年
(ⅲ)人文部門優位:リーマンショックの2008年~現在



老兵は死なずただ消え去るのみ。

蓋し、ノーベル賞はなくならないのでしょう。けれども、
その権威と意義はすでに<北斗の拳>状態なの、鴨。


いずれにせよ、自然科学部門での日本人受賞者の年齢と経歴を鑑みるに、ノーベル賞級どころかノーベル賞そのものが象徴する「世界水準の独創性」なるものは、リベラル派が蛇蝎の如く嫌う詰め込み教育や受験体制を通して形成された--対照実験はできないけれど、少なくとも、詰め込み教育と受験体制は独創性の形成をそれほど妨げたとは言えない--のではないでしょうか。と、そう私は考えます。


<(_ _)>

お粗末様でした。

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