安全保障関連法案を巡る論評雑感--憲法学者の違憲表明の法哲学




安全保障関連法の成立もなんとか見えてきたようです。世論動向は晴朗とは言えず、「放送法違反だろぉ!」ものの法案反対露骨なTVの偏向電波は些か高くはあるが--こちらには衆議院での再可決という切り札もあり--成立までの視界は確保されたから。

ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿

でもね、ここはね、
やっぱ、成立まではね、

б(≧◇≦)ノ ・・・油断大敵!



その安全保障関連法案。国会審議中の同法案に対して多くの高名な憲法学者が「まちがいなく違憲」とか述べておられる。「高名」といっても「有名=TV常連出演者」なだけという人もいそうだけど、憲法研究者コミュニティーにおいて同法案の評判が芳しくないことは間違いない。

朝日新聞によれば、あるアンケートでは(回答者の八割!)憲法学者の多くが集団的自衛権の一部行使に向けた今般の安全保障関連法案を違憲と考えているらしい。もっとも、この間見聞きした中で真面目に考えさせられた違憲論は長谷部恭男早稲田大学教授の--前々からこの方こそ「護憲派の最終防御ライン」と看做してきた長谷部さんの--参考人発言くらいだったけど、そうですか、違憲論が八割ですか。お化け数字だね。

私は合憲だと思うんですけどね。
この差は、知性と技倆の差か(笑)。


・集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html



でもね、法律の違憲合憲が憲法学者の多数決で決まるものかしら?

そんなわけはない。そうなりゃー、文字通り「司法権の独立」消滅。
というか、「立憲主義」の崩壊。

その学説の具体的な内容に関わらず(重要なので別言しておけば、「学説を構成する命題の存在する形態」が異なるのだから)、個々の憲法研究者の認識やその集約である<学説>はどこまでいっても<憲法>ではない。


>地図と道路網

両者の関係は、市販の道路地図と道路網システムくらいのものか。両者の内容が仮に完全に一致しているとしても学説は<憲法>ではなく、それは<憲法>の内容を知る上での、不良品も希ではない参考資料のone of them。これ法哲学――法概念論や法学方法論――の常識。



>学説は法源ではない


この法学方法論のイロハの例。例えば、憲法学者の過半がいまでも自衛隊違憲論。自衛隊を「違憲」や「違憲の疑いがある」とか述べており、学説と<憲法>は鮮やかに対立している。毎年毎年、防衛関連の予算も諸法令も国会で審議され可決成立しているというのに、その実定法全体の秩序状況は彼等には見えないらしい。

>違憲状況の継続? 
>違憲かつ合法な事態?


それなりの知性と技倆の持ち主であろう、憲法研究者の多くが現下の実定法秩序を看過して「自衛隊は違憲」「自衛隊には違憲の疑いがある」等々といまだに述べている(尚、説明は割愛しますけれど、これ所謂「事実と当為の峻別」とは別問題。ここでの議論は観察可能にせよ当為・規範領域にのみ関わるものだから)。


蓋し、我が国の実定法秩序の頂点中核であり、つまり、いまこの瞬間もこの国の最高法規(下位の諸法命題に法的効力を与える最上位の法規範)として機能しているはずの<憲法>と、彼等が「憲法」として表象しているものは二重に異質。


すなわち、自衛隊の憲法適合性等々、規範の内容の面だけでなく、――内容を知るために観察すべき人々の行動の範囲と奥行きの差に収斂するだろう――「規範が法として存在している形態」(憲法典とか憲法慣習とかの個々諸々の形態を包摂して一個の体系をなした、普遍的な存在形態)という形式の面でもそれらは別物。

尚、彼等の念頭にある「憲法」は、あるいは、内容面でも形態面でも占領憲法の基本原理の一つとされる「平和主義」なるものが下位法に対して授権・制限規範としてダイレクトに作用するタイプのものなのかもしれません。

けれど、占領憲法典の条項に較べてもより抽象的でより理想主義的、よって、自らが求める事柄の実現可能性にあまりこだわってはいられない「原理」に制限規範としての機能まで期待するというのは無理筋というものでしょう。


いずれにせよ、実定法秩序と疎遠でもよいらしい彼等の「憲法」では、憲法典が大きな比重を占め、また、変化を嫌う静態的で簡素な存在形態が相応しいの、鴨。


・保守主義-保守主義の憲法観
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65235592.html





学説は法源ではない。ならば、上で述べた自衛隊の憲法適合性判断のケースと同様、それが八割にせよ、憲法研究者の多数決で安全保障関連法案が違憲になるわけがない。憲法研究者の認識の集約である<学説>でさえ<憲法>でないのなら、たまさか、火事場泥棒とは言わないけれど朝日新聞が泥縄でやったアンケート調査における多数派の認識などが<憲法>であるはずは金輪際ないからです。


というか、繰り返しますが、それらは、
普遍的な存在形態を異にしており無関係。
否、地図と道路網くらいの関係。


しかし、


世の中には、多数派の憲法学者による自信満々の違憲表明に接しては、
TV画面にむけてこんな感想を呟く人もおられるかもしれません。

すなわち、


▼▼▼▼ ▼▼▼▼ ▼▼▼▼ 
その道の専門家の一流大学の憲法学者の方が二流大学卒の

おぼっちゃま世襲首相よりも少なくとも憲法については詳しいはず。

その上、多数決結果が「8-2」とはちょっと凄くないか。




>早稲田と同志社は微妙にしても(笑)、
>成蹊大学より早稲田や東京大学

>三人寄れば文殊の知恵
>違憲論が八割


なら、支那を睨んだ場合、国の安全保障のためには必要にしても、

安全保障関連法案は憲法論の点では欠陥品なのかも。

まあ、机上の憲法論より国防の現実が20倍とは言わないけれど12倍は

重要だろうから、法案の憲法適合性なんかどうでもいいんだけどね、と。
▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲▲▲




憲法学者の発言はこんな感覚を世間に広めているの、鴨。マスメディアの信用、専門家の権威、そして、「三人でも文殊の知恵」の雰囲気もともなった多数意見の安心、それも八割・・・。こう揃えられれば、ある意味、そう感じる方がむしろ健全というものでしょう。正直そう思います。


そして、健全風味の感想の浸透による安全保障関連法案の成立阻止。
事後強盗的の結果論にせよ、リベラル派の目論見は大体こんなところか。
ならば、それ憲法論を小道具に用いた世論操作。
正直そう思います。


蓋し、憲法論という専門知体系、その虎の威を包装紙に借りた--TVの影響力と学歴神話効果もあわせ技的に用いた--法学方法論的には<憲法>と無縁な政治的DM作戦。蓋し、法学方法論的には無意味にせよ、また、「世論の動向は晴朗とは言えず電波は些か高くはあるが視界は確保」しているにせよ、憲法学者の「違憲表明」は政治的には侮れない、鴨。


いつもながら、姑息かつ狡猾、
敵ながら天晴れ、朝日新聞

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。




それにしても、しかし、双方が共に同じ<憲法>テクストを対象にしているとすれば、なぜこんなお化けの大差が付くのでしょうか。朝日新聞がしたアンケート調査のこととて母集団内の教条左翼残滓の残党の高比率という構造的要因があったにせよ、これは不思議なことかも。




畢竟、けれども、世の中に摩訶不思議なことはそうはないのです。
蓋し、ポイントはすでに述べた(A)を含む二つ。




(A)<学説>は法源ではない-<学者>は有権解釈者ではない
(B)占領憲法9条について、多くの憲法研究者は、自衛隊違憲論に顕著な如く、実定法秩序である<憲法>とは別の普遍的な存在形態をとるsomethingを「憲法」と考えているらしいこと



ことほど左様に、自衛隊違憲論者はもちろん、おそらく、リベラル派の憲法学者の多くは2014年7月以前の集団的自衛権の政府解釈をまだ<憲法>の内容と想定して議論している。それに対して、安倍内閣は、自らが見直した2014年7月の集団的自衛権解釈を内容とする<憲法>の線に沿って安全保障関連法案の憲法適合性を考えているのは当然。


現在の日本の論説空間には、謂わば、2014年憲法Ⅰと2014年憲法Ⅱの二つの憲法テクストが混在しているということ。ならば、文字通り別のテクストを解釈しているのだから、両者の認識差も不思議ではない。八割のお化け屋敷の舞台裏はこんなところか。


( ..)φ( ..)φ←お子様の自由研究?


逆転の発想です。(A)<学説>は法源ではないのだから、逆に、(B)有権解釈者ではない憲法学者は実定方秩序たる<憲法>の内容を自己制約し禁欲的に述べる必要がない。要は、自分の願望や妄想を「憲法」の内容と称しても許される自由なお子様の立場。ならば、「憲法」の普遍的な存在形態も<憲法>のそれに拘束されない。


蓋し、長谷部最終防御先生などの希有の例外を除いて、日本の憲法学者の世界は――「八割!」――お子様が多いということでしょうか。畢竟、日本の戦後の憲法学者の世界は「お子様天国の八割お化け屋敷での長い夏休み」だったの、鴨。

でもね、憲法研究者の皆さん、
そろそろ、夏休みも終わりにして


б(≧◇≦)ノ ・・・「大人の話」しませんか!





而して、「大人の話」。2015年の現在、二つの2014年憲法のどちらが――内容の度合いではなく、普遍的な存在形態に注目した法概念論から見て――より正しい憲法でしょうか。

而して、2015年の今、<憲法>、すなわち、日本の実定法秩序たる憲法は――それは、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国という国家アイデンティティー・日本の文化伝統、あるいは、憲法典・憲法慣習、そして、憲法の概念と憲法の事物の本性が一個の規範の存在形態において編み上げられた国の最高法規は――「いかなる集団的自衛権の行使もゆるされない」などを内容とするものではないのです。

畢竟、「自衛権=国家存亡がかかる緊急時の正当防衛権」は、神ならぬ能力有限な人間の想定などに拘束されず原則無制約が本性だから。例えば、「集団的自衛権を日本は持っているが、それを行使しないと憲法で決めている」というプリコミットメントなるものも「このコミットメントを守っていても国の安全保障に支障がない限り」という条件、憲法の事物の本性から演繹される条件付のものなのですから。


なら、二つの2014年憲法のどちらが正しい憲法か?
そう、福は、正解は残り物(二割)にあるのです。



ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿←今でしょうのペコちゃんKABU &

ふくふきママの命




◆余滴-ほとんど自家註
実定法とは「存在する当為」のこと。つまり、「人々の行動から観察される当為」。而して、本稿に関して重要なことは、自衛隊違憲論者だけでなく、リベラル穏健派の違憲論者も現前の実定法秩序を捨象・看過・軽視する点では同じタイプの間違いを犯しているということでしょう。


彼等は、「憲法」という言葉が手繰り寄せる規範の普遍的な存在形態を無視して、よって、<憲法>の内容を知るために観察すべき人々の行動の範囲と奥行きが理解できず、「憲法」なる記号に私的な美意識や党派イデオロギー色濃厚な内容を堂々と盛りつけている。


究極、彼等は、国民の法的確信を軽視し軽蔑し、
内容面でもその範囲を極小化しようとしている。

と、そう私は考えます。



尚、「憲法の普遍的な存在形態」という言葉。取りあえずここでは、それを英語の「a/an+普通名詞」で表す不定冠詞の総称用法の語感において、「憲法」という言葉で一般的に――しかし、「定冠詞+普通名詞」の総称用法ほど象徴的にではなく――イメージしています(←凄い手抜き!)。


実定法秩序としての憲法のイメージ。すなわち、2015年の神州の<憲法>の普遍的な存在形態はどのようなものか。蓋し、それは、カール・ポパーの言う意味の世界Ⅲに属しつつ、かつ、間主観的に――他者によってもそこで生きられてあると<私>に了解される世界で――国民の法的確信を観察確認できる抽象度の形態である。私はそう予感しています。





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