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宰相の<天竺外遊→パル判事の親族との面談>が照射した「東京裁判のさもしい実像」に苛立つ朝日新聞

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やはり朝日新聞はその<ファン>の期待を裏切らない。安倍晋三首相のインド訪問を巡る幾つかの社説を読んで改めてそう思いました。ここに紹介する「パル判事―心配な安倍首相の言動」がそれです。

それは自虐史観とさえ最早呼べない「唯我独尊的な歴史認識」に貫かれたもの。而して、そのクライアントたる支那の中華思想も吃驚仰天の「唯識派を髣髴させる主観的な国際関係理解」の炸裂。それは、最早、「築地踊り」という伝統芸能の域を超えて宗教の境地に達している。蓋し、そこには朝日新聞の阿頼耶識が見事に写し取られている。私はそう感じました。正に、インド人も吃驚の「自己中社説」。

ブログ休止中の些か古いものではありますが収録しておきます。今日の内閣改造を踏まえて展開されるであろう朝日新聞に代表される反日勢力からの安倍改造内閣批判を検討するための資料として重要だと考えたからです。


■パル判事―心配な安倍首相の言動

安倍首相は19日からの外遊でインドを訪問する際、東京裁判(極東国際軍事裁判)の判事を務めた故パル氏の遺族に会う予定だ。パル氏といえば、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判でただ1人、東条英機元首相ら被告25人全員について「無罪」の少数意見を書いたインド人判事である。

敗戦国を裁く戦勝国の正当性を問いただしたパル氏は、敗北に打ちひしがれる日本人の間に共感を呼び起こした。一部では、侵略の過去を弁護する「日本無罪論」の象徴として偶像視されてきた。戦後しばしば日本に招かれ、最後の訪日の際には勲一等を受けた。そのときの招待に動いたのが、安倍首相の祖父である岸信介元首相だった。

そのパル氏の遺族に会うことについて、首相は「日本とゆかりのある方。お父様のお話などをおうかがいできることを楽しみにしている」と語っているが、そんな単純な話ではない。

旧日本軍の慰安婦問題や靖国参拝をめぐって国際社会の視線が厳しい中で、首相の行動は、東京裁判と日本の戦争責任を否定するかのようなメッセージを発することになりかねない。

とりわけ安倍首相が不信感を持たれるのは、これまで東京裁判を否定する見方に共感を寄せてきたとみられているからだ。首相就任後の国会答弁では「国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはない」と語り、個人としての見解には含みを残した。

確かに東京裁判は評価が割れている。事後につくられた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が戦争犯罪に加えられたり、原爆投下などの戦勝国側の問題が裁かれなかったりした。一方で、日本軍の虐殺や謀略が日本国民の前に初めて明らかにされた。戦争を裁く国際法を築く一里塚にもなった。

裁判に功罪があるとはいえ、日本はそれを受け入れることで国際社会への復帰を果たしたのは間違いない。日本として、けじめをつけたのだ。そのことを政治指導者は忘れてはならない。

見逃せないのは、日本ではパル氏の主張を都合よく解釈している面があることだ。一部の保守系の人たちは、「日本には戦争責任がない」と受け止めた。しかし、パル意見書の趣旨は、当時の国際法を厳密に解釈すれば、侵略戦争の指導責任を問うことはできないという法律論である。現に、パル氏は南京虐殺などで日本軍の行動を厳しく批判した。日本には法的責任はなくとも、道徳的責任があると認めている。

生前のパル氏と面識のあるインドの代表的知識人、アシス・ナンディ氏は「パルを日本軍国主義の正当化に使うのは間違いだ」と言い切る。

安倍首相はそうしたパル判事の全体像を理解しているのだろうか。パル氏の主張をつまみ食いして遺族と語り合うようなことだけは、厳に慎んでほしい。(平成19年8月18日)




この社説の理路はそう荒唐無稽でも難解苦渋でもありません。
むしろそれは常識的とさえ言える。すなわち、

(1)東京裁判は(その後の国際法の発展の契機になったとはいえ)、その正当性の根拠は当時の国際法から見てかなり怪しいものだった。

(2)パル判事が「戦犯なるものの責任を法的には問えない」と認定したのは間違いではない。

(3)けれども、法的責任と政治的かつ道義的な責任は別物。

(4)パル判事は、日本およびその戦争指導者の政治的と道義的な責任をも認められないと述べたわけではない。

(5)いずれにせよ、(サンフランシスコ平和条約や他の二国間条約において)日本は東京裁判の結果を受け入れた事実は否定されない。

(6)よって、「戦犯なるものの法的責任を問えない」と述べたパル判事の権威を引き合いに出すことで、日本には道義的と政治的な戦争の責任もなかったと主張することはできない。

(7)もし、安倍首相のパル判事の親族との面談が、内外に「日本は道義的と政治的な戦争責任の不在を主張しようとしている」との印象を与えるのならば、それは軽率かつ拙劣な外交手段と言えよう。



この社説をこう理解することが許されるならば(もちろん、結論(7)には承服できかねるものの)、その理路は間違いではない。にもかかわらず、「一部では、侵略の過去を弁護する「日本無罪論」の象徴として偶像視されてきた」等の言辞を目にするとき、私はこの社説に何か朝日新聞の苛立ちのようなものを感じざるをえない。なぜか。

おそらく、朝日新聞としては(安倍首相のインド訪問によって)、上で要約したような常識的な主張を書かなければならない状況に追い込まれたこと自体に対する苛立ちがあるのではないでしょうか。蓋し、

パル判事は、日本に戦争責任を問う法的根拠としての東京裁判のいかがわしさを告発しました。他方、(西欧列強のアジア支配を痛烈に批判すると同時に)、確かに、パル判事はその判決書の中で張作霖爆殺事件を「無謀でまた卑怯」であるとか、満州事変は「間違いなく非難に値するもの」とも書いておられる。

けれども、法的責任と区別される政治的と道義的な戦争責任の根拠は必ずしも明確でも自明でもない。もちろん、例えば、講座派の歴史理解やコミンテルン史観、すなわち、帝国主義を道義的に批判可能と考えるのは論者の勝手でしょうが、その論者の歴史理解が他者をも拘束する普遍性を持つなどということはありえません。まして、東京裁判やサンフランシスコ平和条約に日本の政治的と道義的な戦争責任を確定する機能、あるいは、満州事変以降の(否、日清戦争や日露戦争、台湾出兵以降の)近代日本が敢行した戦争の歴史評価を定める権能などあろうはずもない。

ならば、東京裁判というフィクションに(本来、法学方法論や法概念論、あるいは、法制度論から見てせいぜいそれは法的責任を問う根拠でしかありえない擬制に)日本の法的な戦争責任のみならず政治的と道義的な戦争責任の根拠性をも求めるなどは完全に破綻した妄言と言うしかないのです。

ところが、朝日新聞は日本の道義的な戦争責任の根拠を提示していない。つまり、根拠も示さずに朝日新聞は「一部の保守系の人たちは、「日本には戦争責任がない」と受け止めた」と批判している。つまり、想像を逞しくすれば、(社会主義崩壊後、コミンテルン的史観の神通力が消滅して以降)朝日新聞は、東京裁判(→サンフランシスコ平和条約および幾つかの二国間条約)に、法的だけでなく道義的な戦争責任の根拠を求めてきたのではないか。そう私は疑っています。

もし、この嫌疑が満更間違いでないとするならば、東京裁判を法的と道義的との重層的な日本の戦争責任論の根拠にしてきた朝日新聞にとっては、(繰り返しになりますが)東京裁判が日本に戦争責任を問う法的根拠としては使えないことを喝破したパル判事の霊魂と対面せざるを得ない今次の事態は不本意なものであったろうと想像するのです。

なぜならば、パル判事の霊魂と対面せざるをえなかった朝日新聞は、単に、東京裁判の法的な無根拠さを認めなければならなかっただけでなく、日本の道義的な戦争責任の否定の根拠としてパル判事を引き合いに出す保守派の議論に対抗するために、東京裁判が道義的な戦争責任の根拠になど到底ならないこと(道義的と政治的な戦争責任=帝国主義政策を採用した西洋列強と日本の国家指導者の責任などを普遍的に問う根拠など誰も持ち合わせていないこと)を自ら認めなければならなかったと思うからです。


◆東京裁判に日本の戦争責任の根拠を求める主張の崩壊
(甲)法的根拠性:国際法的ないかがわしさの告発(←パル判事の認識)
(乙)道義的根拠性:本来、裁判が戦争責任の所在などの歴史的評価を行うことなど不可能(←「日本の道義的な戦争責任を否定する論者」からパル判事を切り離すために認めなければならなかった主張)


畢竟、法的ならびに政治的と道義的な日本の戦争責任の根拠を独り東京裁判に求めてきた論者にとっては、パル判事の霊魂との対面は、「法的と道義的の重層的な責任論の根拠としての東京裁判」という虚妄を一挙に崩壊させる不愉快な事態なのかもしれないということです。

ならば、朝日新聞を始めとする大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力に「東京裁判の実像」を見せつけ、東京裁判が法的にも道義的にもさもしい<東京茶番>でしかなかったことを認めさせた、パル判事の親族との面談を実行した宰相・安倍晋三首相の手腕は地味だけれど見事であったと言える。朝日新聞の表面的には常識論で彩られながらも(日本の戦争責任に関する)安倍首相の歴史認識に対する批判としてはパル判事の断片的な日本批判以外には何も挙げられていないこの社説を読んで私はそう思いました。



(2007年8月27日:yahoo版にアップロード)

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