マララ氏のノーベル平和賞受賞雑感--文化帝国主義の尖兵としてのマララ氏




私はマララ氏のノーベル平和賞受賞自体にはなんの感慨もありません。
というか、ノーベル賞自体にあまり興味がないから。
冗談抜きに、来年度のAKB48総選挙の1位を誰が取るのかに比べれば、
ほとんど気にもしていなかった。

・ノーベル賞の黄昏--自然科学部門と人文部門が織り成すメビウスの帯び--
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62784921.html

しかし、本物の総選挙(2014年12月14日)関連のニュースが知りたくて珍しくTVを見ていると、彼女の授賞式をやっていた。いつもの通りの演説内容で嗤っちゃったけれど、一発屋さんなんだから、「ワイルドだろー!」同様、それはそれでよいとして、おいおいおいと、記憶に残ったのがノルウェーの授賞式会場周辺はノルウェー軍による厳戒態勢が敷かれているという情報とその映像。

で、思った。

今後、イスラーム過激派なりがこのマララ氏へのノーベル平和賞授賞の件にからめて、多数の少女を殺戮するなり、拉致するなりする場合、その充分に予想できる事態を惹起させたことに対してノーベル平和賞の胴元であるノルウェー議会はどう責任をとるのかと。

だって、自らの意図的な行為によって--マララ氏にノーベル平和賞を授与したことによって--当然起こりうる結果が火を見るよりも明らかである場合、そこには、間違いなく--法的なものではないにせよ政治的と道義的な非難可能性が生じうるーー因果関係が存在する。ならば、これから惹起する多くの少女達の身に降りかかる事態に対してノーベル平和賞の選考委員会はどう責任を取るのか。そう思ったということです。

これは、テロリストには屈しないとか、
暴力には屈しないということとは次元が異なると思うのです。

むしろ、攻撃を仕掛けているのはマララ氏を尖兵にしたノーベル平和賞選考委員会の方なのだから。ならば、どちらが正しいということではなく、この件は、あくまでも彼等の立場から見ればですけれども、西欧中心の文化帝国主義の攻撃に対するイスラーム過激派の側からの一種の正当防衛というか正当な反撃なんだろう。揚げ足を取られたくもないので、繰り返し言いますけれど、私自身、イスラーム過激派の主張はまったく支持しませんけどね。要は、この件はイデオロギーの問題であり、論理や議論で決着のつくものではないということ。それだけは確かなのだと思います。

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蓋し、マララ氏の意図とは別にイスラームのある人々にとっては彼女は「文化帝国主義の尖兵」でしかないのだろう。

要は、子供の人権、教育を受ける権利・・・。このような、口当たりは良いけれど、その国や地域や社会の文化伝統を破壊する諸々の文化帝国主義的なイデオロギー攻撃に対して、少なくないモスリムの男女は怒っている(もちろん、怒っていないモスリムの人々も全然少なくないのですけれども)。

要は、「子供の人権、教育を受ける権利」などは普遍的な価値ではないということ。例えば、日本では偶さか、--江戸期の子女教育の蓄積の上に導入された明治以降の学制が伝統になるに及んで--それらは国民の法的確信を得た憲法的権利なのでしょうけれど、それは普遍性の根拠にはなりえない。ましていわんや、国際人権規約などは規範内容の普遍性とは無縁の事柄でしょうから。

而して、西欧の--しかも、英米および日本とはかなり異質な--リベラル派のイデオロギーにすぎないものを普遍と称してノーベル賞を17歳の少女に振る舞う。そんな狡猾で見え見えのノーベル賞委員会の狙いがわからない方が世界でも世間でもナイーブというものでしょう。

換言すれば、別に、マララ氏ご自身にはなんの罪もないけれど、ノーベル平和賞選考委員会は、マララ氏をだしにして単なるローカルなイデオロギーを普遍的な価値でもあるかのように演出した。と、そう私は考えます。


そして、なにより、そんな西欧のリベラル派のローカルイデオロギーが茶番にせよ、ライブで世界に配信され、もって、普遍を称しえているのも、実際の所、欧米の軍事力と経済力の裏付けがあってのことだと。

昨夜のものものしいノルウェー軍による授賞式典会場周辺の警備は、
そのことの端的な証左ではないか。そうも私は感じました。



蓋し、ノーベル平和賞自体はノーベルの遺言によってできたものだから、
いきなりなくすのは難しいだろう。けれど、少なくとも、せめて、
紛争当事者のいずれかに肩入れするような選考とならんで、
文化帝国主義的な色彩濃厚な選考も金輪際やめるべきではないか。
ノーベル平和賞自体が紛争を激化させていてもつまらんでしょうからね。
と、私はそう考えます。

畢竟、価値相対主義を基盤とする保守主義しか、
世界の多様な国家と民族に<平和的共存>をもたらす、
イデオロギーはないのかもしれないということもまた。

敷衍します。

寒梅も南天も風雪に耐えた<伝統>が憑依しているからこそ
美しいのでしょう。 而して、個々の伝統の内容は国や地域や
民族によって違うだろう。けれど、<伝統>を尊重するという
保守主義の態度は世界の多様な国家と民族にも了解可能であり、
渋々にせよ受け入れ可能ではないかと私は考えるということです。


ちなみに、新カント派の教えるところ「価値相対主義」とは、

絶対的な価値は絶対にない・・・とする立場であり、それは
絶対的な価値は絶対にある・・・とする立場同様に、
もちろん、「主義」ですから一種の絶対主義なのです。

そして、いつでもどこでも誰にでも妥当する価値は存在しないが、
今の私に必然性をもって妥当する価値の存在を価値相対主義は否定しません。

ならば、

価値相対主義とは自分が信奉する価値の必然性を否定しないけれど、
その価値が異なる文化伝統を呼吸する他者に対しては必ずしも
規範的拘束力を帯びないという経緯を直視する思想なのでしょうから。


尚、文化帝国主義を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読
いただければうれしいです。


・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62298200.html

・保守派のための「立憲主義」の要点整理
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/62554338.html

・憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、
<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61686136.html


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