歴史修正主義を批判するリベラル派の知性の貧困--占領憲法をガダラの豚にしましょう




日本では選挙を通した政治の表舞台での競争では到底勝ち目がないからか、朝日新聞や岩波書店をはじめとするリベラル派からは安倍晋三首相に代表される保守派に対して「反知性主義」だの「歴史修正主義」といったレッテル貼りが横行しているようです。

彼等の言う「歴史修正主義」や「反知性主義」なるものの意味は、しかし、それほど明確ではないと思う。言語明瞭なれど意味不明なレッテル。すなわち、「おまえの母ちゃんでーべそ」の類の罵倒語を投げつけているにすぎないの、鴨とも。

こう書くと、リベラル派からは、

>歴史修正主義とは、大東亜戦争が日本の
>侵略戦争であった事実を否定するか軽視して、
>侵略戦争を日本が行った反省の上に築かれた、
>憲法の平和主義や外交の国際協調路線を
>修正しようとする立場です。このような、
>歴史修正主義からの言説は、
>ポツダム宣言からサンフランシスコ平和条約をも貫いている
>戦後の世界秩序に対する挑戦といえるのです


あるいは、

>反知性主義とは自分が直接は体験していない事柄
>に対して体系的に想像する力である<知性>を
>軽視する態度。よって、例えば、自分が生まれては
>いなかった時のこととはいえ、戦争の惨禍を慮ることなく、
>日本の戦争責任や戦後責任を理解すること乏しく、
>而して、戦後民主主義が営々と築いてきたこの国の
>平和主義を修正するような立場は反知性主義なのです


とかとか「ご教示」いただけるのかもしれません。

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けれども、感じる力である感性、言語で論理的に考える力である悟性と区別される理性や知性は想像する力であり、過去の知的作品を理解する能力であり尊重する態度でしょう。

而して、カント『純粋理性批判』(1781年)が喝破したごとく、その想像の翼の行きつく先には限界はない。ならば、--戦後のリベラル派の言説を尊重し踏まえた上で--自分が直接は体験していない事柄に対して体系的に想像する力である<知性>を駆使した結果、

その帰結が、リベラル派とは違い、

「大東亜戦争は日本の国家防衛戦争だった」「日本は--ナチスというガダラの豚にすべての責任をおっかぶせて国家としては戦争責任を長らく認めてこなかった姑息な--ドイツとは違い、国際法史上ほとんど類例のない精度で戦争責任は完済している」、そして、「対テロ戦争や支那の尋常ならざる軍拡と海洋進出傾向を睨めば占領憲法9条の改正は不可避ではなかろうか」という地点に至るとしてもそれは反知性主義と言われる筋合いはないのではないでしょうか。

少なくとも、それは「大東亜戦争は日本の侵略戦争であり、日本には重い戦争責任や戦後責任なるものが課せられている。もって、戦後民主主義が営々と築いてきたこの国の平和主義を修正することには反対する」とするリベラル派の立場と知性の度合いでは等価である、と。そう私は考えます。

要は、リベラル派は「反知性主義」というレッテルを保守派に投げつけることで、単に、自陣のイデオロギーを手前味噌的に称揚しているにすぎない。彼等は、戦前的な価値観という悪霊が憑依する靖国神社、あるいは、天皇制をもガダラの豚に見立てて打倒したいと願っているの、鴨とも。

ただね、それは自己が正しいと信じる価値や信仰を告白する、

>真理告白的言説
>信仰告白的言説

を保守派をだしにして行っているにすぎない。
その言説の根拠は薄弱ではなくて皆無ではないか。
そう私は考えます。而して、もし、この見方が
満更間違いではないとすると、畢竟、そのリベラル派の言説は
保守派にとって迷惑というか失礼な話でしょう。


▼ガダラの豚--マタイによる福音書(8章28節-32)
イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその

辺りの道を通れないほどであった。

突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」

はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。

イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。

When he came to the other side, into the country of the Gergesenes, two people possessed by demons met him there, coming out of the tombs,

exceedingly fierce, so that nobody could pass that way.

Behold, they cried out, saying, “What do we have to do with you, Jesus, Son of God? Have you come here to torment us before the time?”

Now there was a herd of many pigs feeding far away from them.
The demons begged him, saying, “If you cast us out, permit us to go away into the herd of pigs.”

He said to them, “Go!”
They came out, and went into the herd of pigs: and behold, the whole herd of pigs rushed down the cliff into the sea, and died in the water.


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歴史学が科学であり歴史が<物語>である以上、時代とともに歴史は恒常的に書き換えられるもの。ならば、朝日新聞が2015年の元旦社説「グローバル時代の歴史―「自虐」や「自尊」を超えて」に苦々しげに書いているような事態「フランスで昨年、第2次大戦中の対独協力政権(ビシー政権)について「悪いところばかりではなかった」などと書いた本が出版された。批判の矛先は、これまでの歴史研究のほか家族など伝統的な価値観の「破壊」にも向かう。ベストセラーとなった」といような事態は、寧ろ、歴史学と歴史の本性から見れば健全なことではありますまいか。

蓋し、「歴史修正主義」なるものが批判されるのは、社会科学としての歴史学の問題ではなく、おそらく、政治イデオロギーや政治的な世界観の問題としてそれをリベラル派は捉えているの、鴨。つまり、歴史学や歴史認識の一般論ではなく、戦後の体制が尊重してきたはずの幾つかの<お伽噺>は見直すべきではない、と。

けれども、知性と同様、歴史学も進歩に限りはない。
ならば、その歴史学が供給する知識をパーツにして
日々新たに形成されている、大東亜戦争前後の日本や
戦前の日本の物語がポジティブな色彩を帯びたとしても
誰からも批判される筋合いはない。


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畢竟、「歴史修正主義」とは、本来、知性と歴史学の無限性が戦後の国家体制の正当性を突き崩す可能性を恐れたドイツで--ナチス擁護・讃美禁止法制の一環として--学問の自由・表現の自由を例外的に制約する<特例>としてできたイデオロギーであり概念。この事情は、ビシー政権を打倒して形成された第4共和制と第5共和政の正当性を維持するためビシー政権を評価する言説がフランスでは今まで忌避されてきた経緯と似ている、鴨。

ならば、敗戦時には国家権力が崩壊していたドイツ、ならびに、国家権力を現行体制が簒奪したフランスと日本は異なる。日本は戦前の体制が国際法に則り、連合国に降伏して、しかる後、戦前から継続する体制が国際法に則り主権を回復したのですから。

つまり、日本には「歴史修正主義」など論理的に存在しようもなく、よって、リベラル派から保守派が「歴史修正主義」とレッテルを貼られ罵倒される筋合いは全くないのです。はい、文字通り、ない袖は振れないから。


この事情は、例えば、「ヘイトスピーチ禁止法制」なるものがなければその社会秩序を維持できないドイツをはじめとする欧州諸国と比べて、そんなものがなくとも社会秩序の維持に支障がない日本が--および、そんな「麻薬」のようなものを導入するより現行憲法の運用に信頼を寄せるアメリカが--わざわざ「ヘイトスピーチ禁止法制」を導入する必要も実益もない経緯と似ている、鴨。比喩を使い敷衍しておけば、組織犯罪取締法制が必要な社会よりも、そんな憲法的な権利の制約の点でかなり問題のある法制がなくとも治安が維持できる社会の方が遥かに健全な社会でしょうから。


而して。このブログでも時々書いている認識ですけれども、例えば、「日本人は自身の手で戦争指導者を裁いてこなかった」という主張も間違いでしょう。戦後70年、日本国民には彼等を裁くチャンスはいくらでもあったから。そして、実際には、国会の全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を日本人は選んだから。畢竟、これこそ日本人が彼等に下した明確な<裁き>ではないか。それとも、戦時指導者への裁きとは彼等を批判・糾弾するものに限定されるとでもいうのでしょうか?

そんな限定の根拠はどこにもないでしょう。

ならば、「戦時指導者を批判的に裁くべきだった、よって、今からでも侵略戦争を引き起こした日本の責任を明確にすべきだ、まして、そんな日本の責任を否定したり軽視する言説は歴史修正主義であり、許されない」などという主張は<私怨>や<リベラル派のローカルなイデオロギー>に過ぎない。と、私はそう考えるのです。

戦後、日本は主権回復以降、あまたの条約を締結してその枠組みを誠実に順守してきました。ならば、国際社会で活動する上ではそれで十分なのであって、元来、条約などが決めようもない歴史認識に日本が拘束される筋合いは全くないということもまた。


蓋し、我々保守派は、リベラル派のイデオロギー、すなわち、悪霊、
をこそ占領憲法というガダラの豚とともに粉砕すべきなの、鴨。
そう私は確信しています。憲法改正に向けて頑張りましょう。

共に闘わん!




尚、歴史学方法論を巡る私の基本的理解については、
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・定義集-「歴史」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61007370.html

・歴史を直視できない人々
 -安倍総理の歴史認識を批判する海外報道紹介の後記-(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/61860563.html

 
また、「反知性主義批判」と「歴史修正主義批判」の基底に横たわる
戦争責任論に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。


・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html

・戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60939316.html

・サンフランシスコ平和条約第11条における「the judgments」の意味(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60937343.html


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