立川反戦ビラ事件の被告人らの無罪を訴える法学者声明(下)

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3 検察官の公訴権の濫用である。
上記のとおり犯罪構成要件になんら該当するところがない被告人らの立入りに対し刑法130条を適用して起訴した検察官の公訴権の濫用こそが弾劾されるべきである。公訴権の濫用については、最高裁は、「検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることは否定できないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる」(昭和55年12月17日決定)とし、極めて限定的ながら、公訴の提起自体が無効とされる場合があることを示している。そして、私たちは、本件起訴は、場合によってはそれ自体が職務犯罪である職権濫用罪(刑法193条)を構成する程度に違法性の高いものであると考えている。

本件は、防衛庁官舎には、商業ビラや市議会議員のビラなど多くのビラが投函されていたにもかかわらず、他のビラは検挙されず、被告人らの配布したイラク派遣に反対する内容のビラのみが検挙され、起訴されたものである。また上記のとおり、被告人らのビラ配布目的の立入りは、居住者の住居権を何ら侵害したものではないから、刑法130条の犯罪構成要件になんら該当するところはない。

この点を考えれば、本件の公訴の提起は、被告人らが配布した政治的見解を伝えるビラの内容に着目したものと考えられ、何らの犯罪事実も被害もない事案を、憲法21条が保障する言論の自由を極めて恣意的に抑制しようとしたものと考えられる。刑法130条の適用が恣意的であることは、本件判決が、被告人を有罪とするために、刑法130条の保護法益である「住居権」―つまり一定の場所への立入りを許容しまたは

拒否する権利―とは異なる居住者のビラの内容に関する「不快感」を引き合いに出さざるをえなかったことが雄弁に物語っている。本件起訴は、検察官の「公訴権」という職権の濫用であり、それによって被告人らは、刑事裁判において義務のない応訴を強要され、その間、自己の幸福を追求する権利(憲法13条)を妨害されたのである。

憲法21条が保障する言論の自由を、表現内容に着目して抑圧する目的をもって捜査機関が恣意的に検挙し、このような目的で何ら犯罪構成要件に該当するところのない被告人らの行為に無理やりに刑法130条を適用したのが本件である。そもそも犯罪の嫌疑すらない被告人らの行為を、特定の内容の表現活動を抑圧するためになされた本件の公訴の提起は、無効とすべき公訴権の濫用すなわち昭和55年12月17日の最高裁決定のいう「極限的な場合」に当たるものであるといわざるをえない。裁判所が、このような検挙および起訴を容認することは、捜査機関と検察官による極めて不当な検挙や起訴を追認することになり、本件のような「事件」が今後も起こる可能性を残すものとなるであろう。

この危惧は、本件一審判決(平成16年12月16日東京地方裁判所八王子支部判決)が、政治的表現の自由は「民主主義の根幹」をなすとした上で、捜査機関が、事前の警告もなく、被告人を検挙したことに対して厳しい警告をしたにもかからず、その一週間後に、東京都葛飾区内のマンションに政党(日本共産党)のビラを配布する目的で立入った人を、本件と同じ刑法130条によって検挙した(その後、本件と同じ検察官が起訴した)ことによって裏づけられている。


・公訴権濫用論ですか?
公訴権濫用論とくれば立命館大学で教鞭を取っておられた井戸田侃さんの学燈を継がれた方々、例えば、松宮孝明さんなどがこの部分は筆を取られたのかと思う。詳しくは述べないけれども、もし『声明』が本事案の起訴は公訴権の濫用であり無効と本気で考えられるのならば、実際、職権濫用罪(刑法193条)の成立を論証すべきではなかろうか、とだけ書いて置く。

どの事案を起訴するかどうかに対して広く検察官の裁量を認める現行刑事訴訟法においては(刑事訴訟法247条・248条)、刑法の謙抑性を具現するための施策として、宣告猶予制度導入と並んで公訴権濫用の論は立法論としては傾聴に値するが、個別の事案を解決するための解釈のガイドラインとしてそれはあまり意味がないように私には思われる。畢竟、『声明』のこの箇所は、「表現の自由を不当に制限した本事案はその起訴の段階から公訴権濫用として無効にされるべきだ。なぜならば、当該の起訴は表現の自由を不当に制限するものだからだ」という同語反復でしかないのではなかろうか。



4 可罰的違法性はない。
私たちは、そもそも本件については、検察官の職務犯罪を構成するような違法な起訴に基づくものであり、被告人らの行為は、何ら犯罪構成要件に該当するものではない適法な行為であると考える。しかし、仮に被告人らの行為が何らかの意味で違法であるとの前提にたったとしても、被告人らの行為は、可罰的違法性があるとは考えられない。

なぜなら、第一に、被告人らが、本件防衛庁官舎に立入った目的は、自らの政治的見解を伝え、居住者である自衛官とのコミュニケーションを図ったという意味で全く正当な表現活動であり、第二に、その手段も集合住宅共用部分でのビラの配布という日常的に多くの人がなしている平穏なものであり、第三に、個々の居住者の住居権を侵害することころがなく、共用部分に関する居住者の総意を害するところもないからである。

したがって、仮に被告人らのビラ配布目的の立入りに対して、一部の居住者が「不快感」を持ち、管理者がその「不快感」に基づいて形式的な「禁止事項表示板等」を掲示したとしても、政治的表現の自由が「民主主義の根幹」を成すものであり、それゆえに憲法21条で手厚く保障されていることを考えれば、「被告人らの本件各立入り行為によって生じた管理権者らの法益侵害の程度が極めて軽微なものであったということはできない」とし、被告人を10万円ないし20万円の罰金刑とした本判決は、到底受け入れられるものではない。逆に、被告人らの配布したビラが、かりにその政治的主張内容に反対する居住者の「不快感」を引き起こしたとしても、その「不快感」は、反論・批判等の言論活動を通じて表明されるべきものであって、刑罰権の行使を通じて保護されるべきものではない。だからこそ、憲法21条は、まさにこのような場合に政治的表現の自由の保障を貫徹させるために表現の自由を手厚く保障し、これを処罰の対象から除外しているのである。



・可罰的違法性論ですか!
大筋だけ書く。蓋し、合理的に推測される<邸宅領域の管理者>や<住居領域の住人>の意思に反する立入りがあったのであれば刑法130条の構成要件に該当する。

而して、構成要件該当性判断の要素としての可罰的違法性を本事案で否定することも難しい。なぜならば、前々節「2 犯罪構成要件に何ら該当しない」でコメントしたように、本事案では刑法130条の保護法益の侵害があったと考えられ、また、その侵害の度合いも、①被告人プロ市民達が行った行為は自衛隊という組織を敵視する組織によるものであり、よって、②個々人としては一個人でしかない居住者の抱く「不安感」や「不愉快さ」も単なる自己中の馬鹿者個人によるビラ配りに比して大きいと考えるからである。

これは広域暴力団等の組織犯罪の違法性を通常よりも重く捉える思考とパラレルであり、満更荒唐無稽で我田引水的の主張ではないと私は考える。実際、破壊活動防止法に基づく被観察団体でもあった日本共産党のビラ配布について、「東京都葛飾区内のマンションに政党(日本共産党)のビラを配布する目的で立入った人を、本件と同じ刑法130条によって検挙」した事案はこの法理の粛々たる適用と言えるのではなかろうか。

尚、この点からは、真面目な商業ビラの配布は構成要件該当性自体を否定されるであろう。実際、商業ビラに対して管理者や住人が「不安」を感じることは少ないだろうし、逆に、「不安」を感じさせるような商業ビラがあり、または、「不安」を感じさせるやり方でビラが配布されたのであれば、その商業ビラ配布行為は刑法130条違反に問われるだろう。いずれにせよ、これまた管理者の「不愉快さ」や住人の「不安感」が合理的に推測され「住居権の侵害」が認定されるのであればその実質的な違法性の度合いもゼロではない。

ならば、それがゼロではないにしても、(表現の自由との関連において)違法性判断の段階における本事案の可罰性(実質的違法性判断における当罰性の程度)は如何? この点こそ本事案の帰趨を決定するポイントであろう。私は来る上告審で最高裁がこのポイントをどう判断するか注目している。竜頭蛇尾♪

しかし、ここで今一つコメントしておきたいことがある。それは、『声明』の記述「政治的表現の自由が「民主主義の根幹」を成すものであり、それゆえに憲法21条で手厚く保障されていることを考えれば、「被告人らの本件各立入り行為によって生じた管理権者らの法益侵害の程度が極めて軽微なものであったということはできない」とし、被告人を10万円ないし20万円の罰金刑とした本判決は、到底受け入れられるものではない」は何も論証していないに等しいということである。

正に、「政治的表現の自由が「民主主義の根幹」を成すものであり、それゆえに憲法21条で手厚く保障されている」からこそ(ある政治的表現を拒否する自由もまた「政治的表現の自由」として手厚く保護されるべきであり、ならば)、どのような場合にその「政治的表現の自由」が制限されるかが議論されるべきであろう。それが明示されない限り、証拠に基づき官舎管理者の感じた「不愉快」さや住民の感じた「不安感」を一般通常人の視線から合理的に推測して、本事案では憲法21条が制限されてもやむを得ないと裁判所が判断したことは裁判所の裁量権内のことと解するほかないのではなかろうか。

少なくとも控訴審判決が述べた「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」ことを誰も否定できない以上、裁判所がそう判断したことは、<自由心象主義>から見ても豪も憲法的にも刑事訴訟法的にも『声明』の呼びかけ人から非難される筋合いはないと私は考える。

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5 政治的表現の意義
上記のように、私たちは、刑法130条違反を問われる理由のない全く適法な行為をした被告人らが、特定の内容の政治的主張を抑圧するためとも思われる違法な起訴によって、応訴を強制されたことに本件の核心があると考える。

本判決は、「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」とするが、被告人らのビラ配布行為は、何ら他人の権利を侵害するところはない。また本判決では、政治的表現の自由について慎重に検討した形跡がない。

そこで、私たちは、政治的表現の自由が民主主義社会において果たしている非常に貴重な価値を確認しておく。

民主主義社会とは、多様な利害や価値観を持つ人々が、それにもかかわらず、共に生きていくことを決断した社会である。このような社会において、各人が自分の考えと相容れない主張に出会う回路を確保していくことは決定的に重要である。なぜなら、人々が共に生きていけるのは、それぞれが自らの思想・良心、信仰および学問研究の成果等を他人に伝え、コミュニケートする過程で、自らの考えと相容れない考えをも尊重することにより、説得し、説得される可能性を残すことによって、お互いを尊重して合って生きていくからである。このことは、民主主義社会の政治プロセスにも妥当する。そのプロセスにおいて、多様な異なる政治的意見が表明されることが、政治プロセスを豊かなものにしていくのである。しかし権力の保持者によって、特定の政治的意見の表明が抑圧されるならば、民主主義の政治プロセス自体が歪んでしまう。その場合、抑圧された政治的意見は、表明されなくなるのであるから、自ら政治プロセスの歪みを正すことができなくなる。

しかし、とりわけ反政府的な政治的表現は、時々の権力者によって抑圧されやすい。それゆえにこそ、民主主義社会に生きる人々は、権力者が政治的表現を抑圧しないように注意深く監視する必要があり、今日では、違憲審査権をも付与された裁判所も、この監視の任にあたるのである。

本件で問題となったビラ配布という手段は、誰もが簡単に自らの政治的意見を表明できる手段であり、このような手段での政治的意見の表明を行う市民たちの地道な努力が民主主義社会を下から支えているのである。

私たちは、被告人らの行為は、全く適法で、他人の権利を侵害するところのない行為であると考えるが、上記のような政治的表現の意義にかんがみても、本件は、無罪とされるべきものであると考える。そのような立場から、私たちは、言論弾圧を追認して被告人らに罰金刑を言い渡した本判決を厳しく批判するとともに、最高裁判所は、憲法の趣旨に従い、賢慮を持って本件を無罪とするべきことを強く訴える。

呼びかけ人
愛敬浩二(名古屋大学法学研究科教授・憲法)、安達光治(立命館大学法学部助教授・刑法)、石埼学(亜細亜大学法学部助教授・憲法)、浦部法穂(名古屋大学法科大学院教授・憲法)、奥平康弘(東京大学名誉教授・憲法)、小田中聰樹(専修大学教授・刑事訴訟法)、阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授・憲法)、笹沼弘志(静岡大学教育学部助教授・憲法)、成澤孝人(三重短期大学助教授・憲法)、松宮孝明(立命館大学大学院法務研究科教授・刑法)、山内敏弘(龍谷大学法科大学院教授・憲法)

2005年12月19日



*****  *****

・民主主義社会では権力は民衆のものでは?
「民主主義社会とは、多様な利害や価値観を持つ人々が、それにもかかわらず、共に生きていくことを決断した社会である」という格調高いセンテンスで始まるパラグラフに私も同意する。その通りだと思う。しかし、『声明』のこの節を読んで私は二つの疑問を抱いた。即ち、

(甲)民主主義とは支配と被支配の自同性をも含む
(乙)表現を拒否する自由も表現の自由が保障している


民主主義とは、社会的なコミュニケーションを通して今日の少数派が明日の多数派になる可能性をキープする限り権力(=赤裸々に言えば、それは「権力による支配」である)の正当性と正統性を保持できるイデオロギーであり政治制度であるだろう。ならば、現在の権力もその試練に打ち勝ち現在の多数派のポジションを得たのであり、権力による情報統制は民主主義の理念からも(あるいは、立憲主義からも)許されないことは論ずるまでもないにしても、反権力の政治表現が特に親権力の政治表現に比べて優遇されなければならない理由はないのではないか。

現状では少数派である者に社会学的なハンディーキャップがあるのは当然であり、そのハンディーを乗り越え汗と涙と時には血を流して明日の多数派を目指すのが現状の少数派の宿命であろう。簡単に言えば、民主主義イデオロギーがその意味として<支配と被支配の自同性>をも含むことを認めるのならば、現在の権力が立憲主義の制約を遵守する限りにおいて社会学的な優越的地位を占めることは当然のことなのである。それは現在の多数派がかって正々堂々闘って手に入れた成果なのだから。

私は何を言いたいのか? それは、政治的表現の思想のマーケットで勝ち残ることが明日の多数派(=権力獲得)への道であり、そのマーケットにおいて、反権力の政治表現は法的に優遇などされるべきでもないし、まして、「いかがわしい主張」や「不愉快な主張」と受け取られ世間の多くから表現の受領を拒否される社会学的な事実は法的に是正されるべきだなどとは、表現の自由の内容からも民主主義や立憲主義の理念からも演繹されないのではないかということである(尚、「民主主義」と「権力」に関する私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただきたい)。

政治と社会を考えるための用語集(1) 民主主義 

政治と社会を考えるための用語集(2) 憲法
 
政治と社会を考えるための用語集(3) 政治と権力
 
政治と社会を考えるための用語集(4) 国家
 
憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)(下)
 
 

而して、再々引用するが、本事案の控訴審判決が述べるように「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」のであり、蓋し、言いたいことを言う自由は誰にでもあるが、言いたいことを伝えたい正にその人々に伝える自由など誰にもない。ならば、立川のプロ市民が我が勇敢かつ優秀なる自衛隊の諸君とそのご家族に自分達の主張を伝えたいのならば、社会的なコミュニケーションの正規のマーケットで汗をかくべきだったのである。

私は本件の被告人のお一人とブログを通して本件について数度意見を交えたことがある。立派な方だと正直思う。だからこそ、思想や政治表現のマーケットで「下駄をはかせてもらうのが当然」のごとき甘えは払拭していただきたいと痛切に感じる。


puroshimin001


・総括
蓋し、ヒトとヒトのつきあいの具体的な関係において許されるタイプの行為とそうでないタイプの行為(国家がその実現を応援する行為とそうでない行為、国家によって邪魔されない行為とそうではない行為)の間に引かれた線を人権/権利というのであって、この世に絶対の表現の自由なり絶対の住居権などは存在しないだろう。ならば、民主主義、あるいは、反権力の政治的表現の自由というシンボルだけで、他人の看取する邸宅への立入りをほとんど無条件に合法と考えるロジックはむしろファシズム的の思考に近しいと言うべきである。私はこの『声明』を読んで、中国の文化大革命の文言の如きファシズムの傾向を感じた。

畢竟、上で考察した所からはこの『声明』に宣言されている主張には必ずしも同意できない。即ち、「刑法130条違反を問われる理由のない全く適法な行為をした被告人らが、特定の内容の政治的主張を抑圧するためとも思われる違法な起訴によって、応訴を強制されたことに本件の核心がある」とは思えない。

私には「本件は、刑法130条違反を問われる十分な理由のある違法な行為をした被告人プロ市民らが、反権力の内容の政治的主張は天下御免であり誰しもが謹んで拝領すべきであるという傲岸不遜な思い込みによって引き起こした事件を、検察が勇気をもって起訴したことに本件の核心がある」としか思えないのである。いずれにせよ、上告審で、本事案の実質的違法性の判断、それは即ち、表現の自由の具体的制約のガイドラインが平明・明晰に示されることを期待している。


(2005年12月23日:yahoo版にアップロード)

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