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レバノン掃討戦に悲鳴する戦後民主主義者の滑稽

shipfreedom



イスラエルによるレバノン攻撃が進行している。テロリスト集団・ヒズボラの掃討戦である。ヒズボラのミサイル攻撃とイスラエル軍の空爆によって双方とも、多くの民間人が巻き添えになり命を落としている。民間人や非戦闘員の犠牲には(特に、犠牲になった子供達の運命に)心痛めない者は少なかろう。

しかし、このイスラエルの攻撃は正当な自衛権の行使であり、更に、「テロリストとは一切の妥協はしない」「テロリストとは一切交渉しない」という原則は、1960―1970代、それこそ当事のパレスチナ解放機構によるものを始めとするテロの多発を受けて確立した国際的な原則である。

テロリストとは一切の妥協をしてはならない
テロリストとは一切交渉すべきではない


イスラエルのレバノン掃討戦は国際社会の代表としてこの原則を貫徹しているものでさえある。レバノンでの無辜の犠牲者、特に、犠牲になった子供達の画像を見るとき忘れられがちなこの国際法の冷酷な事実を私は敢えてこの記事で提案したいと思った。レバノンの無辜の犠牲者を奇貨として、自己の醜悪で空虚な非戦論や地球市民論なるものを展開する大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力の議論は、今この瞬間も生じているに違いないレバノンの犠牲者への最大の冒涜と私は感じられるからである。

蓋し、今次、イスラエルもそれを支援するアメリカも、多少の犠牲に怯むことなく粛々とテロリスト=ヒズボラの構成メンバーとその支持者を完全に殲滅するまで攻撃の手を緩めるべきではない。即時無条件停戦論や<誤爆>批判などの、自己で秩序を具現する力も覚悟もないフランスや無責任な先進国の都会のホワイトカーの反戦論議などは一切無視して、かつ、拙速を恐れず峻厳なる正義と大いなる秩序の再構築に邁進すべきである。

nobunaga2


◆伊勢長島とレバノン
信長の長島殲滅や徳川政権による島原の乱鎮圧を想起していただきたい。あるいは、明治政府による西南戦争や佐賀の乱、熊本・神風連や福岡・秋月党の乱ならびに萩の乱を想起されたい。天正2年(1574)7月数万の一向宗門徒が殺戮されたこと、寛永14年10月25日~寛永15年2月28日(1637年12月11日~1638年4月12日)の間、有明海を望む島原で繰り広げられた十万近い民の殲滅によって江戸幕府260年の泰平秩序が確立したのではなかったか。而して、アメリカを現在のアメリカに組み替えた南北戦争にしてもまた同様である。

何? 内戦と他国による攻撃(侵略)では話しが違うと? 確かに違う。けれど、「テロリストは妥協しない」「テロリストとは交渉しない」というルールを人々に理解させる強制力の効果において国内と国際とに差があるとは思われない。更に、原則、国内においては最高で対外的には独立の主権国家がプレーヤーを演じる国際社会においては(★)、ある国家やその同盟国の自衛権の行使の正当性を判定するものは、当該の国家-国家連合であるケースが多い点で伊勢長島や島原の無差別殺戮の正当性よりもイスラエルによるヒズボラ攻撃の正当性の方が遥かに優っているとも言えるのである。

レバノンにせよチェチェンにせよ、シリアにせよ北朝鮮にせよ(私は自国民の1~2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味の「国家」とは呼べないと思うけれど)、その国民がすべて消滅すればその地域のテロ勢力も同時に消滅する。而して、<誤爆>や<過剰攻撃>の謗りを恐れず、すべてのテロ勢力とその支援者を殲滅するという、そのような覚悟がアメリカとその同盟国にあることが分かればテロリストではない国民の多くはテロ勢力を容認しなくなるであろう。これはゲーム理論からも十分言えることである。蓋し、「暴力や報復は、暴力や報復の負の連鎖しかもたらさない」などとは、真に歴史の教訓を見ようとしない者のする不十分な議論にすぎない。畢竟、人類史においてはそのような覚悟が真に秩序をもたらしてきたのである。

これは愉快ではない想定ではある。確かに、好戦病の小中学生が強がって言いかねない犠牲者に慮ることの乏しい議論でもある。しかし、<9・11>以降の国際安全保障秩序はそこまで行く思想的可能性を孕んでいることは間違いないと私は考える。ならば、非戦や人権を説く先進国の都会のホワイトカラーはテロリストを支援して事態を更に悪化かつ広範囲に拡散せしめる、平和と人権の疎外要因でさえあると言えよう。彼等の言動がテロリストやテロ支援国家(あるいは、北朝鮮の如きテロ国家)の手にABC兵器を渡らせる時間的余裕をテロ勢力に与えることを鑑みればそれは満更筋違いの批判ではなかろう。

ならば、テロ撲滅に対しては、「地域住民も巻き込む殺戮も辞さず」という原則が確認されることが世界の秩序の再構築のためには意味がある;少なくとも、この原則の確立よりコストパフォーマンスがよくフィージビリティーも高い施策は見当たらないのではないか。私にはそう思う。蓋し、信長侮り難し。

★国連憲章と主権国家
第2条第1項「この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」
第2条第7項「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第七章に基く強制措置の適用を妨げるものではない」

尚、第2条第7項但書きを根拠に、国連憲章第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」については、各主権国家はその主権の一部を国際連合に移譲しているのではないか、少なくとも、国連安全保障理事会に安全保障政策の行使に関する主権の一部を委譲しているのではないか、と考える向きもある。

これは、「主権」や「移譲」や「委譲」の意味をどう捉えるかという<言葉の問題>である。何故ならば、ある国家がその締結する条約によって通常は主権国家として取り得る行動の選択肢の幾つかを自ら禁じたり(≒プリコミットメントを行ったり)、行使の権利を放棄して、ある国際機関にその権利行使の権利を委任/委譲することは別に珍しいことではない。そして、この委任や委譲によって、当該の国家がその最高独立の国家主権を持たなくなったと考える論者は少ない。更に、国連憲章「第7章に基づく措置の適用」に納得できない加盟国は国連を脱退すればよい(脱退する行動を起すこと自体、面倒であるとか、国際政治的に不利だと思えば、除名されるまで(第6条)その措置を無視すればよい。)、からである。


usnavy


◆ヒズボラ掃討戦と国際法
私は、今回レバノンで国連の施設が<誤爆?>されたこと、而して、それに対して結局、国連や国際社会なるものが何もイスラエルや米国に言えないこと;即ち、主権国家の自衛権行使の前には国連などその程度のものであることが日本人に明らかになったことは素晴らしいことだと思う。亡くなられた方々への配慮を欠いた言辞であることを百も承知の上で言わせていただければ、これは我が神州にとっての天佑神助とさえ思う。 大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義が巻き散らかしてきた、国連幻想やここに最後の防衛線も突破されようとしている、と。主権国家を超越する国際社会や地球市民なるものは幻想にすぎないことは誰の目にも明らかになりつつある、と。

国連などは常設の国際会議場にすぎず、我が米側同盟国は我が陣営に有利な場合にだけ国連を儀式の場に使えばよいのである。再度述べる。「テロリストとは一切交渉しない/一切妥協しない」これが国際的な原則である。所詮、レバノンエリアの旧宗主国フランスなど、「即時停戦やて? あん? では、停戦後はあんたが責任をもってヒズボラを押さえ込むんやろな?」と英米イスラエルに言われても何もできないことは自明であるから、フランスのような二流国の言うことなどは我が方は無視しておけばよい。

畢竟、『ベニスの商人』の判決ではあるまいに、テロとの戦いは正当でありヒズボラ攻撃自体はイスラエルの自衛権の正当なる行使であるとしても、「一人の民間人も殺傷してはならない」「テロリストと誤認して一人の無辜の民をも傷つけてはならない」などの理屈はそう大した法的な根拠を持っているわけではない。正当なる自衛権行使と不当なそれを分かつメルクマールとして、

①事態の緊急性
②防衛-報復手段の相当性


の二つが国際法上はイスラエルに課されている。それにせよ、その緊急性と相当性を判断するものは国際政治の力学でありこそすれ豪も国際法研究者のコミュニティーでも、まして、フランスや無責任な先進国の都会のホワイトカーの反戦論者ではないからである。

簡単に言えば、テロ勢力とは国際法違反を行う<弱者>のことである。きっぱり。ローマの平和にせよエルサレムの平和(?)にせよ(神ならぬ身の人間が作る主権国家が形成する、「万人が万人に対する狼」状態の国際社会において)、国際法の究極の理念は秩序の維持である。ならば、<弱者>を殲滅することは不条理の窮みであろうが、国際法の理念からはすべてのテロ勢力は撲滅されなければならない。なに?・・正義に反する?・・国際法に正義を求めるのは都立葛西M高校の女子高生に貞操を求めるようなもの、あるいは、朝日新聞の紙面に真実を期待するようなものである。

ならば、イスラエルは(EU中心の治安維持部隊が到着するまでの間)、徹底的にレバノンを(できればシリアも)叩くべきなのである。少なくともその覚悟を世界に示すべきである。而して、それが世界の<平和>のためにイスラエルに神が与えた崇高かつ厳粛な使命なのかもしれない。而して、それを見れば、例えば、ロシア等も国内政治のマヌーバーとして(危機を演出するために)放置してきたチェチェンのテロリストに対して峻厳な対応をロシア国民と国際社会から求められることになろう。イスラエルの蛮勇は世界をテロの恐怖から開放する嚆矢になりうる。いささか楽天的ではあるが私のようなテロ撲滅に向かうドミノゲームがレバノンで始まることを私は希望している。

このような認識からは戦後民主主義の英米・イスラエル批判は悲しいほど空虚である。テロリスト撲滅が国際法の理念と人類史の教訓に裏打ちされた合理的で正義に適った施策である可能性に思いたすこともなく、

(甲)国際法的にも憲法的にも根拠の怪しい絶対平和主義なるものをさも国際的に通用する論理と詐称し

(乙)常設の国際会議場にすぎない国連の出先施設への<誤爆?>をあたかも国際社会総体への攻撃ととらえ

(丙)国連決議なるものは、本来、各国が(特に、常任理事国が)自国グループに有利な政治的主張を披露する儀礼書式にすぎないのに、即時停戦を拒む英米・イスラエルをさも理不尽な振る舞いを行っていると非難する朝日新聞等の戦後民主主義を信奉する勢力の主張は、国際法と確立された国際政治の慣行を鑑みれば噴飯ものの言辞である。

それは、大東亜戦争後の60年余り、日本国民に<世界の常識>として彼等が説いてきたことが彼等の願望や妄想に過ぎないことが暴かれていくことに対する悲鳴でもあろうか。私にはそう聞こえてならない。


(2006年8月5日:yahoo版にアップロード)

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