「都教委の職員会議での挙手および採決禁止」は民主主義の貫徹である

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昨日、平成18年4月15日付け朝日新聞社説「採決禁止 東京の先生は気の毒だ」はあきれるというよりも思わず笑ってしまう、こっけいな社説だと思った。 それは、(甲)民主主義のなんたるかを理解していないものか、(乙)東京都教育委員会が職員会議での採決禁止を通知せざるをえなかった教育現場の惨状から故意か過失か読者の目をそらす姑息なもの、あるいはその両方であろうと私は考える。当該の社説を引用しておく。

あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ。

都教委は今年初め、高校など263校の都立学校に対して運営のあり方を自己点検させた。その結果、学校行事などのやり方をめぐり職員会議で挙手や採決をしていたところが十数校あった。学校を運営する決定権は校長にある。職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎない。校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん。

そう考えた都教委は、全校に「学校経営の適正化」を求める通知を出した。その中で「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営は行わないこと」と述べた。(中略)

もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。

賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。(以上、引用終了)



「あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう」「校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん」などの指示対象が曖昧な表現の羅列。蓋し、例によって朝日歌壇と見紛うばかりの無意味な文芸的言辞溢れる文体には呆れるばかりである。

しかし、文体はそう大きな問題ではない(実際、私が文芸調の文体がいかに嫌いであろうが社説をどんなスタイルで書くかは朝日新聞の自由に違いない)。問題はそのような文学的表現が社説に内在する論理破綻を糊塗していることだ。少なくとも、職員会議と校長の権限の関係はこの社説では極めて曖昧になっている。而して、その曖昧さが読者をしてその関係について誤解を抱かせしめるとするならば、その文芸的文体は製品に混入した不良部品に他ならない。

白黒はっきり言って職員会議と校長の権限はどちらが上でどちらが下なのか? あるいは、それは白黒はっきり言える類の事柄ではない、両者が一致してはじめて学校現場の意思として効力を得る類のものなのか? 校長と職員会議の法的権限について法令はこう定めている(★)。

・学校教育法28条3項:
校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。

・学校教育法施行規則23条の2の1項:
小学校には、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。
・23条の2の2項:
職員会議は、校長が主宰する。
・55条、65条、65条の10、73条の16及び77条:
(23条の2は中学・高校等に)準用する。


★校長と職員会議の権限
「職員会議」を学校教育法施行規則に織り込んだ同省令の改正(平成12年1月21日→試行は平成12年4月1日)に関する文部事務次官通知「学校教育法施行規則等の一部を改正する省令の施行について」(文教地第244号)を参照。


 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t20000121001/t20000121001.html


校長の権限は職員会議に優る。職員会議は所属職員を監督する校長の職務が円滑な執行されるための補助機関にすぎない。ならば、補助機関たる職員会議が満場一致で校長の方針に反対しようが校長はその職員会議の議決に豪も拘束される筋合いはない。否、国民が国政選挙を通じ民主的手続きを踏まえて法令の形式で命じた校長の責務と権限を鑑みるならば、校長は職員会議などに拘束されてはならないのである。

校長は法令が与えた権限と責務を自覚して、教育基本法10条の規定「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」という指針に沿ってプロ市民や日教組等の反民主主義的かつ反社会的集団からの「不当な支配に服することなく」、国民から預託された教育行政の目的を具現すべきことはこれら諸法規法令の解釈から明らかなことである。しかるに職員会議と校長権限の関係について当該の社説はこう述べているのではなかろうか。

①なんでも多数決で決めればいいというわけではない
②校長は指導力を発揮すべきだ
③最終的に学校の方針を決めるのは校長だ
④しかし、校長は先生たちの意見を聞きながら方針を決めるべきだ
⑤先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を校長が知りたいということもあるだろう
⑥そうしたことを一切許さないというのは行き過ぎだ


確かに②→③を見れば朝日新聞も<校長の権限は職員会議に優先する>ことを認めているようだが、他方、②→③を包み込む①→④→⑤→⑥の認識は、<校長の権限は職員会議に優先するとは単純に言えない>と言っているようでもある。これ正に、「何が言いたいの朝日新聞さん」ものの鵺的言辞である。而して、白黒はっきり言えば私にはこの主張は次のように要約できると思われる。

②校長は指導力を発揮すべきだ
③最終的に学校の方針を決めるのは校長だ
④’しかし、先生たちの意見が割れていないときは先生たちの意見を採用すべきだ
⑤’先生たちの意見が割れたときには職員会議の多数の意見を採用すべきだ
①’すべてとは言わないが原則は多数決でいくべきだ
⑥そうしたことを一切許さないというのは行き過ぎだ


①’よって⑥は論理的にはそう確たる根拠を持ち合わせていない朝日新聞の妄想や願望にすぎないものであろうが、畢竟、②③と④’⑤’は<不倶戴天の論理的関係>にある。そして、上で一瞥したごとく、現行の教育法令に準拠する限り後者④’⑤’は民主的な法治国家であるわが国においては到底成立する余地のないカルト的な言説である。


では、プロ市民の言説と見紛うばかりの擬似論理を全国紙の社説に晒すという醜態を朝日新聞はなぜ犯してしまったのか。冒頭にも述べたごとく私はその原因として民主主義に関する不勉強と東京都の教育現場の惨状に関する無理解が与して力あったものと推察する(民主主義の概念に関する私の基本的理解については下記拙稿を参照いただきたい)。畢竟、朝日新聞は民主主義や多数決が採用されるべきではない場面や組織にそれらを適用する誤謬を犯している。

政治と社会を考えるための用語集(1) 民主主義
 

民主主義の精髄を「人民の人民による人民のための政府=統治」と平明に示した、リンカーン大統領は、他の全閣僚の反対を押し切って南北戦争の開戦を決定した。リンカーン大統領曰く、「開戦賛成は私の1票、反対が12票・・・。よって開戦は1対12で決せられました」、と。これは揶揄でも皮肉でもなくアメリカ合衆国憲法が与えた大統領の権限と責務を鑑みるならば、1対12でのこの決定こそ言葉の正確な意味での民主的決定である。

一体、軍隊の実戦部隊に民主主義や多数決が適用されるべきだろうか? 企業の経営や政党の運営、あるいは、政権執行部内の意思統一についてはどうか? 否である。野戦にせよビジネスにせよ政治にせよ、敵を眼前にした組織が多数決で作戦を決めるなどは筋の悪い冗談に他ならない。世間ではそれを「小田原評定」と呼ぶのであってそれは世の嘲笑の対象となる事態である。

ならば、「賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルール」のコロラリーの一つではあるが、それはどの組織にも無条件に適用されるルールではないことを、職員会議の挙手禁止を通して子供達に教えることは子供達が民主主義の理解を深める一助となろう。


軍隊や企業と同様に、行政組織たる学校現場では法的には意思決定権者たる校長が最終的に組織の方針を決めるべきである。けれども、その決定のプロセスに多くの組織メンバーがコミットすることは一般論として望ましいことは言うまでもない。この点で、「なんでも多数決で決めればいいというわけではないが、校長が先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識」という朝日新聞の主張はそう間違ってはいない。

意思決定のプロセスにより多くのメンバーがコミットする組織の優位性は、それこそ、経営組織論の常識でさえある。意思決定のプロセスにより多くのメンバーがコミットすることを保障することは、決定された意思や方針の理解を深め、一度決定した意思と方針をより効率的に実現することが可能になるだろうからである。こう考えれば、この社説が孕んでいる問題は、法的な決定権の所在と社会学的に優れた意思決定プロセスの混同と言えるかもしれない。

組織論の多くの実務専門家を擁する都教委が、では何故に職員会議での挙手禁止という、一見、社会学的には拙劣な通知を発したのか。これこそ、朝日新聞が故意か過失か見落としている東京の教育現場の惨状に起因すると私は考える。拙劣な通知を一旦選択せざるを得ないほど、現下、東京都では職員会議の機能が麻痺しているということである。

この通知が発せられた背景はアメリカの公民権法が推進された状況とパラレルと私には思われる。黒人優遇の逆差別を惹起しかねず、また、法の下の平等の観点からは合憲性が極めて怪しい所謂affirmative actionが人種差別の現状を改革するために1960年代-1970年代にアメリカで採用さられた経緯とこれはパラレルなのかもしれないということ。

蓋し、学校現場を再構築し、教育を放棄した日教組や全教のプロ市民的活動家の跳梁跋扈から学校現場と子供達を救うには、一旦、職員会議を消滅させるというaffirmative action的の荒療治の選択が合理的と都教委は判断したのではないかということである(尚、公教育再構築に関する私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただきたい)。

日本再生の鍵は公教育からの日本の解放である
 

いずれにせよ、学校教育法施行規則によれば職員会議などは「置くことができる→置かなくともかまわない」ものである。また、校長は自由に、子供達の将来に責任を感じ教育に情熱を傾けておられる教師を他の日教組等の腐った林檎どもから選別して、学校経営のための参考意見を彼等同志だけから聞くこともできる。ならば、今回の都教委の通達は、法律的にも経営社会学的にも現実を踏まえた妥当なものと評されるべきであろう。


(2006年4月16日:yahoo版にアップロード)

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