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教育改革を妨害し自衛隊を冒涜する朝日新聞社説

emperormeiji


◆自衛隊の冒涜
今日、平成19年1月4日の朝日新聞社説「教育の明日 速効を求むべからず」「防衛省 基本を揺るがせるな」は三百代言的議論と感じられた。誇張でも揶揄でもない。これを読んで直ぐ次の等式が私の念頭に浮かんだ。

我田引水の歴史認識+牽強付会の憲法談議
=朝日新聞社説


防衛庁が9日付で「防衛省」に昇格する出来事を扱った「防衛省 基本を揺るがせるな」に関して、例えば、朝日新聞はこう記す。

「省への昇格で、自衛隊員たちは自らの仕事にいっそうの誇りが持てる。防衛庁はそう説明してきた。ならば同時に、戦後日本が築いてきた自衛隊のありようについても、誇りをもって内外に主張してもらいたいと思う」、と。

この記述は詭弁以外の何ものでもなかろう。これを我田引水と言わずして他の何をそう呼ぶべきか。何故か、それは、故意か過失か知らないけれど、朝日新聞は自らもその主要なプレーヤーとして自衛隊を貶めてきた歴史を忘れているとしか言いようがないからだ。

昭和29年(1954年)に防衛庁と自衛隊が発足して以来、その憲法違反の疑いなるものを言い募り、事あるごとに「戦後日本が築いてきた自衛隊のありよう」を罵倒してきたのは朝日新聞を始めとする大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力ではなかったか。自分の国を自分で守ることは憲法違反とする議論に右顧左眄してきた「戦後日本が築いてきた自衛隊のありよう」の何を誇れというのか。その歴史を反省してこその「省昇格」なのだろうから。

蓋し、自衛隊に関して誇るべきものがあるとすれば、それは、そのような戦後民主主義者達の(すなわち、世界市民なるものの連帯による主権国家の消滅、あるいは、特定アジアに媚を売る反日分子の)執拗な嫌がらせにもかかわらず(実際、小学校低学年の自衛官の子女に対して「●●ちゃんのお父さんは、人を殺すお仕事なのよ」とクラス全員の前で言い放つ教師が全国に存在したのだ!)、自衛隊を愛する大半の国民を信じて昼夜を問わず国防の任に当たってこられた一人ひとりの自衛官と自衛官OBの他にはありえない。私はそう考えている(★)。

★註:自衛隊の違憲状態をミニマムした憲法9条?
戦後民主主義の論者の中には「憲法9条があったから自衛隊を巡る違憲状態は今の程度で収まったのだ」「イラクで陸上自衛隊が一発の銃弾も撃たず一人の犠牲者も出さずに済んだのは憲法9条のお蔭」と述べる向きもある。本編で述べた朝日新聞の主張「戦後日本が築いてきた自衛隊のありようについても、誇りをもって内外に主張してもらいたい」もおそらくこの主張を前提にしている。

けれど、「戦後日本が築いてきた自衛隊のありよう」は憲法などよりも、冷戦構造下の東西の抑止力の均衡と、米国が自衛隊の独り立ちを望んでこなかった要因が遥かに大きい。この点に関する私の基本的考えについては取り敢えず下記およびそこにリンクを張っている拙稿を参照いただきたい。


朝日新聞元旦社説☆戦後民主主義の国際関係論は「アナドル」の妄想である(上)(下) 

破綻する峻別論☆集団的自衛権と個別的自衛権
 
護憲派による自殺点☆愛敬浩二『改憲問題』(1)~(8)

憲法改正の秋☆長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
 

今日の社説「防衛省 基本を揺るがせるな」の根幹には歴史認識の我田引水だけでなく牽強付会の憲法論がビルトインされている。シビリアン・コントロールの理解だ。

世界の民主主義国の憲法を見渡すとき、「安全保障政策の最終的な決定権限と責任は、国民から直接選ばれた議会、あるいは、国民から直接または間接に選ばれた非現役軍人たる行政府の長がその責任を負う;よって、安全保障関連の情報は最高決定権者に正しく伝えられなければならず:更に、平時の軍の統制も国民から選ばれた最終決定権限者とそのラインが行うことになる」を越える意味内容を「シビリアン・コントロール」に含ませている例が果たしてあるだろうか。寡聞にして私は知らない。

この論点に関しては現行憲法9条の特殊性も理由にはならない。シビリアン・コントロールのドクトリンは国内的な行政権行使のイシューであるから、その理解に関して日本だけが特に例外になるわけではないからだ。

また、現行憲法66条2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定しているが、この「文民」はcivilianの訳語であり、これが「文官」ではなく「文民」であること;すなわち、「制服組ではない背広組の官僚」などでは断じてなく「選挙によって選ばれた国会議員」あるいは「内閣総理大臣が指名した軍人ではない非議員」であることは、現行憲法の制憲議会となった第90回帝国議会で明示的に論を尽されたことなのだ。畢竟、シビリアン・コントロールには憲法の理路からは上記の規範意味しか存在しない。

ならば、この社説の次の記述、「もう一つ、考えておくべきことがある。省に昇格するからといって、自衛隊に対する文民統制(シビリアンコントロール)にいささかも揺らぎがあってはならないということだ。

四半世紀前、野党の質問に対する国会答弁で「これは重大な問題なので、防衛局長から答弁させます」と述べて失笑を買った防衛庁長官がいた。

当時と比べ、自衛隊の装備や機能は格段に複雑になった。日米の防衛協力は深まり、国際環境も複雑さを増している。政治家がよほど目と頭を鍛えておかないと、自衛隊の制服組などの専門家集団の判断を超えられず、軍事的な視点だけに引きずられかねない。

在日米軍の再編やイラクへの自衛隊派遣などを通じて、制服組の発言力が増している。彼らの専門知識が欠かせないのはいうまでもない。だが、それをチェックし、大局的な見地から判断するのが政治家の責務である」
は憲法論的には完全な誤解もしくは牽強付会の上に書かれたものと言うべきであろう。

尚、「省に昇格するからといって、自衛隊に対する文民統制(シビリアンコントロール)にいささかも揺らぎがあってはならない」こと、そして、「制服組の専門知識が欠かせないのはいうまでもない。だが、それをチェックし、大局的な見地から判断するのが政治家の責務」との主張には私も異を唱える者ではない。

また、現行憲法の66条2項の制定において陸海の現役の将官が国務大臣はもとより内閣総理大臣をも務めた戦前の事例が特に問題にされたことは周知の事実だろう。けれども、(「自衛隊と旧陸海軍は別物だ」という抗弁は置いておくとしても)、文民の防衛庁長官が防衛庁-自衛隊を指揮命令系統において掌握している限り、より専門知識豊かな部下の防衛局長に答弁をさせることはなんら恥じではないし、まして、「制服組の発言力が背広組に比べて増すこと」がシビリアン・コントロールから見て問題というわけでもない。

畢竟、覊束行為と自由裁量行為の区別(法規通り例外なく行うべき行為と現場の指揮官や自衛隊員の判断で適切かつ妥当に遂行されるべき行為の区別)、また、後者の裁量判断が妥当であったか否かは通常の行政法の解釈と同様に防衛関連諸法規の解釈によって定められるしかない。

ならば、シビリアン・コントロールゆえに、自衛隊の(しかも、複雑かつ専門的な)行動の一挙手一投足が覊束行為として、あるいは、それらはすべて閣僚や国会の事前の承認を要する行為として取り扱われるべきであるなどは法技術的にありえない議論である。もし、この社説の主張がそのようなものだとすれば、それは憲法66条2項ともシビリアン・コントロールの規範意味とも毫も縁のない妄想であって、それは牽強付会なる憲法論と断ぜられるべきである。


hakubun


◆教育改革の妨害
歴史の歪曲(我田引水)と詭弁の憲法論(牽強付会)は、今日のもう一つの社説「教育の明日 速効を求むべからず」でも炸裂している。社説子は教育政策を巡る明治初年の明治天皇と伊藤博文公の有名な応答から説き始められる。すなわち、

学制の制度化(明治5年-1872年)の7年後、明治12年(1879年)に明治天皇は「教学聖旨」を発せられ「道徳を教え、誠実品行を尊重させるべきだ」と述べられた。対して、当時内務卿(KABU註:極論すれば、現在の総務省・厚生労働省・経済産業省・国土交通省・環境省・国家公安委員会すべての長を兼ねる顕職)の伊藤博文公は、国家がある一定の道徳を国民に押し付けることは適当ではないと異を唱え、「教育議」を奏上した、と。以下、社説の引用、

社会の乱れの大きな原因は、維新後の時代の変化にある。教育のせいだけではない。教育は水がしみ込むようにゆっくりと進めるものだ。「急(きゅう)施(し)紛(ふん)更(こう)以(もっ)て速効を求むべからず」。あわてて教育を変え、速やかな効果を求めてはならない、というのである。

国が徳目を決めて国民に教え込むことについても、伊藤は反対した。一つの国教をつくって広めるようなことは、賢人や哲人の出現を待つべきだ。政府がやるべきことではない、と。(中略)しかし、流れには抗しがたかったのだろう。この翌年の教育令改正で、「修身」が教科の筆頭に置かれた。

その伊藤も、教師への締めつけは強めようとした。教師を規則で束ね、心得を守らせ、生徒の模範たらしめよ。教育議にそう書いている。(中略)

教育基本法の改正論議では、教師が厳しく批判された。安倍首相の肝いりの教育再生会議でも、「ダメ教師」がやり玉に挙げられている。

教育議から11年後、「教育勅語」が発布された。天皇の神格化が進み、軍部はそれを利用して戦争へ突き進んだ。もちろん、歴史は単純に繰り返すわけではない。いまと戦前では、社会のありようがすっかり違う。しかし、「明日」を見通すためには、過去に学ぶべきものも見つけた方がいい。

その意味では、教育の速効を戒めた伊藤の主張は、現代にも通じそうだ。

学校の制度をめまぐるしく変えるよりも、じっくりと取り組む。悪いところばかりに目を向けるのではなく、うまくいっている教室に学び、広げていく。今年こそ、そうした発想ができないものか」(以上、引用終了)



学制が施行された明治5年(1872年)の就学率は28%弱。当時は保護者への強制力も弱く、また、学区と学校の制定のモデルはフランス式の中央直轄型であったにもかかわらず、中央政府たる明治政府の財政基盤が脆弱であったためである(実際、授業料は保護者側の負担だった)。そして、日本の義務教育の就学率はその後20年近く55%の水準を超えることはなかった。

この状況が一変するのは、明治33(1900年)、義務教育の無償制・義務教育授業料負担廃止を担保とした保護者への強い強制力・宗教ならびに宗派からの中立の3条件を整備した、第3次小学校令の施行後のことである。そして、なんと、明治35年(1902年)には日本の就学率は92%に達する(次のURL資料参照)。

事情は各国様々ではあるが、欧米一般の義務教育制度のパフォーマンスが、日本の1902年の水準に達するのは、実に、第二次世界大戦後もかなり経ってのことなのだ。畢竟、1904-1905年の日露戦争を戦った日本は教育行政の面でもかくも凄まじい速さで<坂の上の雲>を追撃していたのである。

・我が国の義務教育制度の変遷<文部科学省>
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/017.htm

・教育の普及と社会.経済の発展<文部科学省>
 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/hpad196201_2_011.html


このように、こと教育においても、中央集権国家建設に傾けられた明治政府の意図と意志を想起するとき、朝日新聞の社説子が「流れには抗しがたかったのだろう。この翌年の教育令改正で、「修身」が教科の筆頭に置かれた」と俎上に乗せられた、改正前の「教育令」(所謂自由教育令:明治12年-1879年)は、財政面も配慮した上で、町村が主体の学校運営を図る「逆コース改革」だったのであり、それは地方分権-江戸期的なるものへの揺り戻しでさえあった。

貴重な労働力でもある子供達を学校に<拉致>される上に授業料負担も課される、かつ、国民の多数が共感する日本的な儒教道徳への配慮が乏しい怨嗟の対象、それが教育令公布前の学校であった。学校の焼き討ち事件が全国で頻発したのもこの頃である。また、南洲翁の西南戦争が明治10年(1877年)、所謂琉球処分が明治12年(1879年)。国家財政の逼迫と義務育制度を見る国民の視線の冷たさを鑑みるに、明治12年、明治政府が取りうる手段は「逆コース」に舵を取る自由教育令しかなかった。私はそう思う。

蓋し、自由教育令が、列強の脅威から日本の独立と生存を守りうる近代主権国家日本の建設からの戦術的後退であったのだから、それに対する反転攻勢が可及的速やかに敢行されるべきこともまた当然だった。而して、翌明治13年(1880年)、明治政府のグランドデザインに適う改正教育令が施行された。僅か1年ではあったが、日本の権益を虎視眈々と狙う欧米列強の動向を知っている130年後の我々にとってもこの1年は、正に、累卵の危機であったと言えよう。

その反転攻勢は、しかし、圧倒的多数の国民が支持する日本的な儒教道徳を公教育に導入するという妥協を橋頭堡にするしかなかった。また、それは、維新による人心動乱が収まるとともに明治10年代(1880年代)に復権しつつあった儒教知識人の社会的影響力をも社会統合のモーメントとして組み込もうという明治政府の苦肉の策だったのかもしれない。いずれにせよ、「翌年の教育令改正で、「修身」が教科の筆頭に置かれた」とは、国民の自由の抑圧どころか国民が政府から勝ち取ったものだった。私はそう考えている。

●自由教育令(明治12年-1879年)の主眼:
財政負担削減

●改正教育令(明治13年-1880年)の主眼:
国民がその子女に教科として教えることを希求した「修身」の受入=近代主権国家建設に不可欠な国民の自発的協力の確保


両教育令公布に関する私のこの理解が満更荒唐無稽ではないとするならば、明治13年(1880年)の改正教育令では「「修身」が教科の筆頭に置かれた」と書き、「修身」の導入があたかも国家的統制強化の徴表であったとする朝日新聞の記述は間違いか、少なくとも、我田引水の類の言い草であることは間違いない。


歴史的事実認識の我田引水は続く。「その伊藤も、教師への締めつけは強めようとした」、と。1880年代の国際関係に置かれた日本を思念するとき、中央集権的な主権国家-国民国家を一日も早く建設する以外に自己の独立と生存を確保する道が日本にあっただろうか。少なくとも、坂の上の雲を追いかけることを唯一の方途と信じていた明治政府にとって教育行政の統合強化は当然の施策であったろう。ならば、明治政府が当時採りえた対案も提示せず、「教師の絞めつけの強化」なるものをあたかも時空を超えて否定されるべき施策の如く論じるのはあまり意味のない議論であろう。

歴史認識の我田引水は更に続く。「教育議から11年後、「教育勅語」が発布され」「天皇の神格化が進み、軍部はそれを利用して戦争へ突き進んだ」、と。この両者の間にどのような一対一の対応関係があるというのか。もちろん、如才ないこの社説子は「歴史は単純に繰り返すわけではない。いまと戦前では、社会のありようがすっかり違う」と付け足すことを忘れていないけれども。

教育勅語(明治23年-1890年)と満州事変(昭和6年-1931年)や大東亜戦争(昭和16年-1941年)との間には大正デモクラシーの時代(大正期:1912年-1926年)が横たわっている。また、明治末葉から昭和一桁までは(1900年-1934年)、後の講座派-労農派に流れ込む多様な、それこそ、コミンテルンを含む社会主義思想、労働運動と小作争議が日本社会を風靡した時代ではなかったのか。

これらを鑑みるとき、「日本が戦争に突き進まない道があったのかどうか」、あるいは、「大体、戦争が悪いと言い切れるのか」という大前提は問わないとしても、この社説が記す、(イ)教育議が見落とした教育の国家統制というバグが蟻の一穴となり、(ロ)教育勅語を成立せしめ、(ハ)その教育勅語が原因の一つとなって日本が日中戦争と大東亜戦争に突き進んだというストーリーは何の説得力も持ってはいない。(イ)→(ロ)→(ハ)の歴史認識は、蓋し、我田引水の妄想にすぎない。

尚、ここで、もし、「1920年代後半から、特に、1935年以降は凄まじい思想弾圧が横行したではないか」と抗弁する論者がおられるとすれば、それは正に「語るに落ちる」類のものである。なぜならば、教育勅語公布40年後の日本にも「専制国家」から見て好ましからざる分子が組織的に存在できたことをその論者自身が認められていることになるからだ。蓋し、それは教育勅語など「狂信的な天皇神格化」なるものの実現にそれほどの役割を果たさなかった証左であろうから。

meijielement


さて、このような我田引水を行ってまで朝日新聞が達成を期した社説の意図はなにか。私にはそれは次の三点と思われる。

(甲)教師に対する批判の緩和
現在、澎湃として湧き上がっている教師批判を明治の教育論議を引き合いに出すことでたしなめること

(乙)国家による道徳の強制への批判
改正教育令に反対した伊藤博文を援用することで、もって、改正教育基本法を批判し、可能な限り今後の教育関連法規の改正作業に思想的に抵抗すること

(丙)教育改革妨害のための時間稼ぎ
改正教育令に反対した伊藤博文を援用することで、もって、可能な限り今後の教育関連法規の改正作業に物理的に抵抗すること



(甲)教師に対する批判の緩和
すべての教師批判が悪いわけはない。歴史的に見てある一群の教師批判が拙い結果につながったからといって、教師批判のすべてを躊躇しようというのは羹に懲りて膾を吹くというものだ。例えば、去る平成18年の11月から12月、期末試験と三者面談が行われるこの時期に大挙して有給休暇を取り組織的に国会前に座り込んだなどという教師は、即刻、学校現場から退場させるべきだろう。

「教育基本法の改正論議では、教師が厳しく批判された。安倍首相の肝いりの教育再生会議でも、「ダメ教師」がやり玉に挙げられている」のは、例えば、英語教師でありながらTOEIC730点も取れないような無能教師が存在し、教え子や教え子の保護者に淫行&猥褻行為を企てる(男女を問わず)獣教師が跡を絶たず、そして、小学校低学年の自衛官の子女に対して「●●ちゃんのお父さんは、人を殺すお仕事なのよ」とクラス全員の前で言い放つ人間失格の教師が現在でも存在しているからなのだ。蓋し、教師批判の原則的な緩和には何の理由もない。


(乙)国家による道徳の強制への批判
国家による道徳の強制への批判は為にする議論である。それ自体何の社会統合力も持ちえない近代主権国家-人為的国家が「想像の共同体」として社会秩序を維持するためには、国民の一体性を演出し、社会生活を律する道徳規範(≒価値観)を国民に強制するしかない。これは世界史から任意の近代主権国家を選んだ場合にも自明のことだ。そして、そのような個人の信条とは位相を異にする公共的な道徳規範の提供は(憲法典と区別される)実質的意味の憲法の中核的機能でさえある。まして、教育令-改正教育令とは異なり、改正教育基本法には(儒教道徳や神道的世界観等の)特殊具体的な内容はなんら盛り込まれてはいないのだ。

道徳、就中、「愛国心」の評価や強制は彼のヒトラーのナチスドイツもスターリン体制下のソ連もできなかった。国家権力ができることは、「この社会は愛国心を持つことは良いこととされている社会だよ」ということを教えること、そして、「愛国心を大切にする際に適切な態度や行為はどのようなものか」を教えることに限定される。

愛国心が社会統合の根幹であり、また、その強制なるものが上述の如くいわば「躾の体得」にすぎない限り、それは、伊藤公(≒井上毅)が欧州の憲法史をにらみ、道徳の国家による悪しき強制の典型事例と看做した「信教の自由」のイシューとは位相を異にする。蓋し、愛国心を謳う改正教育基本法と伊藤公の建議を関連付けるのは憲法論的には牽強付会であり、畢竟、立憲主義からは否定されるべき国家による道徳の強制と現下の教育改革との間には直接の関係は存在しない。


(丙)教育改革妨害のための時間稼ぎ
教育改革には時間がかかる。当然のことだ。むしろ、だからこそ将来を見据え改革は速やかに断行されねばならない。繰り返しになるけれど、「教育の速効を戒めた伊藤の主張は、現代にも通じそうだ」というのは曲解も甚だしい。それは中央集権的教育行政の推進を止めるなという主張。平成の大宰相小泉純一郎前首相流に言えば「改革を止めるな」と博文は述べたかったのだから。

而して、「学校の制度をめまぐるしく変えるよりも、じっくりと取り組む。悪いところばかりに目を向けるのではなく、うまくいっている教室に学び、広げていく。今年こそ、そうした発想ができないものか」は姑息な我田引水だ。文部省(文部科学省)が「学校の制度をめまぐるしく変える」必要があったのは、教育改革の必要は厳として存在する一方で、文科省・教委・学校長のいずれにどのような責任があるのか現実的には不明確な法の不備に加えて旧教育基本法10条と条理教育法学を楯に、日教組・全教の反日教師が巣食う学校現場に制度改革がことごとく無効化されたからである。

蓋し、教育基本法改正がなった現在、教育改革の追撃戦は焦眉の急である。なぜならば、我々には旧教育基本法が失わせしめた60年間の空白があるのだから。明治の教育令から改正教育令への反転攻勢が1年で成されたことに比べれば60年の空白は気の遠くなるような停滞ではないか。朝日新聞こそ「「明日」を見通すためには、過去に学ぶべきものも見つけた方がいい」。私はそう考える。


(2007年1月4日:yahoo版にアップロード)

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