<アーカイブ>浅田真央は「ルール」を理解できなかった愚者か(上)

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2010年02月28日 16時23分58秒 | 日々感じたこととか



あれから48時間。すでに<歴史的事実>になってしまいましたが、バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケート、私が応援していたキムヨナ姫が世界歴代最高(「銀河系歴代最高」とも言う)の228.56点で優勝を飾りました。正に、ヨナ姫は「羽毛のように軽やかでビロードのように滑らか、そして、鬼のように強かった」。而して、本稿は、キムヨナ姫の歴史的な(both historical and historic)演技の余韻を反芻する中で、「ルールとパフォーマンス」を巡る日本の社会の一種歪な認識を俎上に載せるものです。

尚、私自身、フィギュアスケートの全くの素人。よって、この記事での思索が、憲法無効論の如き、あるいは、無防備都市宣言推進論の如き、「素人の思い込み」に基づく妄想に陥ることをできるだけ避けるべく、フィギュアスケートの評価システムの来し方行く末について専門家が論じたコラム「Figure skating scoring is not what it used to be」(Washington Post, February 26, 2010)を資料として本編記事と併せて紹介することにしました。


多くの浅田真央ファンの読者に少なくない違和感や抵抗感を与えつつ、私はなぜに<執拗なキムヨナ選手支持>を繰り返してきたか。それには複数の理由があります。

要は、

(1)個人的にキムヨナ姫が好き
チェジウ姫ファンの私ですからヨナ姫の容姿はもちろんのこと、彼女のカトリックの信仰、学歴重視の私の琴線に触れる名門高麗大学の学生であるという事実、そしてなにより、言動の端々に感じられる「母国への燃えるような愛国心」とその裏面としての「韓国人ファンの粗雑さや外国人選手に対する失礼な振る舞いに対する嫌悪の感覚」が一個の19歳にごく自然に融合している好ましさにグッときたこと。

(2)バンクーバーオリンピックに賭けるヨナ姫の覚悟
神の御加護の下、悪魔に魂を売ってでも「何が何でも金メダルを取る」という迸る覚悟。その目的設定から逆算した合理的戦略選択、および、その戦略を鉄の意志で貫徹する精神力が19歳ながら尊敬に値すること。

実際、ヨナ姫はこの3月の世界選手権を最後にプロ転向が既定路線ですから(浅田選手とのオリンピック対決は今回が最初で最後になります)、そういう意味でも、何が何でも今回のオリンピックで金メダルを取るという<覚悟>の面で浅田選手はヨナ姫に完全に劣っていた。高難度のジャンプ勝負を避け各エレメンツ(とエレメンツとエレメンツ間の移行)の完成度を上げることに特化したヨナ姫の一貫した鉄の意思は凄いと思いました。

野球に喩えれば、ヨナ姫のフリー演技は、抜群の制球と配給、そして、ここぞという場面では勇気をもってど真ん中に投げ込む「超スローボール」の連投で達成されたノーヒットノーランとさえ言えるでしょう。それに対して、フリー演技での浅田選手は、160キロ近い剛速球と切れ味鋭いフォークを武器に三振の山を築きながらも、下位打線に2本のツーランホームランを許し、結局、7回三分の2で降板したごく普通の勝利投手だったの、鴨。

(3)キムヨナ的スケートの私的な好ましさ
元々、私が、飛んだり跳ねたりの「サーカス」ではなく流れるようなスケーティングを美しいと感じる観客であること。実際、贔屓目からでしょうが、ヨナ姫のフリーの4分間は「上等なビロードが凛としてかつ豊潤な時空を流れるような美しさ」を感じた。もう、絶句。個人的にはもっと点数が出てもいいんじゃないかいと思ったくらいです。それに対して、浅田選手の演技は、ギクシャク以外の何ものでもなく、彼女の売り物であるジャンプは演技の流れをぶつ切りにしていたという印象さえ受けました。


という(1)~(3)のキムヨナ選手にまつわる3個の理由。そして、結果的にも、「キムヨナ姫 Vs 浅田真央選手」という、バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケートの頂上対決が端無くも露呈させたと思われる、同じく3個のこの日本の社会に対する危惧が私のキムヨナ姫応援の理由です。

すなわち、ヨナ姫が戴冠することで下記の(4)~(6)の問題性が誰の目にも明らかになるのではないか。ならば、「ヨナ戴冠-浅田玉砕」は日本のフィギュアスケートファンにとっては苦い経験だとしても、トータルでは日本のためには吉祥でさえある、と。

(4)日本のスポーツ界の政治力の欠如
自国選手とコーチを守れなかった日本スケート連盟の政治力のなさは軽蔑に値します。蓋し、「敵=キムヨナ」側が、演技構成点(5コンポーネンツ)と技術点におけるGOE(Grade of Execution)で大量得点する戦略であることは数年前から明らかだったのに、①浅田選手の戦術方針を「トリプルアクセル命の大艦巨砲主義」から変えさせるか、②演技構成点とGOEの評価基準の明晰化や透明化、個々の審判員のする判定の可視化と記録化、そして、より浅田選手に有利な(百歩譲っても「浅田-キムヨナ」双方にとってニュートラルな)評価ガイドライン改訂を国際スケート連盟(ISU)に行なわせる努力を怠ったこと。

(5)国規模での日本のスポーツ支援体制のお粗末さ
オリンピックは<戦争>であるという当然の認識の欠如。而して、(4)の②ともリンクしますが、日本国政府としてのISUへの圧力の不在、なにより、選手発掘・育成・訓練に向けた日本社会の資源配分のお粗末さへの危惧。

(6)日本社会に蔓延する国際機関やルールに対するナイーブさ
国際連合(UN)にせよ国際スケート連盟(ISU)にせよ、「平和」なるものや「スポーツ」なるものに関係する国際機関への性善説的な<幻想>や超国家的な権威を認める<妄想>、他方、それら国際機関が定めたルールの<神聖視>や<普遍視>、更には、審判員の下すジャッジに対する<公平性>や<無謬性>の素朴な期待が蔓延するこの日本社会への警鐘。

    
これら6個の理由に基づき、私は何憚ることなくキムヨナ姫をめいっぱい応援した。そして、ヨナ姫も「現役の世界チャンピオンは金メダルを取れない」というジンクスを破って圧勝してくれた。正に、大願成就。尚、私のヨナ姫応援については下記の過去記事を参照いただければ嬉しいです。




・いよいよ本番☆私はキムヨナ選手を応援する<再掲>
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/96f3164f231fa302690e8d289349b866


・空想的社会主義の惰眠を貪る左右の日本人に喝☆頑張れキムヨナ姫!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/12e378fdcd423a5cfb4c38771341b0f1


・海外報道紹介☆キムヨナ姫、オリンピック優勝!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4ba2bd17cdfd7009a56a7670d87ad229


 


そして、


・キムヨナを<物象化>する日韓の右翼による社会主義的言説



 


・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65226757.html


 


 




◆浅田真央は国際的謀略に嵌められた悲劇のヒロインか
浅田選手贔屓のブロガーの中では、キムヨナ姫の金メダルは、ISUを巻き込んだ韓国の組織的な謀略の結果であり(金銭授受という意味では必ずしもなく、キムヨナ側に有利な採点基準の設定や、キムヨナ姫の演技に予め高得点を付ける申し合わせができていたという意味での)「八百長」に近い金メダルだという言説が少なくないようです。しかし、私はこのような、「陰謀史観」の如き言説は「負け犬の遠吠え」「酸っぱい葡萄」「引かれ者の小唄」の類のものであり、而して、現実を直視することなくこのような責任転嫁的の言説を弄する輩は、差別排外主義を喧伝する国辱ものの論者に他ならないと考えます。

蓋し、

・演技構成点の各コンポーネトのスコア基準が曖昧で抽象的

・GOEの(減点基準はいくらか明確としても)加点基準が曖昧で抽象的

・キムヨナ選手のスコア(就中、GOE)は男子に比べても異常に高い

・ISUの評価ガイドラインの改訂自体が、最初からキムヨナ選手を勝たせるストーリーに基づく「八百長」だ。例えば、昨年のGOE加点ガイドラインでは、ジャンプは「高さまたは飛距離が素晴らしい」から今年は「高さと飛距離がよい」に変わったが、これは、(強いて言えば長めのアプローチから)垂直飛びに近い軌跡を描く浅田選手のジャンプの加点を抑えるための変更だった、

・ここ2年の国際大会のスコアの流れを俯瞰すれば、浅田選手が難度の高いジャンプをプログラム入れた直後、キムヨナ選手のGOE加点と演技構成点はインフレしてきた。この両数値の相関関係は偶然の一致とは到底思えず、採点ガイドラインで先回りして浅田選手が勝たないようにしているとしか思えない、等々。

    
このような「キムヨナ:浅田真央=八百長女王:悲劇のヒロイン」説に対して、私は上で述べた同じ6個の理由からかなり批判的なのです。

蓋し、確かに「八百長」はあったのかもしれない。私もそのことを否定はしません。けれども、その「八百長」はルールの範囲内のものである。また、オリンピックやサッカーワールドカップは<戦争>であり、ルールに反しない限り何でもありの世界である。ならば、「敵=キムヨナ」陣営がルールを最大限に利用して自己の優位を築いたことは称賛されるべきことではあっても断じて非難されるものではない。蓋し、採点競技は「八百長もルールの中」であり、プロレスの世界王座決定線と一緒で八百長でも勝った方がチャンピオンなのですから。

・オリンピックは<戦争>だ
・自陣営が有利になるべくルール改訂を働きかけるのは当然だ
・八百長もルールの構成要素だ
・ルールを最大限に利用した勝者への批判は負け犬の遠吠えにすぎない


畢竟、オリンピック代表とそのスタッフ位の水準になれば、ルール改訂交渉の段階から戦いが始まっていること、そして、勝ちたければルールを最大限に利用すべきこと。そんなことは百も承知でオリンピックのリンクに臨んでいるはずでしょう。ならば、日本選手の数倍のプレッシャーの中で(審判員が一層「八百長」がしやすい)完璧な演技を演じたヨナ姫を褒めるべきであって、「キムヨナ=八百長女王」論などは失礼千万である、と私は思うのです。実際、プロ転向が既定路線の彼女はこれが最初で最後のオリンピック、また、スポンサーの意向と収入面もそうだけれど、韓国を愛するが韓国ファンを必ずしも好きではない彼女が金メダルを取れなかった場合、彼女は国に帰れなかったかもしれないのだから。

いずれにせよ、このバンクーバーオリンピック女子フィギュアスケートのイベントを通して、国際大会やルールの公平性や普遍性を素朴に信じているとしか思えない多くの日本人の感覚が私にはむしろ問題だと感じました。それは、所謂「国連至上主義」や、「ソ連=平等の王国」「アメリカ=自由の王国」「欧州=人権の王国」等々とアプリオリに捉える感性、あるいは、憲法を普遍視する憲法無効論の妄想や憲法9条教の戯言と表裏一体のものなの、鴨。と、そう私は考えています。


<続く>


 

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