帝国とアメリカと日本

【President Bush, aboard the aircraft carrier Abraham Lincoln, May 1, 2003】
世は「帝国論」で囂しい。言うまでもなく、21世紀初葉の現在巻き起こっている「帝国論」はアフガン戦争とイラク戦争を契機にして顕現したアメリカの突出した存在感、他方、2007年の現在、そのイラクとアフガンでのアメリカの苦闘、および、インドとパキスタンの核武装を容認せざるをえず、あるいは、イランと北朝鮮にさえ核開発の計画を放棄させられないようなアメリカの現状に起因していよう。
イラク戦争終結直後の世界では、文字通り世界中の人々が(親米派も反米派も)アメリカに主権国家を超える権威と権力を感じた。ヘーゲルの顰に倣えば、「世界はブッシュ大統領が2003年5月1日、空母エーブラハム・リンカーン上でイラク戦争の戦闘終結を宣言したとき、アメリカが<主権国家を超える帝国>の成立を人類に通告するのを見た」、と。而して、春秋の筆法に倣えば、「ブッシュ大統領が2003年5月1日、空母エーブラハム・リンカーン上でイラク戦争の戦闘終結を宣言したとき、アメリカは<主権国家を超える帝国>の座から滑り落ちたのだ」、と。蓋し、冷戦を終結させたグローバリゼーションの潮流の中でアメリカは<帝国>になり、他方、その同じグローバリゼーションの奔流によってアメリカは<帝国>の座から引きずり下ろされつつある。
冷戦終結後、アメリカは確かに単なる主権国家のレヴェルを超えた。なぜなら、アメリカのイラク攻撃を誰も止めることができなかったではないか。また、あのペルシア帝国の末裔イランが8年かけても勝利できなかったイラクのフセイン政権を僅か3週で壊滅させたではないか。では、アメリカはどのような意味で主権国家のレヴェルを超えたと言えるのだろうか。また、アメリカはなぜ<帝国>になることができたのか。而して、日本はそのようなアメリカとどのように付きあっていけばいいのだろうか。
一体、主権国家のスケールでは測れない<帝国の成立>とはどのような事態だったのだろう。本稿では「帝国」という言葉の意味を導きの糸としながら<アメリカの帝国>という現象を思想的に考えてみたいと思う。

■「帝国」とは何か
帝国とは何か。結論を先に書こう。私は、イラク戦争後のアメリカという現象から抽出される帝国のイメージには三つの側面があると考えている。それは、レーニンが見出した資本主義の最高の段階としての側面とカール・マルクスが思念したであろう資本主義の世界システムとしての側面、そして、皇帝が統べる世界全体の三者である。以下、順次説明する。
(壱)マルクス主義の語る「帝国」
「帝国」や「帝国主義」と聞けば、「アメリカ帝国主義は日中人民共同の敵」(1959年・浅沼稲次郎)や『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917年・レーニン)を連想してしまう世代にギリギリ私は属しているけれど。イラク戦争後のアメリカをこれらナツメロ風の帝国主義論に基づいて「帝国」とか「帝国主義」とイメージしている論者は実はそう多くはないと思う。
資本主義国が国外に資源と市場を求めて、かつ、武力行使をも厭わず進出する傾向。すなわち、資本主義の対外進出(≒侵略)傾向を帝国主義と呼び、そのような対外政策をとる(あるいは、そのような対外政策を遂行継続できるような国内の政治体制を法的と文化的と経済的な基盤の上に整えた)資本主義国を帝国主義国と呼ぶのは論者の勝手だけれども、我々の眼前に展開されているアメリカによる<帝国の座の戴冠>と<帝国の座の放棄>という現象はこのような昔懐かしいマルクス主義の帝国主義論で描写され尽くすものではない。
マルクス主義の帝国主義論(★)からはアメリカは間違いなく「帝国」である。しかし、その意味ではアメリカはイラク戦争の遥か前から(1991年の湾岸戦争どころか1898年の米西戦争や1846年の米墨戦争の頃にはすでに)帝国主義の国だった。また、マルクス主義から見れば、アメリカを含め英国もスペインも、フランスもドイツも、そして、日本も韓国も立派な帝国主義国や帝国主義システムに組み込まれた国である。
ただ、19世紀後半からの半世紀、帝国主義が列強の対外政策のトレンドだった時代には、対外進出と侵略は軍艦と大砲を用いて行われていたのに対し、現在の進出や侵略は専らドルと為替相場および英米法を準拠法とする契約書と著作権論を通じて行われているという違いがあるにすぎない。ゆえに、2007年の10月の今、アメリカにあらためて「帝国」の相貌を見出す論者の多くはマルクス主義流の帝国主義理解では説明し尽くせないsomethingをそこに感じているに違いない。
イラク戦争を通じて顕現したアメリカの帝国のどのような性質がマルクス主義の帝国主義論を超えているのか。簡単である。それは、現在の<アメリカの帝国>が一国の帝国主義的傾向の発動にとどまらず、また、地球のある特定の部分に進出し侵略するだけでなく、世界全体にアメリカ一国の意志と支配を及ぼしつつあることだ。而して、<アメリカの帝国>の支配の貫徹が徹底されるに従いこの帝国システムから<アメリカ>自体が排除されつつある。この21世紀初葉の国際関係は単なる国民経済分析の枠組みとしてのマルクス主義経済学の射程を遥かに超えている。
ゆえに、2007年のアメリカの帝国の顕現と崩壊は単なる一国レヴェルではない世界帝国の成立を意味している。この主張は正しいか否か、これがアメリカという帝国を巡る現下の<帝国主義論>の中心的な課題となるに違いない。而して、このイシューを考える上ではマルクス主義ではなくカール・マルクスの思想がより有効だと私は思っている。蓋し、アメリカの世界帝国の成立と崩壊、すなわち、<アメリカの帝国>の理解の鍵は、マルクスの思想から説明可能な「技術革新に起因する地球規模での生産力と交通の拡大」「生産力と交通の拡大にともなう地球規模での新しい生産力と古い生産関係および伝統的な社会関係との矛盾対立」から理解できるかもしれない、と。
★註:マルクス主義の帝国主義論
帝国主義(imperialism)とは、資本主義の最高の段階である資本主義国家の様相、もしくはその段階における政治・経済制度の全体。経済的には自由競争から生みだされる独占を基礎とする独占資本主義であり、金融寡頭制、資本輸出、国際独占体の形成、領土および世界の分割・再分割等を特徴とし、政治的には市場としての植民地獲得のための帝国主義戦争を生みだす。(有斐閣『経済学辞典』より抜粋)

(弐)カール・マルクスの語る「帝国」
マルクスは資本主義の構造を描写する過程で、歴史の発展法則=唯物史観を見出した(と本人は信じた)。曰く、生産力の拡大が生産の諸様式や生産の諸関係。要は、生産に従事する人と人との間に秩序をもたらす支配-被支配の関係のあり方を変革し、生産力と生産関係の矛盾が動因となり歴史は発展してきた、と。また、生産関係を通して文化や意識は生産力に規定される。すなわち、真・善・美を巡る基準と規準、あるいは、性と法と死、または、貨幣と言語の使用を巡る規範の総体は生産力に規定されている、と。
このシンプルなフォーミュラーをそのままの形で維持することは現在では困難である(★)。しかし、上部構造と下部構造を統一的に把握するアイデアは現在でも総ての社会科学者の共有財産であることは間違いない。それどころか、所謂「アジア的生産様式」として西欧以外の社会をその歴史認識の射程外においたマルクス本人を超えて、現在の社会科学者は西欧以外の社会や国際関係の認識にもマルクスのアイデアを拡大適用している。
私は、20世紀最終のディケード以来、ITと通信技術の発展を基盤とした情報革新、ならびに、社会主義圏を崩壊(1989-1991年)させた人類全体の生産力の拡大が世界中で既存の生産の諸関係を変革しつつあると考えている。そして、それがどのような方向への変革かと言えば、世界帝国を希求する方向への変革であろう、と。
蓋し、マルクスが表象した資本主義の将来像が(マルクスの予言から100年程遅れてだが、)2007年の現在顕現しつつある。マルクスが思念した資本主義的世界の将来像、すなわち、全世界が資本主義的な生産様式に染め上げられ(コカコーラやマクドナルドハンバーガ-、ポケモンとキティーちゃんの隆盛を想起せよ!)、資本主義的な交通形態によって緊密に結び付けられ(★)、人類の生産力が地球全体を隈なく覆う事態こそ(地球温暖化やオゾン層の破壊を想起せよ!)、正に、21世紀初葉に生きる者の前に広がる普通の風景になっているのだから(★)。
世界が1個の資本主義のシステムに収斂されたとき、世界の政治秩序を担保するためにこれまた単一のシステムが希求されることは自然である。蓋し、イラク戦争を通して生起したアメリカ一極支配的な国際秩序への変容は世界帝国の成立の序曲だったのかもしれない。それは、アメリカが野心を持って世界の支配権を略奪したのではなく、既に1個の資本主義的なシステムとして成立していた世界帝国の皇帝の座にアメリカが座るべくして座ったにすぎない。
しかし、世界帝国は世界帝国の皇帝そのものではない。アメリカと謂えどもあくまでも世界帝国内の存在にすぎない。ゆえに、<アメリカの帝国>と<帝国のアメリカ>は全く別の概念である。畢竟、マルクスのアイデアを応用して資本主義的世界システムとして「帝国」自体を捉えることはアメリカの帝国という現下の現象を理解する上で有用なのではなかろうか。なぜならば、この<帝国のアメリカ>という視座からは<アメリカの帝国>が崩壊し、アメリカさえ世界帝国のone of them に過ぎなくなりつつ現象と<アメリカの帝国>の成立を整合的に理解できるからである。
★註:マルクスの限界
カール・ポパー『歴史主義の貧困』に従い、私自身は歴史をゴール地点も通過ポイントも定まった単線的な社会の発展とは全く考えていない。他方、所謂「資本の有機的構成の変化」予測の破綻、あるいは、論理的かつ実証的な根拠を欠く「労働価値説」を基盤に据えている点でマルクス主義の唯物史観自体が「科学」としては成立しないことは明らかである。
★註:資本主義的な交通形態
資本主義的な交通形態とは、情報のやりとりのあり方。ただし、鉄道や高速道路や航空機、そして、手紙やメールだけでなく、巡行ミサイルや大陸間弾道弾を使っての情報のやりとりをも含まれるし、最も重要なポイントは、人間存在にとって最重要な情報媒体である<人間>を通じての情報のやりとりもこの概念に含まれることである。
★註:マルクスの思念した資本主義の最高の段階
マルクスの表象した資本主義の最高の段階は、すなわち、資本主義体制崩壊の前夜である。マルクスによれば、資本主義は自身の葬式の前日に世界の総てを手に入れる絶頂を迎える。ここに記した「マルクスが表象したであろう資本主義の最高の段階」のイメージは、しかし、私の理解する範囲のそれでしかない。ゆえに、一々根拠となる出典を明記する必要はないだろうが興味のある方には次の文献を参照いただきたい。
・マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫・2002年10月)
マルクスの考えを知るためには(絶対に)廣松渉編訳の『ドイツ・イデオロギー』(河出書房新社・1974年6月)に限ります。
・マルクス『経済学批判』(岩波文庫・1956年5月)所収の「経済学批判序説」
(参)中華思想の語る「帝国」
広辞苑によれば、「帝国」とは「皇帝の統治する国家」という意味らしい。そう、帝国とは皇帝とワンセットになった概念だったのだ。而して、「皇帝」とは天や神から地上の支配権を授かり全世界の秩序に責任を持つ者である。蓋し、国王が一国の領土と人民を支配する権限と責務を負うだけなのに対して、皇帝は理念的には全世界の秩序に責任を負っている(★)。
マルクス主義流のナツメロ的な帝国主義論をもってしては、現下、<アメリカの帝国>と<帝国のアメリカ>の意味は充分には理解できないけれど、「皇帝」を「全世界の支配者にして全世界の秩序に責任を持つ者」と読みかえ、また、「帝国」をそのような皇帝が統べるエリア(論理的にこれは全世界に等しい。)と捉えれば、現在のアメリカの帝国の成立と崩壊という現象を整合的に把握できると思う。そして、こう「帝国」を理解する者には、カール・マルクスの思念した単一の資本主義の世界システムが地上の秩序維持のために、これまた、1個の権力システムを要求している国際関係の実相がリアルに把握できるのではなかろうか。
資本主義の世界システムは確実に形成されつつある。例えば、「英語は世界の共通語」と日本では盛んに喧伝されて久しいけれど、そして、確かに英語は世界のデファクトスタンダードの共通語ではあろうけれど、しかし、現在でも英語を母語とする話者人口は全世界で約3億5千万人足らずにすぎない。英語の母語話者の数は、11億余の母語話者を抱える中国語に大きく離された第2位であり、英語の下には第3位~5位のヒンディー語、スペイン語、ロシア語と各々2億5千万人前後の母語話者を抱える言語、更に、各々1億5千万~1億人の母語話者人口を擁するアラビア語、ポルトガル語、ベンガル語、日本語、ドイツ語が控えている。要は、母語話者数の上からは英語は世界の言語のone of themにすぎないのである(★)。
いきなり言語の話を挿入したが、私がここで言いたかったことは、英語が世界共通語と喧伝される理由は話者人口の量ではなく、重要な情報の圧倒的多数が英語で流通しているという事実の指摘である。すなわち、母語話者数からは英語は世界のone of themにすぎないのに「英語は世界共通語」と喧伝される、このような現象の背景が資本主義世界システムの成立に向けた人類史の進行に他ならない。蓋し、世界の基軸通貨は久しくドルである。世界中の為替相場と株式市場は最早一体のものではないか。畢竟、ブッシュの世界帝国などよりも遥かに先んじて、かつ、比べようもないほど徹底的に資本主義は世界の<共通言語>になりつつあるのであり、他方、ドルに対するユーロの存在感の拡大やBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)の経済成長を見れば自明な如く、<アメリカの帝国>は急速に<帝国のアメリカ>に移行しつつあると私には思われる。
マルクスの予言は外れた。すなわち、世界同時革命どころか先進国での共産主義革命さえ起こらなかった。けれども、マルクスの思念した如く世界の資本主義化は完成されつつある。最早、世界は一体となり、それは<帝国=1個の全世界>である。
ところで、帝国にはその秩序を維持しこれを統べる者が必要だろう。これは、帝国の要求であり人類史の要求でもあると思う。透明でフェアな国際的商取引を可能にする実効性のある法体系を世界は希求してはいないだろうか、一度に数十万人を死傷せしめうる大量破壊兵器がテロリストの手に渡る悪夢を防ぐ国際的な警察力の構築は現代世界において焦眉の急の課題ではなかろうか、あるいは、地球環境の維持改善のために環境を破壊する主権国家の行動を制限するシステムを人類は希求してはいないだろうか。総て、「肯」であろう。ならば、好むと好まざるとに関わらず、世界の資本主義的な一体化が完成しようとしている今、世界帝国もまた世界と人類史が希求しているthe very thingではなかろうか。
マルクスが予言した通り資本主義の世界システムは具現した。そして、国際連盟と国際連合の失敗を経験した21世紀初頭の現在、カント『永久平和のために』の願望に反して、古典的な主権国家群が共立して世界連邦政府を立ち上げることが非現実的とするならば、<アメリカの帝国>の到来はまんざら歴史の偶然ではないし、アメリカが<帝国のアメリカ>の地位に後退しつつある現在、新たな帝国の皇帝の登場はこれまた必然だろう。蓋し、その新しい皇帝の候補は、アメリカ中心の有志連合システムである可能性が最も高いと私は予想している。
★註:帝国と主権国家
「帝国」を全世界と捉えることは支那思想の理解からは常識だと思う。而して、本稿で工夫したポイントは、支那思想の帝国概念とマルクスが思念したであろう資本主義の世界システムのイメージとを関連づけた所。これについては、長尾龍一『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』(講談社学術文庫・1994年9月)が大変参考になった。
★註:言語人口
言語人口を正確に算定することは実は大変難しい。それは、技術的な難しさだけでなく本質的な難点を抱えているからだ。蓋し、母語話者とはどんな存在か(産まれた時から複数言語が話される環境で育った人間は「何語の母語話者」とカウントするのか)、また、方言と他言語の線引きはほとんど不可能であり、加えて、母語話者と公用語話者の差異は相対的なものにすぎない、等々。ここでは、『エスノローグ』(Grimes, 1996)と『世界のことば小事典』(大修館書店・1993年)を参考にして母語話者数をまとめた。

■アメリカの帝国と帝国のアメリカ
アメリカの帝国は主権国家を超える帝国である。否、それは主権国家を超える資本主義の世界システムという<帝国>の「皇帝=執行機関」である。いずれにせよ、地球のある特定の地域と特定の国民を支配する現存する主権国家の権能はアメリカが取り仕切る世界帝国の一部という位置づけに格下げされるだろう。このような、ある意味、腹立たしい状況認識を踏まえて、日本はアメリカの帝国と帝国のアメリカという現象に対してどのように対応すればよいのだろうか。
この問いに答える手がかりは2つある。蓋し、(1)アメリカはどのような意味で<帝国>でありどのような意味で<帝国の一部>なのか(更には、2007年の現在、<皇帝>の座から退位しつつあるのか)というアメリカのあり方の考察。(2)日本が主権国家として失うべきでない/奪還すべきものはなんであり、世界帝国に吸い上げられてもよい/吸い上げらた方がむしろ好都合でさえあるものは何かという日本の国家の戦略および機能の検討である。
アメリカに<帝国の皇帝>の冠を与えたものはグローバル化の進む資本主義世界システムに他ならない。ならば、アメリカは資本主義の世界システムを機能させてこそ<皇帝>としての権威と権力を保ち得る。簡単なことだ、日本が<アメリカの帝国>および<帝国のアメリカ>と上手に付き合う方法を考えるためには、資本主義の世界システムが十全に機能するために必要なものは何かを考えればよい。恐らくそれは、取引の安全であり、非法および不法な輩の行動の撲滅である。而して、世界帝国の権能は、
(イ)法秩序の整備とその法の運用に実効性を与えることと、
(ロ)テロリストおよびならず者国家の撲滅である。
そして、アメリカ自体もこれら以外の事項については資本主義の世界システムという本来の<帝国>の一部分、すなわち、<皇帝>や<前皇帝>にすぎない。逆に、資本主義の世界システムがその本性から見て誰も関知できようもない性質の諸問題に<皇帝>や<前皇帝>たるアメリカが関わるのならばアメリカの意図は不調に終る可能性が高いだろう。蓋し、この2点が、現実的には世界帝国の皇帝(や前皇帝)たるアメリカの正当な権限のメルクマールとなろう。
而して、前者に含まれる「テロとの戦い」に日本はアメリカの対等な同盟国として、あるいは、世界帝国の<皇帝>もしくは<前皇帝>の忠実な下部として日本はあらん限りの貢献を行うべきであり、他方、支那や韓国などの民主主義や国際法秩序を理解できない輩に「自由と民主主義の価値」を伝道しようなどという後者のタイプの企てには日本は深入りすべきではないだろう。畢竟、次のステージではアメリカを中心とした有志連合のメンバーとして日本自体が世界帝国の皇帝の一部になる可能性もなきにしも非ずと私は考えているけれど、皇帝日本の皇帝としての行動規範も上記の2点から抽出されることは当然である。
畢竟、資本主義の世界システムはそれが資本主義のシステムである以上、市場のコントロールが及ばない問題(端的には、環境問題や文化的資源の保護等々の問題)には無力である。しかし、人類の全体はこれらの問題を避けて通ることはできないだろうし、現代の国家が夜警国家には最早後戻りできない大衆民主主義下の主権国家である限りこれらの問題はその政策課題になるに違いない。蓋し、<皇帝たるアメリカ>もこのような資本主義の世界システムがその本性から見て関知できようもない性質の諸問題には一主権国家として他国と対等な立場で問題解決に当るしかないのである。
日本は日本人と永住外国人たる日本市民の作る国である。世界帝国が成立しアメリカがその<皇帝>の座に座ったとしても、日本国民がその運命と伝統を共有する法的かつ文化的な統合体であることには毫も変わりはない。ならば、資本主義の世界システムがその論理を貫徹してくるだろう領域、すなわち、国際的商取引や企業の会計規準、訴訟のスタイル等々の<資本の回廊>にあたる領域の規制、ならびに、テロ対策やならず者国家の撲滅、国際的犯罪組織の壊滅等々の<資本の競技場>の整除に関する規制については世界帝国(の執行機関たる)アメリカの意向に日本はただ従うしかなかろうが、それ以外の分野においては両者は対等な主権国家同士なのである。
資本の回廊と資本の競技場の整備以外の領域では日本はアメリカに対しても主張すべきは主張すべきなのである。実際、北朝鮮の体制転覆の推進の要請や日本の核武装を容認することなど、そのような事例は少なくない。蓋し、私は、グローバル化の進行する資本主義の世界システムの中で日本と日本人がより十全に活動していくためには、少なくとも次の3点を<主張すること>は不可避と思っている。本稿の最後に、その項目だけ記して置く。すなわち、
(甲)自前の安全保障システムの構築
シーレーン防御と海外在留邦人の安全を実力で確保できる軍事力と有事法制の整備強化
(乙)教育を通した日本人のアイデンティティーの涵養
資本主義の世界システムが完成に向う状況においてこそ、日本人または日本市民としてのアイデンティティーとプライドの涵養は日本の存立と国際競争力の強化に不可欠であろう。
(丙)地方および家族の再生
日本人のアイデンティティーの涵養の土台たる地方と家族の価値を再生すべきこと。現在の根拠の希薄なフェミニズムや戦後民主主義の跳梁跋扈は、このことの重要性は思い半ばに過ぎはしないだろうか。
(2007年10月6日:FC2ブログ用に書下ろしたエントリー記事)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
戦後民主主義を批判する営為の一環として、ブログランキングに
参加しています。「ならば、力を貸そうではないか」という方は
下記リンク先【人気blogランキングへ】及び【FC2ランキング】
にクリックをお願いいたします。

(↑)【人気blogランキングへ】

(↑)【FC2ランキング】
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
スポンサーサイト

