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中東情勢とテロと国際関係を日本人が再考するための事実認識

suiciebombers


三日前の七夕の日、平成17年7月7日にロンドンで起きた同時爆破テロについて考えている。そして、自分の考えを<検算>するべくある新聞投稿記事を読み返した。朝日新聞(東京本社版)のオピニオン紙面『時流自論』欄に一月ほど前の6月6日に掲載されたもの:池内恵・国際日本文化研究センター助教授の「中東論が映す日本の思想状況」である。

一月前にも「我が意を得たり」という感想を持ったが、「日本はテロにどう立ち向かうべきか」という現実の具体的な政治課題について考える上で大変参考になった。一昨日以来、ロンドン同時爆破テロを受けて「テロは決して許されないが、力だけではテロを押さえることはできない」そして「テロに備えると言う名目で市民の人権が制約され侵害されることには警戒を要する」等々の非現実的で無為無策に等しい日本のマスメディアの論調を目にしている身には、池内さんの指摘は中東とテロと国際関係を巡る日本の思想状況の核心を穿つものだとあらためて感心した。ここに日本人/日本市民がテロと中東を再考するための橋頭堡として紹介しようと思った所以である。

私は、テロ対策を扱った朝日新聞を始めとする社説が非現実的な蒟蒻問答に陥いらざるをえないのは、彼等が大東亜戦争後の日本社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の呪縛にいまだ拘束されていて、<人権神学>や<平和原理主義>とも呼ばれるべき空虚でかつ世界の平和阻害要因にさえなりかねない醜悪な思想に固執しているからだと考えている。このポイントを考える上でも池内さんの投稿記事は参考になる。以下、著作権の侵害にならないように適宜要約しながら紹介する。


日本の中東論で突出するのは「米国」への著しい関心である。(中略)その背景には「中東=反米」という印象が根づいていることがある。しかしそもそも中東諸国は「反米」なのか。「中東」とひとくくりにしていても話は進まない。


中東研究の専門家の池内恵さんはこう述べられ以下、トルコが「政府レベルでも一般市民レベルでも、明確に親米である」こと。「イラン」でも、国家指導部の反米姿勢とは裏腹に「聖職者に生活の隅々を監視され、こと細かに教導される窮屈な生活を嫌う層が増大して」おり「その裏返しなのか米国への憧れは募」っていることをレポートされる。

イランについては実際、先月24日に実施された大統領選の決選投票で強硬保守派と言われるアフマディネジャド・テヘラン市長が圧倒的支持を集め当選したことは(これにより、国家最高指導部を握る保守派が、立法、司法に加えて行政権をも掌握した)、(イ)イランの聖職者が作る最高指導部とは別に多くのイラン国民が開放的な空気を希求するイラン社会の現在の傾向をこれ以上容認できないと考えたこと、逆に言えばそれだけ、窮屈な生活を嫌い、その裏返しとして米国への憧れを募らせる傾向が増大していることと、(ロ)改革派とはいえ聖職者であるハタミ大統領に替わって非聖職者の大統領をイラン国民が求め、その要求を最高指導部が容認せざるを得なかったことを意味していると私は考えている。まあ、私の素人考えなどはどうでもよいが、トルコ・イランに一瞥をくれた後、池内さんの筆はアラブに及ぶ。


それでは中東が反米だという印象はもっぱらアラブ諸国に起因しているのだろうか。確かにアラブ諸国のメディアを見れば、反米言説に満ちている。しかし、(中略)パレスチナにしてもスーダンにしても、紛争の調停と解決の際にアラブ側が求めるのは米国の支援であり保証である。米国は憎まれ、同時にあてにされている。


事実であろう。いや率直に言えば事実はもっと冷徹である。アメリカが世界の紛争に介入しないこと:経済関係を除き「政治外交的には自国と協調できる国とだけ今後お付きあいしますよ」という立場をアメリカは採用可能である。反対に世界はアメリカの力(誤解を恐れずに言えば、それは「介入」以外の何ものでもない)なしには秩序を維持し紛争を解決することは困難である。簡単な話だ。世界の問題は最早アメリカ一国では解決できないボリュームと複雑さを持っているが、さりとて、世界はアメリカの力を頼ることなしには秩序を保てない。アメリカは自国が作る秩序に「この指止まれ」式にあつまる国々だけで生きていくことができるが、アメリカを除く世界は(アメリカが世界の秩序維持に関心をなくしそのためのコミットメントを放棄した段階で)生きていけなくなる。これが2005年の世界の現実である。情けなくもあるがこれが現実である。池内さんの記事に戻ろう。


日本では基本的な誤解があるのかもしれないが、中東の諸問題を生み出したのは米国ではない。アラブ諸国が中東問題の根源とするイスラエルを生み出したのはイギリスの中東政策である。(中略)米国を諸悪の根源とする批判としては「米国はアラブの抑圧的で腐敗した政権を支えてきた」というものがある。しかしそもそもアラブ諸国の抑圧的な政権の多くは東西冷戦構造の中で共産主義陣営に接近し、その援助を受けて権力基盤を固めた。「フセインはソ連が育てた」と言えば事実により近い。ところが「フセインは米国が作った。ゆえにフセインの犯した罪は米国に責任がある」と主張する人が引きも切らない。

また、「ビンラディンを育てたのは米国だ。だから9・11事件も米国の責任だ」とする議論も流布している。しかしアフガニスタンに侵攻して長い内戦を引き起こしたのはソ連であって米国ではない。タリバンを育てたのはパキスタンであり、アルカイダはサウジアラビアやエジプトといったアラブ諸国が自国の過激派を国外に送り出して「厄介払い」した政策の帰結である。

これらはいずれもごく基本的な事実であって、私が「専門研究者」を名乗って指摘するのも恥ずかしいぐらいである。しかし不思議なことに日本の中東論は、こういったごく基本的な点を踏まえずに展開されてしまう。どうやら「米国が全ての原因であるはずだ」という固定観念と「米国を批判してスッキリしたい」という欲求が先にあるようだ。それにしたがってあやふやな情報をつなぎ合わせ、例えば「90年イラクによるクウェート侵攻は米国が示唆した」と主張して湾岸戦も米国の責任ということにしてしまう。(中略)

「米国は中東の抑圧的政権を支援してきた」という批判と「米国は中東に民主化を押し付けている」という批判は両立しない。ところがさらに「米国が本当の民主化を支援するはずがない」という別種の論理まで入り交じって議論はいっそう混乱し、もはや脈略は不明となる。(中略)

これら日本の言説は「中東」に投影して自らの感情を語ったに過ぎないのだろう。現在流通している中東論からこれらの要素を取り払ってしまえば、残るものはそう多くはない。しかしその地点から始めることが中東そして国際社会を理解していくための最短の道ではないか。(以上、引用終了)



日本では「この世界をうまく運営していくには、「先進国クラブ」の枠を超えて、さまざまな国々と協力していくしかない」(平成17年7月10日の朝日新聞社説「サミット たそがれが漂った」)とかの、国際協調主義や国連中心主義に各国が従えば世界の安定と秩序は保てると主張する論者も少なくない(どうやって、各国に国際協調主義や国連中心主義に従うコストを負担させられるというのかしら?)。

世界の人口のおよそ5%を占めるにすぎないアメリカが世界の富と資源消費のおよそ半分を占めており、また、アメリカの繁栄は他国、就中、後進開発国の搾取の上に成り立っている。これら二つだけを考えても、「アメリカが世界の秩序維持と紛争の解決に貢献するのは当然である」とかの、ナイーブな論調も日本では時々見聞きする。けれど、それは論者の願望ではあってもアメリカを拘束できるようなものではない(これに対して「そうだね」と答えるアメリカ人など朝日新聞に時々そのコメントが掲載されるようなアメリカ社会の超少数派だけだろう)。

usfriends


アメリカは(第2次世界大戦から今次の冷戦の勝利を貫き現在に至るまで)、アメリカが世界の秩序維持と紛争解決に権限や威力も保有する代わりに責務もコストも負わざるをえない今の国際秩序のあり方が自国に有利と考えているから<覇権>を握っているだけである。ゆえに、<覇権を握り続けるコスト>がリターンに見合わないと判断したならばいつでも政治的ブロック政策を取るだろう。狡猾で姑息な現在の欧州大陸の諸国のように。

アメリカの政治的ブロック政策の採用。それは、自ブロック外でどのような非道がまかり通ろうが経済活動を除き一切アメリカが関知しない国際関係を意味する。それは<マクドナルドのカーテン>の外ではブルータルな風景を現出せしめるだろう(そのイメージは、『北斗の拳』やターミネーターの描く近未来社会に近いかもしれない)。なぜならば、アメリカが政治的ブロック政策を採用した後の世界では国際協調主義や国連中心主義などは蒸発してしまうだろうから(各国に世界全体の秩序や紛争解決に利害関心を抱かせ、それを解決するためのコストを拠出させるほどの強いコミットメントの根拠を国際協調主義や国連中心主義なるもの自体は持ち合わせてはいない)。

橋爪大三郎さんの近著『アメリカの行動原理』(PHP新書・2005年7月)にわかりやすく整理されているように、アメリカの保守勢力は本来他国への干渉を厭う傾向を持っている(特に、同書p.199ff)。ならば、経済活動がある程度のボリュームを確保できある程度の経済のパフォーマンスが維持できる、そして、諸外国に介入するコストと国際経済活動の縮小が見合うという目算が立った段階では(私はその条件の均衡達成はそう難しいことではないと考えているが)、アメリカが政治的ブロック政策を採用し世界の紛争解決から手を引くことも満更ありえない話ではないのである。アメリカは元来モンロー主義の国なのだから(尚、モンロー宣言(1823年)は、「アメリカは欧州に容喙しない。よって、欧州諸国も新大陸に介入するな」という言わば、新大陸ブロック主義というか新大陸帝国主義の宣言である。つまり、モンロー宣言自体はモンロー主義とはいささかその色彩を異にしている)。

欧州の狡猾な諸国のように政治的ブロック政策をアメリカが今後採用するかどうかは、もちろん、国際協調主義や国連中心主義の深化浸透などとは無縁である(笑)。それは(これについても、橋爪大三郎『アメリカの行動原理』(特に、第2章・第12章)を参照いただきたいけれど)、アメリカ人が、この同じ地球上に自由が抑圧されたブルータルな世界が存在すること(最低限の人権も抑圧され不条理な生を生き無念な死を迎えるしかない人々が存在すること)にドイツ人のように無関心になれるかどうか、あるいは、「非人道的な独裁者から買ったものであれ民主主義と立憲主義を愛好する市民から買ったものであれ、石油は同じ石油であり鉄鉱石も同じ鉄鉱石である」というフランス人のような狡猾で姑息で欺瞞的な心持になれるかどうかにかかっていると私は考えている。

蓋、米英独仏のことなどどうでもよい。問題は日本と日本人である。日本と日本人が世界に対してどのようなスタンスを取るべきか取れるのか、国際関係を巡る論議はそこに帰らざるをえない。その点で、日本人が国際関係を考えるいわば思考の姿勢を自己確認するためにはここで紹介した池内さんの投稿記事は含蓄に富むものだと思う。

尚、帝国としてのアメリアの可能性と限界については下記拙稿を参照くだされば嬉しいです。

帝国とアメリカと日本




(2005年7月10日:yahoo版にアップロード)

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