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「二重被爆が示すむごさ--広島と長崎」☆逆立ちした反核運動を教唆する朝日新聞社説

oura


今日、8月6日の朝日新聞社説「二重被爆が示すむごさ 広島と長崎」は、その現実感の欠如において、いかに空理空論が持ち味の朝日新聞社説とはいえその空虚さにおいて今年のトップ5にはノミネートされるものだ。一読後そう感じた。以下、取り分け空虚な妄想が炸裂している箇所を引用する。


原爆の恐ろしさをよそに、いま北朝鮮は核開発を進め、イランも疑念を持たれている。インドやパキスタン、イスラエルは核不拡散条約(NPT)に背を向ける。核戦争の脅威は減るどころか、むしろ高まっている。

そんな状況に立ち向かうかのように、従来の広島の反核運動に加えて、長崎でも発信力を高める動きが出ている。(中略)

例えば、高校生たちが自ら発案した「高校生1万人署名活動」である。
98年のインドとパキスタンの核実験に危機感を深めた長崎市の平和団体が、被爆地・長崎の声を届けようと、「高校生平和大使」を国連に送った。

長崎を最後の被爆地に

国連で核廃絶を訴えて帰ってきた高校生たちが01年、署名という身近な活動を始めた。その運動はいまでは米国やニュージーランド、韓国にも広がる。00年には、市民と市民団体、自治体が手を携えて、「核兵器廃絶~地球市民集会ナガサキ」という国際集会を開いた。今秋、集会は3度目を迎える。

長崎新聞社長の松平和夫さん(66)は、疎開先からの帰途、被爆翌日の広島に入り、郷里の長崎でも被爆した。松平さんは「長崎を最後の被爆地にしなければならない」と語る。それはすべての被爆者たちの願いでもある。(以上、引用修了)



この記事のどこが「空理空論」なのか? なぜこの記事を私は「妄想の炸裂」と評したのか? 簡単である。それは、①反核運動は平和を阻害する戦争の誘因であり、②平和を念じても平和は実現しないから、更に、③それらの活動の基盤は、現行憲法や実定国際法の地平とは無縁の<絶対平和主義=非戦論>であり、結局、それらは世界に対してほとんど何の影響力も及ぼすものではない;彼等は故意か過失か知らないけれどこの現実から目を逸らしていると私は考えるからである。


◆反核運動は国際関係を不安定にする戦争の誘発要因
反戦論は国際平和の阻害要因である。それは、1980年代半ばにクライマックスを迎えた中距離核弾道ミサイルのヨーロッパ配備を巡る米ソ交渉を想起すれば思い半ばに達しよう。米ソの中距離核弾道ミサイル廃棄の交渉を、西欧の反戦市民運動がいかに不必要に混乱させ米ソ間の、まして欧州の緊張をいかに高めたか(東側の市民の怒りをかったか)を想起すれば十分だろう。

実際、今次イラク戦争において西欧の反戦運動が延べにせよ数千万人規模のデモ&集会の動員を実現したにもかかわらず、それらが現実政治の大枠に影響を与えられなかったのはなぜか。それは、欧州を始めとする世界中の指導者(ということは世界中のサイレントマジョリティーの有権者)が、20年前の西欧の反戦論の危険性を忘れていなかったからではないか、私はそう考えている。

まして、反核運動が一定の影響を持ちうるのは市民社会が確立している先進国に限られるだろうこと;つまり、その核保有や保有する核兵器の運用について合理的な制御が期待できにくい後進国にはなんらの効果も及ぼせないだろうことを鑑みれば、反核運動は先進国の核抑止力を相対的に劣化させ世界の安全保障の均衡を危うくする運動であることは間違いなかろう。

畢竟、「高校生1万人署名活動」や「高校生平和大使」、「核兵器廃絶~地球市民集会ナガサキ」などは大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力特有の<善意>から(独善的で傲慢な善意から)それらを推進しているのかもしれないが、彼等の指し示す目的地は不安定な国際政治秩序であり、要は、戦争勃発の危険性増大である。


◆平和を念じても平和は実現しない
先進国の都会に住むホワイトカラーがワンルームマンションで平和を念じようが平和は具現しない。「念じれば平和」といえば、私は15年前のある光景を思い出す。

1991年1月17日。私はミネソタ州のとある田舎の大学街に仕事で滞在していた。そして、<アメリカ軍湾岸戦争に突入>の第一報が入ったときちょうどその大学のカフェテリアにいた。その第一報が館内放送で流れたとき、100人近いアメリカ人の学生や教職員はしばらく(といってもほんの4~5秒ではあったけれど)静まり返った。しーん、しーん。そして、次には唸りのような大歓声!

WOWOW! (わーい/うをー!)
Do it! (やったー、やっつけろ/よっしゃ、いてこましたれ!)
Bush forever! (ブッシュ(←先代)大統領万歳/さすがブッシュや!)


なぜか、なぜ彼等は数秒の間静まりかえったのか? なぜに次に大歓声が期せずして巻き起こったのか? それは、彼等には(確率的にも、)身内や親しい知人に必ず軍関係者がおられ、その大切な人達がイラクで戦死するかもしれないから。それを彼等は子供の頃から皮膚感覚的にわかっているからだ。而して、米国でも伝統的にリベラルな中西部のこの北辺の大地でも、アメリカの学生や教職員は自分達の国の決断と自分や自分の大切な人達の運命を重ね合わせ、そのコミットメントの強さゆえに歓声をあげ感激したのだと思う。

それから7年後の1998年。引用した社説記事にも書かれているインド・パキスタンの核開発動向が世界を揺るがした。而して、NHKのニュースだったか特番だったかこれまた印象的なシーンが放映された。反核を訴える日本の大学生がパキスタンとインドで廣島-長崎の被爆写真展を開催し、インドとパキスタンの市民に直接反核を呼びかけた活動の紹介。私はその時のパキスタン人の男性のコメントが今でも忘れられない。

悲惨ですね。
この(被爆して背中一面に火傷を負った)男の子はどうなったのでしょうか。
この、死んだわが子を抱きかかえた婦人はどんな気持ちだったでしょうか。
私は核武装には今まで賛成ではなかったのですが、この写真展に来て態度が変わりました。私は自分の家族をこんな目にあわせたくはない。ですからパキスタンは核を保有すべきだと思います。第二次世界大戦の時に日本も核兵器を持っていたら、こんな悲惨な目にはあわなかったでしょうからね。今日はどうもありがとう、と。


このコメントを聞いていた東京から来たボランティアの女子大生は、自分の主張や世界観が世界のそれとあまりにも隔たっている現実を突きつけられ泣くこともできず、しばし呆然と立ち尽くしていた。でもね、先進国の都会から来た大学生のお嬢さん、このパキスタンの方の感想が世界の常識というものだよ。と、その場面をTVで見たときに私は思った。

戦争へのコミットメントの強さはアメリカ人の場合もパキスタン人の場合も日本の比ではない。蓋し、戦争も核兵器も彼等にとっては他人事ではないのである。それが世界と世間の常識というものだろう。この現実を前にするとき、「念じれば平和」「デモ/ピースワークすれば核廃絶」などの議論が世界では到底まともに相手にされることなどないことは自明である。何、「それでも地球は動いてる」(笑)って?


◆反核運動の基盤は憲法とも国際法とも無縁である
日本における反核運動の思想的基盤は<絶対平和主義>であり<非戦論>である。すなわち、理由の如何を問わず戦争はすべきではなく軍備も漸次縮小撤廃すべき;而して、戦争と軍備が存在しない世界は外交交渉と諸国民間の対話によって実現するという信仰である。、「それでも地球は動いてる」「それでも反核は正しい」などの心性は「信仰」と呼ばれるのが最もふさわしいだろうから。

この<絶対平和主義>が現行憲法とも国際法とも無縁なことは説明するまでもなかろう。而して、<絶対平和主義>や<非戦論>に関して(少し古いけれど)、『論座』(2004年2月号・朝日新聞社)掲載の川端清隆「世界との共生こそが日本の生きる道」は示唆に富んだ論稿だ。川端さんは執筆当時、国連本部政治局政務官であり、川端論稿の主眼は安全保障における国連の役割をポジティブに捉えPKOを含む国連の活動に日本はもっと積極的に参加すべきというもの。

国連への私の評価は川端さんのそれとは違い極めて低い。しかし、川端さんの主張は、日本にまだ生息している国連幻想と比べればまだ議論する余地はある。「世界との共生こそが日本の生きる道」で私が注目したのは<絶対平和主義>を斬り捨てた以下の箇所。即ち、

「日本では今日に至っても、非戦主義と国連の平和主義という似て非なる概念を混同する傾向が見られるが、曖昧な平和観の典型といえよう。非戦主義とはもともと英語でいう pacifism のことであるが、「平和のためといえども一切の武力行使は許されない」という考えを指す。この考えは、一定の条件下で軍事力の行使を認める国連憲章下の平和主義とは、基本的に性質を異にする。(中略)しかし日本ではいまだに、朝日新聞を含めた大手のメディアでさえ、pacifismを「平和主義」と訳し、国連の平和主義との混同を招く原因となっている。混同の結果、平和を達成する「手段」を論ぜずに平和を語るという矛盾に、何の不自然さも感じない日本人が今日でも多く見られる」(pp.40-41)。

その通りだ。反核運動に集う善男善女は、自分達が国内であるいは海外で恙なく反核運動に興じられるのも日本の経済力のお陰であり、また、その経済力は同盟国アメリカの核の傘に守られて始めて可能であることを看過している。最近、「社会主義崩壊後、軍備の抑止力は役立たなくなった。なぜならば、米露を始め大量の核兵器が保有されているのに戦争はなくならないから」という議論を見聞きする。それは、抑止力があるから通常兵器を使用した限定地域戦争しか起こらず、通常兵器の抑止力があるから多くの紛争は外交交渉で解決されている基本構図を看過するものだ。実際、1945年8月9日の長崎原爆投下と同じ日、満州では日本の民間人にソ連軍が襲い掛かったのだから。閑話休題。

私が日本の反核運動について言いたいことは川端さんの主張と通底している。蓋し、日本の反核運動は自己の主張が現行憲法からも国際法からも基礎づけられないこと、それは単なる信仰にすぎないこと;この自覚の下に堂々と信仰活動としての反核運動を行ってはどうだ;而して、憲法や国際法の素人に対してけして法学の権威を詐称すべきではないよ、というもの。尚、私の反戦運動や安全保障を巡る法理に関する基本的な理解に関しては下記拙稿を参照いただければ嬉しい。


・護憲派による自殺点☆愛敬浩二『改憲問題』
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-25.html

・憲法改正の秋 長谷部恭男の護憲最終防御ラインを突破せよ!
 https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12148850500.html


・アーカイブ:無防備地区宣言の妄想と詐術
http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-20.html

・退屈な戦争体験
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11142107293.html

(2006年8月6日:yahoo版にアップロード)



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