ソフトバンクホークス秋山幸二監督に見る<指導者の器>と保守主義の精神(下)




畢竟、<指導者の器>とは何か。
人はある人物がどのような行為を行ったときに、
その性質が彼や彼女に憑依していることを確信するのか。
つまり、私達が<指導者の器>を感じ理解しているポイントと仕組みはなんなのか。

私のアイデアは「KABUのフレミングの左手と右手の法則」モデルと称すべきもの。

蓋し、<指導者の器>に連なる人間の能力として--繰り返しになりますけれども、「金融業界で法人営業部門のジェネラルマネージャー」として活躍する能力の如き、その指導者としてのタスクを全うするための能力が幾つかの要素に還元され測定され得るケースは除きます、だからこそ、世の中にはMBAやロースクール、TOEIC対策スクールや簿記学校が数多存在するのでしょうから、そんなケースも希ではないでしょう--次の性質が観察された場合にのみ人はある人物に<指導者の器>を感じるのではないかということ。すなわち、それは「肝が据わっている」とか「寡黙かつ明敏」とかいう言語明瞭ながらも意味不明なものではなく、次のような確認可能な事象だろう、と。

▼KABUのフレミングの左手の法則
(ⅰ)情報処理のスピード
(ⅱ)情報処理のキャパシティー
(ⅲ)情報の空間的把握能力

▼KABUのフレミングの右手の法則
(ⅰ)適格な情報発信(内容妥当な言語行為)
(ⅱ)適切な情報発信(聞き手の要求や関心を理解した言語行為)
(ⅲ)時宜をえた情報発信(リスクを避けない言語行為)



繰り返しになりますけれど、重要なことは、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」で観察できるある人物の指導者としての能力は単一であり、よって、左右の各(ⅰ)~(ⅲ)は<指導者の器>の分解可能な要素ではないということ。だかこそ、分子・原子・素粒子という要素還元的なモデルではなく「フレミングの法則」モデルを採用しているのです。

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「KABUのフレミングの左手の法則」および
「KABUのフレミングの右手の法則」の相補性


例えば、凡庸な風貌の鈴木善幸元首相が実際は鋭敏な方であったらしいこと、あるいは逆に、宮澤喜一元首相は「左手の法則」分野においてのみ秀逸だったのではなく、大胆不敵かつ少しお酒をきこしめせば気さくで陽気な好人物であったらしいことからも推察される通り、馬鹿でも小物でも指導者はつとまらない。

ならば、この左右の「フレミングの法則」モデルで観察・理解できるある人物の指導者としての能力は--相関関係とまでは断言しませんけれど--相補的なのものでしょう。つまり、「左手の法則」からみて劣る人物は、実は、「右手の法則」においても劣るのであり、その逆も真ということ。

実際、天動説よろしく、ご自分を中心に「東アジア共同体」なるものを振り回して、もって、日米同盟をズタズタにし、あまつさえ、普天間基地移転をご破算にした鳩山由起夫氏。東日本大震災への対応の自らの拙さを逆手にとって政権の延命をはかろうとした菅直人氏、あるいは、お隣の告げ口おばさん大統領閣下などが「右手の法則」のみならず、実は、「左手の法則」でもシャビ-な指導者の好例でしょうか。

その時々に指導者に要求されている限度と内容を超えて--要は、組織が自分に要求していることがら、および、自分が率いている組織の置かれている現状を理解せずに--「左手の法則」分野の能力自慢をするようなタイプの人物は、「右手の法則」の分野でシャビ-なだけでなく、「左手の法則」の分野でも頭が悪く、文字通り、馬鹿だということです。蓋し、「右手の法則」の分野でシャビ-な人物は「左手の法則」の分野--情報処理の速度・キャパ・空間的把握能力--のいずれか、あるいは、すべてについて指導者としては問題があるのでしょうから。


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保守主義と<指導者の器>の親和性

指導者の能力とは、日々変転してやまない状況を睨みながら、自分が率いている組織が自分に求めていることを察知して、その組織のためにリスクを取り決断をおこない、結果に対して責任を負うことのできる能力でしょう。

而して、日々の状況変化の理解にさいしては最終的には出来合の教条に頼ることなく--だって、指導者が直面している状況は日々過去に前例のない事態なのですから--、有限なる自分の能力の範囲でそれをおこなう潔さ。正に、これ自己責任の原則の尊重であり、ならば、究極的にはですが、教条を軽蔑するこの態度と精神こそは、言葉の正確な意味での「保守主義」の紀律と精神と言えるの、鴨。

更に、逆に言えば、<指導者の器>を備えた人物は日々成長を怠らない、「左手の法則」および「右手の法則」の両分野を二重螺旋状に恒常的に発展していけるタイプの人物なのだと思います。万物が流転する世界では、止まっているためには成長しなければならないのでしょうから。

畢竟、このブログでもしばしば記している「定義」ですけれど、--所謂「バークの保守主義」なるものは思想の博物館の陳列品でしかないでしょうから--現在における保守主義を、

①自己の行動指針としては自己責任の原則に価値を置く、そして、②社会統合のイデオロギーとしてはあらゆる教条に疑いの眼差しを向ける、よって、③社会統合の機能を果たすルールとしては、さしあたり、その社会に自生的に蓄積された伝統と慣習に専ら期待する、換言すれば、その社会の伝統と慣習、文化と歴史に価値を置く態度を好ましいと考える--白黒はっきり言えば、伝統と慣習の中には(もちろん、その領域は時代と共に変動するのでしょうけれど)社会的非難という道徳的強制のみならず国家の実力を発動してなされる法的な強制によっても維持されるべき領域が存在すると考える--立場。

ならば、④その社会の伝統と慣習、歴史と文化に価値を置く態度や心性がその社会のスタンダードな態度であり心性であることを認めリスペクトするような<外国人たる市民>に対しては、逆に、--古来、日本が「帰化人」の人々に対してそうしであったように--彼等の伝統と慣習、歴史と文化を<国民>の方も尊重しリスペクトするべきだと考えるタイプの社会思想である、と。


思想の内容面ではなく、思想の形態面から「保守主義」をこのように再定義する場合、<指導者の器>とは自己の能力の有限性を心底理解して日々自己の能力の開発を怠らない保守主義の態度と精神。そして、自己の決断に責任を負いつつ結果を残し続ける保守主義の紀律の実践と言える。

よって、「ホークスの監督は秋山幸二をおいて他にいない」というような<信用>を蓄積すること。そのような、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」の両分野において、彼や彼女が継続的に自己成長できること。そのような<保守主義>の具現と顕現に他者は<指導者の器>を感じるのではないか。と、そう私は考えます。


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二点補足しておきます。

悪に強ければ善にも強いのか。

蓋し、本稿で俎上に載せている<指導者の器>というのは、ホークスでもジャイアンツでも、永田町でも霞ヶ関でも丸の内でも通じる一般的な事柄。だから、「KABUのフレミングの左手と右手の法則」およびそれらの相補性と二重螺旋的な発展性は、例えば、任侠系の組織や日教組や自治労にも言えることだと思います。<指導者の器>とある組織の反社会性とは取り敢えず別のことがらだろうから。

しかし、それなりの<指導者の器>を備えたほどの人物ならば、彼や彼女は人生のどこかでそんな反社会的組織を離れる選択をそれなりの確率でおこなうのではないか、と希望的に推察します。もっとも、自分や日本を中心に世間や世界が廻っているのではない現実を踏まえるならばそれは現実的には難しいことでしょうけれどもね。ならばこそ日教組の組織率はこの10年余りの間、20%前後でだらだらと推移しているの、鴨。


二つ目の補足。
それは官僚制の罠。

ある組織が他の組織に対して持っている優位性や関係性が固定している場合、要は、旧陸軍や旧総評、あるいは、官公庁や朝日新聞の如き<官僚的な組織>では、個人の属性である<指導者の器>よりも、他の組織に対するその組織の利益防衛というより特化された優秀さに従い指導者が選ばれる傾向があるのかもしれないこと。

すなわち、そんな<官僚的な組織>では--日々変化する現実に対する対応能力という意味での指導者の能力は、現実の変化が、少なくとも、世間や世界よりは相対的に組織内部にいる者にとってはそう大きくはないがゆえに--「KABUのフレミングの左手と右手の法則」で確認できる性質よりも、組織防衛に前例踏襲型の情報発信を行うタイプの人物が「出世」しはるの、鴨ということです。

ならば、その人事プロセスは朝日新聞にとっては、
今までは目的合理的だったのかもしれませんが、
日本国民にとっては迷惑な話です。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。


蛇足ながら更に確認。中国共産党という官僚的組織において数次にわたる失脚を潜りながらも「やはり最高指導者はあの人しかいない」と衆目の一致した評価を獲得して、「支那の最高実力者」に上り詰めた鄧小平先生は、敵ながら天晴れな<指導者の器>の方だったと思います。蓋し、敵ながら鄧小平先生は<保守主義>の同志であったと。

( ..)φ( ..)φ( ..)φ

他方、絢爛豪華な言葉と流麗可憐なロジックを駆使しながらも、結局、この6年間で国内外を騒がせる以外--ノーベル賞を任期初年にもらった以外?--なんの実績も上げていないオバマ大統領は、その政治思想の内容面から見てリベラルなだけでなく、<指導者の器>の点で「リベラル=駄目」である。と、そう私は確信しています。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。



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アメリカから野球が渡来して優に一世紀。そのアメリカでも野球は日々変化してきました。例えば、1845年に、ニューヨークのニッカーボッカー・ベース・ボール・クラブが制定したルールが源流とはいえ、「試合は21点先取で終了」「打者に対する投球はピッチでスローではない(下手投げでうちやすいボールを投げなさい)」等々の当時の規定を眺めるとき、文字通り隔世の感を誰しも覚えるでしょう。

野球規則だけではない。FA制度、DH制度の導入。今では日本人のメジャーリーガ-は極普通の存在ですものね。その背景として、沢村栄治氏やスタルヒン氏が活躍した投手が圧倒的に有利な時代から、日米共に打者有利の時代への変遷・・・。<野球という言語>が話される言説空間は日々変化している。間違いない。それは、私のような素人にもわかること。

而して、けれども、野球とはアメリカという保守主義の根づく世界が生み出し日々育てている<ゲーム>であり、よって、野球の世界は保守主義と親和的な<野球という言語>が日々話される自生的秩序の織り成す世界と言えるの、鴨。

・ダルビッシュ選手頑張れ!
-而して、野茂英雄選手に回顧する「アメリカ社会侮り難し」の体験
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11183710819.html


何を言いたいのか。それは、保守主義に貫かれたアメリカ社会の伝統という与件を考えた場合、ならば、最早、メジャーリーグと地続きのプロ野球の世界で<指導者の器>たる人物とは--「KABUのフレミングの左手と右手の法則」モデルを用いて上に述べた一般的な「人的資源開発論-組織論」という観点を超えて--、保守主義との親和性が更に高いだろうということです。閑話休題。


いずれにせよ、日々変遷する状況を睨みながら二軍監督時代を合わせれば10年間若手を育て、移籍してきた選手をチームに溶け込ませ、なにより、移籍してくる大物を前に意気消沈し腐りかけている生え抜きの中堅メンバーにチャンスを与え奮い立たせる・・・。そして、決断は自分でおこない責任は自分が負う。このような指揮官の保守主義と整合的な態度と精神を感じて、ファンも選手も「ホークスの監督は秋山幸二をおいて他にいない」と確信し、オーナーも補強費用を惜しまなかった(笑)。

畢竟、

秋山幸二監督は<指導者の器>を備えた人物であった。
と、そう私は考えます。


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