憲法と常識(上)

2009年06月29日 17時37分09秒 | 日々感じたこととか



■序
先日、2009年6月19日に成立した所謂「海賊対処法案」(すなわち、日本が消費する石油の80%が通過しているソマリア沖のシーレーンを守ること)に反対した民主党に対して麻生総理は、「我々としてやらねばならぬ大事なことだと思っていた。(民主党が)どうして反対されたのかよく分からない」と民主党の常識を疑う旨の発言をされました。また、民主党は、6月25日、野党多数の参院厚生労働委員会で同党が提出した母子加算手当を復活させる生活保護法改正案について、国会の慣習を破って「法案の事前説明」もすることなく、自民・公明両党が欠席したまま審議入りをするという非常識を行い同日中に採決、更に、翌26日に参議院本会議で可決しました。

畢竟、立憲政治を枠付けるべき憲法も所詮<法>であり(抽象的な文言で多様なケースに適用可能な法規範を定めるものである限り)、あらゆる事態を憲法典の条規で定めることは難しく、また、例えば、国防や経済の緊急事態の惹起、あるいは、社会状況の積年の変化に適切に対応するためには憲法典の条規は<解釈>や<常識>で補われる必要がある。而して、その<常識>とは何か? <常識>は<解釈>を経由するにせよどのようにして憲法と関わっているのか? 本稿ではこのようなことについて検討してみたいと思います。

本稿作成の動機は、この社会で展開されている憲法論議の少なからずがあまりにも法概念論や法学方法論(=「法とは何か」と「正しい法解釈とは何か/どうすれば正しい法の意味を知ることができるのか」の問いに対する解答の体系)という法哲学の知識を踏まえないまま展開されていることに対する不満にあります。例えば、東京外国語大学の伊勢崎賢治氏は「ソマリアの海賊退治に自衛隊を派遣するという話が出ているのにみんな「憲法違反だ」と言わない。とんでもない話だ。なんでみんな気がつかないの」と述べており、他方、所謂「憲法無効論」は、旧憲法の改正の限界の逸脱と改正手続違反(73条)、旧憲法の改正手続禁止期間規定違反(75条)、あるいは、外国軍隊の占領下での法改正の制限を定めたハーグ陸戦条約(43条)の違反等々の理由により現行憲法は無効であり、あまつさえ、現在も旧憲法が現行の憲法典であると主張している。これらは、憲法総論、法概念論、法学方法論をいかほどかでも専門的に学んだ者にとっては冗談か戯言、またはそのいずれかであり、いずれにせよ噴飯ものの主張でしかありません。而して、そのような議論が公共の言説空間で堂々と展開されているこの社会の憲法論議はやはり異常と考えるべきなのだと私には思えるのです。

蓋し、憲法といえども所詮<法>であり、憲法学といえどもそれは所詮<法律学>である以上、その条規の規範意味は専門家の助けを借りなければ素人が理解することはできないものだと思います。この経緯は、簿記や会計学、ミクロ-マクロの経済学、あるいは、数学や物理学、英語やドイツ語となんら変わらない。けれども、<法律学>、就中、<憲法学>が他の専門科学と些か性質を異にしているのは、<法>がその効力の根拠を「国民の法意識-法的確信」にも置いていること、よって、<法律学-法解釈学>が希求する「正しい法解釈-法的安定性と具体的妥当性の両者をバランスよく具備する法解釈」の正しさの基準もまた「国民の法意識-法的確信」、すなわち、<常識>をパラメーターとする関数であることでしょう。

而して、本稿では、憲法と常識を導きの糸として、①慣習や条理が法になり得る事実、②慣習や条理が法的な存在となる条件としての法的確信の存在と上位規範との整合性、③形式的な意味の憲法と実質的な意味の憲法の区別、④憲法は国家権力の正当性と正統性の根拠であり、正統性と正当性の究極の源泉は<国民の常識=法的確信>である経緯、そして、⑤法の創造も運用も法の解釈である経緯をまとめてみました。読み返してもあまり解りやすいとは正直思いませんが、しかし、法解釈、就中、憲法の解釈を巡る基礎的な法哲学的知識は紹介できたのではないかと思います。尚、現行憲法・憲法一般・法哲学、あるいは、集団的自衛権に関する私の基本的な考えに関してはとりあえず本稿末尾にURLを記した拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

■常識とは何か
もう8年近く前のことになりますが、「憲法と常識」を巡って興味深い出来事がありました。<9・11>を受けた2001年10月末、テロ対策特別措置法を巡る国会審議で当時の小泉純一郎首相が「常識」を連発したことが世間の耳目を集めたのです。例えば、朝日新聞の投書に曰く、「常識論を持ち出せば歯止めがなくなる」(「首相の常識論で何でも可能に」: 2001年10月30日)とか、「首相の真意は、憲法に優越する常識がある、ということではないか」、「常識、つまり、人が共生していく上で超法規的な社会規範があり、法律(憲法)は、それを具体化するための政策なのだ」(「共生するため 憲法超す常識」2001年11月9日)。而して、常識と憲法を巡る論点を私は次の3個と考えています。

●常識という曖昧で主観的なsomethingを根拠にした議論によっては社会の不特定多数を納得させるような法規範を創造し解釈し運用することは不適切ではないか
●常識という反論の難しい根拠で、今まで積み重ねられた法解釈の蓄積を反故にするのは当該の法規の解釈のみならず、その法規と関連する他の諸法規の解釈にも悪影響を及ぼし、法体系が具現するべき法的安定性(=法を巡る人々の予測可能性)を毀損するのではないか
●ある法規が国民の常識と乖離しているのならその乖離は常識に従い埋められるべきではないか


これら3個の問いに目配りしながら、次節以降、法と常識との関係を整理します。ポイントは、立法と行政/司法という法が自己を実現していく各プロセス、法的プロセスにおいて常識がどのように働くのか、そして、このような各プロセスにおける常識の効力の検討です。換言すれば、「法を作り法を解釈し、そして、法が運用される各場面で常識はどんな役割をはたしているのか」ということを考えてみたいのです。

而して、常識とは何か? 『広辞苑』に曰く、「常識(common sense) :普通一般人が持ち、また、持っているべき標準知力。専門知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」。更に、旺文社の『国語辞典』に曰く、「世間一般の人が共通に持っている、また、持つべきだとされる知識や判断力」。これらの辞書的定義からは、常識とは、(a)世間の普通の人々が、共通に持っている/持っていると思われても文句の言えない、(b)知識や判断力と考えられているのでしょう。しかし、では何が常識に含まれる知識や判断力で何がそうではないのか、また、それを誰がどんな権威と資格において判定するというのでしょうか。「常識とは何か」の問いはこのような奥行きを持っているのだと思います(★)。

★註:概念と定義
一般に「Aとは何か」という問いに意味のある解答を行なうためには、この世の森羅万象から<A>であるものと<Aではないもの>(以下、そのような概念を<~A>と記す。)を識別できなければならないでしょう。而して、「Aとは何か」という問いは、<A>と<~A>の区別が明確であることを必要条件とし、かつ、<A>という概念が森羅万象から切り取る諸対象にある特徴的な性質(属性)が共通に存在することを十分条件としていると思います。例えば、<犬>という概念がこの世の森羅万象から「ワンと鳴く、散歩につれていける動物」として区別され、他方、<犬>という概念が世の中の森羅万象から切り取る個々の事物の間に(つまり、隣のタローにも名犬ラッシ-にも忠犬ハチコ-にも)共通な特徴的な性質が見出される場合に初めて<犬>という概念は普遍的な意味を持ち、すなわち、「犬とは何か」の問いは有意味な解答を期待できると考えるのです。

もし、前者の必要条件を欠けばそもそも思考自体が成立しないでしょうし、後者の十分条件を欠けば「犬とは何か」の問いとそれを巡る議論は論者個々が自己の信ずる真理を告白する営み以上のものではないからです(よって、裁判所も行政官庁も国会も一切その存在を否定している現実を踏まえず、つまり、それが最高法規として機能していないにもかかわらず旧憲法が現在も現行の憲法であると強弁する憲法無効論は、ある意味、「憲法とは何か」の問いを不問に付したままその「憲法」という用語を使ってなされる無意味な主張にすぎないのかもしれません)。而して、<A>と<~A>の区別はアプリオリに明確であるという前提に拠って上記の必要条件と十分条件をクリアできるとする主張、これがアリストテーレース以来の西欧古典論理学が担保する論理の正しさの構図である。そう私は理解しています。しかし、現在、現役の唯一の哲学(科学方法論)たる分析哲学の地平からは、概念と定義を巡るこのような普遍的な関係は、白黒はっきり言えば、間違いであると思います。

分析哲学の教える所、<A>と<~A>の区別はアプリオリに明確ではなく、<A>は<~A>との組み合わせの中でのみ(しかも、言語使用の慣習的ルールに依存してのみ)<A>たりうる。要は、<犬>は<~犬>と区別されることによってのみ(すなわち、<犬>という概念は普遍性を持っておらず、消去法的な思考によってのみ)<犬>たりうる。「猫でもなく、狼でもなく、タバコでもなく、ライターでもなく、・・・でもない存在」として初めて「犬」という言葉は<犬>という概念たりうるのです。

そして、この消去法を成り立たしめているものはある言語体系における言語使用のルールに他なりません。人口に膾炙しているように、日本語では「出世魚」の如く他の言語では1種類の魚として括られる事象を複数に区切っており、他方、例えば、英語ではその年齢によって羊や牛は複数のカテゴリーに区分けされるのに対して日本語ではそれらは各々「羊」「牛」と一つのカテゴリーに括られます。蓋し、上で述べた消去法の効力が及ぶ範囲は一つの言語体系に限定される。而して、逆に言えば、(自然言語にせよ人工言語にせよ)ある言語体系の中で<A>という概念と<~A>という概念の使い分けのルールが、人為的な規約の形にせよ自生的な慣習によるにせよ定まっている場合に初めて「Aとは何か」の問いは意味のある解答を期待できる問いになるのです。

消去法的に成立する<A>という概念が森羅万象から切り取る個々の事物に共通する性質は何ら普遍妥当な特徴(属性)ではない。而して、事物間に共通の性質や特徴が見出されるか否かは、これまたそれらの性質を「共通と見るか」「特徴的と見るか」を巡る規約や慣習によって左右される。例えば、「海に住んでいる食べられる動物」という性質が重要と考えられている言語体系においては鯨も<魚>に分類されるけれど、「哺乳類」という性質に重きを置く動物学の言語体系からは鯨は<~魚>に分類されることになる。畢竟、「所変われば品変わる:Do as the Romans do in Rome.」という諺がありますが、「Aとは何か」が有意味な解答を期待できる問いか否かは、「言葉が変われば品変わる」という箴言に収斂する。尚、この註に関しては和書ですが下記をご参照ください(絶版の書籍も多いですが古書肆では比較的容易に入手できるものだと思います)。

・渡辺慧「認識とパタン」(岩波新書:Ⅰ~Ⅲ)
・碧海純一「新版法哲学概論」(弘文堂:二章~四章)
・竹内賢編「実践地平の法理論」(昭和堂:1章)
・竹内賢「法その存在と効力」(ミネルバ書房:序論)

 ・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65200958.html





■法律学における常識
法律学、特に、実定法解釈学で常識は実体的な意味を持っています。法律学において常識は、あるいは、「慣習(法)」や「条理」と呼ばれ、あるいは、(英米法における最広義の意味で)「コモンロー:common law」や「エクイティー:equity」と呼ばれます。これら様々な名称を持つ常識はいずれの場合にも、現実に法が自己を実現していくプロセスにおける重要な考慮要因であり現実を動かす力なのです。例えば、

国際法の法源(法規範の内容を確認するためのルールブック;逆に、法源を通して確認される法の規範意味のことをlaws in booksと言います)は原則、慣習法です。つまり、国際法の一般法は慣習法であり条約等の成文条規は国際法の特別法なのです。而して、一般的に言えば、国際法とは国際法の解釈と運用に従事している専門家コミュニティーに属する人々が持っている常識に他ならない。よって、例えば、国際的な安全保障に関する<常識>は国際法の言語体系の中でのみ<常識>以外のもの、すなわち、<~常識>と区別されることになります。

国内法でもこの経緯は通底しています。法例2条に曰く、「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セザル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ビ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効力ヲ有ス」と。また、民法92条「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」、と。商法1条2項「商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法の定めるところによる」、と。更に、裁判事務心得(明治8年太政官布告103号)3条に謂いて曰く、「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」、と。

蓋し、商法1条2項は、商取引に関する慣習が当該の商取引に日頃から携わる人々の間で「国家が強制力を行使してでもその慣習の内容の実現を助けるだろう」という確信を帯びるに至った場合には当該の慣習・慣行が法律そのものになることを、民法92条は所謂「事実たる慣習」が契約等の内容として法的な効果を帯びることを、また、法例2条は一定の条件下では慣習そのものが法になることを、そして、裁判事務心得は、民事裁判では習慣だけでなく条理(当該事件を審理する裁判官が自分が立法者ならばこのような法律を作るだろうと考える規範の内容)が裁判規範になり得ることを規定しているのです(★)。

★註:裁判事務心得の法的効力
明治8年太政官布告103号が現在も法的効力を持つか否かに関しては議論が分かれています。しかし、この布告が現在も民事裁判を指導する権威を持つことは誰も否定できません。而して、法的推論を導く権威であり、かつ、間主観的に確認可能な「価値」「基準」「原理」「公理」「原則」「ポリシー」も(加えて、それら確立した既存の「価値」~「ポリシー」から論理的に演繹される「価値」~「ポリシー」も)緩やかな意味で<法体系の周辺的構成要素>と理解する英米法に伝統的な思考様式を踏まえるとき、2009年の現在においても裁判事務心得はこの社会を秩序づけている実定法体系の一斑として法的効力を持つと言うべきだと思います。尚、この註に関しては和書ですが下記をご参照ください。

・矢崎光圀「法哲学」(筑摩書房:6章~7章)
・矢崎光圀「法哲学」(青林書院:6章1節~3節)


これらの慣習、商慣習法、習慣および条理の場合には、いずれも成文の法規でも判例でもない社会に存在する(「商慣習」の場合には部分社会に存在する)国民の法意識や法的な確信、すなわち、常識に法的効果が付与されており、逆に言えば、<常識>と<~常識>とは法的効果が付与されるか否かをメルクマールに、「0か1」の如く明確に区別される。つまり、国内法を対象とする法律学においても「常識とは何か」の問いに対しては充分に意味のある解答が可能なのです。

国際法と国内法を包摂する法的な言語体系において、<~常識>と区別でき、かつ、<常識>という概念で切り取られた法的諸現象に特徴的な性質とはどのようなものでしょうか。蓋し、結論から先に言えば、法律学における<常識>とは、あるタイプの法的紛争処理やある法域の法創造と運用に従事する人々が共通に持つ法的確信であり、それは他の(特に、より上位の)諸法規範との間に矛盾がない法規範と言えると思います。すなわち、(イ)その常識が問題とされる法の領域の法実現のプロセスに関わる人々の中で「その常識が法である」という確信が共有されており、(ロ)その常識に従う行為や慣行が継続して行われていて、(ハ)その常識と矛盾する上位の規範が存在しないならば、その常識は法であると私は考えるのです。

畢竟、例えば、民法1条の各項「私権は、公共の福祉に適合しなければならない」「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」「権利の濫用は、これを許さない」に言う「公共の福祉」の内容や「信義」「誠実」「権利の濫用」であるかどうかの判断基準はこの意味での「常識=法的確信」として理解できるでしょう。他方、大東亜戦争後の日本の教育法学を風靡した所謂「条理法学」にいう「条理」は、教師の教育権なるものの存在や学習指導要領の法的性格の否認に顕著な如く、それが既存の制定法の条規と矛盾する、また、判例上も重ね重ね否定さられてきた主張を「条理」の名の下に展開していた点で、それは自己の特殊な反日イデオロギーを「条理=常識」と詐称した不埒で空虚な「条理法学」であったと言うべきでしょう。

而して、法律学においても常識は実定法(国家が強制力を担保にして実現を期すことが可能な法規範)として、または、実定法の創造や発見、解釈や適用において積極的な位置づけが与えられている。ゆえに、序で抽出した論点の内、「常識という曖昧で主観的なsomethingを根拠にした議論によっては社会の不特定多数を納得させるような法規範を創造し解釈し運用することはできないのではないか」「常識という反論の難しい根拠で、今まで積み重ねられた法解釈の蓄積を反故にするのは当該の法規の解釈のみならず、その法規と関連する他の諸法規の解釈にも悪影響を及ぼし、法体系が具現するべき法的安定性を毀損するのではないか」の2個は、それ単体では理由のある批判ではない。そう私は考えています。


<続く>

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