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山口県光市の母子殺人事件に死刑判決を☆戦後民主主義の非人間的な刑罰観を排して応報刑思想を復活せよ

yasudagotohell



山口県光市の元少年による母子殺人事件や名古屋の「闇の職安」殺人事件。あるいは、「死刑執行が自動的に進む方法はないのか」と世に問うた鳩山邦夫法相の「死刑自動化」論を巡り死刑判決と死刑の粛々たる執行を求める世論が澎湃として湧き起こっている。

山口県光市の事件の差し戻し控訴審での弁護側の醜悪な戦略、いわば、死刑阻止のためには被害者遺族の感情を逆撫でしても司法制度の紛争処理機能を機能不全に陥らせても許されると言わんばかりの言動を見聞きするとき、蓋し、死刑の厳格かつ粛々たる執行を求めるのは人倫に適う当然かつ正当な声ではないでしょうか。

死刑廃止論は法理の必然などではないです。特に、「少年の性善説」や「触法精神障害者を法的思考の対象から除外する傲慢=精神障害者を健常者を正式メンバーとする社会からシャットアウトする酷薄」に依拠した死刑廃止論は、法理論としての根拠が脆弱な妄想にすぎず、それは大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義と通底するもののように私には思われるのです。

而して、山口県光市の元少年と名古屋の「闇の職安」殺人事件の被告人達に速やかな死刑判決を下し、かつ、(オーム事件の如くその共犯者の裁判が係争中等の合理的な例外を除いて)刑が確定している110人近い現在の死刑囚全員に対して刑の執行が直ちに行われることを法務大臣に求めたいと思います(★)。以下、私のこの主張をサポートするために、刑罰に関するそもそも論をまとめました。専門家からの死刑廃止論に憤りを感じておられる読者になにほどかでも参考になれば嬉しいと思います。

【資料】戦後の死刑囚
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage29.htm


◆抑止効果のない刑罰は無意味か?
死刑廃止論者からは「死刑や厳罰化は犯罪の抑止にはならず逆効果だ」という主張がなされています。少年法改正(「少年法等の一部を改正する法律」平成12年法律第142号。施行は、平成13年4月1日)の時にもシバシバ聞いた見解。すなわち、「厳罰化は(死刑は)犯罪の抑止効果はない。犯罪者を犯罪に向かわせた社会的諸問題こそ社会が解決すべき問題である」、と。

このような主張は、刑事政策や刑事法の専攻家にとっては特に奇異なものではありません。つまり、『犯罪白書』や諸外国の刑罰と犯罪の統計的研究からは死刑や厳罰化の効果を疑うこのような主張は正しいとは言えないまでも満更根拠がないわけではない。また、刑法の学説史の中にこの主張を補強する権威的論者を求めることもそう難しいことではない。

曰く、犯罪とは安全な社会生活への脅威であり、刑罰とは犯罪者から社会の安全を守るための技術に外ならず、刑法と刑事訴訟法と刑事訴訟法規則とは犯罪から社会の安全を守る機能と犯罪者の正当な人権を守る機能を両立させるものだ、と。

刑法総論や刑事政策のどの教科書にも書かれていることでしょうが、刑法を定め刑罰を課すことによって人が犯罪の実行を思いとどまらせることを、刑法の一般予防効果と言います。つまり、見せしめ。一罰百戒です。

他方、犯罪を犯す素質を持つ者を前もって特定し社会から隔離教化(永久に隔離する方法の一つが「死刑」です。)することは刑法の特別予防効果と呼ばれています。医療刑務所での隔離治療や累犯の場合に宣告刑が初犯時よりも重くなる等がその具体的な顕れです。而して、刑法の運用において特別予防をより重視する学派が<近代学派>と言われ、一般予防を重視する学派は古典派と呼ばれます。学説史的には、近代学派は19世紀後半にイタリアで誕生したより新しい刑法思潮だからです。

要は、古典派であれ近代学派であれ、社会の安全を犯罪と犯罪者から守ることが刑事制度の役目であり、犯罪の抑止効果がない刑事政策は拙い政策と考える点では共通している。ですから、「死刑や厳罰化は抑止効果がない」、「犯罪から社会を防衛するには、犯罪の原因となった社会の側の問題をこそ裁判で明らかにすべきだ」という死刑廃止論者の主張に対して、

「どの国のどの時代でも、殴りたい奴、殺したい奴を一人や二人は誰もが胸に秘めて世過ぎ身過ぎしてきただろう。あるいは性欲や金銭欲も誰しも抱いてきただろう。でもね。それでも、大部分の人は犯罪の衝動をグット我慢してきた。ならば、衝動を抑えられなかった犯罪者を厳罰に処するのは充分な理由があるのではないだろうか」

「厳罰化と言ったって、江戸時代は罪を犯した奴には今より遥かにキツイ刑罰が待っていた。江戸時代は十両盗むと首が飛んだんだよ」

「18や19の若造に、妻子を強姦され撲殺された被害者遺族の憤りを考えた場合、死刑にすることを禁じ、あまつさえ、被害者遺族に少年審判廷への出席を原則認めない少年法は間違いなく人倫に反する悪法だ」


等々と反論しても、死刑廃止論に立つ専門家は、それは「センセーショナルな事件で高ぶった素人の感情論にすぎない。法改正や量刑については冷静になって慎重に議論を積み重ねるべきだ」と答える。この専門家の回答は妥当でしょうか。


gannbare00




◆刑法と刑罰の存在理由としての社会秩序維持 
刑法と刑罰の目的は特別予防と一般予防です。そして、特別予防に関しては、現在の日本では特別予防(=治療や教導)が適正な施設や設備を使い専門家によって遂行されているとはいいがたい。このことは、例えば、触法少年の累犯率の高さを見れば誰しも否定できないでしょう。

触法精神障害者のケアと触法少年の社会復帰に10年近くかかわった経験のある私は、もちろん、保護観察官や児童福祉司の方が全体としては献身的にこれらの特別予防に打ち込まれていることを知っています。けれども、全体としてみた場合日本の特別予防の体制が満足のいく水準であるとは到底言えない。

更に問題なのは一般予防の現状です。一般予防とは何か? それは、法の権威を維持し、法の尊厳を保つことです。一般予防とは、刑罰の見せしめ効果を通して「誰もが持っている犯罪者に陥る可能性から一般の人々を遠ざける」だけではなく、刑法の、否、(井上茂先生の理路を借用させていただければ)法体系全体の尊厳と権威を犯罪から守ることだと私は考えています。そのような尊厳と権威を保持している法体系のみが市民を犯罪から守り得る。ならば、「金銭強奪目的で見ず知らずの女性を拉致した上で惨殺しても、被害者が一人なら死刑にならない」ようでは法の権威など守れるはずはないではありませんか。

刑法と刑罰は、被害者から自力で復讐する権利を奪うと同時に、公権力が被害者に代わって復讐する制度とも考えられます。ゆえに、公権力が犯罪者に復讐しないのならば、被害者の復讐権が復活するのは時間の問題でしょう。

畢竟、一般の国民が、「犯罪者の処遇に関してこれはオカシイ」という感情を抱くとするならば、当該の刑事司法と刑事法を包摂する法体系はその効力を失うかどうかの危機に瀕していると言うべきなのです。すなわち、このような市民の感情と感覚を常に法制度にまで昇華させ結晶させ続けるのでなければ、法体系は市民の遵法意識を勝ち取ることはできない。蓋し、センセーショナルな事件に接した市民が死刑判決を求めるのは感情論かもしれないが、国民の過半がそのような感情を持っていることは事実であり、而して、法の論理からもそのような事実は法の内容と行使に反映されるべきなのです。


古典派の刑法思想は応報主義の刑法思想です。特に、啓蒙期以降はそう図式化しても間違いではない。而して、応報主義の刑法思想は、犯罪者に対して道義的な責任を問い、犯罪に見合った刑罰を求めるものでした。

而して、応報主義は、<復讐するは国家である>ことを、復讐の権利を召し上げられた被害者に納得させ、究極的には社会の法秩序を守ることを刑法の目的と解する。それは、犯罪に見合った刑罰を粛々と執行することで、一旦、犯罪の結果として空洞化の危機に瀕した法体系の権威を回復しようとするアイデアです。山口県光市の母子殺人事件の弁護側の不埒な対応や言説を見聞きするとき、応報主義という古典派刑法理論の原点に帰るべき時代に日本はあると私には思えてなりません。



◆戦後民主主義に対する応報主義の逆襲
このような応報主義に立ち戻るならば、死刑の粛々たる執行や厳罰化の推進は目先の犯罪の抑止効果とは別の本質的な観点から断行されるべきだと私は考えます。もちろん、触法少年にせよ触法精神障害者にせよ、特別予防の充実は焦眉の急です。しかし、それは、「犯罪を生み出した社会の責任の追求と社会の歪みの是正」や「治療・教導・ソーシャルワークに関する設備と人員の充実」等々の特別予防的な施策(しかも、「犯罪者性善説」に立った日本に特有な特別予防的施策)の次の段階として更に必要があれば始めて着手されるべきものなどではない。

応報主義は言葉の正確な意味での<人道主義>、つまり、触法少年も触法精神障害者も等しく人間として尊重する思想である。そして、応報主義は、犯罪者が自己の道徳性を回復し罪を罰によって償い、機会が巡りきたならば社会の平等なメンバーとして迎え入れる平等主義の思想なのです。このことは、そのヒューマンな言辞の裏面として、触法少年や触法精神障害者、一般的に犯罪者を「二流の人間」として社会から法的に隔離しようとする戦後民主主義的な死刑廃止論や厳罰化反対論の欺瞞と傲慢の対極にあるものと私は考えています。

それにつけても、戦後民主主義の刑罰観がこの社会に撒き散らした害毒は凄まじいものだった。それは、ホッブスのリバイアサンさえ一時打ち負かした。曰く、「国家は必要悪。国家はその国民に道徳を教える必要も権限もない」、と。ならば、人倫や道徳に関する国民の法感情や法意識を刑事制度を通して強制するのは国家の権限を越える行為であり、国家権力や刑事司法は社会の安寧秩序を維持する機能だけを果たせばよい、と。

少なからずの死刑廃止論や厳罰化反対論はこのような国家観を基盤に据えている。そう私には思えてならないのです。蓋し、私が死刑廃止論や厳罰化反対論を戦後民主主義的な思想の一斑とみなし、オーム真理教の松本被告の裁判や山口県光市の母子殺害事件の裁判における弁護側の非常識な言動が法に対する国民の信頼と尊敬を掘り崩している現状を指して、戦後民主主義の刑罰観がこの社会に撒き散らした害毒と記した所以です。

もちろん、市民社会から分離して成立した主権国家においては「国家は道徳に可能な限り関与すべきではない」という主張はある意味正しい。けれども、そのような国家が担うべき権力行使のメニューには、犯罪により空洞化の危機に瀕している法体系に対する尊敬と信頼の回復が入っていることを戦後民主主義の刑罰観は看過している。この社会に対する信頼を若い世代に伝えることも国家権力の中核の機能であり、刑罰を通して人倫道徳を犯罪者に体得させ広く市民に再確認させることはその機能の具現に他ならない。私はそう考えています。



(2007年9月30日:yahoo版にアップロード)

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